「紅一点」ならぬ、「汚一点」だな

⁂「週のはじめに愚考する」(129)~ しばらく前に、この国の国会は荒れる学校の、中でも質の悪い学級崩壊みたいで、もはや手の付けようがないくらいに末期症状を呈していると書きました。第一に、学級担任がどこにも見当たらないどころか、わけのわからない「女番長」が泣いたりすごんだりして、もはや好き放題。あるいは、この「番長」を裏で動かしている輩がいるのではと疑ってはみるが、その気配は濃厚であると思わせながら、実はそんな芸当ができる「悪」はどこにもいないというのが実態か、という怪異。灼熱の熱帯夜に「魘(うな)される」、寝つきの悪い夜を過ごしている。 

 今首相の任についている人間は「食わせ物(偽物)」だと、彼女の就任時以来、ぼくは言い続けている。何の恨みもつらみもないけれど、納税者の一人であり同時に主権者(もちろん有権者でもある)の一人である身にとってみれば、このまま放置し、拱手傍観(standing by and watching)していると、とんでもない泥沼にはまる(はめられる)から、そんな危険性があればこそでした。案の定、でしたね。こうなることは火を見るよりも明らか、ぼくにはそう映っていました。何よりも、この御仁は「嘘」が売り物だ。寝ても覚めても嘘をつきながら息をしてきた。嘘つきの本性は、嘘をつかないと息が詰まるというところにある。だから、初めは小さな嘘をついて成長してきたが、その嘘をだれも咎めなかったのをいいことに、「嘘つき天国」へと舞いあがったという次第でありました。

 第二に、この人物は「働いて」を始終強調して、自分は怠け者(不勉強)だと白状しました。これをぼくは「問うに落ちずに語るに落ちる」といいました。その心は、「嘘が出番を待っている」からです。「問い詰められるとなかなか言わないが、かってに話させるとうっかり秘密をしゃべってしまう」(デジタル大辞泉)。嘘が嘘を呼ぶという生き方が身についているので、今更どうにもしようがないというのです。「国」は好きだが、「国民」は嫌い、天皇制は好むが「天皇個人」は嫌う。まれにみるお粗末な「観念主義」です。こんな出来損ないだからこそ、「首相」になれたも言えます。主権者意識のきわめて薄い「有権者」が「悪女」を育て、「首相」にまでならせたというのです。

 素粒子(朝日新聞・2026/07/17)

 国旗への敬意は、ある人にはあり、ない人にはない。何もしなければ、それだけのものだった。それを押しつけたことで反発は生まれた。この愛国心は作りものではないかと思わせた。損壊罪の創設は反発を呼び覚ます悪手だった。
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 皇室への敬意も同じ。男系男子を押し通すため、旧宮家を持ち出したことで反発は生まれた。果たしてそれは一つながりの血筋といえるのか、作りものの伝統になってしまわないかと思わせた。国民の支持は遺伝子よりも行いに向けられていることを見くびった。養子の子の皇位継承は悪手だった。
 素粒子(朝日新聞・2027/07/16)

 「君子豹変(ひょうへん)す」は首相も大切にしている言葉だそうだ。確かに、話が中傷動画疑惑に及ぶと態度が豹変。声にどすを利かせて言い返す。高市氏の短気に野党も耐えかねてもとの粘りの石破氏恋しき。
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 典範論議には静謐(せいひつ)な環境を求めたのに、党首討論では豹変する。首相の背後にぞろぞろ大応援団。数で圧倒するのが与党の総意か。
      ♭
 ドナルドへの姿勢は豹変していい。世界に平和と繁栄をもたらさず、日本が所長を出す国際刑事裁判所には解体の脅し。お得意の英語にどすを利かせて抗議しては。

 本日は「素粒子」2題。いずれも、くだんの人物が、どこからみても「首相の器」でないことを、同性の誼(よしみ)で笑い倒そうとしている。その意図はよくわかりますが、手心を加えてはいませんか。文中に「君子豹変す」とありますけれど、断るまでもなく、現首相はもちろん「君子」であるはずもない。

 この言葉には続きがあります。「君子豹変す。小人革面す」と。「易経」(の二か所)に出てきます。「〈上六(じょうりく)〉上六。君子豹変。小人革面」、あるいは「〈象伝(しょうでん)〉象曰。君子豹変、其文蔚也。小人革面。順以従君也」とある。「豹変」とは「虎が秋になると皮面が、美しく一変するように、君子たるものは、自らの過ちを認めて、すっかり改めるもの」、「立派な人は、自らを美しく一変させ、人々も改めさせろようであってほしい」、そんな有徳の人士の、鮮やかさを指し、それが原義だったとされます。「小人は面を革(あらため)る」というのは、虎の豹変を見て、みずからの表情を変えて、君子に付き従うということでしょう。断るまでもなく、彼女は「小人」ですらありません。

 現首相の得意芸は「媚態(coquetry)」と「脅し(threat)」で、この二態は同根です、根っこは同じ。「強きを助けて、弱きを挫(くじ)く」その二様の態度が違って見えるだけ。『素粒子』氏に告ぐ、T首相は「豹変」なんかしていないし、できない相談。この女性は、だれ一人として信じられない、生来の小心者です。これは間違いない。天皇個人も国旗も「敬う気がない」のは明白です。表向きを繕(つくろ)う人間に「誠意」を求めるのは、魚屋で『かぼちゃ(南瓜)』を求めるみたいなもの。求めるほうが間違っているのですよ。ある時期は「女性天皇」を認めたり、ある時は「男子に限る」といってみたり。要するに「日和見主義(ご都合主義)(opportunism / expediency)」でしかありません。こんな人間に国の「舵(かじ)取り」を任せようとした国民(有権者)が愚かだったということ。加えて、この国に健全な「野党」なんかあり得ない。みんな「与党」に入りたがっている「浮草連中」です。

 ある政党の党首が「皇室典範」改正案に賛成した理由に、重要法案であるがゆえに「袂を分かつわけにはいかないかった」、「苦渋の決断」などと「お風呂のオナラ」みたいな、気持ち悪いし、実に腑抜けたことを言っていました。つまり「袂は一つ(同じ穴のムジナ)」だったと、言わず語らず。これも「問うに落ちずに、語るに落ちる」話。阿保らしい。そんなこんなで、この国は「「ご破算で願いましては」ですな。(彼女がこの先も命数が尽きないままでいたなら、「女性天皇万歳」というだろうし、「夫婦別姓賛成」を言うはず。もちろん「靖国参拝大反対」と、必ず言うよ。定見がないということ、つまり「無定見(no firm opinion)」であるという意味。彼女の歩いてきた道(があるなら)を、確かめられるがいい、世に存在されている「素粒子」さんたちよ。(例の「陳述書」はどうしたんでしょうか?かかるごまかしや嘘は腐るほどありますね。)

