有を無にする、自主規制の闇

 笑うべきか、嘆くべきか、自主的な「検閲」の隠された意図

(耕論)不良図書と呼ばれて 高橋ヨシキさん、斎藤環さん (以下は朝日新聞記事より)

 過激な表現って何ですか。それって誰が決めるんですか。見せなきゃそれでいいんですか――。松江市教育委員会の要請による「はだしのゲン」の閲覧制限は解かれたが、解かれず残った疑問も多い。どう考えますか、あなたなら。

 ■「臭いものにフタ」よほど有害 デザイナー・ライター、高橋ヨシキさん

 「はだしのゲン」の描写は、問題があるどころかもっと残酷でも構わないと思います。おおっぴらに人を殺せる立場に置かれた時、人間はどうなるか。野蛮で残虐なことを成し得る本性を「過激だ」なんて理由で隠そうとするのは、人は排泄(はいせつ)をしないと教えるのと同じくらい、愚かしく危険です。

 ムラ社会の論理 だいたい、「過激な表現は子どもを傷つける」とか言ってますけど、子どもにとって本当に有害なのはどっちなんだって話ですよ。自分の思想信条と相いれない本だから気に食わない、図書館から撤去しろとクレームをつける大人。「臭いものにはフタ」とばかりに、納得のいく説明もせずに閲覧制限を「お願い」する大人。それに唯々諾々(いいだくだく)と従う大人。そんな大人が形作る現在の日本社会のありようの方が、はるかに有害です。そういう日本的なムラ社会の論理にはじかれ、傷つけられ、生きる世界を狭められて、自ら命を絶つ子どもが大勢いるんだから。

 今、東京でのオリンピック開催を批判すると非国民扱いです。ムラ祭りでみんな気持ちよくなっているんだから邪魔するな、邪魔すると村八分だぞと。もちろんそんなこと、言語化されませんよ。言葉じゃなくて空気で人を動かす。それがムラ社会ですから。同調圧力というか相互監視というか、オリンピックであれだけ盛り上がっているのは、「みんな一緒」を確認せんがためでしょう。

 何にでも「国民的」をつけたがるのも、その一環です。AKB48は「国民的アイドル」、宮崎駿監督作品は「国民的アニメ」。宮崎監督が引退宣言すると「宮崎アニメ、あなたのベストは?」なんて聞いて回る。国民なら見ていて当たり前ってことですか? 冗談じゃないですよ。「国民的」にみんなが無批判に乗っかっていく風潮と、そんなヌルい状況を揺さぶるような表現を「過激だ」といって排除したがる風潮はコインの裏表で、それを支えているのは、本や映画を、「泣いた」「笑った」ではなく、「泣けた」「笑えた」と評するタイプの人たちです。

 彼らにとって表現は、自分が気持ちよくなるためのツールでしかない。映画「美女と野獣」を見て「泣けた」とか言うわけですよ。だけど自分が、野獣を「殺せ」と取り囲む側の人間かもしれないということには想像が及ばない。

 リンカーンの偉大さに感動しても、自分が、奴隷制を支持して黒人を人間と認めなかった大多数の側の人間だったかもしれないとは思わない。ナチス政権下でもフランスの恐怖政治の時代でも、それに異を唱えた人の偉大さを理解するためには、それ以外の人たちがいかに、いわゆる「凡庸な悪」に染まっていったかを理解しなければなりません。すぐれた表現とは、そういう多面的なものの見方を提示してくれるものです。なのに、常に自分が気持ちよくなれる側の視点に立って、「泣けた」。

 やっぱりバブルの頃からですよ、こんな堕落が始まったのは。広告会社主導で一連のうつろな映画やトレンディードラマが作られるようになり、見る側も消費者化して、俺たちが気持ちよくなれるような「商品」をよこせという考え方が浸透してくる。その傾向は、その後の不景気に後押しされてどんどん強まりました。

 低レベルな共犯 さらに、世間の意向を過度に忖度(そんたく)することで成り立っているテレビ局が斜陽の映画業界に参入し、「製作委員会」方式で出資企業を集めて映画が作られるようになった結果、どこからもクレームがつかないことが最優先された、大人の鑑賞に堪えない「お子様ランチ」のような作品だらけになってしまいました。表現の質が下がれば観客のリテラシーが下がり、それがさらなる質の低下を招く。お子様ランチを求める観客と、お子様ランチさえ出しておけば大丈夫とあぐらをかく作り手。そのレベルの低い共犯関係が社会にも染みだしてきた結果が、いまの「国民的」ムラ社会なのでしょう。

