日日是好日(にちにちこれこうにち)

 一週間を区切って、7日間の、それぞれの日々を眺め直すと、何かと大事や心配事が続く一週間というものがあるのでは、そんなことを考えてみたくなります。長い時間の経過のうちの一週間を取り分けて、何かを言うことは褒められたものではないでしょうが、八月の初旬は、それこそ、歴史的にもいろいろな試練が続いたことは事実ではあるでしょう。「歴史から学ぶ」というのは、記憶のひだに歴史の事実を留めることをさして言う。

 よく「持続(継続)は力なり」と言って、何事によらず長続きさせることは大変でもあり、だから貴重でもあるということでしょうか。ぼくは性格からすると「飽き性」で、長続きしないことばかりが目立ちます。学校の教師はしばしば「勉強する習慣をつけなさい」というが、習慣化できるのは、例えば喫煙とか飲酒のような場合、あるいは薬物摂取など、余りいい面では言われないのではないでしょうか。それを続けるのが癖になる、あるいは「中毒」になるような時に習慣化できたと言えるのでしょう。つまりは、脳細胞がしっかりと味も効用も記憶してしまうということです。

 果たして「勉強」することが「中毒」になるなどあり得るのでしょうか。ぼくには「勉強」が習慣化した例(ためし)は一度もない。しばしば「三日坊主」などと、物事が長続きしない時に非難される言葉として使われてきたようです。ぼくも、この「三日坊主」に最もよく当てはまる人間ではないかと自認さえしています。これまでの長い人生で「日記」を書き続けたことは一度もない。いろいろな人の日記を読む機会がありましたが、よくぞ、これほど続けられるものだと言う感想しか持てなかった。メモ程度でもいいから、毎日書くとなると、まるで「苦行」そのもので、ぼくにはとてもできない相談でした。しかし、たとえメモであれ、書き進めていくと分かるのですが、毎日が同じような出来事の繰り返しかと思えば、どうしてどうして、決してそんなことはないのがはっきりと分かる。どの一日もなければならない、命にとってもかけがえのない一日なんですね。

 「徒然に日乗」と題して「日記(日乗)」を書き始めたのは、2022年9月14日とあります。間もなく三年目に入ります。いかなる魂胆から始めたか、すっかり忘れました。しかし、これもまたその日暮らしの、その日だけの記憶を、つまりは「暮らしの記憶を」、その日だけのものとしてでも留めておきたいということだったかも知れません。朝起きてから夜寝るまでの「終日(ひねもす)」の一コマ一コマが、記憶のスクリーンに映し出されないままで、時間ばかりが経過することへの薄寒さというか、あるいはいささかの恐怖を感じたからだったでしょうか。

 その日一日を惰性で過ごすのは、ぼくには避けられない生き方の流儀です。その「惰性」の中にも、意識の有無には無関係に「日々是好日」という感触を求めていたのは確かでしょう。「日乗」書初めの日の、駄文が残っています。

 「日々是好日」とは「碧巌録」(禅の公案集)中の雲門文偃(うんもんぶんえん)の言葉。いいことも悪いことも、生きていれば、尽きないものです。毎日の生活、あるいは出来事に「一喜一憂」するのは禁物、いや愚かなことで、「毎日がいい日でありますように」「生きていることに感謝する」というような、禅問答中の雲門師の「答え」だったとされています。いいことも悪いことも、メモリ(尺度)を大きく取れば、同じじゃないかということのようですね。つまりは「五十歩百歩」「似たりよったり」「大同小異」、そんなことに齷齪(あくせく)しても、得るところはないしなあ、とやり過ごせるといいね。(2022/09/14)

 そんなことで、ぼくは飽き性の特権として「三日坊主」を続けています。「三日」続けて一日の中休み。これを飽きもしないでと言うと語弊がありますが、飽きながら、呆れながら続けています。「いいこと」も「よくないこと」も、大きな目盛りを当てると、人間のすること、ほとんど誤差の範囲という塩梅で、あまり細部や最小部に拘らないで、まあ「朝飯」を食べるように、日々、ぼくは「記憶の再録・再生」を試みているのです。

 (山岡鉄舟の書に「晴れてよし、曇りてもよし富士の山、元の姿は変わらざりけり」とある。「富士に変わりはあるじゃなし」ですね)*雲門文偃(864~949)(右上画)「擧。雲門垂語云。十五日已前不問汝、十五日已後道󠄁將一句來。自代云。日日是好日。」(「碧巌録」第六則)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「徒然に日乗」(469~475)

◯2024/08/11(日)極めて蒸し暑い一日だった。何もしなくても体が疲れる。▶昼前に買い物。地震の際の必需品を補充する。カセットガスボンベなど。仮に停電や断水があったら、困るのは風呂とトイレ。こればかりは大いに工夫のしどころが残されている。そうなったらなったときのことで、今からどうのこうの騒いでも仕方がないだろう。「南海トラフ大地震」の確率は極めて高いが、いつ来るかは未定。ということは、これまでと変わらないのだ。その前に、目前の台風に気を配るべきだろう。5号と6号が前後して発生したようで、風の被害より雨(線状降水帯)のほうが心配されるのが、今日風。5号は岩手や宮城を直撃しそうだ。(夜10時過ぎ。室温30.4℃、湿度75%)(475)

◯2024/08/10(土)毎朝、四時過ぎに約一時間、決まったように蜩(ひぐらし)の一斉合唱が始まる。一時間ばかり過ぎると、方々で鳴いていたのがほぼ同時に止む。これは夕方も同じ。それこそ、ぼくの耳に届く範囲でいうと、およそ一キロ四方の範囲で、互いに声を届けあって鳴き出し、そして徐々に鳴き止む。実に不思議に思える現象。正確に毎朝、薄明かりの中で鳴き出すのだ。夕方も同じ。もう少し丁寧に調べてみたい。▶蒸し暑い、やや曇り空の天候。昼過ぎに自宅前の空き地の草を刈り出した。背丈は約2メートルもあろうか、なかなかに手間がかかり、ほとんど刈り進めることができなかった。加えて、刈払機の羽が摩滅していて、十分な切れ味がなかった。次回は必ず新しい刃に変える必要があろう。およそ一時間で、かなり疲れたので、止むなく中断。先が思いやられる。▶現在、夜八時半過ぎ。室温29,8℃、湿度72%。全くの熱帯夜。幸いに、周囲の木々が風を作り出してくれるので、暑くて寝られない事はまずない。(474)

