「力による(ノーベル)平和(賞)」を

【余録】決して悪口を言わない女性に「悪魔をどう思うか」と聞くと「とにかく勤勉です」。欧米に古くから伝わる小話らしい。日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士は米国の科学者から聞いたそうだ▲開催地のカナダの地名を冠した1957年の第1回パグウォッシュ会議。米ソの核開発競争に危機感を募らせた2賢人が55年に発表した「ラッセル・アインシュタイン宣言」を受け、宣言に署名した湯川博士ら世界の科学者が集まった▲「知らず知らずの間に、勤勉な悪魔の側になってしまいそうなのに気がついた人々」が「お互いに天使の味方になろうと呼びかける」「控えめながら、そういう声が発せられた」と湯川博士が振り返っている▲広島・長崎への原爆投下から80年。広島市で開かれたパグウォッシュ会議の第63回世界大会が閉幕した。来日したトランプ米大統領が「核兵器実験」を指示したばかり。その人を被爆国の首相がノーベル平和賞に推薦するという。悪い冗談のような話である▲「核爆発を伴わない」と釈明しても核廃絶の願いに背を向けることに変わりはない。ロシアも核の威嚇をためらわなくなった。中国も核兵器増強を進める。終末時計の残り時間は50年代よりも短い▲「核のタブー」が脅威に直面している。採択された「広島宣言」には危機感がにじむ。「悪魔は勤勉」。湯川博士は晩年まで口癖のように語っていたという。宣言がうたう科学者と市民社会の連携で核廃絶を願う側の勤勉さがより勝ることを示したい。(毎日新聞・2025/11/06)

 「なんとかに刃物」という。T大統領に「核ボタン」とくれば、「鬼に金棒」ではなく、「なんとかに…」とは、まさにその通り、「ご名答」となるでしょう。本邦の故元総理は、ある時期から「積極的平和主義」を叫び出していました。「武力をかざす平和」がどんなものか、ぼくは恥ずかしながら知らないままで生きてきました。武力を用いて、あるいは軍事力を翳(かざ)して「和平を」という流儀は何時の世にものさばっている「悪い冗談」、しかし「嗤えない冗談」であるのは否定できません。それに事寄せて、「集団的自衛権」など、まるで「コバンザメの短慮」みたいなもので、それで何をしようというのでしょうか。親亀がこけたら子亀がこけるから、どちらもこける前に、敵を殲滅しようではないかという、子亀の質の悪い、寸足らずの知恵の齎したものです。(やがて、この小国も「核」を保有し、「原子力潜水艦」を所有し、あの国この国の「能天気な為政者の如く」に「核を弄ぶ」ことは請け合いですから、そうなる前に、手を打ちたいもの)

 悪い冗談、しかし嗤(笑)えない冗談が世界中で罷り通っています。昨日の毎日新聞のコラム「余録」を読んで、改めて「智慧のなさ」と「自己主張(宣伝)」が合併すれば、どんな恥ずかしいことも、どんな軽薄なことも「自分には正義」に見えるのだと思った途端に、ぼくの背筋が凍り付くのです。「広島・長崎への原爆投下から80年。広島市で開かれたパグウォッシュ会議の第63回世界大会が閉幕した。来日したトランプ米大統領が「核兵器実験」を指示したばかり。その人を被爆国の首相がノーベル平和賞に推薦するという。悪い冗談のような話である」とコラムは書く。「悪い冗談のような話」などではなく、「悪い冗談」そのものだとどうして断言しないのでしょうか。「奈良女」を応戦し手前からの手加減なら、余計なことですが、もうこのコラムの担当を下りたらどうです。(二人前の)首相(広島選出議員でもある)は、広島の地で「核の抑止力」を強弁し、「核兵器禁止条約」(2017年採択)へのオブザーバーでの参加すら拒否しました。米国という「地雷(landmine)」を踏むことを恐れた「核の抑止力」とは、当たり前に言うなら「核の脅迫力」であり、「脅しとしての核保有」でしかないのですよ。

 悪い冗談の見本である「軽薄な言動・振る舞い」をものともしない本邦初の女性首相は「かつてない歴史的偉業だ。これだけの短期間に、世界はより平和になった」という歯の浮く言葉で白々しくも「嘘飾」を真顔で受け止めたうえで、「授賞推薦」を伝えたというのだから、心が寒くなるというほかありません。横須賀の米軍基地での燥(はしゃ)ぎ様はなかったのは周知の事実でしたが、その前景にも後景にも「力による平和(PEACE THROUGH STRENGTH)」と大書した標語が掲げられていました。T 首相は、国会議員になりたての頃だったか、時の総理大臣に「勝手に謝罪しないでください」と、「村山談話」(1995年8月)を厳しく非難しました。もちろん「談話」は閣議決定されていましたし、そこに自民党の大臣も参画していた。ぼくは、こういう「居丈高な態度」をは取らない人間ですから、「勝手に推薦などしないでくれ」とは言うつもりはないどころか、(ノーベル賞委員会は)二つでも三つでも「平和賞」を呉れてやるべきだという意見の持ち主です。「力で平和が得られるならば、世界は軍隊で充満するだろう(If strength could bring peace, the world would be filled with armies)」。

 愚かなぼくの知能は、力(軍事力)ではなく、真正の智慧と誠意で行う交渉(交流)こそが、誰も傷つけない「和平」を生み出してくれると確信している。今日ただ今の世界に、心ある(勇気ある)智者は皆無かもしれません。「どうして君はそのように断言したがるのか」と問われそうですが、理由は単純明快です。智慧のないものが傍若無人にのさばりだしているからです。言うに事欠いて「力による平和」だと。この状態をたとえて、「鳥なき里の蝙蝠(こうもり)」と言いたいのですよ。「利己主義の権化」のような人物が、なぜだか【平和】【和平】を口にし、世界平和に貢献したいと、背後に武力をちらつかせながら、あるいはこれ見よがしに軍事力をかざして、そのように言う。「真実平和を願う人がいないところで、似非平和主義者がはばを利かせている」ということではないですか。「鳥なき里の蝙蝠=すぐれた人のいないところで、つまらぬ者が幅を利かす」(広辞苑)

 余計なことですが。「蝙蝠」は「翼手目の哺乳類の総称。前あしおよびその指が著しく発達し、これらと胴・後あし・尾との間にうすい飛膜が張って翼を形成する。視覚は鈍いが、声帯から超音波を発して、その反響を聞きながら障害物との距離をはかり、鳥のように飛び回る。夜行性。昼間は、後あしにある5本の指の鋭いかぎ状の爪で、木や岩などにぶら下がる。名は、蚊をよく捕食するところから、蚊屠(かほふり)と呼ばれたのが語源。(デジタル大辞泉)

しゅうだんてき‐じえいけん〔シフダンテキジヱイケン〕【集団的自衛権】=国連憲章第51条で加盟国に認められている自衛権の一。ある国が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある他国が共同して防衛にあたる権利。(→個別的自衛権) [補説]日本は主権国として国連憲章の上では「個別的または集団的自衛の固有の権利」(第51条)を有しているが、日本国憲法は、戦争の放棄と戦力・交戦権の否認を定めている(第9条)。政府は憲法第9条について、「自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められている」と解釈し、「個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権は憲法の容認する自衛権の限界を超える」との見解を示してきたが、平成26年(2014)7月、自公連立政権下(首相=安倍晋三)で閣議決定により従来の憲法解釈を変更。一定の要件を満たした場合に集団的自衛権の行使を容認する見解を示した。武力行使が許容される要件として、(1)日本と密接な関係にある他国への武力攻撃により日本の存立が脅かされ、国民の生命・自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある(存立危機事態)、(2)日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない、(3)必要最小限度の実力を行使すること、を挙げている。(デジタル大辞泉)

◎ へいわあんぜん‐ほうせい〔‐ハフセイ〕【平和安全法制】=平成27年(2015)に成立した平和安全法制整備法と国際平和支援法の総称。日本および国際社会の平和と安全のための切れ目のない体制の整備を目的として、自衛隊法など10本の法律を一括改正し、国際平和支援法を制定するもので、平成28年(2016)3月に施行された。安全保障関連法(安保関連法・安保法)。安全保障法制(安保法制)。[補説]憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する内容であるという批判的な立場からは「戦争法」と呼ばれることがある。(デジタル大辞泉)

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 そこまでやるのか「トランプ氏をノーベル賞に推薦」 高市政権が日本の威信をかけた「涙ぐましい接待外交」 「高市早苗首相は、28日に開かれた日米首脳会談で、米トランプ大統領をノーベル平和賞の候補に推薦すると伝えた。トランプ氏の1期目の任期中に推薦を伝えた安倍晋三元首相をほうふつとさせる。対米交渉では、下手に出てご機嫌をうかがう「安倍モデル」の外交でトランプ氏に取り入るしか手はないのか。(松島京太)

安倍氏からの「最も美しい手紙」ほうふつ 「かつてない歴史的偉業だ。これだけの短期間に、世界はより平和になった」。高市氏は日米会談で、タイとカンボジアの和平や中東での停戦合意に貢献したとして、トランプ氏を称賛した。(右写真:米空母ジョージ・ワシントンであいさつし、手を振る高市首相(右)と拍手するトランプ大統領=28日、神奈川県横須賀市で)(代表撮影)

 トランプ氏はかねてノーベル平和賞の受賞に強い意欲を示している。今月9日には、今年の受賞者発表に先立って「歴史上、9カ月で八つの戦争を解決した者は私以外、誰もいない」と強調。7月にもノルウェー財務相に電話して「平和賞がほしい」と伝えたという。/トランプ氏のノーベル平和賞推薦と言えば、トランプ氏が2019年、安倍氏から「推薦した」という手紙を受け取り、トランプ氏が「最も美しい手紙だ」と喜んだことが印象に残る。(⇙)

(⇗)◆機嫌を損ねたゼレンスキー大統領は衆目で罵倒され… 高市氏はそんな安倍氏の手法を模倣したのか。安倍氏とトランプ氏がゴルフ仲間だったことを思い出させるかのように、安倍氏が使用していたゴルフクラブのパターや金箔(きんぱく)を施した「黄金のゴルフボール」も贈呈。まさに「安倍晋三づくし」の外交だった。/なぜ高市氏はそこまで安倍氏にこだわるのか。上智大の前嶋和弘教授(米国政治外交)は「『安倍モデル』の涙ぐましい接待外交は日本だけではなく、今や世界が対米交渉の手法として参考にしている。機嫌を損ねるとウクライナのゼレンスキー大統領のように衆目で罵倒される。今回の日米会談は『こんなに日本が米国を信頼しているんだ』とアピールするセレモニーとなっている」と分析する。(以下略)(東京新聞「こちら特報部」・2025年10月29日 06時00分)

