It never rains but it pours.

【小社会】向かう先
 先週末、香川を訪れ、友人の車に乗り込むや、話題になったのが渇水と豪雨だった。「なぜこうも極端に違うんだろう。遠く離れているわけでもないのに」と友人。その通りだろう。 
 香川県民の水がめ、早明浦ダムが渇水に陥る一方、北陸地方は連日、大雨に悩まされている。今夏は千葉でも豪雨禍があり、西日本ではほかにも水不足が相次いだ。 
 天候が年々、極端になってはいないだろうか。国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が、温暖化に伴い異常気象の頻度や強度が増すと予測したのは2022年。大雨や干ばつのほか、山火事や高温の一層の深刻化も指摘していた。 
 現実はそれを裏付けつつある。ネパールと中国の国境付近で発生した大規模な土石流災害も、温暖化の影響が取り沙汰されている。山岳氷河の崩落が引き金になったとみられ、穏やかな川は濁流と化し、国境の施設や集落を一気にのみ込んだ。
 それでも世界は戦争を続け、軍備拡張を競う。限りある知恵や資源を向ける先はほかにあるはずだが。 
 先人はここまで災害が多発する未来を想像していなかったにしても、人の愚かさが変わらないことは見抜いていたようだ。「一方には自然の災害があり、一方ではお互が愛し合う事もなく一人一人が勝手に暮らしているこんな世の中は全く地獄も同然と云(い)っても好(よ)いのだ」。鴨長明の「方丈記」を、作家の佐藤春夫はそう訳している。(高知新聞・2026/08/31)

 「降れば土砂降り」という。このところの異常豪雨は、まさに天井に穴が開いたがごとく、降れば土砂降りどころの騒ぎではなさそうです。また、「晴れれば酷暑」ともいいたくなるような灼熱の地獄です。石牟礼道子さんは「天の病む」と言われた。天と地が、人間の無際限の欲望の犠牲になったようなもの。水俣と福島をつなぐ、人間の業(ごう)の深さがもたらす、天地を狂わす営みを前に、一人の記録文学者の「表現」は「近代国家群の崩壊の端緒として」苦悩の中で紡がれたのだが、ほとんど無視されてきたという思いは、ぼくのような無知・無識の人間にも痛いほど身に染みてわかるのです。

・鬼女ひとりいて後むき彼岸花(石牟礼道子)
・向きあえば仏もわれもひとりかな(同上)

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「徒然に日乗」(1200~1206)

◎2026/08/30(日)「令和8年夏の『財政敗戦』 高市首相を待ち受ける金利急騰の剣が峰 食料品の8%の消費税率を引き下げる法案が秋の臨時国会で審議され、成立すれば来年4月から2年間1%に引き下げられる。10兆円の財源はまだ手当てできず、市場では財政悪化やインフレを懸念する金利上昇が続く。高市早苗政権は「財政敗戦」に陥るかどうかの岐路に立っている。/『国民会議は昭和16年の総力戦研究所のようなもの。減税財源や将来の増税の実現性に疑問が出たのに誰も首相を止められなかった』(以下略)」(日経新聞・2026/08/30)▼アメリカの財務長官が日本の財政金融を管理しているがごとく。円の自立はとっくに失われている。そして、かの国の財務長官の「神通力」も昔日の比ではなく、枯れてしまったやようだ。彼は「辣腕」を誇った投資家として世界から恐れられていたのだった。(1206)

◎2026/08/29(土)昨日から一転、終日曇天、ときには降雨も。劣島各地も不安定な天気模様だった。▼ネパールの豪雨による雪崩、崖崩れ、土砂災害等、惨劇を極めている。死者・不明者は三千名を超えるもいう。▼昨日の続きで、ネット接続にやや時間を取られたが、何んとか接辞できた。少し、本体をいじっただけだったのに、OS部分の変更や修正が必要となる。ただちに、これまで同様に使いこなせるとはいかないようで、しばらくは馴致する時間がいりそうだ。▼「ウォーシュ氏発言で日本の金利『上昇』・円「162円に下落」 市場関係者 米連邦準備理事会(FRB)のウォーシュ議長は28日の講演で、金融引き締めに含みを持たせる発言をした。日本の市場関係者からは、米金利の上昇を通じて日本の金利には上昇圧力、円安の進行が続くとの見方が聞かれた。/同日の米債券市場で米金利は幅広い年限で上昇(債券価格は下落)した。特に2年債など金融政策を反映しやすい年限での上昇が目立った」(日経新聞・2026/08/29)日米同時「金融危機」発生も「夢」ではない状況だ。なけなしの日本円は「紙屑」とは、戦後の再現のようで、ますます現実味が出てきた。(1205)

◎2026/08/28(金)パソコン修理完了で、大阪のS氏から、午前中に宅配便が届いた。さっそく、必要な部品を購入するために茂原まで。帰宅後に接続を試みたが、なにがおかしいのか、ネットがつながらない。日中の室温が32℃ 近くもあったので、本日は作業を中断、明日にまわす。▼「日経平均66,405.56 +273.58 NYダウ53,569.44 +105.56 ドル円159.66-68 +0.31円安 NY原油83.12 -0.41 長期金利2.920 +0.030」「7〜8月の円買い介入、総額15兆円 過去最大も市場なお円安圧力 財務省は7〜8月に総額15兆3993億円の円買い・ドル売り介入を実施したと発表した。米国との協調介入で円安の是正を図ったが、円相場は足元で1ドル=159円台で推移する。円高への相場のトレンド変化はみられない。介入は「時間稼ぎ」との見方が多い。/財務省が28日に7月30日〜8月26日の為替介入実績を発表した。円買いとして4〜5月の11.7兆円を上回り、過去最大となった」(日経新聞・2026/08/28)▼「協調介入」というと聞こえはいいが、要末うに円安防止のためになけなしの外貨を15兆円余も、いわばど溝(ぶに)捨てたも同然。この「外為基金」は国民の資産なのだ。さらに、溝に金は捨てられ、最後は国全体が溝の中に。(1204)

