功労報償の性質は契約社員にも

ボーナス、退職金認めず 格差「不合理でない」―非正規訴訟判決・最高裁 

大阪医科薬科大の非正規格差をめぐる訴訟で「不当判決」の垂れ幕を掲げる原告弁護団(写真左)と、メトロコマース契約社員の非正規格差をめぐる訴訟の判決を受け「不当判決」の垂れ幕を掲げる原告ら(同右)=13日午後、東京都千代田区の最高裁前

 ボーナス支給が争われたのは、大阪医科薬科大で約2年間フルタイムで勤務した元アルバイト職員の女性が起こした訴訟。女性は、不支給は労働契約法20条が禁止する「不合理な格差だ」と訴えていた。/ 判決で同小法廷(宮崎裕子裁判長)は、同大のボーナスは「正職員の職務を遂行し得る人材確保の目的があった」と指摘。似た業務をしていた正職員と女性を比較しても内容に違いがあるほか、女性の業務は「相当に軽易だった」とも述べ、請求を退けた。5人の裁判官全員一致の意見。/ 大阪高裁は不支給を不合理な格差と認め、正職員の6割の支払いを命じていた。

 退職金支給が争われた、東京メトロ子会社メトロコマースの駅売店で約10年間働いた元契約社員の女性2人が起こした訴訟では、同小法廷(林景一裁判長)は売店業務に従事した正社員と2人を比較。業務内容はおおむね共通するが、正社員は配置転換があるなど一定の相違があるとし、「不支給は不合理とまでは評価できない」と結論付けた。/ 宇賀克也裁判官は反対意見で「契約社員が正社員より長期間勤務することもある。功労報償の性質は契約社員にも当てはまる」と述べ、正社員の4分の1の支払いを認めた二審東京高裁判決の破棄には至らないとした。(JIJI.COM・2020年10月13日)

_____________

 昨日最高裁で、奇しくも同じような非正規労働者の「賃金訴訟」の 判決がありました。すでに非正規雇用車が四千数百万人にも達している状況下における裁判でしたが、結論はいずれも「アルバイト」「契約社員」には不利な判決が出されました。この先にも全くの展望がないものかどうか、これをきっかけに状況が改善されてゆく可能性が高いと、ぼくは判断しています。理由は単純、非正規雇用者なしではどの企業も成り立たないような事態になっているにもかかわらず、労働条件がこれまで通りでは済まなくなるのは明らかだからです。「同一労働同一賃金」という原則は結構、だが、労働価値を数量化できないままで現状を放置するのではなく、あくまでも「労働内容の査定」(例えばプロ野球の契約更改制度などを参考にすれば)は明確にすべきだと思いますし、この先も、このような不合理な「労働契約」を少しでもいい方向に持ってゆく努力は政治にも期待されます。心ある政治家の出現を待望するというのも、ぼく自身としては言いたくありませんが、今でもそのような志に突き動かされている官僚や政治家もいるはずです。手をあげ、声を上げ、胸を張って「当たり前」の道を歩きたいものです。

 今から三十五年前に「派遣法」が議論されていた時、その法律の問題点を指摘して、反対に動いたことを今でもはっきりと記憶しています。当初は30センチほどの穴をあけるだけだと偽って、数次にわたり開鑿し続け、今では正規労働者を凌駕するほどの大穴を開けてしまった感が深い。これが「規制改革」なんですか。弱肉強食という名における、勝負にならない勝ち負けを強いるような政治や行政は人民の苦しみを糧として肥大してきたし、これからもそうなるでしょう。

 政治やそれが作り出す「法律」(派遣法など)は甘言、甘言、また甘言ですね。「いつでも好きな時に、好きな時間だけ」の甘言で、「新しい働き方」を謳ったものでした。「搾取」という言葉はいまだに生きつづけているのです。「搾取」という名の「人権侵害」を司法の番人を自認する最高裁が容認してどうなるのか。政治や経済の根本(目指すところ)は、いったいどこにあるのか、そんなことさえ自明ではないという異様な状況がつづく。だが、…。