蛇足 タイトルについて一言。「紅一点」、今ではあまりいい使い方ではない表現とされます。「こう‐いってん【紅一点】《王安石「詠柘榴」の「万緑叢中(そうちゅう)紅一点」から。一面の緑の中に一輪の紅色の花が咲いている意》1 多くのものの中で、ただ一つ異彩を放つもの。「殊に目に立つ―は金釦鈕(きんボタン)の制服」〈魯庵・社会百面相〉2 多くの男性の中にただ一人いる女性」(デジタル大辞泉)ここでは、当然のこと、「1」ですね。その「紅」は、「これまでつき通してきた嘘っぱち」ですっかり汚れているという意味での「汚一点(短縮して「汚点」)」です。大な小なり、議員さんは汚れているけれども、飛びぬけて汚れているという図抜けた「汚さ」をさしての「汚一点」、悪しからず)

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またまた「後は野となれ山となれ」です

【余録】終戦翌年の1946年、毎日新聞は草案段階の日本国憲法について「世論調査」を行っている。いまと異なり、全国から男女2000人の「有識者」を抽出し、聞く方法だった。象徴天皇制について「支持」は85%で、「反対」13%を大きく上回った(同年5月27日紙面)。昭和天皇の「人間宣言」を経ての皇室の新しい位置づけが、国民に受容されていた傍証と言えよう▲憲法制定から約80年で迎えた皇室を巡る変化だ。皇族数確保に向けた改正皇室典範の成立である。旧宮家の男系男子が養子縁組で皇室に入ることができ、男子が生まれれば皇位を継承する資格を持つ▲「立法府の総意」を逸脱し、高市早苗内閣は皇位継承問題に踏み込んだ。男系男子に固執して天皇陛下と36~38親等離れた旧宮家と縁組みすることは果たしていまの社会に適合し、真に皇室の伝統を重んじているか▲「象徴」という難しいあり方を昭和天皇、上皇さま、天皇陛下は実際に示されてきている。2019年の小紙調査でも7割以上が象徴天皇制を肯定している。戦後日本に定着した国民と皇室の関係だ。男系男子派の多くが唱える「万世一系」とは異なる▲どうか、政治が旧宮家の養子縁組をゴリ押しするようなことは厳に慎んでもらいたい。女性皇族が結婚後も皇室に残れるようになった。女性・女系天皇実現に向けた一歩となる▲皇室の将来を巡る議論は縛られていない。国民が主体的に考えていくことが、政権と議員だけで進んだ典範改正の教訓であろう。(毎日新聞・2026/07/18)

 外国人特派員の女性記者が、「皇室典範」改正問題の国会での議論を聞いていて、「日本はいったい、いつの時代にいるんだ」という意味のことを言われた。外国の方から言われるまでもなく、ぼくだって、この「改正問題」を発議し、その根拠を述べ立てている総理大臣をはじめとする国会議員の「天孫降臨・万世一系・2600年・126代」という四点セットを恥ずかしげもなく繰り広げるのを聞くにつけ、この社会は「お伽(とぎ)の邦」ならぬ「神話の世界」に住んでいるようだと、著しく違和感を持ってしまうのです。総理大臣に至っては「126代男系男子で皇統が連綿と続いてきたのは、まぎれもない事実です」と、あの顔であああの顔で、恥ずかしげもなく「嘘」を言い募る始末。この首相の騙るところには、無数の嘘が混じっています。そのいちいちを云々するのは「大人げない」ので、ぼくはやりませんが、たった一つだけ、よしんば「126代続いた」として、そのうちのかなりが「神話」の世界の話です。

 それでは「神話」とは何ですか、と尋ねたくなります。神話と歴史を同一のものとするような総理大臣は、ぼくには不要な存在。「(しん‐わ【神話】とは) 原始人・古代人・未開社会人などによって、口伝や筆記体で伝えられた、多少とも神聖さを帯びた物語で、宇宙の起源、超自然の存在の系譜、民族の太古の歴史物語を含むもの。その起源は、自然現象を擬人的に解釈しようとしたことや、人類に共通な無意識・下意識の欲求を投影したことにある。たとえば、ギリシア神話や、日本の「古事記」にある神話のたぐい。 一般には絶対的なものと考えられているが、実は根拠のない考え方や事柄」(精選版日本国語大辞典)とあります。

 ぼくは能登半島の田舎町の小学校低学年で、学芸会に出た、その舞台のありさまを、今もなお鮮明に覚えています。演目は「浦島太郎」もちろん主役はぼくではない。ぼくは「龍宮城」から戻ってきた浦島太郎が、どこかの海岸で玉手箱を手にしているのを通りすがりに見て一言、「昔くさいひとだなあ」というセリフを呟いた。ここで観客がどっと笑ったのまで覚えています。当たり前えでしょう。虐められている亀を助けて、海の底に赴き、そして帰ってきたのだが、時間は何百年も経っていたのですから。ここにも日本古代の歴然とした国生み伝説、いや神話が描かれています。小学2年か3年で、ぼくは「万世一系」に連なる神話の中に入っていたことになります。

 長い間、ぼくは「龍宮城」というところはどんな善場所か、いつかは行ってみたいと本当に切願していました。大学に入って、しばらくして、新宿に「龍宮城」があることを知り、いそいそと出かけたものでした。そこは、まだ若かったぼくには「夢の国」でした。まさに「絵にもかけない美しい」岡場所だったし、「タイやヒラメの舞い踊り」「ただ珍しく面白く」「月日の経つのも夢のうち」と逆上(のぼ)せ上って、勘定を払う段になって、「目の玉飛び出るもの凄さ」だった。以来、ぼくは煌(きら)びやかな「龍宮城」のような怖いところには二度と行かなくなったのでした。