◎2026/08/27(木)強烈な暑さだった。いまにも雨が降りそうな気象状況だったが、夜まで雨はなかった。劣島各地では、酷暑あり、豪雨ありで、地球上各地ではまさしく「天変地異」の展示場のごとくだった。午後、ネット番組で一つの「対談」というか、「鼎談」なるものを観た。出演は佐高信氏と落合恵子氏。かなり前から、落合恵子さんは「病気療養中」だとの話だったが、とても元気で、一安心。佐高氏には、何年も前になるが、小生が担当していたる授業にき来てもらったことがある。お二人にお会いしたのは、もう二十年以上も前になるだろうか。(1203)

◎2026/08/26(水)「平均66,262.16 +405.73 NYダウ53,577.40 +160.24 ドル円159.05-07 -0.39円高 NY原油80.26 -2.10 長期金利2.885 -0.005」▼「ICC赤根所長『日本政府は法の支配守る努力を』 米制裁後も訴追継続 日経 【ブリュッセル=辻隆史】国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長は26日、日本記者クラブを通じてオンラインで記者会見した。トランプ米政権に制裁対象に指定されたことについて「正義は常にその対極にあるものに優越する。信念を貫く」と語った。/赤根氏は制裁を『法の支配の危機として捉えてほしい』と指摘した。ICCが無くなれば『力の支配が法の支配を駆逐していく過程に入ってしまう』と危機感を示した。日本国内でも『強い国に従っていればよい』という空気がはびこる危険があると説いた。/制裁後も職員の士気は高いと説明したうえで『これからも問題なく(訴追の)手続きを進める』と述べた。『制裁を受ける理由はない。ICCは決して負けない』とも強調した。(以下略)」(日経新聞・2026/08/26)▼茹だるような暑さが続いている。本日も福岡県内では40℃超を記録している。どこまで続くのか、この酷暑。沖縄奄美地方では台風う18号の洗礼を受けている。まだ劣島近海には台風の卯がつづいてい発生しているのだが。(1202)


◎2026/08/25(火)
「日経平均65,856.43 +328.34 NYダウ53,417.16 +140.15 ドル円159.45-47 +0.30円安 NY原油84.60 -0.41 長期金利2.890 +0.010」(日経・2026/08/25)▼「再び1ドル=160円の節目が迫る。日米円買い協調介入は市場を驚かせたが、政府の思惑通りに円高は進まなかった。逆に、日本の需給環境の変化を背景に実需の円売りがじわり強まっている。市場では実需マネー主導で歴史的な円安が進んだ2022年秋の記憶がちらつき始めた。/次の注目点は日銀の金融政策決定会合だが、市場はすでに秋の利上げを織り込み済みだ。よほどの演出を講じない限り、市場への反応は限定的となりそうだ…」(同上)▼円安、つまりは日本国債の投げ売りは「どうにも止まらない」勢いを示している。当然のことだが、物価高騰はさらに進む。「物価高騰維持せ策」が「責任ある積極財政」というのだ。日銀の金利あげ」が神通力を持たないのは、米国自体が「ドル売り」を迫られているからだ。日本政府の「悪意ある財政運営」は、次年度の「概算要求は130兆円超え」というのだから、開いた口が塞がらない。この先、ますます「物価高」を呼び込もうとしているのだから、破天荒の経済・財政運営を世界に知らしめしているのだ。国家財政破綻は目前に迫っている。(1201)

◎2026/08/24(月)例によって、円安、長期金利上昇・下降の推移をみると。「日経平均65,528.09 -488.27 NYダウ53,277.01 +517.80 ドル円159.21-23 +0.39円安 NY原油85.37 -1.69 長期金利2.880 +0.005」▼「与野党議員でつくる『人権外交を超党派で考える議員連盟』は24日、米政権が国際刑事裁判所(ICC)の所長らを制裁対象に指定したことを巡る日本政府の対応について『諸国と比べて段違いに弱い』と批判する声明をまとめた。/高市早苗首相が「残念」と述べたことには『感想であり意思ではない』と断じ、抗議と即時撤回要求を表明するよう求めた」(日経新聞・2026/08/24)▼「『オバケに会ったことはないが、ゴキブリに会って叫び声を上げていた』」高市早苗首相は22日、自身のX(旧ツイッター)で、首相公邸での暮らしぶりの一端を明かした。官邸に隣接する公邸は『二・二六事件』などの舞台になった過去があり、幽霊が出るとのうわさが絶えない」(時事通信・2026/08/22)官邸全体が無能・無粋で、国民の多くは窒息しそう。政治・政策ではなく「ゴキブリ」「アイロンかけ」という茶飯の披歴に及ぶ、この官邸の「下﨟(げろう)」「ゴーストライター」たちは(誰が書いたのかな)は、「ここにいてはいけない輩ですよ」(1200)

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人為が促す天災ばかり、戦争もまた。

【新生面】天の病む 仏教では世界を有情と非情に分ける。前者は人や動物という心や感情を持つ生き物のこと。後者はそれを持たない山、川、草木などの自然や物質である。表面的な解釈かもしれないが、再びの熊本地震、そして能登半島地震の被災地でのまたの豪雨と、立て続けの自然災害の非情さにこの教えを重ねている▼きのうの本紙には「石川から熊本へ」との見舞い広告が掲載された。「熊本のみなさまからいただいた温かいご支援と励ましを、私たちは決して忘れません」との情のこもったメッセージを読みながら、「この心優しい人たちも、どうか息災で」と熊本地震1カ月の鎮魂に続けて祈った▼過酷な自然災害は世界でも頻発している。26日にはネパールと中国の国境地帯で大規模な土石流が発生した。黒い濁流が瞬く間に集落をのみ込んでいく様は、悪夢のような光景だった▼ヒマラヤ山脈の氷河の崩落が発端とみられている。当然、地球温暖化の影響が考えられる。今世紀に入り氷河の融解スピードが倍になったとの分析を今年、現地の専門機関が公表していたという▼「気候変動は史上最大の詐欺」と言い張るトランプ米大統領に配慮し、6月のG7サミットでは温暖化は議題にも挙げられなかった。目前の危機に手をこまねいている国際社会の体たらくを見れば、今回の惨事は半ば人災の天災と言えるのではないか▼<祈るべき天とおもえど天の病む>。生き物の命を顧みない近代文明の非情さを問い続けていた、石牟礼道子さんの嘆きの句を思う。(熊本日日新聞・2026/08/30) 

