蓋のない冬空底のないバケツ(白泉)

【日報抄】「棺桶(かんおけ)まで歩こう」。刺激的なタイトルに目を奪われ、一冊の本を手に取った。著者は在宅緩和ケア医の萬田緑平さん。2千人以上のみとりに携わった経験から、こう断言する。「人間というものは、歩いている限りは死にません」▼本書には、重い病を抱えながら、命の火が消える直前まで自分の足で歩いていたケースがいくつも紹介されている。歩くことは生きること-。読み進めるにつれ、そんな思いを強くした▼作家の島田雅彦さんは、歩いて考える「散歩哲学」を提唱する。同名の著書で「よく歩く者はよく考える。よく考える者は自由だ」と宣言した。歩行は根源的な移動手段であり、移動の自由は基本的人権の一つと言える。それゆえ、島田さんは歩行の大切さを説く。「たとえ、杖(つえ)や車椅子を使っても、移動の自由と権利だけは手放してはならない」▼「歩み」という言葉は「歩くこと」だけでなく「物事の経過」や「歴史」という意味でも使う。人の場合なら「歩み」は「人生」や「日々」と言い換えられる。2025年、自分自身や社会の歩みは、どんな様子であっただろう。振り返ってみたくなる時節だ▼わが1年の歩みは「ぼちぼち」だったか。けっこう「ふらふら」していたかもしれない。「よろよろ」「よれよれ」でもあったような。顧みれば反省ばかりだが、どうにか年の瀬にたどり着いた▼初歩、譲歩、歩合、牛歩…。「歩」の字が付いた言葉は多い。多少は進歩することを願いつつ、新年も歩みを続けたい。(新潟日報・2025/12/27)

 歩いている間は死なないと言われるのは当然のようにも思うし、歩いている間に死ぬということだってあるでしょうとも言いたくなります。「行き倒れ」って言うでしょ。あるいは「ゆき倒れ」、それはどういう状態を指すのでしょうか。例によって、目前の辞書によると「ゆき‐だおれ〔‐だふれ〕【行(き)倒れ】読み方:ゆきだおれ 病気・寒さ・飢えなどのため、道ばたで倒れたり死んだりすること。また、その人。行路病者。いきだおれ」(デジタル大辞泉)とあります。確かに道を歩いていて、何かの不都合で歩けなくなった人を指すようですから、やはり「歩いている限りは死にません」となるのでしょうか。

 ぼくはこの「コラム」の掲載紙は購読していないが、それこそ「折々に」ネットなどを通して読んできました。若い頃は三十年近くは毎日読んでいました。高校生の頃に、将来は新聞記者になろうかなと思ったことがあるくらいに、なぜだか新聞記者に憧れた時期が思い出されます。同級生や後輩が新聞社に勤めだした時期も、ぼくの中にはある種の「憧(あこが)れ」は燻(くす)ぶっていましたね。今はその反動のような態度で新聞と付き合っていますが、なかなかに平衡感覚が育たないのはどうしたことでしょうか。戦後昭和のある期間は「新聞紙全盛時代」だったともいえるでしょうが、その時代には「新聞広告(折込も含めて)の量」に閉口したことも覚えています。たくさんの広告を取らなければならないから、紙面(頁数)が増える、紙面が増えるからさらに広告費を求める、この「いたちごっこ」の末に、新聞は記事・紙面内容よりも頁数増を選んだから、必然的に紙面の内容(質)が極度に薄まったのです。新聞批判をしたいのではなく、「ジャーナル」という語の当たり前の意味に思いを寄せたいということです。

 「日刊の印刷物」「日刊新聞」、それをここでは「ジャーナル」といっておきます。そんな「日刊新聞」の中で、ぼくが最も好んで読んだのは「生活面」であり、小さな小さな「コラム」類でした。いまでもその形跡は残っている。「社説」「論説」よりは「コラム」です。「社説」には目を通すけれど、ほとんどぼくの視野には入らないものが圧倒的す。しばしば「社説は盲腸だ」と揶揄されてきましたが、今はどうでしょうか。ぼくも気を取り直して読み続けますが、その書きぶりが好きにはなれませんね。命令調で「~せよ」「~するな」と、いかにも上から目線で、いったい誰に向かって贅言を放つのでしょうか。そこへ行くと、「コラム」は読みやすいし、その短文(多くは500字内外)がいいですね。

 引用している「折々のことば」、何もこのコラムに刺激されて、こころを入れ替えるとか、反省しきりというのではないんですね。いろいろな「箴言風」「覚書程度」の言葉に出会って、ぼくは「あっ、そうなんだ」とか「えっ、たしかにね」と思わず驚嘆の声をあげる、そんな経験が嬉しいのでしょうね。若い頃に学んだドイツ哲学者の言葉に「あっ、体験 !」(Ach, Erfahrung(Erlebnis)!」という言葉に甚(いた)く感じ入ったことがあります。「なるほど、そういうことだったんだな」という、自分のみに語り掛け、呼び掛ける、そんな経験・体験こそが教育の原初だということだったと思いました。

 本日の「日報抄」は旧臘27日のものですが、何時か触れたいと保存していました(このような記事は何百と取ってあります)。とにかく、足を動かす、それは体全体を動かすことであり、脳の働きが機能している証拠でもあるでしょう。作家の幸田文さん(1904~1990)に「歩くとは考えることです」という体験談があります。彼女は一時期、千葉県市川に住んでいて、そこから都内の女学校に通っていたという。その往復はいつも徒歩だった。その往復の歩く時間こそが、彼女の思考鍛錬時間だったと、その経験を偲ばれています。コラム氏が紹介している島田正彦さんも御同様の「あっ、体験」をされたのでしょうか。萬田緑平さんの「在宅ケア」の、ある意味では偉業といってもいいような行為に甚く動かされもします。「寝たきり」に行くまでに、とにか歩くことに挑む、そんな人生の醍醐味がこちらにも伝わってくるようでもあります。

 本日掲載させてもらった三編の「折々のことば」です。岡田和さん。「夢や望みを横において」、「とにかく動き出せば」何かに触れる、何かがやってくる。まるで「犬も歩けば棒に当たる」ような気分になります。解釈には諸説芬々(ふんぷん)ですが、どうぞご随意に。

 ソローさんの「あっ、体験」にぼくはもっとも共感を覚えます。その昔、山に登っていたころ、何度か、登山の達人とされる人から教えてもらった。山登りの醍醐味は「自宅から歩きだすことだよ」には仰天したし、富士登山は「一合目(富士宮本社」から」という先達の言葉にも驚き、五合目までバスで、という我が身を恥じたものでした。ソローの語にある「未知のものと遭遇する機会」とは「犬も歩けば棒に当たる」、その「棒」でしょうね。

ピアニスト反田さんの恩師二人の言葉。一人は「大失敗したら道を直してあげる」といい、もう一人は「君の核は無邪気な子ども。童心に帰ってピアノを弾いてごらん」と諭されたという。

