「世の中は澄むと濁るで大違い」

【斜面】一字違いで大違い 太平洋戦争開戦の年、9歳で一家で満州(現中国東北部)に渡り、12歳で軍属に。敗戦直前、ソ連侵攻を受け13歳で兵士となった―。8年前、長野市の80代男性の体験を聴いた。過酷さとともに心に残ったのが、男性が抱き続ける悔恨だ◆日本の傀儡(かいらい)政権だった満州国で「子どもながらに侵略者の立場」だったと男性は語った。現地で暮らし始めた頃、遊んでくれた友達。後に朝鮮人と分かり、付き合うのをやめた。軍属の養成所で、朝鮮族の同期生は「朝鮮人ゆえに」侮辱されていた◆幼かったとしても、あの時代を生きた人は忘れない。81年前に終わった戦争は、日本が武力でアジア諸国に攻め入り惨禍を引き起こした。それを今の首相は知らぬのか、お構いなしなのか。高市早苗氏は全国戦没者追悼式の式辞で「反省」を述べなかった。加害責任にも触れていない◆驚くのは、歴代首相らが「戦争の惨禍を繰り返さない」と述べてきた文言を、「繰り返させない」に変えたことだ。一字違いで大違い。抑止力の強化を理由に政府の軍拡を正当化したい思惑と、先の戦争は日本のせいではない―との歴史観がにじむ◆かつて「反省なんてしていない」と公言した人を首相に選んだ以上、この成り行きも不思議はない。幾多の犠牲から生み出された憲法に立ち戻る必要がある。前文にある「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起(おこ)ることのないやうにすることを決意」。その主語は私たち「日本国民」である。(信濃毎日新聞・2026/08/19)

 思想・表現の自由は、何人にも認められています。仮に誰彼には認められないとしたら、どうでしょうか。だから、総理大臣であろうが、大企業の経営者であろうが、ぼくのような素寒貧であろうが、いかなる思想・表現の自由も認められていることに奇異なところはありません。でも、それも時と場合によるといってみたい気もする。小さな子どもが吐(つ)く嘘と、時の首相が吐く嘘には、いかなる変りも、「嘘」という点ではありません。でも、だからと言って、いつどんな場合でも首相は嘘を吐く自由を認められているということはできないでしょう。

 憲法前文中に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれわれの安全と生存を保持しようと決意し」とある部分を、高市議員は2000年9月の衆議院憲法調査会で「この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」と心情を吐露しました。その言やよし、と当時は言えたでしょうが、首相に、有権者の間違った判断だったとはいえ、昇りつめた今、「ああ、結構なこと」といって済ませられるか。(左上写真の出所は不明としておきます。これが事実だとすれば、首相は公務中に「宗教行為」をしたということでは「憲法20条」違反は明らかでしょう。メディアは事の真偽を報道すべきですね)  

 「世の中は清むと濁るで大違い刷毛に毛があり禿に毛が無し」という俗諺があります。繰り返さない」を「繰り返させない」と、首相がいったと、賑やかなことです。もちろん、彼女は歴史意識・感覚のない人だから、誰か知恵者がいたはずです。それを探す気はないけれど、ちょっとした思い付きで言えそうな表現でしょ。だから大騒ぎするほどのこともないと、ぼくは考えている。

 もともと、こんなことを言っては「大向こう(旧統一教会とか日本会議とか)に色目を使ってきた御仁)」、その程度の人間だということ。首相の任には堪えられないし、もちろん国会議員にさえふさわしくない人と思うが(もちろん、職業選択の自由は認められるべき)、彼女を含めて、大量の「無知」議員が議席を占めているのですから、致し方ない。よくぞ、そんな仰山な「無知」を選んだものと、有権者の「底なしの無知」もまた、つける薬がないのですから、、この国は、落ちるところまで落ちるでしょうね。(ヘッダー写真は時事通信の記事) (右写真は日経新聞。「こう書いてくれ」といわれて書いたような記録だ。原稿をもらっているんですか)

 もちろん、過ちが進行するのを拱手傍観する手はないし、できる範囲で、それを阻止する必要があります。無い知恵を絞って、「独裁「ファッショ」に対峙する、それくらいの「矜持」は一人の国民として持っているつもり。世界の鼻つまみ者に唯々諾々としてなる、そんなはずもないからです。 (「靖国遥拝」が各紙の「首相動静」に載せられているのは内閣府の要請だったかもしれないが、奇妙なのは、現段階では各紙の新聞に「遥拝」の写真が出されていないこと。これまた、報道管制されているんですかな。それは事実なら「終わりに至る、この国は」というべき事態。ほとぼりが冷めたら出てくるんでしょう。季節外れの「お化け」みたいだ)

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(日本国憲法)

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次は「負けぬ」という必勝宣言?

【天風録】首相の反省
 政界ではタカ派で鳴らした故石原慎太郎さんは広島の原爆慰霊碑に異を唱えていた。矛先は〈過ちは繰(くり)返しませぬから〉と刻まれた碑文。過ちを反省すべきは米国で、被爆地や日本の誓いは〈繰り返させません〉がふさわしいと▲碑文に主語がないゆえの主張だろう。広島市の見解は明快である。主語は人類全体、過ちは戦争や核兵器の使用だと。全世界の非戦、非核を願う「ヒロシマの心」だが、今も誤解や曲解がネット上にしぶとくはびこる▲戦争の惨禍を二度と繰り返させない―。終戦の日の式典で、高市早苗首相のあいさつが波紋を呼んだ。歴代の首相は「繰り返さない」だったから。「せ」の1文字を加え、日本は戦争に巻き込まれたとする己の歴史観を示したとの指摘は少なくない▲「反省」の言葉も消えた。戦争を巡る高市氏のかつての国会発言を思い出す。「私自身は当事者とはいえない世代ですから、反省なんかしておりません」▲行き過ぎた他責の歴史観は分断を招く。事実に基づく客観的な認識が今こそ指導者に求められよう。ドイツのワイツゼッカー元大統領が残した格言を、首相はかみしめてほしい。〈過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる〉(中國新聞・2026/08/17)

 昨日の駄文録では「遥拝(ようはい)」ということについて愚見を述べました。辞書には「(スル)遠くへだたった所から拝むこと」(デジタル大辞泉)とあります。もちろん、かかる拝礼・参拝・参詣の方法は、大昔からあるものではなかったといえます。ある種、実に「横着」なお参りの仕方方でしたから、誰彼に勧められるものではなかったはず。奈良・平安時代には「遥任(遙任)」ということが行われていました。元々は「遥任(ようにん)遥授とも。地方官(おもに国司)が,任命されたのちも赴任の業務を免除され,在京のまま得分のみをうけること。赴任して執務をする受領(ずりょう)に対する語。奈良時代の員外国司・権任国司の制に始まるとされるが,826年(天長3)の親王任国制が遥任を前提としているように,平安初期にはすでに制度として成立していた。そのねらいは,中央財政の窮乏にともない苦しくなった京官の待遇を,公廨稲(くげとう)の配分によって改善することにあり,平安中期にかけてますます盛んになった」(山川 日本史小辞典 改訂新版)とあるように、名目をを保つための窮余の一策で、いわば「代理」を立てて、当初の「手当」を受けとる手法だった。

