次の日程がございますので、会見は…

【夕歩道】アイドルグループみたいな「TKG」という略称が生まれるほど卵かけご飯の人気は高いが、鶏卵の衛生管理が行き届き、安心して生で食べられるのは日本ぐらいだとか。しかも、物価の優等生。

 世界に誇るべき日本のTKGなのだが、その裏であれこれ怪しげな金が動いていたとは…。大臣室で金を受け取ったという元農相殿は「就任祝いと思った」と。どんな感覚をしておられたのやら。

 長期政権の下で緩みきっていたか。卵の大臣は起訴前にバッジを外したが、元法相やら元IR副大臣やら怪しげな金で起訴された議員は他にも。国会始まる。こちらも鶏卵並みに徹底消毒すべし。(中日新聞・2021年1月18日)

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【夕歩道】緊急事態宣言の範囲拡大を発表した菅首相の昨夜の記者会見は、今回も「次の日程」を理由に約四十分で打ち切りに。ネット上では早速、「次の日程」が検索ランキングの上位に浮上したそうな。

 あることないこと立て板に水の迫力で事実と異なる答弁百何回というのも困るし、聴く者が煽(あお)られて議会に突入してしまうのも困るが、ここ一番という時に熱が伝わってこないのも、どうなのか。

 他紙の話で誠に恐縮だが、M紙の名物川柳投稿欄に先日、こんな一句が。<メルケルの後に棒読み聴く悲哀>。うまい! でも、これじゃ、まずい。もう少し、メッセージが伝わってこないと…。(中日新聞・2021年1月14日)

(内閣広報官)
 大変恐縮ですが、次の日程がございますので、会見はこちらで結ばせていただきたいと思います。
 今、挙手されている方につきましては、各1問メールでお送りください。後ほど総理の回答を書面でお返しをさせていただくとともに、ホームページでも公開をさせていただきますので、どうぞ御理解を頂きますようにお願いをいたします。
 では、以上をもちまして、本日の総理記者会見を結ばせていただきます。
 皆様の御協力に感謝を申し上げます。ありがとうございました。(https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0113kaiken.html)

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【夕歩道】パリ協定への復帰を進めよ。米国民は百日間マスク着用を…。新大統領が初日から十七件もの大統領令などに署名して一気に逆転した超大国の針路だが、バイデンさん、こちらもお忘れなきよう。

 核兵器禁止条約が明日、発効する。米英仏中ロの核保有五大国は全く聞く耳を持たぬ風情だが、そんなことでよろしいのか。かつて仕えた先輩オバマ氏は「核なき世界を」と呼び掛けたものだが。

 わが方はというと「被爆者の苦痛と被害に留意する」とうたった条約にもかかわらず、米国の「核の傘」に隠れて参加せず。政府は締約国会議へのオブザーバー参加にも及び腰。どこ見てるのか。(中日新聞・2021年1月21日)

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 二昔前頃には、長い間、ぼくは東京新聞の購読者だった。何よりもページ数が少なかったのがよかった。まるで日刊雑誌(アメリカの新聞)のような分厚い紙束は嫌だった。その分、広告スペースも少なく済み、読む側はイライラしないで済んだ。購読料も他紙よりは少し安かったと思う。その関係で「中日新聞」にも目を通す機会があったので、「夕歩道」をよく読んだ。ツイッター並みの短文で、しかも、いくばくかの「主張」(言いたい事ではなく、言わねばならぬ事)を抜かしてはならないというコラムだった。ぼくも相当前に「小さな新聞(機関紙)」でコラムを一年間ばかり書かされたので、そのスリルがわかる。いつも感じていたのは、このような短文(百字か二百字程度)を書くのに四苦八苦、何度も推敲を重ねるばかり、このような努力を論文や書物にする原稿ではなぜしないのかと、本気で悩んだことも思い出されます。

 新聞購読時代には、かなり熱心な読み手だったし、おかしな記事やコラムには必ず担当者に電話をして「おかしい」と、指摘したこともたびたびだった。今でいう「いいね」に出会うと、読んだお礼を担当者に伝えたこともあった。その後、徐々に新聞社も「問題読者」の扱いがぞんざいになり、担当者にはつながらずに「盥回し」されるようになったので、記事の内容などの低劣化とともに、すっかり購読を止めてしまった。以来、紙の新聞はまともに読んだことはありません。ネット記事はえり好みしてばかりで、かろうじて各誌の「コラム」みたいなものには毎日のように、読むでもなく、字ずらを追っかけています。

 しかし、生意気をいうようですが、質が落ちたというか、論旨は意味不明、内容は空虚・軽薄というか、殆んどが観念的な「作文」のレベルですね。雨が降ると、「シトシト」だし、風が吹くと、「ビュービュー」、雪は「しんしん」と定番のような文章ばかりです。バカな総理が出現すると、恐る恐る値踏みをする。ずばっと直言「君は莫迦だ」と諫言に及ぶことはまずありません。他人(他紙)の言うようなことじゃなく、いわないことで、しかも肝心な点を言い当てる記事やコラムが書けないのかな。まるで八方美人(女性に限定していない)のような、風見鶏もどきの「木舌」「木鐸」が劣島各地の新聞に鳴り響いているのを想像するのは、なんと壮観、いや壮絶かと、ぼくは気も動顛するのです。このような異様な光景を見せつけられると、「学校教育の成功」を心底から実感します。右に倣え、右に同じ、同病相憐れむ、類は友を呼ぶ、一蓮托生、同じ穴の狢などなど。つまり、そんな「病的心象」を形成してきたのが明治以来の学校だったというわけです。

 「一億一心」なんて、悪い冗談だとたかをくくっていたら、なんとそれは報道の「現実の形相であり実体」だったと、空恐ろしくなりながら、ぼくは一日を始めます。そう、「47コラム」を読むのです。内閣記者会、平河クラブ、番記者制度、その他、ぼくは素人で報道界の裏や表には通じていませんが、同棲や事実婚(それを茶化したり揶揄するものではないつもり)のような、外部に明らかではなさそうな交わり(くっつきあい)が、報道する側される側の間で、日夜行われているに違いありません。いまでも時々見かけますが、「総理番記者」「✖✖大臣番記者」と誇らしげに言い触らす記者諸氏。ぼくには恥ずかしくて、開いた口が塞がらない。いっしょに飲み食いするところまで行くと、ぼくはそんな連中の書いた腐敗記事を読まされているのかと、おぞましくなる。検事長と麻雀、警察幹部連と麻雀や飲み食い、これで感覚や神経がマヒしないというやつには、端から感覚も神経もないと、ぼくは言いたい。「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」とか何とかいって、胆をつかまれてやしないか。