 状況は絶望的です。僕に言えるのは、せめて「多数派の論理」に振り回されないよう、「みんな一緒」を確認し合う状況からは距離をおき……なんて、あまりに無意味で無力で、自分で言ってて泣けてきますけど。(聞き手・高橋純子)

●たかはしヨシキ 69年生まれ。ホラー映画を中心に映画宣伝ビジュアルを担当。「冷たい熱帯魚」の脚本を園子温監督と共に手がける。近著に「悪魔が憐(あわ)れむ歌」。(朝日新聞・13/09/21)(つづく)

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●「はだしのゲン」=自伝的な作品で、作中のエピソードの多くも中沢が実際に体験したことである。作者は当作を反戦漫画として描きたかったのではなく、それ以上に「踏まれても踏まれても逞しい芽を出す麦になれ」という「生きること」への肯定の意味を込めて「人間愛」を最大のテーマとして描いていた。

母親を火葬した際に骨が残らなかった、という作中にもあるエピソードが、中沢に広島原爆の被爆を題材とした漫画を描かせるきっかけとなった。

発表分の末期は終戦から何年も過ぎた戦後の内容となっており、昭和天皇に対する批判やアメリカ軍およびアメリカ合衆国に対する批判、警察予備隊(後の陸上自衛隊)発足に対する批判する内容も含んでいる。ただし、その時期の話にも原爆の傷痕は根強く描かれている。

時代考証の間違いや左派的な主張をはじめ、作品の内容、表現などについて様々な意見があるが、作者の中沢の実体験に基づく原爆の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を表現していながら、エンターテインメントとしても読ませる作品として国内外での評価は高く、映画・ドラマ・アニメ・ミュージカル・絵本・講談化もされている。2010年6月調査のgooランキング「読んでおきたい日本史モノマンガランキング」の第1位に選ばれた。(以下略)(wikipedia)

●「はだしのゲン」を単行本化した汐文社のweb=https://www.choubunsha.com/special/hadashinogen/

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その作品は目障り」だから消せ(どけろ)、こんな風潮が蔓延しているように見えます。言葉を以て説明しても「問答無用」といわぬばかりの勢いに気圧されてしまう。「差別語」だから使わない、言い換えを考えなければ、というこの島社会の「風紀」というか、潮流というか。(ここで「風紀」という言葉を使うのは場違いかもしれない。その昔、中学校であったか、ぼくは「風紀委員」にさせられました。何をするのか、わからなかった。成人してからその意味がよく分かったが。「社会生活の秩序を保つための規律。特に、男女間の交際についての節度。」(デジタル大辞泉))

 面倒を避けたいという側面と、「長い物には巻かれろ」というご都合主義が合わさって、過剰規制や過剰自粛をしてしまうのでしょう。現下の状況でも「自主警察」などという聞きなれない言葉があふれているだけでなく、さまざまな軋轢を生んでいる。これは決してこの島だけの問題ではなさそうで、西でも東でも生じています。ということは、潜在的にはつねに問題は存在しているのであって、いったん口火が切られそうになる(きっかけが与えられる)と顕在化するのでしょう。「はだしのゲン」問題にもいくつかの視点が不可欠ですが、ここでは一つだけ言っておきます。

 この漫画は貴重な体験を表現している「優れた作品」だから消してはならないという主張に、ぼくは同意しない。「まずい作品」なら消してもいいのか。表現の自由という観点から言えば、いい意見だから主張を認め、嫌な意見だから発言を封じるというのは間違っていると思いますね。気に入る、気に入らないで、物事を短絡して判断する危険性というか、了見の狭さに違和感をいだくのは、どなたにも認められるでしょう。いや認めん、といわれたら、さてどうする(?)(この項、つづく)

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ゆきが ゆうゆうふって来た(承前)

 あるとき、加藤さんは四年生の担任から「いちど綴方の授業をみてください」と頼まれたことがありました。授業をすすめていると「ただひとり、窓のほうを見ている女の子がいる。ボタボタ雪が落ちている。黙って見ているんですよ」気になったけれども、そのままにして授業を終わらせた。すると、その女の子がスーッと前に出てきて、「わたしの前に紙を上げていたのです」

