繁栄は誇りではなく、むしろ罪悪だ

 《 資本主義日本は繁栄し、豊かであると日本人は胸を張って世界を闊歩している。しかしこのような資本主義体制や、いわゆる自由世界を、単純に謳歌してよいものかという、新しい問題がある。(中略)  

 ところで、先進資本主義国の高度成長によって、一見豊かに見える市民生活は、他面、資本主義は高度成長しなければ崩壊する、という楯の反面をもっている。/ 私が日本の高度成長期に主張したとおり、高度成長は、資本主義のある段階における暴走現象である。すなわち、それは恐慌の新しい形であるから、制御できない性格をもつ。喜んでばかりはいられないのである。

 ところで、そのような生産は地球の上で行われているから、当然、地球的な制限を受ける。/ 約二十年前に、ローマ・クラブは、地球資源の観点から「成長の限界」を論じた。しかしそのころから私は、経済の成長は資源問題よりもむしろ、さまざまな地球規模の公害を生むという、人類の生存にかかわる限界があることを指摘していた。》(武谷三男「経済成長という矛盾」『環境と社会体制』所収。技術と人間刊、98年)

 武谷さんは物理学者でした。『武谷三男著作集』(全六巻)『武谷三男現代論集』(全七巻)など多数の著作を残され、2000年に亡くなられました(1911年生まれ)。技術論や国の行ってきた原子力政策について多くの発言を費やし、批判的な立場を貫いた人でした。引用した文章が書かれたのは八九年九月です。まさに「高度経済成長」のあからさまな矛盾が噴出していた時期に重なります《Japan as NO !》と、他国から煽てられて、国を挙げて浮足立っていた直後、儚い迷夢から寝耳に水で、一瞬のうちに崖から突き落とされた時期でもあります。(ぼくが大学に入ったのが64年、いたるところが「普請中」だった。川も海も埋め立て、山を削り、と勝手放題に地球に牙をむいて、ひたすら邁進していた「高度経済成長期」に遭遇したのです。「政治の時代」から「経済の時代」への移行といわれていました。凄いところに来てしまったな、と「僕は泣いちっち」の気分だった)

 ひたすら物が満ちあふれる生活が豊かだと錯覚する時代がつづきました。気がつけば、処理しきれない不要品でぼくたちは圧死寸前の状態に陥っていたしし、その影響をいまだに引きずっているのです。年間に自動車を何百万台も生産する工業力を誇ったが、それはいかなる観点からの経済主義だったのか。今になれば、それもまた悪夢のようでした。(少し脱線、というか、今までも脱線していたんだから、大いに脱線というべきですね。今春、長年住んでいた家屋を売却しました。築三十五年、不動産屋は取り壊して更地で売却しませんかと、意外なこと言いました。古屋部分はゼロ査定。奈良の法隆寺は木造で千三百年だ、この家だって百年は悠々と住めるさ、とぼくは譲らなかった。古家を手直ししてでも住んでくれる人にこそ売りたい、と。しばらくして若い夫婦が見学に来たので、ぼくは「うんと値引き」して売った。不動産屋いわく「売値を売主が値引くなんて、長い仕事の中でも初めてです」といいました。それだけ、モノを大事にしようという精神さ。今乗っている車は、登録以来、十九年目です)

  《 隣国中国が、日本モデルを理想として成功したら、どうなるだろうか。それは、日本の十倍の地球汚染をもたらすことになり、ただちに地球はパンクする。/ このことから考えても、現在先進諸国の高度成長による繁栄を、地球上の十億以下の国民が約四十億の途上国の人々の犠牲において得られている、という結論になる。/ したがって、今日ただちに地球汚染の全許容規模を決めて、それを五十億で割り、各国の人数割に配分すべきだということになる。現在の日本の繁栄は、環境問題からいっても、発展途上国の圧倒的な人数の犠牲の上に成立っていることを、自覚すべきである。/ 先進資本主義国の繁栄は、決して単純に誇るべきことではなく、むしろ罪悪であること。人類は、生産物の豊かさとは異なる生活の豊かさを見出すべきことを知る必要がある。すなわち、先進資本主義国の生産力をいかに制御するかが、今日の課題なのである》(同上)

 《 今、ブームになっている新技術は、なんら人類の危機を救うものではないこと、むしろ危機を加速する可能性があることは…/ 本当に必要な技術とは、地球汚染を救う技術、地球を砂漠化から守る技術、廃棄物処理、汚染処理、公害処理の技術である。いや、というよりも、公害をできるだけ出さない技術、処理できる範囲でしか廃棄物を出さない技術、粗大ゴミをつくらない技術こそが、真に求められる技術なのである。/ こうなると、もはや科学技術の問題ではない。社会体制の問題である。くり返すが、全世界の戦争体制と利潤体制こそが、人類の危機を招いている元凶である。

 一見繁栄に見えていることが、じつは行きづまりなのである。経済成長しないでも、人びとが安心して生活していける体制、それをつくり上げねばならないときが来たのである。(「科学大予言」同上)