 おかしいことを言う、間違いを犯す、内容空虚な発言、政治家に限らぬが、そんな情けない事態に遭遇したら、それを指摘するなり、直言する、そんなことが出来るくらいなら、記者なんかしていないといいたいでしょうな。世の末かどうか、ぼくには判断はできないが、まともでなくなって久しいという感想は持っている。兼好や長明の時代から、いささかも「人情の機微」は変わらないし、嘘つき政治も変わらないね。

 と、ここまで来て、「夕歩道」にたどり着きました。すっかり日も落ちて、しかも雨模様で道はぬかるんでいる。そんな悪い天気の日に「夕歩道」でもあるまいに、と思わないでもありませんが、天気を選べないのですから、寒さに震えながら、「夕歩道」を歩こうとします。

①「TKG」については、別の角度から、どこかで触れました。賄賂を大臣室で受け取っても起訴されない、あるは逮捕されないとはどういうことですか。「政治家」は人民のはるかに上層に君臨しているという自己認識があるんですね。ぼくらは軽い交通違反でも反則金を取られるし、それが重なると「刑事罰」を科される。政治家は「嘘つき」というのは相場ですが、金品受領も「賄賂に無自覚(賄賂だとは思わなかった)」でお目こぼしだというのですか。こんな警察や検察に処罰される人民や哀れ。「徹底消毒」じゃなく、「まず処分」です。この悪事の陰で、罪も咎もない「鶏」が、劣島各地で数百万羽も「殺処分」されています。現・元含めて、他に数人の議員が賄賂をとっていますね。「殺処分される鶏」や哀れ。

②これについてもどこかで記述しました。要するに「人前」に出てはならぬ人間だったわけで、それをとやかく言わないが、裏に徹するからこそ、今まで間違えなかった(いや間違えたかもしれないが、表沙汰にはならなかった)人それぞれ、向き不向きがある、この御仁はこのポストは不向きもいいところ、でも己の分を知ることは莫迦にはできない。この莫迦さ加減は「前総理」もご同様。時に、「役不足」といいますが、この場合は「役負け」といおう。しかも「素人顔負け(素人はだし)」の政治家ぶり、でもありますね。端的に言えば、「力不足」。これで大迷惑を被り、死者まで出ているのだから、即刻退場を求めます。総理や内閣はいらない。国会もいらない。議員もいらない。各地域自治の本来の姿に戻ればいい。小社会デモクラシーを志向しているのです。

③「核の傘」が、いざという時に役に立つというのは、誰もが知っている「幻想」。この「幻想」が無益・無効だと知りつつ、大丈夫だと自己を偽って生きてきたのが戦後レジューム。「核の傘」はじゃじゃ漏れです。どこからでも放射能はやってくる。その証拠になるか、福島原発爆発で放射能被爆を防げなかったではありませんか。アメリカがまもってくれるという「幻想の安保体制」を選んだのは「ぼくたち(選挙民)」だったのだから、いまさらとやかくはいうまい。でも、アメリカが加わらないから、島社会も、というのは世界の非常識だし、島でも非常識。

 「唯一の被爆国」というフレーズがとても気に入っているのが、この島の専制政府かね。ことあるごとに、器用に、便利に使いたがるが、その「被爆の実態」には無関心を決め込んでいる。さらに言えば、確かに戦争における被爆国は今のところ、唯一かもしれませんが、核実験被爆者や国々はどれくらいあるか。欧米大国の実験場にされて、否応なしに被爆者にされた被爆国にされた、しかも今なお、放射能は漂流している。アメリカはネバダ実験場で自国民をどれほど被爆させたか。

 この島においては「核保有のポテンシャル」というお題目で核保有の「悪魔の権利」を決して手放さないし、その確たる証拠として原発推進をと虚仮の一念でほざいているのだから、まるで手には負えない、というのが実際。原発は内部爆発、原爆は外部爆発、爆発の原理はまったく同じです。それを隠蔽して、あくまでもシラを切って原発に執着する。核兵器禁止条約に、この政府は一言半句も言及する資格も権利さえもないと、ぼくは言いたい。ここでも、即刻退場を願う。コロナ災厄で「国民のいのち」をいささかも守れない(守らない)どころか、いまなお人民は危殆に瀕しているのに、サル山のボス争いにも劣る「椅子取りゲーム」に、この危難のさなかに狂奔している。マジで「サル下軍団」のヤクザ政治に我々は殺されますね。油断大敵、くれぐれも注意すべき、それも細心の注意を、です。

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国民の「安心」と「希望」、あんたが言うか

 内閣総理大臣に就任し、政権を担って四か月、直面する困難に立ち向かい、この国を前に進めるために、全力で駆け抜けてまいりました。/ そうした中で、私が、一貫して追い求めてきたものは、国民の皆さんの「安心」そして「希望」です。(中抜き)

 「私は、四十七歳で初めて衆議院議員に当選したとき、かねてより御指導いただいていた当時の梶山静六内閣官房長官から、二つのことを言われ、以来、それを私の信条としてきました。

 一つは、今後は右肩上がりの高度経済成長時代と違って、少子高齢化と人口減少が進み、経済はデフレとなる。/ お前はそういう大変な時代に政治家になった。/ その中で国民に負担をお願いする政策も必要になる。/ その必要性を国民に説明し、理解してもらわなければならない。

 もう一つは、日本は、戦後の荒廃から国民の努力と政策でここまで経済発展を遂げてきた。/ しかし、資源の乏しい日本にとって、これからがまさに正念場となる。/ 国民の食い扶持をつくっていくのがお前の仕事だ。/ これらの言葉を胸に、「国民のために働く内閣」として、全力を尽くしてまいります。

 御清聴ありがとうございました」

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 去る十八日に開会した国会における総理の「施政方針」演説の最初と最後の部分です。中味はない。以前、新聞購読を続けていた時にも嫌な気になっていたのは、この「施政方針」演説なるものを貴重な紙面を使って記載するという愚行でした。財政・外交を含めて、なんという無駄をするものかとほとほと呆れたことを思い出します。「購読料」を返してほしかった。今回はネットから拾った記録を見ましたが、何をか言わんや、何も言えない。官僚が書いているのですが、作文能力は皆無に等しい。それにこの総理は「朗読」ということを舐めているというか、考えたこともないのでしょう。「棒読」ですよ、つまり「棒読み」です。その昔(今でもあるが)」は「勅語の「奉読」などと言われましたが、近年は「棒読み」で、漢字が読めない、眼が悪いソーリもいるから、「太字のカナ振り」という至れり尽くせりです。それでも間違える始末、末法というのか。「心に届かない」とか、「訴えるものがない」などと、いろいろな批判やお願いみたいなものが出されていますが、この手合いにそんなものを望むこと自体が間違いです。もともと「心ない」政治家であり官僚たちの仕業ですから、あろうはずもないのが当たり前。八百屋で鮪を買う類。(⇦ ソーリ手持ちの「原稿」・大字フリガナ付き)