 反田さんは、2021年のショパンコンクール2位だった人。昨年のコンクールで卒業生の娘さんが第4位でした。(コンクールは、ぼくの好みには合いませんが)二人の恩師の「失敗してもやり直せる、だから縮こまるな、自分を偽るな」、そんなことを教えられた、かけがえのない恩師に恵まれましたね。こちらも「犬も歩けば棒に当たる」でしたかしら。これと全く反対の不幸・不運という「棒」にぶち当たることもありますが、なあに、いつだってやり直せるさ。人生で、取り返しのつかない過ちはないと思うね。

 ただ今、午前7時。朝日が高く上り、山の端が煌(きらめ)いていきました。

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煩悩は百八減つて今朝の春

【いばらき春秋】新春をことほぐ元日は2年前、鎮魂の祈りをささげる日となった。午後4時10分、震度7の激震が能登地方を襲う。闇の中で煌々(こうこう)と燃え上がる輪島朝市の映像に誰もが言葉を失った▼行政も市民も虚を突かれた。30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率は、能登の大部分で0.1~3%とされていた。内陸活断層で起こる地震の発生間隔は千年以上と長く、短期的な確率の大小はもはや安全の指標をなさなかった▼能登では2007年にも震度6強を観測し、20年末からは群発地震が続いていた。それでも「わが街は大丈夫」と油断が生じる。誰しも無意識に働く、危うい心理メカニズムである▼自らを省みる。15年前、地の底から突き上げる強震にへたり込み、砕け散る窓ガラスを凝視した。忘れたはずはない。が、「当面は大丈夫だろう」と慢心が心の隙間に巣くっていることにハッと気付く▼政府の有識者会議が首都直下地震の新たな被害想定を公表した。死者は最大1万8000人。本県南部や茨城・埼玉県境を震源とするマグニチュード(M)7級の地震は、明日起きても不思議はない▼いつかを当てるすべはない。しかし、地震国に生きる以上それは必ず来る。元旦、その覚悟を肝に銘じたい。(山)茨城新聞・2026/01/01))

 何はさてあれ、また新しい歳(年)を迎えました。ただ今午前6時過ぎ。日の出はまだのようです。いつものように、来るもの拒まず、去る者追わず、ぼくの積年の心情というか、惰性」になっています。また、「急いては事を仕損じる」とも仲良くしてきました。一番の心構えは「無理をしない」、下手に「頑張るのは厳禁」です。これを飽きもせず、何十年と続けてきました。

 とにかく、いつ何時襲い来るかわからないのが、事件や事故です。自分はそんなものに当たらななどというのは、それが起きるまでのこと。「明日は我が身」といったり、「相身互い身」と思ったり。事件や事故の犠牲になられたのは「ぼくの身代わり」、これもまた、まるで身についた脂肪のようなもので、何時だってぼくにはそのように感じられる。猫にやけに肩入れしていると思われることがあります。「猫が好きなんですか」としばしば聞かれる。ぼくは答えに窮します。好きだからかわいがるというのは、やがて嫌いになったから捨てるというようなもの。まるで下手な付き合いを始めた「異性(同性)」みたいなもの。互いにそれなりに傷つけあいながら、また同じことを繰り返し。

 本日のコラムは「いばらき春秋」でした。何か特別の理由があったからではなく、ネットに出たのが、例年通りに早かったから。というと、コラム氏に失礼に当たりますが、このコラムの特性(品質)は、何時読んでも「長閑(のどか)な」「ゆったり気分」に浸れるからです。どなたが書かれているのか、当番(交代)制なのかわかりませんが、何時読んでも「ゆっくりしているなあ」と思うのです。これは大変貴重なこと。穏やかは、ぼくにはないものですので、なおさらに近づきたくなります。

 隣国では「カルト集団」が日本政界に激震を走らせる記事で持ちきりです。「反日」「反共」のカルト宗教団体が日本の政界を恣(ほしいまま)に動き回り、一票でも票の欲しい政治家を手玉に取ってきたというのです。「旧統一教会の魔手」に引き付けられ、濃淡それぞれでしょうが、「汚染議員」が総理大臣をはじめ、汚染されたままに「政道」に勤(いそ)しんでいるという風景を、【いばらき春秋】なら、どのように描くでしょうか。この国、令和八年の元日です。

 とまれ、日の出が間近かです。意外に寒くないのに一喜し、ネットニュースの「大政翼賛」「右へ倣え」ぶりに一憂しつつの元朝。日の出が間近かです。ともかく、健康であれば、今年も駄文三昧でしょうか。(表題句は漱石作)

 「初明かり地球に人も寝て起きて」(池田澄子)

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【有明抄】午年の初めに 年の瀬に本紙の読者文芸欄を読み返し、一年を振り返るのが習いになっている。小欄に書き残せなかった秀作はいくつもある◆この一首も忘れがたい。〈負け組のひとの悔しさ支えたるハルウララなり夏連れて逝く〉唐津市・瀬戸口正美さん。デビュー以来113連敗。負け続けて皮肉な人気を得た競走馬を悼んだ方がいたことに、いくらか救われたような気がした◆能登半島地震の被災地、石川県珠洲市に引退馬の牧場がある。毎年生まれる8千頭近い競走馬のうち、日本中央競馬会(JRA)で活躍できるのはほんのひと握り。勝利に恵まれず、地方競馬や乗馬クラブに引き取られるならまだいい。行き場のない5千頭ほどが、いのちを絶たれる運命にある◆そんな現実に歯止めをかけたいと、元JRA調教師、角居勝彦さん(61●)らが震災前から手がけていた牧場である。放たれた馬たちが歩き回り草をはむ。それだけで荒れ地がきれいになる。野生動物に悩まされる里山にこんな場所を作れば被害は減らせる。長い避難生活に疲れた被災者も、ここへ来れば不思議と元気を取り戻す◆「この馬たちは、ただ競走に勝てないだけ。ここにいるだけで生きている価値がある」と角居さんは言う。世の中がそんな、こころ安らげる草原のようでありますように。午(うま)年の初め、ささやかな願いで柏(かしわ)手(で)を打つ。(桑)(佐賀新聞・2026/01/01) 

