【小社会】人のうわさも 参院選をめぐる買収事件で、河井案里元参院議員が保釈されたのは5年前の秋だった。当時の菅義偉首相から電話が入る。「大丈夫だから、心配することないよ。とにかく75日がんばれ」(常井健一著「おもちゃ」)◇「人の噂(うわさ)も75日」からきていると著書にある。何となく、不祥事があっても「国民はすぐに忘れるさ」とばかりに真相の解明を曖昧にしてきた近年の政治が浮かぶ。もっとも、「もうそろそろいいだろう」という自民党の目算が狂ったケースも、政治史にはままある。◇28年前の橋本龍太郎首相。ロッキード事件で有罪となった佐藤孝行氏を閣僚に起用した。ところが、世論の猛反発を受けて10日余りで更迭に至る。橋本氏は「世論の重みに十分、思いをしなかった」と謝罪。内閣支持率は急落した。◇この橋本氏の失敗がいま、自民党内でささやかれているという。高市早苗総裁の下で発足した新執行部。「派閥裏金事件」が世間の不信を招いたのに、派閥は復権し、裏金に関与した萩生田光一氏が要職に就いた。◇高市氏は「問題ないでしょう」。選挙の洗礼も受けて決着済みという考えのようだ。ただし、それも真相が解明されていればの話だろう。裏金づくりは誰が、いつ始めたのか。金は本当は何に使われたのか。国民には見えていない。◇今回の「もうそろそろ…」を世論はどう見るか。萩生田氏の秘書の立件からは、まだ75日すらたっていない。(高知新聞・2025/10/09)

本日のテーマは「うわさ・噂・gossip・rumor」です。「噂」というものは不思議なもので、これを立てられる人はとにかく、人のする「噂話」を聴くのは悪い来はしませんでしょ。知っている人物の「浮いた噂」なら、いくらでも聴きたくなります。「噂は遠くから」というのは、「知らぬが仏」などと言うように、ご当人や関係者が与(あずか)り知らないところで、噂が立つということです。こんなという調子で、誰それを肴(さかな)にしていると「噂をすれば影」ということにもなります。「人事言えば影が差す」ともいう。とかく「噂話」に花を咲かせると、知らぬ間にそれが膨れ上がり「人の噂は倍になる」などと言う仕儀に至ります。とにかく他人の噂話をするのは、まるで無責任で当人には迷惑至極でしょう。だからなおさらに、口さがない連中にとっては、「人の噂は鴨(雁)の味」などと断じる始末です。

そして「人の噂も七十五日」です。高知新聞のコラム「小社会」では実にあけすけに選挙民を馬鹿に仕切った元首相の知性(治世)の程度が晒されています。夫婦で大枚(億単位)を配って「選挙違反」に問われた議員(妻)に元首相は、あるいは、個人的にはご執心だったかもしれません。夫は獄に繋がれた元法務大臣でした。「犯罪」を犯しても、時間が解決していくれる。「とにかく75日がんばれ」と励ましたのかどうか。この手の人間たちが政治や政治家を食い物(共食い)にしている、蚕食しているのですから、社会が頽廃するのは不可避、いや必然、だということになります。
どんな醜聞であろうが、犯罪行為に問われようが、「「国民(選挙民)はすぐに忘れるさ」「もうそろそろいいだろう」と、高を括(くく)る。「高」とは「石高」とか「大名高」、「村高」などと言って、米の生産高を指し、後に、事の軽重大小を測る典例になったのです。この程度の「謝り方」でいいだろうと、時には「高の括り方」が甘くなることもあります。つまりは「国民(有権者」を舐(な)める」という意味です。「世論の重みに十分、思いをしなかった」と、直ちに「臍(ほぞ)を噛む(自分のお臍は噛めないでしょう、つまりは使用としてもできない相談のこと)」ことにもなります。しかし、このような臍を噛もうとする人が実に稀になったところに、今日の「頽落」「堕落」の深さ酷さがあるのでしょう。「裏金議員」が、まるで八面六臂の暗躍ぶりで、女性総裁を実現させたという事実は、ほとんど報道されていません。脱税議員は、それこそ驚くべき運動量で「奈良の女」を総裁に押し上げた。それから見れば、口のひん曲がった高齢元首相など、裏金議員の尻馬に乗っただけと言ってもいいでしょう。そしてあるまじきこととして「元裏金議員」は某党の幹事長代行に抜擢だか登用だかされました。これもまた、噂が立っても不思議ではないのに、この社会の大手マスメディアは、「事の真相」をいささかも活字にはしないし、テレビ画面にも、その「噂の影」すら出そうとはしない。

