
【卓上四季】「戦後」は遠くなりにけり ナショナリズムが高まる大正期のことだ。人間愛を掲げた雑誌「白樺」の影響を受け、文芸や絵画の回覧誌「楽天」を発行したグループが旧制松山中学にあった▼伊丹十三の父、万作や後に映画監督となった伊藤大輔、俳人中村草田男、東宝などでメガホンを取った山本薩夫の兄で建築家となる勝巳らそうそうたる顔ぶれである▼岸田劉生に心酔した重松鶴之助もメンバーの一人だった。春陽会、国画会展に連続入選し、「日本を代表する一四〇人の洋画家」にも選ばれた画才である▼転機が訪れたのは童画家として伸び悩んでいた伊丹の苦境を救おうと、松山で関東風おでん屋を開業したころのことだ。かつての楽天発行仲間で、労働運動家となっていた白川晴一らの苦境を目の当たりにし、社会変革運動へ傾倒したのだった▼満州事変の勃発で軍国主義が台頭し、戦争遂行が最優先となる中、思想弾圧と人権侵害の横行が耐えられなかったのだろう。出征兵士に反戦ビラを配布したとして逮捕され、獄中で自ら命を絶ったとされる。1938年(昭和13年)の11月である。35歳だった▼重松逮捕の翌年、中村は「軍隊の近付く音や秋風裡(り)」と詠んだ。昭和初期、明治の開国期の気骨を失った世相を憂えた中村である。非戦を誓った「戦後」が遠のく現代を見たら、どんな句を残しただろうか。(北海道新聞・2025/11/02)
◎ 週の初めに愚考する(九拾參)~ 「日米首脳会談」が慌ただしく行われた。その際、米国大統領は「日本が大量の武器(軍事装備)の注文をしてくれたことに感謝する」と、会談冒頭で話し出した。総理大臣になってからまだ数日しか経ていない段階で、しかも国会も開かれていない日程で「大量の武器(戦闘機やミサイル等)発注」が為されていたのだが、誰がどこで決めたのでしょうか。「本年度の補正予算」で、と首相は言うが、国会審議はもう済んでいるのか。まったく、秘密裏に、米国大統領のご機嫌取り(媚を売るということ)のために、実に姑息な手法で物事を決めているのです。

今から十年以上前の政権では、国の行方を決定しかねない重要な案件を、国会審議を抜きにして、つまりは「閣議決定」という異様な方法で次々に決定して行った。繰り返し駄弁っているように、もはやこの国では民主主義は機能しておらず、国権の最高機関と自称し、他称されてきた国会は骨抜きにされています。国会議員のきわめて異常なサボタージュだというべきでしょう。現内閣は、安保関連法や武器輸出三原則も「改訂」すると明言しています。さらにはスパイ防止法の制定にも言及している。ほぼ「与党」勢力となっている国会の事情を考慮するなら、どこに向かってこの国が進むのかは明らかでしょう。十年以上前の内閣が暴挙と言うべき破壊行為を国会に持ち込んで強硬に推進してきたその事情を、現首相は側近として、つぶさに見ていたのですから、その「二番煎じ」を演じているのは火を見るよりも明らかです。少数与党と言いながら、その弱体化を補って余りある「右翼勢力」が議会で多数派を形成しています。現政権だけに目を奪われていると、とんでもない事態に追い込まれるのは避けられないし、すでにその一歩、いや三歩も先に進んでいる。

米大統領の歓心を引くためなら「体を張る」とまで言いかねない現首相です。気が付けば、すっかりこの国は米国の「植民地」になってしまったと、言いきって間違いないでしょう。「自主独立」「自尊」の気概や感情は何処に行ったのでしょうか。身分不相応の「軍事大国」になって何をするというのか。「専守防衛」の「憲法」(国のかたちを決めるもの)が聞いてあきれる。特に「先制攻撃」に傾いた、この国にもっともふさわしくない「敵基地攻撃能力」を高めるためにと莫大な税金を投入して買ったレーダーや武器類も、今では「無用の長物」と化しています。この国は米国の「ATM」だと以前にぼくは口にしていましたが、今では「植民地支配(治外法権・関税自主権の剥奪状態)」を受ける羽目になっているというべきです。

