神格化された象徴ではなく、…

【三山春秋】▼空っ風に急かされるように12月が過ぎ去ろうとしている。せわしない日常を離れ、年末年始はせめて穏やかに過ごしたい。家族の元気な顔を見られたらうれしさもひとしおだ▼この青年はいったいどんな思いで古里の景色を見たのだろう。米ハワイ真珠湾攻撃で戦死した岩佐直治中佐は出撃前、前橋市内の実家に一時帰郷した。当時1歳ほどだった親族の良夫さん(85)は抱き上げられて頬ずりしてもらったと、後に母から繰り返し聞かされた▼今生の別れになるという予感があったのだろうか。特殊潜航艇5隻を率いて米艦を狙う難しい任務である。岩佐中佐ら戦死者は戦意高揚のため「軍神」と称賛された。ただ敗戦後は一転、その存在を語ることを避ける風潮が生まれた▼墓のある松竹院に、多くの人が墓参に訪れるようになったのは最近のことだ。3回目となった今月の追悼式典には80人が参列し、唱歌「故郷」を歌った▼神格化された象徴ではなく、戦後タブー視された存在としてでもなく、ただ国を思い命を落とした26歳の若者を悼む人が多いように思えた。「国のために死ぬことが当然とされた時代。岩佐中佐らの姿から戦争の恐ろしさを知ってほしい」と良夫さんは願う▼戦後80年の年が暮れようとしている。戦争体験者が減る中、われわれの責任はますます重い。家族と顔を合わせる年の瀬、平和の尊さをあらためて見つめ直したい。(上毛新聞・2025/12/27)

 (ヘッダー写真:「米国にとって第2次世界大戦最初の戦利品となった特殊潜航艇HA-19。故障後に座礁し、日本軍の真珠湾攻撃後、オアフ島の砂浜で撤去を待っている」(PHOTOGRAPH VIA U.S. NAVAL HISTORY AND HERITAGE COMMAND) 

 「1941年12月の真珠湾攻撃に加わった日本の潜水艇が、現在、なぜか米国テキサス州の博物館に残されている。/全長約24メートルの黒く滑らかなこの潜水艇は「HA-19」という名で展示されている。日本艦隊の前衛部隊として出撃し、最初の爆弾が落とされる前にハワイに到着した。/米国立太平洋戦争博物館のあるテキサス州フレデリックスバーグは、のどかな丘陵地帯に位置する人口1万2500人ほどの町。海の色を背景に展示されたHA-19は、特殊潜航艇「甲標的」の一つ。プロペラを搭載した流線形の堂々たる姿は、司令塔が付いた巨大な魚雷にも見える。/HA-19はなぜ、ハワイから6000キロも離れたこの地にたどり着いたのだろう」(以下略)(日経ナショナル ジオグラフィック・2022.12.08)https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/topics/15/271114/030500325/

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 「《戦後80年》岩佐直治中佐を80人が追悼 群馬・前橋市で式典 墓前に献花 日米開戦の発端となった1941年12月8日の真珠湾攻撃で、旧日本軍の特殊潜航艇を率いて戦死した前橋市出身の岩佐直治中佐を追悼する式典が7日、墓のある松竹院(同市本町、明峯慧仙(えせん)住職)で開かれた。約80人が参列し、岩佐中佐の冥福と平和を祈った」(以下略)(上毛新聞・2025/12/08)

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 戦後八十年も、何時もの年と同じように「大晦日の次は元旦」とばかりに「歳替わり」の足踏みがなされていきます。過去の「第二次戦争」に関して、ぼくには語るべき何ものもありません。しかし、語ればきりがなく、止めどもなく溢れでる「思い」は人並みにあるのです。そんな中で「群馬県の軍神」の追悼記事が目に留まり、ぼくは、アッという声をあげて立ち止まりました。岩佐直治さん(戦死時、26歳)、ぼくには未知の人でした。拙宅の近くに沖縄戦の「英雄」の追慕の石碑が豪壮な偉容で立てられています。O 中将は長柄町出身で、1945年6月、米軍の沖縄上陸作戦に遭遇し、志半ばで「自決」された。ぼくはこの元中将について、偶然の機会にある海軍軍人だった人から伺いました。その人は熊本出身だった方で、2年ほど前に亡くなられた。

 日本のいたるところに「戦死者」の記念碑や追悼碑、あるいは顕彰高らかに「英雄視」せんばかりの賛歌を捧げる「記念碑」などなど、それこそ、その一つ一つに応接する暇もあればこそ、やがて、「追悼の墓碑」が、復讐の誓いになるのではないかと思わせるような、仰々しいものになっていくこともあります。

 その代表格は「靖国神社」だと言えばどうでしょうか。追悼の縁ではなく、「戦陣の誓い」を立てる呼び水にしようとする勢力もある。「二度と再び」という「不戦の誓い」「非戦の覚悟」を固めるための「追悼」であればこそ、「死にたくて死んだ」のではない、多くの犠牲者のせめてもの思いに報いることがあるかもしれないのです。ぼくは何度か靖国神社に出かけたが、「A級戦犯」の遺志を確かめるためでもなく、単なる花見だったが、それは「英霊」に失礼に当たるのでしょうか。全国の隅々に「戦争犠牲者追悼碑」や「戦没者慰霊の碑」が林立している、この国の今日において、ぼくに言わせれば「狂気の沙汰」としかたとえようのない「核保有」だの「日本有事」をいとも軽々しく駄弁りながら、いかにも「恬(てん)として恥じない」政治家の面々が権力の中枢にかたまっている現状を、ぼくは嘆くのではなく、思い新たに「不戦の誓い」「非戦の覚悟」を強めるばかりのきっかけにしているのです。国家の規模に比して、膨大な「軍事費」を庶民の生活を犠牲にしてまで整える「平時の政府」とは何でしょうか。

 上毛新聞のコラム氏は「『国のために死ぬことが当然とされた時代。岩佐中佐らの姿から戦争の恐ろしさを知ってほしい』と良夫さんは願う▼戦後80年の年が暮れようとしている。戦争体験者が減る中、われわれの責任はますます重い。家族と顔を合わせる年の瀬、平和の尊さをあらためて見つめ直したい」と。こう書くだけで精一杯なのでしょうか。ぼくには、余りにも「微温」に過ぎると批判をしたくなる。

 群馬・太田市には日本の航空機産業の先頭を切った中島飛行機があった。そのことを抜きにして、群馬県は語れないとぼくなどは感じてしまうほどです。戦争の爪痕は言うまでもなく、戦争に駆り出された犠牲者の遺恨や遺徳もまた、目を伏せることが困難なほどに存在しているのです。(右は長柄町出身の O 海軍中将の慰霊碑)

 冗談でも作り話でもありません。恐らくこの国は、これまでにないほどに「戦意高揚」とは言いませぬが、ある国々を敵視して、少なくともそれに向けて軍備を整えている。同盟国の強固な国家意思を借りて、あらぬ方向で「仮想敵国」に向けた「敵視政策」を練り上げている最中だと思われます。何度も繰り返しますが、いったいどこの国と、この国は「一戦を交える」のでしょうか。歴史を知らない、つまりは「戦争」を知らな子どもたちが、年だけは食っていて、それで「戦争ごっこ」を始めるのでしょうか、冗談では済まされない「愚かなこと」ですね。

