実をとりて 胸にあつれば 流離…

  のっけから、自問自答です。主題は文化(culture)について、です

 質問1・「文化」という言葉をきいて、どのようなことを想像(連想)しますか。

 質問2・文化という語に対して、どんな語が対応(対語)しますか。

 質問3・刃物の種類に「包丁」があります。どういうわけだか「文化包丁」などとといわれます。なぜでしょうか。また文化住宅や文化鍋などともいいますが、その共通する意図は?

 今では、この島のいたるところに「文化会館」が林立しています。「文化」があふれそうだから、建物内に閉じ込めようという魂胆か。中に入ると、空虚だったり。(東京上野の東京文化会館、いったい何回通い詰めたか。前川国男設計)

 正解はありそうでなさそうで。なんとでも言えますからね。さて、「文化」とは?

 その包丁です。「中華包丁」。これを日本の包丁とくらべてみれば、種類の少なさが顕著に認められます。その理由はどこにありますか。耕作につかう農具も大工道具も、日本ではやたらに数が多い(ノコギリでもカンナでも、カマでもクワでも)のに対して、お隣の韓国や中国さらには東南アジアの諸国では実に単調なものです。そのちがいはどこから来るのかという問題でもあります。「文化」をとらえる視点を外さないようにしたいですね。(右写真は住まいから車で三十分ほどの田んぼの中にある「文化会館」、森閑というか、閑散というか。散散といいますか。入るのが怖いよう。「8月のおはなし会」の案内が。これも立派な「文化」か)

日時 2020年8月22日(土曜日) 10時30分~
場所 文化会館 和室
対象 幼児から小学生向けです。 大人も参加できます。
参加人数 20名まで
受付 電話受付先着順
主催 長生村読み聞かせボランティア「くりくりブック」
お問合せ 長生村文化会館 長生郡長生村岩沼2119番地
TEL 0475-32-5100

●今も昔も漢語(中国語)で「庖」は「台所」を意味する。一方で、古代の漢語における「丁」は、担税を課することに由来して「召使としての成年男性(※古代中国の律令制で成年男性に該当するのは、数え年で21歳から60歳までの男性)」を意味し、「園丁」や「馬丁」という熟語があるように「その職場で働く成年の召使男性」の意味合いで用いられていた。したがって、「庖」と「丁」の合成語である「庖丁(拼音:cìdīng、páodīng、ほか)」は「台所で働く成年の召使男性」を指すものであった。日本語「庖丁/包丁」の語義の一つには今も昔も「料理人」「料理役」「料理番」があるが、刃物のことではなくこれこそが最も古い漢語の語義の流れを引き継いでいると言える。(wikipedia)

 「日本文化」という場合、いったいどのようなことがいわれるのでしょうか。今から何万年か前(十万年前とも)に、この列島に住み着いた人々がいたことはたしかですが(集住するようになったのは三万年前くらいとも)、そのような人々が、それこそ「万世一系」(永久に同一の系統の続くこと。特に皇室についていう)をつらぬいて、現在に至ったとはとても考えられない。(今日の「万世一系」はたかだか数世代程度か)
 その一例ですが、竹を材料にして、このことを考えてみましょう。元来、竹は(亜)熱帯地方の植物ですから、この(日本)列島には自生していなかった。だから、いつの時期にか、南方の民族が舟(船)に乗ってはるかに離れた東の列島(日本)に流れ着いたと考えてもいいでしょう。まるで「椰子の実」のように。(今ではこの島はれっきとした「熱帯」地方となった感があります)「竹取物語」も「浦島太郎」も潮の流れに乗って、「なれはそも波にいく月」かけてか、漂着したのか。

   椰子の実

  名も知らぬ遠き島より
  流れ寄る椰子の実一つ
  故郷の岸をはなれて
  なれはそも波にいく月
  
  もとの樹は生いや茂れる
  枝はなおかげをやなせる
  われもまたなぎさを枕
  ひとり身のうき寝の旅ぞ
  
  実をとりて胸にあつれば
  新たなり流離のうれい
  海の日の沈むを見れば
  たぎり落つ異郷の涙
  思いやる八重の汐々
  いずれの日にか国に帰らん (島崎藤村作詞・ 大中寅二作曲)

  柳田国男という日本民俗学を生み出したといわれる人は、まだ二十歳になる前に、大きな病気をし、愛知の伊良湖岬に養生のために、しばらく滞在したことがありました(1898年)。散歩にはよく伊良湖海岸に出かけたといいます。ある時、海岸に今着いたばかりというような青々として椰子の実が流れ着いていた。彼はいろいろなことを考えたそうです。この想像力が、最晩年に書き上げられた『海上の道』という著作に連なっていくのでした。 

 遥かに昔、我々の祖先となった人々は小さな、丸木舟(だったろう)で何度も何度も挑戦し、荒い潮の流れに乗って、のちに「日本列島」と称される島々を目指した(かどうか、わからないが)という。何度失敗しても次々と代を次いで小舟で小さな島を目指した。沖縄を経由して九州のある地方をとおり、ついには本州に到達し、伊良湖にも来たに違いないという仮説です。(愛知とは、アユ、アエルというように、さまざまなものが混ざり合って漂着したところから名付けられたというのが柳田説。和え物などという、その「和え」です)