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◎ 浦島太郎 (うらしまたろう) = 浦島太郎の話は,一般には次のようなものとして知られている。浦島は助けた亀に案内されて竜宮を訪問。歓待を受けた浦島は3日後に帰郷するが,地上では300年の歳月が過ぎている。開けるなといわれた玉匣(玉手箱)を開けると白煙が立ち上り,浦島は一瞬にして白髪の爺となり死ぬという内容で,動物報恩,竜宮訪問,時間の超自然的経過,禁止もしくは約束違反のモティーフを骨子とする。奈良時代の《日本書紀》雄略22年の条,《万葉集》巻九の高橋虫麻呂作といわれる〈詠水江浦島子一首幷短歌〉,《丹後国風土記》,平安時代の漢文資料〈浦島子伝〉〈続浦島子伝記〉などにも記述がみえる。これら古記録には亀の恩返しという動物報恩のモティーフはなく,《万葉集》を別として,丹後水江浦日下部氏の始祖伝説の形をとっているところに特徴がある。時代が下って室町時代の御伽草子《浦島太郎》になると,動物報恩の発端が登場し,浦島が鶴となって丹後国浦島明神にまつられるという形をとるようになる。また,浦島に“太郎”の名が付与され,竜宮城の名称が現れるのもこのころである。江戸時代の赤本類ではさらに童話化が進み,太郎は亀の背に乗って地上と竜宮城を往復する話に変容していく。浦島伝説を素材にした文学作品には近松門左衛門《浦島年代記》,明治時代に入ってからは,島崎藤村《浦島》(詩),森鷗外《玉篋両浦嶼(たまくしげふたりうらしま)》(戯曲),坪内逍遥《新曲うら島》(楽劇)などが知られている。(↷)

 現在,浦島伝説を伝える地は,京都府与謝郡の宇良神社(浦島神社),神奈川県横浜市の浦島の足洗い井戸・腰掛石長野県木曾郡の寝覚ノ床などがあり,それぞれ独自の話を伝えている。一方,昔話の〈浦島太郎〉は全国に分布し,内容的には,動物報恩のモティーフを発端とする一般型が多い。東北地方では,竜宮訪問,時間の超自然的経過のモティーフが独立した話として語られ,香川・鳥取では太郎が鶴と化す御伽草子系の伝承がみられる。奄美の沖永良部島では海彦・山彦説話と複合している。竜宮は海上彼方に楽土があるという常世(とこよ)思想の反映であろう。女から課せられた約束を男が一方的に破るのは〈蛇女房〉〈鶴女房〉などの異類女房譚の特色であり,常に人間によって禁止事項が犯され,不幸な結果を招来することになる。これは《古事記》の豊玉姫説話にも現れている古い説話モティーフといえよう。浦島説話と同型の話は,朝鮮,台湾,中国,チベットなど東アジアや東南アジアの諸国にも分布している。なかでも中国の洞庭湖周辺の伝承は,〈竜女説話〉と〈仙郷淹留(えんりゆう)譚〉の複合により成立したものとみられ,日本の浦島説話とも非常に似ているところから,浦島説話の原郷土を探るうえで重要な位置を占めている。

◎ 海幸・山幸 (うみさちやまさち) = 記紀にみえる神話の一つ。天照大神(あまてらすおおかみ)の孫で葦原中国(あしはらのなかつくに)の支配者として降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)には3子があったが,そのうち長兄火照命(ほでりのみこと)と末弟火遠理命(ほおりのみこと)(穂穂手見命(ほほでみのみこと))は,それぞれ海の漁山の猟を得意としたので,海幸彦・山幸彦ともよばれた。この2人の物語は,兄弟の葛藤の話と,山幸の海神宮訪問そして海神の女との結婚の話とからなる。兄弟がある時道具をとりかえそれぞれ異なった獲物を追ったが,弟ヤマサチは兄の釣針を魚にとられてしまう。元の針を返せと兄に責められたヤマサチは塩土老翁(しおつちのおじ)の教えにより,針を求めて綿津見神宮(わたつみのかみのみや)を訪れる。そこで大綿津見神(おおわたつみのかみ)の女豊玉姫(とよたまひめ)をめとり探していた針も手に入れる。さらにオオワタツミから水を自由に操る呪的な玉を授かって地上に帰り,その玉で横暴なウミサチをこらしめ服従させた。この時ウミサチは〈汝命の昼夜の守護人となりて仕へ奉〉る(《古事記》)ことを誓い,今に至るまで水に溺れる様を演じて仕えているという。これが海幸・山幸の話である。なおこの後トヨタマヒメがこの国を訪れ,海辺で子を生む。これが鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)で,神武天皇はその子である。一方ウミサチは隼人(はやと)族の祖となった。
 記紀神話におけるこの話の意義はすこぶる大きい。第一にこれは,九州南部の一大蛮族隼人族の服属起源譚の意味をもつ。東西辺境の二大蛮族蝦夷(えみし)と隼人を服属させることは,古代国家確立のための必須条件であった。隼人は蝦夷より一時期早く宮廷に服従し,交替番上して大嘗祭(だいじようさい)に隼人舞を奏したり,また同じく大嘗祭や天皇の遠行の際に犬声を発して奉仕したが(蛮族の発声に悪霊をはらう呪力があると信じられた),これらはいずれも服属儀礼であった。ウミサチが溺れる様を演じたという上の話も,実は滑稽なしぐさを含む隼人舞の起源譚である。手を焼いた隼人の服属は,いわば全国統一の最終過程における記念すべき事業であった。だからこそ隼人は天皇との至近距離におかれた。と同時に,もっとも新しい時点の歴史的事件にもかかわらず,こうした話が神代にくりこまれているのは,服属の由来の久しいことが強調されねばならなかったためであろう。天孫と隼人族の祖が兄弟という系譜関係で結ばれているのも,同じことの異なった表現にほかならない。
 またこの話は,新王誕生の物語の意味ももつ。《古事記》には,即位儀礼大嘗祭の投射をうけた同じテーマの話がいくつかある。儀礼的枠組みはあまり明確ではないが,上の物語もその一例である。他界海神国を訪問し,そこで女と宝物をえてよみがえり,対立者を倒して王となる話は,あきらかに死と復活の儀礼をふまえた話といえる。また古代の王は,天なる父として母なる地との婚姻を象徴的に演じ,自然の豊饒を招来せねばならなかった。これが即位儀礼の一環としての聖婚である。神話上から言えば,海は大きくは大地に属するものとみなせるから,オオワタツミの女との結婚は聖婚の説話化であったことになる。《日本書紀》の一書に,ワタツミノカミノ宮でヤマサチが真床覆衾(まどこおおうのふすま)の上に座ったとあるが,これが,大嘗宮で天皇が新君主として誕生する前にくるまる衾であることを知れば,上述のこともうなずけよう。

