死ぬも生きるも ねえおまえ ♫

 「茹(う)だるような暑さ」という表現があります。まさしく、そのような「茹だる」状態が連日続いていますね。昨日出された気象庁の三ヶ月予報でも、まだまだ暑さは残るらしい。巷では昨年来の「米不足」が深刻化しているという報道が頻(しき)りです。前年の積雪量の少なさが、肝腎な時期に田んぼへの水不足をもたらしていること、加えて、この数年の異常な酷暑など、いわば気象条件の大きな変化によるのが理由らしい。拙宅は比較的小高い辺地にあり、「熱帯夜」の回数は、夏のシーズンでは一回あるか二回あるか。しかし、このところの強烈な灼熱の太陽がもたらす異常高温で、流石に一日に一時間ほど、いやいやながらエアコンを点ける機会が増えました。それやこれやの「気象異常」は人事を含めた森羅万象に、いろいろな弊害をもたらしているとも言えます。

 このところ寝床につくのが遅くなっている。理由は単純で、かみさんの宵っ張りと猫の夜遊びが過ぎるから、つい遅くまで起きていろいろと文句を言わねばならぬからです。遅いと言っても十一時過ぎ、遅くとも十二時前には床に入る。どうかすると、早朝三時に起こされるからです。昨晩初めて気が付いたのではありませんが、改めて夜中の虫の声に「心が洗われる」との想いを実感した。今更という気もしますが、こと改めて、秋の夜長を鳴き通す、ああ、ありがたや虫の声です。いったいどんな虫たちが夜中の合唱・合奏を奏でているのか、よく調べていないので、皆目見当もつきませんが、いずれ、ぼくたちに親しい虫たちであるのだろうと想像します。

 夜明けと夕刻の蜩(ひぐらし)、日中の鶯(うぐいす)、それに加えて、夜中に集(すだ)く虫たちの声。これだけの虫や鳥の鳴き声に恵まれているのですから、ぼくは、そればかりは果報者と言いたくなりますが、それに反して、わが耳目に飛び込んでくるニュースは、その喜びを蹴散らすがごとくに礼儀知らずの振る舞いに見えます。でもそこはそれ、いいことも悪いことも含めての人生であってみれば、その一々に取り合ってあたふたするには及ばないのかも知れません。禍福(かふく)は糾(あざ)える縄の如し、というとおりでしょう。「「史記‐南越伝」の「因禍為福、成敗之転、譬若糾纏」から ) わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸はなわをより合わせたように表裏をなすものであるの意」(精選版日本国語大辞典)

 自分にとっていいことばかりでもなければ悪いことばかりでもないのは、ぼくのような与太でも、八十年近くの経験から知っている。何事にも「一喜一憂」したくないというのがぼくの性分。小さい頃から、いつだって、だれかれとなく言われたのは「君は、冷たい」という非難めいた評価だった。大喜びもしないし、悲嘆に暮れることもない、もちろん付和雷同はまずしない、実に恬々淡々。それが周囲の人には気に障ったのかも知れません。「死ぬも生きるも(泣くも笑うも)、ねえおまえ」という塩梅ですね。ぼくはこの「船頭小唄」が好きでした。別名「枯れすすき」「船の船頭で暮らそうよ」。ここに「思想」があると言えば怪訝に思われるでしょう。なに「思想」と言って、それは書かれたものにあるのではなく、その人の立ち居振る舞い、つまりは「態度」「姿勢」なんですよ。これを間違えるととんでもないことになる。大方は間違えているけれど。この「歌」は大正10年ころに作られた。野口雨情・作詞、中山晋平・作曲。翌々年の関東大震災の発生にも符合して、爆発的に流行したと言われます。(*「船頭小唄」呉欣達・歌https://www.youtube.com/watch?v=EvZqii75W0E

船頭小唄  作詞:野口 雨情  作曲:中山 晋平
1 
俺は河原の 枯れすすき     
おなじお前も 枯れすすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れすすき

2 
死ぬも生きるも ねえお前
水の流れに 何かわろ
俺もお前も 利根川の
船の船頭で 暮らそうよ

3 
枯れた真菰に 照らしてる
潮来出島の お月さん
わたしゃこれから 利根川の
船の船頭で 暮らすのよ

4 
なぜに冷たい 吹く風か
枯れたすすきの 二人ゆえ
熱い涙の 出たときは
汲んでおくれよ お月さん

5 
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れすすき
水を枕に 利根川の
船の船頭で 暮らそうよ

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 コラム「雷鳴抄」も毎日読んでいます。下野(栃木)新聞のコラム。このような「写経ノート」が大流行のようですね。10年間で4万2千部というのですから、ファンが多いんですね。本日の記事全文字数は561字。これぐらいでちょうどいいのでしょうね。これを毎日書き写している人が多いというのは、一面では記者冥利に尽きるとも言えそうです。ぼくなども、全文写経はしていないけれど、ほぼ書き写しのようなもので、このような短文の書き手や「写経」を語ろうとすると、いろいろなことが思い出されてきます。

【雷鳴抄】雷鳴抄ノート10年 小欄を書き写す専用ノート「雷鳴抄 コラム書き写しノート」は、発売から10年がたった。ご覧いただくだけでありがたい。さらに、書き写す人がいると思うと、より細心の筆運びになる▼パソコン、スマホが当たり前の時代、ペンや鉛筆を手に紙に向かう機会は、どの世代でも減りつつある。手書きを忘れないための訓練、脳トレとして、日課にしている人も多いようだ▼県内年間ベストセラー(落合書店調べ)では、発売から10年連続でベストテン入りしている。ことし4月末までに延べ約4万2千冊発行された、隠れたロングセラーといえる▼発売当初、1冊の雷鳴抄ノートが送られてきた。美しい文字で雷鳴抄を書き写し、メモ欄には感想や自分で調べた関連情報がびっしりと書き込まれている。差出人、ノートの作成者は分からないが、愛情を持って向き合ってくれている様子が分かり、今でも大切に職場で保管している▼「始めたキッカケは、知り合いから誕生日プレゼントでもらったことでした」「毎日雷鳴抄と戦っています」とのメモもある。苦労する様子に、雷鳴抄と格闘する同志だとの思いも抱く▼仏教の経文を書き写す写経に打ち込む人もいる。経文に例えるのは僭越(せんえつ)だが、雷鳴抄を“写抄”している人の姿を想像してみた。そして、1文字ずつ丁寧にしたためた。(下野新聞・2024/08/20)