 さすれば「遥拝」もまた、同じように、代理を立てて参拝させるだけでは(今回は、自民党幹事長などの党4役を代理に立てた)、いろいろな効力(霊験)が果たされないという思い付きで、「(行ったふり)参詣」を偽装したとも言えます。戦時中には植民地、あるいは侵略した地域においては「君が代斉唱、国旗掲揚、宮城遥拝」が強制された事例が多く記録に残されている。その始まりは伊勢参拝のご利益を得る「礼拝法(お伊勢参り・伊勢講に付随する)」でもあった。異性神宮の「祭神(さいじん)」は「天照大神」(「日本神話で、高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり、また、皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られている。大日孁貴(おおひるめのむち)。あまてるかみ」デジタル大辞泉)であり、それゆえに、天皇家は伊勢神宮(天照大神)に直結する神職であり、その住まいである「宮城」に向かって、遥かの遠隔地から「遥拝」が強いられたのでした。今回、総理大臣は、武道館にいたし、そこから「靖国」は約600mの地にあったのですから、歩いてでも行けたのに、ね。つまり、米国から「面倒は起こすな。中国を刺激するな」「靖国に行ってはならぬ」と厳しく叱責されたともいえる、その揚げ句の「遥拝」だった。前例は故元 A 首相にあった。同じように米国に「靖国参拝」を窘(たしな)められたのだ。卑屈だし、姑息だというほかない。「靖国に祀られている戦死者」を冒涜するものというべきではないですか。

 それ以上に問題なのは、憲法に禁じられている「宗教行為」を白昼堂々と行ったという点、誰も何も言わないということ自体が、論外のこと。「憲法20条:信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」

 本日の中國新聞のコラム「天風録」は、まっすぐではないですね、論旨が。よく読めば何んとかわかるが、このコラムニスト(記者?)までが、このところ、やや「軟弱化」しているとも思えます。つまり「唯一の被爆国の、最初の被爆地」の新聞として、いかにも変貌しつつあります、という雰囲気が感じられました。(ぼくは、この新聞社に「質問状」を8月8日付で送付(メール)しましたが、いまだに返事がありません。ここに故元都知事が引き合いに出されていました。「政界ではタカ派で鳴らした故石原慎太郎さんは広島の原爆慰霊碑に異を唱えていた。矛先は〈過ちは繰(くり)返しませぬから〉と刻まれた碑文。過ちを反省すべきは米国で、被爆地や日本の誓いは〈繰り返させません〉がふさわしいと。要するに現首相は元都知事の主張を「パクった」ということでした。卑しい品性ですね。

 「終戦の日の式典で、高市早苗首相のあいさつが波紋を呼んだ。歴代の首相は『繰り返さない』だったから。『せ』の1文字を加え、日本は戦争に巻き込まれたとする己の歴史観を示したとの指摘は少なくない」とコラム氏。日本は(満州事変をはじめ、対英米などの)戦争を起こしたのではないのであって、他国から使嗾(しそう)されて戦争に至ったといいたいらしい。だから責任も反省もないのだ、と。これって、どこの世界に通じるんでしょうか。この女性が破廉恥であることは多くが知っているでしょう。知りつつなおも、首相に至る過程を通して、多くの有権者は支持してきた。そして、ここに逆上したような首相「あいさつ」が登場したのでした。「戦後、我が国は一貫して、平和を重んじる国家として歩みを進め、世界の平和と繁栄に貢献するために力を尽くしてまいりました。戦争の惨禍を、二度と繰り返させない。戦後81年が経(た)ちますが、歳月がいかに流れても、この決然たる誓いを、世代を超えて継承し、貫いてまいります」という、「挨拶」を読み飛ばせば、何の問題もない、立派な「挨拶」という輩が出てくるでしょう。

 ((註 「これまでは。でもこれからは違う。あるいはやむを得ない戦争になるかもしれぬ」といいたいらしい。山埜)

 彼女の出身地の「奈良新聞」は昨日のコラムで書いていました、「高市首相となって初めての追悼式で、立派にこなせたと思う。毎年参拝してきた靖国神社には行けなかったが、会場の日本武道館到着時に、靖国神社の方向に向けて遥拝(ようはい)した」と。ぼくには、つくづく寒心に堪えないものがあった。こういう「善意(だと思う)」の輩たちが「悪女」を「鬼女」に仕立て上げるのですからね。まさに「戦時中の狂気じみた習慣復活」を高く持ち上げているのです。「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」というのはどうか。十分すぎるほどの軍備を備えて、好き勝手なことはさせない(米国にか、、中国にかは不明。はっきりと明言すべきでしょう)」と言っているんです。武器輸出原則も非核三原則もはとっくに風化されている。

 (一か月前のNYTでは「ロシアの精密兵器の部品に、日本製品が9割も使用されているとありました)(下部に掲載の記事参照)

 令和8年度全国戦没者追悼式総理大臣式辞

 天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表の御列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
 先の大戦では、約310万人の同胞の命が失われました。
 祖国の行く末を案じ、愛する御家族の幸せを願いながら、戦場に斃(たお)れた方々。広島と長崎での原子爆弾投下、各都市での爆撃、沖縄における地上戦などにより犠牲となられた方々。終戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊の安寧を、心より、お祈り申し上げます。
 今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊(とうと)い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の誠を捧(ささ)げます。
 未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
 戦後、我が国は一貫して、平和を重んじる国家として歩みを進め、世界の平和と繁栄に貢献するために力を尽くしてまいりました。戦争の惨禍を、二度と繰り返させない。戦後81年が経(た)ちますが、歳月がいかに流れても、この決然たる誓いを、世代を超えて継承し、貫いてまいります。
 日本は、各国が直面している様々な課題の解決に向け、重要な役割を果たせます。
 インド太平洋の輝く灯台として、頼りにされる国になれます。
 今を生きる世代も、未来を生きる世代も、希望を持てる日本を、安全で安心して暮らせる社会を、創り上げてまいります。
 結びに、戦没者の御霊の平安と、御遺族の皆様のご健勝を、お祈り申し上げます。令和8年8月15日 内閣総理大臣 高市早苗

 「あいさつ」の最終部分に「重要な役割を果たせます」「頼りにされる国になれます」「安全で安心して暮らせる社会を、創り上げてまいります」と、天皇両陛下を前にして、堂々と(戦々恐々というのが本音でしょう)「日本軍事大国化」を宣言をしたのです。しかも「我が国民の310万」が犠牲になった、その慰霊・追悼式で、でした。この非礼を許せますか。戦争犠牲者の中の兵士(230万)の6割は餓死でした。「非業の死」というけれど、「餓死」ではなかったか。白々しい顔をして「犠牲者」の実態を語ろうとしない。(兵士が餓死)とは、国家に見捨てられたということではなかったでしょうか。嘘をつくことに人生をかけてきた女宰相を、「どこまでつけあがらせるのですか」と、有権者にも政治家にもぼくは問い続けたい。「犠牲者」を冒涜すること、甚(はなは)だしいというほかない、「戦没者」追悼式の「首相の振る舞い」でしたね。

【質問】原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていますが、どういう意味ですか?

