生活こそが人間をつくるのだ

   山芋      大関松三郎
 
 しんくしてほった土のそこから
 大きな山芋をほじくりだす
 でてくる でてくる
 でっこい山芋
 でこでこと太った指のあいだに
 しっかりと 土をにぎって
 どっしりと 重たい山芋
 おお こうやって もってみると
 どれもこれも みんな百姓の手だ
 土だらけで まっくろけ
 ふしくれだって ひげもくじゃ
 ぶきようでも ちからのいっぱいこもった手
 これは まちがいない百姓の手だ
 つあつあの手 そっくりの山芋だ
 おれの手も こんなになるのかなあ

 《一九三八(昭和十三)年、日中戦争がだんだん大きくなり、国民あげて戦争に熱中していたときに小学六年生が作った詩。驚くべきことだ。

 「松三郎の目の鋭さは六年生になってぐっと肥え、力をつけました。その目は百姓の生活と、その暗い運命にむけられていった。それはまぎれもない自分の生活であり、運命だったのだ。貧しい者ほど、成長の準備期間は短い。それは下等動物や昆虫のように、短い時間に一人前の力をもたねばならないからだ。人間の場合は、くらしがそれを追いたてている。生活こそ人間を作るのだ。『山芋』の詩は、そういう生活の中から生まれてきた」と、寒川は指導記録で書いている」(佐藤国雄『「山びこ」「山芋」―人間教育の昭和史』)

  寒川道夫。1909(明治42)年、新津市で生まれる。両親は小学校教師。長岡中卒業後、代用教員。その後、高田師範卒。一之貝小学校に赴任。すぐに黒条小に転勤。1931年9月のことでした。転勤は校長の画策だといいます。《寒川道夫は黒条小学校にきて、最初は五年生の担任だったが、教科書が『サクラ読本』にかわったその年の新学期から一年生の担任になった。「だれの手にもそまらないうちに君の手で育ててもらいたい」と校長はいった。その子らを六年生まで持ち上がり、その1人に大関松三郎がいた》(佐藤・同上)  大関松三郎は1926(大正6)年、古志郡黒条村下下条に小作農大関仁平次の三男として生まれる。10人兄弟。黒条尋常小学校で寒川道夫に出逢う。1941年、新潟鉄道教習所に入所。卒業後は機関助手になる。その後に海軍志願。1944年、南支那海で魚雷攻撃を受けて戦死。1951年、寒川は松三郎の詩を集め、詩集『山芋』として出版。

  虫けら              大関松三郎
 
 一くわ
 どしんとおろして ひっくりかえした土の中から
 もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる
 土の中にかくれて
 あんきにくらしていた虫けらが
 おれの一くわで たちまちおおさわぎだ
 おまえは くそ虫といわれ
 おまえは みみずといわれ
 おまえは へっこき虫といわれ
 おまえは げじげじといわれ
 おまえは ありごといわれ
 おまえらは 虫けらといわれ
 おれは 人間といわれ
 おれは 百姓といわれ
 おれは くわをもって 土をたがやさねばならん
 おれは おまえたちのうちをこわさねばならん
 おれは おまえたちの 大将でもないし、敵でもないが
 おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする
 おれは こまった
 おれは くわをたてて考える
 
 だが虫けらよ
 
 やっぱりおれは土をたがやさんばならんでや
 おまえらを けちらかしていかんばならんでや
 なあ
 虫けらや 虫けらや

 「センチメンタリズムの一かけらもない現実的なきびしい思考は、これまでの感傷的な田園詩人たちの頭には到底宿り得なかった質のものだ。生活感情の中に、よほどの抵抗がなければ、こういう論理が抒情として生かされる筈がない。童心の詩ではない」(小野十三郎)

 以前に紹介した「山びこ」の時代と前後します。教師の寒川道夫さんは後に(戦後)、無著成恭さんと、東京で出会います。明星学園で、でした。二人の関係は学校経営者として、現場の教師としていずれも互いに意識しながら、実践を重ねていきます。この時期(戦前・戦中)、寒川さんは新潟において、生活綴り方教育の一方の旗手として、重要な役割を果たしていました。また、そのことが「治安維持法違反」という犯罪につながる道を歩いていたことになります。(この項は続きます)

