「そういう国なのか」と問われよう

【春秋】国の形 政治の潮目を語るとき、思い出す言葉がある。19世紀ドイツの評論家ベルネの「政府は帆であり、国民は風、国家は船、時代は海である」▼第2次大戦後のドイツは、ナチスを生んだ過去への反省を大きく書いた帆を揚げ、国民が風を送って荒海を航海した。80年後、愛国的歴史観を叫ぶ極右政党が下院第2党に躍進し針路が揺らぐ▼同じ敗戦国の日本はどうか。新調した帆に平和国家建設や核廃絶の願いを大書し、国民が風を送って、国際社会の視線に堪える航海を可能にした、が…▼帆の書き換えが始まったのか。官邸幹部が記者団に「核を持つべきだ」と私見を漏らした。水面下で非核三原則の一部見直しが検討され始めた中でのこと。核なき世界を訴え続けてノーベル平和賞を得た被団協を持つ国の政府なのに▼戦争で原子爆弾を投下された唯一の国が、核兵器との間合いを縮める図は、「第2の敗戦」ともいわれた福島原子力発電所事故を経験した国が、一時掲げた脱・原発依存の旗をあっさり降ろし原発回帰に一直線、の現況と重なる。そういう国なのかと世界から思われかねない▼国の形を考えたくなる。時代の海は今は安全保障面での構えを政権に促し、特定の風が構えの強度を求める。この種の風は吹きがいのある帆を次々に催促する。ナショナリズムをあおる風に国の形を合わせていたら、21世紀が日本に求める国家像に堪える航海は難しい。(西日本新聞・2025/12/22)

 「時代の海は今は安全保障面での構えを政権に促し、特定の風が構えの強度を求める。この種の風は吹きがいのある帆を次々に催促する。ナショナリズムをあおる風に国の形を合わせていたら、21世紀が日本に求める国家像に堪える航海は難しい」(上記「春秋」)この時期に、かかる政治批判をしなければならなくなった理由は単純かつ明白です。「人間は忘れる動物である」ということであり、社会の現状は「戦争を知らない人間たち」が否応なしに要路・要職を占める時代に遭遇しているのですから、「金輪際、戦争は御免蒙る」と考えない圧倒的多数の人々が、どこから見ても「思想」「哲学」などともいえない一種の「流行り」「ファッション」下にあるように、とっかえひっかえしてきて、今に至ったということでしょう。「弱い者いじめをする」「差別、上等じゃないか」という程度の「浮かれ主義(frivolity)」「移り気(caprice)」に身を任せるというのでしょう。これもまた一種の「風」ですね。

 ニーチェという狂気の哲学者は「人間は約束する動物である」と、確か「道徳の系譜学」に書いていたと記憶します。「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませんから」と、世界に向かってこの国(国民)は約束したことになっているにもかかわらず、「自分が生まれていなかった時の戦争の責任なんかあるはずもない」と言い切って恬として恥じない人間が一国の総理大臣になれる(押し上げられる)時代に、目下ぼくたちは生きています。幼稚な物言いを笑うなかれ、「自分の生まれていない時代の責任など、取れるものか」と言えば言うほど、「その通り」と拍手喝采が生じる現下、戦後八十年の怪異現象です。この「奈良の女」はいったい「誰」と「何」を約束するのでしょうか。昭和百年とされる本年、つまりは歴史の百年とは、嫌なことは忘れるには十分に長い時間であるということであろうし、新たな約束をするには格好の地盤が出来上がっているということでもあるでしょう。「やられたら、やり返せ」という報復主義は、無謀かつ無意味ですが、それを思慮する脳味噌が欠けているのですから、事態は極めて深刻です。

 世界を席捲し、傍若無人に振る舞っている一頭の怪物、それは「排外主義」「人種差別」「自民族中心」などという看板を掲げて、向かうところ敵なしの勢いで暴力を振りかざしている「自虐主義者(masochism)」のようにも思われます。「極右(extreme right)」でなければ「まとも(正統・orthodox)」ではないという風潮があるのでしょうか。「異民族排撃」をしないのは愛国者(patriot)ではないとでもいうのでしょうか。この国の現状を嘆く前に、欧州の政治状況、アメリカの政治風潮を見れば、「人間は一人でも十分愚かになりうる」が、「多数になればどうしようもなく愚かな上に、暴力的になる」という、情けない人間の在りようを示して余すところがありません。そこには「歴史意識(記憶)」が介在する余地がないようにも見えます。

 ぼくに奇異な感じが消えないのは、この国の「右派」は親米反共が「信条(相場)」であるとされることです。一国の独立を放棄してまで親米に傾く理由は何処にあるのでしょうか。アメリカは対中友好親善を更に進めようという方向を求めているとき、親米一辺倒であるこの国の「右派」はどうするつもりでしょうか。アメリカと踵を接して「対中親善」を選ぶとはとても思えない雰囲気にあると思われます。とするなら、はたして「親米反中」という「行動選択」が取れるのかどうか。内弁慶も甚だしい現下の政治状況にあって、世界に向けて何事を発信するというのでしょうか。「大いにお笑いください 過去を 取り戻したいのです」と宣言でもしているつもりなのでしょうか。

 恐らく、どこよりも早く百年前の圧制の時代「治安維持法下の体制」にひたすら戻ることを、愚かにも考えているのではないでしょうか。為政者たちは。過去の「遺光」によって現在を照らすというのは「イデオロギー」の真骨頂です。国の求める価値観は「過去」こそあるのだというのでしょう。これが「イデオローグ」の生命線です。その昔、カール・マンハイムという人の「イデオロギーとユートピア」を必死で読んでいた時期を思い起こしています。未来から現在を照らすことにこそ、ぼくは「人間の約束する動物」の所以があると思えばこそ、現下の「先祖返り」の政治的雰囲気には反吐を吐き続けている。

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◎ ベルネ(べるね)(Ludwig Börne)(1786―1837)= ドイツのジャーナリスト。フランクフルトのユダヤ人ゲットーに生まれる。1818年、文芸雑誌『ワーゲ』を創刊して文筆生活に入る。パリ移住後のベルネの政治評論を代表する『パリ便り』(1832~1834)は、機知に富む鋭利な文体を駆使して、ドイツの時代錯誤の現状を容赦なく暴き出した。ハイネと並ぶ「青年ドイツ派」のリーダー格とみなされたが、「政治革命か社会革命か?」をめぐって両者は鋭く対立し、ついには誹謗(ひぼう)と私怨(しえん)の大激突のうちに決別する。ベルネのわずか50年の生涯は、自己の共和主義的信念をかたくなに守り通した清楚(せいそ)な革命家の一生であった。ドイツ・ジャコバン派の政治的ジャーナリズムは、彼によって引き継がれたといっても過言ではない。(日本大百科全書ニッポニカ)

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「徒然に日乗」(948~954)

