この駄文はAIが作成したのでしょうか

 毎日飽きもしないで「駄文」を書き殴り続けています。何のためというなら、筋トレならぬ、脳トレだと言い訳したくなりますけれど、劣化しきった脳を鍛えたところで、再生するでもなく、一層劣化を促すだけだということは、ぼくにもよくわかっています。それでも書き殴りを辞めないのは、劣った脳なりの「抵抗」というか、どうせだめなら、とことんだめになってやろうじゃないかというのでしょう。ここまでくると、駄文作成はぼく自身の手に負えなくなっている風でもあるのです。

 このところ、そんな人間能力の欠陥や不足を補うためなのか、それとも新たな「擬似脳細胞」の誕生(発明)とでもいうのか、驚くほどに各種の「AI」がもてはやされています。この地球は「AI」で持っているといわぬばかりの大流行。ぼくが毎日使っているパソコンにも、知らない間に「AI」の手先足先が入り込んでいるらしく、この駄文を書いているさなかにも、「AI」を使いませんかという誘惑というか「罠」が仕掛けられています。当方から望んで、「AI」の片りんといえども使いたくないので、もっぱら、己の壊れた脳細胞をだましたりすかしたりと、危険な賭けを試みている次第。

 時代の風潮に、ぼくは勿論、掉さすものではないし、逆に「世の趨勢に背中を向ける」つもりはないのです。苦々しい思いで生きているのですから、ぼくの「生息範囲」は驚くほど狭められてきているというわけです。こんなことは今までにもあったでしょうし、そんな時代の歩速に後れを取らないで生きてきたというつもりはありませんが、少なくとも時代の空気は呼吸させられてきたのでした。生まれてこの方、ぼくは大嫌いな人ごみの中で生活してきたし、もっとも忌み嫌っていた「学校」という「人間性破壊工場」にも、人並みに閉じ込められてきました。考えるまでもなく、これは行くべきではなかったと、返す返すも残念なことだったと思っています。

 御託はここまでにして。さて、以下の「コラム」を読んでください。この島社会にあって、ほぼ絶滅危惧種と目されている新聞紙の中で、それでも「言うべきこと」「書くべきこと」を実践している、数少ない新聞社であるとぼくは見ている西日本新聞の記事です。本日は「窓 編集局から」というコラムの、わが駄文集録における初登場です。題して「新聞とAIの距離感は」という。新聞編集に、今ではAIは不可欠であるというのでしょうか。ここでは人間の書いた原稿を、AIの鋭敏な感受性で訂正してもらうという、実に陳腐な試みが紹介されています。

 「編集局ではAIによる業務改革や新たな情報発信の在り方を模索中ですが、その前提として、ガイドラインに『報道記事作成や写真撮影は記者の仕事の根幹』と明記しました」と、さも重大事のように断りを入れておられる。「侵略」はここまで来ているのかという、ある種の「諦念」がぼくには沸いています。「情報整理や校正校閲補助にAIを使う場合も、何をどう伝えるかの判断主体は記者であり、最終的な確認と責任は人間が担います」と言わずもがなの意見が出ているのを見ると、いずれ遠くない日に、「営業車の自動運転」よろしく、記事はすべてがAI主導になるという予告であり、予言のようにも聞こえてきます。

 新聞とAIの距離感は【窓 編集局から】

 次の原稿の誤りを見つけてください。(内容は架空)
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 全国的に暑さが厳しく、福岡市内では最高気湿35度以上の猛暑日を記録した。南区日佐の保育園では熱中傷予防講座があり、園児たちが「エアコンをつかいまょう」と声を合わせた。高校野球福岡大会では、突然の激しい雷雨により、試合開始が午後ずれ込んだ。
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 いくつ分かりましたか?
 編集局では昨年から「AI校正校閲ツール」の研究を進めています。人工知能(AI)を使い、誤字脱字や公共施設名、公人名などの誤りを検出する仕組みです。前記の原稿については「×日佐→○曰佐(おさ)(日と曰の地名誤字)」など5カ所の誤りを指摘しました。
 AIが常に正しいわけではありません。当初は正しいものを誤りとし、明らかなミスの見逃しもありました。でも調整を重ねる中、紙面掲載前のミスを見つける事例も出てきました。
 一方で読者からは「記事の書きぶりに違和感があった。AIが作成したのでしょうか」といった不安の声も届くようになりました。
 編集局ではAIによる業務改革や新たな情報発信の在り方を模索中ですが、その前提として、ガイドラインに「報道記事作成や写真撮影は記者の仕事の根幹」と明記しました。情報整理や校正校閲補助にAIを使う場合も、何をどう伝えるかの判断主体は記者であり、最終的な確認と責任は人間が担います。AIツールに関しては、入力情報が第三者への回答に再利用されない、適切な環境での運用を徹底していきます。
 現場へ行き人に会い、読者に届ける1次情報を集める。正確で質の高い報道を続けるため、記者が取材・執筆に集中できる環境をAIも使って整える-。これが本紙の現時点でのAIを巡る考え方です。読者の声も踏まえつつAIと適切な距離感を築いていきます。(報道センター部次長・田篭良太)(西日本新聞・2026/07/24)

 【答え合わせ】(1)日佐→曰佐(2)気湿→気温(3)熱中傷→熱中症(4)つかいまょう→つかいましょう(5)午後ずれ込んだ→午後にずれ込んだ

 「次の原稿の誤りを見つけてください。(内容は架空)」と断って、例文「全国的に暑さが厳しく、福岡市内では最高気湿35度以上の猛暑日を記録した。南区日佐の保育園では熱中傷予防講座があり、園児たちが『エアコンをつかいまょう』と声を合わせた。高校野球福岡大会では、突然の激しい雷雨により、試合開始が午後ずれ込んだ」という短文中の誤りを、わざわざ「AI」に指摘させたという。「現場へ行き人に会い、読者に届ける1次情報を集める。正確で質の高い報道を続けるため、記者が取材・執筆に集中できる環境をAIも使って整える-。これが本紙の現時点でのAIを巡る考え方です。読者の声も踏まえつつAIと適切な距離感を築いていきます」と、会社のとるべき姿勢を書かれていますが、いかがでしょうか。ぼくにはよく理解できない記事ですね。

