脅迫と非難に立ち向かう十七歳

【9月16日 AFP】同級生のほとんどが大学への進学準備か夏休みを楽しんでいた中、中国の環境活動家ハウイー・オー(Howey Ou)さん(17)は世界を気候の大災害から救うため、脅迫と非難に勇敢に立ち向かっていた。環境問題に取り組む世界中の若者たちは、学校を休んで、気候変動に対する行動を起こさない世の中を非難するデモ行進に参加してきた。中国では、草の根の社会運動を政府が厳しく取り締まっており、参加者はほとんどいない。だが、オーさんの人生は変わった。オーさんは昨年5月、スウェーデンの同じく10代の環境活動家グレタ・トゥンベリ(Greta Thunberg)さんに影響を受け、地元政府の庁舎の外で1週間にわたって単身で抗議活動を行い、国際的な注目を集めた。「気候の非常事態は人類の生存にとって最大の脅威だ。毎日、気候と動物の絶滅に気をもんでいる」とオーさんは言う。
 グレタさんが国連気候行動サミット(UN Climate Action Summit)で各国の指導者らを前に演説し、自身の活動を表彰された一方で、中国で活動するオーさんは抗議活動の停止を拒否したことで退学処分を受けた。警官と口論になり、家族からの圧力、ネット上での厳しい非難も受けてきた。(以下略)(https://www.afpbb.com/articles/-/3301548?cx_part=topstory

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米カリフォルニア州マクレランパークにある空港で、ギャビン・ニューサム州知事(左)と話すドナルド・トランプ大統領。山火事の状況説明に使われたAFPの写真の前で(2020年9月14日撮影)。(c)Brendan Smialowski / AFP

【9月15日 AFP】ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領は14日、大規模な山火事に見舞われている米カリフォルニア州を視察した。その際現地で受けた状況説明の場で大統領は、地球温暖化は自然と落ち着くと述べ、同国西部の広範囲をのみ込んだ猛烈な山火事の原因が気候変動にあるとの見方を否定した。(以下略)(https://www.afpbb.com/articles/-/3304802)

【2020年12月12日 AFP】(更新)ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は12日、米誌タイム(Time)が2019年の「今年の人(Person of the Year)」にスウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリ(Greta Thunberg)さんを選出したことを批判し、トゥンベリさんに「落ち着け!」と呼び掛け、映画でも見に行けばいいと皮肉った。トランプ大統領はツイッター(Twitter)に「本当にばかげている。グレタは自分のアンガーマネジメント(怒りの制御)の問題に取り組まなきゃならない。それから友達と良い映画を見に行ってこい! 落ち着けグレタ、落ち着け!」と投稿した。

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 この問題に関しても、もはや絶望的な段階に至っているように、ぼくには見えます。温暖化など大したことはない「やがて涼しくなる」という大国の大統領もいる。一方、中国の環境破壊は驚異的なレベルで進んでいるし、それを問題としてとらえるような雰囲気はまだまだ明らかではありません。中国という大きな「市場」に多くの国が産業活動の命運をかけて、拠点を移してきました。一国が問題の犯人であるというのではなく、工業化に大きな期待と国威をかけた「経済発展」志向そのものが、じつはさまざまな問題を生みだしてきたことにまちがいはないのです。

 たった一人の抗議活動、孤立無援の活動を進めている十七歳。ぼくはこのオ-さんの行為に打たれます。両親からも阻害され、ネット上の非難にもかかわらず、行動する勇気を応援したい気持ちです。どんなに些細な活動でもそれがある正しさを持つものなら、きっと「反政府」「反政治」的にならざるを得ないのでしょう。地球温暖化と気候変動、あるいは「海面上昇」現象は「直接の関係はない」という意見もある。現段階では決定的な証明はされていないのは事実です。だからと言って、野放図に環境破壊を放置していいはずはないし、それを回復するには、今ある経済活動(環境破壊活動)のペースを緩慢にする道が求められているのではないでしょうか。ファーストとではなくスローに。モアスロリーに、です。

 今夏の異常な高温化が海水面の超高温化と連動しています。昨年以上に大きな台風の襲撃が懸念されているのですが、いつまでたっても、被害の後始末にばかりかまけているような始末に見えます。確かな方法はなくとも、日常生活の範囲内で、ぼくたちに可能な行動はいくらでもあると思われるのです。「レジ袋の有料化」の意図は何ですか、ぼくには皆目わからない。もっと緊急を要する問題があるはずなのに。大悪を隠すための小善の目くらまし、ですね。

