七十五日を過ぎた「噂」の眞相は

【小社会】人のうわさも 参院選をめぐる買収事件で、河井案里元参院議員が保釈されたのは5年前の秋だった。当時の菅義偉首相から電話が入る。「大丈夫だから、心配することないよ。とにかく75日がんばれ」(常井健一著「おもちゃ」)◇「人の噂(うわさ)も75日」からきていると著書にある。何となく、不祥事があっても「国民はすぐに忘れるさ」とばかりに真相の解明を曖昧にしてきた近年の政治が浮かぶ。もっとも、「もうそろそろいいだろう」という自民党の目算が狂ったケースも、政治史にはままある。◇28年前の橋本龍太郎首相。ロッキード事件で有罪となった佐藤孝行氏を閣僚に起用した。ところが、世論の猛反発を受けて10日余りで更迭に至る。橋本氏は「世論の重みに十分、思いをしなかった」と謝罪。内閣支持率は急落した。◇この橋本氏の失敗がいま、自民党内でささやかれているという。高市早苗総裁の下で発足した新執行部。「派閥裏金事件」が世間の不信を招いたのに、派閥は復権し、裏金に関与した萩生田光一氏が要職に就いた。◇高市氏は「問題ないでしょう」。選挙の洗礼も受けて決着済みという考えのようだ。ただし、それも真相が解明されていればの話だろう。裏金づくりは誰が、いつ始めたのか。金は本当は何に使われたのか。国民には見えていない。◇今回の「もうそろそろ…」を世論はどう見るか。萩生田氏の秘書の立件からは、まだ75日すらたっていない。(高知新聞・2025/10/09)

 本日のテーマは「うわさ・噂・gossip・rumor」です。「噂」というものは不思議なもので、これを立てられる人はとにかく、人のする「噂話」を聴くのは悪い来はしませんでしょ。知っている人物の「浮いた噂」なら、いくらでも聴きたくなります。「噂は遠くから」というのは、「知らぬが仏」などと言うように、ご当人や関係者が与(あずか)り知らないところで、噂が立つということです。こんなという調子で、誰それを肴(さかな)にしていると「噂をすれば影」ということにもなります。「人事言えば影が差す」ともいう。とかく「噂話」に花を咲かせると、知らぬ間にそれが膨れ上がり「人の噂は倍になる」などと言う仕儀に至ります。とにかく他人の噂話をするのは、まるで無責任で当人には迷惑至極でしょう。だからなおさらに、口さがない連中にとっては、「人の噂は鴨(雁)の味」などと断じる始末です。

 そして「人の噂も七十五日」です。高知新聞のコラム「小社会」では実にあけすけに選挙民を馬鹿に仕切った元首相の知性(治世)の程度が晒されています。夫婦で大枚(億単位)を配って「選挙違反」に問われた議員(妻)に元首相は、あるいは、個人的にはご執心だったかもしれません。夫は獄に繋がれた元法務大臣でした。「犯罪」を犯しても、時間が解決していくれる。「とにかく75日がんばれ」と励ましたのかどうか。この手の人間たちが政治や政治家を食い物(共食い)にしている、蚕食しているのですから、社会が頽廃するのは不可避、いや必然、だということになります。

 どんな醜聞であろうが、犯罪行為に問われようが、「「国民(選挙民)はすぐに忘れるさ」「もうそろそろいいだろう」と、高を括(くく)る。「高」とは「石高」とか「大名高」、「村高」などと言って、米の生産高を指し、後に、事の軽重大小を測る典例になったのです。この程度の「謝り方」でいいだろうと、時には「高の括り方」が甘くなることもあります。つまりは「国民(有権者」を舐(な)める」という意味です。「世論の重みに十分、思いをしなかった」と、直ちに「臍(ほぞ)を噛む(自分のお臍は噛めないでしょう、つまりは使用としてもできない相談のこと)」ことにもなります。しかし、このような臍を噛もうとする人が実に稀になったところに、今日の「頽落」「堕落」の深さ酷さがあるのでしょう。「裏金議員」が、まるで八面六臂の暗躍ぶりで、女性総裁を実現させたという事実は、ほとんど報道されていません。脱税議員は、それこそ驚くべき運動量で「奈良の女」を総裁に押し上げた。それから見れば、口のひん曲がった高齢元首相など、裏金議員の尻馬に乗っただけと言ってもいいでしょう。そしてあるまじきこととして「元裏金議員」は某党の幹事長代行に抜擢だか登用だかされました。これもまた、噂が立っても不思議ではないのに、この社会の大手マスメディアは、「事の真相」をいささかも活字にはしないし、テレビ画面にも、その「噂の影」すら出そうとはしない。

◉ 人の噂も七十五日= 世間が盛んに噂するのも一時のことで、二、三カ月もすればほとんど忘れられ、話題にしなくなる。 [解説] 口さがない世間の噂は、虚実が入り交じり、人をおとしめるものもありますが、感情的になって反論すると、かえって収拾がつかなくなることがあります。しかし、そんな風評も七十五日ほどと思えば、辛抱して、おさまるのを待てばよい、ということにもなるでしょう。/「七十五日」は、「初物七十五日」にも登場します。どちらもきっちり七十五日ということではなく、やや漠然と中期的な区切りを示すものでしょう。たしかに、二カ月半もすれば季節が変わり、世間の関心もさめて、冷静に事の真相を見きわめてくれる人や同情を寄せてくれる人も出てくるものです。ちなみに、端数の半月は、かつて月を見て暮らしていた人々にとっては、ついたちから満月まで、あるいは満月から晦日みそかまでで、案外イメージしやすかったのではないでしょうか。(A wonder lasts but nine days.)(ことわざを知る辞典)

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 このところ、ぼくは廃刊になって久しい月刊誌「噂の眞相」を折々に読んでいる。どうした風の吹き回しかと、自分でも訝るのですが、なんとも懐かしさが湧き出してくるんですね。編集長だった岡留安則さんとは一面識もないままでしたが、北尾トロさんなどと同じように、若いころ、同時代人として熱心に身を入れて読んでこなかっただけに、今になって「そういうことだったんだ」という思いが募ります。そしてまた、この社会のメディアがほとんど腑抜けになった状態がさらに続くとなると、勢い「噂の眞相」の肩を持ちたくなるんですね。「週刊金曜日」も、創刊時代から見れば、見事に脱色され、無色透明、無味乾燥、と言えば言葉が過ぎますが、何かに、誰かに遠慮してるような「奥ゆかしさ」、つまりは「腑抜け」状態にあると思うと、真偽取り混ぜ、真偽定かならざる情報の報道を、というと乱暴に過ぎますが、やはり「週刊文春」に加えて、より過激だった「噂の眞相」に引き寄せられていくんですね。

 たった一度だけ、それも「一行情報」欄にぼくの「噂」が書かれたことがあります。友人に「あなたのことが出ているよ」と教えられて気づくという迂闊さでしたが、何でぼくなんかが、と思ったことでした。どうということのない「噂」記事でしたが、一度だって取材らしいものを受けなかったにも関わらず、「噂」を書かれるのはいい気がしなかった。もちろん、小さな集団社会で生きているのですから、何かと「噂」を立てられることはありますから、いちいち腹を立てていては一日だって過ごせないという気分になりますよ。それでも「人の口に戸は立てられぬ」と言います。他人の口を塞(ふさ)ぐことはできないという例えで、だから噂は世間中を飛び回るのでしょう。「ねえ、耳よりの話があるんだけど」と誘われれば、ついつい噂話に乗ってしまいます。噂は噂でしかないと、自らの判断を旗幟鮮明にしておれば問題はないのでしょうが、ついつい、他人から聞いた噂話を、誰かに伝えるなどと言う、はしたないことをしたことも皆無ではなかったのを白状しておきます。

 そして「噂の眞相」です。

 「『噂の眞相』は国際政治から芸能・風俗まで幅広い分野をカバーしてきた。芸能記事にしても、ジャニーズ事務所の追っかけファンまでが興味を持つような記事づくりを心掛けてきた。『噂の眞相』の売り物だった「一行情報」にしても、初心者の読者獲得には効果的だった。たとえ、時代に添い寝している“ 状況埋没雑誌”だと古典的左翼に悪口をいわれても、きちんとした雑誌のポリシーや核があれば問題はないと考えて来た。『噂の眞相』は永田町や霞が関が毎号注目するようなスキャンダル記事を載せる一方、単なる野次馬精神旺盛な好奇心の強い読者も読めるように、誌面も多彩に作ってきたつもりである。その点においては総合雑誌の作りとしては、「品がない、低俗だ」という一部の声があったとしても、逆にオヤジ化することなく部数も右肩上がりで伸びて来た唯一の雑誌だったと自負している」 (岡留安則著『噂の眞相』25年戦記」集英社新書、2005年初版)

 編集者の「自己分析」です。今時は、週刊文春ばかりが名をなしているという世評に、反対の声を上げる雑誌や新聞があるとは思われないのは、すべてが既成事実の鵜呑みから出発しているからでしょう。まず義憤(私憤)が沸き起こり、それがやがて多くの人に共通する公憤になることが絶えて見られないのは、おそらく何事が起ころうとも「私憤・義憤」すら生まれない人間たちの集団・社会になったからではないでしょうか。今ある「大新聞」かからの退職者が挙って「週刊誌記者」に馳せ参じていると見られる現状を、ぼくたちはどう見ればいいのか。岡留氏を礼賛するつもりは毛頭ないのですが、私憤のかたまりが、やがて公憤になりつつ、社会に波風を立てたいという、悪質ではない「野次馬根性」があるからこその「噂の眞相」の25年だったと思われます。復活を期していた岡留氏の早逝を惜しむものです。

