鷽替えのどこまでつづく泥濘ぞ

 「偽善の顛末」、どこまで続くぬかるみぞ

猪瀬知事:「借用証の封筒は保管せず。スタッフが処分」

 徳洲会グループから5000万円の提供を受けていた東京都の猪瀬直樹知事は6日の都議会一般質問で、5000万円返却後に徳田毅衆院議員から郵送されてきたとされる「借用証」について「(借用証が入っていた)封筒は保管していない」と答弁した。事務所に毎日大量の郵便物が届くため、スタッフが処分したという。/ 猪瀬氏は資金提供が発覚して4日後の記者会見で「借用証」を公表し、郵送されてきたものと説明していた。折り目がなく、押印などもない不自然な体裁だったため、封筒の公開を求める声が上がっていた。【和田浩幸】(毎日新聞・13/12/06)

猪瀬知事:徳洲会に便宜、再度否定…都議会、来週集中審議

 東京都議会の代表質問が5日あり、徳洲会グループから5000万円を提供されていた猪瀬直樹知事は「個人として借り入れ、徳洲会側に便宜を図ったことはない」などと従来の弁明を繰り返した。各会派とも「信じる都民がいるとは思えない」と厳しく批判。9、10日に総務委員会を開き、知事を呼んで最大で12時間の集中質疑をすることを決めた。/ 都内で病院や老人施設を運営する徳洲会グループの事業展開について、当時副知事だった猪瀬氏は「認識はなかった」と説明。問題発覚後、徳田毅衆院議員側と連絡を取ったことについては「徳田氏の秘書から特別秘書に連絡があった」と述べ、口裏合わせとの指摘を否定した。

 都には利害関係団体から借金などをした職員を懲戒処分する内規があり、中西充総務局長は「副知事にも準用される」と明言したが、猪瀬氏は内規違反の認識があるかどうかは答えなかった。

 折り目のない「借用証」を公表したことを追及されると「本物で間違いない。封筒は(折らずに)入る大きさだった。速達や書留ではなかった」と述べるだけで、配達記録などを公表する意向は示さなかった。

 今月3日に政治資金パーティーを開いたことは「中止も考えたが、キャンセルは迷惑がかかり、支持者から希望もあった。批判は甘んじて受ける」と弁明。進退を問う質問に「都政を停滞させてはならない。一緒にやらせていただきたい」と答弁すると、議場に怒声が飛び交った。【川口裕之】(同右・13/12/05)

 人間が腐るのは簡単ではないと思うのですが、人によりけりであるというのも頷けます。列島の首都の頂上に登り詰めたのはわずかに一年前。政治の世界に入ったのは数年前でした。それが完膚なきまでに汚穢に塗(まみ)れて、なお塗れようとしているのです。早すぎる腐敗というほかありません。

 釈明とか弁明などというも恥ずかしい、嘘に嘘を重ねています。というよりは嘘から嘘が出てきて止めようがないという為体(ていたらく)でしょう。「嘘から出た実(まこと)」といいます。「うそで言ったこと、そのつもりでなかったことが、偶然に実現すること」(明解国語辞典)この場合の「実」とはなんでしょう。また、「嘘も方便」という。「その目的をとげるためには、時にはうそをつくことも必要だ」(同前)この痴児はこちらの方ではないか。方便で嘘を語ったとすれば、それで何をしたいのか。

 写真は自身が書いたという「借用書」なるもので、「完全な原本」と宣った代物です。封筒に入れて返送されてきたというのに折り目も何もついていない。まさしくみずからが、あわてて作成した「原本」にちがいない。わたしには都民ではないから、知事選の投票権はありません。あってもきっとこの御仁には投票していなかった。でもなんと四百三十万余票を入れてくださったのも都民だったと言えば、やがて怒りの矛先はわが身に突き刺さる、ブーメランの如くに、です。選良が非選良であった例には事欠かないのも現実です。

 “Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely .”(John Emerich Edward Dalberg-Acton)だそうです。いや、もっと端的に言えば、大でも小でも「とにかく、権力は腐敗なんだ」ということでしょう。

