青空に残された 私の心は夏模様

 今では「夏休み」そのものが、いろいろな意味で関係者には「重荷」になっているようにも見受けられます。その存在は、それなりの理由によります。農繁期に必要とされる「働き手」としての児童・生徒という、往時の役割はほとんど皆無でしょう。あるいは夏季の暑さに十分に対応するために、各家庭において児童生徒を保護するためという理由も、いまでは主たるものではない。休暇明けが「児童生徒の自殺特異日」などと言われるようになっているなら、それこそ夏休み不要論が主張されてしかるべきです。ぼくは、日本の学校(小・中・高)は、授業時間が多すぎる、それがために「詰め込み」教育が学校教育の本筋だと錯覚されてしまっている感があります。もちろん、教員や職員にも夏季休暇は必要ですが、それも業務や職務と混在していては、十分に休養を取り、かつ授業研究を施す余裕すら失われかねません。また、長期の休暇では「給食」がない分だけ、困窮家庭では子どもの食事に配慮することが困難になるという大きな社会問題も浮上してきています。

「ましてや学業や進路について深い悩みを抱える子どもにとってはつらい時期となる。もし、いじめを受けていれば、子どもは重い気持ちを引きずるようにして登校せねばならない▼文部科学省は「児童生徒の自殺は学校の長期休業明けの時期に増加する傾向がある」として関係者に通知を出している」このような自殺を準備するような「夏季休暇」などなくしてしまえと言いたくなるし、そこまでして子どもを守らなければならない、そんな危険な学校など廃止したらどうかと言いたくもなります。小手先の、その場しのぎの施策や目眩ましでは、問題はより深刻になる外ないでしょう。

 いろいろな課題を抱えながら、今年もまた「夏休み」が開けました。

 「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう 青空に残された 私の心は夏模様」(井上陽水「少年時代」)まるで「夢の跡」のような歌詞が続きます。その意味を詮索する必要はないのでしょう。問題は今は昔の「少年時代」、「目が覚めて 夢のあと 長い影が 夜にのびて 星屑の空へ 夢はつまり 想い出のあとさき」、いつまでも「少年時代」は「思い出のあとさき」という、手繰り寄せられない幻影に、作者は酔いしれているとも見られます。こんな「少年時代」を誰も彼もが経験するのではないことは確かです。

 記憶の中で「心の夏模様」を発酵させる何か(酵母菌)がなければ、「青空に残された 私の心は夏模様」など描けるはずもないのです。人と遇うことが辛くなったら、あるいは、登校するのに疲れたたら、いつだって、自分だけの「幼年時代」「少年時代」に立ち帰ればいいではないか、と手招きしてくれる何者かがいないものでしょうか。

 (「少年時代」井上陽水:https://www.youtube.com/watch?v=dNS4rE2dKJA

【いばらき春秋】「席替え」という言葉をロマンスの辞典(遊泳舎)で探したら「恋愛という舞台の結末を左右する神様のキャスティング」とあった。小学生の頃、夏休み明けの席替えで、憧れの子の隣になれないかとワクワクした、甘酸っぱい記憶がよみがえってくるようだ▼夏休み明けは待ち遠しい半面、その日が近づくにつれて焦りもあった。久しぶりに会いたい友達はたくさんいるが、宿題がまだ終わっていない。うれしさも半分かな、といった気分だった▼ましてや学業や進路について深い悩みを抱える子どもにとってはつらい時期となる。もし、いじめを受けていれば、子どもは重い気持ちを引きずるようにして登校せねばならない▼文部科学省は「児童生徒の自殺は学校の長期休業明けの時期に増加する傾向がある」として関係者に通知を出している▼いまの時期は教職員だけでなく、周りにいる大人たちが、子どもたちの心や体調の変化を見逃すことなく、細心の目配りをする必要がある。腹痛や頭痛、だるいといった異変はないか。十分な食事を取れずに痩せた子はいないか。虐待を受けて体にあざのある子はいないか▼大切な命を守るため、子どもたちが抱える悩みや困難に大人が親身に寄り添いたい。(智)(茨城新聞・2024/09/02)
● 夏休み(なつやすみ)= 学校において授業を行わない日(休業日)のうち、夏季の長期休業のこと。学校教育法施行令第29条「学期及び休業日」の規定により、公立学校(大学を除く)の学期ならびに夏季、冬季、学年末等における休業日は、当該学校を設置する市町村または都道府県の教育委員会が定めるとされている。/ 夏休みの日程は全国一律ではない。たとえば、東京都の場合、都立中学校では東京都教育委員会の管理運営に関する規則、市区町村立小中学校では各市区町村教育委員会の管理運営に関する規則において、それぞれ夏季休業日が7月21日から8月31日までとされている(都内でも市区町村によって日程は異なる)。しかし、豪雪地域では冬季休業日を長くし、その分だけ夏季休業日を短く設定している(たとえば、2022年度の北海道札幌市立小学校の夏季休業日は7月26日から8月19日まで)。そのほか、さいたま市では、7月21日から8月31日までの間で、各学校長が教育委員会と協議のうえで、授業日を十分に確保できる形で定めるとしており、同じ市区町村内で学校によって夏休みの日程が異なる場合もある。(精選版日本国語大辞典)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「徒然に日乗」(491~497)

◯2024/09/01(日)今にも降り出しそうな天気が続く。大丈夫かと思うと、降ってくる。熱帯低気圧に変容した台風10号の余波だ。この稀有な迷走台風は、今なお各地に大きな豪雨の被害を及ぼしている。▶昼前に買い物で茂原まで。人出は閑散としている。台風襲来中の中休みといったところか。▶一番小さい猫(1歳半・♀)、とにかく生き物が大好きで、動くものなら何でも捕まえてくる。本日はなんと、生きたままのヘビ(多分、「やまかがし」とかいう)、生まれて間がないか、それを咥えて家に入ろうとしたところを止めた。咥えていたものを横取りし、処分したが、おそらく口に咥えようとして少し噛まれたかも知れない、大量の泡を吹いていた。口中を噛まれていたら大変と、「化膿止め」を飲ませて様子を見ていた。暫く経つも特別の変化がないので、大丈夫だったか。家の中にはムカデも入ってくるし、この数日は、大量の蝿が飛び交っている。近所でなにかあったか。出入り自由にしているので、何が飛び込んでくるか、何を持ち込んでくるかわかったものではない。網戸はもちろん、ガラス戸でも猫は自分たちで開け(閉めはしない)る。(497)