◯2024/08/09(金)七十九回目の「長崎原爆記念日」に、戦争中のイスラエルを招待しなかったために、G7の各国駐日大使は参加を拒否した。つまらないというべきか、極めて不可解な理由で、「核兵器反対」を表明しないのだから、広島ともども、被爆国の訴えは世界に、世界の指導者に響いていないことになるだろう。▶夜八時直前、神奈川県直下を震源とする震度5弱の地震。南海トラフの地震注意情報が出されているさなかの発生。西の宮崎から東の神奈川へ、まさしく南海トラフの震源域に収まる不穏な地震だった。大過ないことを願うばかり。(473)

◯2024/08/08(木)終日自宅。お湿り程度の量が何度か降った。酷暑はいくらか和らいだが、それでも気温三十℃、湿度80%というのだから、体には堪える気象だ。本日は、庭作業は中止。体の疲れがとれないままで数日過ごしている。▶先週金曜日以来の株の乱高下はまだ落ち着かないまま。世界同時安という展開もあって、なかなか国内だけで(が)安定することはないのは当然。日銀と政府の根本政策がどうなっているのか、先を見据えているとはとても思えない「場当たり」状態が見られるのは、いかにも不安。▶午後4時過ぎ頃、宮崎・高知あたりで大きな地震が発生、震度5弱、マグニチュード7.1。南海トラフ地震の恐れなしとしないと気象庁。(472)

◯2024/08/07(水)終日自宅。これまでのような猛暑日ではなく、曇り空の天気。午後には一雨あった。なにかと疲れが残っているようで、二時間ほど昼寝をした。三時頃に庭の草取りを初めたところで、また一雨。途中までで中断。裏庭と表庭を合わせて、除草作業の三分の一程度は終わったか。裏の斜面と道路を挟んだ前の空き地の草がこれまでにないほど伸びている。作業終了までに、一体どれくらいの時間がかかるのだろうか。▶株価の高騰が止まらない。急激な円安も一休みか。一気に千円超の高騰があった。今日と昨日の2日間で、今回の歴史的暴落を取り戻した気配があるが、日本株式のこの先はどうなるか、見通せない。いろいろと、専門家らしい人々が理屈を並べているが、結局は「投機筋」の恣意的な株式売買に加えて、これまでの経験や教訓が生きていない「ネット投機」勢力が、世界規模で、今回の高騰暴落を演じた気もする。人間が判断して売買する時代ではなく、膨大なデータを背景にした「コンピュータ投機の時代」の、想像もつかない投機形状が、今までに見られなかった株売買の乱高下をこれからも演出するだろう。(471)

◯2024/08/06(火)午前の取引開始直後に日経平均は千円以上も高騰。前日の暴落のかなりの部分を取り戻す勢いで、最終的には3200円超の株高。このジェットコースターのような市況の様子はもうしばらく注意しなければ、確たることは言えそうにない。Fund wrapは、この週初2日間で250万超の損失が出ている。(7月下旬以来では500万ほどの損失が出ている。それをみても、世界経済は全体に悪化していることが分かる)▶午前中に買い物。茂原まで。▶一時前に土気駅へ。友人(元同僚・宗教学研究者)のT氏がくる。駅前のイタリア料理店で休憩。少しも変わらない彼。77歳になるということだった。家族と大原に休暇できた帰途に声をかけて、寄ってくれた。昨年も同じ時期に何年ぶりかで再会していた。数年前に膀胱癌に罹患したということだったが、回復著しく、大いに健康に自信を持っていた。二時間ほど話して、再会を約す。▶七十九回目の「広島原爆の日」。今なお、世界の至る所で「核」を弄んでいる者がいる時代。広島はいかにして「非核」「反核」を訴えることができているのか。足元の総理が「核の抑止力」を声高に騙っているという恥ずかしい現実。(470)

◯2024/08/05(月)先週金曜日の驚愕すべき株安が、予想した通りに、週明けになっても、一向に止まらない。寄り付き早々、千円超の下落。この間一貫して下がり続け、終値は4400円超の史上最大の下落。アメリカも下落で、世界同時下落の相場展開になった。理由はいくつかあるが、要するに、日本の「株」が世界の投機筋にいいように売られた結果といったところ。騰がる材料もないのに4万円超を付けること自体(事態)が、実体経済を反映していなかった、その反動で、日本市場がいいように荒らされたのだと思う。下落前の専門家の意見を聴いていると、バカバカしくなるほどに滑稽で、いかなる好材料もなく、ひたすら円安(ドル高)と物価騰貴による株高が生み出されてきただけであって、大会社の最高利益も、実態のない表面だけの見せかけだったことが分かる。この先、どうなるか、本日以降の相場展開をじっくりと見ておきたい。▶昼前に買い物。午後、日の翳るのを待っての庭作業。前庭の除草をやる。これで雨でも降ればまた一気に草類は伸びるだろう。湿気の多い中で、2時間ほども続けたろうか。まだまだやるべき作業は多い。(469)

_____________________________

偽りても賢を学ばんを賢と言ふべし

▣ 週のはじめに愚考する (第參拾壱)~ この「週初に愚考」という外題(げだい)だけを見ると、「週中や週末は賢明なる思考」に裏打ちされた「駄文」(言語矛盾)が出るかも知れぬと早とちりされる向きがあるかも知れません。筆者の真意は「週初以外は愚々考」を正直に示しているつもり。駄文をお読みいただければ、それはもう言わずもがな。駄文と称し、雑文と称して、よしなしごとを書きなぐっています。大小取り混ぜて、もはや二千にもなった「駄文のブーケ」といえば、厚かましいとお叱りを受けるでしょうか。

 駄文書きなぐりの本意は、まずは、衰弱著しい「記憶力」の減退をいささかなりとも下支えし、それに抵抗すること。「効果の程」は確認できていません。もう手遅れであることを承知で、「愚考」を重ねれば、あるいは記憶の落とし物に再会できるかも知れないというささやかな望みから、です。第二は、記憶が誤りでなければ、ぼくは十数年前まで、都下にある小さな学校の「教師まがい」を四十年以上続けてきたので、そんな拙劣な経験を包み隠さず言葉に載せれば、あるいは後学の誰彼に何らかの参考になるかも知れないという「お節介」「世話焼き」からの駄文の綴りでした。(もちろん、ぼくはこの駄文を一人でも多くの方に読んでもらいたいという考えはまず持っていない。今風のブロガーではないということ。ひたすら「文を書く」「駄文を綴る」ということが眼目で、そのために、貧しい我の脳内の辞書を枯渇させないための苦肉の策。そればかりが文を書く動機であり、目的です)