 (T大統領の驚異的な「平和賞」欲しがり根性の理由は何でしょうか。ぼくの独断ですが、同賞受賞は「大統領であり続ける」のと同等か、それ以上の名誉と考えている節があります。もしそうであるならば、数多の犯罪行為で裁かれてはいます(有罪判決が出ています)が、それをして「免罪」となると、彼自身は判断しているからであり、アメリカ社会(有権者)では、「ノーベル平和賞」に免じて、犯罪を帳消しにしてもいいという、「恩赦の風」が吹くだろうという読みがあるのではないですか)

 「平和賞がほしい、ほしい、ほしい」と「裸の王様(The Emperor’s New Clothes)」は叫び続けています。「やったらどうです?」

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「すべからく(須く・須らく)」…べし

 言葉の<誤用><濫用>について 「その「漢字」の読み方が間違っている」と言われたことは何度もあります。もちろん、その使い方は誤りだと指摘されたことも数えきれないほどあったでしょう。でも、ある意味ではどうでもいいことで、それらはすべて忘れました。学校の教師に多いのでしょうけれど、「それは間違いだ」と、どうして偉そうに、自信をもって言えるのか、ぼくには不思議で仕方がなかったし、つねに疑問を抱いていました。コラム「日報抄」氏の「言葉を扱う職業に就きながら、お恥ずかしい限り」という低姿勢はなんなのだろうかと、ぼくは訝しく思った。「謙虚」「率直」だとは言えるでしょうが、さて、書いた人(記者?)の「本音」はどうだったでしょうか。時代と共に「ことば」の意味は変わるもの、それでも意味が通じるのは、ことばの力によるものです。これはなんだって同じことで、音楽であれ、絵画であれ、今昔の差は決定的ではないことを知るべきでしょう。

【日報抄】言葉を扱う職業に就きながら、お恥ずかしい限り。読者に小欄の言葉の誤用を指摘いただいた。今に至るまで、同じ誤用でどれほどの恥をさらしてきたことか。不明を恥じるほかない▼将棋の王座戦をテーマにした先週、〈勝負事は文字通りすべからく勝ちと負けを生む〉と書いた。「すべからく」を「すべて・例外なく・皆」の意味で使うのは誤りだった。本来は「当然なすべきこととして・ぜひとも」などを意味する▼「学生はすべからく勉学に励むべきだ」とするように、一般的に「べきだ」「べし」などを伴う。元々「そうすべくあることには」といった意味の古語「すべくあらく」を語源とする▼文化庁の国語に関する世論調査で、2020年と10年の設問になっている。「すべからく」に「すべて・皆」の意味があると思い込む人は両調査とも4割を超えた。なぜか高齢者の方が誤解する割合が高かった▼国語辞典には〈「すべて」の意に解するのは誤り〉とわざわざ注釈するものもある。三省堂の複数の辞書は、俗語に分類するなどし「すべて・例外なく」の意味も載せているが、作家の井上ひさしさんの言う通りなのだろう▼井上さんは自著「ふかいことをおもしろく」で〈言葉は少しずつ世の中に合わせて動いていかないといけない〉と書いた。その上で、元々の意味をしっかりと理解する大切さも説く。言葉の変化にルーズだと〈わけのわからない国になってしまう〉とくぎを刺す。すべからく指摘は胸に刻んでおくべし。(新潟日報・2025/11/06)

 表向きは素直・謙虚に見えても、決してそうだとは言い切れないのは(文化庁の国語に関する世論調査で、2020年と10年の設問では)、「すべからく」に「すべて・皆」の意味があると思い込む人は両調査とも4割を超えた。なぜか高齢者の方が誤解する割合が高かった」という反証ともいいたそうなものを持ち出しているからです。「須(」すべか)らく」は、もともとは「当然なすべし」「是非そうすべき」という意味合いの語だったけれど、今では「すべて」「ことごとく」という意味に使われることもかなりあるというのは、「ことば」というものの、いったい何を示しているのか。要するに「意」が通じることが何よりで、そうでなければ、ことばは無用となるはずでしょう。とするなら、「正しい使い方」「間違った使用法」は誰が決めますか。世間というか、その語を使う無数の人々の「使い方」が決めるのであって、政府や学校教師の権限を振り回すべきものでは断じてありません。当用漢字とか常用漢字(いずれも漢字使用の「目安」)としか言えないのは、万古不易ということが言語に関してはあり得ないからです。時代の差異はいくらでもありますが、その「差異」こそが、その言葉の歴史であり、意味内容です。時には「白」が「黒」になり替わるような驚くべきことも起こります。

 若いころに読み齧(かじ)っていた荻生徂徠に「学則」(享保12(1727)年刊)と題された著書があります。ぼくは学生時代に大学図書館で手にし、目にしたことがあります。そこに出てくるので有名になったのが「世は言を載せて以て遷り,言は道を載せて以て遷る」という表現でした。この経験は、学生時代のぼくの不勉強な生活の中でも特記すべき経験でした。徂徠と言う人は「古文辞」に執心した人で、儒教をよく学ぼうとするなら、そこに用いられている「古文辞」の意味をこそ丁寧に調べてからでなければ始まらないとし、その理由は「世は言を載せ以て遷(うつ)り,言は道を載せて以て遷る」からだというのです。「学問とは歴史に極まり候」とまで言いました。この曽良医学の奥儀が少しでもわかるようになりかけるにはぼくは何年も徂徠に向かう必要がありました。「変遷」「遷化」「孟母三遷」などと言う使い方に示されるように、ことばというものは一時代に、一空間に留まるものではなく、世の中は「辞(ことば)」と共に変わる、また「政治の手法=道」も言葉の変遷によって移り変わるものであると、徂徠さんは断定します。ことばは時代(使う人と)と共に変わるのは当たり前で、もし変わらなければ、「ことば」の面において、ぼくたちは「奈良」「平安」時代のままに生きていることになるはずで、また言葉は激しく変わるものだからこそ、とてつもない時間をかけて、辞書・辞典の編纂作業が、必然的に継続するわけでしょう。ことばは、とにかく生き物ですよ。だから「死滅」する者もありますし、「誕生」するものもあるのです。

 「日報抄」氏が「お恥ずかしい限り」と断られている、「すべからく」の語意・語用・誤用に関わって、すこしばかり拘(こだわ)っておきます。「須らく」の用法として、「学生はすべからく勉学に励むべし」という表現と「学生は、(例外なく)みんな勉学に励むべし」の、どこに違いがありますか、あったとして、それは決定的な違いかどうか、俄(にわ)かには判じられませんね。「当然に、学生は…」「すべて学生は…」の差異は微少。同じことだといっても間違いはなさそうです。これを、「その使い方、それは間違いだ」と言う方こそが「間違いだ」とぼくは考える。

 高校生の頃だった。国語の授業で級友が「これは全然面白い」と口にして、担当教師から「それは間違いだ。『全然』の後には、必ず「否定」が来るものだ」と友人を叱責した。教師によって、どこに「それは間違いだ」という権限・権利があるのか。ぼくは咄嗟に挙手し、「先生、それは可笑しい」と反撃したことがある。要するに級友は表現(の一部)を省略しただけで、「それは間違い」と言われる筋合いはないと思ったからです。「どうしてや?」と教師はぼくに向かって詰問した。「これは全然(ほかのものと比べられないほど)、面白い、ということや」と言って、教師をやりこめた。恐らくそれで間違いはなかったと、今でもよく覚えているのです。ことばは変わる、時と場所によって必ず変わる(徂徠流に言うなら「遷る」)。だから「これこそ正しい」などと断じる輩は捨て置くが、頑固に「正しい」「間違い」を断定する教師たちは後を絶たないのは困ったことです。漢字の書き方一つ、時代によって、ある部分を「はねたり」「はねなかったり」、「つけたり」「放したり」、要するに意味が通じれば問題はないのですよ。

 勤め先の学校で入試の採点業務に付き合わされたが、その作業の場面でも「なんとも阿保草」と口に出していったことが何度かあります。「文意」を問う問題で、百人のうち「正答はたった二人」ということがあって、教師は、「なんでこんな問題ができないのだろう」と訝し気に語っていた。ぼくは「98人が正解じゃないんですか」と言ったので、その場は白けた。「作者の気持ち」だか、「主人公はどう思ったか」という、どうしようもない設問(愚問)でした。また、「漢字の書き取り」の採点では拡大鏡を持ち込んで検証していた教師たちもいた。こんな連中とは付き合いきれないと心を決めた瞬間の一つでした。「国語」においても、3+5=8の領域(世界)を否定はしないけれど、そうではないところだってあるでしょ、そう言いたかったが、通じそうにありませんでした。

すべからく 別表記:須く、須らく
すべからく(須く)とは、元々は「当然なすべきこと」「ぜひともそうすべきこと」という意味で用いられ、昨今では「全て」「ことごとく」という意味合いで用いられることも多い表現。/「すべからく」の元々の用法は漢文の読み下しにおける読み方である。もっぱら助動詞「べし」を伴って「必ず(行う)べきだ」という義務または当然の意味を示した。「必須」の「須」の語義と捉えればよい。/昨今では必ずしも義務・当然の意味が伴うとは限らず、「例外なく全員・全体」を指すような意味合いの表現として用いられることが多々ある。これは本来の意味用法とは違っており、したがって誤用といえるが、世間的な認識はこの誤用の方がむしろ一般的となりつつある。
すべからくの用例
生徒はすべからく勉学に励むべし
教育者はすべからく私情にかられることなく公平に指導にあたることが肝要である(実用日本語表現辞典)
すべから‐く【須く・応く】
〘 副詞 〙 ( サ変動詞「す」に推量の助動詞「べし」の補助活用「べかり」のついた「すべかり」のク語法。多く下に推量の助動詞「べし」を伴って用いる ) 当然なすべきこととして。本来ならば。
[初出の実例]「若し犯過の比丘尼須(スベカラク)治す応き者あらば、一月両月苦使せしめよ」(出典:四分律行事鈔平安初期点(850頃))/「徳をつかんと思はば、すべからく、まづその心づかひを修行すべし」(出典:徒然草(1331頃)二一七)
須くの語誌
( 1 )「須」を訓読する際に生じた語。中古初期には単に「べし」とだけ読まれることが多かったので用例が少ないが、中期以後盛んに用いられるようになった。「べし」のほか、「む」や命令表現で再読する例もみられる。
( 2 )中古後期の古記録では「須…、而(然而)…」(スベカラク…ベシ、シカルニ/シカレドモ)や「雖須…」(スベカラク…トイヘドモ)のように、下に逆接で続く用例が多い。これは、「本来、当然…であるべきところだが」という文脈に用いられた平安鎌倉期の古記録特有の語法と思われる。(精選版日本語大辞典)