⁂「週のはじめに愚考する」(134) 早くから予想されていたことでしたが、今年は台風の当たり年。9月を前にもう23号まで発生している。いつから、この好ましくない、今年の「予想」が始まったか知りませんが、ことに日本劣島南海(太平洋)では一年中海水温が異常に高く、年間水温も上昇の一途をたどるとなると、いつどこで、「台風(ハリケーン)」のような「自然災害」が発生しても不思議ではありません。自然界の災害というものの、それは表向きのことであって、詳しく見てゆくなら、そこには人為的な要素が大きく働いているのであって、むしろ「自然・人工災害」というべきではないかと、ぼくなどは思ってしまいます。(ヘッダー写真はCNN・2026/08/27)(https://www.cnn.co.jp/world/35251977.html

 このところ、劣島やその近海で、やたらに発生している地震も、メカニズムは自然の働きかもしれませんが、人間の住んでいる地域で起こると、たちまち人災も加わるのです。そもそも、発生メカニズム、それ自体に人間の働きは影を落としていないか、そんなことまで考えてしまいます。本日の熊日新聞コラム「新生面」は「天の病む」でした。石牟礼道子さんの俳句の「ことば」で、ぼくは早くから「記憶」に刻んでいたものでした。「祈るべき天とおもえど天の病む」、「天」が止んでいては人間に何ができるか。

 突飛なことを言うつもりもありませんけれど、この島国に限って言ってみると、東京大阪を結ぶ高速道路を作ったのは、ある種の技術工学の「念願」「快挙」であったかもしれません。でも、それが2本目となると、素直に「達成」と喜んでもいられなくなるのは、ぼくの悪いところか。東海道新幹線も、必要もなかったのに、開業早々、ぼくは乗車し、いささか奇妙な気分を味わいました。それが、何の因果か、劣島中央のアルプス地帯に「地面の底」をくりぬいて、2本目の新幹線を作るという、こうなるとそれは「暴挙」「狂気の沙汰」と、ぼくなどは考えてしまいます。120分が40分に短縮される、その価値や意味は、何で測るんでしょうか。つまり、「快挙」と喜ばれたものも2度3度と続けば「暴挙」「愚挙」となるのは避けられないし、それが地球の表面だけではなく、地中にも上層部にも悪影響を及ぼしていると、多くの人は考えないのでしょうか。毎年(五輪大会)を開くのは、間違いなし歴史的愚行・愚挙に他ならない。

 今年に入って、日月を置かずに世界各地で、凄まじい災厄が続発しています。南米だけでもチリーやベネズエラ、コロンビアにと、立て続けに大地震が発生、多くの犠牲者が出ています。過般には中国モンゴル国境地域に大地震、つい先日はヒマラヤ近くの雪崩が大きな山崩れや土砂崩れを誘発し、犠牲の全貌はまだ見通せないままで、救出作業が続いています。また、いまなお続いている異常な高温の災厄。気温四十℃の日常が常態化するのが目に見えているのです。

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【天声人語」反省なんかしておりません マレーシア・ボルネオ島に、プナンと呼ばれる狩猟採集民がいる。彼らの言語には「反省」を意味する言葉がないそうだ。奥野克巳氏の著書『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』に教えられた▼言葉がないだけではない。彼らは過失に対し謝罪しない。反省のそぶりさえ見せない。後悔や残念の感情は持っても、反省には向かわない。人類学者は書く。「反省しない生き方というのは、おそらくストレスがたまらない」。なんて気が楽かと▼日本列島も熱帯の島に似てきたようだ。反省の不在をとみに感じる夏である。終戦記念日の首相式辞から「反省」が消えた。先の戦争を「反省なんかしておりません」と言った人が首相だからか。国会を振り返り「反省点というのは特にございません」との強弁にも驚いた。自分は悪くないとの言ばかりが闊歩(かっぽ)する▼そもそも反省とは何か。辞書を引くなら、自分の行いを省みること。責任に向き合い、ときに謝罪の意も込める。反対語といえば、自分を正当化する、開き直る、学習しない……。誰もがそんな政治はごめんだろう▼奥野氏の書によると、プナンが反省しないのは、いまという時間感覚を重視する狩猟採集のためらしい。長い時間軸で「よりよき未来」を思うとき、人はおのずと自らを省みる▼論語は、吾(わ)れ日に三たび吾が身を省みる、と記す。真剣に考えているか。誠実に伝えているか。受け売りではないか。当欄も繰り返す。反省を。(朝日新聞・2026/08/30)

 その昔、「批評の神様」と崇(あが)められていた小林秀雄さんは敗戦直後、ある雑誌で「ぼくは無知だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と、戦後の「第一声」として記録されているのを読んで、「偉い人」もいるもんだと正直に思いました。。(「近代文学」昭和21・2)玉音放送を聞いた数日後の小林さんの姿が、いろいろな文学者によって活写されています。大学生になって初めて、小林さんの文章を読んだ人間だったから、この「ぼくは無知だから反省なぞしない」という表現に驚いたし、その驚きがその後もずっと続いたのでした。後半生、小林さんが「本居宣長」に執心したのは、彼自身の精神の問題でもあって、明確な理由のあることでした。それを「国粋」と言ってみたくなります。ぼくには意外なことでした。彼は、真珠湾攻撃を「お見事」と讃嘆した人でもあったのです。

 現首相も「私は当事者でもないので、反省なんかしないし、反省を求められる立場でもない」と、1995年の敗戦後十年の段階で「村山談話」と非難する前口上として述べていた。「反省しない」にもいろいろな場合があるんですね。

