砂粒の間をつなぐものが一つもない

「日本の社会」像の半世紀後の変貌 今朝の三時台の「ラジオ深夜便」(NHKラジオ)で、題名に「東京」が付されている曲が何曲かかかっていました。今朝も三時起きしたのは、猫に煽られて。その一曲に「東京砂漠」という曲がありました。1976年5月に発表。クールファイブというグループが歌った(ソロは前川清さん)。ぼくは熱唱とか絶唱・絶叫は好きではないので、この歌を聴くのも好きではありませんでした。猫に食餌を出しながら、それとなしに聞いていた。(東京砂漠・作詞:吉田旺/作曲:内山田洋/編曲:森岡賢一郎)その前(71年だったか)にはいしだあゆみさんの「砂漠のような東京で」という曲があった。「砂漠」は一つの暗喩・隠喩(メタファ)でしょうか。まるで味気ないことを「砂を噛む」という。「あじわいやおもしろみが、まったくないたとえ」(デジタル大辞泉)人とのつながりも人の気持も徐々に砂に塗(まみ)れて、ついには「肩を寄せ合えるあなた」がいなくなると、文字通りの砂を噛む生活に苦しむのでしょうか。情緒などというと、笑われるかも知れないけれど、そんな人同士の「間」のない付き合いは、付き合いとは言わないのでしょう。

 ぼくが上京したのが1963年3月。まだ東京は「砂漠」ではなかったが、薄汚れた泥と砂の街だった。直近に迫っていた「東京五輪(1964・10)」のために「表面化粧」に躍起になっていた時代。銀座にも新宿にも渋谷にも出かけたが、まったくなじまず、急いで帰宅するのが常だった。泥と砂の街の殺風景を消してくれたのが、当時ようやく聴き始めたクラッシクだった。案内人になったのが吉田秀和さん。彼にはたくさんのことを教えられた。グレン・グールドが天才であることをいち早く断言したのが吉田さんだった。彼の書く評論、ラジオ番組の語りも、機会を逃さずき読み、聴くようになっていた。同時に、音楽雑誌も背伸びをしながら読もうとしていた。「レコード芸術」「音楽芸術」などで、吉田さんの書かれるものを眼にしては、ぼくとしては熱心に読んだと思う。以下に引用した「音楽芸術」(82年11号)はよく覚えているし、一冊の本になった「物には決まったよさはなく」も、すぐに手に入れてむさぼり読んだことが懐かしい。

 音楽評論では大きな仕事をされてきた吉田さんのエッセイからも、当時の人々のつながりの軟(やわ)さ、危なさが感じとれます。いわば、それはめずらしい日本人論であり、日本社会論でもあった。彼は今日の日本人の薄情さ、あるいは何事にも無関心をもって遣り過す精神(心もち)のありようを嘆いていたのでしょうか。(評論などの分野だけではなく、吉田さんは、この国の西洋音楽普及とその進展に、計り知れない貢献をされたと思っている)

 「こんなに、お互いがよく似ていて、しかもこんなにお互い同士が、離れ離れの国もないのではないか。とすると、この国ではみんな、何を信頼し、どういう内面のつながりをたよりに、一つの社会をなして、平然と、平穏にその日その日を生きているのだろうか?」

 はたして、この社会に生きている大多数の人びとは個人主義という意匠をもっているのでしょうか。そうではなさそうです。個人主義をどのようなものと解するか、そこから面倒な議論になりそうですが、問題はそこにはない。

 「こんな話をしたら、日本人は、世の中が平穏だから、エゴイストの塊のように思えるかも知れないが、これでいざ国難来るとなったら、つまり日本の安泰が危機に立つとなったら、『一致団結、みんなのために戦いますよ』と元気よく受けあってくれた人がいた。そうなるというのも、また、それで私の心配のもとなのである」(『音楽芸術』82年11号)

 「私は、この国の人たちは、急速に、一人一人が離れ離れ、何を軸としているのかも知らないが、人とのつながりにおいては、心が虚ろなまま、生きているような気がしてならない」という、吉田さんの指摘には、その中のひとりでもあるという意識を持ちつつ、頷いてしまいます。しっかりと個人主義に立脚しているのならまだしも、そうじゃなさそうだから、吉田さんは困惑しているのです。

 まるで現地・現場に住み続けながらの「浦島太郎」のように、ぼくは実感している。上京して60年。その間、東京や都会が好きになったことは一度もない。「あなたがいれば辛くはないさ」という気分にはなれないのです。「あなたがいれば歩いていける」、それは無理というもの。ぼくは京都の「濃密(狭隘)な人間関係」に嫌気が差して、十八の時にそこを飛び出した人間ですが、東京にもぼくの休まる土地はなかったというべきでしょう。つまりは、東京ばかりが砂漠なのではなく、多くの都市が「東京のような砂漠」になったのではなかったでしょうか。「殺伐(さつばつ)」という言葉を見るだけで聞くだけで、怖気が襲ってくるように思う。「克伐怨欲(こつばつえんよく)」という四つの「悪徳」が、多くの都会の住人に巣食っているのはどうしてだろうか。「勝ち気、自慢、恨み、貪欲」の一つでも持ち合わせない人は幸いなるかな。

 私は、日本の社会をなしているものが、まるで、膨大な砂の集団であるかのような錯覚をもつ。外からみると、それは大きく、重く積み重なって、いかにも手ごたえがありそうだ。それに、その巨大な塊(かたまり)は、どこをとっても同じものから出来ており、地質性、均等性において、問題ない集塊であるようにみえる。日本は、輿論としては、比較的よくまとまっており、― もっともその時々の情緒に強く引きずられ動くのは事実だが ― たとえば平和憲法には大多数賛成し、それでもせめて専守防衛の軍隊が必要ではないかという話が出れば、それを支持する人が過半数になる。少数の反体制派がいないわけではないが、一般には治安は世界でもまれにみるほど良好で、「大都市で夜、女が危険を感ぜず歩けるところなど、日本のほかは少なくなった」と人々はいうではないか。こんなに平穏無事によく治まっている文明国はない、というのは事実だろう。
 だが、そのよくまとまった、平穏な社会の一人一人の成員をみていると、まるで、砂の塊を手ですくいあげた時のように、ぽろぽろと指の間からこぼれていってしまって、何も残らない。砂の粒一つ一つの間をつなぐものが一つもないからである。(吉田秀和『物には決まったよさはなく・・・』読売新聞社刊。1999年)

