此の下に稲妻起る宵あらん(漱石)

【三山春秋】▼作家の大佛(おさらぎ)次郎は大の猫好きだったらしい。常に10匹以上と暮らし、生涯で関わったのは500匹に上るとか。「生活になくてはならない優しい伴侶」「来世は猫に生まれてくる」と語っている▼一方、無類の愛犬家として知られるのは川端康成である。最初に飼った犬が死んだ時は今でいう「ペットロス」に陥り、別の犬が盗まれた時はひと月ばかりぼんやりして仕事が手に付かなかった、とエッセーにある▼猫派にしろ犬派にしろ、それほどまでに溺愛していたと知ると、名だたる文豪にも親近感が湧く。ペットの概念を超え、「家族」として接する人はさらに増えているだろう。ホテルの高級ディナーに専用アイス、服の仕立てと広がる商機を見て実感する▼子や孫同然に愛される犬猫であるが受難もある。高齢の飼い主が施設に移ったために自宅に取り残されてしまうケースがあったり、モラルやマナーの欠けた人によって劣悪な環境に置かれた事案は県内でも少なくない▼一時の気まぐれや戯れで買ったりもらったりしない、数を少なく質を良く-。川端が書いた「愛犬家心得」は、ペットの種類を問わず今も十分参考になる▼毎月12日は民間企業が提唱する「わんにゃんの日」。愛護の意識を高めてもらう狙いがあるという。動物たちがより良い環境で過ごせるよう考えるきっかけにしてはどうだろう。くれぐれも心得違いのないように。(下野新聞・2024/06/12)(ヘッダー写真は豪徳寺・https://gotokuji.jp/manekineko/

 時々、嬉しいことに卒業生や友人・知人が来宅される。その際は、必ず、初めての方には拙宅に「たくさんの猫がいる、アレルギーなどは大丈夫ですか」と尋ねることにしている。以前なら、宿泊OK、大歓迎だったが、今ではいくつもない部屋を猫たちが占領しているので「どうぞ、ゆっくりとお休みください」といえないのが残念。先日も京都からわざわざ夫婦で来てくれた高校の同窓生がいたが、帰路(新幹線の時間)の関係で、ほんの小一時間ばかりの滞在で帰ってゆかれた。「猫がいなければ」と思っても仕方がない。現実にいるのだから。かみさんと二人住まいだけれど、両方で留守にすることはめったにない。必ずどちらかが家にいる、そんな生活を、もう五年以上も続けている。一番年上の子は五歳か、その後には年子で、なかには一回で八子もいたのだから、もっと早くに、母親を医者に連れて行くべきだったと。今からでは間に合わぬが。

 幸いなことに隣り近所が離れているので、なんとかたくさんの猫たちと暮らしていけているが、都会ではとんでもないと「クレーム」がつくレベルです。自宅前の家の敷地内に多くの猫たちが堂々と侵入し寝転んだり、駐車中の車上に乗ったりと、気が気でないことばかりをしてくれるが、そのつど「謝罪」「お詫び」を言うしかありません。今のところは大きな問題にはならないので助かっているが、さてどうなるか。本日のコラム氏は二人の作家の犬・猫好きぶりを紹介されていた。大仏さんの猫好きはよく知っていたが、常時十匹以上もいたとは知らなかった。文豪は本当に猫の好きな人で、いかにも顔つきまでが猫になっていると感じたことがある。

 大仏さんほどではないが、我が家でも、これまでにおそらく百以上の猫たちと暮らしてきました。ときには犬や小鳥混じりで。そのすべてが野良猫(保護猫)だったし、避妊の手術・怪我・病気に医者通いは欠かせなかったが、なんとかここまで来ました。なぜそんなことをするのと訊かれても答えることは出来ません。飢えて、凍えて、病に苦しんでいる、そんなのが近くにいれば「放置しておけないから」、そう言うしかありません。ぼくは大仏さんの作品はそれなりに読んでいるつもりですが、仮に彼が物書きでなかったとしても、猫たちとこれだけ長く深く付き合っていたというだけで、尊敬に値すると思います。何をする人か、それも大事だけれど、路頭に迷う猫や犬の世話をするという行為自体が、すでに何者かではあると思うのです。

 川端康成さんの犬好きも文壇では知らない人がいなかったほど。相当に「病膏肓に入る」の口だったようです。残念ながら、大仏さんほどにぼくは川端さんの作品も読んでいないので、彼の犬好きのあり様を書けないのが残念です。ただ、どこかで犬に関する含蓄を述べられていた文章を眼にし、なかでも「犬を飼ふというよりも、犬を育てるといふ心持をどこまでも失はないのは、愛犬家心得の一つである」とあったのは、我が意を得たり、もちろん猫を育てる人間にも欠かせない態度だろうと思いました。

 飼う(買う)という表現は、ぼくには出来ない。その言い回しには「ペット」「愛玩」の気味が濃厚に感じられるからです。「たくさんの猫がいます」というと、きっと「ネコが好きなんですね」と言われる。もちろん嫌いではないのは当然ですが、好きであるから、たくさんの猫の面倒を見るのではないと言いたいけれど、それは言っても始まらないので、黙っています。毎日の世話、病気などの医者通い、その他、あれこれ気になるのは人間の(子ども)といっしょです。要するに、付き合うことが何よりだと思うけれど、時には薬を飲ませたり無理に医者に連れて行ったりと、猫が嫌がることをせざるを得ない。一、二匹ならなんのそれしきと考えられますが、二十匹程もいると、その都度、泣き叫びながら連れられていく猫の様子を、他の猫が、遠くから近くから観察している。だから、ぼくは、要注意人物になり、徐々に嫌われるようになるのです。また、月に一回当ての「防ダニ・ノミ」の薬を体に点ける役目も段々と大仕事になってきます。

 というわけで、貧乏人の子沢山ではないけれど、実態は同じような「火の車」状態が続いているので、それを見るにつけ、お二人(以外の作家さんたちも含めて)の大作家たち、中小作家たちの犬や猫との「同居生活」はどうだったかと、垣間見たくもあり、流し目で見たくもなるんですね、つかの間の息抜きに、です。

 (表題の句は漱石の作、明治四十一年。「吾輩は猫である」のモデルの墓標に「鎮魂の句」として記されたものだそうだ)