 この首相の国会発言は、まるで、「反省ならサルだってする」といわぬばかりの「歴史への罵声」を上げたことになります。「反省しない」というのは、いろいろなニュアンスがあります。上に上げた小林秀雄さんの「反省なぞしない」というのは、ぼくは「無知だから」であり、反省は「利口な奴がすればいいじゃないか」というものでした。これもなかなか無理のある「理屈」だったと、若いぼくは奇怪な感想を抱きました。戦後の小林さんの文学活動と、現首相の政治発言を比較もしないし、どちらの言い分に筋があるかということも言わない。両者は、まったく異なる「反省しない」だからです。

 「自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること。自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること」(デジタル大辞泉)現首相の言い分(「反なんかしない」)は、これに当たります。「日米戦争(第二次世界大戦)」は「私には無関係」だから、「反省のしようがない」というのです。当事者ではないのだから、責任を問われることがないのだという言い分に通じます。だから「反省なら、サルだってする」けれども、「私はサルではないから、反省なんかしない」というのでしょう。とても分かりやすいですね。

 首相は1961年3月生まれだそうです。1995年当時、34歳の一議員でした。だから、この「言い分」は、思想信条の自由、表現の自由として、あるいは通るかもしれないし、そうでないかもしれません。歴史意識の有無を問題にするなら、どうでしょうか。同じ人間が「一女性」であるときと、「国会議員」である場合、そこにはやや異なった要素が入るでしょう。まして、その人間が「首相」になったなら、この「言い分」は通じないのが当たり前だと思う。それをそう感じないのが、この首相の救いがたい無能・無知なところだし、そんな首相を「神輿」にのせて、担ぎ上げる有権者がたくさんいるという自恃は、国家の、ぼくにしてみれば「危機」ですよ。しかし、国内外の多くは、その無知・無能を許してくれるでしょうか。これを放置しておくこと自体、国民の「歴史認識」が問われることになります。

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またぞろ「胸に愛国、手に国債」かよ

 素粒子

 水野広徳という軍人がいた。第1次世界大戦を見て、国力のない日本は「勝つ見込みのない戦いは絶対避けねばならぬ」と説いた。満州事変の翌年には、事態が進めば日本と米中の戦いになり、ソ連も日本に銃を向けると見通した。
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 当時の政府は日米の国力差を隠そうとしなかった。むしろ国力の差を克服するのが精神力なのだという点から強調していた、と歴史学者の加藤陽子氏が書いている。わかっていても止まらなかった。主戦論こそがお花畑で、非戦論が現実思考だった。その反省の上に立つ憲法がお花畑のはずがない。(朝日新聞・2026/08/28)

 今、政府の要路にある人々の多くは、嘘か実か、「皇紀(紀元)2686年」を発揚し、「男系男子による、皇統126代」を呼号する。それが史実であるとも首相をはじめ、堂々と虚言壮語します。126代が歴史事実といわれませんし、その中には少なくと「女性天皇8代」が含まれることを糊塗します。昨日の「素粒子」に、懐かしいともいわれそうな名前・人物が出ていました。水野広徳氏。元海軍大佐。帝国軍人だったが、理由があって辞職、その後は反戦の論陣を張る。ぼくは、この元軍人の名前を、小学校時代、何度も耳にしました。担任教師の十八番。「日本海海戦」物語は、来る日も来る日も教室で図解入りで聞かされたものでした。おそらく、水野さんの「此の一戦」を熟読玩味しての連続授業だったと思う。ぼくは、とりわけ、この教師は好きになれませんでした。O 先生は、凝り固まった「国家主義」「軍国主義」の主でしたから。幼心に異様に感じたものでした。昭和50年代後半のころです。(この「先生」が書いた墨書が教室の黒板の上に飾られていた。「らしく」と、ね。ぼくはついにこれがわからないままで高校まで行ってしまった。

 まったくの偶然ですが、「素粒子」で水野氏の名前を眼にしたとたんに、ぼくの脳裏に「死んだ男の残したものは」という谷川さんの詩、それに曲をつけた武満徹さんの作品のことが浮かびました。この何日か、不思議と武満さんの顏や曲がよみがえってきて、どうしたことかと、ぼくは奇異に思っていたところでした。「死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他にはなにも残さなかった 平和ひとつ残せなかった」この詩や曲が素晴らしいものとはぼくは考えないし。そんなに好んで聞いたこともなかったが、誰もが煽られ、唆され、駆り立てられて「戦争」に対面する、軽佻浮薄な時代相、です。誰だって、戦争を好む者はいないはずとぼくは考えてはいない。国や企業が一旗揚げ、巨利を得るめにも、戦争は絶好のチャンスと固く信じているものがいる。この曲、小室等さんの歌がいいですね。彼は信州上田の人です。それもまたいい。

 何があっても、この国は「戦争のできる国」であるべきだと、どうして、何を考えてそのように言えるのだろうか。どうしてもやっつけなければならぬ国があるからなのか、それとも、当方(日本)の隙(すき)を狙って、きっと侵略を犯す隣国があると思われているからなのだろうか。多くの人は、中国やロシア、あるいは北朝鮮が「仮想敵国」とみているそうですね。ぼくはそんなことは考えない。どうしても「敵国を仮装」するなら、それは米国だと、その昔から考えている。今では一番の仲良し(同盟)国と多くの日本人は思っているだろうが、アメリカの多くの人々はそうは見ていない、これが同盟かい、とぼくには感じられる。なぜなら「属国」扱い、あるいは「植民地」としてしかみなしていない関係が、もうかれこれ80年も続いているし、その傾向はますます強まっているではないですか。「死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日」と俊太郎さんは詠いましたが、そうでしょうか、とぼくは疑うばかり。「死んだ国家の残したものは 敵国憎しと仇討ち心」、ぼくならそのように「今日」を名付けたい気もします。(左上写真「親友同士だった谷川俊太郎さん(左)と武満徹さん=木之下晃氏撮影、1974年、東京都内」朝日新聞・2024/11/19)(余談です、ぼくは木之下晃さんに雑誌用写真を撮られたことがあります、20代のころ)