 ぼくも、その昔はよく他人の文章を筆写ししました。もっとも熱心に書き写したのは柳田國男さん。一体どれほどのノートになったでしょうか。今でもその書写ノートの幾分かは残っています。それを開くと、不思議なもので、柳田さんの文章の調子までが迫ってくるような感じがします。その他は、外国人の文章が多かった。まあ、一種の翻訳のつもりで英語やドイツ語、フランス語などを必死で書き写したものでした。どうしても、自分の身体で文章を「書く(写す)」という作業を介さないと、書かれているものがよく理解できないという気もしていました。ぼくは語学は苦手でしたが、それでも「翻訳」をしなければならなかったので、原文を書写したのでした。ぼくにとって「翻訳」は、ある種の「熟読」に他ならなかった。「毎日雷鳴抄と戦っています」との読者の感想。実に嬉しいでしょうね、記者にとっては。

 ぼく自身には想像もできないけれど、記者氏は書かれる。「雷鳴抄を“写抄”している人の姿を想像してみた。そして、1文字ずつ丁寧にしたためた」と、神妙の面持ちで結ばれています。ぼくは毎日、好き放題に各紙のコラムを読んでいます。あるいは時には、読み流しています。無礼千万、ですね。でも、「なるほど!」という記事に中(あ)たると、その喜びを直接記者氏に伝えることにしています、もちろん感謝も。その反対のあることは言わずもがな。「こういうことで、どうもおかしいですね」とはっきりと物申すこともあります。

 水を枕に 利根川の
 船の船頭で 暮らそうよ
(野口雨情)

 (令和の船頭さんはモーターを操って、颯爽としていますよ)

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 「火遊び」は程々に、じゃないですか

 本日は「花火」あるいは「花火大会」について、です。奈良新聞の「国原譜」氏は、現下の花火大会中止状況を説明し、それを歓迎しているのか、悲しんでいるのか、よくわからない論調で一貫されています。習俗の域にある各種行事がコロナ禍に逢着して、一旦中止と相成った。コロナ禍が明けたら再開かと思いきや、実はそうではないことも多かった。問題は花火大会だけではなかったが、その花火大会の中止が右へ為らへしているのは。昨今の事情が影響していたのです。それをコラム氏は書かれている。これから、もし花火大会を挙行・強行するなら、今以上に人里離れた、人跡未踏の地で開く以外に方途はなくなるかも知れない。でも、そこにはたくさんの野生の動物がいるのをなんとしましょうか。愚見です、何事も「ささやかに」、「控えめに」がいいのではないですか。

 【国原譜】花火といえば夏。これには理由がある。打ち上げ花火のはじまりは江戸時代までにさかのぼるが、疫病などで亡くなった人の慰霊のために上げたらしい。そのため、花火大会はお盆の前後に多い。▶ ところが、今年、夏の風物詩である花火大会が全国各地で中止になっている=本紙18日付12面既報。理由は落下する燃えかすに対する近隣住民からの苦情の増加だという。▶ 特に問題なのが、家庭用の太陽光パネル。花火の燃えかすが付着すると発電効率が悪くなるからだ。▶ 昨年は新型コロナウイルス禍が明け、数年ぶりの開催となった花火大会が多い。自治体の関係者は「毎年であれば慣れもあるが期間が開き、意識が変わったのでは」と苦情増加の原因を分析しているという。▶ 祭りなどの民俗行事もコロナ禍で休止になり、復活できない行事も多い。続けていくことの大切さと、その難しさを感じさせる。▶ そんな中、コロナ禍や台風などで中止が続いた五條市の吉野川祭りの花火が今年、6年ぶりに開催。県内ではほかにも復活した行事は多く、関係者の努力と熱意に敬意を表したい。(法)(奈良新聞・2024/08/20)

拙宅の直ぐ側(徒歩十分ほどの距離)に、リゾート施設がある。ホテルやグランピング場、それにいくつかの運動施設も経営し、コテージもふんだんにある。夏場にはプールも開かれる。当地に越してきた当座はそこでの和洋の食事を楽しみにしていた時期もありました。やがて、コロナが施設経営を直撃し、その影響でしょうか、今では経営母体も別企業に代わって、これまで通り気軽に利用ができなくなった。それはどうでもいいことですが、この施設では、特に夏休みだからというのでしょうか、週に一回ほど花火が打ち上げられる。音はすごいが、その様子は自宅からは見えません。あまりにも樹木が成長しすぎたからで、その森の梢を超えて高く夜空に打ち上げられるほどの大仕掛けではないし、ものの十分もすれば終わり。思い出したように、大きな音(だけは一人前)に驚かされる。しかし心も気分も浮かれるようなことはありません。

 ぼくは「花火大会」なるものにはまず興味がない。(どうして、「花火大会」と銘打つんでしょうね。やはりどこかしら、競争している気になってるんですね)これまでに、真面目に観に出かけたことは一度もない。誘われわれても行く気にならないから仕方がない。その昔、東京都荒川内に親戚があって、隅田川花火を「自宅見物席」で見ようではないかということになった。お呼ばれに応じはしましたが、花火はそっちのけで、呑んでいた記憶があります。花火が好きではない理由はなんだろうか。自分でもよくわからない。一瞬の芸術とかいうけれど、その芸術性が理解できないのです。それくらいなら、自宅の庭で、孫たちが線香花火や何かを楽しんでいるのを見ている方が、よほどいいと思ったりします。

 近年では、自然災害などの犠牲者の「慰霊の花火」という、禍々しい行事も盛んになっている。至るところで自然災害が猛威を振るうのがこの劣島の常ですから、それこそ寧日暇なしで、間を置かずにドカーンドカーンと打ち上げられる。「これが慰霊ですか?」と訝しくなり、嫌な風潮だなと気分まで悪くなる。以前に住んでいた佐倉市でも、毎夏印旛沼で花火大会が行われていた。見に行ったことはない。それがいつしか取りやめになった。あまりにも予算が膨らみすぎたからだという。景気よく打ち上げられはしますが、規模にもよるけれど、多くは億の金があっという間に花火の燃えカスになる。無駄というか、人騒がせというべきか。近年では、花火の燃えカスが至るところに「落下」し、車などにその被害が及んでいる。それを理由に中止するところも出ている。(もともとはやりたくなかったと思う。金も人もかかるからね)とにかく、いい傾向ですね。

 もう何十年も前、京都在住時代、嵐山の渡月橋あたりで花火大会が行われた。見物には行かなかったが、それが翌年には中止になった。その理由は「岩田山猿公園」のおサルを驚かせたからというものでした。人間を驚かすのは問題なしというんでしょうね。房総半島(千葉県)だけでも、毎年どれくらいの「花火」が各自治体競って打ち上げられているのでしょうか。それを望む人がいることは事実です。だから、のべつにドカーンとやっても構わないということにはならないでしょう。今ではあらゆる行事(五輪など)でも、怪しげな花火が打ち上げられます。うるさいことですね。「花火」で有名なのが山下清さんの「長岡の花火」です。あれは貼り絵(切り絵)作品だから見ていて心動かされるのでしょう。ぼくはそうです。本来、花火は打ち上げられる瞬間の砲声の如き轟(とどろき)よりも、消えかかろうとする瞬間の静謐さに、ぼくはある種の寂しさを感じる。それはそれで風情のあることです。だから写真であれ、絵画や切り絵などで鑑賞するほうが、ぼくには遥かに花火の奥深さ本性質などを感じさせられるのです。

