有明の つれなく見えし 別れより…

【小社会】観月 暦の上ではまたも季節が進み、きょうは二十四節気の「白露」。夜になると気温が下がり、草葉に露がつく時季という。広辞苑には「この頃から秋気がようやく加わる」とある。◇夏が終わる位置付けらしいが、現実はそうはいかない。ことしも残暑が厳しく、高知市では9月に入ってからも熱帯夜が続く。一体いつになったら秋らしくなるのだろう。◇〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉。古今和歌集にまだ目に見えない秋の到来に風の音で気付く藤原敏行の歌がある。月にそれを感じた作者不明の歌もある。〈木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり〉。◇確かに物悲しげな月の光は秋に合う。月見でおなじみの「中秋の名月」も見られ、年によっては9月上旬に巡ってくるが、暑いと風情もなくなるだろう。ことしは10月6日と聞いて安堵(あんど)する。◇中秋の名月は1カ月先だが、きょうの深夜、正確には日付が変わったあすの未明、月を眺めたい。約3年ぶりに皆既月食が見られる。国立天文台によると、満月が地球の影にすっぽり隠れて赤銅色に輝くのは午前2時半ごろから。◇あすの高知市の最低気温は26度の予想で、相変わらずの熱帯夜だが、天気に恵まれれば記憶に残る観月になりそうだ。虫の声がBGMになり、ふとした瞬間に涼しい風でも吹けば言うことなし。月曜の朝から寝不足になりそうなのが難点だが。(高知新聞・2025/09/07)

 表題歌は壬生忠峯(生没年不詳)作。9世紀後半から10世紀にかけての歌人。「古今集」の撰者のであり、「三十六歌仙」の一人でもあります。その歌の意はどうなんでしょうか。 「有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし」(壬生忠岑)夜明け前に西の空に残る「有明の月、わたしにはとてもつれない仕草に見えてしまう。恋しい人の下に出向いても、嫌でありんすと、まるで追立てられるような仕打ちを受けて、ふと空を見れば、暁の月、これほど恨めしいものはないではないか」と言ったところか。

 こんな「優柔不断な、中年男のそのままの心持」が歌にできた時代、時代を超えて残り続けてきた歴史、それを詮索すると、いったい、この国ではいかなる「文化」「生活」政治」が重ねられてきたのかと、無粋な野蛮人のぼくなどは、とても理解もわかないし、温(ぬる)いものだったなあという感想を持ってしまいます。

 あの手この手で「嬲(なぶ)り殺しにされた」ような、今日の宰相、石破某さんは「今宵の月」をどのように見たでしょうか。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」と詠んだ歌人の心境に近かったか遠かったか。恐らく一日だって「安閑」「安息」の暇はなかったと推察します。ことに7月の参議院議員選挙敗北後の彼の振る舞いを見ていると、まるで「弁慶の立ち往生」の場面を想ってしまいます。弁慶には「守るべき義経」が居ました。果たして、彼(現首相)は何を守ろうとしていたのか、それがために「立ち往生」にまで至ったのだと思えば、ぼくには腑に落ちないところだらけでした。「安倍的政治を清算する」「政治と金に決着をつける」と眦(まなじり)を決していたとはとても思えない。しかも、「彼は敗れ(破れ)た」のです。敵味方なく、彼に矢を放った輩が徒党を組んでいた政党が自民党。その政党そのものが「立ち往生」している・いたとぼくは見ています。「刀折れ、矢尽きた」のは、どちらのどなただったか。自民党でもなければ、その他の野党でもなく、立ち往生し、挙句には死地に赴かざるを得なくなったのは「国自体」だったような気がするのです。

 (ヘッダー写真は7月23日付の読売新聞「号外」で、在庫がたくさんあったので、同じ号外を同社は再利用したのではないかと思わせるような、「首相辞任」会見でした)

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● 壬生忠岑(みぶのただみね)= 生没年不詳。平安前期の歌人。『古今和歌集』の撰者(せんじゃ)。三十六歌仙の1人。忠見の父。右大将藤原定国の随身から右近衛(うこのえ)番長、右衛門府生(うえもんのふそう)、御厨子所預(みずしどころあずかり)、摂津権大目(せっつのごんのだいさかん)などを務めて、930年(延長8)以後に没したか。早く892年(寛平4)の「是貞親王家歌合(これさだのみこのいえのうたあわせ)」、「寛平御時后宮(かんぴょうのおおんとききさいのみや)歌合」にかなりの歌を残し、『新撰万葉集』を通じて、『古今集』直前の時期には紀友則(きのとものり)とともに有力な歌人であった。『古今集』には集中第四位の36首入集(にっしゅう)。その歌は清新で鋭い機知にあふれ、また体験的、主観的に事象を割り切るところがあって、典雅さにおいて『古今集』の他の3撰者にはやや及ばない。また、その身分の低さがうとまれたのか、『古今集』以後の活躍を伝えるものがない。しかし後世、象徴ということが尊ばれるようになると、再評価されるところがあった。(日本大百科全書ニッポニカ)