【回答】原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は、昭和20年(1945年)8月6日、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を平和都市として再建することを念願して設立したもので、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから、埴輪(はにわ)の家型に設計されました。中央の石室には原爆死没者名簿が納められており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文は、すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する「ヒロシマの心」が刻まれているものです。/広島市では、この碑文の意味を正確に伝えるため、慰霊碑前の平和の池の中に、多言語(日本語、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語(簡体字)、ハングル)での説明板を設置しています。(市民局国際平和推進部 平和推進課)(https://www.city.hiroshima.lg.jp/faq/atomicbomb-peace/1001617/1002399.html)

(「ロシアが日本にスパイ拠点、規制回避で兵器向け部品調達か 米紙報道 米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)は12日、ロシア軍の情報機関が東京を拠点に活動していると報じた。兵器への転用を目的に日本企業の製品や部品を第三国経由でロシアに流入させている疑いがある。統括する人物はロシアの国営航空会社職員を装って活動しているという。/西側情報機関の複数の関係者への取材などを基に報じた。/NYTによると、ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の「第20局」の将校が国営航空会社アエロフロートの東京事務所で従業員を装って活動している。アエロフロートの提携企業を窓口に、半導体や工作機械、通信機器などを第三国経由でロシアへ調達している疑いがある。/NYTは日本について「かねて『スパイの楽園』として知られてきた」と指摘した。スパイ活動を取り締まる法整備が十分でないことに加え、先端技術を持つ企業が多いことがロシアによる情報収集や部品調達を容易にしたと伝えた。/日本政府はウクライナ侵略を受け、ロシア向けの先端部品や兵器に転用可能な製品の輸出を規制している。ただ対ロ制裁が迂回されている可能性がある」(日経新聞・2026/07/13)」

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わが邪念暫し黙して一水四見の妙

【日報抄】2025年国勢調査の速報値を見て、改めて驚いた。こんなに少ないのか、と。本県北部の日本海に浮かぶ粟島。一島一村の粟島浦村の人口はわずか301人だった▼県内30市町村の中で断トツに少ないのは知っていた。全国的にはどうだろう。国勢調査結果を元に人口の少ない順に並べてみた。東京都の八丈島からさらに70キロ南の青ケ島村が168人と最少で、粟島浦村は6番目だった▼戦後、島には多い時で900人近くが住んでいたが、今や3分の1に。県の推計人口では今春300人を割った。離島の極小自治体で行政サービスを維持するには困難もある▼村の職員の退職が相次ぎ、役場が機能不全に陥りかけたのは記憶に新しい。3年半前、職員が10人だけになり、村は県や他の自治体に職員派遣を要請した。当時“災害級”と言われた危機を乗り越えられたのか、知人の職員を訪ねた▼「何とかなっています」。真っ黒に日焼けした顔で迎えてくれた。派遣がなくとも自前で職場を回せるようになったという。驚いたのは、職員のほとんどが島外出身ということだ。外部人材なしに成り立たない島だとも教えてくれた。豊かな自然が島にいざなうのか。南国を思わせる青い海を眺めていたら、そんなふうに思えた▼全国どこの自治体も人口減少と人手不足に悩んでいる。粟島が直面する課題は、他より10年、20年先取りしているのかもしれない。粟島では今月村長選がある。海図なき航海のかじを取るリーダー選びに注目している。(新潟日報・2026/08/17)

(ヘッダー写真は「記録的な大雨で冠水したJR大網駅(左)周辺=千葉県大網白里市で2026年8月14日午前9時16分、本社ヘリから」毎日新聞・2026/08/14)

 「村役場で「災害級の大量退職」…定数17人なのに10人まで減少へ 日本海に浮かぶ人口約350人の離島・粟島(新潟県粟島浦村)で、村職員が大幅に不足する異常な事態が続いている。1日付で県から職員1人の派遣を受けたが、定数には遠く及ばず、村政運営の危機が解消するめどは立っていない。異例の職員派遣 県は粟島浦村からの要請を受け、1日付で課長補佐級の職員を派遣。10月から空席となっている役場の中枢を担う総務課長として着任した。県や村によると、村の一般事務職員は定数17人。派遣された県職員を含めて13人(休職者を除く)になったが、来年1月末までに3人が家庭の都合などで辞職予定で、職員は10人(同)となる見込みだ。(以下略)」(読売新聞・2022/12/03)

 本日は新潟日報のコラムに目が留まりました。任型の子島である粟島の人口が「301人」に新聞記者が「改めて驚いた」と書かれていることに、ぼくは驚いた。つまり、人工元素ユンはほとんど関心がないということでしょう。これは新潟だけではなく、他県でも同様な無関心が続いていると思う。日本全体の人口が一憶2千万人を割ったとニュースには出るが、それで、いかなる対策を取ったかにはほとんど触れています。人口増大や減少には、多くの人は関心を持たないし、政治家だって似たようなもの。一つの国や県や町や村には適正人口というものがあるのでしょう。大なり小なりの差異はあるけれど、人口が増え続け、やがて増加から減少に転じる時期があります。この国は、ほぼその時期に当たっていると思われます。

 ぼくの勝手な意見(愚論)ですが、人口減や増は、いわば自然現象の類だと思っています。だから、いくら政府や行政が金をたたこうが笛を吹こうが、増える時は増えるし減るときは減る。めんどうだから、その粗油債は言いませんけれど、この社会は坂道簿件に差し掛かっているというのです。その先駆け(先駆的事例)が「粟島」だったということ。これと似たような町村は無数にあるでしょうが、政治の不作化無策で「合併」を繰り返して、その大きな弊害が見えなくなっていたんですね。ぼくが居住している町も、移住してきた段階では7000人規模だったが、この15年で減少を続け、今では6000人割れ寸前です。減少を止め、人口増に転じるにはいくらも方法はないし、そのほとんどはどこかの自治体で経験済み、しかも画期的人口増に成功したところはありません。

 ぼくが新潟日報のコラムに驚愕したのは、ほかでもない、当事者の無関心でした。参考までに四年前の新聞を引用します。この時、すでに現在と同様な事態が粗油時ていたにもかかわらず、4年後には同じ危機感が沸き起こっているんで宇sね。この4年間何をどうしていたのか、地震や豪雨などのような「防災」タイsカウがなされてこなかったという意味です。あるいは対策はあったのかもわかりませんが、いつだって「後手・後手」でしかなかったというのでしょう。これをして「自然災害」現象だと、ぼくは見立てているのです。限界集落から消滅集落に行くまでに、いくらかの時間を要するでしょうが、早晩、それも終わる時が来ます。