◯2024/08/31(土)台風10号の影響、あるいは余波が当地にまで及んだ一日、降ったり止んだりの不安定な天気だった。終日自宅内に。▶本日は「二百十日」で、八月の晦日でもある。もう新学期が始まっているところも、明日からのところもあるようで、なかなかご苦労なことだと、勤め人時代を思い起こすこともある。▶福岡のOさんから、川越のT君からメール。それぞれ、台風10号の被害がなかったかどうか問い合わせていたのに対する返信。両者ともに「事なきを得ている」ということで、一安心。▶この国、あるいは社会は歯止めのない下り坂を転げ落ちているような気がしている。いろいろな面で、戦後八十年のツケが回ってきたのだと思う。もっと言えば、明治以降の百五十年余の、身の丈を忘れた背伸び・拡張路線が大きな間違いを犯してきた、その総決算をする羽目に陥っている時代であることを痛感するのだ。「歴史を忘れる」「歴史を改竄する」「歴史を冒涜する」という、過去への悔恨や反省のない時代の諸相が、少なくともこの三十年間、実に顕著に続いて来たことを思うと、さまざまなことが「反逆」の狼煙のようにこちらに向かってくるように感じてしまう。(496)

◯2024/08/30(金)昨夜来、かなりの雨量があった。朝方はすでに止んではいたが、九州地方に上陸した台風10号の強烈な影響を受ける地域が関東・中部地方では相次いだ。当地でも時に中断を含めて、雨が続いた。総雨量はかなりのものだったろう。▶晴れ間を選んで裏庭でゴミの焼却をしたが、あちこちにイノシシの掘り起こした穴がいくつも、それもかなり大きなものがあった。斜面際にも深く掘った後が残っている。雨が降り止んだら、ていねいに埋め戻しておかないと、斜面の土砂崩れが気がかりとなる。それにしても、各地で集中的降雨による被害が出たようだ。九州方面、四国、関西、中部、とりわけ岐阜や静岡、そして関東地方など。まだしばらくは続くと言う。それにしても珍しく緩慢な速度で進む台風だった。(495)

◯2024/08/29(木)台風10号の接近の影響なのか、いつ降り出しても不思議ではない曇り空。お昼すぎまでは持ちこたえたが、午後からは降り出した。▶以前から気にかかっていた「フジ」「藤棚」を剪定・修理しようと、着変えて庭に出た。少しばかり、フジの枝を剪定。思い切り樹形を整えるつもりで、古い幹を切り取り、蘖(ひこばえ)としてかなり伸びているものを軸に立てるつもりだった。この木に付着していたか、体中を刺された。我慢して続けていたが、痛みもあり、折から本格的に降り出しても来たので、作業は中止。▶一旦は止んだが、夜に入り、更に激しく降り出した。九州各地で集中豪雨(線状降水帯)の襲来で大きな被害がでている模様。(494)

◯2024/08/28(水)午前中に買い物のために茂原まで。このところスーパーの店内にある「百円ショップ」をよく利用する。当初は殆ど行かなかったが、最近は商品の作りがしっかりしている、あるいは乾電池などもそれなりに使えるなど、利用したくなるのだ。この数年、ゴミ袋(生ゴミ用その他)などは、さまざまなサイズが揃っているので、大変重宝している。本日も、台所の生ゴミ用(水切り)、その他いくつかのサイズのナイロン製を求めた。面倒ではあるけれど、まとめて整理できるので、助かっている。猫砂用のものも、今はそれほどでもないが、最初から大いに便利に使ってきた。「生ゴミ」として捨ててきた▶台風10号の影響か、とても涼しい風が吹いている。庭作業をと、一瞬考えたが、このところ寝不足と疲労もあって、本日は休憩に。それにしても「超大型台風」の先行きはどうなるのか、大いに気になる。(493)

◯2024/08/27(火)時にザーッと降ることはあったが、蒸し暑い一日。午後三時ころ、庭作業。除草はもちろんだが、隣の竹藪から、竹の根が侵入し、二㍍以上も高低差のある庭に小笹を一面に繁茂させている。ときには、びっくりするような孟宗竹が庭に出現することもある。いわゆる「伐根」をする必要があるのだが、とても人力では無理。土を掘り起こさなければならないが、今のところは目立つところだけ、根っこを見つけては切り取っている。こんな作業をもう何年も続けているのだ。▶成人して以来、米の飯はあまり食わなかった。代わりに酒を飲んでいたから。二十歳ころから、生意気にも「酒を嗜む」ことを始めたわけ。同時に、ある時期からぼくは朝夕の二食派になった。勤め人時代、昼飯時はいつも店が混んでいて、ゆっくりと食事する気になれなかったのが、それがいつか、昼抜きが習慣になった。というわけで、このところ、朝はパン食、夜は蕎麦にしている。以前は、蕎麦(多くは乾麺)に旨いものがなく苦労していたが、近年市販のものでもそれなりの蕎麦類が売られているようで、いまのところはそれを試しながら、食べている。ある時期まで日本蕎麦粉のかなりの程度は外国産が主たるもので、蕎麦粉にしたり蕎麦にするのが、日本の各地(名産地)だとされていた。今もそうかどうか、はっきりしないが、とにかく、夕食は「笊蕎麦(ざるそば)」にしている。酒類は一切駄目、もっぱら「ノンアルコールビール」で満足している。(492)

◯2024/08/26(月)昼前にJR外房線・土気駅へ。Kくんを迎えるため。おそらく7、8年ぶりくらいの再会。相変わらずの元気印だ、と思った。少しは「蓄積するストレス」で体重は増えていたかもしれないが、世田谷区立小学校で五年目だという。「子ども好き」というのか、子どもたちが彼女を「好んでいる」というべきか。なかなかに珍しい、貴重な資質を有していると思う。学生時代には見られなかったものだし、本人も驚いていると自白していた。常に「保護者」とぶつかっている」と明言していた。いつだって、子どものためにとの発言が親たちを刺激しているのだ。今週の水曜から二学期が始まるという。いろいろと課題を抱えているだろうが、ていねいに歩くことを大いに期待している。▶土気駅前のレストランで軽い食事を取った後、どこかへドライブにでも、と思ったが、ごく近所に「ホキ美術館」があることを思い出して、そこに出かけた。初めてだった。徹底した「写実」絵画の収蔵が核であり、その200点ほどを展示していた。ぼくには久しぶりの絵画鑑賞だったが、一目して、半世紀も時間が止まっているような感覚に襲われた。「写実絵画」の現在位置が、ぼくにはわからないが、おそらく、この展示作品がそれなのかも知れないと思った。こういう絵を描く画家がいて、こういう絵を好む愛好家がいるということは否定しないが、そこになにか新しいものが生まれる気遣いはないように思う。▶四時前に土気駅に戻り、Kくんと別れた。(491)

