【有明抄】憧れの先生 女優の岸田今日子さんは幼いころ、学校に行けない時期があった。母親に説得されて、いやいや2学期から登校した。夏休みの宿題も絵日記も手つかずだった◆そのまま提出すると、先生は「楽しいことがたくさんあり過ぎて、宿題をする暇がなかったのかな」と笑いかけ、白紙の絵日記に大きく「○」と書いてくれた。岸田さんはいっぺんに先生のことが好きになり、学校に通うのが苦にならなくなったという◆教師の存在が学校を楽しくする。おととい佐賀市の少年の主張大会を聞いた。「夢は先生」と語る小中学生が例年以上に目立った。勉強のつまずきや友達との悩みに、いつもやさしいアドバイスで教室を明るくしてくれる。そんな大人のうしろ姿にあこがれるのだろう◆一方で、夢を壊すような現実もある。書類作りや部活指導などに追われ、教師の勤務時間は世界最長という。多様な子どもの可能性を引き出す細やかな指導、保護者のクレーム対応…。AI(人工知能)に置き換えられない仕事だけに悩みも深い◆岸田さんの思い出には続きがある。デビュー後に再会したとき、「○」をもらった礼を言うと、先生は「?」。「あれは丸じゃないよ、零点」。やはり現実はほろ苦い。それでも教育には「ゼロ」をいつか大きな「丸」に変える力がある。なり手不足の救世主たちにそう伝えたい。(桑)(佐賀新聞・2025/10/16)

昨日のコラム「有明抄」に出ている岸田今日子さんの「逸話」をどう読むか、読むことができるか。今ではほとんど忘れられた女優でしょうが、盛んに映画やテレビで活躍されていた場面をぼくはよく見ていたし、彼女の独特の雰囲気に、ある種の魅力を感じてもいました。不思議な存在だった。つまらない話ですが、たった一度だけ、電車の中で彼女を見かけたことがありました。まだまだご健在の頃だったと思う。所属劇団は違っていましたが、先ごろ亡くなられた仲代達矢さん(1932~1925)とほぼ同時期に活躍された人でした。懐かしさが込み上げてきます。
◎ 岸田今日子(きしだ-きょうこ)1930-2006 = 昭和後期-平成時代の女優。昭和5年4月29日生まれ。岸田国士(くにお)の次女。岸田衿子(えりこ)の妹。昭和27年文学座にはいり,「狐憑」でデビュー。28年「大つごもり」で映画デビュー。38年テレビドラマ「男嫌い」,39年映画「砂の女」などで人気をあつめ,テレビ,映画,舞台で活躍。テレビアニメ「ムーミン」の声優としても知られた。平成10年「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞。平成18年12月17日死去。76歳。東京出身。自由学園高卒。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

それはともかく、岸田さんの不登校時代と、彼女が登校できるようになったきっかけに 一人の教師がかかわっていたという話。しかも、彼女は戦時中は長野に疎開しており(昭和21年飯田高等女学校卒)、戦後に上京し、最終的には自由学園高等部を卒業した(昭和24年)と履歴にはありました。だから、このエピソードの出どころは疎開先の長野県飯田にあった小学校時代のものだったかもしれません。(詳細を調べる手間を省きました)この逸話を一読し、ぼくは直感的に「嘘だ」「作り話です」「盛り過ぎだ」と思いました。つまり岸田さんは「天性の役者」の才能を持っていた、と。もちろん、これはぼくの勝手な想像(推測)ですから、「『楽しいことがたくさんあり過ぎて、宿題をする暇がなかったのかな』と笑いかけ、白紙の絵日記に大きく『○』と書いてくれた」先生がいたというのは本当だったかもしれません、いや、そんな教師が「本当にいたかなあ」という気もする。それはどうでもいいことです。その「憧れの先生」と再会したのが「デビュー後」とありますから、舞台女優としての初舞台後のことだったと思います。彼女の父親は岸田國士氏(右写真)で劇作家であると同時に、劇団文学座創設者の一人でした。彼女はそこの研究所を出て初舞台(「キティ颱風」昭和25年)を踏んだとあります。小学校卒業後、数年を経ずしての再会だったでしょうか。