 本日は別のことを書こうとしていましたが、【日報抄】に引き寄せられて、道草を喰った次第。その話題は、書くのも嫌になる「政治とカネ」の定番です。「身を切る改革」などと嘯いていた政党の代表の(多分、裏金つくりをしていたらしい)「公金流用(横領)」「脱税疑惑」報道についてでした。少し口をきいたこともある評論家のS氏は「自民党がヤクザ」なら「維新は半グレ」と言い触らしていますが、その「半グレ」の統領が「闇金蓄財」に勤しんでいたという(おそらく「事実」)報道が「しんぶん赤旗日曜版」で出されました。当人は「5日の党会合で、自身の『公金還流』疑惑を報じた共産党機関紙『しんぶん赤旗日曜版』に関し、『報道機関ではない。共産党の主張だ』と指摘した。『われわれの返答も恣意(しい)的に書く。記事ではなく主張だから、対抗していきたい』と語った。/ 藤田氏は10月30日、取材を受けた赤旗日曜版記者の名刺をX(旧ツイッター)で公開。赤旗側は4日、『正当な取材活動を萎縮させる』と削除を申し入れた。藤田氏は携帯電話番号やメールアドレスの一部を伏せたことを理由に『それ以外は公開情報だ』として応じていない。/ 共産党の田村智子委員長は5日、記者団に『不都合なことを取材すればこういう目に遭うとの脅しだ。そんなことを政権与党の代表がするのか』と非難。『批判を許さない危険性が言動に表れている』と断じた」(時事通信・2025/11/05)(左写真も)

 「報道機関ではない。共産党の主張だ」という、その「共産党のプロパガンダ」紙の報道で、自民党の還流闇金問題が炙り出され、それがために「連立のお相手」が「半グレ政党」に巡って来たんでしょ。知らないふりをして、実は「戦々恐々」なんですね。肝っ玉がありますかと、お尋ねしたい気もするけれど、ないのは先刻承知。強がってはいるが、「引かれ者の小唄」でしたな。「虚勢を張っているだけ」、やはり「半グレ」ですね。この手の輩ばかりが、どうして政治家風情になりたがるんですか、ぼくにはトンと理解ができないけれど、やはり「金と名誉」なんでしょうね。ぼくの印象で言うなら、「清貧(poverty)」と言う生活態度の持ち主は、並みいる政治家連からは、絶えて見られなくなりましたね。「清貧に甘んじる」のではなく、「清貧を堅持する」という思想は消えてしまったのでしょうか。そして、それは「教育」の問題ですか、「家庭」の問題ですか、それとも、…。

 この報道記事に関する「駄文」は書き終えていました。「タイトル」は「墓穴を掘る」と「人を呪わば穴二つ」としておきました。駄文と雖(いえど)も、こんな「半グレ」のセコイ裏金作りに言及したくなかったというか、気が進まなかったところに、新潟日報「日報抄」に出くわしたというわけ。「半グレ」には興味はないけれど、駄弁るネタがないならば、また明日にでも「掘った穴、二つを」ね。それにしても、❶「政治家たるものは、すべからく賤しいね」、いや、➋「政治家というものは、すべからく清廉でなければ」と言い換えましょうか。(問、「すべからく」の使い方、❶と➋、どちらが正しいでしょうか」連立は壊れ、政権は迷走必至ですね。「人を呪わば穴二つ」、それは君に対する勧告ですよ、と誰かが言っている気もするし、自覚もしていますよ)

◎ はんぐれ= 「はん‐ぐれ【半ぐれ】読み方:はんぐれ《多く「半グレ」と書く》暴力団に属さず、暴行や恐喝などの犯罪行為を行う不良集団。[補説] 名称は、暴力団を黒色、一般人を白色としたとき中間に位置するので「半分グレー」、または「半分ぐれている」からともい」(デジタル大辞泉)。

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「城下之盟」に縋っていていいのか

【金口木舌】「高み」「深化」の前に 「さらなる高み」を目指すという。「一層強化」や「深化」もあった。日米同盟にまつわる高市早苗首相、石破茂前首相、岸田文雄元首相らの発言から拾った▼登ったり、鍛えたり、潜ったり。日米同盟は忙しい。これも抑止力維持のためだが、決められたルールや約束は守れないらしい。兵士の規律が乱れている▼門限を破って基地の外を出歩く。酔って暴れて物を壊す。見ず知らずの人に危害を加える。日本の法律を犯しても、いざとなれば日米地位協定という別ルールが盾となる▼一部のふらちな兵士の悪行というなかれ。米軍は組織全体でルールを破る。騒音防止協定を無視した深夜、早朝の米軍機飛行はその一例。PFASなど環境問題にも無頓着。そのくせ「安全な水」を県や地元に要求する。一体どういう理屈をこさえたか。ご都合主義にもほどがある▼高市首相はトランプ米大統領との首脳会談で「日米同盟の新たな黄金時代を共につくる」と言ったそうな。金箔を張ったゴルフボールも贈った。失礼ながらこれには笑った。地金はとっくに出ている。「高み」や「深化」の前にやるべきことがある。(琉球新報・2025/11/05)

 「日米同盟」が、この国の「命綱」「生命線」と見なす政治家がほとんどでしょう。本当にそうかどうかは、誰の目にも明らかで、しかしながら、それは一方的な「片務同盟」で、まさしく言語の矛盾が生じている「非同盟」関係にあるのも、否定できない事実でしょう。同盟とは「[名](スル)個人・団体または国家などが、互いに共通の目的を達成するために同一の行動をとることを約束すること。また、それによって成立した関係」(デジタル大辞泉)を指すとするなら、「日米同盟」は嘘であり、空想だというべきなのが筋だと思います。双務的で同等の関係にあると法螺を吹きまわってきた政府の日米(同盟)関係の「新黄金時代」宣言をが聞いて、国民は呆れるか、それとも嘆くか。いやいや、真顔で「大歓迎と」くるか、そこまでくると、もう、「政治的発狂」は元に戻らないだろうよ。首相は「新黄金時代を」とかましているが、いったい「旧黄金時代」とは何時の事で、それはどんな関係だったのですかと、お尋ねしたいね。

 因みに、「盟」は「めい(音読み)」、「ちか(う)(訓読み)」で、「ちかう。ちかい。神仏約束をする」と辞書には出ています。それに似て非なる「城下之盟」という表現があります。中国の史書『春秋左氏伝』の「桓公一二年」に出てくる。その意味は「敵に敗北して結ばされる、最も屈辱的な講和条約のこと。または、敵の城下に攻め込んで、講和条約を結ぶこと。『城』は町を守るための城壁のこと。『盟』は講和条約のこと」(オンライン四字熟語辞典)「敵に首都まで攻め入られてする、屈辱的な降伏の約束。じょうかのめい」(デジタル大辞泉)を踏まえるなら、日米の関係は文字通り「城下の盟(誓い)」であることになります。(右下の写真は「『日米従属非同盟』関係をあからさまに推進した元首相の訪米時の記事」、20年前の出来事でした。「世界の中の同盟強調」というフレーズは、今や「日米同盟の新たな黄金時代を共に作る」に引き継がれている。ことばだけの「空々しい」、または「空しい」非同盟・従属関係)

 「同盟関係」を確認し、強調するために、どうして「首相」になった途端に、誰もが「参勤交代」よろしく訪米したがり、媚を売り(国を売り)、卑屈になり、追従までして、肩を組んでもらいたがるのでしょう。「ファーストネーム」で呼びかけ合おうと、いったいどこの首脳が、真っ先に求めるのでしょうか。中身がないから形式(見た目・上辺)を整えたがるのであって、その隷属関係は年々歳々深まりかつ高まっているというほかありません。日米「城下之盟(ちかい)」に縋(すが)っていていいのか。身の心も奪われているのに、さ。

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 「高市首相はトランプ米大統領との首脳会談で『日米同盟の新たな黄金時代を共につくる』と言ったそうな」とはコラム氏。とするなら、更に「隷属」「従属」関係は深まるということであり、更に高みに昇るということです。「なんとかと何とかは高いところに昇(りだが)る」というでしょう。「寝言は寝てから」と言っても「馬耳東風」でしょうな。とんでもない「奈良の女」もあったものですね。その「奈良女」の支持率が80%超だというから、狂気の国・国民ですね。。でも、高いがゆえに尊からず(It is not precious because it is high)、高いからこそ急降下するというのではないでしょうか。こんな「少数派内閣」、しかも歩き出したばかりの総理を、有権者の5人に4人が支持するという、「支持」という言葉の理解が進んでいないということかもしれません。「属国」「植民地化」を大歓迎する「国民」もあったものです。ぼくはできれば、国民であることを止めたいけれど、そうはいかないようですから、断じて「支持しない」一人でいようと思っている。支持するもしないも、まだ歩き出して半月(「総理」に指名は10月21日)。もうめちゃくちゃですね。

 日米関係を「同盟」と呼ぶなかれ。「個人・団体または国家などが、互いに共通の目的を達成するために同一の行動をとることを約束すること。また、それによって成立した関係」という解説を受け入れるとするなら、琉球新報のコラム氏が指摘する諸事実は、「同盟」にあらず、日本はアメリカの「植民地」に他ならないということを認めるべきでしょう。東京新聞「ぎろんの森」に「『日米同盟』と言うけれど(Although it is called the Japan-US alliance,)」という記事が三年半前にありました(まさに「旧聞」に属します)。その指摘されている「内容」は「肯綮(こうけい)に当たる」と言うべきで、繰り返し読んでおきたい記事だとぼくは思っています。「『肯』は骨につく肉、『綮』は筋と肉とを結ぶところの意》物事の急所。かなめ」(デジタル大辞泉)

 卑屈(ひくつ)、阿諛(あゆ)、追従(ついしょう)、「阿(おもね)る」「諂(へつら)う」「煽(おだ)てる」等々、いくらでも上下・優劣関係に基づく「表現」を挙げることはできます。「同盟」は、どこから見ても「追従」や「卑屈」とは程遠い関係にあるでしょう。東京新聞は「同盟」という言葉は使いたくないと明言しています。「政府が近年、日米同盟という言葉を頻繁に使うようになった背景には、日本の軍事的存在感を強め、集団的自衛権を行使して、米国の戦争に参戦できるようにしたいとの意図を感じざるを得ません。九条形骸化の動きです」「『同盟』という言葉を安易に使えば、政府のもくろみを追認することになります。たかが二文字、されど二文字」「本紙のささやかな抵抗に、一人でも多くの読者が気付いてくれたら幸いです」と、それこそ必死の体であり、かつ懇願・哀訴の心情を隠していません。気概とも言うべき。「六分の侠気 四分の熱」と唄ったのは与謝野鉄幹でした。東京新聞は、まるで「ごまめの歯軋(ぎし)り」であり、「一寸の虫にも五分の魂」ですね。ぼくは一寸に足りない人間かもしれません。しかし、身の丈半分ほどの魂は失わないつもり。

 (写真上左と右は、国内の法律が及ばない米軍基地内、しかも航空母艦の上で「飛んだり跳ねたりの首相」、前代未聞の軽薄な振る舞いだ、とぼくは、繰り返し指摘し、批判したい。「唯我独尊」状態のアメリカに縋ってどうするんですか)(「独立」「自立」という国是をいささかも顧慮しない振る舞いは、おそらく心ある人には目に余るものと映ったでしょう。それを「よくやったあ」とばかり、根拠もなく大歓迎するメディア、その周辺の「右側通行者」たち。目を覚ませよと、呼ぶ声が聞こえないんですか)

