
「茹(う)だるような暑さ」という表現があります。まさしく、そのような「茹だる」状態が連日続いていますね。昨日出された気象庁の三ヶ月予報でも、まだまだ暑さは残るらしい。巷では昨年来の「米不足」が深刻化しているという報道が頻(しき)りです。前年の積雪量の少なさが、肝腎な時期に田んぼへの水不足をもたらしていること、加えて、この数年の異常な酷暑など、いわば気象条件の大きな変化によるのが理由らしい。拙宅は比較的小高い辺地にあり、「熱帯夜」の回数は、夏のシーズンでは一回あるか二回あるか。しかし、このところの強烈な灼熱の太陽がもたらす異常高温で、流石に一日に一時間ほど、いやいやながらエアコンを点ける機会が増えました。それやこれやの「気象異常」は人事を含めた森羅万象に、いろいろな弊害をもたらしているとも言えます。
このところ寝床につくのが遅くなっている。理由は単純で、かみさんの宵っ張りと猫の夜遊びが過ぎるから、つい遅くまで起きていろいろと文句を言わねばならぬからです。遅いと言っても十一時過ぎ、遅くとも十二時前には床に入る。どうかすると、早朝三時に起こされるからです。昨晩初めて気が付いたのではありませんが、改めて夜中の虫の声に「心が洗われる」との想いを実感した。今更という気もしますが、こと改めて、秋の夜長を鳴き通す、ああ、ありがたや虫の声です。いったいどんな虫たちが夜中の合唱・合奏を奏でているのか、よく調べていないので、皆目見当もつきませんが、いずれ、ぼくたちに親しい虫たちであるのだろうと想像します。

夜明けと夕刻の蜩(ひぐらし)、日中の鶯(うぐいす)、それに加えて、夜中に集(すだ)く虫たちの声。これだけの虫や鳥の鳴き声に恵まれているのですから、ぼくは、そればかりは果報者と言いたくなりますが、それに反して、わが耳目に飛び込んでくるニュースは、その喜びを蹴散らすがごとくに礼儀知らずの振る舞いに見えます。でもそこはそれ、いいことも悪いことも含めての人生であってみれば、その一々に取り合ってあたふたするには及ばないのかも知れません。禍福(かふく)は糾(あざ)える縄の如し、というとおりでしょう。「「史記‐南越伝」の「因レ禍為レ福、成敗之転、譬若二糾纏一」から ) わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸はなわをより合わせたように表裏をなすものであるの意」(精選版日本国語大辞典)
自分にとっていいことばかりでもなければ悪いことばかりでもないのは、ぼくのような与太でも、八十年近くの経験から知っている。何事にも「一喜一憂」したくないというのがぼくの性分。小さい頃から、いつだって、だれかれとなく言われたのは「君は、冷たい」という非難めいた評価だった。大喜びもしないし、悲嘆に暮れることもない、もちろん付和雷同はまずしない、実に恬々淡々。それが周囲の人には気に障ったのかも知れません。「死ぬも生きるも(泣くも笑うも)、ねえおまえ」という塩梅ですね。ぼくはこの「船頭小唄」が好きでした。別名「枯れすすき」「船の船頭で暮らそうよ」。ここに「思想」があると言えば怪訝に思われるでしょう。なに「思想」と言って、それは書かれたものにあるのではなく、その人の立ち居振る舞い、つまりは「態度」「姿勢」なんですよ。これを間違えるととんでもないことになる。大方は間違えているけれど。この「歌」は大正10年ころに作られた。野口雨情・作詞、中山晋平・作曲。翌々年の関東大震災の発生にも符合して、爆発的に流行したと言われます。(*「船頭小唄」呉欣達・歌:https://www.youtube.com/watch?v=EvZqii75W0E)