 新聞記事は人間(記者)が書く、その誤りはAIが見つけるという、まるで「役割分業」の方向を強く示唆されているのでしょうか。それが間違いだというつもりはありません。でも、この例文中に「5つの間違い」があることを、わざわざAIを使って発見・証明するというお芝居は何のためなんでしょうか。目下、この新聞社ではまさしく「伏魔殿」然としてどす黒くか、鈍い輝きをさらしている福岡県議会の「積年の不祥事」を暴き出しています。どうして今どきと、ぼくなどは言いたくなりますが、それでもやらないよりはいいという気もしますので、応援を買って出たいくらいです。でも、県議会の「真っ黒のうわさ」は疾(と)うに知られていたこと。議長や副議長になるには相当な金が求められたという経験者が名乗り出ています。県議たちの政治資金パーティには県庁の幹部連数百人が給料天引きで「パー券購入」という伝統もあり…。金にまつわるもろもろの「違法行為」「脱法行為」は猫や犬だって知っていたのではないんですか。

 「AIと関係を結ぶ」ことがすべて不可というのではありません。誤字脱字探しだけに限定できる性格のものではないということを知っておられてもなお、しおらしいことを言われているのではないですか。そして、ぼくはこんな怪しい機器(アプリ)を駆使する新聞社は、間違いなしに墓穴を掘っているというほかないと考えています。(かつては全国紙でクオリティペーパー、などと歯の浮くような評価を否定もしないでいい気になっていたA新聞の「没落」ぶりは誰の目にも明らかです。間もなく「アサヒ」は出ない日が来そうです。その企業のトップが、「AI全振り」などとという「戯(たわ)けたこと」をほざいていました。「AI全振り」なら、すでに経験済みの、並み居るネット上の魑魅魍魎軍が抜きんでているでしょう。だから、この新聞社の社長が何を言いたいのか、ぼくにはよくわからないんですね。詳細は省きますが、全振り宣言以降も購読者数は減少し続けているし、中途退職者は引きも切らない事態が起こっている。もういくつ寝ると「お陀仏か」と、まさに秒読みに入っているんです。

 現下、世界経済の唯一の儲け頭と目されている「AI」、この新機軸は人間の下請けに甘んじることはまずありません。人間を支配下に置くように、「AI」は、それこそ成長しているのでしょう。でも、さしもの「AI」にも、昨今、破綻が見えているようにも、ぼくには思われます。猫も杓子も「AI」、「AI」でなけれな夜も日も明けぬという時代は、短くも、意外に脆(もろ)かったということになりかねません。人間が使う「道具」で甘んじている限りは安全だと、誰しもが考えるのでしょうけれど、それは、ともかく「agent」であることが本領だと、多くの開発者は目論んでいる。だから、人間を支配し、統制するところまで行くつもりではないでしょうか。それを達成するためには、しかし、あまりにも投資額が膨らみ過ぎるところにも、大きな限界点があるようです。AI栄えて、人間生活はしぼむ。

 「AIと適切な距離感を築いていきます」と西日本新聞のコラム氏は書かれています。果たして、そこにどんな良好な関係が存在するのでしょうか。なんとかかんとか言いつつも、ぼくには新聞(会社や記者)は「墓穴を掘っている(To dig one’s own grave)」としか思われません。

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やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

【河北抄】
 きょうは、暑さが一年で最も厳しいとされる二十四節気の「大暑」。夏本番を迎え、外出すら極力控える高齢者が多いが、30年ほど前は少し緩かったようだ。
 <真夏日に老いの運動鎌と草>。仙台圏のシニア向け月刊フリーペーパー「みやぎシルバーネット」の名物コーナー「シルバー川柳」。1996年の創刊から間もない時期の作品が目に留まった。
 投稿したのは当時70歳の男性。真夏でも草刈りを良い運動と楽しむ余裕がまだあった。最高気温35度以上が猛暑日と名付けられたのは2007年だった。
 「この30年でお年寄りの暮らしも気候も随分変わりました」と編集発行人の千葉雅俊さん(65)が言う。猛暑日が増えた近年は、切実な句も目立つ。
 <助けて脱水寸前蓋(ふた)取れず>。74歳女性が今年投稿した。慌てたり弱ったりしていれば、水分補給もままならない。
 河出書房新社が全国公募した句を交え、シルバー川柳の秀作を集めて年数回刊行する単行本の最新第30弾には、71歳女性の生命力あふれる句があった。<暑くても生きているのは楽しいね>(河北新報・2026/07/23)

 昨日の河北新報のコラム「河北抄」、まさに仰せの通りの「酷暑」続きで、長く生きてきて、年年歳歳、この「暑さ」が身に応えるのを、厳しく実感しています。昨年の夏、いつもなら草刈りに精を出すはずが、あまりにも暑すぎて、いつも通りの除草作業を中断していたら、あっという間に拙宅前の空き地(200坪ほどか)が、隣地から侵入してきた竹に地面を奪われ、また鳥や風がもたらしたか、桑の木が立派な成木に成長し、すっから自宅からの景観を奪ってしまった。春には蝶々が飛来し、菜の花が咲きと、得も言われぬ空き地の長閑さは、すっかり変貌し、今では「鬱蒼」とは言わぬまでも、立派な茂みとなってこんもりとその姿を一変させてしまいました。また、今年は、自宅内の庭の方々に、これまた隣地から忍び寄ってきた竹が驚くほど繁殖し、あっという間に、植え込みといわず軒下といわず、高く伸びて、初めて気がつく始末で、もう何本切り倒したことでしょう。

 昨日は「大暑」でした。「 二十四節気の一。7月23日ごろ。一年のうちで、最も暑い時期。《 夏》『念力のゆるめば死ぬる大暑かな/鬼城』」(デジタル大辞泉)その大暑の順序は「初候 7月23日〜7月27日頃 桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ):次候 7月28日〜8月1日頃 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし):末候 8月2日〜8月6日頃 大雨時行(たいうときどきにふる)」とあるように、まず「桐」の開花です(ヘッダー写真)。最近ではまったく目にしなくなりましたが、なかなかに貴重な樹木として,古来、尊重されてきたものでした。