ゆきが
ゆうゆうふって来た
あばが
なんぼなんぎしてゐるべ
おど
やまさえがねば
なんのごともないども
あら
ゆきがはれた
えがたなあ
こだ
げんきにふいでいるべ
おど
やまさえて
ふるまのままくたべか (河辺、上北手、四年女)

 「こらあっ、どこ見てる、こっち見てろ!って、いわないでよかったなあ。この子はとっぷり自分の気持ちに浸っていたわけだね」                    

 加藤学級には、こんな子どもたちもいました。

 清之助の家は「極貧」だった。「清之助はいつも、窓きわの前から二番目の机で、だまってよだれで字をかいている体の少年」だった。病弱で留年してこのクラスに入った豊美という子がいました。その子はじっと清之助を見ていた。

木のなみだ                                豊美

秋がきたら
木がないた
はのなみだ
ばらばら
おとしてる。

めんこ                                    清之助

豊美は わたしのところを先生
のめんこだといへます。
私はただ笑ってる。

 その豊美さんは卒業を待たないで亡くなりました。

 同じ時期に、南秋田の金足西小学校に鈴木三治郎さん(1908~75)という教師がいました。クラスの子どもたちにはいつもいっていた。「言葉など飾らなくていい。ありのまま、感じたままをその通りに書くのだ」

そして昭和六年、次の詩がクラスから生まれたのでした。(既出)(右下写真は金足西小の歌碑) 

きてき                         金足西小、四年 伊東重治

あの汽笛          
たんぼに聞こえただろう
もう あばが帰るよ
八重蔵
泣くなよ

 「これが北方教育の叙情だ」といって、たくさんの教師たちの前に「きてき」をつきつけたのは山形の国分一太郎でした。その国分さんは昭和九年十一月、仲間をさそって「北日本国語教育連盟」を結成。翌年には機関誌「教育・北日本」を創刊することになります。

 《子どもたちは生活の危機にさらされ、かつかつの生存権の確保のため、学習の権利をすら奪われがちである。このような状態から子どもたちを救い、彼らの将来の幸福を保障するためには、子どもたちの教育の上でも、現実におし流されてしまう子どもをつくるのではなく、どんな状態のなかでも生き抜いていく意欲の旺盛な子どもを作らねばならないし、この現実を変革していく方法を追求する知性をもった子どもに育てなければならない》(国分一太郎「北方性教育」『生活綴方事典』所収)

 《どこまでも、生活にしがみついて、自分をうちたてていこうとする意志は、現実なる諸条件のうそでない認識から明朗に発足すべきものだ。/皮肉と風刺の中におちこむ超越的態度を警戒しよう。/おっかぶせて子どもを引きづる観念的な盲信を反省しよう。/ここにのみ、ぼくたちの子どもたちとともに、彼らの生活を愛する情熱が生まれてこようというものだ。この情熱的実践行を、ぼくたちは時代の教育者として態度する》(成田忠久「実践の方向性」『北方教育』第十四号。昭和九年八月)(既出)

 東北の寒村にもたくさんの「子どもと歩く」「子どもと生きる」教師たちがいました。世に「北方教育」といわれた教育・生活の実践者でした。彼ら・彼女らは、やがて「権力」の弾圧によって一網打尽にされ、辛酸を舐めるのです。

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ジャーナリズムは第四権力かね

朝日新聞(大阪版)2017/08/19)この「批評」を読むと、やっぱり新聞は「第四の権力」(いや「第一」かも)であるといいたくなります。

 「ジャーナリズ第四の権力」だというのはいかなる意味か。前記「社説」に述べられているのは、その一つの考え方だといえますが、はたしてそうか。権力を特権といいかえたらどうでしょう。だから多くの人は特権にすりよるのでしょう。木鐸ということばがありました。「社会の木鐸」などと使われたりしました。その原意は「(1)[礼記(明堂位)]木製の舌のある鉄でできた鈴。中国で、法令などを人民に示すとき鳴らしたもの。金口木舌(きんこうもくぜつ)。(2)[論語(八)]世人を覚醒させ、教え導く人。「社会の―」」(広辞苑・第五版)というものでした。金口(きん‐こう=(1)器物の口部を金属で作ったもの。 (2)〔仏〕⇒こんく。(3)よい言葉を出す口。立派な言葉。また、他人の言葉の尊敬語)(広辞苑)という似たようなことばもあり、金口木舌(きんこう‐もくぜつ=言説で社会を指導する人物。木鐸(ぼくたく)(広辞苑第五版)などと使われた。「金口木舌」は琉球新報のコラムとして健全な木鐸ぶりを示しています。ぼくは長年にわたって、そのはっきりした音色に好んで耳を傾けて来た。