 病が癒えて東京に戻った柳田青年は、この経験を親友の島崎藤村に話したところ、藤村は「これはもらったよ」といって、のちに「椰子の実」という詩を書いた(1901年「落梅集」所収)。それに曲をつけたのは大仲寅二さん(1936年。息子は恩で、「サッちゃん」「いぬのおまわりさん」など作曲、その詩を書いたのが従弟の坂田寛夫)。柳田さんいわく、「詩人というものは、あんなふうにものごとを考えるもんなのだな」と意外の感に打たれたといいます。

 椰子の実が流れついたのは「海上の道」を流れてきたからだという、柳田さんの仮設は椰子の実を「人民」に変えた。先に述べたように、南方のある民族(人種)がさまざまな生活万般とともに、それに伴う「文化」をこの島に持ち伝えたのだと。米も、歌も、物語も、植物も。つまりは文化(生活様式)といわれるものを携えて渡ってきた。そして、悠久の時の流れを経て、今に至ったのだというのです。この仮説は、今では正しいものとは言えないようですが、いかにも文学感情の多かった、詩情豊かな柳田さんらしい逸話ではありますね。(つづく)

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傍流こそ、元は本流なんだ

(脱主流派宣言:2)コンビニやめました 客に寄り添う酒屋

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 名古屋市熱田区。熱田神宮へと続く国道沿いに「酒のかしわや」はある。平たい箱のような店の外観に、かつてコンビニエンスストアだった名残をとどめる。/ 店主の丹羽(にわ)義裕さん(71)が大手チェーンとのコンビニ店の契約更新を断ったのは、1996年の春だった。

 「定休日をもうける」/ 「24時間営業はしない」

 15年契約の終了が近づき、更新を持ちかけてきた相手に、丹羽さんはむちゃな条件を突きつけた。休みがあれば、商売の勉強をする余裕ができる。人間は夜、寝るもんだ――。便利さの追求も行き過ぎていないかと疑問を投げかけたが、相手はぽかんとするばかりだった。

 創業明治27(1894)年の老舗。初代は店が焼失した戦災の時に亡くなった。先代の亡父は入り婿の元公務員。3代目の丹羽さんは戦後まもなく再建した店を、幼いころから手伝った。小学校の授業で「将来の家」を描いた時も、酒売り場を入れたほどだ。「おまえは夢も酒屋か」と先生に笑われた。

 地元酒店の若手有志で海外を視察した1970年代に米国で見た光景に衝撃を受けた。四つ角に別々のコンビニ4軒が立ち並び、安売りの量販店に客が詰めかけていた。「日本もいずれこうなる。新しいことに挑戦していかんと」/ 81年、店舗を12坪の木造から50坪の鉄骨に建て替えた際、大通りに面した30坪をコンビニにした。商品や従業員の効率的な管理、考え抜かれた陳列の手法などを吸収したかった。

 コンビニに並ぶ品数は2千~3千点。多品種を扱えるのは、店ごとの売り上げデータを本部で集計することで、売れる分だけ仕入れることができるからだ。賞味期限が近い商品を、棚の前に出すといった小技も指導してくれた。/ 半面、自分で知恵を絞る余地は少ない。似通った品ぞろえ、流れ作業の会計。年中無休で回すため、店に立つのはアルバイトが多くなる。丹羽さんがレジに入ると客と話し込んでしまい、かえって会計が滞る始末だった。/ 「マニュアル通りにやれば簡単。だけど……」

 酒は、違う。/ たとえば「越乃寒梅(こしのかんばい)」。角帽をかぶった学生時代から、名古屋駅を出る夜行で新潟の蔵元に通った。/ 足を運ぶこと4~5回目。雪道で側溝に落ちて水びたしになった。歯を鳴らして蔵元にたどりつくと、火にあたらせてくれた。「まず3箱売りましょう」。取引を認めてもらい、名古屋で最初期の正規特約店になった。/ 酒屋一本の店に戻って18年。500近い銘柄がそろう日本酒売り場で、そうした逸話を交えて客と会話する。定休日には今も、各地の蔵元通いを欠かさない。

 常連客の胡桃沢(くるみざわ)正文さん(65)は、名古屋の郊外から40分かけて買いに来る。「これ飲んでみやー、おいしかったよって。私の好みを知っとるから。こういう店は少なくなったね」