 残念なことに、誰も彼もが「いい子」になって、頭をなでられているうちに肝も根性もすっかり萎えさせられてしまった挙句の、ただ今現在の「マスメディア」のリアルタイムではないでしょうか。人生の安全パイだとみなされ評価されてきた「マスメディア」の屋台骨にひびが入っているのは、それを支えてくれるはずだった人々が先を競って逃げ出しているからです。いまはネット社会の佳境(絶頂)期だと言えば穏当を欠くかもしれませんが、新たなネットメディアとして、それぞれが呱々の声を上げてきたのも事実です。玉石混交の中から、よく響く声で「権力を切る」「不正を暴く」という、本来の「社会の木鐸」にまで育つ可能性のあるスモールメディア・ミニコミがあるのも事実でしょう。いろいろな媒体を駆使して、「権力を撃つ」ようになれば、少なくとも、いくばくかの人(国民、あるいは有権者)は今よりは賢くなる可能性(希望)は生まれると思うのです。

 たった一人の「岡留安則」すらが存在しない時代なんて、ぼくには考えられないのですよ。

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◉ 噂の真相=岡留安則おかどめ・やすのりさんにより1979年に創刊された、スキャンダルやゴシップを扱う月刊誌。対象は政官界や文壇、芸能界、皇室と幅広く、多くの筆禍事件を招いた。「グリコ・森永事件」を巡り、84年に警察とマスコミの間で結ばれていた報道協定を暴露したほか、99年には東京高検検事長(当時)の女性問題を報じ、辞任に追い込んだ。2004年に休刊。岡留さんは今年(2019年)1月、肺がんのため那覇市内の病院で死去した。(共同通信ニュース用語)

【追悼】「噂の真相」岡留安則さん 「権力撃つ」最後まで 琉球の独立も夢想 大物政治家の醜聞にひるまず踏み込むかと思えば、業界のうわさ話も敏感にキャッチし、いち早く欄外の一行情報に。名実ともに月刊誌「噂(うわさ)の真相」の名物編集長だった岡留安則さんが1月31日、71歳で亡くなった。清濁併せのんで型にはまらぬ才能を発掘し、雑誌黄金期の一角を担った名編集者は、最後まで言論人の矜恃(きょうじ)を持ち続けた。
 「最初から最後まで、反権力で反権威。無名の弱い人でなく、有名で強い人を批判した」
 「右腕」役が長かった元副編集長の川端幹人さんは「常に義憤が出発点で、純朴だった。スキャンダルを暴くことで、権力や権威を撃てると本気で信じていた」と振り返る。
 編集者として発揮したのは「人並み外れたやじうま根性から生まれるアイデアとプロデュース能力、そして明るさと楽観性」。情報や人脈は囲い込まず、手に入れたネタは全部出す。執筆陣やスタッフからは評論家の佐高信さん、コラムニストの故ナンシー関さんや小田嶋隆さんら、多くの多彩な才能が羽ばたいた。
 名誉毀損(きそん)で訴えられると、続報の材料を誌面で募集。右翼の襲撃で自ら負傷しても、事件の動画配信を試み、記念の宴会を開いた。トラブルに見舞われても「気にする様子はなく、むしろネタにして乗り越えようとしていた」。
 タフで前向き。謝罪する時はすぱっと謝罪。そしてまた書く。風通しの良さ、おおらかさゆえ、編集部の士気は高かった。「『大丈夫ですかね?』と聞くと『大丈夫だよ、なに心配してるんだよ』。ぼくらにとって、守り神のような存在でした」と川端さん。
 ただ、真偽があいまいなゴシップ報道もいとわぬなかで、名誉毀損などの訴訟や抗議の風当たりに加え、損害賠償が高額になるメディア環境が負担になった。2004年、「どの号が何部売れたかさえ気にせず、どんぶり勘定だが黒字だった」(川端さん)同誌を休刊すると、岡留さんは拠点を那覇に移す。直後、米軍ヘリ墜落事故が起きた。
 「移住後はゆっくりするつもりだったようだが、沖縄の過酷な状況を目の当たりにし、休んでいる場合じゃないと考えを改めたようだ」。そう語るノンフィクションライターの藤井誠二さんも、岡留さんが開いた飲食店をよく訪れた。地元の政治家や実業家、島内外のメディア関係者も、人脈や情報交換を目当てに集まってきた。
 藤井さんは昨年、沖縄の売春街を描いた労作『沖縄アンダーグラウンド』を出版。取材を重ねる中で「沖縄の人の声をしっかり記録しろよ」と、岡留さんに何度も叱咤(しった)激励された。
 14年の県知事選に立候補した故翁長雄志さんの集会では、人脈を駆使して俳優の故菅原文太さんを招き、「弾はまだ残っとるがよ」と発言する場面を演出した。琉球の独立を夢想し、喜納昌吉さんの「花」をシンボルに、平和を発信する将来像を語った。「沖縄のことを、最後まで気にかけていた」。周囲の誰もがいま、そう口をそろえている。(大内悟史)=朝日新聞2019年2月6日掲載(https://book.asahi.com/article/12124988)

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地上には、いつも「戦争と平和」が

【卓上四季】月はみている 若くて貧しい画家の<わたし>は屋根裏に住んでいる。窓から見えるのは灰色の煙突ばかり。友だちや顔なじみはいない。ある晩、悲しい気持ちで窓辺にいたら、まんまるな顔のお月さまが声をかけてくれた…▼アンデルセンの「絵のない絵本」である。いつも地球を照らす月が、時代や地域をこえて見聞きしたできごとを物語る▼ノアの箱舟にフランス革命、アフリカや中国の珍しい話もある。世界の人々をやさしく見まもる月は分け隔てしない。不幸せな者には澄んだ光でくちづけする▼おとといは中秋の名月だった。雲間に輝く銀の光を見つつ、はるかな土地ガザの様子を思った。「絵のない絵本」のように月はかの地の人々も照らしたろうか▼ガザの戦闘が始まって丸2年となった。イスラエルの情け容赦ない攻撃により、6万7千人超もの住民が犠牲となった。多くはなんの罪もない女性や子どもたちである。あすをどう生きるか、と同時に、あすどう死ぬのかをいつも考えている―。現地から伝わる声に胸が痛くなる▼ガザは長らく<天井のない監獄>といわれてきた。いまは血で染まる地獄さながらである。人としての尊厳を根こそぎ奪われ、命をつなぐことすら厳しい。一刻も早く戦闘を終わらせ平和を実現しなければならない。やさしい月の光に照らされる穏やかなくらしを。(北海道新聞・2025/10/08)

 本日は2本のコラム、それも北と南の新聞から、です。「絵画と音楽(芸術)」、「戦時と平時(非日常と日常)」がそれぞれのテーマのようでした。いままさに「芸術の秋」とでもいうように、世界の各地で「平和であってこその芸術」がいろいろな方法で紡がれているでしょう。ロシアがウクライナに侵略を開始した直後、同国の第二の都市とされるハルキウの庁舎前で、現地のチェリストがバッハの無伴奏組曲第5番を、世界に向けて演奏されているのを聴いた。直ちにこのブログでも触れた。あれから三年半以上が過ぎ、なおロシアは侵略の蛮行を止めていません。ウクライナが、国を挙げて抵抗するのは、戦いを止めれば国が失われるからです。この三年以上の期間、ウクライナから、さまざまな媒体を使って、戦争に抗議する人々の行動が報じられてきました。それでもなお、戦禍は至る所で生じています。世界はウクライナを見放したのか、世界は、ロシアの暴力を見過ごしているのか。「戦争」に対して「芸術(音楽)」は無力なのか。(「破壊された街ハリコフに響くバッハの無伴奏チェロ、復興資金募る」・https://www.youtube.com/watch?v=ltJ-bB1hGy4&list=RDltJ-bB1hGy4&start_radio=1&t=1s

 またイスラエルとパレスチナ(ハマス)の「戦闘」は、すでに2年が経過しました。この間のパレスチナの犠牲者は6万7千人余と報じられています。「多くはなんの罪もない女性や子どもたちである。あすをどう生きるか、と同時に、あすどう死ぬのかをいつも考えている―。現地から伝わる声に胸が痛くなる」と北海道新聞のコラム「卓上四季」は書く。「ガザは長らく<天井のない監獄>といわれてきた。いまは血で染まる地獄さながらである。人としての尊厳を根こそぎ奪われ、命をつなぐことすら厳しい」とも。イスラエルのミサイルが、ガザの住民の居るところを、意図的に狙ったかのように発射・爆撃を繰り返し、世界はまた、それを遠目で見ているだけ。あるいは「平和実現」と称して、イスラエルにさらなら武器の供与とガザの「無条件降伏」を使嗾する大国の狡猾さをも知らされています。「戦争と平和」、あるいは「戦時と平時」、それはいつでもどこでも起こりうる現象の二つの側面でもあるかのようでいて、実は根底ではこの「二つ(戦時と平時)は一つ」であって、どこかで通底しているのでしょう。

 琉球新報のコラム氏は沖縄都市モノレールのある駅に設置された「駅ピアノ」に触れて、「先日、男子生徒がショパンの曲を演奏していた。連れの生徒が聞き入っている姿がほほえましかった」「一台のピアノを取り巻く景色はドキュメンタリー番組の一コマのよう。気のめいる雨の日、仕事のやる気が湧かない日にピアノの調べは癒やしになる。音楽の力を感じる」とも書く。そうでしょう。音楽もまた、生きる支えになる、そんな力があるというのです。「平和」であればこその音楽でしょうか。いや、戦争を持て囃す音楽もあれば、戦争を、殺戮を、頑なに拒絶するための音楽もある。まるで博物館入りを果たしたような「音楽演奏」を広く解放・開放するかの勢いで、演奏されているストリートピアノとその奏者の魅力を、ぼくは何度かこの駄文録でも触れています。

