彼は人間界の同胞ではないのか?

米ウィスコンシン州の都市ケノーシャで23日夕、警官が黒人男性ジェイコブ・ブレークさんに発砲した。WGN News / YouTube
米ウィスコンシン州、警官が黒人男性に発砲し重体 抗議活動で外出禁止令2020年8月24日(月)19時05分(Newsweek日本版)
米ウィスコンシン州ケノーシャで、警官がジェイコブ・ブレークさんを銃撃した事件に抗議する人々(2020年8月24日撮影)。(c)KAMIL KRZACZYNSKI / AFP  【8月25日 AFP】米ウィスコンシン州ケノーシャ(Kenosha)で23日、黒人男性が背後から警官2人に撃たれ、重体となった。警官らは、男性の子どもたちの目の前で7回発砲した。この銃撃の様子を映した動画がSNSで拡散し、全米各地で激しい非難の声が上がっている。
複数の目撃者によれば、撃たれたジェイコブ・ブレーク(Jacob Blake)さん(29)は、近くで起きていたけんかを止めようとしたという。動画にはその後、自分の車の運転席に乗り込もうとしたブレークさんが、警官2人に背後から至近距離で7回撃たれる様子が捉えられている。(以下略)(2020年8月25日 11:03 発信地:ワシントンD.C./米国 [ 米国 北米 ])

+++++++++++++++++++++++

 言葉が出ない。なんということなのか。今なお、人を人として「認めない」「認めたくない」「認められない」、そんな人たちが「公職(civil servant)」についているのです。アメリカは何と野蛮かと、言うのではありません。いずこにおいてもかかる蛮行が止まないどころか、あるいは促されているのかもしれないのです。詳細な事情は不明ですが、何が起こったかは明白です。おそらく、今は近年にない「暴力(礼賛)(肯定)の時代」だといえます。人民を敵視する政治(家)の時代でもあります。全体主義や専制政治、あるいは独裁体制が、歴史の流れに逆らって、遡上している時代だとも言えます。新たな冷戦がまことしやかに叫ばれているとき、事態はさらに悪化しているといわなければならない。かかる時代、いかにしてわれわれは抗暴力の姿勢を生み出せるか、それが激しく問われています。 

_______________________

教育は、それ自体では生きた…

 《 つまらない書物というのはないが、つまらな読書というのはある。どんな書物でも、それを経験から知識にしてゆくのは読者の仕事であって、書物のせいなどではないからである。

 同じように、つまらない教育者というのはないが、つまらない生徒というのはある。たとえ教師にソクラテスの英知とペスタロッチの手腕が兼備されていたとしても、生徒がうたた寝ばかりしていたとしたら、そこには「関係」は生まれて来ないだろう。教育の主体はあくまでも教師の人格や、テキストの問題で論じられるべきではなく、生徒との「関係」として、ドラマツルギーとして論じられるべきである。

 北国の田の中の、一本の電柱にはられているビラ。その中に指名手配されている強盗殺人犯が(たとえマサカリで親を殺した極悪犯だとしても)、ときには教育者として、受けとられることもあり得る。生徒は陰惨な事件を通して、「家」の封建制がもたらす近親憎悪について学び、それを自分の日常生活に照応することで、教科書の一ページよりも濃く人生の本質を「読む」ことができるからである。

 教育は与えるものではなく、受けとるものである、と思えば、人生いたるところに学校ありで、ゲームセンターにも競馬場にも、映画のスクリーンの中にも、歌謡曲の一節にも、教育者は、いるのである。だから、実生活に引用可能の知識を与えることで「体験のスペクトルを分析する」(W・ベンヤミン)教育は、それ自体では生きたものではないのであって、むしろそれらを生かしてゆこうとする生命力や好奇心は、野菜や肉によってつちかわれてゆくのだとさえ言うことができるだろう。私は、すぐれた教育技術者によって人間が作られてゆくという発想からは遠く離れて教育を考えている。よき対話者としての父もなければ、鑑とするだけの教師ともめぐりあわなかった。》(寺山修司)

  \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

 一読、いかにも気をてらっているような雰囲気を漂わせているのですが、なかなか韜晦な文章でもあると、ぼくは読んでいます。わかりやすいなあと思わせながら、どっこいそんなんじゃないよという、寺山氏の語り口が聞こえてきそうです。どんな書物からでも学べるし、どんな人からも教えられる。要するに、それを受け止める側の問題であるというのです。感受性といってもいいでしょう。誰でも、他者の教師にはなれるのだ。