____________________

スマホは時代の大事な「食材」だ

 今だって、都会で生活している人にはスマホは必需品。それなしでは生きていけないというほどでもなかろうが、ないと極めて不便だという時代。単純化して考えるといい。スマホが普及した(普及させられた)おかげで、固定電話が激減したし、公衆電話も姿を消しつつある。ぼくはスマホ(携帯)を持たない人間ですから、一旦外出すると、それがないことの不便さをひしひしと感じます。時代に歩調を合わせるというか、流れに逆らわないというか。だから、スマホは持つべしと言われても、ぼくは賛成しません。理由は単純、まったくの私的時間や空間(外部から遮断された状態)が保てないのは、ぼくには苦痛以外の何物でもないからだ。スマホは、言われてみれば、犬の鎖のようなもので、不特定多数に縛られているような堅苦しさ、息苦しさを感じてしまう。

 一枚の契約(申込み)書を書くとき、連絡先の電話番号に「携帯番号を」と指定するケースがいくらもあります。そんな契約はしないことにしている。いづれ、どこのコンビニでも決済は「スマホで」となるでしょう。そんな店は利用しない。という具合に、至るところで「兵糧攻め」ならぬ「マホ攻め」が横行しています。今はまだまだですが、いずれ(何十年後)はすべてが「電気自動車(EV)」になるはずで、単に燃料がガソリンから電気に変わるというのではなく、車自体が「スマートモービル」(つまりは、スマホ化)となることを目指す時代です。そうなると、一台の車は移動や物流の手段などではなく、それそのものが「移動する空間(住宅・部屋)」であって、あらゆる生活の方法や情報がスマホを通して実現される時代を意味するでしょう。簡略して言うなら、ぼくたち(ぼくは、そこには含まれない)は、否応なしに、時代に組み込まれてしまっているのであり、いや殆どの人々にとっては「スマホという人為・人工空間」に閉じ込められて生活するしかない時代に入っていることを意味するでしょう。

 この国が明治維新によって、多くの人々が旧来の風習や生活スタイルを否応なしに投げ捨てざるを得なかったのは、そうしなければ、国内外の人々と交流できないことがわかっていたからでした。武士にとって髷(まげ)や帯刀はある種の象徴だったが、それも「時代遅れ」と禁止されました。その他、数え上げればきりがないほどに「文化(固有性)」ではなく「文明(共通性)」の恩恵を獲るために、古いしきたりを捨てさせられてきたのでした。もちろん、その当時にあっても「たくさんの時代遅れ」が生み出され、取り残されたのは当たり前のことでした。こんな時代、「みんな同じ」が共有されるべき価値観であり、それを獲ることによって、本当にみんなが水平になるのではなく、持つもの人、より多く持つ人が社会の上層に位置する垂直の社会にならざるを得ないのは、今日の社会のありようを見ていても理解できるでしょう。

 さすれば、現代は「令和維新」とでも称するのか。スマートシティやスマート社会などと揚言されつつ、「半導体」によってすべてが支配される世界の中で、孤立することを恐れながら、この小島は体力の不足を託(かこ)ちながら、エヴェレストに上るような無理難題を課されているのではないでしょうか。政治家の裏金問題など、スマート決済なら、まったくの苦労要らず、不正知らずで、すべてが白日のもとに曝(さら)されます。人民には個人情報の一元的「可視化」を強制的に慫慂しながら、自らは進んで「時代遅れ」を譲ろうとはしないのは滑稽千万。あらゆる個人情報を集約化するのが「マイナンバー制度」なら、それをどうして政治家連にも適応しないのか。ここが、この国全体の「時代遅れ」の根拠になるのでしょうね。

 一昨日の「滴一滴」は「スマホとにらめっこ」と題して、よくわからない指摘をされていました。「Z世代のSNS利用実態調査」の中身が現実を写している部分はいくらかはあるにしても、その数値が「現実の数値化」だとは思われないのです。〈夜ご飯家族と話すはずなのにみんなスマホとお喋(しゃべ)りしてる〉と、いかにも時代を写していると思われそうですが、「家族とご飯」がどれくらいいるか、それを考えれば、お一人様は想定以上に多いでしょうし、その「一人」の相手が「スマホ」に代表される「AI(半導体の化身)」だとすると、まさしく、時代はいよいよ、他人との交わりや交際を必要としているにも関わらず、一人でもなんとか生きていける状況や条件を準備しつつあるということではないでしょうか。「人間(じんかん)」とは社会であり世間ですが、その「人間(じんかん)」からつながり(間・間合い)が失われると、必然的に「人」だけが取り残され、孤立します。その孤独を癒やすのが(あるいは、逆に深めるかもしれないが)、今流の、手放すことができなくなったスマホの魔力であり、非人間性であります。

【滴一滴】スマホとにらめっこ 現代社会では、もはや当たり前の光景だろう。電車に乗っていても、街を歩いていても、スマートフォンの画面とにらめっこしている人を見かける場面は多い。視線の先は、SNS(交流サイト)か、ゲームか、漫画か▼そんなSNSを巡り、あるアンケートの結果に興味を引かれた。「Z世代のSNS利用実態調査」。ポイント事業を手がけるCCCMKホールディングスが2月、全国の16~24歳の約1600人に聞いた▼平日に利用するSNSのうち最も利用する人が多いのは、動画投稿サイトのユーチューブだった。9割強が使っており、1日1時間以上利用する人も約6割に上った▼中国系の動画投稿サイトも1時間以上利用する人が4割いた。動画を主体としたSNSは、つい長く見てしまうらしい▼一方、1時間以上利用しているSNSが「ない」人は約3割だった。利用時間と「生活への満足度」との関連を分析したところ、この「ない」人たちの生活満足度が最も高かった。好きなSNSを長時間使ったからといって、必ずしも今の生活が満たされているわけではないのだろう▼〈夜ご飯家族と話すはずなのにみんなスマホとお喋(しゃべ)りしてる〉。東洋大が今年発表した「現代学生百人一首」入選作の一つだ。とかく現代人はスマホに時間を奪われすぎていないか。あすは、時の記念日。(山陽新聞・2024/06/09)

 「とかく現代人はスマホに時間を奪われすぎていないか」と、いかにも疑問を持つ風を装いながらコラム氏は書いておられるが、ぼくはそんなところに現実の課題や深刻な問題があるとは思わないのです。たった一枚の板チョコ「スマホ」が時代の通行手形であるという、スマホの「手形化」そのものが、実は人間の心情や想像力を深いところで蝕んでいることに関心を寄せてほしいと、敢えてぼくは言いたいですね。いずれ、完全に「スマホ」は人間個人の手足になり(自動運転車などなど)、頭脳の代用になり(AIの独壇場・一人舞台)、動くことはもちろん、判断することすら不自由になることを強いられる、そんな不毛の時代に突入しているのだと指摘してほしい。