【金口木舌】音楽はビタミン剤 沖縄都市モノレールのおもろまち駅の改札内コンコースに設けられた「駅ピアノ」。誰でも演奏できる。先日、男子生徒がショパンの曲を演奏していた。連れの生徒が聞き入っている姿がほほえましかった▼当方は通勤でこの駅を使う。一台のピアノを取り巻く景色はドキュメンタリー番組の一コマのよう。気のめいる雨の日、仕事のやる気が湧かない日にピアノの調べは癒やしになる。音楽の力を感じる▼ピアノといえば、「ピアノの詩人」と称され、19世紀に活躍したポーランド生まれのショパンを連想する人も多いのでは。名曲「革命のエチュード」は、ワルシャワにロシア軍が侵攻した時の絶望と怒りを込め作曲したという説がある▼クラシック界最高峰のコンクールで開催中の「ショパン国際ピアノ・コンクール」は、予選を通った84人が参加を予定する。日本人は13人、どのような調べを紡ぐか楽しみだ▼彼岸を過ぎ、夜が長くなった。夜勤の帰路、ドビュッシーの「月の光」など夜にまつわる曲を配信アプリで聴く。仕事から気持ちを切り離すスイッチになる。ささやかな楽しみがビタミン剤になっている。(琉球新報・2025/10/08)

 「金口木舌」氏はショパンコンクールに触れておられました。二日前、何気なしにネットで遊んでいたら「ショパンのピアノ曲」が演奏されている場面に出会った。映像にはどこか(写真で)見覚えのある女性の姿があった。それは第19回ショパンコンクールの予選会の一場面で、奏者はKさんだとテロップが出た。彼女には直接面会したことはなかったが、幼児からよく知っていました。彼女の母親は、ぼくが勤めていた学校の卒業生で、在学中から親しくしていた。バレーや歌曲にも積極的に取り組み、その活動ぶりはよく知らされていました。卒業後、やがて結婚され、生まれたお嬢さんは早くからピアノに向かっていること、音大を卒業後、欧州に留学したこと、各地の音楽コンクールで輝かしい成績を残していることなど、それこそ手に取るようにわかる、そんな報告をぼくは受けていました。ショパンコンクール会場での、彼女の演奏をぼくはゆっくりと聴きました。

 堂々たる演奏、すでに立派なピアニスト、そんな印象を強く持ちました。間もなく三十歳だというのですから、卒業生も結婚三十年を過ぎたのかと、余計なことを考えてしまいました。まだまだ、今次のコンクールは続くようです。結果について、ぼくはあまり関心はありません。第一に、何に限らず「コンクール」「コンテスト」というものが死ぬほど嫌いだからですが、それ以上にコンクールの覇者の、その後の演奏を耳にしてきて、いったい、コンクールという試練が演奏家の、その後の活動にどんな意義を持っているのか、持っていたのか、大いに疑問を抱かされても来たからでした。ショパンコンクールの「第一位」を獲得したピアニストのほとんどを聴いてきたと思います。しかし、今なお、このピアニストは素晴らしいと感じることができる演奏家は、ぼくの中にどれくらいいるか。長い目で見れば、コンクールの業績は、ある種の打ち上げ花火のように儚くも美しく燃え、その後は鳴かず飛ばずという人がほとんどではなかったか、とぼくは思ってきました。一位より二位だったピアニストが大成した例もありました。もちろん、そんなところに不参加でいて、優れた活動を続ける演奏家も知っています。具体的な名前は挙げないが、早くに「コンテストは殺人行為だ」といった、たった一人のピアニスト(カナダ)だけが(とは言わないが)、ぼくの記憶の中で音楽(就中、バッハ)を奏でている。彼は四十年以上も前に、五十歳を一期に亡くなった。いやなことですけれど、音楽家にも「偏差値」「学力・学歴」競争があるんですね。

 「金口木舌」氏は「音楽はビタミン剤」であると書かれています。それは演奏家にとっても聴衆にとっても同じような意味(効き目)があるということでしょう。平和であればこその音楽という意見にも一理はあります。しかし、平和を希求する音楽もまた、人々の胸に鳴り響いてきたし、今もなお響いているのです。ショパンはロシア帝国に反抗した故国の革命軍の蜂起(1890年11月)の失敗に打ち萎れながらも「革命(のエチュード)」(練習曲(第12番・ハ短調)を作ったという。1891年9月とされます。それ以前、ナポレオン一世の存在に魅了されて、「英雄」なる交響曲を作った作曲家もいましたね。

 ぼくは一日にして、ワルシャワの演奏会場とガザ市民が殺戮されるパレスチナの戦禍の場面を見ていました。まさしく「戦争と平和」「戦時と平時」はいつだって、どこにおいてであっても「同時並行」で起こることだと改めて見せつけられる思いがしました。そして、はっと気が付いたのです。ぼくは今、どこにいるのだろうか、と。「平和」であることに嫌気がさしているのではと思われる政治家に事欠かない、この国では、あるいは「初の女性宰相か」と、ごく一部でしょうが、浮足立ち浮かれ切っている人々がいます。総裁選候補者が挙って、腐敗しきった政治と政治家で充満している自党の再生を願い、口をそろえて「解党的出直し」を呼号した「総裁選」が終わり、気が付いたら「旧体制復活」「派閥政治再興」が現前している。愕然とする人がいるとするなら、それはあまりにも呑気に過ぎませんか、と冷や水をかけてやりたい。

 この事態をして「大惨事(第三次)安倍政権」と糾弾した人がいました。国家尊重が個人尊重に優先する、そんな「国家主義」イデオロギー政治の再来でしょうか。天皇制国家の再強化の前触れでしょうか。国の独立を何よりも優先する考えの持ち主である政治家が、率先して米国属国(米国追従)の地位に徹する根性を丸出しにする、そのような笑うほか仕方のないような「転覆政治」がいよいよ再開されるようです。学校教育現場に「教育勅語」が名実ともに再登場する時代に入りました。「我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我力國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」(明治二十三年十月三十日)

 そして、我に返ったと思ったら、目の前には「株高・物価高・円安」という、再来した悪夢の「トリプルセット」は、いよいよ方向を失いつつも暴走する気配は濃厚です。

 「平和の中にこそ戦争の芽」があり、「民主主義の隙間にこそ独裁政治の萌芽」が存します。その「隘路」の危険性を頻りにぼくは考えている。そして、ぼくの耳には「露衛の歌」「暁に祈る」が、遥か遠くから響いてきている。もちろん、それは、ひとりの老人にしばしば生じている錯覚(空耳)であり、記憶力衰退・錯乱の印(幻想・幻聴というもの)であることは自分でもわかっているんですよ。大半の国民は歴史も記憶も持たないままで、ときの勢いに流されるんですね。まさしく「流れに掉さす」という、雰囲気に呑まれるかのようであります。暫時安眠を貪って後、正気に戻ったら、ぼくの国は「戦時中」だったということになるんでしょう。でも、いったい、どこと、何のために「戦争」するんですか。相手がいるんでしょうか。まさか、自分の中の「幻の敵国」と、ではないでしょうね。

 (蛇足 以下に示した2曲の軍歌の作曲に当たった古関裕而氏(1989~1989)は、それこそ戦前・戦中・戦後を一貫して活動された音楽家でした。敗戦直後は「とんがり帽子(鐘の鳴る丘)」を、東京五輪(1964年)では開会式の入場行進時に奏された「オリンピック・マーチ」を作られました。歌謡曲の分野では、押しも押されもしない大作曲家だった。古関さんの中には「平和と戦争」は同じ場所に位置していたのでは、と思ってきました。そして、もっとも人口に膾炙した曲は、今もなお歌い継がれる「栄冠は君に輝く」でしょう。これを聴くと、ぼくの中では「露衛の歌」にぴたりと重なるんですね。つまり、甲子園の野球は「勝ってくるぞと勇ましく」という精神(大和魂)を鼓舞する舞台なんです。なにはともあれ「旗も歌も」勝ち鬨(どき)のためのもの、ぼくには、いずれも怖いですね。)

  露衛の歌(詞:籔内喜一郎・作:古関裕而)


 ⒈勝ってくるぞと勇ましく 
  誓って故郷(くに)を出たからは 
  手柄立てずに死なりょうか 
  進軍ラッパ聞くたびに 
  瞼(まぶた)に浮かぶ旗の波 

 ⒉土も草木も火と燃える 
  果てなき曠野(こうや)踏み分けて 
  進む日の丸鉄兜 
  馬のたてがみなでながら 
  明日の命を誰か知る 

 ⒊弾丸(たま)もタンクも銃剣も 
  しばし露営の草枕 
  夢に出てきた父上に 
  死んで還れと励まされ 
  覚めて睨(にら)むは敵の空 

 ⒋思えば昨日の戦いに 
  朱(あけ)に染まってにっこりと 
  笑って死んだ戦友が 
  天皇陛下万歳と 
  残した声が忘らりょか 

 ⒌戦争(いくさ)する身はかねてから 
  捨てる覚悟でいるものを 
  鳴いてくれるな草の虫 
  東洋平和のためならば 
  なんの命が惜しかろう 
 (東京日日・大阪毎日新聞懸賞入選歌
  1937(昭和12)年10月)
 暁に祈る(詞:野村俊夫・曲:古関裕而)

⒈ああ あの顔で あの声で
 手柄頼むと 妻や子が
 ちぎれる程に 振った旗
 遠い雲間に また浮かぶ
 
⒉ああ 堂々の 輸送船
 さらば祖国よ 栄えあれ
 遥かに拝む 宮城(きゅうじょう)の
 空に誓った この決意

⒊ああ 軍服も 髭面も
 泥に塗れて 何百里
 苦労を馬と 分け合って
 遂げた戦闘(いくさ)も 幾度か

⒋ああ 大君の 御為に
 死ぬは兵士の 本分と
 笑った戦友(とも)の 戦帽に
 残る恨みの 弾丸(たま)の跡

⒌ああ 傷ついた この馬と
 飲まず食わずの 日も三日
 捧げた生命 これまでと
 月の光で 走り書き

⒌ああ あの山も この川も
 赤い忠義の 血がにじむ
 故国(くに)まで届け 暁に
 あげる興亜(こうあ)の この凱歌
(昭和15年発表)

*「露衛の歌」https://www.youtube.com/watch?v=lzpjBdxz5io&list=RDlzpjBdxz5io&start_radio=1)                                (*「暁に祈る」https://www.youtube.com/watch?v=9aijn3vNQYc&list=RD9aijn3vNQYc&start_radio=1