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日本でそんな事態(強い経済)は起きない

⁂「週のはじめに愚考する」(壱百)~ 内閣支持率、あるいは首相の支持率が異常ともいうべき「高さ」を維持しているが、その理由は何処にあるのか、ぼくにはよく理解できない。若い人たちの間では「とにかく、女性だから」という「無条件降伏」が最大の理由だとされる。「女性差別」の古い伝統(旧弊)の絶えなかったこの国では、何とも珍しい現象だと感じ入っている。その若者たちの支持率は「90%」を超えているという調査もあった。ここまでくると、これは「調査」などというものではなく、まるで「推し」一本やり、「贔屓(ひいき)の引き倒し」現象に重なるだろうね。仮に、これが野党だった女性議員が政権交代で「首相」になったとしても、こんなばかばかしい珍現象は生じないだろう。要するに、誰かに煽られて、極右の「中国敵視」政治家だったからという、きわめて変更した政治現象で、決して長持ちするものではない。「時間の検証に耐えない」政治現象なんだ。

 「アイドル【idol】」とは「偶像。2崇拝される人や物3憧れの的。熱狂的ファンをもつ人」(デジタル大辞泉)というらしい。現職総理が「アイドル」並みの人気を有するのは、彼女が、いわゆる「アイドル」でも「マドンナ」でもなく、これまで一度だって総理大臣の椅子に座れなかったという、遅れ切った我が社会の「黒歴史」の中で、「最初に座った女性」という意味で、きわめて稀有な存在になったということだろう。正確にに言うと、「女性天皇」は数多(あまた)輩出してきた国柄、「ガラスの天井」なんか、とっくの昔にぶち割られていたのだが、「男社会」の順風美俗から見れば、やはり「我が邦」始まって以来(つまりは明治維新以降)の、(女性宰相は)珍現象というわけだ。この女性宰相は「女性天皇」生には反対らしいから、なんとも阿保らしくなるのだ。その理由を聞いて、呆れるぞ。

 だが、どこから見ても奈良の彼女は「偶像」でも「崇拝される人」でもなく、あえて言うなら、高齢者一歩手前の「(かつての)女性アイドル」という「珍奇な人物」と言えなくもない。だから、現段階では、何ができる、何をしたかはほとんど不問に付されて、とにかく、闇雲(やみくも)にか、計算してか、常に「突っ張っていて」、「尖っていて」、「誰に対してもはっきりとモノを言う」、そいう点が「女性らしくない」と買われて、あまり賢くない有権者の間で支持者が多いのだろう。これが本当に「女性だから」というものなのかどうか。「女性離れした」、男性化した女性だから、ある層の人たちからは(一瞬ではあれ)、それが熱狂的に受け入れられている理由だといったら、多くの支持者から、ぼくは張り倒されるかもしれない。(私は「首相の品性」というものに目を閉じたくない、ひとりの「後期高齢者」男子の本懐・本音だ。男であれ、女であれ、それなりの地位に就く人間の「品性」は失ってほしくないのだ)

 つまり、現下の我が邦は、世界における「アタックNo.1」ということです。放漫財政、インフレ増税、返す当てのない「借金(赤字国債)漬け」の八方ふさがり状況に猪突猛進する理由は、たった一つ「強い経済」という夢物語を地で行こうとしている。まるで「目を開けて夢を見る」という、戯(たわ)けきった所業ではないか。もう始まっている「円売り」に、一たまりもなく、政権は瓦解する、ぼくには確信があると言っておこう。

 (現首相は「暴言」「放言」を指摘されても、時間稼ぎをして有耶無耶にしてしまうという特技の持ち主。「核保有」発言に関しても意図的沈黙を保っているという、不可解で不愉快な姿勢を取っている。間違いを指摘されても、愚図愚図して、少しも指摘された当該問題に向き合わないで、嘘をつき通す、そんな芸当ができる政治家だと思う)

≪社説≫「実は何度もアタックを受けています。水面下で防いでいるので大事に至らないのです」
 財務省の国債担当責任者からかつて直接聞いた言葉です。当時の上司の高校時代の同級生で、開けっ広げな性格の人物でした。
 ここでいう「アタック」とは、為替などの金融市場で投機筋が、特定の通貨や国債を大量に売り浴びせる攻撃を指します。国が維持しようとする通貨価値と、市場の評価との間に大きな差があると起きる可能性が高まります。
 この財務官僚が言わんとしたのは、円売り攻撃を何度も受けているが、財務省が直接介入や金融機関を通じた為替介入で、円を守っているということです。
 投機筋の攻撃で通貨を守れない場合、悲惨な状況に陥ります。
 英国通貨ポンドは1992年、実勢レートよりも価値が高いと見なされ、投機筋の攻撃を受けました。ポンドの価値は暴落し、不況に拍車がかかる裏で、投機筋は安くなったポンドを買い戻す取引を繰り返して、大もうけしたといわれています。
紙幣刷って借金返済?
 97年にはタイやマレーシアなどの通貨も次々とアタックを受け、韓国にも襲いかかりました。
 韓国はウォンを守ろうとしたが、外貨準備高が底をついて国家財政が破綻。自前で予算が編成できず、一時的に国際通貨基金(IMF)の管理下に入りました。
 自国通貨の暴落は大量の失業や企業倒産を招き、多くの国民の人生を暗転させます。
 「日本でそんな事態は起きません」。日本では、多くの政治家や経済の専門家が自信たっぷりに主張します。本当なら、これほどうれしいことはありません。
 そんな主張を支えているのが現代貨幣理論(MMT)。2016年米大統領選の民主党予備選で、リベラル派のバーニー・サンダース候補の経済顧問を務めたステファニー・ケルトン・ニューヨーク州立大教授らが提唱している独自の経済理論です。
 簡単にいうと、独自の通貨を発行して変動相場制を維持している国は、国に借金があっても紙幣を増刷して返済すればよく、財政を出動して景気を良くすればいいという内容です。対外債務が多額でなければ、財政も破綻しないと強調します。
 この条件に合う国があります。日本です。巨額の財政赤字を抱えていますが、国債を購入する大半は日銀などで、対外債務は他国との比較では多くありません。
 大規模金融緩和を長期間続けて「紙幣」を大量に市場に流す一方、国の借金を返済している点も当てはまります。国内総生産(GDP)の2倍以上ある財政赤字も国が保有する土地など公的資産を差し引けば、他の先進国と比べ突出して悪いとはいえない状況。
 こうした条件がそろうとして、積極財政派は「借金はお札を刷って返せばいい」と主張します。
 第2次安倍晋三政権以降の経済政策「アベノミクス」にも、MMTが事実上投影されています。
 アベノミクスは当初、株価を上げて雇用を安定させました。政権は当時、市中に流した大量の資金が新たな投資を呼び起こし、企業収益が潤って賃金も上がるともくろんでいました。
財政赤字拡大への警鐘
 ところが資金の多くは最終的に企業の内部留保として蓄えられ、設備投資や賃金には十分回りませんでした。株価は上がり続けたものの、恩恵を受けたのは国内外の富裕層と大企業に限られます。
 驚くのは高市早苗政権が、アベノミクスとそっくりな経済政策を実施しようとしていることです。効果が十分出なかった政策を踏襲する意図が不明です。「首相は経済をよく学んでいないのではないか」との疑念すら湧きます。
 金融市場で不気味な胎動が始まっています。円安に加え、国債の価値低下を意味する長期金利の上昇が止まらないのです。
 投資家が日本の通貨と国債を手放している状況に、財務官僚がかつて口にした「アタック」という言葉がよみがえります。
 投機筋は、もうかりそうな市場を探して雨雲のように今も漂っています。「ここはもうかる」と思えば、ゲリラ豪雨のように突然アタックを仕掛け、通貨を売り浴びせるのです。
 そんな危機的状況に、日本の財政状況は政府保有資産を差し引けば悪くない、といった言い分は通用しません。高市政権のように財政赤字を減らすことに消極的との見方が広がるだけで、投機の材料に十分なり得るのです。
 財源の裏打ちのない「ばらまき型財政」は、架空のもうけ話に等しいのです。こうした現実を伝え、警鐘を鳴らし続けることは、私たち新聞の役割でもあります。(中日新聞・2027/12/28)