 「功労報償の性質は契約社員にも当てはまる」という方向は見すえられてきた、そのベクトルは無理矢理に変更することは不可能な時代に来ていると考えます。「時代おくれ」は滅びる。いまや、企業が滅びるか、人間が滅びるかの「選択」のときだと寝言を言う人がいること自体が、末期症状であることは明らかです。

______________________________________

いい暮らしというのは、たいへんで…

 一人の女性のことをしゃべりたくなりました。その人は Aunt Arie、アリーおばさん。1978年に92歳で亡くなられています。ノースカロライナ州のアパラチア山中で生涯を送った人です。(以前から書いておこうと思っていた何人かの女性の一人です。先月、アメリカ連邦最高裁判事のRBGさんが亡くなられた時も、アリーおばさんの風貌を思い返していたところでした。「学歴」ではなく「生活歴」こそが大切ですね)

 彼女はアパラチア山中で、晩年、たった一人で「自給自足」をして暮らしていました。ぼくが教えられたのは、何よりも自立した生き方を徹底したという点にあります。事情があって学校にはほとんど通えませんでしたが、それは彼女の意志と自立性を強めることに役立ったのです。まるでギンズバーグさんと正反対の生活環境で生涯を送ったといっていいでしょう。彼女の生き方の流儀、あるいは生活の流儀とでもいえる話です。

「母がずっと病気だったから、学校へはね、一ヶ月行っただけ。その一ヶ月のあいだ一度も休みませんでした」(写真左下、Foxfire’s “Aunt Arie”. Photo Illustrations. 1992 Paperback Edition)

 アリーおばさんのお母さんは脳に障害を持って生まれ、まったく動けない身体で結婚し、彼女を生みました。48歳で亡くなるまで、彼女は30年間母親の面倒を一人で見たのでした。これが彼女の「学校」となり「教育」となったのです。文字通りの<Home School>でした。

「何一つ私なしでできなかった母は、私のなかに何にもまさるよき強さを育ててくれたかけがえのない人でした」「たいへんな仕事ほど楽しい仕事はないのですよ。ほんとうですよ。働くのがたいへんだったからこそ、私たちは毎日が楽しかった。いい暮らしというのはね、どんなにたいへんであっても、働くことが楽しい毎日のことですよ

 幼馴染のユリシーズと結婚して、一子を授かる。夫が亡くなった後、十年余だったが、彼女は豊かな生活を満喫して生涯を送った。彼女の周りに集ってくる若者たちに自分の生活スタイル(文化)を丁寧に授けることを介して、山の生活の厳しさも豊かさも「貴重な文化」ととらえる姿も印象的でした。ぼくも彼女から教えられたことはたくさんありますが、今でも肝に銘じているには、以下の三か条であります。なかなか含蓄がありますね。

 アリーおばさんがいつも語っていた三つの生活態度(思想)があります。

hard work(大変な仕事) 

good life(いい暮らし) 

③living by myself(自分で生きる)

 彼女はまずアパラチアの山中から出なかったといっていい。生涯を山の中で暮らすという人生、ここにも一つの「山の人生」があったといえるでしょう。RGBさんは、反対にアメリカの都会の真ん中で生涯を送られた。どちらがいい人生であったかと問うのは正しくないでしょう。それぞれが境涯に見合った生き方をしたら、それが街中と山中の二つの生活に分かれたというだけです。この”AUNT ARIE”を呼んだのは何年前だったか、おそらく都会のど真ん中といってもいい繁華街を行き来しながら、その時分はそれなりに懸命だったでしょうが、ぼくは、よく分からない生活に齷齪していたと思う。騒々しい都会から抜け出したいという願望は、それまでに何度も生じていましたが、事情が許さないのでそのままに都会にいつづけてしまいました。