◎2025/12/21(日)終日雨が降り続く。気温は低くはなった。▶自宅に籠りきり。▶何かとパソコンをいじりながら、この社会の政治・経済・防衛などについて思いを巡らした。いくつかの新聞論評を見ると、この国の経済はKO寸前だという見方が外国では主流。「日本売り」が始まっていると思う。日銀が政策金利を苦労して0.25%挙げた途端に、円安は158円直前まで進むし、国債の長期金利(10年債)は2%を超えた。株価も5万円を割り込む。物価高騰は留まる気配がない。という状況で、この国は亡国の道をまっしぐらと負う気分だし、あらゆる指標はそのことを示している。笑うべきは内閣支持率の高止まり傾向だろうか。「毎日新聞は20、21の両日、全国世論調査を実施した。高市早苗内閣の支持率は67%で、前回調査(11月22、23日)の65%からほぼ横ばいだった。不支持率も22%(前回23%)で大きく変動しなかった。内閣が発足した10月以降3カ月連続で支持率が65%以上となり、67%はその中で最も高い。所得税がかかり始める『年収の壁』の引き上げなどの経済対策が評価されている」(毎日新聞・2025/12/21)この「年収の壁」引き上げで必要となる財源は6500億円を超える。そのための増税が待ったなしだという状況を有権者はまったく見ようとはしていないのだ。「年収の壁」で失われる所得税の穴は防衛増税という名目で穴埋めされるということを忘れないでくれ。お年玉に100円貰い、その穴埋めのために、その後の食餌を減らされるようなもの。もう少し有権者は賢くなっても罰は当たらないのだが。(支持率に関して、あるいは「大掛かりな操作」が仕組まれているのではないかという疑念が拭えないな。ほとんどが内閣や首相個人を支持するような誘導尋問で、問いかけがはなはだ作為的。いずれ化けの皮は剥がれる)(954) 

◎2025/12/20(土)午前中から雨が降る。その後は降ったり止んだりだったが、気温は上がらず、寒さを感じる一日だった。▶お昼過ぎに茂原まで買い物。いつもながらの高い買い物になった。▶日銀の政策金利上げ(0.75%)に反応して直ちに対ドル為替が2円以上も円安に振れ、157円後半まで下げる。「【NQNニューヨーク=戸部実華】19日のニューヨーク外国為替市場で円相場は大幅に反落し、前日比2円20銭円安・ドル高の1ドル=157円70〜80銭で取引を終えた。一時は157円78銭と約1カ月ぶりの円安・ドル高水準を付けた。日銀が利上げペースについて慎重な姿勢を示したと受け止められ、円売り・ドル買いが勢いづいた」「円は対ユーロでも大幅に反落し、前日比2円30銭の円安・ユーロ高の1ユーロ=184円65〜75銭で取引を終えた。円は対ユーロでも売りが勢いづき、一時は184円72銭と1999年の単一通貨ユーロ導入以降の最安値を付けた」(日経新聞・2025.12.20)それにしても、日経新聞は現内閣の経済・財政政策運営にほとんどフリーパスを与えているのはどうしてだろうか。裏があるのかもしれないと勘繰ってしまう。▶(953)

◎2025/12/19(金)陽射しのない、かなり寒い一日だった。夕方、少し買い物が必要になったので。近所の薬屋まで。▶日銀が政策金利を0.75に挙げた。30年ぶりの水準だと大きく報じられる。バブル崩壊時の水準。まさに「失われた30年」が実感される。「日銀は19日、金融政策決定会合を開き、政策金利である短期金利の誘導目標を現行の0.5%程度から0.75%程度に引き上げることを決めた。植田和男総裁は会合後の記者会見で、利上げ後も『(物価変動の影響を除いた)実質金利は極めて低い』と述べ、今後も政策金利を引き上げ、金融正常化を続ける考えを表明。利上げペースについては『経済、金融環境、物価の反応をよく見て判断したい』と説明した。利上げは今年1月以来7会合ぶりで、政策金利は1995年9月以来約30年ぶりの水準となる。植田氏は、今回の利上げ後も緩和的な金融環境が続くとして、「経済をしっかりサポートしていく」と語った」(時事通信・2025/12/19)その影響で株価が高騰し、為替相場では2円の対ドル円安が発生。高物価はこの後も続くだろうと予想されるので、生活実感は苦しいまま。(952)

◎2025/12/18(木)
午前中に買い物で茂原まで。その途中のGSに立ち寄って灯油を購入(18㍑×3)、洗車機に車を入れる。いくつかの猫たちが、時には車の屋根に乗るのだ。天候に関係なしだから、雨天などの時には猫の足跡が半端ではなく、洗車した途端に即座に汚すのだから、溜まらない。拙宅の前の「会社」の車(複数台)にも、以前は頻繁に飛び乗っていた。今では従前ほどではなくなったようだが、やはり足跡を点けている。折を見て、それなりに。お詫びの印に「洗車券」を渡しているが、それだけで済まないだろう。いつも通りに食材を買って、帰宅。▶午後はしばらくパソコンいじり。もう十年近くも使っているからパソコンの容量(ストレージ)に余裕がまったくなくなっている。あるアプリをインストールして、不要なものは削除する作業を毎日数回は続けている。それにしても「更新プログラム」と称して、どれだけのものがインストールされていることか。おおよその見当をつけて、さしあたりぼくには不要だと思われるアプリはどんどん捨てているのだが、時には大いなるミスが生じて、毎日使っている「ワード文書」(office)を削除してしまっていることに気が付いた。再度使おうとしたら、無料版もあるけれども有料版の押し売りのような状態になっている。何十年もワード文書を使ってきたから慣れてもいるが、今回は試しに「note」なるアプリを使ってみている。これも慣れるまでは面倒なことだが、仕方がない。(951)

◎2025/12/17(水)月に一度の「ペットボトル・缶」回収日なので、回収場所に持参する。昨日の裡に準備しておいたので、用意されている回収袋に入れるだけ。早朝、それなりに寒いがサボるわけにもいかない。前々月だったか、日にちを間違えて、回収日に出せなかったので、先月は缶を2回分まとめて出したら、何時もの回収袋一つでは足りず、もう一つの袋まで使った。平均して猫缶の個数は大きく変動していないようだ。数えるの癪だから、いったいどれくらいあるのかわからないが、少なくとも250缶ほどはあるだろうか。▶本日で臨時国会が閉幕。新首相の登場だったが、いったい、何をどうしたというのだろうか。ひたすら「右旋回」を続けるばかりで、この先の展望が果たして開けてくるのだろうか。それにしても、経済運営、外交交渉、加えて、人心掌握と、どれをとってもどうしようもないほどの「無知・無能」だが、これを持ち上げるメディアは焼きが回っているだろう。(950)

◎2025/12/16(火)お昼過ぎに買い物に茂原まで。混乱は前回ほどではなかったが、それでも店内のイベント広場では催事が行われるようで、たくさんの観客が開始を待っていた。当方は必要なものだけを買って、早々に引き上げた。たいして買わなかったが、会計は8千円弱だった。怖くなるほどの物価高騰状態の持続だ。インフレを放置したままで、GDBは膨らむし、国の借金は相対的に目減りする。しかし国債の高金利と円安基調の局面はまったく変わらないまま。ますますインフレが拡大し、いずれハイパーインフレとなるのだろうか。何人も有効な物価対策を打てない現実の政治だ。「ハイパー=インフレーション(hyper-inflation)= 超インフレーション。ギャロッピング・インフレーション galloping inflationともいう。物価が非常な速度で騰貴し,貨幣価値が急激に下落する急激なインフレーション。多くの場合は戦争あるいは政治的内乱時における不換紙幣の乱発,赤字公債による巨額な財政赤字などが原因である」(ブリタニカ国際だ百科事典)(949)

◎2025/12/15(月)終日自宅に。当節らしい寒い日だった。▶このところ、すっかり体力に自信がなくなっている。もともと、頑健な体質であるはずもなかったが、それなりに外作業をして、体力を落とさないように努めていたこともあり、極端に体調不良に襲われることはなかったが、今回ばかりは、自分でもやや心細くなったほど。これぞ「老齢」ということなのかもしれないと思った。▶やはり、今夏の暑さの異常さが次第に体力を奪っていたことも災いしたということもあろう。それは毎年のように定番になっている庭仕事や植木の伐採が思うに任せなかったのだから、自分なりに「体力」の衰えを感じ取ってはいた。このうえは一層健康に注意深くなければなるまい。▶何日目になるか。二歳を過ぎた♂の猫がまだ家を出たきり帰ってこない。もう一週間近くになるだろうか。寒さも加わり、どうしているのか心配ばかりしている。拙宅の周りを探すにも、余りにも広大で茫漠としていて、探す手がかりがないのだから、運を天に任せるより仕方がないのだろうか。(948)