 今日の状況から見ると、いかにも当たり前の観察であると思われますが、これが書かれたのは83年でした。何の疑問ももたず、大量生産と大量消費がセットにされ、あげくに大量廃棄で完結しない体制を維持しながら、この30年も突っ走ってきたのです。腐るほど出る破棄物を処理する技術も哲学もないままで、ぼくたちは企業や政治のお先棒を担がされていたと気がついたときには、時はすでに遅し、だったということでしょう。「先進資本主義国の繁栄は、決して単純に誇るべきことではなく、むしろ罪悪であること」という指摘をぼくたちは真摯に受け止められるかどうか、受け止めたかどうか、それこそが、今現座に至っても問われています。「資本主義は高度成長しなければ崩壊する」のを事実として認めなければならない瀬戸際に立たされています。

 武谷さんの指摘から、すでに四十年近くが経過しました。その間に、自然災害(地震・豪雨、台風など)とそれに輪をかけたような、人災としての原発事故、その災厄の大きな傷跡、爪痕は、なお隠しようもなくこの島のあちこちに厳存しています。それらは物言わぬ物質ですが、人間よりもはるかに雄弁に事態の深刻度を物語っているのです。この歴史から何一つ学ばないどころか、歴史の事実すらも改竄したり消去しようとして、もの狂わしいいほどに躍起になっている権力亡者たちは血眼になって、次なる獲物を狙っている醜悪きわまりない惨状を、ぼくたちは毎日のように見せつけられています。go to hell!

 若いころに洞穴の中まで入ってしげしげと観察した、新潟は西蒲原郡の「賽の河原」、それをぼくは時として思い返す。一人の人間の、あるいは人間の集団の積年の働きも、結局は実を結ばないのではないか。なぜ、そんなことまでしなければいけないのかと、野原や藪中の猫や鳥の生きる様に引き込まれそうになります。目的がありそうでなさそうで、とにかく活発な蟻や蜂などの動きを見ていると、なおさら仲間に入りたくなる。もう蝉の声はほとんど聞こえなくなりました。夏の盛りにこそ、秋が忍び入って準備しているんですな。

 ●賽の河原= 死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途(さんず)の川の河原。ここで子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。そこへ地蔵菩薩が現れて子供を救うという。 むだな努力のたとえ。(デジタル大辞泉)

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この方、そんなに有名なんですか?

新しく副首相兼大臣に就任したペトラ・デゥスッテルさん(2014年、By Hansmerketー Own work , CC BYーSA 3.0)
ベルギーでトランスジェンダーの副首相誕生 国内では誰も騒がない、素晴らしい理由とは
2018年暮れから650日余りを費やし、欧州の小国ベルギーにようやく正式政府が樹立した。その陣営は日本のそれとは相当違う。男女半々、若手が多数。イラク難民の2世はいるわ、トランスジェンダー女性はいるわと、多様性を絵に描いたような顔ぶれだ。外国メディアでは「トランスジェンダー女性入閣」などと騒がれ、世界の性的マイノリティーには強いエールを送った。だが、当のベルギーでは話題にも上らない。海外とベルギーとで何が違うのだろうか。(ジャーナリスト=佐々木田鶴)
▽欧州初のトランスジェンダー大臣
  今回ようやく成立したのは7党連立政府。そもそもベルギーでは、国を二分するゲルマン系民族とラテン系民族が「社会のあり方」に期待するものは極端に違う。公用語が三つもあり、有史以来、ありとあらゆる移民や外国人がやってきてできた社会だ。
 他人と異なることが当たり前の社会では、支持する政党がばらけるのは無理もなく、二大政党どころか、政権の中核を担える明確な多数派政党すらない。だから、総選挙の後には連立を組む相手と折り合いをつけるのに、毎回気の遠くなるような時間がかかる。10~11年にも541日を要した。今回はさらにそれを越えた。でも、新政権ができるまでは、前政府と前首相が決められていることだけを粛々とこなす決まりがあるから、カオスには陥らない。突然のコロナ危機では、特命を与えられた臨時首相がなんとか対応してきていた。
  それにしても、今回の組閣は見事なまでの多様性を具現した。多様な人種や民族的背景を持った人が混じっていることは、外見や名前から誰もがすぐに気づいた。ところが「ペトラが入閣して私はすごくうれしい!」と、ある外国人記者に率直な喜びを伝えると、「この方、そんなに有名なんですか?」と返された。(2020/10/9 07:00 (JST)©株式会社全国新聞ネット)
 ペトラ・デゥスッテル。彼女は筆者の中では、ベルギーを代表するヒロインだ。婦人科医で、ゲント大学医学部で生殖医療を牽引する教授でもある。14年、緑の党から立候補してベルギー連邦議会上院議員になり、欧州評議会でベルギーを代表。19年6月の選挙で活躍の場を欧州連合の議会に移した。そして、自らがトランスジェンダー当事者(男性から女性)であることを隠さない。
 ベルギーおよび欧州の政治の場で、行政手続きや制度の改革、公衆衛生と持続可能な開発などを担当し、医療や医療倫理における深い知見から、代理母出産における子どもの人権、ヒトにおける生殖技術使用、製薬業界の臨床研究の独立性などを任されてきた。同時に、LGBTQの人権やがん撲滅などでも広く活躍する。客観的で科学的な取り組みは高く評価され、どのようなテーマであっても、人権と公共の健康や衛生という観点から軸足がぶれることはなかった。
 そんな彼女が今、欧州初のトランスジェンダー女性として、副首相兼大臣(官公庁・公共機関担当)に任命されたのだ。(同上)

