暑き日を海に入れたり最上川

 今から一月ほども前のこと、頭が痛く、体がフラフラし、まるで風を引いたような症状に見舞われました。念のために体温をはかり風邪薬(葛根湯)を服用。熱は平熱で、特段の症状も出てこない。しかし、血圧は異様に高く、軽く200を越えていました。困ったことになったと思わないでもなかったが、数日間、意識してベッドで横になることが多かった。やがて、すっかり癒えたとは思わなかったが、なんとか、通常の生活サイクルに戻った。しかし、依然として高血圧状態は続いた。医者に行くのは気が進まない(診断や処方は分かっているし、たくさんの降圧剤も出されるだろう)、ゆっくりと自分なりに観察しながら、高温下の外作業は控えてきた。本日の朝6時に測定した血圧は、133(高)-84(低)‐65(脈拍)でした。ほぼ毎日、午前午後二回、測定を続けている。正常な血圧の数値はいくつか、誰が決めるのか。人それぞれの適正値がるだろうが、体重200キロの大男と、20キロそこらの子どもの「正常値」が同じであるのだろうか。それに対して、医者は納得させてはくれない。今また、血圧の「正常値」をいじるという話があるそうだ、少し低めに設定すれば、この社会ではまた、何百万という高血圧患者が生まれる。薬屋と医者は丸儲けという、まるで詐欺商法だね。(日本人の血圧正常値を決めているのはアメリカ医学会らしい(どういうこと)。

 今から考えれば、おそらく「熱中症」の初期症状だったと思う。素人判断ですけれど、それで不足はないと思っている。今から十年前も、当時はまだ酒飲みの習慣に浸っていたし、かなり高血圧状態が続いていたので、近所のクリニックに駆け込んだ。案の定、検査やら測定やら、いろいろ言われて、大量の降圧剤を処方された。どれくらい通院したか、毎回検査データと首っ引きで、医者は同じようなことを言う。挙げ句に「あなたは、確実に認知症になる」と宣言された。この野郎、と大声を上げたかったが、血圧が上がるといけないので、我慢した。医者の、その「見立て」以来、通院は止めてしまった。三分の一が認知症と(勝手に)診断される時代、もう少しまともなことが言えないのかと腹立たしい気もしたが、それが商売だろうから、ぼくはそんな取引には付き合いたくもなかった。

 根っからの医者嫌いで、これまで二度三度と死にかけているが、なに構うものかという気性は変わらない。かみさんや子どもを含め他人に迷惑をかけるのは避けられないが、それを可能な限りで少なくしたいという願いを秘めつつ、密(ひそ)やかに生きている。世間には「自分は認知症にならないぞ」と言っている人がたくさんおられるが、そのこと自体が、もう罹患しているんじゃないですか。そう言えば、この社会には、いたるところで無数の「罹患者」が存在しているとも言えます。辻褄も道理も会わないことを平気で行っって、忘れたふりをする。認知症に関しては、これからも、わが症状を材料にして駄弁ることが多くなるでしょう。この駄文など、「まともな感覚」で綴れない代物だから、怪しい人物ではあるのだ、ぼくには、その程度の自覚はあります。

 本日のコラムは「滴一滴」です。この記者氏はなかなかに用心深いですね。運転中、右足がつった。コンビニで休憩。整形外科医に行く。さらに内科へ。そして、以外なことに「脱水症」だったと、多分安心されたと思う。医者にかかる多くの人は「診断による病名」が知りたいんですね。それが目的で医者通い。これほど、従順で素直な人が多いから医者の営業が成り立つのでしょう。護身の多さは、大抵は忘却されてしまう。ぼくみたいなのばかりだと困るに違いない。夏場、一日2㍑の水分補給をと、何かについて医者は忠告する。かみさんは「尿道(腎臓)結石」で苦しめられているが、その彼女にも医者は「2㍑を」と言ってくる。ぼく自身、他の人よりは水分を多く取る方でしょうが、それでも毎日2㍑はなかなか大変。せいぜいが1,5㍑程度です。この点も理不尽ですね。大男と並の女性(体つき)二、(一日2㍑)ということはまともですか。ぼくは、しかし、これは毎日欠かさず水分はたくさん摂り続けている。でも、コラム氏のように「足はツル」「こむら返りが起こる」、特に睡眠中に。そして、コラム氏のように医者にかかれば、大仰な診断が下されるのでしょう。

 今日は「熱中症(Heat emergencies)」という語が多く使われていますが、その昔は「日射病(sunstroke)」とか「熱射病(heat stroke)などといいました。罹患者は多かったかどうか記憶はないが、そのために亡くなる人も少なからずいたことを覚えています。このところの「猛暑」続きで、各地ではたくさんの「救急搬送者」が出ています。中には亡くなる人もいます。胃が痛いとか、結石で激痛が走るというような症状がないままで、事態は進行(悪化)していくようです。コロナを初めとする感染症も怖いものですが、熱中症も油断大敵でしょう。

 一ヶ月前の「正体不明症状」に凝りたのか、ぼくは外作業には用心深くなりました。そのせいか「雑草」も「植木」も、ここを先途と伸び放題です。あんなに草茫々、枝葉は茂りに茂って、見るからに見事というほかありません。でも、「それを整理するのはキミだよ」と、気がつくまでもなく、少し頭がくらくらします。現在地に越してきて十年を越えました。年々、高温多湿の程度が上がっていくことを肌で感じています。やがて、この劣島は完全に「熱帯」気候帯に変質するに違いありません。今のところ、この地で、ぼくはエアコンは使ったことはない。それだけ、なんとか過ごせるくらいの環境だということです。なにもないけれど、緑だけはふんだん。それにイノシシも。先日は縁側にタヌキも登場しました。猫と暮らせば、いい事だらけというのでありません。家の中は昆虫類や爬虫類たちの棲家のようになっています。猫がくわえて来るんですね。カエルあり、ネズミあり、時にはヘビまでも。エアコンなどを付けて涼んでいられますか。 

+++++

【滴一滴】車を運転中に足がつって 岡山市内で車を運転中、右足がつるような痛みを感じた。大事を取って停車。コンビニで休憩すると回復した。整形外科を受診したが異常はなく、内科を勧められた▼検査結果を踏まえた医師の診断は意外だった。脱水症だという。気分が悪くなったり体のだるさはなかったが、筋肉の正常な収縮に必要なナトリウムやカリウムが体から奪われたらしい。夏場は1日に2リットル近く水分を補給する必要があると忠告された▼脱水症が進行すると熱中症へと至る。岡山県内では昨年5~9月に計1865人が救急搬送されている。大半は軽症だったが死者が5人、長期入院が必要な重症者も37人いた。自分の体力を過信してはいけないと身をもって知らされた▼連日の猛暑の中、県内では今年も救急搬送される人が相次いでいる。すでに死者も出た。昨季同様の記録的な暑さが見込まれるだけに救急車の出動はこれから増えそうだ▼日本救急医学会は今週、熱中症の予防や治療に関する緊急提言を発表した。体の「深部体温」が40度以上で重い意識障害がある場合を最重症とする新分類を公表。医療者には体を即座に冷却するアクティブ・クーリングを求めている▼猛暑日には不要不急の外出を避けたい。乳幼児や高齢者、持病を持つ人は特に注意が必要だ。夜間の水分摂取や冷房の活用にも気をつけたい。(山陽新聞・2024/07/10)