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重篤な副反応が発生することも…

 新型コロナワクチン接種後の副作用 損害を国が肩代わりへ

 新型コロナウイルスのワクチンを巡り、政府はワクチン接種後に副作用で健康被害が起きた場合、企業が支払う損害賠償金を国が肩代わりする仕組みを設ける方針を固めた。国民が幅広く接種できるワクチンを早急に確保するため、海外の製薬会社が日本に供給しやすい環境を整えるのが狙い。政府は関連法案を次期国会に提出する方針。/ 新型コロナのワクチンは国内外で開発が進められているが、実用化後に多くの人が接種すれば、健康被害を訴える人が出る恐れがある。訴訟になった場合、損害賠償金が巨額になる可能性もあるため、製薬会社からは国が肩代わりするよう求める声が出ていたという。

 こうした損失補償規定は現行法にないため、政府は予防接種法を改正して対応する方針。/ 2009年に新型インフルエンザが流行した際にも特別措置法を立法して損失補償の仕組みを作っている。11年には予防接種法を改正して同様の規定を設けたが、5年間の時限措置で、16年に失効している。(東京新聞・2020年8月22日)

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 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は21日、ワクチンの供給が始まった場合、重症化リスクの高い高齢者や基礎疾患のある人、医療従事者を優先的に接種させるべきだという提言をまとめた。救急隊員や保健所職員、妊婦を含めるかはさらに議論する。(藤川大樹) 

新型コロナウイルス感染症対策分科会に出席した(前列左から)加藤厚労相、尾身茂会長、西村経済再生相=21日午前、東京都千代田区で

 同時に、世界で開発が進められているワクチンについて「安全性および有効性の両面で理想的なワクチンが開発される保証はない。(新しい技術が使われており)重篤な副反応が発生することもあり得る」という内容を提言に盛り込んだ。 尾身茂会長はこの日の記者会見で、「(国民の)ワクチンへの期待度が高い一方、感染予防や重症化予防などの効果が全部あるかわからず、ギャップがある」と述べた。完成したワクチンで、重症化を抑えられても、発症を完全に抑えられない可能性もあるという。過度な期待を持たせることなく、丁寧な説明をしていく必要性を説いた。 日本政府は7月末、米ファイザーがワクチン開発に成功した場合、来年6月末までに6000万人分の供給を受けることで基本合意した。8月7日には、英アストラゼネカと1億2000万回分の確保で基本合意し、うち3000万回分は来年3月までに供給を受ける計画になっている。(東京新聞・2020年8月22日)

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 タミフルというA型B型インフルエンザワクチンとして開発されました。この薬を扱っている製薬会社の「しおり」に以下のような記載があります。「異常行動」を発する患者が続出しています。今回の薬(ワクチン)にも同様の事態が生じることを予断しています。製薬会社に免責を与えることも奇怪な話です。モルモット(実験台)にされるようなことがまた起こることは断じて防がなければならない。ワクチン開発の難しさはこれまで散散に指摘されてきましたし、製造されたワクチンにも大きな危険性が伴ったことがこれまでにいくつもあった。これを「利権」ととらえる政治問題にしてはならないはずです。(タミフル製造量の75%をこの島が買ったといいます、いや買わされたのです。武器の「強制買取」と同日の談です)(いまでもなお、認可された薬で重篤な「副作用」に苦しんでいる人は数えられないほどいます)