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満を持して起用した「補佐官」が

⁂「週のはじめに愚考する」(九拾九)~ 今の内閣の中では、常日頃からある人々にはこの(核保有)問題はよく知られた、あるいはよく議論されていた問題(テーマ)ではなかったでしょうか。「官邸筋」というぼかし方は、多分オフレコ談話の公開に関しての約束があっての判断だったということでしょう。ぼくの勝手な想像(類推)でいうなら、、この「官邸筋」は、現首相補佐官のO 氏であろうと愚考します。「核(保有)問題」「台湾(有事)問題」を語って人後に落ちないと目されるのは、五人の補佐官の中ではこの人を措いて他にはいないし、さらに範囲を広げてみても、他に妥当・該当する人物はいそうにない。しかもこの O さんは奈良県出身で、以前から首相とも昵懇とくれば、やはりというか、さすがと言うべきか。つまり「よくぞ言ってくれた」という声が上がることを期しての発言だったと思わざるを得ないのです。さらに妄想を逞(たくま)しくすれば(よくないことですけれど)、「はっきりとではなくとも、核保有について一言」してほしいと首相は依頼(許可)していたかもしれません。あるいはO 氏の忖度(そんたく)だったかもしれません。空想の域を出ないと思いつつ、この首相なら「核保有」を言い出し(言い出させ)かねなかったとも思うからです。

 「非核三原則」の「持ち込ませず」は、アメリカの核の抑止力効果を失わせるので、はっきりと見直しをすると公言してはばからない首相です。他国に依存しては自らを守り切れないし、それなら、いっそのこと「核を持つ」「核を作る」と断言したも同然の、首相の「非核三原則」見直し論ではなかったでしょうか。ことここに及んでなお、「木原稔官房長官は19日の記者会見で、安全保障政策を担当する官邸筋の核兵器保有発言を巡り『政府としては、政策上の方針として非核三原則を堅持している』と述べた。発言者の進退を問われ『個別の報道の逐一についてコメントすることは差し控える』と回答を避けた。一方、中谷元・前防衛相は国会内で記者団に、交代させる必要性に言及した。木原氏は、日本の核政策に関し『唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けて核拡散防止条約(NPT)体制を維持、強化するための現実的かつ実践的な取り組みを進める』と強調。『戦後、わが国は一貫して国際社会の平和と繁栄に貢献してきた。この立場に変わりはない』と説明し、沈静化を図った。 /中谷氏は『お友達内閣と言われないよう、しっかりした方を人選すべきだ』と指摘し、後任を選ぶよう政権に求めた。 /公明党の斉藤鉄夫代表は記者団に『許せない思いでいっぱいだ。罷免に値する重大な発言で、適格性を欠いている』と批判。共産党の小池晃書記局長も『政府は撤回させた上で罷免すべきだ』と訴えた」(共同通信・2025/12/19)

 いずれ「事実」は明らかになるでしょうが、この最重要な課題に関して官房長官は「二枚舌(ダブルスタンダード)」を使っている気がします。総理には「非核三原則は邪魔や」という、明白な心づもりがあり、時にはそれがはしなくも表に出る始末。側近の補佐官が「(報じられることを承知で)核保有はすべき」と言う。どうしてこれ(「やらせ」オフレコ)を見過ごすことができるのかと、一庶民として腸(はらわた)が煮えくり返ります。

 昨日今日のいくつかの新聞コラムも、この「オフレコ公開」問題を扱っていました。以下には広島と長崎の2新聞の「コラム」を引用しておきます。

【天風録)被爆国のリーダーの足元 米国の原爆投下で壊滅した繁華街の痕跡が石畳の下から姿を見せた。建物の基礎や軒を寄せ合った屋敷境の小路。熱線に焼かれた瓦や変形したガラス瓶も出てきた▲広島市が平和記念公園内の原爆の子の像そばで発掘調査を進めている。きのうの現地説明会をのぞいた。80年前の夏、一瞬にして断ち切られた市井の暮らし。爆心地に近い公園に立つわが足元に、今も眠ると感じつつ▲高市早苗政権で安全保障政策を担う「官邸筋」なる人物が、日本は核兵器を保有すべきだと述べた。非核三原則の見直しに懸念が広がる中での発言だ。非公式取材の場だったとしても口が滑ったとは断じて思えぬ。核の恐ろしさを理解しておらず、絶対に許せない▲「狂気の兵器」を持とうと本気で考える人物を政権中枢に抱えていては平和国家としての国際社会の信頼が揺らぐ。登用した首相の責任も当然問われよう▲「核兵器を保有し、また保有しようとすることは、恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となることだ」。被爆者で元長崎大学長の土山秀夫さんが、核に頼る国々の為政者に突きつけた言葉である。被爆国の首相の足元はどこにあるべきか、分かってないとすれば空恐ろしい。(中國新聞・2025/12/21)
【水や空】「核を持つべき」発言 古歌にある。〈言はざると見ざると聞かざる世にはあり 思はざるをばいまだ見ぬかな〉。確かに、言わない、見ない、聞かない-はできても「思わない」のは難しい▲「思わない」だけでなく「言わない」のも我慢ならなかったらしい。高市政権で安全保障の政策を担当する官邸筋が「核を持つべき」と記者団に述べた。オフレコの発言という▲これに政府からは直接のコメントはなかった。やり過ごすつもりらしいが「官邸筋」なる人物の交代論は、被爆地から、野党から、さらに自民党の内部からも噴き出している▲唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に取り組む。その“本気度”はひとまずおくとしても、これが政府の立場であって、「核保有」発言と逆であるのは誰にでも分かる▲「核のない世界」なんて絵空事さ。私はそんな信条を封印して仕事をしているんだ…と、ひそひそ語ったに等しい。「思わない」のは難しい。意に反する安全保障政策を背に負うくらいなら、引き受けなければよかったろう。役職に目がくらんだか▲その人も「核の悲惨」に触れたことは皆無ではあるまい。核を持つ、核で脅す、その先に核を使うことがあり得ることも。「忘」という字は心が亡(ほろ)びると書く。悲惨を忘れてしまうと、心を亡ぼすことがある。(徹)(長崎新聞・2025/12/20)

 頼もしかるべき「連立相手の」党首の助け舟。残念だけど、この船の底には大きな穴が開いている。どんどん海水が入ってきています。この半グレ政党の党首の「援護射撃」のつもりだったか、果たして的を射ているんですか。「政府高官の個人的見解」だってさ。「藪蛇」という言葉が妥当しますな。まずは足元をよく見なはれ。それにしても「お粗末コンビ」が日本丸を操縦しているかと思うと、笑いたくもなるし、それ以上に「少しでも早く、下船してしまいたい」という思いでいっぱいですよ。 

 「維新代表、核保有発言を擁護 政府高官の「個人的見解」 日本維新の会の吉村洋文代表(大阪府知事)は20日、政府高官が核兵器を保有すべきだと発言したことを擁護した。木原実官房長官が非核三原則の堅持を表明している点に触れて『正式な場で言ったら駄目だ』としつつ、『オフレコの個人的な見解だ』と指摘した。大阪市内の党本部で記者団の取材に答えた。/吉村氏は発言の文脈が不明確なことなどを挙げ、『(高官を)罷免すべきだというのは違うのではないか』として更迭は不要との考えを示した。『(発言を)切り取って(ニュースに)出すことが国民の知る権利にとっていいことなのか』とも語った」(時事通信・2025/12/20)