 閑話 ただいま、朝の五時直前。今朝も四時起床。しばらくすると「蜩(ひぐらし)」の合唱が始まりました。遥かに遠くから、かすかに聞こえた一声に、少しずつ輪唱の重なりと高まりが素晴らしい。毎朝のソプラノ・メゾソプラノ・アルトの三部合唱。(バリトンやテノールはいない、と思いたくなるが、鳴くのはメスではなく、オスばかり。それはなんと、ラブコールだそうで、ひときわ、見目ではなく、聞き耳麗しくナンパ(軟派)をしているのでしょう)この輪唱(合唱)はおよそ一時間ばかり続きます。日の出は今は五時ころですから、それよりやや早く歌いだし、空が明るくなりだすと、賑やかで重厚な合唱はわずかばかり時間をずらして、輪唱のスケールは小さくなり(デクレッシェンド)、次の奏者(別種の蝉や鶯など)にバトンを渡すようです。

 これが毎朝続けられる。おそらく近くにいるであろう鶯(うぐいす)たちも「蜩合唱団」の声量と清涼感溢れる輪唱に耳を澄ましていることでしょう。時々、カラスの「ダミ声」が入ることがある。ご愛嬌ですね。早起きの得(三文分)だと悦に入っている。たぶん、蜩は素人ではなく、立派な「セミプロ」でしょうか。「たちまちに蜩の声揃ふなり 」(中村汀女)

+++++++++++++++++

 閑話休題 「徒然草」を自由に読んでみるという試みも、この「駄文」書きなぐりの余得だったかも知れません。高校時代以来、思い出したように兼好さんに言及したり、読み直したりしてきましたが、この数年間、まったく自己流に読みほうけてきた。研究でもなんでもないし、他人様に「ご笑覧あれ」と差し出すものでもないので、それこそ勝手放題に読み散らしてきました。いろいろなことが言えそうですが、たった一つ、吉田兼好という人は、出世を願い、家業の神職も歌道にも精進したが、ついには受け入れられず、ある意味では挫折した人生を歩いたとも考えられます。今風に「挫折」と言っても、彼は生きることに失望なんかしないどころか、いよいよ「生への執着」が襲ってくるという塩梅だったでしょう。

 「徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」(「序段」)暇にあかせて、思いつくことごとを言葉に置き換えてゆくと、まるでそれが書きたいことだったかのように、何かと感興が湧いてきて止まらないのだ、と兼好さんは書く。つまりは、胸中いっぱいに蟠(わだかま)りがあったのだと告白するのです。ぼくは老人になって、することもないから、寝っ転がって「徒然草」でも読んでみよう、そうすればいささかの感想が湧くかも知れぬと、至って呑気で不真面目は気分を維持してきました。でも書き続けていくと、時には狂うばかりに物思いが激しくなる、その勢いが分かるのです。

 以下の引用も、どこかで出しているはず。短いものですが、兼好という人の「思想」(つまりは、彼の生きる姿勢や態度というもの、「思想」は形のないものではなく、日常の振る舞いとして認められるもので、ぼくたちが「思想」と称するものは「言葉の集まり」「種々(くさぐさ)の文章」に過ぎない)が如実に顕現しているものと、ぼくは感心して読んできました。人間の心など、いつもまっすぐとは限らないから、時には偽り(間違い)もあろう。でも、中には真っ正直な人もいるものだが、自分が素直じゃないから、他人の「賢明さ」を見て、それを羨むのは世の常だと言う。まるで見透かされているようで、気恥ずかしい気もします。

 ものを学ぶというのは、自分が賢くなるためだからであって、たくさんの知識を覚えること(学力を高める)なんかではないのは言うまでもありません。もっとも愚かな人は、賢明な人の振る舞いを見ても、これを悪しざまに憎む。「下愚の性」は、治る見込みは絶無だから、ものをまっすぐに学ぶことはできないのだ。「驥(き)」という名馬の振る舞いを学ぶなら、それは「驥」となり、名馬とされるのだ。「舜」という賢王の挙措を学ぶと、たしかにその人は「舜の仲間」となるだろう。「偽りであっても、賢人の素行を学ぶなら、きっとそれは「賢」そのものになるのだ。嘘だと思うなら、やってご覧なさい」、そのように兼好さんは自らの経験を語っているのです。

 「人の心、すなほならねば、偽り無きにしもあらず。然れども、自づから正直の人、などか無からん。己れ、素直ならねど、人の賢(けん)を見て羨むは、尋常(よのつね)なり。至りて愚かなる人は、偶々(たまたま)、賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んが為に、少しきの利を受けず、偽り飾りて、名を立てんとす」と譏(そし)る。己れが心に違(たが)へるに因りて、この嘲(あざけ)りを成すにて知りぬ、この人は、下愚(かぐ)の性(せい)、移るべからず、偽りて、小利をも辞すべからず、仮(かり)にも賢を学ぶべからず。

 狂人の真似とて、大路(おほち)を走らば、則ち狂人なり。悪人の真似とて、人を殺さば、悪人なり。驥(き)を学ぶは驥のたぐひ、舜を学ぶは舜の徒(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを賢と言ふべし」(「徒然草 第八十五段」)(「徒然草」島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫版)

 最近、不穏なことが続きます。ぼくには興味はありますが、手元不如意で、指を加えて見ているだけの一観客に過ぎません。いつのころからか、「ネット資本主義(net capitalism)」という新分野が大きな勢力を占めているそうです。小さな資本から数年をヘズして大資本を蓄える「若い資産家」や「老練な財産家」が各地で名を挙げています。過日の「世界同時株安」と、その後の乱高下をもたらしたのは、実体経済ではなく、「むしろ、ネット資本主義の勢力が大きな存在を示したから」だといいます。ものを生産したり商売をするのではなく、目に見えない「資本(金融)」をコンピュータに任せて瞬時の高速取引を日々休むこと亡く繰り返していると言う。まるで機械仕掛けの「スロットマシン」で、瞬く間に大金を得たり失ったりするゲームのようです。部屋中にモニターを開いておいて、それぞれのマーケットの売り買いを、アルゴリズムを読むことで、AIが動かしている。一直線に株価が下落したり(売りが売りを呼ぶ)、その反対に高騰するのは、決して人間業ではないということを教えられている。

 すごい時代に、ぼくたちは生かされているのを実感します。やがて、我々の一挙手一投足もまた、あらゆるデータを仕込まれたコンピュータ(AI)が判断することになるのでしょう。もう、すでにそうなっているとも言えます。世界の終末もまた、AIの手の内にあるするなら、何をどうすれば、人間らしい賢さを失わないで生きられるのか、大いに愚考するばかりです。