生活上の注意
抗インフルエンザウイルス薬の服用の有無または種類にかかわらず、インフルエンザにかかった時は、異常行動を発現した例が報告されています。異常行動による転落などの万が一の事故を防止するために以下の点について注意してください。
−異常行動(急に走り出す、徘徊するなど)の発現のおそれがあること。
−自宅において療養を行う場合、少なくとも発熱から2日間、保護者の方は転落などの事故に対する防止対策を行ってください。
なお転落などの事故に至るおそれのある重度の異常行動については、就学以降の小児・未成年者の男性で報告が多いこと、発熱から2日間以内に発現することが多いこと、が知られています。
この薬を使ったあと気をつけていただくこと(副作用)
主な副作用として、下痢、腹痛、悪心などが報告されています。このような症状に気づいたら、担当の医師または薬剤師に相談してください。
下記のような症状があらわれ、[ ]内に示した副作用の初期症状である可能性があります。
このような場合には、使用をやめて、すぐに医師の診療を受けてください。
冷汗が出る、ふらつき、めまい、顔面蒼白、喉のかゆみ、動悸、息苦しい、手足が冷たくなる、全身のかゆみ、じんま疹、意識の消失[ショック、アナフィラキシー]
発熱、咳、痰、息切れ、息苦しい[肺炎]
疲れやすい、体がだるい、力が入らない、急な意識の低下、白目が黄色くなる、血を吐く、吐き気、皮膚が黄色くなる、体がかゆくなる、急激に体重が増える、尿の色が濃くなる、お腹が張る、食欲不振、便に血が混じる(鮮紅色〜暗赤色または黒色)[劇症肝炎、肝機能障害、黄疸]
発熱、目の充血やただれ、唇や口内のただれ、円形の斑の辺縁部にむくみによる環状の隆起を伴ったものが多発する、皮膚が広い範囲で赤くなり、破れやすい水ぶくれが多発、粘膜のただれ[皮膚粘膜眼症候群(Stevens-Johnson症候群)、中毒性表皮壊死融解症(Toxic Epidermal Necrolysis:TEN)]
尿量が減る、むくみ、体がだるい[急性腎障害]
突然の高熱、寒気、喉の痛み[白血球減少]
鼻血、歯ぐきの出血、あおあざができる、出血が止まりにくい[血小板減少]
意識の低下、考えがまとまらない、判断力の低下、実際にはない物が見えたり聞こえたりするように感じる、根拠のない思い込み、非現実的なことを強く確信する、けいれん、普段と違うとっぴな行動をとる、異常行動、急に走り出す、徘徊する[精神・神経症状(意識障害、譫妄、幻覚、妄想、痙攣等)、異常行動]
発熱、ふらつき、息切れ、急激な腹痛、激しい腹痛、血が混ざった下痢[出血性大腸炎、虚血性大腸炎]
以上の副作用はすべてを記載したものではありません。上記以外でも気になる症状が出た場合は、医師または薬剤師に相談してください。(https://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=3643

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愉快犯なのか、それとも確信犯か

Jun Tsuboike / HuffPost Japan提訴について記者会見する弁護士ら ↑(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f3c7af3c5b61551404e9b15?ncid=other_trending_qeesnbnu0l8&utm_campaign=trending
ジャーナリストの伊藤詩織さんは8月20日、Twitterで伊藤さんを誹謗中傷する複数の投稿に「いいね」を押したとして、自民党の杉田水脈衆院議員に220万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。/ 伊藤さんが自身に対する中傷ツイートをめぐって提訴するのは、漫画家のはすみとしこさんらを訴えた6月に続いて2度目。/ 訴状によると、杉田議員は2018年6〜7月、元TBS記者の山口敬之さんから性行為を強要されたという伊藤さんの訴えについて、「枕営業の失敗」「日本を貶めている」「カネを掴まされた工作員」などと誹謗中傷した13件の投稿に「いいね」を押したとしている。/ さらに、伊藤さんを擁護するツイートをした人物に対して「キチガイ」「屑野郎」などとバッシングする12件の投稿にも「いいね」を押したとして、杉田議員が「袋だたきを賞賛しているように映る」と指摘。/ 杉田議員の公式Twitterは当時で約11万のフォロワー(現在は18.3万)がいたといい、誹謗中傷ツイートに好感を表明する「いいね」を押したことは、名誉感情侵害行為にあたるとしている。/ また、元東大准教授の大澤昇平さんに対しても、6月の提訴後に伊藤さんを「偽名」だと虚偽の内容で中傷する投稿を行ったなどとして、慰謝料110万円と投稿の削除を求めて同日提訴した。/ 杉田議員の事務所は今回の提訴に関するハフポストの問い合わせに対して「訴状が届いておりませんので、コメントはいたしかねます」と回答した。/ 大澤さんも「訴状が届いていないため、コメントを差し控えます」と回答した。(中村 かさね (Kasane Nakamura)生田綾)(HUFFPOST/2020年08月20日 13時00分 )

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 言いようのない感情に襲われています。いかなる発言も、表現の自由という観点からは認められるという建前があっても、それには範囲とか限界というものがあります。「誹謗中傷」「名誉棄損」に明らかに当たるようなものは、表現の自由という以上に、人権の侵害に当てはまるという点で、認められないと、ぼくは考えています。伊藤詩織さんの遭遇した「事件」は、いわくつきの不可思議な経緯で立件も起訴もなされませんでした。そのために、刑事事件ではなく民事事件での裁判を伊藤さんは行ったのです。(一審では被告は有罪、ただ今控訴中)