 スマホを持たない人間が「スマホ不可欠時代」に物申すのは滑稽そのものではあります。でも、ぼくはスマホを持たないからこそ、持たなかったからこそ、自分を賢くするための練習が生活の中で大きな比重を占めていることの意味を見失わなかったとも考えているのです。

 半導体は「産業の米」と言われてきました。その言わんとするところは明らかで、世界の先進国に伍していくためには「半導体」に強くなければ、立ち遅れてしまうと、立ち遅れきったこの国の悪あがきを表現しているとも受け取れます。島の産業界には、米は輸入に限るとばかり「耕作放棄田」を増やした結果、今やその日の食う米が枯渇しているとの足掻きや嘆きが聞こえてきそうですが、産業界だけではなく、官民一体となることを強いられての「足掻き」であり「嘆き」でもあるところに、苦しい胸の内があらわています。米は主食だろうが、副食だって必要だと言ったら、何を言ったことになるでしょうか。米は日本の誇りか、それだけが誇りか、そんな悪態をつきたくもなる。国破れて、産業競争力もあったものではないでしょうに。

 もういい加減に、他者・他社・他地域・他国などという相手と物理的な「競争」「勝ち負け」を争うのを止めないかと思う。きりがないではないか、それがぼくの、只今現在の率直な心情であり、胸の内ですね。猫にも犬にも「スマホは不要」であるのですから、ぼくは猫や犬のような、地に足をつけた「生き方」を選ぶものです。

 「人間はパンのみに生くるにあらず(Man shall not live by bread alone.)」(「人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きる」新約聖書・マタイ伝・四)(より世俗的に受け止めれば「人は物質的満足だけを目的に生きるものではないでしょう」となる)

++++++++++++++++

【筆洗】自動車や家電製品などに使われ「産業のコメ」といわれる半導体。研究を先導した東北大元学長の故・西沢潤一さんは「ミスター半導体」と呼ばれた▼自ら設立に関わり、昭和30年代に生まれた半導体研究所は企業も出資し産学連携の先駆といわれたが、学者が資金を企業に恃(たの)むことには同僚や学生の批判も。東北大には「産学協同粉砕」と訴える看板も登場した。本人は「日本全体が食うためには電子工業をやらなくてはならない」と揺るがなかったという▼昭和の終わりに半導体で世界を席巻した日本は再びそれで食えるようになるのか。衆院を通過した政府の補正予算案の柱の一つが半導体関連で、総額2兆円近い▼次世代半導体の国産化を目指し、官民連携で北海道に工場を建設中の企業「ラピダス」への支援も増やすという。国の鼻息は荒いが、トヨタ自動車など民間の出資は限定的で及び腰ともいわれる▼国際競争で後れをとった日本は技術や人材の蓄積が乏しい。次世代技術での優位確保は「野球少年が明日から米大リーグで活躍したいというようなもの」と語る専門家もいる▼西沢さんは半導体研究所の玄関正面に、東北出身の作家宮沢賢治の言葉が入った染め物を飾ったという。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。研究はみなの幸せのためにある-。血税投入は幸福を招くだろうか。(東京新聞・2023/11/25)

_____________________

紫陽花や白よりいでし浅みどり

 今(朝六時前)も雨が降っています。九州・四国地方は例年より数日遅れの梅雨入りだそうです。鬱陶しい梅雨と愚痴りたくなりますが、これがないと農業を初め、多くの方面ではいろいろと差し障りがあるのですから、人間の都合不都合だけで判断はできないようです。六月は「水無月」といって、「水の無(な)い月」と思いわれがちです。実際はその反対で、「水の月」と言ったそうですね。万事、天体の運行に結び付けられて、地球の輪廻転生も滞りなく進むというもの。しかし、少なくとも「人間界」だけは、大事な輪廻の箍(たが)が、桁外れの人為・悪意によって、外されたようで、甚だ心寒い日々年々が続きます。(ガザのジェノサイドを放置しておいていいのでしょうか。武器から平和は生まれないことを、戦争当事者は熟知している、だから「ジェノサイド」なんです)

 元来「輪廻」とは「《(梵)saṃsāraの訳。流れる意》仏語。生ある者が迷妄に満ちた生死を絶え間なく繰り返すこと。三界・六道に生まれ変わり、死に変わりすること。インドにおいて業(ごう)の思想と一体となって発達した考え。流転。転生。輪転」(デジタル大辞泉)と解説されています。同時に「地学現象が一定の順序で生起し、循環的に繰り返すこと。浸食輪廻など」(同前)としても使われます。両者ともに、その順序や階梯が大いに狂い、石が浮かんで木の葉が沈む、奇っ怪な事態が充満しているこの憂世(浮世)です。

 高知新聞のコラム「小社会」に、民権思想発祥の地にふさわしい歴史の一コマを載せて、ぼくたちに改めて「自由民権は土佐の山間から」を教えてくれている。その「山間」に跋扈しているのが、今も昔も「魑魅魍魎」という正体不明の怪異たち。

+++++

 【小社会】土佐の自由の女神 日本髪に着物姿の女性が左肩に「自由」の旗を担いで、右の手のひらに載せた小さな国会議事堂が光を放つ。まばゆい光は藩閥の下で暗躍する政治家や官僚、つまり魑魅魍魎(ちみもうりょう)を白日の下にさらす。土佐の高知の「自由の女神」―。◆ことしは自由民権運動が始まって150年。1月の本紙でも紹介した1890(明治23)年の土陽新聞の挿絵である。先ごろ高知市で全国の新聞、テレビの論説関係者の集まりがあった。講師に招いた歴史研究者、公文豪さんは「それが国会の役割なんだという当時の人々の期待です」。◆むろん、会場からは自民党の裏金事件に揺れるいまの国会をどう見るか、と質問が飛ぶ。公文さんは滑舌良く答えた。「国会の中が魑魅魍魎ばかりじゃないか」◆政治資金規正法の改正案が衆院を通過し、参院で審議入りした。事件の当事者、自民党の提出内容は「改革の先送り」「抜け穴だらけ」と評される。これほど世の不信を招いても、「政治とカネ」の透明化を徹底する気概はうかがえない。◆公文さんは、植木枝盛の政府論にも触れた。はなから良い政府というものはないが、人民が良い政府にすることはできるという。〈人民は可成(なるべく)政府を監督、視察すべく、可成抵抗せざるべからず、之(これ)を廃すれば決して良政美事(りょうせいびじ)を得ることなかるべし〉◆主権者は諦めずに政治を監視し、魑魅魍魎に光を向け続けるべきなのだろう。「自由の女神」の地元からも。(高知新聞・2024/06/09)

