教師は「教える人」ではないよ

【有明抄】憧れの先生 女優の岸田今日子さんは幼いころ、学校に行けない時期があった。母親に説得されて、いやいや2学期から登校した。夏休みの宿題も絵日記も手つかずだった◆そのまま提出すると、先生は「楽しいことがたくさんあり過ぎて、宿題をする暇がなかったのかな」と笑いかけ、白紙の絵日記に大きく「○」と書いてくれた。岸田さんはいっぺんに先生のことが好きになり、学校に通うのが苦にならなくなったという◆教師の存在が学校を楽しくする。おととい佐賀市の少年の主張大会を聞いた。「夢は先生」と語る小中学生が例年以上に目立った。勉強のつまずきや友達との悩みに、いつもやさしいアドバイスで教室を明るくしてくれる。そんな大人のうしろ姿にあこがれるのだろう◆一方で、夢を壊すような現実もある。書類作りや部活指導などに追われ、教師の勤務時間は世界最長という。多様な子どもの可能性を引き出す細やかな指導、保護者のクレーム対応…。AI(人工知能)に置き換えられない仕事だけに悩みも深い◆岸田さんの思い出には続きがある。デビュー後に再会したとき、「○」をもらった礼を言うと、先生は「?」。「あれは丸じゃないよ、零点」。やはり現実はほろ苦い。それでも教育には「ゼロ」をいつか大きな「丸」に変える力がある。なり手不足の救世主たちにそう伝えたい。(桑)(佐賀新聞・2025/10/16)

 昨日のコラム「有明抄」に出ている岸田今日子さんの「逸話」をどう読むか、読むことができるか。今ではほとんど忘れられた女優でしょうが、盛んに映画やテレビで活躍されていた場面をぼくはよく見ていたし、彼女の独特の雰囲気に、ある種の魅力を感じてもいました。不思議な存在だった。つまらない話ですが、たった一度だけ、電車の中で彼女を見かけたことがありました。まだまだご健在の頃だったと思う。所属劇団は違っていましたが、先ごろ亡くなられた仲代達矢さん(1932~1925)とほぼ同時期に活躍された人でした。懐かしさが込み上げてきます。

◎ 岸田今日子(きしだ-きょうこ1930-2006 = 昭和後期-平成時代の女優。昭和5年4月29日生まれ。岸田国士(くにお)の次女。岸田衿子(えりこ)の妹。昭和27年文学座にはいり,「狐憑」でデビュー。28年「大つごもり」で映画デビュー。38年テレビドラマ「男嫌い」,39年映画「砂の女」などで人気をあつめ,テレビ,映画,舞台で活躍。テレビアニメ「ムーミン」の声優としても知られた。平成10年「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞。平成18年12月17日死去。76歳。東京出身。自由学園高卒。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

 それはともかく、岸田さんの不登校時代と、彼女が登校できるようになったきっかけに 一人の教師がかかわっていたという話。しかも、彼女は戦時中は長野に疎開しており(昭和21年飯田高等女学校卒)、戦後に上京し、最終的には自由学園高等部を卒業した(昭和24年)と履歴にはありました。だから、このエピソードの出どころは疎開先の長野県飯田にあった小学校時代のものだったかもしれません。(詳細を調べる手間を省きました)この逸話を一読し、ぼくは直感的に「嘘だ」「作り話です」「盛り過ぎだ」と思いました。つまり岸田さんは「天性の役者」の才能を持っていた、と。もちろん、これはぼくの勝手な想像(推測)ですから、「『楽しいことがたくさんあり過ぎて、宿題をする暇がなかったのかな』と笑いかけ、白紙の絵日記に大きく『○』と書いてくれた」先生がいたというのは本当だったかもしれません、いや、そんな教師が「本当にいたかなあ」という気もする。それはどうでもいいことです。その「憧れの先生」と再会したのが「デビュー後」とありますから、舞台女優としての初舞台後のことだったと思います。彼女の父親は岸田國士氏(右写真)で劇作家であると同時に、劇団文学座創設者の一人でした。彼女はそこの研究所を出て初舞台(「キティ颱風」昭和25年)を踏んだとあります。小学校卒業後、数年を経ずしての再会だったでしょうか。

 「デビュー後に再会したとき、『○』をもらった礼を言うと、先生は『?』。『あれは丸じゃないよ、零点』。やはり現実はほろ苦い」とコラム氏は書かれている。履歴によると、彼女は文章もかなりの程度嗜(たしな)まれており、エッセィ集「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞(平成10年)されたとありました。「白紙の絵日記に大きく『○』」と先生が書いてくれた」というところで終わっていれば、この逸話は完成していたと思います。でも、「あれは丸じゃないよ、零点」と教師が岸田さんの「思い込み」を訂正された、その段階で、この「逸話」は別のステージに変ったのだとぼくは思ったりしています。「零」と「〇」を取り違えることは、よくあることなのか、滅多にあるものではないことか。これもまた、岸田今日子さんにしてみれば、どうでもいいことでしょう。「取り違えた」結果、学校へ行けるようになり、先生が好きになったというのですから、めでたしというところで留めておけばいいこと。それにしても、このような物語として「想い出の教師」を語られるというのは、やはり「教師冥利」に尽きることでしょうね。(余計なことながら、「窓際のトットちゃん」にも、この種の逸話が頻出しています。みなさん、役者ですな)

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 教師になりたいと思う若い人が驚くほど少ないという深刻な事態がこの社会を覆っています。高知県だけが特別ではなく、これは全国的な傾向です。「なりたい」職業ではなく、「なりたくない」職種の、あるいは筆頭かもしれません。もちろん、そこにはいろいろな理由が考えられるでしょう。しかし、誰が見ても教師の仕事が「上意下達」に縛られ、際限のない長時間労働に流され、おちおち睡眠も食事も獲れ(摂れ)ないほどの不健康状態に教師たちを追い込んでいることにあるでしょう。どこかの女性首相が、のめり込み勢い込んで口にしたのが「働いて働いて働いて…」でした。つまりは長時間勤務も休日をも、つまりは「プライべーとな時間」を犠牲にするのもいとわないほどの覚悟のない人には無理な職業と言うのでしょうか。こんな働き人の姿を「滅私奉公(Selfless service)」と、その昔は持て囃された。「ワーカホリック(workaholic)」だけが教職に就くということかもしれません。ここでいう「公」とは国家、公けのことしか意味しないでしょう。個人個人の集合体である「社会(society)」の存在する余地はないことになっているのです。

 「《work(仕事)とalcoholic(アルコール中毒)との合成語》家庭や自分の健康をなおざりにしてまで、仕事をやりすぎる状態。また、その人。働きすぎの人。仕事中毒。1970年代に米国の作家オーツによって作られた語」(デジタル大辞泉)(下の書「近衛文麿による「滅私奉公」の揮毫)