◎ 豊玉姫(とよたまひめ)= 記紀神話における海神(わたつみ)の娘。海神国に赴いた山幸彦(火遠理命(ほおりのみこと))と結婚し、御子(みこ)を生むために山幸彦を追って海辺に至った豊玉姫は、鵜(う)の羽を葺(ふ)いて産屋(うぶや)をつくる。しかし出産が迫って葺き終えぬままに産屋に入り、山幸彦に、他界の者は出産のおり生まれた世界の姿で子を生むので見てはいけないと頼む。ところがこの禁を不思議に思って山幸彦がのぞくと、姫は大鰐(おおわに)となってはいくねっていた。辱めを受けた姫は、生んだ御子(鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと))を海辺に置き、海への通路を閉じて去る。この神話は世界に広く分布する、始祖誕生を含む異類女房譚であろう。なお、こののち姫は妹の玉依姫(たまよりひめ)を御子の養育のために遣わし、玉依姫はこの御子と結婚して神武(じんむ)天皇以下の母となる

◎ たまより‐ひめ【玉依姫】= ( 古く「たまよりびめ」とも。「たま」は魂、「より」は憑依する意 ) 記紀神話で、海の神の娘。姉の豊玉姫が天孫彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の子彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)を産み落として去った後、其の子を養育した。その後、育てた彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と結婚して、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)(=神武天皇)を含む四人の男子を産んだとされる

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 「記紀神話」がどんなに面白いか、その証拠に、こんな物語(神話)はこの国にのみ独特のものではなく、「浦島説話と同型の話は,朝鮮,台湾,中国,チベットなど東アジアや東南アジアの諸国にも分布している。なかでも中国の洞庭湖周辺の伝承は,〈竜女説話〉と〈仙郷淹留(えんりゆう)譚〉の複合により成立したものとみられ,日本の浦島説話とも非常に似ているところから,浦島説話の原郷土を探るうえで重要な位置を占めている」とされてきました。「天孫降臨」を歴史事実と信じる人々は、この先、どうするのでしょうかか。「天孫降臨・万世一系・2600年・126代」という四点セットを普及する試みは、明治以降にも、あの手この手で試みられました。ぼくが学芸会で演じた「子ども役」も、記紀神話教育の申し子だったといえます。もちろんぼくは「鬼っ子」ではありましたが。浦島伝説で驚いたことはいくつもあります。海中深く潜るときの呼吸はどうしていたのか。さらに怖いのは「山幸彦」と結婚した「豊玉姫」は「大鰐(おおわに)」だったという件(くだり)でした。腰を抜かしたドコロの話ではありませんでした。(右は参政党謹製の「皇紀歴」だそうです)

 この豊玉姫が生んだ「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊」と、多摩依姫は結ばれて、一男児を生みます。それが「神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)」です。日本国(ニッポンコク:皇国史観はの読み方)初代天皇である「神武天皇」でした。(「今上(こんじょう)天皇」と首相は過日は堂々と発音していましたが、昨日は「今上(きんじょう)天皇」と言い換えていました。果実の読み方は「言い間違い」だったんですか。そんな程度で大丈夫ですか)どこの国でも、成り立ちは似たようなものでしょう。でもこの「神話」に属する物語を「歴史事実」と言い張るバカな首相が存在するのは、「日本(ニッポン)」だけでしょう。

 今回も、ぼくは「後は野となれ山となれ」と叫びました。「目の前の話には落とし前は付けた。だから、この先はどうなってもかまわない。あとは野となれ山となれ」と、ぼくが言うのではありません。当然でしょう。姉が産んだ「大鰐の子」と妹は結婚し、その子が「神武天皇」だというのですから、これは、あるいは人間ではないともいわれるでしょう(異類婚)。「万世一系、皇統126代(2681年)」をどのようにして、国民に周知させるのでしょうか。(「皇紀=日本書紀に記された神武天皇即位の年を元年として定められた紀元。皇紀元年は西暦紀元前六六〇年にあたる)(デジタル大辞泉)

 そのための「国旗損壊罪」制定だったことがわかります。実に鬱陶しいと、ぼくは考えます。でも、この珍奇な「歴史的国会」を乗り切った愚か者たちは、この先に、いかなる展望も見いだせないままでしょう。だから、ひたすら「先祖返り(竜宮城)」をするほかないのです。それでは展望が開かれないだろうが。だからこそ「後は野となれ山となれ」と叫ぶしかないのです。故障している「絶叫マシン」に搭乗したものたちのように、「絶叫しながら、墜落していく」ほかに道はないのでしょうから。ぼくは絶叫マシンには乗らないし、国旗を損壊もしなければ、無条件に敬礼もしない。これまで通り、おかしいことはおかしいといい続けるばかり。「野となり山となった」国土に佇(たたず)み、孫子のために、当たり前の人間が生きていける時代や社会を築きたいと念じています。神話ではなく、ささやかな歴史を歩みたいものです。

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暑さ寒さも彼岸まで。本当か?

 どうやら、いつも使っているパソコンがいかれたようです。余りの猛暑に、OSが値を上げたのに、それを冷やすァン)が機能しなくなったのかもしれないと、素人ながらの見当をつけています。二日ほど前に、初めて「PCが高温になりました。危険ですので…」と警告音とともにサインが出るのですが、一瞬の間に消えるので、要領を得ません。電源を落とし、何時間か間をおいて、冷却したつもりで、再開すると、使える時間が徐々に短くなり、やがてものの五分もしないうちに再度「警告」が鳴る始末。同じようなOSを揃えてもう一台用意してあるので、今は、それを使って本日の駄文を書こうととしています。(昨日も使いました。いつも使っている万年筆が壊れたので、新たなものに変えて書くと、なんだか、文章までが一層へんてこになる気がしましたが、パソコンもそうですね。駄文が駄々文になっています)

 各紙のコラムを読むために、それぞれにサインインせねばならず、別のパソコンと同じパスワードは使えないので、新たに登録しなおしている。ぼくは、人の何倍もの面倒くさがりで、それをすることにもイライラしています。そんな無駄な作業を、日一日と猛暑になる時期にやる羽目になっているので、イライラは募ります。今朝2時台の「ラジオ深夜便」では桑田サザンのオンパレード。ごくまれに「一曲」となれば、なんだか悲しくもおかしい「桑田節」ですが、それを十曲も聞き続けると、頭が割れそうになります。それにしても、このだみ声で歌い続けて半世紀近くになるのでしょうか。桑田さんは本年が「古希」だそうです。すごいことですね。ぼくはどのような歌い手さんでも感心します。ことにインディーズの方々には頭が下がる。