「デビュー後に再会したとき、『○』をもらった礼を言うと、先生は『?』。『あれは丸じゃないよ、零点』。やはり現実はほろ苦い」とコラム氏は書かれている。履歴によると、彼女は文章もかなりの程度嗜(たしな)まれており、エッセィ集「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞(平成10年)されたとありました。「白紙の絵日記に大きく『○』」と先生が書いてくれた」というところで終わっていれば、この逸話は完成していたと思います。でも、「あれは丸じゃないよ、零点」と教師が岸田さんの「思い込み」を訂正された、その段階で、この「逸話」は別のステージに変ったのだとぼくは思ったりしています。「零」と「〇」を取り違えることは、よくあることなのか、滅多にあるものではないことか。これもまた、岸田今日子さんにしてみれば、どうでもいいことでしょう。「取り違えた」結果、学校へ行けるようになり、先生が好きになったというのですから、めでたしというところで留めておけばいいこと。それにしても、このような物語として「想い出の教師」を語られるというのは、やはり「教師冥利」に尽きることでしょうね。(余計なことながら、「窓際のトットちゃん」にも、この種の逸話が頻出しています。みなさん、役者ですな)
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教師になりたいと思う若い人が驚くほど少ないという深刻な事態がこの社会を覆っています。高知県だけが特別ではなく、これは全国的な傾向です。「なりたい」職業ではなく、「なりたくない」職種の、あるいは筆頭かもしれません。もちろん、そこにはいろいろな理由が考えられるでしょう。しかし、誰が見ても教師の仕事が「上意下達」に縛られ、際限のない長時間労働に流され、おちおち睡眠も食事も獲れ(摂れ)ないほどの不健康状態に教師たちを追い込んでいることにあるでしょう。どこかの女性首相が、のめり込み勢い込んで口にしたのが「働いて働いて働いて…」でした。つまりは長時間勤務も休日をも、つまりは「プライべーとな時間」を犠牲にするのもいとわないほどの覚悟のない人には無理な職業と言うのでしょうか。こんな働き人の姿を「滅私奉公(Selfless service)」と、その昔は持て囃された。「ワーカホリック(workaholic)」だけが教職に就くということかもしれません。ここでいう「公」とは国家、公けのことしか意味しないでしょう。個人個人の集合体である「社会(society)」の存在する余地はないことになっているのです。
「《work(仕事)とalcoholic(アルコール中毒)との合成語》家庭や自分の健康をなおざりにしてまで、仕事をやりすぎる状態。また、その人。働きすぎの人。仕事中毒。1970年代に米国の作家オーツによって作られた語」(デジタル大辞泉)(下の書「近衛文麿による「滅私奉公」の揮毫)

小学校の教員採用、合格者の約6割が辞退 高知県教委、追加選考へ 高知県教育委員会が今年実施した2026年度の小学校教員の採用試験で、合格を通知した260人のうち約6割が辞退した。採用は130人程度を予定しており、不足分を補うため、今月14日に追加で選考を行う。
県教委によると、1次試験は5月末に高知市と大阪府の会場で実施し、計468人が受験した。辞退者らを見込んで採用予定の2倍の260人を合格とし、9月に通知したが、12月3日までに61.5%にあたる160人が辞退したという。
現時点では、県外の現職教員や教職を離れている人らを対象とした別の選考の合格者1人を加え、101人の来春採用を見込んでいる。
追加選考は40人程度の募集枠に対し、56人が応募。今城純子教育長は「予定人数は確保できるのではないか」と期待を語った。
県では昨年、25年度採用の合格者の約7割が辞退、12月の追加選考などを経て春採用の129人を確保した。24年度採用分でも約7割が辞退していた。
今城教育長は「教員サポートの取り組みや高知県で教職に就く魅力をしっかり発信することが辞退者を減らす有効な対策だと考えている」と述べ、採用候補者同士の交流会なども開く予定だとした。
一方、人材確保に向け、県教委は今年度の試験から大学3年生に事実上の内定を出す新たな仕組みを導入。3年の14人を27年度採用の候補者名簿に載せた。(斉藤智子)(高知新聞・2025/12/04)《work(仕事)とalcoholic(アルコール中毒)との合成語》家庭や自分の健康をなおざりにしてまで、仕事をやりすぎる状態。また、その人。働きすぎの人。仕事中毒。1970年代に米国の作家オーツによって作られた語。