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いざや寝ん元日はまたあすのこと

【産経抄】暮れ行く多端の年 「年忘(としわすれ)」といえば無事に年末を迎えたことを喜び、その年の労苦をねぎらう意味がある。室町中期の文献にはすでに記述が見られるというから、日本人の心に古くから根を下ろしている感覚らしい。久保田万太郎に次の句がある。▼<拭きこみし柱の艶や年忘>。歳神(としがみ)さまの機嫌を損じないよう、かの文士は柱や窓や床を丁寧に拭き上げたのかもしれない。ゆく年を惜しむ感慨に加え、年用意を万端整えた充足感がにじむ。年用意といえば注連縄(しめなわ)を飾ったお宅も多いに違いない。▼「飾った」と過去形で書いた。注連飾りは遅くとも30日までに、済ませていなければならないからである。大晦日(おおみそか)に飾るのは「一夜飾り」の禁忌に当たり、29日も「二重苦」の読みがあるため日柄としては芳しくない。ゆとりをもって年用意を…。そんな戒めが読み取れるのだ。▼いつにない多端の年がまもなく暮れる。夏の参院選後、衆参両院で与党が半数を割り、政治の混迷は深まった。高市早苗氏が日本の憲政史上初の女性首相に就き、連立政権の枠組みも大きく変わった。米国発の高関税の嵐が吹き荒れた年でもある。▼戦後80年の今年は、中露朝が結託し国際秩序に挑戦状を突きつけた年としても記憶されよう。ウクライナの戦火はやまず、平和の祭典たる万博との対照も際立った。天地の異変は収まる気配がない。年忘れの感懐とは別に、人々が覚えるのはそこはかとない不安ではなかろうか。▼置き捨てにできない課題を、きょうと地続きの明日へと持っていくことになる。<いざや寝ん元日はまたあすのこと>与謝蕪村。令和8年への日付変更線が迫っている。明日以降のことは、歳神さまによしなに取り計らっていただこう。どうぞ、よいお年を。(產經新聞・2025/12/31)(ヘッダー写真「那智の滝」に架かる大しめ縄を張り替える神職=27日午前、和歌山県那智勝浦町)も同新聞)

 ここにきて、パソコンが音を上げています。それなりに大きい容量に換えて案してしていましたが、なんと三か月ほど前には、それがほぼ満杯になっていました。迂闊といえば迂闊でしたが、パソコン界隈に対する無知に仕業と、自分ながら途方に暮れています。とにかく、OSをオンにするだけで、相当な容量を喰う上に、当方の与(あずか)り知らないところで、それこそ昼夜を置かずに、更新プログラムや新規のアプリが侵入しているのです。気が付いては除去するのですが、またまたいつの間にか侵入している始末。

 それにしても、OSのいのちともいえるHDDは今は昔になりつつあり、世の中はSSDに時代と宣伝されていたかと思ったら、いや、やはりHDDがいいのだとか何とか、パソコン愛好家や商売熱心な方々の世界にぼくは済んでいないので、要するに、「他わない遊び」を何不自由なく続けられればそれで満足、そんな手合いにも、いかにもパソコン周辺は慌ただし過ぎるのですね。ここにきて、何か世の中が「新時代」に切り替わったわけでもなく、今日の続きは明日になる約束、一日24時間であることかわることもないのですが、それにしても「慌ただしい」と世の中は浮足立っています。本当の「慌ただしい」のかどうか、ぼくにはとても怪しい。12月31日の翌日は、人間世界の約束で1月1日でしかあります。別の約束なら、12月32日だってかまわないくらいのものです。

 なんだかんだ屁理屈を言い立てていても、わがパソコン音を上げ続けている。今夏は特に激しかったのはHDDの熱を佐先ずファンの大駆動の瀬であったかもわかりません。この駄文を書きながら、気持ちは半分は「ナントカ電気」に飛んでいます。あれを買おうか、これにしようかと、OSの容量増に心は奪われている。つまりは「心ここにあらず」と、よしなしごとを綴るばかりで、ぼくの場合は「容量が増えない」のではなく、常の如くに「要領を得ない」のです。

 久しぶりの「産経抄」です。いよいよ「我が世の春」到来と、その意気込みもさらに盛んに生っている。「いつにない多端の年がまもなく暮れる。夏の参院選後、衆参両院で与党が半数を割り、政治の混迷は深まった」「戦後80年の今年は、中露朝が結託し国際秩序に挑戦状を突きつけた年としても記憶されよう」「天地の異変は収まる気配がない。年忘れの感懐とは別に、人々が覚えるのはそこはかとない不安ではなかろうか」…。いつになく神妙にも思われるのは大晦日の故でしょうか。ぼくには暦通りの一日で、気分は普段といささかも変わりません。つまりは「脱世間」を主調とした、わが平々凡々たる「冬に一日」に過ぎません。明ければ「元朝」でしょうが、それはそれ、ぼくは猫の欠伸や背伸びに深く学んで、くよくよすることばかりは卒業したもの。

 コラム氏は粋(いき)ですね、ここに蕪村(1716~1784)をお出しになるとは。<いざや寝(ね)ん元日はまたあすのこと>(『蕪村遺稿』・安永元年12月の作品)合わせて、面白い一句を。<年守や乾鮭(からざけ)の太刀鱈の棒> 掟元日を迎えることを「年守(としもり)」といった。保存食の酒と似た「棒鱈(ぼうだら)」を刀に見立てて、迫りくる「借金取り」を追い払おうという寸法。いかにも時代の風景が見えますね。小さいときは塩っ辛い「棒鱈」をよくしゃぶったものでした。明和7(1770)年の作でした。ぼくは、蕪村にも惹かれますね。<万歳(まんざい)や踏かためたる京の土> 右、蕪村の「万歳図」中ほどに出ています。奈良の都から、新春には京都にやってきて、目出度い「万歳」を寿ぐ、その万歳師たちは、踊りつつ都の土を固めて来たので、京都は押しも押されもせぬ「京(みやこ)」になったという意味。この「駄文録の「HP」に仕立てている表紙部分にも「紙本淡彩奥の細道図」という、与謝蕪村筆・安永八年十月作が引用されています。とにかく、ゆったりとして蕪村の立ち居振る舞い作風が大好きなんですね。いのち存(ながら)えることがあれば、ぼくは「蕪村流」で過ごしたいな。西鶴さん(1642~)にはこんな句が。<大晦日さだめなき世の定哉>

 皆様、あくる年もご健康で過ごされますように。お付き合いの儀、深く感謝します。

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Elle aurait été une légende vivante

【筆洗】子どものころ、家でウサギを飼っていたそうだ。ある晩、かわいがっていたウサギが夕食に出てきた。少女は泣いたことだろう。その記憶が動物保護に取り組むきっかけになったという。俳優のブリジット・バルドーさんが亡くなった。91歳▼「BB(ベベ)」の愛称が懐かしい。親交のあった作家マルグリット・デュラスの言葉がある。「彼女は男たちにとって永遠のあこがれ。世の妻たちから夫を奪う」▼エロチシズム、小悪魔、「頭のてっぺんからつま先まで不道徳」-。BBをめぐる数々のキーワードにその登場に対する、当時の社会の困惑ぶりを想像する▼演技への評価は必ずしも高くないが、言い換えれば、この人には演技力さえ必要なく、その存在自体で時代を大きく揺さぶった。「ルノーに並ぶフランスからの輸出品」。堅苦しい世の中に自由な風を届けた輸出品だった▼比較されるマリリン・モンロー(MM)にはどこか受け身な印象があるが、BBはもっと自分本位で勝ち気か。監督の厳しい指導にときに涙を見せるモンローに比し、バルドーさんは決して泣かない。横暴な監督にはつかみかかったという逸話が残る▼1973年にさっさと俳優業を引退したのも束縛を嫌うこの人らしい。私財を投じ、アザラシやゾウの保護に力を注ぎ、動物虐待と闘った。往年のファンたちがBBをUU(うるうる)で見送る。(東京新聞・2025/12/30)