++++++++


●高温障害(こうおんしょうがい)= 体温の放散が不十分か,周囲の温度が体温より高いときに,生体が過温状態になって起る。代表的なものが日射病と熱射病 (熱中症ともいう) である。日射病は日光の直射を頭部,項部に受けて起り,熱射病は温熱のなかで労働しているときに起るが,両者の病態生理は同一で,治療も同様に行われる。症状は,深部体温が 40℃以上に上昇し,高熱にもかかわらず皮膚が乾燥し,紅潮しており,発汗は少い。この時期に通風のよい,涼しい場所に移すと症状は軽快するが,体温が 42℃以上になって人事不省に陥った場合は,氷水の全身浴などを行なって,できるだけ早く体温を下げる。なお,熱射病と似たものに熱虚脱がある。これは,慣れない高温環境で活動する際に一種の血液循環不全現象を起すもので,女子に多い。高度の疲労感,頭痛,吐き気などを訴え,大量の発汗をみ,最後に失神する。このほか,熱けいれんや熱傷も高温障害である。(ブリタニカ国際大百科事典)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 表題句は、もちろん芭蕉。大石田を発ち、「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだのはいつだったか。その最上川も日本海へ向かって流れ流れて、今は河口の酒田にきた。と見るからに、夕日が水平線上に沈みかけている。「暑き日を海に入れたり最上川」とは芭蕉が俳句で描いた、一幅の風景画でもあったでしょうか。

(ヘッダー写真「山形ものがたり」:https://www.pref.yamagata.jp/020026/kensei/shoukai/yamagatamonogatari/shizen/mogamigawa.html」

__________________________

「黒衣」跋扈舞台は終演間近だ

● 黒衣(くろご)= 歌舞伎(かぶき)、文楽(ぶんらく)用語。黒木綿(もめん)の詰め袖(そで)の着物を着て、黒頭巾(ずきん)をかぶって舞台に出て、俳優の演技や劇の進行の介添えをする役の者の称。本来はその衣裳(いしょう)の名称であるが、それを着る役の称にも用いる。黒衣にはその性質上二つの種類がある。一つは、いわゆる「後見(こうけん)」の役で、舞台で演技している俳優を補助し、合引(あいびき)を出して掛けさせたり、衣裳を脱ぐ手伝いや、必要な小道具の手渡し、不要になった小道具の取りかたづけなどをしたりする。これはその俳優の弟子筋の者が勤めることが多い。(⤵️)

 いま一つは、初日が開いて以後、俳優が台詞(せりふ)を覚え込むまでの間、道具の陰にいて台詞を教えるプロンプターの役で、このほうは狂言方(今日では狂言作者)から出て勤める。黒衣は舞台に出ていても登場人物とはみなさない約束である。なお、雪の場面では白色の衣裳の雪後見、水中の場面では浅葱(あさぎ)色の衣裳の水後見、海中の場面では浪(なみ)模様の衣裳の浪後見がそれぞれ同様の役目を勤める。文楽では、「出遣(でづか)い」の場合にはオモ遣い以外の人形遣い、ツメ人形の遣い手など、出遣いと断らない場合、すべての人形遣いが黒衣を着て勤めるほか、狂言名、場割、太夫(たゆう)、三味線を紹介する口上も黒衣が述べる。文楽の黒衣は衿(えり)を赤い紐(ひも)で留める。(日本大百科全書ニッポニカ)

● くろ‐ご【黒衣/黒子】《「くろこ」とも》 歌舞伎で、俳優の演技や舞台進行の介添えをする人が着る黒い衣装。また、その人。人形浄瑠璃では、人形遣いが着る黒い衣装。くろんぼう。黒具 (くろぐ) 。 表に出ないで物事を処理する人。陰で支える人。「—に徹する」(デジタル大辞泉)

++++++++++++++++++++

 戦い済んで日が暮れて。むしろ「宴の後」始末に追われている人々は、今なお大童(おおわらわ)といったところではないでしょうか。あるいは、候補者によっては「後の祭り」と臍を噛んでいることでしょう。今回の都知事選挙、ぼくには最初から漂っていた「気色の悪い選挙」という印象は最後まで拭いきれなかったし、選挙後もその「気味悪さ」はさらに深まっています。何が争われたのでしょうか。地方政治(自治)の何をどうすると、それぞれは訴えたのだったか。今さらとやかくいうのは、甚だ不本意でもあり、言っても始まらないという思いも消えないのですから、ここは一番、「沈思黙考」に限ると言って済ませて置くのも手でしょう。腐りきった政治に依存し放題のマスコミもまた、腐敗の進行・増進は避けられない、そんな状況が国政・地方政治を含めて、この社会で、どこが腐敗しているのかを国民の眼前に、はっきりと明らかにしたという余録があった、その程度のお粗末選挙だったと思う。

 選挙の公示前から「現職圧勝」とぼくは読んでいました。既存政党色を隠すことに成功した候補が有利に戦線を進めたとされるが、それは嘘。支持政党は裏も表も見え見えでありながら、いかにも政党や候補者は「ステルス」を決め込んでいただけ、実態は、ほとんど従来型の選挙の方法に終止していたというばかりです。なのに、有権者は「政党色」を嫌った結果というまやかしが囁かれているのです。ネット時代らしく見えた選挙方法は、たしかにある候補に顕著に認められます。従来の無党派層と称される人々には大きな影響を与えたかも知れないが、結果的には「選挙の本筋」には大きな効果を与えなかったのは事実でしょう。現職候補者が、前回よりも得票数を減らしたにも関わらず、圧勝したという現実は紛れようのないことでした。

 コラム氏が指摘されている「既存政党頼み」は失敗か、もしくは効力を失ったというのは、確かに一面では認められますが、あいも変わらず、政権の骨組みも既存政党の属性も変わらないままで、この常態がこれからも続くのです。第二位になった候補者をいろいろな意味で褒めそやす論調が多く見られますが、それは表向きであって、水面下では政党頼み、政党依存体質はじゅうぶんに持っていたのも確かでしょう。選挙は「見た目の争い」だと言うなら、本音(政党頼み)はいかようにも隠せるから、結局は「嘘」がまかり通ることになる。