 このような、吉田さんの指摘からすでに四半世紀が経過しましたが、事態はさらに急速に悪化の坂道を転げ落ちているようです。こんな社会にだれがした。もちろん、学校教育のせいだというのは簡単だけれど、はたしてそういって済ませられるかどうか。少なくとも、他者に対してそれなりの礼儀をもって関心を示すという態度はまったくといっていいほど、希薄になってしまいました。赤の他人はいうまでもなく、ついには親子、兄弟姉妹に対してまで、実に薄情になったものです、もちろんぼくを含めての現実をぼくは拱手傍観するばかりです。「人を人と思わない」という、悪魔のトリルが、いつでも奏でられているのが、かつての砂漠だった東京、「人工の街」なのでしょう。

●吉田秀和【よしだひでかず(1913~2012)】批評家。日本の音楽評論を批評の域に高める優れた批評的エッセイを残した。東京日本橋生まれ。外科医の父が小樽の病院長に就任したため,少年期を小樽で過ごす。小樽市中学で伊藤整に英語を習う。旧制成城高等学校をへて1936年東京帝国大学文学部フランス文学科卒業。成城高校時代に,中原中也からフランス語の個人教授を受けた。小林秀雄,大岡昇平らとも交遊関係があった。1946年,《音楽芸術》に《モーツアルト》を連載,本格的な批評を始める。1948年,斎藤秀雄らと〈子供のための音楽教室〉を開設,初代室長となる。〈子供のための音楽教室〉は後の桐朋学園音楽部となり,小澤征爾ら多くの優れた音楽家を輩出した。1957年,柴田南雄らと20世紀音楽研究所を設立,所長となる。1988年水戸芸術館館長に就任,1990年,すぐれた芸術評論に贈られる〈吉田秀和賞〉(吉田秀和芸術振興基金主催)を創設した。その間,音楽のみならず,和洋の文学,美術についての該博(がいはく)な知見を踏まえて,芸術全般にわたって精力的に批評活動を続けた。独,仏,英語に通じ,翻訳も数多い。《吉田秀和全集》第1期,第2期(全24巻,1975年―2004年,白水社)が刊行されている。文化功労者(1996年),文化勲章受章(2006年)。(百科事典マイペディア)

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国家以上の高い自律した力と認め…

 (まえがき 銃撃事件が起こったからではなく、デモクラシー(民主主義)の行く末をどこまで射程に収められるかを確認するために、ぼくはソローを持ち出すのが、今はふさわしいと考えた。ブログの中では、これと同様の引用はすでに、再三にわたってなされています。敢えてそれをする理由は、ただただ、デモクラシーの可能性を再考してみたいからでした。国家と個人の関係、ですね)(ヘッダー写真「米共和党は15日、ウィスコンシン州ミルウォーキーで開催した党大会で、2024年大統領選に向け、トランプ前大統領を同党の大統領候補として正式に指名した」)(2024年 ロイター/Cheney Orr)

 「民主主義」への希求 私のような者が進んで従うつもりの政府の権威―というのも自分より知識と実行力がある人に、また多くの点でそれほど知識や実行力のない人にも、私は喜んで従うつもりなのです―そういう権威であっても、やはりまだまだ未熟なものです。政府の権威が厳密に正当であるためには治められる者の承認と同意が必要です。政府の権威は、私の身体と財産に対して、私が認めたもの以外は、なんら理論的な権利をもつことはできません。専制君主制から立憲君主制へ、立憲君主制から民主制への進展は、ほんとうに個人を尊重する過程です。私たちが現在知っているような民主制が、政府において可能な最後の到達点なのでしょうか。人間のさまざまな権利を認め、それを有機的につなげるさらなる前進は可能ではないのでしょうか。(ヘンリー・デヴィッド・ソロー『一市民の反抗―良心の声に従う自由と権利―』山口晃訳、文遊社刊。2005年)

 純正かつ素朴な民主主義者だったといえるでしょう。アメリカがメキシコの領土の半分を奪った戦争に反対し、人頭税(各個人に対して同額を課する租税)を支払わなかったので、収監された。師のエマーソンが面会に来て「こんなところ(監獄)に入れられて、君は恥ずかしくないのか」と詰(なじ)ったら、「あなたこそ、そんなところ(娑婆)いて、恥ずかしくないのですか」と応じた。(だれかが税金を支払ったのでやむなく出獄した)

 どのような民主主義(国家)を願ったか 国家が個人を国家よりも高い自律した力として認め、国家自体の力と権威はその個人の力から生まれると考え、そして個人をそれにふさわしいかたちで扱うようになるまでは、ほんとうに自由で開かれた国家は決して実現しないでしょう。すべての人にとって公正であり、個人を隣人として尊重して扱う、そうした余裕をもった国家が最後にはできることを、私はひとり想像しています。そのような国家は、もしも国家から離れて暮らし、国家に口をはさまず、国家によって取り囲まれず、それでいて隣人、同胞としての義務はすべて果たす少数の人たちがいても、その安寧が乱されるとは考えないでしょう。国家がそのような果実を結び、熟して自然と落下するような経過をたどれば、さらに完全で栄光ある国家への道が開かれるであろうとまた想像することもありますが、そのような国家はまだどこにもありません。(同上)

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ソロー(Henry David Thoreau)生没年:1817- 62=アメリカの思想家。マサチューセッツ州コンコードに生まれ,エマソンの強い影響を受けた。1837年にハーバード大学を卒業後,故郷で教職につくが,当時教育手段として普通に行われていた笞刑に反対してまもなく辞職。40年代にはいってトランセンデンタリストたちの機関誌《ダイアル》などにエッセーを発表し始める。45年夏ウォールデン池のほとりに自分で小屋を建て,以後2年2ヵ月に及ぶひとりぐらしを始める。その動機をソロー自身が主著《ウォールデン》(1854)の中で,〈慎重に生き生活の本質的な事実だけに直面したかったから〉と説明している。彼には世間が生活だと信じているものを生活とは思えず,むしろ高貴なはずの精神が卑しめられている現状が耐えられなかった。森の中で一人〈深遠に生き,生活の髄をすべてしゃぶりつくしてスパルタ人のようにたくましく生き,生活でないものは追い散らし……生活を片隅に追いこんで,ぎりぎりの条件にまで単純化したかった〉。ソローもエマソンと同じように精神の主権を何よりも重んじたが,それを単なる観念に終わらせず,生活の原理として実際に生きてみようとした。この発想にソローの独自性の根源があり,おかげでトランセンデンタリズムそのものを超えて新しい地平に踏みこむことができた。(⤵️)