 それを補って余りある「誠意」はどうかと聞くことが間違いです。「誠意」があれば政治家・官僚なんかになるわけもないのです。これはぼくの愚見ですから、誤解がないように。政治家は「嘘つき」だとぼくはみなしていますし、大筋では間違っていないでしょう。前の総理が弁解や弁明に事欠き、「前には嘘をついたが、今回のは本当です」とまた嘘を垂れた。この秋田愚人は、その嘘つきと何年も「刎頸の交わり」「赤い糸」で結ばれていたのです(表向きではあっても)。いくら何でもどこかで「本音(言い分)」がはいっているでしょうと、いぶかる向きもあるでしょうから、最初と最後の部分だけで、中間部分は「中抜き」したわけです。「嘘つきと我が名呼ばれん春霞」(無骨)

(助けた亀に、助けられ)

 「国民」という語が頻発します。その理由は、アリバイ証明というか、「国民不在」を暗示(かつ明示)するばかりです。「嘘つき」が弁解や弁明するのは、指摘が図星だからです。嘘ではありませんと嘘をつく。「私が、一貫して追い求めてきたものは、国民の皆さんの「安心」そして「希望」です」というが、その「国民」とは誰のことか。テークホルダーと言われる人だけを指しているんじゃないですか。「国民の皆さん」のなかに、ぼくは断じて入りたくない、入れてほしくない。これをいけシャーシャーと言える「厚顔無恥」、恬として恥じない「剛毅」を装った虚飾、それが政治家になる・である「必須条件」です。

 「…国民に負担をお願いする政策も必要になる。/ その必要性を国民に説明し、理解してもらわなければならない」と修辞・虚言を重ねていますが、その気がないことを如実に示しています。「口だけ」「言うだけ」「語るだけ」という言語軽薄主義の見本です。ゴーストライターもなかなかの技量の持ち主ですね。大学を出てまで、こんなくだらない作文を書くんですから、それで月給をとっているのです。ぼくは長年、「生活綴り方」という教育実践を調べてきました。特に秋田では「北方教育」「北方性教育」「教育北日本」などを標榜し、たかだかた狼煙を掲げて辛苦して苦難の道を子どもと一緒に歩いた教師たちがいました。現総理の出身と言われる地にも出かけて取材や調査をしたことがあります。「生活綴り方」はなによりも現実から出発し、荒野(東北の地)に「正路を開く」と宣言したものです。こんなところでそれを出すのは気が引けるし、大人げないし、場違いであることを承知していますが、あまりにも「演説」が「おそ松くん」だったので、やむを得ず紹介するのです。「これを見よ!」

「どこまでも、生活にしがみついて、自分をうちたてていこうとする意志は、現実なる諸条件のうそでない認識から明朗に発足すべきものだ。/ 皮肉と風刺の中におちこむ超越的態度を警戒しよう。 /おっかぶせて子どもを引きづる観念的な盲信を反省しよう。/ ここにのみ、ぼくたちの子どもたちとともに、彼らの生活を愛する情熱が生まれてこようというものだ。この情熱的実践行を、ぼくたちは時代の教育者として態度する》(成田忠久「実践の方向性」『北方教育』第十四号。昭和九年八月)」

 成田さんは秋田市内で豆腐屋を開業し、その売り上げで「北方教育」という雑誌を出版し、仲間の教師たちの仕事を土台から支え続けた。これらの「生活綴り方」教師たちは、その後「治安維持法」で一網打尽にされ、獄中で殺されたり、拷問の果てに病死したり、「危険思想」というでっち上げで「獄中生活」を余儀なくされたりした。いま、感染症法などの法改正が言われていますが、入院や検査を拒否すれば懲役刑や罰金刑を科すと、この総理は「特攻顔」(辺見庸)で主張する。「国民の皆さん」という表現で、「人民」を愚弄軽侮しているのです。いうことを聞かないやつ、政府に反対する輩は「処罰」する、こんなグロテスクな総理大臣がこの瞬間にも棲息しているのです。

 政治家として求めてきたのは「国民の皆さんの「安心」そして「希望」です」と厚顔にも言い募る。この、けた違いの「(無)神経」がなければ、この島の政治家にはなれない、なっても大成しない。それを「ガースー」は教えている。おそらく自分が「読んでいること」をまったく理解していないし、これを「読ませた」官僚も出まかせで言葉の羅列を文字に直しただけです。「(自らの犯罪性を明らかにする)ホテルの明細書や領収書はない」と言い逃れようとしているのは前の総理でしたが、この点では、こちらはもっと質が悪い。手に負えないくらいに悪質です。傍若無人というか、傲岸不遜というか。「国民の皆さん」と言いながら、人民を平気で見殺しにするのです。外出は自粛、余裕のあるものは「go toトラベル」と言い放つんですから。go toで感染者が増えた「エビデンス」はないと、しらッと嘘を吐く。マスクをしてほしいね。「暴力」は、猫なで声でいわれても「暴力」です。

 最後に、優しいおじさん(あるいはおばさんか)の登場です。相変わらず、気は優しくて暢気屋さん。

【筆洗】駆け出しのころ、デスクに原稿を渡すと、このデスク、受け取るなり「悪い顔つきをしている」と言う。「はあ、そうですか」と答えるしかない▼デスクが言うのは身どもの悪相ではなく、原稿の「顔つき」のことらしい。この稼業を長く続けていれば、読まずとも原稿用紙からにじんでくる雰囲気やにおいのようなもので芳しくない内容だと判断できると断言する。事実、悪相の原稿はよく直された▼つまらぬことを思い出させたのは菅首相の施政方針演説である。おそろしいもので長く政治を見ていると報道用の演説原稿案を手にしただけであまり期待できぬ内容と勘が働く。ホラだとおっしゃるか▼手に取った時、やけに厚く感じる。こういう場合はだいたい退屈さに身をよじることになる。「結婚式のスピーチとなんとかは短い方がいい」と昔はよく言ったが、政治演説も同じ。訴えるべきポイントが弱いから、政策を並べ立て、その説明にだらだらと字数を重ねることになる。大方、役人の仕事であろう▼演説を聴けば案の定である。おまけにこの方、熱意や心情を言葉に乗せるのが苦手なようで、こちらは眠気と闘うことになる▼と思いきや最後に目のさめるジョークがあった。政治の師梶山静六さんから国民への説明と理解が大切だと教えられ、信条としていると説明不足のこの人が真顔で言う。えっ、冗談じゃないの?(東京新聞・2021年1月19日 07時39分)