 「独自の通貨を発行して変動相場制を維持している国は、国に借金があっても紙幣を増刷して返済すればよく、財政を出動して景気を良くすればいい(という内容です)。対外債務が多額でなければ、財政も破綻しないと強調します。/この条件に合う国があります。日本です。巨額の財政赤字を抱えていますが、国債を購入する大半は日銀などで、対外債務は他国との比較では多くありません」(上掲中日≪社説≫)

 酒好きの狸が人間の経営する「呑み屋」で杯(盃)を重ねて、しこたま酔っ払ったうえで、気前よく、「釣りはいらねえ」とかなんとか言いながら呑み代を払った。翌朝、店主が調べてみたら、すべて「木の葉」だったという、こんな話が、世界でも特異な国として認知されている我が方では通用するんだね。これも落語の話。また呑み屋だ。呑兵衛の経営者(店主)が開いている呑み屋夫婦の話。酒飲みのかみさんが、まず客として酒や肴(さかな)を注文し、呑み代を現金で支払った。今度は旦那が、カウンターに座り、吞む側に回る。大いに呑んで(酒代)を支払う。先ほどかみさんからもらった「現金」で支払ったとさ。こうして、えんえんと「交互に吞み続け」たのに、終わってみれば、儲けはなく、仕入れの借金ばかりが嵩(かさ)んだとさ。「高市政権のように財政赤字を減らすことに消極的との見方が広がるだけで、投機の材料に十分なり得るのです」「財源の裏打ちのない『ばらまき型財政』は、架空のもうけ話に等しいのです」「こうした現実を伝え、警鐘を鳴らし続けることは、私たち新聞の役割でもあります」と書くのは中日新聞。本当にそうするのか、と訝しがるのは一読者である。警鐘を鳴らし続ける「根性」があるか。

 <蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜> 悠々

 ぼくの感覚(正確にいえば、「直感」)では、この国は「大政翼賛会」体制に入っている。物言わぬ「メディア」、熱病にうなされている有権者(国民)、ひとりの「女帝(みたいな)」総理大臣に「忖度頻り」の多くの政治家。インフレ増税がまるで政治的功績のように「勝ち誇らんばかり」の無能横柄財務大臣もまた、呑み屋のかみさんや夫の如く、店を閉鎖に追いやる一味の代表格だろう。(だんだん<Desperation>、つまりは「やけくそ」になりつつあり…)

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「財政規律」も呆れる、来年度予算案

 GDPには2種類あります。言うまでもなく「名目」と「実質」で、どちらか一つで、国の財政状態や経済政策の優劣を語るべきではないのは言うまでもありません。国の「借金」は1200兆円。2025年度国内総生産は約580兆円。名目では約630兆円。その差額は、要するにこのところの異常な物価高騰(インフレ増税)によるもので、そのために庶民は塗炭の苦しみを強いられています。消費税額が増大し、それが名目GDPを押し上げ、ために、国の借金の比率(対GDP)は下がり続けている。これを財務大臣は「自らの手柄」とでも言いたげな口ぶり。(馬鹿に付ける薬はない)新内閣が発足していら、円安は急速に進み、今は対ドルでは157円台。もちろん、日銀による政策金利の0.75%への利上げは日本国債の投げ売り状況を招きかねないことについても、財務大臣は触れないで、「財政規律」を守った「『いい日本に(122兆)』予算」だと、くだらないところで自画自賛を怠らぬ、無知かつ厚顔ぶりでした。昔から、この大臣の「横柄そうな」顔つきは見たくもなかったし、ものの言い方にも「人を見縊(みくび)る」強い傾向があるので、まともに彼女を見ることは避けていました。だから、目をつむりつつ、「次年度予算案の閣議決定」後の会見を聴取していました。(会見開始予定時刻に大幅に遅れ(「前科」がある)、会見後に所用があるからと、わずか20分そこそこの「新年度予算」決定に関する記者会見に臨むという、その姿勢に「真面目さ」が著しく欠けていたと思う。それにつけても「記者会」の諸氏の「陳腐な質問の連続」という為体(ていたらく)は、例えようもない堕落だな)

 自身は経済や財政の専門家と言わぬばかりの自負がありありでしたが、その発言の一々は聞くに堪えない、「放漫財政」「インフレ頼み」の出鱈目ぶりで、これをして「財政規律」を守ったとは、どの口が言うのでしょうか。「強い経済」「責任ある経済政策」を広言するが、果たして、その根拠はどこを探しても出てこないのですから、ここにもまた「国家規模の虚言」が罷り通っているというほかありません。

 「『トラスショック』再発リスク、英国だけのものではない-アシュモア 英国では2022年9月、当時のトラス政権が大規模な赤字財源による減税策を含む一連の新政策を打ち出したことを受けて、国債利回りが急騰。市場の混乱は深刻で、トラス氏はその後、政策の大半を撤回し、財務相を解任。就任からわずか44日で辞任に追い込まれた」(Bloomberg・2025年11月20日)                                                                            (https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2025-11-20/T60IVNGQ7L1L00

(上図の出典はBLOOMO(投資アカデミー)・https://bloomo.co.jp/learn/library/featured/truss-shock-implication/

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 財務大臣の会見内容について、下手な解説は不要でしょう。聞くだけで十分に、その「無責任さ」がわかるというもの。このような政治家が国の財政・経済運営の頂点に立つということがどういうことかを深く考えると、国家財政、国家経済の破綻(bankruptcy)、というか破算(figuring)は「まぢか(upcoming)」であると言わざるを得ません。「鬼に金棒」とは「unstoppable」というそうですね。

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過去最大122.3兆円の来年度予算案 閣議決定 「財政規律にも配慮」片山さつき財務大臣 歳入の4分の1程度が国債 政府はきょう、過去最大となる122.3兆円の来年度予算案を閣議決定しました。 片山さつき 財務大臣 「財政規律にも配慮して、強い経済の実現と財政の持続可能性を両立させる予算案とすることができた。我々は極めて常識的な秩序ある、責任ある積極財政論者でやってます」(⇙)

 一般会計の総額は今年度を7兆円上回る122兆3092億円で、2年連続過去最大となりました。/医療従事者の人件費の増加に対応し、「社会保障費」は39.1兆円まで増加しています。/借り換えや利払いにあてる「国債費」も長期金利の上昇で31.3兆円に膨らむほか、「防衛費」は初めて9兆円を超えました。/一方、歳入ではインフレなどを背景に税収が増え、今年度当初より5.9兆円多い、過去最大の83.7兆円を見込みます。/また、歳入の不足分をまかなう新たな国債は29.6兆円分発行する計画です。大台の30兆円未満に抑えたほか、歳出に占める割合も低下していますが、歳入の4分の1程度を国債が占める状況に変わりはありません」(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2373740?display=1

  ⁂片山さつき財務大臣 閣議後会見  2年連続で過去最大 来年度予算案122.3兆円を閣議決定」ANN/テレ朝ライブ(2025年12月26日)(https://www.youtube.com/watch?v=EnUaB9W1zCo