 同じ校区内に17軒あった酒屋は今、3軒だけ。個人商店が消えゆく一方、喫茶店、カレー屋、居酒屋、あらゆる店のチェーン化が進む。そんな時代だからこそ、がんばろうと思う。/ 年の瀬。店には贈答や正月用の酒を求める客が途切れることなくやってきた。年配の夫婦に、丹羽さんが好みを聞き始めた。飲み方はぬる燗(かん)、軽いより深い味わいで。正月だから少し高くてもいいという。/ 見立てた一本は、石川県の純米大吟醸「夢醸(むじょう)」。日本海に近い蔵元の情景、酒造りや酒米をはぐくむ手取川の水、イカ刺しとの相性まで伝えた。/ 「晩酌が楽しみ」。夫婦は笑顔で店を出た。(井上恵一朗)

 ■いまどきニッポン 1号店上陸から40年

 コンビニチェーン最大手「セブン―イレブン・ジャパン」が昨年11月、創業40周年を迎えた。1974年の1号店は、東京・豊洲の酒店が衣替えして誕生した。米国発のチェーンビジネスは今、大手10社だけで5万店に迫る。チケット取引や銀行ATM(現金自動出入機)の導入、生鮮食品販売からいれたてコーヒーの提供まで。高齢者向けの宅配にも乗りだした。あくなき利便性の追求で、社会のインフラとなった。(朝日新聞・14/01/03)

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 コンビニはほとんど利用しない。特別の理由があってのことではない。例えば、大酒を飲んでいたころ、ぼくはコンビニで日本酒を買う気にはなれなかった。(ビールはまず飲まなかった)どうしたはずみか、今ではすっかり下戸。自分でも驚くというより、呆れています。ほしいとは、今のところ思わない。友達が誘うが、まず乗らない。まだ若かった頃(といっても、ぼくは七十前くらいまではほんとによく飲んだ。「嬉しいから、悲しいから」と理屈はいらなかった)「越乃寒梅」には語りたい話がたくさんある。その一つ、この酒が出たばかりで、手に入らなかったころ、新潟出身の先輩が池袋に連れて行ってくれた。「笹舟」という同県出身の大将がやっている店(今はやっていない)で、「幻の酒」が、大型の貯蔵庫から出たのである。コップ一杯、何千円だったか。飛行便でついた鮭を囲炉裏で焼きながら。ちっともうまいとも思わなかったし、その後はこのメーカーが堕落したのか、ひどいものまで「レッテル」を張り付けて売るようになっていた。日本酒なら「黒帯」(純米)一本やり。石川の酒。一升はいけましたね。安いし旨いし。今は昔。

 コンビニで物を買わないのは、便利すぎるのが気に食わないからとでも言いますか。歩いて何分、と都会度を測る尺度のように言われるのはけしからんと。今は山の中、直近のコンビニ店まで四キロさ。それも急坂(鼠坂という)です。かみさんは文句を言いますが。便利は不便で、不便は便利なんだというのが、ぼくの屁理屈。親戚が都会の真ん中に住んでそこを動こうとしないままで、先年旦那が亡くなった。住めば都というが、住んで地獄というのもあるようです。

 二十四時間営業というのも、気に入りません。理由は簡単。夜は寝るように、たいていの動物はできているから。それに反するのはどうも。もちろん仕事の関係で夜勤があるのは認めます。その他、理由はいくらでも見つけられますが、経営の形態がもっとも問題なんでしょう。細かいことは抜きにして、フランチャイズとか何とか云って、本部がまず損しない仕組みはいけません。無駄が出てもそれはすべて「オーナー側」の負担ですと。まるで鵜飼の鵜匠と鵜、それを連想してしまいます。数万匹の鵜と、それを操るごくわずかの鵜匠。これが世界規模で拡散しています。

 川は本流だけがあるのではありません。無数の支流が集められて、奔流になる。逆に支流が支流のままで終われば、本流にはならない。「脱主流」というのは、支流は支流で、という覚悟というか、本来の摂理をとりもどしたということ。これからも、この「流れ」は続く。不自然な状態は、一見盛んに見えても、いつかはうらぶれる。店舗の閉店、新装開店の多さは何を語っているか。

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 「台風19号の大雨で堤防が決壊した140カ所(71河川)のうち、8割にあたる112カ所(62河川)が、支流と本流の合流点から約1キロの範囲だったことが、朝日新聞のまとめでわかった。専門家は「合流点近くに住む人は、浸水が起きやすいことを自覚しておくべきだ」と指摘している。」(朝日新聞・2019年11月7日)

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お前はどこに行くつもりなんだ

 「自然を支配して生きようとしてきた人間の生き方(人間文明)」に未来があるのかないのか。十年ほど前に見た映画「アフターデイズ」は、まさにその問に対する一つの典型的な解答であったと思われます。地球環境問題を解決するのは造作のないこと、人間が地球からいなくなるだけでいい、と。たしかに地球には人間はいらないかもしれない、しかし、人間には地球以外に行く場所が(今のところ?)ないのだから、始末に悪い。ここにしか住めないにもかかわらず、この環境を荒廃させることに奔走している人間たちの悪行はどうすれば止むのか(自分さえよければ、今さえ快適ならばという利己主義と刹那主義の産物)。その悪行もまた「科学・技術」文明というのなら、文明とは野蛮そのものであることがわかろうというもの。