 小学校の教員採用、合格者の約6割が辞退 高知県教委、追加選考へ 高知県教育委員会が今年実施した2026年度の小学校教員の採用試験で、合格を通知した260人のうち約6割が辞退した。採用は130人程度を予定しており、不足分を補うため、今月14日に追加で選考を行う。
 県教委によると、1次試験は5月末に高知市と大阪府の会場で実施し、計468人が受験した。辞退者らを見込んで採用予定の2倍の260人を合格とし、9月に通知したが、12月3日までに61.5%にあたる160人が辞退したという。
 現時点では、県外の現職教員や教職を離れている人らを対象とした別の選考の合格者1人を加え、101人の来春採用を見込んでいる。
 追加選考は40人程度の募集枠に対し、56人が応募。今城純子教育長は「予定人数は確保できるのではないか」と期待を語った。
 県では昨年、25年度採用の合格者の約7割が辞退、12月の追加選考などを経て春採用の129人を確保した。24年度採用分でも約7割が辞退していた。
 今城教育長は「教員サポートの取り組みや高知県で教職に就く魅力をしっかり発信することが辞退者を減らす有効な対策だと考えている」と述べ、採用候補者同士の交流会なども開く予定だとした。
 一方、人材確保に向け、県教委は今年度の試験から大学3年生に事実上の内定を出す新たな仕組みを導入。3年の14人を27年度採用の候補者名簿に載せた。(斉藤智子)(高知新聞・2025/12/04)《work(仕事)とalcoholic(アルコール中毒)との合成語》家庭や自分の健康をなおざりにしてまで、仕事をやりすぎる状態。また、その人。働きすぎの人。仕事中毒。1970年代に米国の作家オーツによって作られた語。

 少子化時代、だから学校統廃合が当たり前に進められています。一つの学校が消えるということは、そこで学んだ教師や子どもたちの歴史・経験が、あるいは学校が存在した地域の歴史が消えることを意味しないでしょうか。今時、「二十四の瞳」(松竹、1954年公開)は流行らないかもしれませんが、何でもかんでも「千の瞳」にしなければ始まらないという、法律や組織の論理が幅を利かせて、教師や子どもを窒息させているのではないでしょうか。教師になりたい若者が消えてゆく現実に、為政者も教育経験者も、ぼくに言わせれば「拱手傍観」のだらしなさです。学校教育が壊滅し、同時に高齢者の生命が脅かされている、これは同時進行の出来事(現象)であって、学校教育の閉塞感極まる事態に密接に連携しているのです。教師に「滅私奉公」を強いる社会は、子どもたちにも「社会的存在」になる前に「公に尽くす」心構えを徹底して鍛える。その「公」とは何ですか。そもそもの「公」とは「国」なんかではありませんね。国よりも、もっと大事な個々人の命の尊厳をこそ、教育が最も避けている、その危険な兆候を教職につかない・つきたくない若者は直覚しているのではないでしょうか。

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 次のコラムに「教師冥利」という語が出ていました。その意とするところは「仏・菩薩(ぼさつ)が人知れず与えるる利益(りやく)。知らず知らずの間に神仏から受ける利益や恩恵。また、善行の報いとして受ける幸福。 ある立場にいることによって受ける恩恵。 職業や身分を表す語の下に付けて、それにかけて誓うという意を表す」(デジタル大辞泉)とあります。「教師冥利」とは、この辞書に示されるどの部分にもっとも近いのでしょうか。「恩恵(grace)」と言う言葉が出てきますね。教師冥利に尽きると、教師をして言わしめるためには、「児童・生徒」の存在はとても大切な契機にもなるし、両者の間に、おそらく「冥利」と「感謝」が生まれるのではないでしょうか。

【談話室】▼▽生徒の人生を照らす光となる。鈴木実さんは1958(昭和33)年、荒砥中で教師冥利(みょうり)に尽きる経験をした。新米教師として赴任した白鷹町の中学校でのことだ。生徒は、後の政治ジャーナリスト田勢康弘さんである。
▼▽転勤先の青森県で父が死亡し、田勢さんは中学1年の冬を郷里で過ごす。担任が鈴木さんだった。3カ月後の春、今度は東京に転校する田勢さんに、鈴木さんは文庫本を贈った。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」。神学校で学ぶハンスが周囲の期待や規則に懊悩(おうのう)する名作だ。
▼▽裏表紙に鈴木さんは記した。「ハンスのごとくなるな。ハンスのごとくさせるメカニズムに抵抗せよ」。田勢さんは本紙への寄稿で「僕の人格形成にはもっとも影響を与えた」と恩師に感謝を認(したた)めた。その鈴木さんが93歳で旅立った。本県を代表する児童文学者でもあった。
▼▽個人的な思い出を記せば、読書感想文の課題図書だった鈴木さんの「オイノコは夜明けにほえる」を小学時代に読んだのが出会いである。後には文化担当記者として、ご寄稿の最初の読者になる僥倖(ぎょうこう)に恵まれた。山形文化の豊かな森に若輩者を導いてくれる温かな光だった。(山形新聞・2025/12/17)

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鹿もまた 早苗来ると 道空ける(愚)

【国原譜】鹿もまた 早苗来(きた)ると 道空ける―。奈良公園の鹿でさえも、高市早苗首相の迫力に思わず道を譲ってしまうとのユーモアを交えた川柳だ。 漫画家水木しげるさんゆかりの鳥取県境港観光協会主催の「妖怪川柳コンテスト」が今年で終了する。「AI(人工知能)が作った川柳を人間が考えたものと見分けるのが困難になった」が理由だという。 このニュースを聞き、試しに生成AIに「高市首相と奈良」をテーマに作らせたのが冒頭の川柳だ。素人の筆者には良し悪しは分からないが、それなりの句に思える。 川柳に限らず文学や芸術的な創造はAIの苦手なものとされてきた。しかし、技術発達は目覚ましく、同様の問題は他でも起こるだろう。 ただ、本紙「ニュース川柳」の選者一人は、AI利用をやみくもに禁止するのではなく、好機とすべきだという。読み手の技術向上とともに普及にもつながるからだ。AI活用で実力をつけたとされる藤井聡太六冠が人気の将棋は良い例だろう。 危険性も理解した上で恐れずに楽しむのが、AIとの正しい付き合い方かも知れない。(法)(奈良新聞・2025/12/16)

 時代は確実に変わってゆく。誰彼にもよりよく変わるのではない、その時代の優勢な者たちの意向に沿うように変えられていくというべきかもしれません。だから人心は必ずしも、それにつられるとは限らない。きっと「虜のされるもの」が出る。つまりは河島英五的にいう「時代おくれ」な連中というわけ。ぼくもその中の一人。その昔「歌は世につれ、世は歌につれ」と、歌謡曲も世情も、いわば一蓮托生、相身互い身で、互いが影響し合って(刺激しつつ、刺激されつつ)時を刻んできました。碁や将棋には「定石」「定跡」というものがあります。その「手」がどれだけあろうが、それをすべて頭に入れておけば、その次の一手が即座に打てる・指せるということでしょうか。一面では「AI(人工知能)」は百科事典みたいなもので、ひとりの人間であれば、その内容をわざわざ記憶に止めておいて、いざという時に役立つように使おうとします。「AI」は、人間がいちいち記憶するという手間や暇を省いてくれるので、とても便利に思われているのでしょう。それを常に繰り返していくと、人間の「知能」は空っぽになり、ひたすら「人工知能」に席を譲ることになる。それでもいいではないかという考えも成り立ちます。コンピュータによる制御で、ミサイルや爆弾が敵を滅ぼす作戦にかかりきりになる時、兵士の役割はボタンを押すだけになるのとよく似たような形をとるでしょう。「指先」の命じるがまま、ということです。