 あるいは飛んでもない企みが「実演」されているのか。それなら、黒幕はいったいだれなのか。

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 ぼくはすでに東京を逃げ出して四十年以上たちますから、この間の「都痴事」のでたらめぶりに怒りを爆発させずに済んでいます。でも島の住人としては、虫唾が走りっぱなしです。旧聞になったのかどうか、イノセなにがしの虚偽・虚言は、ある意味では今日の政治家の悪徳ぶりを象徴するという意味では「先陣を切って」いたと、今なら言えます。禊はすんだといわぬばかりに、のこのこと出回っているようですが、ゲスですね。その前の痴事、その後の痴事、さらにそのあとの痴事と、メトロポリタンの首長に人材を得ない不幸も、まさしく、ナポリタン?、いやメトロポリタンクラスです。政治家は大といわず小といわず、虚偽虚言の癖を持っていなければなれないものらしい。ならば、ぼくだって、と思わないでおないんですが、ざんねんながら、「厚顔」「無知」のレベルで、ぼくなどはるかに歴々には及ばない。

 現痴事は、その中でも突出しているんじゃないですか。見上げたもんだよ、屋根やの…とわいいませんが、極めつきの虚飾人間ですね。いわく学歴詐称、これはすでに何十年も前から指摘され、批判されていましたが、無事これ名馬ならぬ迷政治家です。ぼくならずと、ちゅうしょうであれば「名誉棄損」となるにもかかわらず、この御仁は(内心の動揺はみえないが)、我関せずというがごとくに、素知らぬ顔。解せないのはぼくが小心だからか。「名誉棄損」は「藪蛇」とにらんでいるからか。「打草驚蛇」という熟語もあります。とすれば、御仁は「蛇」か。

 政治家は平気でとてつもない嘘がつけなきゃ、とでもいうのでしょうか。

 鷽(うそ)の来てあけぼのゝ庭に胸赤し (水原秋桜子)

 鷽替えのどこまでつづく泥濘(ぬかるみ)ぞ(飯野武骨)

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●鷽替え神事=「うそ替え神事」とは、木彫りの鷽鳥(うそどり)を毎年取り替えることによって、「今までの悪しきをウソとなし、全ての吉(よき)に鳥かえる」とするもので、古くから天神信仰のみに伝わる独特のものです。
私たちの身に振りかかった一年間の凶事を「嘘(うそ)」と考え、天神様の「誠(まこと)」に替えていただき、正しい幸運を招くという意味の神事です。全ての鷽鳥は、1月25日9時より行われる初天神祭の神事を終えたのち、9時半頃からの頒布となります。

  • 初めての方は、最も小さい鷽鳥からお始め下さい
  • 神事の縁起物ですので、鷽鳥は一人一体に限ります
  • 神事の縁起物ですので、郵送での頒布は行っておりません
  • 準備した鷽鳥がなくなり次第、神事も終了となります

(千葉神社 https://www.chibajinja.com/shinji/usokae/index.html

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先生がみんなの生徒になって…

    日曜日記(丸山金三郎作)

  アサ
     ニハ ハキ
      カヤテノ クズカタツケ
      トリ ダシ
      ウサギニ モノクレル
      オモテ ハキ
  フルマ
      エビ スキ
      クリ ヒロイ
      アヅキ モギ
      センフリ トリ
    バン
     ママ タキ
     オツケ ニリ
     ニハ ハキ
     ミズ クミ
     オモテ ハキ
     トリヲ イレル
     ウサギニ モノクレル
     イモ ニリ
     エビ イリ
      フナ アブリ

 丸山金三郎は当時(昭和九年)、秋田県由利郡亀田小学校四年生だった。担当教師は田村修二さん(1906~97)。時に、修二先生は二十八歳だった。「日曜日記」というタイトルは後に付けられたそうです。

 その時代、カタカナ学習は小学校一年生からでした。四年生でありながらのカタカナ書きは、それだけ学習が遅れていた印でした。田村先生はいいます。(すでに「戦争」の惨禍はこの地にも及んでいました)

 「お客様であった彼が、彼をお客様のままにさせていた担任教師のTにむしろつきつけた一篇である」「TはそれまでMを見失っていた。彼の生活の実情と実態を見ようともしなかった。Mを見失っていただけではなく、教師であり担任である自分を見失っていた。その間に教育は行われる筈はなかった」

 ここにもまた、子どものしあわせを願い、心魂を傾けて子どもとつきあった教師がいました。

 もうひとつ、ふたつの「生活詩」を紹介します。いわゆる「北方教育」の物心両面におけるかけがえのないリーダーであった成田忠義さんの片腕ともなって「北方教育」を実践していた若い教師のひとりに加藤周四郎さん(1910~2001)がいました。このひとの仕事も忘れてはならない貴重なものだったとおもわれます。はじめて教師になったのは昭和四年、秋田県河辺郡上北手尋常高等小学校(現、秋田市立上北手小学校)のことで、当時彼は十八歳でした。この後すぐ、田村修二さんと出会うことになる。