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問い方にこそ、ヒントがある

 「一年生になったら 友だち百人できるかな」という童謡がありました。意外に新しく、作詞はまどみちおさん、作曲は山本直純さん。1966年発表と言います。まどさんは「ぞうさん」、山本さんは「男はつらいよ」でお馴染み。恐らく、この歌は幼稚園の卒園時に、よく謳われたのではないでしょうか。ぼくは幼稚園は行かなかったと思うし、小学校入学時の記憶も皆無ですから、「ともだち ひゃくにん できるかな」などということはまったく想定の外だったと思う。小学校に限らず、それ以降も含めて、果たして何人の友だちができたか。第一、できる・できないなんて、想像すらしなかったですね。

(*「♪一年生になったら」https://www.youtube.com/watch?v=Qc9lFVljxUg&list=RDQc9lFVljxUg&start_radio=1

 この年齢(八十一)になって、「親友は何人いますか」と訊ねられたら、「さあ、片手かな。いや、もう少し多いか。いやいや、かみさんだって怪しいもんさ」」というくらいのものですな。そもそも「友だち」というのはどういう存在なのかを考えると、なかなか簡単には答えられないですね。作家の小谷野さんの高校時代の「いやな気分」という想い出がコラム「日報抄」に出ています。「高校に入学して初めての遠足。周囲は友だちといっしょに弁当をほおばっていたのに、自分は一人で食べていた。卒業アルバムには、ぽつんと一人で食べる自分の写真が載った。「何とも、嫌な気分だった」とあります。そうだったんでしょうね。「嫌な気分」というところが重要でしょう。

【日報抄】高校に入学して初めての遠足。周囲は友達と一緒に弁当をほおばっていたのに、自分は一人で食べていた。卒業アルバムには、ぽつんと一人で食べる自分の写真が載った。「何とも、嫌な気分だった」▼作家の小谷野敦さんが著書「友達がいないということ」で振り返っている。胸の痛む思い出だろう。腹を割って話せる友達がいれば、ありがたい。人生も豊かになりそうだ。けれど友達作りが得意な人ばかりではない▼自分には友達がいない。そう思う人にとって人工知能(AI)は心強い存在かもしれない。対話型の生成AIが登場し、私たちは膨大な情報の集合体と会話できるようになった。ブッダの教えやソクラテスの哲学を学習し、人生相談をすれば偉人のような言葉が返ってくるものも開発されたという▼友達のように寄り添ってくれれば助かるが、ぞっとするような話もある。何でも肯定してくれるAIとの対話を続けた結果、自殺や殺人につながったケースが米国で相次いで報じられた▼ある高校生は生きる意味に疑問を抱き、自殺をほのめかした。AIは「恥ずかしいことではない」と同調し自殺の手法を尋ねられるたび、詳細な情報を提供した。高校生は教えられた通りに命を絶った▼開発企業を提訴した両親は、他社との競争に勝つため、利用者がAIに感情的な依存を高めて長時間対話するように設計していると主張した。時には耳の痛い指摘もしてくれるのが真の友達-。そんなふうに言われたこともあったような。(新潟日報・2025/10/07)

 小谷野さんは、淋しかったのでも孤独だったのでもなく、級友と離れて「一人で食べていた」、その写真がアルバムに乗ったことに「嫌な気分」が湧いたのだったかと思う。ぼくはこれまでに、友だちを作るという言い方をしたことはなかったし、作るも作らないも、長い時間、同じ空間にいる(いた)のだから、自然に話が合うとか、気が合うという付き合いがあり、それが続けば「友だち」になるだろう、でも卒業や進学で別れ別れになれば、後はまったくの無沙汰・無音。後顧の憂いなく、ぼくたちは新しい環境に入るのでしょう。

 「友だちができません」「どうしたら友だちができますか」と、誰彼から相談を受けた経験はなかったと思う。あるいは、あったのでしょうが忘れてしまったのですかね。相談されたら「犬とでも猫とでも、いっしょに遊んだら」と言ったはずです。犬や猫に限りません、草花でもいいし、小動物でもいい。必ず友だちになれるとは限らないけど、付き合ってみる値打ちはありますよ。「友だち」は、いれば素晴らしい、楽しいというものでもないでしょう。喧嘩することもあるし、顔を見たくなくなることもある。いい時も悪い時も含めて、付き合いが続けば、それが「友だち」、その程度に考えていましたね。「腹を割って話せる友達がいれば、ありがたい。人生も豊かになりそうだ」ということもあります。でもそれだけではないと思う。右の石垣りんさんの「随想」、読むたびに涙が零(こぼ)れます。

 ぼくはしばしば、幼稚園や保育園、あるいは学校へ行くことの第一の(唯一の、かもしれない)利点(効用)は「通学しなければ出会えない、そんな人たちに会える」ということを言ってきました。「自分と他者」を経験できるということです。もっと言うなら、「わたし(I)とあなた(you)」という共同体(public)を作れるかもしれないということ。「私」だけなら、それはいつでも「私的(private)」で、世界は広がりませんね。ぼくには驚きだったんですが、幼稚園時代の友だちと結婚した夫婦を何組か知っています。「よく飽きないですね」という感想が直ちに湧きますが、知り合いは「仲良きかな」の継続です。。人間の幸運は「未知との遭遇」、つまりは「エンカウンター(encounter)」でしょう。その意味は「〔偶然・思いがけなく〕出合う、出くわす〕〔問題・不運・危険・反対などに遭う、出会う、遭遇する〕〔困難・現実などに〕直面する」「〔思いがけない〕出会い、巡り合い、遭遇、接触」とあり、その例文の一つに、Treasure every encounter, for it will never recur. : 出会いを大切にしなさい。それは一度きり[二度と繰り返されないの]ですから。/ 一期一会。です」(英辞郎)とあります。

 ところが、コラム氏は異なことを言われます。「自分には友達がいない。そう思う人にとって人工知能(AI)は心強い存在かもしれない。対話型の生成AIが登場し、私たちは膨大な情報の集合体と会話できるようになった」と。「そんな馬鹿なことを」、と言うつもりはないし、「対話型AI」も、いわば犬や猫の類と捉えれば、それはそれでいいでしょう。でも、そうなるとまるで「ゲーム機」かなんぞのようで、生きた人間や動物と付き合うのとははなはだ勝手が違いますね。いいことずくめとは言い切れない問題もあるかもしれません。使い方次第、人それぞれですから、一概に「こう付き合うべきだ」とは言えないと思います。コラム氏も「アメリカの問題」に触れておられる。「何でも肯定してくれるAIとの対話を続けた結果、自殺や殺人につながったケースが米国で相次いで報じられた」とあります。自動運転の車に乗って、目的地まで行く途中で、思わぬ事故に遭ってしまう事態も少なからずあります。

 (「対話型 AI」に向かって、どんな質問をするか、とても大事な問題だと思う。往々にして、「質問」のなかに答えが隠されている、そんな「質問」をすべきですね。(人間が運転する)車に乗れば誰だって、無事に目的地に着けるとは限らない、運転技術が試されます。車の使い方を誤れば取り返しのつかない事故に遭遇する。三重県内で軽自動車に6人も乗って、時速百キロで飛ばし、路側帯にぶつかり、5人が亡くなったという報道がありました(2025/10/03)。何事に限らず、最後の最後は人間が意識を確かにして判断するのです。「注意深い人間」になることの重要性は、他に比べるものがないほどでしょう)

 どこまで行っても器械は器械です。人との出会いは「エンカウンター」、つまりは、交差点で「出会いがしら」に遭遇するようなものです。だから、時には大きな「怪我」をするかもしれないし、幸いにも「掠(かす)り傷」程度で済んで、後はうまくやれるということもあるでしょう。また「出会いは別れ(会うは別れの始め)」でもありますから、いちいち気にしていても仕方がありません。お互いが「死ぬほど好きやねん」という二人が結婚したまではよかったが、その後には「憎しみ抜いて、相争う」ことだってあります。「友だち百人 できるかな」というのは、なんとも惑わしい童謡でしたね。

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 以下に、少し古い記事ですが、友だちは「数より多様性が大事」という専門家?の記事がありましたので、紹介しておきます。

「友達100人できるかな」の呪縛に悩むあなたに伝えたい研究結果…「友達は『数より多様性』が大事です」(神戸新聞・2021/6/20)
あなたには友達が何人いますか? 友達がたくさんいる人は「社交性がある」「明るい」「きっとみんなに好かれる性格なんだろう」とポジティブに受け止められることが多いようです。しかし、本当に友達の輪が広い人ほど「信頼できる人認定」がされるのでしょうか? /友達の数って大事なことでしょうか。
■友達付き合いに疲れ切ってしまった26歳の彼
26歳の男性と話していた時のことです。彼がこんなことをいいました。
「友達が多いことに悩んでいます」
大勢の友人に囲まれてきた彼。彼はいつも“他人の目に映る自分の姿”が気になっていたそうです。良い人と思われたい。誰からも嫌われたくない。みんなに好かれたい。だから常に愛想良くして、集団の中でもうまく立ち振る舞ってきたつもりだといいます。
おかげで彼にはたくさんの友達ができました。いじめを受けたこともありません。
ところが彼は次第に「友達が多いこと」が悩みの種になっていったというのです。
遊びにいかない?飲みにいかない?買い物に付き合ってくれない?ヒマなんだよね、どんな声がけにも彼は「もし断って嫌われたら」という思いが強く、ついつい付き合ってしまっていました。
■一人ぼっちになるのが怖い
友達というと、この曲を思い出します。小学校に入学する時に歌う「一年生になったら」。その中に印象的な歌詞がありますね…「友達100人できるかな♪」。
友達は多いほうがいい。私達は、無意識にそう思ってきたのかもしれません。
いじめで、よくあるのが仲間外れです。
意図的ではなくても、グループ作りでどこからも声をかけてもらえなかったり、誰かとペアを組むのに最後まで残ってしまうと、とても辛く、屈辱的に思うことがあります。私達は、仲間というカタチに敏感です。
話を聞いた彼は「仲間に入れてもらえなかったらどうしよう」という意識が強かったのでしょう。一人ぼっちにならないように、ひたすらみんなに好かれようと振る舞ってきたのです。(中略)
あなたには、あなたが考える、あなたにとっての友達が何人いますか? 
◆くま ゆうこ デジタルハラスメント対策専門家。株式会社マモル代表取締役社長。自身の強みであるWebマーケティングのノウハウを活かし、 いじめや組織のハラスメントを未然に防ぐシステム「マモレポ」を開発する傍ら、学校コンサルティング、いじめ・ハラスメントのセミナー登壇、執筆を行う。(https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202106/0014430746.shtml)