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台風一過、また台風が…

▣ 週のはじめに愚考する (第參拾四)~ どういうことでしょうか。一年のうちに若い人が死にたくなる特異日があると言う。それが、9月1日。その理由はいろいろに取り沙汰されています。それぞれになるほどとうなずきたくもなりますが、さて、どうしたものかと思案投げ首であることも事実です。昨日の東京新聞「筆洗」が書いています。「明日は9月。近く学校が始まる子は多い。いじめなどに悩み早まった行動をせぬかと心配する時期、学校が嫌なら逃げていいと唱える活動『#逃げ活』を展開する団体もある」と。以下、少しばかり古いネタではありますが、型破りの人生相談を展開した作家の北方謙三氏の、驚くべき時代錯誤の放言に似た回答ぶりを紹介しています。

【筆洗】懐かしき若者向け雑誌『ホットドッグ・プレス』に作家北方謙三さんの人生相談『試みの地平線』があった。記憶する人は中高年以上の男性か▼いかにもモテそうな北方さんが生き方を説く。「彼女がデートなどの約束を守らなくて困っています」との相談には「張り倒せ」と答えた。掲載当時は昭和。今なら不適切と咎(とが)められそうだ▼「生きるのが限界で自殺のことを考えています」という悩みには、何でもいいから本を50冊読めと助言した。「50冊読むまでは死ぬな。50冊読んでみて、それでも死にたいと思ったら、また手紙をくれ」。本で時をやり過ごせとの趣旨である▼明日は9月。近く学校が始まる子は多い。いじめなどに悩み早まった行動をせぬかと心配する時期、学校が嫌なら逃げていいと唱える活動「#逃げ活」を展開する団体もある▼何から逃げたいかや、逃げたい時のやり過ごし方などを書きだす作業を勧め、必要な台紙なども提供する。ゲーム、昼寝、散歩など手段は多様だろうが、それで命をつなぐ戦略は「本50冊」回答と同じであろう▼北方さんは、読むなら小説もいいと作家の自負をにじませた。「俺は小説が世の中の役に立つなんて考えたことはないが、死にたがっている人間を止めるぐらいの時間を与えることはできると思う」。逃げ込んでくれたら本望だと言う人もいるのだから堂々と逃げていい。(東京新聞・2024/08/31)

 ぼくは好悪の激しい人間です。自慢すべきことではありません、「不勉強なことに」と弁解がましく断ったうえで、この作家のものは一冊も読んでいないと、正直に白状しておきます。だから、彼の言動を評価する資格はないし、彼の小説家としての力量も判断できません。誌上「人生相談」で破天荒な回答をすれば読者は喜ぶし、相談者も虚を突かれて、相談事が吹き飛んでしまうことがあったかも知れぬ。悩みがどこかに消し飛んだことだって、と。大変にけっこうだったのでしょう。それでもなお、コラム氏が触れている不適切な表現、「(約束を守らない女性など)張り倒せ」という回答に「今なら不適切」と、当時なら許されていたような書き方をしているが、ぼくは、それは当時でも間違っていたと思うし、それを指摘されても意に介さなかったという回答者の姿勢が問題だったと思う。「うじうじするな」「 ソープへ行け!」と回答したと、宣伝されてもいる。自殺は止める、だが暴力は容認するという「破天荒」加減です。

 いろいろなヴォランティア団体は多いが、子どもの自殺を防ぐ活動に特化して活動している団体の話です。コラム氏の記事が間尺に合わないのは、北方流を「推し」過ぎているのではないかと思われる点。小学生や中学生に「50冊読むまでは死ぬな」が通じるでしょうか。本を読むことを厭わない子どもなら、相談しないかも知れないし。それはともかく、適切な表現ではありませんが、「若者の自殺の特異日」とはどういうことなんですかと、ぼくは首を捻り続けているのです。

 「9月1日が圧倒的ではありますが、冬休み明けや新学期、ゴールデンウィーク明けなど、長期休暇明けには、どれも自殺者数が増加している傾向が見て取れます。/ 学校に行く、ということが自殺のきっかけとなるとしたら、いったい親や周りの大人はどうやってそれを止められるのでしょうか。」というのは「不登校サポートナビ」です。学校・登校神話があるのは否定できないでしょう。いかなる理由にせよ、不登校は「善ではない」、「学校にかないのは悪い子」という漠然として、根拠のない「神話」が長い間、この島社会で蔓延(はびこ)ってきたことは事実です。行きたくないことは誰にもある。大人だって会社に行きたくない時があるのですから、子どもにも、それは当然ある。行くことが抑圧になるなら、そこから解放されるためには、行かないという選択肢があってしかるべきではないでしょうか。ぼくは、小中高時代にあまり学校は休まなかったが、常に、学校にあっては「心ココニアラズ」だった気がする。学校に溺れてはいなかったし、むしろ学校や教師には不信感を持ち続けていたのでした。

 (右上図は「不登校サポートナビ」:https://www.futoukou-navi.com/note/tokushu/1360.html

 登校するのは「義務」だとされるかも知れないが、それは子どもの義務ではありません。親や学校関係者、あるいは行政側の義務とされているのであって、子どもの学ぶ権利を保証するために、保護者や行政側がはたさなければならない「義務」です。そう言ったからと、故に、登校しないのは子どもの「権利」だと言うつもりはないが、権利と義務の関係だけで捉えないで、もう少し柔軟な発想で、「登校 / 不登校」を捉えたらどうでしょう。早い段階から、頭ごなしに「学校へは行かねばならぬ」と強制してはいないか。親も教師も、登校を拒否する子どもの心情を汲むことができているかどうか。理屈抜きで、学校なんか、という感情は誰にだってあるんじゃないですか。