 ブリジット・バルドーさんに関して、語るべき何物もぼくは持っていない。今から半世紀前に引退し、残りの人生をさまざまな活動に捧げられたが、もっとも衝撃的だったのは早くに引退した後の人生のすべてを「動物愛護」活動に献身的に邁進されたということだった。ぼくの中・高校生時代が、彼女の映画絶頂期だったと思うし、ぼくも何本かは映画館で観たが、その内容にはほとんど触発されませんでした。ところが、四十代直前の人生の大転換には、ぼくは驚愕させられた。それまでの、いわば「栄光」を捨てて、動物の保護活動に生涯を用いられたという、彼女の生き方に大きな衝撃を受けたのでした。

 数年前までその活動の一端を知っていた、長嶺ヤス子さん(フラメンコダンサーとして活躍)(1936 ~ )の「保護猫活動」にも、ぼくは大きなショックを受けた。このことについては、駄文集録のどこかで触れています。保護猫活動のきっかけについては、「昭和55年(1980年)長嶺は車で猫を轢いてしまう。長嶺は、以後、捨て猫、捨て犬を拾って育てるようになり、その数は猫150から160匹、犬15から20匹と言われる。これらの犬猫の養育に時間を取られることが、マスコミをして『猫が足を引っ張る』といわれ、批判、批評の的ともなったが、一方、長嶺にとっては生き物を通して改めて命を見つめる機会ともなっていった」(Wikipedia)都内から房総半島に移住し、更に福島県に移転され、おそらく今なお保護活動を続けておられるのでしょう。(ある時期まで、彼女たちの活動の情報は得ていましたが、近年は途絶えてしまっている)

 一方のBBは旺盛な活動で、あらゆる「動物虐待」に通じる行為そのものを問題視するなど、過激な活動を続けていたし、その情報もぼくはいろいろなつてを介して得ていました。「1986年、彼女は野生動物と家畜の保護に取り組むブリジット・バルドー財団を設立した。/彼女は菜食主義者になり、2013年にはフランスの動物園の病気の象2頭を殺す計画に抗議してロシア国籍を申請するとさえ脅した。/彼女の死を受けて、フランス最古の動物保護団体『動物保護協会』は『動物保護の大義のために尽力した象徴的な人物』に敬意を表した」(BBC NEWS JAPAN)。

 本日午後、何時ものHCで猫の食品を買おうと立ち寄ったところ、ぼくよりいくらか若いとみられるご婦人が大きなカートで、猫用ドライフード(6.5kg)三袋も積んでいた。思わず声をかけたところ、茂原から来た人で、家の内と外に20数匹の猫がいるという。たった一人で面倒を見ていると聞いて、ぼくは頭が下がったのだ。奇特な人もいるもんだな、世の中には。我を忘れて、ぼくは感激した。ぼくのところにも20を超える猫たちがいるが、この寒空に、何とかしてやりたいと思いつつ、早く「春よ来い」とユーミンのような思いを抱いては、ぼく自身もさらに丁寧に猫たちと付き合いたいと、ある種の覚悟のようなものを覚えた次第。

 第一「ペット」という物言いが気に入らない。猫を飼うとは言うが、子どもを飼うとは言わないではないか、などとあらぬところに腹立ちの矛先が向かうのです。BBの訃報を聞いて、いまさらのように、彼女の後半生(映画界にいた時間よりも遥かに長いものでした)から受け続けてきた衝撃を、今の境遇において、自分がやれる範囲で続けなければと、その万分の一でも果たせたらという思いを新たにしたのでした。(おそらく、BBという存在は、とても「毀誉褒貶」の激しい人だったでしょう。そしてその生涯は「生きながらに伝説となった」とぼくには思われるのです)(アメリカのMMよりもよほど「慧眼の人」だったと思うのだが、どうでしょうか)

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 「ブリジット・バルドーさん死去、91歳 仏映画に革命もたらした俳優 1950年代のフランス映画に革命をもたらし、性的解放の象徴となったフランス人俳優ブリジット・バルドーさんが死去した。91歳だった。/フランスでは名前の頭文字を取って「BB」と呼ばれた。「素直な悪女」など50本近くの映画に出演し、1973年に引退。その後、動物福祉の向上に尽くした。/バルドーさんが設立した「ブリジット・バルドー財団」は、「計り知れない悲しみ」をもって彼女の死を発表するとする声明を発表。「世界的に有名な女優および歌手だった。輝かしいキャリアを捨て、動物福祉と自らの財団に人生とエネルギーをささげることを選んだ」とした。/声明は、バルドーさんが死去した日時や場所を明らかにしていない。(⇙)

 フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、「彼女の映画、声、まばゆいばかりの輝き、イニシャル、悲しみ、動物への惜しみない情熱、(フランスの象徴)マリアンヌとなった顔。ブリジット・バルドーは自由な人生を体現していた」と追悼。「フランスの存在、普遍的な輝き。彼女は私たちの心を震わせた。私たちは世紀の伝説を悼む」とした。/同国の極右政治家マリーヌ・ル・ペンさんは、フランスは「才能、勇気、率直さ、美しさの点で類まれだった女性を失った」と述べた。/バルドーさんは1992年、ル・ペンさんの父親で極右政治家ジャン=マリ・ルペンさん(故人)の顧問を務めたベルナール・ドルマールさんと結婚した。/バルドーさんは晩年、同性愛嫌悪の中傷発言をして評判を落とした。また、人種的憎悪をあおったとしてたびたび罰金を科された。(以下略)(BBC NEWS JAPAN)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c5y2yw01ydwo

◎ ブリジット バルドー(Brigitte Bardot)= 職業・肩書j女優,動物愛護運動家 ブリジット・バルドー財団創立者 国籍フランス 生年月日1934年9月28日 出生地パリ 本名ジャヴァル,カミーユ〈Javal,Camille〉 勲章褒章レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ章〔1985年〕 受賞フランス・シネマ大賞最優秀女優賞〔1957年・1959年〕 経歴 裕福な家庭に生まれる。モデルを経て、1952年「素晴らしき遺産」で映画デビュー。’53年ロジェ・ヴァディムと結婚。’56年映画監督となったヴァディムの第1作「素直な悪女」で新鮮なエロティシズムを表現、フランス映画のセックス・シンボルとなり、“BB”(べべ)の時代をつくる。’57年離婚。以後、名声が高まるにつれ、男性遍歴が激しくなり、’60年ノイローゼにより自殺をはかった。この時の体験を反映したルイ・マル監督の「私生活」(’61年)が最高傑作といわれる。’73年映画界を引退。’87年動物愛護の協会を創設し、動物愛護運動家として活動。他の出演作に「裸で御免なさい」(’55年)、「殿方ご免遊ばせ」(’57年)、「可愛い悪魔」(’58年)、「真実」(’60年)、「戦死の休息」(’62年)、「軽蔑」(’64年)、「セシルの歓び」(’66年)、「華麗なる対決」(’71年)など。’96年回想録「B.Bのイニシャル」を発売、話題となる。’99年10月自伝の第2巻を出版。’92年4度目の結婚。(現代外国人名録2016)