 柳田国男さんの『山の人生』『遠野物語』に深く引き込まれたのは、ぼくの若いころからの「町からの脱出」願望という性癖もあった。街中や騒々しいのはとてもいけなかった。もちろん、この島の「山の世界」には独特の歴史や伝統、あるいは「文化」というほどの深みがあったことは実に魅力だった。素っ頓狂なことを言うようですが、アメリカにもヨーロッパにも「山の人生」があるのはあたりまえだし、それを自分流に感じ取ってみたいという期待もありました。もちろん、学歴や職歴に依存する人生ではなく、所与の環境にとどまりながら、生活に資する働きかけを自然に向けて実行するという、素朴は「文化生活」というものを夢に描いていました。それがアリーおばさんに見出した「自給自足」生活だったというわけです。(今回はほんの手始めで、この部分をさらに続けてみたいと思っているのです。根拠のない空元気がもう少し続いてくれるなら、東西古今に見られた何人もの「山の人生」をたどりたいですね。できるかな)

************************

The Foxfire Fund is a nonprofit organization that has been preserving and fostering Appalachian culture through its bestselling series of anthologies, starting with The Foxfire Book in the early 1970s. The Foxfire Museum and Heritage Center is located in Mountain City, Georgia. (www.foxfire.org)

________________________

疲れ知らずで決然として正義を守る

米連邦最高裁のルース・ベイダー・ギンズバーグ判事が死去 リベラル派の87歳 (BBC NEWS 20年9月19日)

(ギンズバーグ判事は連邦最高裁の史上2人目の女性判事だった。写真は2010年撮影)

米連邦最高裁は18日、ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事が亡くなったと発表した。87歳だった。大統領選を目前にしたその死去は、今後のアメリカの国のあり方に大きな影響を与える可能性がある。

最高裁の史上2人目の女性判事で、女性や少数者の権利を強力に擁護したギンズバーグ判事は、すい臓がんのため亡くなった。最高裁によると、ワシントンの自宅で家族に囲まれて息を引き取ったという。

「私たちの国は、歴史的な法曹家をたったいま失いました」と、ジョン・ロバーツ最高裁長官は声明を発表した。「最高裁の私たちは、大切な同僚を失いました。今日はみんな悲しみにくれています。しかし、ルース・ベイダー・ギンズバーグの記憶は、未来まで続くと確信しています。私たちが知っていた通りの彼女を。疲れ知らずで決然として正義を守る彼女のありのままの姿を、未来の世代も記憶し続けると」。

判事の訃報が伝わると、最高裁の前には数百人が次々と集まり、黙祷(もくとう)を捧げたり、「アメイジング・グレイス」や「イマジン」を歌ったりしている。(以下略)(https://www.bbc.com/japanese/54215439)(元の記事は;https://www.bbc.com/news/world-us-canada-54214729)

(最高裁の前に集まりギンズバーグ判事を悼む人たち。プラカードには「自分にとって大切なことのために闘いましょう。ただし、ほかの人たちも参加したくなるようなやり方で」というギンズバーグ判事の言葉が書かれている)(18日、ワシントン)

**************************************

 亡くなられて一か月近くが経ちました。うかつにも、ぼくは彼女の名前は知っていたし、連邦最高裁での位置についてもいくらかは理解しているつもりでしたが、この間に、彼女の生涯を報じる記事や記録、映画や単行本などに触れるにつれて、驚きと尊敬の念が深まるばかりでした。自らの無関心を恥じらなければならないと痛感しています。いまなお、彼女に関して駄弁を弄することはぼく自身が気が引けるというか、憚られる気がしますので、いずれ、時間をかけてアメリカの裁判制度、政治と司法の関係あるいは、最高裁における判事の役割や影響などについて述べてみようと思います。

(この島の最高裁の判断については、すべてではありませんが、時々の事案に関するものについては割と見てきたつもりです。しかし、時の政権や権力にあからさまな反対の判断や意見が出ることは近年では全くと言っていいほどに出ていません。時とし、手個別の反対意見に観るべきものがありますが、それは決して多数にはならない。世ウルルに、最高裁(判事)もまた政権の一角でしかないということです。この事実を見るだけで、ぼくには様々な点において、アメリカは混乱していると思うけれども、右であれ左であれ、ダメなものなダメという判断がはたらく国であるという感情を持っています。

____________________________________________

 

「この街にLBGTはいません」宣言 なにそれっ?