● 立ち往生=立ったまま死ぬこと。ある地点で止まったり行き詰まったりしたまま、どうにもできなくなることのたとえ。[使用例] どうせ家を出る時に、みずさかずきは済まして来たんだから、覚悟はとうからきめてるようなものの、いざとなって見ると、こんな立ち往生は御免こうむりたいからね[夏目漱石*明暗|1916][由来] 「義経記―八」に描かれた、源義経の家臣、武蔵坊弁慶の死にざまから。平家を滅ぼすという大功を挙げた義経は、兄の頼朝にそねまれた結果、ころもがわ(現在の岩手県平泉町)で追い詰められて自害することになります。その際、弁慶は最後まで奮戦し、体中に矢が刺さったまま、長刀を杖にして、仁王立ちになって動きません。「剛の者は立ちながら死する事あると言うぞ」と考えた敵兵が、馬にのって恐る恐る近づくと、その震動でようやく倒れたのでした。敵兵たちは、「義経が自害するのを邪魔されないよう、守っていたのだろう」と言って、深く感動したということです。(故事成語を知る辞典)

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 読売新聞曰く。「どうだ、誤報じゃなかったろう」「それにしてもてこずらせやがったなア」と。こちらもまた、完全に「死に体」です。合わせて毎日もまた、自らの死を選んだことになるでしょう。八十年以前にも、まったく同じような蛮行が新聞社によって演じられ、人民を好き放題に煽りに煽ったんですね。「馬鹿は死んでも治らない」か。他の新聞社は「メディアに泥を塗った」報道機関に一言も言えないのですから、そちらはとっくに死んでいる。

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「徒然に日乗」(844~850)

〇2025/09/07(日)天気の傾向がはっきりと変わったことが伺えるようないい日だった。最高気温は30℃を越えてはいたが、同時に風の吹き方がはっきりと変わったのが感じられるのだ。願わくは、台風や豪雨の襲来がないように▶お昼前に猫缶購入のためにあすみが丘へ。あまりの猛暑で、猫たちも辟易していると思う。いろいろと「異変」が続いて起っていることを痛感している。何とかこの暑さを乗り越えてほしい。溝にはまり酷い臭いをつけたまま、どこか怪我をしていると思われる猫も、久しぶりに「食餌」を摂っていた。彼用の「ジュレ」をいくつか買ってきたのだが、嬉しいことにそれなりに口をつけていたと思う。まだ、何匹かは数日間家に帰らないままの子がいるのが気がかりだ。一番新入りの子は明日、「手術前の検査」だ夕方のテレビ報道で「首相辞任」が伝えられていた。「自分の方から辞めると言わなければ首相は続く」とぼくは思っていたし、そう駄弁っても来ました。事ここに及んで、首相の首相継続の緊張の糸が切れたということだったろう。自民党」が音を立てて壊れていくのが聞こえるようだ。ぼくは現首相を評価しているのではないが、他と比べれば、「よりまし」と言うしかないことだからだった。参議院選挙が終わって、二カ月になろうかと言う期間、なんという「ひび割れた『コップ』の中の争い」が続いたことか。そしてその「コップ」の中に新聞社が参加して、「首相降ろし」に加担していたのは、もう一方の、この社会の既成秩序の破綻現象だと想っている。「石破茂首相は7日午後6時から官邸で急きょ記者会見を開き、退陣を表明。自民党内や閣内から退陣圧力が日増しに強まる中での選択となり『国民の期待に応えられたかを自問する時、じくじたる思いだ』と語った。/…日米関税交渉に一定の区切りが付いたなどとして「後進に道を譲る決断をした」と話した。(東京新聞・2025/09/07)(850)

〇2025/09/06(土)ただ今午後10時過ぎ。室温27.5℃、湿度73%。いわば台風一過、爽やかな一日だったと思う。適度に風も吹き、気温はあまり高くならずと、これぞまさに「秋の佇まい」と言うべきか。それにしても、昨日の台風15号の影響だったか、静岡県内ではいくつもの地域内で「突風」が発生し、大きな被害が出た模様。死者は出なかったようだが、被害に対してはお見舞いをするばかり。さらにこの後には新たな颱風が台湾南東海上に発生、次週半ば過ぎには劣島への影響が心配される▶自民党の「石破おろし」が急展開を見せており、総裁選挙前倒しに多くが靡いている。その風潮に小さくない役割を果たしたのが「読売」「毎日」両紙の、いい加減な、きわめて恣意的な記事による「誤報」だったと思う。読売は「検証記事」を出したが、驚くべきは「誤報」の上塗り。悪いのは「嘘をついた」「説明を変えた」総理だと言わぬばかり。これが報道を生命とする新聞社の書くべき記事だろうか。自らの希望や願望(石破退陣)を促すために希望や願望、あるいは憶測交じりに「でっちあげ記事」の羅列の自己弁護だったのには驚嘆した。反対に、毎日は、まったく隠れて「誤報」を続けるかのような「べた記事」を出していた。恥ずかしいし、見苦しい。もう新聞(社)の看板を下ろすべきだといいたいね。(849)