◎ きり【×桐】= 1 キリ科の落葉高木。高さ約10メートル。樹皮は灰白色。葉は大形の広卵形で長い柄をもち、対生。5月ごろ、紫色の鐘状の花が円錐状に集まって咲く。実は熟すと殻が裂け、翼をもった種子が出る。材は白く、軽くて狂いが少なく、げた・たんすなどに重用。中国の原産。しろぎり。《季 花=夏 実=秋》2 紋所の名。桐の花と葉をかたどったもの。五七の桐・五三の桐・唐桐からぎりなど。3 《1の材で作るところから》琴。4 《2を打ってあるところから》大判・小判などの判金。また、金銭。「籠を出る鳳皇―の光なり」〈柳多留・七一〉(デジタル大辞泉)

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 「最高気温35度以上の猛暑日となった年間日数が各地で急増していることが23日、47都道府県の主要観測地点のデータで分かった。2024年は京都など2府県、25年には7府県で50日を超えた。100年前に当たる1926年以降、2023年までは類例がなく、最近の厳しい暑さが浮き彫りになった。特に直近5年間は増え方が著しい。今年も全国的に暑さが続き、今後も熱中症への対策が求められる。 共同通信が気象庁のデータを分析。都道府県内の気象台について、古くからデータが残る主要な観測地点を1カ所ずつ選び、1926年以降の猛暑日数を数えた。 2025年の猛暑日数は前橋、熊谷(埼玉)、甲府、岐阜、名古屋、京都、奈良で50日を超えた。本州の内陸で暑さが際立つ。24年は京都と熊本で50日を上回った。 京都では、21年は18日、22年は25日、23年は43日、24年は54日、25年は61日を観測。熊谷、甲府、岐阜などもこの5年間は増加傾向だった。/ 47観測地点の猛暑日の数を足し上げてみると、24、25年はそれぞれ計千日を超えた。」(上の図表も)(共同通信・2026/07/23)

                                                                                     

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 今年の春先に新調したOSが、このところの猛暑に音を上げ、基盤部内が高温状態で、まさに危機的事態にあります。予備用に据えているもう一台で、この駄文を書いている。容量も大幅に増やして(2TB)、駄文の山に対処しようとしていた矢先、残念ながら、修理待ちの状態に入ってます。今月いっぱいは無理で、少なくとも来月にかかりそう。記録的な暑さが来なくても、小生の下らぬ「駄文」「雑文」の乱発に突き合わされて辟易(へきえき)していたのは間違いないところ、器械といえども、その程度の評価はできるんでしょうね。当事者としては実につらいところ、しかし能力のなさを、いまさら託(かこ)っても仕方がありません。「ビーダーマイヤー(ビーダーマンとブンメルマイヤーの合成語で、「愚直な人」という意)」を自任して生きている人間にしてみれば、そろそろ「年貢の納め時」という自覚はあるのです。

 「《租税の滞納を清算する時の意から》悪事をしつづけた者が、捕まって罪に服する時。転じて、物事をあきらめなくてはならない時。「独身生活を謳歌したが、そろそろ―だ」」(デジタル大辞泉)とありますように、ぼく自身の自覚にかかわらず、もはやこれまでという終焉期にある、そんな感覚が時代社会の移り行きにもぼくは痛感しているのです。歌舞伎や芝居などでは「大団円」などと言います。「演劇や小説などの最後の場面。すべてがめでたく収まる結末についていう」(デジタル大辞泉)とあります。しかし、めでたしめでたし、と終わらないところが、この社会に生きる人間の宿命なのかもしれないと覚悟は決めています。

 繰り返し述べていますが、ぼくはスマホを持たない人間ですし、今どきの「チャットAI」や「生成AI」には無縁を続けているものです。しかし、何かと漏れ聞こえてくるところによれば、多くの人々の間では、もはや「AI」と絶縁することは不可能だというような、空恐ろしい話も聞きます。誰よりも相談相手は「AI」を、というのは何んとも奇怪な現象ではないですかと、ぼくは思うばかりです。軽い気持ちでの話ではないところも感じられるだけに、一面では由々しいという気もするのです。

 現下のイラン攻撃にアメリカ軍は「AI」を多用しているといいます。この先、コントロールを失った人間どもは、これまで以上に、あらゆる事柄を「AI」に依存するようになるでしょう。「自発行動型AI」が攻撃目標を特定して実際の行動に出たという話も、つい先日アメリカでありました。自分の足で歩き、自分の頭で考えるという、生き物としての「基礎能力」を失った時代がすでに来ているし、そんな「無力人間」が機器にすべてを依存させられている軽薄な事態に対して、為すすべを知らないとすると、悲劇の発生は不可避でしょう。パソコンを使うこと自体が、AIの介在を避けられない事態にあることを考えれば、なおさらに、ビーダーマイヤー然として、素朴な知能と技術(技量)に自分の制御(統制)しうる範囲を限定することは、思いのほか困難であることを自覚しつつ、なおそれにこだわり続けていきたいものです。

 表題句(「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」)は芭蕉作。元禄3(1690)年夏。幻住庵で秋之坊(=金沢・前田藩士だった武士で、蕉門の一員となる)に芭蕉が示した句。前詞に「無常迅速」とある。

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自分の売り込みに執心するだけ

 この「総理大臣」を選んでしまった「ツケ」を、これからも払い続けなければならないのでしょうか。誰でも国会議員になれる資格はあるし、国会議員であれば、首相になる人を選ぶ権利も、自分が首相になろうとする権利も持っています。代議制民主主義というもののいいところでもあり悪いところでもあります。今の首相には、あるいは二つの心が住み着いているのではないかと思う。その一つは、小心翼々で、他人の評価は何よりの強壮剤で、その点では極めて陳腐極まりない心の主でありながら、他方では、その小心(timidity)の裏側にあって、まるで自分には何でもできるという尊大な野心を隠さない強引さがあります。「国を強くする」という一点において、この御仁は明治期の「帝国主義」時代に先祖返りすることを画策しているのですが、その心は「空虚」です。はたして自分が本当にやりたいこと、国家権力者としてやりたいことがわかっているのでしょうか。ぼくにはとてもそうは見えません。