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うつくしや年暮れきりし夜の空

 ここにきて、パソコンのストレージが満杯に、仮想メモリを作ってようやく息を継いでいます。この一両日中に、SSD(1t)に換えようかと迷っている。使用中のHDDは500GB だったが、少し油断しているうち残量は僅少に。考えてみれば、毎日毎分、更新プログラムや新たなアプリが、それこそ頼みもしないのにわんさかと我がPCに雪崩れ込んでいる事態に、改めて恐怖を覚えます。いくつかの容量確保アプリを入れたり、余計なアプリなどをアンインストールする製品を入れたりで対応もしているが、、それはそれで一定の容量を喰う。まったく使っていない新規の(「HDD」採用の)「OS」は前もって準備してある(今年の2月に大阪在住の卒業生が持ってきてくれました。それを無償で戴いた。彼は小生のPC問題の指南役です)。それを使って、そっくりデータを移し替えようと思ってタイミングを見計らっていた。いろいろと手順は思いついているので、今日か明日か、実行してみる予定。それにしてもSSDは高価ですな。

 そこに、長年使っている「ガス給湯器」が大きな警報音を発するようになり、温水(お湯)が出なくなった。寿命かもしれないと考えつつも(約20年ほど使用)、いろいろと塩梅を巡らせたのでしたが、暮も詰まってきて、なかなか業者の都合もつかないようで、早くても1月5日過ぎ頃だと言われた。それでも已むを得ないので、場合によっては取り換えも考えるとリフォーム会社に依頼。たぶん、1週間かそこらはお湯のない生活を強いられると思うと、逆に、何とか急場をしのぎたいと(往生際が悪い)、契約している(プロパン)ガス会社に点検を「念のために」依頼した。早速来てくれて、メーカーではないので「給湯器の内部」には手が出せないが、器械廻りの点検などをしてみましょうと、あちこちのボルトを外したり、水抜きしたりと、あれこれ作業をして様子を見ていた。最後に給湯器のプラグを屋外に設置してあるコンセントから外して掃除、「給湯器の電源を入れてください」と言われて、ボタンを押したら、なんと「警報音」も「(エラーコード)651」も出ない。しばらくすると温水が出てきた。同じ操作を繰り返しても「正常」と思われる器械の調子だった。何とか、故障から修復したのか。問題の原因はわからなかったが、とにかく急場は凌げた(と思うし、そうであると願いたい)。

【有明抄時事詠この一年 〈今日もまた戦禍のニュース流れくる万博開く初日の夜に〉唐津市・浦田穗積さん。多事多難の一年が暮れる。本紙読者文芸欄の秀作で振り返る◆〈物価高ほしいものより安いもの〉佐賀市・牟田口三鶴さん。店先で思い悩む日々。〈「ゆうパック届きました」の子のメール「今度は米を」と続きのありて〉佐賀市・津山秋彩さん。失言大臣の辞任、備蓄した古古古米の放出と、米高騰は話題までインフレ気味◆〈関税で一人世界をかきまわし〉佐賀市・関喨夫さん。再登板の大統領はやりたい放題。〈当事国不在のままで和平案〉有田町・山口繁治さん。〈問題はイエスマンしかいないこと歴史は語る独裁の国〉佐賀市・井上俊己さん。いずこも同じである◆「オオタニ」見たさに朝からテレビで大リーグ観戦。〈アメリカの野球に我も固唾(かたず)呑(の)む敗戦からの長き道のり〉佐賀市・本多俊之さん。あの日から80年。〈父の顔知らず育ちし友多し戦時生まれの我らの世代〉小城市・西村征子さん。教訓は引き継げるだろうか。〈風の音静かな日々にオスプレイ布団の温み願う秋空〉鹿島市・槙まきかさん◆〈二季といふ語の流行(はや)りゐて春秋の情緒を失くせり国も我らも〉有田町・田中たもさん。地球の未来を見つめなければ。〈「明日こそ」「明日はきっと」明日とは触れられぬもの幸いに似て〉神埼市・陣内咲子さん。(桑)(佐賀新聞・2025/12/30)

 「一難去って、また一難」というのが人生の相場です。パソコンの緊急事態を何とかやり過ごすことに時間をかけたいが、横からかみさんが「『障子』『襖(ふすま)』の張替えをしてくれないか。正月に人が来るから」と、言い出す。数日前に命じられていたが、暇がなかったこともあって、気が付いたら、年明けまで2日間。パソコンも大事だし、「障子・襖の張替え」もやらねばならぬと、課題は目の前に突き付けられている。(張替枚数は半端ではない。障子戸が12枚、襖も12枚ほど。これはとても一日では終わらない量だ。猫の「いたずら」が恨めしい年の瀬ということ)

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 毎日、目を通す新聞コラムにも「出来・不出来」があるのではと、ぼくには思われる。もちろん好みですから、これはぼくの勝手な言い分ではあります。日によってはまったく、「読みで(読み応え)」のないものばかりなどと偉そうに言いたくなる時もあります。昨日や今日はそうかもしれません。特に地方紙は「贔屓筋(住民読者)」が強く力を持つでしょうから、郷土人の出世や活躍などは、それこそ「お国の誉れ」と「誉めそやす」ばかり、それがコラムの役割と割り切っている節がありありとします。もちろん、地方色があって当然、ない方がおかしいということになりますから、地方訛り、じつに旺盛も、上等じゃないかというべきでしょう。全国紙と言われてきたいくつかの新聞の現状は「惨憺たるもの」「見るも無残」「屍(しかばね)を晒(さら)している」というほかないような、断末魔の哀れを催しているのです。意図的に「総理の引き摺り降ろし」の片棒を担いで「誤報」の垂れ流しをしてなお、それを「勇気をもって訂正します」と行かないのは、当該新聞が「政治権力の末端」に傅(かしづ)いている何よりの証拠でしょう。つまり広報宣伝部の「旗振り役」で、誰がそんな新聞紛いを読みたくなるかとぼくは思うが、それがいるから奇妙奇天烈ですね。