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 「他人と異なることが当たり前の社会」「(多様な考えが存在するから)連立を組む相手と折り合いをつけるのに、毎回気の遠くなるような時間がかかる」と記事にあるように、物事を丁寧に決定するには時間がかかる、民主主義には「時間というコスト」は軽減も無視もできないということでしょう。このことから、「満場一致」がどんなに杜撰で、(ぼくに言わせれば)暴力的であるとさえいえるのです。他人の意見を尊重する、物事の重要性については時間をかけて明らかにする、でも一定の「取り決め(修正可能)」は守る。それがなければ、「カオス」に陥るだけだからです。 

 十人十色( So many men, so many minds.)というのは、集団生活が開始された早い段階から、十分に集団の成員に受け入れられていた生活態度だったように、ぼくには思われるのです。根拠みたいなものはあるともないとも断言はできませんが、もし一色に塗りつぶされてしまったなら、その人間集団は永続できなかったに違いない。したがって、この集団生活観が今頃になってとかく言われているのも、それだけ「十人一色」「一億一心」「億兆心を一に」という本来の性質をゆがめる強制力が働いていた時代ががあったからではないでしょうか。個性などという言葉が使われていなかったころにも、個性というのもはあったし、個性尊重という意識が注目される以前に、すでに各人を大事にする態度はあったに違いない。稲の品種の多様を確保することは、イネそのものにとっても死活問題だったし、それを食料にしていた人間集団にとっても死命を制せられるほどの重大事であったのです。違いがあることから、それを認めるところから、新たなものが生まれます。」

民主主義というのは、「差し当たっての決定」を得るプロセスであり、その繰り返しです。ある詩人は「地平線に向かって歩くようなもの」、それがデモクラシーだといったことがあります。じっくりと時間をかけて、参加者が納得して決める、でもまちいに気付いたら、また、時間をかけて丁寧に方向を求める。正しさは「方向に」あるのではないですか。今度は、こっちの方に行こうではありませんか。まちがっていたら、出発点に戻る。急ぐことはない。

 「多様な人種や民族的背景を持った人が混じっている」「(それでいて)男女半々」のベルギー新内閣の出発。そこへ行くと、この島の組閣は、まるで自動運転のようで、あるいはコンビニの「お弁当」のように、手間も暇もかからず(金だけはびっくりするくらいかかっているはず)、じつにすんなりと出発進行。(ただ今、エンスト気味ですが)「仏壇のお供え」のように女性二人(失礼します。「紅二点」というのか。これが「美しい国」の美学かよ、と大向こうからの音声あり。

 どちらが「いいとか悪いとか」言うのではありません。(言わなくても、分かりますか、ぼくのいいたいことが)これは「(文化という名の)道」なのですから、自分たちの脚で歩かなければ、その後に「文化の道」はできないのです。ベルギーから「道を輸入する」わけにはいかない。泥濘(ぬかるみ)も埃(ほこり)も、自分たちの心身と知恵を駆使して、時間をかけて掃除する必要があるというのでしょう。この東海(倒壊)の島社会は、アッと気づく間もなく、文化も民度も政治力も経済規模も、もっとも情けないのは人心ですが、それらがまるで雪崩(なだれ)現象を起こしているように、とめどもなく滑り落ちていく。まだ落ちている。堕ちていく、堕ちている。その原因は、「満場一致」「全会一致」(unanimities)の礼賛あるいは狂信、「異質」(heterogeneity)の極度の嫌悪と排除、こんな慣習や習慣(旧習・悪習に泥みすぎています)から抜け出せないからだと、ぼくは考えているのです。

 「LGBT」、なんでそれが話題になるの?、どこに問題があるんですか、と言ってみたいねえ。日暮れて、道遠し。どんなに暗い夜が長くても、朝はきっとやってきます。だからさ、歩かなきゃ。ぼくも歩く、君も歩こう。「歩く」は「考える」だ。「時代おくれ」にも多面性がありますね。「おくれている」という意識や自覚が働くには「外圧」が必要なんですね。それがなければ、「鎖国状態」は延々と続きます。「鎖国」は「時代おくれ」なのではなく、「時代の外」に出ることなんでよ。「世界と日本」というとらえ方は今でもあるでしょう。「日本は世界と戦争をした」などと言っていたくらいです。どうして「日本は世界に入っていないんですか」という疑問がぼくにはあります。先ずはこのあたりから、克服するのがいい。その次は「時代おくれ」を乗り越えるですね。さらにその先があります。長い長い道ですが、目指す方向は見えていますから。けっして誰かの後ろ姿を追っかけるのではない。「坂の上の雲」とはなんだったのか。