 怠け心や反抗心と思われる(態度)の背後に何があるのか、子どもが口を開きやすい状況を作り出すことこそ、保護者や学校関係者には必要な姿勢ではないでしょうか。「学校神話」にはいくつもの不可解な「信心・呪(まじな)い」があると、ぼくは愚考してきた。その最大のものが「きっと、学校へは行くべき」という脅迫・強制ではないかと思っている。義務教育とは「子どもが就学すべき義務」を謳っているのではなく、保護者や行政が「子どもの権利である教育の保障」「教育を受ける機会の保障」をすることの義務を指すのですから、ときには登校しないこともまた、「教育の機会保障」の一種だと考えてみてはどうですか、そんなことを昔から考えたり、実践したり(就学期時代)してきました。(学校への登校を巡って「死にたくなった」という経験(記憶)は、ぼくにはなかったと思う。もちろん、いつだって「学校は嫌なところ」という気分は旺盛だった)

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世の中に生活している第一の目的は

 つい先程(午前7時前)、生ゴミ袋を集積所まで出しに行ってきた。朝から、かなりの雨が降っています。落ち葉や枯れ枝などが樋に溜まったままになっていて、屋根の雨は樋を通り越して地面に落ちている。凄い音をたてているので、降雨の凄さがわかります。台風10号は消滅したが、熱低になって各地に強い雨を降らせている。その影響で当地にも激しい雨が落ちているのだ。発生以来、一週間以上もかけて、ゆっくりと九州方面に上陸し、四国に出て、そして今はその近辺で(「台風」という看板を外し)、熱帯低気圧状態で雨をもたらしているのです。

 本日は「二百十日」だという。立春から数えて二百十日目。この日付を見ると、漱石の短編「二百十日」を想起します。若い頃、漱石は友人と阿蘇登山を試みたのが、ある年の「二百十日」、作品発表は1906年10月、中央公論誌上でした。もちろん、阿蘇登山はそれより前の1899年8月末だったらしい。作品全体が友人との対話で終始している。風雨に登山を阻まれた二人の対話は世の中の矛盾や不正に対する悲憤慷慨といった趣きで、若者の特権を振りかざしているとも言えます。かなり前に読んだが、今では、その内容は殆ど忘れています。

 長く生きていると、いろいろな場面に遭遇します。気候変動や地球温暖化とか線状降水帯など、殆どが自然環境に対して、人間の生み出す科学や技術が必要以上の負荷をかけた結果、本来地球が有していた自己保存力が著しく毀損されて、その結果、これまでに見られなかった「未曾有」の災厄を経験させられているのです。原子爆弾(投下)やその技術の民生転用でもある原発(事故)など、百年前には未知の技術がさまざまな功罪を生んできたとも言えます。

 現在、この劣島を襲っているらしい「コメ不足」現象、一体どこの話かと思うほど、当地ではふんだんにコメは出回っているのが不思議でならない。遠からず品切れになりパニックを起こすのでしょうか。我が家はかみさんと二人世帯。ぼくはほとんど米粒の飯を食わない。かろうじて、時たまかみさんがご飯を一合炊くけれど、それが翌日に残る始末。5kgのコメが数ヶ月も保つ状態ですから、コメ不足は異国の、異郷の話と、ぼくにはとても真面目に受け止められないのです。しかし、新聞のコラムを読むと、各地ではかなり深刻な事態を招いているということが手に取るようにわかる。それでも、ぼくには現状が理解できない。不足→騒動→政府の出動→コメ供給という流れは目に見えていますが、不足段階以前に5kgで2000円だったものが、不足解消のために出回ってくるコメは2倍の値段(4000円)がつくという話も聞いています。(どうも、個々の農家に代わって耕作を引受て生産等を管理している「農業法人」辺りが事の発端のような気もしている)

 この絡繰(からくり)はいたるところで、これまでにもしばしば見られてきたのではないでしょうか。コロナ禍が発生すると「マスク騒動」も同時に発生。平時には一枚100円だったものが300円500円もするという事態が生じたのは、ついこの間。コメ不足は「作られた」経済・消費物価問題なのだ言ったらどうでしょう。スーパーにはないけれど、何処かにはある。政府は、この顛末(てんまつ)を知っている、あるいは共同正犯なのかも知れない。農協(JA)が黙っているのも解せない。と、疑えばいくらでも不信感が募ります。拙宅近辺の農家はほとんど稲刈りを終わらせています。やがて「コメ不足」は何だったんだろうということになるのは目に見えている。漱石言うところの「文明の怪獣」とやらが、あらゆるところで罠を仕掛けているのだろうと、変に勘ぐってしまう。

【小社会】二百十日 〈どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ…〉。特徴的な一節で始まる宮沢賢治の名作「風の又三郎」は日本の雑節の一つ「二百十日」が下地にある。
 立春から数えて210日目は台風が来ることが多いとされた。主人公の男の子を地元の子どもが「風の又三郎」と呼んだ理由の一つには、風の強かったその日に転校してきたことがあった。
 子どもたちの短い交流を描いた話の解釈はさまざまだが、作品を輝かせるのが賢治の童話特有の展開力だろう。冒頭の一節もそう。又三郎も突然姿を消した。タイトル通り、風のような疾走感がある。
 今年はきょうが二百十日にあたる。同じ節目だというのに、こちらの「風」は何と鈍いことか。本県に近づいた台風10号は、最初の予報なら既に通過しているはず。それがまるで暦に合わせるようにのろのろ進み、多くの人の月末の予定も狂わせた。
 遅いだけではない。この間、海水温が高い海から湿気を吸い上げて発達し、離れた場所にも大量の雨を降らせている。そこには賢治の時代とは違って温暖化の影響もみえる。被害の深刻さも増した。予定が狂う程度で済めばまだましなのかもしれない。
 状況は予断を許さない。又三郎が去った後に感じた一抹の喪失感はファンタジーとして、台風10号が去った後の現実に何を思うだろう。いずれにしても、二百十日という形で先人が残した警鐘がまた重くなった。(高知新聞・2024/08/31)
● 二百十日(にひゃく‐とおか)= 暦の雑節の一つ。立春から数えて210日目の日。太陽暦の9月1日ごろにあたる。古来、台風襲来の時期でイネの開花期にあたり、農家の厄日として注意を促すため暦に記載される。渋川春海(しぶかわはるみ)が漁夫からこのことを聞いて1686年(貞享3)の暦から記載するようになったといわれているが、それ以前に伊勢(いせ)暦には1656年(明暦2)の暦から記載されている。立春から数えて220日目を二百二十日(にひゃくはつか)というが、暦には記載されない。(日本大百科全書)