少子化時代、だから学校統廃合が当たり前に進められています。一つの学校が消えるということは、そこで学んだ教師や子どもたちの歴史・経験が、あるいは学校が存在した地域の歴史が消えることを意味しないでしょうか。今時、「二十四の瞳」(松竹、1954年公開)は流行らないかもしれませんが、何でもかんでも「千の瞳」にしなければ始まらないという、法律や組織の論理が幅を利かせて、教師や子どもを窒息させているのではないでしょうか。教師になりたい若者が消えてゆく現実に、為政者も教育経験者も、ぼくに言わせれば「拱手傍観」のだらしなさです。学校教育が壊滅し、同時に高齢者の生命が脅かされている、これは同時進行の出来事(現象)であって、学校教育の閉塞感極まる事態に密接に連携しているのです。教師に「滅私奉公」を強いる社会は、子どもたちにも「社会的存在」になる前に「公に尽くす」心構えを徹底して鍛える。その「公」とは何ですか。そもそもの「公」とは「国」なんかではありませんね。国よりも、もっと大事な個々人の命の尊厳をこそ、教育が最も避けている、その危険な兆候を教職につかない・つきたくない若者は直覚しているのではないでしょうか。
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次のコラムに「教師冥利」という語が出ていました。その意とするところは「1仏・菩薩(ぼさつ)が人知れず与えるる利益(りやく)。2知らず知らずの間に神仏から受ける利益や恩恵。また、善行の報いとして受ける幸福。3 ある立場にいることによって受ける恩恵。4 職業や身分を表す語の下に付けて、それにかけて誓うという意を表す」(デジタル大辞泉)とあります。「教師冥利」とは、この辞書に示されるどの部分にもっとも近いのでしょうか。「恩恵(grace)」と言う言葉が出てきますね。教師冥利に尽きると、教師をして言わしめるためには、「児童・生徒」の存在はとても大切な契機にもなるし、両者の間に、おそらく「冥利」と「感謝」が生まれるのではないでしょうか。
【談話室】▼▽生徒の人生を照らす光となる。鈴木実さんは1958(昭和33)年、荒砥中で教師冥利(みょうり)に尽きる経験をした。新米教師として赴任した白鷹町の中学校でのことだ。生徒は、後の政治ジャーナリスト田勢康弘さんである。
▼▽転勤先の青森県で父が死亡し、田勢さんは中学1年の冬を郷里で過ごす。担任が鈴木さんだった。3カ月後の春、今度は東京に転校する田勢さんに、鈴木さんは文庫本を贈った。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」。神学校で学ぶハンスが周囲の期待や規則に懊悩(おうのう)する名作だ。
▼▽裏表紙に鈴木さんは記した。「ハンスのごとくなるな。ハンスのごとくさせるメカニズムに抵抗せよ」。田勢さんは本紙への寄稿で「僕の人格形成にはもっとも影響を与えた」と恩師に感謝を認(したた)めた。その鈴木さんが93歳で旅立った。本県を代表する児童文学者でもあった。
▼▽個人的な思い出を記せば、読書感想文の課題図書だった鈴木さんの「オイノコは夜明けにほえる」を小学時代に読んだのが出会いである。後には文化担当記者として、ご寄稿の最初の読者になる僥倖(ぎょうこう)に恵まれた。山形文化の豊かな森に若輩者を導いてくれる温かな光だった。(山形新聞・2025/12/17)
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