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物いへば唇寒し穐の風(芭蕉)

【金口木舌】はっきり言える大人に ロックバンドのフラワーカンパニーズが歌う「大人の子守歌」は、年を重ねることの哀愁をつづる。歌詞には次のような一節がある。「子どもの時ははっきり言えたのに、どうして大人は黙ってしまうんだろう」▼童話「裸の王様」を思い起こす。権力者の異変に気付いても周囲の大人はなかなかそれを指摘できない。純粋な心を持つ子どもだけが「王様は裸だ」と大声で叫ぶ▼大人の1人として考えさせられる。力のある存在を恐れるあまり思っていることを口にしない。本当は間違っていると分かっているのに黙ってしまう。大人になると、子どもの頃より臆病になるのだと自省する▼南城市では市民が古謝景春市長のセクハラを訴え、第三者委員会がそれを認め、議会で不信任決議が可決された。たくさんの大人が権力者の間違いを指摘した。いずれも勇気ある行動だったと言えよう▼セクハラを認めない市長は職にとどまり、議会を解散する可能性がある。その結論は市民の理解を得られるのか。声を上げた人々の勇気を置き去りにしてはいけない。間違いをはっきりと言える大人が社会を正しい方向に導く。(琉球新報・2025/10/06)

 初めに 表題句は芭蕉作。作句の年月は不明ですが、「蕉翁句集」(服部土芳編)では「元禄四年」とあります。芭蕉四十八歳。

 「元禄四未ノとし 座右銘 人の短をいふ事なかれ 己か長キをとく事なかれ もの云ハ唇寒し秋のかせ」とあります。詮索はともかく、この句は芭蕉にしては珍無類の「教訓」を垂れた句と評判が立ちましたが、さて、事実はどうだったか。そこはそれ、素直に「何か言おうとして、口を開ければ、冷たい秋の風が 」と、それだけのこと。花を見れば花を見たと、雨が降れば雨が降ったと、そればかりを詠めばいいもので、教訓めかすのは禁物というのが芭蕉流だったとぼくも思います。「『ものいはでただ花を見る友もがな』といふは、何某鶴亀<なにがしかくき>が句なり。わが草庵の座右に書き付けけることを思ひ出でて」(「真蹟懐紙」)とは芭蕉自身の言とされる。「座右に書き付ける」というのも、芭蕉らしからぬと思わないでもありませんが、それはそれ。

 (琉球新報のコラムに刺激されて、「物言わぬ大人」たちに関して駄文を綴ろうとして、先ず俳聖の一句に意識が及んだだけのこと。以下、「唇寒し」をさらに促すような駄文を続ける無粋・無礼をお見逃し下さい)

 このところ、各地で「首長」の驚くべき「破戒僧」「破天荒」ぶりが目に立ちすぎます。「破天荒とは、元来がだれもしないようなことを初めてする、大胆で不届きな行い」と捉えられてきた表現です。近年は、「首長」たるもの「やらなきゃ、そんそん」とばかりの壊れぶり。この領域では、なんと「男女の別なし」なんですから、ご同慶の至りというか、語るも汚らわしいというべきか。「戒律を破った坊主」には僧にしてはおけぬ(破門)という「掟」がありますが、はたして、正風(性風)乱れる「政治家」はどうか。別名「性治家」と言われても違和感も異論もないような「奴輩」の奔出(ほんしゅつ)に、このぼくでさえも肝を潰し、胸を痛めている。「厚顔」「鉄面皮」「恥知らず」、何と言われようと「蛙の面に小便」だというのですから、風儀・風紀の頽廃・退廃、その留まるところを知らず。なんで有権者は、こんな輩ばかりを選んだんですかと、問いたいほど。誰もが一皮むけば、性に狂うというのもまた、情念か、情動か。まるで「動物並み」ですね。

 かかる「不祥事」続出の理由・背景がきっとあるのでしょうね。もちろん、これまでにも政治家に関わる、数多の不祥事があったが、少なくともその「事実」が露見した段階で、自らの「出処進退」は誰に言われるまでもなく、潔く判断・決断したもの。時代も変れば、人品が下卑て来たのか、有権者を裏切るような行為に及んでも「辞めない、辞めようとしない、辞める気も見せない」、そんな政治家がごまんといる理由や背景は何でしょうか。思い当たる節がないわけではありません。「時の総理大臣」が嘘八百を議会でついて、いけシャーシャーとしているなどは、この風紀が乱れる元凶の一つではなかったか。それも含めて、もちろん短絡してはいけないが、積年の「学校教育」の暗い成(性)果だと、ぼくは考える。頭(点数稼ぎ)ばかりを問題にし、「自制心・注意力」を自らが育てることを疎(おろそ)かにしてきた結果(報い)です。「情念(passion)」という化け物を野放しにした末の社会現象でしょうか。

 この「情念」とは「驚き、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみ」というデカルトいうところの「六つの基本情念」がもとになっている。あまりにもそれらが強すぎると、人間は自分を失う。前後の見境がなくなるほどに「取り乱す」のでしょうか。これら「情念」はすべからく人間の外からやってきて、その暴力的強さには人間は受け身(passive)であって、やがてその暴力は内部の「情動(emotion)」と結びついて、精神(意識)に「攪乱」「錯乱」「騒乱」を巻き起こす。「カッとなって人を殺める」「殴るつもりはなかった」「セクハラ・パワハラをしようとは思いもしなかったが、気が付いたら、していた」「アクセルとブレーキを踏み間違えた」(これは自動車運転時のことではない、普段の生活においても、踏み間違えるのだ)等々、際限のない不注意人間の不始末と不祥事の連鎖と蓄積です。醜聞や不祥事があまりにも多発しすぎているので、大多数の人々は、それに対して「無関心(apathy)(indifference)」になったともいえるでしょう。反対から見れば、「寛容(tolerance)」になった、そうも言えるでしょうか。もっとはっきり言えば、「そんなん、どうでもいいじゃん」という投げ槍になったのだと思いますね。

 政治家にモラルを求めるのは、ゴキブリに礼儀作法を求めるようなもの。こういう風に言われていいんでしょうか、問題を起こした政治家諸君よ。「子どもの時ははっきり言えたのに、どうして大人は黙ってしまうんだろう」という、その疑問は当然ですが、黙ることが大人の証拠、黙認という受け入れの方法です。つまり、一人前の大人は「清濁併せ呑む」と世間はいうかもしれない。けれども、「清流も濁流も、区別しないで飲み込む」のは「海」、器の大きな大人は「海」のようでなければならないというのであって、ときに及んで「言うべきこと」を言わないで「黙ってしまう」のは、海でもなければ大人でもない、「小人(しょうじん)」である証拠です。「度量や品性に欠けている人。小人物」であります。

 「ここで、それはおかしい」というべきなんだが、それをいうと「恨まれる」し、「青二才だ、子どもだ」と言われる、だから「恨まれたくない」し、「自分は子どもではない」と、わざわざ態度で示しているんでしょうね。その挙措は、「物いへば唇寒し穐の風」という風流とは無関係だと思います。

 「大人の1人として考えさせられる。力のある存在を恐れるあまり思っていることを口にしない。本当は間違っていると分かっているのに黙ってしまう。大人になると、子どもの頃より臆病になるのだと自省する」とはコラム氏。つまり、コラム氏は、あるいは新聞記者だとすると、新聞記者その人が「言う(書く)べきことを言わ(書か)ない」のですから、後は推して知るべし。「間違いをはっきりと言える大人が社会を正しい方向に導く」と、ここでもまたコラム氏は明言している。つまりは、「そんな大人はほとんどいないに等しい」のだから、ますます社会は間違った方向に進むと確信しておられるのでしょうね。春雨が降ろうが、秋風が吹こうが、人心は荒廃し、遺風は廃る一方の我が国民・国情ではあります。「忖度」と「洗濯」は大違いだということ。

 「物いへば唇寒し穐の風」は一つの「風流」であり「風情」です。「パワハラやセクハラ」の如き、拭い難い暴力という「無風流」「野暮」「犯罪」なんかでは、断じて・毛頭はありません。

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「徒然に日乗」(872~878)

 〇2025/10/05(日)お昼前に茂原まで。食パンや牛乳など、それに夕食の食材等を求めた。会計は7千円超。取り立てて高い品物を、それもたくさんの品数を買ったわけでもないのに、この金額。ものみな高騰、そんな期間が長く続きすぎると思う。その大半は「便乗値上げ」ではと疑っている。悪質な間接的「増税」で、この間の物価高騰により生まれた消費税等による税収増は12(15)兆円規模というから、目に余る政治的不作為だ。帰路に、近所のHCで、猫用のドライフードと、怪我をしている猫用のゼリータイプの食糧等の購入。▶気温は30度未満、終日快晴だった。秋らしい天気というのだろうか。しばらくはこの天気は続きそうだが、すでに台風22号が小笠原近海を西に進んでいる。劣島に接近する予想も出ているようだ。▶少し凌ぎやすくなったので、そろそろ室外作業をしたいのだが、まだ高めの血圧が落ち着かないので、様子を見ている状態。低い値で安定するといいのだが、どうしても睡眠が足りていないのが問題だろう。本日も午前3時過ぎには起こされた。▶政権党の「首領」選挙は極右候補者が選ばれたが、この選挙ではY紙M紙が積極的に女性候補に加担して、前首相降ろしの構図そのままに、新総裁選びにも加担していた。つまり、コップの中の争いは、外様(メディア)を含めて、目も当てられないこの社会の政治腐敗構造を醸してきたのだと思う。「裏金議員」も健在、統一教会シンパ議員も同様に居座っている。悪くなりはしても、よくなる気遣いは無駄。。(878)