 それでいいのではないですか、とぼくは愚考しているのです。「一水四見」などと小難しそうな表現を交えて駄句を捻ったのは、誰あろう、このぼくです。「一水四見(いっすいしけん)とは、仏教用語。同じ水でありながら,天人はそれを宝石で飾られた池と見,人間は水と見,餓鬼は血膿と見,魚は自分のすみかと見るように,見る心の違いによって同じ対象物が異なって認識されること。唯識説で用いられるたとえ。一処 (いっしょ) 四見,一境 (いっきょう) 四見ともいう」(ブリタニカ国際大百科事典)ここでいう「唯識説」とは「《(梵)vijñapti-mātratāの訳》仏語。一切の対象は心の本体である識によって現し出されたものであり、識以外に実在するものはないということ。また、この識も誤った分別をするものにすぎず、それ自体存在しえないことをも含む。法相(ほっそう)宗の根本教義」「デジタル大辞泉)とあります。要するにある種の「世界観」(「宇宙観」)の一つです。これを論じると面倒の苑に迷い込むの本日は気が向かないので止めておきます。

 「手を打てば 鳥は飛び立つ 魚寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」とは、誰の咲くか不明。しかし「一水四見」の開設のよく用いられます。小学校時代に訪れた蘇裕の地である猿沢の池。校風くじの寺領だったところ。誰かが手をたたけば、鳥は驚き、魚は餌がもらえると勘違いし、女中さんはお蝶をもってくると、それぞれが自分の好みや都合に応じて反応するというのですから、「人口減少」もまた「一水」であります。それをどう見るかはそれぞれの立場によるんでしょうね。人類は、ゼロからの出発をこれまでどれくらい繰り返してきたのでしょうか。生生流転であり、盛者必衰でもありますから、それにあらがっても致し方ないという思いも、ぼくには強くあります。

◎ 生生流転(しょうじょうるてん)= 生まれ変わり、死に変わりして、輪廻(りんね)の世界で次々と生を繰り返すことをいう。仏教では、生あるものは、自己のなした行為の結果が目に見えない余力としての業(ごう)(カルマン)となり、その業の善悪によって、死後、六道(天、人、修羅(しゅら)、畜生、餓鬼(がき)、地獄)のうちのいずれかに生まれ変わり、業の尽きるまでそれを繰り返すと説く。修行によって煩悩(ぼんのう)を断じ、悪業を滅して、輪廻の生存から脱するのが解脱(げだつ)である。(日本大百科全書ニッポニカ)

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「徒然に日乗」(1186~1192)

◎2026/08/16(日)いつも注文している猫缶販売の会社が「不正アクセス」にあって、一時的に受付を注中止しているというメッセージがHPに掲載されていた。いつも通りに注文しようとしていた矢先で、しばらくは無理のようだったので、昨日、アマゾンを通じて、少しばかりの品を、別の店で注文しておいた、その品物が昼前に届いた。この先どうなるか様子を見るほかない。▼お昼前に茂原まで買い物。いつも通りに14号(茂原街道)を通ったが、これまでのような道路冠水は見られなかった、当然放置車もなかった。あるいはすでに水が引いた後だったかもしれない。少し調べてみたい。それにしても、時間の経過とともに、今回の被害状況がすごいものだとわかって、肝をつぶしている。亡くなられた方々のご冥福を祈ります。▼「【速報】千葉豪雨の死者11人か 発電機で一酸化炭素中毒 災害との関連調査 千葉豪雨の被害を巡り、新たに2人の死亡が確認されたことが分かった。千葉県や県警よると、30代男性が自宅で発電機を使用して一酸化炭素中毒で死亡し、千葉市若葉区では成人男性の遺体が見つかった。災害との関連性が明らかになれば、豪雨での死者は合わせて11人となる」(千葉日報・2026/08/16)▼いくつかの冠水は「内水氾濫」という現象によるものと推定されている。河川の合流で、大は小を受け付けないために、小河川の水が溢れて、逆流、道路冠水をもたらせるのだ。(1192)

◎2026/08/15(土)「(81回目の)終戦記念日」だという。武道館における政府主催の「式典」のライブ中継を見た。いささかの感慨も催さないのはなぜだろう。この直前だったか、首相は隣の靖国神社に向かって「遥拝(「二拝二拍手一拝」)」をしたという。なんともお気軽・お手軽な「追悼」もあるものだ。気は心とはいえ、「追悼の形骸化」だぜ。これもまた「戦前復活」か。とにかく、こんな人間がこの小国の宰相であることは、ぼくにとっては「百害あって一利なし」だ。▼千葉の「豪雨被害」の全貌が徐々に知られてきた。想定上の大きな被害があった。当方には、ほとんどそれらしき気配がなかったのはさいわいなことだったが、それにしても「降れば土砂降り」とはいえ、史上初の「稀有な短時間集中豪雨」だった。気象庁の発表では「全25回」発生という。5千年に一度の確立だとも。いつも利用しているHC、やはり店内にかなりの浸水があったという。掃除済みで、店は営業していた。国道14号(茂原街道)をはさんだ反対側に河川があるが、これが大雨でいつも氾濫する、所々で河川改修工事現場を見ていたので大丈夫だと思っていたが、そうではなかったという、工事未着工だったらしい。茂原市内でも、冠水していた個所もあったが、こちらは改修工事の効果もあったのかもしれない。このことについては、もう少しよく調べておきたい。(1191)

◎2026/08/14(金)一夜あけると、千葉県内の被害のおおよその姿が明らかになりつつある。死者が、8人、その多くは水没車内での溺死だ。どうしてこんなことが起こるのだろうか。車の性能が高度化されて、運転未熟でも運転画家となり、車に対する無限定の過信が被害を生んだかもしれないし、車の機械化がその欠陥を露わにしたのだ。各所における「乗り捨て(放置車)」は無数。どう始末もつけようがない。▼お昼前に京都のT君たちから「見舞い」の電話。同じく川越のT君からも、福岡のOさんからは、メール。京都の姉夫妻からも電話あり。夜には娘たちからも。「千葉県での記録的な豪雨は都市型水害のリスクを浮き彫りにした。気象庁は初の「レベル5大雨特別警報」を発表し警戒を呼びかけたが、冠水が相次ぎ死者も出た。排水が追いつかず水があふれる『内水氾濫』が多発したとみられ、対策の点検が不可欠となる。/都市型水害リスク鮮明 千葉豪雨で内水氾濫多発か、車水没・交通まひ▼千葉県では13日夕以降、線状降水帯が発生するなど断続的に猛烈な雨が降った。千葉市中央区では24時間降水量が観測史上最大の367ミリを記録」「日経平均68,713.80 +405.21 NYダウ53,839.99 +69.72 ドル円159.16-17 -0.20円高 NY原油81.73 +0.48 長期金利2.875 +0.005」(日経新聞・2026/08/14)(1190)

◎2026/08/13(木)昨日からの雨は間断なく朝から降り続き、夕刻になると、房総半島の各地で、「線状降水帯」が発生し、一時間雨量が100㍉超の豪雨が、各所で記録されている。ただ今午後九時を過ぎたが、当地でも強い雨が降り続き、雷鳴も休みなく轟いている。この大雨のせいか、台所の天窓がある付近からら雨漏りがしていた。雨が小やみになると漏れも止まるが、強くなるとまた漏れ出してくる。この雨ではどうしようもない。この後も、まだしばらく豪雨は続きそうだ。(1189)