 「ネットを主な情報源とする世代の政党不信、メディア不信の表れだ。権力争いに終始する政党に加え、政局ばかり伝える報道も無縁でなかろう。アンチ政党の先に民主政治の再建はあるか。あるいは個人が導くポピュリズムか。筆者はこう思う。右へ左へ揺れながら進むのが民主主義だと」と書かれるのはコラム氏です。たしかにその要素はあるでしょうが、この国に「民主主義」の根が育っているかと言うと、極めて残念ですが、否定せざるを得ないでしょう。途中で、腐りきったんですな。国政レベルでは、ある政党を除いて、すべてに「与党(政権党寄り)」意識が濃厚か、近寄りたい気分が旺盛ではないでしょうか。実際上も、隙あらば与党へ、寄らば与党へと、多くの既存パーティは、どんなに本体が腐っても「与党」へ躙り寄る姿勢を隠さない。腐るものに近づくと腐敗は必死で、かくしてこの国の政治の世界は「腐敗の山」となって残骸を晒すことになります。そのような現実のどこに民主主義の「要素」「可能性」があるのでしょうか。

~~~~~~~~~~~~~~

【斜面】パーティー不信 政党は英語でパーティー(party)。「部分に分ける」という意味のラテン語が基になっているという=オックスフォード英単語由来大辞典。ほかのグループに対抗する、特に政治団体を指した。18世紀になると親睦会の意味にもなる◆先の都知事選は投票率が上がり、宴としては多少息を吹き返したようだが、政党の存在感の軽さは目を覆わんばかり。3選を果たした小池百合子氏の陣営は、有権者の信頼を失った自民党から表向きの支援を求めずに「小池ブランド」だけで押し切った◆次期国政選挙をにらんだ立憲民主党の戦略で出馬した蓮舫氏はまさかの空振りに。政党色が裏目に出た。2位に躍り出たのは、やはり「個人」を前面に打ち出した石丸伸二・前広島県安芸高田市長(41)だ。しがらみのなさを強調して、無党派層、特に若い人たちから支持を集めた◆市長時代には議場で「恥を知れ」と言い放ち、記者を「論破」しようとする動画もネットで注目された。コメント欄は絶賛する書き込みがあふれる。ことごとく対立を生む手法には批判もあった。ここまで都民を動かすとは、正直、予想していなかった◆ネットを主な情報源とする世代の政党不信、メディア不信の表れだ。権力争いに終始する政党に加え、政局ばかり伝える報道も無縁でなかろう。アンチ政党の先に民主政治の再建はあるか。あるいは個人が導くポピュリズムか。筆者はこう思う。右へ左へ揺れながら進むのが民主主義だと。(信濃毎日新聞・2024/07/10)

+++++++++++++

 腐った林檎は取り除け。〈One bad apple spoils the barrel〉一個の腐った林檎は樽全体を駄目にする。その昔は、林檎は樽で保存されていたことがわかります。今日では、仕分けして箱に入れたり、一個ずつにし置くので、林檎全体が駄目になることはない。でも同じように「腐った蜜柑」もあります。スーパーで蜜柑を買うと袋詰です。だから、その中に腐ったのが一個あれば、旬日を経ずして他もだめになりという経験をぼくなどはしょっちゅうしている。この国の「政治世界」は一個の樽や箱に等しい。例えて言えば、永田町は一個の樽、つまりは永田町樽です。この樽にはたくさんの新旧無数の林檎や蜜柑が入っている。腐ったものもあるでしょう。だから、その樽に入っていて、腐敗しないという芸当(奇蹟)はありえないこと。腐敗したものは、大量の「エチレンガス」を発生させて、他の林檎の腐敗を促すのです。

 ときに、このエチレンガスの噴射に耐えかねて、その樽を飛び出し、あるいは東京都樽の首長になろうとする腐敗林檎もあるでしょう。その腐敗林檎は、今度は堂々と、都庁内の林檎、都議会内の林檎に強烈なエチレンガスを注ぐことになります。かくして、すべてが「腐敗菌」に侵されるという悲喜劇に陥る。東京に限らず、地方の多くの首長たちが、官庁や国会から「天下り」した腐敗菌だとしたら、その悪影響は全国に及ぶ…及んでいるでしょう。ここに、いかにもルーキー然として地方都市の首長に選ばれたが、そこでは飽き足らず、首都の首長を狙う、あるいは国会に議席を占めて、天下を目指したいという、尊大不遜な野心家がでてくるのも不思議ではありません。自ら進んで、エチレンガスを浴びたいのだと。物好きというのでしょうな。極めて奇特な御仁だと思う。只今も、政界にあっては至るところで「エチレンガス」が噴射中です。

● エチレン(ethylene)= 二重結合をもつ炭化水素の一。無色の可燃性の気体。プロピレンとともに石油化学工業で重要な原料で、ポリエチレン・塩化ビニル・酢酸などの合成に利用。また、植物ホルモンの一種で、果実の熟成を促進するが、傷害などによっても産生され、成長抑制作用もある。分子式C2H4示性式CH2=CH2 エテン。(デジタル大辞泉)
● エチレン〘 名詞 〙 ( [英語] ethylene ) エチレン系炭化水素の一つ。化学式 CH2=CH2 で二重結合をもっている。無色で甘味臭をもつ引火性の気体。天然ガス、石炭ガス中にも含まれるが、工業的には石油留分の高温分解で得られる。ポリエチレンなど合成化学工業原料に用いられるほか、吸入麻酔剤にも用いる。(精選版日本国語大辞典)
● エチレン = 化学式はCH2=CH2。特有の甘い香りのある無色の気体。融点−169℃,沸点−103.9℃。二重結合をもつため反応性に富み,ハロゲン,ハロゲン化水素,硫酸,水などと付加化合物をつくり,また触媒存在下で重合してポリエチレンとなる。リンゴ,モモ,バナナなどの果実の成熟に際して発生し,成熟を促進する作用があり,植物ホルモンの一種とされている。エチルアルコールの脱水によっても得られるが,工業的には石油ナフサの高温分解によってつくられる。エチルアルコール,塩化ビニル,エチレングリコール,ポリエチレンなどの合成原料として重要で,石油化学工業で最も基本的な原料物質。(百科事典マイペディア)

 いずれ、誰かが解説や分析をされるでしょうから、ぼくごとき素人は静かにするのがなによりでしょう。ただ一言、政治の世界では孤軍奮闘はありえない、徒党を組むのが常道で、それが長く続くと「エチレンガス発生」です。この強烈な炭水化物の可燃物質は政界でも、あらゆる場面で利用され、やがて腐敗促進剤に転化します。この「エチレン」は、政界においては「黒衣(くろご)」だということです。この黒衣はあらゆる政党(パーティ)で引っ張りだこ。A党からB党へ、B党からC党へと、文字通り暗躍します。思想信条は無関係。今回某氏は東京維新というパーティの事務局長だったか、それが元地方都市首長某氏の選挙参謀(黒衣)だった。黒衣に徹しないで、表世界に堂々と顔出し(跋扈・ばっこ)していましたね。政党や政治屋をぶっ壊すという、その候補者ご当人が既存政党の手の内に捉えられていたのですから、何をか況や。

 かくして、新も旧も、例外なくエチレンの洗礼を受けるという始末です。民主主義は機能していますか。このエチレンという成長促進剤=腐敗促進剤は「選挙民」にも濃厚に散布されていたのは論を俟たない。一度、死して後、再生できるか。この社会の「デモクラシーは暗闇で滅びる」のではなく、白日のもとに死滅しかかっているのです。死滅までもう一歩。すべてはその先に、ですかな。

___________________________

諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅慰楽

 七夕の夜に、京都の友人Yさんから「詩 書道」と題したメール(ヘッダー写真)が届きました。同じものの日本語とハングルの二葉です。これをじっと見ていると、いろいろな思いが溢れてきます。いかにも「Yさんらしいなあ」という、歎息とも悲しさとも区別のつかない感慨です。彼とはもうかれこれ四十年になろうかという付き合いです。もちろん、四六時中会って、話すという付き合いではない。何年も会わなかったり、消息が途切れたりというような、しかし、結局は間断のない交際でありました。彼は京都生まれの在日二世。その方面では極めて高名な方。ぼくなどは近寄ることすら出来ないような存在でしたのに、縁は異なもの、なんだかんだと四十年ほどもつながってきました。ぼくは「有名人」には近寄らない主義を通してきたもので、つまりは「危うきには近寄らず」派でしたのに、どうしてこうなったか。