 約一万字(4百字用紙で25枚相当)をひたすら読み上げる。ライターはどこかの文章を切り張りしただけ。これを電波を使い全国に垂れ流すという暴挙。内容は空虚。国会は人間不在の廃墟。こんなものを黙って聞くに堪えないのが正常な神経の持ち主。ところが、あろうことか、前もって印刷されて関係者に配布される。試験問題や解答用紙が事前に受験生や親たちに配られているも同然。気の早い女性議員さんが、これをネットに出したと非難されている。これは「官報」というのか、「広報」というのか。どこかの街角にでも貼っておけば済むものを。大枚の税金の無駄遣いの実態がここにもある。国家もいらないし、内閣も要らないし、政府もいらない。いらない尽くしです。自分たちの納めた税金を自分たちで工夫して使う、そんな身近で、手の届く範囲の政治や社会を作りたいね。

 一人の人間の好ましい生き方、あるいは考え方として、ぼくは以下に引用したようなものが、いつでもかすかに根付いていて、現実の政治や社会において「強引な政治力」が働こうとするとき、きっとぼくを立ち止まらせ、すッと隊列から脱け出るように促し、わが胡乱な「意識」を覚醒させ、研磨してきました。

 「…それは人間の社会習慣の中に、なかばうもれている状態で、人間の歴史とともに生きてきた思想だからだ。習慣の中に無自覚の形である部分が大きく、自他にむかってはっきり言える部分は小さい。

 アナキズムは、権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想だとして、まずおおまかに定義することからはじめよう。(略) …アナキズムが人間の習慣の中になかばうもれている思想として特色をもつものだとすれば、思想としてのアナキズムが静かな仮死状態でもなく激発して別のものに転化するのでもなく、生きつづけてゆくためには、それを支える隠れた部分が大切だということだ。そのかくれた部分は、個人のパースナリティーであり、集団の人間関係であり、無意識の習慣をふくめての社会の伝統である。そこから考えてゆくのでないと、人間の未来にとって重大な意味をもつようなものとしてのアナキズムをほりおこすことは、できないだろう」(鶴見俊輔「方法としてのアナキズム」

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 大人に囲まれて、歪みの形を持つこども

【正平調】「陽のあたる場所と陰の場所、その両方からこだましてくる言葉たちをお届けできたらと思います」。フリーペーパー「かげ日なた」の創刊の辞だ。A5判、10ページという小冊子ながら、その志は高い◆「雨ふる本屋」シリーズなどで知られる児童文学作家、日向(ひなた)理恵子さん(加東市)が、姫路市内の古書店主らと昨秋発刊した。好きな本や出会った人々、コロナ禍への思いをまっすぐにつづる◆今月出た第2号で日向さんは、愛犬ひなたの死に触れている。幼少期から動物に囲まれて育ち、その死を弔ってきた日向さん。中学時代には、校舎に散らばる黄金虫の死骸を拾い集める仕事に就けないかと真剣に考えたらしい◆愛犬から筆名をもらった日向さんは書く。「あなたたちのように堂々と生き、堂々と死んでいきたい」と。生と死をじっと見つめてきた言葉は、心の奥深くに染み込む◆ネット上で誰でも簡単に物が言える時代だが、日向さんはあくまで紙での発信にこだわる。木の命を宿した紙のぬくもりがページを繰る人に伝わり、記憶に刻まれると信じるからだ◆願わくは私たちのつくる新聞も読者の心に届き、そっと力づけられる存在でありたい。どんな険しい時代にも陰日なたなく、くじけそうな誰かの陰日なたとなって。(神戸新聞・2021・1・19)

 「いま・ここ」で生きる意味は 児童文学作家らが無料季刊誌

 「雨ふる本屋」シリーズなどで知られる児童文学作家の日向(ひなた)理恵子さん(36)=兵庫県加東市=が、同県姫路市内の古書店主らと共にフリーペーパー「かげ日なた」を創刊した。執筆メンバー4人、全10ページの小冊子ながら「いま・ここ」で生きる意味を問い掛ける内容。日向さんは「日の当たる場所と陰の場所、両方からこだましてくる言葉を届けたい」と話す。(平松正子)(2020/12/18 05:30神戸新聞NEXT)(フリーペーパー「かげ日なた」を創刊した日向理恵子さん(後列左)、田山修道さん(同右)ら=おひさまゆうびん舎 ⇒)

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 日向さんの本は一冊か二冊しか持っていません。あまり熱心な読者じゃなかったことをお詫びしなければならない。この「かげ日なた」のコラムを見て、懐かしいというより、申し訳ないという気になり、さっそく探し出して机の上に置いたところです。フリーペーパーを読んでみたいと入手法を探したりしています。その内容等については後日。この「かげと日なた」という言葉はいろいろな場面を想定させてくれるという点でも、ぼくのお気に入りです。多くは「陰日向なく」という「表現」として使われるのかもしれません。愛犬の「日なた」から筆名を付けた作家は「あなたたちのように堂々と生き、堂々と死んでいきたい」といわれる。それは人間においては「至難の業」ですね。それはなんと難しいことか。「花も嵐も踏み越えて」ですか。花には浮れるけど、「嵐」(五人組だっけ)は大嫌い。

 昨年の秋口に、ぼくは近所の動物病院に、家の敷地内で生まれたばかりの「子猫」を連れて行った。もう死の寸前だとぼくにもわかったが、それでも何とか助けたい、生きてほしいと、すがる思いで探し当てた病院だった。そこの医者の態度には無性に腹が立ちました。(もう手遅れだから)「うちでは何もできません(しません)」とぬかしました。ものには言いようがあるだろ、と怒りが生まれた。そのまま連れて帰り、傍に座りながら「看取った」。ぼくは犬や猫の収集家でもなければ、愛好家でもない。

 ただどういうわけだか、これまでに、総計で三十以上の猫の生死を見てきた。すべて野良猫。家の中で一緒に暮らし、それぞれとていねいに別れた。「野良猫」という言葉がありますが、それは違うと思う。人間の勝手気ままが作り出し使っている「傲慢不遜」な言葉です。要するに「捨て猫」(人間から言えば。猫から見れば、「捨てられ猫」)なんですね。まるで家庭ごみや不要な家財を棄てるが如くに、捨ておいた(おかれた)ものの「なれの果て」です。(ぼくは「ペットを飼う」という感覚が皆無です。共に暮らす、あえて言えば、そんな風ですね。なかなか大変です。長く外で生きている猫(犬)はらなおさら、つきあうのが大変。時間がかかります)

 ずいぶんと前、三十年も前の話です。ご存じだろうと思いますが、画家の奈良美智さん。ぼくは彼の作品をよく見ていました。絵を見るたびに、この人には「ひずみ」があるな、と勝手な感想を持ちつづけていた。あるとき、鶴見さんと奈良さんの対談が活字になったのを読んで、奈良さんの作品の印象が一変したんですよ。「そうだったか」「こんなことがあったんだ」と、ぼくは不思議というか奇妙な幻想染みた世界を抜きにして奈良さんの絵を見ることが出来なくなった。「対談」のさわりの部分です。(この対談を読んだすぐ後に、かみさんと美ヶ原に出かけた。高原の山頂の食堂の入り口に、犬がうろうろしていた。どうしてここにいるのかと、見守っていたら、お店の人が「捨てられたんだ」といった。都会から車できて、捨てていったんだと。一瞬、連れて帰ろうかと思いかけたが、止めた。売店の人たちが面倒を見ているんだということだったから。姥捨て山ならぬ犬棄て山、それが美ヶ原高原だった)