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秋となつた雑草にすわる(山頭火)

社員の不正受給で謝罪する沖縄タイムス社の武富和彦社長(右)と石川達也総務局長=13日午後、那覇市久茂地・タイムスホール ⇒

 弊社社員らによる不祥事についてのお詫び 2020年9月13日 19:00

 沖縄タイムス社と関連会社であるタイムス印刷社の社員が、新型コロナウイルスに関連した「持続化給付金」「緊急小口資金」「総合支援資金」を不正に受給・借り入れしていたことについて、心よりおわび致します。/ 新型コロナウイルス感染症が流行する中、経営状態が悪化している中小企業や個人事業主、日常生活の維持が困難になった世帯などの救済を目的とした国の制度を悪用した行為は、法律に反するだけでなく、人々や社会を欺くものであり、許されるものではありません。/ 新聞社は、社会の公器として人々の知る権利に応え、社会が公正・公平であるべく大きな責任を担っていると考えます。沖縄タイムス社も、言論の自由、責任、公正、気品の堅持を掲げ、報道機関として活動してきました。にもかかわらず今回、不正行為を働く社員が出たことは読者との信頼関係を損なうものであり、責任を痛感しております。

 読者の皆さまからは、電話やメールでたくさんのお叱りを受けています。「新型コロナでみんなが大変な時にあまりにもひどい」「信頼して愛読してきたのに裏切られた」など、怒り、憤り、やるせない思いが込められたご批判、ご指摘はごもっともであり、真摯(しんし)に受け止めて信頼回復に向け取り組みたいと思います。/ 今回の事案については警察による捜査が行われていますが、沖縄タイムス社としても14日に調査委員会を立ち上げました。現時点で判明した事実関係だけでなく、より詳細に調べて全容把握に努め、厳正に対処します。新たに分かった事実は速やかに公表し、説明責任を果たす考えです。併せて、第三者を交えた検証組織も早急に設置し、不正行為の背景や企業としての構造的課題などを徹底的に調べ、再発防止に努めます。/ 新聞社としての役割、責任を果たすため努力を重ねていきます。

 沖縄タイムス社代表取締役社長 武富和彦

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 長年の愛読紙でした。琉球新報と並んで、沖縄問題を一貫して内側から掘り下げ報道してきた新聞です。今回の「不祥事」は痛恨のきわみだろうと思われますが、どうしてこうなったか。問題はタイムスだけにとどまらない、金権亡者劣島の情けない現況でしょう。この手の給付金では、このほかにいくつもの事案(搾取)が報道されています。判明した分だけで一億円もの詐欺もありました。もちろん、これを看過(擁護)するつもりはありませんが、ごく早い段階では、官僚と大企業が共謀して怪しげな団体をでっち上げて「中抜き」とやらを働いていたり、さらにはコロナ関連の事業資金の2、3割が手数料として特定の会社や団体に消えて行ったりと、税金を湯水のごとく使っているという報道に接して、憤懣やるかたない思いをいだいた多くの人民がいたのです。このような頽廃は今なお進行中です。今に始まったことでもありません。これ、政治なんだね。

 タイムスは一私企業です。この事件を放置することは存亡にかかわりますから、社長直々の謝罪となったのでしょうが、今回のような不祥事件で、これ以外で社長や官僚、団体の代表や大臣あるいは総理大臣が問題に触れた例をぼくは知らない。ということは、税金は自分のものだというやりきれない風潮が政管財界に蔓延しているという意味です。コロナ禍を奇禍として、一儲け企んでいる輩が五万といるという劣島社会は落ちるところまで落ちているのか、まだまだ底には至っていないのか。利権、利権、利権、…。どこまで行っても、所詮は利権劣島よ。(沖縄タイムスは改名して、沖縄タイムにすべし)  笠も漏りだしたか(山頭火)

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ワクチンは安全であるか、ないか

「ワクチンは安全」という信頼、日本は世界最低レベルだった 2020年9月14日(月)18時40分 松岡由希子(NEWS WEEK JAPAN)