 これもずいぶん昔、ドイツの政治家の著書『収奪された地球』をむさぼり読んだことをも思い出しています。彼は当時の「緑の党」の創立者だったように記憶しています。もっと前にはローマクラブという、今でいうところのNPOのような団体が出した報告書(「成長の限界」)も、資源の限界を中心に「経済成長」の先行きに警鐘を鳴らしていました。

 こんなよしなしごとを考えるともなく時間をつぶしているとき、日高敏隆さんのことを思い出した。動物行動学とかいう分野のパイオニアで、ぼくは素人として何かと興味を以て読んだ。無駄と知りながらため込んでいた中から、日高さんの「訃報」記事を二つばかり取り出してみる。

 日高敏隆さん死去

 チョウはなぜ飛ぶか。ネコはどうしてわがままか。いずれも先日亡くなった動物行動学の草分け、日高敏隆さんが書いてきたエッセー集の題名だ▼文庫などが書店に並んでいるので読んだ人も多いだろう。生き物の行動観察を通して、自然界の営みの不思議さがタイトルの響きのように軽やかで平易につづられている。読後に、さわやかな幸福感が残る▼本紙のコラム「天眼」では10年以上も健筆を振るった。読み返すと、地球環境問題への言及が多い。問題の根源は「自然を支配して生きようとしてきた人間の生き方(人間文明)にある」(2008年1月19日付)とし、効率を重視する人間の価値観を変えていこうと説いた▼その考え方を、日高さんは単なる環境保護ではなく生活の向上もあきらめない「未来可能性」と名づけた。自ら初代所長を務めた総合地球環境学研究所(京都市)で、その理念を実践する研究プロジェクトを立ち上げた▼京都大を退官するとき江戸っ子の日高さんに里帰り話も持ち上がったが「関西には学問をする風土がある」と見向きもしなかった。滋賀県立大学長を引き受けて後進育成に力を注ぎ、京都市青少年科学センター所長として子らに科学の面白さを語った▼数々のエッセーそのままに温かで軽妙洒脱(しゃだつ)な人柄だった。取材の折には本題より脱線話が楽しみだった。最後となった24日付朝刊の「天眼」をしみじみ読んだ。(京都新聞「凡語」・09/11/25)

 余録:日高敏隆さん

 「何か不思議なことを見つけてきなさい」。先ごろ亡くなった動物行動学者の日高敏隆さんは野外調査に向かう大学院生をこんな言葉で送り出したそうだ。「動物は自ら学ぶようプログラムされている」が持論で、学生の自主性を尊重した自由人らしいエピソードだ▲その日高さんが昆虫学を志したきっかけは軍国的な教師によるいじめ。体が弱く、戦前の小学校で「お前なんかお国の役に立てない。死んでしまえ」と怒鳴られた。仮病を使って学校をさぼり原っぱで遊んでいると、1匹のイモムシがいた▲「お前はどこに行くつもりなんだ」と話しかけると、しばらくして葉っぱを食べ出した。「そうか、それがほしかったのか」。虫の気持ちが分かった気がし、無性にうれしかった。このときの喜びが、研究生活の原動力になったという▲東京農工大学の助教授時代、「先生の研究は農民の役に立たない」と左翼学生に批判された。「それならば」とモンシロチョウの研究を始めた。「こいつらキャベツの害虫だろ。ならば農民の役に立つ」という理屈だが、手がけたのは「オスはいかにメスを探すか」の実験だった。すぐには役立ちそうもない▲役に立つより不思議を追求し続けた生涯だったが、若い研究者には「専門用語でばかり語るな。異分野の人にもオモロイと思わせなきゃだめ」と諭していた▲「費用対効果は?」「削られれば国際競争から脱落する」。科学研究費を巡る攻防は政治判断に委ねられたが、気がかりなのは交わされた言葉の殺伐さ。「研究費の申請で、『オモロイ』と審査員をうならせれば勝ち」と話していた日高さんなら、どう切り返しただろうか。(毎日新聞・09/11/30)

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 科研費の話が出てきましたが、ぼくにも経験がある。いわば税金だから、自分自身では一円も申請しなかった。グループで受けたことは何度かあるが、出したテーマは「オモロイ」という領域にはとても達していなかった。有用か無用か、役に立つか立たないか、利益を産むか産まないか。いまもなお、効率主義とか利益主義などという尺度でしか判断しない風潮は根強い。だから、今あるエネルギー源を使い尽くそうという魂胆が消えないのです。(コロナ禍の状況下でさへ、経済を回すとか回らないとか、人命のかけがえのなさを脇に置いてもなお、こんなことを言っている)「成長」を追っかける背伸びの処世術は誰彼の心の中にまで浸透しきってきた。べつに日高さんにかぎらないが、「無駄の効用」こそが意味を明らかにする時が必ず来る。目先の利害に目がくらまなければ、きっと「無駄の意味」が生きて花が開くのだ。人生もそうです。無駄な人生など、一つもないね。

 花火があがる空の方が町だよ(放哉)