 端的にいえば、首相(総理大臣)になることだけが願いであって(Her only wish is to become Prime Minister.)、なってみれば、その地位を守るためには何でもするほかない事態に陥っているのでしょう。何日も寝ていないとか、あれもこれも精いっぱいという「頑張り」を吹聴するのは、自分には何もないからであって、自分はこんなに頑張っている、そんな私を認めてくれないはずはないといいたいだけです。困ったものだと放置しておれない、ある意味では破滅人間の窮状ではあります。バカは死ななきゃ治らないと、だれが言ったか。たぶん、死んでも治らないと思う。一刻も早く職を辞してほしい。この人物には「オリジナリティ(創意)」は微塵(みじん)もありません。すべてが他者の模倣。強面の振る舞いも目に余る媚態も、あるいは自己慢心も自己弁護も。こんな不埒な人物を持ち上げる、いわゆる「提灯(ちょうちん)持ち」も、予想外にたくさんいたものです。「ある人の手先となってそのひとををほめてまわること。また、その人」(デジタル大辞泉)はっきり言って、心にもない、自分を偽ることでしか国家に貢献しえないというのは、いかにも空恐ろしいことではないでしょうか。

 高市首相が多忙ぶりをアピールしている。自身のX(旧ツイッター)で20日午後10時半ごろ「就任以来、0~3時間睡眠が常態化」と投稿。明け方まで資料を読み込み、合間を縫って家事をする日常の苦労を訴えた。X上では「命懸けで頑張っている」「国会に出たくない言い訳だ」と賛否が分かれた。/首相は今月の週末について、21日に閣議決定した高市政権初となる経済財政運営の指針「骨太方針」や、国会答弁に向けた資料の読み込みなど「書類の山と格闘して過ごした」と説明した。共同通信の「首相動静」によると、今月の土日と祝日の計7日間のうち、5日は終日公邸から出なかった。/今回の3連休は「数千通もたまってしまったメール処理で月曜の明け方まで仕事に追われた」と明かした。20日は「久々に5時間も睡眠を取れた上、大量のハンカチやインナーのアイロンかけと、お裁縫を一気に処理」したとつづった。/平日は「公邸に戻ってから風呂掃除、入浴、夕食、夕食後の洗い物、洗濯、簡単な掃除まででプライベートな時間は精いっぱいだ」と吐露した。(共同通信・2026/07/21)

【有明抄】おまじない 痛っ。プロ野球で打者がデッドボールを受ける。顔をゆがめて倒れ込む。そこにスプレーをシューっと吹きかけると、何事もなかったかのように一塁へ◆スプレーの大した効果のように見えて「ほんとうは、効かないんです」。コピーライターの糸井重里さんが自ら使った体験を語っていた。あれは「イテーッ」と苦しみもだえる選手に、シューっとやるおまじないのようなもので、それが終われば「痛くないことにしよう」という儀式なのだと。本当かしらん◆スポーツの世界でなくても、おさな子がけがをすれば、手を患部に当て「痛いの痛いの飛んでいけ~」とおまじないをする。こちらは科学的にも根拠があると九州大の研究チームが突き止めた。ふれたことを脳に伝える「触覚神経」が痛みを抑える働きをしているという◆谷川俊太郎さんに「手と心」という詩がある。〈手を手に重ねる/手を膝(ひざ)に置く/手を肩にまわす/手で頰に触れる/手が背を撫(な)でる/手と心は仲がいい〉…。言葉以上のものを語りかける、ひとの手の不思議さを思う◆きょうは二十四節気の「大暑」。文字通り暑さが極まるころ。土いきれで吸う息まで熱い。熱中症を防ぐにも、手のひらを冷やすのが効果的らしい。厳しい夏を無事乗り切れますように。他人のことも、自分自身もいたわれるわが手に、そう念じてみる。(桑)(佐賀新聞・2026/07/23)

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ストリーツ・オブ・ミネアポリス

ああ ミネアポリス
おまえの声が聞こえる
血の霧を越えて
歌い続ける声が
ここは俺たちの家
それでも奴らは殺し
歩き回った
’26年の冬

この大地のために
この街に生きる異邦人のために
立ち上がろう
俺たちは忘れない
名を奪われた者たちを
ミネアポリスのストリートで

俺たちは忘れない
俺たちは忘れない

Streets Of Minneapolis 

Oh our Minneapolis, I hear your voice
Singing through the bloody mist
Here in our home they killed and roamed
In the winter of ’26
We’ll take our stand for this land
And the stranger in our midst
We’ll remember the names of those who died
On the streets of Minneapolis
We’ll remember the names of those who died
On the streets of Minneapolis
(https://www.sonymusic.co.jp/artist/BruceSpringsteen/info/580655)

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*Bruce Springsteen – Streets Of Minneapolis (Official Lyric Video)https://www.youtube.com/watch?v=GDaPdpwA4Iw&list=RDGDaPdpwA4Iw&start_radio=1)                             (cf.:https://www.sonymusic.co.jp/artist/BruceSpringsteen/info/580831

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朝日の昇る 勢ひ見せて ああ 勇ましや…

 現政権によれば、「皇室典範」改正と国旗損壊罪新設はワンセットであります。男系男子が皇統を継ぐのは2600年来のこの国の伝統(神話)であり、その天皇こそが我が国軍の大元帥陛下であるのですから、白馬にまたがり全軍を指揮するのは男性天皇に限るというもの。また、その男系男子が継承する地位(天皇)は国家のシンボル(象徴)でありますから、それを具体的に示唆するのが「国旗」(日の丸・日章旗)であって、それに対して敬意を失うことは許されない、無礼千万の「不敬」というのでしょう。「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する」(国旗損壊罪第二条)、これが法律です、ということが、そもそも間違っていますし、それも法として機能させるなら、なんだって法にできるでしょう。

 いずれにしても、わずか三時間程度という驚くべき短兵急(拙速)な審議で成立したのですから、「ご同慶の至り」というべきか。「軽薄の極北」というべきか。二つの法律制定が、ある時期になれば、とんでもない「躓きの石」なる事態をぼくたちは受け入れる羽目になるはずです。前へ向かう、あるいは未来からの現実再定義を「理想」とするなら、過去のある時期の形から物事を発想する姿勢や態度を「イデオロギー」といってみます。過去にとらわれて、現実を偽装することです。「大日本帝国憲法」体制への先祖がえりを果たすことが、この国、現実の急務であると、どうして考えられるのか、ぼくには理解が届きません。これまでさんざん、この問題に関して愚論を述べてきましたから、この先、これ以上はこの問題には触れないことにします。本日は語り収めというつもり。