<英ロンドン大学が、ワクチンの安全性や有効性、子どもに予防接種させる重要性についての見解を調査したデータの分析結果を明らかにしている...... >
 世界規模での感染症予防において、予防接種への国民の信頼は、ますます重要になっている。世界保健機関(WHO)では、予防接種を受けたり、子どもに受けさせたりすることを躊躇または拒否する「ワクチン忌避」を「世界の健康に対する10大脅威」のひとつとして挙げ、警鐘を鳴らしている。
 英ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(LSHTM)の「ワクチン・コンフィデンス・プロジェクト(VCP)」では、約10年にわたって、ワクチンに対する世論の動向をモニタリングしてきた。2020年9月10日に医学雑誌「ランセット」で公開した研究論文では、世界149カ国28万4381名を対象に、ワクチンの安全性や有効性、子どもに予防接種させる重要性についての見解を調査した2015年9月から2019年12月までのデータの分析結果を明らかにしている。
 日本が低い理由は、子宮頸がん予防ワクチンの安全性への不安か
 ワクチンに対する世論は、国や地域によって様々だ。2015年時点で、アルゼンチン、リベリア、バングラディシュの回答者の85%以上が「ワクチンは安全である」との見解を示した一方、日本ではその割合が8.9%と低い。また、ワクチンの有効性についても、エチオピアやアルゼンチン、モータリアで回答者の8割以上がこれを認めているのに対して、日本では14.7%にとどまっている。(以下略)(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/09/post-94432.php)

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(https://iwj.co.jp/)

 現下、新型コロナに対するがワクチン製造への競争が激しさを増しています。何よりも、そのほとんどが多国籍企業化している製薬会社によるもので、莫大な開発資金を投入して進めているワクチンを、大量に生産して資金回収のために各国に供給するためにしのぎを削っている。まるで、大きな政治問題と化しているといっても過言ではありません。この島でも今回の新型コロナ用のワクチン確保にはすでに「青田買い」のような先行投資をしています。詳細は省きますが、たくさんの人に摂取するためのものだということですが、開発中のワクチンの安全性には頓着していないかの如くです。これまでにどのくらいの薬害(副作用)があった。枚挙にいとまがありません。人命の喪失たるや、想像を絶します。

 わがやまのかみは、このところ病院と縁が切れず、困惑するばかりなんですが、三年前には大きな手術をしました。術後、再発防止との理由である薬を処方されましたが、副作用が激しく、直ちに服用をやめたことがあります。いままた、入院手術が予定されています。症状はカルシウム分が異常に体内から出るというもので、ある臓器の機能が損なわれているからだという。その臓器摘出のための手術です。その他、なにかと各種の薬を処方されていて、驚くほど多量の服用を勧められています。まじめに服用しないで事態をやり過ごしているのですが。薬だけで満腹しそう、という笑止千万な事態にあります。

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 ワクチンの場合です。ぼくは今までに予防接種を受けたことがなかったのに、ある機会に近所のクリニックにかかり、さっそくインフルエンザのワクチンを勧められました。「うちは、他より安いですよ」と、まんまと打たれました。なに、インフルエンザにかからないようにするのが一番ではないかと、このところは元通りにしています。この島では、年間約2500~3000人もの方がインフルで亡くなります。だから、予防接種なんでしょうが、いかにもワクチン接種競争のようなものが医者の間にあって、ぼくたちはそこに取り込まれているようなものです。つい先ほどのニュースで。今年六月までだったかの「インフルエンザ」患者数は全体で三人だったという。これはどういうことか。毎年数十万人の罹患者が出ているのに、今年は三人。

 理由はわかりませんが、コロナ禍のために衛生観念が行き届いたせいか、マスク、手洗い、うがい打の三蜜回避などなど。こんな予防策がもし効果を上げているとしたら、ワクチン開発を待つより、よほど安価でラクチンというもの。いや、コロナはインフルの兄弟みたいだから、どっちかにかかる場合が多いのだということかもしれません。いずれ解答が出るでしょう。もし手洗い等が理由で防げたのなら、例年の数千人の死者数は何だったのか。