 地方紙の「権化」のような新聞、候補者はいくつかありますが、さしづめ、奈良新聞などは代表格か。特に10月以降の奈良新聞の如きは、その典型で「痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」のべた褒め記事の連続です。つまるところ「奈良の女」の偉業とやらを蜿蜒と続けておられる。悪いことではない。寧ろ「故郷に錦を飾った」、「郷土の誇り」とここを先途に持ち上げなければ、誰が応援などしますかというわけでしょう。

 「憲政史上初となる女性首相に自民党の高市早苗総裁(64)が就任した。衆院奈良2区選出、奈良県出身者としても初の首相だ。26年間続いた自公政権が終わりを告げ、日本維新の会と連立することで誕生した高市政権には、物価高対策などで国民の期待が高まっている。衆院初当選から32年、高市首相誕生の軌跡を振り返る」(奈良新聞・2025/10/26)率直に言えば、「総理(はおろか、議員)の器」ではなかった人、それが議員になりだしたころからのぼくの見立て。間違っていないと、今でも思っています。まず「嘘を平気でつく」「間違いを率直に認めない」「惻隠の情に著しく欠ける」と、ぼくは「奈良の女」には能力も品性も認められないでいます。要路にある人でなければ、「どうぞお好きに」というだけで済むでしょうに。

 だからわざわざ、苦心惨憺、自分を偽ってまで総理の椅子に座らなければよかったのにと、ぼくは同情しつつ、断言します。これを「持ち上げる」のは犯罪に等しいとまでぼくは言いたい。「右」か「左」かが問題なのではなく、政治家の「沽券(こけん)」「政治の哲学」があるかどうかでしょう。「沽券」とは「人の値うち。品位(dignity)」を指します。この首相にとって「女性だから」が支持の何よりの理由だというのは、「私は馬鹿です」と、有権者が自己告白しているようなもの。(そこに人間性・品性などが一切問われないのですから、何をか況や)選挙を経て議席を獲得したのだからという「議員の正当性」は、頓(とみ)にその根拠を失いつつあるというべきでしょうか。「女だから」という理由で「投票する」人はいないとは限らないし、その延長線上に「女性総理」というだけで、それこそ大歓迎と、無条件支持派が圧倒的であるとき、どこまでいっても「選挙」は「選挙」、と認めたうえで、その結果には大いに批判的にならねばなるまいと、肝に銘じているのです。選挙は、一面では人気投票ですけれど、他面においては「見識」「品性」もまた問われているんですがね。選ばれた人が「間違いを犯した」なら、それを、有権者として率直に批判しなければ。

 (表題句は一茶作)

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妻はまだ何かしてをり除夜の鐘(草城)

 今日は暮の29日。「もう幾つも寝ないでもお正月」ですよ。だからどうすると、開き直りたい気分が漲(みなぎ)っていますね。少し気が早いのか、いやもうすでに「撞(つき)終わっているお寺さん」もあるというから、、ぼくの如き煩悩具足は、いわば「毎日が除夜の鐘」みたいなもので、方々から、あれこれの「煩悩」をはじめとする「六塵(ろくじん)」を取り去りたいのですが、全身これ「煩悩の塊り」の身とすれば、それ(煩悩除去)をすれば、ぼく自身が消えてなくなるという始末です。それでもいいかと、やや「ふてくさり」の気味でもあります。今をさること七十五年ほどの昔、ぼくは能登半島の中程の能登中島で、まさに野良人然と(野良犬や野良猫の仲間として)、天上天下唯我独尊という大それた哲学もなかったけれど、まさに「乾坤一擲(けんこんいってき)」の生活に明け暮れていたと思う。

 「乾坤(けんこん)」とは「易経」でいう「天」と「地」であって、いわば「一か八か」という分かれ目を指すでしょう。それをして「一擲」と「大勝負」に出ることを言う。能登中島の野山に小川に、あるいは時には湖に、ぼくは野生動物(獣)の仲間ならんとして駆け巡り、野生の果物や栗などを貪りつつ人間に近づいたのか、遠ざかったのか知らないままで、十歳前に京都にやってきた。「千年の都(京)」、その地はぼくには「異界」であり「異郷」そのものでしたね。たまたま生まれた場所(それは誰か親戚の倉・蔵)の隣には、今も近郊・近在一のお寺があって、そこの庭は墓場がぼくの「道場」でしたから、年中行事のさまざまを知ることになり、時には「報恩講」などに参加しては褒美をもらっていました。要するに、このお寺の「除夜の鐘」は毎年のように、我が兄弟姉妹で「撞き放題」であったと言いたいだけの話です。その因果が、ぼくのその後の人生行路に、いかなる報恩を齎(もたら)したか、よくわかりません。たしか「ご利益は皆無」だったことだけは断言できるでしょうね。

 京都に入ってからもしばらくは「野良」生活は続き、周囲三キロはお寺ばかりの「抹香臭い」環境に馴染めませんでした。名刹・古刹、枚挙に遑(いとま)なしという贅沢でした。京都を離れてすでに六十余年、些かの懐かしさもないと言えば、嘘になりそうですが、ぼくにはやはり「異郷」であり「異界」であることに変わりはなかった。「住めば都」というのは、文字通りに「澄んだら最後」という意味でしょうか。この辺鄙な産官の僻地にも神社仏閣に事欠きません。何度か年始にお参りをしたことはありますが、「除夜の鐘」はいつだって、遠くからの「ささやき」の如くに、届きます。近年は、ぼくは、夜の十時前には就寝するという赤子のような早寝早起き(ミルクは飲まない)ですので、いずこのお寺さんの「除夜の鐘」も聞くこともなく、普段着のままでの年越しに終始しています。(この年の暮れに来て、給湯器が壊れ、お湯が出なくなりました。しばらくは冷たい水でしのぐことになりますが、さてどうしたものか)

【春秋】甘納豆を百八粒 随筆家の武田百合子は夫の泰淳から聞いた大みそかの思い出話をつづっている。寺に生まれた夫は戦前、住職の父と弟子の3人で除夜の鐘を突いた。始めは寒いがだんだん暑くなる。数を間違えないように<甘納豆を百八粒>用意して、一つ突くごとに1粒口に入れたそうだ▼年越しの鐘が行事として定着したのは室町時代といわれる。太平洋戦争の頃は金属類回収令によって各地で鐘が消え、コンクリート製の代替鐘を造った寺もあった。いま、厳かに響くのは平和の音である▼京都、知恩院の大鐘は日本三大梵鐘(ぼんしょう)の一つ。重さは70トンあり、江戸時代に鋳造された。除夜の鐘には多くの人が詰めかける。近年は外国人観光客の急増もあって長蛇の列ができ、混乱が続いていた。今年から事前予約制とし、1人3千円の有料にした。安全のためならば、致し方なしか▼空海の創建と伝わる博多の東長寺は、突き始める時刻を午後6時に早めて8年目になる。手伝ってくれる世話人の高齢化と、深夜に人が増えて近所迷惑にならないよう前倒しした▼音がうるさいとの苦情で取りやめたケースもあれば、過疎化が進んで突き手がいない悩みを抱える寺も。助っ人は全自動の鐘突き機。今や全国3千カ所が導入しているそうだ▼お住まいの場所に除夜の鐘は響くだろうか。年の継ぎ目、鐘を突くのは人か機械か。どちらにせよ、煩悩まみれの身にはありがたい音である。(西日本新聞・2025/12/29】