 生徒との関係として、教育(者)はとらえられなければならない、つまりは「ドラマツルギー」にこそ、教育の奥義があるのだという指摘に、その通りと膝を叩いてしまいます。かなり前に寺山さんを紹介しておきましたが、「すぐれた教育技術者によって人間が作られてゆく」という発想から離れたところから「教育」を考えるというところにも、ぼくは胸襟を開きたくなるような確信と核心と革新があるように思ったりしているのです。(何度かすれ違った気もしている寺山さん、彼が没して(1983年)、すでに四十年近くになるんですね)

〇寺山修司=詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田(わせだ)大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男(くさたお)らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎(しゅんたろう)の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩(しのだまさひろ)監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷(さじき)」を組織して旺盛(おうせい)な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。歌集に『空には本』(1958)、『血と麦』(1962)、放送の分野では『山姥(やまうば)』(1964。イタリア賞受賞)、『犬神の女』(1965。久保田万太郎賞受賞)、舞台の代表作に『青森県のせむし男』『毛皮のマリー』(ともに1967)、市街劇『人力飛行機ソロモン』(1970)、市街劇『ノック』(1975)、『奴婢訓(ぬひくん)』(1978)、映画監督作品に『田園に死す』(1974)など。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。[大笹吉雄](日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

________________

世の中は新陳代謝、死も亦社会奉仕

死も亦社会奉仕 山県有朋公は、去一日、八十五歳で、亡くなられた。先きに大隈侯を喪い、今又公を送る。維新の元勲の斯くて次第に去り行くは、寂しくも感ぜられる。併し先日大隈侯逝去の場合にも述べたが如く世の中は新陳代謝だ。急激にはあらず、而かも絶えざる、停滞せざる新陳代謝があって、初めて社会は健全な発達をする。人は適当の時期に去り行くのも、亦一の意義ある社会奉仕でなければならぬ。

 山公の操れる糸 殊に山県公は、大隈侯と違い、最後まで政治的に大なる力を振っていた。公よりすれば、それは国家を憂うる至誠の結果であったこと疑いない。当時も申述べたと記憶するが、かの宮中の某重大事件と称せらるるものの如きは、公は全く皇室を思い、国を思いてしたことと確信する。のみならず、其考えに、吾輩から見るに、決して間違ったものではなかった。併し如何に至誠から出で、如何に考えは正しくも、一人の者が、久しきに亙って絶大の権力を占むれば、弊害が出る。表面に踊る人形は変化するも、操る者が一人なれば、自然、踊りに新味は出ない。我政治が、とかく一定の範囲をぐるぐる回って、飛躍し得ざりし所以のものは、勿論種々の原因もあろうが、山公の引く糸に制限せられた為に由る所大なるを疑わない。引く人の意志に罪無くも、糸そのものに自然の弊害が伴った。(「小評論」大正十一年二月十一日)

***

 このように述べて、「山公の死は、此意味に於て我政界に一大転機を画すものである」と結論付ける。さらに「山公国葬反対」を述べていきます。その部分はいずれ機会を見て。

〇宮中某重大事件=1920年から21年にかけておこった皇太子迪宮裕仁(みちのみやひろひと)親王(昭和天皇)の妃決定をめぐる紛糾事件。1918年春,島津忠義の孫で久邇宮(くにのみや)邦彦王の長女良子(ながこ)が皇太子妃に内定し,翌年6月に正式の婚約が成立した。しかし元老山県有朋は,良子の母系の島津家に色盲遺伝があるとして,この婚約に反対を唱えた。山県は首相原敬と相談して,専門医師の調査書をもとに元老西園寺公望らとも協議の末,久邇宮家にやんわりと辞退を迫った。(世界大百科事典 第2版の解説)

________________________________________

我政界を爾来見る如き無道、無…

1956年の総裁公選における石橋湛山(72)、岸信介(60)、石井光次郎(67)

 昭和五年十一月、時の総理大臣・浜口雄幸が襲撃され、翌年八月に死去した際、石橋湛山は一文を認めます。

「浜口首相の遭難後、首相は意識を回復せられた際に、辞意を決し、辞表を捧呈すべきであった。然るに、之を為さず、偸安姑息を貪った為に、遂に、この大国難の際に、我政界を爾来見る如き無道、無議会の状態に陥れた。其の第一責任者は、何と云っても遭難直後に於て、挙措を誤った浜口首相に帰せねばならぬ。浜口氏の遭難は同情に堪えぬが、無道、無議会に陥れた罪悪に至っては、死後尚お鞭たるべき罪悪と云わねばなるまい」(「近来の世相ただ事ならず」(「東洋経済新報」昭和六年四月十八日号)

 翻って、湛山氏の辞任(辞職)について、大方は潔いという評価が下っていますが、それに異を唱える向きもあります。布施辰治弁護士のことを思い出します。(彼は金子ふみ子の弁護を引き受けた人でもあります)「潔く辞めたというが、無責任である。あろうことか、多大の協力をした石井光次郎ではなく、A級戦犯だった岸信介にバトンを渡すとはどういうことだ。ために国を誤ったではないか」という趣旨でした。僅か六十数日の「総理大臣」でした。無責任といわれるのも首肯できます。