 ワクチン開発にはそれなりの時間と資金が入用で、したがって一定程度の規模を持たない製薬会社は開発競争に加われないし、国家自体(ロシア、中国など)が開発に乗り出しているところもあります。安全、安心がさまざまな場面で強調されますが、さて、抗体を生み出すワクチンが安全に摂取できるものなのかどうか、大いに注意しなければならないでしょう。政府―学会ー医者ー製薬会社のつながり⇒患者のモルモット化、こうした「金を絆」にした悪の循環は肥大してきました。ぼくは暇だから、いろいろな病名(症状)と服用薬と製薬会社の関係、またその薬の効用・危険性を調べたことがありますし、今も継続中です。素人でもわかりそうな危険な陥穽があちこちに仕掛けられているというほかありません。もちろん、薬やワクチンでたくさんの人命が救われたたことも事実ですが、危険があまりにも多いという側面に目を瞑るわけにはいかないのです。被害が出たら国が保障するから、みなさん接種をしてください、これがこのしまの厚生行政の方針だということです。それでも、接種しますか?  

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銀行時代の終焉、新しい教室は?

  A careful analysis of the teacher-student relationship at any level, inside or outside the school, reveals its fundamentally narrative character. This relationship involves a narrating Subject(teacher)and patient, listening objects(the students).The contents, whether values or empirical dimensions of reality, tend in the process of being narrated to become lifeless and petrified. Education is suffering from narration sickness.… 

 Narration(with the teacher as narrator)leads the students to memorize mechanically the narrated content. Worse still, it turns them into ‘containers’ , into receptacles to be filled by the teacher. The more completely he fills the receptacles, the better a teacher he is. The more meekly the receptacles permit themselves to be filled, the better students they are.

 Education thus becomes an act of depositing, in which the students are the depositories and the teacher is the depositor.…

 This is the ‘banking’concept of education. (Paulo Freire ; Pedagogy of the oppressed)

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 これまで何度か引用してきたパウロ・フレイレの「抑圧される人たちの教育論」(邦訳名は『被抑圧者の教育学』)の、ほんの触りの部分です。いわゆる「銀行型教育」に関する記述です。

 「学校の内外を問わず、どんな場合でも教師と生徒の関係をよく見れば、根本において「おしゃべり」という性質を持っていることがわかる。おしゃべりする人(教師)と、我慢づよく耳を傾ける(註 傾けないのもたくさんいる)お客さん(生徒たち)がこの関係に認められる。真理や価値の問題を扱うにしろ、現実の経験的な問題を扱うにしろ、話されていく中で、その内容は生命を失い枯渇してくる。教育はおしゃべり病を病んでいるのだ。

 話し手の教師によるお話は、生徒をして話される内容を機械的に暗記するように導く。もっと悪くなると、生徒たちは「コンテナ」に、教師によって満たされるべき器にされてしまう。教師は、容器を満たせば満たすほど、彼・彼女はいい教師となるのだ。容器の方は、満たされるがままになると、彼・彼女たちはもっといい生徒になる。

 こうして、教育は預金行為となる。そこでは、生徒たちは金庫であり、教師は預金者なのだ。

 これこそが、教育における「預金」という考えなのである。(教えるというのは「教師の生徒(金庫)への預金行為」となっているという意味だ)(記述者による拙訳)

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貸(仮)金庫、生徒のことか

 今の時代、銀行は振るわないことおびただしいのですが、どういうわけか、学校においては「銀行盛業中」であるのかもしれません。フレイレさんいわく、生徒は「金庫」にされているのです。小・中・高と通算にして十二年間の就学期間は、文字通り「禁固十二年」じゃありませんか。途中で脱走する者、後を絶たず。毎年「金庫」になるために新たな人材が生まれますが、徐々にか急激にか、減少期に入っている。「金庫番」でもある教師は、終夜営業で脱落者急増中です。コンビニ並みの重労働は、いかにも学校らしいかもしれないが、反教育的ですね。働き方改革だというが、笑わせますね。

 この島国は「アメリカのATM」だといわれていますが、いったい「禁固何年」になるのでしょうか。ぼくは、コロナ時代(よい表現ではありません)、それは預金(銀行)型教育の破滅(絶滅)時代であり、銀行(預金と金庫)に代わる(闇金融じゃない)、新たな教師と生徒の関係の可能性が開かれる時代であると考えているのです。おおよそのイメージは描けているのですが、まだ少し具体性や内容面であいまいなところが残っていますので、もうしばらく愚考を重ねたいところです。預金行為や現金引きおろし機でもなく、オレオレ詐欺的でもない、教室の新風景を夢のように膨らませている、老いぼれながらも。「年寄りの冷や水さ」という罵声あり。ぼくは「ウフフ」と笑い飛ばしていますが。

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一将功なりて万骨枯る、ってなに?