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 「安保担当補佐官に元自衛官 国会議員以外から異例起用 高市早苗首相は21日、国家安全保障と核軍縮・不拡散問題担当の首相補佐官に、航空自衛隊出身の元自衛官、尾上定正氏を起用した。通常は与党の国会議員が就くポストで、異例の人事となった。 /尾上氏は1982年に空自に入隊。北部航空方面隊司令官、空自補給本部長などを歴任し、2017年8月に退官した。首相と同じ奈良県出身で、木原稔官房長官が防衛相を務めていた23年12月に、防衛相政策参与に任命されていた。 /首相は24年8月、交流サイト(SNS)で、自身の勉強会での講義をまとめた書籍を説明した際、尾上氏を「防衛力」の講師として紹介していた」(共同通信・2025/10/21)

 「台湾海峡の平和と安定-内閣総理大臣補佐官 尾上定正先生 講義レポート 令和政経義塾第2期6回目の講義は、API(アジア太平洋イニシアティブ)のシニアフェローで先日、内閣総理大臣補佐官に就任した尾上定正先生をお迎えし、「台湾海峡の平和と安定」を主題に議論が交わされました。なお、本講義での発言内容は所属組織としての見解ではなく、尾上先生個人の見解に基づくものです。/尾上先生は、台湾有事を未然に防ぐことが最優先であると述べると同時に、万一事態が発生した。場合に備え、複数のシナリオを平時から想定し、迅速な意思決定を可能にするためのシミュレーションをしておく重要性を語りました。/今回の講義の2日前に尾上先生は内閣総理大臣補佐官に就任しました。そんな尾上先生から今の日本の安全保障について生の声を聞くことができる貴重な会になりました」(NXJI・令和義塾)(https://note.com/nxji/n/n30ad5d274cff)(右上の写真も)

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「自分ファースト」と「瀕死の一生」

【春秋】自分ファーストという貧しさ <青い星自国ファースト蔓延(まんえん)し>。本紙川柳欄に届いた句はこの一年の世界を映している。国内でも内向きな声が日増しに強まった。自己中心的な考えがはびこる世を憂えながら、まずは自分の心持ちを整えたい。そのヒントは、街角の小さな言葉にある▼寺の門前に掲げた言葉のありがたさやユニークさをたたえる「輝け!お寺の掲示板大賞」が今年も発表された。釈迦(しゃか)の教えや説法、人生訓。主催する仏教伝道協会に全国から3400作が寄せられた▼大賞は鹿児島県南さつま市、顕證(けんしょう)寺の「自分ファーストという貧しさ」。人々が他者への思いやりを持ち、寛容な社会であってほしいと願う言葉だ▼書いたのは寺の坊守(ぼうもり)で僧侶の藤かおりさん(50)。「自分の幸せだけを求めるのは仏教でいう煩悩です。それだけを突き詰めれば世は地獄、貧しい社会が待っています」と話す▼毎月、普段の生活で感じたことを筆書きで掲げる。どんなに尊い言葉でも難しくて伝わらなければ意味がない。門前の交差点で、信号待ちの間に見ても分かりやすいフレーズを心がけている▼藤さんの言葉は今年、もう一つ入賞した。「瀕死(ひんし)の一生」。どきっとする言葉をあえて使った。何が起きるか分からない世の中で、明日をも知れぬ命。一日一日を大切に歩もうとの思いだ。○○ファーストが大きな声で響く時代。他者を思いながら、自らを律する小さな言葉を大切にしたい。(西日本新聞・2025/12/19)

 「お寺の掲示板」も、今どきは一種の「交通標語」みたいなもので、「注意一秒、怪我一生」のような「警句」や「寸鉄」「寸言」「エピグラム(epigram)」があちこちで、来る人拒(こば)まずの姿勢で、衆生の「煩悩」に働きかけてくる。「煩悩(ぼんのう)」とは、「(梵)kleśaの訳。苦悩・心痛の意》仏語。身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用。貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)は根源的な煩悩として三毒という。染。結。垢(く)」(デジタル大辞泉)ぼくなどは、それこそ、「全身心、これ煩悩の塊り」みたいなものですから、いかなる「掲示板の言葉」にも足を止め、息を止め(はしないけれど)、息をのむ思いで、しばしば「復唱」するのです。

 (ヘッダー写真「町内の梵鐘や半鐘供出の合同供養式に参列した当時の住職ら=1942年」、岐阜県北方町、町文化財保護協会提供)(https://www.asahi.com/articles/photo/AS20211205001682.html?iref=sp_photo_gallery_5

 昔から、教会やお寺の掲示板には興味がありました。「この道は行ってはならぬ」とか、「すべては因果応報」などと、およそお寺らしくない物言いが気になっていて、誰が書いているのかという「怖いもの見たさ」も手伝って、よく立ち止まっては読んだものでした。毎年の「受賞作」にも、それなりに目を通してきました。ぼくにとって好ましいのは、「あなた、<社会の窓>があいてますよ、気が付いてましたか」と、何気なく自分の短慮や欠点、間違いを指摘するような、しないような、そんな「文言」が好みで、なんともよかった。抹香臭いのは苦手です。お寺さんがお寺さんらしく、上から目線で、「衆生よ、何時になったら悟るのか」「お布施が足りない」などとというような俗な姿勢にはうんざりします。少しばかり、ぼくには坊さんや尼さん、それに牧師さんという「職種」の人たちを知っていたせいもあり、「偉そうに言いなさんな、あなたの振る舞い、ぼく知っているよ」、と言いたくなるような方々が多かったからです。そこにもまた、「一人の弱い人間」がいるという感じでしたね。

 「自分ファースト という 貧しさ」に出会ったとき、いったいどなたが書かれたか、大いに気になりました。知ってみれば「坊守(ぼうもり)」さんだたという。「 寺院の番人。 小寺の身分の低い僧。浄土真宗の僧の妻。近年の制度では、女性住職の夫や、配偶者でない親族が務めることもある」(デジタル大辞泉)。顯證寺は浄土真宗本願寺派とありますから、「3」に当たるのかもしれません。それはどうでもいいことで、この「自分ファースト という 貧しさ」が世の中を席捲・闊歩している現実に、苦々しい思いをしている者として「それは貧しい(心の)人間」のことと、まるで図星を指されるが如くに、この言葉が刺さった人は(ぼくを含めて)多かったでしょう。もちろん、「それがどうした」という、手に負えない衆生(厚顔無恥の徒)も少なくないことは、言わずもがなのことではあります。この時代・社会が「生き馬の目を抜く」というような凄まじいことになっていることを知るにつけ、「利己主義」「自分中心」「他者蔑視」というエゴイズムが人間の心持をどれほど侵害・汚濁しているかに思いが及びます。

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 「『輝け!お寺の掲示板大賞2025』の受賞作が発表され、顯證(けんしょう)寺=鹿児島県南さつま市加世田唐仁原=が最高賞の仏教伝道協会大賞に選ばれた。鹿児島県内の寺院では初の大賞。同寺は彼岸寺賞も受賞した。/主催した仏教伝道協会(東京)によると、コンテストは8回目。全国から3408点の応募があり、受賞作16点が決まった。/大賞を受賞したのは6月に寺に掲示した『自分ファーストという貧しさ』。思いやりのある社会を願う気持ちを鋭く表現したと評価された。彼岸寺賞は7月に張り出した『瀕死(ひんし)の一生』だった。/法語は住職を補佐する坊守(ぼうもり)の藤かおりさん(50)が手がけ、1カ月ごとに取り換える。大賞作品は『○○ファースト』を多用する社会への不安から考案。仏の教えである慈悲の精神を基に「他者を尊ばず自分の幸せを追求するあまり、煩悩と分断が連鎖した貧しい社会にならないか」という思いを表した。/『瀕死の一生』は『医療が発達し暮らしが豊かになっても、明日生きられるとは限らない。一日一日、感謝し大事に生きることを忘れないで』の気持ちを込めたという。/藤さんは初めて応募した2022年と24年に入賞。今回はダブル受賞となり、同協会の江田智昭さん(49)は『今の言葉で仏の教えを伝えることは難しい。短い言葉でズバリと伝える藤さんの法語は、読む人の心に強く刻まれる』とたたえた」(南日本新聞・2025/12/15)