 今の時代、「賢い」というのは、それまでとはまったく趣きも方向も異なるようで、まるで自動運転の車で自由にあちこちに移動できる生活を満喫する人がいかにも賢そうだという気がしてきます。しかし、些細な故障や事故がきっかけで、自動運転を支えていた構造(インフラストラクチャ)が壊れれば、たちどころに生活の基盤を壊されてしまう。現代人は、まるで無防備で絶壁の直前を目隠しされて動いているような状態に置かれています。半導体に主導権を握られている生活において、人間の賢さは、それでも意味を保てるのでしょうか。(「南海トラフ」の大型地震がいかにも急襲しそうな報道が出されているが、次の瞬間に来るか、あるいは百年後か、それとも、…。これもまた、アルゴリズムのシミュレーションが示す危機感であり、いかにも予報に似せて、ほとんど無知であることを示してもいる、そんな「曖昧」な危機・機器の時代が、今後の世界なのでしょうか。「備えあれど、憂いあり」ですね。

● アルゴリズム(algorithm)(algrism)算法ともいう。計算の方法,作図の手順,問題を解く手続きなど,一般に情報処理の具体的な方法,手順。例えば定規とコンパスで〈与えられた2点の中点を求める方法〉,計算の繰返しによって〈与えられた2数の最大公約数を求める方法〉(互除法)などがアルゴリズムの基本的な例である。/アルゴリズムの語は,アラビアの数学者フワーリズミーに由来する。12世紀に彼の著作がラテン語に訳されたとき,その書名にアル・フワーリズミーから採ったアルゴアリスミalghoarismiなどの語が冠せられた。その後algorismとつづり,アラビア数字,アラビア式記数法,算術などを意味したが,数を意味するギリシア語arithmosと結びついてalgorithmともつづるようになった。現在〈算法〉という意味ではこの後者がおもに用いられる。
アルゴリズムの意義
ギリシアの三大難問(たとえば〈与えられた任意の角を3等分する一般的な方法を示せ〉)や,代数方程式の解の公式を求める問題は,どれもアルゴリズムの問題と考えることができる。これらは(四次以下の方程式の解の公式を除き)否定的に解かれたが,数学の発展に大きな影響を及ぼした。1930年代に数学基礎論の一部で,論理の限界の研究に関連して,アルゴリズムの一般的な概念(計算可能性)とその限界が論じられた。40年代には,電子計算機の登場によって,アルゴリズムは実用的かつ緊急の意味をもつようになった。どんな仕事でも,電子計算機に実行させるには,そのためのアルゴリズムが必要不可欠だからである。この重要性は電子計算機の普及とともにますます一般化しつつ,現在に至っている。
アルゴリズムとプログラム
アルゴリズムは客観的に明確で,どのような場合に何をなすべきかがつねに具体的に指定されていなければならない。〈適当に〉とか〈主体的判断によって〉などということは許されないのである。そこでアルゴリズムを記述する際に,次の事がらをあらかじめはっきりさせておかなければならない。(1)どんな基本操作が許されるか。(2)適切な基本操作を選択するために,どんな条件の判定が可能か。(3)基本操作およびその実行順序を,どのように書き表すか。例えば作図アルゴリズムにおいては,2点を結ぶ直線をひくこと,ある点を中心にある半径の円を描くことなどが基本操作となる。また〈ある直線の上に,ある点Pが乗っているかどうか〉などはいつでも判定可能とみなされる。作図アルゴリズムはこれらの基本操作および条件判定の列という体裁をとる。複雑なアルゴリズムの記述のためには,実行順序にまぎれが生じないように,人工的な〈記述言語〉あるいは〈プログラミング言語〉を設定し,それに従ってアルゴリズムを記述する。その結果を〈プログラム〉という。(以下略)(改訂新版世界大百科事典)

_________________________

〈朝顔の紺のかなたの月日かな〉

 被爆者と被爆体験者 《被爆体験者とは? 置き去りにされた長崎の被爆者 長崎には「被爆体験者」という人たちがいます。「埋もれた被爆者」などと呼ばれています。被爆体験者とはどういう人で、なぜ被爆者と区別されてしまったのでしょうか。その歴史や制度を、「被爆地域」「体験者」「広島の『黒い雨』」という三つのキーワードで読み解きます。/Q「被爆体験者」とは? A 1945年8月9日、米国が長崎市に投下した原爆の被害に遭ったにもかかわらず、日本政府が線引きした「被爆地域」の外だったため、被爆者と認定されなかった人たちを指す。/いびつな形にひろがった「被爆地域」Q「被爆地域」はどう決められたの? A 政府は57年、広島と長崎で原爆に遭った人々を救済するため、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)をつくった。当時の長崎市や広島市と、その周辺を「被爆地域」とし、約20万人を「被爆者」に認定した。/当時の科学的な知見では、原爆の放射線が身体に影響を及ぼすのは、爆心地から5キロまでと考えられていた。/ところが、旧長崎市内を爆心地から半径5キロで区切ると、同じ市民なのに被爆者に認められる人と、認められない人ができてしまう。こうした混乱を避けるために、国は旧市域全域と周辺の一部を被爆地域に指定した。/その結果、爆心地から東西や北側はほぼ約5キロ圏内だが、南側に12キロまで広がるといういびつな形になった(図の赤色部分)》(以下略)(朝日新聞・2024/08/06)

 長崎における「平和記念式典」に、本年はいくつもの課題が浮き彫りにされたと思います。第一に、長崎市が主催する記念式典に「ロシア・ベラルーシ」「イスラエル」が招待されなかったのは記念式典の趣旨からすれば当たり前だが、その長崎市の判断に対して、G7参加国の駐日大使は不参加を表明した。「イスラエルをロシア並みに扱った」というのがその理由らしい。広島はイスラエルを招待したではないかというわけ。ぼくは政府や自治体が主催する、この種の式典には正直にいうと賛成しない人間です。昨日も触れた市民団体の反核運動が長年続いたというのは、それなりの理由があってのこと、非核や反核に国家や自治体が関わるとろくなことはないというのが、賛成しかねる大きな理由です。

 8月15日の「戦没者追悼式」もその典型として、ぼくは賛意を示したくない。「開戦」をした国家がついには「敗戦」に追い込まれたにも関わらず「終戦」という曖昧な表現で国家意思の発動とその責任を曖昧にしていると感じますから。私人が、それぞれ自らの意思に基づいて「被爆者追悼」「戦没者追悼」を行うべきで、国家や自治体が音頭を取るのはどうかと想います。無謀な戦争を開始し、原爆投下を招いた当事者が、どういう資格で主催者になれるのでしょうか。言うまでもないことですが、この国や自治体の主催する「追悼行事」はいずれ廃止される運命にあります、該当者が存在しなくなったという理由、で。