 それはともかく、書道による「詩」です。これを解釈するのではありません。肯定(称賛)も否定(批判)もしない、感じたままを書いてみるだけ。だからこそ、そこには自ずから「Yさんが現れているなあ」と見えるし、彼は何処まで行っても苦しむ人なんだという「憐憫」ではない、同情でもない、不思議な感慨が兆してくるのです。何を求めているのか、ぼくごときにはわからない、奇妙な人物像がにじみ出ていると思う。八十翁が書いていると思えば、なんだか凄惨な風が漂うとも思われてきます。彼とぼくは、同年生まれ(1944年)。彼は京大卒。東大大学院修了。教育学博士(東大)だったか。ぼくには理解できない学歴の所有主。(この学歴はれっきとした本物で、詐称などは一切ないはず)

 「諸行無常」という。いろいろな理解が可能でしょうが、すべてこの世の現象は「因縁」が起因するという仏教哲学です。この世の現象(カンカーラ)には仏の因縁が作用しているというのです。そして「無常」。どんなものでも不変であることはなく、すべては変化して止まない(アニッチャ)という。パーリー仏典にある教説(『北本涅槃経』)。また、涅槃経の偈(げ)(頌)に「諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅慰楽」とある。大意は「自然(因縁)のままに」「生まれて滅す」で、そこに意思も作為もないという教え。あたかも「鳥が飛び 水が流れる」がごとくあれかし、と。  

 「なるようになる」とyさんは書くが、為るように為るも為らぬも、そこに意思も企図も入らない、とにかく自然のままにということです。いかにも彼らしいとぼくが言ってしまうのは、「人生には 目的も成功も 完成もない」と書いてはいるが、本当は目的も成功も完成も、すべてをあなたは求め続けてきたのではなかったんですか(今の今も)と、皮肉ではなく、ぼくは彼に問いたいのです。口では、あるいは文では「いっさいは空だとか無だとか」仰るが、言うだけのことではないですか、と。こんなことを、ぼくはこれまで、何十回となく、彼に向かって吐いてきました。何しろ、彼の往時・盛時をよく知っていましたから。

 いかにも彼らしいと唸るのは、「人生は為るように為る」とはいうものの、「生きる希望につながる 何かがあればよい」と。こんな幻のようなことを言っているから、「辛い」「しんどい」「生きていても無意味」だと、暇さえあれば口走るんでしょうね。鳥が飛ぶ、水が流れる、そのように「寂滅慰楽(じゃくめついらく)」=「仏教語で煩悩を滅した悟りの境地に、真の安楽があるということ。『寂滅』は『涅槃(ねはん)』と同じ意味で、煩悩を滅した悟りの境地、『為楽』は楽しみをなすという意味」(デジタル大辞泉)「(梵)nirvāṇa(ニルバーナ)」、煩悩を去り、悟り(涅槃)の境地に入る。つまりは「消滅」の意でしょう。希望もへったくれもないのが、「諸行無常」なのだと「涅槃経」は教えている。分別ではなく無分別に。それは知恵でもあるんですね。鈴木大拙氏をぼくはよく読むが、大拙は大智のことをいう。

 花が咲く、咲いたら散る。散ったら、また咲く。それは花の意思でもなく、願いでもないでしょう。人間が花になりきれれば、それが分かるかも知れないが、そんなことはありえない。どんな事柄にも意味や価値を見出したがるのが人間だと、ぼくは分かったうえで、そんな人間の要素を少しでも消し去りたいと生きてきました。なかなか消去できませんね、パソコンのデータと同様、消去したのは錯覚で、どこかしらに保存されている。そんなものに苦しめられてたまりますかと、ぼくは山中に逃げ込んだのですが、まるで「およげたいやきくん」で、どこに逃げても「意味」「価値」に追い立てられるという無惨。

●しょぎょうむじょう‐げ〔シヨギヤウムジヤウ‐〕【諸行無常×偈】涅槃経にある4句の偈。諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅慰楽のこと。釈迦が過去生に雪山童子として修行中、羅札に姿を変えた帝釈天からこの偈の前半を聞いて感動し、後半を聞くために我が身を捨てたという。いろは歌はこの偈の意を詠んだものという。雪山偈。(デジタル大辞泉)

 京都の友人には、駄文集録に「自筆書掲載」の許可を得ていません。無断で出しましたので、今夜にでも報告と許可を願おうと考えています。彼のかみさん(韓国の人)は、結婚以来何度目か、家を出て都内の娘さんのところにいるとのこと。十年ほど前に彼は結婚をしました。三度目だったか。つまりは、そういう人だということ。結婚を何度もしてまで、「夫婦の意味」を求めているんですね。しんどいことですよ、きっと。「諸行無常 なるようになる」と言っているそばから、なんとかならんかと、しばしば電話が来ます。かかってくるとき、呼び出し音がすると、どういう「価値」を求めての電話か、ぼくには分かるんですね。電話のやり取りだけでも膨大な時間を使っていますから。一度の電話、最長で三時間ということもあった。よく相手ができると、自分で「お前はアホか」と思うこともある。

 「寂滅慰楽」はどこに行ったかと、ぼくは彼に訴えたいんですが、聞く耳を持たないで、「生きる希望(意味や無意味)」を話し続けるんですよ。猫になれ、と言ってやりたいですね。彼の口癖です、「人生はつまらない」「生きるのは辛い」「なんの楽しいこともなく」と。でも、毎日毎日、「つまらないこと、単調なこと」の積み重ねにこそ「豊かさ」や「喜び」を見いだせるなら、多分、生きることは辛くなくなるのではないかと思う。芭蕉の一句が身に沁みますね。

・やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

 これをどう受け取ることができるか。句の前に「無常迅速」とあります。ぼくたちは「蝉(せみ)」の域にも、とてもではないけれど、到達し得ないことを示しているともぼくには感じられる。「滑った」「転んだ」「泣いた」「笑った」と、つねに忙しいこと。生きるとか死ぬとか、そんな馬鹿臭いことすら微塵も考えないでひたすら鳴く、その「蝉の声」は「息が続いている限り生きる」、それだけです、という「涅槃」に通じるんじゃないでしょうか。

________________________

勝てば官軍、負ければ賊軍という

 言い知れぬ「気味悪さ(Creepy)」~ 東京都知事選挙の奇々怪々。この選挙には大いに興味があったわけではありません。正直に言うなら、その逆。もちろん千葉県に居住しているので投票権もなかった。にも関わらず、それなりに、いわば遠巻きにして「選挙状況」を垣間見ていたのは、あるいは、いささか頼りのない「岡目八目(傍目八目)」だったかもわからない。ネット時代の本格的な選挙の嚆矢だったということもありました。当初から、実に気味の悪い選挙だという実感はあった。掲示板の四分の一を買い占めるような団体が出てきたこと。有象無象、大挙、56人が立候補したこと。三選を目論む現職が、「公務」と称して選挙活動に没頭していたこと(公選法違反・地位利用)、同候補者は学歴詐称(虚偽事実公表)で告発されたこと。その他、たくさんの「悪巧み」(「奸計」)が重ねられた選挙でした。

 その結果は、ぼくは望まなかったが、当初からの想定通り「現職圧勝」です。逆に言うと、「立憲共産統一候補者」が、さまざまな勢力によって見事に「圧し潰された(Crushed)」ということでしょう。「現在の東京都政をリセット」されてはたまらない、そんな思いを持つ、ある勢力に属する人々(呉越同舟の輩)の、これが第一の目標だった。その点では、目論見は大成功だった。同時に、破滅への墓穴を更に深く掘ったことも事実。