【ぎろんの森】「日米同盟」と言うけれど 今週初め、日本を舞台に活発な外交が展開されました。日米首脳会談と、続く日米豪印四カ国「Quad(クアッド)」首脳会合です。/ウクライナに侵攻したロシア、軍事的に台頭する中国、核、ミサイル開発を進める北朝鮮などをにらみ、米国を中心に結束を固める狙いです。/岸田文雄首相は記者会見で「バイデン大統領とは、日米同盟の抑止力、対処力を早急に強化する必要があることを再確認した」と述べました。/また「敵基地攻撃能力の保有」を含む防衛力の抜本的強化と、防衛費の相当な増額も表明したのです。/本紙は二十四日社説「安保強化は9条枠内で」で「日米安全保障条約体制の意義は理解するとしても、専守防衛を逸脱することは許されない。抑止力や対処力の強化を、憲法九条の枠内にとどめるべきは当然だ」と訴えました。/読者からは「同盟強化には多額の予算が必要なので十分な議論が不可欠」「防衛費の増額で国民を守ると言うが、年々減額される年金を上げた方が国民を守ることになる」との声が届いています。/首相発言のように政府は日米関係を「同盟」と表現してきました。軍事同盟の代表例は、現代では北大西洋条約機構(NATO)でしょう。/ただ、東京新聞の社説では日米関係を「同盟」とすることは極力避け、「日米安全保障条約体制」と表現することを心掛けています。/日本は米軍に基地を提供していますが、憲法九条で戦争を放棄し、米国を軍事的に守る義務はありません。双務的ですが、相互防衛義務を負う他の同盟とは異なります。/かつて、鈴木善幸首相が同盟には軍事的意味合いは含まないとの見解を示し、反発した伊東正義外相が辞任したこともありました。同盟とはそれほど重い言葉です。/政府が近年、日米同盟という言葉を頻繁に使うようになった背景には、日本の軍事的存在感を強め、集団的自衛権を行使して、米国の戦争に参戦できるようにしたいとの意図を感じざるを得ません。九条形骸化の動きです。/「同盟」という言葉を安易に使えば、政府のもくろみを追認することになります。たかが二文字、されど二文字。本紙のささやかな抵抗に、一人でも多くの読者が気付いてくれたら幸いです。(東京新聞・2022/05/28)

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来ない「バス(ゴドー)」を待つ時間

 本日付の新潟日報のコラム「日報抄」を読んで、即座にぼくは、昔々の、あるかなきかの「二つの記憶」を手繰り寄せようとしました。一つはサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」だったし、他は、それとの連想で、スーザン・ソンタグの「サラエボでゴドーを待ちながら」でした。徘徊老人と盛んに疎(うと)んじられ、いじられながら、ある老人たちは、遂に自宅に帰らないまま、杳(よう)として行方が分からなくなっいます。またいくらかの人は、誰かに会いに行くのか、どこかに出かけたまま、自宅に帰れなくなり、その行方を捜すための捜索も行われています。以前に住んでいた市では、かなり頻繁に「行方不明者」の捜索協力の防災無線が響いていましたし、その後に「無事に発見されました」という報告とお礼の無線も流されていました。現在地に越して以来、頻度は少なくなりましたが、やはり防災無線で「誰々さんの行方が分からなくなりました」という放送がごくたまに流れてきます。

 「入居者が『家に帰りたい』と言い出したら、職員はバスの来ないバス停へと誘う。ベンチに座りながらおしゃべりして、来るはずもないバスを待つ」とコラムにあります。このような「帰りたい」という感情は決して認知症者だけではなく、重い病気に罹患し、長期入院を余儀なくされた人の中にも高い確率で「家に帰りたい」という強い願望が生まれます。自分の「住処(すみか)」あるいは「塒(ねぐら)」に戻りたいという帰郷・帰宅本能が生まれているのでしょうか。「バスを待つ」というのは、どういう気持ちなのか。その昔は、ぼくも通勤にバスを利用していましたから、ややその気分は分かるつもりです。時間通りにか、やや遅れてなのかは問わず、バス停に待っていれば「バスは来る」もの。来なければクレームが出る。

 「認知症」者のために、初めから、来るはずもないバス用に「バス停」が作られている。そこでは「待つ」こと(時間)だけが目的で、「バスの来ないバス停」は作られているのです。これを「優しい嘘」と言われるそうですが、優しいか残酷かはともなく、どんな人間にも「自分を宥(なだ)める」「人や時間や場所」は必要なのでしょう。それが今日ただ今の「時代の状況」だとぼくは思う。要するに「待つだけに費やされる時間」があまりにも失われているのですよ。(これを書いているぼくは、「短気ですし、待つことが死ぬほど嫌いですから、いたいほど、その気持ち(感情)は分かるのです)この「来ないバスを待つバス停」は、おそらく人間感情の壮大な実験なのかもしれません。

【日報抄】どんなに待っても、そこにバスが止まることはない。認知症の人のためにつくられた「バスの来ないバス停」だからだ。全国の介護施設などで設置が広まる▼発祥はドイツだという。施設に入居する認知症の高齢者は、不安などから自宅に帰りたがる。バスに乗って帰ろうと、停留所を探して行方不明になることもある。そうした事案を防ぐために生み出された▼入居者が「家に帰りたい」と言い出したら、職員はバスの来ないバス停へと誘う。ベンチに座りながらおしゃべりして、来るはずもないバスを待つ。そうこうするうちに入居者の気持ちは落ち着く。認知症の人の自尊心を傷つけない「優しいうそ」だ▼県内にもこんなバス停があるだろうか。本県はバス路線が乏しい地域も多いから、自分で車を運転して帰りたいという人が多いかもしれない▼超高齢化社会は認知症社会ともいえる。国の2022年度調査では、65歳以上の3人に1人が認知機能にかかわる症状があると推計された。認知症基本法は「共生社会の実現」を掲げる。目指すは認知症になっても住み慣れた地域で暮らし続ける社会。実現には一人一人の理解はもちろんだが、土台となるのは介護人材の担保だろう。しかし、人口減少で人材は不足する▼ある認知症専門医は「自宅で最期を迎える人は減っていくだろう」と残念そうに語った。認知症の人は住み慣れた場所に帰れないのか。介護施設にも本当にバスが止まり、わが家へ連れて行ってくれる社会を描きたい。(新潟日報・2025/11/04)

 「バスの来ないバス停」に込められた「優しいうそ」…認知症の人の「帰りたい」思いに寄り添いながら守る命「日差しがまぶしいわね」。8日午後、横浜市神奈川区の住宅街にある特別養護老人ホーム「 菅田すげた 心愛の里」。玄関前に立つバス停のベンチで入居者がたたずみ、介護職員らと会話を楽しんでいた。/バス停は「鴨居駅前行き」で、実際の市営バスの標識をまねて職員が手作りした。出かけようとする入居者に、職員が「座ってバスを待ちましょう」と声をかける。/待ってもバスは来ない。30分ほど体調や天気の話をし、「お茶でもどうですか」と誘うと、「そうだね」と言って施設内に戻るという。ある職員は「バスを待つ間に気持ちが切り替わるようです」と語る。(⇙)

(⇗) 住み慣れた自宅とは異なる環境に不安を感じ、帰宅しようとする入居者は少なくない。バス停を活用することで、職員が入居者の前に立ちふさがったり、無理に連れ戻そうとしたりしなくていい。入居者の自尊心を傷つけず、職員の心身の負担も少ない。/バス停を設置したのは約10年前。ある入居者が玄関を出て行方不明になったのがきっかけだ。8時間後の深夜に警察に保護され、けがはなかったが、発見が遅れれば命の危険もあった。/玄関に鍵をかけるのは夜間だけのため、再発防止が課題となった。ドイツなどの欧州の介護施設で、同じように対応に悩んだ末、バス停を導入しているのを参考にした。/施設長の伊藤俊吾さん(56)は「入居者の健康や尊厳を守るため、自ら歩き、車いすで動けるよう、玄関は自由に出入りできるようにしておきたい。行方不明になる危険から守るのに、バス停は最適だ」と語る。(以下略)(写真左上「施設の玄関前に設置されたバス停は、入居する高齢者の憩いの場にもなっている(8日、横浜市の「菅田心愛の里」で)」(読売新聞・2025/09/26)

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 ずいぶん昔に見た芝居「ゴドーを待ちながら」(左写真)。(年譜を調べたら1965年12月とありました。宇野重吉さん(写真右)や米倉斉加年さん(写真左)、大滝秀治さんや下条正巳さんらが出演。大学2年生でした)観劇の記憶はほとんど失われました。「タイトル」ばかりが強烈に印象づけられたから、いまそれを思い出しているのです。二人の浮浪者は「ゴドー」を待っているが、それが誰なのか、どういう存在なのか知らない。もっと理解に苦しむのは、いったい「ゴドーは来るのかどうか」すら不明だし、彼(不明者)の存在自体も不確かです。「待ち人来たらず」と言う場合、「誰」を待っているかは待っている人には明らかです。「バスのやって来ないバス停」でひたすら待つのはなぜでしょうか。もちろん待っているのは「バス(つまりはゴドー)」ですけれど、そこでひたすら待っている人に大事なのは「来ないバス」ではなく「(来ないバスを)待つ」という行為であり、その時間の過ごし方なのではないでしょうか。「何か(何であっても構わない)を待ちながら」、これこそが、認知症者に限らずに、もっともっとあっていい時間の過ごし方ではないかと、ぼくはしきりに考えます。今風の嫌な符丁でいわれる「コスパ」や「タイパ」というものこそ、実は人間の脳細胞を破壊する凶器にさえなっているようにも見えます。

 「ゴドーを待ちながら」は、以下の解説の通りです。これがあえて「不条理劇」とされるのは、「何かを待ち続ける現代の人間の条件」を滑稽に、しかも社会風刺の棘が剥き出しにされた演劇だったからであるとするのが定説です。「無駄」なこと、「無意味」なことだと社会から非難される生活時間、社会常識や条理というものは「何物も産(生)まない時間」を否定し、排除することに急すぎます。そんな「無駄な時間」「何も生まない時間」を、まるで失われたものを取り戻すかのように大切にする態度や時間を、「ゴドーを待ちながら」においてぼくは愚考していました。「ノンセンス(nonsense)」という反語は、ぼく流に受け止めれば、世間では「意味がある」とされている物事に対して「ノー」を突き付ける、意味ありげなものの正体を明らかにして、「それこそが無意味なのだ」という叫びでもあるでしょう。「ノンセンス」には「センスを」笑い飛ばし、退けるだけの力強さがあるのだと、数々の拙い経験から、ぼくは明らかに学んだことでした。(右は「劇団東京乾電池 ET×2 第4回公演」のパンフ)