 この女性国会議員は、またいわくつきの人物でもあります。詳細は省きますが、これまでにしばしば物議をかもしてきました。そのこと自体が議員の仕事だと錯覚していると思われますし、それを支持したり応援する仲間がいるのだから、自己反省に及ぶことができないのかもしれません。こんな行為に走るのはなぜか。ぼくの理解を越えている。彼女たちは愉快犯なのでしょうか、それとも正義感からの行動なんでしょうか。人を傷つける「正義」もなければ、人の不幸や悲しみを笑いあざけるという「自由」もないはずですね。

 「中傷ツイート」はすでに、元のツイートと同罪の悪質性があるとも思えます。これを放置すればどうなるか。cancel cultureと同様、ネット時代の狂暴な武器ともなっているのです。物事には必ず両面性があります。したがって、」わるい面を強調して、それを法的に規制すればいいという問題ではないでしょう。またどんなに厳格に法規制をしても、きっと違法行為に走る人間は出てきます。それを防ぐにはどうするのか。人間の良心に訴えるというのも間違いではありませんが、「百年河清を俟つ」という暢気さ、やる気のなさが生まれます。時間がかかるけれども、また個人の犠牲を伴うという避けられない面もありますが、伊藤さんのやられたような提訴、提訴、提訴でしょう。その後にようやく法規制が生まれるのかもしれない。何よりも「人権侵害」を阻止することです。「名誉棄損」も「名誉感情侵害」も、細かいところは裁判上の問題であって(ここでは省略)、ともに個人の権利を著しく棄損していることに変わりはないのです。

 「表現の自由」は認めるべきだが、表現の「自由を騙る表現行為」は容認できないと、ぼくは考えています。

言葉には人を傷つけ、時には死に追いやってしまうこともたくさんあります。言葉で人をこれ以上傷つけることがないよう、何かアクションを起こしていく必要があると思っています。(伊藤さん)

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独裁者は己を解放し、民衆を奴隷に

 《 何百万の絶望した人々に、罪もなく迫害された人々に、と独裁者になりすました理髪師が訴えかける。<絶望してはならない…自由は滅びない>。映画史に刻まれるチャプリンの『独裁者』での六分間にも及ぶ演説は民主主義の側から独裁への抵抗を呼びかける▼ヒトラーと独裁政治を痛烈に風刺した映画は、製作された米国で、当時、絶賛一色だったかと思えば、そうではない。大野裕之さんの著書『チャップリンとヒトラー』によると、ヒトラーを英雄視する人もいて、批判や脅迫めいた声もあがったという▼撮影した時期、欧州ではナチスが猛威をふるっている。イタリアやソ連などにも独裁者が存在していて、さらに大きな覇権を握るかもしれなかった。戦後も、独裁者は消えていない。欧州では東欧で命脈を保つことになる▼「演説」から八十年が過ぎ、喜劇王の呼び掛けが欧州で現実に近づいているのかもしれない。「欧州最後の独裁者」といわれるベラルーシのルカシェンコ大統領に批判が強まっている。抗議デモが収まらない▼古今東西の独裁には、自国民の迫害と弾圧がつきものである。この人も対立候補を締め出し、弾圧してきたという。コロナ禍を機に、不満が噴出しているようだ▼<人々が強欲と憎しみと残虐さを克服したそんな世界へ…今、飛び始めた>。「演説」は言う。そんな世界が待っているといい。》(東京新聞・「筆洗」2020/08/20)

 チャップリンとヒトラーは同い年だった。1889年4月。Cは16日生まれ、Hは20日生まれ。因縁を感じたかどうか、チャップリンは大いに「独裁者」を意識していた。映画は1940年に制作された。いつでも独裁者は生まれます。人民の心がそれを待望するからでしょう。民主主義から専制政治への道は一歩、いや半歩かもしれません。ぼくは政治には無頓着だし、関心をいだくということはほとんどありません。このブログみたい駄文では政治批判や権力批判のようなものがときに見られますが、なんでもありません。まるで目を開けて寝言を言っているようなもので、糠に釘を打っているんです。ぼくははっきりとそれを自覚しています。糠だな、釘だな、金づちだな、と。