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これからもハガキは金券ショップで

 年賀はがき「自爆営業」 局員、ノルマ1万枚さばけず 【牧内昇平、奥村智司】「年賀状買い取り42円」

 今月1日夕、首都圏の金券ショップに貼られた値札を、両肩にそれぞれリュックサックをかけた30代の男性がみつめていた。リュックには、その日売り出された年賀はがきが、3千枚以上詰まっている。

 男性は、中部地方に住む日本郵便の非正規社員。上司から年賀はがきの販売ノルマをつきつけられていた。配達の合間に客に買ってもらうものだが、売り切れない分は、自費で買い取る。「少しでも自腹の負担を減らしたい」。首都圏の金券ショップは地元より買い取り額が10円近く高い。新幹線を使ってでも持ち込む「価値」がある。/ 2600枚を店員に渡し、10万9200円を受けとった。通常の50円との差額の計約2万円は自費になるが、「しょうがない」。残りは自力で売る覚悟だ。/ 同じ日、長崎県内に住む30代の正社員男性は、4千枚を北海道の金券ショップに宅配便で送った。「足がつかないように」と遠方の店を選んだ。店の買い取り額は1枚40円。4万円の損になる。数年前から毎年4千枚を買い、転売する。職場では1万枚の「目標」が示され、約100人の社員の8割が達成する。「多くが自腹を切るからだ」/ 販売ノルマを達成できず、自費で買い取る行為は「自爆営業」と呼ばれる。ノルマに悩む局員の一部で慣習になっている。買い取ったはがきは、金券ショップやネットオークションで転売している。/ 日本郵便の親会社、日本郵政は2015年に予定する株式上場に向け、コンプライアンス(法令順守)を強化。「自爆営業」については今年度から、金券ショップの見回りなど防止策をとりいれた。だが、状況は変わっていない。

■上司から「給料泥棒」

 【牧内昇平、奥村智司】郵便局員たちを「自爆営業」に駆り立てるのは何か――。厳しいノルマと、上司からの圧力だ。/ 「実績の低い者は給料泥棒だ」「営業やらんかったら、辞めてくれて構わない」。首都圏に年賀はがきを売りに来た中部地方の男性は、来年用の販売の予約受け付けが始まってから毎朝、上司からハッパをかけられた。/ 雇用契約を半年ごとに更新している男性には、「売らなければクビ」と聞こえた。数年前には上司から呼び出されて叱られ、「なんとしても売ります」と誓約書をかかされた経験もある。/ だが、ふだんは配達で精いっぱい。毎年買う客は、古参の社員がすでに予約をとっている。新規開拓で予約をとれたのは1世帯50枚だけ。月収は手取りで16万円ほどで「自爆」の出費は苦しいが、「働き続けるには他に方法がない」。/ 年賀はがきの販売目標は、前年の実績をもとに全国の郵便局に割り振られている。多くの局では、局の目標枚数を社員数で割り、ノルマを設定しているとみられている。

 各地の郵便局員によると今年、埼玉県のある局では配達担当の正社員、非正規社員に7千枚のノルマが課された。奈良県のある局では正社員8千枚、非正規6千枚だった。西日本地区のある局の班長は1万3500枚だった。暑中見舞いはがき(かも(註 鴨)めーる)やギフト商品の物販にも、ノルマが設定されているという。/ 千葉県の非正規社員の40代男性は、毎年1千枚ほどの年賀はがきを自費で買い取る。「ふだんの営業でさばけるのはせいぜい300枚。ノルマの10分の1にもならない」。おおかたは親戚に贈り、残りは使い道がないので自宅に放置している。/ 上司に見つかりたくないので、金券ショップには持ち込まない。「毎冬、定期的に減給されているようなもの」と憤る。/ 福岡県の正社員だった男性(52)はノルマ達成を求められ、うつ病になった。1万枚のノルマに対し、自力で売れるのは4千枚。「心も体もぼろぼろ」。昨春、約30年勤めた郵便局を辞めた。/ 人事評価への影響をちらつかされた人もいる。福岡県の50代男性の非正規社員は昨年、上司から「(ノルマを)達成しないと査定に影響する」と言われた。非正規で働いていた同県の女性(39)は、かもめーるの目標未達成を理由に時給を下げると言われ、退職した。

■収益、年賀はがき頼み

 【伊沢友之】「民営化に向かう過程で自爆営業が広がった」。首都圏の郵便局で20年以上働く正社員男性は話す。年賀はがきのノルマは2000年ごろまで1人1千枚ほど。未達成でも上司から叱られなかった。