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◎ ゴドーを待ちながら(En attendant Godot)= フランスの劇作家、S・ベケットの戯曲。1952年フランス語で発表。初演は翌年パリ。著者による英訳版(1954)には「二幕の悲喜劇」と副題がついている。木が1本生えているだけの田舎(いなか)道で、2人の浮浪者が、待ち合わせの約束をした(と彼らは信じている)ゴドーを待つが、待ち人はこず、かわりに主人(ポッツォ)と召使い(ラッキー)の2人連れが通りかかる。そのあと少年が現れ、ゴドーさんは今日はこられないが明日はきっとくると伝言し、第1幕が終わる。第2幕も似たような展開をみせる。伝統的作劇法を完全に無視して、サーカスや寄席(よせ)の道化(どうけ)芝居に近い体裁のもとに、何かを待ち続ける現代の人間の条件をみごとにとらえた作品。初演時には反発や困惑の嵐(あらし)を巻き起こしたが、その後「不条理演劇」の元祖としてのみならず、現代演劇全体を革新した記念碑的傑作として、いまもその謎(なぞ)めいた魅力は衰えていない。(日本大百科全書ニッポニカ)

 「ベケットの《ゴドーを待ちながらEn attendant Godot》(1953)では登場人物がいつまでも来そうもなく,誰ともわからない人物をなぜかわからないまま待ち続ける間の暇つぶしの無意味なお喋りと遊びが延々と続くだけで終わる。すなわち,観客の目前で不条理な内容が不条理に演ぜられるのがこれらの演劇の特徴であるといえよう」(世界大百科事典・旧版)

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 ソンタグの「サラエボで…」の邦訳版が出版されたとき、ぼくは大いに緊張して読んだ記憶があります。出版に際して書かれた「解説」を引用しておきます。「戦火の下で悲惨な生活を強いられているセルビアの人々と協同して、ソンタグはベケットの『ゴドーを待ちながら』の演出をした——「上演の終り近く、ゴドーは今日は来ない、しかし明日にはかならず来るだろうという使いの言葉に続くウラディミールとエストラゴンの長い悲劇的な沈黙のとき、私の眼は涙で痛み始めていた……観客の誰一人として音を立てる者はいなかった。聞こえてくるのは、劇場の外から来る音だけであった。国連軍の武装した人員輸送車が轟音を立てて通りを走る音と、狙撃兵の銃声だけであった」(みすず書房)

◎ ユーゴ紛争(ゆーごふんそう)= ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア(現、北マケドニア共和国)も独立を宣言。1992年4月にはセルビアとモンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ、2003年から「セルビア・モンテネグロ」となり、2006年にそれぞれ独立国家となる)の創設を宣言して、6共和国と2自治州で構成されていた従来のユーゴスラビア連邦は完全に崩壊した。(日本大百科全書)

◎ サラエボ=ボスニア・ヘルツェゴビナの首都。ディナル・アルプスの山間盆地,ネレトバ川支流のミリャツカ川の両岸にある。町はトルコとオーストリア・ハンガリー帝国支配下でそれぞれ創建された旧市街と新市街,それに工業地帯の三つに分かれる。旧市街は中東風の職人街で,市場やモスクがある。新市街は行政・商業の中心地。第2次大戦前は絨毯などの手工業が主体であったが,戦後は重工業が重視され,金属・機械・食品工業が行われる。大学(1946年創立)がある。7世紀ころセルビア人とクロアチア人が定住。15世紀にトルコ領となり,住民の一部はイスラム教に改宗。1878年オーストリア・ハンガリー帝国領。サラエボ事件の地。1984年冬季オリンピック開催地。1992年の旧ユーゴからの独立を契機に起こったボスニア・ヘルツェゴビナ内戦によって,戦場と化した。36万9534人(2013)。(マイペディア)

ソンタグ(Susan Sontag)=生没年:1933-2004 アメリカの批評家,小説家。ユダヤ系の両親のもとにニューヨークに生まれ,シカゴ大学卒業後,ハーバード,オックスフォード,パリの諸大学に学んだ。1950年に心理学者フィリップ・リーフと結婚,59年に離婚。60年代初めから《ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス》《コメンタリー》などの雑誌に書いた評論を集めた《反解釈》(1966)によって,批評家としての地位を確立した。表題となった評論は,〈内容〉や〈解釈〉を偏重する在来の批評に対して,〈形式〉を感受する〈官能美学〉,つまり理性あるいは西欧近代合理主義に対する感性の復権を唱えたマニフェストである。以後《ラディカルな意志のスタイル》(1969),《写真論》(1977),《隠喩としての病》(1978),《土星の徴しの下に》(1980)などの評論によって,芸術と思想の諸分野にわたる前衛的批評活動を展開。〈ニューヨーク知識人〉を代表する一人である。《死の装具》(1967),《わたしエトセトラ》(1979)などの小説のほか,《食人種のためのデュエット》(1969)などの映画作品もある。(改訂新版世界大百科事典)

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(追記 もう少し駄文を綴る予定でしたが、先ほどから「浄化槽」の清掃作業が始まっており(ただ今。午前9時)、かなり騒々しいので、本日は尻切れですが(いつだってそうです)、ここで、いったん中断します。気が向けば、後日に再開します。しばらくは無駄な時間を送ります、「ゴドーを待ちながら」、ね)「待ち人来たらず」がわかっていて、なお待ちつづけることの意味を問う、いかにも不条理です。

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「ご飯」に「コーラ」で構いません?

 本日は11月3日、「文化の日」とされる。毎年この日になると、同じようなことを愚考している自分に気が付きます。「文化とは何ですか?」という疑問というか、愚問についてです。「文化」という言葉は誰もが使っていながら、ほとんど注目も注意もされない、珍しい言葉だと思う。そんなこことはわかりきっているからだ、というのでしょうか。「きょうは『文化の日』。1948年制定。明治時代は天皇の誕生日『天長節』であり、大正時代は『明治節』だった。46年のこの日に現在の平和憲法が公布されたことにちなむ」「祝日法は、文化の日の趣旨について『自由と平和を愛し、文化をすすめる』と定める。自由と平和の基盤となる文化は、戦争放棄を基本理念とする憲法の精神につながっている」とコラム氏は書かれるが、さて「文化とは」について何か解説めいたことが指摘されているでしょうか。加えて、「明治節」とか「天長節」の後継だという意味では、いかにも日本的な発想だと思いますね、「文化的」ではないということ。

【いばらき春秋】文化とは「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果」とされる。具体的には「衣食住はじめ、科学、技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容を含む」(岩波書店・広辞苑)▼「文化〇〇」という言葉はあまたある。このうち文化住宅は大正中期から昭和初期にかけて普及した和洋折衷の住宅を指す。日本の近代化を支えた住宅形態▼文化の役割は「人間が人間らしく生きるために極めて重要」「人間相互の連帯感を生み出し、共に生きる社会の基盤を形成する」「より質の高い経済活動を実現する」▼さらに「科学技術や情報化の進展が、人類の真の発展に貢献するものとなるよう支える」「世界の多様性を維持し、世界平和の礎になる」とされる。文化審議会が「文化を大切にする社会の構築について」でまとめている▼きょうは「文化の日」。1948年制定。明治時代は天皇の誕生日「天長節」であり、大正時代は「明治節」だった。46年のこの日に現在の平和憲法が公布されたことにちなむ▼祝日法は、文化の日の趣旨について「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と定める。自由と平和の基盤となる文化は、戦争放棄を基本理念とする憲法の精神につながっている。(斎)(茨城新聞・2025/11/03)

 文化とは、「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果」「衣食住はじめ、科学、技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容を含む」と辞書の解説が出されている。それで間違いはないのでしょうが、まだよくわからない。大学に入学した早々に、「人類学」という授業で、ぼくは貴重な経験をしたのを今でも忘れません。授業は500人も入るような大教室で、教師はメリハリのない授業を繰り返していたのですが、彼が紹介した教材に、文化の定義がいくつも紹介されていました。その中の一つが、フランツ・ボアーズのもので、ぼくはそこから多くのことを学びました(教師からでも授業からでもなく、それとは別個に学んだという意味。もちろん授業がきっかけであったのは事実)。(この授業中、教室が大きく、ゆっくりと揺れた。その教師は「ああ、脳震盪(のうしんとう)だ」と叫んだのには驚きました。直後に、それは新潟地震(1969年6月16日13時1分40.7秒に発生。死者26人、負傷者447人)だったことを知りました。それと「文化」が結びついてしまいました)

 その際に知った<Ways of Life>(「生活様式」)という言葉に、ぼくは深く刺激された。「文化とは生活の様式である」という捉え方は、ぼくの「野蛮な生活」の、その後のあらゆる場面で大きな「機動力(mobility)」になり続けたといってもいいほどでした。どんな社会にも、他とは異なる「生活様式」があります。単純化して言うなら、「山の生活」「平地の生活」「海辺の生活」、そのそれぞれに他所では見られない独自の「生活様式(生活の仕方)」があるでしょう。それは好い悪い、進んでいる遅れているという「比較」で云々(評価)されるものではなく、一種の環境や自然の必然としてとらえられるべきだと考えました。「アイヌ」「沖縄」「南方」「北方」などと言われる地域には長い間の生活の蓄積の上に、他集団・他地域では見られない独特の「生活の方法」が生まれ継承されてきた。それをぼくたちは「文化(culture)」と称してきたのでした。

 面倒な話は避けますが、「文化の日」の「文化」という語の原義(「その言葉が本来もっていた意味。もとの意味。原意」・デジタル大辞泉)は「カルチャー(culture)」から来ていると、ぼくは考えるものです。明治期に西洋の翻訳語としてこの国にもたらされた言葉。もちろん、この国(社会)にも「文化」という概念(言葉)はあった。一例は「文化」「文政」などと、元号に使われる時の「文(ぶん)」で、これは「武」という語と対応していました。今でも「文武両道」などと言います。おおよその意味は分かりそうですね。つまらない上に、正確ではない解説ですが「文事と武事との両方。また、勉学とスポーツの両面」(デジタル大辞泉)とあります。さらに「文事」とは、「武事」とは、と問いが終わりません。辞書は多く、文(学問)・武(武道)と、極めて日本的解説に終始します。

 その場合の、 「文・武」とは中国古代の君主の名前でした。因みに「文王」(左写真)とは「中国古代、殷(いん)末の周の王。姓は姫、名は昌。武王の父。有能な人材を集め、徳治を心がけて、周王朝の基礎をつくった。後世、儒家から理想の君主とみなされる。生没年未詳。ぶんのう」(デジタル大辞泉)。「武王」(右写真)とは「中国、周王朝の創始者。姓は姫(き)。名は発。文王の子。父の没後、紂王(ちゅうおう)を討って殷(いん)を滅ぼし天下を統一、鎬京(こうけい)を都として即位。封建制度を創始」(同前)とあります。つまり親子二人の君子(君主)の「文と武」から生まれた言葉です。お判りでしょう。武力で支配する「武断」政治と、徳政に重点を置く「文治」政治を指したもので、政治の二つの方法(道)を意味していました。古来中国で使われていた「道徳」という語は「道」と「徳」でした。両者は同じものでありません。「道」は政治の在り方で、「徳」は、例えば「仁義礼智信」(五徳)などととして人間の根本の徳性とされ、そこを出発点にして、政治の要諦の「道(政治の方法)」に至りつくるとされるものです。