 チャップリンの権力批判は「真正面」からの正攻法でした。まるで無鉄砲そのものの危うささえ、ぼくは感じたほどです。でもかれは怯むことなく突き進んだ。彼の扮装はほとんどが「「小さな放浪者=The Little Tramp」でした。自伝には「流れ者、紳士、詩人、夢想家、孤独な人、いつも皆ロマンスと冒険に憧れてるんだ」といっています。いずれにしても時代や社会に対する強烈な批判や風刺、あるいは諧謔や揶揄、それも弱い、愚かとされている民衆の側から視点を得ていたのです。浜の真砂が尽きないように、世に独裁者は後を絶たない。民心の一隅に「待望感」があるのでしょう。誰彼の胸中にあるはずです。それとの闘い(格闘)がなければ、人は意識的な(意志からの)行為ができないのです。現下の、ぼくたちの「軽佻浮薄」そのものの政治状況からも「専制」や「独裁」は出現します、確実に。それを防ぐには。自由の意味を深く考えたい。

  Dictators free themselves but they enslave the people.(チャップリンについては機会を設けて駄文を)

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白板がなければ、始まらないんだ 

オンラインが無理でも大丈夫、先生が自転車で出張授業 ボリビア 2020年7月4日 8:00 発信地:アイキレ/ボリビア [ ボリビア 中南米 ]【7月4日 AFP】ホワイトボードをかごに入れ、南米ボリビアのでこぼこした田舎道を自転車で走る教師のウィルフレッド・ネグレテ(Wilfredo Negrete)さん(35)。新型コロナウイルスに伴うロックダウン(都市封鎖)によって授業を受けられない児童のため、週3回、児童らの自宅を自転車で訪れている。中部コチャバンバ(Cochabamba)県のアイキレ(Aiquile)に住むネグレテさんは「自転車を持っていたから、ホワイトボードをつかんで児童の家に向かった」と語る。ボリビアでは3月に新型コロナウイルスの感染拡大が発生し、学校の授業は中断。ボリビアは被害が深刻なブラジル、チリ、ペルーと国境を接しており、2日時点で感染者3万4000人以上、死者1200人以上が確認されている。
 ボリビア当局はインターネットや携帯電話を使用したオンライン授業を推進しているが、遠隔地の多くの家庭にとってそのような手段は入手しづらく、授業を受けられない子どもたちが取り残されている状態だ。
 そんな中、ホワイトボードを運ぶために自転車に台車を取り付けるなど、自身も2児の父親であるネグレテさんの献身的な姿には「時間を割いて子どもに授業をしてくれて本当に素晴らしい」と児童の親から評価する声も上がっている。ネグレテさんはまた、自宅でも授業を行っている。机は児童間で距離を取れるように並べ、授業の前後にはジェルで児童らの手をアルコール消毒している。月給およそ500ドル(約5万4000円)というネグレテさんの元には、自身の児童のほか、後れを取りたくない子どもたちも訪れている。(c)AFP(https://www.afpbb.com/articles/-/3289314?cx_part=related_yahoo

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 彼我の比較をするのではありません。南米の小国で、一人の先生(他の教師の代表かも)が苦闘しているさまをまじまじと見ています。金でもなければ地位でもない、学びたい子どもたちとそれを助けたい教師(たち)のさわやかな友情とでも言いたい結びつきを考えてみます。青空教室も、ぼくにはまことに懐かしい、想い出のなかに点滅している景色です。教室から椅子を持ちだし、校庭で授業が開かれた75年前の風景です。(ぼくはまだ、虫けらでしたが)

 ボリビアの子どもたちがどんな感情で先生と学んでいるのか、後年にきっと追憶の情にかられながら、先生や仲間たちや青空教室の光景を思い起こし、また前に向いて歩く力とするに違いありません。コロナに国境はありませんが、友情にも国境はありません。ぼくにはホンジュラスに、おさない友人(当時3歳くらい)がいました。今も元気か。

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キャンセル・カルチャーとは?

 善を生み出す力なのか、言論の自由を脅かすものか?