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◎ 水野広徳(みずのひろのり)(1875―1945)= 海軍軍人、軍事評論家。愛媛県生まれ。1898年(明治31)海軍兵学校卒業。日露戦争では水雷艇長として従軍、旅順方面の作戦、日本海海戦に参加。戦後、海軍軍令部で戦史編纂(へんさん)に従事。余暇に書いた日本海海戦記『此(この)一戦』を1911年(明治44)に刊行、一躍文名をあげた。1918年(大正7)海軍大佐に進級。翌1919年からヨーロッパに留学、第一次世界大戦後の戦跡を巡歴し、戦争の惨禍に触れて思想的転換を生じ反戦平和思想を抱く。1921年新聞への寄稿記事が原因で謹慎処分を受け、同年退役。以後、軍国主義批判・平和主義にたつ評論家として活躍、統帥権の独立を憲法違反と断じ、太平洋戦争の帰結をいち早く予測し日米非戦論を唱え続けた。論文はしばしば発禁処分にあい、1938年(昭和13)以後は事実上執筆禁止状態にあった。昭和20年10月疎開先で急死。(日本大百科全書(ニッポニカ)

(⁑小室等 / 「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)(https://www.youtube.com/watch?v=18kV9YrruBI&list=RD18kV9YrruBI&start_radio=1)

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 決して愛読したことのなかった産經新聞が三万号を迎えたという。慶賀にたえないというか、末期の輝きを放とうとしているのが、現首相への翼賛新聞ではないかとさえ思うばかり。ぼくは学生時代、時の経営者水野成男さんの講演会を聴いて、とても教えられました。亡くなる直前だったと記憶している。早くに日本共産党に入党、しんぶん赤旗(セッキ)初代編集長、さらには「獄中転向」第1号としても、その名を知られる。もと共産党員で、のちの財界人、フジサンケイグループのトップ。講演会を聞いた当時のぼくには、その程度の知識しかなかったが、それでも彼は輝いて見えました。昭和40(1965)年ころだったか。(このような財界人でありつつも、文学者として生きられた方に「西武デパート」の堤清さんが居られました。もちろん、彼もまた、元共産党員でした。彼は一流の詩人でもありました。生前に、ぼくは上あって、二度ばかり、堤さんの謦咳(けいがい)に接したことがあります。実に紳士でしたね。

 産經新聞を思うとき、いつだって水野さんが思い出される、次いで司馬遼太郎氏だったか。ぼくの学生時代の先輩や同期・後輩には何人かの産經入社組がいました。その後も、新聞の色合いはともかく、記者にたくさんの友人がいました。ぼくは、一度だって産經の愛読者にはならなかったが、徹底して嫌いぬくこともなかった。時には取材を受けたこともありました。しかし、このところの「産經」は、偏向しすぎているというか、現首相の応援団長といういでたち・振る舞いが目に余ります。それはどうですか、と鼻をつまみたくなる。「保守の論客」を揃えたというと聞こえがいいのですが、柔軟な思考や論理展開がほとんどなく、硬直した細胞に動かされている方々が論陣を張られているという、惨めな風情とぼくには映ります。ここにも、ぼくの後輩がいますね。もちろんぼくだって「脳委縮」か「脳梗塞」症状を呈していることは否定しません。

【産経抄】産経新聞きょう三万号
 
 俳句や短歌に腕を振るった正岡子規は、切れ味鋭い批評など名文家としての聞こえも高かった。晩年の事績に随筆集『病牀(びょうしょう)六尺』がある。時評、文芸批評、身辺雑記…。新聞「日本」に約4カ月連載されたのは、明治35年である。▼病床から原稿を1日1本郵送するのだが、新聞社からは封筒300枚を先に渡されていた。病の篤(あつ)かった子規の目には、重いノルマと映ったらしい。連載が100回に達した日、安堵(あんど)の筆を走らせた。「百日といふ長い月日を経過した嬉(うれ)しさは人にはわからんことであらう」と。▼命の火を灯(とも)す思いで書き続けたであろうことは想像に難くない。日々世に出る新聞も、下地には記者や編集者の呻吟(しんぎん)が練り込まれている。一字一句に神経をすり減らし、容易に埋まらぬ最後の1行に頭を抱える。子規の感懐はそれゆえよく分かる。▼1面の題字横にあるように小紙はきょう、3万号を迎えた。戦時下だった昭和17年11月の第1号から84年、長きにわたり支え続けてくださった読者諸賢には感謝の念が尽きない。思えばメディアを取り巻く環境も、新聞のあり方も大きく変わった。▼2万号を数えた平成10年6月の時点では、SNSや生成AIの隆盛など思いもよらなかった。いまの世の中には噓があふれ、噓の宣伝で他国をおとしめようとする国もある。小紙は虚偽の情報から日本を守る防波堤として、この先も尽くしてゆく。事実を報じて噓を砕いてゆく。▼媒体の姿がどう変わろうとも、その一念が記者たちの中から失われることはない。3万5千号、4万号をどのような形で迎えるか、いまから楽しみである。何より、産経がこれからも日本に必要とされる新聞であり続けることを、この場を借りてお約束する。(産經新聞・2026/08/29)

 「いまの世の中には噓があふれ、噓の宣伝で他国をおとしめようとする国もある。小紙は虚偽の情報から日本を守る防波堤として、この先も尽くしてゆく」という、その言やよし。そのお先棒を担ぐといわれないところに「いささかの安堵」を抱きます。聞くところによると、産経新聞(に限らないこと)の部数減は著しく、もはや全国紙とは言いたくても言われない事態にあるとされる。もちろん、「言わねばならぬ」ことから逸脱していると思われるような新聞記事内容など、あっても「百害あって一利なし」で、退廃の淵に沈んでしまったテレビ界の後を追うのも時間の問題と思われます。限られた部数でこそ、真骨頂が発揮できるのではないでしょうか。