 (左上写真「閑散とした事件後の集会場=ペンシルベニア州バトラー / Evan Vucci/AP via CNN Newsource」CNN・2024/07/15)(右下写真「銃撃で死亡したコリー・コンペラトーレさん / from Facebook」)


(⤴️)〈生活の本質的な事実〉だけを生き,それ以外の〈余剰〉はすべて拒むというソローの厳しさは,むろん自分自身の精神にも例外を認めない。たとえ精神でも,その環境になじむと〈知らず知らずのうちに一定の道すじにはまりこみ〉,気楽さと引換えに主権を譲り渡してしまうのである。そこでソローは,ぜひとも世界の中で〈完全に迷子〉になれと言う。踏み慣れた軌道を捨てて,たえず異質な風景をめざせと言う。いっさいの既知から身軽になって,未知の領域にはいりこむことを彼は〈散歩〉と呼ぶが,いつしか住み慣れた森を出たのも,まさにこの〈散歩者〉の精神からである。こういうソローの精神のありかたは,ついに彼を,観念とは無縁なところで悠然と息づいている〈広大で巨大で非人間的な自然〉の前に連れ出すことになる。遺作《メーンの森》(1864)と《ケープ・コッド》(1865)は,晩年のソローの到達点を示す重要な作品である。
 いっぽう彼は社会的関心も強烈だった。《ジョン・ブラウン隊長のための弁護》(1859)は,この急進的な奴隷解放論者を熱烈にほめたたえた講演である。またメキシコ戦争に荷担することを拒んで人頭税の支払いに応ぜず,1846年夏に投獄されるが,このときの経験をきっかけに書き上げた論文《市民の抵抗Civil Disobedience》(1849)は,いわゆる不服従運動の古典として,ガンディーやキング牧師の思想形成に影響を与え,いまもなお読みつがれている。ソローの基本的な姿勢は個人の精神が政府の権力に優先するというものだが,これが自然に対する彼の姿勢と通底していることを見のがしてはならない。(改訂新版世界大百科事典)

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戦争が廊下の奥に立ってゐた

 表題句は渡辺白泉。1939年の作。当時、国は日中戦争の無謀を始めていたが、内地住民の多くには他人事だっただろう。この稀代な俳人は「戦争の正体」を睨(ね)めつけていた。二年後、日本は対米戦争に突進する。その四年後、敗戦。この国は「戦争放棄」を宣言し、武装解除を、いわば相手国から強いられた(1946年)。その相手国から「軍隊」に擬した「警察予備隊」(国内騒乱に対する防備)創設を指嗾されたのは1950年8月。さらに、対日講和条約締結後の52年8月に「保安隊」を創設。翌年9月に保安隊は「自衛隊」と名称を改め、今日に至っている。白泉氏の「戦争の正体」発見・凝視の句から八十五年、わが国軍(自衛隊)は、名実ともに戦う国軍として「常在戦場」の意気に燃えているかと想いきや、そうではなかったことが白日のもとに曝された。戦うべき相手は、自らの欲望だったとは。

 まるで不祥事の「溜まり場」のように、各種の不始末が報じられて、当局は、大量の蜥蜴(トカゲ)の尻尾切りに大童の有り様。今回は海上自衛隊だったが、次回は…。いまは「戦う精鋭」を誇るこの軍隊にも、戦争の影が落ちていると見る向きもあるが、果たしてどうだろうか。背広組のみが意気がって(憲法改正)、交戦気分(台湾有事は日本有事)を煽っているが、さて、その相手はどこというに、どこにいるのか正体不明の様子。莫大な防衛予算を組んだはいいが、その使途はひたすら特定国の旧式武器購入に当てられる始末です。「台湾有事は日本有事」と発することを唆(そそのか)され、気がついてみれば、唆しの張本人は、他所を向いている、あるいは背中を向けている。高額かつ大量武器購入の落とし前をつけるために「防衛増税」を企図するという狂気。今や自衛隊は「隊内騒乱」状態というべきか。

 折しも、自衛隊隊員の欠員は看過できない状態であり続けている。笛吹けど踊らず、勧誘作戦は奏功していないのだ。このままでは、遠からず「徴兵制」導入が図られるはずで、十五歳から五十歳までの男女には兵役が義務付けられるだろう。少子高齢化が著しい勢いを増しているさなか、果たして、この国に明日はあるのだろうか。安保条約改定後の60年代後半から、この島は「学園紛争」「学生運動」に見舞われ。その時代、どこかと戦争するとも、自衛隊は軍隊であるとも見通せなかった。入隊希望の「隊員候補」にはさまざまな「特典」が付けられ、戦争をしない国の軍隊の利点を宣伝材料に、「隊員募集」に躍起になっていた。そこから「戦争する国」になったと胸を張る政治家がでてきて、隊員に欠員が生じたとするなら、由々しき事態の勃発ではある。自衛隊内の「綱紀紊乱」、いや、そんな生易しいものではないだろう。むしろ「朝憲紊乱(ちょうけんびんらん)」、「令和維新」(?)ともいうべき事態が進行していると見るべきかも知れぬ。

 こんなことを言えば「張り倒される」こと請け合いで、敢えて言い切りたい気もする。1962年、安保改訂反対運動後に、高田渡氏によって作られたのが「自衛隊に入ろう」だった(発表は69年)。隊員勧誘のテーマソングと誤解した当局者がいたというくらいに、自衛隊が若者には格好の就職先だと見間違われていた時代の証拠でもある。「男の中の男」と歌われているが、まだそれが通用していた時代。今や、自衛隊は「男女共学」ならぬ「男女共同防衛」組織。パワハラばかりか、セクハラも後を絶たない、ごく普通の組織に生まれ変わった。「国を守る、公務員」という、あらたな公職意識の涵養が強く求められている時代でもある。でも、徹底して「国防」「専守防衛」組織であることを、ぼくは渇望するものだ。「集団的自衛権」は憲法違反!

