【春秋】「それでも頼る」と頼られる新聞であらねば 万葉歌人の大伴旅人や山上憶良は60代になって活躍した。大宰府ゆかりの偉人にちなんだ筑紫歌壇賞は60歳以上の初めての歌集が対象で、今年は東京新聞の編集委員、加古陽さんの「夜明けのニュースデスク」が選ばれた。きょうから秋の新聞週間。記者の仕事を詠んだ加古さんの三十一文字(みそひともじ)を借りつつ、新聞の姿を▼<白紙からつくりはじめる新聞は日々完全を追う不完全>。福岡、九州、世界で起きた出来事から選び抜いて詰め合わせる。全てを伝えたくとも伝えられぬもどかしさ▼<この紙は戦のたびに増えてきた今でも記者を「ヘイタイ」と呼ぶ>。反戦、非戦、過去に学ばねばと訴えてきたのに古い言葉が職場に残る矛盾とは▼<薄雲に白くけぶれる名残りの月 きょう本当を伝えられたか>。朝刊を作り終えた明け方、ああ書けばこう書けば良かっただろうかと寝付けない日。<近づいてゆけばゆくほど雲離れ遠い水平線だ、読者は>。読者の声に励まされたり、思いがけない反応に落ち込んだり▼<新聞を縦に折り曲げ読む人のやがて消えゆくそのめくる音>。混み合う電車やバスで新聞を器用に読む人は減り、縦横に向けたスマホを見る人ばかり▼今年の新聞週間の標語は<ネット社会 それでも頼る この一面>。幼い頃から身近にネット環境がある中学3年生の作品だ。10年後、20年後も「それでも頼る」とめくってもらえる新聞であらねば。(西日本新聞・2025/10/15)

西日本新聞のコラム「春秋」にある<この紙は戦のたびに増えてきた今でも記者を「ヘイタイ」と呼ぶ>という歌。実際のその通りでしたね。数字は例示しませんけれど、明治この方、この国が「戦争」に国運を捧げるためには新聞は欠かせない武器でした。戦意を煽り、戦争気分を国中に横溢させる火薬のようなものでもあったでしょう。ぼくは、この国が直に関係したいくつもの「戦争」を知らない人間です。1944年9月生まれですから、戦時中の子ではありましたが、「戦争」は知らなかった。加えて、物心がつくのに二十年も要したのですから、根っからの「ノンポリ」だったと自認しています。そんな非政治的人間が「政治」について何かを知るようになったのは、いい悪いは別にして、そのすべては新聞でした。京都にいた時代から、東京・千葉に居を移し替えながら、いつも身辺には新聞がありました。現在の山中にして、初めて宅配新聞との縁は切れたのでした。
物心ついてからは、世界の各地で「戦争」は続いていました。朝鮮戦争もこの国にとっては、経済の好機と捉えられていた、「戦時景気」「朝鮮特需」というのは、別の表現では「火事場泥棒」のようなもの。まして「朝鮮戦争」の原因は我が国が作ったという歴史の事実があります。また、高校在学中に国内最大の反政府運動が生じました。それは『日米安保体制』に反対するためのもの、米国の主導の元での、米国の引き起こす戦争への積極的加担でした。今風に言うなら「集団的自衛権」の魁(さきがけ)でもあった。沖縄の米軍基地から「北爆」と称する舞台が飛び立ったのですから、明らかに、この国はベトナム戦争の攻撃基地になっていました。
本年が「戦後八十年」だという。そして来年は「昭和百年」に当たります。恐らくこの百年、いろいろな仕方で、この国は戦争の当事国になってきました。この間の「戦争時」の情報はすべて新聞によって、一面では「針小棒大」に、他面では偽りの、史実を歪めた報道がもたらされてきました。その「作為」は戦時だけではなく、平時においても行われてきたという、新聞の偽りの報道の歴史もまた隠せない事実として、ぼくたちは知っています。

この何年も、ぼくは紙媒体の新聞にはお目にかかっていません。辺鄙な地に住むようになってから、宅配する新聞も近辺にはなくなったようで、そのほとんどはネットを通じて、いわゆる「デジタル版」新聞を読むという日常に浸っています。それに関しても愚感はありますが、今は語りません。新聞購読者が劇的に減少している理由は何処にあるのでしょうか。各社は、当然のこととして理由は明らかにされているのでしょう。にもかかわらず日を追って新聞部数が減じている現実をなぜ放置していのか、ぼくには理解不能です。死力を尽くして「世界一の部数」になった暁には、すでに新聞の「使命」「存在根拠」は失われていたということだったでしょうか。大新聞が中新聞になり、中新聞が小新聞に、「小新聞」は「廃刊」になるのは必然であるという時代状況を考慮したとしても、現存する紙の新聞の著しい質の劣化は隠しようもないのは、新聞自体の側にも大きな責任があるとぼくは判断しています。
コラム「春秋」には、今日(15日)から「秋の新聞週間」だとあり、その標語、「ネット社会それでも頼るこの一面」が紹介されていました。「頼る」のは、一義的には読者でしょうが、それ以上に「新聞社」そのものではないかという危機意識さえもが感じられました。厳しい現状を見ると、長年地域住民の「足」としての役割を担ってきたローカル線が乗客数の減少に抗しきれずに、次々に廃線する状況に似ています。そうなる背景は至る所にあるのでしょう。それについては触れません。あれば確か便利だけれど、なければないで、何とかやりくりできるもの。やがてない方がすっきりしたねということになるなら、今だって「新聞」はいらないものだという証明ですね。ここで指摘しておきたいのは、新聞は、厳密な意味で、報道機関なのかどうかということを、いまさらのように確認すべきではないかということ。