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鶴見 私が学生だったころの古い心理学の譬えがあってね。ゴムマリを壁にぶつけると歪むでしょう、歪んでちょっとして静止する、それが考えることだという、その歪んだボールの形と、考えるということは、同形なんだと。

 奈良さんの絵を見ていると、そういう歪んで静止した形が、私自身の中に見えてくる。「子供は大人の世界に囲まれて歪みの形をもっている」というのが、絵を貫いていると思ったね。子供が何かを考えている時、何を考えているのか言葉でいっごらんといったって、いうことはできない。考えが、あるところで歪んだ形になって、一瞬停止しているわけだ。子供は不満があっても、大人の言葉の文法を使って、別の秩序を自分で作るなんてできない。奈良さんが松本大洋に興味をもっていて。『鉄コン筋クリート』(小学館)が好きだというの、わかる気がするな。「鉄筋コンクリート」というのをわざとずらしちゃって「鉄コン」ってくるわけでしょう。そういう世界なんだよね。

 だから、奈良さんの作品には、大人に対して小さいナイフを手にもって上目遣いに見る子供という型がずっとあるんだけれども、あれに「何が不満かいってごらん」といったって仕方ないんだ。下から上目遣いに見てるという、その視線そのものに思想がある。

 奈良 動物とか子供とか、好きなんだけれど、不可解なものです、僕にとって。だからそこが気になる。でもじつは犬にはひとつ、あまり人に話したことのない思い出がある。うちは猫を飼っていたんですけれども、一回だけ犬を飼ったことがある。飼ったんだけれど、その犬が吠えるというんで、うちの親が自動車に乗せて遠くの山まで捨てに行ったんです。僕はまだ子供で、「犬も欲しい」って雑種の野良犬を拾ってきて、結局捨てに行くことになった。山の上まで行って、その犬は捨てられるとも気づかず、跳ね回ったりしていて、犬がちょっといなくなったすきに、車でそのまま帰ってきた。

 で、忘れてたんです、ほんとに。自分の中で、もうそのことはなかったことになっていた。それがいつごろからか、描いていると犬がいっぱい出てくるようになって、「犬、好きなんですか?」って聞かれて「いや」、俺、猫のほうが好きなんだよ」とかいっているうちに、そうやってずっと蓋してたものが急にパアッと途中で開いた。「こういうことはなかったんだ」と思うほどに、僕の中のどこかに、犬を捨てたことがずうっとあったんです。…ふいに思い出して、もう忘れることはないと思う。犬を飼いたいって思ったりするけど、僕は一生飼わないと思う…。(鶴見俊輔・奈良美智「ひとりで歩けるひと」『鶴見俊輔対談集 未来におきたいものは』晶文社刊所収)

〇鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ):哲学者。一九二二年生まれ。主な著書に『鶴見俊輔集』『続鶴見修助集』『鶴見俊輔対談』『期待と回想』『』みんなで考えよう』など。

〇奈良美智(なら・よしとも):画家。一九五九年生まれ。主な作品に『ともだちがほしかったいぬ』『Nara note』『Lullaby supermarket』など。

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 「かげひなた」、ぼくの大好きな言葉の一つです。理由は大したことではありません。若いころに、懸命に読んだプラトン著「国家」という浩瀚な書物の核心部と言える巻に「洞窟の比喩」というのがありました。それが、その後のぼくの、生きていく「背骨」(カルシューム分が希薄で、いつでも骨折しかかっている)となったと、自分では考えている、「影と日向」を直接に論じているのではなく、「比喩」として論じ尽くしており、それというものが、人間が社会で生きて行く、一つの避けられない落とし穴(陥穽)となっているというこ。別の言葉を使えば、「光と影」です。物体があると、そこには必ず光の当たる部分と影の部分ができる(ある)。影は物体に当たった光が写す像です。実物の作る影ですね。一種の写真のようなものとも言えます。実物を写し取った影が「写真」です。この時、ぼくたちは「写真」をみて、実それを真物とみなしていないか、それがソクラテス(プラトン)の提出した問題でした。偽物と真物。

 日向恵美子さんたちのFP「かげと日なた」について書きだしましたが、あらぬ方向に流れてしまいました。この項は、ここまでにして、できれば、続きを本日中(1月20日)に書き足したいと考えています。

● かげ‐ひなた【陰日向】 の解説 日の当たらない所と日の当たる所。 人の見ている所と見ていない所とで言動が変わること。「陰日向なく働く」 表に出たり裏にまわったりすること。「陰日向になって助ける」(デジタル大辞泉)

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五穀豊穣をこそ、祈りの心は変わらない

 穏やかな天候と豊作祈願、北秋田市で「雪中田植え」

(雪で作った田に、苗に見立てた稲わらと豆殻の束を植える亀山さん)

 今年の稲の作柄を占う秋田県北秋田市の小正月行事「雪中田植え」が15日、同市綴子の大太鼓の館駐車場で行われた。田に見立てた雪に、苗に見立てた稲わらと豆殻の束を植え、豊作を祈願した。JA秋田たかのす青年部(岩谷政崇部長)の主催。

 新型コロナウイルス感染防止のため、参加者は田植え役を除きマスク着用を徹底した。/ 田植え役は青年部員の亀山春樹さん(23)=同市栄=が担当。すげがさとみのをまとい、1・8メートル四方の雪の田んぼに稲わら16束を丁寧に差し込んだ。最後に、田の神への目印となるわらぼうきを逆さにして中央に立て、料理と酒を供え豊作を祈った。

 雪に差した稲わらの状態で今年の作柄を占う「雪中稲刈り」は2月1日に行う。稲が実ったように適度に傾いていれば豊作。直立していれば実の入らない「不稔」、倒れていれば風水害による「倒伏」で、それぞれ凶作とされる。/ 田植え役を初めて務めた亀山さんは「穏やかな天候が続き、豊作になることを願って植えた」と話した。/ 雪中田植えは戦後一時途絶えたが、地元農家が1983年に復活させた。その後、合併前の旧綴子農協(現JA秋田たかのす)青年部が引き継ぎ、毎年行っている。岩谷部長は「コロナ禍で開催できるか心配だったが、無事に行うことができて安心した」と話した。(秋田魁新報「電子版」・2021年1月16日載)

 1690年に建てられた酒田市山元上千刈田の古民家「旧阿部家」(市指定有形文化財)で11日、「小正月行事を楽しむ会」が開かれ、市内の園児や小学生ら22人が五穀豊穣(ほうじょう)を祈る雪中田植えなど伝統行事を体験したほか、そり滑りといった昔ながらの遊びに興じた。(毎日新聞2020年2月13日)