 地球規模で、あるいは地球外にも悪影響を及ぼしつつ、環境破壊は止む気配がないのはどうしてでしょうか。「今だけ」、「自分だけ」よければ、「後は野となれ山となれ」という利己的かつ刹那的人生観が横行していることは否定しようがないですね。

 先に挙げた漱石の「二百十日」、阿蘇登山を阻まれた青年二人は世の中の悪弊に毒づく。特に「華族や金持ち」。作品の終わりには、二人は過激に社会悪の存在に、激しい嫌悪を示す。

「そら出た。華族や金持ちの出ない日はないね」
「いや、日に何遍云っても云い足りないくらい、毒々しくってずうずうしい者だよ」
「君がかい」
「なあに、華族や金持ちがさ」
「そうかな」
「例ば今日わるい事をするぜ。それが成功しない」
「成功しないのは当り前だ」
「すると、同じようなわるい事を明日やる。それでも成功しない。すると、明後日になって、また同じ事をやる。成功するまでは毎日毎日同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるい事を同じように重ねて行く。重ねてさえ行けば、わるい事が、ひっくり返って、いい事になると思ってる。言語道断だ」
「言語道断だ」
「そんなものを成功させたら、社会はめちゃくちゃだ。おいそうだろう」
「社会はめちゃくちゃだ」
我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう
「ある。うん。あるよ」
「あると思うなら、僕といっしょにやれ」
「うん。やる」
「きっとやるだろうね。いいか」
「きっとやる」
「そこでともかくも阿蘇へ登ろう」
「うん、ともかくも阿蘇へ登るがよかろう」
 二人の頭の上では二百十一日の阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している。(「二百十日」(夏目漱石全集3 ちくま文庫)

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顚倒の想より起こりて、若干の…

 兼好がみずからの「生き方の流儀」を披瀝したとすれば、いかにも当世社会への強烈な「文明批評」になったと言った風情です。さしずめ、以下のようでもあるでしょう。何度も繰り返しましたが、これは兼好自身の処世の法でもあったと思うのです。これとそっくりの箇所が「第三十八段」で、すでに、どこかでかで触れています。この段も、二度目か。

 何度繰り返してもいいでしょう。それくらいに、世の中に生きていると、「違順に使はるる事」から自由であることはほとんど不可能だと思われてきます。「違順」、つまりは順境と逆境の繰り返しに気も狂うばかりに「正気を失う」のではないかというのです。どうしてそうなるのか。何をおいても「享楽」を求めて止まない、いわば人間の本能のなせる業のようでもあります。

 永遠(とこしなへ)に、違順に使はるる事は、偏へに苦楽の為なり。楽といふは、好み愛する事なり。これを求むる事、止む時無し。楽欲(げうよく)する所、一(ひとつ)には名なり。名に、二種あり。行跡(かうせき)と才芸との誉(ほまれ)なり。二(ふたつ)には色欲、三(みつ)には味はひなり。万(よろづ)の願ひ、この三(みつ)には如(し)かず。これ、顚倒(てんどう)の想より起こりて、若干(そこばく)の煩ひあり。求めざらんには、如かじ。(「徒然草 第二百四十二段」)(島内既出)

 「楽欲(げうよく)」のために生きていると言っても過言ではないほどに、ぼくたちは快適・快楽に夢中になる。その第一は「名誉」で、それには「行跡」、あるいは「業績」と言ってもいいでしょう、それが一つ。とにかく「有名」になりたい、名を残したいと命がけです。他に「才芸」、あるいは学識や芸術における名を求める。この社会で言うなら、文化勲章・芸術勲章がほしいという、狂気の沙汰を指すでしょう。

 その二は「色欲」、好色というのは、いくつになっても消えて失せることはないのかも知れません。残念ながら、ぼくにはよくわからないけれど。

 三番目には味、つまりは食道楽・味三昧の追求です。

 これら三つの「楽欲」の外にも、いくらも欲得はあるにはあるが、取るに足りないと兼好さんは仰(おっしゃ)る。この「三欲」、「三楽」はどうして生じるか。「これ、顚倒(てんどう)の想より起こりて、若干(そこばく)の煩ひあり」、生き方の根本が逆転しているから生まれるのであって、そこからは果てしない欲望が生じ続けるという。そのとおりですね。

 (蛇足 ぼくの先輩であった耳鼻科の医師は、長く「三楽病院」に勤務されていました。都内御茶ノ水にあった。今でも開院しているでしょうか。この「三楽」という名称に興味を持っていました。出典は「孟子」と「列子」で、「 《「孟子」尽心上から》君子の三つの楽しみ。一家の者が無事であること、天にも人にも恥じるところのないこと、天下の英才を教育すること。 《「列子」天瑞から》人生の三つの楽しみ。人間として生まれたこと、男子として生まれたこと、長生きしていること」(デジタル大辞泉)(時代や社会、あるいは人によって「三楽」は、こんなにも違うということ)

 「人生の価値」「生きる意味」などと、人々はいとも軽々しく云々します。生きる価値、意味のない人生と、まるで「人生の値打ち」を決めるのは自分であり、その自分が生きている世の中だと言わぬばかりです。本当のところはどうなのか、誰でもとは言わぬが、多くの人は、それを考えみようとはしない。価値がある、価値がないというのは、いかにも時代や社会の「価値観」に著しく左右されるもの。それを追い求めていては、いつまで経っても埒(らち)は開かないのですが、それに気が付かない。残念だけれど、ぼくたちはそれほどに賢くはない、いや愚かだと言うべきでしょう。

 一流大学を出たほうが三流大学出よりも勝れていると、自他ともに信じ込んでいるとすれば、おめでたい話で、おそらく兼好の時代においても、家柄だとか官職(身分)の序列高低が、人生の値打ち(意味やかち)を決めていたはずです。その「偏頗な価値観」から自由になることは、兼好さんにとって、みずからの苦々しい立身希求の経験を踏まなければ得られなかった境地ではなかったかと、ぼくは愚考している。

 他人より勝れていたい、そのような「顚倒(てんどう)の想」からさまざまは欲望が生まれてきます。兼好曰く、「求めざらんには、如かじ」、と。

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学びの心に火を付ける

  ◯ 写真集未来誕生 川島浩(1959年)