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◎ プライマリーバランス(ぷらいまりーばらんす)(primary balance)= 文教、医療・福祉、公共事業、外交・防衛などにかかる行政費用を、借金せずに、税収などの歳入だけでどの程度まかなえているかを示す指標。国の場合、国債などで調達した資金を除いた歳入(税収・税外収入)から、国債の元利払い費を除いた歳出を差し引いて計算する。つまり借金の影響を考慮せずに、単年度の収支均衡がとれているかどうかを示す。基礎的財政収支ともよばれるほか、英語の頭文字からPBと略されることもある。/バブル経済崩壊後のたび重なる経済対策や高齢化に伴う社会保障費の増大で、日本の国と地方をあわせた借金(長期債務残高)は2022年度(令和4)末時点で約1244兆円に上り、国内総生産(GDP)に対する比率は先進国で最悪の約220%に達する。プライマリーバランスを均衡(歳入と歳出の差をゼロにする)させても長期債務残高が減るわけではないが、均衡した場合、債務は利子率に応じて増えるが、税収も経済成長率に応じて増えるため、かりに利子率と成長率がほぼ同一であれば、債務残高のGDP比率は一定に保たれ、債務残高が雪だるま式に膨らむのを抑えられる。このためプライマリーバランスは財政健全化の目安の一つとされる。

 日本はバブル経済が崩壊した1992年(平成4)以降、ずっとプライマリーバランスが赤字である。歴代政権はプライマリーバランスの黒字化を目標に掲げてきたが、ことごとく失敗し、目標年次の延期を繰り返している。1999年に小渕恵三(おぶちけいぞう)政権は2008年度(平成20)までに、2006年に小泉純一郎政権は2011年度に、2013年に安倍晋三(あべしんぞう)政権は2020年度にそれぞれ設定した。消費増税の先送りを経てふたたび2018年に安倍政権が2025年度に、プライマリーバランスの黒字化の目標を掲げた。しかし日本経済のデフレ進行、リーマン・ショック、東日本大震災、新型コロナウィルス感染症(COVID(コビッド)-19)の流行などで、政府が財政出動による経済対策を講じたため、実現していない。2023年時点で、岸田文雄政権は「これまでの目標に取り組む」と2025年度に黒字化の目標を堅持しているが、内閣府は堅調な経済成長(名目成長率3.0%超、実質約2.0%程度)が続いても、黒字化は2026年度になると試算している。(日本大百科全書ニッポニカ)

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高市政権の経済対策をどうみるかー日本版トラス・ショックを回避せよ (石川智久)                             (Economist Column No.2025-058:日本総研)(2025年11月21日)                                            ■規模ではなく的を絞った財政出動と、財政出動を伴わない成長戦略である規制改革を 高市政権は「責任ある積極財政」を掲げているが、責任ある財政政策とは、財政規律を確保しながら、将来の成長につながる政策にしっかりと資源を振り向けることである。高市政権では、物価高対応、危機管理投資・成長投資、防衛力・外交力強化を3本柱としているが、物価高対応は低所得者層等の経済弱者向けに絞ることで金額を抑えることが不可欠である。また、危機管理投資・成長投資、防衛力・外交力強化、については、昨今の国際情勢に鑑みて強化することは重要であるが、金額ありきではなく、真に必要な部分に集中し、ムダを排除していくべきである。(⇙)


高市氏は、英国初の女性首相であるサッチャー氏を目標とする政治家に挙げているが、サッチャー氏は財政再建に注力したことを想起すべきである。他方、物価対策や資産バブル回避のためには金融政策の正常化が求められるが、政策金利を上げていくなかでは、なおさら財政再建が求められると認識すべきである。低位安定していた日本の長期金利が顕著に上昇するなか、財政再建を先送りする余裕はない。英国の 3 人目の女性首相であるトラス氏は財政規律への配慮を欠いたことで金融市場の動揺を招いたが(トラス・ショック)、その二の舞は回避しなければならない。財政再建の中期プランを作成し、強くコミットすることなどを通じて、市場の信認を得ていくことを期待したい。/加えて、財政出動を伴わない成長戦略である規制改革の議論が低調なのは大きな問題であり、早急に取り組んでいくことが不可欠である。(https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=112633

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 余話ながら ぼくの見る悪夢です。「歴史は繰り返す」のではなく、「歴史は韻を踏む」と、真偽は定かではありませんが、アメリカのある作家が言ったとされます。

◎ 国会議事堂放火事件(こっかいぎじどうほうかじけん)(Reichstagsbrand = ヒトラー政権が成立して1か月後の1933年2月27日夜、ベルリンの国家議事堂で起こった放火事件。事件直後、現場でオランダの元共産党員ファン・デア・ルッベが放火犯人として捕らえられ、数日後にはドイツ共産党のトルグラー、ブルガリア共産党のディミトロフら4人が共犯として逮捕された。裁判ではトルグラーら4人は証拠不十分で無罪となり、ルッベのみが死刑となった。この事件は今日でも不明な点が多く論議をよんでいる。ルッベの単独犯行説もみられるが、一般にはゲーリングらナチス首脳が深く関与していたと信じられている。というのも、ナチス政府は事件を機に国際共産主義の脅威をあおり、共産党、社会民主党など左翼を徹底的に弾圧しつつ3月5日の総選挙に臨んだからである。さらに事件の翌28日には、緊急令によってワイマール憲法を事実上廃止し、ナチス党のテロ独裁樹立への第一歩が踏み出されており、高度に政治的な意味がこの事件には与えられたからである。(日本大百科全書ニッポニカ)

麻生財務相、ナチスめぐる過去発言「撤回した」「麻生氏は2013年7月29日、憲法改正をめぐるシンポジウムに出席した際に「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」などと発言。同年8月1日に撤回した。17年8月29日には、派閥研修会で「結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と述べ、翌日に発言を撤回している」(朝日新聞・2021/07/30)

【余録】歴史は繰り返さないが、韻を踏む。「トム・ソーヤーの冒険」で知られる米作家マーク・トウェインの言葉とされる。全く同じではないが、似たようなことはよく起きるという警句だ▲先月の仮想通貨(暗号資産)交換所大手FTXトレーディングの破綻を見て、この言葉を思い出した。裏付け資産のないデジタル証券を担保に借金を膨らませる錬金術が行き詰まったのが主因だ。顧客から預かった資産を自らの事業に流用していたことも発覚した▲ショックは業界全体に波及し、代表的な仮想通貨ビットコインの相場も急落した。問題は一業界のバブル崩壊で済ませられないことだ。背景には、コロナ禍をきっかけに3年近く続いた世界的なカネ余り時代がインフレの影響で終焉(しゅうえん)したことがある▲FTXは顧客に年率8%程度の利息で仮想通貨を預けさせていた。ゼロ金利下では有利な投資に見えた。ところが米国の中央銀行が今春以降、利上げに転じると、国債など安全資産への投資でも高い利回りが見込めるようになった。FTXから資産を引き出す顧客が相次いだ▲日銀も今月、事実上の利上げに踏み切った。金融緩和の幕引きで打撃を受けるのは仮想通貨に限らない。信用力の低い企業の社債や途上国の国債からも投資マネーが逃げている▲2007年の米住宅ローンバブル崩壊後には、金融危機の連鎖によるリーマン・ショックが世界を襲った。今回は韻を踏むような事態にならないか。当局は市場の動向を注視していく必要がある。(毎日新聞・2022/12/26)