【金口木舌】日の丸の時代に戻さない 日の丸の小旗を振り、出征兵士を見送った新垣芳子さんは、100歳になった今も、学校で教えられた軍歌をそらんじて歌える。日の丸であふれる侵略戦争の時代を生きた▼戦争の旗振り役は教育や新聞だった。1905年、元日の本紙は明治天皇の肖像と日の丸の絵を掲げた。日露戦争の“勝ち戦”の勢いに乗って日の丸や君が代が日常の隅々に浸透した▼「戦争に勝利した日本は優秀だと思い込ませ、アジアを蔑視した」。沖縄戦で野戦病院に動員された新垣さんの、誤った教育に翻(ほん)弄(ろう)された苦い記憶。国旗損壊罪を制定し、国民にナショナリズムをあおる今日に重なる▼トランプ米大統領は昨年、国旗焼却禁止の大統領令に署名した。国旗の焼却は「言論の自由」に含むという最高裁判決があるにもかかわらず。トランプ氏をたたえる高市早苗首相、ここでも追随したか▼日露戦争は英国とロシアの代理戦争でもあった。ロシアを警戒する英国と、朝鮮半島の権益を狙う日本の利害が一致した。各国への軍事行動で世界の秩序を壊す米国は日米同盟で何を狙うのか。再び戦争のお先棒を担ぐわけにはいかない。(琉球新報・2026/07/22)

 「戦争の旗振り役は教育や新聞だった。1905年、元日の本紙は明治天皇の肖像と日の丸の絵を掲げた。日露戦争の“勝ち戦”の勢いに乗って日の丸や君が代が日常の隅々に浸透した」と琉球新報のコラム氏は書く。おそらく、世界の一等国になったつもりで、ほとんどの国民が熱せられたフライパンの中で、舞い上がったに違いありません。世界の列強の仲間になったのだという、超歴史的な時代誤認識が、この国をあらぬ方向に進ませたのは、その後の歴史が示しています。(人でも国でも、「一番秒」に取り付かれると、どうなるか。かかる大時代意識は、今もなお、一部の政治家、その多くは権力を掌握している政治家集団ですが、そういう連中においてはなはだしい自己肥大化が見て取れます。「列島を強く豊か」にするとは、どういうことか、ぼくにはいささかもわかりません。国民を縛り、反政府を取り締まり、そしてなおかつ他国にを凌駕する政治体制(基本は軍事増強)を強調する、その魂胆がぼくにはまったくわからないのです。天皇を政治利用し、日の丸の旗を振り続ければ、世界の列強になれると考えているとしたら、もはや「狂人の域」に入っているでしょう。(こういう連中には、いつ来るか皆目わからないが、確実発生するだろう「南海トラフ」や、「急速に進む少子高齢化」という(超)自然現象は眼中にないのだ)

 「トランプ米大統領は昨年、国旗焼却禁止の大統領令に署名した。国旗の焼却は『言論の自由』に含むという最高裁判決があるにもかかわらず。トランプ氏をたたえる高市早苗首相、ここでも追随したか」とコラム氏は図星を指すと思われますが、可哀そうに、その米大統領はこの劣島国の首相を、あるいは歯牙にもかけていないのです。「彼女は俺のファンの一人だ」と広言している。アメリカから軽蔑され、他国からも異な国という目で見られていることを鈍感首相は感じないらしい。まだしばらく、この政権が続くでしょうが、間を置かず立ち往生せざるを得ないところに来ています。まず財政破綻が目の前に。限界のない借金頼みが、円安を呼び込み、それが物価高に連動し、長期金利の上昇を促進している。取り巻きや、多くの支持者は常軌を逸し、常識を欠いているでしょうが、マーケットは容赦も忖度もしないで利益確保にしがみつくものです。いまでは、日本売りが始まっているし、それをいいことにして物価高を放置しているこんな政治や政治家に、だれが尻尾を振るのでしょうか。この国にいささかの余裕もないようですよ。

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 小学校時代に何度か歌わされた記憶があります。「日の丸の旗」(唱歌)。あるいは、朝に夕に「朝日の昇る 勢ひ見せて ああ 勇ましや 日本の旗は」と、永田町の面々は歌っているのでしょうか。連日一睡もしないで「アイロンかけ」「風呂掃除」をしている総理大臣を何とかして、どこかの疏泄に入れて差し上げたいものです。寝ないで「働く」のは勝手ですが、自分は、どこかに行くのに、どこを走っているのか気が付かないのは、まさしく「無免許運転」ですよ。方々で事故を起こしているさなか、早々に引き取りを願うほかないでしょう。そのためにはマーケットと有権者、いや主権者が「言うべきこと」を言わねばならないのです。

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◎ 日の丸(ひのまる)= 日本の国旗。日章旗ともいう。わが国では古くから軍扇などに使用されていたが、江戸幕府はこれを船印として、城米輸送の廻船(かいせん)などに用いた。幕末に至り、対外的にもわが国の国旗を明確にする必要から、薩摩(さつま)藩主島津斉彬(なりあきら)らの意見をいれ、1854年(安政1)「日本総船印は白地日の丸幟(のぼり)」と定めた。明治政府も国旗を定める必要から、70年(明治3)太政官(だじょうかん)布告第57号で商船規則を制定し、「御国旗」のデザインや規格を示した。▼これによると国旗の寸法は縦横比7対10、日章直径は縦の5分の3、日章の中心は旗面の中心から横に100分の1だけ旗竿(はたざお)側に寄せることとされた。その後、海軍国旗章の制定などもあり、日の丸は日本の国旗としてしだいに内外に定着していった。第二次世界大戦後、一時国旗掲揚が禁止されたこともあったが、1949年(昭和24)にはGHQ(連合国最高司令部)の覚書により、日本国内での日本国旗の無制限の掲揚および使用が許可になった。▼ しかし、日の丸を国旗とすることについては、商船規則としての太政官布告に依拠する慣例的な扱いが基礎となっていたため、より明確な規定を定める必要があるとして、1999年(平成11)法律第127号をもって、「国旗及び国歌に関する法律」(国旗・国歌法)が公布・施行された。これによれば、国旗は日章旗とし、その制式は、縦が横の3分の2、日章の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心とし、彩色は地は白色、日章は紅色とされた。太政官布告の商船規則は廃止されるが、日章旗の制式については、当分の間、同規則に定める規格によることができるものとされた(附則2、3)。▼新法には、国旗・国歌に関する尊重規定や罰則はなく、国会審議でも、政府側は学校での日の丸掲揚などを児童・生徒らに強制することはないと説明したが、教職員に対する職務命令の強化など、強制をめぐる論議はなお不透明な面を残している。(日本大百科全書ニッポニカ)