 第二は、「被爆者」と「被爆体験者」という、実に奇天烈な分類を生み出した政治判断です。詳細は避けますが、両者を分ける根拠はどこにあるか、それをまず明らかにすべきでしょう。「被爆者」と「被爆体験者」の差別化も「敗戦」を「終戦」に言いくるめる誤魔化しに通じます。同じ被害を受けた人間を「明らかな(一級)被爆者」「違う種類の(二級)被爆者」と「区別(認定)」するのは行政の恣意的な判断。水俣病患者の「認定・未認定」問題にも同じ現象が生じていました。理屈にもならないデタラメを言い募っても、結局は、自らの責任において「認定せざるを得ない」のだから、一日も早く認めるべきでしょう。こんなところに国家や行政の不遜な姿勢と無責任のあり様を見てしまう。国家は薄情というよりは無情なんですね。ぼくは「無政府主義(アナーキー)」の持ち主であることを隠しません。

 米軍の空襲で死亡(戦死)した国民は一切救済されないのも同じ論理(屁理屈)に則っているでしょう。自らの意思で始めた「戦争」なら、その犠牲者は誰であろうとも救済されるべき、国にその責任があるのは当然だと思う。どんな問題でも歴史時間の経過によって「風化」は避けられません。まして「被爆者」個人には、年齢の限界があります。間違いなしに、数多の被爆体験者が亡くなるのを首を長くして待っているのが政治や行政の偽らざる態度ではないでしょうか。

 (こんな事例は枚挙に遑(いとま)はありません。「ハンセン病患者」の隔離政策や「優生保護法」を盾にした避妊手術による障害者差別の正当化など、日常的に問題視されてきたものばかりです)

【水や空】流れゆく時間 今でいうと、アサガオがそうだろう。幕末の歌人、橘曙覧(あけみ)に一首がある。〈たのしみは朝おきいでて昨日(きのう)まで無(なか)りし花の咲ける見る時〉。新鮮な朝を迎えた気分にしてくれる風情がある▲はかないものの例えとして「朝顔の露」という。新鮮な趣がある半面、この花は流れゆく時間ともゆかりが深い。二つの原爆の日があり、歳月というものが人の胸を離れない8月に合う花でもある▲被爆者の平均年齢が85歳を超える中で、79回目の長崎原爆の日が巡ってきた。平和祈念式典で読み上げられる長崎平和宣言では、被爆詩人で没後50年に当たる福田須磨子さんの詩が引用される▲人の一生を1日24時間に置き換えてみる。1950(昭和25)年の女性の平均寿命から割り出すと、福田さんが被爆した23歳といえば人生の3分の1、時刻にして午前8時を回ったあたりだろう。希望の朝の年頃だったが、あの日を境に人生は一変する▲長い時が流れ、被爆者と認められない被爆体験者は高齢化し、被爆者団体の活動を引き継ぐ被爆2世も高齢化が進む。年齢を時刻にすれば夜更けに当たるいま、「救済」も「継承」も切実さの極みにある▲〈朝顔の紺のかなたの月日かな〉石田波郷。立ち戻ってはならないかなたの月日があり、あきらめずに歩を進めるべき月日もある。(徹)(長崎新聞・2024/08/09)

・二つ目の原爆の日も過ぎにけり(三橋敏雄)・雀来て原爆の日の水たまり(山本雅子)
・はるかとも昨日のこととも原爆忌(貞吉 直子)・原爆忌人は孤ならず地に祈る(飯田蛇笏)  
・原爆忌子がかげろふに消えゆけり(石原八束)・想ひ起すことが供養の原爆忌 (石山佇牛)  
・死は今も現し身に添ふ原爆忌 (下村ひろし)・雲灼けて声なき山河広島忌 (伊東宏晃)  
・あさがほのはつのつぼみや原爆忌(万太郎)・けりけりと深山ひぐらし原爆忌( 不死男)

_____________________________

「国」に責任はないというのでしょうか

 本日の「平和記念式典」に、長崎市はイスラエル大使を招待対しないという。そのことを理由に、G7諸国の大使が欠席を決めたとされます。それを問われた長崎市長は「政治的理由ではない」と答えた。実際に今、イスラエルは戦争当事国なのだから、「原爆の日に、式典に臨席するのはふさわしくない」とどうして言わないのか、ぼくは不思議に思いました。まさしく「政治的理由」で断ったので、それに反発し「イスラエルはロシア並の扱いを受けた」「不当だ」だから、「我々は参加しない」といG7諸国の大使が共同歩調を取ったのも、まぎれもなく政治的理由からだったでしょう。原爆投下はまさに政治判断だったのであって、人道上でも経済上でもなく、科学の問題でもなく、まさしく核の脅威・威力(戦力としての武器として)を知らしめるためだったから、やりきれない思いで、連綿と「反核運動が」続いてきたのでしょう。それもまた政治行動以外のなにものでもない。(ヘッダー写真は長崎国際テレビ・2024.08.08 20:00)

 本日の奈良新聞に、この問題に関して二つの「意見」が出ていました。「国原譜」と「社説」です。長く続く市民運動について、「1979(昭和54)年から45年間、地道に続けられている長崎県民の『意思表示』だ」とある。きっかけはともかく、「反核」の意思表示を、参加者それぞれの意思で45年間もつづけられてきた、その歴史の長さを思う。もちろん、これも「政治運動」です。政治は政治家だけのものではないのは当たり前で、自らの意思を自他に明らかにする行動そのものが「政治」行動でしょう。それは善悪是非の問題ではなく、已むに已まれぬ当人の判断に基づくのです。「『数分座るだけでも反対の思いを示せる。入りやすい運動だ』と、この方法を始めた一人、被爆教師の山川剛さん(87)の言葉だ」という、その反対運動の政治的な責任の表明と、絶え間なく継続してきた貴重さをつくづく思う。理屈ではなく、原爆や水爆を、いかなる理由でも「正当化」できないという心情からの発信であり、行動だったでしょう。戦争を憎む「感覚」が反核という、真っ当な立場を取らせたのです。

国原譜】きょうは「長崎原爆の日」。「被爆79周年平和祈念式典」が、同市内で開催。初めて参加するアイスランド、アルバニア、スーダンの3カ国を含む、90を超す国・地域から代表が出席する。▶長崎では被爆者らが平和公園の平和祈念像の前で、毎月9日に座り込み、核廃絶などを訴える集会が6月に500回を迎えた(8日付10面「暮らし面」)。▶1979(昭和54)年から45年間、地道に続けられている長崎県民の「意思表示」だ。式典のある8月9日を除き、荒天や新型コロナウイルス禍でも、一度も欠かさず続いている。▶78年10月、放射線漏れ事故(74年)を起こした「原子力船むつ」が佐世保に入港。それに抗議し、翌年3月に約30人で始まったのが発端という。▶6月9日は日曜日と重なり被爆者や労働組合員、高校生ら普段の約4倍、約420人もの参加者が集まった。▶かくも長く続く抗議活動の原動力は何なのか。「数分座るだけでも反対の思いを示せる。入りやすい運動だ」と、この方法を始めた一人、被爆教師の山川剛さん(87)の言葉だ。「継続の力」に勇気づけられる。(恵)(奈良新聞・2024/08/09)