+++++++++++

 〈人民は可成(なるべく)政府を監督、視察すべく、可成抵抗せざるべからず、之(これ)を廃すれば決して良政美事(りょうせいびじ)を得ることなかるべし〉という植木枝盛(⏩️)の政治心情はいまもその核心において、ぼくたちを鼓舞し打ち続けています。コラム氏は「魑魅魍魎」にこそ光をという。「自由の光」は、国政の場において輝かなければ、この社会は著しい暗夜に覆われ尽くす羽目に陥るのです。「土佐の山間」から自由の光が放たれたと信じた「民権の先駆者」たちが、いまもなお微かに灯るかのような「自由の光」を放っている。照らし出されるのは「魑魅」であり「魍魎」であり、その怪異に操られた民心の闇というものでしょう。「魑魅」は「山林の精気から生じるといわれる化け物。すだま」(同前)、「魍魎」は「いろいろな化け物。さまざまな妖怪変化 (へんげ)」(同前)と説かれています。

 実は「魑魅魍魎」を生んだのは「庶人」「衆庶」ともいうべき、顔を出さない「政治の裏方」、あるいは「政治の支持者」であります。現下の桁外れの人倫外に生きる政治家連中を産み育てたのもまた、一人ひとりの政治(不)参加者であったことに、ぼくたちは顧みて、思いを致す必要があるでしょう。西に犯罪者を育て匿(かくま)う警察幹部があれば、東に闇金を懐に私腹を肥やす飲食に費消する、公金横領警察幹部連がいるという、悪政醜事の見本市が隆盛を誇っている「敷島の大和」です。「国破れて、山河あり」「山河滅びて、魑魅猛り狂う」、そんな現下の状況に為すすべがあるか。それが問われているのです。

*******

 表題句は渡邊水巴作です。すでにこの句は掲出しているかもしれません。(以下、余談です。水巴氏が内藤鳴雪の門にいたことに関心を持っています。鳴雪は漢文の大家でもありながら、俳句は正岡子規の門下生の位置にあった人。伊予松山藩士の子弟。彼の俳句には、ぼくの好むものがいくつかあります)

● 渡辺水巴(わたなべすいは)(1882―1946)= 俳人。東京の生まれ。本名義(よし)。日本画家省亭の長男。日本中学中退。若くして内藤鳴雪(めいせつ)の門に入り、1906年(明治39)『俳諧(はいかい)草紙』を創刊、大正初め『ホトトギス』雑詠欄に村上鬼城(きじょう)、飯田蛇笏(だこつ)らと主要作者として活躍し、その作品は父の血脈を継いで江戸情調の流麗な唯美的色調に富むとの評価を得た。16年(大正5)『曲水(きょくすい)』を創刊して昭和俳壇の第一線に活躍を続け、没後『曲水』は妻桂子、次女恭子に受け継がれた。『水巴句集』(1915)、『白日』(1936)、『富士』(1943)などの句集のほか、随筆の著書も多い。(日本大百科全書ニッポニカ)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「徒然に日乗」(586~592 )

◯2024/06/09(日)終日、曇天が続いた。自宅内に留まる。気分は爽快といえないのは癪だ。頭が重く、体が疲れているのがわかる。ゆっくりと睡眠時間が取れない日が続いているのが、やや厳しい。今朝は四時起き。雨がない時を狙って除草作業もしたいが、気が乗らないことおびただしい。暇つぶしにつまらないネット番組を見ている、生産的ではないと痛感しつつ。▶たくさんといると、当たり前のように「相性」が悪いものがいくつか出てくる。同時期に生まれた者同士がいがみ合っているのだから、猫も人間並みなのか、人間が猫並みなのか。いい加減にしてほしいぞ。(592)

◯2024/06/08(土)午前中に猫缶などの買い出し。ほぼ週一回当てで出かける。3巻パックを総計二十五個ほど。一万円超。更に煮干しやオヤツに類するものを少しばかり。ときには「ちくわ」なども与えている。▶本日も好天。気温も高く、室内では蒸し暑いほど。体の怠(だる)さが取れず、頭も重く感じる。少し熱があるようだ。今朝も三時起きだったから、絶対的な睡眠時間不足。夜十時に寝ても五時間。とてもそれだけは確保できていない。猫を寝かせるなら、人間も早く寝るに限るが、かみさんは、そんなことをお構いなしで夜半過ぎることもしばしば。昨日の「激痛」で、少しは考えを改めてくれないかと、そう思うが、まず無理だろう。たちが悪い。▶一日に一リットルの水を摂取するという医者の忠告もまず聞かないで、「痛い、痛い」と言うばかり。「いい加減にうんざりする」と言いたくなる。(591)

◯2024/06/07(金)朝八時前にかみさんが苦悶しながら「痛め止めを買ってきてほしい」と訴えた。ぼくは駄文を書いているさなか。即座に「腎臓(尿道)結石」だと判断した。激痛は数分で止むので、苦しいけれど、ベッドで横になっているようにと、言うしかなかった。結局は、その通りに、いくらもしないうちに「痛み」はひいた。二、三年前に「結石」の治療で病院に通っていたが、あまりにも時間がかかりすぎるのと、痛みが頻発しなくなったので、通院を止めていた。その「再発」だったと思う。この後、どういう具合に予防するか、考えなければならない。一日、2リットルの水を飲むこと、それが担当医師の忠告だったが、それは無理だと、一切控えてしまった。その上に珈琲や紅茶はよろしくないのだが、構わずに飲んでいる。適度の運動をと言われていたが、それも一切やらないままだったから、厳しいようだが「再発は時間の問題」だったと思う。▶好転に恵まれた一日。一週間後には梅雨入りだと報道されていた。まだ庭作業などは途中のままで、真夏を迎えそうだ。(590)

◯2024/06/06(木)昨日から手を出していた「玄関引き戸の鍵」故障について。製造元の会社の代理店に出かけた(茂原駅近く)。鍵の本体部分にある「トリガー」のスプリングを入れているプラスティックが欠けて、壊れてしまったのだ。鍵全体を変えるのも癪だし、なんとか工夫をして、直したい。その助言をもらうために鍵屋さんに相談したような具合だった。全部取り替えるとなかなか高価な買い物になるので、なんとか、セルフビルドと行きたいもの。少し工夫を要するが直せそう。▶本日は終日好天に恵まれたようだ。(589)