〇2025/10/04(土)お昼前に猫缶購入のためにあすみが丘へ。前回の購入時にいつものメーカーの缶詰が品切れになっていたので、改めて求めようと思ったから。しかし、前回よりは商品はあったが、全体的には揃っていなかった。どういうことだろうか。それに代わる代用品があれば構わないが、そうでなければ、当面の猫たちの主食が問題になるだろう。ホームセンターに行く前に、これまでたくさんの猫たちの「手術」などで大変に世話になった「動物病院」に、些かの気持ちとしてお茶請け(ケーキ)を少しばかりお持ちした。どれだけのスタッフがおられるかわからなかったが、10個ほどを渡しておいた。この先もどういうことで世話になるかわからないので、これまでとこれからの「ありがとう」「よろしく」の意を含めたつもり。▶午後3時ころから、自民党総裁選挙の投開票が始まり、その結果、(多くの予想を覆して、らしい)女性候補氏が当選。さて、この先の政治がどうなるか、さらに混迷を深めることになるだろうという予感がする。もちろん、いささかの期待も持てない「新総裁」だから、あれこれと暴走・迷走するだろう。国会における首班指名選挙で「首相」に選ばれればなおさら、さらに先行きは不透明だと思う。(877)

〇2025/10/03(金)ただ今午後9時10分。室温24.4℃、湿度69%。すっかり秋の気配だ。一週間前の猛暑が恋しいと言えば嘘になるが、少しは懐かしいという記憶が疼く。▶お昼過ぎに買い物で茂原へ。その帰途に長柄町役場に行く。介護保険料の支払いに。九月は、初旬と最後の「二度の支払い」があったが、月末の分を忘却していたため。結局、九月は3万7千円×2=7万4千円。この割合3.7万円で、年に八回支払うことになっている。介護保険制度が始まってかれこれ25年か。開始は2000年だった記憶がある。これまで25年間、一度だって介護保険利用の申請をしたことはない。支払った金額はかなりになるだろう。それが必要な人が使う、制度の主旨には賛成だが、それにしても、年金生活者には負担が重すぎる。ここにも「政治は不在」というほかない。今後ますます、この制度利用者は急激に増加するだろう。果たして、制度の維持は可能なのか。専門職としてはあまりにも報酬は低すぎるにもかかわらず、きわめて重労働だ。人材の払底は目に見えているが、この問題を十分に視野に入れた行政政策は見当たらない。少子高齢化時代の到来は数十年前に叫ばれた。それ以降、この問題に有効な方針が策定され、実施に移されてきたとはとても思われない。政治の不毛・不作為は、国家・国民にとって存亡の危機だと思う。深刻な問題から逃避しないことを、政治も行政も真面目に心してほしい。(876)

〇2025/10/02(木)午前10時前にあすみが丘の動物病院で、一週間前に「避妊手術」をした猫の手術部分の糸を抜くため。診察の結果は問題ない。珍しいと思ったのは、この猫の手術に関わって三度ばかり病院に来たが、いずれも客はまったく来ていなかったこと。従前の混乱ぶりが珍しく感じられるような、閑散ぶり。偶然だったのかどうか。それはともかく、これで現在の家にいるすべての猫たちの「手術」が完了。総計20回を超えただろうか。あとは猫同士の喧嘩による怪我や、別の理由による病気などに気を付けるばかり。▶午後12時半ころにかみさんを茂原まで。集会があるということで、会場まで送った。運転免許証の再交付は、三週間先。このまま時間が経過しても、果たして運転するだけの技能・活力が維持できているかどうか、かなり危ないと判断している。(875)

〇2025/10/01(水)午前中に猫缶などを買いにあすみが丘へ。いつもの缶詰が不足していたので、中途半端な買い物になった。このHC、なにかと不行き届きがあるのが困る。近所だから利用しているだけで、他に店があれば当然そちらに出かけるだろう。どこの店でもいえることだが、パートやバイト中心で営業しているので、お客本意が忘れられている。この先はさらに悪くなることはあっても、改善されることはないだろう。▶終日はっきりしない天気で、雨が降ったりやんだりだった。東北や北海道ではまたしても集中豪雨が襲ったという。秋雨前線や低気圧の影響だった。この先、はたして、どんな台風が来るのだろうか、今からそれを心配しても始まらぬが、やはり気がかり。(874)

〇2025/09/30(火)ただ今午後8時40分過ぎ。室温25.7℃、湿度66%。いよいよ秋も深まる、の候だ。▶お昼前に茂原まで買い物。ついでに国勢調査票と年金調査の報告書の投函をした。本日で9月が終わる。まるで「釣瓶落とし」の如くに時間は足早に過ぎていく。真夏の酷暑に心身を痛めつけられている間に、季節は回転したのだ。猛暑の疲れが残っているままで、はや神無月。▶政権党の総裁選の愚劣(裏金・世襲・統一教会問題等を不問・無視する)と、経済同友会の代表幹事(違反薬物輸入問題の容疑)のお粗末辞任会見、かかる為体(ていたらく)を見せつけられる国民こそいい面の皮。政治・経済の中枢を担うような役回りだと勝手に思い込んでいた当方が迂闊だったということだろう。それにしてもこの社会や国の根幹は、白蟻に喰われ、イカレタ経済人や政治家に恣に腐らせられ、もはや修復も再建も不可能なまでに破壊されてしまったと、つくづく実感する。堕ちれば堕ちるもの。この先には何が待っているのだろうか。犯罪を疑われている被疑者が政治や経済のセンターに座るのを誰も咎めないとしたら、いったいだれが制裁を加えるのですかと、大声で叫びたい半面、なるようになる、先のことなど分からない、ケ・セラ・セラだな。有権者は誰ですかいな。(873)

〇2025/09/29(月)ただ今午後10時10分。気温26.9℃、湿度65%。終日、とても凌ぎやすい日だった。夜になって、小雨が降り出している。▶午後3時ころになって、突然かみさんが茂原まで行くという。昨日も出かけたアスレチックに行くと言い出した。(免許証の件を問い合わせたら、「警察に行って」と言われたと話す。まだ、彼女の中では免許証滅失の件は進行中だ。そのまま茂原警察に出向き、免許証再交付の申請をすることになった。いろいろと手間取ったが、何とか「再交付」申請を終えて、帰宅。約3週間後に出来上がるという。今回の「記憶喪失」はかなり深刻だと思う。免許証は、あるいは自宅のどこかに入り込んでいるのかもしれないという気がしている。臨時講習会を受講した際に「免許証提示」を求められ、それを返却されて、そのまま講習受講関係の書類の入った封筒に入れたのかもしれない。失くしたという話を聞いた段階で、臨時講習を受けた日付を確認したいので、何時だったかを尋ねたが、それがわからなかった。その段階で免許証が行方不明になったのかも。明日はそれを再度、再調査してみるつもり。すでに再交付申請をしているから、念のための「事情」確認のため。(872)

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「火中の栗拾い」は永田町の常態さ

【春秋】火中の栗、その味は デパ地下や菓子店では栗菓子の競演が始まっている。九州では熊本・山鹿の栗が全国的にも名が知られる。栗ご飯に渋皮煮。酷暑をどうにかやり過ごし、待ちかねた秋の味覚である▼こちらは誰かが拾わねばならぬ「火中の栗」を巡る争いに決着がついた。5人が立候補した自民党総裁選。「私は火中の栗だろうが何だろうが拾う」と不退転の決意を訴えた高市早苗さんが決選投票を制した。「うれしいというよりもこれからが大変」との勝利の弁に高揚感は乏しい▼落日の党を率いるのは誰か。「変われ自民党」をテーマに掲げた選挙戦の論戦は何とも低調だった。皆、持論を封印し、波風を立てぬように言葉を選んだ▼内向きの凡戦には「変われ」ではなく「代われ自民党」との声も聞こえてきた。けれど野党は連立に向けた思惑も絡みまとまらず。新総裁はそのまま首相に選ばれる見通しだ▼昨日の朝刊には<最終盤まで「麻生詣で」>の見出しが。首相経験者の麻生太郎、岸田文雄の両氏がキングメーカー然と振る舞う姿は、解党的出直しというかけ声には程遠く、昔ながらの自民党らしい光景に見えた▼火中の栗とは洋菓子マロングラッセの故郷フランスの寓話(ぐうわ)に由来する。猿にそそのかされた猫は、やけどを負いながら火の中から拾い出した栗を横取りされる。他人の利益のために危険を冒し、ばかな目に遭うことを指す。火中の栗、その味はいかに。(西日本新聞・2025/10/05)

◎ 週の初めに愚考する(九拾)~ (「三題噺(さんだいばなし)」にことよせて)どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞというべく、庶民が舐める塗炭の苦しみは、さらに厳しさを増すばかりです。覚悟はできていますか? 長年「政権」を恣(ほしいまま)にしてきた政党の党首(総裁)選びが終わりました。多くの新聞やテレビの報道は、その結果を「予想外」と書くが、何を呑気な、とぼくは思う。確かに候補者は「5人」だったが、同じ釜の飯を食い、同じ「コップの中」の住人でしたから、誰が選ばれても変り映えはしないのは明らかだった、ある種の「家庭内騒動」に過ぎなかった。にもかかわらず、マスコミ各位は、一様に「驚いた振り」をしていました。自らの描いた筋書きとは違っていたから。でも、「みんな同じ穴の狢(むじな)」だったでしょ。「小凶が出るか、大凶が出るか」という結果しか想定されなかった選挙だったとぼくは考えている。各候補者は「解党的出直し」は言ったが、「解党」して「出直し(死して後已む)」を図ると訴えた候補者はいなかった。これまでの「甘い汁(政権に与ること)」が吸い続けられるように、力を尽くすという、賤しい話。