◎2026/08/12(水)台風13号は、当地ではさほどの暴風雨なく、ことなきを得た思いだが、県内他地域では風も雨もかなり強く、その被害の程度が気になるところ。さらに台風17号も発生。今年は多くの台風発生が予想されていた通りに、この後も続くことになりそう。▼「日経平均67,524.06 +553.84 NYダウ53,791.85 -184.13 ドル円159.06-08 +0.58円安 NY原油83.63 +0.43 長期金利2.840 +0.035』(日経新聞・2026/08/12)▼日本発の金融危機が起こり始めている気配だ。アメリカが、強制的に「日本初の世界金融危機」を監視している今、おそらく9月の日銀会議での「利上げ」は確実であろうし、つづいて、 「責任ある積極財政」政策の放棄(転換)も要求してくる模様。このままで「内閣は無事」かどうか。財務省の更迭人事問題が、いかなる事情で生じたのか、それなりに吟味してみる必要がありそうだ。「消費税0%に反対」下らしい高官の更迭だったか。▼「高市早苗首相は、15日の終戦の日に合わせた靖国神社(東京・九段北)参拝を見送る方向で調整に入った。複数の関係者が12日明らかにした。参拝すれば改善基調にある韓国との関係や、日米韓3カ国の連携に深刻な亀裂を生む恐れがあった。中国の強い反発も予想されたため、外交上の配慮が必要だと判断したもようだ。熊本地震の復旧・復興対応に専念する」(産経新聞・2026/08/12)「靖国に行くな」と命じられた首相、命じたのはアメリカ。これが罷り通るというのは、この米植民地国は何ということをしでかす国なのだろうかと、世界の鼻つまみ者になっている。(1188)

◎2026/08/11(火)「日経平均66,970.22 +1363.51 NYダウ53,975.98 -60.95 ドル円159.28-29 -0.02円高 NY原油83.73 +1.60 長期金利2.815 +0.020」「はや薄れる日米協調介入の神通力 円159円台、半値戻す【ニューヨーク=今堀祥和、城川和真】10日のニューヨーク外国為替市場で、円相場が一時1ドル=159円台まで下落した。日米当局が7月末から実施した異例の協調介入後の安値を更新し、介入による上昇幅の半分以上を失った。日本のお盆にあたるこの時期は取引が薄くなり、値動きが大きくなりやすいとされる。さらに円安が進めば、日本政府・日銀が再び円買い介入に動くかが焦点となる」(日経新聞・2026/08/11)▼鳴り物入りの「日米協調介入」も、その賞味期限は一週間も持たず、か。「責任ある積極的財政」政策という愚昧かつ過誤政治が、まったく市場の信認を得るに至らないことの証拠。インフレ財政、インフレ拡大期待を求める大悪政治が、国内だけではなく、海外諸国の同時通貨安の引き金になるという危機感が、政府当局に皆無なのが、情けなく恥ずかしい。「日本売り」が確実に進行していると、ぼくのような経済素人は感じているが、玄人を自認しているであろう財務当局もひどいものと、呆れつつも怒り心頭に発するのだ。(1187)

◎2026/08/10(月)「日経平均66,970.22 +1363.51 NYダウ54,036.93 +151.83 ドル円158.79-81 +0.39円安 NY原油79.06 +0.88 長期金利2.815 +0.020」(日経新聞・2026/08/10)▼台風15号が関東(茨城南部)に上陸し、劣島を、従来とは逆コースの西進する気配。太平洋上に配置する高気圧との関係で、あるいは、明日は当地でも風雨が強まるかもしれない。これに対して、熊本の被災地は大変な避難生活が続いているのを見て、わがことのように胸を締め付けられる。それにしても被災者の多くは高齢者であるという現実に、慈雨bンの身を含めて。いろいろなことを考えさせられている。(1186)

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「因循・姑息」な「遥拝隊長」だ

【新生面】意味と意図 お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」お得意のネタといえば「熱湯風呂」。故上島竜兵さんが「押すなよ、絶対押すなよ」と頼み込むと、周りはうなずきつつも湯船に突き落とす▼上島さんの「絶対押すな」が意図するのは「絶対押せよ」だ。言語学者の川添愛さんが、言葉の意味と意図が正反対になる例に挙げている。お笑いのネタだけでなく、日常会話でも似たようなずれが生じ、受け手が混乱するケースも少なくないとか(『言語学バーリ・トゥード Round1』)▼この人の言葉も意味と意図にずれがあるのかどうか。高市早苗首相は広島、長崎の原爆の日に開かれた式典で、国是の「非核三原則」を「堅持しており…」と表現した。現状を示しただけで「今後も堅持します」ではなかった▼歴代首相は非核三原則をゆるがせにしない姿勢を直接、間接に表明してきた。それに比べ、高市氏の堅持意欲はいかにも歯切れが悪い。三原則のうち、核兵器を「持ち込ませず」の見直しが持論だけに、その方向に進めたい意図すら勘繰りたくなる▼川添さんによると、曖昧な言葉の意図を受け手が推測するには常識や相手に関する知識、そこに至る文脈が手がかりになる。高市氏の場合、政治姿勢を物差しにするしかなさそうだ▼きのう、全国戦没者追悼式の首相式辞には、先の大戦への「反省」という文言がなかった。前首相が昨年復活させたが、あっさり消し去った。その意味と意図を知りたい。非核と非戦の決意は足りているか。絶対で願いたいが。(熊本新聞・2026/08/16)

⁂「週のはじめに愚考する」(132) 昨日は、複雑な思いを抱いて、東京九段の武道館で挙行された、政府主催の「全国戦没者追悼式」の一部始終を見ていた。13日から、当地において断続的な集中豪雨の降り続く中、時を追って、続々と県内各地の被害状況が明かされてもいました。境界を接する茂原市や大網白里市、東金市や市原市などの被害は目を覆うばかりでした。拙宅は、幸いなことに標高がやや高かったがためにほとんど被害らしいものありませんでした。気がかりだった書庫内の浸水も、「追悼式」を見終わって、ようやく確認したほどでした。あるいはと危惧はしていたが「案の定」で、幸いに本などに被害が及んではいなかったと思う。(まだ十分に確認していないので、水が引いてからの作業になるでしょう)(写真左「千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花に向かう高市早苗首相=15日午前、東京都千代田区」時事通信・2026/08/15)

 追悼式における「挨拶」が注目されていたのですが、ぼくはそれ以上に「靖国参拝」の方に関心があった。、まず「彼女は歴史に無関心であり、だから無知であるということ。過去に小由美がないというのは、歴史意識が欠如しているという意味でしかない。関心があるのは、今、この時だけ。自分はどのように評価されているか、それしか彼女の眼中にも脳内にもないんですな。平時であれば、議員で亡かったら、「靖国」には無関心だった人。議院であったら(首相でなかったなら)「参拝」は不可避だったし(人に見せるためだけに行く)、「首相になっても行く。もし行かないなら、中国がつけあがるから」と勇ましいセリフを吐いていた。にもかかわらず、行かなかった。

 けれども彼女は行った「ふり(国家神道式)」をした。武道館の駐車場内で「遥拝(ようはい)」ということをしたのでした。「遠くへだたった所から拝むこと」(デジタル大辞泉)、もちろん「靖国に眠る英霊たちに対して」です。「二拝二拍手一拝」した、と報じられました。強力な支持者(旧統一教会・日本会議等)の離反を恐れてのことだったとも報じられている。形だけでも「参拝した」ことになるのだから、支持者は納得したのかどうか。この程度の「演技(偽装。まやかし)」で「英霊」に許してもらえるというのでしょうか。ここにはグロテスクなまでにぞっとするような「、しかも軽薄な先祖返り(大日本帝国時代)」が見られます。