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ご挨拶を控えさせて頂くことに…

【夕歩道】おおらかだった時代には、本や雑誌の巻末に著者や投稿者の住所や電話番号が載っていた(ペンフレンド募集なんてのもあった)。今や個人情報を出せば、どんなたたりがあるか分からぬ世の中。▶辛うじて、仲の知れた同士でやりとりする手紙・はがきは廃れていないが、こちらもネットに押されて赤信号か。年賀はがき発行枚数は2004年用がざっと44億5千万枚、今年は7億5千万枚。▶文具店に「年賀状じまい」はがきが並んでいた。「誠に勝手ながら本年をもって年賀状を控えさせていただきます」の印刷文。これで縁が切れちゃうのか。顔を思い出したら、たまに一筆いかが。(中日新聞・2025/12/25)

 もう何年になりますか、とっくに「年賀状」というものをお仕舞にしてきました。いろいろと理由があったのでしょうが、「歳の裡(年内)」に、「明けましておめでとう云々」とは書きたくなかったことと、新年早々は矢鱈(やたら)に雑用が多くて、おちおち「挨拶状」を認(したた)める余裕がなかったから等々、そんなこんなで、年賀状というものに、ついに懐(なつ)かなかったんですね、ぼくは。

 もちろん、ぼくのような「偏屈者」にも、ご丁寧に(と思われます)「年賀の挨拶」を届けてくださる方がたくさんおられます。少なくとも戴いた賀状には、欠かさず返信を書きますが、もちろん年が明けてからですね。即刻(松の内をめどに)の返信も、やがてはすっかり放念して、一月末までは出さないようになりました。長年に及んで教師の真似事をしていましたので、ありがたいことにたくさんの方から「年賀状」を戴きました。五百枚は越えなかったが、それに近い枚数(方々)のそれぞれに、ゆっくり返信するのもなかなかの骨折りとなっていました。そのうちに、これもすでに二十年以上も前のことになりましたが、人一倍「旧暦」が好きでしたから、旧暦の「新春」、つまりは「立春(2月3日ころ)」を目当てに、戴いた年賀状の返信を書くことにしたのでした。人一倍の筆不精ですから、当方からは先に出さない、戴いた方への返信という具合に、まあ好き勝手な「挨拶」を書いてきました。

 その「年賀状仕舞い」の見本の葉書がたくさん売りに出されています。それを見ていて、そのほとんどが「年賀状でのご挨拶を控えさせていただきます」というような文言(紋切型)です。「~させていただく」とは、これ如何に? 多くの説明によると、これは「謙譲語」であるとか、「尊敬語」であるなどと解説しています。不思議ですね、年賀状はもう出しませんという自らの判断に、相手の許可を貰うような貰わないような。あるいは「尊敬語」になるのだろうかと、ぼくは疑問を持ちます。あえて言うなら「丁寧語」なんですよね。つまりは「慇懃語」です、ある辞書によると、「慇懃」とは「真心がこもっていて、礼儀正しいこと。また、そのさま。ねんごろ」(デジタル大辞泉)とあります。ぼくが使いたいのは、むしろ「慇懃無礼」の方かもしれないと、やや懼(おそ)れてもいます。同じ辞書によると「表面は丁寧で礼儀正しいように見えるが、実は尊大で無礼なこと。また、そのさま。慇懃尾籠(いんぎんびろう)」(同上)この「尾籠」とは「礼儀をわきまえないこと」「無礼」ということでしょう。「~させていただく」は、へりくだっているようでいて、「文句は言わせない」と異様な雰囲気が感じられます。

 「年賀状でのご挨拶は控えさせていただくことにしました」「丁寧語」の連続、「ご挨拶」「控えさせていただく」と、何とも「慇懃」満載の「お断り」ではないでしょうか。(右上の「日本郵便」の「挨拶」はどうでしょう。「料金改定により…一枚85円となります」と実に堂々としている。「なります」と、まるで自然現象みたいな物言いで、しかも「挨拶」も「お礼」も一切抜きですから、見事なもの、「盗っ人猛々しい」というのでしょうね。「値上げさせていただきます」とは死んでも言わない覚悟がみえる。「お上意識」の悲しさです。数年後には「一枚300円となります」という次第になるか、その前に会社がなくなるか)

 なぜ、「賀状での挨拶は止めることにします」と言わないのでしょうか。曖昧語の麗しき伝統を墨守・堅持・固持しているようでいて、ぼくにはすっきりしない気分が残ります。「あなたの頬張らせていただきます」って、おかしいでしょ。ぼくも人並みに、これまでにたくさんの「控えさせていただきます」の挨拶状を戴きましたが、どうぞ勝手に、という気分でしたでしょうか。「辞めてくださるな」とも言えず、「お気に召すまま(As you like)」というほかになかったですね。

 「出さない」「出したくありません」という他人の姿勢に対してとやかく言う筋合いはぼくにはありません。ただ「~させていただく」という用法だけはご勘弁を、というばかり。つまらぬことにごちゃごちゃ文句をつけているようで、恥ずかしい限りですが、他人に文句の言えた義理でもありません。いうまでもなく、「本年をもちまして」などという猶予はぼくにはないのであって、「いつ何時、あなたの視野からは失礼させて(消えさせて)いただきます」となるか、知れたものではありません。「この辺りで、つまらぬ文章(駄文)を終わりにさせていただきます」

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社会はさまざまな陰徳に包まれている

 あの日、僕がランドセルを置いた理由 「伊達直人」1号の告白 恵まれない子どものために――。「伊達直人」を名乗り、ランドセルなどを寄付する「タイガーマスク運動」。全国各地で広がるようになったのは今から10年前のことだ。そのきっかけを作った男性が、毎日新聞の取材に、当時の思い、そして、その後に素性を明かした理由などを語った。【鈴木敦子】児相所長「贈り主のセンスに驚いた」 それは2010年12月25日の土曜日の正午ごろのことだった。前橋市の群馬県中央児童相談所(中央児相)の当直職員が、玄関前に、新しいランドセル10個が置かれていることに気付いた。添えられた手紙には「子どもたちのために使ってください」と書かれていた。/児相は家庭で暮らせない子どもたちを保護したり、子育て中の親子を支援したりする機関だ。連絡を受けた所長(当時)の深代栄一さん(69)は、急いで職場に向かった。/「贈り主は?」。深代さんは到着してすぐに職員に尋ねた。「伊達直人さんです」。その報告にピンときた。

 伊達直人とは、1968~71年に少年誌で連載された梶原一騎さん原作のプロレス漫画「タイガーマスク」の主人公。素性を明かさずにファイトマネーを孤児院に寄付していたというストーリーだった。「全国の人がその名を聞けば、ストーリーを思い浮かべられる。贈り主のセンスに驚きました」/深代さんは県庁の広報部門に勤めた経験がある。これは注目を集めるだろうと思った。報道機関に発表すると、案の定、取材が殺到した。地元の新聞やテレビだけでなく、在京のワイドショーや週刊誌も大きく取り上げた。(以下略)(毎日新聞・2020/12/29)

 左上右写真も:「群馬県中央児童相談所の玄関前に置かれた10個のランドセル。その後、伊達直人を名乗って寄付する「タイガーマスク運動」が全国に広がった=2010年12月25日、群馬県提供)