 「鹿もまた 早苗来ると 道空ける」は川柳かどうか、俄かには判断できません。作者は「AI」であると聞けば、それなりの反応をするでしょう。けれどもそうでなければ「なかなかの」という評価を受けるかもしれません。いろいろなところで、「人工知能」と「人間知能」が競合し、区別できないとなると、面倒な問題がさまざまな場面で生まれることでしょう。もうすでに始まっています。「SNS」では人工知能が開化・解放状態で、それこそ、人間知能ではとても追いつけないほどの、野放図な「作品群」を生み出しています。問題は、それをどう評価するかということですが、ぼくには、急いで答えを出すことはできません。一例として「裁判における量刑」問題が、今では「人工知能」の助けを借りて行われているといいます。「AI」のメリットでしょう。判例(前例)主義と言うのは、同種の犯罪の過去の事例を参考にして、当該事件の判決が書かれ・下されるということでしょうか。医療診断の場でも同じようなことが生じている。

 「危険性も理解した上で恐れずに楽しむのが、AIとの正しい付き合い方かも知れない」とコラム氏は当たり障りのない主張らしいものを書かれていますが、今はもう、そんな呑気なことを言っておれないほどに「人工知能」が「人間知能」を凌駕しているのですから、問題はさらに深刻だと思うのです。なぜ深刻なのか。モノによってはAIの汎用化が進めば、まるで「バラ色」の世界が生み出されるとみる向きもあります。

 どんな事柄にも「両面性」がある。「自動車」はどうでしょうか。物流の大量・加速化や長距離運行、あるいは生活の足として、いっそう快適な生活のためには不可欠になっている。しかしその反面、エネルギー源である石油の大量消費はさまざまな弊害を環境にもたらし、ひとたび交通事故が起れば大きな被害が発生ます。高速道路や一般道などのインフラ整備等にも莫大な経費を要する。どちらが、トータルとしてメリットがあるかということでしょう。そして、今の段階では否応なしに「人工知能万能」大歓迎の時代直前にあります。

 ぼくには「人工知能万能」は、まるで「原子力発電所・命」のようなところがあると思われます。原発設置やその維持費には莫大な投資が必要です。この党資金は「消費者」から、何時だって回収できる仕組みを作っているのですから、電力会社も経済界も「左うちわ」ですよ。しかし、それを回収して余りあるほどの「電力供給」が可能だというメリットが現段階では強調され過ぎているきらいがあります。福島原発事故で見られたように、いったん爆発事故が生じれば、人間の手では制御できないほどの恐怖と危険性がもたらされ、その解決はけっしてた短時日では終わらない性格のものです。

 「AI」時代が昂進すると、必要以上にその効用(メリット)ばかりが強調され、影の部分は隠されることも多くあるでしょう。今でさえ、人間の感情や性格形成に制御不能な事態を生み出していることも否定できません。人間は社会における経済活動によって生かされてはいますけれど、それだけでは十分に生活を満足させられないのも事実です。これまで、人間の活動によってもたらされていた「精神の安定性」が、「人工知能」に代替されることによって、必要以上に人間・人間性の無力化がもたらされることになるのではないか。

 「生成AI」「人工知能」がもたらす課題は、無数に挙げられています。これからますます開発されてゆく技術でもあるのですから、さらにこれまで以上の課題が生み出されるはずです。まるで「モグラたたき」のような具合に、功罪が飛び交いながらも気が付けば「人工知能」が人間生活を支配するということになるのかもしれません。さらに、時間をかけて、この課題に迫る必要がありそうです。(正直に言えば、ぼくは「人工知能」問題に関わりたくないのですよ。にもかかわらず、否応なしにぼくのような狭い生活圏に生きている人間にも「AI」が大きな顔をしだしています。その顔を見るのはいやですから、間もなく、ぼくは「コンピュータ」とも縁切りをするつもりでいます。マイコンのどこを開いても「AI」が、我が物顔で勢いを増しているのがいやでも目につきます。「Unplug」すれば、一巻の終わりで、それは原発も同じですね。

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お粗末の一言、総理の経済認知水準は

 以下の予算委員会の質疑の模様(產經新聞・2025/12/11)を中継等で観ていて、T首相の「経済」や「経済運営」に対する無知・無理解がこんなひどいものかと、驚くばかり。並みの素人以下です。なんというお粗末な、経済政策の基本中の基本がわかっていないことがあからさまにされていました。それだけでも、この地位から即刻引き下がるべきだと思う。誰も何にも言わないのは、このままで『亡国への道」をいっしょに進もうではないかという「一蓮托生」の心理が災いしているのでしょうか。それとも、国が破綻することなどあるはずもないという「無根拠の安心感」を得たいという一心の現れでしょうか。まるで「対英米戦争」突入時の「神頼み」とそっくりではないですか。国民もメディアも、挙って戦争それ自体を大歓迎したものでした。(「存立危機事態」発言のお粗末もまた、経済無知と軌を一にしている)

 彼女が「師と仰ぐ」故元首相の「アベノミックス」が惨憺たる結果、壊滅的な打撃を日本経済にもたらしたことは犬や猫でもわかろうというのに、さらに新たに「責任ある積極的経済政策」と看板を書き換えて、幻想を振りまき、強い経済を取り戻すと息巻いている。恥の上塗りを世界に知らしめているようなもの。為替(対ドル、対ユーロ)相場の円売り(円安)基調、日本国債10年物(の長期)金利(2.0%直前)、インフレによる水膨れのGDP(Gross Domestic Product)規模の見せ掛けの増大(24年は634兆2260億円)、実質GDPの目に余る縮小(間もなくインドに、イギリスにも抜かれて世界第6位へ)、一人当たりGDPのランキングの止まらない下降傾向(2025年は世界38位)等々。そのほとんどの問題に対して、首相の理解というか正しい認識は無いに等しいにもかかわらず、「日本売りがさらに進めば、いっそう危機を迎える」という指摘に、「私は、日本が成長しなければ危ないと思う」と、頓珍漢な答弁。今現在のこの国に、経済成長の芽がどこにもないほどに寒々しい状況であることには目もくれず、「経済成長すれば、バラ色だ」という、寒中に裸体を強いるような精神論を垂れるだけ。それも、経済の実態を理解しているから、「無根拠の強がり」を口にするのか、それとも足元が震えるほどの恐怖を感じているから、上の空の「答弁」しかできないのか。ぼく如き者でも呆れてものが言えないのですが、そうとばかりも言っておられないので、言いたくはないけれど、ほんの一言だけ。

 いくつかの指標を出しておきます。新内閣発足(2025/10/21)後から、各種の経済指標は怪しい雲行きを示し始めました。にもかかわらず「私の政策だけで、それほどマーケットが大きく大きく反応する、長期にわたって影響が出るということを発信する方が、むしろマーケットに影響を与える気がする」という。これどどの「空恐ろしい無恥・錯誤」こそが国を誤るというほかない。「為替市場の動向についての具体的なコメントは、市場に不測の影響を及ぼす恐れがあることから、差し控える」と一端(いっぱし)のことを言うが、そもそも、総理の姿勢や広言・放言そのものが「市場に不測の影響を及ぼす」ことがあったということですよ。(あるいは、ここにきてやや「自信喪失」の様相がみられるのは、ぼくだけの気のせいか)