〇2025/09/05(金)昨日からの台風15号の余波で明け方には雨が降り出していた。徐々に雨は強くなり、風も出てきた。だが、思っていたほどの強さは風雨ともに増すことはなかったのはさいわいだった▶このところの猛暑もあってか、多くの猫たちは夜になっても外で過ごしているようで、2.3日帰らない(家で食餌を摂らない)ものが出てきているのが心配。外の猫たちと喧嘩がこれまでとは違って激しくなってきているのも悩みの種。その一部だと思われる怪我をしている猫()が、昨夜は帰って来ていたが、いつの間にか出て行ったし、十分に食餌を摂れないこともあるようで、何とかしなければと気にはしている▶日米関税交渉が一山超えたのか「相互関税」が15%に落ち着いたという。もともとは2.5%だったのだから、この社会現下の経済状況にはさらに苦しくなること請け合い。その他、防衛装備なども底なしの圧力を受けて「爆買い」が続くだろう。(848)

〇2025/09/04(木)ただ今午後9時半。室温29.2℃、湿度77%。台風15号の影響で酷暑は一転して中休み。明日以降は、関東地方も含め各地で大雨もあるという。まるで常套語になった感があるが、「晴れれば酷暑、降れば豪雨」の通りの天気の異変・異常だろう▶昼前に茂原まで買い物。わずかばかりの食品購入で、会計は5000円超だった。▶物情騒然という世相が相場になった感があるような、退廃と堕落の不始末が方々で見出されているのは、いかにもこの社会・国の「敗戦後80年」の箍(タガ)が外れた世相の現状に似つかわしい、嘆かわしい状況だと思う。(847)

〇2025/09/03(水)連日連夜の酷暑と熱帯夜。ただ今午前零時。室温29.7℃、湿度72%▶読売「誤報」問題自己検証記事の「大意」と見るのは「読売新聞は、石破首相の発言をもとに退陣意向を報道したが、首相は様々な場で『自分は辞めるとは言っていない』と繰り返している。こうした虚偽の説明をされたことから、進退に関する首相の発言を詳細に報じることにした」(読売新聞・2025/0903)と説明。どういうことか。「首相本人が辞める意向」と言っていたから報道した。それを翻したのだから、「誤報」ではなかった。しかし「結果としては誤報になったので、謝罪する(誰に?)」というのだ。「石破首相(自民党総裁)が7月22日夜、日米関税交渉が合意に達した場合には『記者会見を開いて辞意を表明する。辞めろという声があるのなら辞める。責任は取る』などと周囲に明言したことを踏まえて報道したが、首相がその後、翻意した可能性があることがわかった。報道は当時、その可能性への思慮が足りず、結果として誤報となったことを読者の皆様に深くおわびします」(首相本人に直接取材をしていない)誤報の自己弁護と受け取れる、よく理解できない「検証記事」だろう。その底意には「間違いではなかった」と言わぬばかりの弁明がある▶サントリー会長の「違法薬物輸入疑惑」もまた、よくわからない報道だった。正確なところはどうだったんだろうか。自分の都合のいいところで筋立てをしている、つまりはほとんどが「嘘」で塗り固められているというのだ。恥ずかしい限り。(846)

〇2025/09/02(火)本日も、猛暑日。日中、拙宅の仕事部屋の室温は33.5℃、湿度は60%を切っていた。ただ今午後9時半過ぎ。室温30.8℃、湿度66%。いかに凄まじい高温多湿化がわかるだろう。日中、一歩だって外出したくないのも当然。まだまだ猛暑の季節は続くに違いない。35℃が当たり前の日常であれば、30℃はなんと涼しいことかと錯覚する、海水温や海流の激変でとんでもない魚類の行動異常が起こっている。獲れるはずもない魚が獲れたり、同じ場所で獲れるべき魚が皆目獲れないのはなぜか。魚や蝦などに聴いてみたい。とはいうものの、吹き渡る風の涼しさも本物になってきているのは確か▶昨夕、溝にはまったかどうかして泥まみれになった猫は、午後に、少し顔を見せたが、家には入らないで、また竹やぶに消えた。どうも、口の中に違和感がありそうな格好だった。今の時間になっても帰宅していない。見えないところで異常が起こっているのかもしれない。例えば、草むらの蛇にいきなり噛まれるとか。どんな種類の蛇にも毒性があるから、よほど注意しなければいけないのだが。まだ帰ってこない。加えて、連日の猛暑の為か、大半の猫たちは外で夜を明かしている。辛うじて、食餌を摂りに来るのみ。(845)

〇2025/09/01(月)早くも9月。そして相変わらずの猛暑続き。ただ今午後10時。室温30.4℃、湿度69%。「真夏は継続中」という、昼夜を問わずの灼熱地獄▶昼前に買い物で茂原まで。何か特別に高価なものを、購入したのでもないのに、会計は7千円余。驚くべき物価高騰の9月入りだ。放置できない、とても深刻な事態に直面していると思う▶夜になり、猫の一つが、どうやら「溝(どぶ)」に落ちたらしいとかみさん。よく見ると、前足部分と口当たりまで浸かった形跡があり、異臭がする。鼻が詰まるのか、口を開けたまま。シャワーをと考えたが、とてもおとなしくする猫ではないので、二人がかりで、汚れをふき取るが、なかなかきれいにならず、匂いも強烈。最後には嫌がって逃げ出す始末。大きな怪我などをしていなければいいがと心配になりながら、外に出たがるので、扉を開けた。万が一の時は、病院へ、明日にはと思う。(844)

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Fly me to the moon By Astrud Gilberto