 左手の窓からのやわらかな日差しを受け、けげんそうに前を見る少女。オヤと首をかしげ、にわかに立ち上がる。「あ、そうか」と何かを理解し、はじけるような笑顔を見せる。一九五九(昭和三十四)年、群馬県境町(現伊勢崎市)の旧島小学校分校で、三年生の国語の授業を写した八枚の連続写真。これはその七枚目のカットだ。

 若手教諭の赤坂里子(故人)が教える「山の子ども」の授業だった。子供たちは登場人物の気持ちに思いをはせ、次から次へ意見を口にする。それを受けて赤坂は問いを発し、さらに発言を促す。教師と児童が見事なハーモニーを奏でていた。

 島小の教育は五二年、四十一歳で校長として赴任した斎藤喜博(きはく)(一九一一〜八一年)の手で形作られた。教育学者で元宮城教育大学学長の横須賀薫(86)は、その核心を「授業中心の学校づくり」だと言う。明治以来、授業は教科中心に知識や技術を教え込むものだった。斎藤は教え込みではなく、子供の力を引き出す方向で授業を充実させて学校をつくろうとした。

 島小は利根川を挟んで南側の本校と北側の分校に分かれていた。斎藤は毎日午前中に分校に顔を出し、午後に本校にやってきた。「姿が見えると、子供たちが二階の窓から手を振っていました」。本校の新任教師だった川島環(89)が振り返る。(「一枚のものがたり」:東京新聞・2023/02/11)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/230577?rct=photostory

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 〈一枚のものがたり〉についてはこのブログ内でも触れています。一枚の写真が語るものがたり、それを記者がていねいにひもとく。あるいは写真に重ねて更に語ろうとする。とても素敵な企画だという感想をぼくは持っています。

 さて、本日は斎藤喜博さん率いる島小学校の「授業実践」の一コマ。コマを回すのは写真家の川島浩さん。もう六十五年も前の地方の小学校の教室で、教師と児童が「火花を散らす」ような問答を重ねていた、そこに一人のカメラマンが入った瞬間に「虜(とりこ)」になった。川島さんは、斎藤校長の著書の写真を撮るために訪れたのに、一気に教室に引き込まれ、なんと三年の間泊まり込みも含めて通い続けた末にできあがったのが「未来誕生」だった。この写真集にも、駄文収録ではどこかで触れていると想います。おまけと言っては失礼に当たるが、川島さんは、当時の島小の教師だった一女性と結婚をしている。

 「そんな島小に魅了された写真家が、川島浩(一九二五〜二〇〇三年)だった。学校での出会いから妻となった環によると、出版社から斎藤の著書の表紙の撮影を依頼されたのが、来校のきっかけだった。『行ったら、子供たちの姿が素晴らしくてとりこになったんです』。足かけ三年、時に学校に泊まり込むほど通い詰め、斎藤との共著『未来誕生』をまとめた」(東京新聞・上掲)(右写真は川島浩さん)

 ぼくは島小の子どもたちとほぼ同世代。後年になりますが、この学校の教師の何人かと文通を試みていたこともあります。斎藤喜博という教師の「為人(ひととなり)」についてもいろいろと教えられ、示唆された。学校・教育・授業というものを考える大きな暗示を与えられ続けて来たのでした。この写真集に付けられた浩瀚な文章はすべて斎藤さんのものです。そこには、斎藤教育学と称された「真髄」がくどいように語られています。ぼくはなんどこの「真髄」に立ち戻っては教育や授業について考えてきたことか。今思えば、実に懐かしいが、斎藤さんたちの願った「授業による子どもの解放」が、今となれば、逆方向(抑圧)に大きくそれていくのが日本の学校教育のたどった「茨の道」だったことが明らかになります。それほどに、教育の可能性は安易な「教育学」や「授業論」では開かれないということだったでしょう。斎藤さんは、その根源悪を「テスト中心の授業」にあると射抜いていました。

 教師が教えたことを、子どもがどれだけ「暗記」「記憶」しているかを調べる、それが試験(テスト)。それが教育であり授業だという最悪の水準で、教師も子どもも日常的に齷齪(あくせく)しているのです。この病弊は決して癒えることはないでしょう。残念であることはもちろんですけれども、そのような「テスト中心」、そこから結果する「偏差値重視」の教育や授業のほうが、教師にも子どもにも遥かに容易いことですし、点数競争という試合に望んで、他者に「勝てば海路(進路)の日和あり」で、社会的評価(それは、無条件にいいものなんですか?)を受けることが約束されているからでしょう。齋藤氏に言わせれば「唾棄すべき」ことではあります。しかし、世の趨勢は「点数へ、偏差値へ」と靡くことをまるで強いられたかのように、学校教育は自らの「可能性」を閉じてきたと言うべきではないでしょうか。

 教師の仕事は「教える」ことではないと気づくだけでも大変なこと。教えることの前提に「育てる」がなければ、「教える」ことの意味は失われます。「1600年に関ヶ原」と、「言葉(切り抜き)」を覚えさせることは「教える」ではない。その前に子ども自身の中に学ぶという能力が育てられていなければ、教師の「教える」は暗記という無機質な平面で潰(つい)えてしまう。覚える作業は、試験が終われば忘れていいということと同義です。そこに「教育」を見出すことはできないのではないでしょうか。子どもの中に「育てられる」「育った」という証(あかし)を見出すことはできないからです。ぼくが斎藤喜博という教師から学んだことがあるとすれば、斎藤さんが斎藤流に「授業」を創造したように、お粗末であっても「自分流」に徹するところから「自分の授業」を生み出すことだったと言うところに尽きました。

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「スポーツは本来楽しいものだ」

【北斗星】嫌な光景を目にした。秋田市の自宅近くの公園へ散歩に行くと、サッカーをしている2人がいた。父親らしき男性が男の子に「そんなこともできないのか」と怒鳴りつけていた▼翌日も同じような場面に出くわした。その公園で今度は別の2人がキャッチボールをしていた。父親とみられる男性が「下手くそ」と大声を上げ、男の子にボールを投げ返す。ほかに大勢の人が遊んでいるのに暴言は延々と続いた。せっかくのリラックスタイムが2日続けて台無しになった▼スポーツは本来楽しいものだ。親がそれを否定しているようでは子どもが楽しくできるはずもない。「きつい指導や体罰を乗り越えて強くなった」と思っている親もいるだろう。そのような考えは子どもの成長に悪影響を及ぼすだけである▼大阪・桜宮高バスケットボール部の主将が顧問から暴力や理不尽な扱いを受け自殺した。もう10年以上前のことである。これを機にスポーツ界では暴力根絶が宣言された。指導が変わってきたと感じるところはあるが、暴力も暴言もなくなってはいないようだ▼スポーツを楽しむ。それが成長につながる。勝利ばかりを求めると、子どもたちはミスを恐れ、伸び伸びとプレーできなくなる。「監督に怒られないように」とビクビクしているとしたら、もはやスポーツではない▼指導法の改善は何度も繰り返し、徹底していかなくてはいけない。スポーツの本来のあり方を、文化として地道に伝えていく必要がある。(秋田魁新聞・2024/08/23)