 この幼稚な、不勉強内閣を、なお支持するという有権者の無知・無為もまた、驚くべき低水準でしょう。ぼくも無知であることでは人後に落ちないが、今の政治的無為のもたらす状況が「安穏」「安心」「信頼」「希望」などと言う、およそ縋(すが)りたくなる何物も持ち得ない、恐るべき「無鉄砲」「無手勝流」で闊歩している風に見える。この内閣が幸か不幸か、一日長く続くと、より一層はっきりと「破綻(bankruptcy)」の度が深くなることだけは確かです。まるで「後発地震」の発生直後の事態のようでもあります。

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「誇張とまでは言わないが」高市首相、立民・今井氏の為替市場に関する質問に反発 陳謝も 高市早苗首相は10日の衆院予算委員会で、立憲民主党の今井雅人氏と長期金利の上昇や円安傾向について議論した。今井氏が現状を「恐ろしい」と批判したのに対し、首相が「誇張とまでは言わないが、マーケットに影響を与える」と反発する一幕もあった。首相は後に表現について陳謝した。
今井氏は、長期金利上昇は住宅ローンや設備投資の抑制など「マイナスの影響しかない」との認識のもと、「長期金利が高市政権になってから上がっている。危機感を持っているか」と質問した。
首相は「責任ある積極財政」を掲げていることを踏まえ、「私になってから、ということなので、財政政策について言いたいのだと思うが、財政政策のみを取り出して、市場に与える影響を一概に申し上げることは困難だ。市場の動向についてのコメントは、不測の影響を及ぼす恐れがあるので差し控える」と答弁した。
■首相「日本が成長しなければ危ない」
今井氏は、長期金利に影響を与える日本国債の市場価格を巡り、国内では引き受ける余力が乏しく海外投資家の比率が増えていくと説明し、「外国人投資家は利回りも求めるし、これから金利がじわじわ上がり、ボラティリティ(価格の変動率)がものすごく高くなる可能性が高い。だから財政は抑制的にやらないといけない。危機感が足りない」と主張した。
これに対し首相は「私は、日本が成長しなければ危ないと思う」と反論した。「高市内閣の補正予算が原因で不安定な状況が続いていくとか、(今井)委員の言うように、長期金利が上がり続けていくというよりも、これから日本が成長していく、どんなリスクにも強い国になっていく、それによって政府債務残高の対国内総生産(GDP)比率が下がっていく姿を見せる方が大事だ」と強調した。
今井氏は「びっくりした。『そんなことより』だ。金融市場が混乱することより、成長の方が大事だと言った。本当か。成長はもちろん大事だ。でも、金融市場が不安定な、金利が上がったりするより、成長のほうが大事だという感覚か。危ない。少し背筋が凍った」と批判した。円安についても言及。日米の金融政策によって「日米の金利差が縮んでいくことは確実になっているのに円安が進んでいく。恐ろしい」と述べ、首相に見解を求めた。
首相は「為替市場の動向についての具体的なコメントは、市場に不測の影響を及ぼす恐れがあることから、差し控える。為替市場における過度な変動や無秩序な動きについては、必要に応じて適切な対応を取っていく」と述べた。
■今井氏「混乱を招きたいわけではない」
そのうえで、今井氏の発言に反発した。「先ほど『恐ろしい』と言ったが、そのように誇張して、まあ、誇張してとまでは言わないが、私の政策だけで、それほどマーケットが大きく大きく反応する、長期にわたって影響が出るということを発信する方が、むしろマーケットに影響を与える気がする」と述べた。
今井氏は「その言い方はないと思う。いちゃもんをつけたわけではない。言い方を訂正してほしい」と反論した。
首相は「失礼があれば言い方を変える。お互いにこうやって為替や長期金利の話をぎりぎりとやっていくと、それもまた外に向けて発信されていくことになる。そういう心配から申し上げた」と説明。「お気に障ったら申し訳ない」と陳謝した。
今井氏は「私も混乱を招きたいわけではなく、予見できることは防止しなければいけないという観点で質問している。誤解しないでほしい」と引き取った。(產經新聞・2025/12/11)

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「徒然に日乗」(941~947)

〇2025/12/14(日)当地では、予報通り、終日雨が降り、気温は10℃を下回っていた。しかし、思いのほか雨は大降りにはならず、気温も寒くてたまらないほどでもなかった。お昼過ぎに買い物に出かけたが、何時もの茂原のスーパーは何かイベントがあったのか大混雑していて駐車場にすら入れず、別の店に行くことになったほど。▶とにかく、風邪をひかないこと、睡眠を十分にとること、これをしっかり守っていきたい。▶三日前から、黒猫が帰ってこなくなった。たぶん2歳くらいの子。今まで、一度も、夜は外で過ごしたことがない子だから、とても心配。寒さが厳しくなるからなおさらだ。家の周囲は雑木林に覆われており、さまざまな動物の遊び場にもなっている。イノシシ以外に、アライグマやその他、なかなか手ごわい動物もいることだから、襲われていなければいいがと、気にしてはいる。しかし、探すべき範囲が広すぎて手が出ないのが正直なところ。今までも十日ほども帰らなかった子が帰って来たころもあるので、気を確かにして、待つ事にしよう。(947)

〇2025/12/13(土)今冬もっとも寒い一日だったようだ。都心でも10℃に届かない気温が続いた。当地では今にも雨が降りそうで、雨粒らしいものが落ちることもあったが、本格的には今夜半から降るらしい。湿度が異常に低く、カラカラに乾燥している劣島では各地で山火事や街中の住宅火災が方々で発生しているので、今夜からの雨で少しは乾燥状態も終わることになるのだろうか。▶日中関係の先行き不透明状態が続いている。とんでもない発言をした総理は誤りもしなければ取り消しもしないままで、右翼サイドの支持者の意向を伺っているのだろう。根拠のない強がりを言うばかりで、何か得られるものがあるとは思われない。自分の犯したミスを認める前に、エスカレートする中国の反応に意味不明の態度を取り、更には、何よりも、先ず最初にアメリカに伺いを立て、まるで頭をなでてもらいたいような行動にしか出ないのは、困ったこと。それにしても、これほど無知で無能な首相の支持率が7割8割もあるという、有権者たちの、この根拠のない高揚感はどういうことだろうか。当方には信じられないこと。▶「内閣支持、微減59.9% 5割超が補正予算評価―時事通信世論調査 時事通信が5~8日に実施した12月の世論調査によると、高市内閣の支持率は59.9%だった。政権発足直後の支持率として1960年以降で2番目の高さだった11月の調査から3.9ポイント低下した。不支持率は13.6%だった」/支持する人が挙げた理由(複数回答可)は『リーダーシップがある』が26.4%で最多。『首相を信頼する』20.3%、『印象が良い』18.2%、『政策が良い』12.5%などと続いた。支持しない人の理由(同)は『信頼できない』5.3%、『期待が持てない』4.9%などだった」(時事通信・2025/12/11)調査項目の「質問の立て方」はどうだろうか。これもまた「調査」「世論」と言うのだから、何をかいわんや、だ。(946)

〇2025/12/12(金)かなり寒い一日だった。一段と寒さが加わってきたという感じがする。そんな中で、また青森沖で震度4の地震が発生した。有感地震は相当程度続いているが、もっと大きなものが発生する危険性は否定できないという。厳寒のこの時期、被災地の方々には気の毒なことだし、これ以上地震が来ないように祈るほかない。▶「青森県東方沖でM6.5の地震 最大震度4 津波の心配なし 12月12日(金)11時44分頃、北海道と東北地方で最大震度4を観測する地震がありました。・震源地:青森県東方沖・マグニチュード:6.9・震源の深さ:17km 14時05分に北海道太平洋沿岸中部、青森県太平洋沿岸、岩手県、宮城県の津波注意報が解除されました。今後若干の海面変動があるかもしれませんが、被害の心配はありません。」(2025-12-12 14:10 ウェザーニュース)(945)