 秋田市内で育った加藤さんが勤務したのはこれまで生活経験のまったくなかった農山村の子どもたちが通学する学校でした。言葉もわからず、子どもたちの生活もみえない。

 「彼等は別世界の子どもなのだろうか」言葉がとどかない毎日に加藤先生はほとほと困りました。困りぬいてたどり着いたのは「子どもたちに聞く」ということだった。

 「先生はなあ、百姓のくらしのこと何もしらないんだ。みんなが家でどんなこといって、どんな気持でくらしているかも何もわからないんだよ。だからきっと、加藤先生のしゃべることは、みんなの心の中へ入って行かないんだと思うんだ。そこでだ、今日は先生からみんなへのたのみごとがあるんだ。どんな紙ぺらでもいい、白い紙をみつけたら、鉛筆にタンパ(つば)をつけて濃く、みんなのいいたいことや先生ヘの注文や家の人たちのいってることを、何でも書いて教えてくれろ。今月は先生がみんなの生徒になって百姓勉強したいのだ。今日からみんなが先生で、私は生徒、いいかな、たのむよ」

 次の日からたくさんの紙切れが集まりました。しかし読めない字やなにが書いてあるのかさっぱりわからない内容ばかりでした。「ありのまま」「自分の言葉で書いてくれ」「自由に書くんだ」といった手前、かんたんにまちがいだと指摘することはできなかった。必死になって文字をたどり、他の教員にも教えられながら、子どもたちの「紙切れ」を読み込んだ。そのなかから、想像を絶する子どもたちの過酷な生活が現れてきたのです。

  太い鉛筆のあとから、ボソボソとたぐられる彼等の家庭生活は、およそ、学習だの、運動だの、思索だの一切の文化的な要素を忘れたかのような、はげしい労働だった。

 そのときに子どもたちが書いた文章は一枚も残っていない。なぜなら、提出された紙切れの一枚一枚に赤で書き入れをして子どもたちに返したからです。しかし、どの子の生活も「日曜日記」と変わらないものだったのです。

 加藤先生には、

    私はきのふ朝ごはんをたべてちとやすんで居ると、おばあさんがだいこんをはこんでゐました。私もおてつだいをしました。(中略)するとおひるになりましたのでごはんをたべてこんどは稲をしょいました。十三回しょいました。十三回しょいますとばんになりました。(二年 嵯峨栄治郎)

 「わたしの学級の四月の調査では、分数四則計算のできない子が四十八名中十八名、五十音のひらがなを正確に書けない子が十二名、九九を知らない子が五名でした」(加藤)

 「ほんとうの生活を見ろ、それが教育のスタートだ」これは加藤さんの肺腑の言だった。

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 ここにも「職業」(既述)で述べられた、学校教育を受け付けなかった子どもの生活苦があった。はるかな昔のある地方の一コマでしかないと見過ごすことは簡単です。だが、ぼくはこのようなか国極まる生活苦に襲われている子どもたちやその家族はいつの時代にもいたし、いるのだ、それを見ようとしないぼくたちの怠慢こそが問われなければならないと思い続けてきました。(何年も前に、ぼくは「北方教育の教師たち」の実践の跡(歴史)をたどるために秋田県のあちこちを歩きました。表面上は穏やかであったが、一皮むけば、過酷だった歴史の顔貌がいつでも覗けそうな気になった。この島の「近代化」は東北地方を踏み台にし、人民を犠牲にして成し遂げられようとしてきた。戦争への加担も、この地に重く求められたのでした。こんな現実に若い教師たちは、まさに悪戦苦闘し、その挙句に暴力(権力)によって、完膚なきまでに打倒されることになるのでした。(つづく)

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● 北方性教育運動 1929年秋田市に創立された北方教育社を拠点として,東北地方で展開された生活綴り方を中心とする教育運動。この運動に参加した教師たちは,生活綴り方を方法の中心に,窮迫した東北農村の生活現実に根ざす教育実践を展開した。 34年には東北地方を襲った大凶作を契機に北日本国語教育連盟を結成し,翌 35年『教育・北日本』を発刊,盛んな生活意欲と生きた生活知性をもった子供の育成を目指したが,第2次世界大戦時下の弾圧に屈した。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)(左写真は成田忠久)

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wall of moms,the moms are here.

