
以下のことは、なにか確信があって言うのではありません。昨日の河北新報のコラム「河北抄」を繰り返し読み、それに関連するいくつかの記事などをネットで探し読みしていました。そして、今朝、高知新聞のコラム「小社会」が書いていた「35万人の不登校」を読んで、とても奇妙な感覚を覚えた、そのことを思いつくままに書いてみます。「不登校」の子どもは、学校がある限り生まれます。勤め人時代、しばしば「不登校問題をどうするか」と質問を受けたことがあります。ほぼ同じように「いじめをなくすには」も。そのどちらにもぼくはよく答えられなかった。それぞれのケースはすべて異なるものだと思ったからでした。表向きは似ていても、内容はまったく異なる。だから一つ一つに当たるほかないと考えていたからでした。「いじめ」も同じことのように思われました。だから、きわめて生産的ではなかったが、「不登校」も「いじめ」も個々の事例に即して、相談を受けたら、ぼくはそれなりに対応していたと思う。小・中・高・大のそれぞれにぼくは付き合ってきました。
そのような少なく拙い経験から、ぼくにも言えることがあるとしたら何だろうと、よく考えたものでしたが、名案は見当たらなかった。「不登校」も「いじめ」も、学校という環境で生じていましたから、先ずぼくは単刀直入に、これらの問題をなくするには「学校をなくせばいいじゃないか」と話したことでした。もちろん、多くからは顰蹙を買ったのは当然だった。でも、この「乱暴な愚見」は、今だって基本は変わっていない。

「35万人の不登校」と聞いても実感がわきません。500人規模の学校を考えると、約700校分に当たります。高校中退者が後を絶たないのも、同じように「不適応」があるからでしょう。世間では「学校に適応できない問題の児童生徒」などと捉えますが、果たしてどうでしょう。ぼくの経験からすれば、今日の「成績(競争)第一」の学校に適応するのは、ぼくにとってはとても好ましいところではないと考えていました。「不登校」を起こしているすべての児童生徒が、同じ理由であるとは限りませんから、手間暇がかかるけれど、個別に当たるほかないでしょう。それは、長い付き合いの始まりになるはずです。
【小社会】35万人超の不登校
昼間にもかかわらずカーテンを閉め、息を殺して過ごす。中学校に入学早々、同級生から嫌がらせを受けた主人公は学校に通えなくなってしまう。2018年に本屋大賞を受賞した辻村深月さんの小説「かがみの孤城」は何度読んでも胸が詰まる。
ある日突然、部屋の鏡が光る。くぐり抜けた先にあったのは童話で見るような城。そこには主人公と似た境遇の中学生が集められていた。城は学校や家に居場所をなくした彼らの逃げ場となる。
そんな場所を持てているだろうか。昨年度に不登校とされた小中学生が35万人を超え、過去最多を更新した。保護者らの意識が変わってきたからと言われる。学校に通えるようになることだけが成長ではない。否定的な面ばかりではないだろう。
ただ、今回もどこからも専門的な支援を受けていない子がいた。その数は全体の4割近く。年々増えている。
自分を振り返っても、中学生時代は学校と自宅周辺しか世界を持っていなかった。そんな子どもにとって救いの場を見つけるのは簡単でない。だからこそ多様な場を用意したい。誰一人取りこぼさないように。
小説に戻れば、主人公らにとって城は単なる逃げ場ではない。教室と同じように衝突もすれ違いもある。だが、それでも少しずつ心を通わせていく。仲間のために動きたいと思うようになる。そんな前を向ける場所が現実の世界でも増えたらと願う。(高知新聞・2025/11/19)

「チャッピー」はどうでしょう。映画のストーリーではなく、現に今多くの若者たちに受け入れられている、リアルな「チャッピー」のことです。どんな物事にも「両面」があります。いい悪い、是非善悪等々、そのような「機器」を、人々はどのようなものとして、いかに使うかによります。一概に「得難い手段(道具)」とか、手放しに推奨に値する「機器」とは、誰に対しても言えないでしょう。その証拠になるかどうか、いくつかの国においては一定以下の年齢層には「スマホ」は限定的試用しか認められないという法律が作られています。その理由は「スマホ」は「中毒(依存症)」になりやすいからだとされます。果たして、それは年齢によるのかどうかはとても怪しいでしょう。ギャンブルや飲酒、あるいは薬物などの事例を見れば、一目瞭然です。
今はなんといっても「AI」万能の時代です。好き嫌いを言っていては当たり前に日常生活を送れないのも事実です。ぼくはスマホは持たない人間ですから、かなり生活範囲は限定されます。しかしパソコンを開いて、いろいろと新聞や書物に関する記録などを調べることをします。そのほとんどは、今では「AI」抜きには考えられないようになっている。「自分はAIは嫌いだ」では三日と息をつけない社会であり時代ですから、それなりに折り合いが求められるのでしょう。ぼくは無知な人間ですから、必要以上に「辞書」「事典」を頼りにしています。そのほとんどに「人工知能」が参加しているはずで、そこまで毛嫌いすると、ぼくはパソコンも開けなくなります。いずれ近いうちに、その通りになるのは間違いありませんけれど、それまでは「文句を言いながら」、時代や世間と折り合うことを拒絶しないようには気を付けているつもり。
【河北抄】
動画投稿サイトを見て驚いた。ユーチューバーの旅先での話し相手はスマートフォン。「チャッピー」に観光地の情報を尋ねると、すぐに電子的な声音ですらすらと答える。内容も的を射たもので、漫画の場面が現実になったと思った。
「チャッピー」とは、米オープンAIが手がける「チャットGPT」のこと。若い世代が親しみを込めて呼ぶ愛称で、今や身近な相談相手という。ことしの新語・流行語大賞候補にも挙がる。
AI(人工知能)は、自動車の自動運転支援、医療、製造業、金融など幅広い分野で活用が進んでいる。世界の株価を押し上げるのもAI関連だ。インターネットで検索すると、まず最初に出てくるのは、生成AIの答え。海外サイトも生成AIのおかげで難なく読める。
とはいえ、「自殺や犯罪を誘発する」「読み込まれたデータの著作権は?」などの問題があることは周知の通り。生成AIやデータセンターの普及で世界の電力消費量は急増し、新たなエネルギー問題も浮上する。AIは人類の発展に寄与する半面、脅威になる可能性もはらむ。(河北新報・2025/11/18)