 LGBTフリーゾーンの街!? 「ようこそ」ではなく「排除」の印 
不寛容が広がるポーランドの未来は・・・

 2020年6月、ポーランドの与党「法と正義(PiS)」の候補として再選を狙っていたドゥダ大統領は、選挙中の演説で「LGBTは共産主義よりも危険なイデオロギーである」と発言し、同性婚および同性カップルの養子受け入れの禁止と、「キリスト教に基づく伝統的な家族観を守るため」として、教育機関でLGBTについて教えることを禁止する法案を実現すると宣言しました。/ LGBT差別を政治的なプロパガンダとして利用し、同性婚に反対する国民からの票を取りつけたドゥタ大統領は、8月の大統領選で対立候補との僅かな票差で再選を果たしました。

 再選直後、LGBTの権利に不寛容な姿勢をとる政府に抗議し、1人のLGBT活動家がワルシャワ市内の銅像にレインボー フラッグを掛けました。しかし、すぐさま逮捕されてしまいます。逮捕に抗議するために行われたデモでは、参加者に対する警察の暴力行為が多発し、48人もが逮捕される事態に発展。ポーランド国内でのLGBT当事者や支援団体、活動家に対する警察の弾圧行為の強まりを世界に知らしめる出来事となりました。(中略)

 「LGBTフリーゾーン」

 ポーランド南部で「LGBTフリーゾーン」を宣言する自治体が増え、LGBT差別が地方でも広がっています。「LGBTフリーゾーン」とは、「この街にLGBTはいません」という意味。/ 自治体によってLGBTという特定の人たちを排除することが宣言され、多様性が否定され、差別や偏見が助長されているのです。「LGBTフリーゾーン」を宣言した自治体の人口をあわせると、ポーランド全人口の3分の1になることから、LGBTに対する弾圧が増している現状を見てとることができます。(中略)

 ドゥダ大統領の就任式で、複数の下院議員たちがそれぞれの衣服でレインボーを表現し、就任式の出席者席をレインボーカラーに染めました。LGBTに差別的なドゥダ大統領の政策に対する批判と、LGBTの人たちへの連帯の意を表明したのです。このパフォーマンスはSNSを中心に瞬く間に拡散され、ポーランドのLGBTの人たちからは「勇気づけられた」「ポーランドでも希望を持ち続ける理由ができた」との声がSNS上で寄せられました。

 国外からもポーランドのLGBTの人たちへの連帯が行動で示されています。例えば、欧州連合(EU)は、「自由、民主主義、人権の尊重」を理念とするEUの価値に相容れないとして、「LGBTフリーゾーン」を宣言した6つの自治体への経済支援を拒否することを決定しています。また、2020年9月、日本を含む50カ国の大使がポーランド政府に対する公開書簡で、LGBT差別の終息と人権の尊重を訴えかけました。(以下略)(https://www.amnesty.or.jp/lp/lbg/about/lgbt_newsblog_06.html)

############################

 一昨日、ベルギーの副首相について記しました。(「この方、そんなに有名なんですか?」)欧州においても、事態は一進一退です。進めようとすれば後退する力が働きます。ニュージーランド議会で「同性婚を認める法案」の採決に際して、モーリス・ウィリアムソン議員のいわれたように、「この法案は関係ある人には素晴らしいものですが、関係ない人には、今まで通りの人生が続くだけです」ということが理屈では理解できそうでも、情念においては納得できない、そんな人がたくさんいます。賛成か反対かではなく、明瞭な人権なんだということもまた、認めがたいと主張する人々もいます。これは闘いだけれども、勝ち負けを争うのではなく、人権というものがいかなる性格なのか、それを身をもって知る(気づく)、そのための自己との格闘です。この格闘こそ、「意識」の働きであって、けっして情念や感覚からのものではないのです。