デモに「母親たちの壁」が出現。参加者たちを守るため、母親たちが立ち上がる
「私たち母親はしばしば軽んじられます。しかし私たちは思われているよりずっと強い」 (Jenna Amatulli  Satoko Yasuda 安田 聡子)
アメリカ・オレゴン州ポートランドで、母親たちがデモ参加者を守るための「壁」を作った。
5月に黒人のジョージ・フロイドさんが白人警察官に首を押さえつけられて亡くなってから、ポートランドでは警察の暴力と人種の不平等に抗議するデモが続いている。/ しかしデモを“暴動”扱いしているトランプ大統領は、デモ参加者を取り締まるために連邦政府軍を派遣してきた。
連邦裁判所前に7月18日に集まった多くの母親たちは、お互いに腕を組み「子どもたちを放っておいてくれ」「連邦は手を引け。ここには母たちがいる」と繰り返し叫んだ。(2020年07月21日 14時12分 JST)(https://www.huffingtonpost.jp/entry/wall-of-moms-portland-oregon_jp_5f1643afc5b615860bb64fd9?utm_hp_ref=jp-world)

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 アメリカで長年取材活動を続けてこられた、一人の日本人ジャーナリストが言っておられた。「これまでの黒人の抗議運動は黒人たちが主だった。しかし今回はちがう、白人の、しかも若い男性女性が目立ちます。さらにもっと若い人々も運動に参加しています。また、これまでのように短期間で終わるのではなく、フロイドさんの死から二か月たっても衰えていない、画期的な人権獲得運動です」

 そのフロイドさんは息が絶えるまでMomを呼び続けていたのでした。

 単に黒人差別に対する怒りではなく、あらゆる「差別」に対する抗議であり、人権侵害への怒りが運動を支えているのでしょう。抗議活動が激しくなればなるほど、それを抑圧する力も強く働く。「強い大統領」をアッピールする絶好の場面であり、不利だと予想されている選挙選の主導権回復に利する千載一遇の好機だと現職大統領は強弁する。人権問題も、すべては「自分ファースト」の材料にして恥じるところがない、そんな指導者があるのだから、驚きを越えています。西にも東にも、南にも北にも、軌を一にした「国民を見殺す・見放す指導者」が勢ぞろいしているのです。

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 一人の女性はツイートした。More protesters have arrived. A line of women haves linked arms to block the street. I’m told they call themselves the “wall of moms.” They’re chanting “feds stay clear, the moms are here.”

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言いたい事、言わねばならない事

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 ▼選択肢を狭めるな(承前)(西日本新聞)

 戦前の日本社会は、国際情勢が厳しさを増すにつれ、悠々が唱えたような「異論」を排除し、国論を強硬策で一本化していきました。悠々への圧力が不買運動だったように、言論統制は権力と一般国民との共同作業でした。

 そもそも、どうして社会には「異論」が必要なのでしょうか。

 国や社会が、経験則で対応できない新たな事態に直面したときには、できるだけ多くの選択肢をテーブルに並べ、議論と熟慮のうえで、間違いのない道を選ばなければなりません。

←東京新聞(2019/09/21)

 冷戦終結後、大国になった中国と向き合う日本外交は、未知の時代に入っています。こんなとき、政府と違う意見を最初から除外していたら、選択肢を狭めてしまいます。国論を統一しないと不利、と考える人もいるでしょうが、得てして一枚岩は危ういのです。

 長野を去った悠々は、個人誌で軍批判を続け、太平洋戦争開始の3カ月前に亡くなりました。その3年半後、東京は大空襲を受け、悠々が予言した通り、無残な焦土と化しました。悠々の社説は「正論」だったのです。

 信濃毎日新聞には、悠々が使っていたとされる古い机が残っています。同社を訪れ、その机に触れたとき、悠々が残した句を思い起こしました。

 「蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」

 暴風がコオロギの声をかき消す-そんな世の中にはしたくないものです。(西日本新聞 2013/08/01 )

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「 将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ人心阻喪の結果、我は或は、敵に対して和を求むるべく余儀なくされないだろうか。何ぜなら、此時に当り我機の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落すこと能わず、その中の二、三のものは、自然に、我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからである。そしてこの討ち漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焼土たらしめるだろうからである。如何に冷静なれ、沈着なれと言い聞かせても、また平生如何に訓練されていても、まさかの時には、恐怖の本能は如何ともすること能わず、逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く、投下された爆弾が火災を起す以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも、想像されるからである。しかも、こうした空撃は幾たびも繰返えされる可能性がある」