◉ 人の噂も七十五日= 世間が盛んに噂するのも一時のことで、二、三カ月もすればほとんど忘れられ、話題にしなくなる。 [解説] 口さがない世間の噂は、虚実が入り交じり、人をおとしめるものもありますが、感情的になって反論すると、かえって収拾がつかなくなることがあります。しかし、そんな風評も七十五日ほどと思えば、辛抱して、おさまるのを待てばよい、ということにもなるでしょう。/「七十五日」は、「初物七十五日」にも登場します。どちらもきっちり七十五日ということではなく、やや漠然と中期的な区切りを示すものでしょう。たしかに、二カ月半もすれば季節が変わり、世間の関心もさめて、冷静に事の真相を見きわめてくれる人や同情を寄せてくれる人も出てくるものです。ちなみに、端数の半月は、かつて月を見て暮らしていた人々にとっては、朔日から満月まで、あるいは満月から晦日までで、案外イメージしやすかったのではないでしょうか。(A wonder lasts but nine days.)(ことわざを知る辞典)
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このところ、ぼくは廃刊になって久しい月刊誌「噂の眞相」を折々に読んでいる。どうした風の吹き回しかと、自分でも訝るのですが、なんとも懐かしさが湧き出してくるんですね。編集長だった岡留安則さんとは一面識もないままでしたが、北尾トロさんなどと同じように、若いころ、同時代人として熱心に身を入れて読んでこなかっただけに、今になって「そういうことだったんだ」という思いが募ります。そしてまた、この社会のメディアがほとんど腑抜けになった状態がさらに続くとなると、勢い「噂の眞相」の肩を持ちたくなるんですね。「週刊金曜日」も、創刊時代から見れば、見事に脱色され、無色透明、無味乾燥、と言えば言葉が過ぎますが、何かに、誰かに遠慮してるような「奥ゆかしさ」、つまりは「腑抜け」状態にあると思うと、真偽取り混ぜ、真偽定かならざる情報の報道を、というと乱暴に過ぎますが、やはり「週刊文春」に加えて、より過激だった「噂の眞相」に引き寄せられていくんですね。
たった一度だけ、それも「一行情報」欄にぼくの「噂」が書かれたことがあります。友人に「あなたのことが出ているよ」と教えられて気づくという迂闊さでしたが、何でぼくなんかが、と思ったことでした。どうということのない「噂」記事でしたが、一度だって取材らしいものを受けなかったにも関わらず、「噂」を書かれるのはいい気がしなかった。もちろん、小さな集団社会で生きているのですから、何かと「噂」を立てられることはありますから、いちいち腹を立てていては一日だって過ごせないという気分になりますよ。それでも「人の口に戸は立てられぬ」と言います。他人の口を塞(ふさ)ぐことはできないという例えで、だから噂は世間中を飛び回るのでしょう。「ねえ、耳よりの話があるんだけど」と誘われれば、ついつい噂話に乗ってしまいます。噂は噂でしかないと、自らの判断を旗幟鮮明にしておれば問題はないのでしょうが、ついつい、他人から聞いた噂話を、誰かに伝えるなどと言う、はしたないことをしたことも皆無ではなかったのを白状しておきます。
そして「噂の眞相」です。

「『噂の眞相』は国際政治から芸能・風俗まで幅広い分野をカバーしてきた。芸能記事にしても、ジャニーズ事務所の追っかけファンまでが興味を持つような記事づくりを心掛けてきた。『噂の眞相』の売り物だった「一行情報」にしても、初心者の読者獲得には効果的だった。たとえ、時代に添い寝している“ 状況埋没雑誌”だと古典的左翼に悪口をいわれても、きちんとした雑誌のポリシーや核があれば問題はないと考えて来た。『噂の眞相』は永田町や霞が関が毎号注目するようなスキャンダル記事を載せる一方、単なる野次馬精神旺盛な好奇心の強い読者も読めるように、誌面も多彩に作ってきたつもりである。その点においては総合雑誌の作りとしては、「品がない、低俗だ」という一部の声があったとしても、逆にオヤジ化することなく部数も右肩上がりで伸びて来た唯一の雑誌だったと自負している」 (岡留安則著『噂の眞相』25年戦記」集英社新書、2005年初版)
編集者の「自己分析」です。今時は、週刊文春ばかりが名をなしているという世評に、反対の声を上げる雑誌や新聞があるとは思われないのは、すべてが既成事実の鵜呑みから出発しているからでしょう。まず義憤(私憤)が沸き起こり、それがやがて多くの人に共通する公憤になることが絶えて見られないのは、おそらく何事が起ころうとも「私憤・義憤」すら生まれない人間たちの集団・社会になったからではないでしょうか。今ある「大新聞」かからの退職者が挙って「週刊誌記者」に馳せ参じていると見られる現状を、ぼくたちはどう見ればいいのか。岡留氏を礼賛するつもりは毛頭ないのですが、私憤のかたまりが、やがて公憤になりつつ、社会に波風を立てたいという、悪質ではない「野次馬根性」があるからこその「噂の眞相」の25年だったと思われます。復活を期していた岡留氏の早逝を惜しむものです。