【談話室】▼▽2005年に急逝したフォーク歌手高田渡さんは、デビューアルバムの一曲で脚光を浴びた。タイトルは「自衛隊に入ろう」。「年令(れい) 学歴は問いません 祖国のためなら どこまでも 素直な人を求めます」と歌う。▼▽入隊を誘う言葉をあえて連ねて、自衛隊を皮肉った歌だ。発表は“政治の季節”だった1960年代末。一方で文字通りに解釈し、誤解する人もいた。当時の防衛庁である。組織のPRに使わせてほしい、と申し出たという。映画監督森達也さんが著書に経緯を記している。▼▽隊員の勧誘に使えるぞと、慌てて飛び付いたのだろうか。ただ、自衛官不足は現在の方が深刻そうだ。昨年度は募集に対する採用者数が5割にとどまり、過去最低の割合だった。人材獲得へ若者に自衛隊の魅力を周知せねばならない。その肝心な時に組織の暗部を露呈した。▼▽特定秘密のずさんな運用、手当の不正受給、パワハラ…。相次ぐ不祥事で防衛省と自衛隊に大量の処分者が出た。業者との癒着疑惑も残る。災害時には頼れる存在だが、今のままでは若者にそっぽを向かれるだろう。広く国民が未来を託せる組織に生まれ変わる必要がある。(山形新聞・2024/07/13)

「 自衛隊に入ろう」高田 渡https://www.youtube.com/watch?v=QfffBvRhlNA&ab_channel=seriousmoon2008                                                                           「Andorra by Pete Seeger (元歌)」https://www.youtube.com/watch?v=mjd7KXuZx7c&ab_channel=SonnyKim 

「1968年8月9日から11日に京都・山崎「宝積寺」で行われた第3回関西フォークキャンプに参加した高田渡が初めて歌い、観客に衝撃を与え、注目を浴び、レコード・デビューのきっかけとなった。1969年4月にUCRレコードより発売されたアルバム『高田渡/五つの赤い風船』に収録され、同年12月にシングル発売される。/マルビナ・レイノルズ(英語版)が作詞した「アンドーラ」は、小国アンドラとの比較によってアメリカ合衆国を風刺した反戦歌だった。このメロディに、街頭の勧誘に力を入れていた自衛隊の宣伝文句をそのまま載せた。この歌詞には自衛隊を風刺する逆説的な皮肉が込められており、1968年にTBSの番組で放映された。すると防衛庁(現・防衛省)から自衛隊のPRソングとしてのオファーが出され、高田は「まともに受け取っているなあ」と思ったと後年語っている。/防衛庁から依頼があった後もそれをネタにして平然とライブで歌っていたが、歌詞を真に受けて本当に自衛隊に入隊した人がいたことから、高田はこの曲を封印した。高田本人は後年、「あれは最初からそういう風に右でも左でもいいようにちゃんと作ったんですよ。誤解するようにちゃんと作ったんです(笑)」と語っている。翌年の1969年にはレコードが発売され、1983年のシングル盤「酒が飲みたい夜は」のB面にも収録された。/この曲は1970年2月6日に日本民間放送連盟による要注意歌謡曲の審査対象となったが、「流行する可能性がない」「各局の判断に任せる」として要注意歌謡曲には指定されなかった。ただし「実質的に放送禁止扱い」とされている、とする指摘もある。なお、現在では要注意歌謡曲指定制度そのものの効力がなくなった。取材をした森達也はオファーへの返答や放送禁止となった理由を高田が口ごもるため、彼にとって思い出したくないニュアンスが端々に滲んでいたとしている。(Wikipedia)

曲詞:高田  渡
訳詞 :M・レイノルズ
1皆さん方の中に
自衛隊に入りたい人はいませんか
一旗あげたい人はいませんか
自衛隊じゃ 人材求めてます
  ■自衛隊に入ろう 入ろう入ろう
  ■自衛隊に入れば この世は天国
  ■男の中の男はみんな
  ■自衛隊に入って花と散る
2スポーツをやりたい人がいたら
いつでも自衛隊にお越しください
槍でも鉄砲でも 何でもありますよ
とにかく 体が資本です
  ■自衛隊に入ろう ……ref……
3鉄砲や戦車や飛行機に
興味を持ってる方は
自衛隊にいつでも お越し下さい
手取り 足取り教えます
  ■自衛隊に入ろう ……ref……
4日本の平和を守るためにゃ
鉄砲やロケットがいりますよ
アメリカさんにも手伝って貰い
悪いソ連や中国を やっつけましょう
  ■自衛隊に入ろう ……ref……
5自衛隊じゃ人材求めてます
年齢学歴は問いません
祖国のためなら どこまでも
素直な人を 求めます
  ■自衛隊に入ろう ……ref……

 暴力は断じて認められない。多くの人々は「元大統領」狙撃を口を極めて非難する。それは当然のことだと思う。同時に、ウクライナへの武器供与やイスラエルへの軍事的加担を米国は止めようとはしない、そ「の暴力」への圧倒的傾斜・容認はどうするのだろうか(金魚のフンのような日本も同類)。銃規制には断固反対と、元大統領はしばしば広言したはず。心底から「暴力は認めない!」を実践するためには、われわれには何が求められるているのか。

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「徒然に日乗」(621~627)

◯2024/07/14(日)十時すぎに買い物。雨が降りそうで降らない、そんなはっきりしない天気だ。九州北部、山口、愛媛などでは「線状降水帯」が発生。中でも愛媛の松山では松山城の崖が崩れ、下方にあった民家を押しつぶした。住民三人が行方不明。その後、三人の死亡が確認された。それにしても、今年の遅い「梅雨入り」後の天候不順は激しいもので、晴れれば猛暑、降れば豪雨という救われない気象状況だ。▶アメリカ元大統領が選挙運動集会で銃撃され、怪我をしたという。お昼前に知った。詳細は不明ながら、「テロ」だったとは。当局は「暗殺未遂」と広報している。この島国の元首相が凶弾に倒れたのは二年前。そ昵懇だった二人が銃弾に狙われたのだ。民主主義は常に暴力の洗礼を受ける覚悟をせねばなるまい。(627)

◯2024/07/13(土)午前中は雨。降り続くかと思いきや、昼前には日が差してきた。九州や中国、四国などでは豪雨が続く。松山では松山城の崖が崩れて民家を押しつぶし、住民が生き埋め(その後、親子三人が亡くなった状態で発見されたと報道)。▶夜、九時過ぎに京都のYさんから電話。いつも通りの話で、かみさんはまだ帰宅していない様子。視力が悪くなり、本がなかなか読めないと言われる。それにしても、彼は「真面目すぎる」ところがいささかも変わらないのは、逆に、その性格が生活の苦悩を招いているのだと思うが、他人としてはどうすることも出来ない。(626)