〇2025/12/11(木)午前中に灯油を購入に(今期は初めて)。ついでに、ガソリンを満タンに。1リッターあたり154円だった。ひところから見れば、十円以上は下がっているが、そもそも高くなっていたのだから、はたして年末に停止される暫定税率廃止分がいったいどれくらい下がるのか、大いに心もとない。すべてが増税基調のT 内閣政治だ。ますます財政破綻の方向に邁進しているが、それに拍車をかけているのが「積極的経済政策」だろう。高物価(インフレ)をそのままに、軍事費予算を更に高めるように米国から要請され、その前に3%までは約束している事態が明らかに(国会審議前の段階だ)。そしてアメリカの国防長官は「GDP比5%」を要求してきた。現在の規模からいえば総額30兆円になる。気が狂っているとしか思われな、こんな内閣だ。中国のレーダー照射問題でも、支離滅裂な説明に終始している防衛大臣。まず自らの知能水準をもっとあげるべきではないだろうか。無知無能な総理が、さらに無能な議員を防衛大臣に任命して、そろって国を売り渡すのだろうか、どこに?米・中に、だ。(944)

〇2025/12/10(水)午前中に近所の薬屋(万屋も兼ねている)で胃腸薬と天然水(2㍑×6)✖10箱、などを購入する。冬場になったせいもあり、天然水の消費量が上がっているかもしれない。その近くにあるHCで、いつも通りの猫のドライフードを購入。帰宅してしばらくすると、宅急便の荷物が届く。今回新たに求めた猫缶の通販である。いつも行くHCでは品薄状態が続いていたが(本社の商品仕入れの計画によるらしい)、この通販業者は製造会社の直販でもあるようなので、必要な分量は好きなだけ入る。宅配業者には申し訳ないことだが、わざわざ出かけて行って買う必要がなくなっただけ、大助かりである。▶昨日深更の北海道三陸沖地震、明けてみれば、思いのほか被害が多く出たようだ。地震の規模の凄さがわかろうというもの。まだまだ油断はできないようだ。(943)

〇2025/12/09(火)午前10時前に車検前の検査(見積金額の算定)。いつもの車検工場に。約30~40分で済む。登録十年になるし、走行距離もおよそ9万キロ超なので、それなりの金額が出た。本番は来年1月末。その車検の予約をしてきた。(942)

〇2025/12/08(月)午後に陽射しが出ていたが、朝夕はかなり寒い日だった。本格的冬場という天気が続く。さらに予報は厳しくなりつつある。▶終日、自宅内に。油断すると、直ちに体調不良がぶり返しようそうに感じている。▶日中関係では、中国はさらに攻勢をかけて自衛隊機へのレーダー照射を。断固として抗議」を出せない状況が続いているし、レアアースの中国からの輸出が滞りつつあることが報じられている。一本足打法の「自動車産業」は、仮に輸出遅滞が決定的になると潰滅的打撃を受けることは不可避だ。政府は積極的経済政策を打っているようだが、さて、その内容には「金を配る」こと以外で何があるのか。軍事(軍需)産業を元気づけるための武器生産とそれの輸出もまた、言うところの積極的経済政策なのだろうか。それにしても、この、ある面では相当な「国難」ともいわれる時期に、この政府と総理大臣が…、よりによって、と言いたくなるような無知無能ぶりには目も口も覆いたくなる。(941)

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「自分ファースト という 貧しさ」

⁂「週のはじめに愚考する」(九拾八)~ ただ今、午前6時過ぎ。夜来の雨が降り続いています。昨日は強風が吹吹き荒れ、枯れ枝や木の葉が辺り一面に散乱しています。昨日の裡に掃除をやろうと思っていたのに、夜になってしまい、そのままに、雨の朝を迎えたという次第です。あれをしようとか、これをやろうと思うのですが、体や気持ちが動かないのが悔しいですね。ぼくは他人から「物臭だな」としばしばいわれてきました。面倒くさがること、あるいは不精と言うことでしょう。それは否定しません。モットーとしては「今日できることは明日もできる」と言い続けていましたからね。もちろん、他人を出し抜こうという魂胆は皆無で、「成績で一番」など、それこそ「いつも無精者でいたいな」というモットーに反しました。競争も嫌だった。勝ち負けを強いられれば、ぼくは、きっと負ける側にいることにしていました。

 (ヘッダー写真・お寺の掲示板大賞2021・https://x.com/matsuzakichikai/status/1442509203877208065/photo/1

 何よりも大事にしたいのは「無理をしない」、と言う姿勢(思想)でした。以下に引用した「朝の詩」、「人生」と言うタイトルで、この方も、ややニュアンスは異なりますが、無理をしない生き方を心掛けておられるように思われます。この「詩」の中に「頑張らないように/頑張る事が大切」と書かれています。この「頑張る」という言葉ほど、ぼくは嫌いな言葉はありません。いつからそうなのかわかりませんが、ずっと小さい時からそうだったのではなかったか。ある時期、国語教師のO さんから伺ったことがあります。「頑張る」は「我を張る」と言うことで、たとえば「扉の前であなたが頑張っているから、みんな迷惑するんです」と言う使い方が主であって、ある時期までは、特に女性は使わないように育てられたほどと、そんな話を聞かされたことがあります。「お前が頑張るから、みんなが迷惑する」、大変なニュアンスの言葉だと身に染みました。

 教師の真似事をしていた時代、驚くほど多くの学生諸君が「頑張ります」と言うのを耳にして、ぼくはほとほと食傷し、閉口した。「何をそんなに頑張るんです?」と、繰り返し聴いたものでした。恐らく、口にする方は、口癖になっていて、所かまわず「頑張るんだ」「頑張ります」と言ってしまったのかもしれません。そのつど、お節介でしたが、ぼくは「頑張らないマンです」と応答していました。「我を張る」と言うのは、余りにも美しくありませんからね。「働いて働いて働いて…」なども、「私はこれだけ頑張っていますよ」と見せびらかしているわけですね。少しは「頑張るのをやめてほしい。ロクなことにならないから」と、ぼくは言い続けます。 

 なんだか、この駄文集録も「ことばコンテスト」続き(三日連続)みたいになってきましたが、これも毎年行われているのでしょうか、「お寺の掲示板大賞」(公益財団法人仏教伝道協会主催・https://www.bdk.or.jp/kagayake2025/)という催事があります。ぼくは熱心ではありませんが、たまに覗くこともあります。25年度の「大賞」は「自分ファースト という 貧しさ」という「標語」でした。仰せの通りじゃないでしょうか。近年はやたらに「~ファースト」が目に付きます。どういうことでしょうか。声高に自分を売り込まなければ、「自分」が沈没したままであるという危機感からなのかもしれません。この句は、この社会では、総理大臣をはじめ、政府を挙げて「自分ファースト」の大流行です。他国もご同様で、まことにうるさく、かつ鬱陶しいことですよ。ここまでくると、重篤な難病罹患といってもいいかも知れません。世界の指導者が罹患している、ある種の「流行病(epidemic disease)」でもあるのでしょう。