 面倒なことになりそうですから、ここで止めておきますが、「文武両道」は中国譲りであり、他方の「文化」は「カルチャー」とされたのは西洋(舶来)ものでありました。参考までに、辞書の意味を示しておきます。細かく言えば際限がありませんが、おおよそはその通りです。大切なのは、「文化」があって初めて「文明」に意義(効能・効果)が付加されるということです。この時、「文明とは物質的所産」(科学技術によって生み出されたもの)という解釈です。考えてみれば、ぼくの拙い学習も、結局は社会集団における個人と個人の関係の問題と、多くの社会(国)とこの社会(国)との関係の望ましい在り方を「文化と文明」の間(関係)で捉えようとしてきたともいえます。文化とは「独自」「固有」の生活の仕方であり、文明とは共通性、一般性、普遍性につながる生活の在り方です。「味噌汁」に「マクドナルド」は、あえていうなら、文化と文明の葛藤になるのか融合になるのか。これを柳田國男という民俗学者は「背広に刀」とか「洋服に下駄」などと、ある種の揶揄の意味を込めて使われていました。「美しい国」と言うのは「純粋文化」だけで成立するとは思われませんけれど、どうもそんな風に単純化して「純血主義」に訴えようとする向きが多いのが、この時代の政治主張の傾向でもあります。(いつだって、日本社会は「多民族社会」「多文化共存集団社会」でありましたね)

 余話 アメリカは人種・民族の坩堝(るつぼ)」とされます。異人種・異民族が集まって作られた国家ですから、共通になるものが必要だった。それが「英語(という言語)」だったんですね。もう一つは「憲法」でした。それぞれの人種・民族の出身者は「家では母国語(固有性)(文化)」、外では「英語(共通語)(文明)」、あるいは家では「家庭(郷土)料理(文化)」があっても、外では「マック」「ケンタッキー」(文明)」でという、文化と文明の二刀流でもあるんでしょうか。(アメリカ修正憲法「前文」「われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫の上に自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する」1778年発効)

 さらに駄弁は続くのですが、要するに、長年にわたり、ぼくはこの問題を手を変え品を変えて、終始言い続けてきたというだけのこと。マックばかりでも、味噌汁だけでも、日本人である人間の「生活」は、あるいは「歪(いびつ)」になるでしょう。和洋折衷(japanese-western eclectic)と言うのか、和漢混交(japanese-chinese mixture)と言うのか。それを放置していると、いつしかぼくたち自身の「文化(生活の様式)」が消えてしまっていることに気が付くのですが、その時は「すでに遅し」ということになりかねません。では、いったい何が、どうして「遅し」なのかという根本問題に逢着するというか、その問題は残ります。「文化」の日は、ぼくにとって、そんなことを愚考し続ける日でもあります。つまり、ぼくにとっては、毎日が「文化の日」だということです。

 ある生活圏において、文化とは「耕作」、「栽培」「収穫」であり、一個人においては「修養」「教養」であり、「教育」そのものの問題でもあります。また、明治期に編纂され始めた、ある辞書での「文明」の解説に「西洋かぶれか」とありました。それを観て、ぼくはいたく感動しましたよ。個性などと洒落たことを言うなら、「文化」の内包する問題を根本に遡(さかのぼ)って考える必要がありそうです。(あるいは、別稿に続くかも)

 (今朝5時前の「ラジオ深夜便」によりますと、「今日の誕生日の花は『菊』」ということでした)

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◎ 文化=1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の—」「東西の—の交流」2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「—住宅」[用法] 文化・文明——「文化」は民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、世代を通じて伝承されていくものを意味する。◇「文明」は人間の知恵が進み、技術が進歩して、生活が便利に快適になる面に重点がある。◇「文化」と「文明」の使い分けは、「文化」が各時代にわたって広範囲で、精神的所産を重視しているのに対し、「文明」は時代・地域とも限定され、経済・技術の進歩に重きを置くというのが一応の目安である。「中国文化」というと古代から現代までだが、「黄河文明」というと古代に黄河流域に発達した文化に限られる。「西洋文化」は古代から現代にいたるヨーロッパ文化をいうが、「西洋文明」は特に西洋近代の機械文明に限っていうことがある。◇「文化」のほうが広く使われ、「文化住宅」「文化生活」「文化包丁」などでは便利・新式の意となる。(デジタル大辞泉)

ボアズ(ぼあず)Franz Boas(1858―1942)= アメリカの文化人類学者。極北や北米での豊富な調査体験をもとに、アメリカ文化人類学に総合人類学としての方向づけを与え、クローバー、ベネディクトら次代の第一線級の人類学者を育てるなど大きな貢献をしたので、アメリカ人類学の父と称されている。/ ドイツに生まれ、物理学を専攻、23歳のときキールで学位を得た。早くから民族学にも興味を示し、地理学をも学んだことがきっかけとなって、25歳のとき極地エスキモー、さらに3年後にはブリティッシュ・コロンビアの先住民集団クワキウトルの調査を行った。このおりに触れたアメリカ合衆国の自由な雰囲気にひかれ、1887年アメリカに帰化し、1889年からマサチューのクラーク大学で、1896年から1936年の退官までコロンビア大学で人類学を教えた。/ 彼の調査は、住民の間に入り込み、その思考の内面にまで及ぼうとするもので、いわゆる安楽椅子(いす)人類学者全盛の当時としてはユニークなもので、マリノフスキーらイギリス社会人類学者による本格的現地調査を一世代先行していた。先住民の物質文化、形質、言語、社会、宗教、神話、心理などについての原語テキストを多く含む膨大な記録は、ボアズの実証主義、総合人類学を支えていた。彼が、環境決定論、人類進化史の復原、歴史法など、そのときどきに強い関心を寄せながらも遠ざかったのも、事実との照合の結果、それらでは十分説明しえないことに気づいたためであった。彼がなによりも関心を寄せたのは、たとえばクワキウトルの怪異な仮面や丹念な装飾の背後に隠れている豊かな内面思考、つまり文化のシンボリックな面にあり、これは、晩年関心を寄せた文化と個人のテーマに連なるものである。また、一般への啓蒙(けいもう)活動、とくに人種主義への批判などにも積極的だった。(日本大百科全書ニッポニカ)

◎ 菊と刀(きくとかたな)The Chrysanthemum and the Sword : Patterns of Japanese Culture= アメリカの女性人類学者ルース・ベネディクトの主著の一つ。原著は1946年に刊行され、48年(昭和23)に日本語訳が出版された。第二次世界大戦下のアメリカの一連の戦時研究のなかから生まれた、日本研究の名著である。直接現地調査ができないという制約にもかかわらず、在米日系人との面接、文学や映画の分析などを通じて、複雑な日本社会の体質に鋭く迫っている。日本社会を特徴づける上下関係の秩序に注目し、その秩序のなかで「各人にふさわしい位置を占めようとする」人々の行動や考え方について、「恩」「義理」といった日本人独特の表現を手掛りに分析を進めている。とりわけ日本の文化を、内面に善悪の絶対の基準をもつ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化した点は、戦後の日本人に大きな衝撃を与えた。(同上)

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「徒然に日乗」(900~906)

〇2025/11/02(日)はっきりしない天気で、肌寒くもあった一日。お昼前に茂原まで買い物。日曜日だったが、店内は空いていた。▶帰宅後は、MLBの中継を見ていた。実にいい試合で、ぼくは大リーグ事情にはまことに疎い人間だったが、トロント・ブルジェイズもさすがにWSに出るだけのチームで、どちらが勝っても不思議ではない、大変なゲームだったと、久しぶりにプロ野球を堪能した。結果はLADの逆転勝ち。日本のプロ野球はほとんど見ないし、大リーグもまったくの無関心だった。このところ日本人選手が海を渡って、相当な活躍をしているということは知ってはいたが、それはサッカー選手が海外チームに大勢出かけて、それぞれの地で力を発揮しているというのと同じこと、ぼくの関心はいささかも刺激されなかった。本日の午後の長い時間まで、優勝後の模様をネット番組で見続けた。この7戦目が稀にみる好ゲームであったこと、シリーズ中には史上最高のゲームと評価されるものもあったと思う。延長18回も戦った試合もそのうちに入るかもしれない。それ以上にぼくが驚いたのはTBJが、あるいは勝つかと思ったほどの強豪だったことだ。この強いチームがいたからドジャースはここまで力が発揮できたのだと思った。それにしても、LADは3月に日本で開幕戦を、最終の試合場はカナダトロント、そしてシーズンを通じて162試合、強靭な精神力と体力を持たなければとても戦えない過酷な生活だったと、ほとほと関心をしたのだ。(906)

〇2025/11/01(土)あっという間もなく、本日は11月01日。ようやく季節に暦が追い付きかけている、そんな風情(趣き)の霜月朔日(ついたち・さくじつ)。終日自宅内にとどまる。午前中は大リーグ(MLB)の中継を途切れ途切れに見る(聞く)。最後はドジャースが勝ったようだ。明日が最終戦、文字通りの最後の決戦。ほとんど普段は野球など観ないが、大谷さんをはじめとする同チームの活躍に観戦気分が煽られているよう。ただ今午後9時過ぎ。室温21.2℃、湿度72%。予報では本日も雨とあったが、降雨と言うほどのものはなかったようだ。明日はどうか。▶このところ、やや睡眠不足気味で、褒められたことではない。本日は少し早めに寝ることにしよう。(905)

〇2025/10/31(金)ただ今午後9時45分。午後から降り出した雨は本格的な大降りになっている。明朝まで続きそう。▶昼前、雨が降らないうちにと、茂原まで買い物。帰宅後、庭の掃除をと考えたが、機械(狩り払い機)の調子も悪く天候も悪くなりそうだったので中止。▶夕食後、かなり強く降りだしてきた。予報では当地でも相当な強雨だという。▶日米会談の中身が徐々にわかりだしたが、知れるほどに相当にひどいものだった。新政権の発足後、円安は亢進し、147円から154円まで急落。反対に、株式は5万2千円台に。そして物価高騰(インフレの増進)である。いわば「インフレ増税」による、税収確保政策を政府は選んでいるということ。さらに日米首脳会談では、大量の武器(戦闘機やミサイル)注文が明かされたし、新首相は「今年度補正予算」で処置するというが、国会審議は一切無視した状態でアメリカに約束しているのだ。アメリカによる高関税を認め、米軍横須賀基地の原子力空母艦上で「燥(はしゃ)ぎ過ぎた」振る舞いを露呈。米軍基地は「治外法権」の地だ。明治時代を通して不平等条約の改正に苦しんだ日本政府だった、今は「喜んで植民地化」推進政府との先頭に立って、一人大騒ぎをしているし、その驚くべ愚考・愚行を取り続けている新首相に提灯を持っている大手メディア。この国を「亡国の道」に引き摺りこんでいる始末。こんな新政権に対して世論調査は驚くべき「新内閣支持率」をはじき出して、馬鹿騒ぎに油を注いでいる。国会は杳として開かれないままで、米国の「いいなりな政策」が国会を無視して、勝手に決められている。どいうつもりだろうか。▶十月晦日、外は大降り。室温19.4℃、湿度74%。(904)