「日の丸の旗」(唱歌)

白地に赤く 日の丸染めて
ああ 美しや 日本の旗は

朝日の昇る 勢ひ見せて  
ああ 勇ましや 日本の旗は


詞:高野辰之 曲:岡野貞一
(明治44年小学校唱歌)

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「百年河清を俟った」がダメだった

【金口木舌】紙の教科書、デジタルの教科書
 夏休みが始まった。8月末になり、宿題の日記やドリルを泣きながら仕上げた記憶があるが、今の子どもたちはどんな夏を過ごしているのだろう▼教室ではタブレット端末が当たり前となり、学びは変わった。デジタル教科書を正式な教科書とする改正学校教育法が成立し、2030年度以降は紙、デジタル、ハイブリッド型が導入される。一方、スマートフォンや端末に囲まれた生活は、視力や睡眠への影響も指摘される▼デジタル教育をいち早く導入した北欧で「紙の教科書への回帰」が注目される。スウェーデンは読解力や集中力低下への懸念から紙重視の政策へ転換した。環境の変化も踏まえ、紙とデジタルをどう使い分けるか模索が続く▼フランスに住む知人の娘が通う小学校では10日間、テレビや画面を見るのを控えようというプロジェクトがあったという。校内にチェスや将棋、カードゲームを教える場所が用意され、いい取り組みだったと教えてくれた▼デジタルの便利さを生かしつつ、紙のページをめくり文字を書く感触も大切にしたい。夏休み、画面から顔を上げ夢中になれる世界を楽しんでほしい。(琉球新報・2026/07/21)

 午前4時に起床。それから何をするでもなくパソコンの前に座っています。ただ今8時過ぎ。室温は28.5℃、湿度84%。まるで蒸し風呂に浸かっているような気分。とても爽やかではない。新聞コラムも、例によって、ネット上での立ち上がりは遅いし、大半が有料になっている。それでも何紙かは購読料を払ってコラムを読むのですが、これがどういうわけか、まるで冴えていない。著しく不出来だといえば、記者諸氏に失礼極まる、無礼千万にあたるでしょう。でも正直に言うなら、そうなんだよ、というほかないんですね。3時間も4時間も、パソコンの前で、まるで茹(ゆだ)るような状態で座っているのも、コラムの記事がネット上に現れないからであり、掲載されているものも、ひょっとして訂正(削除)されて、新規のコラムになっていはしないかと夢を見るような面持ちで待つばかり、でも現実は現実。

 そして、やむなく、本日のヘッダー記事にあるごとく、過去の時期の新聞の読者投稿欄の文章をひたすら眺め、読んでいる。引用したものの掲載年月日は不明ですが、おそらくコロナ渦中の時期のものでしょう。繰り返し読んでいる。「ひととき」は朝日新聞で1952年から始まったという。もう70年以上が経過します。ぼくは一度だって「投書」をしたことはない。ぼくの気質に合わないのだと思う。今朝は、過去の分をどれくらい読んだでしょうか。10編や20編どころではありません。新聞に投書したい人はいくらでもいるということでしょう。新聞社も、その健気(熱心)な読者のことに思いをいたし、もっと大事にしたらどうでしょうか。ろくでもない記事ばかりを書いては、ひたすら新聞をだめにするよりは、多くの読者の「投書」で新聞を作るほうが、はるかに「時代」にかなっていると思いますが、どうですか。

 「白いスーツで凛と」を繰り返し読んでみます。投書の主よりも、その主が描かれた一人の女性(罪を犯した少年の母親)に思いが及びます。今どきの学校のクラスに、ひとり親は一人や二人ではないでしょうし、素行がいい子ばかりではないでしょう。時代の波に晒される・掬(すく)われる親や子たち、それを見て紙内でか、手を差し伸べられない学校教育、十年一日のような学校・学級風景です。それに比べて、琉球新報の「金吉木舌」に記されている、この国の学校行政の不変性、どうしようもないところに来ているにもかかわらず、それを変えようとする意欲も動きもないのは、言うまでもなく、学校における「教育不在」のあからさまな証明でもあるでしょう。

 「デジタル教育をいち早く導入した北欧で『紙の教科書への回帰』が注目される。スウェーデンは読解力や集中力低下への懸念から紙重視の政策へ転換した」というのです。おそらく、教育の方面に限らず、いろいろな局面で、この国はあるべき方向への転換が、それを実践している諸国と比べれば、周回遅れが当たり前になっているようです。にもかかわらず、国の方向がより一層先祖がえりをするという「時代錯誤」「時代遅れ」を、あろうことか、政府は選択しているのです。政治も経済も教育も文化も、この社会では八方ふさがりを強いられている、その理由はどこにありますか。

 それほど昔のものではない、投稿欄「ひととき」の記事と、本日のコラム「金口木舌」の記事を並べて、暑気あたりで疲れているであろう、ぼくの脳中にはいろいろなことが思い浮かんできます。その内容は書くまでもない。書く必要もない。いつだって、具体的に生活に苦しみ困っている人たち(親や子)がいるのです。学校はそこに目を向けることを頑(かたく)なに拒んできたでしょうし、その隙間を縫って、個々の教師が苦しみながらも寄りそおうと苦悩・苦闘しているのでしょう。明治初期に始まった学校制度の常に変わらぬ、宿痾ののような「隘路」だと思われてきます。国や自治体は、この事態に向かって、何かしなくていいのでしょうか。

