The U.S. Capitol descended into chaos and violence

(Trump supporters take over the steps of the Capitol on Wednesday as Congress works to certify the electoral college votes.Bill Clark / CQ-Roll Call, Inc via Getty Imag)

4 dead, Congress evacuated, National Guard activated after pro-Trump rioters storm Capitol

A noose was erected outside and at least one improvised explosive device has been found on the grounds, law enforcement officials said. Jan. 7, 2021, 3:49 AM JST / Updated Jan. 7, 2021, 2:47 PM JST / Source: NBC News By Allan Smith, Ginger Gibson, Daniel Arkin and Pete Williams

The U.S. Capitol descended into chaos and violence Wednesday as hundreds of pro-Trump rioters swarmed the building, leaving four dead and forcing the Senate to evacuate and Vice President Mike Pence to be ushered to a secure location. / The frenzied scene after rioters broke through barricades forced Congress to evacuate parts of the building and abruptly pause a ceremonial event affirming that President-elect Joe Biden won the November election. In one dramatic moment, police officers drew guns as rioters tried to break into the House chamber.

Pence, who was presiding over the joint session of Congress, could be seen rushing out of the Senate chamber amid the sounds of throngs of President Donald Trump’s supporters who surrounded the Capitol. Pence and Sen. Charles Grassley, R-Iowa, the Senate president pro tem, were taken to a secure location, a senator told NBC News. / A woman was fatally shot by U.S. Capitol Police and three others died in “medical emergencies,” Washington D.C. Police Chief Robert Contee said.

(Police with guns drawn watch as protesters try to break into the House Chamber at the U.S. Capitol on Wednesday, Jan. 6, 2021, in Washington.J. Scott Applewhite / A)

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 ほとんど何もしないで、アメリカワシントンの国会議事堂の暴動と、それに関連する報道を、主としてNBCの中継によって観ている。いったい何が起こっているのか、そのような混乱はあらかじめ想定(危惧)されていたことであり、ぼくは度肝を抜かれたというのではない。これは暴動であり、それを「教唆」したのが現職大統領であったというところに、アメリカの闇(病み)(それは決してアメリカだけではなく、この島においても、欧州諸国であっても、何かのきっかけがあれば必ず「爆発する」性格のものだ)、それがどれほど根深いものか、まざまざと眼前に見せつけられているような気がした。その後の議会での選挙結果に対する反対者の演説なども聴いたが、これはこれで淡々と進められていたのだから、別の意味で、この国の懐の深さを知らされた思いがする。(明らかな証拠に基づかないクレームが、堂々と国会で主張されるのは健全なのかどうなのか)

 「法と秩序」と大統領は言っているが、混沌と暴力は、その隣に待機しているだけだったということも明らかになった。デモクラシーの大本をささえる「選挙制度」が何らかの意味で歪められたというクれームが事の発端だったが、じつはこの選挙制度にこそ時限爆弾が仕掛けられていたのだ。詳細は避けるが、大統領選挙は、ぼくにさえ理解できない奇怪な点がいくつもある。もちろんそれには、アメリカに独特の理由や社会事情があることは承知しているので、余計なことは言わない。しかし、そこに欠点を見出せば、忽ちに瓦解しかねない、構造の不備があったにもかかわらず、この国は一貫してこの制度を使い続けてきた。案の定、投票結果に異議があると、制度の盲点をつかれたから、忽ちに事態は停滞したのだった。(それを示したという一点で、現大統領の「功績」は認めるが、実際にやったのは「犯罪」だった)

 こんな事態が起こされるようなことはあり得ないという、選挙への「盲信」で支えられていたというべきだろう。その挙句が、今回の暴動だった。これで一件落着ではなく、危険な事態の始まりだといわなければならない。内にコロナ禍、外には中国、アメリカはさらに厳しい時代を歩かなければならない。そのアメリカの腰巾着のように、まとわりついてきた島社会は、どのような方向を目指すのか。外交政策なんか、見つけたくても見つからない、無政府状態で、米中のはざまで右往左往するだけで済むのだろうか。とてもそれではすみそうにない。はっきりとアメリカの属国として(タツノオトシゴの如く)、へばりついていくほかないのだろうか。この島の政権も、すこしばかりの風が吹けば、すっ飛んでしまうだろう。

 社会に巣くう「偏見と差別」、「分断と対立」などなど、それを煽ったり放置したりしている政治の不作為がある。いずこも火種には事欠かない事態が続いているのである。そこにガソリンでも灯油でも振りかけたたいと、隙を狙っている不平不満の分子はきっといる。内部の不満をそらずのが外部への敵視政策だったというのが、彼我の歴史の教えるところ、ぼくたちは、気を引き締めて状況に向かわなければなるまい。

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A mob of people loyal to President Trump …

(Police drew guns as protestors forced entry into the House Chamber on Wednesday.Credit…J. Scott Applewhite/Associated Press)
(Mr. Trump spoke to a crowd on the Ellipse just south of the White House, which he will have to vacate in 14 days.Credit…Pete Marovich for The New York Times)

A mob of people loyal to President Trump stormed the Capitol on Wednesday, halting Congress’s counting of the electoral votes to confirm President-elect Joseph R. Biden Jr.’s victory as the police evacuated lawmakers from the building in a scene of violence, chaos and disruption that shook the core of American democracy.