◎ 週の初めに愚考する(八拾六)~ 「中秋の名月」にはまだ一カ月もあります。そして明日未明は「皆既月食」だそうです。「月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」と平安時代にどなたかが「良夜の歌」として詠まれている。いうまでもなく、ぼくはとてもガサツな人間ではありますが、朝夕の気配だけには「秋」の雰囲気が漂い出していると感じられました。

 そこで、本日はわけもなく、「秋の月」に因むいくつかの曲、といって実は一曲のみをと、真っ先に浮かんだのは「Fly me to the moon(「月に連れてって」)でした。誰もはフランク・シナトラを押すでしょうが、へそ曲がりのぼくはアストラット・ジルベルト、です。彼女はもちろん「イパネマの娘」ですけれど、それについてはどこかで触れています。何がいいと言って、「ボサノバ(bossa nova)」ですよ。詳細は一切抜いて、順不同に「三曲」を挙げたくなった。いずれもアストラット・ジルベルト絡み。淡々と謳う(口ずさむ)ところが、ぼくには最高ですね。

 オスカーピーターソントリオは「おまけ」みたいなもの。実に軽快ですね。それにしても、地に堕ちた民主主義のアメリカ社会で、かつてのアポロ計画は何処に行ったのでしょうか。旧来に戻して、今、米国に「戦争省」が出現しました。「戦争大臣(長官)」だってね、武器くんねえ。戦闘機くんねえか、と宣うのは我が邦の「グーたら」大臣」です。

(➀Fly me to the moon By Astrud Gilberto : https://www.youtube.com/watch?v=_L7KrVIZSMo&list=RD_L7KrVIZSMo&start_radio=1)
(➁The Shadow Of Your Smile  By Astrud Gilbertohttps://www.youtube.com/watch?v=NoYx6oWS6HI&list=RDNoYx6oWS6HI&start_radio=1(➂"The Girl from Ipanema" Astrud Gilberto, João Gilberto and Stan Getzhttps://www.youtube.com/watch?v=c5QfXjsoNe4&list=RDc5QfXjsoNe4&start_radio=1)
(➃Fly Me to the Moon by The Oscar Peterson Trio:https://www.youtube.com/watch?v=lKcAgUyDPc0&list=RDlKcAgUyDPc0&start_radio=1

 「現在多く耳にする「Fly Me to the Moon」が完成するのは、1962年のことである。作曲家・編曲家のジョー・ハーネル(英語版)が44拍子のボサノヴァ風に書き直したものが、現在よく知られているアレンジの一つである。その後、1964年にフランク・シナトラがカバーして爆発的なヒットとなった。ヴォーカルナンバー以外でもインストナンバーとしても知られ、オスカー・ピーターソン等のジャズ・アーティストが演奏している。/シナトラが本作を発表した1960年代、アメリカ合衆国はアポロ計画の真っ只中にあり、本当に『月に連れて行って貰える』のは「非常に近くまで迫っている、近未来の出来事」であった。そのため本作「Fly Me to the Moon」は一種の時代のテーマソングのように扱われ、これが本作のヒットにつながった。シナトラ・バージョンの録音テープは、アポロ10号・11号にも積み込まれ、人類が月に持ち込んだ最初の曲になった。このシナトラ・バージョンは2000年の映画『スペースカウボーイ』(ワーナーブラザース)のラストシーン(トミー・リ・ージョン演じる宇宙飛行士が身を挺してミッションをクリアした後、予定外の月にまで到達してしまう)においても使用されている」(Wikipedia)

(ヘッダー写真・「皆既月食」9月8日未明に約3年ぶりの天体ショー 愛媛は多少雲も 見られるチャンス「「約3年ぶりの天体ショー」。月が地球の影にスッポリ入る「皆既月食」が、約3年ぶりに愛媛県でも9月8日未明に起こります。5日時点の予報では、多少雲はあるものの観測できるチャンスです」:https://news.yahoo.co.jp/articles/f084e3fece9f9518da6297d1bab99ba01aacb966

・応へなきものへ語りぬ夜の秋  ・特高を逃れし父の墓洗ふ  ・戻りたる椅子に秋冷来てゐたる         (和田順子・1937年 – )、兵庫県。俳誌「繪硝子」(えがらす)主宰)

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草ごもる鳥の眼とあふ白露かな

 二日ほど前だったか、敷地の東隣の竹藪の中で猫同士の喧嘩。家の猫たちと外にいる猫との「縄張り争い」だ。外の猫にも朝晩食事を与えている、その場所がわが敷地内にあるのだが、それがなんとしても許せない。暇があれば、「外部侵入者」を見張っているし、敷地内に入ってくれば、追い出すために猛烈な戦いを繰り返す。家の雄猫で、喧嘩腰なのが3匹ほど。外の相手野良は2匹。なかなかの強者(つわもの)で、家の子ではかなわいと思うが、夜昼問わずに叫び声をあげ、絡み合っては「鎬(しのぎ)を削」るのだから、当方はたまらない。今のところ、サイワイなことに、双方に大きな怪我などはないけれど、何時かは…と思うと、昼夜を問わず、何時だって喧嘩を止めに奔る、ぼくは行司役。ホントは外の猫を掴まえ「手術」をしてみたいのだが、まず無理。何とか捕まえようとするのは、まるで「熊」退治みたいで、気が進まないのです。