 郵政が民営化に向かうここ10年の間にノルマは増え、いまは4千枚に。達成への要求も激しくなり、「自爆しないとノルマが達成できない状況だ」。/ 背景には、年賀はがきのもうけに頼る日本郵便の収益構造があると言われる。年賀はがきの年間売上高は約1500億円。郵便事業全体の1割ほどだが、短期間で大量にさばけ、収益性も高い「ドル箱」だ。ゆうパックなどほかの部門の赤字を、年賀はがきのもうけで埋めてきた。/ だが、年賀はがきの販売枚数は急減。日本郵政グループの職員でつくる労働組合の一つ「郵政産業労働者ユニオン」の日巻直映・中央執行委員長は、「会社は販売枚数を維持したいため、過剰なノルマを課している」とみる。/ 日本郵便広報室は自爆営業の存在は認めたうえで、「販売目標は適切で、達成できない場合の罰則もない」と説明する。/ 自爆営業については今年度から対策に乗り出したばかり。朝日新聞が入手した内部資料によると、「不適正営業の撲滅」などとして、金券ショップの定期的な見回りを実施。転売されたはがきのくじ番号を調べ、転売職員を特定する。また、厳しいノルマがあった場合の「内部通報窓口」の周知を徹底させるという。実効性は未知数だ。/ 親会社の日本郵政首脳は朝日新聞の取材に、「金券ショップに出回るということは、販売のどこかに無理があった。対策を打ったつもりだが残念だ」と答え、追加対策の必要性を示した。 (朝日新聞・13/11/17)

官房長官、総務省に注視要請 年賀はがき「自爆営業」

 官義偉官房長官は18日の記者会見で、販売ノルマをこなせない郵便局員が年賀はがきを自費で買い取る「自爆営業」について「無理なく正常、適切な営業が行われるよう総務省にも注視させたい」と述べた。朝日新聞が17日付朝刊で実態を報じていた。/ 菅氏はさらに「無理な販売促進はあってはならないと(日本郵便の親会社の)日本郵政も認識していると報告は受けている。新聞報道があったので、総務省でしっかり注意してほしい」と語った。(朝日新聞・13/11/18) 

  自腹を切るという言葉はもう死語になったのかしら。「自爆営業」とは人間がする(にさせる)営業ですか。まさしく「特攻隊」です。 

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● 郵政民営化=旧郵政省から継承して日本郵政公社が運営していた郵政三事業(郵便・簡易生命保険・郵便貯金)と窓口サービスを国から民間会社の経営に移行すること。平成17年(2005)に成立した郵政民営化法に基づき、平成19年(2007)10月に実施され、日本郵政グループ5社に分社化された。郵政事業民営化。→日本郵政株式会社 →郵便事業株式会社 →株式会社ゆうちょ銀行 →株式会社かんぽ生命保険 →郵便局株式会社[補説]民営化の見直しに伴い、平成24年(2012)10月に郵便事業株式会社と郵便局株式会社が統合し、日本郵便株式会社となった。(デジタル大辞泉の解説)

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 何のための郵政民営化だったか。今では郵便局(会社)でアメリカの保険会社(アヒル)の保険を売っています。(売らされているというのが正確化)郵貯や簡保の有する資本を開放するためというのが大義名分でした。結果は日本郵便という「大会社」が誕生した(させられた)。

  自爆営業という呼称がすごいですね。こんなことは従来、さかんに励行されていたものです。年賀はがきの売れ残りは焼却処分され、その数が年々増加していると聞き(知り)、年賀状を出さなくなった友人がいました。ぼくも、二十年以上も前からか、年賀状は出さなくなりました。「公社」が嫌いだったこともありますが、面倒が嫌だったからというのが本音でした。郵政の幹部連中は局員(社員)がどのようにして「ノルマ」を果たしているか知悉していました。自分たちもそれをした経験があるからです。ノルマを下っ端に課し、未達成なら、幹部の責任が問われるという「連帯・無責任?」体制で、これまでも、民営化以後も悪臭(悪習)を続けていたことになります。その挙句の「かんぽ不正(詐欺)」事件の発覚です。この実態もひどいもので、まっとうな犯罪事案です。

 三公社五現業(日本国有鉄道・日本専売公社・日本電信電話公社の三公社と、郵政・造幣・印刷・国有林野・アルコール専売の五事業の総称)といわれた時代が長く続き、今ではそのすべてが「民営化(会社化)」されました。官であれ民であれ、不正はなくならないという典型例が、記事になっている(年賀はがき)自腹営業や「かんぽ」不正販売という犯罪行為でもあるのです。「寄らば大樹の陰」とか「親方日の丸」という形容がありますが、要するに、寄って集(たか)って、本体を食い潰すという「シロアリ」軍団を、営々と国家は養ってきたし、今もその延長上にあるという与太話です。その最大の「シロアリ」(シロアリに怒られそうですが、「そんなものは齧らな」と)は現政権(とその与党=与太者)であります。コロナ禍の最中、go to~と、わけのわからない「目玉・悪玉」政策をごり押ししているのも、連中にすれば、朝飯前の野良仕事のようなもの。腹空かし運動で、満腹待望状態を作り出そうという魂胆です。もっと悪いことが現に進行しているんですよ、まちがいなく。 