Around 2:15 p.m., as the House and Senate debated a move by a faction of Republicans to overturn the election results, security rushed Vice President Mike Pence out of the Senate chamber and the Capitol building was placed on lockdown after angry pro-Trump demonstrators surged past barricades and law enforcement toward the legislative chambers.

For a time, senators and members of the House were locked inside their respective chambers. Images posted on social media showed scenes of supporters violently tussling with the police as at least one person took to the rostrum of the House chamber to declare his support for Mr. Trump.

A woman, who seemed to be part of the mob, can be seen being shot inside a the neck and is in critical condition.

“This is what you’ve gotten, guys,” Senator Mitt Romney, Republican of Utah, yelled as the mayhem unfolded in the Senate chamber, apparently addressing his colleagues who were leading the charge to press Mr. Trump’s false claims of a stolen election.

“This is what the president has caused today, this insurrection,” Mr. Romney furiously said later.

The unrest prompted Mayor Muriel Bowser of Washington to declare a citywide curfew from 6 p.m. Wednesday night to 6 a.m. Thursday morning. The Army is activating the entire District of Columbia National Guard — 1,100 troops — in response to a request from Mayor Muriel Bowser of Washington, an Army official said on Wednesday.

After exhorting his supporters to go to the Capitol to register their discontent on Wednesday morning, Mr. Trump tried later in the day to tamp down on the violence: “Please support our Capitol Police and Law Enforcement,” he wrote on Twitter. “They are truly on the side of our Country. Stay peaceful!”

As the clashes intensified, he made no mention of the election and did not call for his supporters to disperse. Instead, he tweeted: “I am asking for everyone at the U.S. Capitol to remain peaceful. No violence! Remember, WE are the Party of Law & Order — respect the Law and our great men and women in Blue.”

The extraordinary day in Washington laid bare deep divisions both between the two parties and within Republican ranks, when the ceremonial counting of electoral votes that unfolds every four years in Congress turned into an explosive spectacle, with Mr. Trump stoking the unrest.

Democratic lawmakers said the Capitol Police had instructed them to take cover on the floor and prepare to use gas masks after tear gas was dispersed in the Capitol Rotunda.(https://www.nytimes.com/live/2021/01/06/us/electoral-vote)

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By NBC TV

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By NBC TV

 朝飯前の仕事(猫に給餌・駄文書き)をしようとし、その前にアメリカ上院議員選(ジョージア)の決選投票の結果を見てみようとして、NBCの中継を観て驚きました。モブ(Mobs)が議会棟の中に侵入し、議事堂を占拠していた。その数時間前にトランプが議会前で集会(アメリカ自由の行進)を開き、群衆を煽りに煽っていた。彼は本気でアメリカのデモクラシーを壊し、権力の座を奪取しようと試みていたのか。そんな勇気(それも蛮勇だ)ですら、彼にはなかったと思う。

 四年前に彼が選ばれたこと自体、アメリカ社会の大きな問題の表面化だとみていたし、四年後の大統領選挙の結果にもアメリカ社会の病理は、より色濃く反映されていた。自分の望まない選挙の結果を否定し、それが通用しないと、最後の行きつく先まで進むほか仕方なくなるような方法をトランプは選んだ。暴徒が議会に侵入する寸前まで、かれはみずからを「救国の士」を偽り、無知な人民を唆していた。彼は強請と金目(タカリ)で、ニューヨークという混沌の巷で「縄張りを張って」生きてきた男です。政治家でもないし、まともなビジネスの感覚を持っている人間でもない。その彼に共和党という組織は乗っ取られてきた。トランプはこれまでに政治政党所属を五度も変えた経験をもっている。自分を売り出すに為なら、どこでも構わない、政治信条からはまったく解き放たれていた。その彼に共和党はしがみついたのだ。

 「バイデンを大統領と認める」儀式も中断された、その直後にトランプはツイッターで「暴力は止めて、平和裡に退却しろ」とモブたちに語り掛けている。暴力を肯定し、差別を助長してきた大統領は、自分の旗色が悪くなると、民衆のせいにして自分は隠れてしまう、この程度の大統領を選んでしまったというのも、アメリカ社会の深い闇であり、病みであると思われます。この様な暴力が国権を奪取しかねないのも民主主義が内包する危険性なのだと、テレビ中継を観ていて痛感している。

(本日は「七草がゆ」の日だし、のんびりとはいかないが、そのことに纏わる雑文を書こうとしていました。(この後で、書ければ)また本日は「緊急事態宣言」が出される日だという。あらかじめ予告される「緊急」って何ですか。大本営発表はいつでも意味のないことを、さも大げさに、しかも深刻ぶってまき散らす。政権の足元は、アメリカ以上に揺らいでいるのにさ。(ぼくが住んでいる長柄町には、まだ感染者は一人も出ていない。それでも店もダメ、外出もダメだとさ)

