【春秋】もしもSNSがなかったら 電話ボックスに入って受話器を取り、「もしも○○だったら」とつぶやくと世界はその通りに一変する。「もしもボックス」はドラえもんの道具の一つだ▼もしもSNSがなかったら-。オーストラリアが壮大な社会実験に乗り出した。ユーチューブ、TikTok、インスタグラム、X…。利用者が互いに交流し、画像や動画を投稿できるSNS10種について、16歳未満の利用を禁じる法律が施行された▼10~15歳の96%がSNSを使うオーストラリアではいじめ、性被害、依存症、うつ病とさまざまな害や病を引き起こし、時には自死を招くとして社会問題となってきた。親が立ち上がり、法制定を実現した▼インターネットがつなぐ世界では同じ悩みを多くの国が抱える。日本での法規制の動きは鈍い。スマホの利用時間に目安を設けた愛知県豊明市の条例が話題になったが、あくまでも理念にとどまる▼オックスフォード英語辞典の出版元が選ぶ今年の言葉「レイジベイト」はSNSの今を映す。直訳で「怒りの餌」。閲覧数を稼ぐため、怒りを引き起こす言葉や画像を、わざと餌のごとくネット上にまくことを指す。そんな環境に子どももさらされている▼もしもボックスがかなえた世界は、たいてい苦い結末を迎えて、元に戻る。現実を簡単に変える道具はない。南半球の禁SNS法はどんな変化をもたらすのか。世界が、子どもたちが注視している。(西日本新聞・2025/12/11)

今の時代、ぼくたちは、否応なしに「プライバシー」を隠す(失う)時代に生きているということだろうか。あるいは、逆に、プライバシーを世の中に突き出す時代を指して、「SNS(Social Networking Service)」の席捲時代ということになるのでしょうか。これまでぼくは、携帯(mobile phone)を含めて、ただの一度だって「スマホ(smartphone)」を手にした(所有した)ことはない。理由は極めて単純でした。便利よりも、ぼく自身のなけなしの「プライバシー」を、好き好んで晒しものにしたくなかったから、それだけの理由でした。「自分を売り込む」、どんなやり方にしろ、それはぼくにはとてもできない相談でしたね。隠そうが晒そうが、いずれにしても「自分」はあるでしょう。それゆえに、その自分が他者と交わるにも、ある種の「思想(態度)」のようなものが必要だと思った。他者と交わる方法は多様です。いろいろなやり方があるでしょうが、ぼくはいつの場合でも基本は「対話(問答)」であるのが大切であると信じてきました。そうすることで、いらぬ誤解をなくせるものではなく、却って、強烈な反発を招くこともある、でも、それを解く方法もまた、「対話(dialogue・interactive)」だと思ってきましたから、誤解とか、勘違いもまた、お互いの受け止め方だと思うことにしていました。やがて、その誤解や勘違いが溶けるということはいくらもあったし、溶けないままで終わるということもあった。

もちろん、手紙や電話など、他者との付き合い(交流)の方途はいくらでもあるし、それまでもあった。時と場合に応じて、それを使い分けることは必要ですが、何にせよ「便利」と「効率」と「手軽さ」(「課金」と言う金儲けも加わっている)と言ったような道具性の側面に価値を置きすぎるものには、ぼくの触手(tentacles)はまったく動かなかった。もちろん、ぼくは電話は使いますが、決して好きではありませんし、よほどのことがない限り当方からかけることはない。それほどに、まあ、偏屈ものだということでしょう。これは親譲りであり、自分でもそれを強化してきた嫌いがありますから、いまさら治すのも面倒ということになります。
スマホ全盛時代、事態は思わぬ展開を示しています。根本には「表現の自由」という権利の根っこに抵触する問題にもなる性質のもので、単純にデメリットが大きいから使用禁止という具合でいいのかどうか。その先鞭をつけるようにして、豪州が「16歳未満のSNS使用禁止」法を成立させました。「中毒性のある仕組みやネットいじめ、未成年を狙う犯罪者などから子どもを守る狙いがある」とされた結果ですが、それは何も16歳未満に限らず、むしろそれ以外の使用の方がはるかに悪質性を帯びているのはいずれの国でも見られることです。だから、これは長い道のりをたどる「人権規制」の第一歩となるのかもしれません。苦労して獲得してきた「人権」の一部が削り取られることになるのかもしれません。スマホ自体は「物」「道具」でしかありません。その良し悪しは、道具を使う側の問題であるのは確実でしょう。
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子どものSNS利用禁止法、オーストラリアで施行 世界中が注目(CNN・2025.12.10) オーストラリア・ブリスベン(CNN) オーストラリアで10日、16歳未満のSNS利用を禁止する世界初の法律が施行された。中毒性のある仕組みやネットいじめ、未成年を狙う犯罪者などから子どもを守る狙いがある。/ここまで包括的な対策を講じている国はほかになく、厳格な新法の施行には世界中が注目している。/禁止対象となるのはインスタグラム、フェイスブック、スレッズ、スナップチャット、ユーチューブ、ティックトック、キック、レディット、ツイッチ、X(旧ツイッター)の10のプラットフォーム。ほとんどは同法に従うと表明しており、年齢確認技術を使って16歳未満のユーザーを特定し、アカウントを凍結する。ただし各社は、これで子どもの安全が高まるとは思わないとの見方を示している。
アルバニージー首相は10日、同法の施行をオーストラリアにとって「誇るべき日」と形容。「オーストラリアの家庭があの巨大IT企業から主導権を取り戻す日が来た。子どもが子どもでいる権利、親がもっと平穏な心でいられる権利を行使する」と公共放送のABCに語った。ただ、「簡単にはいかないだろう」とも認めている。/同法に基づき、SNS各社は「合理的な措置」を講じて16歳未満が使用しているアカウントを凍結し、新しいアカウントの開設を阻止しなければならない。違反した場合は4950万オーストラリアドル(約51億円)以下の罰金が科される。/一方、子どもや保護者が同法を破ったとしても罰則はない。(https://www.cnn.co.jp/tech/35241437.html)