「国防」という美名に費やされる天井知らずの税金投入。この国の「軍事大国化」を長く縛って来た、防衛予算の「GDPの1%」も、何時しか破棄され、今は2%、更に3%へと増額する旨、すでに宗主国に「約束した」と言う。この本予算に加えて「補正予算」が加わり、更に莫大な軍事武器購入費(40兆円超)のローン支払い(後年度負担)が重くのしかかってくる。何度も繰り返すことですが、莫大な軍事費を使って武器を買い、防衛効果を高めるというのでしょうが、いったいそれは何のためですか。現下、早晩、開戦に至らざるを得ない国があるのでしょうか。「台湾有事は日本有事である」と叫んでいるけれど、それは誰が言っているのか。「台湾」は中国の一部だと、日本も公然と認めている国際常識です。

「戦後」は遠くなりにけり、と多くの人は今を語ります。それはまた「戦前」は近くなりにけり」ということになるでしょうか。現首相は盛んに「日本は戻って(帰って)来た(Japan is back)」と、意味不明のフレーズを叫んでいます。「どこに戻った(帰った)」のでしょうか。強い日本を取り戻すともいう。国力を測る物差しは何ですかと、ぼくは訊きたい。経済力? 軍事力? あるいは「国民性」「文化」も考慮されているでしょうか。「力」を求める人間は、「力」によって滅ぶか、滅ぼされるに違いありません。「働いて、働いて、働きぬく」という「やる気満々」の雄叫びは、なんのためのものですか。いろいろなことを考えて、ぼくの答えは「現下の日本社会の行方」は、もと来た道に戻るものではないということ。大きくならなくても、強くならなくてもいい。他者と仲良く、余計な諍いを生まないような生き方をする個人のように、国もまたそうであってほしいと只管(ひたすら)願うばかりです。だから、余計なことはしてくださるなと、心からの注文を出しておきます。
その昔の中国の歴史書「十八史略」に、「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」という逸話があります。そこに登場する農民の言たるや良し、「帝力なんぞ我に有らん哉」と。真面目に政治道を踏んでいれば、「政治権力」の存在などいささかも気にする必要もなくていいというような、そんな「政治哲学」の物語(歴史)です。
…治天下五十年。不知天下治歟、億兆願戴己歟、不願戴己歟。問左右不知、問外朝不知、問在野不知。乃微服游於康衢、聞童謡。曰、
立我烝民、 莫匪爾極、 不識不知、 順帝之則。有老人、含哺鼓腹撃壌而歌。曰、日出而作、 日入而息、鑿井而飲、 耕田而食、帝力何有於我哉。
(中国伝説上の聖人「尭」の即位時代のこと。自分の治世がうまく行っているかどうか、彼はとても知りたがったが、誰もそれを教えてはくれない。そこで、変装して街に出て子どもの謳うのを聞いたところ、「帝王のおかげでないものは、何一つない。みんな幸せだ」と謳っていたという。あるところでは、一人の老人がいて、口に何かを含みながら、腹を打ち、足で地面を叩きながら、何か歌っていた。

「曰はく、日出でて作し 日入りて息ふ 井を鑿ちて飲み 田を耕して食らふ 帝力何ぞ我に有らんやと」(日の出とともに田畑に出て耕し、日が沈むとともに家に帰って休む。井戸を掘って水を得、田を耕して食を摂る。帝王の威力が、どうしてわしの生活に関係があるか」と。これは神話以前の「夢物語」、中国を通してこの島国にももたらされた「為政の極致」を語るお手本(お伽噺)となったもの。こんなものをここに出して、ぼくは誰か、何かを侮るつもりも笑うつもりも毛頭ありません。ただの「お話(歴史)」に触れただけのこと)
◎ じゅうはっしりゃくジフハッシ‥【十八史略】= 中国の史書。二巻。元の曾先之撰。太古から宋代に至る歴史を「史記」から「新五代史」までの一七の正史と宋関係の史料によって記述したもの。編年史で、逸話風に書かれている。現行のものは明の陳殷が注解をつけて七巻にしたもので、日本では室町末期から江戸時代にかけ盛んによまれ、明治以後も漢文教科書として用いられた。(精選版日本国語大辞典)
+++++++++++++++++++++++