 その昔、特に戦時中にあっては「宮城(皇居)遥拝」という、奇妙な儀礼の方法が採用されていました。「天皇制」の一つの「儀礼の在り方」だったでしょう。「…天皇は、国の元首として政治大権(統治権)、軍の統率者として軍事大権(統帥権(とうすいけん))を一身に保持するとともに、伝統的な祭祀大権を有し、しかも、天皇自身は神聖不可侵な現人神(あらひとがみ)とされた。現人神の観念は、人と神の間に断絶のない日本古来の神観念からかけ離れた一神教の神観念を取り入れたもので、天皇は絶対的真理と普遍的道徳を体現する至高の存在とされ、あらゆる価値は天皇に一元化された。天皇の権威と権力は記紀神話によって根拠づけられ、皇祖の神々および歴代天皇の神霊と天皇との一体化が進められた。(以下略)」(日本大百科全書ニッポニカ)天皇は、神主の身分でもあったのです。「祭政一致」の元締めでした。

*宮城遥拝(きゅうじょうようはい)とは、日本や大東亜共栄圏において、皇居(宮城)の方向に向かって敬礼(遥拝、拝礼)する行為である。遥拝する場所は、日本国内(内地)、外地、外国を問わず用いられている。皇居遥拝(こうきょようはい)ともいう。/日本国民が天皇への忠誠を誓う行為の一つであり、御真影への敬礼とともに、宮城遥拝も盛んに行われた。特に第二次世界大戦中には、天皇へ忠誠を介して戦意高揚を図る目的で、宮城遥拝は盛んに行われた」右写真は「朝鮮人による宮城遥拝」Wikipedia)

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 「高市早苗首相が就任後初の終戦の日に靖国神社を遥拝したのは、参拝見送りによる保守層の離反を警戒したためだ。内閣支持率が下落基調に転じる中、全国戦没者追悼式の式辞でも先の大戦に対する「反省」の文言を使わず、故安倍晋三元首相が敷いた保守路線の踏襲をアピールした。/首相は15日、千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花した後、全国戦没者追悼式が開かれる日本武道館の駐車場に午前11時9分に公用車で到着。しばらく車内で待機した後、同18分に車から降り、約600メートル離れた靖国神社の方角に向かって神道形式の『二拝二拍手一拝』で拝礼した。同19分に車に再び乗り込み、数分後に武道館に入った。/首相周辺は『靖国神社に向かって遥拝した』と明言した。時の首相による靖国遥拝が明らかになるのは極めて異例だ」「首相側近は『遥拝は安倍氏も検討した方式だ。できる限りのことはやった。実際の参拝に向けて『4分の1』歩前進だ』と解説した。/首相周辺からは『遠隔地から拝む行為まで批判されることはないだろう』と楽観論も漏れる。ただ、周辺国が実際にどう反応するかは読み切れない。首相の『台湾有事』発言で日中関係が冷え込む中、首相と距離を置く自民閣僚経験者は『中国は参拝と同じだと見るだろう』と突き放した」(時事通信・2026/08/15)(註 この行為は憲法に規定されている「政教分離原則」に反しますね。筆者)

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 いずれにしても「靖国」の政治利用であることは疑問の余地がないといえます。実は、いくつかの新聞などの報道を通じて窺えるえるのは、「米中韓」との関係悪化を懸念して、とありました。従来は「中韓」に限られていたのが、今回は、「米」が加わっている。ということは「(ドル売り円買いという)協調(実は強制)介入」と同様に「今は靖国に行くな」と米国から窘(たしな)められ、忠告されたということでしょう。「国家主権」「国家の自立」がまた遠のいたというべきでしょう。アメリカの属国、植民地であることを、内外に闡明したも同然ではないでしょうか。「全国戦没者追悼式」を、自らの政治的威信を維持する道具にしたというのは、広島・長崎における振る舞いと同様に、「犠牲者・遺族・国民のそれぞれを、完膚なきまでに侮辱したということです。

 ここに、井伏鱒二さんの「遥拝隊長」を出す意味があるでしょうか。とにかく、一読をお勧めします。戦時中、こんな精神錯乱状態に置かれた人々がたくさん生み出されていた、一つの傍証にはなるでしょうか。今日ただ今も、この国に「遥拝隊長」がいたというのは、何んとも「皇紀2686年」ですね。この国、ただいま2026年8月盛夏の砌(みぎり)、権力者を支持し、その周りに取り付いている無数の人々の様子を見ていると、まさに「戦時中(During the war)」そのままの、この国のリアリティがありませんか。それにしても、総理大臣が「元陸軍中尉岡崎悠一」だったとは。

◎ 遙拝隊長(ようはいたいちょう)= 井伏鱒二(いぶせますじ)の短編小説。1950年(昭和25)2月『展望』に発表。同年6月、文芸春秋新社刊の『本日休診』に収録。絶えず遙拝式を行うことで、遙拝隊長とあだ名をつけられた陸軍中尉岡崎悠一は、マレー戦線での頭の負傷が原因で気が狂い、敗戦後も、戦時中と錯覚し、郷里の人々に遙拝式を強制したりする。少年時から神がかり的な軍国思想をたたき込まれ、それをまともに信じて狂信的軍人になってしまった人間の悲喜劇を描いた作品で、おかしみを通して、戦争イデオロギーを痛烈に告発している。戦争文学の秀作である。(日本大百科全書ニッポニカ)

 (蛇足 「遥拝」という礼拝の一方法は、遠方にいて「伊勢神宮(天照大神)」参拝ができなかったために考案された拝礼方式を指していたと思う。それが明治以降の国家神道の採用・普及によって徐々に天皇制との一体化が進められた。元来、天皇家は「神主」「祭主」であり、だから、その居所は「宮城」とされたのです。宮城(皇居)遥拝も、まずは天皇、それを通して天照大神に祈りや安寧祈願を願うようになったのでしょう。今でも、各地に「宮城遥拝所」などの石碑が残されています。今回の首相は、思わず「遥拝」をしたのではなく、古いしきたりにのっとって、この礼拝儀式を行ったんですな。どうしますか?)