 というわけで、四年に一回程度ならまだしも、毎年、それも隣の町内同士や各自治体が競って打ち上げるというのは、能のないことだというほかありません。この国、社会では何にしても競争したくなるし、競争である限りは他者に勝ちたくなるという宿痾というか痼疾というものがあるように思います。これもまた、アルシュの「一番病」ですね。ぼくが住んでいるのは房総半島長柄町ですが、その隣村は長生村、隣市は茂原や市原です。長柄町でも、長柄ダムかどこかで打ち上げていたことがかつてあったのかもしれません。このところの財政逼迫で、今では行われてはおりません(いいことだ)、でも隣市や町村は相変わらず、一瞬の火遊びで少なくない税金を燃やしているのです。これを愚行と言わずしてどうしますと、ぼくなどは考えてしまう。

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犬も走れば棒に当たる?

 ただいま朝五時。室温29℃、湿度82%。蒸し暑い日となりそう。曇り空です。四時過ぎから、ひとしきり蜩の合唱が続いたが、それほど激しいものではなかった。同じ個体の鳴き声も聞こえているのでしょうが、果たして何日鳴き続けるのだろうかと、とても気にはなります。

 政権党の総裁選挙に十名を越える候補者が出そうだとしきりに報道がなされています。結構ですねという気もありませんし、それだけ人材が豊富なのかどうか、実に訝しく思われます。政治家になることは、多くの人にとっては過酷なレースに参加することを意味します。「政治レース」への出場をかけて鎬(しのぎ)を削るのですから。この社会でいうと、国会議員になれば、どうしても最高峰を目指したいと多くの議員さんは願うでしょう。あるいは「勝馬に乗りたい」と。だから、日々の政治活動は、並(な)べて「権力闘争」の一環だと言っても過言ではないほどです。政党の中にはいくつもの「組」(派閥)があり、その派閥の長を担いで権力の掌握を図るのですから、日々これ競争という、それこそが政治なんだと言うことになります。

 (ヘッダー写真は「I-stockフリー画像」です。世界的に行われてきた「ドッグレース」は、その過酷な飼育・競争環境のゆえに、多くの地域では禁止されつつあります。競争犬に仕立てられた犬たちの末路は残酷そのものです。だから、それが禁止されるのはとてもいい傾向だと思う。某国の「総裁レース」も、議員個人や候補者にかかる負荷や負担の重さが、本来の政治を歪めてきた(金まみれになるしかなかった、上から下までが金の亡者に成り下がっている)が故に、近い将来は禁止になるのではないですか。それを期待しますね。「都知事選」のように、たくさんの候補者が名乗りを上げるということは、いかなる裏事情があるのか。近い内に明らかにしたい)

 まるで小学校や中学校のクラス委員長選挙に、組の半分が立候補したような塩梅で、勝れた、望ましい「総裁(組長)」が生まれ出る気配・雰囲気は皆無です。なぜこんなに多くが立候補したくなったのか。それは実に単純で、例えば、「AKB」のメッンバー程度なら、私だってと、素人が少し練習してそれなりに活躍する、そんな現象があるでしょう。デモクラシーの崩壊過程でもあるかも知れません。この数代の「総理」の器量や器の程度を見ていると、あんなアホでもなれるんだ、だったらぼくも、私も…、そんな具合に、総理の椅子への「敷居」が低くなった、いやほとんど高さがなくなったということでしょう。その証拠に、あんなやつでも座れたけれど、その結果は惨憺たるものという事例をぼくたちは見せつけられてきました。問題は政治哲学だとか、政治資質なんかではなく、「時宜を得る」、その一点が総理大臣を選ぶだけのこと。もちろん、「時宜」の中にはさまざまな要素が入っていることは言うまでもないことです。

 ぼくの持論は、共産党を除けば、他は殆ど与党か、与党シンパ。誰もが大臣になりたがる連中が政治家になっているというお粗末な現状ははっきりとしている。政権与党も、表向きは「派閥解消」を見せかけているけれど、旧態依然で派閥の看板を下ろしていないところもあります。これまでの政党の流れを見れば、派閥はなくならないのは明らか。また、存在するのが悪いというものでもないでしょう。あって当然という気もする。それほどに政治に限らず、人間の集団があるところでは「徒党」「仲間」「組」「会」が生まれるのは不可避で、できないのに、それを解消するという方が「嘘」をついたことになります。

 今から断言してもいいが、だれが総裁 → 総理になっても、この国の政治は、とっくにその役割・任務を終えているのですから、ますます、能力の沈下した官僚支配が今以上に続くことになる。官僚の十中八九は権力志向・至高であり、それが政治や政治家を動かしていると考えれば、有力な省庁(官僚)の支持があれば、場合によっては、誰でもが「総理大臣」になれるというもの。今回の選挙は一政党の代表選び、それが、その政党が議員数の比率で、国会においては相対多数を占めているから、自動的に「総理大臣」に横滑りするだけのこと。このような一党支配というか首相職を独占するような政治支配は、ここらあたりで終止符を打つような気がするし、そうであってほしいね。

 国会議員というけれど、国会を開いて重要な案件を議論することがなくても政治が動くことを証明してきたのが、このところの内閣でしたから、これからもこのいびつ(歪)な政治状況は続くでしょう。「総裁選立候補」の回数が多いほうがいいとは言えません。今回も「5回」も立候補した議員がおられ、現段階では有力であると目されています。してみれば「立候補回数」は「Five previous convictions」という程度の量目・重量があるのでしょうか。

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「徒然に日乗」(477 ~ 483)

◯2024/08/18(日)午前中に猫の食料を買うためにあすみが丘のHCへ。缶詰以外の食料。一種のおやつ類である。もちろん煮干しや小魚類なども買う。▶非常に暑い日になった。八月になってから、一層酷暑の程度(レベル)が上がった気がする。台風が接近したせいかどうか、ひときわ暑さと湿気が身に堪えるようだ。▶午後三時ころ、少しばかり庭の除草作業。陽が翳ったかと思って始めたら、とんでもない陽射しに襲われてしまった。途中休憩し、再開したが、中途半端に終わる。酷暑と除草、まさに根比べである。(483)