 「死して後已む」と言いました。出典は「論語‐泰伯第八-7」に「曾子曰、士不以不弘毅。任重而道遠。仁以為己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎」(そういわく、もっこうならざるからず。にんおもくしてみちとおし。じんもっおのにんす。おもからずや。してのちむ。とおからずや)にあります。その謂わんとする核心は「命のある限り努力し続ける」であり、「死んで初めて、その仕事は終わるのだ」というのです。その心は「仁(思いやりのこころ)に基づく政治を行うのは、とても重大な仕事だし、『死して後已む(死んだ後になってようやく終わりとなる)』という遠大な仕事でもある」と述べています」(デジタル大辞泉)それではと、ぼくは問いたい。「仁政」とは何ですか。当然でしょうが、この言葉を口にした候補者は一人もおられなかったのはどうしてか。ばかばかしいくらいに自明のことば(「政治姿勢」)であり、「恵み深く、思いやりのある政治」を目指す気持ちなんて、だれ一人、サラサラ思いも及ばなかったからです。今時、こんな寝言を言っていて政治家が務まるかというわけです。

 以下、つまらぬ「三題噺」で、「国破れんか、負債ばかりが、子々孫々への遺産となる」の図を。

〇お題、その1「変節」~「総裁」になられた女性を、彼女の二十歳代から、ぼくは知っていました。胡散臭いという印象は、この間その感想は、今に至るまでいささかも変わらなかった。現東京都知事の「二番煎じ」「着せ替え」「異母姉妹」みたいだとも見ていました。彼女に似合うのは「変節著しい有為転変」ということ。これに結びついた「変節漢」という表現がありますけれど、「漢」は「男」を指し、「痴漢」とか「暴漢」などと使う。だから、彼女の場合は何と形容しますか。「日和見」「風見鶏」「転向者」とでも言いましょうか。初めはやや左、やがて動いて中ほどに、更に動いて、極端に右寄りに。ところが、今回の総裁選では少し「極端」を修正したかもしれなかったね、と。この変節著しい挙動は、政治情勢を、彼女なりに読んでのことか。政界の風見鶏の如しと思う。でも、「内弁慶」が一歩外に出れば、気を許せぬ諸国があるのです。(何かと指摘すべきことがありますけれど、つまらないのでここまで)

〇 お題、その2「誘蛾灯」~ 今回も「長老」と言うのか、「超老害」と言うのか、「元首相を看板」にしている「三爺(さんじじ)」が明に暗に動いていました。最後の最後に84歳の「未曽有(みぞゆう)」の元首相の(判断に基づく)号令が「T候補」を押し上げたとされます。彼女の手腕や政見が秀逸だからではなく、単に「勝ち馬」に乗りたかっただけの無定見の極みだ。その程度の政治感覚の持ち主であろうとも、政界は一寸先は闇と言いますから、そこに「一点の光明」を求めた候補者たちは、この「未曽有」へと日参し、三拝九拝して、なお「お百度」まで踏んだようです。つまり「未曽有」は「暗夜永田町」の「誘蛾灯(moth attracting lamp)」だったというわけさ。

〇 お題、その3「火中の栗」~「『私は火中の栗だろうが何だろうが拾う』と不退転の決意を訴えた高市早苗さんが決選投票を制した」とコラム氏の言の通り。「火中の栗」という俚諺はいろいろな使われ方をしますが、その正統性を語るなら「自分の利益にならないのに、危険をおかすことのたとえ」(故事成語を知る辞典)とされますから、今回は、この使われ方はできませんね。敢えて言うなら、火傷間違いなしの栗であろうが、地雷であろうが、「わたしは拾う」「わたしは踏む」というのでしょう。さすがは「奈良の女」か。おそらく彼女は本筋の、身を犠牲にしてでも国家・国民のために「火中の栗を拾う」などと言うことは微塵も考えておらず、「腐っても鯛」「少数与党と雖も自民党」とばかり「末期症状の集団の首領」になりたかっただけ。あわよくば「一国の首相」になれるかもというのですから、「他人のために危険をおかす」心持ちはいささかもなかったと断言できます。「危険を承知で、あえて問題の処理や責任ある立場を引き受ける」というような犠牲心など、いったいどこを押せば彼女から出てくるのですか、ぼくはそう考えています。現都知事の「妹分」だと言われるゆえんです。「経歴詐称」を指摘されたこともありますから、年齢の違う「双子」かも。まあ、単に「町内会の親分」になりたかっただけの人です。

 永田町の住人は、そこに何年間かいるだけでほぼ同類・同胞になるのでしょうか。この町内では、何時だって町内騒動が起こっており、いわば常時「火中の栗拾い」状態に泥(なず)んでいるのです。国民のために体を張って、危険を顧みずに「仁政」に邁進する、そんなできもしないことは一切考えない連中ですから、火中の栗を拾うのは、もって「我が身」「我が名誉」の為と決まりきっているではないかと思う。せこい自尊心と、薄汚れた名誉心で、あたら国家・国民の祈願を袖にしてしまうのがオチなんですね。

 「子曰、鳳鳥不至、河不出図。吾已矣夫。」(「子曰わく、鳳鳥至らず、河図を出さず。吾已んぬるかな。」)(「論語」子罕第九09)

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◉ 変節漢(へんせつかん)=節義を変えた男。軽蔑
けいべつ
して言う。(デジタル大辞泉)(註 あるいは、時代によっては「転向者」とも)◉ 転向(てんこう)(1)広義には、ある思想・信条から他の思想・信条へと変化すること。(2)狭義には、自由主義的・民主主義的立場をとる個人あるいは集団が、反体制的立場を抑圧する立場とか、国家主義的・軍国主義的反動体制を支持する立場へと態度を変更すること。(3)最狭義には、昭和10年前後の戦前日本において、共産主義者たちが、権力側から加えられた強制・暴力によってその思想・信条を放棄した行為をさす。(精選版日本国語大辞典)

◉ 誘蛾灯(ゆうがとう)= 光に集まる性質(走行性)をもつ昆虫を灯火で誘引する装置をいう。誘蛾灯の起源は、光源に松明(たいまつ)や篝火(かがりび)を用いて、ウンカやニカメイガを誘引して焼き殺したことにさかのぼる。時代が移り、光源は行燈(あんどん)、カンテラ灯、アセチレン灯へと進む。大正時代に入ると農村の電化が進み、光源は電球に変わる。第二次世界大戦前には、蛍光灯が一般家庭に普及する以前に誘蛾灯の光源として用いられ、戦後まもなくまで続くが、占領軍の指令や農薬の普及によって急激に減少し、誘殺を目的とした誘蛾灯は、特殊な害虫を対象とする以外は、ほとんど用いられなくなった。一方、誘蛾灯を害虫の発生状況を知ったり、発生予知に利用しようとする気運が明治時代に起こり、現在では、この目的のために広く用いられ、予察灯とよばれている。予察灯は、その年の発生状況の把握と発生予知のための長期間のデータ蓄積とを目的とし、都道府県の病害虫防除所によって、害虫の発生期間中、日別に調査されている。予察灯の光源は対象作物や害虫によって異なり、高圧水銀灯、青色・白色蛍光灯、ブラックライトなどが用いられているが、一般作物では60ワット白熱灯を用いることが規定されている。誘蛾灯には水盤に油を滴らして殺虫する湿式と、殺虫箱を用いる乾式とがあるが、現在の予察灯は乾式と規定され、光源、ロート、殺虫箱とで構成されている。(日本大百科全書ニッポニカ)

◉ 火中の栗を拾う= 自分の利益にならないのに、危険をおかすことのたとえ。また、危険を承知で、あえて問題の処理や責任ある立場を引き受けることのたとえ。[由来] 一七世紀のフランスの詩人、ラ・フォンテーヌの「寓話」によって知られる、「猿と猫」という話から。昔々、ある家に、猿と猫が暮らしていました。あるとき、家の主人が暖炉で栗を焼いているのを見て、それを食べたくなった猿が、猫にこんなふうに持ちかけました。「君はああいうのを取るのがうまいから、ひとつ、その腕前を見せてくれよ」。おだてられた猫は、手をやけどしそうになりながらも、栗を一つ一つ取り出していきます。ところが、その一方で、その栗を猿が一つずつ食べてしまっていた、ということです。[解説] ❶猿のおだてに乗せられてしまった猫が、ちょっとかわいそうなエピソード。そのため、うまく言いくるめられて、他人のために危険をおかす場合に使うのが、本来の使い方。自分から進んで危険をおかす場合に使うのは、あとから生まれた用法です。❷古代ギリシャの「イソップ寓話」の一つに、同じ話があるともされています。しかし、実際にこの話の存在が確認できるのは、一七世紀が最古だとのことです〔フランス〕tirer les marrons du feu.〔英語〕pull a person’s chestnuts out of the fire.。(故事成語を知る辞典)

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巻き戻して反省する共同作業

 碁・将棋はまったく駄目でした。将棋を何とかしようと、いろいろと「プロ」の本を買って読んでは見たりしましたが、ついに将棋に引き込まれることはなかった。碁に関しては更に悲惨で、いかにしてもものにならなかった。親父や兄貴は、夕食後などにしばしば将棋を指しているのを横で見ながら、ぼくには才能がないと諦めていたものだった。大学生になり、暇な時間が多くなったのを幸い、今度こそと「碁盤」「将棋盤」を揃え、碁石も将棋の駒も買い求めて、本格的な練習体制を作ろうとしましたが、結局はダメでした。大学の通用門のすぐ横には「碁会所」などもありましたが、何時だって岡目八目の域を出ないままで終わり、碁盤・将棋盤は使われないままで古びてしまいました。ある時期は、テレビ観戦で、碁や将棋の対局を観ていたこともありましたが、そこから分かったことは、あまりにも時間がかかりすぎることで、若かったせいで、その時間の浪費ができなかったのだった。碁・将棋とは別の遊興のために、たくさんの時間を浪費したことになります。