 ところが「心の貧しい者は幸いである」と、またキリスト教は余計なことを言っていますね。「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」(「山上の垂訓」・マタイの福音書5章3節)ところがです、気を付けなければならないのは「心も貧しい者」と言われる真意ですね。ぼくのように「懐も貧しい者」ではなく、「心の貧しい者」とは、完璧な弱さから抜け出ることのできない人間の「ありのまま」のことであって、そのような人々は、キリストの教えでは「神に頼る(祈る)ほかない人々」と言うことになるのでしょう。「心の貧しい者である、この私をお許しください」と、自分の弱さを知っている人こそ、信仰に生きるほかないという自覚を持つから「幸いである」とされるのでしょう。その反対はどうでしょうか。自分は強いもの、自分は他人よりも優れている者と思い込んでいる人間は、真摯に神の前で額(ぬか)づくことができないでしょう。「パリサイ(ファリサイ人)人と税金取り(徴税人)」(ルカ18:9-14)の逸話を思い起こせば足ります。「だれでも高ぶる者はたかくされ、へりくだる者は低くされる」と言う、アンチキリスト者があまりにも多すぎて、ぼくにはじつに醜悪な世界と見えてしまいます。

 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカによる福音書 18:9-14 新共同訳)

 自分には欠けたところがあるという自覚、自分には他者を羨むという心の貧しさがあるという自己把握、そんなことは誰にでもできるものではないことは、ぼくのようなつまらない人間でも嫌になるほど経験してきました。他者(世間)の評価を求める衝動というものが、どんなに自分自身を迷わせ、狂わせたか、今考えて汗顔の至りです。「本日のヘッダー写真」にも、「汝自身を知れ」と言う言葉が書かれていると読めます。「自分は正しい」という、迷妄に取りつかれてしまえば、あるいは怖いものはないのでしょうが、それこそ「もっとも心の貧しい者」と言うことになるようですね。「自分は強い」と思い込むのは、何によってでしょうか。これができる、あれもできる、そんな成果や達成主義に毒されていないかどうか、ぼくたちはいつだって吟味しなければなないのでしょう。「身の程を知る」と言うことの大切さです。

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「動物愛護」は熊には及ばないのか

【有明抄】今年の漢字 若い頃に読んだ「銀牙―流れ星銀」という漫画は、主人公のマタギ犬が仲間の犬とともに巨大熊に立ち向かう物語。その熊は体長約10メートル。漫画でも恐ろしかった◆きのう発表された「今年の漢字」は「熊」だった。確かに「熊被害」が過去最悪のペースで起きた。人命を守るため、10月には仙台市で緊急銃猟が初めて実施された。一連のニュースで印象に残ったのは重さ300キロの箱わなをひっくり返す熊。漫画の中だけと思っていた巨大熊が実在したのである。この数カ月は民家の柿の木に堂々と居座る熊など驚くニュースばかり。12月に入ってからも熊の目撃情報が相次いだ◆今回で30年となる「今年の漢字」で熊が選ばれたのは初めて。「熊猫」と書くパンダが中国に返還され、来年2月には日本からパンダがいなくなることも理由の一つだろう◆世界に生息する熊は8種類。日本にはヒグマとツキノワグマが人間より早く生息していた。熊の領域に踏み入り、生活圏を拡大してきたのは人間の方。人間の都合で乱獲を続けた結果、絶滅した動物は多い。ホッキョクグマも絶滅危惧種に指定されている◆人口減などで山の手入れがおろそかになり、今は熊の方が生活圏を拡大しようとしているのかもしれない。それぞれの命に意味がある。熊が冬眠する間に共存の道を改めて考えたい。(義)(佐賀新聞・2025/12/13)

 「日本に生息する2種のクマ、ツキノワグマとヒグマについて 日本国内には、北海道に生息するヒグマ(亜種としてのエゾヒグマ)と、本州以南に生息するツキノワグマ(亜種としてのニホンツキノワグマ)の2種類のクマがいます。/環境省が2000~2003年度に行なった調査によると、北海道の約55%の地域にヒグマが、本州の約45%の地域にはツキノワグマが生息しています。つまり日本の国土の半分の面積には、クマが生息していることになります」(WWF・2012/01/17)(https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/2407.html

 昨日は「新語・流行語大賞」という催事について、埒もないことを喋りました。一年間で、いろいろな意味で注目を浴びた、あるいは話題になった「言葉」「表現」という点では、「今年の漢字一字」選び(日本漢字能力検定協会のキャンペーン)も、同じような行事と言うことで、ぼくにはどうでもいいことではあります。ただ、選ばれた「ことば(漢字)」によっては見逃せない問題であったり、傍観していてはいけない事態であったりするという意味で、「熊」と言う漢字が選ばれたことは、この社会の動物との「共生(共棲)」というか、動物愛護という観点では、深く考えなければならない課題を含んでいるとぼくには思われました。

 (この「日本漢字能力検定協会(公益財団法人)」という組織は「鵺(ぬえ)」みたいな組織でしたね。「漢検協会背任事件 2009年1月、日本漢字能力検定協会が公益法人には認められていない多額の利益を上げていたことが発覚。大久保昇(おおくぼ・のぼる)元理事長らが役員を務める親族企業との不透明な取引も判明、文部科学省が立ち入り検査した。元理事長父子は09年6月、親族企業2社との架空取引で協会に損害を与えたとして背任罪で起訴され、14年に懲役2年6月の実刑判決が確定している」(共同通信ニュース用語解説)これほどの問題が発覚しましたが、更に健在で、いわゆる「漢検」人気に支えられて、大いに事業規模を拡大してきた法人でした。またこの漢検協会がなぜ「清水寺」と組むのか、裏にはいろいろあるようですが、今は触れません。

 さて、今年の漢字の「熊」です。人間の生活圏に熊が下りてきたと言われているのですが、果たしてどうでしょうか。「アーバンベア」などと気楽な命名をしているのも、ぼくには大いに気に食わないことです。不満ですね。現象の背後には必ず原因や理由があるはず。そして、もちろん「熊の出没」は今に始まったことでもなさそうですのに、人間が被害を受けたからと、「猟銃」を持ち出すのも「大人気(おとなげ)ない」というか「人間気ない」のではないかと思う。人間の生活圏に現れたら、即殺害という心ない業の一方で、犬・猫の「殺害」には動物虐待として、あるいは動物愛護に照らして、当該者は「処分」される。矛盾していると言えば言えます。もちろん、現在のような危機的状況に際しては「緊急避難」として「殺害止む無し」と言う一面は否定しません。しかし、それを、根本の方策を取りえないままで、続けると、最後は絶滅にまで至るということになるでしょう。

 当方の居住地では猪が多く見られます。自宅の敷地内を荒らしたりします。これまでも繰り返しそういう事態に遭遇しましたが、どこにも連絡しないことにしています。近所や街中に猪が見られたといって、テレビや新聞が報道します。ぼくに言わせれば、そんなことは当たり前で、イノシシは先住動物で、人間がその生活圏を奪ってきたということになるけれども、それにはいささかの顧慮も払われません。なぜ、熊が都市部や人間の生活圏に多く出回るようになったか、いろいろな人の意見を聞くが、どうも説明が一貫していないように思われる。「熊は冬眠動物」と言うのも、はたしてそうだろうかという疑問さえ湧いてきます。食料があるうちは「冬眠する」必要はないのでしょうから、熊に特有であろう「冬眠の機能」も考え直さねばならないのかもしれません。