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「わたくし96歳#戦争反対」

【斜面】戦後を終わらせない 生まれ育った長崎を78歳で離れ、長女がいる東京へ。90歳でツイッター(現X)を使い始めた。政治家の言葉に怒りが湧いて、ずっと胸に秘めてきた被爆体験を投稿したのは91歳の時。以来せきを切ったように戦争反対を発信し続ける◆今年97歳を迎えた森田富美子さんだ。米軍が原爆を投下した時は女学生で、爆心地から10キロ離れた学徒動員先にいた。防空壕(ごう)で妹と再会できたが、自宅に戻ると、父は立ったまま息絶え、母と二人の弟は黒焦げの塊に。もう一人の弟は見つからなかった◆筆舌に尽くしがたい体験にもかかわらず「肉親の死への恨みも怒りも感じず、それを誰かに訴えようと思ったこともありませんでした」と、長女京子さんとの共著で昨年出版した「わたくし96歳#戦争反対」で打ち明けている。それほど「思い出したくもないこと」だったという◆目を覚まさせたのは、6年前に長崎で開かれた平和祈念式典での故安倍晋三首相のあいさつだ。広島の式典とほぼ同じ文面に「何も分かっていない」と憤慨。戦争を近づけそうな政治家に厳しい目を向けて、投稿に「#戦争反対」を付けるようになった◆森田さんはデモに参加した20歳女性の投稿を紹介。「生きているうちに戦争反対を叫ぶとは思わなかった、涙が出た」の言葉に、戦争体験者が悲劇を繰り返させないようにしなければとの思いをつづる。その覚悟はこれからを生きる人にこそ必要だ。81年続く戦後を終わらせてはいけない。(信濃毎日新聞・2026/08/15)

(ヘッダー写真「米テネシー州オークリッジで、終戦を告げる号外を掲げる子どもたち」:BBC:2020年8月16日) (左写真は「ニューヨーク・ブロードウェイでの戦勝祝いには、小型の自由の女神がお目見えした」(BBC・同上)

 どんな勝負事にも「勝ち負け」があります。戦争などという、最も愚劣で残虐な暴力においても例外ではない。しかし、勝ち負けに対する「人々の姿勢(感情)」には、驚くばかりの相似性というか、類似感情が沸くのではないでしょうか。日本が敗戦を受け入れさせられた段階で、米英などの戦勝国は、狂喜して「勝利」を祝いました。今になって、たくさんのその当時の戦勝国、敗戦国の「記念写真」を熟視すると、さまざまな感慨がわきます。

 ぼくは、中学3年生の修学旅行で「皇居」を見学した(旅行のプログラムに入れられていた)。それにはどんな意味があったか、ぼくには理解できなかったし、その当時の記憶も朦朧としています。「敗戦」受け入れの際に、劣島各地では「日本敗戦」に打ちひしがれた無数の人々が、驚くばかりに「慨嘆」の態度を見せているようにぼくには思われました。その典型が皇居前広場の「土下座と嗚咽」だったでしょう。もちろん、中には「歓喜と安堵」というべき、「負けてよかった」という強い思いをいだいた人々もいたはずです、「さあ、これからだ」と、ね。よく、「私は軍国少年」だったという人がたくさんいます・いました。あるいは「われら小国民」(自称他称)と名付けられた少年少女も無数にいたでしょう。果たして、ぼくはどうだったか。人目を気にする人間ではないと思うが、それでも年端の行かない段階で、「聖戦」を頭から信じていただろうかと、時には空想することがありました。皇居前広場や、各地の「嗚咽土下座」の写真では、あまり少年少女(「小国民」)を見かけないのは、どうしてでしょうか。しかし当時の学校現場では「軍事教練」などと称して「鬼畜米英」にバケツリレーや水鉄砲や竹やりをもって訓練に励む、そんな狂信的教育が繰り返されていたことをぼくは知っています。

 ぼくは1944年9月生まれですから、敗戦前後の記憶は皆無です。幼心に、自分は人間であるのかと、自覚できるようになったのは、おそらく二十歳を過ぎていたころだったでしょう。それくらいに晩稲(おくて)だった、もはや「痴呆人間」だったと思うほどに、集団主義や(他からの)強制は嫌だった。つまり、学校という「強制倉庫」みたない場所は、ぼくにはとても息のつけない環境だったと思う。だから「鬼畜米英」も「土下座嗚咽」も、ぼくにはとても受け入れられない行為だったと、今にして考えてみる。戦争の経験がないのは当たり前であり、その記憶すら怪しいものです。学校教育をまじめに経験してこなかったから、ぼくの「反戦」「非戦」の習性は生来のものであり、かつ自分で育ててきたものでしょう。人並みに、「日本人」を名乗っていますが、特段に国のために「なにがしかの貢献」をする気などいささかもありません、悲しいことに。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という「教育勅語」の「教条(イデオロギー)」には、断じて背中を向ける人間になっていると自覚しているのです。

 さて、本日は8月15日。「終戦記念日」であり「全国戦没者追悼式」(政府主催)の日でもあります。日本が敗戦を受け入れた日であるなら、米英などの「戦勝国」は、とうぜんのこと「戦勝記念日」であります。負けた国の一人の国民だから、「それらしく振舞え」というのは、為政者の物言いでしょう。「8月15日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です」と政府は言う。もちろん、それに何か逆らう気はぼくにはありませんけれど、ある時期からこの「追悼」「慰霊」の「式典」の継承が、驚くほど形骸化していることにぼくは気が付いていました。(まるで亡国のための「消化試合」じみているなあと、痛感しているのです)

 その気分をあえて言葉にするなら、八月という「慰霊の月」「鎮魂月間」を八十年余も重ねてきて振り返れば、愚かな歴史を近代において重ねてきた「国」もまた「慰霊」「鎮魂」に飽き飽きしているさまが見て取れます。要するに、歴史意識とやらが、びっくりするくらいに「怪しく」なってきたといいたいのです。「生まれていなかった時代の戦争だから、私に責任があるはずもない」「私は何性などしない」と断言する総理大臣が出現する時代。歴史を忘れ、歴史意識とやらを育てそこなったたくさんの「国民」が大半を占める時代。時の総理大臣は、頓珍漢の歴史観の持ち主です。「総理大臣になっても、私は靖国に行く、当たり前だ」「行かなければ、中国をつけあがらせることになるから」と暴言を飛び越えた発言の主です。

 「反省しない」人が「英霊に会いに行く」というのはどういうことでしょうか。この人にとって、「戦争は自然災害」と同一視しているんですね。英霊には「哀悼の誠をささげる」、そのためにこそ、靖国に、今年は当然行くはずだと、ぼくは他人の心持を推し量っていた。でもそれ以上に他国からの批判が怖いから、今年は取りやめるようだ、と報じられてもいます。要するに、米国から「行くな。日中関係をさらにこじらせるな、この馬鹿め」と激しく諫(いさ)められたから、「今年は行かないらしい」と報じられているのです。彼女には「戦没者」を追悼し、その「霊魂」を慰霊する気はまずないとぼくは断言したくなります。(続く)

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降れば土砂降り、晴れれば酷暑の候

【速報】千葉県内にレベル5大雨特別警報・土砂災害特別警報 直ちに身の安全の確保を 線状降水帯直前予測も 「危険度が急激に高まるおそれ」 気象庁 
気象庁は13日午後10時40分時点で、千葉県内に、「レベル5大雨特別警報」と「レベル5土砂災害特別警報」を発表している。災害がすでに発生している可能性が極めて高い状況であり、直ちに身の安全を確保するよう呼びかけている。
また、気象庁は午後10時48分に線状降水帯直前予測を発表。北西部、北東部、南部では、今後3時間以内に線状降水帯が発生し、非常に激しい雨が同じ場所で降り続く可能性が高まっているとし「命に危険が及ぶ災害発生の危険度が急激に高まるおそれがある」としている。
千葉県内の警報・注意報は以下の通り(午後10時40分更新)
▼レベル5大雨特別警報
千葉市、市原市、佐倉市、四街道市、八街市、印西市、白井市、市川市、船橋市、松戸市、習志野市、柏市、八千代市、我孫子市、鎌ケ谷市、茂原市、東金市、大網白里市、長柄町(以下省略)(千葉日報・2026/08/13)