◯2024/08/17(土)台風一過、朝から酷暑を予想させる天気具合。幸いに、時間を追うごとに房総半島から南東方向にそれて、大した風雨の影響を受けなかった。しかし、この後もまだまだ油断ができない。▶昼前に買い物。普段通りの人通りで、まるで休日を思わせる、閑散とした状況が一変していた。▶午後三時過ぎに庭に出て、今回の風雨で倒れた藤棚の整理を始めた。支柱の竹が腐ってしまっていたので、根本から折れていた。いずれ新規に作り直しをしなければと考えていたので、これを期に改修を進めてみたい。しっかりと基礎を固めた支柱を立てて、枝の配置も工夫したい。▶あいかわらず、かみさんは同じ野菜を買い続けている。じゃがいも、茄子、玉葱、等々。冷蔵庫に入っていることを買い物の段階ではすっかり失念しているのだ。不思議な記憶力のナセル技。当人には自覚はないのだろうか、だから「新規」に買い込むのか、あるいは?確かに言えることは、このような「重ね買い」を指摘されることには激しく抵抗すること。それを認めたくないということかも知れないし、自分でも「失敗」はわかっているのかも知れぬ。このような判断力の過誤が多方面に移行するとどうなるのだろう。微妙な問題であるだけに、少していねいに考えておきたい。(482)

◯2024/08/16(金)朝からの降雨が終日続き、時たま、台風7号の通過接近を思わせる荒れた天気だった。嫌でも五年前の台風19号を想起した。幸いなことに、今回は当地への直撃は免れたが、まだまだ気がゆるせない。どうも本年は台風の当たり年のような気分に襲われているのだ。▶夜に、ネット配信で池田香代子氏の番組を観る。対談の相手は弁護士の内田雅敏さん。題して「A級先般こそ靖國にふさわしい」で、大いに教えられた。靖国と自衛隊の密接不利な関係。それがますます強固になっている現状。もう一度、はじめから「靖國」問題を考え直すべきだと痛感した。まるで、この神社は現代日本の「鵺(ぬえ)」のように思われてくる。(481)

◯2024/08/15(木)朝六時過ぎに生ゴミ出し。しきりに台風7号が房総半島直撃の報道の洪水に胸を痛めている▶昼過ぎに横浜から娘親子が、千葉の霊園への墓参りに行くためにやってきた(かみさんの母親や弟夫妻の遺骨が埋葬されている)。かみさんも同道。5時ころに戻ってきた。▶娘たちが帰ってから、茂原まで買い物へ。明日の天気予報(台風直撃)のせいだろうか、品物棚がほとんど空っぽで、店の外には土嚢が積まれていた。しばしば茂原商店街は水害(豊田川などの氾濫・浸水)にあってきたのだ。当初の予報よりも南(海上)寄りに進路が変更したが、降雨量はかなりのものが想定されており、さらには、線状降水帯が房総半島にもと報道される。被害が出ないことを願うばかり。(480)

◯2024/08/14(水)ただいま午前四時半。室温28,6℃、湿度82%。とても気が滅入りそうな一日の始まり。それでも朝の輪唱や合唱はいつも通りに、爽やかに奏でられている。「蜩の生を惜しまぬ鳴き囃子(無骨)」▶台風7号がお盆の16日に関東地方・房総半島を直撃する勢いで、さらにその勢力を強めている。当初、想定したとおり、五年前の9月に襲った台風19号に類似したコースと勢力を維持していると言う。五年前は停電、断水、加えて、がけ崩れが数か所で発生し、あわや「孤立」状態に陥りかけたのである。千葉市内における最大風速は58㍍を越えていたという報道の記憶がある。まだ、確定的なことは言えない段階だが、何かと心配な台風の進路ではある。▶ただいま午後10時。室温30℃、湿度77%。(479)

◯2024/08/13(火)連休の混雑を避けてと、日にちをずらして出かけたが、いつものHCは超満員。お盆前の人出が凄かった。ともかく、猫缶その他を買って、ようやく帰宅。本日の朝から茹(うだ)るような暑さ。台風の影響もあるのか、とても湿度の高い日だった。▶帰宅したら、T君から電話ありとの伝言。午後三時ころに、再度、本人から電話があった。とても長く二時間余も話した。キ園というのか、在職時代の知友や在学生と、その後に親しく付き合いがあり、いろいろと元教師(小生)の話題で持ちきりだとか。知人や卒業生に関する四方山話がつい長引いたのだ。彼のさまざまな活動に刺激されつつ、健康を損なわぬことを願った次第。(478)

◯2024/08/12(月)本日は、昨日の「山の日」の振替休日だそうです。いつ誰がどういう理由で決めたものか。いい加減に作られたは休日(昔風に言うと「旗日」)が多すぎだぜ。▶ただいま夜9時半。室温30.5℃、湿度73%。本日は隣町の茂原では36.9℃とか。反対側の隣町(市原)では何度も最高温度が記録されているので、この山之郷は日照りの谷間のようなところ。拙宅の標高は約100㍍。少しは風が吹いてくれるので、なんとか息を継いでいると言った塩梅。まず、日中はエアコンを点けることはない。もちろん夜間は点けない、寝室にはエアコンはない。▶昼前に、近所のHCで猫缶を買い足す。本格的には明日の予定。▶1日中暑さが続き、体感では、今夏一番の酷暑かとも思ったほど。庭作業はもちろん中止。台風5号は岩手や青森を襲って、なお大雨を降らせている。更に6号、7号と続いている。来週あたり直撃を受けそうな気配が濃厚。▶本日で「パリ五輪」は終了。少しは落ち着いてくれるだろうか。金メダルが米中に続いて第3位と、大騒ぎ。それほどに愚かしい国だという証明でもあろう。▶「破局の始まり」、その淵にぼくたちは佇んでいるのだ。(476)

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ぼくには「除草は座禅」なんでね

▣ 週のはじめに愚考する (第參拾弐)~ ただいま午前6時。室温29.4℃、湿度80%。こころなしか、蜩(ひぐらし)の鳴き声も一時ほどの勢いがなくなったように感じます。蒸し暑い一日になりそう。このところ、早朝から、あちこちでエンジンのけたたましい爆音が響いている。陽が射さないうち、あるいは弱い陽射しのうちに、刈払い機を使って除草作業をしているからです。どうかすると、終日、絶えることなくエンジン音が響くこともあります。猛烈な陽射しと降雨の繰り返しが、一層草類を成長させる。また、ある時期を期して、国道や県道沿いの除草作業も加わり、冬場を除いて、ほとんどの季節には除草作業が方々で見られます。年中行事とはこのことを指していう。