(ヘッダー写真:京都国際高の優勝の瞬間を伝える韓国のニュース番組=23日、韓国・2024/08/23)

 明治以降に学校教育が普及してゆくにつれて、そこには今につながる「伝統」というか、「美俗」というべきか、この社会に特有の教育的価値観が培養されていきました。しばしば言われる「知育」「徳育」「体育」の渾然一体となった「発育」「発達」に資することが、今ある「学校教育」の名目上の目的になったと言えるでしょう。ぼくは、もう何十年も前から、甲子園で行われる高校野球を観たことがない。あれはスポーツではないと感じてきたからです。よく関係者は「高校野球は教育の一環」だという。そうであるなら、それは運動というより、むしろ「しつけ」や「管理」「強制」につながる、実に堅苦しい「精神修養」の諸要素に満たされるでしょう。ぼくには、高校野球に限らず「集団運動(教育)」の根っこには、学校教育と同時に発足した陸軍の「軍事訓練」と同じ価値観が否定しがたいものとして培養されてきたと強く感じてきました。その代表は「上下関係」です。上官と下士官、一等兵と二等兵には雲泥の階級差が存在しているし、それが当然とする。高校野球には「上級生と下級生」の階級差が歴然として、「身分差」のようなものとしてあるのかも知れない。

 ぼく自身も中学校では野球(軟式)、高校では野球(硬式)とラグビーを部活動としてやっていた。もちろん、高体連の公式試合にも参加したし、野球では甲子園の、ラグビーでは花園の選手権大会の地区予選にも出場しました。そのどちらも、ぼくは自分流に言うなら「楽しむスポーツ」としてやっていたので、勝ち負けは当然ありましたが、決して勝つことを至上命令として自らに位置づけることはしなかった。他者から見れば、いい加減なものだと写ったかも知れない。誰かに命令されて、ある意味では理不尽な行為を強いられることは断じて拒絶した。真夏の炎天下での「水飲み禁止」は、ぼくには受け入れられなかったし、それで上級生と衝突したが、自らの主張は曲げなかった。実に気楽なものだったかも知れなかったけれど、今から思い出してもそれなりに面白さはあったから、それはそれでよかったと思う。土台、甲子園や花園へ行きたい、行くのだという「目的」自体、ぼくには理解できなかった、無縁のものだった。そのために自分を殺し、監督や先輩の言いなりになるくらいなら、そんな部活はいつだってやめるだけ、そんな心持ちで通した。

 誰彼が甲子園や花園を目指すことを否定はしない。ぼくだけはそんな「暴力」にぼくは巻き込まれたくないというばかり。「大阪・桜宮高バスケットボール部の主将が顧問から暴力や理不尽な扱いを受け自殺した」という事件に関して、ぼくはある研究所が主催したシンポジウムに呼び出されて講演のようなものをした覚えがあります。死にたくなるほどに理不尽な部活(運動)にどうして自らを閉じ込めておいたのか。指導という名の暴力を憎む風潮に訴えることは大事です、それ以上に、生徒自身がそんな「暴力支配」の中に自分を止めておくのは間違いだと気が付かなかったのが悔しい、そんな意味のことを言った記憶がある。周りのものが「鉄拳制裁」を非難するのは当然でしょう。しかし、「鉄拳制裁」を受けている自分を救い出すほうが、甲子園や花園を目標にするより遥かに大切ではないですか。

 君子危うきに近づ寄らず。君子でなくても、淑女でなくとも、暴力を容認するような環境には近寄らないことです。この社会の学校、ことに運動部の体質は「軍隊」発祥だと、ぼくは繰り返し指摘してきました。教師の暴力も上官の、根拠のない暴力だと言っていいでしょう。それが無条件に通用するような危険地帯、そんなところに「教育」が存在するはずもないと思う。「暴力(を用いる)教育」は教育ではないでしょう。教育も、まあある意味では「合気道」みたいなところがあるんじゃないですか。勝ち負けでも優劣でもない、相手との間合い(関係)こそが、大事なんですね。

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 今夏の甲子園の高校野球大会で京都国際高校が「優勝」したと言う。京都国際高校は韓国系の高校であり、日本人生徒も就学している。この学校の詳細に関して、ぼくは知るところがほとんどない。野球が強いということくらいしか印象にはなかった。昔よく知っていた学校(たしか、両洋高校と言われていた、その学校が「名称変更」したのか、その程度にしか思っていませんでした。実際はそうではなかったが。この学校が甲子園で「優勝」したのですから、おめでたいことだと言うべきでしょう。ところが、そうではないと横槍を入れたい人々がたくさんおられる。その代表格ではありませんが、産経新聞の「コラム」が数日前に出ていました。当然といえば、当然。大人げないと言えば大人気ない記事でした。問題は「京都国際高校が優勝した」ことにあり、それはけしからんと指摘したいのでしょうが、それを言ったらおしまい、だから校歌にクレームを付けた。校歌そのものではなく、校歌の邦訳に対して、です。(「優勝」しなかったら、こんな記事は書かなかったはずですから)

 単に校歌の「邦訳」がおかしいというのではなく、それをNHKが放送したことに苦情や抗議をしていると、ぼくには受けとれます。だから、非難の対象はNHKなのだと想いきや、そうではないところに、問題のおかしさ、ややこしさがあるのでしょうか。我が邦が表記している「日本海」を韓国高校の校歌では「東海(とんへ)」となっており、それを「東の海」と翻訳して、NHKはそれを黙って放送で流したと言う。なかなな込み入っています。この問題(になるのかどうか)に関して、ぼくは何かを主張するのではありません。「尖閣列島」と日本は言い、「竹島」と日本は呼ぶ。中国や台湾、あるいは韓国は別の呼称を用いる。同じ名称が認められればそれで一件落着。「日本海」を「東海」というのは「けしからん」というのも一理。どっちもどっち、そういう問題ではないでしょうか。何であれ、互いに納得するには時間はかかるでしょう。要するに「韓国」はけしからん文句を言い続けていると主張したいのですが、それを高校野球の問題に重ねるから、ややこしい。「もとより選手や生徒には何の罪もない」と言い訳(弁解)をしながら、でも、やはり「ホントは罪はある」と言いたげ、ですが。