 戦後にGHQは検察の民主化の方途として「検事公選制」を主張したことがありましたが、当時の「司法省」の反対で実現に至らなかった。「法制度上、検察官の行為をチェックするのは本来、裁判所の仕事だ。今回の村木厚子さんへの無罪判決でも明らかなように裁判所がしっかりチェックしていれば検察の暴走は止められる。しかし、裁判所はこの数十年の間に、検察官のチェックをするどころか、検察の行為を追認する機関に成り下がった」(魚住昭氏、朝日新聞「オピニオン」・10/10/02)

 その魚住氏によると検察官が勾留請求をした場合に「却下」した割合は75年には1.60%だったのが86年には0.29%に、保釈率(起訴から判決までに被告が保釈された割合)は72年には58.4%だったが、2003年には12.6%だったという。同じ記事で、元東京地検特捜部長を務めた宗像紀夫氏(リクルート事件の主任検事だった)は「特捜部のような政官財の巨悪を摘発する専門組織がなければ、日本社会の腐敗や劣化は進行するだろう。しかし、特捜部が、現在のように誤った筋読みの下で、ゆがんだ捜査手法で暴走するならば、有害で不要な組織といわざるを得ない。特捜部の組織改編は不可避となろう」といわれる。

2019(令和元)年版「犯罪白書」

 そして、魚住さんともども「取り調べの全面可視化(録音・録画)は避けられないのではないか」とも指摘される。

 立法も司法も行政も、まるで踵を接したように崩壊の寸前にあるようです。ことが人権や権利に関わるからこそ、その崩壊過程を座視するわけにはいかない。制度を構成・運用するのは人間であるのはまちいありませんが、その人間が判断力や思考力をいちじるしく欠いているが故に、わたしたちはみずからの自由(権利・人権)をみずからの力で死守するほかありません。さて、その方策はいかにして。

 上に立つ人間が狂っていたち腐敗していたりしたら、その下に仕える人間はどうすればいいのか。今回、大阪地検で生じた異様な事態は、しかしけっして大阪地検だけもなく、まして検察にかぎらないところに、この列島に君臨してきたもろもろの制度(権力・権威)の劣化の惨状が見て取れます。その状態は目を覆うばかりなのです。

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 前田検事を証拠隠滅罪で起訴、懲戒免職に

 郵便不正事件で証拠品のフロッピーディスク(FD)を改ざんしたとして、最高検は11日、大阪地検特捜部主任検事・前田恒彦容疑者(43)を証拠隠滅罪で大阪地裁に起訴した。

 前田容疑者は「FDを意図的に改ざんした」と容疑を認め、改ざんの動機について「立証上の唯一の傷を消したかった」などと供述しているという。

 法務省は同日付で前田容疑者を懲戒免職とした。

 調べによると、前田容疑者は、厚生労働省元係長・上村勉被告(41)(公判中)が発行したとされる偽の証明書を巡り、昨年7月13日、FDに記録されていた偽証明書のデータの最終更新日時を「2004年6月1日」から、特捜部が描いていた事件の構図に沿う「04年6月8日」に改ざんした疑いが持たれている。(読売新聞・10/10/11)

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 このように報道する記者が当の検察庁の人間と酒を飲んだり雀卓を囲んでいたらどうなるか。どうにもなるまい。おそらく今回の東京高検のK氏のようなケースはいたるところに、いつ何時でもある(あった)に違いありません。検察のみならず警察署関係だって同じ穴の狢。マスコミと権力が「ズブズブの腐れ縁」が続いているからこそ、マスコミは「第四の権力」と図星を指したのでしょう。特権意識は、職業よりも「地位」「身分」によることが多いのは、その地位や身分についた途端に、にわかに「特別の利益や功利」が付着するからです。椅子とかポストというが、そこに座る人間をかぎりなく堕落・腐敗させる、麻薬のようなあるいは痺れるばかりの法悦(電気椅子か)が沁みだしているのでしょう。