<“Were it left to me to decide whether we should have a government without newspapers, or newspapers without a government, I should not hesitate a moment to prefer the latter.”>「新聞のない政府か、政府のない新聞、そのどちらかを選べと言われるなら、私は迷うことなく政府のない新聞を採る」と言ったのは第3代米国大統領、トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)(1743~1826)でした。二百年以上も前の発言ですから、その分だけ割り引く必要があるでしょう。時代背景というものです。政府(政治)は権力の行使を旨とする、新聞はその権力の横暴を批判する。この両者の関係が分際を越えない限り、ジェファーソンの言は生まれなかったと思います。しかし、どちらかが、己(おのれ)の分を忘れるとき、つまり新聞が政府に加担したり、政府が新聞に取り入るようになる時、人民の耐えがたい不幸が生まれるのです。政府が政府の分を守り、新聞が自分の分際を弁(わきま)る限り、人民は狼狽えることも、悲嘆することもないと言えましょう。
人間の作る集団にはきっと、その集団を管理・支配しようという力が働きます。それが「政府(1government)と言われるものです。そしてその政府の「統治」の妥当性を批判(判断)する力は必ず生まれます。それがジャーナリズムの必要でしょう。政府が新聞を持ち、新聞が政府を兼ねるとどうなるか、それがジェファーソンの発言の真意だったでしょう。「政府のない新聞」は、いずれは統治する権力を有することになるはずで、だから、それを批判する新聞がどうしても存在する必要があるのです。この社会の現状はどうか。新聞が権力の批判に興味を失えば、どうなるかという事態をぼくたちは経験しているともいえます。新聞をはじめとするメディアが政治にコミットし、あろうことか権力の片棒を担ぐようになると。、もはや、この社会はそんな事態に立ち至っていると言わねばならなのです。

新聞の発行部数は、驚くほどの速さで減少し続けている。早晩、紙媒体新聞は面目を失うでしょう。それに代わって「ネットメディア」が云々されますが、はたしてそれは権力批判の「精神」を維持し得るでしょうか。現状を見る限り、それは至難の業と言うほかありません。ネット社会で、健全な批判というものが存在しうるとは、とても考えられないのです。だから「新聞のない政府」がさらに強化されて生き続けるでしょう。それは、「報道機関」とは似て非なる、鵺(ぬえ)のようなものであるはずです。新聞のない社会がすでに生まれているといっても過言ではないでしょう。
<新聞を縦に折り曲げ読む人のやがて消えゆくそのめくる音>

「新聞総発行部数2661万部、ピーク時からついに半減-新聞協会発表 新聞部数の減少を踏まえ、各新聞社とも、紙の新聞に代わる収入の道を探している。日経新聞の日経電子版はまもなく創刊15年を迎えるが、24年12月1日時点で有料会員が101万人となり、国内の有料デジタルニュース媒体としては初めて100万人を超えた。数年後には日経新聞の朝刊販売部数を上回り、紙に代わってデジタル媒体が主役の座に就くことになりそうだ。/最大部数を抱える読売新聞は25年春から、米ダウ・ジョーンズ社と提携して法人向けデジタルニュースメディア「DOW JONES 読売新聞 Pro」を創刊する。かつて1千万部を誇った同紙も今や600万部を割り込んでいる。そうした中で、新たな収入源を求めて不動産やエンターテインメント関係に力を入れてきた。その一環として、25年3月に算出・公表を始める新たな株価指数「読売333」と合わせ、日経新聞の牙城である経済分野に挑戦する。読売新聞はあくまで紙の新聞にこだわり個人向けの有料デジタルニュース媒体は発刊していないが、これを法人向けに限定するのか、それともいずれは個人向けにも踏み込むのかという点も注目される」(一般社団法人メディア激動研究所:https://www.mgins.jp/archive/mgins_isaka/newsweb/mginsisaka20241226.html)(ヘッダー図表も)
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- 水と油を「乳化」させるには

- 無理なんだ、もっと真摯な「政治」は

- 「考える」とは「疑う」「迷う」こと

- 「子どもを育てる」とは?(胸に手を)

- 「蛞蝓にも角」「匹夫も志を奪うべからず」

- もう半分とまだ半分(「同量」じゃん)












