 戦時国債発行時並みの「放漫財政」しか能のない「インフレ増税政治」が立ち往生しています。この窮状を乗り越えるためには「戦争」だというのでしょうか。日本発の世界同時「経済危機」がすでに始まっているようにぼくには見えます。

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「任期が分かっていて妊娠とは無責任」

「記者コラム」「非常識」は常識に代わる 「人は生まれながらに自由で平等な権利を持つ」と掲げたフランス革命でさえ、男女間には歴然とした権利の差があった。今では当たり前な女性の参政権や財産権を求めた女性活動家は、「非常識」と非難され、現代風に言えば“炎上”した。🔷5月、京都府八幡市の川田翔子市長(35)が数カ月の産前・産後休暇を取ると表明すると、著名な政治家を含め批判が相次いだ。「任期が分かっていて妊娠とは無責任」「特別職の首長は、会社員や議員とは立場が違う」。誹謗(ひぼう)中傷もあった。🔷壁があるなら、否定して道を閉ざすのではなく障壁を取り除く知恵を出し合えばいい。女性史はそうして「非常識」と言われた挑戦を常識に変えてきた歴史だ。川田市長の行動はきっと、「首長も産休・育休を取って当たり前」の時代へ向かう一歩になる。(壇知里)(西日本新聞・2026/08/28)

 穏当な表現ではなさそうですけれども、とても珍しい取り合わせの対談(二人)というか、鼎談(三人)を観(見)ました。もう何年も前から愛聴しているネット番組でのこと。司会者は元朝日新聞記者。欧米の特派員時代から、彼の記事や報告に接していた。数年前に彼は会社を辞し、新たにネットメディアを立ち上げ。ぼくはその時以来の視聴者となってきました。他は、落合恵子さんと佐高信さん。お二人とは、かなり前になりますが、何度かお会いしたことがあります。佐高氏には、勤め人時代、勤め先(学校)の担当授業で話をしてもらった。落合さんにも来てもらう予定でいたが、都合が悪くなって、そのままで終わっていたが、何年前だったか、親しくお付き合いしていただいていた随筆家の岡部伊都子さんの「お別れ会」でお会いした。細かく言えばきりがありませんけれど、ここで止めにしておきます。佐高・落合両氏が、岡部さんの著作集を編まれたこともある。(写真右。鎌田・落合・佐高三氏、東京地裁前)

 いわば、今日においてもなお、「社会的良心」の生き残りのような、お二人のお話だった。話題が方々に飛んだが、要するに、この人たちはある種のメディア界隈に多年住み続けてきた人だったと思う。約半世紀ほどのサラリーマン時代、担当授業に、それこそ何十人もの「有名・無名」の方々に来ていただいた。「人権への視座」という授業名で、それこそ縦横無尽に様々なテーマについて語りつくしていただき、学生たちとも交流してもらった。いちいちのお名前は出さないが、それなりに「一家言」あり「専門家」でもあり、「権力批判」では鎬(しのぎ)を削っていた方々でした。憲法九条を変えることに反対の隊列を作り、その先頭に立った著名人には加藤周一氏・鶴見俊輔氏・大江健三郎氏等々、ぼくは個人的にも話を伺ったし、その仕事ぶりにも大いに刺激され続けていた。佐高さんや落合さんもその列に連なり、ある時期から先頭に立たれている。ぼくは何度か誘われたことはあるが、街頭には立たなかった(本音でいうと「ぼくは、教室で溺れた人間なのだ」、と)。

 ある時期に落合さんが病気になられたと聞いた。三年ほど前のことだったか。それが昨日はとても元気に長時間語られていたので、大いに安心した。ぼくは知人のお嬢さんの勤め口として「クレヨンハウス」を薦めたことがありました。数年を経ずして退職されたが、その当時はまだ落合さんは元気だったと思う。佐高氏は、それこそ八面六臂の活躍ぶりです。いわゆる「反体制」「権力の横暴批判」の立ち位置をいささかも揺るがせにしない生き方の流儀には、ぼくは大いに学んできたつもりです。お二人は昭和20年1月生まれ。ぼくは19年9月生まれですから、いわば同学年か。右とか左ではなく、権力の横暴・暴力に反対の声を上げ続ける、その姿勢には共感するばかりです。

 ぼく自身の性格が大いに影響しているのですが、ぼくは「著名人」には、いつだって距離を置く方でした。「君子危うきに近づかず」というのではありません。性分として、知識人とか文化人、あるいは作家や評論家として著名を維持されている方には近づかないのを流儀にしていました。だから、担当授業に招聘(しょうへい)するのも、ほとんどが友人・知人からの推薦や依頼でした。ルポライターの鎌田慧さんの紹介で、雨宮処凛さんに登場を願ったこともある。そのコスプレには驚きましたが、その後の付き合いはありません。著名人ばかりではなく、薬物経験者や、ストーカ殺人事件のご遺族などなど、さまざまな事件や事故にかかわる「人権問題」に焦点を当て続けていたのでした。

 本日のコラムに「『非常識』は常識に変わる」という西日本新聞の「記者の目」を出しました。内容はお読みいただければわかるでしょう。佐高氏や落合氏なら、「首長も産休・育休を取って当たり前」という立場で、さらに松任で歌劇でもある発言をなさるだろうし、そういう方々が少数か、あるいは皆無になったらどうしますかという、問題意識がぼくにもあるからです。現行「天皇制」にぼくが反対する・賛成しないのは「天皇」の「人権」が認められていないからです。つまりは「法の下の平等」が皇室・皇族に適応されないという、決定的な理不尽を認められないからです。ネットニュースの喧(かまびす)しい時代、「アークタイムス(Arc Times)」は極めて良心的だと、ぼくはその価値を認めています。既存メディアが壊滅状態の中、ある種「絶滅危惧種」に属するとされる「著名人」や、そのような方々の語る場を生み出す新しいメディアの筆頭格として、ぼくは、いささか気を長くして、その「愚痴」も「暴論」も併せ呑みながら、ぼく自身の行く末と重ねてその「メディアとしての成長」を念じているのです。