 常々、独立系、あるいは無所属派には敬意を示してきたものですから、なおさら、自前の看板を張って半世紀という、ただそれだけでぼくは頭を下げるのですね。先輩や後輩にも、何人かの無所属文筆家がおられます。よく名の知れた人々ですが、ぼくには足元にも及ばない仕事をされておられます。月々決まった日に銀行振り込みで「月給」が入るという生活は、ぼくに限って言えば、人間をゆっくり、でも確実に堕落させるという恐怖をぼくはいだいてきました。「月給取り」をおそら半世紀近く続けてきましたので、ぼくの堕落のレベルは地(痴)に落ちたどころか、地下にも潜ってしまったようですね。その間にも何度か、職業替えを考えたりしましたが、堕落と惰性が、それを許さないままで、結局は、気が付けば定年直前という、徹底した堕落ぶりでした。以来、十数年。「山中に暦日なし」などと気楽なことを言いつつも、日々の明け暮れに汲々としながらも、気息奄々の下から、政治や経済に、なにがしかの願いを持ちつつ、悪あがきは続いています。

 ただ今、午前6時半。室温28.5℃、湿度84%。曇り空、一雨が欲しいところです。駄文つづりの部屋にはエアコンはありません。くたびれた扇風機が回っているばかり。国会の「異常さ」に怒りが静まらないのは、致し方ないとして、このところ、何度かに及んで、拙宅に以下のような「出鱈目政治に反対するための要請」メールが回ってきたのを見て、この国は何を考えているのか、政治家・役人だけは「唯我独尊」と思い込んでいるセコイ国なんでしょうね。。保護猫も家猫も野良猫も、そんな区別はあってなきがごとし、首に縄をつけて家に閉じ込めていない猫は「捕獲」の対象にしますというのだが、やれるものならやってごらん。街中に出没しているクマでさえも「始末」に四苦八苦している、それに加えて、野生動物は各地各種、それこそ至る所に出没中ですよ。

 奈良公園の鹿だって、公園を一歩出ると、それは「神の使い」などではなく、「害獣」だそうで、取り締まりの対象だという。愚か者の理屈はどうにも通らない世の中です。人間だけが貴種貴重動物といっている尻から、いやそれはきっと「絶滅危惧種」ですよという黄色信号が出ているんです。外国人を排斥し、難民を寄せ付けず、あろうことか男だけが尊重される国家になるつもりの、2026年猛暑の夏の砌(みぎり)です。「男尊女卑」wp世界に闡明する、そんな手に負えない政治家が支配している国柄なんだ。ああ、暑い・熱い!

【独自】生態系対策、イエネコ追加へ 環境省、希少種の捕食などで 環境省と農林水産省が、生態系に影響を及ぼすため対策が必要な外来生物のリスト改定で、従来は野生に限っていた猫の対象を広げ、人に頼って生きる野良猫や飼い猫も含める方向で最終調整していることが28日、分かった。屋外で不適切に餌付けされた猫などが離島で希少動物を食べたりしているため。感染症を媒介する恐れも指摘される。従来は野生猫だけを「ノネコ」として掲載していたが、猫は種名で一括して「イエネコ」とする。
 約10年ぶりに改定する「生態系被害防止外来種リスト」ではイエネコを「防除推進外来種」に位置付ける。屋内で適切に飼育されている飼い猫は防除の対象外だが、むやみに外に出したり、遺棄したりしないよう管理徹底を求める。法的拘束力はなく、国民に注意喚起する意味合いが大きい。
 自治体は対策を進めやすくなるが、愛護動物でもある野良猫の排除が進む可能性を懸念する声も出ている。
 世界自然遺産の小笠原諸島(東京都)や奄美大島(鹿児島県)などでは、人が持ち込んだ猫によって固有種の鳥やウサギが食べられている。(共同通信・2026/06/28)

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ぼくらの旗は こじき旗だ …暮しの旗だ

【素粒子】旗といえば、編集者・花森安治の詩「見よぼくら一銭五厘の旗」を思い出す。戦争はとうに終わって民主主義の世になったはずなのに、気がつけばまた、ものを言わない社会に戻っていた。「こんどこそ ぼくら どうしても 言いたいことを はっきり言うのだ」♭ 国旗損壊罪で愛国心を育てる、とまで侮られても大きな反発はない。暮らしに関係ないと思うからか。ただ、ものが言えない空気が広がれば、暮らしに困っても政治に訴えようがなくなる。「ぼくらは ぼくらの旗を立てる」。私たちの譲れない旗とは何だろうか。(朝日新聞・2026/07/15)
                                                            (今からでも遅くない、ぜひ「アサヒハアサヒラシイ、コレガアサヒナノダトイウ、シッカリシタハタヲタテテクダサイ」「ゲンロンノジユウヲセンメイニスル、ソンナハタヲタテテホシイ」「権力ニコビルヨウナイヤシイハタハタテルナ」(一読者のたっての願いだ)

「一銭五厘の旗」花森安治 (2,530円(税込) B5判340ページ/ISBN978-4-7660-0026-9)       「この本の題の「一銭五厘の旗」とは庶民の旗、ぼろ布をつぎはぎした旗なのである。この本の全部に、その「一銭五厘の旗」を振りかざした著者の正義感があふれている。正義感ということばは正確ではないかもしれない。しかし、それに代わる適当な言葉が見つからない。よこしまなもの、横暴なもの、私腹をこやすもの、けじめのつかないもの、そういう庶民の安らかな暮らしをかき乱すものすべてに対する著者の怒りとでもいったらいいだろうか。(刊行当時の「毎日新聞」書評より)/『暮しの手帖』の基礎を築いた初代編集長・花森安治の思いが詰まった自選集、今なお輝きを放ちます。1972年(第23回)読売文学賞随筆・紀行賞受賞作」

「ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた
暮しの旗だ
」  

 「一銭五厘の旗」は、『暮しの手帖』創刊編集長の花森安治が、1970年(2世紀8号)に発表した「見よぼくら一銭五厘の旗」という文章に由来します(※銭、正しくは旁のみ)。/ 戦時中、満州に出征した花森は、上官から「貴様らの代わりは一銭五厘(当時の葉書一枚の値段)で来る」と罵られました。権力者の利益のために庶民が犠牲になる構図は、戦後25年を経ても変わっていないと誌上で訴え、錆びついてしまった民主主義を組み立て直そうと、暮しの手帖社の屋上に、端布を縫い合わせた「一銭五厘の旗」を掲げました。(「戦争を考える」『暮しの⼿帖』5世紀 37号・(2025年7⽉25⽇発売)