「こうした作戦計画の下に行われるべき防空演習でなければ、如何にそれが大規模のものであり、また如何にしばしばそれが行われても、実戦には、何等の役にも立たないだろう。帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショーに過ぎない。特にそれが夜襲であるならば、消灯しこれに備うるが如きは、却って、人をして狼狽せしむるのみである。科学の進歩は、これを滑稽化せねばやまないだろう。何ぜなら、今日の科学は、機の翔空速度と風向と風速とを計算し、如何なる方向に向って出発すれば、幾時間にして、如何なる緯度の上空に達し得るかを精知し得るが故に、ロボットがこれを操縦していても、予定の空点に於て寧ろ精確に爆弾を投下し得るだろうからである。この場合、徒らに消灯して、却って市民の狼狽を増大するが如きは、滑稽でなくて何であろう」(「関東防空大演習を嗤う」「信濃毎日新聞」1933(昭和8)年8月11日)

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 「関東防空大演習を嗤う」は陸軍の怒りを買う。当時の信州郷軍同志会は信濃毎日新聞の不買運動を敢行し、悠々は退社を余儀なくされたのでした。「嗤う」べき軍の姦計でしたが、泣く子と地頭の類です。悠々の不敵な抵抗の精神を大いに評価するのがたいていですが、その悠々にして、完膚なきまでに負けたのです。軍の暴走を止めることはおろか、「言わねばならぬ事」すらいえなくなったという事実を、ぼくたちは忘れてはならない。現下の「平時」における新聞人を筆頭とする(しなくてもいいが)言論界のていたらくは目を覆うばかりです。「言いたいこと」さえ言えないところに、自らが退避しているのです。権力に阿(おもねる)るというのはこのことです。「阿世」という、嫌な風潮は今も勢いは衰えていないのです。「世」が権力で、それと一体化しておのれもその一端に連なるという下卑た根性であるとは信じたくないが、「言いたい事」も「言わねばならない事」も筆先にまず乗らない、この惨状を如何にする。

 今から見れば、悠々の論は荒唐無稽でもなければ権力(「陸軍」)を逆なでするような毒は含んでいなかったと、ぼくは考える。きわめて当たり前の状況認識を述べたが、それが「さる筋」の忌諱に触れた。要するにお追従をしなかっただけでした。提灯を掲げなかったからです。揶揄でも嘲笑でもなく、おべんちゃらを言わなかった(それが「言わねばならぬ事」だった)、それがために悠々は追放された。彼の不幸は、彼につづく言論人が出現しなかったという事実です。戦後、朝日新聞の緒方竹虎は「新聞人が連携していたら、戦争は止められた」と述懐しています。ほんとうにそうだったかどうかはわかりませんが、連携・連帯しなかったことは確かです。追従に忙しかったからでしょう。「抜け駆けの功名」や「権力への距離の近さ」を競うような「ジャーナリズム」は百害あって一利なしです。

 今に至るも「大本営発表」はいたるところで見られます。社名を見なければ(局名を伏せれば)、内容は同工異曲どころか、ほぼ同一です。翼賛報道陣の現代の姿を見るようです。悍(おぞ)ましい。ぼくはこれまでもずっと、国会には「与野党」などない、すべて(ごく一部を除いて)は与党(補完勢力)だといってきましたし、今もそれは変わりません。報道界もまた全員与党派(気取り)ですね。人は言論の自由をあげつらうが、それがなんであるか、確かな手ごたえ(圧力)に遭遇して初めて実感するものです。端から、それを避けるとは由々しい事態です。

 「言いたい事と、言わねばならない事とは厳に区別すべきである」

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義務の履行は、犠牲を伴う

【社説】桐生悠々の社説から80年 コオロギの声に耳を澄ませば

   ■月のはじめに考える■

 社会が大きく変化するときは、しばしばその前兆となるような事件が起きるものです。今から80年前、長野県で起きた出来事も、その後の日本の行く末を暗示するものでした。

 1933(昭和8)年8月11日、長野県で発行する信濃毎日新聞に「関東防空大演習を嗤(わら)う」と題する社説が掲載されました。書いたのは主筆の桐生悠々(ゆうゆう)(1873~1941)です。

 その2日前から陸軍は首都圏への空襲を想定した大規模な防空演習を、市民も参加させて実施していました。悠々はこの演習を「かかる架空的なる演習を行っても、実際にはさほど役に立たないだろう」と批判したのです。/ 悠々はこの社説で「敵機の爆弾投下は、木造家屋の多い東京を一挙に焦土にする」と予想し、「敵機を東京の空に迎え撃つことが敗北そのものだ」と断じて、むしろ制空権の保持に全力を尽くすよう訴えています。/ 「嗤う」という見出しは確かに挑発的ですが、よく読めば感情的な批判ではなく、軍事の常識や航空科学を踏まえた論理的な指摘だと分かります。