 いずれ専門家と称する人たちが選挙結果の分析などをするでしょう。現段階で、素人の的外れ偶感を開陳しておきたい。いろいろな点において「仕組まれた選挙」「争点隠し選挙」だったということ。東京都という莫大な予算(総体で16兆円を超える)を有する自治体から得られる諸々の「利権」や「権益」を失いたくない勢力(政・官・財・民)がそれぞれに雷同した結果、驚くべき「統一」「合同」が成り立ったのです。文字通りの「梁山泊」だったとも言えるでしょう。そして「Y新聞」を中核としたメディアによる現職候補「応援団(Cheer team)」が見事に結成されていたこと、等々。ぼくが特に「気味が悪い」と感じるのは、まともな政策論争も候補者同士の選挙討論もなく、(56人も候補者が出るのだから、それは事実上は不可能だったという、その事自体が、巧まずして仕組まれた「芝居」だったと言えるかも知れない)

 現職候補は腐敗しきった支配政党・政権与党と密着・合体して、「巨大な利益の温床」である東京都の政権運営(利権の山分け)を確保したのです。創価学会・統一教会・連合・その他、考える限りで、およそツルムはずもないような諸種団体が、阿吽の呼吸(だったかどうか怪しいが)で、東京都の予算支配権に与ろうとした。「挙国一致」ならぬ「虚都一致」でしたね。あるいは「利権翼賛体制」が成立したとも言えます。

 これが選挙というもの、だったかどうか。誰が見ても「虚偽履歴」を指摘され、それが公然化している候補者を「ぬくぬくと当選させた」という醜態(芸当)は、後世に残る選挙(民)の犯した恥辱だと思う。いずれ、この「虚飾」は、遠からずはっきりと断罪されるに違いない。ここで明言しておきます。「女帝」と揶揄・愚弄されながら、「大学学歴詐称」を指摘・糾弾されながら、ただの一度として、ご当人は「名誉を毀損された」とは抗弁(protest)しなかった。ぼくには極めて、奇怪至極の「偽装」だったと思う。著しく不名誉な評価をこれみよがしに下されても無視や沈黙を決め込む理由は何だったか。彼女は、今回も一度だって「大学を卒業している」とは言わず、「カイロ大学が意思を持って卒業を証明」しているとの詭弁を弄していた。「卒業」は譲れない事実だから、「詐称」呼ばわりは許しがたい「名誉毀損」だと、何故訴えないのでしょうか。自尊心が極めて高そうに見える御仁ですのに。「犯罪者」は「無罪(冤罪)」だとは言わず、当局が権威を以て「不起訴」の処置を施している、と腐った検察権力を持ち出すのと同日の談です。

 いずれにしても、どんな悪事を働いても(あるいは殺人を犯しても)、それを一貫して「無視」し、「沈黙は金」という姿勢を貫けば、無能無恥な有権者は票を入れてくれるという状況が、ここに判明したのです。ドイツの悪例を出すまでもなく、選挙民(大衆はおしなべて愚者・批判能力や判断力を示せないという理解)の自覚なき狡猾な「悪魔の選択」が、かかる結果をもたらしました。どんなに民主主義を標榜しようと、「権力」「利権」という大きな「人参」の前では、それがなんの値打ちもないということを実証したとも言えます。しばしば「歴史の教訓」が持ち出されます。しかるに、現実には「破滅への道」を何の杞憂もなく選び取る、選び取らせるのが腐熟した民主主義における「選挙」だと事実を以て示したのではなかったか。誰がいうのか「わが世の春」は、実は「地獄への一里塚」だったという「後顧の憂い」を、間もなく知るのも「愚かな民衆」であるのだと。「選んだ側が悪い」のですから、何をほざいても後の祭り。いつも繰り返しますが、ぼくも「一人の愚かな民衆」。愚かな民衆の一人ではなく、一人の愚かな民衆、です。「愚かさのかたまりの一部」ではなく、ぼく自身に「固有の愚かさ」を有しているということ。

 「てば官軍負ければ賊軍 = 戦いに勝ったほうが正義になり、負けたほうが不義となる。道理はどうあれ強い者が正義者となるというたとえ。勝てば官軍」(デジタル大辞泉) 「官軍」は、場面が変われば、ただちに「賊軍」になるという教えでもあります。やがて、その場面をぼくたちは観ることになりますね。この「うまい汁の吸いあい」合戦が、選挙であり、しばしの政治闘争だと思う。今は、いろいろなレベルにおいて、川中島合戦の時代(戦国末期・16世紀後半)なのかもしれぬ。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「徒然に日乗」(614~620)

◯2024/07/07(日)連日、最高気温を更新しているような異常事態。午前中から高温多湿で、うんざり、じっとりする。勇を振るって午後に買い物。猫たちのオヤツ。あまりにも暑いので、いささかバテ気味な猫たち。概して暑さ弱いと言うか、暑さが苦手、にも関わらず、室内では今のところ一切エアコンは使っていないから、あちこちで倒れ込んでいる。いつまで続くこの猛暑、猫になり代わって呪いたいね。▶どういうわけか、いま、経営者の悪質な従業員対応で話題になっている「イナバ」が好みと言う。厳密に言うなら、決して好ましい食材ではないと思うが、それを言うなら、人間だってご同様と、この際、よほどのことがない限り目をつぶっている。猫たちよ、ごめんね。▶庭の水撒き。昨日はお湿り程度だったから、本日は思い切り散水。一時間もかかったか。ていねいにやるなら、もっと時間を要するが、日差しは消えたとはいえ、高温多湿のままでの午後三時頃だから、狂いそうな暑さ。しかし、植物も水に飢えているはず。蚊に刺されながらの散水作業だった。また次回も。▶都知事選は有権者でもなかったので、ほとんど状況は知らないままで投票・開票日(八日)を迎えた。投票締め切り段階(午後八時)で「現職当確」だという。今回の選挙戦のおおよそを遠くから通覧していて、この国・社会の政治状況がいかなる程度であるかがあからさまになったと思う。今回の選挙で「連合」が現職候補支持に回ったその背後に、広島からの候補者の応援・支持があったと言う。立憲共産支持・推薦候補者の潰し(打倒)計ったというわけだ。実に気味の悪い選挙だったと思う。国会も奈落に、同時に地方議会も奈落にということがはっきりした。(620)

◯2024/07/06(土)昨日に続き猛暑と高湿度。午前中から、室内でも三十度近くに上昇。できるだけ、外出は避けたいが、必要があって午前中に買い物。ものの三十分程度で帰宅する。昨日よりは少しだが風があり、夕方からはやや涼しくなる。あるいは一雨あるかも知れないという冷え方だ。(午後五時現在、室内は気温30.1度、湿度は65%)と思っていた矢先に、案の定、雷雨がやってきた。お湿り程度。ささやかなお湿りとやけに静かな遠雷の出番だったが、それでも暑さは和らいだのだから、恵みの雷雨だったかも知れない。それにしても、梅雨は何処へ言ったのだろうか。▶八時過ぎだろうか、外猫に食事をやろうとガラス戸を明けて濡れ縁に出たところ、いきなり大きな動物が飛び出してきた。瞬間、「あっ、タヌキだ」と直観。時々、近所で事故に遭って道路上に倒れているのを見ることはあるが、我が家にやってきたの(を見るの)は初めて。それにしても猫よりも何倍か大きくて力がありそう。食事にあり付けそうだった外の猫は、びっくりしてすっ飛んでいき、未だ(夜半)に姿を見せない。相当に苦手としているに違いない。(619)

◯2024/07/05(金)昨日よりもさらに「猛暑」の勢い。湿度が異様に高く、座っているだけで汗ばんでくる。もちろん外出は控える。(かみさんは、こんな日に出かけていくと言う。投げかける言葉もないほどの「能天気」だというほかない)全国各地では「猛暑地」が続出。熱中症患者が何百人も出て、中には何人かが亡くなっている。この「超高温超多湿」はさらに続く、と気象庁。(618)

◯2024/07/04(木)お昼すぎに地震発生。震源は房総半島東方沖、震度4、マグニチュード5.4。しばらく途絶えていた房総半島北東部沖の群発地震の再開だろうか。何かと油断もならない日が続く。▶本日は今季一番の暑さだったかも知れない。自宅玄関前(コンクリート製の階段上に)に温度計を置いておくと、ものの五分もしないうちに、なんと五十度を軽く越えてしまうという恐ろしい熱波だ。静岡市では三十九度を超えたと言う。各地では「熱中症」で搬送されるものが続出している。▶お昼すぎに買い物。猛暑の中を駆け足で出かけるような有り様。流石に、客は少なかったよう。(617)