◯2024/06/05(水)晴天の一日。お昼前に、かみさんは美容院へ行く。午後に帰って来るのを待って、少しばかりの買い物で、茂原まで。疲れが溜まっているようで、頭も肩も痛い。このところ、ゆっくりと睡眠が取れていないのも一因か。とにかく、猫たちが布団にまとわりつくのをなんとか防ぎたい。(588)

◯2024/06/04(火)終日自宅に。昨夜来の雨も上がり、快晴の一日だった。各地では雨風が強く、関東地方でも「線状降水帯」が発生したという。珍しく、渡辺京二さんの「逝きし世の…」を読んだ。ぼくはたった一度だったが、福岡で彼と逢っている。かなり前のことだった。何を話したか覚えていないし、彼の著作も真面目には読んではいなかった。恥ずかしいこと。一貫して「在野」で、あるいは「無所属」で生きて来られた野人で、多くの優れた仕事をした人だった。もう亡くなられてに年が経過している。(⏪️「小さきものの近代」)(587)

◯2024/06/03(月)昼前に猫缶買い出し。土気(とけ)まで。気がつかなかったが、午前6時過ぎに能登半島で震度5強の地震があったと報じられていた。前回と同じような地区を襲った。幸いに人命は失われなかったようだが、倒壊家屋がいくつも発生した。先の地震の余震(関連)だと言う。復興が遅れているのがさらに遅れそう。▶夜になって相当に激しい雨が降り出した。関東各地でも「線状降水帯」が発生した模様。雷も発生していた。まだ梅雨入り前だとされるが、これから先が思いやられそうだ。(586)

________________________

「週初に愚考」とは言いますが、

週のはじめに愚考する (第弐拾弐)~ 敷地の周囲がすべて「ドクダミ」で囲まれているようで、お見事、実に壮観です。これほど繁茂するまで刈り取らないでおいたのは、おそらく初めてでしょう。この草は、「雑草」の典型・代表として湯攻め、毒薬攻めに合うがごとくに、昔から忌み嫌われています。その理由は強烈な匂いや「名前」から来るのでしょうが、「毒矯(どくた)め」と言うほどに、薬草として今もなお、重宝されている。「矯め」とは「ためる。ただす。がったものをまっすぐにする。いものをしくする」(漢字辞典オンライン)と油断させながら、他方では「いつわる。だます。うわべをかざる」(同前)と、なかなか「矯正」という事柄は一筋縄では行きません。薬効定かですけれど、もちろん場合によっては副作用もあり、摂取(利用・服用)するには注意が必要なのは、他の薬と同じです。今ではお茶として市販されてもいる。ずいぶん昔、幼い頃に、これを飲んだことが微かに記憶に残っているが、もう何十年も喉を通していない。

 どこかで触れている北川冬彦さんの「雑草」を読む思いです。「雑草が / 当たり構はず / 延び放題に延びている / この景色は胸のすく思ひだ」決して負け惜しみではなく、北川さんと同じ「参った」という実感を持っている。もちろん、「ドクダミ」は雑草なんかではないし、他の草だって、それぞれに名前がある。それを知らないだけで、「邪魔者」「余計者」の一語で一括りしている風潮に、ぼく自身が染まりながらも、なお抵抗したい気もあるのです。名前を知らないから「雑草」、同じく名前を知らぬから「雑種」などと、実にいい気なものと、われながら、ぼくも思う。

 人間だってそうで、名前(姓名)も、属する国も知らないから「雑人」、そんなぞんざいで非礼を通り越した無作法を国家もつるんでやっているのが、特定外国籍者に対する「排除」「ヘイト」攻撃です。埼玉県の川口市でクルド人に対する執拗なヘイトスピーチが繰り返されている報道を見て、つくづく、「胸の塞がれる思い」を痛感しました。「異分子ならなんだって排除」という、理解も同情もできない無根拠のデタラメがまかり通っているのは、国の行っている入管政策(難民認定の極端な制限)につながっているからでしょう。ぼくの友人など、英米では激しい人種差別を被っているのです。「内弁慶」というのは、外国にももちろんあるでしょうね。嫌な風紀だし、風潮ですね。「自国民・自民族(基本形は白人)中心主義(ethnocentrism)」というものか。ヒューマニズム(humanism)も、他の動物に対しては同じような偏狭さでしかないと思うね。「人間中心主義」の貧しさをみるようです。

 川口市長の某氏は「川口は『三K』の仕事が多い。日本の若者はそんなところにやってこない。クルド人はそれを丁寧にやってくれるのだ」とスッキリしない物言いで、受け入れの弁を垂れていました。だから「ヘイトは許せない」と。特定の外国人だから「出ていけ」と罵り、よく知っているつもりの外国人なら「抗議なし」とはどういうことですかと、問いたいが、無駄だから止めておく。「ヘイトスピーチ」や「特定外国人排斥」にはお手本がある。それに倣って行動しているとしか思えない。今でも堂々と「脱亜入欧」の異物のような行動に縛られるというのはなぜですか。

 (誤解されないように願うが、「ドクダミ」と「特定外国人」を同列に扱うのではありません。そもそも「雑草」という鈍感・無神経に危うさが宿っていると言いたいのです。そのドクダミ(毒矯め・毒を制する)は薬草でもあり料理の「薬味」にもなる。それを好き好んで食する日本人も多い。その実際を知ればこそだ、と言いたいのです。現下、差別や排除の対象になっている「クルド難民」の前史はどういうものか、それをつぶさに、あるいはいささかなりとも知るべきだと言いたいのです。(参照「こちら特捜部「クルド人排斥デモの背景にあるものは…」東京新聞・2024/05/30)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/330338)(左写真は「蕨はレイシズムに反対する」という意味のカードを掲げ、デモに抗議する女性=26日、埼玉県のJR蕨駅周辺で。同じく東京新聞)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

●ドクダミ(Houttuynia cordata THUNB. ドクダミ科 )=日本から中国,ヒマラヤ,東南アジアにかけての広い地域に分布し,やや湿り気のある林床や日陰地に生育している多年生草本植物です。花は6~7月頃に咲きますが,穂状につく花はとても小さく,花びらやガクはありません。これらはまるで一つの花のように見えますが,花びらに見えるものは花序の基部につく葉が変化した総苞です。/ 和名のドクダミは毒矯め (どくため) の意味があり,その薬効に由来します。薬用には開花期の地上部を用います。生薬名をジュウヤク (十薬) といい,利尿薬や消炎薬として利用します。十薬という生薬名の由来は,馬がかかる十種の病に効果があるという江戸時代の言い伝えによるようです。(⤵️)