 しかし、軍はこの社説に怒りました。そして、その意を受けた在郷軍人組織の信州郷軍同志会が、信濃毎日新聞に悠々の解任と謝罪を求め、不買運動を叫んで圧力をかけます。

 当時の同紙の社長らは懐の深い人物でしたが、経営を揺るがしかねない圧力に困窮します。信州郷軍同志会の会員数は、同紙の発行部数を大きく上回る大勢力だったのです。悠々は結局、会社と社長に迷惑をかけるのを避けるため、社を辞めることになります。/ 悠々は現在では、福岡日日新聞(西日本新聞の前身)の主筆だった菊竹六皷(ろっこ)とともに、反軍部の論陣を張った気骨の新聞人とうたわれています。

 しかし、悠々と信濃毎日新聞の敗北に終わったこの事件は、日本が言論統制を強め、無謀な戦争へと突き進む転機の一つだったように思えます。

 ▼異論をたたく風潮

 悠々のことが気になるのは、最近のわが国で外交や防衛をめぐる議論の風潮に、当時を連想させるような息苦しさを感じるからです。/ 現在、日本はロシア、韓国、中国との間で、領有権に関わる問題を抱えています。北朝鮮の核開発や中国の軍備増強もあって、日本と周辺国とのあつれきは強まっています。

 そうした中で、特に領土や歴史に絡む議論では、日本の立場や権益を絶対視する発言が勢いを増し、それに異論を唱えれば四方から攻撃される-そんな雰囲気ができつつあります。

 相手国の立場を少しでも理解するような姿勢を示そうものなら、「国益」を盾に批判され、「売国奴」など乱暴な言葉を浴びせられることさえあります。冷静な議論とは程遠い態度です。

 例えば、沖縄県・尖閣諸島をめぐる議論について見てみましょう。

 政府の見解は「尖閣は歴史的にも国際法上も日本固有の領土。中国との間に領有権問題は存在しない」です。/ しかし、丹羽宇一郎前駐中国大使は、両国が危機管理の話し合いの場を持つため「外交上の係争はあると認めるべきだ」と主張しています。/ また、日中国交正常化を成し遂げた田中角栄元首相の薫陶を受けた野中広務元官房長官は「国交正常化の時に、領有権棚上げの合意があったと聞いている」と発言しました。

 2人とも、厳しいバッシングにさらされています。確かに、両国の主張の違いと対立が拡大した現段階では、外交上そのまま採用することは難しい「異論」でしょう。でも、衝突の回避を最優先する2人の意見が、全く聞く価値のない「暴論」とは思えません。(以下略)(西日本新聞 2013/08/01)

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 私は言いたいことを言っているのではない。言わねばならないことを言っているのだ。国民として、特に非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。言いたいことを出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが言わねばならないことを言うのは愉快ではなくて、苦痛である。なぜなら、言いたいことを言うのは権利の行使であるに反して、言わねばならないことをいうのは義務の履行だからである。(中略)しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少くとも、損害を招く。現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、軍部のために、私の生活権を奪われた。私はまた、往年新愛知新聞に拠って、いうところの檜山事件に関して、言わねばならないことを言ったために、司法当局から幾度となく起訴されて、体刑をまで論告された。これは決して愉快ではなくて、苦痛だ。少くとも不快だった。(以下略)(悠々「言いたい事と言わねばならない事と」(昭和十一年六月)『畜生道の地球』所収)

● 桐悠々=1873-1941 明治-昭和時代前期のジャーナリスト。明治6年5月20日生まれ。43年「信濃(しなの)毎日新聞」主筆。大正元年乃木希典(のぎ-まれすけ)の殉死を批判して論議をよび,退社。昭和3年復職。8年社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」で軍の圧力をうけ再退社。以後,雑誌「他山の石」を発行して軍部批判をつづけた。昭和16年9月10日死去。69歳。石川県出身。東京帝大卒。本名は政次。
【格言など】小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候(「他山の石」廃刊の挨拶)(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

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 西日本新聞の「社説」が書かれてから、すでに七年が経過しました。この間、つねに「ジャーナリズム」の劣化や権力への忖度がしきりに言われてきました。その通りだと、ぼくも思います。なぜそうなったか、それついても明確な理由があるはずです。多くの人はそれを知っていて、余計なことを言わない。「言いたい事と言わねばならない事と」の区別がつかないのです。そして、「言いたい事を言う(書く)」のが記者の務めだと錯覚している次第です。それだけです。一端の記者だという自覚や充足感があるのかどうか、当事者じゃないから、ぼくにはわかりません。「言いたい事」といっても、何でもかんでも書けばいいというものではない。要するに書いていい記事はだれかが決めているのか、というです。その筋の判断に従って書くと、結局は今あるようなふしだらな、うじゃじゃけた新聞や放送になるに違いない。権力者と酒を飲む、あろうことかマージャン卓を囲む、政治資金集め集会に勇んで出かける、それで何が悪いという開き直りはあっても、「羞恥心」のかけらもないのだというように、ぼくには想像できてしまうのです。。