◯2024/07/03(水)終日自宅内に。昨日は「猛暑日」だったが、本日も高温かつ多湿で、体に堪える天気具合だった。少し庭作業をしようかと一瞬考えたが、後のことを考えて取り止めにした。体力の消耗が相当に進んでいるように感じられ、積極的に動く気力が少し萎えているようだ。血圧は、ほぼ一定してきたが、もう少し体力温存を図るほうがいいのかも知れない。それにしても「猛暑」の襲来が続く、とても厳しい夏季到来である。「梅雨」の中休みというのだろうか。経験したことのない「中休み」だ。(616)

◯2024/07/02(火)午前中に猫缶の買い出しで、土気まで。▶日差しがでて、しかも湿気が高く、快晴・快適とは行かない日だったが、久しぶりに何箇所かの「除草」作業、刈払い機を使ってやった。本来なら、鎌を片手に根っこから取り除くのだが、炎天下に腰をかがめるのは、今の状態ではとてもきつい。膝が痛くなるのは必死。「足腰の衰え」というが、その通りの老化現象が進行しているのだろうか。▶夜九時過ぎだったか、京都のYさんから電話。「きっと、…」と直感したのだが、案の定「かみさんが家を出た」という。東京の娘のところへ。これで何度目か、その都度、あれこれとあらぬことを妄想するのが彼の「衰弱の基」、こんな調子(具合)で何年暮らしているのだろうと、同情はしない。人間の気概というか意欲の減退が、一人の人間をどんなふうに壊していくのかが、わかろうというもの。生きる意欲がないというのだが、以前は、それがあったという錯覚に彼は落ち込んでいる。世間からチヤホヤされていた分、その「チヤホヤ」が皆無になった途端につかえ棒(支え、つまりは「評価」や「評判」)が失われたのだと思う。つかえ棒など、物の役にも立たない代物だと思うが、そうでない人もいるのだという話。久方ぶりの長電話だった。(615)

◯2024/07/01(月)終日雨模様。夕方まで雨が続いた。猫たちもうんざり、というか、ぐったりというか。家の中でゴロゴロしている。たくさんいると、相性の合う合わない関係ができて、すべてが仲良くとは行かない。中には、虐められそうになるので、すっかり嫌気がさして食事だけを摂りに来る子もいる。数日間、帰らないのもいる。まるで人間の家族・集団そのものですな。▶雨の合間に庭に出る。驚くほどに草類が育ち、いかにも伸び伸びしている。「胸のすく思いだ」というのだろう。まだ体力に自信はないので、もうしばらくは好き放題に伸びるに任せておこうか。▶各地で「集中豪雨」の被害が出ている。今夏の「梅雨」は「晴れれば猛暑、降れば豪雨」と称されるように、いつ何時、当地を「線状降水帯」が襲うかもしれない。いささかも油断できないのだ。(614)

__________________________________________

ごしきのたんざく わたしがかいた

◉ 週のはじめに愚考する (第弐拾六)~ 毎日、のんべんだらりと意味のない「駄文」を打ち連ねています。もちろん、それはなにか一家言あっての主張でもなければ、ある問題に関する筋道の通った批判や評論というものでもありません。一読瞭然、ですね。文字通り、「駄文」「雑文」の域を一歩も出ないものですから、ひと(他人)さまにお見せするなどというのは厚顔・無恥もいいところ。いい加減にせよと、いつも方々から叱責されているような気がします。何処まで行っても、年々歳々、衰えゆくわが精神の、衰えるさまを、自らにさらけ出して、以て、いささかの自己点検(診断)としてみたいと、はかなくも願うだけのこと。

 かれこれ四年以上も、毎日のように書きなぐっていると、それなりの発見というか恥さらしの自覚と言うか、そういうものがあからさまにはなります。山中暦日なし、とは中華名僧に擬せられる「世捨て人(太上隠者)」の至言だった思われますが、いまや山中にも暦どころか、ネット配信もあれば、テレビ放送も届いて、まるで、情報の海に溺れかかっている「一介の老書生」風情です。それにしても、来る日も来る日も、嫌な事件や唾棄すべき話題ばかりが洪水のように押し寄せてきます。もちろん、ぼくはそれに一々応接するほどの世間好きではないつもりですけれど、それでも狭い回路を押し破っては「政治」「経済」「戦争」「殺戮」と、それこそ悪事・悪行のマーケットからのような寒々しいニュースばかりが、辺鄙な地にある、わが陋屋に届くには、いささか閉口もし、できるならば、精神の居留守を使いたい気がしきりにする。いずれは「心身の不在」が明らかになるでしょう。

 ( 「唐詩選‐太上隠者作、答人詩」の「偶来松樹下、高枕石頭眠、山中無暦日、寒尽不年」から ) 世間から隔たって山中にのんびりと暮らしていると、歳月のたつのを忘れる。〔譬喩尽(たとえずくし)(1786)〕)(精選版日本国語大辞典)

 それにしても、人間のすること為すこと、ことごとく破天荒であり、傍若無人であり、加えて「放縦恣横(おうじゅうしほう)」とくる。そのぼく自身が、否も応もなく、同じ「ヒト科」の末裔かと思うと、舌を噛んで「自裁」したいと思うばかりです。本日も、実は「旧優生保護法」の違憲判決について卑見を小声で話そうかと思いはしたのです。しかし、そのあまりにも「卑劣」な、半世紀にも及ぶ国家犯罪(「優生」を保護し、「劣生」を阻止するための法)に向けてくだされた意見判断に、国家枢要の地位にあるものの発言がほとんど無責任を隠さないほどにお粗末極まりないことに、ぼくは発狂しかかってしまったので、ここは「間をおいて」、「血圧を下げ」、「呼吸を整え」狂乱状況を鎮めるために、折しもの「七夕」に逃げ込もうという魂胆に相なりました。

 今日も硬軟二本の「コラム」を挙げておきます。「卓上四季」には太田洋子さん(1903~1963)が引かれていました。詳細は省きますが、広島出身で、後年東京に出て小説家に。昭和初期には「女人芸術」同人。女性たちの手による、この文芸誌をぼくは知人(文学研究者)から長年にわたり教えてもらった、思い出の雑誌。なんと、その当時は存命中の作家ともご交情を願っていました。太田さんは、戦時、疎開先の広島(妹宅)で被爆された。太田さんのような「七夕」伝説を生きていた人がいたことを忘れたくない。

 「五色の短冊 私が書いた」と、ぼくも何度か、幼いなりに、田舎の竹藪から青竹を切り出し、それに色とりどりの「短冊」に、思い思いの「願いごと」を書いた、その記憶が微かに残って(消えかけて)います。その願いは何処に行ったのか。まだぼくの胸中・脳内(記憶)に残っているのでしょうか。

 「いばらき春秋」。コラム氏は「五色」の、それぞれの意味を書かれている。それを知って、どれだけの人たちが短冊を書いてきたのでしょうか。「(一)ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎんすなご (二)ごしきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる」

 さらに駄文を書き連ねたい気もしますが、久しぶりに童心に帰ってきましたので、本日はここまでに。(*「たなばたさま」作詞:林柳波 作曲:下總皖一)=https://www.youtube.com/watch?v=KvEdBm8P1cQ&ab_channel=

【卓上四季】七夕の願いごと 1年前のきょう。この欄で<五色の短冊が風に揺れる>と書き出し、七夕を取り上げた。数日後、読者の方からご指摘を受けた。「道内では8月7日に祝うところも多いはずです」▼確かにその通りだった。函館など道南は7月7日が主だが、ひと月遅れの七夕は少なくない。仙台をはじめ東北地方の七夕もそう。ルーツとなる土地のならわしを伝えるのかもしれない。どちらの日付でも、星に願いを込めるのは同じだが▼七夕の願いごとといえば、強烈な印象を残す短編小説がある。広島で被爆した作家の大田洋子が70年前に発表した「残醜点々(ざんしゅうてんてん)」。描かれるのは原爆投下から6年後の広島だ。梅雨どきに帰郷した<私>は親きょうだいや知人たちと再会する▼焦土から復興しつつあるとはいえ、人々も街も深い傷痕を残し、惨状の記憶は鮮明なまま。原爆症を発症する恐怖におびえる日々が続く。<私>は悪夢のような体験を思い出し、死の誘惑に抵抗する▼やがて七夕の夜がきた。身を寄せた妹の家でお祝いをする。「七夕ゆうたら、なに」と聞くめいに織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)の伝説を教えた▼近所の家々に七夕飾りが掲げられている。短冊や宝船、星々…。<私>は幼い字の願いごとを見つける。「お父さん」「お母さん」。両親を亡くした子だろうか。作家が書きとどめた広島の悲しみであった。(北海道新聞・2024/07/07)