(⤴️) 日本では独特の臭いがあるためにあまり好まれませんが,ベトナムではハーブだけでなく,野菜としても利用され,春巻きなどの具に加えられているそうです。日本人の感覚からすると,まさに驚きですね。アジア各国で広く利用されているコリアンダー(コエンドロ)も特有の香りを持ち,日本の食文化では初めは戸惑いがあったようですが,次第に馴染んできたようです。近い将来,日本でもドクダミがハーブや野菜に仲間入りする日がくるかも知れません。/ また,ドクダミは日本では雑草に近い存在ですが,外国では花壇や庭園を彩る園芸植物として活躍しています。海外旅行の際,訪れた国の植物園をご覧になって下さい。花壇の縁取りとしてきれいに植え込まれているドクダミを目にすることでしょう。(磯田 進)(日本薬学会:https://www.pharm.or.jp/yakusou/2023/01/post-100.html)(ヘッダー写真はLOVEGREEN)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

● クルド人(Kurd)= 西アジアのクルディスターン地方に住む半農半牧のイラン語系の1民族。大部分はスンニー派のイスラム教徒。クルド人の総人口は約 1500万人以上とされているが正確な数字はない。主としてトルコ,イラン,イラクに居住する。 1919年のパリ講和会議,20年のセーブル条約でクルド人の独立が問題 (→クルド人問題 ) となったが,23年のローザンヌ条約では無視された。遊牧民の集団には,首長のもとに伝統的な父系の階層組織が残されている一方,定住したクルドではこのような組織は解体され,あるいはそれが残されている場合でも,首長の権威は弱まっている。教育や通信網の発達と,石油産業の進展により社会組織は大きく変革しているが,現在も強固な民族意識を維持し,独立運動が続いている。(ブリタニカ国際大百科事典)

●参照資料① 「川口のクルド人はなぜ増えたか きっかけはイラン人、民主党政権で難民申請激増」産経新聞・2024/5/2 13:05)(https://www.sankei.com/article/20240502-5QEKJJWHPJPCBLXBZ3XQYKXNBQ/)     ●参照資料② 「NHK首都圏ナビ 埼玉・川口市がクルド人めぐり国に異例の訴え なぜ?現場で何が?」・2024年2月2日(https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240202a.html)

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 顕著な人口減少に急襲されている現在、それだけの理由で「外国人」を受け入れるというのではないのは当然。この国の人々が他国に移住するのも自由なら、その反対もあってしかるべき。特定対象だけを排除するのは非合理だし、人権の観点からも時代にマッチしていないでしょう。「他者との共存」というのは、今日の世界のテーマであり、真面目に直面すべき事実です。外国人を受け入れる、あるいは「難民認定」を速やかにするのは、今日只今のこの社会の現実にはハードルが高いのかもしれない。しかし、それを越えなければ、この島国が他国・他地域の人々と友好な関係に入れないのも事実です。

 「いや、無理に友好なんかしたくない」という人間がいるのは構わないが、友好関係を望んでいる人の邪魔だてはしないだけの作法は持ちなさいよと言いたい。自分は嫌だから、他の人々も嫌になって当然という「偏向」の強制ばかりは認められませんな。好き嫌いでものを判断するのは間違いではないとしても、その好悪の感情を他者に強いるのは、「偏向」ではなく暴力ですからね。

 (しばしば「偏見と差別」などとワンセットで語られます。でも、2つは同じではないし、いつも偏見は差別を生むとも限らないのです。正直に言うと、ぼくは「偏見」の多い人間ですし、それが間違いだとは思わないのは、ある見方・考え方が「偏見」であると知ることによって、行動としての「差別」にまで至るのを自ら阻止しようとする、そんな潜在力が「偏見」にはあるのです。変な理屈に聞こえそうですけれど、ぼくは自らに内在してしまった「偏見」から開放されるために、そのような学習をしてきたつもり。何時でも、新たな「偏見」はぼくのなかに植え付けられるのだという自覚を失わないことです。「偏見」は持つが、差別行為はしないという、その程度が、ぼくにできる「せいぜい」です)

_______________________

問うに落ちず語るに落ちる

 学生時代、文京区本郷に約十年(昭和38年~47年)住んでいた。古い町並みが残っていたし、何よりも「路地」が多かった。道幅二メートルもない狭い道を挟んで町家が並び、その大半は行き止まりだった。「この先 行き止まり」の立て札が路地の入口に出ていた。それなのに、見知らぬ者が家の前を頻繁に行き来するのを不審に思った。「この先は行けないよ」という看板はだて(目眩まし)であってはなるまい。◆ 法律も同じなのに、「禁止行為」とあるが、実は抜け道や脇道はいくらもあると、脱法するための法をわざわざ制定をする。まさに「立(だ)て看板」だ。泥棒を捕まえる縄を作るのが泥棒の仕事、そんな振る舞いに開いた口が塞がらぬ。ある与党議員は「今回は中身が悪いから、さっさと通した方がいい」と自嘲混じりに語ったと、東京新聞(6/7)。◆ 議論はしたくない、情報は隠蔽する、悪事がバレても、悪びれない。とにかく「使い放題の闇金」を欲しがる亡者集団。これをして「盗人猛々しいと」言うか。闇から闇へと「(選挙)買収資金」を溝(どぶ)に捨て、領収書公開は十年後。政治資金規正法や所得税法違反の時効は五年、安心して脱法・違法行為を堪能できる。自惚れ首相は「徒(いたずら)に規制を強化することは政治活動の自由を狭めることになる」と洒落臭(しゃらくさ)いたことを嘯(うそぶ)く。犯罪を野放しする自由を確保する目的の「擬似規制法」が制定されようとしている。◆ 「国権の最高機関よ、どうぞ、お好きに」、だね、だね。(野山大霞)