 (左の写真は、「世界に先駆けて、新型コロナウイルスの感染拡大を初期段階で封じ込めた台湾。その陰には、1人の「天才」がいた。IT担当大臣を務めるオードリー・タン氏(39才)だ。身上書の性別欄に「無」と書いたことでも知られる。」(2020.06.13 07:00 「女性セブン」)

紅一点=《王安石「詠柘榴」の「万緑叢中 (そうちゅう) 紅一点」から。一面の緑の中に一輪の紅色の花が咲いている意》 多くのものの中で、ただ一つ異彩を放つもの。「殊に目に立つ―は金釦鈕 (きんボタン) の制服」〈魯庵社会百面相 多くの男性の中にただ一人いる女性。」(デジタル大辞泉)

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感染せずにおかない権力腐敗の万世一系

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 愛のさざなみ 作詞:なかにし礼    作曲:浜口庫之助
どんなに遠くに 離れていたって
あなたのふるさとは 私ひとりなの
ああ湖に 小舟がただひとつ
いつでもいつでも 思い出してね
くり返すくり返す さざ波のように
さざ波のように

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 いま、ぼくたちはとんでもないものを見せられようとしています。見せられるだけではないかもしれない。まさか、自分の生存中にこんな事態(景色)が出現しようとは思いもよりませんでした。三枚の写真を並べた意図はべつにありません。自然界における狂熱・狂気の季節が過ぎたのか、はたまた人間界にも、狂気の時代はやってくるのか、きたのか。一国だけが自由であったり、平和であったりすることはできない時代に我々は生きています。そのあからさまな証拠が「新型コロナ・covid-19」の感染伝播です。コロナだけが感染するのでないのは言うもでもありません。一時代前に、「アメリカがくしゃみをすると、日本は風邪をひく」と言いはやされました。今では、各国がこぞって、「一国中心」「自国優先」という「自国至上主義」です。「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」の感染力も侮れないどころか、その悪影響は避けられないのです。狂気という伝染病は飛行機に乗らないで飛んでくる。国境封鎖も滑稽なだけ。自ら感染することを熱望する輩もいる。(お千代さんも、もういません。「この世の花」だったのに)

 「独裁」「専制」「ファッショ」などと、こんな言葉が使われるのに見合った時代、ぼくがが生きているうちに来るとは(まだ来ていないのか、ホントに?)、夢想だにしなかったといっているのではありません。「くり返すくりかえす さざ波のように」しずかに寄せては返す、波の音ばかり。でも気づいてみれば、さざ波は大波・荒波に、すべてを併呑していくのです。戦前に人気を博した漫才コンビに「愛国お浜・小浜」がいました。敵性言葉を芸名にした「ハッピーお浜・小浜」だったのを改名させられた。この二人は戦後にも大ブレーク、ぼくも、生で(実演を)聞きました。「海原お浜・小浜」さん。その弟子が「海原千里・万理」で、ご健在なのは、上沼恵美子さん(左上写真の右側)。人間は一人でも「独裁者」になるんですね。(この駄文、準備も草稿もなく(いつも通り)、MUJIではなく、MUKEです。雨の慕情のせいかね)

 終わりに、脈絡もなく。兼好さんの「世に従はん人は」を読みたくなりました。

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「春暮れて後に夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気もよほし、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。

(兼好の墓所・双ヶ岡)

木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。
下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。

迎ふる気、下に設けたるゆゑに、待ち取るついで甚だ速し。
生・老・病・死の移り来たること、またこれに過ぎたり。

四季はなほ定まれるついであり。
死期はついでを待たず。

死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。
人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、おぼえずして来たる。

沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるがごとし。」(「世に従はん人は、まづ機嫌をしるべし」)

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少しのことにも、先達はあらまほしき…

 「世界遺産の仁和寺(京都市右京区)の僧侶が、法衣姿でバイオリンを演奏する動画がツイッターで話題になっています。ドキュメンタリー番組「情熱大陸」のテーマ曲を演奏する姿は大きな反響を集め、リツイートは11万回以上、「いいね」は30万回を超えました。演奏しているのは一体どんなお坊さんなのでしょう。仁和寺に聞きました。/ ツイートは4月4日にアップロードされました。「外出自粛で精神的に疲れている方も多いと思います。僧侶によるバイオリン『情熱大陸』を聞いて皆さま元気を出してください」という文章と、48秒の演奏動画を付けて投稿されました。/ つぶやきは瞬く間にリツイートされ、「癒やされました」「うますぎる」とのリプライが付きました。中には、仁和寺の僧侶が登場する鎌倉時代の随筆集「徒然草」の一節のパロディーを書き、リプライを寄せる人もいました。(以下略)(京都新聞・2020年4月11日)(下写真:仁和寺で僧侶がバイオリンを演奏する動画が話題 「癒される」「うますぎる」の声も)