 (⁑(戦後81年SP)落合恵子さんに聞くhttps://www.youtube.com/watch?v=aObxHw8UllM

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人権は「与へられる」と認めねば

 折々のことば:3705 鷲田清一

 「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」というところが好きです。 
                                                   (林明子)          
       ◇ 
 終戦の年に生まれた絵本作家は学校で日本国憲法を習い、「もう大丈夫だ」と思ったという。中でもこの条文の「将来の国民」という表現。その決意に震えた。そしてこれを蔑(ないがし)ろにして、一度でも武力行使に出たらもう取り返しがつかないという胸騒ぎが強まってきたと。随筆「夢の永世中立国」(『子どもを描く 林明子の世界』所収)から。(朝日新聞・2026/08/27)

 林明子さんが亡くなられた。熱心な読者ではありませんでしたが、その仕事には敬服していました。ぼくよりも一歳年下にあたりますので、「学校で日本国憲法を習い、『もう大丈夫だ』と思ったという」ところに、ぼくはどうしようもない自らの「無知」(無神経」「野蛮性」を知らされます。ぼくは、この世に「憲法」などというものがあるなどとは知らないままで、心行くまで「野生児」生活をしていたからでした。たぶん、小学校時代は、すべてそうだったと思う。中学校や高校で「日本国憲法」を学んだのでしょうが、「もう大丈夫」という手応えなどあるはずもなかった。「基本的人権」とは「冒すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる」という、その「将来の国民」にという部分に「震えた」といわれます。すごいですね、立派ですね、と、能天気人間としては、ひたすら讃嘆するばかりでした。

 ぼくが、後年(大学に入ってから)憲法条文でとても感心したのは、第十二条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」という件(くだり)でした。国民なら誰だって「権利は与えられる」というのならことは簡単。まるで「配給制」みたいなものではなかったと、さまざまな事件裁判が教えてくれました。平等に、間違いなく誰にも「与えられる」、現実にはそういうことはありえません。「これを保障する」と条文にあっても、それを具体化するにはそれなりの努力というものが求められるということでしょう。この問題を深く(と自分では思っていました)考えるようになったのは、憲法二十六条(教育を受ける権利)の部分に大きな関心が生まれてからでした。

〔教育を受ける権利、教育の義務〕第26 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。2すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 どんな国民も「等しく教育を受ける権利を有する」と書かれていますが、それは無条件に「有する(与えられる)」というのではなく、子どもの権利は親・保護者(や行政)が子どもの権利を実現する「義務」を果たさなければならないというのでしょう。「子どもの権利」は「親(保護者)の義務」に依拠して初めてかなえられるという、ある種の「強制」であると同時に「努力目標」でもあるとされている。何事も、憲法に書かれている(規定されている)から「大丈夫」ということではなく、再言しますが、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて」初めて、その可能性が開かれるのだというのです。憲法は「政治権力」の暴力や暴走を戒める・束縛するものをとされますが、ひるがえって、国民もまた、そこに表現されている「(当然の)義務」を果たすように強く求められているのです。

 現行憲法は、いつだって「改憲(する・される)」の可能性を有しています。「憲法改正」はあって当然であると、ぼくには思われますが、どの条文、どの条項をいかように「改正」するかは、深い議論があってしかるべきでしょう。一語一句たりとも「変えてはならぬ」ということは現実にはそぐいません。まして「改正」というのですから、悪い方向に改正することはあり得ないはずです。「戦争放棄」の条文を「改正」して「戦争できる」「そのために戦力を有し」「国の交戦権は認める」という「改悪」はあり得ないのではないですか。

 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

 「人権」は国家および国家権力に、「蹂躙」されてはならないものだということを、憲法を通して、ぼくたちは証明してゆかなければならないのですね。「人権」は国から与えられるものではなく、生まれながらに備わっているという、人間肯定の大前提を認めなければ、何事も始まらないんですよね。それを認められる程度には、国民(人間)は賢くなっていなければならないということです。

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〔国民たる要件〕第十条 日本国民る要件は、法律でこれを定める。                                                                                                                                          〔基本的人権〕第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。                                                                                                                                                                     〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。                                  〔個人の尊重と公共の福祉〕第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。                                                                                                                         〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。(日本国憲法)

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絵本作家の林明子さん死去 「はじめてのおつかい」「こんとあき」 「はじめてのおつかい」などの絵本で知られる絵本作家の林明子(はやし・あきこ、本名征矢明子〈そや・あきこ〉)さんが7月1日、肺炎で死去した。81歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男征矢剛さん。/登場人物の心の動きが見えるような、繊細で生き生きとした描写の絵本を多数送り出した。東京生まれ。1973年に「かがくのとも」11月号の「かみひこうき」(文・小林実)で絵本作家デビュー。筒井頼子さんとの共作「はじめてのおつかい」(「こどものとも」76年3月号、77年刊行)は、累計発行部数261万部のロングセラーに。そのほか、第30回サンケイ児童出版文化賞美術賞を受賞した「おふろだいすき」(作・松岡享子、82年)、自身が作・絵を担った「おつきさまこんばんは」(86年)「こんとあき」(89年)など。角野栄子さん作「魔女の宅急便」第1巻の挿絵も手がけた。(以下略)(朝日新聞・2026/07/08)

◎ 林明子 (はやし・あきこ)1945ー2026 = 昭和後期-平成時代の絵本作家,挿絵画家。昭和20年3月20日生まれ。イラストレーター・真鍋博に絵をまなぶ。昭和48年「かみひこうき」が最初の絵本。54年「きょうはなんのひ?」で絵本にっぽん賞。58年「おふろだいすき」で産経児童出版文化賞美術賞。平成2年「こんとあき」で講談社出版文化賞絵本賞。「魔女の宅急便」の挿絵なども担当。東京都出身。横浜国立大卒。作品はほかに「はじめてのおつかい」「あさえとちいさいいもうと」,「くつくつあるけのほん」シリーズなど。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