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(比叡山延暦寺の正月行事)

●雪中田植(読み)せっちゅうたうえ 【田遊】より 「…それも修正会(しゆしようえ)の法会が民俗行事化したものに付随する場合が多い。芸態は,自家の門田(かどた)に初鍬を入れて簡単な唱え言をするものや(春田打,春鍬),わらや松の小枝を苗に見立てて田植の所作を模す簡単なもの(雪中田植),身振りや会話を主に演劇的に稲作工程を進める所(静岡県三島市三島大社の御田打祭,愛知県設楽町田峯の田楽,奈良県明日香村飛鳥坐神社の御田など),唱え言を主にして象徴的身振りを加える所(静岡県森町小国神社の田遊祭,長野県阿南町新野の雪祭)など多様であるが,いずれも歳神(としがみ)や氏神の感染呪術による秋の実りを期待することに変りない。東京都板橋区徳丸の田遊(2月11日)では唱え言と模擬動作を組み合わせて一年の稲作工程を演じるが,太鼓の表面を田面,餅を鍬,松葉を苗などに見立てるなど,実際の農具は使用しない。…」(世界大百科事典内の雪中田植の言及)

(田峯田楽)

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 今ではその由来も定かでなくなったり、縁起とはおそ異なる「民間伝承まがい」の年中行事となってしまったものがほとんど。まあ、春や秋の祭礼に「お御輿」を軽トラックに載せてアスファルトの道を巡回するようなものでしょう。それをとやかく言うのではありません。まがりなりにも、由来(伝承)を尊重しようとする心持が、先祖霊とつながっていると自分自身で確認するのに必要な作業だと考えていい。宮中での「田植え」「稲刈り」もまさに廃れ切った農事の成れの果てであるともいえるわけです。このような風習を観て(実施して)、ぼくたちは何を感じられるか、それもまた今では深く問われなくなりました。

 秋田や山形ばかりではなく、各地でそれぞれの幻影の尻尾をつかむような「年中行事」がほそぼそと、過去とは一本の糸でつながれています。ぼくは二十歳前までは関西に住み、それ以後は関東暮らしを続けてきましたので、東西の「文化」(生活習慣)の違いに、いまもって馴染めないものがあります。人間もまた「文化の産物」だとするならば、「異文化交流」だの「文化多元主義」だのと言ったところで、そんなに簡単にはいかないものだと実感しています。互いの違いをまず認めるということが難しい。料理の味付けや食事のマナーなどはいずれ混淆してしまって、その差も消えてゆくのは目に見えていますが、仮に、夫婦が東と西の産だったらどうします。

 なかなかうまくいきませんね。ぼくはかれこれ半世紀、今のかみさん(いえ、前のかみさんはいない)と暮らしていますが、年々歳々融合する親和性より離反する危険性を痛感しながら、綱渡りのような人生を送ってきました。彼女は江戸そだち、ぼくは京都でしたから、言葉遣い(交際)がまずかみあわない。「なんなのよ」に対して「なんでやねん」と、長調と短調のちがいというか、正調と破調というか、ボケと突っ込みというか、とにかく交わらない。平行線は永遠に交わらないと学校で習いましたが、この夫婦は「平行線」であり「閉口」でありますね。非ユークリッド数学なら、どうなるか。

 割れ鍋に綴じ蓋といいます。「破損した鍋にもそれ相応の蓋があること。どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえ。また、両者が似通った者どうしであることのたとえ。[補説]「綴じ蓋」を「閉じ蓋」と書くのは誤り。「綴じる」は縫い合わせるの意で、「綴じ蓋」は修繕した蓋のこと」(デジタル大辞泉)似通っているということは、似て非なりという意味ですね。他人と比べて五ミリの違いが決定的だというようなことをフロイトだったかが言いましたが、一ミリの違いが一メートルにもなるのが「似たもの同士」です。似ているというか、違っているというか、どちらに重きを置くかという哲学の問題になります。コップに水が半分も、というか、半分しか、というか。ものは言いよう、考えようですが、そのもとになる下地が異なる「文化」で養われていると、なかなかその差が埋まらないのです。

 半世紀の「狐と狸」だとは思いませんが、いつでも喧嘩をしながらの五十年でしたね。雨降って地固まると言いますが、年々、雨は激しくなるばかり。やがて豪雨に見舞われるか。異常気象の時代に共に暮らすというのも、スリルがあるし、至難の業に近いんですね。実感、実感、また実感です。段々、殺気を帯びてきそうなのでこのあたりで止めておきます。

(鎌倉鶴岡八幡宮)

 若いころ、ぼくは柳田国男さんたちの「民間伝承」「地方(じかた)研究」「民俗学」などと称されるものの仕事にかじりついていた時間が長くありましたから、「雪中田植え」や「どんど焼き」「左義長」(右写真)などなど、小正月に纏わる慣習(風習)に大いに興味を持ちました。(●小正月=陰暦の1月15日、またはその前後数日の称。小年(こどし)。二番正月。若年(わかどし)。デジタル大辞泉の解説)それもこれもすでに半世紀の昔ですから、「伝統」がかろうじて維持されるというものの、火事場の消火後の水蒸気の蒸発みたいな、まるで痛ましい姿かたちだという、なさけない感想を持つほかなくなるのです。そんなことなら、いっそなくすればいいじゃないかとも、想ったり。しかし、どんなに変貌を遂げようと、続けていれば、心持もまた古代人のレガシー(legacy)に重なって来たり。あるいは憑依なんてことが生じないとも限りませんしね。

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白河以北一山百文、それがどうした

 デスク日誌(1/14):白い闇

 厳冬期、山形県内の国道で「ホワイトアウト」に遭遇したことがある。
 積もった雪が地吹雪で舞い上がり、前方は真っ白になった。まるで「白い闇」。目を閉じて車を運転しているのと同じだ。危険なので停車していると、右側の反対車線に止まっていた車に、後続のトラックが「ドン」と追突した。
 窓を開けて「大丈夫ですか」と呼び掛けると、追突された運転手は車の外に出て「こっちは大丈夫。あんたも止まっているとぶつけられるぞ」と叫ぶ。雪が積もった側道に逃げ込めるスペースはない。前に進むしかないのだ。
 再びハンドルを握り、のろのろと前進。脂汗が出てきた。幸いにもカーブがなく、道路脇への逸脱は避けることができた。どれくらいたったのか。やがて周囲に建物が見え、白い闇から脱出したことを悟った。
 当時を思い出すと、視界不良の中で進まざるを得ない状況は、コロナ下の、先行きの見えない今と似ている気がする。止まるわけにも、ダッシュするわけにもいかない。少しずつ、慎重に前進するしかないのだろう。やがて白い闇が晴れてくるのを信じて。(生活文化部次長 加藤健一)(河北新報・2021年01月14日 09:41)(ヘッダー写真はYahoo!トラベルhttps://travel.yahoo.co.jp/kanko/spot-00023185/