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 昨日の駄文にも書きましたが、ぼくが卒業した高校は京都市内にありました。すぐ北側が仁和寺。その前に双ヶ岡。校門前には嵐電の「常盤(ときわ)」駅があり(常盤御前所縁の地、義経の母)その終点が北野天満宮(天神さん)。今思えば、立地は最高ではないけれど、最低でもありません。最中(「さいちゅう」と読みたいが、最も中って何だ。長嶋茂雄さんは「前半・中盤・後半」と言っておられましたね。前半分とあと半分、おまけに中盤と)(左は石清水八幡宮、たしか男山八幡とも言いました・ここにエジソンがいます。というか、電球のフィラメントにしたのがこの地の竹の繊維でした)

 兼好さんは御室の仁和寺が好きでした。それを書くときりがありませんので、後日にでも。兼好さんの庵は、双ヶ岡(ならびがおか)の麓。卒業した高校の前にぽっこりと並んでいます。ぼくの家は仁和寺の檀家ではありませんが、孫檀家ぐらいの位置にあります。詳細は略。両親の墓所を管理している寺の僧侶は仁和寺系です。このバイオリン奏者ではありません。彼は麻雀の大家かどうか。愚弟とよく卓を囲んでいました、僧服のままで。それはさておいて、お寺も多角経営なのか、あるいは僧侶に人材が綺羅星の如くというべきか。おそらくそうなんでしょう。この人は音大出身だそうです。寺とバイオリンは相性がいいそうです。(上は右は双ヶ岡、左は歌川國定の常盤御前像)

 清水寺でピアノを弾かれている方もいます。三宅何某さん。また、僧侶で落語家、いや落語家が僧侶か、そんな方もいます。露の団姫(まるこ)ちゃん。(「オムロン」という会社がありますが、それは御室の地にあった(元の)立石電機。高校一年先輩の親父さんが創立した会社)

 ぼくは京都が好きではない理由の一つに、お寺の荒稼ぎがあります。観光客を集めても税金を払わない、それは宗教活動だからと。屁理屈にもならないで算術に走る僧侶、こんなん好きになれへんと、「出家」しました、十八で。いやそれは「家出」です。バイオリンもピアノも、もちろん落語も結構です。ぼくは幼いころ、「御講」というものに何度も参加したことがあります。坊さんが高い壇の上に載って(学校でもあるでしょ、校長が偉そうに話すときの「登壇」の場)、門徒を見下げて「説教」を垂れるという図です。その壇が「講壇」、あるいは「講座」で、そのつまらぬ説教が「講義」と言われた。話し手を講師とも。大学はそっくりその形式を模倣したんです。授業料はお布施でした。(さすがに背の高い「講壇」は見当たりませんが)(これも余談ですが、日本の(中国も)ヤクザのお手本は禅宗のお寺のしきたりにあったそうです。「頼もう」「どーれ」とかいうやつです)(上写真は本願寺の報恩講の風景)

 寺それぞれに個を突き出していくのか、あるいは政治に精進するのか。幼稚園経営や駐車場経営で資産を増やそうとするのか。インバウンドを当てに、観光立寺と自己規定するのか。寺はどんな時代を迎えているのか。信じる者は救われるというけれど、それは、ひとえに寺側の事情(救済)であり、信徒や門徒、あるいは氏子、加えるに一般民衆は救済されないようです。末法の世ですかな。ここまできて、もう一度、親鸞さんに戻れというサインが出たようです。

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いざ言問はん 都鳥 わが思ふ人は

近所のお蕎麦屋さん。週一で参じます。手前はソバ畑。上方かすかに九十九里海岸が望める。

 梵語 ほんま暑おすなぁ、と猛暑をぼやいていたのがうそのようだ。きょうは野草に露が宿るという「寒露」。朝夕に吹く風はひんやりとし、程なく紅葉も始まる▼この時季、湖国の山あいを車で走ると、白いじゅうたんのように広がるソバ畑の光景に目を奪われる。かれんな白い花は雪にも例えられる。<蕎麦(そば)はまだ花でもてなす山路かな>と遠来の客を和ませた芭蕉の詩情に思いをはせる▼丹波や丹後などでも昨今、休耕田でのソバ栽培が盛んという。本紙地域版では「ソバの花真っ白」「白じゅうたん 秋風そより」といった記事が秋の深まりを告げている▼いま満開なのは、夏にまき、晩秋に実る秋そば。来月上旬に刈り取り、初冬にうま味が凝縮した「新そば」として出回る。地産地消で提供する地元のそば屋さんも多いと聞く。ひきたて、打ちたて、ゆでたての風味が待ち遠しい▼ソバは収穫までの日数が短く、年2回栽培できる。日照りや冷害にも強く、昔から凶作をしのぐ救荒作物として重宝されてきた。いわば危機を乗り越える食品ともいえる▼春先から続くコロナ禍は、いまだ収束を見通せない。政府挙げての「GoTo」の掛け声がにぎやかでも、もう少し我慢か。とはいえ近場で目でも舌でもそばを味わい、しばし自粛疲れを癒やすのはいかが。(京都新聞・2020/10/8 16:00)