 筆洗 白人の候補と黒人の候補の一騎打ちによる選挙が行われていると仮定する。世論調査会社から電話がかかってきた。「どちらの候補に投票しますか」▼世論調査では黒人候補の圧勝と出た。ところが実際に当選したのは白人候補。ズレの原因は一種のウソである。白人候補を支持すると回答すれば、自分が差別主義者のように見られないかと考え、調査では黒人候補と答えておきながら、実際には白人候補に投票した白人有権者が一定数いたわけである▼米国の選挙で実際に起きた現象で負けた黒人候補の名から人種を原因にした世論調査と結果のズレを「ブラッドリー効果」と呼ぶ▼おやめになる安倍首相と自民党の支持率が上昇しているが、これも一種の「ブラッドリー効果」と説明できるかもしれない▼七年八カ月の長きにわたって重責を担った首相が病気で辞任する。ある種、気の毒な状況であり、不満はあっても、この首相に対し、世論調査で「支持しない」とは回答しづらいだろう。人は世論調査といえど自分がどう見られるかを気にする▼さて、その高い支持率を背景に自民党内に早期衆院解散・総選挙論が出ているそうだが、ブラッドリーさんの敗北を思えば、その高い数字は本当に当てにできるかどうか。そもそも次の選挙の顔になるのは安倍さんではない。総裁選で最も地味だったといえなくもない菅さんである。(東京新聞・020年9月13日)

●世論調査で黒人候補の支持率が白人候補を上回っても、選挙本番で差が縮まるか逆転される現象。人種差別と見なされるのを避け、白人有権者が本音を言わないことが理由とされる。82年のカリフォルニア州知事選で、世論調査では白人候補に10ポイント近く差をつけていたトム・ブラッドリー元ロサンゼルス市長が小差で敗れ、ブラッドリー効果の名が付いた。89年のバージニア州知事選でも世論調査で大差をつけていたダグラス・ワイルダー氏が0・4ポイント差で辛勝し、ワイルダー効果とも呼ばれるようになった。(2008-10-24 朝日新聞 朝刊 2外報)

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 かなり以前から、「世論調査」という名の「世論操作」が横行しているという感覚をぼくは持ってきました。「ブラッドリー効果」「ワイルダー効果」と命名されてきたのはいかにもアメリカらしい現象だといえます。内閣支持率、政党支持率、候補者支持率などなど、この社会の動向を左右する(かもしれない)傾向を「調査」と称して操作しているのはだれか。大手マスコミなのか、それを差配している企業体なのか。みーんなグルなんですね。

 何十年も前のことですが、家で雑用をしているとき、電話がかかってきて、選挙についてのアンケート(録音電話だった)に回答してほしいというものでした。録音だなと即座に分かった。この手の調査はこういうふうにするんだと、その際に考えた。もちろんいい加減にして電話を切りましたが。無作為とか何とか、アンケートは怪しいという気配がありました。「みんな、そうなんだ」という「みんな」は数人かも。「一人」が代表する「みんな」という時代です。

 調査項目が曲者です。どうでもいいようでいて、それが報道でながされて「世論を形成」するとなると、野放しにはしておけないと思う。「安倍内閣の評価」が7割だと聞いて呆れるし、そんな率をはじき出したのはどこのドイツだと、言いたいのですが、なに、すべては「権力や権力近辺に阿っている」輩だとみて大きくは外れていないと、ぼくは考えている。目を付けられるか、目をかけられるかは大違いで、個人でも企業でも、上に対して「恐れ」「憧れ」を持っているだろうし、ならば、すこしでも褒められる数字を示さなきゃということになります。情けないけど。だからマスコミはダメになりきったのですが。権力が腐れば、取り巻き連もマスコミ社中も腐る。「一蓮托生」です。次期内閣全体も、勿論腐敗しているのは当たり前で、今から悪臭芬々です。これが、わが島社会の実態。秒単位で「世論操作」が進んでいます。(「朝日」も右打席に。やはり「スィッチヒッター」だったんだ。とにかく勝ち馬です)