 二日前の夕方もそうだった藪の中深くだったから、喧嘩の様子は見えなかったが、とにかく何とか喧嘩状況だけは止めさせた(つもり)。ゴルフクラブで竹を打ち付けて大きな音を出すなどした。ヤレヤレと家に帰ろうとしたとき、目の前をスーッと黒いものがゆっくりと横切った。なんだろうと一瞬目を凝らすと、足元の草むら・落ち葉の溜まったところに、小さな雛鳥がいた。「あっ、鴬(うぐいす)だ」と直感した。今時、なぜとも思ったが、きっとそうだろう。巣から落ちたか、巣離れをしていたのか。どうしようかと迷ったが、手を出さなかった。親鳥が来る様子もなかったが、そのままにしておこうと思った。道路際ではまずいので、少し追い払うようにしたら、竹藪の入り口の草むらに入り込んだ。

 まだ飛ぶことはできない、ようやく離陸する助走(run-up for takeoff)ができる程度だったと思う。浮力が十分につかない段階の雛鳥だった。「鴬」と断定はしたが、さてどうだろうかという疑問もわく。今時、雛鳥が巣立ちをするものかとも。「雛鳥」にとって周りは外敵・害獣だらけ。だからと言って「保護する」とどうなるか。拙宅にはたくさんの猫がいる。ケージに入れられても、常に気が休まらないだろう。そんな経験が三十年ほど前にもあった。親戚から「鴬」だったか、「文鳥」だったか、鳥かごつきで貰った。その当時も、家には複数の猫がいたから、隙を狙っては鳥かごを急襲するのだ。籠の中の鳥は気が気ではなかったろうと思う。ついに、事情を話して親戚に返した。一昨日も、その記憶が頭をよぎったので、手を出さなかった。ささやかな、しかし厳しい自然界で、よちよち歩き(飛び)の雛は無事に成長できるだろうか、今も気にはなっている。

【斜面】心動かす秋 体がずいぶん楽になってきた。居座っていた長い夏がやっと退き始めたようだ。この先も30度超えの予報が続くけれど、体が「酷暑モード」になっているせいなのか、それでも穏やかに感じられる。以前の信州ではとても考えられない◆思えば秋は8月から見えていた。入道雲から上方に目を向けると青空に刷毛(はけ)ではいたような雲が見えた。高度5千~1・3万メートルにできる巻雲(けんうん)。高い雲に空の高さを思って、そこに秋を見る。もっとも今年は日差しが強すぎて、あまり顔を上げなかったが◆同じころ、秋は聞こえてもいた。朝晩の草むらからチチチ…リリリ…と虫の声。猛暑でも彼らはぐずぐずしていられない。命をつなげる鳴き声は日に日に大きく、強くなって、数日前には昼間にも聞こえた。虫の音に秋を聞くのは、やはり長い時を経て養われた心の働きであろう◆最近、夏が長くなって、春と秋が短くなる「二季化」を心配する声を聞く。四季をさらに分け、それぞれに情緒を見いだし、言葉にしてきた私たちにとって変化に富む時季が短くなるのは切ない。心まで二季化しないよう、目を凝らして耳を澄まさねば◆あすは二十四節気の一つ「白露」。気温が下がって水蒸気が水滴になるころとされる。露とは儚(はかな)いもの。だからこそ、その輝きは美しい…。〈露の玉強き光となつて消ゆ〉名取里美。続く暑さと寒暖差。さらに台風のたけだけしさに備えながら、小さな秋に気づいては、心を動かしたい。(信濃毎日新聞・2025/09/06)

 今年の暑さは、人間以上に、猫たちには厳しく辛いものだったろうか。なにしろ「本革」を着ているのだから。今では、大半の猫たちは家に帰ってこない。折を見て、別々に食餌をとりに来る。この数日は、多くは食事にも来なくなっている。何か異変が起こっているのかと思うくらいに、猫が帰ってこないのだ。これまでにもいくつもが「蛇」に咬まれたことがある。多くは前足の一部だったが、異常に腫れ、歩行困難になるので、「蛇にかまれた」と判断できる。いまだに猫用の「血清」はないらしい、人間のものが間に合うとは聞かないから、ひたすら腫れが引くのを待つばかり。気休めの「炎症」防止薬を服用させるだけ。幸いにそのために亡くなった猫はいないが、いつか帰らなくなった何匹もの猫たちは、どうだったか、そうだったかもしれないと思うこともある。

 コラム「斜面」には、「小さな秋」や「大きな秋」に触れて、自然の営みの細やかさや、その細密の美しさに触れておられる。一方では、自然界の生き物たちにも「秋」の営みが用意されているでしょう。「縄張り争い」の激しさも、雌雄の営みもまた、秋の振る舞いの一つでもある。拙宅にも「避妊手術」をまじかに控えている子がいる。拙宅にまで至る(保護)猫には必ず「不妊手術」はするのですが、成長した野良猫(すべてが♂)は、体さえ触らせない。毎日食餌を与えてはいるが、今もって近づく、目が合うだけで「唸る」「牙をむく」のだから、なかなかのもの。猫は年間に4回も出産ができるという。妊娠期間は二カ月(60日)余。とにかく、「来るもの阻まず」「去るもの追わず」の精神でいるが、拙宅近くに捨てる輩もいるからたまらない。