 このコラムの筆者は男性。京都人ではないような雰囲気が、とみているのはぼくです。だからどうというわけでもありませんし、近年の京都人もさまざまな雰囲気を持っておられますから、これが「京都人や」と図星は困難であるかもしれません。東に「俺っちは江戸っ子だ」とシタリ顔でいうお方もおられます。江戸っ子の定義(というのも変ですが、実は辞書にも載っているんです)は「江戸で生まれ江戸で育った人。また、現在では、父祖以来東京、特にその下町に住んでいる人についてもいう。いなせで、さっぱりとした気風や、歯切れがよく、銭遣いがきれいで、反面、浅慮で、けんかっぱやいところが特徴とされる。「三代江戸に住めば―」「ちゃきちゃきの―」(註 ホンマかいな)
 江戸言葉。江戸弁。「わざと―を使った叔父は」〈漱石明暗
[補説]「江戸っ子」の初見は、明和8年(1771)の「川柳評万句合」の「江戸ッ子のわらんじをはくらんがしさ」といわれ、それ以前は東男(あずまおとこ)または江戸者といった。江戸中期の繁栄期に、その語感が彼らの気質と誇りに合って普及した。」(ぼくが常用している「デジタル大辞泉」の解説です。他の辞書も大同小異。)

 今では大都市となった東京も、家康入府以前は湿地帯でもあり、ほとんど住環境には適していなかった。武蔵の国への移植は秀吉の深慮の故でもありました。江戸の後期は百万都市としょうされ、世界最大の「都会」の決まり文句まで生まれた。今は、すっかり田舎人に占領されて、都会の面影も雲散霧消と言いたいんですが、そうじゃありませんね。江戸っ子に関して言うと、「いなせで、さっぱりとした気風や、歯切れがよく、銭遣いがきれいで、反面、浅慮で、けんかっぱやい」などという無形文化財(人間国宝)のようなお方はどこを探してもおられないという事態になりました。昔風に言えば、「よそ者に」島(縄張り)を取られた感が深い。

 過日なくなられた守屋浩さんによって「僕は泣いちっち」と歌われたのは1959年、詞と曲はハマクラさん(「夜霧よ今夜もありがとう」(1967年)など)、「夜霧に、お礼を言う」なんて、とぼくは驚いたね。東へ東へ、と空前の民族大移動。その一人がぼくでした。それ以前は「リンゴ村から」(三橋美智也・1956年・メルボルン五輪)、彼女が東京へ行ってしまって、「おいらは泣いた」という悲恋物語。と行くと、ぼくの悪癖はどこまで行っても終わりません。この後に、「お月さん今晩は」(遠藤実曲・大谷廸夫詞・藤島恒夫歌)。「月に挨拶している。ヤマトンチュウは礼儀正しかったんだ、万物を擬人化してさ」なつかしさに誘われて、歌いたいけど、「こんなさみしい田舎の村で」と多分は、新潟のある地域で「ひとり泣いていた」のは藤島恒夫さん。やっぱり男なんです、泣いているのは。

 ぼくは流行り歌(歌謡曲とも)なら、「船頭小唄」(野口雨情詞、中山晋平曲)(1921年)以降のほとんどを記憶しています。(流行らなかったものはダメ)。自慢するんではないのですが、学校では教えてくれまなかったし、試験もなかったから、記憶に長く残ったんでしょうね。なんでこんなのまで知ってるんだと、自分で驚くこともある。唱歌もしかり。浪曲も、落語も、小唄も、俗曲もと、情けないくらいに脳みそが欲しがりました。今では、邪魔になっていますがね。そのなかでも大好きなのは、…。止しておきます。これらは、歴史の学習だったし、漢字や、世情、友情や恋愛の…。これに軍歌を加えれば。これは、ついぞ歌いませんでしたが。

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 最初は「そば・ソバ・蕎麦」に釣られて、暖簾をくぐったら、「僕は泣いちっち」が聞こえてきたという塩梅です。何の当てもなしに「凡語」に行き当たり、そこからの連想で「東男に京女」と行こうとしたんです。『伊勢物語』の世界ですかね。「名にし負はば、いざ言問はん都鳥、わが思ふ人は、ありやなしや」とこのまま続けていいですか。「言問橋」なら、こまどり姉妹ですが。何度渡ったことか。今ではスカイツリーが我が物顔で屹立している、墨田川とくれば、「明治一代女」の市丸姉さんです。とにかくぼくは、この『伊勢』だけは大好きでした。古典・古文というものには興味もなにもありませんでしたが、これだけは別だった。なぜでしょうか。業平橋もあります、言問橋の近くに。さらにその上手には泪橋。ここも懐かしい場所です。酔っぱらったおじさんたちが路上で横たわっていました。もう四十年以上も前の明治通りです。