 (ヘッダー写真は「京都知恩院の17人がかりの除夜の鐘付き」:https://co-trip.jp/article/7642

◎ 除夜の鐘(じょやのかね)= 12月31日(旧暦30日)大晦日(おおみそか)の夜半から元日にかけて、寺院で梵鐘(ぼんしょう)を108回つくこと。百八の鐘ともいう。中国宋(そう)代から始まったとされる。108の数については、凡夫(ぼんぷ)の煩悩(ぼんのう)を108種とし、その消滅を祈念するといわれるが、数え方には諸説ある。心を纏縛(てんばく)して修行を妨げる無慚(むざん)・無愧(むき)・嫉(しつ)・慳(けん)・悔(げ)・睡眠(すいめん)・掉挙(じょうこ)・惛沈(こんちん)・忿(ふん)・覆(ぶく)の10種と、人々を迷いに結縛(けちばく)する98結を加え108とする説、六根と六境の関連から六塵(ろくじん)(穢(けが)れ、煩悩)が生ずるとき、それぞれに好・悪・平(非好非悪)の3種があって18となり、おのおのに染(ぜん)・浄(じょう)の2を乗じて36、さらにおのおのに過去・現在・未来の3種があり、これを乗じて108となる説などがある。また中国の暦法により1年を分けた十二か月、二十四節気、七十二候を合した数であるともいわれる。鐘の打ち方については、107回までは旧年中に、残りの1回を新年につくようにするのが慣習である。(日本大百科全書ニッポニカ)(左写真は知恩院の試し撞き。梵鐘の重量は70トンあるという)

 「除夜の鐘」を詠んだ句は意外に少ないという印象でしたね。近年ならなおさらにその傾向は強いのかもわかりません。そんな中で、ぼくの好きな句をいくつか。

・ききわびて終の栖の除夜の鐘(石田波郷) 
・死者も聞け生者も聞けと除夜の鐘 (相生垣瓜人) 
・鳴り終る一瞬の息除夜の鐘(山口青誓子
・おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘(山口青邨)

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「徒然に日乗」(955~961)

◎2025/12/28(日)朝から陽射しが強い一日だった。▶温水器の故障が続く。恐らく、お湯を沸かす部分に故障が発生しているのだと思う。交換すべき時期だと考えていたので、しばらくはお湯を使えないが致し方がない。年明けに工事に入るようには手配しておいた。▶「核保有すべき」発言のその後が、ほとんど伺い知れない事態になっている。首相をはじめ、関係者は沈黙を決め込み、事態が鎮静化するのを待っているのかもしれないし、アメリカあたりから「核保有」発言が断じて認められない旨のクレームがついたのかもしれない(「日米原子力協定」(1988年発効)による。「Agreement for Cooperation Between the Government of the United States of America and the Government of Japan Concerning Peaceful Uses of Nuclear Energy」・詳細は省略)。「核保有」云々は、この国にとっては「禁句」となっていることを知らないはずもないけれど、おそらく「アドバルーン」を上げたつもりかもしれないが、何とも愚か。この「発言」に対して首相は一言も触れないでいるが、実に「無責任」ではないだろうか。▶「石破前首相、核発言を批判 「拡散防止が日本の立場」石破茂前首相は26日のBS11番組で、高市政権で安全保障政策を担う官邸筋による『核を持つべきだ』との発言を批判した。一般論と断った上で『唯一の被爆国として核拡散を止めるのが日本の立場で、それを否定するようなことを言ってはいけない。日米同盟は信用ならないのかという話にもなる』と述べた。核保有を巡る論点は、核拡散防止条約(NPT)や原子力協定など多岐にわたると説明。『それらを全部飛ばして核保有を議論する話になると、誤った情報を伝えることになる」と指摘した』」(共同通信・2025/12/26)▶さまざまな国際的約束を交わしていながらの「核保有発言」だったことを考えれば、愚かな上にも愚かなことだったと、どうして新聞やテレビが報じないのだろうか。政府の沈黙を続ける姿勢もまた、批判されるべきだとぼくは考えている。(961)

◎2025/12/27(土)夜来の雨は止んでいたが、強風が家の周囲の木々の落とし物をまき散らして、その暴れぶりの凄さを見せつけられたようだ。▶朝方から、温水器の調子が悪く(あるいは故障かもしれない)、温水(お湯)が出ないのだ。毎年のように、寒さが募ると生じる故障で、これまでは騙し騙し使ってきたが、おそらく年貢の納め時か。、本日の段階で、点検と取り換えを前提に業者に依頼しておいたが、年末年始にかかるので、早くとも年明けの5日くらいになるかもしれない。それから「工事」になるとすれば、お湯の出ない生活がしばらくは続くのだ。お風呂が入れなくなりそうだが、さいわいにも町役場の福祉施設内に、「長柄温泉」というのがある。何年か前に事情があって(コロナ騒ぎだったか)閉鎖されていたが、今日、役場に尋ねてみたら、開業しているという。町民は200円が入浴料金。時々は入りに行くことになりそうだ。▶この国の行く末が俄かに剣呑になってきたように思われる。つまりはとても「やばい」のだ。政治や経済の「核」のない惰性が長く続き過ぎたのだ。天井知らずの「国債発行」で借金まみれ国家にしてなお、その大間違いの「経済政策」を、現内閣も踏襲するという。バカも休みやすにしてくれといいたいし、願わくは、真っ当な政治家の出現をひたすら待つのみ。(それはあり得ない願いだが)一日も早い内閣の総辞職か、首相の辞任を待望するばかり。(960)

◎2025/12/26(金)「政府は26日、2026年度予算案を閣議決定した。物価高や人件費の高騰を反映し、一般会計の歳出総額は122兆3092億円で、25年度当初予算(115兆1978億円)より6・2%増えて過去最大。国の借金返済や利払いに充てる国債費も25年度当初比10・8%増の31兆2758億円で過去最大となった」(毎日新聞・2025/12/26)いよいよ「亡国」への坂道を転げ落ちるための「出鱈目の予算」が閣議決定された。「歳出のうち、国の政策に充てる「一般歳出」は同3・0%増の70兆1557億円。このうち最大の歳出である社会保障関係費は、診療報酬のプラス改定や高齢化の進展で2・0%増の39兆559億円と過去最大となった。診療報酬は物価や賃金の高騰に対応するため、医師の技術料や人件費にあたる「本体部分」の引き上げ幅を30年ぶりの高水準となる3・09%とした。/防衛関係予算は防衛力の抜本強化方針に基づき、初めて9兆円台を突破。3・8%増の9兆353億円となった。地方自治体の財源となる地方交付税交付金は、10・6%増の20兆8778億円を計上した。/国債費は想定金利を25年度当初の2・0%から3・0%に大幅に引き上げたことで膨らんだ。高市政権の積極財政への懸念や、日銀の利上げを受けて、直近の長期金利が2%を超えたことなどを踏まえた」「長期金利が2.1%」に高騰。物価高騰の連続、円安の継続、この異様な経済財政状況に、いったい総理を含めた内閣は、経済環境をよりよくするために何をしたのだろうか。「責任ある経済政策」とはなんだかな。軍事予算ばかりが異常に膨らんで、何も考えないのだから、恐れ入るばかり。財務大臣の「呆れるばかりの」記者会見。情けない状況に陥ったものだ。(同前)(959)