【水や空】抜け道 「通行禁止」という貼り紙が「ああ、この道は向こう側に通じているのだ」というお知らせになってしまう…。〈『通り抜け無用』で通り抜けが知れ〉はそんな現象を笑った江戸期の川柳だ。中学校の国語の時間に教わった▲その伝でいくならば「規正法」という名の法律が存在していること自体、「政治資金」の周辺では、あれこれ“規(のり)を外れた事態”が起きてしまうということの表れなのかもしれない▲政治資金規正法ができたのは戦後間もない1948年のこと。第1条は〈国民の不断の監視と批判の下に〉〈政治活動の公明と公正を確保し〉〈民主政治の健全な発展に寄与する〉とうたう▲政治とカネの問題が表面化するたび改正が重ねられてきたが、穴だらけの“ザル法”という悪評は消えたことがない。「自分の手足を縛るのだから、厳しいルールになるわけがない」という諦め交じりの解説はもはや定番▲自民党派閥の裏金事件を受けた政治資金規正法の改正案が昨日の衆院政治改革特別委員会で可決された。さまざまな論点を巡る政党間のドタバタ、いや攻防は、何がどう決着したのか正直なところ理解が追いつかない▲ああでもない、こうでもない、と抜け道の道幅を議論し続けていただけのように思える-と要約するのはいくらなんでも乱暴か。(智)(長崎新聞・2024/06/06)

 「語るに落ちる」などと言います。元々は「問うに落ちず語るに落ちる」と表現されていた。面倒だから省略したのか、それとも、みなまで言うな、「その心」はよくわかっているからと「語るに落ちる」に落ち着いたか。「人に聞かれたときは用心をして秘密をもらさないが、自分から語るときは不用意に口をすべらしてしゃべってしまう」(デジタル大辞泉)というのですから、裏金だ闇金だと世間で騒がれると沈黙を決め込むが、いざ「規制法」を作る段になると、「これが法律かい」と呆れ果てる振る舞いに及ぶのだ。どうしても「使い道を明かしたくない汚金(おかね)」「領収書の取れない金」がほしいのだ。喉から手が出るほど、他人の分を盗んでもほしいのだろう。そんな政治家が国会だけで七百人に及ぼうかと言う。これに地方議員を加えれば、ああ、この「瑞穂の国」は盗人猛々しい連中に乗っ取られてしまっていると気付かざるを得ないですね。

 外つ国にも同じような「俚諺」があります。〈He who excuses himself accuses himself.〉(弁解する者は自ら告発する)

 おしなべて、この国の政治家と自称する連中は、中央地方を問わず、「弁解」「弁明」「釈明」「言い訳」「言い逃れ」「申開き」など、自己欺瞞に至って、まさしく玄人(くろうと)・専門家です。物の言い方一つとっても、単純明快に言わない。要するに「嘘はつかぬが、本当のことは言わない」式の、手に負えない不誠実で一貫しているのです。「這っても黒豆」と強情を通す、無恥で不正直な輩が大半ではないですか。これをして「無責任」というほかないような呆れた面々です。(「盗人に追い銭」という言い草は誰のため、なんのためにあるんですか?)(猛々しい盗人を放任しているのは、どこの誰ですか。かくして、ブーメランは我が身に及ぶのさ)

______________________

人間至るところに陥穽あり

 大学二年生の春だったか、来日中のガブリエル・マルセルさんが講演にやってきたことがある。別の要件でぼくは参加できなかったが、一年後輩のK君(卒業後、N✕Kに就職したがすぐに辞めた)がとても興奮し感動していたのを覚えています。少しばかり哲学本などを読んでいたし、当時はまだ「実存主義」が勢いを持っていた時代だった。その後には他大学だったが、サルトルもやってくるような時節だったので、無知だけが取り柄のぼくも動かされたのかもしれない。マルセルさんが来日した当時、ぼくは彼の著作の主だったものは読んでいたと思う(いくつかの出版社から、彼の著作の翻訳が出されていました)。その後も一端の哲学青年になって、やがて卒論はカントという恐ろしいことを企てた、狂った季節でもあったのです。(右写真は、66年来日時のサルトルとヴォーボワール両氏)

 マルセルさんで忘れられないのは、文芸評論家の小林秀雄さんの鎌倉の自宅を尋ねて「対談」したことだった。その内容もどこかの新聞に書かれていたのを読んだ覚えがあります。小林さんは「日本的」「伝統」などと盛んに話しかけていたこと、琴や尺八の演奏レコードをかけていたことなど、それを聴いたマルセルは「この道から日本には入るまい」などと言っていたことも忘れません。いわば、東西文明のあからさまな「すれ違い」を実感させられた場面でした。

 表題の「人間至るところに陥穽あり」は「じんかん いたるところに かんせい あり」と読みたいですね。元来、「人間」と書いて「じんかん」と訓ずる、それは世間や社会を表していました。「人の住んでいる世界。世間」(デジタル大辞泉)「人間(じんかん・にんげん)」、もとは仏教の言葉だったんですね。「陥穽」は言うまでもなく「落とし穴」「罠(わな)」です。生きている間、至るところに罠が仕掛けられているという実感があります。多くは自ら好んでその「罠」にかかりたがるんですね。「飛んで火に入(い)る夏の虫」というのでしょうか。「明るさにつられて飛んで来た夏の虫が、火で焼け死ぬ意から、自分から進んで災いの中に飛び込むことのたとえ」(デジタル大辞泉)で、まるで世間は「誘蛾灯」の巷ではなかったかと、今頃になって気がついた風に言うのですから、話にはならないですね。

(ヘッダー写真は「Assemblée générale ©Philippe Vermès」 (Exposition”Images en Lutte “:https://ovninavi.com/mai-68)

++++++++++++++

<卓上四季>最善の贈り物 チューリップの記憶をつづった短い文章がずっと胸に残っている。先月15日付の本紙「読者の声」欄で見かけた。小樽の高校生、生田さくらさんからの投書であった▼こんな内容だった。自宅隣の空き地で毎春チューリップが咲く。そこにはかつて一軒家があって、おばあさんが住んでいた。桜の柄のハンカチを小学校の入学祝いにもらった。もう声も顔も思い出せないのに、存在を忘れないのは季節が来ると必ず咲くチューリップのおかげだ…▼記憶というのは不思議なものだ。普段はどこかに潜んでいても、ささいなことから呼び起こされる。きっかけは映像や言葉、香りなどさまざま。よみがえってくると、感情を動かしたり心の支えになったりする▼哲学者の今道友信さんにフランス滞在を回想した随筆がある。帰国が決まった1958年、教えを受けた哲学者マルセルにあいさつした。海外渡航がとても難しかった時代だ。これが最後かもしれない―。今道さんは胸がいっぱいになった▼恩師はコーヒーを手に聞いた。「人間が人間に贈ることのできる最善の贈り物は?」。自ら答えを示した。「それはいい思い出です。意識がある限り一生続き、語り伝えられるなら死後も続きます」▼おばあさんの思い出もきっとそうだろう。大切な贈り物となった記憶は末永く受け継がれていく。(北海道新聞・2024/06/06)