 高校時代の古典の教師二人。女先生は、父上は池田亀鑑という国文学の大御所でした。でも、娘さんの授業は、ぼくにはさっぱりで、馬の耳に念仏というのだったか。「徒然草(稚児と桜)」を朗読させられた時には往生しました。兼好さんの庭のような土地に高校がありました。その北側に仁和寺。もう一人は『万葉集』の研究では大家となった伊藤博さん。詳細は省きますが、高校教師時代は「好色」の感が漂っていましたね。立派な教師に恵まれていたのに、ついに古典は惨敗でした。無能は救い難しですね。ぼくが学校に気を許さなかった(理由と)結果は、語るに落ちる話であったという証拠になりそうです。ようするに、学校外で羽根を伸ばしていたんです。

 歌謡曲対古典文学、端から勝負がありました。流行り歌の圧勝でしたね。慙愧に堪えませんというべきかな。

● 寒露=晩秋から初冬にかけての、霜になりそうな冷たい露。 二十四節気の一。10月8日ごろ。このころになると、北地では初氷がみられるようになる。《 秋》(デジタル大辞泉)

 茶の木咲き いしぶみ古ぶ 寒露かな(蛇笏)

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 いくら「行方定めぬ旅枕」でも、これじゃあ、と我ながら思います。朝からのホスピタルが原因というのではありません。MUJI ならぬ、MUKE (無計画)でした。気分転換に、なにする?

 それにしても、寒おまんなあ。

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 歴史はくりかえさない、いつでも新しい

The Washington Post via Getty Imagesホワイトハウスを背景に並べられた2万の椅子(2020年10月4日)(筆者註 椅子一脚に十人当て。二十万人を超える死者の「無言の抵抗・抗議」だ。「コロナは軽いさ」「恐れてはいけない」と繰り返す権力者とは?)
「全国戦没者追悼式」(2018年8月15日)
広島平和公園祈念式典
長崎平和祈念式典

 歴史はくりかえす、しばしばこのように言われてきました。でも歴史のなかでは、二度と同じことは起こりません、そのことを、ぼくは身を以て感じてきたのも事実です。くりかえしたらいいなあ、という思いもあるし、二度と御免だという悔しさの念も強い。いったい「歴史はくりかえす」というのは何を意味するのか。

 人生がかけがえのないことを、ぼくたちは皮膚感覚で実感している。命・生命・いのち(life)は大事なものだという意味です。したがって、「二度あることは三度ある」、あるいは「三度目の正直」などといいながら、この摩訶不思議な「人生」の寄る辺なさ(helpless)を(悲喜こもごもの期待や不安の入り混じる複雑な思いを込めて)言い表そうとしてきたのです。ぼくがここでいいたいのは、ほかでもありません。「もと来た道」をぼくらは歩いているのかという、愚問とも何とも言いようのない疑問です。そんなことはあるはずがないからです。もと来た道を歩けないのは、どの人にも共通しています。もちろん、比喩でしょう。今でもそのようにいう人は少なくないし、もっと若いころには、「昭和初期に似ている」「戦前のようだ」「昔とそっくり」と年上の人から嫌になるほど(耳にタコ)聞かされてきました。「いつか来た道」と。

 ぼくは、昭和二十年八月以降は、いつまも「戦前」だと認識して生きてきました。戦前が終わるのはいつか。

焼野原と化した都市

 先輩たちの叫びや心配に対して、そんなことあるか、ほんとかよ、という気分にぼくは襲われたものです。そんなことがあるわけないでしょ、と。「死んだ人は還らない」「失った命は再生しません」いかんにも昔のようだと感じたり見えたりすることはいくらでもあります。「二重写し」(オーヴァーラップ)現象です。いま、アメリカのT大統領を見ていると、本気でこの人は「狂っている」といいたくなるし、(狂気の周りには小心翼々とした「エリート」などと言われる人々が取り巻いて、「狂気」の振舞いを虎視眈々と、という眼差しで凝視している)「狂ったヒーロー」、それをまた熱「狂」的に支持する大勢の人々がいます。マスコミも隊列を組んでいます。そうです、はっきりとした応援団です。「異議なし!大統領!」ファシズム、そんな言葉が悪夢のように浮かび出ているのです。