◎ 「映画CHAPPIE):解説・あらすじ 「第9地区」「エリジウム」のニール・ブロムカンプ監督が、「第9地区」同様に南アフリカ・ヨハネスブルグを舞台に設定し、成長する人工知能を搭載したロボットをめぐる物語を描いたオリジナルのSF作品。2016年、南アフリカのヨハネスブルグでは、テトラバール社の開発した警察ロボットが配備されて注目を集めていた。ロボット開発者のディオンは、自ら考え、感じる人工知能(AI)を独自開発し、スクラップ寸前の1台のロボットに密かにAIをインストールしようとする。しかし、その矢先にストリートギャングに誘拐されてしまい、AIをインストールして起動したロボットは、ギャングの下でチャッピーと名付けられ、ギャングとしての生き方を学び、成長していく。そして、ディオンのライバルでもある科学者ヴィンセントにチャッピーのことが知られ、その存在を危険視するヴィンセントによって、チャッピーは追い詰められていく。ブロムカンプ監督の盟友シャルト・コプリーが、モーションキャプチャーによってチャッピーを演じた。デブ・パテル、シガニー・ウィーバー、ヒュー・ジャックマンが共演。2015年製作/120分/PG12/アメリカ 原題または英Chappie 配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 劇場公開日:2015年5月23日(映画.com :https://eiga.com/movie/81798/)
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もう何十年も前のアメリカテレビ映画に「インベーダー(The Invaders)」と言う題名のものがありました。
(『インベーダー』 (The Invaders) は、1967年から1968年までアメリカABCので放送されていたカラーテレビドラマである。全43話)(「人類を滅ぼし、地球を征服する目的でやってきた。劇中では語られなかったが、オープニングのナレーションで「滅び行く星からの侵入者」とある。/地球上では本来の姿では生きられないので地球人の姿になっているが、それでも定期的に透明な円筒状の充電装置に入らないとやはり消滅してしまう。それゆえに外見は地球人と同じだが、手の小指が動かない(例外あり)。また脈拍や心臓の鼓動がなく、傷ついても血が出ない。また「生命の尊さ」という概念や感情を持っておらず、冷徹で人間らしい心がない(これも例外あり)。致命傷を負うと、赤く光り輝いて服や装備もろとも消滅してしまう。酸素は彼らにとって猛毒である。なお、性別はある。/劇中では、最後まで彼らの本当の姿は分からずじまいだった)(Wikipedia)
大学生になってから観たと思います。ぼくにしては、かなり夢中になっていたかもしれません。「宇宙人」に関心を持っていたのではありませんが、人間の世界に「異邦人」が存在しているという設定には、やけに現実味がありました。いろいろとつまらない話もありますが、要するに、人間以外の「生物」、「地球外生物」に、それなりの関心を持っていたことは確かです。大学院に進学してから、先輩の中に、強烈は「宇宙人探査」「UFO」に時間と金をかけている人がいて、いっそう驚いたことがあります。健在であれば、彼はさらに熱心に「宇宙人追跡」を続けておられるでしょうか。
今日の「チャッピー」現象、ぼくは見たことも触ったこともありませんが、ある種の「人間外の人間」「人造人間(android)」だと思えばどうでしょう。実際は<an open-source operating system used for smartphones and tablet computers.>ではありますが。この「AI」が「感情」を持っているとみるか、そうではないと考えるかは、それを使う人によりけりです。だから人によって、それは友人であり、教師であり、兄弟(姉妹)であり、愛すべき「ペット」であるるということになるでしょう。

でも、どんなに仲が良くても、血を分けた関係のように親密であったとしても「会うは別れの始ま也」と言います。それでいいのではないのでしょうか。「慰め」「励まし」「共感」などが得られれば、それはそれで大きな意味がありますね。でも、それだけでは物足りなく思えてくるのも世の常です。最後の最後まで、一体感を失わないままということはありえないこと、いずれ「バッテリー」切れが起こるし、機械ですから故障もします。「チャッピー」は、ある人にとっては一種の「ナルキッソス(Narcissus)」みたいなものでしょうか。「ナルキッソス」はギリシア神話の美少年。この名は〈水仙〉の意。「チャッピー」が居なければ、夜も日も明けないということになりませんように。いいや、それでもいいか。
◎ ナルキッソス 【Narkissos】ギリシア伝説中の美少年。この名は〈水仙〉の意。フランス語ではナルシス(Narcisse)。森のニンフのエコーから求愛されたが断り、怒ったエコーは復讐の女神に頼んでナルキッソスを自分自身の姿に恋する男にしてしまったため、彼は池に映るわが姿に恋をつづけてやつれ死んでしまい、水仙の花に化したという。精神分析で自己愛をナルシシズムと呼ぶのは、この物語による。(世界宗教用語事典)
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