北海道新聞のコラム「卓上四季」に中村草田男さんたちが出てくる。この当時の松山中学の生徒たちの、その後の人生がどんなものだったか、ぼくには想像に余るものがあります(中村さんの中学入学は1914年)。なんとも壮観と言うか、厳粛と言うべきか。もしこのような人々に学校教育の影響が及んでいたとしたら、の話ですが。彼の代表句の「降る雪や明治は遠くなりにけり」は、自身が出た青南小学校を、卒業以来、20年ぶりで訪ねた時(昭和6年、30歳)、多くの子どもたちが校庭に出て遊んでいる、そこに雪が降り出してきたという。(…)また、大学卒業後に勤めた成蹊学園教師時代、戦場に赴く「教え子たち」に餞(はなむけ)の一句として詠まれたという、「勇気こそ地の塩なれや梅真白」がある。ぼくの深く好む一句です。句意はよくわかりません。「戦死などするな」ということだったか。梅の白さに草田男さんは何を見ていたか。そして、まったく背景の異なる、長閑な晩秋(初冬)の一瞬を詠んだ「あたゝかき十一月もすみにけり」も。昨日挙げた佐藤鬼房さんの「霜月の朔何かありさうで」とはまったく相対するというのでもないという句として、ぼくは好んでいる。この両者は俳句の世界では、おそらく相容れなかったでしょうね。