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 伊達直人」が素顔公表 群馬県在住の河村正剛氏 ランドセルを児童養護施設や学校に贈る「タイガーマスク運動」の先駆けとなった「伊達直人」こと群馬県在住の河村正剛氏(43)が7日、東京・後楽園ホールで行われた初代タイガーマスク佐山聡のプロレス団体、リアルジャパンプロレスのイベント「初代タイガーマスク35周年記念大会」に登場し、リング上で素顔を公表した。/ 河村氏はタイガーマスクに促されてリングインすると「子どもたちは虐待されるために生まれてきたんじゃない。抱きしめるために生まれてきたんだ」と訴えた。/なぜ、素顔を隠してランドセルを送ってきたのかについては「世の中が、このままじゃダメだ。子どもたちは、涙を流すために生まれてきたんじゃない。笑顔になるために、周りの人を笑顔にするために生まれてきたんだ」と、切々と訴えた。/そして最後に「全ての子どもたちへ…生まれてきてくれて、ありがとう。健やかに育つことを祈ります。頑張ってね」とメッセージを送り、リングを後にした。(2016/12/07)

 (左上写真:全国各地の児童養護施設や学校に、「伊達直人」の名前でランドセルや筆記用具などのプレゼントを届ける「タイガーマスク運動」。その先駆けとして活動した男性が2016年12月7日、初めて本名と素顔を公開した。/   東京・後楽園ホール(文京区)で行われた、実在のプロレスラー「初代タイガーマスク」の35周年記念イベント。満員の会場に響いた「伊達直人!伊達直人!」という歓声とともに登場したのは、漫画『タイガーマスク』の主人公・伊達直人を名乗る寄付運動を世に広めた、河村正剛さん(43)だった。/「初代タイガーマスク」ことプロレスラーの佐山聡さん(59)とともにリングの中央に立った河村さんは、自身の行動がきっかけとなって全国に広まった「タイガーマスク運動」への思いを熱く語った。

   10年以上前から児童養護施設への支援を続けていたという河村さんは、前橋市在住の会社員。だが、施設を利用する子供たちの数が年々増えていくにつれ、「世の中がこのままじゃだめだ、世の中を何とかしたい、世の中にメッセージを送りたい」と考えるようになったという。その上で、「世間にメッセージを届けるにあたり、ある人に協力して頂こうと考えました。それは・・・、タイガーマスクの伊達直人です」

と話した。続けて、「子供たちは泣くために生まれてきたんじゃない、抱きしめられるために生まれてきたんです。こうした思いを胸に、僕はこれからも活動を続けていきたいと思います」と宣言した。(以下略)(JCASTニュース・2016/12/07)

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【有明抄】ノブレス・オブリージュ 「陰徳」という言葉がある。誰も見ていないところで行う善行のことだ。西洋には「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。「高貴な者の責務」と解釈される。貴族階級の人たちには自発的で無私の善行が求められるという意味だ◆これを実践した一人が聖ニコラウス。3~4世紀に生きた司教である。その慈善活動はサンタクロースのモデルとも伝えられる。3人の娘がいる困窮の家庭を助けようと、司教は真夜中に訪れ、家に金貨を投げ入れる。たまたま靴下の中に入ったその金貨で3姉妹は救われたというお話だ。「ノブレス・オブリージュ」の精神をたたえ、語り継がれてきた逸話と感じる◆今夜はクリスマスイブ。この時季になると思い出すのは佐賀市の児童養護施設にクリスマスプレゼントを贈ったという「月光仮面」さんの記事。金額の多寡ではない。匿名でそっと届ける善意が心にしみる。そういえば15年前、漫画「タイガーマスク」の主人公、伊達直人を名乗る匿名の寄付が児童養護施設に相次いだ◆気づきにくいだけで、社会はさまざまな陰徳に包まれている。笑顔でプレゼントを受け取った子どもたちが大きくなった時、「今度は自分が贈る番」と、匿名の寄付行為を始めたりして…◆サンタが届けたかった贈り物は案外、そんな「思いやりの循環」かもしれない。(義)(2025/12/24)
【金口木舌】ドライバーにもリスペクトを クリスマスイブ。子どもたちにとって今夜は最も心が浮き立つ夜だろう▼サンタクロースには謎が多い。真っ赤な衣装で大量のプレゼントを配っているはずなのに、誰にも見つからない。詮索せず恩恵を享受するのが賢いのだが、小学生の頃はほぼ徹夜でサンタを待った。親のあきれ顔を今も覚えている。良い子は早く寝よう▼サンタは社会より数十年早い「置き配」の先駆けと言える。受け取りのサインもハンコも求めず、子どもたちにプレゼントを残して感謝を一身に集めている▼宅配便は、EC需要の拡大や残業規制の強化などで全国的に人手不足が深刻だ。特に受取人の不在による再配達が負担となる。全国で年間約50億個の取り扱いのうち、約8・4%の4億2千万個が再配達になっている▼政府は今後、置き配を標準サービスに加える方針だ。サンタのように家の中に置き配ができない以上、盗難対策や、何より社会の感覚が変わるまでにはトラブルもあろう。でも、年に1日のサンタと違い、ドライバーは社会インフラを常に支えている存在だ。サンタと同じくらい、リスペクトを忘れないようにしたい。(琉球新報・2025/12/24)

WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN Louis Armstrong (聖者の行進/ルイ・アームストロング)(LIVE改) 初演1938 音源1955 映像1959:https://www.youtube.com/watch?v=JlzMHaf6mJw&list=RDJlzMHaf6mJw&start_radio=1

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◎ ノーブレス‐オブリージュ(〈フランス〉noblesse oblige)《「ノブレスオブリージュ」とも》= 身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。元はフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。

◎ 高貴= こう‐き〔カウ‐〕【高貴】[名・形動]身分・家格などが高く貴いこと。また、そのさま。「高貴の出」「高貴な家柄」人柄などに、気品のあるさま。「高貴な精神の持ち主」
値段が高くて貴重なこと。また、そのさま。「高貴な薬」[名]「高貴織り」の略。(デジタル大辞泉)

◎ ライオンズ・クラブ(Lions Club)= 1917年にアメリカのシカゴで発足し,現在世界157ヵ国および領域に3万6996クラブ,133万1055名の会員(1984)を擁する国際的社会奉仕団体。正式の名称は〈ライオンズ・クラブ国際協会International Association of Lions Clubs〉で,本部はアメリカのイリノイ州オークブルックにある。各ライオンズ・クラブは国際協会を構成する一単位で,クラブの存在する地域に対してさまざまな奉仕活動を行う。会員は,善良な徳性の持主で地域社会において信望のある成年男子の中から厳選され,入会は招請のみによる。日本においては1952年に初めてのクラブが東京に結成され,84年現在,アメリカに次いで世界で2番目の会員数(14万9112名),クラブ数(2704)を有する。協会の目的は,奉仕活動を通じて,世界の人々の間に相互理解の精神を培うこと,地域社会の生活,文化,福祉および公徳心の向上に積極的関心を示すことにある。モットーは〈We serve(われわれは奉仕する)〉である。(改訂新版世界大百科事典)註 liberty,intelligence,our nation’s safetyの頭文字から作られた(LIONS)

◎ 月光仮面= 川内康範原作のテレビ映画「月光仮面」の主人公。白いターバンに三日月形のマークをつけ,全身白ずくめの衣装でオートバイにのってあらわれる。正体は探偵祝(いわい)十郎。大瀬康一主演で昭和33年から放映されて子供たちの人気を得,日本のテレビが生んだ最初のヒーローとなる。桑田次郎画で漫画化もされた。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