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 「暮らしの手帳」は健在ですか。ぼくには小さな因縁のある「雑誌」であり「雑誌社」でしたし、今でもそう思っています。花森さんは、当り前に自分であることをいささかも装わなかった人。誰が言ったか、「偉い人は目立つことはないよ」と喝破したのですが、どうやら花森さんはそういう人だったかも。目立ち過ぎたのは、時代・社会が未熟だったからであったかもしれない。

 (ヘッダー写真:大橋鎭子と花森安治「まじめに自分の暮しを考えてみるひとなら、誰だって、もう少し愉しく、もう少し美しく暮したいと思うに違いありません。より良いもの、より美しいものを求めるための切ないほどの工夫、それを私たちは、正しい意味の、おしゃれだと言いたいのです」花森安治)(「花森安治のデザイン」 新美術情報2017)

◎ 花森安治(はなもりやすじ)= [生]1911.10.25. 兵庫,神戸 [没]1978.1.14. 東京 ジャーナリスト,編集者,装丁家。1935年東京帝国大学文学部美学科卒業。第2次世界大戦中は大政翼賛会宣伝部に所属。「欲しがりません,勝つまでは」のスローガンを公募作から選ぶ。戦後,1948年に大橋鎮子とともに婦人家庭雑誌『暮しの手帖』を創刊。独自の商品テストによって,消費者の保護,育成を編集方針の根幹に掲げる。ビタミンCの含有をめぐる「ポッカレモン」の不当表示の告発,石油ストーブの消火法をめぐる消防庁との「水かけ論争」などは,出版史上に残る。雑誌に他社の広告を載せると,その雑誌の自立性が失われるという信念から,自社の出版物以外の広告を載せない方針を貫いた。1956年菊池寛賞受賞。著書に『一戔五厘の旗』(1971)がある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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栄耀栄華も人の金、…あとは野となれ大和路ゃ

【日報抄】ドイツの男子サッカー1部リーグ、ウニオン・ベルリンの監督に今春、マリールイーズ・エタさんが就いた。シーズン中の交代ながら、欧州5大リーグ初の女性監督となった▼負け越していたチームで残り5試合だけの指揮だったとはいえ、2勝2敗1分けの成績を残した。伝統ある欧州のサッカー界に風穴を開ける抜てきだったといえる▼その欧州では、多くの王室が男女を問わない長子優先の王位継承制を採る。1980年ごろから、男女平等や王室維持の観点から法改正が相次いだ。オランダもベルギーも現在、王女が継承順1位となっている▼日本では時計の針が止まっているのだろうか。皇室典範の改正案が参院できょう審議入りするが、皇位の「男系男子」継承の存続を強くにじませる内容だ。2年前に国連の女性差別撤廃委員会が皇位を男子に限る日本の皇室典範は改正すべきだと勧告したが、日本政府は抗議し、拠出金拒否の対抗措置を取った経緯もある▼人口減少に直面する国内各地で「女性に選ばれるまち」を目指しジェンダーギャップの解消などが掲げられる。ただ、多くは少子化対策の文脈で語られがちだ。「子どもを産んでほしいだけという思惑が透けて見える」と女性側の不信感も聞こえる▼戦時中、女性は労働力を補うために動員され、戦後は再び家庭や補助的役割に押し戻された。女性を「男性を補う駒」としてしか見ないような風潮が根強く残る。未来を担う若い世代の目にこの国はどう映っているだろう。(新潟日報・2026/07/15)

 このところ二度三度と「後は野となれ山となれ」という、一種の捨て台詞を使っています。「勝手にしやがれ、後はどうなとなるがいい」という、まさに「開き直った」見苦しい、あきれ果てた態度というべきでしょう。このセリフの源は浄瑠璃「冥途の飛脚」中の「栄耀栄華も人の金、果は砂場をうち過ぎて、あとは野となれやまとぢゃ、足にまかせて」にあるとされます。飛脚問屋の忠兵衛がタイマイの金を盗んで遊女梅川と逃避行。その際に吐いたのが「あとは野となれ大和路や」でした。(ぼくはこの浄瑠璃は何度か文楽のテレビ番組で鑑賞したものでした)

 今、永田町では令和版「冥途の飛脚」が上演されています。舞台も終幕近く、齢八十数歳の「亀谷忠兵衛(A副総裁に擬せられる)」と、奈良出の遊女「梅川(T総裁に瓜二つとも)」の、文字通りの「道行き」が終幕を迎えているのです。幕間には、すったもんだのさまざまな「出入り」がありましたが、いよいよ令和版「冥途の…」は佳境に入り、大団円となる予定。(*「(道行き) 浄瑠璃や歌舞伎で、主として男女が連れ立って旅行などををする場面。また、その所作。駆け落ちや心中などの場合が多い。」デジタル大辞泉)

 この後は、「冥途」(「仏語。死者の霊魂の行く世界。あの世。地獄・餓鬼・畜生の三悪道をいう。冥界。黄泉。よみじ」同前)に移り、まさに「黄泉(よみ)の国」の場面へと展開します。そこは、おどろおどろしい「ヨモツシコメ(別名サナとも)」もいる異郷の世界。機会を改めて語ることがあるかもしれません。まずはその前段階で、永田町劇場「冥途の飛脚」をご笑覧くだされ。(ただ今、7月15日、午前8時。室温28.7℃、湿度79%。パソコン部屋には冷房機(エアコン)なし。やがて、「高温注意」の警告音がパソコンから鳴り出す予定。大事になる前に、「これにて、本日の打ち止め」)(写真右は「島根県松江市東出雲町にある黄泉比良坂(よもつひらさか)」です)

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◎ めいどのひきゃく【冥途の飛脚】 浄瑠璃。世話物。三巻。近松門左衛門作。正徳元年(一七一一)頃、大坂竹本座初演。大坂の飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛は遊女梅川になじみ、金に困っていることを友人八右衛門に暴露されて逆上、公金三百両に手をつけて、梅川とともに郷里新口(にのくち)村に逃げ、実父に別れを告げるが、捕らえられる。近松の代表作の一つ。八右衛門を敵役にした改作がしばしば上演される。梅川忠兵衛。梅忠。(精選版日本国語大辞典)