 ぼくがこの問題を何度も取り上げようとするのは、それは「人権」という観点でしかとらえられない問題であるということをこれまでの生活においてくり返し学んできたからです。ぼくはLBGTに当てはまらない人間であろうという自覚を持っている(つもりです)。でもそれだから、性的傾向は「男か女か」の二者択一しかありえないという了見はまったくもち合わせていない。LGBTをことさらに取り上げて議論しようというのでもないのです。この島にも「幾多の差別事象」があったし、現在もあり続けています。歴史の経過をたどれば、まるで賽の河原の石積みのように、積んでは壊し、壊しては積むという果てしない無限運動のように見えますが、五十年前、百年前はどうであったかという視点を自らのうちに持てば、遅々としているけれども「確実に前に向かって進んでいる」という実感をぼくは疑わないのです。それが「人権問題」です。

 東京都足立区議会の議員のような「自論」(それを認めれば、「足立区がなくなる」)が出てくること自体、問題が顕在化している(してきた)という証明でもあるのです。歴史の闇に隠されていた事柄は無数にあったし、今もあるでしょう。それが時代における人々の「意識」の変化とともに表面化してきているのです。一人が鎖国をし、地域が鎖国をし、一国が鎖国をすることが可能な時代でなくなったことを、ぼくは歓迎しています。問題の所在を探ることから始めたいと、そのための材料は多い方がいいのではないですか。

___________________________

異論の排除は自己倒潰への道

【社説】桐生悠々の社説から80年 コオロギの声に耳を澄ませば(月のはじめに考える)

 社会が大きく変化するときは、しばしばその前兆となるような事件が起きるものです。今から80年前、長野県で起きた出来事も、その後の日本の行く末を暗示するものでした。/ 1933(昭和8)年8月11日、長野県で発行する信濃毎日新聞に「関東防空大演習を嗤(わら)う」と題する社説が掲載されました。書いたのは主筆の桐生悠々(ゆうゆう)(1873~1941)です。/ その2日前から陸軍は首都圏への空襲を想定した大規模な防空演習を、市民も参加させて実施していました。悠々はこの演習を「かかる架空的なる演習を行っても、実際にはさほど役に立たないだろう」と批判したのです。/ 悠々はこの社説で「敵機の爆弾投下は、木造家屋の多い東京を一挙に焦土にする」と予想し、「敵機を東京の空に迎え撃つことが敗北そのものだ」と断じて、むしろ制空権の保持に全力を尽くすよう訴えています。/ 「嗤う」という見出しは確かに挑発的ですが、よく読めば感情的な批判ではなく、軍事の常識や航空科学を踏まえた論理的な指摘だと分かります。

*************

● 井出孫六さん 「豊富な資料を分析し、実証的なルポや小説を組み立てた作家の井出孫六(いでまごろく)さんが八日午前五時十二分、敗血症のため東京都府中市の病院で死去した。八十九歳。長野県出身。家族葬を近く行う。後日お別れの会を開く予定。喪主は妻信子(のぶこ)さん。 東京大卒業後、教職を経て中央公論社に入社、月刊誌「中央公論」の編集などに携わった。同人誌「層」に参加し「非英雄伝」「『太陽』の葬送」を発表。一九六九年に退社して著述に専念した。/ 七五年、洋画家の川上冬崖を主人公にした「アトラス伝説」で直木賞。八六年には中国残留孤児を描いたノンフィクション「終わりなき旅」で大仏次郎賞を受賞した。 このほか「秩父困民党群像」「抵抗の新聞人 桐生悠々」「中国残留邦人」など著書多数。中国残留孤児の肉親捜しや国家賠償請求訴訟を支援した。 評論家の故丸岡秀子さんは姉、三木内閣の官房長官を務めた故井出一太郎氏は兄。(東京新聞・2020年10月10日 )

lllllllllllllll

 しかし、軍はこの社説に怒りました。そして、その意を受けた在郷軍人組織の信州郷軍同志会が、信濃毎日新聞に悠々の解任と謝罪を求め、不買運動を叫んで圧力をかけます。/ 当時の同紙の社長らは懐の深い人物でしたが、経営を揺るがしかねない圧力に困窮します。信州郷軍同志会の会員数は、同紙の発行部数を大きく上回る大勢力だったのです。悠々は結局、会社と社長に迷惑をかけるのを避けるため、社を辞めることになります。/ 悠々は現在では、福岡日日新聞(西日本新聞の前身)の主筆だった菊竹六皷(ろっこ)とと/もに、反軍部の論陣を張った気骨の新聞人とうたわれています。/ しかし、悠々と信濃毎日新聞の敗北に終わったこの事件は、日本が言論統制を強め、無謀な戦争へと突き進む転機の一つだったように思えます。