 (⇧と⇩の2枚の写真FANNOVA・https://fannova.jp/projects/randoseru

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 世界のいたるところで、打ちひしがれている人々、否応なく恵まれない環境に置かれている子どもたち、「差別と偏見」の刃を突き付けられてもなお、生きようとしている人々。このような助けを必要としている多くの人々の数には比べるべくもないが、必ずそこには「(助けられるのだから)助けることが自分の義務である」と感じて、清らかな行為を続ける人々がおられます。

 ぼくが初めて見たテレビ連続ドラマは「月光仮面」でした。「どこの誰かは 知らないけれど 誰もがみんな 知っている」という謎かけのような唄い出しで颯爽と月光仮面は疾走していました。「正義の味方」というのはこういう存在かと、中学生にはきわめて新鮮だった。もちろん、免許も持っていないし、マスクをかぶるのは息苦しいなあと、月光仮面になるのは早い段階で諦めたけれど、「どこかで不幸に 泣く人あれば かならずともに やって来て 真心こもる 愛の歌」「誰でも好きに なれる人 夢をいだいた 月の人」、こんな存在がいるのかどうか、ぼくは年を重ねるとともに、「疾風のように現れて」というような、潔くも清らかな人間の真似をしてみたいと思うようになりました。(ぼくは宮沢賢治も大好きでした)

 近年では、最も大きな刺激を受けたのは「伊達直人」でした。本物のレスラー・タイガーマスクは知っていたけれど、リングには上がらないタイガーマスクもいるのだと、大いに元気づけられました。ぼくの知る限り、世界中に「月光仮面」や「伊達直人」は、今もなお人知れず、「正義の味方」「弱者の仲間」として活動していることをぼくは知っています。この社会にも、どれほどたくさんの「助けを求めている子どもたち」がいることか、ぼくには、まるで自分のことのように気になり続けています。本日は「クリスマスイブ」だそうです。トナカイも橇(そり)にも無縁な「和製サンタクロース」も疾風のようにやってきて、疾風のように去っていくことでしょう。その後に清々しい一陣の風を遺して。世界は「陰徳」(「人に知られないようにひそかにする善行。隠れた、よい行い」デジタル大辞泉)に溢れていると思いたいですね。

作詞:川内康範、作曲:小川寛興
1 どこの誰かは 知らないけれど
  誰もがみんな 知っている
  月光仮面の おじさんは
  正義の味方よ よい人よ
  疾風(はやて)のように 現れて
  疾風のように 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

2 どこかで不幸に 泣く人あれば
  かならずともに やって来て
  真心(まごころ)こもる 愛の歌
  しっかりしろよと なぐさめる
  誰でも好きに なれる人
  夢をいだいた 月の人
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

3 どこで生まれて 育ってきたか
  誰もが知らない なぞの人
  電光石火(でんこうせっか)の 早わざで
  今日も走らす オートバイ
  この世の悪に かんぜんと
  戦いいどんで 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

昭和33年(1958)KRT(現:TBSテレビ)系列で放映されたドラマ『月光仮面』の主題歌。

マタイによる福音書 5章13節 「あなたがたは、地の塩である。だが、塩に塩けがなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられようか。もはや、塩としての力を失い、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけである。」〇マタイによる福音書 5章14節~16節「あなたがたは、世界の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、明かりをともして升の下に置いたりはしない。燭台の上に置く。そうすれば、家にいるすべての人を照らす。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためである」(新共同訳) 

【筆洗】男の子は体の弱い妹のためにケーキを用意しようと考えました。けれども粉や砂糖を買うお金がありません。そこで、村はずれに住む元魔法使いのおじいさんにお願いすることにしました。なんでも、このおじいさん、願いをかなえる魔法をあとひとつだけ使えるそうなのです▼「帰りなさい。最後の魔法は自分のために使うと決めている」。おじいさんは断りました。そこで男の子は村中を回り、お手伝いをして、お駄賃をためました▼やっと材料を集めることができました。けれども今度は作り方が分かりません。途方に暮れた男の子はまた、おじいさんの家に向かいました▼「ケーキは作れん。最後の魔法は自分のためにと決めている」。それを気の毒に思ったのは村のおかみさんたちです。みんなでケーキの作り方を男の子に一から教えました▼きれいなケーキが焼き上がり、男の子はうれしさに駆けだしました。ところが、うっかり転んでしまい、抱えていたケーキは…。男の子はおじいさんにケーキを元通りにしてと、お願いしましたが、やっぱり「最後の魔法は自分のために使うと決めている」▼それがその冬の出来事です。それから何年も後のこと。大人になった男の子はケーキ作りの腕を磨き、妹とお菓子の店を開くことができました。それは、あのおじいさんが最後の魔法でかなえたかった自分の願いだったのです。(東京新聞・2025/12/24)

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日常のずるずるに効果満点の句読点を…

【新生面】心の句読点 「気が焦って淹[い]れるお茶はからきしだめ」と平松洋子さんがエッセーで書いている。ひと仕事を片づけ、ぽかんとしたい昼下がり。または晩ごはんを終えて、おなかも時間も余裕しゃくしゃく。こんなときのお茶は「結構なお点前で」と悦に入る味わいだ、と▼お茶でも淹れましょう、と腰を上げる瞬間が好きだとも。「自分でしゃきっとひと区切り、その思い切りのよさが、日常のずるずるに効果満点の句読点を与える」。すすると香味があふれ、心が弾む。ふわあっと気が緩み、なごみの時間が始まる▼そんな句読点に日本のお茶も一役買っているのだろう。輸出量が71年ぶりに年間1万トンを超えたという。背景にあるのは世界的な抹茶ブーム。抹茶味の飲料やデザートが気軽に楽しめるようになり、原材料の碾茶[てんちゃ]は深刻な品薄だ。家庭で楽しむ煎茶やペットボトルの価格も上昇している▼名産地では抹茶製品を求める訪日客らがあふれ、価格の高騰に各地の茶道教室は悲鳴を上げている。農家の後継者不足などから国内生産量の減少傾向は続き、即効性のある対策は見通せない▼抹茶ブームがいつまで続くのか読みづらく、生産者は気をもむばかりだろう。「伝統文化を守る」という視点からも、安定的な生産量を維持できる国の支援策が求められよう▼<まつちや入りかすていら切り分けようぞ つつぷしてゐるこころを起こし>(東直子)。師走も残り2週間余。気は焦るものの、心の句読点を打つゆとりは必要だ。さて、お茶でも淹れましょう。(熊本日日新聞・2025/12/16)

 一日にどれくらいの量のお茶を飲むだろうか。たぶん、2リットルくらいか。ほぼ毎日、これくらいの量を飲んでいる。紅茶(ティパック)と日本茶が半々くら。極めてまれにはコーヒーも。朝起きたら、先ず日本茶(煎茶)を一杯。簡単な甘味(お茶うけ)を添える。今は日の出は遅いが、たいていは日の出に合わせて、お茶を淹(い)れる、これはもう何十年来の習慣である。使うのはほぼ決まって静岡掛川の茶園のもので、これも三十年ほどになるだろう。器(茶器)はなんでも構わない。その昔はそれなりに急須も湯飲みも窯元を決めては使っていたが、年と共に、何でも構わないようになった。ひたすら使い続けるだけで、ぼくには馴染んでくるのだ。しかし、昔から家には猫たちがたくさんいたから、何時だって、それらに壊されては、その都度新しいものに換えてきた。すっかり馴染んだところで割られる、そんなことの繰り返しである。