◎ 中村草田男(なかむらくさたお)(1901―1983)= 俳人。明治34年7月24日、中国福建省厦門(アモイ)生まれ。本名清一郎。東京帝国大学独文科から国文科に転じ、正岡子規(しき)を卒論とする。1928年(昭和3)『ホトトギス』を読み、翌年、東大俳句会に入り、水原秋桜子(しゅうおうし)の指導を受けた。その後『ホトトギス』の新人として台頭、評論にも活躍して1934年、同人に推される。当時の新興俳句運動には終始批判的態度を通し、日野草城(そうじょう)のモダニズムを徹底的に非難した。石田波郷(はきょう)、加藤楸邨(しゅうそん)らとともに人間探求派、難解派とよばれる。第二次世界大戦中は「自由主義者」と中傷、圧迫された。『ホトトギス』を離れ、1946年(昭和21)『万緑(ばんりょく)』を創刊、主宰。生命賛歌というべき作品が多い。社会性俳句、前衛俳句を批判して、現代俳句の指導的存在でもあった。昭和58年8月5日没。句集に『長子』(1936)、『火の島』(1939)、『万緑』(1941)など、童話に『ビーバーの星』『風船の使者』など。成蹊大学教授。母校の東京・南青山の青南小学校に「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句碑がある。(日本大百科全書ニッポニカ)
【有明抄】戦隊ヒロインの時代 高市早苗首相あこがれの「鉄の女」サッチャー氏が英保守党で初の女性党首に選ばれたのは1975年。吉永小百合さんが新作映画で演じた登山家田部井淳子さんが女性初のエベレスト登頂を果たしたのもこの年。もう一人、歴史を変えた女性が登場した◆ペギー松山さん、といってもマニアの方しかご存じないかも。「秘密戦隊ゴレンジャー」のモモレンジャーである。男性隊員が活躍する特撮ヒーローものの世界で、それまで女性隊員は控えめに救護や通信など業務のサポート役。それが「エイヤッ」と戦いの最前線に立った◆男性の中で奮闘するヒロインは以後「戦隊ヒーローシリーズ」に受け継がれていく。結婚して子どもができたら仕事は続けられるか。親が老いたら介護も必要になるだろうし…。そんな心配など無縁の世界で、正義のために24時間を仕事にささげる彼女たち◆〈つまり、見た目は女ながら、『最も男らしい女性』なのだ〉とは、鈴木美潮著『ヒーローたちの戦いは報われたか』の指摘である。そんなスーパーウーマンだけが男性と平等に働ける、と誤った固定観念を植えつけてしまった、と◆半世紀続いたそのシリーズも終了が決まった。制作費高騰には勝てなかったらしい。劇中以上に大活躍するヒロインが現実になった時代。働き方改革で休みに入った、ならいいのだが。(桑)(佐賀新聞・2025/11/02)
~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎参考資料 10年経っても「安保法制は違憲だ」 法律のプロは訴える 「閣議決定」は乱発され、民主主義は傷を負った 第2次安倍晋三内閣が憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定してから10年となった1日、元最高裁判所判事や元内閣法制局長官ら法律家が集まり、声を上げた。「それでも安保法制は違憲だ」。彼らが強い問題意識を持ち続けるのはなぜか。10年前の閣議決定は、日本の議会制民主主義に深い傷を与え、今も余波を広げていないか。(山田祐一郎、森本智之)◆元最高裁判事は「国会で議論するべき問題を内閣がどんどん進めた」 「本来、三権分立の原則がある中で、立法府である国会で議論するべき問題が、行政府である内閣によってどんどん進められてしまった」。1日、東京・霞が関の弁護士会館で開かれたシンポジウムで、元最高裁判事の浜田邦夫氏がこう問題点を指摘した。 シンポジウムは第二東京弁護士会が主催。登壇した法律家らは2014年7月1日の閣議決定や、翌年成立の安全保障関連法が憲法に違反すると改めて訴えた。 法案審議中の2015年9月、公述人として参加した参議院中央公聴会で浜田氏は「法案は違憲」と明言。さらに「いまはなき内閣法制局」と、合憲性のチェック機能を果たしていない法の番人を痛烈に批判した。シンポジウムでは当時を振り返り、「原稿なしで公聴会に臨んだ。そういう思いがあったので、言葉として出てきた。違憲であるという点ではいまも考えは変わらない」と述べた。◆元内閣法制局長官は「憲法9条1項に反している」 第1次安倍内閣時の2006年から民主党政権期の10年まで内閣法制局長官を務めた宮崎礼壹氏は、集団的自衛権の具体的な違憲性を指摘した。「憲法9条1項は、武力の行使は『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と書かれている。国際紛争は他国の武力紛争に介入すること。集団的自衛権は明文に反する」と説明。さらに「集団的自衛権は憲法上許されない」とした1972年の政府答弁を挙げ「40年にわたる積み重ねがある解釈をひっくり返すことになる」。集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」のあいまいさも強調した。 「本来、政府のやろうとしていることについて憲法に合致しているという理屈をこねるのが内閣法制局。『権力の犬』とも言われたが、それでも、だめなものはだめだ」と断言する宮崎氏の定年後、第2次安倍内閣で閣議決定された。(中略)◆「議論しない」「説明しない」自民党に定着 議論しない、説明しない、という振る舞いは、閣議決定に限らず、さまざまな政治の場面で目立つようになった。例えば予算編成で、国会審議を経ず内閣が自由に使える予備費や基金が乱用されるようになった。批判的な質問をはぐらかす答弁は「ご飯論法」と呼ばれ国会審議で繰り返される。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「第2次安倍政権で、官邸の指示一つで全てが動くようになった結果、官邸が決めたことに批判したり注文を付けることがなくなった。議論不要論が自民党で定着し、議論する文化そのものが消えてしまった」と嘆く。◆デスクメモ 閣議決定は全員一致が原則だ。反対して罷免された閣僚もいる。「桜を見る会」を巡り「首相夫人は私人」という「これも?」と感じる閣議決定もあった。何かにつけて漂うのは、異論を封じ、数の力で押し切りを図る近年の政権の姿勢。民主主義が骨抜きになる危険が膨らんでいる。(北)(東京新聞・2024/07/04)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/337701)
IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII
















