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「空の名残のみぞ惜しき」

 某(なにがし)とかや言ひし世捨て人の、「この世の絆(ほだし)、持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、真(まこと)に、然(さ)も覚えぬべけれ。(島内編「徒然草」・第二十段)

 この短文のなかに、吉田兼好の「人生と自然(宇宙といってもいい)」が明確に刻印されているとぼくは読んでいる。たったこれだけです。「世捨て人」とは、自身の事でもあったはずですが、それはどのような事情を内に孕んでいた人だったか。ここでは「俗世間との関係を絶った人。僧侶や隠者など」(デジタル大辞泉)というのでしょうか。実際に僧侶にしろ、隠者にしろ、完全に世の中と絶縁するなどということは難しいというより、むしろあり得ないことだったと考えられます。今でもよく見受けられる、禅宗の坊さん(雲水)は、托鉢といって「物乞い」(今はそうは言わないようで、「お布施を受ける・喜捨を得る」などと洒落た物言いをします)といって「僧尼が修行のため、経を唱えながら各戸の前に立ち、食物や金銭を鉢に受けて回ること。乞食 (こつじき) 。行乞 (ぎょうこつ) 」に励んでいます。これを盛んに行ったのは、種田山頭火という偽坊主の俳人でした。

 兼好さんは僧侶ではなかったし、だから行乞などもしなかった。今でいうなら「フリージャーナリスト」という新手の旗手だった。もちろん、だれかに「生活の糧」を恵まれるような境遇にはなかったので、純粋の「世捨て人」ではなかったのは確かです。ぼくは兼好や長明、あるいは西行など、所謂「出家者」(を装った)と称される人は、世の中を棄てたのではなく、世の中から捨てられたという意識を持った人々だったと思っています。あえていうなら「無用者」でした。世に受け入れられなかった、出世を拒まれた、その行く先の「出家(家出)」であり、遁世だったといえばいいでしょう。いまだって、きっといたるところに「遁世者」はいるし、「家出」ならば数限りない。渋谷にも新宿にも「家出)は五万といるはずです。

 細かいことを言えば切りがありませんが、世を儚(はかな)むどころか、満々とした「自意識」を働かせながら、都の周辺に留まったり、あるいは新たなスポンサーを求めて各地を行脚していたのです。彼らは「世捨て人」でも「出家者」でもなかった証拠に、残された和歌や文章を読めば、それは一目(一読)にして瞭然とします。ひるがえって、今日の状況はどうでしょう。どんな人でも、一度や二度は「出家」「遁世」「家出」を願わなかったことはないでしょう。実際に世を儚む人は後を絶たない。世知辛い社会の片隅に追いやられた挙げくの、文字通りの「遁世」だとするなら、あまりにも痛ましい。無用者は、現代社会にこそ溢れているのです。

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 万(よろず)の事は、月見るにこそ慰む物なれ。或る人の、「月ばかり、面白き物はあらじ」と言ひしに、また一人、「露こそ、哀れなれ」と争ひこそ、をかしけれ。折に触れば、何かは哀れならざらん。

 月・花は、更なり。風のみこそ、人に心は付くめれ。岩に砕けて清く流るる水の気色こそ、時をも分かず、めでたけれ。(略)(同・二十一段)

 この文章も、一読、何を言わんとするか、判然とする。多弁は無用です。どんな時でも「月を見ると、心が慰められる」という。確かにそうです。どこかで「冬の星座」に触れたのも、ぼくのような無粋を画に描いたようなものでも、この厳寒の冬空に数多の星が輝く様に心ひかれたからでした。「見上げてごらん、夜の星」をと謳った人は、坂本九さんだけではなかった。兼好さんもそうでした。もちろん、人それぞれで、月よりも露ですよ、という御仁があったってかまわない。心に届くものがあったなら、それは何でもいいのです。花でも風でも、岩に砕けた清流であっても。

 いつの時代でも「活計(かっけい)」(暮らしを営むこと。また、その手段。生計)に苦しむのは衆生の定めです。とりたてて、身に誇るものがなければ、毎日の暮らしに齷齪するのが当たり前であり、それが続くと、時には「世捨て人」になりたくなるのも、時世にはかかわりなく、常民が束の間の夢にみるところです。もちろん、兼好さんの時代と今日では、あまりにも世情・人情の厚薄に違いがあり過ぎます。だからこそ、「月」でも「露」でも、「花」や「風」にでも心を慰められる必要があるというのです。これは贅沢などとは無縁の、人の心が飢えている際の、いのちの水なんだというのです。

 「わが心慰めかねつ更科や姥捨て山に照る月を見て」(「新古今和歌集」八七八・古歌)

 信濃の善光寺平の姥捨て山の頂上に照る月を見て、自分の心は慰められないのだ。たしかにこのような二進も三進も行かない時はある、でも、だからこそ、夜空の星や月を見てごらん、と兼好は言うのですよ。「折に触れば、何かは哀れならざらん」「人に心は付くめれ」「時をも分かず、めでたけれ」とは、いつ何時でも、とらわれから放たれるために、自然に包まれ、面と向かう、そのようにして得られるであろう心の救済、それを兼好はのびやかに、しかし、深い哀れみの情から、読者に訴えているとも読めるのです。こんな人が「出家者」であるものですか。人情・世情を弁えればこその、至言であると、ぼくはいいたいですね。