 そう考えると、あちこちに「電気椅子」が据えられているのがわかります。難関大学や一流企業なども、その類かもしれないですね。人は挙って、この「電気椅子」に腰掛けたがるのは、痺れ具合がたまらんからでしょう。(まるで脊柱管狭窄症罹患者のようだ)こんな椅子に座ることを、ぼくはとっくに御免被ってきましたが、それでも周囲には「電気椅子派」がたくさんいましたし、痺れ程度はそれほどでもないが、痺れるならどこでもいいという痺れ「なまず」願望派も後を絶たないのが、この小さな島社会の縮図です。

 第四どころか、第五・第六・第七、第八以下、権力へのたゆまぬ意志を固めている「控え」は引きも切らずです。それを「援助」する商売もますます盛んであります。前途洋々なのか、あるいはお先真っ暗なのか。(こんなことを言っている間にも、感染者数増加劣島に嵐と酷熱が)(承前)

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権力が腐るのか、腐るのが権力か

 腐敗を防ぐ市民の目

 市民の目が届かない権力は必ず腐敗します。主権者の「知る権利」に奉仕する自由なジャーナリズムは、民主社会の基盤であり腐敗防止に不可欠です。

 「権力は腐敗する」と言ったのは十九世紀の歴史・哲学者であるJ・E・アクトンです。近代国家では、この「権力=腐敗」を前提に制度上の工夫をいろいろしてあります。

 代表的な例が日本国憲法も採用している三権分立制です。立法、行政、司法という三つの権力がそれぞれ独立し、監視し合い、牽制(けんせい)し合って、相手の勝手な振る舞いを防ぐ仕組みです。

◆“暴走”は問題の矮小化

 それでも権力は腐敗します。国民の目が届きにくいところで、違法な、あるいは不当な権力行使が行われるようになります。

 大阪地検の特捜部検事による証拠のフロッピーディスク(FD)改ざんを、単なる個人の暴走と見るのは問題の矮小(わいしょう)化でしょう。

 上司は内部告発を無視して改ざんを隠ぺいした疑いがあります。容疑者に対する虚偽自白の強要、保存すべき取り調べメモの廃棄など、ほかにも不祥事が次々明るみに出ました。FD改ざんは検察組織の腐敗の象徴なのです。

 アクトンは冒頭の言葉に続けて「専制(絶対)権力は絶対的に腐敗する」と言い切りました。/専制権力は言い過ぎとしても、検察は強大な力を持っています。人の身柄を拘束でき、起訴・不起訴を決める権限をほぼ独占し、起訴相当の事件でも事情によっては起訴しないことができる「起訴便宜主義」も認められています。

 この力の大きさ、怖さを自覚しないでゆがんだ正義感に酔ったり功名心に駆られると、逮捕された検事の前田恒彦容疑者らのように、権限を恣意(しい)的に利用し違法行為をすることになりかねません。

◆“監視”で生まれる緊張

 検察は情報公開に極めて消極的で、検察の意に反する報道をした記者にしばしば「出入り禁止」と称して取材拒否します。/透明度が低く、内部の空気がよどんでいる組織は、必ずといっていいほど腐敗が起こるのです。

 それを未然に防ぐための最も有効な手段は、市民による監視を徹底することです。外部の風にあたり、監視されていると意識することで公権力側に緊張感が生まれ、腐敗防止に役立ちます。

 情報公開法を制定するなど市民を公権力の内部に立ち入りやすくする諸施策が、一九〇〇年代から大幅に進展しました。司法とその関連分野でもさまざまな改革が行われました。

 裁判所には裁判員制度が導入され、裁判官指名諮問委員会、家庭裁判所委員会など外部の声を生かす制度もできました。

 刑務所には有識者が視察して意見を述べる刑事施設視察委員会が設けられました。警察の事務執行は有識者で構成する警察署協議会が監視するようになりました。

 しかし、検察に関しては、不起訴にした事件について検察審査会が「起訴相当」と二回議決すれば強制起訴、となったほかはめぼしい改革がありません。

 ほとんどの検察関係者は「公益の代表」たる立場を守って適正に職務を遂行していますし、検察の仕事は人権にかかわる事項が多いので微妙な要素もありますが、積み残された改革「検察の透明化」を実現しなければなりません。/まず、最高検による改ざん事件の捜査、調査結果を第三者が検証するのは当然です。検察以外のさらなる透明性向上も必要です。国民の知る権利が実質化し、「権利としての監視」の目が統治機構の隅々に注がれてこそ主権者として公権力を正しくコントロールできるのです。