 ▼異論をたたく風潮  悠々のことが気になるのは、最近のわが国で外交や防衛をめぐる議論の風潮に、当時を連想させるような息苦しさを感じるからです。/ 現在、日本はロシア、韓国、中国との間で、領有権に関わる問題を抱えています。北朝鮮の核開発や中国の軍備増強もあって、日本と周辺国とのあつれきは強まっています。/ そうした中で、特に領土や歴史に絡む議論では、日本の立場や権益を絶対視する発言が勢いを増し、それに異論を唱えれば四方から攻撃される-そんな雰囲気ができつつあります。/ 相手国の立場を少しでも理解するような姿勢を示そうものなら、「国益」を盾に批判され、「売国奴」など乱暴な言葉を浴びせられることさえあります。冷静な議論とは程遠い態度です。

*********************

「いうべきをいわず、なすべきをなさざるは、断じて新聞記者の名誉ではない」(西日本新聞・菊竹六鼓編集長。51.5事件時に、激越な軍部批判記事を書く。「六皷は抗議電話に対し「国家のことを思っているのが軍人だけと考えるなら大間違いだ。国を思う気持ちでは一歩も劣らない」と反論した。不買運動を恐れた販売担当が「このままでは会社がつぶれる」と泣きつくと「ばかなことをいうな。日本がつぶれるかどうかの問題だ」と気を吐いた。」(日経新聞・2010/8/11)(左写真)

**************

 例えば、沖縄県・尖閣諸島をめぐる議論について見てみましょう。/ 政府の見解は「尖閣は歴史的にも国際法上も日本固有の領土。中国との間に領有権問題は存在しない」です。/ しかし、丹羽宇一郎前駐中国大使は、両国が危機管理の話し合いの場を持つため「外交上の係争はあると認めるべきだ」と主張しています。/ また、日中国交正常化を成し遂げた田中角栄元首相の薫陶を受けた野中広務元官房長官は「国交正常化の時に、領有権棚上げの合意があったと聞いている」と発言しました。/ 2人とも、厳しいバッシングにさらされています。確かに、両国の主張の違いと対立が拡大した現段階では、外交上そのまま採用することは難しい「異論」でしょう。でも、衝突の回避を最優先する2人の意見が、全く聞く価値のない「暴論」とは思えません。

 ▼選択肢を狭めるな 戦前の日本社会は、国際情勢が厳しさを増すにつれ、悠々が唱えたような「異論」を排除し、国論を強硬策で一本化していきました。悠々への圧力が不買運動だったように、言論統制は権力と一般国民との共同作業でした。/ そもそも、どうして社会には「異論」が必要なのでしょうか。/ 国や社会が、経験則で対応できない新たな事態に直面したときには、できるだけ多くの選択肢をテーブルに並べ、議論と熟慮のうえで、間違いのない道を選ばなければなりません。/ 冷戦終結後、大国になった中国と向き合う日本外交は、未知の時代に入っています。こんなとき、政府と違う意見を最初から除外していたら、選択肢を狭めてしまいます。国論を統一しないと不利、と考える人もいるでしょうが、得てして一枚岩は危ういのです。

 長野を去った悠々は、個人誌で軍批判を続け、太平洋戦争開始の3カ月前に亡くなりました。その3年半後、東京は大空襲を受け、悠々が予言した通り、無残な焦土と化しました。悠々の社説は「正論」だったのです。/ 信濃毎日新聞には、悠々が使っていたとされる古い机が残っています。同社を訪れ、その机に触れたとき、悠々が残した句を思い起こしました。