 ここまでくれば、政治・行政のやっていることは「自爆営業」「不正販売」と同類で、やがて本体は腐敗し崩壊する宿命にあるのでしょう。そこから逃れられるか。「ニホン丸」はすでに喫水線まで余すところなし、いやすでに、それを越えているのです。この船には船長も航海士もいない。ほとんどが後悔士ばかりという情けない事態にある。でもちゃっかり救命具や小型ボートを隠している輩がいるんだから、汚いねえ。

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 ● かんぽ不正、2448人処分 販売資格取り消しなど―日本郵政 「日本郵政グループは30日、かんぽ生命保険の不正販売問題をめぐり、保険業法に基づき、新たに郵便局員ら2448人を処分したと発表した。乗り換え契約に関する社内調査では、6月25日までに計3583件にかかわる2614人の法令・社内規定違反が確認されており、処分者はさらに増える見通し」(jiji.com・2020/06月30日 20:12)

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百舌鳥啼いて身の捨てどころなし

 

 東京都、23日のコロナウイルス新規感染366人で過去最多に 緊急事態宣言解除後の感染者が累計の過半数超える 東京都の小池都知事は23日、都内で新たに366人の新型コロナウイルス陽性者が確認されたと発表した。NHKなど国内メディアが報じた。
陽性者が100人を超えるのはこれで15日連続となる。7月に入って200人を超えるのは10回目となり、7月の合計では4195人と4000人を突破。感染拡大に歯止めがかからない状態だ。
この日確認された陽性者のうち、20代と30代が合わせて232人で全体の63%、40代と50代は74人で20%を占めるているほか、70代が15人、80代が5人、90代が1人と高齢者にも感染が広がっている。また感染経路が不明な人は225人で61%にものぼっている。(ヘッダー写真は都内で。REUTERS/Issei Kato(020年7月23日(木)21時40分 ニューズウィーク日本版ウェブ編集部)

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 何かを言うのはバカバカしくなるほどに、どうしようもないこの島現在の異様頽廃の縮図です。かくいうぼくもまた、その頽廃からは解放されていない。まあ、一蓮托生という語は状況(あるいはぼくの感覚)にフィットしませんが、運命共同体という語感でもうまく合わない、まことにちぐはぐな時代と社会にぼく(たち)は遭遇しているのです。(Live or die, we are prepared to share the same fate.)都会であろうが、山中であろうが、逃げることも投げ出すこともできないままで、with corona で、うまくいけば、after coronaというのでしょうか。いやなこった。「オリンピック中止まで」のカウントダウンでもあり。いっそ、「都内、一日感染者数1000人」までのカウントダウンも並べたらどうです。いのちを守るのはじぶん。悪態でもつきたくなうような、政治行政の退廃・大敗です。

百舌鳥啼いて身の捨てどころなし
どうしようもないわたしが歩いてゐる
すすきのひかりさえぎるものなし 
分け入れば水音
すべつてころんで山がひつそり
(山頭火「草木塔」)

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 無謬史観への加担に…(承前)

 ■衝撃から立ち直る力こそ必要 精神科医・斎藤環さん(朝日新聞記事より)

 俗に「トラウマ漫画」と呼ばれる作品があります、暴力や差別など人間の暗部をテーマにしたり、それを表現するためにあえてショッキングな場面を描いたりして、読者に強烈な印象を残す漫画のことで、「はだしのゲン」もその一つに数えられることがあります。

 私自身、子どもの時に学校で「ゲン」を読んでショックを受けました。原爆投下直後、大やけどを負った人々が、自らの皮膚を垂れ下がらせつつ、さまよい歩く。だが、絵としては漫画的に様式化、抽象化されています。描かれた事実は残酷だが表現は控えめで、一定の配慮がされているとさえ言えます。

 究極の性善説 にもかかわらず、「ゲン」が今になって問題視されるのは、「刺激的な表現は子どもの心に傷を残すから、極力見せるべきではない」という考えが世間で強まっているからでしょう。それと似ているのが「学校現場からいじめをゼロに」という主張です。両者に共通するのは「子どもは純粋無垢(むく)な存在なので、できるだけ悪影響を受けない無菌状態で育てさえすれば、まっすぐ育つ」という、究極の性善説です。

 しかし、現実には子どもたちを「無菌状態」に置くのは不可能だし、決して望ましくもない。いじめについて言えば、学校でいじめを体験せずに社会人になってから初めて直面すれば、より大きなパニックに陥ったり、深く傷ついたりすることもあるでしょう。重要なのは、実態とかけ離れた「いじめゼロ」を目指すことではなく、いじめが起きた時にどう対応し、子どもたちをどうケアするか、という実践的なノウハウを蓄積し、共有することのはずです。

 それと同様に、子どもを刺激的な表現から遠ざけることにばかり心を砕くべきではありません。むしろ、戦争や核兵器に対して本当の恐怖心を持つには、「ゲン」を読んだり原爆資料館を訪れたりして、ある程度のショックを受けることも時には必要ではないか。