***

● マルセル(Gabriel Marcel)(まるせる)Gabriel Marcel(1889―1973)= フランスの哲学者、劇作家。パリに生まれる。パリ大学を卒業、アグレガシヨン(哲学教授資格)取得後しばらく教壇にたったが、まもなく雑誌の監修などをしながら自由な思索と著述に専念した。『私の哲学遍歴』によれば、初めベルクソンに魅せられたが、本格的な思索の起点となったのは、むしろブラッドリーやロイスの思想に触発されてからだとされる。若き日の手記を収めた『哲学断想』(1964)や『形而上(けいじじょう)学日記』(1927)は、そのころの苦闘ぶりを伝えている。しかし、生来の鋭い感受性や宗教的なものへの関心から、モーリヤックの誘いを受けてカトリックに入信(1929)、その後書かれた多くの哲学書や戯曲を通じて、のちにキリスト教実存主義といわれた思想を展開した。『存在と所有』(1935)、『拒絶から祈願へ』(1940)、『旅する人間』(1944)などには、第二次世界大戦前から戦時にかけての苦難の時期に書かれた諸論文が収められている。戦後マルセルは未曽有(みぞう)の惨禍にあえいだ人たちへの悼(いた)みとともに、人間の荒廃をなおももたらし続けるもろもろのイデオロギーや文明の害毒を告発し、同時に、取り戻されるべき人間の尊厳について切々と語っている。『人間的なものに叛(そむ)く人びと』(1951)、『知恵の凋落(ちょうらく)』(1954)、『人間、この問われるもの』(1955)などがそれにあたる。マルセルは哲学の体系性を嫌うが、それでも『存在の神秘』2巻(1951)は、その思想をかなり組織だって述べた著作である。1957年(昭和32)と1966年に来日、各地で講演し感銘を与えた。(日本大百科全書ニッポニカ)

+++++++++++++++++++++

 フランスではその当時、ド・ゴール体制への批判の拡大から、やがて市民・学生を中核とした政治運動が起こりました。68年の「5月危機(「革命」とすら言われもした)」と称され、各地で大学生・労働者の反乱が発生し、一面では大きな混乱が生じていたし、それがこの極東の島社会にも波及していたのでした。この国ではいくつかの大学で「学園闘争」などと称して「学生の反乱」が起こっていた。マルセルさんが来校したときもおそらく「ストライキ決行」とかで授業ができていなかったと思う。ぼくはいわば「ノンポリ」で、決して「学生闘争」には参加しなかったし、反対にそれを打ち破る学生集団の一員にもならなかった。授業があって当たり前と、そのために少し活動をした程度。紛争とか闘争などと後に言われる大学の「現実」にぼくはうんざりしていたし、「大学解体」を叫ぶような学生(だけではなかった)の暴力のなすがままに秩序を蹂躙されていた大学当局の無能・無責任さにもぼくは希望を失っていた。要するに、大学は今以上に「駄目な時代」だった。そんな時に、「実存主義」もサルトルやマルセルの存在も大きな支えにはならなかったと思う。

 ただ、ものを考える方法を、幼稚ではあっても経験していたことは、後のぼくの生き方を生み出すためにはいい修行にはなったと思う。教師には入れず、授業料のただ払いをしていたような時代だったが、いろいろな経験を「世間という学校」で学んでいたのですから、考えれば高くない授業料でした。(入学当初、授業料は年間で三万円、直後に五万円に値上げ。その値上げを理由に「学園闘争」なるものが起こったのでした。授業料一つとっても「隔世の感」を抱かざるを得ません。大学の地盤沈下は限界がないもので、ぼくらの在学時代もひどかったが、今日は比較を絶して痛ましいことになっているのではないでしょうか。教師失格の分際では、何かをいうのは滑稽ですな)

● 五月革命【ごがつかくめい】= 1968年5月のフランスで,学生たちの運動を中心にして起こった社会的危機のこと。1960年代後半より,米国のベトナム反戦運動や西ドイツ,イタリアの学生運動と連携してフランスでも学生による活動が行われていた。こうした状況を背景に,1968年3月22日パリ大学ナンテール校の学生が大学の管理強化に反発して校舎の一部を占拠。これが発端となり,5月3日にソルボンヌで集会中の学生と警察が衝突し,5月10日にはカルティエ・ラタンが学生により占拠された。運動は各国の過激派の闘争とも連携し,大学占拠,街頭進出という形をとって地方にも爆発的に拡大し,大学問題,ベトナム反戦から高度資本主義の管理体制を批判する社会変革闘争の様相を帯びた。これに呼応して5月13日労働者のゼネストが行われ,パリは〈解放区〉の様相を呈し,さらにルノー工場などの労働組合では既成の労働運動指導部を超えた工場占拠闘争に発展した。作家・学者など知識人もさまざまに反応した。ド・ゴール大統領は議会解散など事態の沈静化を図ったが,翌1969年4月に11年近く続いた政権の座を去る結果になった。同時期の日本でも,既成の政党イデオロギーによらない,現代社会のあり方に対する根本的な〈異議申立て〉の動きが見られたが,これらを象徴する出来事として,五月革命が後の社会運動や思想に与えた影響は大きい。(百科事典マイペディア)

人間が人間に贈ることのできる最善の贈り物は?」
「それはいい思い出です。意識がある限り一生続き、語り伝えられるなら死後も続きます」

(この部分に関して、私見を述べてみたい気もします)

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (追記 この駄文を書いている今、午前6時過ぎ、かみさんが体をよじりながら「痛い!痛い!」と、ぼくを呼びに来た。「すぐに痛め止めを買ってきてくれ」という。彼女は以前に「結石」を患っていたことがあり、それが完治しないまま、小康を保って今日まで来た、だから、激痛は「その再発だ」と直感した。痛くてたまらんというのはよく分かるが、ほんの数分で痛みが消えるのが結石の症状だからと、無理にベッドに横にならせた。多分、激痛は収まるだろうが、その後をどうするか。それが問題ですな)

 (とりあえず、本日はここで一旦中断します。可能ならば再開するつもり。かなり昔、ぼくは首都高速道路を走行していて、脇腹の激痛に襲われたことがあった。冷や汗どころの騒ぎではなかったが、危機をしのいで、今に至っている。いずれ、再発がくるだろうと覚悟はしているのですが。間違いなく「結石」だったと思う)

_____________________________