 拙宅も同様で、少なくとも敷地内の除草作業は年に三回か四回は欠かせない。これがまた、なかなかの重労働で、歳を取っているからなおさらに身に堪えます。陽射しがいいところは、ことに草類の成長は早いし、時期によって、生える草類は異なるから、そのたびに除草作業が欠かせないのだ。ぼくは未加入だが、町内会では春秋二回、公有地や町内の所有地(神社境内や公園内など)の除草が加わり、その都度作業への参加が求められる。この負担が嫌で未加入なのではありません。どこかで触れていますが、いかにも古い組織の典型(ぼくも老人だけれど、そうではない老人がエバッている。聞いたところによると、古狸の座席(上座)は厳格に引き継がれているという。ぼくは入会の勧誘を受けた際、金一封、それもかなり高額を要求された)だから、です。

 それにしても、毎回の除草作業がこれほど厳しいものになるとは、当初は考えられもしなかった。もちろん、ここに来る前の住宅でも庭の草取りは年中行事だったが、敷地が狭い分だけ、手間暇もかからなかったし、植木屋さんが年に二回は入っていたので、その分だけでも助かっていた。しかし、当地に越して以来、敷地内の除草や植木の手入れはほとんど素人ながら、ぼくがすることにしているので、なかなかの重労働だった。それに加えて年齢が嵩(かさ)むに応じて、当たり前に一つ一つの作業も厳しくなってきた。敷地はおよそ千平方米、敷地の真ん中に屋敷があり、その前後(南北)には庭があり、敷地の東側にもそれなりの土地があるから、それだけでも作業量は多い。加えて、庭に植えてある樹木もかなりの本数になるので、時期を選んで枝落としや剪定作業が欠かせません。

 見様見真似で、剪定の方法を学んだのも、その都度職人を依頼すれば、幾ばくかの費用が嵩(かさ)むから、どうしても自分ですることになると、やはり、かなりの体力の消耗をきたすのです。さらに、敷地前面の道路部分の除草も欠かせないし、南前の空き地の草刈りも、誰もするものがいないので、こちらが負担している。他人の土地だから放置しておいてもいいのですが、そうすれば、前面空間の景観が全く閉ざされてしまうので、仕方なく、そよそ600平方米ほどの除草作業を数日かけてしている。これも年に三回ほど。それやこれやで、まるで草刈りや樹木の枝落としのために、年のうちのかなりの日数を費やしていることになります。

 この地へは、原稿書きのために越してきたつもりでした。出版社と三冊ほどの書物刊行の約束までしていました。しかし、住みだした途端に、すっかり原稿書きは諦めた。まず、いい空気と鳥や虫の鳴き声に囲まれている環境には、原稿書きはふさわしくないと直感したこと、第二に、これまで綴ってきたように、なかなかに多忙を極めるのです。誰彼となく、あいつは、山にこもって「晴耕雨読」らしいことをしていると茶化していましたが、それどころではないことに、最初の段階から性根を入れ替えました。幸いなことに、ここは比較的暖地で、冬場も雪は殆ど降らない。もしそれなりの量の雪が積もったなら、たちまちのうちに孤立してしまいます。とてもではないけれど除雪はできないからです。その仕事量は除草の比ではないのはいうまでもありません。時には「融雪剤」を散布する作業も加わる。かくして、晴れても曇っても、ぼくは地面と格闘するという羽目になる。そこから、「草取りは座禅に如かず」といえども、汗をかきながらの「行動禅」であるという境地を開きつつあるという次第。「悟り」とは無関係、とにかく否応なく作業をしなければ生活ができないという話です。

 

 本日の「日報抄」氏のように「この時季、農村部にある実家の庭は伸び放題の草でジャングルと化す。近所に申し訳なく、時々刈りに行く。除草というより伐採に近い。とても1日では終わらず、すぐまた伸びるのが憎たらしい」という仕儀に至る経過がよく理解できます。幸い、拙宅は隣近所が離れているので、近所に気兼ねすることはないのでしょうが、放置しておけば、生活に支障をきたすことは確実で、それなりに手入れをしておかないと、住宅そのものも劣化が早く進むし、第一、見た目も美しくない。加えて、さまざまな虫類や動物類が入り込むのが厭われる。ただでさえ、猫が相当数いるので、どうしてもそのためにも手入れは欠かせない。

【日報抄】熱戦に沸いたパリ五輪とは次元が異なるが、まだまだ終わらない夏場の戦いがある。帽子をかぶり、手袋をはめ、敵に向かう。肩に背負うのはエンジン式刈り払い機。手ごわい雑草との戦いに挑む▼この時季、農村部にある実家の庭は伸び放題の草でジャングルと化す。近所に申し訳なく、時々刈りに行く。除草というより伐採に近い。とても1日では終わらず、すぐまた伸びるのが憎たらしい▼雑草を表す外国語の意訳が興味深い。ドイツ語は「植物にあらず」。フランス語とスペイン語は「質の悪い草」。イタリア語では「醜くて役に立たないもの」を指すという(ニーナ・エドワーズ「雑草の文化誌」)。国境を超えた共感がうれしいような▼「雑草という名の草はない」と言ったのは植物学者の牧野富太郎だが、草刈り中にそんなまなざしを向ける余裕はない。切って切って切りまくるだけだが、シソやアスパラガスが交じっているのは見て分かる。これは雑草とも言えない▼前述の文化誌には「生えてはいけない場所に生えたら雑草。バラが小麦畑に繁茂したら雑草になり、根こそぎ抜かなくてはならない」とある。雑草かどうか決めるのは環境や人の主観であり、草に罪などない▼かつて実家の庭には野菜や花が植えられ、質素でも豊かな暮らしがそこにあった。その庭を荒れ地にしたのは他でもなく、放置している後継ぎである。離れた実家を管理する人は増えているだろうと思いを巡らせつつ、目の前の雑草の制圧にいそしむ。(新潟日報・2024/08/17) 

 最近は、頻繁にイノシシが庭を荒らすし、時にはタヌキまで侵入してきます。いずれは敷地内で畑を作り野菜などを育てようと考えていたのですが、動物の侵入を防ぐための防護柵の設置などを考えたら、その手間の分を庭の手入れに回すべきだと、今では野菜作りは断念しています。「かつて実家の庭には野菜や花が植えられ、質素でも豊かな暮らしがそこにあった。その庭を荒れ地にしたのは他でもなく、放置している後継ぎである。離れた実家を管理する人は増えているだろうと思いを巡らせつつ、目の前の雑草の制圧にいそしむ」とコラム氏。だが、「制圧」したと思った瞬間から、別の侵入者、いや地面の主が顔を出すのだ。除草作業そのものが、たちまちのうちに新規の草類に「制圧」されるという「イタチごっこ」だが、この競争はどうあっても「雑草」の圧勝です。