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きらめき揺れつつ 星座はめぐる

 
 冬の星座は、明るい星がたくさんあり、1年中で最もにぎやかな星空だといってもいいでしょう。さらに、冬は乾燥して、空気が澄み切っているため、とても星空がきれいです。
  
 オリオン座 / オリオン座は冬の代表的な星座で、南の空に見えます。「冬の星座の王者」と呼ばれるにふさわしい見事な星座です。明るい4つの星が作る四辺形とその中央で輝く3つの星は、実に安定した形を構成していて、冬の夜空でひときわ目立ちます。/  ギリシャ神話では、狩人オリオンの姿だといわれています。目印は、オリオンのベルトの位置に輝く3つの星の並びです。この星の並びは、「三ッ星」と呼ばれています。この星座には、1等星が2つあり、オリオンの右肩で輝いているオレンジ色の星がベテルギウス、左足で輝いている青白い星がリゲルです。/ オリオン座には有名なオリオン座大星雲(M42)があります。M42は、望遠鏡で見るとボーっと雲のように見えます。ここは、星が生まれてくる場所です。
 おおいぬ座 / オリオン座の左下に、ひときわ明るく輝く星があります。これがおおいぬ座のシリウスで、全天で一番明るい星です。シリウスとは、「焼き焦がすもの」という意味です。/ この星座は、ギリシャ神話ではオリオンの猟犬の一匹だといわれています。
  
 こいぬ座 / こいぬ座の中ですぐ目につくのは、1等星のプロキオンと3等星のゴメイザだけです。プロキオンとは、「犬(おおいぬ)の前の星」という意味で、おおいぬ座のシリウスより少し先に昇ってくることからこの名前がついたようです。
  
 冬の大三角 / オリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンを結んでできる三角形を冬の大三角形といいます。
  
 おうし座 / オリオンの三ツ星を結んで右上に延ばしていくと、おうし座の目に輝く赤い星アルデバランにぶつかります。この赤い星を先頭に、いくつもの星々が小さなVの字に並んでいます。これがおうし座の目印で、おうしの角にあたります。/ この星座は、大神ゼウスが変身した姿だといわれ、東のオリオンの方へ2本の角を振りかざす牡牛の姿になっています。/  牡牛の肩の部分に、肉眼で6つばかりの星がかたまっているのが分かります。これは、プレアデス星団(M45)といい、日本では古くから「すばる」という名で知られています。双眼鏡を向けると、大小百数十個もの星がきらめいていて、息を呑むほどの光景です。これらの星は、まだとても若い星なのです。(http://www5b.biglobe.ne.jp/~saturn/astronomy/winter.htm) 

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 星座に興味を持ったことはありませんが、時々、夜空を見上げる習慣のようなものはあります。この「冬の星座」という唱歌には昔(学生時代)から興味を持っていました。なにより、この詞はどういう背景があって書かれた(作られた)のか、一度は調べてみなければと思っていたのでした。堀内敬三という人には面識がありませんが、あるいはどこかですれ違ったかもしれません。思い当る節がありますから。略歴にもありますが、彼は一種の「怪物」「傑物」ともいうべき存在で、たくさんの事をやり、最後は音楽に関心をいだきつづけた人です。太田黒元雄氏や目黒三策氏と「音楽の友社」を作ったりしました。ぼくは若いとき(二十五歳ごろ)、太田黒、目黒両氏にお会いしたことがありました。その関係で堀内敬三さんには関心を持続させていたのです。

 この唱歌の詞を繰り返し読んでみる(歌ってみる)、「地上に降りしく 奇しき光よ」「ものみないこえる しじまの中に」「オリオン舞い立ち スバルはさざめく」「無窮をゆびさす 北斗の針と」と、にわかには理解できませんでしたが、凍てつく真冬の夜空のきらめきを肌で感じることが出来るような、詞(ことば)の星雲だと、へんてこな印象(感想)を持ったのでした。これまでの学校唱歌にはまったく異質なメロディと歌詞に、ぼくは魅了されてきたのでした。欧風というのでしょうか。ハイカラとでもいうべきか。珍しい雰囲気を醸していました。今でも、これを口ずさむと、涙腺が緩みがちになるのは、どうしたことでしょうかね。

 堀内さんは、今もある「浅田飴本舗」の御曹司だった。なお、その友人の太田黒元雄さんの父親は現東芝の経営(芝浦製作所時代)に携わっていた。とてつもない裕福な生活を送り、その暇に飽かせて、この島の「音楽文化」興隆の礎を築いたのでした。この二人(にかぎらないが)は、とてつもなく博覧強記でしたし、ぼくは大いに刺激されてきた。あるいは、ちょっとばかり「憧れ」が混じっていたかもしれない。 