◯2024/07/12(金)前線と低気圧の連携で、各地に集中豪雨並の大量の雨を降らせ、各地に大きな被害がでた。山地の多さが災いしているのだろうか。当地は、幸いにも雨量も大したことではなく、風もなかった。一時、強い雨が降ったが、夕方には止んだ。本日は終日自宅に。晴れれば猛暑、降れば豪雨、というパターンは一時休止で、梅雨の戻りの感じもする。(625)

◯2024/07/11(木)この数日ほどの厳しい暑さではなかったが、湿度も高く、スッキリしない天候だった。▶昼前に銀行等へ出向き、雑用をすませた。京都のお寺のお墓管理費の支払いを済ませてきた。なかなか墓参りにも行けないが、両親のお墓だからと、お寺に一切任せている。いずれどうするか、いまから考えておく必要があるだろう。▶夕方以降、少しばかりのお湿りが何度かあった。明日は午後から本格的な雨天だと言う。劣島の西から東まで、低気圧と梅雨前線の動きで、大変な豪雨が襲っている。明日はどうなるのだろうか。(624)

◯2024/07/10(水)厳しい暑さは続く。午前中にすでに30度を越えた。西日本や日本海側・東北北陸では豪雨が続いている。低気圧も梅雨前線も読み切れない配置で、「梅雨」のさなかの異常気象と言うべきかも知れない。▶午後にネコ缶購入に、土気まで出かけた。▶夜になって風が出てきた。雨の前兆かも知れない。明日の夜からはしばらく雨続きらしいし、それが止んだところで「梅雨明け」か。▶午後4時ころだったか、横浜の娘より電話。久しぶりのこと。当方からはまずかけることはないので、いつも間があくことになる。正月以来だったろうか。品物(冷茶)を送ったが届いたかという電話だった。(623)

◯2024/07/09(火)厳しい暑さが続く。連日「猛暑日」(自前の温度測定による)で、湿度も高く、体力の消耗が激しい。▶お昼前に買い物。税金(固定資産税・二箇所分)の支払い。ぼくは車でもエアコンは付けない。特に冷房は、体が異常に冷えるので、まず使うことはない。軒下に止めてあっても車内は33度もあった。炎天下の駐車なら、どこまで上昇するか。買い物は実に短時間で済ませる。事前に購入品は決めていて、それを手早く買って帰宅するだけ。▶植木の手入れをしようかと一瞬考えたが、後のことを思って、中止。日差しが弱くなっても地面は熱を蓄えていて、極めて高温。加えて高湿度(70%はある)なので、体力消耗を防ぐこと考えた。来週からは少しは雨が降るそうだが、それで「梅雨」は終わりか。(622 )

◯2024/07/08(月)厳しい暑さ。猛暑日だった。湿度も高く、座っているだけで体力が奪われるという感じがする。▶昼ころに買い物。いつも通りに日常品を買うために茂原まで。このところ、自宅で「蕎麦」を食べることが多くなったが、市販の「蕎麦」で旨いものはあまりないのが難。いろいろと試している段階。これはうまいと言えるものにはまだ出会っていない。今も続いているのか、日本のそば粉の八・九割程度は輸入物(豪州産など)で、それを袋に詰めるのは信州辺りらしい。それを「信州蕎麦」というわけ。まるで静岡産の「宇治茶」のごとく。▶夕方になっても暑さは続く。まったくの無風状態。夜半になっても「熱帯夜」で、今年一番の「寝苦しい夜」を迎えた。(621)

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When get old, listen to your children.

▣ 週のはじめに愚考する (第弐拾七)~ 米国現職大統領の「記憶力減衰」その他、いくつかの健康上の不安が、次期大統領候補としての適格性の是非に大きな影響を与えると、世界中の耳目を集めている。なにしろ「米国大統領(候補者)」だからというわけ。確かにその要因は看過できないが、年齢に相応した振る舞いかどうか、こちらの方が重要だと考える。年齢と諸機能老化昂進の因果関係は、もちろんある。でも、それは個人差が大きい。時には、人によっては、年齢にかかわらず元気であったり衰えたりすることがある▶「記憶違い」というべきか、「言い間違い」というべきか。 これはぼく自身の経験でもあるが、特定個人の名前を口にしたくない場合、往々にして(わざとではないが)間違えてしまうことはある。まったくの記憶違いであるというより、脳内の司令系が「ハリス」に候補者の地位は渡さないのだと判断をしている故に、名前を公言するのを憚った、躊躇した。その結果、あろうことか「対立候補」の名前を口にした。とにかく負けたくない相手の。「記憶力の衰え」などではなく、脳の正常な働きが示す一種の「トリック(罠)」だと思う。

▶「ウクライナ大統領プーチン」と間違えたのも、やはり脳の機能が示した「絡繰(からくり)」だったと捉えてみる。「プーチンはならず者」という判断は常に大統領の中にあり、負けてなるものかという自負心が、機会があればでてくるに違いない「失言(wrong word)」だった▶確かに、度重なる「誤謬(mistake)」が有権者に与える印象は極めて悪い。老化だ、認知機能の衰えだと、候補撤退の声が飛び交っている。もはや、それは止められないだろう。それも当然だと思う。心身ともに健康であっても、年齢は正直だし、まして彼は持病(Parkinson’s disease)を患っているとされる。現時点でもなお冷静な自己判断力があるかどうか、疑わしいと見られている。それがないならば、それ相当の地位や職にある人々が「断を下すべき」だろう。▶これはぼくの持論でもあり、自戒の念でもある。高齢者はそれに相応した言動が求められる。若者と競争しても、必ず無理が生じる。大統領の「心身の健康」が盤石であったとしても、政治の現場からは、誰であっても「老兵は消え去る(old soldiers just disappear)」段階に至っている。我執に囚われると、世界中が迷惑する▶「大方、聞き悪く、見苦しき事、老人の若き人に交はりて、興有らんと物言ひ居たる」(「徒然草」第百十三段)「後生畏る可し」は歴史の鉄則。(2024/07/14)