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 雪の道路を車で走る経験を、ぼくはずいぶんと繰り返しました。毎年のように群馬や宮城の山々にスキーに出かけたからです。もう四十年も前のことになりました。運転は車もスキーも上手じゃなかったし、どれもこれも自己流を押し通していましたから、われながら、変な性格という実感を持っていました。ぼくは他人から指図されたり、教えられたりすることが何よりも嫌だった。なんでも自己流を通してきた気がする。おふくろがよく言ってました、「あんたは言うことを聞かないというか、何でも一人でしていた子やった。手がかからなかったけど、面倒だった」というようなことを。今から半世紀前、自動車教習所に通って路上運転をしてとき、横のおっさんが「次の信号を右折」と言った。交差点に入って対向車が行き過ぎるのを待っていると、「なぜ、先に右折しないのか」と文句を言った。安全確認で待機してからと判断していたので、ぼくは怒られる理由が気に入らなかった。

  なんで怒られるのか、頭にきたから、交差点の真ん中で車から降りて、家に帰った、という出来事があった。教習所の連中からは悪評が立ったが、以来半世紀、運転して無事故・有違反でした。それくらいに指図を受けるのはダメだった。雪道の運転も誰に倣ったのではなく、自学自習、経験主義です。いくつも怖い経験(谷底に落ちかけたりという)があります、暗かったから平気だったが、もし日中だったらと考えて、ぞっとしたこともあった。こんな与太話ならいくらでもあります。

 新潟の浦佐のスキー場の経営者だった人が、新潟から群馬の万座までマイクロバスでやって来たことがありました。ノーマルタイヤでチェーンもつけずに。雪道は大丈夫なんですかと、彼が新潟に帰るときに聞いたら、急坂を下るときは路側帯の雪のかたまりにぶつけてスピードを落としながら行く、と平気な顔で言っていました。凄い人がいるものと、ぼくは彼を、一も二もなく尊敬することになりました。コラム氏のいう「のろのろと前進。脂汗が出てきた」というのは何度もあった。どんな「その道」でも、素人が逆立ちしてもかなわない人がいるんですね。この経験はいい薬になりました。都会で一センチ雪が降っても、事故が続発、放置車があちこちにたまります。冬の都心の風物詩ですか。大雨でも大雪でも、悪天候の際は、無理をしないこと、これが安全確保の一番の方法です。ブレーキはかけるものですが、かけてはいけない場合もあるんですね。特に、雪道走行ではまず危険ですから。 

 序(ついで)です。河北新報について一言。創立者は一力健治郎。明治政府から「白河以北一山百文」と軽ろんじられたのを逆手にとって、「河北新報」と命名したという。原敬は、その号を一山となした。その他、東北の人々の怨念のようなものがこの新聞をはじめとする東北人の気概に沁み込んでいるようです。今の総理(まもなく、桜花爛漫のまえには「元総理」となります)は秋田ですが、この人は、身も心も神奈川産のようです。ぼくの年下の友人が河北新報の記者でした。長年勤めたのですが、東日本大震災と福島原発事故後に、宮崎県に移住し、たぶん、今は当地の新聞社に勤務されています。

 震災当時、ぼくは河北新報社の根性を見せつけられた思いがしました。詳しくは言いませんが、輪転機を求めて、新潟日報社まで出かけて、翌朝の朝刊を作ったほどでした。その後ほどなく、東日本大地震の経緯を克明に追った一冊の書物が公刊されました。ぼくはいろいろな点で、「東北」「一山百文」が大好きです。この地では戦時中に「生活綴り方教育」運動が勃興し、大いにその実践力を示したのでした。いずれは一冊の本にでもと大量の原稿を書きましたが、とうとう完成しないままで、今に至っています。なぜ東北に入れ込むのか、と聞かれなくても、ぼくはこの島社会の屋台骨であったという核心を抱きつづけてきたのです。あるいは敬意をこめて「縁の下の力持ち」であったとも。その一つの象徴が、一新聞社が示した非常時における「裂帛の気合」に強烈に感じたことでした。一力さんについても書いてみたいのですが、別の機会に譲ります。ブンヤさんがまだまだ健全な精神で、強きをくじこうと身を挺していた時代があったんですね。

 「視界不良の中で進まざるを得ない状況は、コロナ下の、先行きの見えない今と似ている気がする。止まるわけにも、ダッシュするわけにもいかない。少しずつ、慎重に前進するしかないのだろう。やがて白い闇が晴れてくるのを信じて」というコラム氏の発言に、ぼくは首肯するばかりです。雪道運転の鉄則はブレーキをかけないことと、ぼくは聞かされた。先行きの見えない、視界不良の際には、アクセルももちろん危険だし、ブレーキは踏まないに限ります。要するに、手探りですね。この手探りを、今どきは流行らない手業のように、ぼくたちはあえて試みようとしなくなりました。何かに頼る、誰かに頼る。もっとも肝心な自分の力をすっかり忘れてしまった人間の危うさを、ぼくたちは毎日のニュースで知らされているのです。

 仙台の住人が雪道に難儀するというのは、いろいろな時代相を映しているようです。雪は少なくなった、車社会が当たり前に浸透している時代です。だから、雪道で「白い闇」に脅威を感じるのはいかにもナイーブだと思わないでもありません。それでも、無事でよかったと、いまさらに安堵してみたりします。

 この島は「白い闇」や「黒い闇」にはまり込んでいる今、ぼくたちにはそれを脱出する手立てがあるのでしょうか。「一山百文」という軽侮に対して、立ち上がる気性を失っては、東北もまた、全体が「白や黒の闇」に足掻いているともいえるのでしょう。どこまで続くぬかるみぞ、と足元を見据えながら手探りで歩くのがもっとも大切なんじゃないですか。「いざさらば雪見にころぶ所まで」と、白銀世界に遊んだのは芭蕉さんでした。

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がんばろう、その後、湯ったりくつろごう

 阪神・淡路大震災26年 祈り、歩む、1・17

 1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から、17日で丸26年を迎えた。発生時刻の午前5時46分に合わせ、神戸市中央区の東遊園地など各地で追悼行事が開かれ、人々は亡くなった大切な人たち、失ったものに思いをはせた。(神戸新聞・2021/1/17 12:45)