●堀内恵三=昭和期の音楽評論家 音楽之友社会長。生年明治30(1897)年12月6日 没年昭和58(1983)年10月12日 出生地東京・神田 学歴〔年〕ミシガン州立大学工科〔大正10年〕卒,マサチューセッツ工科大学大学院〔大正12年〕修了 主な受賞名〔年〕NHK放送文化賞〔昭和25年〕,紫綬褒章〔昭和34年〕,勲三等瑞宝章〔昭和43年〕 経歴“浅田飴”で有名な浅田飴本舗の三男として生まれる。中学時代から作曲や訳作詞を手がけ、大正5年大田黒元雄と音楽と文学社を結成、評論や訳詞に筆をふるう。6〜12年米国へ留学、機械工学を修める。帰国後、東京放送局(現・NHK)に入り、洋楽主任として洋楽放送の確立や用語統一などに尽力。昭和10年松竹蒲田撮影所音楽部長、日本大学教授。また音楽ジャーナリズムの必要性を感じて音楽之友社を設立した他、22年日本音楽著作権協会設立の発起人を務め、40年同会長。NHKラジオ番組「音楽の泉」「話の泉」の名解説、名解答者のほか、慶応義塾の応援歌「若き血」や「蒲田行進曲」の作曲、ジャズソング「アラビアの唄」、オペラ「カルメン」などの訳詞でも有名。わが国における西洋音楽の普及・組織化に大きな影響を与えた。著書は「音楽五十年史」「音楽の泉」「ヂンタ以来」など。(20世紀日本人名事典の解説)

●冬の星座=日本の唱歌の題名。作曲:ウィリアム・ヘイス、作詞:堀内敬三。発表年は1947年。歌いだしは「木枯らしとだえて さゆる空より」。2007年、文化庁と日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定。(デジタル大辞泉プラスの解説)

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亡き母や海見る度に見る度に

【筆洗】信州の豪雪地帯に生まれ、晩年を過ごした一茶に「雪」の句が多いのは当然だろう。<心からしなのの雪に降られけり>。雪を好んで詠む一方で、雪への恨み言めいた句も少なくない▼手厳しいのは<雪行け行け都のたはけ待おらん>。大雪のおそろしさを知らず、雪を風情あるものと喜んでいるような都の「たわけ者」のところに雪が降ればいいと言っている▼一茶の嘆きが聞こえてきそうな日本海側を中心にした年末年始の大雪である。穏やかな年末年始を迎えたかったのにコロナ禍の苦しみの上に今度は大雪が降り積もる▼帰省を控えるように言われていたので、この年末年始に地元に帰った若者はいつもの年よりも少ないはずだ。ボランティアも期待できない。重労働の雪かきの手は足りているか。心配になってくる▼雪の降らぬ場所に住む者が<都のたはけ>になりやすいのはしかたないところもあるが、コロナの方はどうだろう。感染しないだろうと、ひとごとのように決め込み、感染対策を軽視した風潮がなお、どこかにないか。その実、コロナという大雪は降り続いている。<たはけ>にはなるまい▼四日は仕事始めである。社会が再び動きだす。感染のさらなる拡大も心配されている。対策も万全に、より慎重な仕事始めを心掛けたい。<雪とけて村一ぱいの子ども哉(かな)>。雪もコロナも消える日を信じ、耐えしのぐ。(東京新聞。2021/01/04)

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 「筆洗」氏の叫びはなんでしょうか。「たはけ」にはなりませぬと覚悟を決めても、それは自分一人だけの始末に負えない災いですから、みなの衆「一蓮托生」とでもいうほかない。感染症は、コロナに限らないわけで、金満主義も、自己中心派も、刹那幸福主義も、それぞれが生命をかけて縋(すが)るような代物(値打ち)だとは、ぼくには思えないのですが、他者はそうではないのでしょう。金も地位も名誉も評判も、すべてが自分の生涯を懸けるに値すると思えばこその、必死で齷齪の連続なのではないでしょうか。「たはけ」と呼ばれる、お門違いの一所懸命の、莫迦らしさ。

 ここに一人の野人を立たせましょうか。家柄も金も地位もない、農民出の男です。さしずめ「地盤・看板・鞄(金)」というサンバンのないのは衆生の運命みたいなもので、だから三つのうちの一つでも手に入れようと、躍起になるのが人生の相場になっているのです。はたして一茶という野人はどうだったか。れっきとした農民の出でした。地主などではなく、極端な貧困にあったのでもない。実母とは三歳で死別。継母とは折り合い宜しくなく、はるかに江戸に出郷することになる。十五の春に、集団就職ではなく、単独にしての江戸行でした。いまでは廃れてしまったでしょうが、田舎(ぼくの知っているのは、石川・新潟・富山・福井・長野・岩手・青森・福島などなど)から江戸へ、身寄りを頼って出かけることは決して珍しくなかった。風呂・理髪・大工などといった職業に、前もって従事していた先人が後輩たちを呼ぶというのは人出をそろえるのと、同郷の誼という点では不思議ではなかった。このような田舎出の人々が「江戸っ子」の素になった。