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◎ 冬眠(とうみん)= 動物が活動をほとんど停止したまま冬を越すこと。夏眠に対する語。多くの陸生変温動物と一部の恒温動物でみられる。カエル、イモリなどの両生類やヒビ、トカゲ、カメなどの爬虫(はちゅう)類は、地中、石や倒木の下、水底の泥中などの温度があまり下がらない所へ移動し、環境温度の低下にしたがって体温が低下して冬眠に入る(ただし、夏に低温にさらしても冬眠状態にならない)。冬眠する爬虫類では、冬眠前に摂食をやめる。目覚めは受動的に暖められることでおこる(カエル型冬眠)。コウモリ類、ヤマネ、ハリネズミなどの哺乳(ほにゅう)類は、洞穴や樹洞や地中で冬眠し、体温は0℃近くまで下がるが、ある限度以下にはならない。コウモリでは環境温度が零下2℃、ヤマネでは零下7℃以下になると、体温は逆に上昇して冬眠から覚める。このように熱調節は行われていて、いわばサーモスタットの温度調節の目盛りを低くあわせたようになっている。この型(コウモリ型冬眠)を真の冬眠とする場合がある。クマは斜面に土穴を掘って冬ごもりをするが、体温低下はわずかで眠りも浅く、すこしの刺激で目覚める(クマ型冬眠)。鳥類では北アメリカのチビアメリカヨタカが例外的に冬眠する。節足動物ではカエル型の冬眠をするものと、休眠という特殊な状態で冬眠するものがある。冬眠中は体温、酸素消費、呼吸速度が低下して、代謝活動が低くなっており、エネルギー消費の節約になっている。寒さと食物不足という不利な冬の時期を生き延びるための仕組みと考えられる。(日本大百科全書ニッポニカ)

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 今年の漢字一字は「熊」でしたと、ほんの一瞬(数分か数時間)は話題になるが、時の経過と共に即座に忘れられる。しかし熊(などの動物)との格闘に直面している人々は一瞬も安閑とはしておれないのです。これぞ「正解」と言う名案があるかどうか、ぼくにはわかりませんが、少なくとも熊は人間よりはるかに古くから地上に生存してきました(一説では2000万年前から)。地球(地上ばかりか、地下も空中も)は人間のものだ、邪魔だてする奴は許さないぞと言わぬばかりの「傍若無人」ぶり、その粗悪な振る舞いこそが、いろいろな面で、今日、反撃を受けているのではないですか。犬猫は動物愛護の対象にしてやるけれど、熊は獰猛すぎる奴だから、愛護なんかできはしないというのですか。それにしては、なんともお手軽な「愛護」だこと。

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「クマの系統は、約2000万年前に食肉類から分化したと推定されています。/食肉類とは、ライオンやトラなどの大型のネコ科動物などを含めた動物のグループで、その多くが他の動物を襲って食べる肉食動物です。クマもそうした動物と共通の特徴である、発達した犬歯と、鋭いかぎ爪を持ちます。/一方、分化したクマの祖先は、植物を含めたさまざまな食物を食べるようになりました。このクマの祖先が「雑食化」の道をたどったことで、その後、クマ類は世界のさまざまな環境に対応し、生息域を広げていきました。現在、世界には8種のクマがいます。/日本国内には、北海道に生息するヒグマ(亜種としてのエゾヒグマ)と、本州以南に生息するツキノワグマ(亜種としてのニホンツキノワグマ)の2種類のクマがいます。/環境省が2000~2003年度に行なった調査によると、北海道の約55%の地域にヒグマが、本州の約45%の地域にはツキノワグマが生息しています。つまり日本の国土の半分の面積には、クマが生息していることになります」「広範囲にわたって移動するクマですから、その行動圏に人間の生活圏(街や農地など)が入っていることも少なくありません。人間とクマの共生を考えるとき、広い行動域を持つクマの特性を十分に考慮する必要があるでしょう」(地図の出典:日本クマネットワーク小冊子「クマの保全と生物多様性」より)(前掲・WWF・2012/01/17)

◎ 動物愛護法= 動物虐待や遺棄を防ぐことなどが目的。1973年に「動物保護法」として議員立法で制定され、99年に現在の名称の「動物愛護法」に変わった。その後も改正が繰り返され、2019年成立の改正法では/(1)/動物虐待の罰則強化/(2)/子犬子猫の販売規制強化/(3)/マイクロチップ装着の義務化―の段階的施行が定められた。今年6月施行の販売規制では、生後49日超の販売を認める付則を削除し、生後56日以下の販売を禁止に。例外として、日本犬6種(柴犬、紀州犬、四国犬、甲斐犬、北海道犬、秋田犬)については飼い主がブリーダーから直接買うため衝動買いにつながりにくいなどとして、従来通り付則が適用される。更新日:2021年4月28日(共同通信ニュース用語解説)

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「働・働・働・働・働」という価値観

 全く個人の趣味の問題として、ぼくは「賞」というものは、どんなものにせよ、死ぬほど嫌いです。もちろん、こんな人間でも就学期間中に、意味も分からずに何かと「賞」らしいものを貰ったことがあったが、それを拒否しなかったのは、少年時代といいながら、我が人生の汚点だと考えていました。それ以降、心して、「賞」に近づかないように心構えを明らかにしてきたつもりでした。ところが、その後、25歳ころに自分から好き好んで「お池にはまってさあ大変」という事態を招いたことが、たった一度だったが、ある。音楽好きが嵩じて、ある出版社の懸賞に応募したのだ。詳しいことは略しますが、その結果が半年ほど後に公表された、そのことをすっかり忘れていたのを先輩から知らされ、ぼくは赤面の至りと、実に恥ずかしい想いに襲われた。それ以降、金輪際、汚点は増やさないと覚悟を決めたものでした。 

(ヘッダー写真・高市首相の「働いて働いて…」発言の流行語大賞選出に過労死遺族らが抗議の画像:弁護士JPニュース・https://news.nifty.com/article/item/neta/12382-4769522/photo/

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 なぜ「賞」が嫌いか。理由はきわめて単純。「賞」を授ける側の商売のネタになっているからです。その反対に、偶然であれ何であれ、受ける側そうはいっても、倣い性(癖)になり、賞を取るために何かをするという、奇怪な動機で物事を始めるということになる、その根性がぼくには厭うべものと思われるからです。もらえないのなら、やらないとなりませんか。「金メダル」のために人生を懸けるというのは、あくまでも、ぼくには最悪の選択になる。そんなものは自分は嫌いだが、他者が受賞されることには批判も避難も賛同もしない。この「新語・流行語大賞」と言う年中行事があることは知ってはいましたが、まったく興味はないし、流行語と言うのは、一陣の「疾風」、あるいは俄(にわ)か雨のようなもので、止んでしまえば、降ったことも吹いたこともすっかり忘れるのがオチです。そんなものにあれこれいちゃもんをつけてどうするといわれそうですが、今回の「働いてまいります」という女性政治家の物言いには、率直に言うなら、反吐が出る。「働いて…」を口にしたものも、それを「顕彰」したもの両者ともに対して、反吐が出る。仮に「働いて働いて…」が、自分の覚悟のほどのものだったら、公衆の面前で、これ見よがしに言うべき言葉ではなかったと思う。このような自己中心(self-centered)、他者への思いやりがない人間性こそが最悪の人種(言うまでもなく、政治家としても)だと、ぼくは思っている。