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「何のために勉強するのかな」

【三山春秋】▼「何のために勉強するのかな」。夏休みの宿題に追われる子どもに問われたら、どう返せばいいだろう。苦手だった物理や漢文が、いつか役に立つと説得する自信はない。おいの満男に聞かれた寅さんの答えが、フーテンの身を反面教師としていて腹に落ちる▼「人間長い間生きてりゃいろんな事にぶつかるだろう。な、そんな時オレみてえに勉強してない奴は、この振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるよりしょうがないな」。そして勉強していれば自分の頭で筋道を立て、どうすればいいか考えられる、と諭す▼人生の壁にぶつかるのは子どもも変わるまい。8月の今時分、手つかずの宿題に途方に暮れるくらいならいいが、大きな悩みを抱えた若者が周りにいないだろうか▼昨年全国で自ら命を絶った小中高生は538人。過去最多を更新した。特に子どもの自殺は9月1日前後が多い。長期休みが終わり学業不振や進路の悩み、いじめといった不安が再び迫るためだ▼文部科学省は先月、悩みを抱えた子の早期発見や相談窓口の周知を通知した。県の「こころの健康相談統一ダイヤル」をはじめ悩みを話せる場所はいくつもある▼とはいえ最後に頼りになるのは信頼できる身近な大人である。寅さんが満男に言う。「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさん、どっからでも飛んできてやるから」(茨城新聞・2026/08/26)

 なんのために飯(めし)を食うのかな? こんな質問をする人はいないでしょう。「そんなの当たり前じゃん」といわれそうです。「当たり前じゃん」にもたくさんの人々の無言の努力(歴史)があればこそではないかとも思う。飯を食うのは「死にたくないから」「食わなければ死ぬからさ」「生きるためにと、決まってるじゃん」と、どんな人も即答するでしょう。これはどんな生き物にも備わっている「生存本能」の仕業でしょう。誰だって、なんだって、命あるものは「生きたがっている」のですね。ここで理屈を言えば、話は脇道に逸れる。「じゃあ、どうして生きるんですか」「生きなくてもいいじゃないですか」と、これまた当たり前のように答える人も出てくるに違いありません。「生まれてきからには、生きるのは当然」と言える人もいますが、そうではないと考える人もいるはずです。「こんな生きずらい人生、もう嫌だ」と。

 若いころ、仕事柄(教師の真似事)だったが、「生きる意味」とか「人生の価値」などと言う袋小路の問答を自問自答したり、訊ねられて答えに窮したり、それこそ、七転八倒したものでした。「人生に意味があるか、ないか」、こんな問題に人間が答えることはできないというのがぼくの一貫した態度です。今だって、そんな問いに応えられるかいな、と考えている。もちろん、多くの人には「人生の意味」、「生きる価値」は明確にあるんでしょう。あると思っている。でも、本当にそうですかと、訊ねることはしないで、「世間の常識」として「価値ある人生」「意味のない生活」というものがあるのかもしれません。単純に言い直すと、他人より優れていたい、他者から高い評価を得たい、幸福になる(これもまた、人それぞれ)、そんな生き方を求めるのかもしれません。

 この問題は、ギリシギリシアの時代から存在しています。これまでにも散々駄弁ってきましたから、ここではこれ以上は述べません。ようするに、人間の分際で、自らの人生の価値や無価値を論じられるかもしれないが、それは人それぞれで、同じ生き方に対して評価する人もいれば、そうは考えない人もいます。果物屋の店頭に並ぶメロンやブドウの値段でも、品種によっても異なるし、それを求める人の多少によっても違ってくるでしょう。「そのものの値打ち」は一定なのに、周りの状況や事情で差が出てくる、人生もそうなんじゃないですか。

 唐突ですが、犬や猫が自殺をするとは、ぼくには思われませんから、少なくとも人間は犬猫以上に厄介で面倒な思考力(迷い)を持っているとは言えます。ぼくの心情は、犬猫のように生きることです。生まれてしまったら、行けるところまで生きるって、ね。少なくとも、自分でできることは自分でするだけの始末は付けておきたいとは思いますが、「人生に意味がある、ない」などというある種の愚問には嵌らないようにしたいもの。「生まれて、生きて、病気になって、年を重ねて、寿命が来たから死ぬ」ということじゃないですか。

 「何のために勉強するのか」というコラム氏が立てた問いは、ぼくには、とても簡単なものです。つまりは「生きて」「病気になって」「年を取って」に応じて、いらない煩悶・失敗に悩まないためであり、そこから、できることなら、同じ時代に生きている誰かの役に立てるなら、喜んで立ちたい、そんな生き方を貫けるためには、賢くなければなりません。賢いというのは算数ができる、あるいは「知識」があるというのではなく、「吾道一以貫之」(「論語 里仁」)ことができる、そんな姿勢を持つことができるために、です。まあ「(自分流の)生き方の流儀」があればいいんですね。わかりやすく言うなら、とても注意深い人間になるために、「ぼくは勉強してきた(かどうかは、とても怪しいが)つもり」なんですよ。もちろん、生まれる時も、死ぬ時も、わが意思・意志が働かないのですから、それは「天命」「運命」と受け入れることですかね。

 ヘッダー写真は「論語 為政」からのものです。「子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所一レ欲、不矩」から。 孔子という人の「自叙伝」みたいなものです。そうなれが勿怪の幸い、そういうのですね。(右写真は「汝自身を知れ」というお呪(まじな)いです、ソクラテスの)

 ぼくはすでに、七十をはるかに超えましたけれど、まだまだ、人生の「序の口(発端)」という気が常にしています。成長もしなければ、賢明にもならず、ですな。でも、勝手に「大器晩成」などと口ごもってもいますね。

 (「明道若昧、進道若退、夷道若纇、上德若谷、大白若辱、廣德若不足、建德若偸、質眞若渝。大方無隅、大器晩成、大音希聲、大象無形」(「老子:徳経」:同異第四十一)

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