あと【後】 は 野(の)となれ山(やま)となれ=[初出の実例]「栄耀栄華も人の金、果は砂場をうち過ぎて、あとは野となれやまとぢゃ、足にまかせて」(出典:浄瑠璃・冥途の飛脚(1711頃)中)(当面のことさえ済めば、その先のことや、その結果はどうなってもかまわない)(精選版日本国語大辞典)

◎ 冥途の飛脚 (めいどのひきゃく)= 人形浄瑠璃。世話物。3巻。近松門左衛門作。1711年(正徳1)3月《新いろは物語》の切浄瑠璃として初演されたという(《外題年鑑》)が確証はない。ただ,同年の初秋以前に,大坂竹本座で初演されたものと推定されている。実説の詳細も不明であるが,世間の評判となった事件らしく,浄瑠璃にも歌舞伎にも先行作がある。大和新口(にのくち)村の百姓孫右衛門の子忠兵衛は,訳あって大坂の飛脚宿亀屋の養子となり,商才を発揮していた。しかし,新町槌屋の遊女梅川になじみ,遊興費にも事欠く有様。その梅川に身請け話が持ち上がり,忠兵衛は向うを張って梅川を請け出そうとする。金に困った忠兵衛は,友人丹波屋八右衛門のもとに届けられた為替金五十両を着服,手付けに当てる。事情を知った八右衛門は,忠兵衛の行く末を案じ,廓に行って一切を語り,彼を寄せつけぬようにと頼む。それを立ち聞きした忠兵衛は立腹し,男の面目を立て,梅川の無念を晴らそうと,懐中していたお屋敷の為替金三百両の封を切って八右衛門にたたきつけ,梅川を請け出して新口村に落ちて行く。2人は孫右衛門によそながら別れを告げて逃げ延びようとするが,捕らえられる。本作以後,《けいせい恋飛脚》や,それを歌舞伎化した《恋飛脚大和往来(こいびきやくやまとおうらい)》(〈こいのたよりやまとおうらい〉とも。通称《梅川忠兵衛》《封印切》《新口村》。1796年1月大坂角の芝居)などの改作が現れたが,いずれも八右衛門を敵役として強調しているため,一途ではあるが破滅的な忠兵衛の愛を描く原作の焦点はぼけてしまっている。(改定新版世界大百科事典)

◎ 冥途の飛脚(めいどのひきゃく)= 浄瑠璃義太夫(じょうるりぎだゆう)節。世話物。三段。近松門左衛門作。1711年(正徳1)大坂・竹本座初演。当時実在した飛脚屋の為替(かわせ)金拐帯事件に基づく「梅川(うめがわ)忠兵衛」の情話を脚色したもの。大坂・淡路町の飛脚問屋亀屋(かめや)の養子忠兵衛は、新町槌屋(つちや)の遊女梅川となじみを重ね金に窮し、友人の丹波屋八右衛門(たんばやはちえもん)に借金50両を融通してもらう。八右衛門は忠兵衛の将来を案じ、新町の揚屋で遊女たちに一件を披露し、廓(くるわ)から彼を遠ざけようとする。しかし、偶然廓に来て立ち聞きした忠兵衛は、かっとなり侍屋敷に届けるべき為替金の封印を切って、50両を八右衛門にたたきつけ、残りの金で梅川を身請けする。忠兵衛は梅川とともに故郷新口村(にのくちむら)へ落ち延び、実父孫右衛門によそながら対面し、裏道から逃げようとしたが途中で捕らえられる。激情型の忠兵衛と可憐(かれん)な遊女梅川との情愛を細やかに描いた名作。改作には浄瑠璃に紀海音(きのかいおん)の『傾城三度笠(けいせいさんどがさ)』、菅(すが)専助らの『けいせい恋飛脚(こいびきゃく)』、歌舞伎(かぶき)に『恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)』などがあり、舞台ではもっぱら改作の「封印切」「新口村」が演じられていたが、最近は近松の文学性尊重の立場から、原作どおりに上演されることも少なくない。(日本大百科全書ニッポニカ)

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淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて

 どうでもいいことのように思われてくるのですから、ぼくも、いよいよ焼きが回ったなあと、漫(そぞ)ろ悲嘆に暮れかかってしまう。永田町の政治と言えば聞こえはいいが、何のことはない、誰彼かまわずに暴力沙汰に及ぶ、そんな荒廃した永田町立政治学校の中で、特別に破綻をきたしている国会(教室)の「目も当てられない学級崩壊」状況を連日にわたって見せつけられています。この学級を抑えているつもりになっているのが、媚を売り、やたらに威張るだけが得意芸の、無能無恥な「女番長(Female Gang Leader)」とくれば、それを裏から操っているつもりの、老い先長くない「権力爺さん(Power-hungry)」も睨みを利かせるという、醜悪な国家略奪一味の「大和・夏の陣」です。

 この老人のたっての祈願が「男系男子の天皇(継承)」とやら。なんだか「方丈記」が描く「御所(神御一人)」と切り結ぶ「平氏一族」の徒な政略に似て来るから奇怪至極です。「やくざ紛(まが)い」に「ハングレ集団」が徒党を組んでいるという日には、「鬼に金棒(引き)」で、どこまで墜ちる「政道」ぞ、というほかありません。「金棒引き」とは「 うわさなどを大げさに触れ回る人」(デジタル大辞泉)を言う。大方のメディアもまた、御用新聞・御用聞きテレビですね。「世界は日の出を待っている」談ではなく、「世界は倭(やまと)を嘲笑(あざわら)ってる」んですな、あんなに程度の低い、しかも人倫においても酷い国だったか、これでは、「昔(日米戦争時)といささかも変わってないじゃん」と言っているようです。

 永田町で生じている「国会毀損劇場」は「白昼夢」ではなく、昨日、今日と実際に生じている「リアルポリティック」であると気が付けば、まことに嘆かわしいとばかりも言っておれないのです。暑さと高湿度で、もう卒倒寸前。お家の一大事なのに、「家の跡取りをどうする」「家を出ている、誰それに養子を迎える」などと、悠長な皇室談義です。石油は高騰の上に、輸入量が不足することは誰もがわかっていること。円安は物価高を齎(もたら)し、国の借金が嵩(かさ)みに嵩んでいるから、長期金利(10年物の国債金利)は3%目前。政府はここにきて、年金機構の財産に手を付けようと、禁じ手破りに乗り出したよう。《「令和のPKO」急浮上 GPIFで国債買い支え論、市場は疑問視》と日経新聞(2026/07/13)が報じる。背に腹は代えられぬというのかどうか。おそらく、もはや手遅れの感が強いのだが、いってみれば「お家騒動」にうつつを抜かしているのですから、お目出度い「神話の国」ですな。