 強烈な除草剤がホームセンターで所狭しと並べられているが、ぼくは一切使わない。草類や昆虫類に毒性のあるものは、人間や猫たちにも害があるのは当然で、それを承知で使うのはどうしてもできないので、否応なく、人力(機械の力を借りて)で繰り返し、倦まず弛まず草類を取り除く作業をする他ないのです。日本の稲作で、もっとも時間と労力を要するのは田んぼの除草作業だと昔から言われてきた。一番草から、時には四番草まで、腰をかがめてのきつい作業が営々と重ねられて「米」が収穫されてきたのです。高温に加えて多雨・多湿の気候帯にあっては、草類との戦いは避けられないし、どこまで行っても負けられない。勝たないまでも負けられないのです。今では除草剤や除草作業の器械化など、それなりに従来以上に強力な武器が加わってきましたが、どこまで進もうが、最後は人間の意思と労力でしか解決できないのではないでしょうか。

 「切って切って切りまくるだけだ」「目の前の雑草の制圧にいそしむ」と記者氏は勇ましいことを仰っているが、さて、この先も「切りまくる」「制圧にいそしむ」余力があるかどうか。「除草」に関しては万能薬はないというべきで、「毒をもって毒を制する」というのは人間の浅はかな知恵であり、自らの生命を削いでいることになるのだと思う。第一に、草類は「毒」ではないのです。どんなに「根こそぎ」除草をしても、どこからともなく「花粉」は必ず飛んでくる。こればかりは避けられない。出れば除く、除けば出る、…。この「永遠のイタチゴッコ」には激しい作業が伴うが、それはまた、自らの身体能力のバロメーターでもあるでしょう。

 除草作業が辛くなれば、それはいろいろな意味で、わが人生における「潮時(Time to resign)」というものではないでしょうか。全自動の除草機が作られたとしても、人間自身の「潮時」は失われてはならないなどと、やや深刻ぶった感傷に浸りつつも、さて、本日はどこを「(一時的ではあれ)制圧」してやろうかと愚想しているのです。昨日は台風7号で崩れた「藤棚」の整理をしかけていました。藤棚を新規に作り直す必要があり、それなりに面倒な作業が待っている。何事も「手を入れる」のが大事であり、「手をかける」ことは不可欠なんですね。手抜きは禁物。

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如幻の生の中に、何事をかなさん。

 二日ほど前に買い物に出かけた際、県道脇の田んぼの「稲刈り」が済んでいました。ある箇所だけの稲刈りで、あまりにも早いのに驚きました。あるいは県内の何箇所かで栽培されている「超早場米」だったか。それとも、確実に襲来が予想される「台風7号」に備えての早業だったか。田の持ち主に聴いてみようと想いながら、時間が過ぎました。それにしても、早いもので、先だって田植えが済んだばかりと記憶していたのに、九月前に稲刈りとは。(右はいすみ市新田野の「超早場米の稲刈り」、2024年7月20日・千葉日報)

 台風一過、思いの外の静かな台風だったというと言葉が適切ではありません。被る影響が事前の想定を遥かに下回ったのだから、これ幸いと喜ぶべきでしょうか。それでも、どこかしらで風雨の被害を受けられた方がいるはず。見渡す限りの稲穂も、水没や風倒に遭遇しなかったことを幸運と喜ぶべきか。このところ米不足に加えて、米価の値上がりも著しいと聴く。食欲の秋という以上に、食料自給率の低下傾向に歯止めがかからない農業政策を透かして、この国の将来を案じてしまうのです。いたずらに嘆いても始まりませんが、農業人口の減少も行き着くところまで行くほかないのかも知れません。頼みの綱は「AI」と「農業ロボット」と「ドローン」だとするなら、いずれも「半導体」に牛耳られていることになります。

 周りを見れば気になることばかりですが、それもまた、我が身の反映でもあると感じれば、もって身を持ち直す縁(よすが)にする他ないのでしょうか。喧騒と転変のうちに世も変わり、我も変わる。まるで「流れる水のごとし」といえば、いかにも笑止なことと思われてくるのはどうしてか。人の一生は有限だからこそ、という立場に立てば、その短くない人生において、何をし、何をしないかがいつだって問われてくるでしょう。あれもこれもではなく、あれもできないこれもできないという、わが貧しい人生の歩き方を尽くしてみたいという気持ちにもなってきます。

 しばしば「人生の意味」とか「生の価値」などといいます。たしかに、価値や意味は、この世の中には存在しそうに見えますが、よく考えれば、それもまた「現象」「幻」でしかないもので、価値ありと見えたものが、時を経ずして、とんでもない喰わわせものだったということはいつだって経験することです。「命より大事」と想い定めては見たが、何のことはない、白い生地に付着した汚れに過ぎなかったりします。焦点を定めて生きることは大事ですが、一体どこに焦点を絞ればいいのか、それが分かれば苦労しないとも言えますし、その絞り方や定め方であくせくするのが人生であるということもできるでしょう。

 困った時の「兼好頼み」ではありませんけれど、彼は以下のような「焦点の定め方」を教えてくれている。生きるとか、生きているということの質に関わることです。ある時期、劣島を席巻した小売業(スーパー)がありました。創業者はどこよりも早く、小売業界で「売上一兆円」を達成することを目標に掲げて、並み居る競合他社を蹴散らして、初期の目的を果たした。その際、Nさんは「嬉し涙」だったかを流して、人目もはばからず号泣したという。その会計は売上一兆円に対して純利が数億円だったという、どれほど無理を重ねた結果だったか、驚愕すべき商売哲学に邁進した創業者は、やがて無念の死を遂げ、栄華を誇示した企業組織は滅亡しました。「諸行無常( sabbe saṅkhārā aniccā)」というものですね。「行」とは「つくられたもの」という意味です。「望月のまどかなる事は、暫くも住(ぢゅう)せず、やがて欠けぬ」というのは自然の摂理であり、それを繰り返し指摘するのが兼好法師です。満月は欠けるから、それこそが、一瞬の「満月」の意味なのだというのです。この「スーパー」の創業者はまん丸ではなく、掛けていることにこそ、経営の焦点を定めたのでしょうが、実際は「永遠に欠けることのない満月」を夢想したのでした。夢幻に人生を賭け(懸け・掛け)たのは、彼の筆舌に尽くし難い「戦争体験」があったからだと言われています。

 欠けている、まだ足りないという自己認識が、いつかは満願成就の秋(とき)を迎えるという信念が彼を突き動かしたのは事実でした。神戸を拠点にしていた経営者は、会社発足の際に「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」という、神戸に因縁のあった、遥か往昔の権力者を想起していたかも知れません。兼好法師は地に足をつけた生き方を勧める。病になったなら自重し、その病気が回復したら、あれもしようこれもしようと念じはするけれども、意に反して病が重くなり、死期が近づくと、ついには取り乱してしまうのだ。「この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし」と兼好さんは記しています。