 情報公開制度の充実に劣らず重要なのは、国民から信頼される、健全で強力なジャーナリズムの存在です。

 民主主義が定着し、国家、社会の運営に主権者の意思がきちんと反映するためには、権力を厳しくチェックし、判断材料を提供する自由な報道活動が必須です。

 「ジャーナリズムは第四権力」と言われることがあります。国民に対する四番目の権力という意味ではなく、三つの公権力から完全に独立し、国民のために三権と対峙(たいじ)する力という意味です。

 しかし、現状は時に権力追随と批判され、脱皮を迫られます。

◆“深層”に肉薄する勇気

 米連邦最高裁は「自由な言論に誤りはつきものである」として、報道が誤りを恐れ権力に対し萎縮(いしゅく)することを戒めました。正確性確保は当然として、深層に肉薄するジャーナリストの意欲と行動は安定した民主社会を築く礎です。

 十五日からの新聞週間を前に、反省、自戒を込めて使命の重さをかみしめています。(東京新聞「社説」・10/10/10)

(*アクトン(1834‐1902)=英国の歴史家。ナポリで軍人・政治家として活躍したサー・ジョン・アクトンの孫として同地で生まれ,ミュンヘン大学に学び,帰国してからは自由党所属の下院議員(1859年-1864年),1869年男爵に叙せられて貴族院に入った。自由主義的なローマ・カトリック教徒の代表的な存在として,教皇の不謬性を批判した。1895年ケンブリッジ大学の近代史欽定講座の教授に就任して《ケンブリッジ近代史》を企画・編集するなど,厳密な史料批判に基づくドイツ流の近代歴史学を英国に導入して英国の歴史学の発展に寄与した。(マイペディア)

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 権力は腐るといったアクトンの言葉が大流行です。それだけ、腐った権力(同語反復だ)が横行している証拠だとも言えます。腐臭(俗臭も)芬々ですな。大小を問わず、権力は腐敗するというが、間違いです。「権力」は腐らない。権力を握ったとおぼしき大小の人間が腐り、腐りきるんです。権力はおれだ、おれが権力だという軽薄な自己認識がそもそも間違いだけれど、その間違いに気づかいない輩がやたらに権力の付近に屯(たむろ)するという構図です。「この指とまれ!」という呼びかけが四方から聞こえてきそうです。

 大阪地検の問題は決してそれだけで終わらない、腐敗体質を持った検察庁全体の問題でもあることは先刻周知です。腐った検察を腐った政治が利用するのですが、腐敗菌は同類・同質だから、仲良くやりましょうという具合に事態はさらに腐敗菌まみれになって、自己崩壊を起こすのです。その権力を「批判」し、「報道する」のがマスコミだといいますが、どうですか。権力が権力を批判・非難するとどうなるか。大は小を飲み込むというのがお定まりです。呑み込まれたいと願っているのか?(巻き込まれたくはないですね)

 新聞(マスコミ)は第四の権力、この表現は正確ではない。マスコミも千差万別で「広報専門」の大新聞もあれば、「裏記事言一手販売」の業界新聞もあります。権力の列に連なりたい新聞はたくさんありますが、すべてが権力側には立てない。しかし、ぼくの狭い経験から言うと、報道(新聞・テレビなど)に携わる人間の大半は自分は「権力者らしい」、あるいは「権を持っている」というか、特権意識過剰であるのがほとんどだ。ぼくは今でもそんな感想を持ちます。その証拠かどうか、まず「何々のだれそれ」と自己紹介する。電話でも同じ。「どこそこのだれそれです」と。この程度の「権威主義」「特権意識」なら、なにもマスコミにかぎらない、世上「有名」「有力」「優秀」などと評判を受けている企業(これこそが怪しいんだが)に属する人間はほとんどそんな自己陶酔気分(悪酔い)にさせられているのではないでしょうか。そもそも、それが間違いの大本です。

 みんなボチボチでんな、という肩ひじ張らない姿勢(思想)こそが、最も人間の条件にふさわしいんとちゃいまっか。別に「何々週間」だから考えるのではなく、普段着の姿勢や態度で生きている中から生まれる「ちょぼちょぼ」主義ですね、大事なのは。(大阪地検は「赤木さん問題」(国賠訴訟)をどう展開するのか。森友問題もスルーしたし。なにか、起死回生があるんかいな)(この項、つづく。たぶん)