 我が猫との付き合いの鉄則(みたいなもの)は「いつなんどき、何があるかわからないから、食餌だけは十分に、十分すぎるほどに」です。車が頻繁に通るところではないが、時には事故に遭う猫もいる(拙宅近くで一度だけ、車に轢かれた猫を葬ったことがある)。今は止めていますが、以前は車にスコップなどを積み込んでいて、走行中に見つけた、事故死した動物の始末(埋葬等)をしていたことがありました。猫や狸や蛇や、時にはカラスなども路上で轢死している。「人間を轢いても逃げる」、そんな輩もいる時代。動物たちの災難は無理もないと思うべきでしょうか。

 鴬(だろうと思う)の幼鳥を見るだけで、余計なことに気が回る。我が住まい環境における「寸土界」の「平和維持」のなんと困難なことか、それを想うと、タガの外れた人間世界の騒擾は「さもありなん」と言うべきかとも思ってしまうのです。コラム氏は書く。「朝晩の草むらからチチチ…リリリ…と虫の声。猛暑でも彼らはぐずぐずしていられない。命をつなげる鳴き声は日に日に大きく、強くなって、数日前には昼間にも聞こえた。虫の音に秋を聞くのは、やはり長い時を経て養われた心の働きであろう」(「斜面」)今時なら、おそらく「短い秋見つけた」とでも言うのでしょうか。

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 (表題句「草ごもる鳥の目とあふ白露かな」は 鷲谷七菜子氏作(わしたに ななこ、1923年1月7日 – 2018年3月8日)。他に、「蟲鳴きて海は暮るるにいとまあり」「ひぐらしや静臥の胸に水奏で」など。戦前から水原秋櫻子、戦後には山口草堂などに師事。大阪の人)

● はく‐ろ【白露】=〘 名詞 〙① 白く見える露。しらつゆ。[初出の実例]「白露下而南亭粛、蒼烟生以北林藹」(出典:懐風藻(751)秋日於長王宅宴新羅客〈下毛野虫麻呂〉)[その他の文献]〔詩経‐秦風・蒹葭〕 二十四節気の一つ。太陽の黄経が一六五度の時。秋分前の一五日で、陰暦では八月の上旬、陽暦では九月七日ごろ。《 季語・秋 》 〔延喜式(927)〕 〔孝経援神契〕 靄(もや)、霧のこと。〔蘇軾‐前赤壁賦〕(精選版日本語大辞典)

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「法を犯しておらず潔白」、なぜ辞める?

「新浪剛史氏が会見「法を犯しておらず潔白だと思っている」 サントリーホールディングスの会長を辞任した新浪剛史氏は経済同友会の代表幹事として記者会見し、サプリメントの購入をめぐる警察の捜査について、「私は法を犯しておらず潔白であると思っている」と述べたうえで、代表幹事としての活動を自粛する考えを示しました。(以下略)(NHK・2025/09/03)(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250903/k10014911061000.html)   

 会見の模様を見ていました。「剛腕」かどうか知らないが、彼の何時もの強気の姿勢が一切消えて、実にさもしく、かつはみじめたらしく、ぼくに映ったのはなぜだったか。「白か黒か」を言うつもりはない。いうまでもなく、それは明らかに新浪さんの顔色に出ていたと思う。それにしても、ここまで「昇りつめた男」にしては、実に醜悪というか、美しくない姿形が見えたのは、彼には心外だったかどうか。

 言うに事欠いて「サントリーはサプリを扱っている会社だから、自分は辞めた」と言う。実際・実質は「解任(馘首・かくしゅ)」だったのではないか。経済同友会の代表幹事は辞めないというのも歯切れも悪ければ、往生際も悪い。「疑いをかけられた会長や社長は辞めなければならないんですか」「私は(その)前例にはならない」と強弁するのも腰が引けていましたね。「雪冤(せつえん)」のために会見をされたのに、むしろ疑惑を深めたのではなかったか。会長や社長、あるいは代表幹事のポストから降りるのは当然でしょう。

 「家族が廃棄した(のだろう)」と言うに至っては、何という情けないことをと、思うばかり。家族を隠れ蓑に使う輩は、離縁でしょ。疑われている製品は「使用も所持もしていない」というし(「合法」だというのなら、堂々とそれを開陳すればいいのに)、「アメリカの方が安かったから」ともいう。事情聴取を受けてなお、「身の潔白を主張」したいのは分かりますが、潔白の証明に並べ立てた、多くの「理屈」が成り立っていませんでした。「他者には厳しく、己には無条件に甘ちゃん」などと、この社会の「野望」「野心」を腹に持っている「哀れな男」の真骨頂だといいたいね。「君の本懐とは何だったか?(What was your true desire?)」という疑問が頭に浮かぶ。

サプリメント購入について新浪剛史氏「海外出張の時差ぼけが多く、私の健康を守る知人から勧められた」(前略)新浪氏は、購入したサプリに含まれる成分はカンナビジオール(CBD)だと説明し、「グレーとの認識は全くない。適法な商品と認識し、米国で購入した。米国で市販されており、日本でも同じブランドで同様の商品が売られている。100%大丈夫だという認識を持っていた」と話した。そのうえで「おそらく家族が廃棄し、私の手元には届いていない。明確なことは、私は日本国内で所持も使用もしていない」と話した。/サントリーHD会長の辞任について、新浪氏は「(サントリー側から)サプリメントを販売する会社に関わらず、国内で合法性に疑義を持たれるサプリメントを米国で購入したことは不注意であり、役職に耐えないという認識を示された」と述べたうえで、「大好きなサントリーに絶対迷惑をかけてはいけないと思い、サントリーを辞することにした」と話した。(以下略)(読売新聞オンライン・2025/09/03)