 一茶もそうでした。継母との心寛(くつろ)がない関係(それは、早逝した生母が一茶に残した「思慕の情」が止みがたかったことの反証でもある)、それが引き起こした、十五の春の江戸流れでした。これからの十年余、彼の足跡はよくわかっていない。さぞかし、尋常の生きづらさをはるかに超えた苦しみを味わったはずです。あるいは「宿なし」になっていた時もあった、といわれている。十年後に帰郷するも、早々に家を出る。「椋鳥と人に呼ばるる寒さかな」(椋鳥とは、「出稼ぎ者」を揶揄した江戸における蔑称だったか)この苦節の時代に、彼は俳句(俳人)と出会う。漂泊と彷徨、これが、その後の彼の生き方となったのです。

 貧困にあえぐ最中の、俳句との邂逅ならば、単なる子ども好き・子煩悩であったなどという、個性の評価は、にわかには受け入れるわけにはいきません。彼の心中深くに蓄積された思いが、やがて麹菌によって醸成された酒精のように、それが彼の句の背骨になったと、ぼくは見ようとしてきました。(「しなのの国にひとりの隠士あり。はやくその心ざしありて、森羅万象を一椀の茶に放下し、みづから一茶と名乗り」(夏目成美)(wikipedia)といわれたように、人生は「一椀の茶」に過ぎない、泡沫のようだと、彼はみずからの人生を「一茶」という架空の名前にこめたのです。

 唐突ですが、善光寺は彼の庭のようでした。そこに句を捧げる、その記念としての二句です。

(善光寺内句碑)

 ・春風や牛に引かれて善光寺
 ・開帳に逢ふや雀も親子連

●小林一茶 =([生]宝暦13(1763).5.5. 信濃,柏原[没]文政10(1827).11.19. 柏原) 江戸時代後期の俳人。通称,弥太郎,名,信之。別号,菊明,俳諧寺,蘇生坊,俳諧寺入道。農民の子。3歳で母を失い,8歳のとき迎えた継母と不和で,15歳の頃江戸へ奉公に出,いつしか俳諧をたしなみ,竹阿,素丸に師事。享和1 (1801) 年,父の没後継母子と遺産を争い,文化 10 (13) 年帰郷し,遺産を2分することで解決する。 52歳で妻帯,子をもうけたが妻子ともに死去,後妻を迎えたが離別,3度目の妻を迎えるなど,家庭的に恵まれず,文政 10 (27) 年類焼の厄にあい,土蔵に起臥するうち中風を発して死亡。数奇な生涯,強靭な農民的性格,率直,飄逸な性格が,作品に独特の人間臭さを与えている。編著『旅拾遺』 (1795) ,『父の終焉日記』 (1801) ,『三韓人』 (14) ,『七番日記』 (10~18) ,『おらが春』など。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

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 藤沢周平(1927年 – 1997年)さんの作品は、ずいぶんたくさん読みました。ほとんどすべてといっていいくらいに、よく読みました。もちろん、単行本、文庫本、さらに「全集」と、いくつも重ねながらの愛読でした。彼の作品に熱中した時期もありました。ここで藤沢さんのことを書くつもりはありませんが、彼は一茶が好きだったと思います。両人とも雪国生まれの、雪国育ち。藤沢さんは山形は鶴岡だったか。なお睦月26日は藤沢さんのご命日です。両人ともに、若くして苦節何年という辛酸をなめたのでした。生の一面は韜晦であるにもかかわらず、表現は飄逸であり、ユーモアに欠けたところはなかった。ぼくの藤沢さん好きの理由のひとつだし、同じことは一茶にも言えるのです。

 一茶に関して、短い駄文を書くつもりだったので、もう一度、藤沢さんの「一茶」を読み返そうとしたのですが、それは後回し。読むと、手当たり次第に読みだして収拾がつかなくなりそうですから。(井上ひさし氏にも、一茶を書いた作品があります)実は、周平さんも俳句を嗜まれていた。相当な詠み手だったと推察しています。(一冊にまとめられた「句集」も出ています)いつの日か藤沢さんに触れる時が来るでしょうから、そのときの種として残しておく。いかにも周平さんらしいと思わせる、二句(と川柳一句)を。

  ・雪女去りししじまの村いくつ  ・眠らざる鬼一匹よ冬銀河  ・ふるさとへ廻る六部は気の弱り(古川柳)

 藤沢さんは山形師範を出て、学校の教師をされましたが、間もなく結核を病み、離職。都下清瀬にて、短くない療養生活を送ります。この間に「俳句」に親しまれた。やがて、病も癒えて、退院。業界紙の記者だったかになり、その傍らで、小説を書かれていた。師範学校の二年ほど後輩に無著成恭さんがおられました。無著氏はどこかで周平さんのことを書かれていました。

 残された句からは想像できないような、大変な苦難を背負って生きたのが一茶でした。上に紹介した「略歴」を一瞥しただけで、彼の生きづらかった人生が納得できると思います。十五で江戸に奉公に出、十数年間の辛苦の末に帰郷し、さらに腰を据えるいとまもなく各地を漂泊。(江戸にいたころ、房総に足を延ばしています。半島の各地には句碑やゆかりの品々がたくさん残されている)俳人は漂泊の習性を胸中に宿している者なのかどうか、今のような通信や交通の手段が皆無だった時代、しかし驚くほど濃密な交流が島のあちこちで交わされていた。これは一考を要する問題でもあると、ぼくは愚考しています。