 望月のまどかなる事は、暫くも住(ぢゅう)せず、やがて欠けぬ。心、留めぬ人は、一夜(ひとよ)の中(うち)に、然(さ)まで変るさまも見えぬにや有らん。病の重(おも)るも、住(ぢゅう)する暇(ひま)、無くして、死期(しご)、既に近し。然れども、いまだ、病、急ならず、死に赴かざる程は、常住や平生(へいぜい)の念に習ひて、生(しょう)の中に多くの事を成(じょう)じて後、閑(しづ)かに道を修せんと思ふ程に、病を受けて死門(しもん)に臨む時、所願、一事(いちじ)も成ぜず、言ふ甲斐無くて、年月の懈怠(けだい)を悔いて、この度(たび)、若(も)し立ち直(なほ)りて、命を全くせば、夜(よ)を日に継ぎて、この事、かの事、怠らず成(じょう)じてんと、願ひを起すらめど、やがて重(おも)りぬれば、我にもあらず、取り乱し、果てぬ。この類(たぐ)ひのみこそあらめ。この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。

 所願を成(じょう)じて後、暇(いとま)ありて道に向はんとせば、所願、尽くべからず。如幻(にょげん)の生(しょう)の中に、何事をかなさん。すべて、所願、皆、妄想(もうぞう)なり。所願、心に来たらば、妄心(もうしん)、迷乱(めいらん)すと知りて、一事をもなすべからず。直(ただ)ちに、万事を放下(ほうげ)して、道に向ふ時、障(さは)り無く、所作無くて、心身(しんじん)、永く静かなり。(「徒然草 第二百四十一段」)(島内・既出)

 ここ(「徒然草」)に書かれていることは、兼好自身の経験談です。自らのなし得なかったことを書くのでもなく、あくまでも自分はこういう生き方をし、それも失敗に帰したということを率直に述べている。だから、この物言いは説教でもなければ、訓示を垂れる風のでもないのです。「願望がかなったら」、次はああしたい、こうしたいと多くの人は願う。でも、それは「妄想」であり「妄信」「迷乱」だと知るべきで、希望の大学に入ったら、念願の会社に入社したなら、好きな人と結ばれたら、と誰もがその先に幸福の「額縁」を掲げます。しかし、そう願うこと自体が「妄想」だと兼好はいうし、ぼくもそう思っている。人に優れたい、他者には負けたくない、一番になりたい、金メダルがほしい、総理大臣になるのだというのもまた、結局は「妄信」「迷乱」であると、よくよく知れば、なろうという気構えも、おのずからそれとは異なってくるのではないでしょうか。

 かかる境地に至ることはまずなさそうだと諦めるのではなく、物事にいらぬ「執心」「執着」を持たないように日頃から精進するということかも知れません。この狭い社会に、その昔から流行り病のように猖獗(しょうけつ)を極めてきたのは、なんといっても「一番病(The disease of wanting to be number one)」であり、「人に負けたくない(I want to beat people)」という浅ましい性根の蔓延でした。それを煽りに煽ってきたのが学校教育だったでしょう。他人は他人、自分は自分。「直(ただ)ちに、万事を放下(ほうげ)して、道に向ふ時、障(さは)り無く、所作無くて、心身(しんじん)、永く静かなり」こうした、当たり前の自分の身の丈にあった生き方を求めることができれば、生活に障害はなく、無駄なあがきもなくなるのだ、そうした心境に、可能な限りで入りたいものです、と高齢に至ってもまだ、脇目もくれずに我道を、わが歩幅で歩くつもりです。

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この繰り返しが、政治なんだよね

 本日は荒天なり、風雨、やや穏やかなれども、台風の襲来を伺わせる。当初の報道にあった房総半島直撃は避けられましたが、なお、その風雨の程度は警戒を要すると言う。五年前の九月、台風19号の直撃を受け、当地も大変な影響を受けました。まずは度々の停電、そして断水に及び、生活に支障をきたす。繁華街(といってもたかが知れていますが)への道路が二方向で寸断(がけ崩れ)され、危うく孤立化を免れました。普段から「孤立」しているような生活をしているので、なんとも痛痒を感じなかったが、房総半島の被害は大変なものがありました。

 これを経験しているがゆえに、劣島各地の被害には敏感にならざるを得ないし、いつでも被害の多からぬことを願うばかりです。今回の台風7号の当地への本格的影響は本日夕刻からのようで、まだ安心もできませんが、なんとか、これまで通りの「プチ孤立」状態で済むことを願うのです。午前九時現在の室温28,5℃、湿度86%。実に湿っぽい気候で、この駄文を書いたら、直ちにシャワーに。それまで停電がありませんように。

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 昨日は七十九年目の「敗戦記念日」。各地でしめやかに戦争犠牲者の「慰霊」の一日、ひたすら犠牲者の霊の安らかなることを祈るのみでありました。何年経とうと、戦争によって命を奪われた人々の霊は、どうあっても安息の時を過ごすことはできないのです。「再びの過ち」を断じて犯さぬという誓いによってしか、犠牲者の霊が浮かばれることはないのでしょう。政府主催の「戦没者慰霊の日」はいつまで続けるつもりでしょうか。「国」がある限り、その必要はあると思うのです。もちろん、「あらたな戦闘」を始めるなど金輪際許されないことです。「慰霊の儀式は、いよいよ偽装だと白状するようなもの。

 その前日(14日)、国民の大半が首を長くして待ち望んでいた「首相退陣」の一報が飛び出し、なぜだか、五輪の金メダル獲得よろしく、各地で「号外」が配られた。「花火」が上がったという報道はなかったと想いますが、どうだったか。次を狙う議員さんの地元では打ち上げられたかも知れない。ぼくにとっても「号外の喜び」であり、ある意味では「号外ホームラン」(とは、大袈裟ですけれど)級の念願の一報だった。自らの才能に対する自覚が著しく欠如している人間が政治(にかぎらず)のリーダーになると、国民がどれほど迷惑を被り、挙げ句には数多の苦しみを味わうことを余儀なくされるか。この三十年、あるいは半世紀に及ぶ能天気政治家の出現がこの国の屋台骨を破損してしまったことを見てもわかります。この国は「回復不能」の事態に喘(あえ)いでいると、ぼくには見えてしまう。