 「俺は悪くない。悪いのは…」というのも、卑怯な大和魂の典型か、と言いたくなる。ぼくには彼に含むところがありません。今では酒を飲まなくなった人間ですから、サントリーにもいささかの注文もありません。その昔はずいぶん飲んだし、ウィスキーの飲み始めは「サントリーバー」という新型スタンドでしたから、60年も前のことだが、それなりの印象はある。しかし、今はまったく無関心。昔日の「鳥居商店」の後継者にロクなものが居なくなったので、外様が土足で乗り込んできて、屋台骨を腐らせかかっていたという黒歴史が発覚したのは、同社には幸いでした。「やってみなはれ」という会社精神を、この回と湯ははき違えていたんでしょうね。

 今時のアリビスト(立身主義者)には、どういうわけか人品骨柄が清潔であるという印象をぼくは持ったことがない。「飛ぶ鳥を落とす勢い」で飛んでいたのに、やがて「飛ぶ鳥が落とされるように撃ち落される」のが宿命か、そして落とされ際が美しくないのはご愛敬なのかといいたくもなる。つまり、三菱だ、住友だと所属会社の「でかさ」「凄さ」と自分を取り違えるような人物が多いのは、ぼくにはよく解せますね。会社に身をあずけて自己肥大を図るという寸法は、まあ古典的雄藩意識(「俺は長州だ」「俺は薩摩だ」と、今どき吹聴するのもなんですがね)の露骨な表れ。「優生意識」というものは、実は劣等感の裏返しなんだと思うべし。

 新浪氏が「麻薬」を使用していたかどうか、ぼくは知らない。でも、その「嫌疑」をかけられた段階での見苦しい振る舞い(偽装工作)は、十分に批判するに値します。それにしても、安っぽい工作ではありましたね。「自分は潔白」「他人に任せた」というのでは、自民党の裏金問題は容認・許容しても、こればかりは、いかな世間も許さないかな。「嘘をつくのは よくないわ」(ペギー葉山的「癖」ですかね)

(*ペギー葉山 – 爪 (1964)https://www.youtube.com/watch?v=JOe4HcBW2OU&list=RDJOe4HcBW2OU&start_radio=1

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記事は正しかった、悪いのは首相だ

 読売の「誤報」検証記事の見出しは「首相『辞める』明言、読売『退陣』報道を検証…石破氏が翻意の可能性」というものでした。自分たちは間違っていない(「誤報」なんかではなかった)、悪いのは首相であって、当社は「『辞めろという声があるのなら辞める。責任は取る』などと周囲に明言したことを踏まえて報道した」までとあります。「検証記事」中に何度も「周囲に明言」「胸中を周辺に明かしていた」「周辺に明言した」などという「周辺取材」の結果を踏まえて「首相退陣へ」と号外を含めて大見出しを躍らせた。「辞めるなどとは言っていない」と、首相本人が記者会見を開いて(その場には読売の記者もいただろうに)まで「退陣報道」を否定したにもかかわらず、果敢に「退陣報道」を続けた。その心は?「第四権力」などでいるのはいやだ。「第一権力」でなければ、というのではなかったか。

 「検証記事」の肝は「読売は間違っていない」「首相は嘘をついたのだ」というもの。その「首相の嘘」を見抜けなかったために、「結果として誤報となった」という、何とも情けない、しまらない弁解・弁明・釈明・言い訳・歯切れ悪さのオンパレードだった。恥ずかしいと思わないんですから、読むほうは恥ずかしいぞ。「(辞めるといったことを)翻意する)可能性があることが分かった。報道は当時、その可能性への思慮が足りず、結果として誤報となったことを読者の皆様に深くおわびします」という、読売の、その姿勢をどう見るべきですか。「まさか心変わりをするとは」という、情緒的雰囲気がたっぷりの記事を「読ませて」「売ろう」というのですからね。単刀直入に指摘すれば、読売は「石破を辞めさせたい側で報道していたし、今もその立場は変わらない」から、「今に見ていろ、石破は辞めるから」という(事実の適示(指摘)などではなく)、大きな期待や願望を記事にしていたということでしょう。なくしたはずの、自民党「居座り派閥」の一角に位置を占めていたということ。

 笑うべき(いや、じつは事態はとても深刻なのだが)、は「本紙は、石破首相の『辞める』との発言を(註、周辺の取材を通して)常に正確に把握していました。しかし、石破首相は辞任せずに(註、首相本人に直接確認せず)結果として誤報となりました」という前木理一郎・読売新聞東京本社専務取締役編集担当の談話でしょう。「辞める事態を確信していた」から記事にした。しかし石破は辞めなかった。だから結果として「誤報(みたいに)なった」という驚くべき、政治的詭弁・妄言です。ぼくは、この問題が発生した段階で、関係する新聞記者も新聞社も廃業したらどうかと駄弁っています。社長辞任などでは間に合わない、大きな過誤だったから。新聞そのものを否定するような取材と記事の仕方があったから。築地を中心にした不動産再開発で十分に社会的活動ができるのだからと、余計なことにも触れました。本業を疎(おろそ)かにするにはきっと理由があります。読売新聞社にはいくつもの「本業、疎か理由」があります。それに関してはいつか。ずいぶんの昔、ぼくは読売新聞に依頼されて「原稿」を書いたことがあります。その直後に新たな原稿依頼がきたのは「週刊読売」からだったと思いますが、幸いなことに書くに至らなかった。