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階段を一段ずつ、時には飛び越せ

 私の先生

「階段一段ずつ」の教え…北村英治さん ジャズ・クラリネット奏者

 今も尊敬しているのが、国文学者の池田弥三郎先生。慶応商工学校(旧制中学校)2年生の時、国語を教わりました。

 先生は当時、20歳代後半。戦時下にもかかわらず、「人間の歴史はとてつもなく長いのに、針でつついた一点くらいでしかない戦争に一喜一憂するなんてとんでもない」とべらんめえ調でまくし立てる。驚きました。   

 勉強が嫌いで2回もダブってしまった僕を、先生は「友だちが倍に増えるんだから、幸運だと思え」と励ましてくれた。「急がず、階段を一段ずつ確実に上がっていくことを心がけろ」という言葉が胸にしみました。

 慶応大学の文学部に進学したけれども、学生バンドの活動に精を出し、授業はそっちのけ。2年になり、プロの誘いを受けました。大卒の初任給が5000円弱だった時代、月給3万円と提示されて心が動いたけれども、「大学を出てからでも……」との思いも捨てきれなかった。

 先生に相談すると、「一生できる仕事なのか?」といい顔をしない。「階段を一段ずつという教えを覚えています。先生は言わなかったけれども、その一段がどれだけ重要かも分かっているつもりです」と伝えました。最後に「月給3万円」と説明すると、先生は顔色を変え、「大きな声じゃ言えんが、大学をやめてバンドマンになっちゃえ!」と背中を押してくれました。

 全部は教えず、含みを残して生徒に考えさせる人だったから、僕の言葉に満足してくれたのかも。いま、先生の息子さんとも交流がありますが、親子2代にわたっておつきあいできるのは、先生の人徳のなせる業でしょう。(聞き手・保井隆之)

プロフィール  きたむら・えいじ

 1929年、東京都出身。51年にプロ活動をスタート。日本のジャズ・クラリネットの草分け的存在で、海外でも活躍。60年以上にわたる音楽家生活で吹き込んだ作品は100枚を超える。78年、日本ジャズ界最大の栄誉とされる南里文雄賞受賞。(読売新聞・12/06/14)

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 日本のジャズ界を先導してきた北村さん。高校時代の恩師が池田弥三郎さん。いかにもありそうな師弟の関係、傍目からは実にイキではないかと思います。池田さん銀座の有名な天ぷら屋のせがれ(お店はとっくに廃業された)。ぼくも何度か通ったことがある老舗です。後年、民俗学や日本文学などなどの領域で大きな仕事をされた方でした。その池田氏の恩師が折口信夫(釈迢空)さん。柳田國男氏と並ぶ日本民俗学の泰斗と称されたし、古代文学に独特の理論を展開され、ぼくなどは大いに興味を与えられた方でした。(折口ノーとなるものを何冊も書き残して、とうとうものにできませんでした)

 天づたふ日の昏れゆけば、わたの原 蒼茫として 深き風ふく(釈迢空)

 池田氏と北村さんの結びつきは、どこにでも見られるものであるようでいて、この二人に独特のものだったというべきかもしれません。「師の恩」などは、今では使われなくなった言葉でしょうが、その意味するところはきっと固く残されているにちがいありません。(余談ですが、ぼくが今住んでいるそばのマンション、これも山中にあるのですが、ここに渡辺貞夫さんが住んでおられ、ときどきサックスの練習ぶりが聞こえてくると、よく行く喫茶店のマスターに教えられました。ぼくはまだ、その漏れ来る音を聞いたことがありません)

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留保する自由を選んだのはだれ?

 私たちがいる所 不戦の60年目は、また、この国の近代の運命を変えた日露戦争の終結から数えてちょうど100年目にあたりますが、100年前のそのおなじ年にでたのが、「清新体」の日本語による上田敏訳詩集『海潮音』でした。その『海潮音』に収められている、ロバート・ブラウニングの短い詩「春の朝」。

 「すべて世は事も無し」という一行には、日々の平凡さをたたえる、祈りにも似た思いが込められています。この国の歴史の光景のなかに「春の朝」を置いて読むと、平凡な日常の、平凡な真実をたたえているだけのように見える、この小さな詩の言葉が、実は、20世紀という戦争の世紀に対する留保の言葉として、あらためて、胸につよくのこることに気づきます。(長田弘「不戦支えた『留保の言葉』」)朝日新聞・05年1月13日)