 早速に、「過労死の遺族」の方々が「抗議の声」をあげられたのは当たり前の話。「医師の過労死家族会」共同代表の中原さんの発言。「高市首相が自民党総裁選出後の所属議員向けあいさつで『馬車馬のように働いてもらう』と発言したことについて、夫が生前に残した『馬車馬のように働かされて、病院に殺される』との言葉を思い出し『怒りに震えた』と訴えた」と。この女性政治家の物言いは、ぼくが常々いう「心ない仕業」というものの典型的な事例でしょう。「(受賞に対しては)驚愕した。遺族には最大の侮辱で、深く傷ついている」と語られている。「働いて働いて」という当人の「覚悟」のほどを密かに心中に抱くことは構わないでしょうが、いかにも見せびらかすように「勤勉ぶり」を振りまくのは、実は「自己宣伝」そのものであって、他者への思い遣り(惻隠の情・compassion)」の決定的欠如を表明しているに過ぎないでしょう。この発言自体が由々しいものでしたが、それを持ち上げ、誉めそやし、必要以上に「当人を買いかぶる」顕彰団体は、もっと卑しい、恥ずかしい存在というべきでしょう。このような「ことば」を流行語にしないようにと言う「他山の石」の思いを語るならいざ知らず、先陣を切って、もっと働け、国民の皆さんと言いそうな勢いで、大燥(おおはしゃ)ぎです。自滅寸前(気息奄々)のこの国の息の根を止めたいのでしょうか。「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」と、ファンファーレを吹きならすことに大きな喜びを抱いているのです。

 言うまでもないことですけれど、この政治家のもっとも尊重すべき人生の価値は「一日に何時間働けるか」と言うところにしか見出していていないということです。翻って、「まったく働けない存在」そのものをいささかも認めないということをあからさまに示していないでしょうか。「馬車馬のように」という表現に、ぼくは勤勉や誠実さというものを微塵も認めることはできない。働いて、働いて、国を更に今以上に壊すことだけは御免蒙(こうむ)りたいものです。

 「亡国の道」に、各位・各自挙(こぞ)って一直線…、という悍(おぞ)ましい風景を、ぼくはこれ以上は見たくないですね。

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テサロニケの信徒への手紙二3章6節~18節 (3:6兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。 (3:7)あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。 (3:8)また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。 (3:9 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。(3:10)実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。 (3:11)ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。 (3:12)そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。(3:13)そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。 (3:14)もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。 (3:15) しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。(3:16)どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。 (3:17)わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印です。わたしはこのように書きます。 (3:18) わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。(羽生栄光協会・https://www.rcj.gr.jp/hanyueikou/message/bible.php?id=53

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 首相発言の年間大賞受賞に抗議 過労死の遺族「悲痛な声知って」 市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」との発言が「現代用語の基礎知識選 2025T&D保険グループ新語・流行語大賞」の年間大賞に選ばれたことを受け、過労死遺族らが11日、東京都内で記者会見し、受賞で多くの過労死遺族が傷ついたとして「悲痛な声があることを知ってほしい」と抗議の声を上げた。/小児科医の夫を亡くした「医師の過労死家族会」の中原のり子共同代表(69)(左写真)は、高市首相が自民党総裁選出後の所属議員向けあいさつで「馬車馬のように働いてもらう」と発言したことについて、夫が生前に残した「馬車馬のように働かされて、病院に殺される」との言葉を思い出し「怒りに震えた」と訴えた。受賞に対しては「驚愕した。遺族には最大の侮辱で、深く傷ついている」と批判した。/会見では、受賞に対する過労死遺族らのコメントが紹介され「命を落とす危険もある働き方を称賛するように見え、違和感がある」「怒り心頭で許すことができない。撤回を求めたい」「過労で亡くなった人に対する冒涜」との言葉が並んだ。(共同通信・2025/12/11)

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 高市首相の「働いて」×5 本音のコラム+>前川喜平(現代教育行政研究会代表)
 今年の新語・流行語大賞に「古古古米」や「トランプ関税」を差し置いて高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれた。誰がどう選んだのか知らないが「忖度(そんたく)」の腐臭がぷんぷんする。テレビは高市氏の受賞場面をこぞって報じ、高市人気の向上に貢献した。政権発足から約50日。首相にはもちろん働いてもらわなければならないが、問題は彼女が誰のために働いているのかだ。
 (授賞式で選考委員のやくみつるさんから直筆イラストを受け取り笑顔の高市早苗首相=1日、東京都内で)(右写真)
 第一に、高市首相はアメリカのためによく働いている。アメリカの望み通り防衛費をGDPの2%に押し上げ、アメリカ製兵器を大量に買うことでトランプ大統領から感謝された。わざわざ米軍空母にまで同行してはしゃいで見せたりもした。台湾有事発言ではアメリカを心配させたが、トランプ大統領から電話で釘(くぎ)を刺されたので、しばらくは口を慎むだろう。
 第二に、高市首相は大企業のためによく働いている。円安を放置して輸出企業の増益に貢献し、国債頼みの超大型補正予算で株価を支える。労働時間規制は経営側に都合よく緩和しようとする。武器輸出を解禁して軍事産業を儲(もう)けさせようとする。大企業優先の政策の見返りは、もちろん企業・団体献金だ。
 第三に、高市首相は極右勢力のためによく働いている。彼らは彼女を自民党総裁に押し上げた支持母体だ。選択的夫婦別姓や同性婚には絶対反対。女系天皇も絶対阻止。何事も日本人優先だから、外国人学校や定住が見込まれない外国人生徒は高校無償化から排除する。歴史への反省はなく、加害を非難する近隣諸国を敵視する。台湾有事発言は意地でも撤回しない。最終目標は、大日本帝国に回帰する憲法改正と軍事大国化だろう。
 第四に、高市首相は裏金議員のためによく働いている。萩生田光一氏を幹事長代行に任命して完全復活させ、岸田・石破両内閣では起用を見送った裏金議員たちを、選挙で「有権者から認めていただいた」と言って副大臣や政務官に任命した。選挙を経ずに官房副長官に任命した佐藤啓参院議員については「再起の機会を与えてもらいたい」と開き直った。裏金還流の再開を要求したのが下村博文氏だったという新証言が出ても、裏金問題の真相解明には動かない。
 第五に、高市首相は自分自身のためにもよく働いている。高市氏の政治資金団体「新時代政策研究会」には昨年約2億円もの収入があり、そこから8000万円を超える額を自民党総裁選の告示直前から選挙期間中にかけて宣伝事業費として支出していた。高市氏が代表を務める自民党支部が昨年都内の企業から上限を超える1000万円の寄付を受け取っていたことも発覚した。党首討論で企業・団体献金の問題を「そんなことより」と議員定数削減の問題にすり替えたのは、これからも企業・団体献金で稼ぎたいからではないか?
 高市首相は、アメリカのために働いて、大企業のために働いて、極右勢力のために働いて、裏金議員のために働いて、自分自身のために働いているようだ。そんなことなら働いてくれない方がいい。(東京新聞・2025/12/08)

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