 「蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜

 暴風がコオロギの声をかき消す-そんな世の中にはしたくないものです。【西日本新聞 2013/08/01 】(右は(西日本新聞)の前身だった「めざまし新聞」)

*********************************

 どこかで書いておきましたが、ぼくにはいくつかの性癖がありますし、加えて悪習というかゴミの山を築くような、無駄を承知の妙な行状があります。いい言葉でいえば「データベース化」となるのでしょうが、子の整理や始末にほとほと困っていました。数年前の転居を機に思い切り処分しました。それ以来地域のごみ処分場とは縁ができた次第です。いまでも年に数回、処分所を利用させてもらっている。

 新聞記事の保存について書こうとしていました。引用した記事はおよそ七年前のものです。時の悪政府の政治手法が如実に分かるようです。この記事をぼくは思い出したように、何度も読んできました。そんな記録はほかにもいくつもありますが、これが「新聞」の利用法としてどうなのか、よくわからない。新聞は時間の経過とともに「旧聞」になります。その旧聞になった「新聞」にぼくは魅力を感じるのです。そうでない記事は「新聞」の段階でもいけないでしょうね。時代状況がそっくりというより、この七年以上、時間が止まっていたという方が正確でしょう。時間は時々刻々と過ぎる、反対に政治状況は時代を無視して同じような「暴政」「謀略」を加えていると言ったらどうか。まさに「時代おくれ」「時代錯誤」、このような「政治」まがいは人民に向けられた悪意に満たされています。

 「蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜」という悠々の句をどこかでも引用していますが、いまもなお「蟋蟀」は鳴いているでしょうか。「提灯持ち」「太鼓持ち」程の役割意識・職業意識もなければほこりももたないで(と、ぼくには思われる)、権力者(だと自認)もどきに取り入るマスコミの醜態ぶりは、は昨日の(グループミーティングとかいう↓)記事にも活写されていました。今現在、「暴風」が吹いていると思わない人がいるのは事実です。併しまったく無風だとするなら、それは不感症というほかありません。さらに蟋蟀の鳴き声はどうでしょう。もう季節外れで、蟋蟀なんかいるものかと言われるかもしれない。でも聞こえる人にははっきりと聞こえています。東西からも南北からも、海の彼方からさえ聞こえてくるのです。(左写真・〈これはいったい、どういう儀式ですか?宮中行事の一コマですか?これを平然と(だと思う)挙行する愚愚愚〉

 蟋蟀も暴風も止み、深寝の夜(無骨)

 _____________________________________

「ヨイショ、ヨイショ」と悪魔の声が

 【癒着】日刊ゲンダイが菅総理と内閣記者会の異常な関係性により開催されている「グループインタビュー(記者会見のつもり?)」の実状を暴露!「記者が別室で傍聴」「撮影は禁止」

 菅首相の”えせ会見”に仏特派員も激怒「あり得ない閉鎖性」

(20/10/12)

 インタビューはわずか30分で終了。仏紙「リベラシオン」と「ラジオ・フランス」の特派員・カリン西村氏は傍聴を終え、うんざり顔である。話を聞いた。/「質問者をわずか3社の記者だけに限定し、他は傍聴部屋で映像すら見せない。国のトップがこのような閉鎖的な“会見”をするのは、あり得ない。私は20年以上、記者をしていますが、見たことも聞いたこともありません。政府側から、オープンな会見ではなく、こういう対応になっている理由の説明もない。しかも、今日の3人の記者はそのことを質問しませんでした。代表して質問しているのですから、まず1問目で、これから始まる異常な“会見”についてただすべきでしょう」

 今回はインタビューの申し込み順から、朝日、毎日、時事通信が選ばれた。/ 傍聴希望を申請。あみだくじの結果、本紙は当選した。/ 別室で傍聴できる定員は40人。雑誌、外国メディア、フリーなどのメディア向けの10席は埋まったが、内閣記者会の常駐社の30席は10席ほどが空いていた。/ 空席が出るのは傍聴して理解できた。「傍聴部屋の撮影は禁止」「ニュースの配信は終了後」と規制だらけ。映像はなく、天井の2つのスピーカーから菅の声が流れてくる。校内放送で教頭の話を聞かされているようだ。