 あろうことか、この国の総理が、広島の地で「核抑止力」の戦略的有効性を口にした。言いようのない頽廃を感ぜざるを得ませんでした。その後も、機会あるごとに「戦争」への道筋をつけることに執心・腐心しているのは、何故でしょうか。つまりは歴史を見ない、歴史から学ばないということでしかないでしょう。歴史に対する感受性が死んでいるか鈍麻しているのです。その一例をぼくは、奈良県を選挙地盤にしている女性政治家に見出していました。そのことを、同日の奈良新聞の「社説」が触れていた。ぼくもこの駄文収録の何処かで、これに関して卑見を述べています。「戦争当事者の世代ではないから反省はしないし、反省を求められるいわれもない」と、若い政治家だった彼女がテレビ番組で悪びれる様子もなく、語るの聴いて、こんな人が政治家になっているのだと、かなりの怪しさ、危なさを抱いたものでした。当人は、三十年以上経っても「自説」を訂正したとは聞かない。

 「戦後世代はあの戦争を体験として持っていない。当たり前だ。その一人である高市早苗・経済安全保障担当大臣(衆院県2区)は、あの戦争での『反省』ということを巡って、戦争当事者の世代ではないから反省はしないし、反省を求められるいわれもない、といったことを述べ、注目されたと記憶する。30年ほど昔のことだ。▶高市氏は、戦後世代の現職国会議員の中では戦争や憲法について最もよく学び、考え、積極的に発言してきた一人だと思う。そのこと自体は高く評価されていい。▶だが私は、あの戦争での反省を求められるいわれはあると思う。歴史認識として、そう思う。国家の基本権とされる「交戦権」と矛盾する憲法9条の存在についても、考え方は異なる。理念と現実問題との区別の意味においてである。このこだわりは捨てられない」(「金曜時評」奈良新聞・同上)

 おそらく、彼女にシンパシーを感じる人々は、中国や朝鮮に謝罪する必要はないと、むしろ彼女の発言に喝采を送っているだろうし、受けを狙ってこの政治家は偏った自説を表明してきたのだと思う。自分は戦争があった時代に生きていなかったから、その「責任」を問われても答えられないというのは、実に正直であり、正直の上にバカが付くほどの深刻度でしょう。自分は戦争を知らないから、責任はないと言ってしまえば、「戦後」時間が経過すれば、誰も戦争責任を問われることはなくなるでしょうが、そんなデタラメは通用しない。現に、広島や長崎に、七十九年前に投下された「原水爆」に対して、戦争当事国が「責任を問われる筋合いはない」と言ったら、どうでしょう。被爆国の人民の一人として、それを容認できるかどうか。家族や親戚、あるいは同じ町内の人々が、戦地に赴き、敵国の兵士を傷つけたことがあり、後年、その事実を「後生」として知るに至ったとき、「申し訳なかった」という気持ちは生まれないでしょうか。「私はだ生まれていなかったから、関係なし」といい切れるか、いい切って何の痛みも感じないか。今も「責任を問われるいわれはない」と考えているなら、実に恥ずかしい、恥知らずな歴史意識だといいたい。「一個人と国民」の関わりをどう考えるか、言わなくてもわかりそうだから、これ以上は贅言を避けます。

 「あの戦争での反省を求められるいわれはあると思う。歴史認識として、そう思う」と書くのはコラム氏です。当然ではないでしょうか。同県選出政治家、それも総理の座を目指すという政治家が、かくもお粗末な「戦争無責任論」を看板にしているとは、恥ずかしい限りだと思われるのではないでしょうか。虚仮威し、大向うを意識した「政治発言」、それはどの政治家にもあるでしょう、しかも、一見勇敢そうな無知の表明は「内側だけに通用する」しかない代物です。こんな「偏見」を国際場裡に持ち出して、誰も何も異論を挟まないと思っているのなら、能天気だし、もし仮に中国や朝鮮(韓国・北朝鮮)半島の政治家や民衆に、発言の問題性を指摘されたら、手もなく「修正・謝罪する」に違いないとぼくは見ています。この手の「お手軽・お粗末政治家」の例には事欠かないのです。ならば、今から、その「偏頗な無責任論」を取り下げたらどうでしょうか。

++++++++++++

 とにかく、立秋が過ぎてもなお暑苦しい日々が続きます。昨日は「南海トラフ」警戒情報も出されました。さらに、この後はいくつもの「台風」も、劣島接近を試みることでしょう。腰を落ち着けて、わが侘しい住まいの「専守防衛」に抜かりのない、そんな秋の日を送りたいものです。

++++

 「気象庁は、きょう8日午後4時43分頃に発生した日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震をうけて、午後7時15分に次の巨大地震に注意を呼びかける「南海トラフ地震臨時情報」(巨大地震注意)を発表しました。気象庁は南海トラフ地震の想定震源域では大規模地震が発生する可能性が普段と比べると高まっているとして、政府や自治体からの情報に応じた防災対応を取るよう呼びかけています。この情報が発表されたのは2019年に運用が始まって以来初めてです」(気象庁・2024年08月08日20:16)

___________________

嘘飾都知事の「崩壊学」事始め

 昨晩の夕食時、テレビ報道で偶然に見てしまった。見たくもないのに、目に飛び込んでくるのですから、避けようがない。都知事の「始球式」の場面。歳を考えなさいとか、どこにでも出しゃばるんじゃないですよ、といいたいのではない。この虚飾知事が仕掛けた神宮外苑再開発で、おそらく間近にこの神宮球場は消えてしまう運命にある、だからその球場を屠(ほうむ)る記念にと、「始球式」を自ら買ってでたのだったろう。この政治家、普段それなりに運動をしているとはとても思えないし、官職(あるいは閑職かも)にあって、さまざまなストレスを被り、いくつかの告発を受けているために、必要以上に「バク食い」に誘われているのか、ボールを投げるには肥大化しすぎだった。東京都ほどの「肥大化」ではないにしろ、年齢相応(72歳)の基準からはいささか無理があって、案の定の「失投」だった。直後の診断では「左膝関節を剥離骨折し全治2ヶ月」と出たそうです。「当面テレワークで公務に臨み」と言うから、いままで通りの勤務形態に変わりがないということのようです。(FNNプライムオンライン・2024/08/07)