 だれもが勝ち馬に乗りたがっているといわれています。(友人に「一馬」という競馬新聞の社長がいます。彼から馬にまつわる話はよく聞きました)勝ち馬とは「一着馬」で、そんなにたくさんが乗るとつぶれてしまうのは目に見えています。ましてこの馬、決して若くはないし、膂力があるとも思えませんが。ただし、恫喝力は相当らしい、直接の被害者が言っておられました。それに執念深いそうです、いやだね。これは「なに効果」というのか。「一将功なりて万骨枯る」というが、いずれ間もなく一将も朽ち果てる。残されるものは累々たる万々骨だけです。ようするに「総裁選」というけど、島社会の地方競馬でしょ。(だが、税金は「寺銭」となってゴミ溜めに消えていく、口惜しい)

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変貌する教室の風景、新たな可能性

  旧教育と新教育について(十九世紀末のアメリカにおける)

 二十世紀における教育思想の大家で、この国の学校教育にも大きな影響を与えた人にアメリカのジョン・デューイがいます。1896年に始められたシカゴ大学付属小学校(実験学校)―これは約7年間続きました―の経験をもとに『学校と社会』という小さな書物(講演集)を彼は出版(99年)しました。そのなかで旧来の「伝統的教育・学校」に対してつよい批判を展開しています。いま聞いてもじゅうぶんに参考になると思われます。(デューイに関しては、すでに何度も、このブログの中で述べてきました。同じような内容になりますが、事の性質からお許しいただけると幸いです、悪しからず)

 あるとき、デューイは「子どもたちの身の要求にぴったりするような机と椅子」を求めて学校用具店をまわったが、自分たちがほしいものが見つからず、最後に立ち寄った店の主人から次のようにいわれたそうです。「お気の毒ですが、手前どもにはお望みのような品はございません。子どもたちがなにかこうそれでもって作業をやれるようなものをお望みのようですが、ここにあるものはどれも聴講用のものでございます」

《 それはすべて「ものを聴くために」作られたものである ― というのは、たんに書物から学科を学ぶということは、聴講の一種にほかならないからである。それは一つの心が他の心に従属・依存していることをしめすものである。ものを聴くという態度は、比較的にいえば、受動的の態度であり、ものを吸収する態度である。すなわち、それは一定の出来合いの教化がそこに存在すること、その教材は教育長・教育委員会・教師などがあらかじめ準備しておいたものであり、子どもはできるだけ最少の時間にできるだけ多量の教材を取り込めばよいことを意味している 》(『学校と社会』)

 学校というところでは子どもは自分たちでなにかをするのではなく、教師が話すことをちゃんと聴くための場所だというんですね。教師が話し、生徒は聴く。今も昔も変わらぬ教室の眺め。よく聴ける子は優等生、よそ見をする子は劣等生という、子ども観の相場はいまも健在です。教師は〈授業〉を授け、生徒は〈授業〉を受けるというものですね。 

  ところで、教育(教師)は「おしゃべり病」にかかっているといったのはパウロ・フレイレという人でした。どんなに興味のありそうな事柄でも、教師が話すうちに、内容は枯渇してしまう。本来は面白いはずなのに、いらぬ努力をしてつまらなくさせてしまうのじゃないか。生徒が不思議を感じたり、感動することは勉強の邪魔になるとでも思っているのではないかといいたくなります。

 《 話し手である教師の話は、生徒がその内容を機械的に記憶するように促す。さらに悲惨なのは、生徒を教師によって満たされるべき「コンテナ」つまりは容器に変えてしまうことである。容器をいっぱいにすればするほど彼はいい教師であり、より従順に満たされるがままになればなるほど、彼はいい生徒になるのだ 》

  《 教育はこのようにして預金行為となる。そこでは生徒たちは金庫であり、教師は預金者なのである。お互いが交流するのではなく、教師は固まりの教義を発し、「預金をする」それを生徒たちは忍耐しながら受け入れ記憶し、そして繰り返す。これこそが銀行型教育というものであって、そこにおいて生徒たちに許される活動の範囲は、預金(教師によって話される内容)を受けとり整理し貯めるだけということなんだ 》(フレイレ『非抑圧者の教育学』)(この部分は英語原文で後日掲載します)