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 20世紀は戦争の世紀であったというのは、この国の歴史事実としていえることです。「日清戦争」(1894年)から「太平洋戦争」(1945年)までの半世紀、この国は間断なく戦争をしてきました。その反動でしょうか、敗戦後から2020年までの75年間、たしかに主体的に「戦争」をしてはこなかったといえます。「戦争の半世紀」と「不戦の75年」が十分に釣り合うほどに、わたしたちは戦争の不条理を悟ってきたのかどうか。まるで「本卦(ほんけ)がえり」のように、この75年間をリセットし、もう一度戦争ができる国、武力行使を正々堂々と掲げる憲法を作ろうという時代錯誤のくぐもった声が響いています。(敵基地攻撃能力だってよ)

 「時は春、日は朝(あした)、朝(あした)は七時」という日常をわたしたちは忘れていないか。無視したり、目をそらせておろそかにしていないか。「片岡(かたおか)に露みちて、揚雲雀(あげひばり)なのりいで、蝸牛(かたつむり)枝に這ひ」そんな日常を棄ててしまってはいないか。なんだ、平凡な、という「平凡」こそがいちばん大切なんだと、ブラウニングは祈りをこめてうたったんですね。「すべて世は事も無し」と。(ヘッダー写真は灯台社と明石順三ら。どこかで、「灯台社」について綴ってみたいと以前から考えている。彼は忘れてはならない人)

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 長田さんは、このあとに西脇順三郎の「花や毛虫」を引用されています。 

 「人はなぜ花や毛虫を愛するのか」

 戦争が世界からうばったのは日々の喜びがそこにある平凡な日常の風景、そして、戦争のない平凡な日常の美しさこそ「人間の慰み」だとこの詩人は言われます。うなづくばかりです。わたくしのささやかな時間と空間。だれにも侵略されたくない生地であり、聖地。

 「戦争は、いまではおおくが、宣戦布告による国家間の、終わりをめざす戦いではなくなって、パニックによって激発する、終わりのない戦いになってしまっています」(同上)

 世界の警察を自負する国が仕掛けたいくつもの戦争をみれば、このことはわかります。だからこそ「我が帝国は今朝何々国と戦闘状態に入れり」と宣言する言葉、何々すべきという言葉ではなく、何をなすべきではないかをいいうる、留保する言葉をこそがいまためされているのだといわれるのです。これが詩人の勘所なのでしょか。

 戦争はすべきでないという言葉の力が支えてきた75年のあとに、わたしたちは「勇敢に戦うべし」というグロテスクな言葉を再び発することになるのでしょうか。

 「この国は自分から戦争をしないことを選んで、留保する自由を選びました。しかし、忘れないようにしたいのは、それからずっと、みずから留保する自由を選びつづけてきた最初の理由が、いまに至るまで、この国の自律の最後の根拠になってきたし、なっている、という事実です。」(同上)

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 長田弘さんは大学の先輩であり、長田さんの友人(ぼくの敬愛する兄貴分)からよく彼の話を伺いました。長田さんのたくさんの詩や評論は可能な限りで集めて、集中して読んだ記憶があります。人によっては、その「やさしさ」が曲者だという、厳しい見方をします。ぼくはそれを真っ向から否定できないという気もしますが、その「善意」もまた捨てがたいと考えたりします。甘すぎるんですね。誰が? どこかで長田弘論みたいなものが書ければいいが。

 長田さんが書かれた時点からも十五年たちました。「留保する自由」を選んだというのは当たっていたのか。「勇敢に戦うべし」という掛け声だけが喧しい(だから空しい)時代をぼくたちは迎えているのです。したがって「留保する自由」も、その時点までで命運が尽きたという思いが強くなります。本気頭(かしら)、中国や韓国、北朝鮮という向こう三軒と覇権を競うなんて。狂った季節だ。「鷽が飛び交っている」真夏の空は、今にも泣きだしそうです。

 コロナを制圧した、その証拠(証明)として「Tokyo 2020」をやるんだという空元気は、どこまでも空虚(嘘)だ。世界に誇れる、世界一位級の、いまだかつてない大型のと、最大級の自賛嘘をまき散らされて、庶民の上にも、いよいよ本格的な夏の到来です。東京都の鷽痴児のもと、ある職員は「八月のある日、東京の感染者は千名越え(「天城越え」じゃない)」、それを今から深刻に危惧(恐怖)しているといった。実はすでにもう、そういうレベルにあるということを明かしているようなもの。

 くれぐれも自粛専一。自分のいのちを他者にあずけてはならない。「私たちがいる所」はどこだ。

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