〇2025/10/30(木)ただ今午後9時過ぎ。室温18.1℃、湿度64%。とても寒い一日だった。外気温は15℃程度だっただろう。明日も雨が降るという予報が出ている。▶久しぶりに庭作業をした。相当に伸びていた植栽をいくつかを剪定した。また植栽の下草部分には細い竹が密集・繁茂している。ていねいに抜根を含めて作業を進めたい。暑くなく、寒くもない日が続け間に庭作業をしっかりとしておきたい。(903)

〇2025/10/29(水)ただ今午後10時15分。室温16.8℃、湿度64%。終日好天だったが、気温は上がらないままだった。▶昼頃に茂原まで買い物に。かみさんの運転免許証が再交付されたので、彼女もよく外出するが、買い物はぼくの当番となった感がある。いつも同じようなものを買う。食パンに牛乳(これは猫の分)、それに夕食の食材。食事の支度をするのは少しも苦にならない。いろいろと時候に合わせて考える楽しみもある。酒を全く飲まなくなったので、夕食の楽しみは半減したと思う。▶「日米首脳会談」と言うが、いったい何と言う会談だったか。きつく聞こえるかも知れぬが、アメリカの大統領に気に入られよう、気を引こうという一途の思いが、気色の悪いほどに、新首相の挙動に現れていた。見るも聞くも気分が悪くなったほど。「媚態」を振りまく総理大臣もあったものか。あさましい限り。米大統領に、興味・関心を持たれようとして、盛んに振り巻いていた「微笑・媚態」が世界中に広げられたのだ。そしてそのための材料(土産物)は事前に相手方の言い値で約束していたことが判明したのだから、まさしく「売国の女性(traitorous woman)」だろう。そしてそれをいささかも批判もしないで情報を垂れ流しているメディア、いったい、この国はどこまで駄目になってしまったのだろうか。(902)

〇2025/10/28(火)午前6時半、「燃えるゴミ」の収集日のために集積所まで持参。▶市原市にあるホームセンターまで猫缶等の品揃え状況を見に行った。現在利用しているのと同じ系列のホームセンターだったが、品数は多くはなかったというか、何時も購入している缶詰は置いていなかった。やむなく、いつも通りにあすみが丘(千葉市土気)まで出かけることになった。その途中で、猫のドライフードを近所のHC(長柄町)で購入。▶昨日バッテリーの充電を兼ねて少し長い距離を走ったが、本日もまた40数キロは走行。昨日分を加えれば、60㌔は走ったと思う。いつものスタンドでガソリン(ハイオク)をいれた。1㍑170円ほどだったか。一時期よりも値下がりしているのはどうしてだろうか。▶帰宅後、ほんの少しばかり雑草の刈り取りをした。仮払い機のプラグを変えたところ、なんとか稼働してくれたが、購入以来、かれこれ十年近く経過しているので、やはり劣化が隠せないようだ。▶各地の熊出没状況、まるで異常状態と言うべき様相を呈している。秋田県では「熊退治」に自衛隊出動を要請し、早速部隊が秋田に移動した模様。いかなる攻撃を熊に向けてするのだろうか。問題の方向は間違っているという思いが消えないのだ。▶ただ今午後9時40分。室温18.9℃、湿度62%。(901)

〇2025/10/27(月)現在、拙宅には2台の車がある。一台はかみさん用の1500㏄(ホンダシビック)。他は2500㏄(ニッサンセドリック)で、ぼくの専用として、初年度登録以来23年経過。この2~3年はあまり乗ることもなく、もっぱらかみさんのものを利用している。しかし、廃車にする気はなく、毎回車検は通している。昨年の4月に受けたばかり。その際に、新しいバッテリーに換えた(5万円近く費やした、パナソニック)。それが、余り乗らないものだから、十分に充電されない状態が続いていた。それに加えて、今夏の異常な酷暑・高温。しかも自宅の駐車場に入れたままにしていたため、高温状態が何日も続いて、遂にバッテリー用の水(精製水)が蒸発して、バッテリーが放電してしまい、エンジンがかからなくなった。高温状態の中、バッテリー内の水分が蒸発しつつ、内部で強固な圧力がかかって、ボタン(蓋部分)が開かなくなくなっていた。数日間はバッテリーに精製水を入れることができないままだった。少しそのままにして様子を見ようとしていたところ、この数日間の低温天候続きで、意外や意外、いとも簡単に蓋部分(6箇所)が開いたのだ。購入しておいた「精製水」をていねいに注入して、もう一台の車と接続してエンジンを始動させたところ、なんと簡単にエンジンがかかった。いろいろと想定し、最悪の場合は「廃車」するかとまで考えたが、なんとか寿命が延びた感じ。早速充電を兼ねて、拙宅の周り、と言ってもかなりの走行距離が出た(およそ30キロ程)少しはまめに車を動かしてやらねばと改めて反省した次第。幸いにも、このところガソリン代も値下がりが続いている、一時ほどの高値(レギュラーで1㍑当たり170円超)がなくなった。直近ではレギュラーが1㍑150円台。ハイオクはそれより10円程度は高い。2500㏄車はハイオクを使用している。以前は月に軽く1000㌔は走っていたと思う。ただ今の走行距離は104000㌔ほど。因みに、かみさん用は2015年3月に初年度登録で、走行距離は約9万キロ。かなり乗ったという気がする。セドリックは初年度登録が2002年4月、シビックは2014年三月、かみさん(との結婚)は1973年3月。何もかも古い。(900)

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「戦後」の前と後に「戦前」は起つ

【卓上四季】「戦後」は遠くなりにけり ナショナリズムが高まる大正期のことだ。人間愛を掲げた雑誌「白樺」の影響を受け、文芸や絵画の回覧誌「楽天」を発行したグループが旧制松山中学にあった▼伊丹十三の父、万作や後に映画監督となった伊藤大輔、俳人中村草田男、東宝などでメガホンを取った山本薩夫の兄で建築家となる勝巳らそうそうたる顔ぶれである▼岸田劉生に心酔した重松鶴之助もメンバーの一人だった。春陽会、国画会展に連続入選し、「日本を代表する一四〇人の洋画家」にも選ばれた画才である▼転機が訪れたのは童画家として伸び悩んでいた伊丹の苦境を救おうと、松山で関東風おでん屋を開業したころのことだ。かつての楽天発行仲間で、労働運動家となっていた白川晴一らの苦境を目の当たりにし、社会変革運動へ傾倒したのだった▼満州事変の勃発で軍国主義が台頭し、戦争遂行が最優先となる中、思想弾圧と人権侵害の横行が耐えられなかったのだろう。出征兵士に反戦ビラを配布したとして逮捕され、獄中で自ら命を絶ったとされる。1938年(昭和13年)の11月である。35歳だった▼重松逮捕の翌年、中村は「軍隊の近付く音や秋風裡(り)」と詠んだ。昭和初期、明治の開国期の気骨を失った世相を憂えた中村である。非戦を誓った「戦後」が遠のく現代を見たら、どんな句を残しただろうか。(北海道新聞・2025/11/02)

◎ 週の初めに愚考する(九拾參)~ 「日米首脳会談」が慌ただしく行われた。その際、米国大統領は「日本が大量の武器(軍事装備)の注文をしてくれたことに感謝する」と、会談冒頭で話し出した。総理大臣になってからまだ数日しか経ていない段階で、しかも国会も開かれていない日程で「大量の武器(戦闘機やミサイル等)発注」が為されていたのだが、誰がどこで決めたのでしょうか。「本年度の補正予算」で、と首相は言うが、国会審議はもう済んでいるのか。まったく、秘密裏に、米国大統領のご機嫌取り(媚を売るということ)のために、実に姑息な手法で物事を決めているのです。

 今から十年以上前の政権では、国の行方を決定しかねない重要な案件を、国会審議を抜きにして、つまりは「閣議決定」という異様な方法で次々に決定して行った。繰り返し駄弁っているように、もはやこの国では民主主義は機能しておらず、国権の最高機関と自称し、他称されてきた国会は骨抜きにされています。国会議員のきわめて異常なサボタージュだというべきでしょう。現内閣は、安保関連法や武器輸出三原則も「改訂」すると明言しています。さらにはスパイ防止法の制定にも言及している。ほぼ「与党」勢力となっている国会の事情を考慮するなら、どこに向かってこの国が進むのかは明らかでしょう。十年以上前の内閣が暴挙と言うべき破壊行為を国会に持ち込んで強硬に推進してきたその事情を、現首相は側近として、つぶさに見ていたのですから、その「二番煎じ」を演じているのは火を見るよりも明らかです。少数与党と言いながら、その弱体化を補って余りある「右翼勢力」が議会で多数派を形成しています。現政権だけに目を奪われていると、とんでもない事態に追い込まれるのは避けられないし、すでにその一歩、いや三歩も先に進んでいる。

 米大統領の歓心を引くためなら「体を張る」とまで言いかねない現首相です。気が付けば、すっかりこの国は米国の「植民地」になってしまったと、言いきって間違いないでしょう。「自主独立」「自尊」の気概や感情は何処に行ったのでしょうか。身分不相応の「軍事大国」になって何をするというのか。「専守防衛」の「憲法」(国のかたちを決めるもの)が聞いてあきれる。特に「先制攻撃」に傾いた、この国にもっともふさわしくない「敵基地攻撃能力」を高めるためにと莫大な税金を投入して買ったレーダーや武器類も、今では「無用の長物」と化しています。この国は米国の「ATM」だと以前にぼくは口にしていましたが、今では「植民地支配(治外法権・関税自主権の剥奪状態)」を受ける羽目になっているというべきです。

 「国防」という美名に費やされる天井知らずの税金投入。この国の「軍事大国化」を長く縛って来た、防衛予算の「GDPの1%」も、何時しか破棄され、今は2%、更に3%へと増額する旨、すでに宗主国に「約束した」と言う。この本予算に加えて「補正予算」が加わり、更に莫大な軍事武器購入費(40兆円超)のローン支払い(後年度負担)が重くのしかかってくる。何度も繰り返すことですが、莫大な軍事費を使って武器を買い、防衛効果を高めるというのでしょうが、いったいそれは何のためですか。現下、早晩、開戦に至らざるを得ない国があるのでしょうか。「台湾有事は日本有事である」と叫んでいるけれど、それは誰が言っているのか。「台湾」は中国の一部だと、日本も公然と認めている国際常識です。