 (「ひととき」に触れたのは、まあ朝日新聞への、ぼく流の「惜別」というか、ひょっとしたら「墓碑銘」であるのかもしれません。この駄文集を書きだしたときにはそれほど鮮明ではありませんでしたけれど、今でははっきりと、「新聞の末期」を迎えていると、ぼくには実感できるのです。紙の媒体がなくなり、デジタル新聞もダメ、ハイブリッドも思わしくないという現状から、ぼくたちは、まともらしい情報をどのようにして手に入れることができるのでしょうか)

◎ ひゃくねん【百年】=河清(かせい)を[=黄河(こうが)の澄(す)むを]俟(ま) = 常に濁っている黄河の水の澄むのを百年もかかって待つの意。いつまで待っていても実現のあてのないことをいう。河清を俟つ。(精選版日本国語大辞典)

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鳳仙花の実をはねさせて見ても淋しい

【滴一滴」席をしても一人、でなく 〈咳(せき)をしても一人〉。たわいないが、忘れ難い。俳人尾崎放哉(ほうさい)が香川・小豆島で没してから今春で100年になった。その節目に、創作の内面を知ることとなろう。未発見とみられる212句が勤務先の社報から見つかったと山陽新聞デジタルの記事で読んだ▼季語や五七五で表現する定型から、形式にこだわらない自由律の俳句をよく詠むようになる移行期という。〈冬椿(つばき)留守別荘に風晴れて〉の定型に続いて〈騒ぐ児(こ)等(ら)去りて夕蜻蛉(とんぼ)一つ飛べり〉の自由律がある。放哉の最も早い自由律が前倒しされる可能性があるそうだ▼作品の変化は人生の「定型」を外れていく姿に重なる。東京帝大を卒業し保険会社に勤めたものの、酒の上の失敗で借金ができ職も家庭も手離した。流転の末、たどりついたのが小豆島の寺の離れだった▼とはいえ、周りの支えはあったのだろう。施しのことらしい、こんな句は知られる。〈入れものが無い両手で受ける〉▼放哉は41歳で亡くなったが、年を重ねれば、さらに支えが要る。昨年の国民生活基礎調査で、65歳以上の高齢者で1人暮らしの人は933万人を超え、最多となった▼頼れる親族らのない高齢者の支援を強化する社会福祉法などの改正法が今国会で成立した。日常生活や入退院などを助ける仕組みを整えたい。咳をしても一人、と痛感しないように。

 この駄文収録では山頭火と同じように、放哉さんも何度か、駄文の材料にしています。よくいう「人物、韜晦(とうかい)につき」という、そんな存在だったかと思う。余り適切な評価だとは、一見すると思われます。そこが放哉さんらしいという気もするのです。彼は少年時代は「神童(child prodigy)」と持て囃(はや)されていました。それだけの早熟の人だったのかもしれません。しかし、ある時期に思わない「障壁」に直面し、世を拗(す)ねたとも、世間に背を向けたともいわれています。その「障壁」とは、明かしてみれば、そんなことかよと、笑われそうですが、そこは「異数・異能の人」とされた、児たちもに認められた存在、あるいは気に染まぬことがあるのを我慢できなかったのかもしれない。

 彼の短い生涯を一瞥するに、自分自身を持てあましていたことは容易に理解されます。人づきあいが不器用で、短気な性格、何かことがあれば酒に溺れる、いわば「身を持ち崩す」に事欠かない人生行路だったと、ぼくには思われます。育ちの良さは、直ちに不器用な、要領の悪い生き方に直結したに違いないと拝されます。「他人が自分を受け入れてくれない」という前に、「他人を受け入れない自分」に意識が及ばなかったのだろうかと、ぼくは勝手に推察しています。まさに、「遁世」を図ったが、どこまで行っても世の中から抜けられないのもまた人生です。この辺りは、山頭火にも言えることでしょう。

 「出家」「遁世」といいますが、俗世を離れて、もう一つの世間に入るのですから、うまく振る舞うことができるはずもないのです。どこかで「妥協」を図ることがなければ、人生は破滅するほかないでしょう。山頭火も放哉も、そのような破滅への道を急いだのではなかったかと、俗に塗(まみ)れたぼく自身には見えてきます。そうではあっても、ここにもまた、まぎれもない「人生」が横たわっているのです。

・月夜風ある一人咳して
・お粥煮えてくる音の鍋ぶた
・爪切つたゆびが十本ある
・鳳仙花の実をはねさせて見ても淋しい
・入れものが無い両手で受ける
・せきをしてもひとり


(大正14(1925)年8月、井泉水の紹介で小豆島に渡る。西光寺の奥の院・南郷庵の庵主となった放哉は、酒と作句に明け暮れる。翌大正15(1926)年4月7日、病没。享年は四一)

◎ 尾崎放哉 (おざきほうさい)=生没年:1885-1926(明治18-昭和1)俳人。鳥取市生れ。本名秀雄。一高を経て東京帝大法学部卒。中学時代から句作し,1916年に帝大の先輩荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の俳句雑誌《層雲》に参加,種田山頭火(たねださんとうか)とともに,心のリズムのままに書く自由律俳句の代表的俳人となった。放哉は,23年に社会も家庭も放棄し,京都の一灯園に入所,以後,各地で寺男を務め,25年には小豆島の南郷庵に落ち着くが,その遁世は,個人主義の充満した社会からの逃亡であり,また,無一文の生活において人間の本来的なあり方を希求することでもあった。句集《大空(たいくう)》(1926)に集成された彼の句には,〈せきをしてもひとり〉のような深い孤独感とともに,個人主義を超えた人間のつながりが,〈島の女のはだしにははだしでよりそふ〉という素朴な感情のうちに示されている。26年4月,南郷庵で死去。存在をおおらかに肯定した〈春の山のうしろから煙が出だした〉が辞世句であった。(改訂新版 世界大百科事典)

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「徒然に日乗」(1158~1164)

◎2026年07月19日(日) 暑い一日だった。▼午前中に買い物で茂原まで。日曜日だったが、閑散としていた。猛暑のせいだろうか。このところの暑さで、疲れが残り、時間を見つけては睡眠をとっている。連日、猫たちに早く起こされているので、十分な睡眠がとれないのだ。暇を見つけて、なんとか睡眠時間を確保したいものだ。▼「皇室典範」改正案成立で、「宮中某重大事件」を想起している。山県有朋失脚のきっかけになった事件だ。「皇室典範」が改正されたが、改定後の法律運用をいかにして進めるか。自民党副総裁の挙動が今以上に注目されるだろうし、場合によっては「政局」が動き始めるだろう。(1164)