 この島はどうか。とてつもなくでたらめな権力行使を、長期間にわたり恣(ほしいまま)に、人民を愚弄してきた前内閣の二番煎じを飲まされているような強烈な悪寒を、今現在ぼくは禁じ得ないでいる。この二番煎じ内閣を下支えする「大衆の基盤」(Brigadeかも)があります。それを傍観するでも批判するでもなく、自ら権力側の隊列に入って歓呼しているマスコミがある。「権力と膝を交えるマスコミ」というのはブラックジョークにもならない、深刻な事態ですね。この島のマスコミの劣化が指摘されて久しいのですが、事情はアメリカも同じです。権力のやりたいこと、やろうとすることはいずこも同じでしょう。批判勢力を手なずける、飼いならす。仲間として取り入れる。すると、大半はしっぽを振るのを権力は知っているからです。提灯記事が満開です。このような状況は地上の各地で生じています。こちらの感染力も侮れない。

「外地」からの引き揚げ

 島の内閣は情報収集にかけては、最強かどうか知りませんが、相当なものです。「公安活動」のバリバリが目を凝らしているのですから。諜報機関化してから久しい。いたるところに「防犯という名の監視カメラ」が有形無形で設けられています。まるで隣国々の如しです。誰がどこで何をしたか、誰はどんな行動をしているか。あいつはどんなネット情報にアクセスしているか、政府に批判的な言動をするのはどいつか(ドイツ化)。まるで、戦前か(経験もないのに)と言いたくなります。それは「治安維持法」の時代です。もちろん、治安は「おのれ(権力)の治安」でしかありません。今回の学術会議委員の「任命除去」はまさにそうでしょう。権力の横暴だ、こんないい加減な法律を作るなと、いったい誰が言ったのか。ドイツが反対したのか。それを逐一調べているのですから。公安内閣、そのあからさまな結果です。(デジタル化は「情報の一元化」であるに決まっているのです)

 歴史はくりかえさない。だれもが歩く道は、過去に生きた人たちの残した道をたどるしかないのですから、似ているようでも、確かに過去の人々の歩いた道とは違う。つまりは、歴史はくりかえさない。(歩いた道が歴史になる、まるで魯迅さんのようです)歩いているのは新しく歴史に登場してきた者たちですが、人間のサガは変わらない。同じようなことを考えたりしたくなる。権力者はもっとそうでしょう。あの時代の権力者と同等の力を振るいたい、もっと強い権力を、そう考えるならば、悪辣な先輩から学ぶのは当然でしょう。(憧れの先輩が)「悪辣であろうが、狂気を含んでいようが」意に介さない。もっと権力をと、デジタルです、無ハンコ化です、縦割り反対です、携帯料金値下げです…。と「美辞」でもないが、耳当たりのいい言葉を垂れ流す。庶民や人民が困ろうが、苦しもうが、委細構わず、権力の強化と永続化だけしか願わない、そのためには何でもする。コロナでさえ利用する。この島の各地の小権力連中の中にもそんなのがいるんじゃありませんか。クワバラ、クワバラ。

 歴史はくりかえさない。しかし、くりかえしたいと思う人間がときには、同じような方法(戦略戦術)で人民を苦しめるのです。歴史いつでも未知です。一瞬に既知になりますが、それはいつでも無明です。灯りを、もっと灯りをと願うなら、過去に深く学んで賢くなるほかありません。携帯の料金は政府が決めるのか、これまた、隣国々に同じ。この島はどんな(政治体制)島なんですか。(野坂昭如さんは、それほど好きな人ではなかったが、彼の書いた『火垂るの墓』にはまいりました(左写真)。今ではこのアニメのことを思うだけで涙腺が壊れます、きっと。なぜでしょうか)

 (中断します これから、かみさんを病院に連れていきます。ぼくは行きたくないけど、病巣を抉り出さないと。医者とやりあう場面があるかも。ぼくは医者も病院も薬会社も大嫌いです。そこへ乗り込んでいくんだ。気を確かに。いや、それほどでもないんです。歳をとることは防げないというだけの話。夫婦そろって、老人病です。帰宅してから再開します。それまでは、これをアップしておきます。お許しを。ただ今、7.30AM)(まことに大病院で(➡)、たくさんの「患者」が右往左往するほどの「蜜」でした)

 (病院から帰還。14.00PM。九時前に家を出て、なんと五時間。病院までは車でニ十分ほど、生憎の雨降りだ。病院ではいろいろとありましたが、気が向いたら書きます。今月二十日過ぎに手術の予定。医者も病院も、製薬会社もうんと嫌いです。ぼくは依頼されて、三十年ほどある大学や病院の付属看護学校に出向いていた経験があり、たくさんの医者や看護師にも出会ってきました。特定の職業(人)に偏見を持ちませんが、医療はほんとに大きな問題を抱えていますね)(病院に恨みがあるのではないし、病院を非難するのでもありません。現代医療という「陰影」に対する抵抗感が、ぼくにはどうしても抜けないという話。コロナ禍にもその「陰影」が色濃く映し出されているのではないでしょうか。「患者本位」という符丁での医療ではなく、「人間中心」の医療を念願しています、と書いてきて、あれっ、こりゃ学校教育と同じじゃん、とオチがついたのか)

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