 本日のコラムは退陣首相の選挙区の地方紙でもある中國新聞の「天風録」です。無能ではあっても、権力欲ばかりが旺盛な総理大臣に「天誅(てんちゅう)を」加えてくれるかと期待していたが、天誅とまでは行かずとも、「天罰覿面(てんばつてきめん)と言った風情で退陣劇を揶揄していました。「(責任を)痛感ではなく、責任は取るもの」と「政治のイロハ」の諭しです。繰り返された自党や内閣諸大臣の不祥事に「任命責任を痛感」と、ゴム印を推すがごとくの陳腐な言い訳でやり過ごしてきたものの、ここへ来て、自分がどれほどひどい品質の政治家であるかを思い知らされたのか、神妙にも「党の派閥による政治資金パーティー裏金事件の引責だと言い切った」と、表向きは取り繕っているが、誰もそんな虚言を認めもしないでしょう。盗人猛々しいとは、このこと。

 つまりは、8月14日は、K総理大臣の自壊辞職の日であり、「裸の王様」にようやく気が付いた、無知蒙昧の姿を自ら葬らざるを得なくった「敗戦記念」の日となったのでした。断言できることです、この国では総理大臣の椅子を巡る「権力争い」(コップの中の「戯れ騒乱」)こそが、政治そのものになっているんですね、そのための「合従連衡」とか、「昨日の友は今日の敵」という茶番劇に人生を賭ける老若男女の離合集散劇場の、ぼくたちは観客に過ぎないと心底わかれば、もう少し我が身の処し方が違ってこようというもの。

 ハト派と目されてきた首相には、戦後日本が掲げた平和主義に基づく外交や、国民の幅広い合意形成というリーダーシップが期待された。/ところが防衛力の強化や武器輸出基準の緩和、原発活用などを国会での議論抜きに進めた。基本政策の大転換を閣議決定で済ませてしまう。そんなあしき政治手法を安倍政権から引き継いだのは、自民1強のおごりともいえよう。/政権発足時に掲げた「聞く力」は影を潜め、物価高などに伴う生活不安を拭えなかった。会見で見せた実績への自負を、国民はどう受け止めただろう。最後まで世論との溝を埋められなかったのが残念でならない。(一部抜粋)(中國新聞「社説」・2024/08/15)

 要は四面楚歌というか、自らを神輿に担ぐ人間(朋友)がほとんどいなかったというお粗末に、遅まきながら気付かされただけ。あの人も、この議員も、誰も自分にいい顔・返事をしてくれないというのは、普段から、いい悪いは脇において、彼自身が全く、仲間にすべく数多の議員の面倒を見ようとはしなかった報いだったろう。前任者の首相もそうだった。自分では死んでも辞めたくなかったが、誰も応援をしてくれない、見向きもしないと気がついたときはもう手遅れ。そんなことなら、もっとうまく手懐けてておくべきだったと悔いてみても始まらない。いよいよ、ここで「腹切」という段に追い込まれて、ようやく放った言葉が「党を変えるには自分が辞めることだ」と、首相になる時に気がついているべきだった言葉を最後に持ってきたのは、嘘も方便、そういうことでもあったでしょう。最後の最後まで、「自分を可愛がる」のは愛嬌と言うよりは、児戯に等しい思い切りの悪さだといいたい。69歳にして「老害」というのかも知れない。

 彼の残した「功罪」と問われれば、「功なくして、罪ばかり」で、もっともやりきれないのは「国会を無視」「議論を空洞化」したことでしょう。この「罪」は、現下の国の将来に致命的な損害を与えたのです。次々に総理の首がすげ替えられるという茶番政治劇が続いているが、盤石の足腰を持たない政治家が望むのは強大国の傘下に囲われることでしかないのです。この数代の首相の「米国一辺倒」はそれを示しています。この後に続く、代わり映えのしない「総理」も、当代よりもさらに格下が来ることは必死で、またまた大国の影に身を潜めることしかできない政治が続くと考えると卒倒しそうです。無償で「傘」に匿ってもらえるのではないのは、先刻承知。政治破綻は経済の弱体化をもたらすのは、どうしても避けられないのです。

 (勇気も無ければ知恵もない、凡庸でもない半端な連中の「椅子獲りゲーム」。まるで三年B組の「学級委員長」選挙の様相を帯びていると言えば、褒めすぎですか。あるいは永田町の「町内会長選挙」か。戸別訪問、誘拐脅迫、買収饗応、何でもありの、実にフシダラな選挙になるのは誰の目にも明らか)

【天風録】痛感でなく、責任は取るもの 永田町ではご無沙汰だった言葉を、やっと聞けた気がする。「責任を取る」。岸田文雄首相が次の自民党総裁選に出ないと決め、党の派閥による政治資金パーティー裏金事件の引責だと言い切った▲1強をよいことに憲政史上最長の7年8カ月に及んだ第2次安倍政権以降、中ぶらりんの扱いを強いられ続けたのが「責任」である。閣僚が不祥事で辞任しようが、「任命責任を痛感する」止まりで説明責任も果たされない。肩身が狭かっただろう▲引責退陣への話がしかし、きれいごとで進んだとは思えない。権謀術数が渦巻く政界である。麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長の支える「三頭政治」が崩れたのも水面下では、あれやこれやがあったはず▲何より「政治とカネ」問題に、けりがつくわけではない。35年前の伊東正義元外相の言を思い出す。未公開株の贈収賄で政官界を揺るがしたリクルート事件で退陣に追い込まれた首相の後継に目されながら、そのいすを蹴る。「表紙だけ変えても、中身を変えなければ駄目だ」と▲組織の長が責任を取ったのだから、裏金事件に絡んだ中央、地方の当事者たちにも身の処し方があるだろう。1票を握る国民はじっと見ている。(中國新分・2024/08/15)

広島選出の岸田総理が、来月行われる自民党総裁選への不出馬を表明しました。地元でも驚きの声が上がっています。/岸田総理は午前の記者会見で、来月の自民党総裁選に出馬しないことを表明しました。
岸田総理・「自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は、私が身を引くことであります。私は来る総裁選には出馬いたしません」/岸田総理は派閥の裏金事件が起きる中、「組織の長として責任を取ることにいささかの躊躇もない。私が身を引くことでけじめをつけ、総裁選に向かっていきたい」などと、理由を説明しました。(以下略)(RCCテレビ・2024年8月14日)

 余話ながら 昨日は、横浜から娘親子がやってきて、千葉市内にあるかみさんの母親(ぼくには義母)の墓にお参りをしていった。ぼくは猫たちのお守りのために留守番。明けて、本日はお盆の最終日。「送り火」の日です。各地でいろいろな伝統や習わしに彩られた「霊送り」行事が行われることでしょう。あいにく、房総半島は台風接近の影響で風雨ともに強くなってきました(朝9時半)。ゆっくりと「送り火」を焚くゆとりもない日になりましたが、心の内で、先祖の霊への感謝とお礼を密かに唱えようと思っています。

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