 (ヘッダー写真:「冠水した道路では複数の車が立ち往生する中、水につかりながら歩く人たちの姿があった=2026年8月13日午後9時16分、千葉県市川市、柴田悠貴撮影」朝日新聞・2026/08/13)

 人の何倍も天気予報が気になる人間だと思っている。今に始まったことではない。小さいころからの習性のようなもの。一昨日から降り続いていた雨は、昨日は終日にわたって、まさに「豪雨」だった。案の定、夕方には県内各地で複数回(全25回とも)の「線状降水帯」の発生が報告された。浸水や崖崩れも出たし、犠牲者(水没車内での)も出たほどの、激しさだった。当地に越してきた直後、土地の大工さんに頼んで物置を改造して「書庫」を作ってもらった。まさにガラクタのような蔵書が収まり(入りきらない書物等は無数に出ましたが)、一安心した直後に猛烈な豪雨に襲われた。そして、なんと、書庫内の床上(コンクリート)まで浸水したのだ。幸いに書籍は無事だったが、水が引くまでに何日かを要しました。(左写真は市川市内、13日午後。千葉日報・同上))

 今回の集中豪雨で書庫内浸水、といやな記憶がよみがえったが、まだ書庫に入っていない。どうなっているかやや気にはなるが、水に浸かったのなら、それも仕方がないし、そうでなければ、勿怪の幸いと思っています。それとは別に、午後の八時ころだったか、かみさんに「この音は何だろう?」と訊かれた。台所の一か所で「ポトリ、ポトリ」という音がしている。雨漏りだと直感しました。天井部分をよく見ると、「天窓」が作られている、その直下部からの雨漏りらしいのがわかった。窓枠と瓦屋根の重なる(つながる)部分をコーティングしていたのが経年劣化で、隙間ができたか。どうもそこからのようだった。幸いにして、大したこともなく、雨が止めば、漏水も止まっている。(追記 ただ今、午後1時。書庫に入ったが、案の定、でした。浸水を防ぐ手立てを怠っていたのだから。乾くのを待って、少し手入れをしよう)

 それにしても、降れば土砂降り、晴れれば酷暑と、まるで他人事のように言っていたが、その当人が雨に打たれたのでした。もちろん、熊本地震の激甚さの比などではまったくない、まるで蚊に刺されたようなもの、それほどに熊本県内各被災地の窮状・災厄を思えば、大雨に降られたと口にするのも憚(はばか)られます。しかし、今回の集中豪雨で、県内では何人かの犠牲者も出ているのですから、「災害」だったのは事実。いつも出掛けるHCは大雨が降れば、店内に水が入ってくる、今回は大丈夫だったか、そちらも心配。近辺のいくつかの河川は、氾濫常習で、これまた、大いに気にかかります。県内の被害状況の全体もまだわからないが、またまた、台風17号が発生し、劣島方面を伺っているという。そんなにいつも伺わなくてもいいのにと思う。早い段階(6月頃)から、今年は「台風の当たり年」だといっていたが、その、いやな予測通りになった。まだまだ、先は長い、と気を揉んでも仕方がないのですがね。

 本日は、以下のコラムに触発されて駄文を書こうとしていましたが、早くに、次回回しと決めました。大雨のさなかでしたからね。一旦豪雨が止んでみれば、快晴一番、いかにも熱くなるぞお、と言わぬばかりの日差しがまぶしく厳しい。「庭の千草」ならぬ「庭の雑草」に関しては日を改めて、蛮声を張り上げるつもりです。「千草」というのは「➀いろいろの草。多くの草。やちくさ。➁露草のこと」(デジタル大辞泉)で、唱歌の原曲はアイルランドの詩人トマス・ムーア(1779―1852)が作った「夏の最後のバラ」だとされます。

【斜面】夏の草刈り 松本出身の歌人、窪田空穂がこんな歌を残している。〈雲よむかし初めてここの野に立ちて草刈りし人にかくも照りしか〉。東京から帰省したある夏の日。澄んだ空に浮かぶ白雲に託して、遠い昔の開拓者の労苦に思いをはせたという◆夏草はぐんぐん伸びる。民家の敷地周りや田んぼのあぜ、土手は、刈っても刈っても、たびたび手を入れなければ追いつかない。歌が詠まれた明治時代と違って今は刈り払い機があるから作業はずっと楽になったはずだが、炎天下、どっと汗が噴き出す◆長野市内の集落で作業を手伝った。手を休めて一息つくと、やぶに埋もれゆく棚田と空き家が目に入る。これでは鹿やイノシシ、熊だって里に下りてくるわけだと納得してしまう。「もったいないよな」。代々、ここで暮らす住民が、緑にのまれる開墾の跡を見やってつぶやいた◆人口減にはあらがいようもない。ただ、山や里は人間が生きる上で欠かせない水と空気、食料を育む場だ。自然に囲まれて子育てしたいと移り住む若手もいる。できる範囲だけでも、少しずつ「ずく」を持ち寄り、楽しく手入れする妙案はないだろうか◆そう思って本紙記事を探してみたら、ボランティアや事業で草刈りを応援する試みが各地にあると知った。会員制で畑や空き家を住民が管理したり、自治体が外部の協力者を募って集落の共同作業を手伝ったり。動物を近づけさせないよう高校生が刈り払いを担う例もある。とても心強い。(信濃毎日新聞・2026/08/14)

(⁑「庭の千草」 歌・関屋敏子https://www.youtube.com/watch?v=qZADqU9GfkQ&list=RDqZADqU9GfkQ&start_radio=1)(小学校唱歌、作曲は里見 元歌はアイルランド民謡。(1884年発刊)

◎ 関屋敏子(せきやとしこ)(1904―1941)= ソプラノ歌手。東京生まれ。祖父はフランス貴族ジャンドル将軍で、15世市村羽左衛門(うざえもん)は母の兄にあたる。幼時、三浦環(たまき)に師事し、東京音楽学校中退後は、歌をアドルフォ・サルコリ、作曲を小松耕輔(こうすけ)に師事。27年(昭和2)ミラノに留学、スカラ座の試験に合格し、プリマドンナとして各地を巡り、29年に帰国。翌年、山田耕筰(こうさく)指揮・演出の『椿姫(つばきひめ)』に藤原義江(よしえ)と共演し、天性の美貌(びぼう)と美声で名声を博した。以後、欧米はじめ日本、アジア各地で精力的に演奏活動を行うかたわら、オペラ『お夏狂乱』、歌曲『野いばら』『浜唄(はまうた)』などを作曲した。37年柳生(やぎゅう)五郎子爵と結婚したが4年で協議離婚。オペラ『巴御前(ともえごぜん)』の作曲を未完のまま、昭和16年11月23日睡眠薬自殺を遂げた。(日本大百科全書ニッポニカ)

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