残念なことに、誰も彼もが「いい子」になって、頭をなでられているうちに肝も根性もすっかり萎えさせられてしまった挙句の、ただ今現在の「マスメディア」のリアルタイムではないでしょうか。人生の安全パイだとみなされ評価されてきた「マスメディア」の屋台骨にひびが入っているのは、それを支えてくれるはずだった人々が先を競って逃げ出しているからです。いまはネット社会の佳境(絶頂)期だと言えば穏当を欠くかもしれませんが、新たなネットメディアとして、それぞれが呱々の声を上げてきたのも事実です。玉石混交の中から、よく響く声で「権力を切る」「不正を暴く」という、本来の「社会の木鐸」にまで育つ可能性のあるスモールメディア・ミニコミがあるのも事実でしょう。いろいろな媒体を駆使して、「権力を撃つ」ようになれば、少なくとも、いくばくかの人(国民、あるいは有権者)は今よりは賢くなる可能性(希望)は生まれると思うのです。
たった一人の「岡留安則」すらが存在しない時代なんて、ぼくには考えられないのですよ。
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◉ 噂の真相=岡留安則さんにより1979年に創刊された、スキャンダルやゴシップを扱う月刊誌。対象は政官界や文壇、芸能界、皇室と幅広く、多くの筆禍事件を招いた。「グリコ・森永事件」を巡り、84年に警察とマスコミの間で結ばれていた報道協定を暴露したほか、99年には東京高検検事長(当時)の女性問題を報じ、辞任に追い込んだ。2004年に休刊。岡留さんは今年(2019年)1月、肺がんのため那覇市内の病院で死去した。(共同通信ニュース用語)
【追悼】「噂の真相」岡留安則さん 「権力撃つ」最後まで 琉球の独立も夢想 大物政治家の醜聞にひるまず踏み込むかと思えば、業界のうわさ話も敏感にキャッチし、いち早く欄外の一行情報に。名実ともに月刊誌「噂(うわさ)の真相」の名物編集長だった岡留安則さんが1月31日、71歳で亡くなった。清濁併せのんで型にはまらぬ才能を発掘し、雑誌黄金期の一角を担った名編集者は、最後まで言論人の矜恃(きょうじ)を持ち続けた。
「最初から最後まで、反権力で反権威。無名の弱い人でなく、有名で強い人を批判した」
「右腕」役が長かった元副編集長の川端幹人さんは「常に義憤が出発点で、純朴だった。スキャンダルを暴くことで、権力や権威を撃てると本気で信じていた」と振り返る。
編集者として発揮したのは「人並み外れたやじうま根性から生まれるアイデアとプロデュース能力、そして明るさと楽観性」。情報や人脈は囲い込まず、手に入れたネタは全部出す。執筆陣やスタッフからは評論家の佐高信さん、コラムニストの故ナンシー関さんや小田嶋隆さんら、多くの多彩な才能が羽ばたいた。
名誉毀損(きそん)で訴えられると、続報の材料を誌面で募集。右翼の襲撃で自ら負傷しても、事件の動画配信を試み、記念の宴会を開いた。トラブルに見舞われても「気にする様子はなく、むしろネタにして乗り越えようとしていた」。
タフで前向き。謝罪する時はすぱっと謝罪。そしてまた書く。風通しの良さ、おおらかさゆえ、編集部の士気は高かった。「『大丈夫ですかね?』と聞くと『大丈夫だよ、なに心配してるんだよ』。ぼくらにとって、守り神のような存在でした」と川端さん。
ただ、真偽があいまいなゴシップ報道もいとわぬなかで、名誉毀損などの訴訟や抗議の風当たりに加え、損害賠償が高額になるメディア環境が負担になった。2004年、「どの号が何部売れたかさえ気にせず、どんぶり勘定だが黒字だった」(川端さん)同誌を休刊すると、岡留さんは拠点を那覇に移す。直後、米軍ヘリ墜落事故が起きた。
「移住後はゆっくりするつもりだったようだが、沖縄の過酷な状況を目の当たりにし、休んでいる場合じゃないと考えを改めたようだ」。そう語るノンフィクションライターの藤井誠二さんも、岡留さんが開いた飲食店をよく訪れた。地元の政治家や実業家、島内外のメディア関係者も、人脈や情報交換を目当てに集まってきた。
藤井さんは昨年、沖縄の売春街を描いた労作『沖縄アンダーグラウンド』を出版。取材を重ねる中で「沖縄の人の声をしっかり記録しろよ」と、岡留さんに何度も叱咤(しった)激励された。
14年の県知事選に立候補した故翁長雄志さんの集会では、人脈を駆使して俳優の故菅原文太さんを招き、「弾はまだ残っとるがよ」と発言する場面を演出した。琉球の独立を夢想し、喜納昌吉さんの「花」をシンボルに、平和を発信する将来像を語った。「沖縄のことを、最後まで気にかけていた」。周囲の誰もがいま、そう口をそろえている。(大内悟史)=朝日新聞2019年2月6日掲載(https://book.asahi.com/article/12124988)
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