【いばらき春秋】5色の短冊はそれぞれ意味があるという。「緑・青」は健康や人間的な成長。「赤」は先祖や親への感謝。「黄」はお金や人間関係。「白」は頑張りたいこと。「黒(紫)」は学業の向上-といった趣旨だ▼きょうは七夕の日。七夕飾りのカラフルな短冊の色にそれぞれ意味があったとは、寡聞にして知らなかった。願い事を書いた短冊を笹竹に結び付けた七夕飾りは、日本独自の風習として江戸時代ごろに一般に広まったという▼天の川で隔てられた織女(しょくじょ)星(織姫)と牽牛(けんぎゅう)星(彦星)が1年に1度巡り合う七夕伝説は奈良時代に中国から伝わったとされる▼元は裁縫や機織りの上達を願う日だったとされ、日本では宮中の行事から芸事を願う日として広まった。現在は芸事に限らず、さまざまな願い事をする日として定着している▼また、五節句の一つ「七夕(しちせき)の節句」でもある。節句は季節の変わり目・節目であり、五穀豊穣(ほうじょう)、無病息災、子孫繁栄などを願う。3月3日の「上巳(じょうし)(桃)の節句」、5月5日の「端午(たんご)の節句」はよく知られている。上巳は上旬の巳の日▼何か一つ願い事をと言われると、最後には世界の平和や家族の健康に落ち着くのが常である。さて、皆さんは何色の短冊を選ぶのだろう。(斎)(茨城新聞・2024/07/07)

●七夕伝説【たなばたでんせつ】=〈七夕〉の伝説は,〈乞巧奠(きっこうでん)〉の習俗と共に中国より伝来した。中国では,織女を西王母と関連づけるなど宇宙創世的な要素が認められる。日本では《懐風藻》から見られ,《万葉集》には巻10を中心に約130首を収める。そこではもっぱら牽牛の織女への恋の逢瀬を題材とした。その後も,歴代の勅撰集に詠まれるだけでなく,藤原為理(ためのり)〔?-1316〕に《七夕七十首》の詠があり,1330年には後醍醐天皇の侍臣により内裏で〈七夕御会〉が開かれ,また1477年には後土御門天皇によって〈七夕歌合〉が行われてそれぞれの詠が残されているなど,秋の歌題として定着した。御伽草子にも《天稚彦物語》《あめわかみこ》の作があり,その影響は広範囲に及んでいる。(百科事典マイペディア)

___________________________

老いも若きも、日々憂いに沈み

 「誰一人として取り残されない(no one will be left behind)」、そんな常套語(Cliche)を口にしない政治家・官僚はいない。その心は、取り残されるのは「一人」であって、正確には「誰も、たった一人では取り残されない」ということ。わかりやすく言い直せば、たくさんの「取り残し」が出てくるのだから「安心」してくれというようです。今の時代、取り残されるのは止むを得ないと心底思っているからです。「皆さん」とか「国民の誰も」と口走る人間(政治家)はごまんといるが、その「皆さん」や「国民」にははっきりとした線引がされていることを知らない人はいない。そこに轢かれる一線は「自己責任」と「自業自得」ではないでしょうか。

 もう何十年も前から「少子高齢化」が叫ばれ続けてきました。その割には、かかる困難な課題に対応する政治や行政が、それとして明白に見られなかったのは、別段驚くに値はしませんでしたが、いずれ幾多の「困難」が多くの人々に突きつけられるだろうとははっきりと想定されていた。現に存在していらしい「政治」「行政」は、そんな難題に立ち向かう興味も能力も持ち合わせてはいない。大小さまざまな「利権」に集(たか)ろうとするのが政治と心得(違いをして)いるのですよ。

(参考「誰一人取り残さない社会に向けて」https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/202104_00001.html「誰一人取り残されないための取組」https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/digitaldenen/about/effort.htmlなど)

 今日になってもなお、早くから課題視されていた「少子高齢化」社会に即した「見取り図」が描かれていないのは、端的に言えば政治の無思慮(無関心)であり、無計画(無節操)だというほかありません。社会福祉の立て直しや老人医療問題への対応が迫りくる津波のように襲っているさなかに、なおも無定見な刹那主義に溺れている政治や行政を見せつけられると、泣くに泣けない、いかにも淋しい気分に覆われてしまうのです。

 本日も二つのコラムを出しました。「子ども」と「老人」の「孤独と貧困」に触れたコラム。この国が、何十年もかけて「貧困(困窮)家庭」を生み出し、「孤立する老齢者」問題を放置してきたとの思いが、ぼくには強烈にある。今、人並みに老人になってみて、つくづく感じていることがいくつもあるが、何よりも「孤立」を託(かこ)ち、「孤独」を嘆く数多くの人々(老若男女を含めて)の痛切に感じ取っている「存在の寄る辺なさ」、です。いかなる境遇にあろうとも、だれもが「不安」や「寄る辺なさ」を否定できないのは、もちろん「人間の感受性」が働くからでしょう。でもそれ以上に、眼前の当たり前の課題が解消されれば、少なくとも抱かなくてもいい「不安」「悔恨」というものもあるわけで、その不安や悔恨の解消にこそ、働き場・仕事の責任を見出すのが政治・行政だと指摘すると、われながら「馬鹿を言うな」という気恥ずかしさが湧いて来るのですから、始末に悪い。

 久しぶりに故長田弘(1939~2015)さんの詩に再会しています。彼の作品は若い頃から本当に、我ながらよく読んできたと思う。いくつもの感想は持ちますが、今、引用されている「原っぱ」を鑑賞すると、いかにも長田流の「ユートピア」が描かれているなあと、一種の懐かしさが湧いてきます。「原っぱ」を失った「キミ」が遊ぶ場所も方法も、それ以前とは遥かに異質な空間や場所に追い込まれて、いったい「キミ」には何が残されていたのか。「誰のものでもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもないものがあった。きみの自由が」と言われて、「ボク」は返す言葉も持たないのです。それは別に長田さんのせいではないけれど、「原っぱは、いまはもうなくなってしまった」と長田さんは書くが、じつは、もうとっくに、長田さんが書くよりもずっと前に「原っぱ」は奪われていたのだ。第一は学校教育によって「原っぱで遊ぶ時間」を奪われ、次いで「現実の空間」としての原っぱ(土地)は売買の対象(商品)として、他の用途に変えられてしまったのです。

 その結果、どういうことが子どもたちに生じたか。原っぱがなくなったから、子どもの世界に異変が生じたのだとは言えないけれど、その影響は確かに子どもの生活に及んでいる。「困窮世帯の6割が夏休みの廃止や短縮を望んでいた」「いつもお金の心配ばかり。子どもは幸せなのか」これはどういうことか。貧困になったのは「誰のせいでもない、親たちの責任だ」と口に出しては言わないが、政治の不作為はそう言っているに等しい。ぼくごとき貧窮老人のところにも、何箇所もの貧困家庭支援団体から「子どもへの援助・寄付」の依頼が絶えず寄せられています。ここでもぼくは何も出来ず、せいぜいが「貧者の一灯」というものの、明かりが点灯しないに等しい「微力」でしか奉仕出来ないことを心苦しく感じる。今、政治や行政がやるべきは「原っぱ」を再生・復興させることでしょうか。それとも、…。疑問が膨らみ、絶望が沸き起こるばかりです。