 物語が傷癒やす 衝撃的な体験がトラウマになってしまうのは、見聞きしたことを「わけの分からない怖いもの」と認識してしまうからです。現在のトラウマ治療では、衝撃的な体験について「実は、これこれこういうものだ」と解釈・説明し、本人が納得できる物語を与えることが、傷を癒やし、精神的成長を促すことにもつながる、という考えが主流です。刺激的な表現から守ろうとするだけでは、子どもの成長の機会を奪いかねません。

 「ゲン」についても、子どもたちの関心が高まっている今こそ、学校で積極的に教材として取り上げて欲しい。「ゲン」には、物理学者のアインシュタインが積極的に原爆開発に加担したかのように描くなど、事実と違う部分もあります。「この漫画には偏りもあるが、全体としてはこんなメッセージがある」と教師自身が解釈・説明し、読み方を教えればいい。

 ただし「事実を説明する物語を与える」ということは本質的に主観的な行為であり、「事実関係をありのままに伝える」という表面上の客観性とは両立しません。トラウマを乗り越えられるほど説得力のある物語をつくるには、自らの価値観に基づいて事実を取捨選択したり、特定の事実を強調したりすることが不可欠だからです。客観的な情報や両論併記が増えるほど、何を言いたいのかよく分からなくなり、物語としては破綻(はたん)せざるを得ない。

 現代は主観的であることが難しい時代です。微妙な問題について何の留保もなく意見を表明すると、すぐにネットなどでたたかれる。先の戦争をどう考えるか、という問題はその典型です。松江市教育委員会が「ゲン」の閲覧を制限した主な理由も、旧日本軍の兵士が中国人男性の首を切り落とす場面などがあったことでした。実際に「ゲン」を学校で教えようとしても、周囲からの反発は避けられないでしょう。

 だが、大人が保身のため中立的であろうとするあまり、子どもたちに物語を与えるのをさぼってはいけない。人が衝撃から自力で立ち直れるようになるには、自らの経験を物語として再構成する力を身につけることこそが、必要だからです。(聞き手・太田啓之)

 さいとうたまき 61年生まれ。筑波大学教授。専門は引きこもりなど思春期・青年期の精神病理学。近著に「世界が土曜の夜の夢なら」「原発依存の精神構造」。(朝日新聞・13/09/21)

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 「はだしのゲン」問題は一件落着したかにみえますが、問題の根っこは断たれていないと思います。ある立場の人(びと)が、「これはよくない本だ、(映画だ、教科書だ)」と強面でいえば、きっとそれは「よくない本」になってしまうという、世間に吹く風は空恐ろしい。この厄介な風はいつでもも吹き荒れるのです。「この教科書はわれわれ(教委)と意見が違う」、だから採用してはならないと教委の誰かが言えば(教委の後ろに誰かが、またその後ろに誰かが、じつはただの影あったりします)、それが全体の意向になってしまう。それはおかしいと異議を唱える余裕を失ってしまった社会(集団)は、きっとさらに進んで異論を許さない方向に走るはずです。異論の排除から進んで、異質の存在排除に向かうのは容易に想像できます。

 おかしいからおかしいと、ぼくはそれには「こういう理由で賛成しない」という手間を省かない選択もまた、ぼくたちには必要な態度であると言いたい。異論を述べるのもまた、ひとつの紛れもない人間の自由であり、権利であるということを、この「はだしのゲン」の場合を糧として学びたいと強く思います。でかい声がなし遂げようとするのは、いわば無謬史観とでもいうような、荒唐無稽な歴史観への遁走であり、自主規制する行政の措置は間違い何し、その過ちに加担することになるのです。

 対象が何であれ、それを表現する自由は認められなければならない。そのうえで、「私はこの作品は(あまり、あるいはまったく)評価しない」という姿勢もあるはずです。「民主主義」ということばを出す必要もないのですが、「ぼくはあなたと意見を異にする、しかしあなたの意見は理解できる」という具合に互いを認める態度もまた、ぼく(たち)には大いに欠けているのだと、これまでの生活からしみじみ学んできました。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、それは「その人を憎むあまり、その人に関係のあるものすべてが憎くなるというたとえ」(デジタル大辞泉)だそうです。こんな表現でもいわれています。Love me, love my dog. 「はい」という人もいるでしょうが、「いやそれは、犬アレルギーだから」と御免被る人がいてもおかしくない。全肯定も全否定も、いかにも了見が狭いという気もするのです。ああも言えるし、こうも言えるという「揺らぎ」「ゆとり」も生きる中では水や空気のように不可欠なマインドじゃないですか。

 「風靡する」というのは、とても望ましいようでも、やがて見向きもされなくなることは往々にして起こり得ます。誰が言ったにしろ、「あんなものは締め出せ」という強風、いや暴風はやがて止む、必ず止みます。いったいどういう「風」だったのかとすっかり忘れてしまいがちです。「のど元過ぎれば、熱さを忘れる」といい、「羹(あつもの)に懲りて、膾(なます)を吹く」という事態に終わるのかもしれません。滑稽でもあるでしょう。ぼくは、「のど元で感じた感覚」を忘れたくない。

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