  椅子の話に戻ります。同じ規格の机と椅子が整然とならべられている教室、その教室の風景はどこもかしこもあまり代わり映えがしません。そこではいったい、どのような教育活動がおこなわれるのでしょうか。そのことについてデューイは次のようにいいます。

《 机がきちんとならべられてある伝統的な学校教室から受けるもう一つのことは、できるだけ 多数の子どもたちをとりあつかうために、つまり、子どもたちを個々のものの集合としてひとまとめにとりあつかうために、すべてがあんばいされていることである。ということはまたしても、こどもたちが受動的にとりあつかわれることを意味する 》(同上)

 一人の教師と40人の生徒。少子化の今日、相対的にはクラスの規模も縮小されてきましたが、それでも〈一対多〉関係はなくならないでしょう。これには長い伝統があるからです。このような教師対生徒の関係にもっともふさわしいように教室が作られたわけですね。いわゆる一斉授業なるものはわが国では明治初期にすでに開始されています。その理由は、学校教育の後発国であったということでした。

 また、もう一つ別の理由がありました。それはデユーイが述べたように、子どもはだれかに依存するものだという「子ども観」に支えられていたはずです。自分一人で、あるいは子どもたち同士では大したことはできないし、放置しておけばろくなことをしないという、子どもに対する意地悪な視線がそこにあったにちがいないのです。「一つの心が他の心に依存・従属している」ことを教室の風景は示しています。そして、受動的とは「吸収する態度」だと彼は指摘しましたが、「与えられたものをそのまま飲み下す」のが子どもの本領だと、当時もみなされていたのでしょう。

 このような学校や教室を工場にたとえてみることができそうです。個々の子どもはみんなちがいをもっている。生まれた環境も育った歴史もすべてちがう。もっているであろう素質もちがいます。それぞれにちがいをもった子どもを、時間をかけて同じ品物に作り上げようとするんですね。でこぼこをそろえるために切り張りするし、○や□を削って△にする、そんな無茶なことが教育だといわれていないでしょうか。

 教育はまるで温室栽培のキュウリやトマトのようで、長さも太さも味までも同じように、子どもたちを作り替えてしまう。同じ肥料を同じ分量だけ与えることをくりかえせば、おそらく姿形がそろった作物がとれるはずです。自動車工場の生産ラインを考えれば、もっとわかりやすいでしょう。学校は工場だ、それをデユーイは次のように説明しています。

 《 同じことから伝統的な学校におけるカリキュラムおよび教育方法の画一ということが説明できる。もしすべてが「聴講」という基礎に立っているならば、諸君は容易に教育と方法を画一化することができる。耳、および、耳を反映する書物が、全員にとって一様な媒介となるのである。さまざまな能力や要求に適応する機会はほとんどない。或る一定の大きさの―或る一定量の―レディ・メードの結果と仕上げがある。これまで小学校から大学まで展開されてきているカリキュラムは、この要求に応じるものである。まず、この世の中にちょうどこれだけ望ましい知識が存在し、またちょうどこれだけ必要な技能が存在する。そこで、この知識・技能を学校生活の六カ 年・十二カ年もしくは十六カ年に割り振るという数学的問題となる 》(同上)

 さて、コロナ禍の今日、教室の風景は一変するのではないでしょうか。「対面授業」に代わって、テレワークやオンデマンド、あるいはリモート授業方式にと、名称も取り混ぜていろいろなことが指摘されています。いかにも斬新な、だが果たして中身(成果・効果)が狙ったように得られるのでしょうか。

 でも、ぼくが一変するであろうという「教室の風景」はそのような陳腐なものではありません。現下の事態は確かに、教育の方法やスタイルを変える可能性を含んでいます。試験(テスト)の意味あるおは価値もまったく変わらざるを得ないでしょう。点数(成績)をつける意味合いがまったく、これまでとは異なってくるはずです。「教室の風景」が変わると、どのような可能性が開かれるのか、そこを主題として、ゆっくりと考えてみたいのです。今、ぼくの頭の中には、ケストナーの『飛ぶ教室 ・Das Fliegende Klassenzimmer』が躍動しているのです。(今回は、必要以上に「長駄文」となりましたので、「変貌する教室」の風景などに関しては、別の機会に改めて)

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