 ここに悠々の名を出すのも、場違いな(もったいない)気がして、身が引けているのです。悠々を担ぎ出して、まさか「他山の石」とせよ、とでもいうのじゃなかろうな。指摘を受ける前に、ぼくにだってそんなことはわかりきっています。多くの記者諸君がいかなる環境で「成長」してきたか、まんざら知らぬわけでもありません。学校教育の実際がどの程度であるかも、葦の髄から(管見)ですが、覗いたこともあります。それをして言わしめれば、「ジャーナリズム」の退廃は救い難かろうというほかありません。「権利の行使」はできても「義務の履行」は苦痛だという悠々の肺腑の言が泣いている。「権力を批判する」のではなく「にじり寄る」という芸当だけが達者なんですね。もう手に負えません。社主だか社長らが率先してそうなんだから、なにをかいわんやでっせ。 

 ならば、どうするか。(この項、つづく)

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飲み代が酒から薬にかわる年

 今回も「コラム」ふたつばかり

 筆洗 少し前、テレビでよく見た若手お笑いコンビのギャグには、なぜか、謝罪の言葉が多かった▼思いつくまま挙げれば「すいま、すいませんでした、すいま」(ハイキングウォーキング)、「ごめんね、ごめんねー」(U字工事)、ふてくされた顔で「どうも、すいませんでしたぁ」(響)というのもあった▼さて、福島第一原発事故を受けた東京電力による損害賠償の手続きが始まった。だが、被害者からは苦情が殺到しているという。無理もない。東電が送り付けた個人向け賠償請求書は六十ページ、説明書類は百六十ページほども。さらに難解な用語だらけでは、ことにお年寄りなど意気阻喪して当然だ▼例えば、企業が世間体を考えて何か制度を設けるが、実際は社員にあまり利用させたくないという場合の常套(じょうとう)手段は手続きを煩雑にすること。あるいは東電の賠償も…と勘繰りたくなる。さすがに経産相も書類簡略化を求めたが、東電はそのまま押し通す意向らしい▼賠償とは謝罪の意を込めた償いのはずだが、こんなやり方では、あの“謝罪ギャグ”と同じ。被害者は、謝られた気がしないどころか、小ばかにされたようにさえ感じよう▼あれだけのことをしでかしながら、原発事故時の対応手順書をべったり黒塗りして国会に提出し「知的財産だから」と嘯(うそぶ)いた件もしかり。この企業の無神経ぶりこそ“想定外”である。(東京新聞・11/09/23)

 風土計 「誕生日ローソク吹いて立ちくらみ」(大阪府、63歳男性)。19日の敬老の日を前に「シルバー川柳」の入選作が届いた▼社団法人全国有料老人ホーム協会が公募。11回目の今年は98歳男性の最年長者から最も若い3歳男児まで、約9400句が寄せられた。老いも物忘れも何のその、前向きに笑い飛ばそうとする入選作品を紹介すると▼「歩こう会アルコール会と聞き違え」(大阪府、66歳男性)たのは決して耳のせいではなく、まだまだ意欲満々。「飲み代が酒から薬にかわる年」(滋賀県、72歳)までは夫婦や友人たちと楽しいひとときを持ちたい▼「『いらっしゃい』孫を迎えて去る諭吉」(大阪府、63歳女性)。来訪はうれしいが、出費がかさむのは痛しかゆし。「お迎えはどこから来るのと孫が聞く」(愛媛県、73歳女性)のも、ちょっと返答に詰まる質問ではある▼自らの老いを明るく受け止めようというのも川柳の真骨頂。「若作り席を譲られムダを知り」(東京都、71歳男性)とがっかりしながらも「少ないが満額払う散髪代」(東京都、66歳男性)と気概は十分。「聴力の検査で測れぬ地獄耳」(新潟県、71歳女性)も健在だ▼「なれそめを初めてきいた通夜の晩」(鹿児島県、25歳女性)。おじいちゃん、おばあちゃんの若き日の思い出は、座を和ませたことだろう。(岩手日報・11/09/18)