 本日、小生の俎板(まないた)に載せたのが(昨日付の朝日新聞のコラム)「素粒子」です。「素粒子」が新聞本体の「アキレス腱」ではないかという世評もあるほどに、老化著しい本体にあって、一人気を吐いている風情があります。一人気を吐けば吐くほど、本体が気息奄々となるという珍現象。末期の修羅ですね。❶「ジェンダーはジェンダー」でしかない、建前の議論さ。「男尊女卑」こそがこの島国の麗しい伝統だと男議員も女議員もこぞって言い立てるのは、「天皇」という存在を尊敬も尊重もしていない、あからさまな証拠。あるいは「人間」ではないとまで思っているのかも。その昔に、「女は子どもを産む機械」との賜った与党議員がいた。今だって、ね。❷党派的対立を抜きにしたら、全体主義、だからO代表は本音を語ったにすぎませんが、語るに落ちるとはこのこと。「全体」の一部に「ナリタヤ」という醜態の一場面。この「中道」は政治の外道であって、消滅直前の足掻(あが)きすら見せられないのだ。❸誰が言う、「安倍氏は戦う政治家」だったと、か。小心で、内弁慶の「売り家 と 唐様で書く 三代目」でしかなかったと、ぼくは断じるよ。弱い者いじめを十八番にしていただけの小物でしたね。悪事を重ねて、最後は逃げたではないか。この「史上最長政権」首相に懸想をしたのが、現首相だったが、元首相、本音のところは、「袖にしたかった」そうです。

 と、「素粒子」ごときに悪態をついても始まりません。現行「皇室典範」は、何処まで行っても「男尊女卑」が背骨。背骨を脱したら、皇室の権威も伝統もなくなるというようですから、背骨付きでやらせればいいとぼくは考えている。「後は野となれ、山となれ」ですね。ここにきて、ぼくは「方丈記」の冒頭が自然に口をついて出てきます。「淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)」は消えたり現れたり。しかし、どこまで流れようが、「泡沫(うたかた)(ほうまつ)」は「あわ」「あぶく」でしかないではないか。やがて、その泡沫さえもが、潰える運命にあるのです。

 図らずも、この国は「神話」を、今もなお持ち出す、絶滅危惧国家です。「万世一系、2680年、126代」にわたって、連綿と続く、世界に稀なる「天皇統治」国家だという触れ込みは、百五十年前にも持て囃され、今も「永田町」では「伝家の宝刀」視されている「神話仕立て」なんですよ。こんな物珍しい「物語(ミュートス)」を背広でネクタイのあんちゃんやスーツ姿に真珠のネックレスの姐さんたちが、真顔で口にするのですから、手に負えない頽廃の極北にあるというべきでしょうね。

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◎ 天孫降臨【てんそんこうりん】=天皇家の由来と古代国家の起源に関する神話。6―7世紀の成立とされる。記紀によれば,天照大神が孫の瓊瓊杵(ににぎ)尊に神宝(三種の神器)を与え,天壌無窮の神勅を発し,天児屋(あめのこやね)命などの神々を供に高天原から日向(ひむか)の高千穂峰に降臨させたという。天皇家の絶対的神聖化を意図する神話で,天壌無窮の神勅は敗戦まで日本の国体の基礎をなすものとされていた。(百科事典マイペディア)(⇧写真は宮崎・高千穂神社)

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◎ 方丈記(ほうじょうき)= 鎌倉初期の随筆。一巻。鴨長明(かものちょうめい)作。1212年(建暦2)3月成立。書名は長明が晩年に居住した日野の方丈(一丈司法、すなわち約3.3メートル四方)の草庵(そうあん)にちなんだもの。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観を表白する流麗な文章に始まり、五つの大きな災厄がまず記述される。京都の3分の1を焼き尽くした安元(あんげん)3年(1177)の大火、治承(じしょう)4年(1180)の旋風、同年、平清盛(きよもり)によって突如強行された福原(現在の神戸市付近)への遷都、養和(ようわ)年間(1181~82)の大飢饉(ききん)、元暦(げんりゃく)2年(1185)の大地震と打ち続く大きな災厄の前にあえなく崩壊していく平安京の光景が迫力ある筆致で描かれる。そして「すべて世の中のありにくく、我が身と栖(すみか)とのはかなくあだなるさま、またかくのごとし」と、この世の無常と、人の命のはかなさが強い語調で結論づけられる。続いて長明に訪れた「折り折りのたがひめ(不遇)」のため、50歳ころ出家、60歳に及び日野に方丈の庵(いおり)を構えるに至った経過が述べられる。庵の周辺は仏道の修養、管絃(かんげん)の修練には好適の地で、そこは長明に世俗の煩わしさから解放された安息を初めて与えた地であり、「仮の庵(いほり)のみのどけくしておそれなし」と賞揚される。しかし、末尾に至り、閑寂な草庵に執着する自らを突然否定し、「不請(ふしゃう)の阿弥陀仏(あみだぶつ)(人に請(こ)われなくとも救済の手を差し伸べてくれる阿弥陀仏の御名の意か)」を唱えて終わる。(↷)

 前半でこの世の無常を認識し、後半において草庵の閑居を賞美、かつ末尾ではそれらを否定するという一編の構成はきわめて緊密である。漢文訓読調を混ぜた和漢混交文は力強く、論旨を明快なものとしている。とりわけ五大災厄の描写は緊張した文体で、的確、リアルできわめて印象的である。慶滋保胤(よししげのやすたね)の『池亭記(ちていき)』(982成立)などを倣ったものと考えられるが、『平家物語』(13世紀後半成立か)をはじめ、後の中世文学に大きな影響を与えており、『徒然草(つれづれぐさ)』(1331ころ成立か)と並んで、中世の隠者文学の代表である。大福光寺本は鴨長明の自筆かといわれる写本で、その価値は高い。五大災厄の部分を欠く「略本方丈記」といわれるものもあり、長明の自作とも後人の偽作ともいわれ、定説をみない。(日本大百科全書ニッポニカ)

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