豪州の法律の詳細はまだ未入手で、詳しいことには触れられません。その法制定の主旨はよくわかるつもりです。それを見ていて、即座にアメリカの禁酒法を想起しました。その内容は以下の通りです。「酒精飲料の醸造,販売,運搬,輸出入を禁止した法律」でした。社会道徳の高まりや禁酒運動の高揚によって「禁酒法」は制定されましたが、およそ十三年の後に、憲法における、新たな「禁酒条項無効」の修正が採択され、短期間の禁酒法時代は終焉しました。この時代のFBI(エリオット・ネス)対ギャング(アル・カポネ)の対決(「アンタッチャブル」)はテレビ草創期のドラマとして大好評を博し、その余沢をぼくも味わったものでした。
◎ 禁酒法 (きんしゅほう)=アメリカ合衆国で1920年から33年まで,酒精飲料の醸造,販売,運搬,輸出入を禁止した法律。第1次大戦期に禁酒運動と道徳意識が著しく高まる中で,1917年連邦議会は禁酒を規定した憲法第18修正を可決,19年10月法案提出者の名をとってボルステッド法Volstead Actと呼ばれる禁酒法が制定され,翌年1月発効した。だが〈平常〉に戻ったアメリカ社会で飲酒の習慣を一掃することは非現実的であり,需要が引き続き強く存在したため,アル・カポネをはじめとしてギャングがこれに目をつけ,酒類の密造や密販を手がけて巨利を博し,それにより縄張りの拡大を図った。こうしてきわめて道徳的な政策と不法な世界との共存という奇妙な事態が生じたが,大都市を中心に禁酒法を批判する動きが高まり,1928年の大統領選挙戦ではそれが一つの争点となった。ついで大恐慌が勃発するや,財政的理由からもその撤廃が望ましくなり,33年禁酒条項を無効とする憲法第21修正の採択を経て,同年12月アメリカ社会は正式に禁酒法から抜け出した。(改訂新版世界大百科事典)

さて、オーストラリアのSNS禁止法です。はたしていかなる展開を見せるでしょうか。法制定の動機は理解できそうですけれど、従順に遵法精神が発揮されるかどうか、おおきな疑問を持つところです。16歳以下の使用禁止も不十分と言うか、問題は残る。しかるに、止むに止まれず禁止したということだけで、所期の効果があるでしょうか。SNSを悪用した「犯罪」は限りなく増加の一途をたどっています。「犯罪」に関しては年齢に無関係で行われています。大人のSNSの使用は許容し、そこから生まれる犯罪(だけ)を取り締まるのは、一理はありますが、スマホがなければ起らなかった犯罪であるなら「スマホ」を正面に据えるべき課題ではないでしょうか。便利一辺倒が、予想外の悪弊を含んで進化したということです。それはまるで「原発問題」のようで、現状では最後の難問の解決(核燃料廃棄物処理)の糸口すら見えていない段階で、新設予定や既存の施設の再稼働にゴーサインを出しています。

この先、常に「核爆発」の危険性を感じながら、核の脅威と同時存在を余儀なくされている時代です。それと比べればスマホ問題は軽いものだと言えるでしょうか。社会悪の助長、人間の成長や発達に与える悪影響などを考慮するなら、今の段階で、根本的な問題の所在を探るべく官民一体で当たるべき時ではないかと思う。酒も車も、適切・適法な利用の仕方をするなら、それこそ、それらはなくてはならない必要物ではあります。しかし、その適切・適法を順守し得ない存在が無視できないくらいに増加した時、もう手遅れになるということも十分に考えられます。
ある人にとって、便利な道具は「鬼に金棒」ともいえますが、別の人にとっては「××に刃物」となってしまいます。同じ道具が、どうしてこの違いを生むのでしょうか。その違いが生じるところにもっと焦点を当てるべきで、SNS悪用は(飲酒運転と同様)、紛れもなく一種の教育の問題と捉える必要があるでしょう。(もう少し考えてみたい)
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