 その碁・将棋の対局後にある「感想戦」、これは、ぼくとしては割合に真面目に見たものでした。もちろん、そこから何がわかったか怪しいものでしたが、棋士たちの指し手の「妙手」や「悪手」に驚いたり感心したり。「感想戦は敗者のためにある」という。そうかもしれません。負けた道筋を捉え直す、それを自分一人でするのではなく、対局相手との「共同作業」であるところに、何とも言えない興味を覚えます。なぜ負けたのか、どこがいけなかったのか。「この負けを糧とする姿勢が、希代の名棋士の強さの源泉なのだろう」とは藤井七冠に対するコラム氏の感想です。この「感想戦」という作業に関して、ただに碁・将棋について言えるだけではなく、あらゆる「戦い」にも妥当する検証作業でしょう。碁・将棋なら「次の勝利のため」「負けないため」の不可欠の作業だし、その他の「戦(闘)い」でも、よりよく戦うため、あるいは決して戦(闘)わないためには、どうしても欠かせない作業でしょう。それもたった一人でするのではなく、「共同作業」で行う、そこに大きな意味や示唆があるように思われます。誰と作業するかは、もちろん重要な要素になるでしょう。「たった一人」ではだめなんですね。

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【新生面】感想戦 棋士は対局後に指し手を振り返る感想戦を行う。負けた側には酷な作業に思えるが、むしろ「感想戦は敗者のためにある」との格言もあって、藤井聡太七冠が好きな言葉に挙げている▼「改善すべき点をフィードバックして、次につなげていくことが大事だと思います」と、ノーベル賞学者の山中伸弥さんとの対談でその理由を語っていた。この負けを糧とする姿勢が、希代の名棋士の強さの源泉なのだろう▼その伝で言えば、参院選総括で自ら敗因として挙げた「政治とカネ」の問題は最優先の改善点のはず。それなのに自民党総裁選の論戦が低調なまま、きょう投開票を迎えてしまうのはどういうわけだろう▼「#変われ自民党 日本の未来を語れ!」が、党広報による総裁選のキャッチフレーズである。都合の悪い過去は石破茂・現総裁に背負って去っていただき、私たちは表紙をかえて前向きに未来を語ります-ということなのか▼その石破氏は、「戦後80年見解」という日本の過去を語る「感想戦」を、首相としての最後の大仕事と定めたようだ。党内にも不要論があるが、「なぜあの戦争を止めることができなかったのか」という論点は国内のみならず、止めることのできない戦争が続く世界に向けても、強くアピールする見解となり得るのではないか▼「いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から軽んじられる」。広報に当たっては、作家の井上ひさしさんが、戦争責任を問う戯曲に自ら付したというキャッチフレーズを推奨したい。(熊本日日新聞・2025/10/04)

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 感想戦は実体験を通じた最大の勉強の場 【将棋と教育】「感想戦の意義――巻き戻して反省する共同作業 将棋には「感想戦」があります。スポーツの世界などをはじめとして、勝負事のほとんどは、その場で振り返り、自分の反省点を点検することは困難でしょう。野球の投手がなぜ打たれたか、その場でビデオテープを巻き戻し、反省して次の回に投げるということはないでしょう。また、試合後に反省するとして、打たれた球やそれまでの配球の組み立てなどを見直したり、チームメンバーやコーチなどから意見をもらったりすることは出来るかもしれません。しかし、対戦した打者からの意見やそのときの感じたことを一球一球シェアしてもらえることはありません。/将棋の感想戦は、勝負の直後に、お互い今まで対戦相手だった同士が自分の指し手の善悪を検証し合います。そのときに、どんな心境であったか、どんなことを考えていたか。次回は同じ失敗をしないように、あるいは次はもっと良い手を指せるように、お互いの意見を出し合い、高め合っていく。将棋にはそんな振り返りの機会が仕組みとしてあるのです。

 反省する作業を共同で行う感想戦が、実体験を通じた最大の勉強の場になるのです。/社会では、すべてのことを経験できるわけではありません。ですが、勉強過程である子供たちには、実体験できることはその機会を与えることで、自力で学び取ることや、自分のこととして感じるという体験をしてほしいと思います。「自分の責任でこれをやって、その結果こんな風になった」ということを、身をもって体験していってほしいものです。(以下略)」 (ライター:安次嶺隆幸「日本将棋連盟」・2017/10/09)(ヘッダー写真は「羽生善治王座と中村太地六段の王座戦第一局」:https://www.shogi.or.jp/column/2017/10/post_246.html

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 「その伝で言えば、参院選総括で自ら敗因として挙げた『政治とカネ』の問題は最優先の改善点のはず」とコラム氏は目下の「焦眉の急」として、ある政党の総裁選びに結び付けて、大事な忘れ物をしている候補者たちに苦言を呈されている風にも思えます。加えて、韓国産の「カルト集団」との長い深い付き合いにも一切触れないというのは、どういうことか。「『#変われ自民党 日本の未来を語れ!』が、党広報による総裁選のキャッチフレーズである」この「党首選」に、最初から、ぼくはまったく関心がありません。誰が選ばれようが、「#変われ自民党」という野放図かつ能天気な「キャッチフレーズ」の致命的な欠陥に、ご当人たちが気付かないのですから、この党には先がないというか、後がないというか。つまりは「もう終わっている(It’s already over)」のです。

 「#変われ自民党」と、誰が号令をかけているのでしょうか。「変えようよ」とか「変えたいね」と、仲間内で互いに語り合うのなら、まだしも、「変われ」と命令口調で、正体不明者が「呪文」を唱えたところでどうして変われようか。「日本の未来を語れ」と、誰が誰に言ってるんですか。第一、この国の、底の抜けた「現在」をそのままに、まだ「未来」があると考える、その浅はかさ・無思慮に、有権者は興ざめしているということに気が付かないのか、気が付かないふりをしているのか。要するに、有権者、あるいは国民を舐め切っている、その自らの傲岸不遜ぶりに気が付かないのですから、付ける薬はないのです。「バカは死ななきゃ治らない(Stupidity can’t be cured until it dies)」、あるいは「死んでも治らない(Stupidity is not cured even by death)」でしょうね。

 「#変われ自民党」、それは呪文と言うより寝言(nonsense)と言い換えたいくらいです。どうしてこんなにひどい状況に落ち込んだのか、自らの責任で担ってきた政治の偏向や不在がもたらした負の側面について、真面目な「反省」(「感想戦」)がなくて、この国に「未来」なんかあるはずもなかろうに。揃いも揃って、「解党的出直し」と口裏を合わせながらも、「みんな仲良く」とくるから、実に「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の衆というべきでしょう。「鶏鳴」は鶏の鳴き声を真似ること、「狗盗」とは「狗(いぬ)」のようにこっそりモノを盗む輩のこと。姑息な騙しで選挙民を虚仮にし、気が付いたら、税金を収奪することに邁進・精進・進一歩という、「省察」「反省」を抜きにして、これまでの、この政党の「政治不在」を、これからも続けるらしい魂胆、それしか能がないのだからと、選挙民(有権者)はいたずらに気を許してはならないでしょうに。「裏金」脱税はどうするんですか。重加算税を払いなさいよ。それにしても、政治家という輩はなんと「金に汚い」のでしょうか。

 「都合の悪い過去は石破茂・現総裁に背負って去っていただき、私たちは表紙をかえて前向きに未来を語ります」という戦術かなどと、分かりきったことをコラム氏は書かれます。自分たちの「政治=利権本位」に都合が悪いから、何かと口実を設けて(現首相)を「総裁の座」から引き摺り降ろした、大手新聞・テレビ局もいっしょになって。笑うべきか、泣くべきか。つまりは、この国は少なくとも政治・経済、加えて報道の面では詰んでしまっている(「王様」の逃げ場がないという意味)ということです。「解党的出直し」ではなく、「解党して、出直し」を図るべき時だということに気が付いていないのです。「♯変われ自民党」ではなく、正しくは「♯代われ自民党」なんじゃないですか。野党に代われというのではない、本音を言うなら「♯変われない自民党」であり、「♯もう、いらない自民党」なんですよ。ここまでこの党を腐られたのは誰か、それを明らかにするための「総裁」選びじゃなかったんですか。

 石破さんに関しても、ぼくは何度か言及しました。「自分から辞めると言うな」、そうすれば任期三年は続くから、と。しかし、彼もまた並みの「権力亡者」でしたね。「選挙に負けた責任をとれ」と詰め寄られ、それでもなお「辞める、辞めない」で迷った挙句、遂に「引き摺り降ろされた」という次第。残念だったろうというより、情けないことよ、というのがぼくの実感。あるいは、もう少しやれるかもしれないと、腐った議員連中からの支援に淡い期待を持ったこと自体が、根性が座っていませんでしたね。腹を据えて、居座りつつ、「衆議院を解散」すればと、できもしないことを願ったりした当方も、まったく情けないと思うね。

 それはともかく、彼は「一言居士」たらんとしてきた男でした。「80年談話」ならぬ「80年感想」を出すという。これもまた、出すについては迷いに迷ったことは明らかです。この国の政治の現状と、アジア諸国との友好親善(善隣外交)のためにも、はっきりと、憲法(第九条)改正や軍備増強を目論む、今の自民党右翼政治と決別すべく、集団的自衛権などという憲法違反の軍事行動をとろうという戦争したがり集団とはきっぱり絶縁することを内外に明らかにし、みずからの旗幟を鮮明にすること、これこそが現総理の為すべき最後の課題(もちろん、彼のことですから、この先の「捲土重来」を期しているのは疑いのないところ)ではないでしょうか。

 そして新たな総裁が選出された段階で、何人もいないでしょうが、仲間と語らって「解党し、出直し」を決断すべきだと思う。「元総理・三爺(さんじじ)」という阿保たちの見ておれない挙動に加わるなどしたら、恥の上塗りだし、自らの存在を否定することにつながるでしょう。耄碌し、前後の見境もなくなった「元総理・三爺」どもが棲息して(できて)いること自体、この政党の腐敗のあからさまな証拠ですぜ。現首相はこれまでも政権党を離れた経験があるのですから、それを生かさない手はない。つまりは現職首相の渾身からの「感想戦」が求められているのです。「感想」という名の「歴史(少なくとも、戦後政治の歴史)の再考察」、「日米安保体制の見直し」等々、つまりはこの国のこれまでの振る舞いをたどりつつ行う「内なる戦い」を交わす(共にする)相手はいるのか。心配無用、たくさんの無辜の国民がいるではありませんか。

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