船頭小唄 作詞:野口 雨情 作曲:中山 晋平
1
俺は河原の 枯れすすき
おなじお前も 枯れすすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れすすき
2
死ぬも生きるも ねえお前
水の流れに 何かわろ
俺もお前も 利根川の
船の船頭で 暮らそうよ
3
枯れた真菰に 照らしてる
潮来出島の お月さん
わたしゃこれから 利根川の
船の船頭で 暮らすのよ
4
なぜに冷たい 吹く風か
枯れたすすきの 二人ゆえ
熱い涙の 出たときは
汲んでおくれよ お月さん
5
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れすすき
水を枕に 利根川の
船の船頭で 暮らそうよ
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コラム「雷鳴抄」も毎日読んでいます。下野(栃木)新聞のコラム。このような「写経ノート」が大流行のようですね。10年間で4万2千部というのですから、ファンが多いんですね。本日の記事全文字数は561字。これぐらいでちょうどいいのでしょうね。これを毎日書き写している人が多いというのは、一面では記者冥利に尽きるとも言えそうです。ぼくなども、全文写経はしていないけれど、ほぼ書き写しのようなもので、このような短文の書き手や「写経」を語ろうとすると、いろいろなことが思い出されてきます。
【雷鳴抄】雷鳴抄ノート10年 小欄を書き写す専用ノート「雷鳴抄 コラム書き写しノート」は、発売から10年がたった。ご覧いただくだけでありがたい。さらに、書き写す人がいると思うと、より細心の筆運びになる▼パソコン、スマホが当たり前の時代、ペンや鉛筆を手に紙に向かう機会は、どの世代でも減りつつある。手書きを忘れないための訓練、脳トレとして、日課にしている人も多いようだ▼県内年間ベストセラー(落合書店調べ)では、発売から10年連続でベストテン入りしている。ことし4月末までに延べ約4万2千冊発行された、隠れたロングセラーといえる▼発売当初、1冊の雷鳴抄ノートが送られてきた。美しい文字で雷鳴抄を書き写し、メモ欄には感想や自分で調べた関連情報がびっしりと書き込まれている。差出人、ノートの作成者は分からないが、愛情を持って向き合ってくれている様子が分かり、今でも大切に職場で保管している▼「始めたキッカケは、知り合いから誕生日プレゼントでもらったことでした」「毎日雷鳴抄と戦っています」とのメモもある。苦労する様子に、雷鳴抄と格闘する同志だとの思いも抱く▼仏教の経文を書き写す写経に打ち込む人もいる。経文に例えるのは僭越(せんえつ)だが、雷鳴抄を“写抄”している人の姿を想像してみた。そして、1文字ずつ丁寧にしたためた。(下野新聞・2024/08/20)

ぼくも、その昔はよく他人の文章を筆写ししました。もっとも熱心に書き写したのは柳田國男さん。一体どれほどのノートになったでしょうか。今でもその書写ノートの幾分かは残っています。それを開くと、不思議なもので、柳田さんの文章の調子までが迫ってくるような感じがします。その他は、外国人の文章が多かった。まあ、一種の翻訳のつもりで英語やドイツ語、フランス語などを必死で書き写したものでした。どうしても、自分の身体で文章を「書く(写す)」という作業を介さないと、書かれているものがよく理解できないという気もしていました。ぼくは語学は苦手でしたが、それでも「翻訳」をしなければならなかったので、原文を書写したのでした。ぼくにとって「翻訳」は、ある種の「熟読」に他ならなかった。「毎日雷鳴抄と戦っています」との読者の感想。実に嬉しいでしょうね、記者にとっては。
ぼく自身には想像もできないけれど、記者氏は書かれる。「雷鳴抄を“写抄”している人の姿を想像してみた。そして、1文字ずつ丁寧にしたためた」と、神妙の面持ちで結ばれています。ぼくは毎日、好き放題に各紙のコラムを読んでいます。あるいは時には、読み流しています。無礼千万、ですね。でも、「なるほど!」という記事に中(あ)たると、その喜びを直接記者氏に伝えることにしています、もちろん感謝も。その反対のあることは言わずもがな。「こういうことで、どうもおかしいですね」とはっきりと物申すこともあります。

水を枕に 利根川の
船の船頭で 暮らそうよ(野口雨情)
(令和の船頭さんはモーターを操って、颯爽としていますよ)
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