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 掲示板に「警句」を出された藤さん曰く、「仏の教えである慈悲の精神を基に『他者を尊ばず自分の幸せを追求するあまり、煩悩と分断が連鎖した貧しい社会にならないか」という思いを表した」と。折しも、宗教団体を名乗る、「カルト集団」の一挙手一投足が耳目を集める日々、その金権亡者ぶりにぼくたちは度肝を抜かれ続けた、この数年でもありました。いつだって、奇怪な想いを抱くのは、既成宗教であれ、新出来宗教であれ、どうしてあれほど金集めに奔走し、寺院建立に莫大な「寄付」を募るのか、まるで「地獄の沙汰も金次第」を地で行っているようで、ぼくには、そこに宗教的誠意や慈しみがいささかも考えられないのです。「守銭奴(L’Avare)」と言うのでしょうか。若い頃に、西洋の哲学・思想を齧ったことがありましたが、その際、否応なく「キリスト教」に遭遇しました。ぼくがもっとも不信の念を持ったのは「教会の外に救いなし(Extra Ecclesiam nulla salus)」というテーゼでしたね。なんといういやったらしい「宗教教団」かと、驚くばかりに落胆したものでした。

 洋の東西を問わず、宗教教派と雖も正義の名において戦争をし、宗教的真理に基づいて、無謀無残な殺戮を繰り返す側に立ってきたのは事実です。今日においても、その事情はいささかも変わっていません。過去の第二次戦時中に、日本の仏教界、否、宗教界は挙(こぞ)って、「聖戦」に眦(まなじり)を決して参加しました。「仏」を好き放題に利用してきた報いを、ぼくたち衆生もまた享けているというほかありません。「輝け!お寺の掲示板大賞」が、ただそれだけの単なるイベント行事で終わってしまうのか。もっともっと、「自分が、自分が」の虜になっている人々に語りかける機縁を持つことがあるなら、それはそれで意味のあることでしょうし、さらに、この「道義頽廃」「人倫頽落」の極致に向かっているかのような趨勢に「掉さす」働きが仏教やキリスト教のなかにないのかどうか。それも含めて、この先にいっても、この出来事(催事)が宗教的意味合いを日常的に語りかけ、感じさせてくれる契機となることを切望しているのです。

 「瀕死の一生」ということばが坊守さんの「肺腑の言」であったかどうか。「瀕死」とは、文字通りに「死にかかっている」「死にそうである」と言うことです。「生」「のなかに「死」はそなえられているということを、ぼくたちはどれだけ知ろうとしているのでしょうか。

(ギリシアの哲学者・プラトンは「哲学(するというの)は死の練習である」という意味のことを言いました。その内容は多義でもあり深淵でもありそうなので、ここで語るには面倒に過ぎます。いずれ別の機会に)

(【輝け!お寺の掲示板大賞2025】「お寺はいのちのパビリオン」胸に沁みる標語がずらり 大賞発表|TBS NEWS DIG:https://www.youtube.com/watch?v=yOiLn9lGx7c

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「自分は強い」というのは虚勢の表れ

【斜面】強さと強引の履き違え 経済や政治に提言を続けた松下幸之助は「軍事大国でも経済大国でもない」日本の在り方を模索している。たどり着いたのは「海外や人類に力強く奉仕、貢献できる国家」。著作「遺論(ゆいろん)・繁栄の哲学」で「精神大国」との言葉で示した◆幸之助設立の松下政経塾を20代に卒塾した高市早苗さんが、首相として初めて臨んだ臨時国会が閉幕した。掲げたのは「強い経済、強い外交・安全保障」。閉幕後の記者会見でも「強い」という言葉を9回使っている。高市さんの言う「強さ」とは何か◆対中強硬派で知られる高市さんは、衆院予算委員会で台湾有事を巡って従来の政府見解を踏み越える答弁をして、中国側が反発。日本維新の会との連立協議では、維新側が求めた衆院議員の定数削減を、党内の議論がないまま合意書に盛り込んで「乱暴すぎる」との声がやまない◆「政治とカネ」問題は「そんなことより定数削減」と追いやる。防衛費は増やし、武器輸出のルールは緩和方針。非核三原則見直しもにらむ。政治姿勢は「強さ」より「強引」か。気になるのは安倍晋三首相時と同様の「忖度(そんたく)」が生まれつつあることだ◆政府の男女共同参画会議で、高市さんが選択的夫婦別姓議論で掲げる「通称使用法制化」を、議論を全くしていないのに事務局が答申案に盛り込み、出席者が反発する事態に。氷海を突き進む砕氷船のごとく船出した「高市丸」はどこへ? 幸之助が夢見た「世界に範を示す国家」は遠い。(信濃毎日新聞・2025/12/19)

 誰に限ることではありません。「自分は強いのだ」と言いたがる人間は、押しなべて「隠しようのない弱さ」を示しています。人間(に限らない)の「弱さ」「強さ」はいろいろにとらえられましょう。他人に対してこれ見よがしに「俺は強いのだ」「強い私よ」と言いふらすものに、本当の「強さ」を示す何物も持たないものがほとんど。「強い」という表現を使いたがること自体、強さの実態を持たない空虚(虚勢)な言葉を操って、「自分は強い」と思い込みたがる、自己に暗示をかけているに過ぎすぎないでしょう。コラム「斜面」に「対中強硬派で知られる高市さん」とあります。そうでしょうか。「中国何するものぞ」と、内向きに言うだけなら、歴史認識を著しく欠いた「愚見」「極論」にすぎないし、「こう言うと、相手はどう思うだろう」という配慮がないのに、強がりを言って自己満足をしたり、取り巻きの機嫌を伺ったり、そんな人間が「強い」はずもないです。

 「強い経済、強い外交・安全保障」と勇ましいことを語るが、その実態は何か。ぼくに言わせると「騙るに落ちた」話でしかないというものでしょう。あなた好みの「首相」になりたいとばかりに、アメリカのご機嫌を伺うことが首相の役目だと只管(ひたすら)思い込むという近視眼の人間。ぼくは「現首相」の悪口をひたすら喋っているように思われるでしょうが、案に相違して、嫌いなのは「嘘つき」「自己自慢」「他者への無配慮」に長(た)けている人間であって、それが「今の首相」にぴたりと重なるというだけのことです。なってはいけない人が「首相」になると、迷惑を被(こうむ)るのは自国民であり、他国の人々でしょう。この人は相当の「嘘つき」です。大体が「政治家は虚言」で生きているところがありますから、恐らく、彼女は政治家に向いていたのでしょう。だから総理大臣になっていい、とはぼくには思えない。もっと言うなら、一日も早く辞めてほしいと願うばかり。

 「高い支持率」が言われますが、その支持者の群れを見ていると、空恐ろしくなります。支持の第一の理由に「女性だから」と言うのが上げられていました。恐ろしいですね。中身(人品)は問わない、女だから、これが支持の理由になるなら、政治的センスも何もあったものではない。しかし、支持率が高いのは事実ですから、その事実をこそ、ぼくたちはよく考えなければならないと思います。たまたま、今回は「女性だから」であって、「ほかに(信頼できる)人がいないから」という理由だって「高い支持率」の根拠にもなります。でも、ぼくたちは、よほどでない限り、「この政治家「あの政治家」がどういう人か、ほとんど知るところがない。政治信条も政治活動(履歴)も含めて、何も知らないのに、見た目の印象で「支持する」となるのですから、考えるまでもなく、実に空恐ろしい。(ありていに言う、首相への忖度の度合いを測るなら、すでに「大政翼賛」体制は出来上がっています)