【天風録】崩壊学の教え 飲み水のマイボトルを持参し、観戦会場へは自転車でどうぞ。環境への配慮を掲げたパリ五輪たけなわのフランスで9年前に発刊され、ベストセラーになった学術本がある。邦題は「崩壊学」▲地球温暖化やエネルギーの枯渇、生態系や農業の危機を警告する。食料や石油を届ける供給網は、集中とグローバル化を進め過ぎ、もろくなった。あらゆる面で生存の基盤が崩れる兆候がある。悲しいかな、現代文明は既に持続可能じゃないらしい▲足元の日本はどうだろう。エネルギーと食料の自給率が低く、国際紛争やコロナ禍の影響に実際焦った。豪雨や酷暑が当たり前となり、首都直下や南海トラフの巨大地震もいや応なく迫る▲先日、福井市であった全国知事会議の議論が興味深い。人口減少の危機を訴える緊急宣言の決議で東京都知事が反発した。一極集中が課題との表現を「国際競争力を考えれば利点」と削除を求めた。さて独り勝ちの発想で崩壊の時代を生き残れるか▲対応策として、かの本はドミノ倒しに巻き込まれない強い小地域をつくるよう提案する。分散型社会の勧めだ。人材も食料もエネルギーも豊富に生み出せるのは東京じゃないことを、お忘れなく。(中國新聞・2024/08/08)(ヘッダー写真は「都知事骨折」:FNNプライムオンライン・2024/08/07)

 本日の「天風録」はあろうことか「崩壊学の教え」に付いて書かれていた。「パリ五輪」は闌(たけなわ)のようですが、一向に興味がわかないから、まず見ることはない。時々、ネットを彷徨っているとそれなりに目に入ることはあるが、「スポーツ」と言うより「商売」に堕した感のある五輪に爽やかさや美しさが感じられないのは、いささか残念という気もしないではない。負けのない「勝負」に、負けるというのですから、まるで謎ですな。また、スケボーや体操にどうして国旗や国歌がまとわりつくのか、それがぼくには認めがたいこと。「あらゆる面で生存の基盤が崩れる兆候がある。悲しいかな、現代文明は既に持続可能じゃないらしい」というのに、その危機に対処する方策が見いだせないままで、それこそ「世界は崩壊へ」一目散という状況にあるというほかありません。五輪はなんですか、崩壊への抵抗ですか。それとも崩壊への行進曲でしょうか。

 この東海の小島の現状はどうか。災害は日常茶飯事のごとくに、発生すれば、一瞬に庶民の平安を奪う。いつでもどこにいても、「明日は我が身」と身を萎縮させるような明け暮れに深い不安がまとわりついているのが本当のところでしょうか。都市への一極集中が諸悪の根源という指摘に異を唱える向きはないものと思っていたのに、なんと都知事が異論を放ったというのです。「人口減少の危機を訴える緊急宣言の決議で東京都知事が反発した。一極集中が課題との表現を『国際競争力を考えれば利点』と削除を求めた」という。何を根拠に『利点」を持ち出したか。ここはコラム氏の指摘に頷くのが当然でしょう、曰く「さて独り勝ちの発想で崩壊の時代を生き残れるか」と。都知事は大いなる勘違いをしているか、時代感覚が狂っているとしか思えません。人口は全体の一割を占めているが、そこに渦巻いている民衆から、新生児はまず期待できないことをどう考えているのか。おそらく何も考えていないで、金さえ配れば知事の座は安泰だという程度の政治音痴をか隠さないのでしょう。

 「出生率、0,99」状態が続けば、東京の人口は減る他ない。構いません、流入がどんどん進むからと言うなら、まさしく、東京都は「この国の崩壊」を早めることに貢献する。「国際競争力」とは何を指しているのか。先般の都知事選で「東京を世界一の都市に」と叫んでいた人です。この御仁もまた、根拠のない「一番病」に取り憑かれている。「一番」になるためには嘘でも何でも利用するというのは、それこそ「崩壊学」のイロハのイではないかと愚考する。つまりは「自分さえよければ」ということであって、他は顧みる値打ちもないというのです。東京都は世界一、他都市は最低、それでいいというのは盗人の理(三分の理)であり、古い言葉では「一将功成りて万骨枯る(Thousands die to produce one hero in war)」という。目立ちたがりがあらぬ地位につくと、万民が苦労し苦悶するのです。それをさせるのは、「要路にある」人間として恥辱に値する行為でしょう。

 この「全国知事会」の記録をまだよく調べていません。果たして、この「唯我独尊」都知事の発言に異を唱えた別の知事がいたかどうか。いたとは思うが、それはどういう内容だったかを、よく調べてみたい。不適切な例えですが、核戦争が起こっている時に、自分だけが「核シェルター」に隠れて助かるという、まるでコソドロ的な愚かな存在に比すことができませんか。自分一人生き残って、さて、その後の「ノーマンズ・ランド」で何をどうしようというのでしょうか。

 昨夜の「始球式」の場面を偶然目にし、ぼくは、この先の「政治」という「不真面目舞台」にさらに暗澹たる思いを抱きました。醜態をさらして、なお恥じるところのない人間に何ができるでしょうか。都内の名だたる公園を潰して、大手不動産に払い下げる、それに有象無象、金の亡者が貪りつくさまが手に取るように見えます。それが、実は堂々と「政治」になっているという末法の世のあからさまな実態です。

 骨折治療二ヶ月余、「問題はありません、リモートでやれますから」というお気楽な商売に勤しんでいる隙間に、この大都会はますます地盤沈下を進めるでしょう。予測される大地震が杞憂であることを願うばかりです。もちろん、即刻の知事退場が何よりですが。(左写真「都心最大級延床約110万m2、日比谷公園と一体となった比類なき街づくり「TOKYO CROSS PARK構想」を発表 内幸町一丁目街区における次世代スマートシティプロジェクト」三井不動産・https://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2022/0324/

_________________________

風鈴の一つ残りて秋に入る 

 本日は「立秋」です。誰が決めたか、昔々からそう呼ばれています。「さあ秋が始まりましたよ、みなさん」という呼びかけでしょうか。とは言え、盛夏のさなかとも言えるような酷暑だ。世間ではこの日以降は「残暑」と、それぞれにご機嫌を伺うという習慣が根付いていました。ぼくも人並に、「残暑見舞い」を戴いたり、返信したりしていましたが、今はほとんど絶えてしまったようです。気分も実際も「残暑どころ」ではないからです。