◎2026年07月18日(土)終日雨模様だったが、ついに降らないままで、高温多湿状態が続いた。劣島四囲の海上に多くの低気圧と一個の高気圧が重なり合って、互いにけん制している。この後の天気が気になる。おそらくすでに「梅雨」は明けたのかもしれない。関東北部では昨夜から激しい豪雨(一時間に100ミリ超えも)が襲っていた。いわゆる「線状降水帯」の連続だったと思う。降れば土砂降り、晴れれば酷熱、この先が思いやられるのだ。パソコンの調子が悪い。「熱中症」だと思う。「マザーボードの高温とその他、ヒートシンクとファンに気をつけろ」という警告が警告音とともに瞬時に出ては瞬時に消える。いよいよ製造者にお願いすることになるだろう。昼過ぎに、その製作者のS君に電話をした。7月中は「補講」が入っているので、8月になれば、拙宅に来るかも、ということだった。それまでに何とか、修復してくれればいいのだが。彼の息子は甲子園の大阪地区大会で2回戦まで勝っており、本日が3回戦だという。背番号は「1」。▼国会は8日間の延長で、維新が提案している副首都法案なる議案の成立を期するというらしい。きわめて個人的な義理(政権与党としての威信の参加)で国会を勝手に動かすのだから、この首相の能天気ぶりは論外のところに来ている。(国会は一日開くと3億円かかるという)(1163)

◎2026年07月17日(金)終日曇天続き。湿度の高い一日でもあった。▼国会の最終盤、国論二分の法案が続々通過。この内閣が一日続けば、この国は一日早く潰れる。それにしても、最悪・最低の総理大臣。本日の株式市場は4000円以上も下落した。世界を舞台に金の奪い合いをする「市場(マーケット)」だけは、どんな馬鹿な首相であろうが、いかなる背作であっても、いささかの忖度もしない。この首相、どこまで行けば、自分の馬鹿さ加減に気が付くのだろうか。駄目だろうね。▼「日経平均下げ幅歴代5位 キオクシア半値割れ、AI成長に疑念の連鎖 17日の東京株式市場で日経平均株価が大幅に続落し、前日比2694円(4%)安の6万4141円で終えた。下げ幅は歴代5位の大きさ。取引時間中には4130円安まで売られる場面もあった。世界的に人工知能(AI)産業の過度な成長期待が後退し、高値警戒感が売りを促す展開となった」(日経新聞・2026/07/17)▼夜十時前に卒業生のT君から電話。「今学習院大にいて、O教授と一緒だ」という。O君とは勤め人を辞める直前に会って以来。だから十五年ぶりだったろうか。彼(教育社会学研究者)はT大からW大へ、再びT大に戻って、今春から目白のG大学へ。なかなかに目まぐるしい「渡世」を送っておられる。元気で何よりだと思う。T君とも久しくあっていない。「暇な折にK君ともども拙宅に来てください」と話して電話を切る。(1162) 

◎2026年07月16日(木)昨日に続いて、猛烈な暑さ。パソコンが暑さで音を上げる。もう一台の方を使いだして、直撃する熱さを何とかしのいでいる。それにしても、あらかじめ予想していた通りの猛暑日の連続で、この先が思いやられる。まだまだ、序の口のような気もしている。とにかく、熱中症には十分に注意をしたい。▼国会は最終盤で、何もかもが「バタバタと決められている」ような気配。さらに、すべての法案を通すために若干の延長を図るという。「どうなと、好きにやれ」という気分だ。(1161) 

◎2026年07月15日(水)ただ今、午後9時過ぎ。室温29.7℃、湿度76%。つい先ほども「本体が熱くなった」との警告音が鳴る。電源を落として30分ほど休憩。昨日に続いて、3度目か。直射日光を遮るためのよしず屋根にもかぶせた。この部屋はトタン屋根なので、熱が室内にも伝わるのだ。▼昨日よりも、さらに厚かったかも。午前中の早い段階で、30℃を超えていたようだ。この暑さはまだ続きそう。梅雨明けが来たのかもしれない。(1160) 

◎2026年07月14日(火)本日は、たぶん今年一番の猛暑日だったろう。午前中、早くに(9時ころか)常用しているパソコンパから警告音(「マザーボードが熱くなりすぎているので注意」というような。昨日も警告音が鳴ったようだが、しばしパソコンの電源を切って、熱を下げるほかに仕方がないのだ。パソコンの部屋には、もちろんエアコンはない。南向きで、猫に壊されて、今は網戸も外してある。ガラス戸は締め切り状態で、古びた扇風機が一台、のんびりと回っているだけ。午前中の茂原の家電量販店で、卓上扇風機を購入した。大した効果があるとは思えないが、まあ一種の気休めか。▼ただ今、午後11時。室温29.2℃、湿度75%。明日も猛烈な暑さが続くそうだ。(1159) 

◎2026年07月13日(月)ただ今、午後9時20分。室温28.6℃、湿度81%。終日蒸し暑い日だった。高温多湿が異常・異様に感じられる。▼午前中に茂原まで買い物に。帰宅後は、外には出ないで室内に。▼イラン情勢はいささかも変化を見せないで、戦闘状態が続いている。まさしく、2月28日段階からほとんど変化していないような状況。先の展望は全く見えず。▼「日経平均67,242.73 -1315.00 NYダウ52,637.01 +149.60 ドル162.16-18 +0.47円安 NY原油74.00 +2.59 長期金利2.785 +0.025」「『令和のPKO』急浮上 GPIFで国債買い支え論、市場は疑問視 公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)をめぐる思惑に債券市場が揺れている。政府による年金資産の国内投資拡大を促す発言に、1990年代の株価のPKO(プライス・キーピング・オペレーション)を重ねる動きも出てきた」(日経新聞・2027/07/13)禁じ手に逃げ道を求めるという愚策に行くのか、この愚策続きの政府は。(1158) 

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