<新生面>夏休みの悲しみ 長田弘さんの詩『原っぱ』を読むと、懐かしい風景が浮かぶ。遊具もベンチも木陰もなく、へりはぼうぼうの草むら。子どもの頃に遊んだ空き地も、そんな原っぱだった▼詩の中の〈きみ〉はそこで初めてトカゲを見た。カミキリムシを捕まえ、自転車の乗り方や野球、悔し泣きを覚えた。春に一斉に飛ぶタンポポを、夏にアンタレスという名の星を見て、冬の風で大凧[おおだこ]を揚げた。日々の暮らしの余白のような場所で〈きみ〉は自分を取り巻く世界の仕組みを理解していった▼もうすぐやって来る夏休み、忙しい現代の子どもたちも、思い思いに余白の時間を過ごすのだろう。家族で旅行やキャンプに出かける子もいるかもしれない。「楽しい予定は何もない」という子もいるかもしれない▼民間団体の調査によれば、小中学生がいる困窮世帯の6割が夏休みの廃止や短縮を望んでいた。子どもが家にいると食費や光熱費がかかるから。特別な体験をさせる経済的な余裕がないから-。「いつもお金の心配ばかり。子どもは幸せなのか」と声を寄せた親もいた▼給食がない間、十分な食事が取れずに痩せてしまう子どももいるという。「体験格差」も広がっており、団体は「格差を埋めるために、夏休みの体験活動への支援を」と訴えている▼今はもうない原っぱには〈ほかのどこにもないものがあった。きみの自由が〉。詩はそう結ばれる。より多くの子どもたちが、自由で忘れられない夏休みを過ごせるといい。そのためには、社会の支えが欠かせない。(熊本日日新聞・2024/07/06)

原っぱ

原っぱには、何もなかった。ブランコも、遊動円木も
なかった。ベンチもなかった。一本の木もなかったから、
木蔭もなかった。激しい雨が降ると、そこにもここにも、
おおきな水溜まりができた。原っぱのへりは、いつもぼ
うぼうの草むらだった。
きみがはじめてトカゲをみたのは、原っぱの草むらだ。
はじめてカミキリムシをつかまえたのも、きみは原っぱ
で、自転車に乗ることをおぼえた。野球をおぼえた。は
じめて口惜し泣きした。春に、タンポポがいっせいに空
飛ぶのをみたのも、夏に、はじめてアンタレスという名
の星をおぼえたのも、原っぱだ。冬の風にはじめて大凧
を揚げたのも、原っぱは、いまはもうなくなってしまっ
た。

原っぱには、何もなかったのだ。けれども、誰のもの
でもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもない
ものがあった。きみの自由が。

【滴一滴】高齢社会白書 ほほ笑ましい光景が思い浮かぶような川柳だ。〈褒められてまた一つ減る鉢の数〉栄和子。山陽柳壇の第一席に2年前、選ばれていた▼丹精して育てた草花でも、友人に「きれい」と言われると、うれしくなって、ついプレゼントしてしまう。それも日頃の親交があってのことだろう。作者は当時77歳とあった▼そうしたチャンスも新型コロナウイルス禍で少なくなってしまったのか。親しくしている友人・仲間が「たくさんいる」と答えた高齢者は、2018年度の24・7%から23年度は7・8%へ大きく減った。政府が先に閣議決定した24年版「高齢社会白書」にある▼人と話をする頻度については「毎日」との回答が90・2%から72・5%に下がった。「望まない孤独・孤立に陥らないようにするための対策の推進が必要」と白書は指摘している▼7年前の山陽柳壇にあった、こんな第一席も手元に書き留めている。〈財産へ友だちの数いれておく〉塩谷多恵子。「三十数年の会社勤め。苦楽をともにした同僚たちとの交流は今も続いている」。68歳の作者の談話に感じ入った。鉢植えのように友人関係の丹精を怠らない誠実さ故だろう▼1人暮らしの高齢者の増加がさらに見込まれる中で、そんな財産をどう取り戻していくか。一人一人だけではなくて、コロナ禍を経た社会の宿題とせねば。(山陽新聞・2024/07/05)

 「高齢者」問題も、先の貧困家庭やその子どもたちの抱える問題に重なります。今から二十年も前でしょうか、「さあ 人生百年時代」と仰々しく、かつ、まるで花香る園に生きるかのようなキャッチコピーが溢れ出しました。細かいことは言いませんが、現実はそれとは反対で、長生きは、まるで「罪悪」だと言わぬばかりの仕打ちを受けているのが老人世代ではないでしょうか。年寄りがすべて困窮しているとはいえません。しかし、おしなべて「わずかばかりの年金生活」をと、哀れみを込めて、これでもかと、これみよがしに報道されてみると、いったい「困窮老人の生活苦」は誰のせいなのかと言われているように思われます。「自己責任」「自業自得」と、これも政治は表立っては言わないが、現実はそう言っているのに違いないのです。物価高騰と不景気(円安に伴う)という、これからさらに亢進する「スタグフレーション(stagflation)」に流されて、まるで溺死する他ないような「高齢者」の行進が続きます。

 今から二十年以上も前になりますか。久しぶりに帰郷して、おふくろと雑談していたおり、「うちは、ちょっと長く生きしすぎたわ」と呟(つぶや)くように母は語った。内心ではどきりとしたが、平静を装った。以来、事あるごとに彼女の呟きが思い出されます。当時、彼女は九十に近かったと思う。やがて、病を得て医療施設病院に入り、そこで亡くなった。百歳(数日前)でした。個人差もあるでしょうが、「長生き」というのはどのような感覚か。誰もが、それぞれの人生を日々新たに生きています。おふくろの心境にはまだ遠い気もしますが、ときに感じる「虚しさ」というものがその核心になるのだろうかとも思ったりする。百歳(というのは象徴で、実はそれぞれの感覚で覚える「長生き」を指すのでしょう)、それは誰にとっても幸福ではありえない生活を送るのだという思いが、漠然とぼくにはある。「命長ければ恥多し」、これは嘘じゃないですよ。

 ごくまれな、健康かつ幸福な長生きは横において、多かれ少なから、ほとんどの「長生き組」は病気と不安と頼りなさに苛(さいな)まれているに違いありません。その内容は千差万別で、一概には言えないが、孤立や孤独を恐れる人、あるいは健康に不安を抱く人、掴みようのない不安や恐怖のようなものを感じつつ、そんな「百歳時代」なのでしょう。そもそも「百歳時代」とは誰の時代かという疑問があるし、仮に自分がが百歳を生きるとして、それにはどんな値打ちがあるのだろうかという、疑心がぼくにあることを隠しません。もちろん、政治や行政には手の届かない問題であることは先刻承知していながら、その政治行政の出番がもう少しきめ細かく準備されているなら、かくまで不安や恐怖、あるいは侘しさを感じないでもいられるのではないかと考えると、やはり、それなりの「政治」「行政」を怠らないでほしいと願わざるを得ません。

「親しくしている友人・仲間が「たくさんいる」と答えた高齢者は、2018年度の24・7%から23年度は7・8%へ大きく減った。政府が先に閣議決定した24年版「高齢社会白書」にある▼人と話をする頻度については「毎日」との回答が90・2%から72・5%に下がった。「望まない孤独・孤立に陥らないようにするための対策の推進が必要」と白書は指摘している」(「滴一滴」)

 「人生百年時代」というスローガンは何のため、誰のためのものだろうか。そこから聞こえてくるものはほとんど虚しい叫びのようでしかないのは、どうしたことか。「百年時代」の先導者のような活動をしていた人で、百年を超えて活躍している人は見たことも聞いたこともないのが実態でしょう。もしそうであるなら、「百年」などという空虚なことを言う前に、現実に生きている、それぞれの「高齢」を少しでも充実させられるような施策をこそ願いたい。そのための政治や行政をまず、ですな。その先に、個々の高齢者の人生がなんとかしてでも、自分なりに歩けるようにしていく、そのための施策の創意こそが、何よりの政治課題ではないですか。

 左上の画面でも「誰ひとりとり残さない社会」実現へとAI首相は騙(かた)っている。騙るとは「もっともらしく、巧みに話しかける」が、内容は空無。電源を管理しているのは誰だろうか。

________________________