【水や空】痛恨 えーっと、あの人の名前…。顔は分かる、前にどこで会ったのかも覚えている、それなのに名前だけが出てこない。実は最近、そんな場面が増えてきた。「年齢のせいか」-もちろん、それもゼロではないのだろうが▲原因の一つは、顔と名前の記憶が脳の別の場所で管理されているからだという。顔は「映像情報」で右脳に記憶の倉庫があるのに対し、名前は「言語情報」で左脳に記憶されるそうだ▲もう一つ有力な理由とされるのは、もともと固有名詞がただの“呼び名”で、それ以上の意味や情報を持たないからだ。意図的に「覚えよう」と努力しなければ記憶に刻まれにくいという理屈らしい▲と、人の名前を覚えるのが苦手な言い訳を長々と書き連ねてしまったが、誰かと誰かの名前を取り違えたり言い間違えたりするのは、また別の現象かもしれない。痛恨の言い間違いが世界に報じられた米国のバイデン大統領▲北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議で「皆さん、プーチン大統領を紹介します、あ、違う、ゼレンスキー大統領です」…。直後の記者会見では「ハリス副大統領」と言うつもりが、よりによって「トランプ」と宿敵の名を▲高齢不安を理由に選挙戦からの撤退を促す声が日ごとに強まるさなかの失態。挽回する時間は残されているか。(智)(長崎新聞・2024/07/13)

 余話 アメリカでも「人生百年時代」を迎えているのでしょうか。仮にそうだとしても、百歳と五十歳が同じ舞台に立って、同じように振る舞う、仕事をこなすことはできない相談でしょう。どちらが上か下かの問題ではありません。優劣を競って、勝負を決めるのは「政治」ではないとぼくは考えています。老人には老人の知恵や経験があり、壮年・壮齢には、老人が失った活力や未来がありる。政治家(大統領)は、高齢者が就くべき仕事ではなく、未来社会を共に生きる青少年を育て励まして、よき社会(good society)の構成員たるべく導き、その「青春の輝き」を一層鼓吹すべき壮年期にある人々が任ずるのが望ましいと、自らの拙い経験からそう思う。

 自らの出処進退を、他者からとやかく言われるのは、けっして健全な精神の持ち主には許されざる恥辱・不名誉ではないでしょうか。「功成り名遂げて身退くは天の道なり」と、昔の碩学(伯陽・老子)は言い遺しました。その昔、「アメリカが嚔(くしゃみ)をすると、日本は風邪を引く」と揶揄されたが、今日はどうでしょう。「アメリカが風邪を引いたら、日本は危篤に陥る」かも知れぬ。「米大統領選」の帰趨は、邦家にとって国家存亡・死活問題になるでしょう。寝言に類する言辞を弄する所以です。請う、ご寛恕を。

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 追記 アメリカの大統領選の運動中、トランプ元大統領は、米東部ペンシルベニア州バトラーで13日午後6時(日本時間14日午前7時)過ぎ、何者かによって銃撃されたというニュースが流された。本日の「駄文」をアップしたのが午前6時過ぎでしたから、まだ事件は起こっていなかった。いくつかの続報が入っていますが、事件の背景は分かっていない。容疑者は警備(警護)隊によって射殺さた。共和党員で二十歳の男性だったという。トランプ氏の生命には別状はなかったのは不幸中の幸いでした。「民主主義はテロリズムの格好の標的にされる」のは避けられないことを、今回の銃撃事件は明白に示している。(2024/07/14・20P.M.)

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なるかならぬか、「千字文」の試み

❑ 千字文(せんじぶん)の試み ~ ずいぶん昔(三十年以上も前)、小さな新聞(機関誌)でコラムを書かされたことがありました。期間は一年ほど。字数は約250字。多分、月に一度宛だったと記憶している。内容浅薄は避けられなかったけれど、ぼくは短文を書くことに憧れていました。250字で何が書けるものかと問われそうです。でも、同じことを可能な限り短文で、これは文章道の要諦、肯綮(こうけい)に当たると信じていました。今もその見方は変わらない。しかし、これまでの学校生活では、どういう次第だったか、できるだけ短く、簡潔にして要を得た「文章作法」を訓練した経験がない。小学校時代以来、通り一遍の「作文」(綴方)はいやいや書かされたが、文章を練るという学習はなかったと思う。後年に「推敲」という言葉に出会って、もっと、それを早く知るべきだったと悔しい思いをした。

 唐時代の一詩人は「僧は推す月下の門」という詩文中の「推(お)す」を「敲(たた)く」とするほうがいいか迷った挙げ句、韓愈(かんゆ)という、当時の大思想家に尋ねた結果、「敲く」としたという。そこから「推敲」は「月下推敲」という熟語として残りました。たった一字の違いで詩は生きも死にもするということだったと思う。この詩人は賈島(かとう)で、詩を草しつつ、科挙の試験を受ける途次にあった際の出来事でした。文章を書く時は、内容の稚拙は才能に拠るから、単純には論じがたい。しかし、文章表現は可能な限りで「推敲」を重ねるのがいいという当然のことを、ここで銘記したい。

 中国に古くから伝わる「千字文(せんじもん)」という韻文があります。日本には早くに伝えられた。書道のお手本などになったりした。同じ字を重ねて使わないで作られた「千字の韻文」です。大学入学後、最初の授業(日本教育史)の担当教授が「千字文研究」の大家だったことも手伝って、ぼくはそれを編纂した岩波文庫を常に持ち歩いていました。いわば、中国版「いろは歌」です。「いろは」文字数は四十八字だったが、こちらは「千字」、桁違いの字数でした。その韻文のいくつかは、今でも記憶しています。「天地玄黃 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張 寒來暑往 秋收冬藏…」などなど。 

 わが駄文も、この歴史的偉業(「千字文」)に、表面だけでも倣うべきだと言う気もしていましたが、趣旨は「書くなら、千字くらいで」という簡潔文の自らへの勧奨ではあります。たとえ駄文と雖も、推敲に推敲を。簡潔にして要領を外さず。できれば「千字文(千字程度の文字数)」で、そんな気構えを整えて、早速に、次回からの駄文執筆の戒めとします。すべてがそうなるとは自分でも想像できないけれど、悪戦苦闘してみましょう。(究極の狙いは、往時の「電文」の如し。あるいは俳句(十七字)のような、短かつ簡、すなわち無駄を限りなく削ぎ落とした表現にあります。さて、その成り行きはどうなりますか。まったく見当はつかないが、一回の駄文を綴るにもかなりの時間は要するだろうね)

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 下に引いた「夕歩道」は中日新聞のコラム。短文ばかりを三節。時事問題などを輪切り、串刺しにして、料理してみせる、かつて、その手腕には敬服していたものでした。過去形にしたのは、ぼくの率直な感想(印象)を述べたからです。若い頃は、いいなあ、こんな要を得た文が書けるといいなあと、ずいぶん憧れた。今は…、論評は控えます。本日の「夕歩道」の字数は、正味で266字でした。その眼目は「序破急」にあり、だったろうか。