 各地の俳人仲間との付き合いを通して、人生の荒波をまとも受けながら、それを越えて生きようとしたのが一茶でした。子ども好きの一面が大いにありましたが、それ以上に負けぬ気の強い、強情な人でもあったように見られます。彼は野人であったと、ぼくは考えています。財産をめぐる継母や弟との争いは、当時も今もつねにあることでしょうが、その執念の強さたるや、一茶を考えるうえで、看過できなものだったとぼくは感じてもいる。(彼は良寛さんじゃなかった、といって、良寛自身も一筋縄ではいかない人だったと思われてきます)

 勝手な推量を言えば、一茶という人が、現代の東京のどこかの街中を歩いていたとしてもぼくは驚かない。彼のような、明け暮れに揉まれていく中で粒粒辛苦して自分を粘り強く、辛抱強く鍛えていった人生は、いつの時代であっても人間を野太く、心優しくもしてくれるし、それがまた生きるという営みの核心部をなしているともいえるのです。

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 一茶の俳句を評す(正岡子規)

【 斜面】「獺祭書屋(だっさいしょおく)主人―。明治時代の俳人、歌人正岡子規の号である。獺祭は、獺(カワウソ)が捕らえた魚を祭りに供えるかのように並べる習性のことだ。詩文を作るときに、多くの文献や参考書を広げることにも用いられる。

 子規は、自らの住まいを獺祭書屋と称していた。絶滅したとされるカワウソだけれど、戦前は全国の川で見られた。本人自筆の「獺祭書屋主人」をきのう、上水内郡信濃町の一茶記念館で目にした。町出身で江戸時代の俳人小林一茶を論評した原稿である。

 長野市戸隠の民家で、先ごろ見つかった。1897(明治30)年に刊行された「俳人一茶」に寄せたものだ。子規は一茶を高く評価し、その特色は「滑稽、諷刺(ふうし)、慈愛の三点に在り」としている。とりわけ滑稽な句の軽妙さは、一茶の独り舞台とほめている。

 〈春雨や喰(く)はれ残りの鴨が啼(な)く〉。子規が寄稿で引いた30を超す句のうち、最初の例句である。〈庵の雪下手な消えやうしたりけり〉。滑稽の方便として一茶が多用したとする擬人法の例句。〈有明や浅間の霧が膳を這(は)ふ〉。佳作の一つとして選んでいる。

 「俳人一茶」はその人と作品を初めて体系的にまとめた出版物。一茶が広く知られるようになる端緒を開いた―。一茶研究者の矢羽勝幸さんが、その意義を書いている。子規直筆の一茶論の発見は、一茶生誕250年がきっかけだという。一般公開は11月末まで。」(信濃毎日新聞・「斜面」・2013年8月2日付)

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 その子規が認めた(再発見した)一茶の句、「滑稽・風刺・慈愛」ばかりが一茶の本領ではなかった証拠として、以下に挙げておきたくなりました。

 ・霞む日やしんかんとして大座敷  ・父ありてあけぼの見たし青田原  

 ・又ことし娑婆塞ぞよ草の家  ・花おのおの日本魂いさましや

 最後の句は、いかにも「明治維新」近しという感がしませんか。文化四年(一八〇七年)の作、半世紀後に、島は大混乱に陥るのですが、一茶の句はその兆候を、図らずも示しているのです。

 子規(1867-1902)は少し前まで生きて活躍した人でしたし、その彼が、自分と同じような傾向をもった俳人として発見、あるいは再発見したのが一茶でした。子規に先駆ける、わずか百年ばかり前の世界に生きた人でした。人の性情・生きる道理は、それほどには変わらないということを、一茶や子規を通しても、ぼくは実感しているのです。

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京大博士のパズルに挑戦

(京都新聞・2021年1月4日 0:00)(正解は次回に)

 一時期、「数独」というパズルにハマっていたことがありました。いまではナンバープレース(ナンプレ)と呼ばれているものでしょう。購読していた東京新聞の日曜版に「まちがいさがし」「漢字テスト」などといっしょに掲載されていました。ぼくは凝り性でもなければ、物事にシャカリキになる質ではありませんでしたから、適当にやって、解ければお終い、ダメなら、次の機会に、そんな程度でした。それで何かを得たという実感はなく、無駄な時間を過ごしたという、一種の虚実感に満たされていたのかもしれない。

 このブログ(なんだろうか)を始めて、ほぼ一年が経過しようかという段階ですが、つまらない「よしなしごと」を綴っています。まあ、駄文や雑文の「賽の河原」、その石積みのようなものです。積んでは壊し、母のため。いわゆる「和讃」ですね。これにもいろいろあるのですが、ぼくが強烈に覚えているのは、新潟の角田浜の賽の河原。そこで異様な経験をしたのですが、それは、今は書きません。積んでは崩し、積んでは崩し。ぼくの好きな「浄土和讃」から。