“キャンセル・カルチャー”についての議論が熱を帯びているが、誰が本当に正しいのだろう? 社会正義に役立つツールなのか、それとも一種の検閲なのだろうか? 活動家や心理学者、執筆者たちに話を聞いて、前に進む方法を探ってみた。

By Ella Alexander 2020/07/24 (BAZAAR)(https://www.harpersbazaar.com/jp/lifestyle/daily-life/a33316872/cancel-culture-a-force-for-good-or-a-threat-to-free-speech-200724-lift1/

まず、“キャンセル・カルチャー”とは何なのか、ということから始めよう。なぜなら、人によって、対応が異なり、その結果、多くの意味を持つようになっているからだ。言論の自由に深刻な危険をもたらすという人もいる。また、「政治的公正が行き過ぎておかしくなった」新しい解釈と捉える人もいるし、不寛容な人が強制的に厳格な検閲を行うために使っている手法だという人もいる。

もしくは、恥ずべき行動をしたからその人を尊敬する気持ちがなくなったと言っているだけだという人もいる。何も新しい現象ではない。言論の自由は常になんらかの影響を及ぼすが、その言論が有害である可能性がある場合は特にそうだ。有名人の中には不正を働いたことで食ってかかられ、何十年もメディアから公然と批判されてきた人がいるし、企業の価値観に反する行いをしたセレブリティは外され、政治家は日常的に反対政党から責め立てられている。今日では、強大な権力から弱い立場にいる人を守るための手段だとも見られている。是非はともかく、キャンセル・カルチャーは社会の周辺に追いやられた人々が声を拡大し、現状のままでは不利になることに挑戦する道を与えているといえる。

それをもっとも純粋に定義したのが、好ましくない発言や行動をしたという理由で、その人や組織をボイコットすることだ。不快なことをした人が出ている映画はもう観ないとか、書いた本は読まないなど、支持をやめるのだ。キャンセレーション(取り消し)は契約を無効にすることに近く、それまではずっとファンだった人や物事との関係を断ち切ることだ。

それとは別なのが“コールアウト・カルチャー”で、間違いにハイライトを当て、害がある場合はそれを非難し、その人が同じ過ちを繰り返さないように、行いを正すよう求めることだ。公に辱めを受ける点ではどちらも同じで、社会正義を勝ち取る方法として使われてきた。どちらもこの6ヶ月で社会に対立を生んでいて、先日、J.K.ローリングがトランスジェンダーのコミュニティについて発言したことで、それが最高潮に達した。彼女は他の150人の学者やライター、作家たちと共に、「リベラルな社会が拠って立つ」言論の自由を脅かすことを根拠に、キャンセル・カルチャー(コールアウト・カルチャーがエスカレートしたものと考えられている)を非難する公開書簡を書き、「反対の見方に対する不寛容と公の辱めや村八分の流行を助長する」と異議を唱えた。自分たちには言論の自由の権利がないと言って、言論の自由を脅かしているものについて議論しているこの一文には興味をそそられる。(中略)

私たちは、自分の意見を聞いてもらうことが、かつてないほど容易にできる社会に生きている。ソーシャルメディアはそのためにある。私たちがやらなければならないのは、どちら側につくかにかかわらず、人の話を聞くことだ。言論の自由についての議論は二重構造になっている。“キャンセル”するにせよ、批判する権利をはねつけるにせよ、一方を黙らせることでは前進しない。あなたは間違っていると言われることと、削除されることは同じではないのだ。今こそ、他者の声を聞き、対処し、前に進む時だ。(Translation: Mitsuko Kanno From Harper’s BAZAAR UK

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 ネットの時代標榜されてきましたし、それを歓迎する向きは多い。確かに情報やニュースの独占はろくなことをもたらさないし、いきつくところは、恣意的な情報操作というお定まりの罠に陥る。しかし、表現の自由や発言の機会が容易に確保されるようになると、本来生じないような事件や事故が発生するのを避けられません。表現の自由はあくまでも自由であるから、他人を非難する言辞を発表することも邪魔されないのはその通りですが、その結果、人命に危害が生じたりその恐れがあるような場合はどうなのでしょうか。二律背反ではありませんが、きわどい問題ではあります。

 この問題は、ネット時代に特有なのではないと、ぼくは思っています。誹謗や中傷はいつの時代でもあったし、いつの時代でも非難されてきました。でもそれが皆無とならなかったのは歴史が示しています。この島社会でも海外と同様の事態がもたらされています。問題の所在はどこにあるか。英国のファッション誌(ハーパーズバザー)に興味を持っているのではありませんが、この問題に関して要領よくまとめられていたのが目にとまったので、紹介したくなったというわけ。これは問題の入口です。そこから先は、自らの思考力が試されますが、誤りを犯さないための訓練が必要かつ重要であると考えます。(タピオカなるものを賞味したことがありません)

 (セレブあり、ファッションあり、占いありで、この雑誌を見るのが癖になりそう)(10月号はあす発売でーす)

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