 今回の東京知事選や都議会補選でも、このカルト団体はさまざまな「(保守系)候補者」に加担し、応援し、活動を支えていたとされる。おそらく、政権党が、どういう内容かはともかく、「家庭連合」側へ「念書」を提出していたんじゃないですか。どんなことがあっても「裏切りませんから」と。早く、現在のいくつかの政党・徒党に対しても「無効」の判断を有権者は下すべきだと思うが、これまた、あり得ない夢のような話ですかね。

 【夕歩道】広辞苑によると、念書とは「後日の証拠として念のため書いて相手に渡しておく書面」と。素直に読めば、後々もめ事になりそうだから用意しておく書面ということになるか。案の定、もめ事に。
 その念書は、わざわざ公証役場に連れて行って署名させた由。自身の意思だと確認する動画まで用意していたとも。普通なら、後ろ暗いところがなければそこまではしないと思うが、どうだろう。
 一、二審とは判断を変え、最高裁は、その念書を「無効」と。元首相銃撃事件を経て潮目が変わったか。依然、関係が深かった政治家から教団との蜜月を総括するような話は聞こえてこないが…。(中日新聞・2024/07/12)
● 千字文=中国、梁(りょう)の周興嗣(しゅうこうし)が武帝の命により、文字習得のための教材として編んだ字種の異なる一千字の韻文。250の4字句から成る。楷・行・草の3書体を並べた「三体千字文」は、習字の手本として中国・日本で広く用いられた。(デジタル大辞泉)
● 韓愈= [768〜824]中国、唐の文学者・思想家。唐宋八家の一人。昌黎 (しょうれい) (河北省)の人ともいわれるが、河陽(河南省)の人。字 (あざな) は退之。昌黎先生と称される。儒教、特に孟子を尊び、道教・仏教を排撃した。柳宗元とともに古文復興運動に努めた。(同上)
● 賈島= [779〜843]中国、唐の詩人。范陽(河北省)の人。字 (あざな) は浪仙。出家したが、韓愈 (かんゆ) に詩才を認められて還俗 (げんぞく) 。五言律詩にすぐれる。「推敲 (すいこう) 」の故事で有名。著「賈浪仙長江集」など。(同上)

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政治は「国盗り」物語なんですか?

<産経抄>怖くて吹けぬ警笛、兵庫県庁の苦い教訓 学校体育や競技スポーツなどで使うホイッスルには、大きく分けて2種類ある。▼中に入った玉を息で転がし、強弱をつけた音を出すもの。複数の共鳴管を震わせ、歓声の中でも響く大音量を出すもの。ホイッスルの形が時と場合に応じて異なることを、大手スポーツ用具メーカーのウェブサイトで知った。体育の授業で先生が鳴らす小気味よい「ピッ」は、玉を転がすタイプらしい。▼英語に「ホイッスル・ブロワー」という表現がある。直訳すると「警笛を吹く人」、転じて「内部告発者」の意味になる。なるほど、組織の非を鳴らす警笛の吹き方もさまざまだろう。実名での訴えがあり、組織からの懲罰(報復)を恐れた匿名の声もある。組織が法律に沿って設けた通報窓口に駆け込む人もいれば、メディアなど外部の力をたのんだ告発だってある。▼いずれにしても、不正をただそうとする告発者は保護の対象になる。兵庫県庁の事案はどうか。斎藤元彦知事のパワハラなど複数の疑惑を告発した元幹部職員が、「噓八百」と糾弾された上、懲戒処分を受けた。処分の根拠とされる「内部調査」は、中立性が疑問視されている。より強い調査権限を持つ百条委員会が、曲折の末に設置された。その経緯も理解に苦しむ。▼告発の一部については、その後、内容を裏付ける報道もなされている。元幹部は百条委での証言を前に死亡した。自殺とみられている。責任を問われた知事は「私自身が生まれ変わっていい県政を」と述べた。問われているのは、知事をはじめとする県の「不正」への感度、事実を追求する姿勢に他ならない。▼誰もが臆せず警笛を吹ける。そんな風土作りが正常化への一歩だ。真相究明が急がれるのは論をまたない。(産經新聞・2024/07/12)

(ヘッダー写真は「二十四の瞳」(1954年公開):https://www.cinemaclassics.jp/kinoshita/kinoshita_100th/content/filmdetail/23.html

 自治体の首長(都道府県知事・市町村長など)は、法律的には特別地方職公務員と規定されています。国会議員や地方議会議員にも同じような規定がある。細かいことは抜きにして、要するに、選挙によって選ばれた「公務員」だということ。公務員は、その昔は「お役人」などと呼ばれていたが、今でも「役人」「官吏」などと称されて、なにか特別の地位にある人のように錯覚されますが、なんのことはないので、わかりやすくいえば、市民(全体)に対する奉仕者(Civil servant)だというのだが、そんな自覚に欠けた人間ばかりが「首長」になりたがるのは、政治教育や公民教育の内容が著しく偏っているか、大事なものが欠けている、その何よりの証拠でしょう。由々しい事態ではあります。

 今回、兵庫県庁内で「知事」の所業(パワハラを含む不適切行為)の数々を内部告発した県職員幹部(局長)が、つい最近自死されたとの報道があった。この問題の経緯をそれなりに調べてみたのですが、どうしてこんな人間が「知事」にまでなったのかという大きな疑問が拭いきれませんでした。「私人」に対して「公人(こうじん)」と言う。ここで「私人」とは、「公的な地位や立場を離れた一個人」(デジタル大辞泉)を指す。「公私の別」などとも言う。常々、ぼくは「公と私」の別をやかましく指摘してきました。「私人」が何人か集まって、何かを目的に仕事をするような場合、その集団は「公・公共」になります。「私」から出て、(私人の集合体である)集団(公共団体)を作ってある事柄をなすようなケース、政治や行政などはまさにそれに当たるでしょう。「公人」誕生の理由です。