 自分が総理大臣(首相)になるためなら「悪魔と手を結ぶ」と言うほどに、まともな人間集団とは思えない「維新」という「半グレ政党」(評論家の佐高信氏の表現)と盟約を結ぶ。誰でもよかった証拠に、いま拘置所に入っているN国党党首の率いる党とも手を結んだ。いずれ、そのためには参政党とも国民民主党とも連合(野合と言うべきか)するに違いありません。政治信条や政治姿勢に賛同するからではなく、首相の地位を守るためだけに徒党を組むという無節操。一体、この風潮・風儀をどうしますか。「政治姿勢は『強さ』より『強引』か。気になるのは安倍晋三首相時と同様の『忖度(そんたく)』が生まれつつあることだ◆政府の男女共同参画会議で、高市さんが選択的夫婦別姓議論で掲げる『通称使用法制化』を、議論を全くしていないのに事務局が答申案に盛り込み、出席者が反発する事態に」(コラム「斜面」)という具合で、ぼくは泣きたくなるほどの、そこの浅い「空虚な政治(ごっこ)」だと言いたい。「裸の女王様」に取り入るうちに、すべてが、自分を失うんですね。

 余計な一言です。もともと「松下政経塾」を出たということ自体、ぼくには信用ならないという気分がある。何人かの政経塾出身政治家を知っていますが、信を置く気にはなれなかったですね。(もちろん、これはぼくの「偏見」です)いつも言うことですけれど、「惻隠の情」を失している政治家がそもそも存在し得るということ自体、矛盾しているでしょうね。ぼくには「だれ一人取り残さない」という政治家の甘言(「人の気に入るような口先だけのうまい言葉。甘辞」・デジタル大辞泉)は、現実においては「例外なく、すべての人を取り残す」となって表れるのがオチです。孟子の言う「惻隠之心」とは、そもそもが「仁の端なり」と言われたもので、「仁(rén)」という、他者への愛情(思いやり)を持たないで政治にかかわること自体、実に不遜千万だというべきでしょう。「惻(そく)」も「隠(いん)」も、「他者を労(いた)わる」「心配する」という意味合いを持った言葉です。

(余話です 新たなカテゴリとして「浅瀬(あさせ)に徒波(あだなみ)」などという無粋な「面目(めんもく・めんぼく・めいもく・めいぼく)」を加えました。まったく新味はありません。それでも、筆者としては、この隠れ里(hiddenn village)を開いて「一種の精神の体操(A kind of mental training)」に精進したいとの浅慮からのもの。「思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。『徒波』は『仇波』とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から」ことわざ辞典ONLINE)「浅瀬あさせ仇波あだなみ《古今集・恋四の「底ひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波は立て」から》思慮の浅い者ほど大騒ぎをすることのたとえ」デジタル大辞泉)誰彼のことを非難がましく言い募るのではなく、もっぱら筆者自身への「あてつけ」「自戒の念」としたい、そんな願いを込めたつもりです)

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消費者に必要性を考える時間を与えず、…

【斜面】すぐ購入の代償 2500時間だった電球の寿命を1000時間に縮める-。欧米の大手企業が1925年に結んだカルテルだ。寿命が短ければ買い替え需要が増える。この「計画的陳腐化」によって企業は大もうけする一方、大量の電球が廃棄された◆現代にふえんし問題を提起した英国のドキュメンタリー映画がある。「今すぐ購入 購買意欲はこうして操られる」。頻繁なモデルチェンジや部品交換できないなどの陳腐化戦略、クリックすれば商品が届くシステムが操る過剰消費の構造をえぐり出す◆アップル、アマゾン、アディダスなどの元役員の告白が生々しい。アマゾンのアパレル部門の注文画面を立ち上げたという元社員の女性は自戒を込めて振り返る。「消費者に必要性を考える時間を与えず、衝動的な購入を促す。大量の商品がどこに行くか考えたことはなかった」◆世界ではいま、1時間当たり靴が250万足、スマホが約7万台、衣服は毎分19万着も製造されるそうだ。不用品は途上国に押し寄せる。人口約3千万人のガーナには「寄付」された衣服が週に1500万着も届く。大半は廃棄され海岸にあふれている◆電子廃棄物の行方を調査している男性はタイにたどり着く。そこでは住民が手作業で分解し、大量の有害物質が漏れ出ていた。過剰消費の代償は「貧しい国の人々の健康で払われている」。ブラックフライデーからクリスマスへと商戦が続く折、クリックの前に想像してみたい現実である。(信濃毎日新聞・2025/12/18)

 「過剰消費の代償は『貧しい国の人々の健康で払われている』」という指摘が、我が身に甚(いた)く応えるかのように、やり場のない怒りが自分の胸中にも生じるのを痛感しています。この過剰生産と過剰消費の悪循環の鎖にぼく自身も長年にわたり掴まえられて来たからです。「経済発展」とか「経済成長」などという、一種の「マヤカシの言霊」で、ぼくたちはすっかりその「虜(captive)」にされてしまったのでしょうか。その昔、世界は「東西問題(何よりも「米ソ」の対立)」で危機的状況を過ごしていましたが、「冷戦時代」の雪解け(thawing)で、その後は一挙に趣を変えて、それまではまるで隠されていたかのように等閑に付されていた「南北問題」が広く語られ始めました。以来、少なくとも70年近くになります。南北問題の核心は「経済拡張」、あるいは「経済格差」にありました。今も、その傾向は変わらないままでしょう。端的に言うなら、「南北間の極度の格差」問題です。

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◎南北問題【なんぼくもんだい】= 1960年以降顕著となった北半球の先進国と南半球の発展途上国との間の諸問題。拡大する経済格差の是正が中心課題だが,それを通じて新興独立国の結束が強まり,国際政治の面では両者の緊張が問題となっている。1964年国連貿易開発会議(UNCTAD)開催後,先進国による資本・技術援助や1次産品中心の貿易拡大策が進められている。1971年に発展途上の77か国グループが,より効果的な国際協力による南北経済格差の是正を要求(リマ宣言)。資源ナショナリズムの高揚を背景に,新国際経済秩序卯(NIEO)宣言が1974年の国連資源特別総会で採択されるなど,北側に対する南側の圧力は著しく強まった。しかし1980年代にかけて急増した累積債務は南側各国にとって重圧となり,また一方では,資源問題は南側諸国間の経済格差(南南問題)を進行させ,南北問題をより複雑化している。さらに1980年代末からは地球環境問題が南北問題の重要な一環をなすことが明らかにされ,〈持続可能な発展〉という方向が提示されている。(百科事典マイペディア)

◎ 南北問題(なんぼくもんだい)north-south problem= 地球の北半球温帯地域以北に集中している先進資本主義諸国と,以南に多く位置する発展途上国との間の著しい経済的格差から生じる経済的,政治的諸問題の総称。この言葉は 1959年末にニューヨークを訪問したイギリスのロイド銀行会長 O.フランクスの「いまや世界の中心問題はこれまでの東西問題から南北問題に移ったのであり,したがって資本主義諸国は南の世界,すなわち発展途上国の開発援助をその対外政策のかなめに据えるべきである」との提言に由来するといわれている。南北問題はその後,単なる発展途上国の経済的開発=工業化問題ではなく,発展途上国による国際経済秩序変革の要求と,それに対する先進資本主義諸国の対応という2側面を含むにいたった。それは経済的であると同時に政治的問題でもある。なお南北問題を討議する国際会議の場として,国連に直属する国連貿易開発会議がある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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(「今すぐ購入: 購買意欲はこうして操られる」| 日本語の予告編 | Netflix)https://www.youtube.com/watch?v=Yqh7gAQboBw