 こんなフザケタ「訂正記事」を出すのですから、これからはもっと恥ずかしい「反石破」記事が出て来るでしょうし、「石破はひどい」という虚言・虚報を盛んに振り回すんじゃないですか。ぼくは読売新聞に遺恨があるのではありません。すべからく新聞たるものは「事実を正しく」報道してほしいと願うばかりに、それに反することがあれば、駄弁を弄してでも「これは恥ずかしいことだ」「嘘を書くのは辞めてほしい」と言い続けるばかり。「社会の木鐸」としてあるべき(はず)だった読売新聞は、今次の大不祥事、立て続けの「誤報」事件で、脳死状態から心臓死に至った、つまりは、はっきりと「死んだんじゃないか」とぼくには思われます

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葬り去れぬ「犠牲の史実」が

【日報抄】旧満州(中国東北部)を訪ねたのは20年も前になる。黒土の大地には大豆畑が果てなく広がっていた。豊かな土地に夢を託した人も多かっただろう。終戦までに開拓団などで大陸へ渡った人は約27万人、本県からだけで約1万3千人に上る▼その運命は戦争末期のソ連参戦で暗転する。集団自決や病などで約8万人が亡くなった。6日から上越市の高田世界館で上映されるドキュメンタリー映画「黒川の女たち」は、そうした開拓団の一つを描いた。団は皆を守るため、未婚の女性15人をソ連兵の性接待の相手に差し出した▼戦後、故郷の岐阜の村で事実は伏せられ、女性たちは陰で中傷を受ける。「話題にしたらかわいそうだ」との「善意」にも抑圧された。だが、戦後70年を前に女性2人が立ち上がる。「私たちの犠牲があって帰ってこれたことは覚えておいてほしい」と公に証言する▼「埋もれさせたくない」。思いは同じなのだろう。戦後80年の今年、多くの県人が本紙に戦争体験を語った。ある男性はビルマ(現ミャンマー)戦線の中隊でただ一人生き残った。別の男性は満州からの引き揚げで弟妹3人を亡くした▼いずれも痛みを伴う記憶に違いない。それでも語ってくれた。平和をつなぐバトンのような、重く、大事な証言だ▼歴史の実相をゆがめる言説がある。風化もある。改めて映画のポスターを見る。「なかったことにはできない」の文字が胸に迫る。史実を正しく知り、つなげなければ。語った人たちと次世代のために。(新潟日報・2025/09/03)

 敗戦後が何年になろうが、「なかったことにはできない」歴史の真実というものがあります。望まなかった戦争の渦中に引き込まれ、さらにその中で国家犯罪の償いのために「犠牲者」にさせられた、無数の無辜の民がいたるところにいた。

 この映画「黒川の女たち」は全編を通しては未見ですが(予告編その他の記録には当たっている)、松原監督その他の人々の執念のようなものによって、埋もれさせられていた史実の淵から今になって黄泉がえさせられた、真正の記録。

 満州事変以来の「葬り去られた記録」が、当事者たちの語りたくなかった、語りえなかった「痛恨の記憶」の中から生き返らせ、掘り出された(と、ぼくは思っている)。その恐るべき史実としての「数多の証言」に、ぼくたちは固唾を飲んで見聞きするばかりでした。  

 これまでにも多くの「戦争犯罪」に加担させられたと思われる人々の記録や記憶をぼくたちは知るように促されてきたが、今なお、掘り起こし得ない多くの「事実」「史実」がある。その「事実」や「史実」を掘り起こされたくない圧倒的な勢力の暴力に抗いつつも、「戦争は犯罪である」という「戦争の真実」を突き止める側に、いつなんどきでも、ぼくは立ち続けたいと念じている。

 「歴史の実相をゆがめる言説がある。風化もある。改めて映画のポスターを見る。『なかったことにはできない』の文字が胸に迫る。史実を正しく知り、つなげなければ。語った人たちと次世代のために」と、コラム「日報抄」の筆者は書く。「偽りの満蒙開拓団」による「偽りの満州帝国建設」が生み出した戦争の暗部だった。その漆黒の闇の部分に生き永らえた「黒川の女たち」による、生きている・生きていく証のための「光」が、ここに風化・風媒(weathering)の瀬戸際から救い出されたのだと思う。何よりも「黒川の女たち」と松原氏をはじめとする「歴史の証言」を掘り起こされた方々に感謝したい。

➀「映画『黒川の女たち』予告編:https://www.youtube.com/watch?v=w7y7AAjWArE「松原文枝×迫田朋子×神保哲生:映画『黒川の女たち』から考える戦争と性暴力【ダイジェスト】」・https://www.youtube.com/watch?v=O_SK3Rh2KF4

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