 昨日は、まる一年ぶりに元同僚と、外房線土気駅前で再会しました。(昨年同時期には茂原駅近くで)宗教学の研究家であり、ドイツの神秘家エックハルトの紹介者でもある人。毎年のように、房総の大原の地で宿泊施設を開いているドイツ人のところに遊ぶことを常とし、今回も家族総勢九人だったかで来られたそうで、その帰路、一人だけ別行動で、小生に声をかけてくれたのだった。かれこれ三十五年の交流。彼は大学卒業後、細君ともどもドイツに留学。通算で七年か八年の苦学に及んだと言う。ぼくには及びもつかない努力の人だったでしょう。帰国後、都下の大学に職を得て、その後に出身大学に来られた。(右下はT氏の編集翻訳による岩波文庫)

 なかなか癖のある人で、ぼくには、どちらかと言うと、とても「苦手の部類」に入る御仁。どういうわけだか、そんなぼくに親しくしてくださるのだから、選り好みをしてはいけないということか。彼の特質は、どんな話をしていても、いつしか自分のこと(自慢話)になっているという特技の持ち主です。この手の人物に、もう一人ぼくの先輩がいました。彼は自分を高く見せるために他人を引き合いに出すという、嫌な性分のタイプで、ぼくはそんな先輩に不信の念を隠さなかった。世間的には偉い学者になられ、全国学会の会長職にも就いていた。これもまた、及びがたしというほかない先輩だった。その筋では名が知られたが、人間的には余り褒められない存在だったと、ぼくは思う。天気の話でも、映画や世間話をしていても、いつも最後には自分の自慢話、そんな特技を持っている人など、どうしてもぼくは好きになれなかった。

 では、Tさんはどうか。似たようなもので、やはりぼくは苦手。彼のことをよく知っているつもりのぼくに対しても「自慢したがる」というのはどういうことか。誰よりも彼のことを理解しているだろう、かみさんや子どもたちに対してもそうだろうかと気を回してしまう。それでも、ぼくに声をかけてくださるのだから、贅沢を言ってはいけないと自重・自嘲はしている。あるときなどは面と向かって「ボクハ・キミガ・スキではない」と言ったのに、凄いものでそれを反対に受け止めた。こういう人は、幸せだろうなあと思う。地球が自分中心に動いていることを疑わないのですから。数年前に癌が発見され、手術をされたそうです。その後の経過は良好で、健康維持のために水泳や筋トレに励んでおられると言う。ご健勝を祈るや切、です。

 彼は高校生の時に出会った恩師(漢文の教師でもあったそうです)の影響を受けて、早くから鎌倉円覚寺に出入りしている。座禅も長く続けられている。その割には「世俗臭」が紛々とするのは円覚寺派のせいであるかどうか。その事情はぼくはわからない。早く(明治二十七、八年頃)に夏目漱石は、やはり円覚寺に赴き、釈宗演師(右下写真)から指導を受けたという話を何処かで書いている(小説「門」にもその経験が書かれている)。この釈宗演の弟子筋に当たるのが鈴木大拙さん。「大拙」の号を贈ったのも釈宗演氏でした)座禅を積めば積むほど、世間が恋しくなるのか、世間臭が濃すぎる身を始末をしようとして座禅を組むのか。ぼくはそんなものには一切興味のない人間で、禅がどうこうと語りそうな人物はいつでも敬遠している。禅を積めば、積むほど、何事についてであれ、語らない・語れなくなるのではないですか。

 「真言(mantra)」とは、ついには「不立文字(ふりゅうもんじ)」であるとも言うでしょう。「禅宗の根本的立場を示す語。悟りの内容は文字や言説で伝えられるものではないということ。仏の教えは師の心から弟子の心へ直接伝えられるものであるという以心伝心の境地を表したもの。ふりつもんじ」(デジタル大辞泉)言葉(文字)は便利だけれども、邪魔になることも大いにあるということですね。だから、「カントの言葉」「ブッダの語り」はあるでしょう。しかし、「カントの思想」や「ブッダの哲学」というものは存在しませんでしょう。あると思っているだけ、錯覚に過ぎない。「思想」というものは語ったり、書いたりするものではなく、その人の「態度」「姿勢」だとぼくは考えてきたのです。

 これはTさん、その人の悪口ではない。人間の癖の話です。そんな生意気を言うぼくにも、誰もが眉をひそめる悪癖・習癖があるでしょう。それを隠して生きてはこなかったから、いささかなりとも世に憚ることができたのかも知れません、不幸なことでしたが。年に一度、わざわざ、都心から出向いて、その帰り道とは言え、小生に声をかけてくださるのだからありがたいこと、感謝感謝と言うべきでしょう。これが年に何度にもなるなら、少々、いや大いに閉口はするに違いない。彼も、そう思っているでしょうね。昨日も抱えていたカバンから取り出したのは「華厳経」をまとめた文庫本でした。ぼくより三歳下の学者にして、今もなお、この執着・執心のあることにぼくは驚きもし感心もしました。釈迦の事蹟を丹念にたどると、おそらく、普段生きている世間とは別乾坤にあることになるはずですが、それをいとも簡単・容易に果たせるのは、ぼくには真似のできない才能だと思ってしまうのです。

 (表題句は島村元氏の作。若く「ホトトギス」同人、将来を嘱望されるも夭折(1893-1923)。

【少社会】立秋 宵に散歩していて、ユウガオの花を見つけた。日が沈んだ後も、まとわりつく暑さに悩まされる毎日。清らかで、気品さも漂う白花に出合い、しばし足を止めたことだった。▶夕方に開花し、朝にはしぼんでしまう花でもある。毎年育てていたという随筆家の故白洲正子さんは、著書に「名月の晩などは、そこはかとない花が闇の中に浮き出て、えもいわれぬ風情」だとつづった。想像するだけで涼しくなる。▶ユウガオに「源氏物語」の登場人物「夕顔」を連想する方もいるだろう。光源氏と過ごした夜、もののけに取りつかれ急死する女性である。紫式部ははかない一夜花を彼女に重ねたのだろう。こちらも切なく、少し背筋が寒くなる話ではある。▶暦の上では夏は終わったのだから、暑さの実感も少しは和らいでくれるとよいのだが。立秋を迎えた。気象庁の統計によると、高知市の気温が一年で最も高くなるのは8月2~12日。なんと立秋は一番暑い時季らしい。▶しかも、その最高気温は平年値で32・4度。ことしは毎日超えており、この先も厳しい残暑になりそうだ。よさこい祭りやお盆も控える。引き続き熱中症に注意を。▶ユウガオを見つけた翌日、自宅前でツクツクボウシが鳴いた。秋のセミの代表格。猛暑でも暦と同様に出番はやってくるらしい。ただ、こうも日差しが強いと、土に戻りたい気分だろう。〈鳴きはじめたる法師蝉(ぜみ)も熱の中〉野見山朱鳥。(高知新聞・2024/08/07)(ヘッダー写真「暦生活」:https://www.543life.com/content/shun/post20210710.html

______________________