(<Buy Now: The Shopping Conspiracy>の「コンスピラシィ(conspiracy)」のおおよその原意は「陰謀」「結託」「悪巧み」というところです。ネット通販企業のやっている経営の一番の根底には、考え方によれば、それこそ「陰謀」が働いているというほかなさそうな状況にあるとも思われます。これをいかにして「抑制」「節度」のあるものに換えることできるのでしょうか。おそらく、それは不可能で、いかなる配慮や良心が企業や消費者の側に働いても、現状の南側の国々を抑圧し、貧困状態のままに閉じ込めて置くという驚くべき惨状は変わりえないような気もするのです。

 それにしても、いまやネットの世界では「Netflix」が我が物顔で「現場」を徘徊し、睥睨しています。昨年でしたが、このドキュメンタリーを見ようとしたところ、「今すぐ購入」と強いられて、何度も購入を辞(止)めてしまいました。その後は、いろいろな映像に当たり、各種の史料を漁りつつ、この「大量生産・大量消費・大量廃棄」問題をていねいに考えようとしたところでした。何を隠そう、ぼくもこの歳になるまで、「大量生産・大量消費・大量廃棄」の渦巻きに巻き込まれて、それを「よしとしていた」のですから、いまさら「大企業の陰謀」を知るまでもなく、その企みの隅々までを、これまでに嫌というほど知らされてきた。今だって、ぼく自身は頻繁にアマゾンを利用して通販の品物を受け取っていますから、少なからず、この問題にはわが心も疼いていたのです。

 現下の別口の問題です。「2027年末までに、一般照明用の蛍光灯の製造・輸出入が終了します。水俣条約締約国会議の決定を受け、水銀使用製品である蛍光灯は2026年1月より順次、製造と輸出入が規制されます。そのため、今後は、計画的にLED照明への切り替えをお願いいたします。なお、規制開始後も、蛍光灯の継続使用、在庫の売買及びその使用は可能です」(経済産業省)という呼びかけがなされています。例によって、この問題の発生は早い段階から分かっていたことですのに、企業側の論理や収益(利益)に配慮して、今頃になって、とにかく「早く交換」しなければ、と急(せ)かすのです。もちろん「電球」だけを変えればいいというわけにもいかず、場合によってはかなりの工事を伴うことにもなりかねないし、何よりも「使用済み」製品の途轍もない大量廃棄の行方が気になるところです。

 「過剰消費の代償は『貧しい国の人々の健康で払われている』ブラックフライデーからクリスマスへと商戦が続く折、クリックの前に想像してみたい現実である」とコラム氏は結ばれています。しかし、この「南北問題」はさらに長く深く続くに違いないと、暗澹たる思いに駆られる。「産業廃棄物(industrial waste)」という名の現代社会の「生活の質・水準」を如実に示す「象徴」を目の当たりにしながら、ぼくたちは生き続けなければならないのでしょう。昨日のニュースによると、「EU」は35年までに生産を禁止する予定だったガソリン車の扱いを取りやめたと伝えられていました。「(石油を)掘って掘って掘りまくれ」と言う米国大統領の命令一下、ガソリン車は地球環境をさらにひどく汚染し尽くすまで利用されるのでしょう。深刻に過ぎる問題を前にして、ぼくにはいかなる思案も手段もありません。

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教師は「教える人」ではないよ

【有明抄】憧れの先生 女優の岸田今日子さんは幼いころ、学校に行けない時期があった。母親に説得されて、いやいや2学期から登校した。夏休みの宿題も絵日記も手つかずだった◆そのまま提出すると、先生は「楽しいことがたくさんあり過ぎて、宿題をする暇がなかったのかな」と笑いかけ、白紙の絵日記に大きく「○」と書いてくれた。岸田さんはいっぺんに先生のことが好きになり、学校に通うのが苦にならなくなったという◆教師の存在が学校を楽しくする。おととい佐賀市の少年の主張大会を聞いた。「夢は先生」と語る小中学生が例年以上に目立った。勉強のつまずきや友達との悩みに、いつもやさしいアドバイスで教室を明るくしてくれる。そんな大人のうしろ姿にあこがれるのだろう◆一方で、夢を壊すような現実もある。書類作りや部活指導などに追われ、教師の勤務時間は世界最長という。多様な子どもの可能性を引き出す細やかな指導、保護者のクレーム対応…。AI(人工知能)に置き換えられない仕事だけに悩みも深い◆岸田さんの思い出には続きがある。デビュー後に再会したとき、「○」をもらった礼を言うと、先生は「?」。「あれは丸じゃないよ、零点」。やはり現実はほろ苦い。それでも教育には「ゼロ」をいつか大きな「丸」に変える力がある。なり手不足の救世主たちにそう伝えたい。(桑)(佐賀新聞・2025/10/16)

 昨日のコラム「有明抄」に出ている岸田今日子さんの「逸話」をどう読むか、読むことができるか。今ではほとんど忘れられた女優でしょうが、盛んに映画やテレビで活躍されていた場面をぼくはよく見ていたし、彼女の独特の雰囲気に、ある種の魅力を感じてもいました。不思議な存在だった。つまらない話ですが、たった一度だけ、電車の中で彼女を見かけたことがありました。まだまだご健在の頃だったと思う。所属劇団は違っていましたが、先ごろ亡くなられた仲代達矢さん(1932~1925)とほぼ同時期に活躍された人でした。懐かしさが込み上げてきます。

◎ 岸田今日子(きしだ-きょうこ1930-2006 = 昭和後期-平成時代の女優。昭和5年4月29日生まれ。岸田国士(くにお)の次女。岸田衿子(えりこ)の妹。昭和27年文学座にはいり,「狐憑」でデビュー。28年「大つごもり」で映画デビュー。38年テレビドラマ「男嫌い」,39年映画「砂の女」などで人気をあつめ,テレビ,映画,舞台で活躍。テレビアニメ「ムーミン」の声優としても知られた。平成10年「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞。平成18年12月17日死去。76歳。東京出身。自由学園高卒。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

 それはともかく、岸田さんの不登校時代と、彼女が登校できるようになったきっかけに 一人の教師がかかわっていたという話。しかも、彼女は戦時中は長野に疎開しており(昭和21年飯田高等女学校卒)、戦後に上京し、最終的には自由学園高等部を卒業した(昭和24年)と履歴にはありました。だから、このエピソードの出どころは疎開先の長野県飯田にあった小学校時代のものだったかもしれません。(詳細を調べる手間を省きました)この逸話を一読し、ぼくは直感的に「嘘だ」「作り話です」「盛り過ぎだ」と思いました。つまり岸田さんは「天性の役者」の才能を持っていた、と。もちろん、これはぼくの勝手な想像(推測)ですから、「『楽しいことがたくさんあり過ぎて、宿題をする暇がなかったのかな』と笑いかけ、白紙の絵日記に大きく『○』と書いてくれた」先生がいたというのは本当だったかもしれません、いや、そんな教師が「本当にいたかなあ」という気もする。それはどうでもいいことです。その「憧れの先生」と再会したのが「デビュー後」とありますから、舞台女優としての初舞台後のことだったと思います。彼女の父親は岸田國士氏(右写真)で劇作家であると同時に、劇団文学座創設者の一人でした。彼女はそこの研究所を出て初舞台(「キティ颱風」昭和25年)を踏んだとあります。小学校卒業後、数年を経ずしての再会だったでしょうか。