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 東電はまるでブラックです。もう何年前になるか、知り合いの若者が二人、たてつづけに「東電」に就職した。辞めたらいいのにと、いいたかったが、「あなたは原発のことをどう考えていますか」と聞いた。男性の方は、「大丈夫」の一点張り。女性は「よくわかりません」と答えた。数年後の事故で、メールのやり取りとりをした。「東電という組織が、どんなにえげつないか、その実態をよく見てくださるといいね」とぼくは、そのようにお願いした。その後はまったくつながりが切れてしまいました。「停電か」な。お二人はどうされたか。ぼくは「東電」を変えました。ろうそくにでもと考えたんですが、連れ合いが「仏壇」じゃあるまいしと、反対。無理はしない。

 シルバー川柳はとにかく明るい。人生、暗いよりは明るい方が何倍もいいに決まっています。でも当節は独占電力会社の停電が大流行ですから、ここは自家発電するほかなさそうです。(いろいろな電力会社が新規に参入してきましたが、基本の構図は旧態依然です。つぶれたはずの「東電」が生き残っている、まるでゾンビですね)ぼくは下手の横好きで、俳句をと、もう何年も苦心しているのですが、出来上がりは川柳の出来損ないばかりです。下手でもいいというが、それには限度というものがあるだろうと、横から言われると気分が悪いから、愚作は秘密のアッコちゃん。

 そして、ここまで来て、どうしても紹介したくなった人がいます。ノーマン・カズンズ。彼についてはすでに何度か紹介しました。以下の文章も既出ですが、もう一度。

 《 わたしは十年ばかり前にハンス・セリエの古典的な名著『生命のストレス』を読んだことを思い出した。セリエはその書物の中で、副腎の疲労が、欲求不満や抑えつけた怒りなどのような情緒的緊張によって起こり得るということを非常に明快に示し、不快なネガティブな情緒が人体の科学的作用にネガティブな効果をおよぼすことを詳しく説明していた。/ それを思い出した途端に、当然の疑問がわたしの心に湧いてきた。では積極的、肯定的な情緒はどうなのだろう。もしネガティブな情緒が肉体のネガティブな化学反応を引き起こすというのならば、積極的な情緒は積極的な化学反応を引き起こさないだろうか。愛や、希望や、信仰や、笑いや、信頼や、生への意欲が治療的価値を持つこともあり得るのだろうか。化学的変化はマイナスの側にしか生じないのだろうか。/ たしかに、積極的な情緒を引き起こすということは、水道の栓をひねってホースの水を出すように簡単にはいかない。しかし自分の情緒をある程度までコントロールできれば、それだけでも病理学的にいい効果を生ずるかも知れない。不安の念をある程度の自信感で置きかえるだけでも役に立つかも知れない 》(ノーマン・カズンズ『笑いと治癒力』岩波現代文庫。2001年)

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 「企業が世間体を考えて何か制度を設けるが、実際は社員にあまり利用させたくないという場合の常套(じょうとう)手段は手続きを煩雑にすること」とありますが、企業に限らないのは先刻承知なのに、コラム氏は頬かむりを決め込んでいます。現下の税金からの「給付金」のいやたらしい手続きの意地悪さ加減は半端じゃない。なんでもそうだ、官庁や役所に「登録」する際、きっと「業者」に頼まなければ書けないような悪ふざけ・妨害をします。ぼくは、何とか自前でやろうとしますが、いつも窓口で「ケンカ」まがいになります。これこそ、困っている人間に同情なんかするものかという「お上」根性と、庶民を見下す「横柄」が(一部を除く)役人の腹部に黒々とに巣くっているのです。救い難い「頽廃」というべきです。「この企業の無神経ぶりこそ“想定外”である」というが、貴紙でもそうじゃないですか。電話をかけても「盥回し」、ぼくは何度も経験してきました。まじめに答えないで、いつかはゴマかそうという魂胆、その点では官民の差はなく、みなさんお揃いじゃないですか。問題を指摘する、今はそんな元気も失せましたが。(「読者の皆様」、「消費者の皆様」「皆様の✖✖✖」と、まるで「神様」あつかいが、聞いて呆れます。

 川柳はいい薬ですが、「シルバー」という名称は嫌ですね。「シート(座席)」を即座に連想します。何十年も前のアメリカのテレビドラマの警備隊員(?)が乗っていた馬が「シルバー(「ローンレンジャー」1949年に最初のテレビ化))、さっそうとしていました。今では米国もとんでもないステートに成り下がったか、まるで島社会並みです。「おのれファースト」ですから。ついでに、「後期高齢者」は何ですか。後期も前期もあるものか。ステージいくつ(?)東京にも神奈川にも「アラート」ばやり、バカみたいというより、バカ丸だし。

 マイナンバー ナンマイダーと 聞き違え 耳が悪いというのですか、お経も「百万遍」とは。聖人さんの御心にかないます。

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