 兵庫県の現知事だけが例外ではないこと。ぼくはこれまでも指摘してきた「公人」である自覚の決定的な欠如(無神経)の症例を再度指摘しなければなりません。「公職にある人。公務員・議員など。また、社会的な立場にある場合の個人」(デジタル大辞泉)、という自己規定はどうすれば育つか、育てられるか。職業選択の自由(憲法22条)は当たり前の権利ですから、誰がどんな職業を選ぼうと自由です。でも、その職業には、人によって「向き不向き」「適不適」があるでしょうし、自分では適正があると自認していても「不適任」である場合も出てきます。この社会の国家官僚の養成機関があるとすれば、その多くは大学になるでしょうが、そこには「公人意識」を涵養する教育機能は皆無ではないでしょうか。ましてこの時代、あらゆる職業に認められるべき「職業道徳」と言うか、「社会・市民倫理」そのものが、いつしか潰えて、枯渇してしまっていることに、多くの人は危機感も絶望感も持たないままで、事態の悪化が後戻りできないところまで来てしまったのだ、という実感がぼくにはあります。

 「いずれにしても、不正をただそうとする告発者は保護の対象になる。兵庫県庁の事案はどうか。斎藤元彦知事のパワハラなど複数の疑惑を告発した元幹部職員が、「噓八百」と糾弾された上、懲戒処分を受けた」(「産経抄」)外部告発も内部告発も功を奏さない、反対に、それは権力からの弾圧(人権侵害)を招くしかない行為だったと、告発者には受け取られたのだろうか。出口を塞がれた「告発者」は、死をもって「告発」を意味あらしめたというのでしょうか。一人の人間の死があって初めて、事態の容易ならざる成り行きを感じ取ったか、知事は「信頼を取り戻して、職を継続」と困ったことをのたまう。こんな「知事」を誰が選んだか。「それを言っちゃ、おしまいよ」となるのなら、この社会の先行きは暗澹たるものです。地方行政組織の「首長」に、なぜ、なんのためになるのか。「俺は男だ(「私は女だ」)」と、自分の存在を世間に知らしめるためになったとしか思われない「お山の大将」が、いかに他人に迷惑をかけているのか、それを知るべきだと思う。

 同じ兵庫県の明石の前市長は、今や売れっ子になった感がありますが、彼だって、実態は「お山の大将」気取りだった。その気分は市長を辞めて、ますます盛んになったと思う。だから、困ったものだとぼくは考えている。在職中はパワハラの連続であったことをどう始末するのか。たまたま、いくつかの「善政」を評価されたから、パワハラは帳消しになったかと思われそうですが、この「暴力体質」は一向に変わっていないどころか、それを待望する向きさえ現れている。「政治はケンカだ!」と野放図に叫ぶところに、政治家病の主因がありますね。過大も過小もない「評価」が必要です。

 先般の都知事選でも当選者は言うまでもなく「腐りきった女帝」だったし、次点に入った元地方都市市長も、負けず劣らずの「お山の大将」、「マウント取りが飯より好き」な不良(育ち損ない)人間でした。それを、気持ちが悪いほどに持ち上げる勢力があるのは、アメリカの「MAGA」だ元大統領とその取り巻きが示現する狂気に等しい。政治は「勝ち負けではない」のは「教育は勝ち負け争い」でないのと同じ。そこを大きく勘違いして「勝つか負けるか」に基準を置くしか、自らの拠り所を見いだせない気の毒な、空っぽ人間でしょう。(住民からすれば、こんな迷惑な話はない)ここでも、ぼくは過大評価も過小評価もしない。ごく当たり前に言うなら、正の評価はできない。

 あまり大声では言えませんけれど、ぼくは「教師まがい」を約半世紀続けてきました。教職に適正があったからではなく、糊口をしのぐ、世過ぎ見過ぎの生業(なりわい)としてだったから、恥ずかしい限りでした。それを晦(くら)ます「ために教師まがい」「教師もどき」を自称し、かつ自嘲するほかなかった。この「教職」にも、もちろん人によって適不適はある、中には「天職」、「天性の教師」と言いたくなる人にも出会いました。そんな時は、ぼくはひたすら「圧倒」されるばかり。穴を見つけては逃げ込んでいました。その反対に(ぼくがいうのは、とてもつらいし、笑止千万なのですが)、この人は教職には不向きだという、そんな「先生」にもたくさん遭遇してきました。正直に言うなら、十中八九はそういう「先生不適」と言えそうな人だったかと思う。管理職になればなるほど、そんな「不適教師」が横並びだったと、いくつかの経験から断言できます。

 はっきり言うなら、公人になるべき資質のある人とない人があるのですから、そこをは履き違えないでほしいと言いたいですね。はっきり言って、「公人であるべきではない」輩が、誰よりも「公人面」をして、弱いものをじめているのです。繰り返しになるが、政治は「勝ち負け」を争うものではない。選挙は勝ち負けだけれど、それが終われば「ゲームオーヴァー・ノーサイド(試合終了)」ですよ。自分に反対する人間は許さない・認めないという困った、あるいはどうしようもない根性で「公人」であろうとすることは、まるで「いじめ」を正当化するだけの、暴力崇拝の風潮を醸成することにしかないらないでしょう。そんな手合はまっぴらごめんですね。それにしても兵庫県知事は旧帝国大卒で、都知事選第二位候補も旧帝国大卒だという。元明石市長も、現知事と同窓。大学教育の退廃のさまは覆いようもないほどに惨憺たる実態を、ぼくは「卒業生」によってみるのです。(この三者ともに、「学歴詐称」であってほしいと思いたい気もする)

 語弊があることを承知で言うなら、「おれは男(女)だ」と言い募るだけのケチくさいエネルギーを育てたんでしょうね、大学教育は。よほど心して「大学」なんぞに行かないと、大変なことになります。彼や彼女は(例外はありますよ)、そのままでは鼻持ちならない、とても恥ずかしい存在として、他人の大迷惑になるばかり。

 一人の人間に欠かせないのは、学歴や職歴などではなく、ささやかな「勇気(courage)」と、これまた何気ない「親切( kindness)」と、そして、その根底にどうしても欠かせない「正直( honesty)」。この三要素(感情)があれば、その他に何がいるでしょうか。「公人」になろうかという人も、少しでいいから、この感情をぜひとも育ててほしいね。いい加減に年齢を重ねてしまうと手遅れで、この感情は決して育たない。「恥を知れ!」などという俗悪な風潮が、ごく一部ですが、この社会では舞い上がっています。まるでゴミの山を吹き荒らす「暴風」のごとくです。さて、どうしますか。「先ず隗(かい)より始めよ」、その「隗(かい)」とは、どこの誰でしょうか。今は亡き、作家の司馬遼太郎さん描くところの「国盗り物語」の現代地方(痴呆)版、こんなサモシイ物語、ぼくだけは、金輪際、真っ平ごめんです。

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