 「デビュー後に再会したとき、『○』をもらった礼を言うと、先生は『?』。『あれは丸じゃないよ、零点』。やはり現実はほろ苦い」とコラム氏は書かれている。履歴によると、彼女は文章もかなりの程度嗜(たしな)まれており、エッセィ集「妄想の森」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞(平成10年)されたとありました。「白紙の絵日記に大きく『○』」と先生が書いてくれた」というところで終わっていれば、この逸話は完成していたと思います。でも、「あれは丸じゃないよ、零点」と教師が岸田さんの「思い込み」を訂正された、その段階で、この「逸話」は別のステージに変ったのだとぼくは思ったりしています。「零」と「〇」を取り違えることは、よくあることなのか、滅多にあるものではないことか。これもまた、岸田今日子さんにしてみれば、どうでもいいことでしょう。「取り違えた」結果、学校へ行けるようになり、先生が好きになったというのですから、めでたしというところで留めておけばいいこと。それにしても、このような物語として「想い出の教師」を語られるというのは、やはり「教師冥利」に尽きることでしょうね。(余計なことながら、「窓際のトットちゃん」にも、この種の逸話が頻出しています。みなさん、役者ですな)

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 教師になりたいと思う若い人が驚くほど少ないという深刻な事態がこの社会を覆っています。高知県だけが特別ではなく、これは全国的な傾向です。「なりたい」職業ではなく、「なりたくない」職種の、あるいは筆頭かもしれません。もちろん、そこにはいろいろな理由が考えられるでしょう。しかし、誰が見ても教師の仕事が「上意下達」に縛られ、際限のない長時間労働に流され、おちおち睡眠も食事も獲れ(摂れ)ないほどの不健康状態に教師たちを追い込んでいることにあるでしょう。どこかの女性首相が、のめり込み勢い込んで口にしたのが「働いて働いて働いて…」でした。つまりは長時間勤務も休日をも、つまりは「プライべーとな時間」を犠牲にするのもいとわないほどの覚悟のない人には無理な職業と言うのでしょうか。こんな働き人の姿を「滅私奉公(Selfless service)」と、その昔は持て囃された。「ワーカホリック(workaholic)」だけが教職に就くということかもしれません。ここでいう「公」とは国家、公けのことしか意味しないでしょう。個人個人の集合体である「社会(society)」の存在する余地はないことになっているのです。

 「《work(仕事)とalcoholic(アルコール中毒)との合成語》家庭や自分の健康をなおざりにしてまで、仕事をやりすぎる状態。また、その人。働きすぎの人。仕事中毒。1970年代に米国の作家オーツによって作られた語」(デジタル大辞泉)(下の書「近衛文麿による「滅私奉公」の揮毫)

 小学校の教員採用、合格者の約6割が辞退 高知県教委、追加選考へ 高知県教育委員会が今年実施した2026年度の小学校教員の採用試験で、合格を通知した260人のうち約6割が辞退した。採用は130人程度を予定しており、不足分を補うため、今月14日に追加で選考を行う。
 県教委によると、1次試験は5月末に高知市と大阪府の会場で実施し、計468人が受験した。辞退者らを見込んで採用予定の2倍の260人を合格とし、9月に通知したが、12月3日までに61.5%にあたる160人が辞退したという。
 現時点では、県外の現職教員や教職を離れている人らを対象とした別の選考の合格者1人を加え、101人の来春採用を見込んでいる。
 追加選考は40人程度の募集枠に対し、56人が応募。今城純子教育長は「予定人数は確保できるのではないか」と期待を語った。
 県では昨年、25年度採用の合格者の約7割が辞退、12月の追加選考などを経て春採用の129人を確保した。24年度採用分でも約7割が辞退していた。
 今城教育長は「教員サポートの取り組みや高知県で教職に就く魅力をしっかり発信することが辞退者を減らす有効な対策だと考えている」と述べ、採用候補者同士の交流会なども開く予定だとした。
 一方、人材確保に向け、県教委は今年度の試験から大学3年生に事実上の内定を出す新たな仕組みを導入。3年の14人を27年度採用の候補者名簿に載せた。(斉藤智子)(高知新聞・2025/12/04)《work(仕事)とalcoholic(アルコール中毒)との合成語》家庭や自分の健康をなおざりにしてまで、仕事をやりすぎる状態。また、その人。働きすぎの人。仕事中毒。1970年代に米国の作家オーツによって作られた語。

 少子化時代、だから学校統廃合が当たり前に進められています。一つの学校が消えるということは、そこで学んだ教師や子どもたちの歴史・経験が、あるいは学校が存在した地域の歴史が消えることを意味しないでしょうか。今時、「二十四の瞳」(松竹、1954年公開)は流行らないかもしれませんが、何でもかんでも「千の瞳」にしなければ始まらないという、法律や組織の論理が幅を利かせて、教師や子どもを窒息させているのではないでしょうか。教師になりたい若者が消えてゆく現実に、為政者も教育経験者も、ぼくに言わせれば「拱手傍観」のだらしなさです。学校教育が壊滅し、同時に高齢者の生命が脅かされている、これは同時進行の出来事(現象)であって、学校教育の閉塞感極まる事態に密接に連携しているのです。教師に「滅私奉公」を強いる社会は、子どもたちにも「社会的存在」になる前に「公に尽くす」心構えを徹底して鍛える。その「公」とは何ですか。そもそもの「公」とは「国」なんかではありませんね。国よりも、もっと大事な個々人の命の尊厳をこそ、教育が最も避けている、その危険な兆候を教職につかない・つきたくない若者は直覚しているのではないでしょうか。

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 次のコラムに「教師冥利」という語が出ていました。その意とするところは「仏・菩薩(ぼさつ)が人知れず与えるる利益(りやく)。知らず知らずの間に神仏から受ける利益や恩恵。また、善行の報いとして受ける幸福。 ある立場にいることによって受ける恩恵。 職業や身分を表す語の下に付けて、それにかけて誓うという意を表す」(デジタル大辞泉)とあります。「教師冥利」とは、この辞書に示されるどの部分にもっとも近いのでしょうか。「恩恵(grace)」と言う言葉が出てきますね。教師冥利に尽きると、教師をして言わしめるためには、「児童・生徒」の存在はとても大切な契機にもなるし、両者の間に、おそらく「冥利」と「感謝」が生まれるのではないでしょうか。

【談話室】▼▽生徒の人生を照らす光となる。鈴木実さんは1958(昭和33)年、荒砥中で教師冥利(みょうり)に尽きる経験をした。新米教師として赴任した白鷹町の中学校でのことだ。生徒は、後の政治ジャーナリスト田勢康弘さんである。
▼▽転勤先の青森県で父が死亡し、田勢さんは中学1年の冬を郷里で過ごす。担任が鈴木さんだった。3カ月後の春、今度は東京に転校する田勢さんに、鈴木さんは文庫本を贈った。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」。神学校で学ぶハンスが周囲の期待や規則に懊悩(おうのう)する名作だ。
▼▽裏表紙に鈴木さんは記した。「ハンスのごとくなるな。ハンスのごとくさせるメカニズムに抵抗せよ」。田勢さんは本紙への寄稿で「僕の人格形成にはもっとも影響を与えた」と恩師に感謝を認(したた)めた。その鈴木さんが93歳で旅立った。本県を代表する児童文学者でもあった。
▼▽個人的な思い出を記せば、読書感想文の課題図書だった鈴木さんの「オイノコは夜明けにほえる」を小学時代に読んだのが出会いである。後には文化担当記者として、ご寄稿の最初の読者になる僥倖(ぎょうこう)に恵まれた。山形文化の豊かな森に若輩者を導いてくれる温かな光だった。(山形新聞・2025/12/17)

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