【産經抄】偽りの翻訳〟、球児が背負わされた政治的主張 ○○を使うようになってから、毎日が快適です―。商品の愛用者が効果のほどを語るその横に、「※個人の感想です」や「※効果には個人差があります」といった注意書きがよく添えられる。通販番組などで、おなじみの光景だろう。▼消費者の誤解を招かぬためには、不可欠な表示らしい。「みなさまのNHK」も、その義務を等しく負っている。「日本語訳は学校から提出されたものです」。甲子園で快進撃を見せる、京都国際高の校歌である。韓国語の歌詞が流れる度、ただし書きが嫌でも目に入る。▼<東の海を渡りし大和の地は…>で始まるこの訳詞はしかし、同高により意図的に改変された節がある。韓国語の歌詞を読む限り、出だしの2文字は、どう見ても東海(トンヘ)である。かの国は長らく、日本海の国際的な呼称を東海に改めろと騒いできた。▼そのような経緯もあり、同高の校歌は以前から物議を醸してきたのだ。<東の海>に目くらましの意図が込められていようことは、想像に難くない。包むことなく言ってしまえば〝偽りの翻訳〟でしかなく、大人の浅知恵を見たようで後味が悪い。▼既視感を覚えるのは、五輪などの場で、かの国の大人げない振る舞いを見過ぎたせいかもしれない。民族学校という沿革は大事にすればよい。さりとて、政治的主張まで若者に背負わせるのはどうか。野球の強豪校となったいま、夢を追って入学する球児も多いだろうに。▼甲子園ではきょう、同高と関東第一高(東東京)の決勝が行われる。もとより選手や生徒には何の罪もない。あの校歌と小手先の日本語訳には、それゆえ不快の念を禁じ得ない。程度の差こそあれ、当方と似たような「※個人の感想」を抱く人は多いのではないか。(産経新聞・2024/08/23)
1947京都朝鮮中学 開校
1951財団法人 東邦学院設立
東邦学院中学校に校名変更
1958学校法人 京都韓国学園 設立
京都府知事認可
1984本多山キャンパス 完成
京都市東山区今熊野本多山町1番地
1999硬式野球部創部
コンピューターコース・進学コース設置
2001学校寮 完成
2003学校法人京都国際学園 設立
京都国際中学高等学校 全日制普通科設置
日本・学校教育法第一条校京都府知事認可(私立中学・高等学校)
2004京都国際中学高等学校 開校(以下略)
(「沿革」=https://kyoto-kokusai.ed.jp/jp/info#ContSubBox03)

 「京都国際高校の校歌:日韓の隣人関係考える糸口に 京都国際のルーツは、1947年に在日韓国人たちが資金を出して設立した民族学校「京都朝鮮中」だ。90年代に財政難に見舞われ、学生数が激減したため、韓国の外交通商省(現外務省)や在日大韓民国民団などと協議のうえ、日本の学校への転換を決めた。2003年に日本の学校教育法第1条が定めた学校として認可を受け、翌年から日本人生徒を受け入れて校名を京都国際中高に変えた。/現在は中学生を含む在校生159人の7割が日本人だという。スタンドにいた2年の男子生徒は「京都国際が初めて甲子園に出た2021年の試合を観て入学した。グラウンドの仲間も、ベンチの選手も、応援席の私たちも心を一つにして戦った」と話した。(⤵️)

(⤴️) この学校にはストーリーが多い。自前のグラウンドは左翼方向70メートル、右翼方向60メートルしかなく、フリーの打撃もできない。しかも男子生徒が全校で約70人しかいない学校の野球部が優勝したというのは、読者の目を引く。/一部の日本人は、NHKの野球中継で韓国語の校歌が流れたことに否定的な反応を見せたという。X(旧ツイッター)には「京都国際の高野連除名を求める」「やっぱり韓国語の校歌は不快だ」というような投稿がなされた。これに対し、京都府の西脇隆俊知事は23日の記者会見で「差別的な内容などが含まれる4件についてソーシャルメディアの管理者に削除を要請した」と明らかにした。/一部の韓国人も変わらない。京都国際の校歌には韓国語で「東海(トンヘ)のうみ」という表現があるが、NHKが日本語字幕を「東海」ではなく「東の海」としたことを批判する投稿が少なくなかった。韓国で「東海」は、日本の「日本海」を指す」(「京都国際高校の校歌:日韓の隣人関係考える糸口に」、成 好哲・SUNG Ho-chul:https://www.nippon.com/ja/authordata/sung-ho-chul/

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● 参考文献 「日本海呼称について1.日本海の呼称について 日本海(Japan Sea)という呼称は、国際的に確立された唯一の呼称です。日本海(Japan Sea)の呼称は、日本が鎖国状態にあった19世紀前半から既に国際的に認知され、定着してきました。英国、米国をはじめとする諸外国も海図を作成する際には、日本海(Japan Sea)の呼称を用いています。これは、「国際水路機関」(IHO)が刊行し、 世界の国々が海図を作成する際に参照する「大洋と海の境界」という海の呼称のガイドラインにおいて、日本海(Japan Sea)と定められているからです。2.日本海の呼称に対する韓国の主張 1992年、韓国は、「第6回国連地名標準化会議」において、「日本海の呼称が普及したのは日本の拡張主義や植民地支配の結果である」等と主張し、 日本海(Japan Sea)の呼称に異議を唱え始めました。また、韓国は、1997年から「国際水路機関」(IHO)の場でも、「大洋と海の境界」が定める日本海(Japan Sea)の呼称に 「東海(“East Sea”)」を併記すべきと主張し始めました。 以後、韓国は、あらゆる機会を捉えて、日本海の表記を「東海(“East Sea”)」に改めるか、 日本海(Japan Sea)と「東海(“East Sea”)」を併記すべきと主張しています。(以下略)」(海上保安庁海洋情報部:https://www1.kaiho.mlit.go.jp/nihonkai/

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