◎2025/12/25(木)終日、雨模様の一日だった。▶お昼頃に茂原まで買い物に。帰宅時には、通販利用の(猫缶の)荷物が到着したばかり。前回から、群馬県にあるCHARMという通販会社に依頼している。この先、どうなるかはわからないが、なかなか感じのいい会社だという気がしている。「銀の匙」なども出している企業。今、猫たちが食べているのはマルハ・ニチロ製の「ミャウミャウ」という商品名。やや飽きかけてはいるが、それでも、他の商品よりはよく食べている。今回初めて、数えてみたが、三缶ワンパックで、四種類。それぞれが8つだから、3×4×8=96(缶)つまりは、ほぼ100缶の缶詰を約一週間で消費する計算。合計は13800円余。これが一週間分とすれば、月辺りは、約6万円。この他に乾燥食品(ドライフード)、その他の「おやつ類」も別口で購入しているので、月々かなりの金額が嵩(かさ)んでいることになる。▶劣島の各地で、台風並みの暴風と積雪が猛烈である。初期の予想では「暖冬」ということだったが、なんのことはない、歳末正月も厳冬間違いなしという。(958)

◎2025/12/24(水)お昼に車のタイヤローテーションのために、いつも利用している修理工場に出す。特に問題はなかったが、普段ほとんど乗らないままだったので、バッテリーの充電不足を指摘された。事情は理解しており、このところ、努めて走行距離を伸ばすようにと乗り出しているが、車の重量を考え、車庫の出し入れを考えると、どうしてもかみさんの小型車(1500㏄)に乗ってしまうのだ。山間の僻地ともいうべき住まいだから、どうして車は必要だし、それも万が一を考えると2台も。両方とも今春は「車検」だ。今乗っているセドリックは初年度登録が2003(平成15)年4月。したがって今年で23年目を迎える。かみさん用は2015年初登録、こちらも10年越えになった。▶「社民党の福島瑞穂党首は24日の記者会見で、安全保障政策を担当する首相官邸筋によるオフレコでの核兵器保有発言を受け、高市早苗内閣について『退陣を強く要求する』と述べた。核保有に関する議論も『冗談ではない』と否定した。/福島氏は発言について『強く抗議する』と改めて述べた。政府の対応については『高市首相は調査し、この人間を更迭すべきだ。更迭しないのであれば、これは内閣の見解なのか。非核三原則を堅持すると首相が言わないから、そういうことが起きる。日本の政府として本当にふさわしくない』と持論を展開し、『退陣』を強く要求した。/核保有に関する議論の是非について、『表現の自由があるから議論すべきだということはあるかもしれないが、冗談ではない』と否定した。昨年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が抗議していることなどを踏まえ、『被爆者への冒涜だ』と批判。さらに、『核抑止論は虚構だ。核兵器を持っているイスラエルは(イスラム原理主義組織)ハマスに攻撃されたではないか』と述べた」(產經新聞・2025/12/24)至極もっともな指摘であって、少なくとも「補佐官の発言」に関して首相はコメントすべきだろう。黙ってやり過ごすのは「卑怯千万」で、実に厭らしいと言いたい。(957)

◎2025/12/23(火)心地よい一日だった。何をするでもなく、終日のんびりと過ごした。パソコンいじり(容量が目いっぱいになっている)に時間を取られているが、知らないことだらけで、我ながら驚いている。車の構造や機能に関しては無知のままで、毎日乗り回しているようなもので、実に危険極まりないだろう。少しはパソコンについて学ぶべきだったと思うが、機会の部分は他人に任せて、ただスィッチをオンにしたりオフにするだけの素人運転だったと、今頃になって恥じ入る次第。▶「1人当たりGDP最低24位 24年、低成長に円安拍車 内閣府は23日、2024年の日本の1人当たり名目国内総生産(GDP)がドル換算で3万3785ドルとなり、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中24位だったと発表した。過去最低だった23年の22位からさらに二つ順位を下げた。スペインとスロベニアに抜かれ、21位の韓国(3万6239ドル)の背中が遠のいた。少子高齢化や慢性的な低成長に加え、為替相場の円安進行が拍車をかけた」「首位は23年に続き、欧州を代表する金融センターのルクセンブルクで13万7491ドル。2位にアイルランド、3位がスイスと続いた。先進7カ国(G7)構成国では、米国が8万5836ドルの6位でトップだった」(共同通信・2025/12/23)(956)

◎2025/12/22(月)凌ぎやすい、過ごしやすい一日だった。気温も高め(摂氏10℃以上)に推移していたようだ。明日からは少し気温が下がる天気が続くとの予報が出ていた。相変わらず「湿度」が高いままだった。▶お昼前に買い物のために茂原まで。いつも通りの食材などを買い、帰路には猫のドライフードなどを買う。現在、家に入らない「外猫」が2匹いたが、この2日ばかりは、一匹の顔が見えない。どうしたのだろうか。年齢は不詳で、♂猫の赤トラ。もう一つは、とても手ごわい、やはり♂猫で、家の猫たちが寄って集(たか)って責めるのだが、全く歯が立たず、その都度痛めつけられているばかりだった。この子が家に来てからどれくらい経つか。いずれ、出どころは同じ近所の I さん(隣家)のところだろうと思っている。▶天気予報では、今冬はかなりの暖冬になるということなので、それだけは気が休まる。野良たちの故g超えることはないだろうか。▶「核保有すべきだ」とオフレコで話したという首相補佐官、誰も何も語らないままで、沈黙続きで推移しているが、このままで対中国との関係が何もなくて終わると考えているのだろうか。はっきりと発言者の実名を明かし、ことの次第を公開すべき。辞職させるかどうかは、その後の問題。首相の「存立危機事態」不用意発言問題も「有耶無耶にして時間を稼ぐ」つもりだろうが、このままで終わるとはとても考えられない。今からでも「発言の真意を明かし、明確に修正すべき」だと思う。首相支持率の高さが問題であるのは言うまでもないが、その内閣や首相を高い支持率で支えている、この社会の状況が一層問題だと思う。(955)

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