 進退はむずかしいものです。なるときよりも辞めるときの方に「人物」がきっと出ます。何事によらず、長ければいいというものではありません。おのれのためにと、独尊大将が頑張れば、多くが迷惑を被る。

======

〇石橋湛山=経済評論家、政治家。東京生まれ。早稲田(わせだ)大学文学部哲学科を卒業後、1911年(明治44)東洋経済新報社に入り、編集局長を経て1941年(昭和16)社長。東洋経済新報社は自由主義を編集の基本に据えていたため、社説を担当していた石橋もその立場から満州事変や五・一五事件を厳しく批判し、政府の軍国主義政策に反対した。第二次世界大戦前・戦中の石橋の主要な活動舞台は経済評論であった。井上準之助(いのうえじゅんのすけ)の財政緊縮政策に対して積極財政論を展開した「金解禁論争」は有名。戦後、自由党に入り、1946年(昭和21)総選挙に出馬したが落選。第一次吉田茂内閣の蔵相に就任し、生産復興第一主義を中心とした積極財政によってインフレ政策を推進。1947年衆院選で当選(静岡2区)したが公職追放となる。1951年の追放解除後、自由党に復帰するが、岸信介(きしのぶすけ)らと反吉田の新党運動をおこし除名され、1954年鳩山一郎(はとやまいちろう)総裁の日本民主党結成に参画し同党最高委員。同年吉田内閣退陣後、鳩山内閣で通産相。保守合同(自由民主党成立)の翌1956年12月鳩山後継総裁選挙で岸信介と争い総裁となり、石橋内閣を組閣。しかし肺炎のため十分に政策実施を行わないまま翌1957年2月わずか3か月で総辞職した。その後、中国、ソ連を訪問し、日ソ協会会長に就任するなど共産主義諸国との交流促進に活躍した。昭和48年4月25日死去、88歳。[荒 敬](日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

〇浜口雄幸=1870-1931 大正-昭和時代前期の政治家。
明治3年4月1日生まれ。大蔵省から政界に転じ,大正2年立憲同志会に入党,4年衆議院議員(当選6回)。蔵相,内相をへて,昭和2年民政党の総裁となり,4年首相。緊縮政策と金解禁を断行したが,ロンドン海軍軍縮条約調印が,統帥権(とうすいけん)干犯として野党や軍部に攻撃された。5年11月14日東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され,6年8月26日死去。62歳。土佐(高知県)出身。帝国大学卒。旧姓は水口。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

________________________________

大義名分よりも気分が大切である

 私の両親は、昔の尋常小学校しか出ておらず、文字もまともに読み書きできなかった。両親は自らの無教養さを正当化するためか、私に「勉強でけへんかってもええ、体さえ丈夫やったらゆうことないわ」と、あまり勉強を強制しなかった。だから、私はそのことをいいことにして、絵ばかり描いていた。

 いつの間にか、絵描きになる夢を抱いていた私を、父親は芸人と同様に、極道者がなる職業だと決めつけながらも、この事は絶対口にせず、半ばあきらめと、この種の職業にあこがれもあったのだろう、私を絵の世界に進ませようと決心していたようだ。だから父は、学校の成績が悪くても、絵描きには算数や国語ができなくてもいい、という風に、私にとっても自分達にとっても都合のいいようにいってくれた。父と私との連帯は、ますます学校教育と断絶していった。

 私は絵を描くという創造行為により想像力を養うことができたので、たとえ数学ができなくても、アイデア一つで一流の商売人になる自信もあるし、国語が弱かったお陰で、言語に代る視覚面が得意になり、時には言語以上のことを視覚で表現する術も学んだのではあるまいかと、少々うぬぼれてみることもある。(横尾忠則)

〇1936年兵庫県生まれ。美術家。1969年パリ青年ビエンナーレ展版画部門でグランプリを受賞し、1972年にニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ベネチア、サンパウロ、バングラデシュほか各国のビエンナーレに出品するなど国際的に活躍。1997年兵庫県立近代美術館、神奈川県立近代美術館、2001年富山県立近代美術館、原美術館、2002年東京都現代美術館、広島市現代美術館、2003年京都国立近代美術館、2005年熊本市現代美術館、2006年カルティエ現代美術財団(パリ)、2008年世田谷美術館、兵庫県立美術館、フリードマン・ベンダ・ギャラリー(ニューヨーク)など国内外の美術館で個展を開催。1995年毎日芸術賞、2000年ニューヨークADC Hall of Fame受賞。2001年紫綬褒章受章。2006年日本文化デザイン大賞受賞など多数。また小説『ぶるうらんど』では2008年度泉鏡花文学賞を受賞した。主な作品集・著書に、『インドヘ』、『コブナ少年』(ともに文春文庫)、小説『ぶるうらんど』、『人工庭園』(ともに文藝春秋)、『温泉主義』(新潮社)、『隠居宣言』(平凡社新書)、『Y字路』(東方出版)、“Tadanori Yokoo:Tokyo,December 2005”(Thames&Hudson)。(新潮社編)

????????????????????????????????????????