**************************************

 上の二枚の写真。これまでは「写真の余白」などといって、写し取られた背後や後景にまつわる無駄話をして「自主トレの楽しみ」にしていましたが、今回は暢気に遊んでいる場合じゃない、こいつは本気で狂っていると寒々としてきました。余白ではなく、写真そのものから「卑屈と傲慢」の同居した人間の質に隠された闇の部分が見え透いています。一番上の写真の左右にいる「マスクをしたお稚児さん」「提灯持ち」、いわゆる大新聞社の記者諸氏だそう。いったい何をしているのか。まるで「太刀持ち」と「露払い」染みていますが、それは奥に鎮座している「横綱」の土俵入りのお飾りの如くですね。

 いったい、どこからこんなグロテスクな発想が生まれたのか。きっと「任命除去」を犯した無知のなせる業。側用人が糸を引いて上座に鎮座させて、哄笑だか馬鹿笑いしている声が聞こえてきそうです。取り巻きの忠言を認めない、もちろん忠言などしない。諫言などはご禁制・ご法度。まるで太平洋を隔てた隣国のボスと子分の相似形です。「珍奇」「珍無類」というほかないですね。みずから「人前に出せる顔(人間)」ないことを白状している、情けないとも恥ずかしいとも感じない「外面柔和風」で「内面男夜叉」じゃないでしょうか。これを支持する人が七割、悪い冗談を通り越して、異島の話にしたいのですが、まがうかたなく、この劣島の現在であります。いったいこの御仁は、どこを見て、何を考えて、そこにいるのか。

 (つまらない逸話か。第十代横綱照國萬蔵さん(1919 – 1977)は、秋田出身。PMと同郷同町内ですから、あるいはその誼(よしみ)で、山っ気を起こして「土俵入り」をしたつもりで、記者諸氏を従えたんですな)(右上は千代の富士の土俵入り、太刀持ちは相撲協会、八角(横綱・北勝海・ほくとうみ)現理事長)(永田町場所でも、「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声が、ねえ。狂気乱舞です)(こんな「珍百景」のような現場に遭遇するとは、長生きはしてみるものだ、と言いたくないですな)

 今度のPMも「嘘と誤魔化し」「偏見と脅迫」のモザイクづくりです。政治政策は「パッチワーク」(哲学なし)学術会議問題の彼の発言はまず、嘘から始まっている。そんなこと(学術)に、ほとんど興味も関心もないことだけははっきりしています。「先代嘘つき」と瓜二つ。同衾の中でした。権力の座に就くこと、就いていること、手放したくないことだけに懸命なんだ。くわえて、「責任転嫁」です。「責任は俺がとる」「君がまちがえたが、それは俺の責任だ」というのがまともな大人、上に立つ人間の「責任転嫁」「責任の取り方」だと、ぼくは考えています。

 「除去」された六名は知らないと、「九十九名」しか見ていないと「白を切る」という醜悪な場面も、先代にそっくり、どうしてこうも人品の下卑たのしかPMにならないのか。すべてとは言わないが、大方の政治家は「何とか顕示欲」だけが一人前さ。なってはいけないヤツがなるのもまた、民主主義の暮れ方、あるいは夜明け前の光景・後景なんですかな。いったい、何が正体を現すのか。鬼か蛇か。

 好きで駄文を書いているわけではありません。こん「手合い」につきあっていると、肝心の「自主トレ」の効果はすべてご破算になってしまう。秋空の回復を願い、「自主トレ」の順調なるを祈るのみです。(右は梅原龍三郎「北京秋天」二十歳頃に観て、直ちに梅原ファンになった作品)

  ・富士秋天墓は小さく死は易し(草田男)

  「狂と呼び、痴と喚 (よ) ぶ。敢て管せず」(坪内逍遥「当世書生気質」)

_____________________________