 下に、何枚かの写真を出しておいたが、その何れの急須も、右利き用になっている。その昔、たった一度だけ、「左利き用」の急須を見たことがあるが、何でもかんでも、道具は「右利き」オンリーという社会で、誰も不思議に思わないのだ。右は「正義」とか「正しい」という意味の英語から来ている。右は正しい、つまりは「左は正しくない」というのである。「人権」は「ヒューマンライト(human right)」だが、もともとは「人間の右」で、この人間の原義は「男」だったから、「人権」とは「男の右(腕)」という意味を持っていた。加えて、ヒューマンの中には女は入っていなかった。manは人間であり、男ということになっていた。「右は優位」の社会こそが、「男性中心社会」のことだった。だから、その後に「女」に該当する言葉が作られて、それがwomanになった。どうでもいいことを駄弁っているが、道具一つ見ても「男社会」が歴然とするということだろう。

 <right>とは「(名詞として)右側、右方向 右回り、右旋回 〔道徳的な〕正しさ、道理 正確さ、真実性 〔法律・伝統・自然に基づく〕権利」等々。(英辞郎)<left handed>には「〔人が〕左利きの 《スポーツ》左打ちの、左投げの 左手で作った[行った] 〔道具などのが〕左利き用の 左巻きの、反時計回りの 不器用な、ぎこちない、へたくそな 不誠実な、偽りの、本心を隠した」(同上)面倒だから省くが、この「右・左の世界観」は地球上の至る所で、長い歴史と慣習によって維持され続けてきた。今もなお、続いているのは承知の通りであろう。あまり駄弁り続けると「お茶が不味くなる」わけでもないけれど、少なくとも冷めてしまうので、ここで止めておく。

 もう何十年も昔、静岡県のお茶屋さんを訪ねたことがある。掛川近辺だったと思う。茶畑にも入った。それ以来、お茶はもっぱら静岡産のものを使っている。ところが御多分に漏れず、この煎茶をはじめとした「茶葉」の値上がりが甚だしいのである。毎日数回は入れ替えつつ飲むものだから、茶葉はかなり早くなくなる。細かい話は省略するが、ぼくの飲んでいるのはごく普通のもので、使い始めの頃は300gで500円程度のもの。これが、今では2倍3倍に高騰しているのだ。だから、毎日飲む茶はとても苦い、とは言うまい。いろいろな理由で生産コストや何やかやが値上げなのだから、致し方ないのかもしれぬが、このままだと、飲んでいる茶が手に入らないことになるかもしれないと懼(おそ)れている。

 十年少し前、当地に移住してきた際、庭の一角にお茶を植えようとしたことがあった。だが、近所で知り合いになった方から、それはよした方がいいと諭されて、植えるのを止めた。(植えない方がよろしいという理由はっきりとは言われなかったが、ご自身も何度か挑戦してはうまく行かなかったからだと思っている)馴染みの茶葉が手に入る間はぼくは生きているだろうか。駄目なら駄目で、それも致し方ない。コラム「新生面」で書かれているような「お茶の効用」、あるいは「お茶は心の句読点」などという大それた効果はぼくにはないかもしれないが、それでも毎朝、年中ぼくは「お茶」に惹かれるし、お湯を急須に注いで、暫しお茶の蒸れ具合を待つ間の瞬時(数分間)が愛おしいという気にはなる。すべては我流で、飲みたいときに、飲みたいようにお茶を淹れる。誰に邪魔されることもなく、一服の煎茶(ティータイム)がぼくにもたらす「幸い」は、本人が気づいていないだけで、なかなかのものがあるのかもしれない。ある時期までは飲み物なら、何でも(紅茶でもコーヒーでも)一端は急須に入れてから、茶碗やコップに注いでいた。つまり「万事、急須」という仕掛けだったんだ。「不愉快なこと」「不都合な出来事」ばかりの日常に、打ちようのない句読点ではなく、胃袋に染入るような煎茶の甘みと渋みが、それこそ、老いぼれの胃の神経を刺激し、その指令(神経伝達)が全身にいきわたるような心地がするのだから、やはり、朝一番の「煎茶」はぼくには欠かせない。「早寝早起き 煎茶がうまい!」

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◎ にほんちゃ【日本茶】《栄養と働き》お茶はアジアの亜熱帯地域を原産とするツバキ科の植物です。お茶を飲む習慣は4000~5000年前に中国ではじまったとされ、日本には聖徳太子の時代に、仏教とともに伝来したと考えられています。/ 当初、もっぱら薬として利用されていたお茶が一般に広まるのは、鎌倉時代の僧・栄西(えいさい)が抹茶(まっちゃ)を日本に伝えてから。その後、千利休(せんのりきゅう)によって茶道の体系が完成し、さらに江戸時代に入ると、現在と同様に煎茶(せんちゃ)として飲む習慣が一般的となります。/このように、もとをたどると中国伝来の文化であるお茶ですが、日本に伝わってからは独自の発達を遂げました。/そんな日本茶が中国茶と大きく異なるのが、茶葉の発酵法です。/お茶の葉は摘み取った直後から、自身のもつ酸化酵素の働きで発酵をはじめます。この発酵のさせ方に多彩な種類のある中国茶や紅茶に対し、日本茶は発酵をさせない緑茶のみ。また、発酵を止める加熱法も、中国の緑茶が釜煎(い)りでの加熱なのに対し、日本のお茶は大半が蒸気で蒸(む)しています。/そのため、日本茶はお茶独特のうまみや渋み、青っぽい香りが、より鮮明に味わえるのが持ち味です。

 以下に、おもな日本茶の製法とその特徴を挙げておきます。
煎茶/もっとも一般的な日本茶。日光をあてて育てた茶葉を蒸して揉(も)み、乾燥したもの。甘み、渋み、香りのバランスのよさが持ち味。
玉露/畑におおいをかけ、日光をさえぎって育てた茶葉でつくられる高級茶。うまみ、甘みが強く、香り高い。これをひいたものが抹茶。
番茶/伸びすぎてかたくなった茶葉や、茶畑の刈り込みでとれた茶葉でつくられるお茶。渋みが強めで、すっきりした味わいが持ち味。・ほうじ茶/番茶を焙烙(ほうろく)で煎ったお茶で、特有の香ばしさが特徴。カフェインやタンニンが少なく、刺激が弱いので子どもやお年寄りにも好適。・玄米茶/番茶や煎茶に、煎った玄米を混ぜたお茶。ほうじ茶とは異なった香ばしさがあり、日常用のお茶として人気が高い。・粉茶/製造途中でできる、茶葉の粉だけを集めたお茶。煎茶のものと玉露のものがある。味が濃く、寿司屋のお茶としておなじみ。(中略)

〈栄養成分をまるごととれる抹茶に注目〉
 ところで、日本茶の飲み方として、煎茶以上に注目したいのが抹茶(まっちゃ)です。茶葉に含まれている成分は、煎茶のようにお湯に抽出した場合、含有量全体の3分の1程度しか溶けださず、とくに脂溶性ビタミンのカロテン、D、Eなどは大半が茶殻(ちゃがら)のほうに残ってしまいます。/しかし、抹茶は茶葉そのものを粉にして飲むわけですから、これらのお湯に溶けださない成分も、残らず摂取することができるです。とくに、二日酔いには1杯の抹茶がたいへん効果的。茶道の先生に長寿で健康な人が多いのは、抹茶のおかげとよくいわれますが、それもこうした話と無関係ではありません。/また、同様の観点から、煎茶を飲んだ場合も、残った茶殻を捨ててしまうのは、たいへんもったいない話です。茶殻は野菜として食べられるので、料理に使って、残っている栄養素をしっかり利用しましょう。(以下略)(食の医学館)

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