 歳月は人を待たず、「年月は人の都合にかかわりなく刻々に過ぎ去り、瞬時もとどまらない。〔陶潜‐雑詩十二首〕」(精選版 日本国語大辞典の解説)何事によらず、幸も不幸も、忘れがたい思いが強ければ強いほど、気が付けば、あっという間に過去に消えてゆくようにも思われます。まさに光陰矢の如しというべきか。その昔、物理学者の寺田寅彦さんは「天災は忘れた頃に来る天災は忘れられたる頃来る)」と言ったそうです。いかにもそうだと思われていた時代の逸話でした。忘れる間もなく、いや応接に遑もないくらいに、間断となく「天災」も「人災」も生じて止まないのが現代です。その意味は、身寄りのない衆生が災害に遭うタネは、いたるところ、まるで地雷原の地雷の如くに仕掛けられているというべきかもしれない。

 この二十六年、ぼくには無関係でありましたとは言えない、いくつもの因縁がありました。亡くなった方もおられたし、大切な人を亡くされた知人もいた。何をするかという術を持たないからこそ、ひたすら祈るほかになかったという二十六年でした。「あの災害に遭ったのは、ぼくだった」という否定できそうもない壮年が年々、強くなるのです。また古いところに逃げ込むようですが、時間の経緯を越えて、ぼくたちが感じる、時に寄せる感受性は変わらないといいたいのです。「歳月不待人」とはどういうことか。

人生無根蒂 飄如陌上塵
分散逐風轉 此已非常身
落地爲兄弟 何必骨肉親
得歡當作樂 斗酒聚比鄰
盛年不重來 一日難再晨
及時當勉勵 歳月不待人

●陶淵明=陶潜(読み)とうせん 365―427とうせん タウ‥とうせん〔タウ〕陶潜 Táo Qián 中国,東晋,宋の詩人。字は淵明。若くして官についたが,《帰去来兮辞》を賦して彭沢(ほうたく)の令を退いた後,官界の汚濁をきらって田園に閑居した。隠士的相貌(そうぼう)の裏に人生体験や政治的抱負を秘めた理想主義的自然詩を書く。自然詩人の先駆として,後世に与えた影響は大きい。他に《桃花源記》など。《陶淵明集》5巻がある。(百科事典マイペディアの解説)

 陶淵明なら「帰去来辞」をまず。ただ今の島社会のお役人たちの風体というか風貌にも、この詩の役人はどこか似ているような気がしないでもありません。ぼくの知り合いにも「中央官庁」のお役人さんである人がたくさんいます。それぞれが、原寸(等身)大かあるいは三倍台の「こころざし」を持っておられるだろうし、その思いのたけを果たして、いつの日にか「故郷に錦を」を目指しておられるのだろうと、ぼくは推察します。マットウな仕事をして、少しでも他人のために、困苦している人のためになりたい、その志操の高からんことを、ぼくは切願します。

 陶淵明の語る「田園」は、おのが家宅であり里輪の内であったともいえます。まだまだ、「国破れて」という惨状ではなかったかもしれない。だから、すべてを放擲するには及ばなかった。ひるがえって、我が邦の「田園」はどうか。ただでさえ荒れ果ててきたのに、耕作放棄地を生みだせば「金員」が降ってくるという、狂気の政策誘導でいやがうえにも荒れて、荒らされてしまった。どこから手を付ければいいのか。種子も種苗も、まさに枯れなんとしている。だれが、この荒廃に手を貸したのだろうか、と問わねばならぬ。

帰去来兮。田園将蕪、胡不帰。
既自以心爲形役、奚惆悵而独悲。
悟已往之不諌、知来者之可追。
実迷途其未遠、覺今是而昨非。
舟遙遙以輕颺、風飄飄而吹衣。
問征夫以前路、恨晨光之熹微。(以下は別稿にて)

 「今こそ(役人を辞め)、帰郷するがいい、これまで(の生き方)は間違っていた」「心機一転する時だ」と、いつでもどこにでもいる、誠実に気付いた一人の官僚の物寂しい心象風景である。一廉の人物になって、我が世の春を謳歌したいという、それが大志であれば、誰も邪魔はしない。しかし、いつしか心は肉体の奴隷になる、初志を誤ったことも我知らず、むなしい時間を過ごしてしまった。余りにも凡庸なとらえ方ですが、ここに、もう一人の兼好や長明がいるようでもあり、いやいや、彼我の差は比べるべくもないほど遠いというべきなのか。帰去来の方は世の中(出世)に見切りをつけた人、わが邦の「無用者」は、世の中との縁を切れなかったのです。ともかくまあ、ぼくは漢文の教師じゃないから、いらない講釈は止めておきます。

 家を空けている間に故郷は荒れ放題となった。それにもかかわらず、嵩にかかって、しかし天災は人災をも巻き込んで、驚天動地の災厄をもたらす。しかもなお、そこから地を這うようにして立ち上がる、そのエネルギーはどこから出てくるのか。ぼくにはこの人力・人智の出どころは「謎」です。人生というものは「七転び八起き」などというけれど、どこまでもあきらめない、人生からは撤退しないという気概や気力が備わっている、そんな人間が数多存在しているに違いない。それを知るだけでも勇気のいくばくかを得た気になるのです。情け知らずの世の中にあって、「情けは他人の為ならず」というかすかな緊張を保つ「琴線」をどなたも持っているに違いない、たがいの「琴線」にふれあいながら、その響きあいに誘われて、ぼくたちは命を存(ながら)えるべしという選択を果たすのでしょう。辛いけれども、温かい、この二つながらの「琴線」が奏でる音色に励まされて、気が付けばもう二十六年であり、まだ二十六年であったのだ。その感情を重ねて、更に犠牲者への想いを深めるのですね。


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函館にサルの温泉、極楽でござる

(⇦ 温泉に漬かり、目を閉じてくつろぐニホンザル=12日午後、北海道・函館市熱帯植物園)(註 「漬かる」とは、このおサルさんたちは「漬物」のようだというのかしら。記者さんへ質問です)

 北海道函館市の湯の川温泉街にある市熱帯植物園で、飼育中のニホンザルが温泉に漬かるイベントが開催中だ。目を細めてゆったりとくつろぐ愛らしい姿が来園客に人気で、5月5日まで見られる。/ 近くの源泉から引いた湯をためた約18平方メートルの湯船で、サルは肩まで漬かり、毛づくろいをしたり、腕をだらんと伸ばしたりとリラックスした様子。近くで見学する来園客が餌を持つと、温泉の中から盛んに手をたたいてアピールした。/ イベントは1971年から毎冬開催している。同園のサル約60匹のうち、温泉好きは8割ほど。湯加減にうるさく、41〜42度に保っているという。( 共同通信 | 2021年1月12日(火) 17:11)

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 片や「がんばろう 1.17」があり、こなた「くつろごう、1.12」です。ぼくには他意はない。がんばったら、その後で寛(くつろ)ごう。寛いだ後には、また頑張ろう、という人生(猿生)、あざなえる縄の如し、という、睦月は寒の内、島の南北に見られた一構図でありました。(「みなさん、失神してません」⇒)

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