 「戦後」は遠くなりにけり、と多くの人は今を語ります。それはまた「戦前」は近くなりにけり」ということになるでしょうか。現首相は盛んに「日本は戻って(帰って)来た(Japan is back)」と、意味不明のフレーズを叫んでいます。「どこに戻った(帰った)」のでしょうか。強い日本を取り戻すともいう。国力を測る物差しは何ですかと、ぼくは訊きたい。経済力? 軍事力? あるいは「国民性」「文化」も考慮されているでしょうか。「力」を求める人間は、「力」によって滅ぶか、滅ぼされるに違いありません。「働いて、働いて、働きぬく」という「やる気満々」の雄叫びは、なんのためのものですか。いろいろなことを考えて、ぼくの答えは「現下の日本社会の行方」は、もと来た道に戻るものではないということ。大きくならなくても、強くならなくてもいい。他者と仲良く、余計な諍いを生まないような生き方をする個人のように、国もまたそうであってほしいと只管(ひたすら)願うばかりです。だから、余計なことはしてくださるなと、心からの注文を出しておきます。

 その昔の中国の歴史書「十八史略」に、「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」という逸話があります。そこに登場する農民の言たるや良し、「帝力なんぞ我に有らん哉」と。真面目に政治道を踏んでいれば、「政治権力」の存在などいささかも気にする必要もなくていいというような、そんな「政治哲学」の物語(歴史)です。

 …治天下五十年。不知天下治歟、億兆願戴己歟、不願戴己歟。問左右不知、問外朝不知、問在野不知。乃微服游於康衢、聞童謡。曰、
立我烝民、 莫匪爾極、 不識不知、 順帝之則。有老人、含哺鼓腹撃壌而歌。曰、日出而作、 日入而息、鑿井而飲、 耕田而食、帝力何有於我哉。

 (中国伝説上の聖人「尭」の即位時代のこと。自分の治世がうまく行っているかどうか、彼はとても知りたがったが、誰もそれを教えてはくれない。そこで、変装して街に出て子どもの謳うのを聞いたところ、「帝王のおかげでないものは、何一つない。みんな幸せだ」と謳っていたという。あるところでは、一人の老人がいて、口に何かを含みながら、腹を打ち、足で地面を叩きながら、何か歌っていた。

 「はく、でてし りていこ うがちてみ たがやしてらふ 帝力ていりょくなんわれらんやと」(日の出とともに田畑に出て耕し、日が沈むとともに家に帰って休む。井戸を掘って水を得、田を耕して食を摂る。帝王の威力が、どうしてわしの生活に関係があるか」と。これは神話以前の「夢物語」、中国を通してこの島国にももたらされた「為政の極致」を語るお手本(お伽噺)となったもの。こんなものをここに出して、ぼくは誰か、何かを侮るつもりも笑うつもりも毛頭ありません。ただの「お話(歴史)」に触れただけのこと)

◎ じゅうはっしりゃくジフハッシ‥【十八史略】= 中国の史書。二巻。元の曾先之撰。太古から宋代に至る歴史を「史記」から「新五代史」までの一七の正史と宋関係の史料によって記述したもの。編年史で、逸話風に書かれている。現行のものは明の陳殷が注解をつけて七巻にしたもので、日本では室町末期から江戸時代にかけ盛んによまれ、明治以後も漢文教科書として用いられた。(精選版日本国語大辞典)

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 北海道新聞のコラム「卓上四季」に中村草田男さんたちが出てくる。この当時の松山中学の生徒たちの、その後の人生がどんなものだったか、ぼくには想像に余るものがあります(中村さんの中学入学は1914年)。なんとも壮観と言うか、厳粛と言うべきか。もしこのような人々に学校教育の影響が及んでいたとしたら、の話ですが。彼の代表句の「降る雪や明治は遠くなりにけり」は、自身が出た青南小学校を、卒業以来、20年ぶりで訪ねた時(昭和6年、30歳)、多くの子どもたちが校庭に出て遊んでいる、そこに雪が降り出してきたという。(…)また、大学卒業後に勤めた成蹊学園教師時代、戦場に赴く「教え子たち」に餞(はなむけ)の一句として詠まれたという、「勇気こそ地の塩なれや梅真白」がある。ぼくの深く好む一句です。句意はよくわかりません。「戦死などするな」ということだったか。梅の白さに草田男さんは何を見ていたか。そして、まったく背景の異なる、長閑な晩秋(初冬)の一瞬を詠んだ「あたゝかき十一月もすみにけり」も。昨日挙げた佐藤鬼房さんの「霜月の朔何かありさうで」とはまったく相対するというのでもないという句として、ぼくは好んでいる。この両者は俳句の世界では、おそらく相容れなかったでしょうね。

◎ 中村草田男(なかむらくさたお)(1901―1983)= 俳人。明治34年7月24日、中国福建省厦門(アモイ)生まれ。本名清一郎。東京帝国大学独文科から国文科に転じ、正岡子規(しき)を卒論とする。1928年(昭和3)『ホトトギス』を読み、翌年、東大俳句会に入り、水原秋桜子(しゅうおうし)の指導を受けた。その後『ホトトギス』の新人として台頭、評論にも活躍して1934年、同人に推される。当時の新興俳句運動には終始批判的態度を通し、日野草城(そうじょう)のモダニズムを徹底的に非難した。石田波郷(はきょう)、加藤楸邨(しゅうそん)らとともに人間探求派、難解派とよばれる。第二次世界大戦中は「自由主義者」と中傷、圧迫された。『ホトトギス』を離れ、1946年(昭和21)『万緑(ばんりょく)』を創刊、主宰。生命賛歌というべき作品が多い。社会性俳句、前衛俳句を批判して、現代俳句の指導的存在でもあった。昭和58年8月5日没。句集に『長子』(1936)、『火の島』(1939)、『万緑』(1941)など、童話に『ビーバーの星』『風船の使者』など。成蹊大学教授。母校の東京・南青山の青南小学校に「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句碑がある。(日本大百科全書ニッポニカ)

【有明抄】戦隊ヒロインの時代 高市早苗首相あこがれの「鉄の女」サッチャー氏が英保守党で初の女性党首に選ばれたのは1975年。吉永小百合さんが新作映画で演じた登山家田部井淳子さんが女性初のエベレスト登頂を果たしたのもこの年。もう一人、歴史を変えた女性が登場した◆ペギー松山さん、といってもマニアの方しかご存じないかも。「秘密戦隊ゴレンジャー」のモモレンジャーである。男性隊員が活躍する特撮ヒーローものの世界で、それまで女性隊員は控えめに救護や通信など業務のサポート役。それが「エイヤッ」と戦いの最前線に立った◆男性の中で奮闘するヒロインは以後「戦隊ヒーローシリーズ」に受け継がれていく。結婚して子どもができたら仕事は続けられるか。親が老いたら介護も必要になるだろうし…。そんな心配など無縁の世界で、正義のために24時間を仕事にささげる彼女たち◆〈つまり、見た目は女ながら、『最も男らしい女性』なのだ〉とは、鈴木美潮著『ヒーローたちの戦いは報われたか』の指摘である。そんなスーパーウーマンだけが男性と平等に働ける、と誤った固定観念を植えつけてしまった、と◆半世紀続いたそのシリーズも終了が決まった。制作費高騰には勝てなかったらしい。劇中以上に大活躍するヒロインが現実になった時代。働き方改革で休みに入った、ならいいのだが。(桑)(佐賀新聞・2025/11/02)

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 ◎参考資料
 10年経っても「安保法制は違憲だ」 法律のプロは訴える 「閣議決定」は乱発され、民主主義は傷を負った  
 第2次安倍晋三内閣が憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定してから10年となった1日、元最高裁判所判事や元内閣法制局長官ら法律家が集まり、声を上げた。「それでも安保法制は違憲だ」。彼らが強い問題意識を持ち続けるのはなぜか。10年前の閣議決定は、日本の議会制民主主義に深い傷を与え、今も余波を広げていないか。(山田祐一郎、森本智之)
◆元最高裁判事は「国会で議論するべき問題を内閣がどんどん進めた」
 「本来、三権分立の原則がある中で、立法府である国会で議論するべき問題が、行政府である内閣によってどんどん進められてしまった」。1日、東京・霞が関の弁護士会館で開かれたシンポジウムで、元最高裁判事の浜田邦夫氏がこう問題点を指摘した。
 シンポジウムは第二東京弁護士会が主催。登壇した法律家らは2014年7月1日の閣議決定や、翌年成立の安全保障関連法が憲法に違反すると改めて訴えた。
 法案審議中の2015年9月、公述人として参加した参議院中央公聴会で浜田氏は「法案は違憲」と明言。さらに「いまはなき内閣法制局」と、合憲性のチェック機能を果たしていない法の番人を痛烈に批判した。シンポジウムでは当時を振り返り、「原稿なしで公聴会に臨んだ。そういう思いがあったので、言葉として出てきた。違憲であるという点ではいまも考えは変わらない」と述べた。
◆元内閣法制局長官は「憲法9条1項に反している」
 第1次安倍内閣時の2006年から民主党政権期の10年まで内閣法制局長官を務めた宮崎礼壹氏は、集団的自衛権の具体的な違憲性を指摘した。「憲法9条1項は、武力の行使は『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と書かれている。国際紛争は他国の武力紛争に介入すること。集団的自衛権は明文に反する」と説明。さらに「集団的自衛権は憲法上許されない」とした1972年の政府答弁を挙げ「40年にわたる積み重ねがある解釈をひっくり返すことになる」。集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」のあいまいさも強調した。
 「本来、政府のやろうとしていることについて憲法に合致しているという理屈をこねるのが内閣法制局。『権力の犬』とも言われたが、それでも、だめなものはだめだ」と断言する宮崎氏の定年後、第2次安倍内閣で閣議決定された。
(中略)
◆「議論しない」「説明しない」自民党に定着
 議論しない、説明しない、という振る舞いは、閣議決定に限らず、さまざまな政治の場面で目立つようになった。例えば予算編成で、国会審議を経ず内閣が自由に使える予備費や基金が乱用されるようになった。批判的な質問をはぐらかす答弁は「ご飯論法」と呼ばれ国会審議で繰り返される。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「第2次安倍政権で、官邸の指示一つで全てが動くようになった結果、官邸が決めたことに批判したり注文を付けることがなくなった。議論不要論が自民党で定着し、議論する文化そのものが消えてしまった」と嘆く。
◆デスクメモ
 閣議決定は全員一致が原則だ。反対して罷免された閣僚もいる。「桜を見る会」を巡り「首相夫人は私人」という「これも?」と感じる閣議決定もあった。何かにつけて漂うのは、異論を封じ、数の力で押し切りを図る近年の政権の姿勢。民主主義が骨抜きになる危険が膨らんでいる。(北)(東京新聞・2024/07/04)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/337701

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