   十方衆生のためにとて
   如来の法蔵あつめてぞ
   本願弘誓に帰せしむる
   大心海に帰命せよ
(「讃阿弥陀仏偈和讃」十六)

 賽の河原の石積み、なんか「数独」と似ていませんか。ぼくは、適当に升目を書きながら、しばしば時間をつぶしていました(時間を忘れることはなかった)。九割がた成功したと思った瞬間、ルールに外れていることに気付く、それをまた一からくり返す。「一つ積んでは、母のため」とは思いもしなかった。それもこれもが、「おのがため」でしたが、それで何が鍛えられたのか。今は「自主トレ」と称して、毎日雑文を積んでいます。誰のためでもないし、あるいは自分のためですらない、すっかり摩滅してしまった「あるか、なきか」の「記憶装置」の点検整備作業、いってみれば「自然流の法定整備」です。この「記憶装置」は自分のものでもあり、ぼくのものでもないのですね。ままならないということは、己の所有に帰していないということの証拠ですから。その「自主トレ」のために数独あり、草取りあり、農道散歩あり、かみさんとの悶着あり、加えて、雑文・駄文綴りあり、という次第です。普段着のままに生きているという証明です。(左上、青森は恐山の河原)

 今朝四時のラジオ深夜便で、売れっ子歌人・ホムラ何某の、短歌にまつわる話を聞いていました。ぼくでも知っている、いまは若くもない「サラダなんとか」さんの歌が紹介されていましたが、恥ずかしくなるようなものでした。ぼくは彼女を少しは知っていました。最初は「おや、シャレかいな」、そんな風な短歌でしたが、近年(今朝耳にしたもの)は、そのシャレがもっと崩れて、「ぼくは、こんなのいやや」、というところにまで達していました。フシダラな崩れ方だなと感じられたのです。他の方も大同小異。もちろん、これは好みですから、勝手なぼくの受けとめ方です。

 いうなれば、普段着を装っていたのが、寝間着(パジャマ)かなんかで外歩きしているところにぶつかったという具合でした。そんな恰好で出歩くのなら、あらかじめ告げておいてほしい、だったら、ぼくは違う道を通ったろうから。こんなのばっかりですね。テレビでも何でも巣でした、こいつが出るなら、事前にいっといてよ、ぼくは避けるから、と。出会いがしらは避けようがないから、困るんです。ことばが崩れているというか、品性というものが微塵もないんですね。もっといえば、下品そのものでした。普段着はいいですよ、寝間着が普段着だったら、それも構わない。でも、いかにも布団から出たままで歩いていると思わせてしまう、そんなんいややね。(今は廃れたのかどうか知りませんが、電車で「化粧」が流行っていた頃、ぼくは口にも出し、あからさまに不愉快な表情をしていましたが、大抵はいっかな気にする風もなかったね、女性たちは。そんなん、いやや。「やっても無駄や」と言ったこともある)

 短歌芸術とか何とか文学とか、そんなやかましいことを言っているのではありません。「品」の問題ですよ。人前に出すには礼儀なんかがあるんでしょうね。(これは藪蛇でした。「お前の駄文も下品じゃないか」)

 数独に戻ります。数字というのはいいですね。普段着でも寝間着でもない。誰にとっても6は6です。当たり前ですが、この当たり前の「顔つき」がいいんです。こちらの様子を見ていて、加減してはくれませんね。人によって、表情を変えないから、数字や数学は、人間を鍛えてくれるんです。単なる数字ですが、それはまるで山のように動かない。動かされるのは、こちらです。8+53=64と答えても、その間違いは泣いてもわめいても変わらないままです。自分で訂正しない限り、永遠のゼロ。(右上、新潟角田浜の「岩穴」)

 つまり、数字には、人間を動かす強制力があるという意味です。「だから、これを悪用する輩が後を絶たないんですね)教師や親がやさしく「正解」を与えてくれるような、甘ったれた性格は、数字にはいささかもありません。気を取り直して、自分で間違いを糺す、質す、正す。この繰り返しで、人は鍛えられる。人間を伸ばしてくれるんですね。一つ積んでは、自己のため。

 「数独」から離れたところに迷い込んだと思われますか。集中力、あるいは注意力をきっと高めてくれるのは、生きた人間どもではなく、たった一個の数字ですよ。試してごらんなさい。数字は「梃子でも動かない」、まるで山のようだし、岩のようでもあります。相手が動かないとわかっていれば、こちら(人間)が動くほかにありません。工夫を凝らして(脳を鍛えて)、自分を制御するんです、自分の弱さや、飽きっぽさ、我がまま、不注意などなど)。嘘つきで一貫した元総理は「数独」をやったことがなかったんだね。「可哀そうな、莫迦(moha)」というほかありません。

 小学校二年生の孫(女児)(横浜在)は、いとも簡単に解いて見せてくれる。呆れながら、わが「脳トレ」の成果のないことを、まざまざと見せつけられています。コロナ禍のせいか、このところしばらくは逢えません。この機会(鬼のいない間)を利用して、さらに練習を積んで、追いつきたいと。ますます「自主トレ」に励む次第です。(猫が七人、暴れまわっています。「数独」でもしてくれないかな)

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