もともとぼくには人と競争したいとか、
大成したいとか、
郷里に錦を飾りたいとか、
そういう気持ちはあんまりありません。
成功したいと思ったおかげで
うまく結果が出たように思ってる人が
いると思うけど、
ぼくもゼロではないですよ。
でも、いちばんなりたかったのは
郵便屋さんですから、
成功欲など必要ないしね。(横尾)

**************************************************************

 横尾さんという人は実に正直な方だと思います。自分に正直というのが一番ぼくには好ましい傾向なんです。若いころに横尾さんは突っ張っているというか、背伸びしているという雰囲気を感じたのですが、ぼくの間違いだったかも。あるいは「小心」な人だったのかもわかりません。(「アホになる修行の極意」より)

昔、雑誌に載せたいと言われて、
小学校の通信簿を取り寄せたことがあります。
先生が保護者に対して、
コメントをする欄があったんだけど、
そのコメントが、1年生から6年生まで、
いっさい変わってなかったの。


担任の先生は年によって変わるのに、
コメントがぜんぜん変わらない。
1年生の先生の書いたものを2年生の先生が
めんどくさいからうつしたのかもわかんない。
でも、6年生まで先生は
ほぼ同じことを言ってるわけ。
「これはこの子の短所だから直してほしい」
という注文です。

「人にちょっかい出す」
「キョロキョロ横見をする」
「幼児語が抜けない」
「わがまま」
もうひとつは
「優柔不断」

___________________________________________________

学校は司法権力を行使している

「よく手を洗ったかどうか、先生は監視していますから、手を抜かないでね」手洗いソングまであるそうです。

 「どうして学校ではただ読み書きを習うだけでなく、人々に手を洗わせるのでしょう」 

 「学校システムはまた、一から十まである種の司法権力を基盤にしています。そこではいつでも、罰し、誉め、評価し、分類し、誰が一番だとか、誰が一番駄目だとか言うのです。したがってそれは、司法権力を引き写した―その一般的役割を考慮しなければかなり恣意的な―司法権力です。なぜ、誰かに何かを教えるのに、罰したり誉めたりしなければならないのでしょう。このシステムは自明のように見えますが、よく考えてみればその自明性消えてしまいます」                                 (ミシェル・フーコー「真理と裁判形態」) 

 学校ってなんだろう?

 いつもこんな疑問をいだいてきました。みなさんはどうですか。学校にはいろいろな役割・取り決めがあります。だから、たった一つの視点からながめて、それに批判を加えるのは賢明じゃないことはわかります。でも、フーコーもいうように学校というシステムの自明性は、じつは自明でもなんでもないということを知ることは大切じゃないかな。つまりそれは、「我々の日常茶飯事の行動を、我々がその意識を持たないままに規定している暗黙のシステムを理解する(受け入れる)」ことなんですね。だから、なんのための学校なのかって。 

 いろいろな人が、学校や教師の役割について、いろいろな表現をして説明(解説・批判)しています。このブログの最初の頃に紹介したジョン・ホルトは「教師は一人三役」で、裁判官・審判・監督を演じているといいました。なんとも絶大な力が付与されています。これはだれが許したのか、フーコーの説によれば、その権力は司法権力であり、どの子ができたりできなかったり、善人か悪人か、賞罰の授与権限さえ付与されているのです。多くの教師は自覚はあるのかないのか、その有無にかかわらず、宿題を出す、出来の良し悪しを判定する、いい子と悪い子を区別(選別)する権限を勝手に(当然のように)行使するのです。それで何の疑問を持たない。自身も子ども(親も)、ね。

 それはおかしいねといえば、たちまち教師の魔力は消されてしまいます。成績や教師の評価を意に介しない生徒(子ども)には、教師はほとんどなすすべを持たないのがその証拠です。つくづく不思議な権力だと、ぼくには思われるのです。若いころにある校長さんが「実力のない教師ほど、宿題を出す」といいまして、ぼくはいたく感激したことを今もよく覚えています。九回で負けそうだから、もう一回と要求する野球チームのようでもあります。ルール違反じゃないか、というのですが、では教師はどんなルールに違反しているのか。

________________________________________