家族のゆくえ

 以下の一文は、民俗学者であった宮本常一さん(1907~1981)が著した『忘れられた日本人』におさめられている「名倉談義」から一部を引用したものです。昭和三五年に愛知県北設楽郡内に位置する名倉の地を宮本さんが訪れた際に土地の老人から聞いた話をまとめたのが「名倉談義」です。そこには、いまではまったくこわれてしまった村社会の姿や人間関係のありさまが眼前の事実として語られています。土地の古老、松沢喜一さんの語るところに深く耳を傾けたいものです。(無断改行の個所があります」

「名倉」は現在、愛知県設楽町の
一部となっています。

 《小笠原のシウばァさんのつれあいは、敬太郎といいまして、子供のときこの家の子になりました。わたしがまだ生まれていなかったと思いますが、そのころ西三河の幡豆郡の方はひろみでありながら、よほど暮しのむずかしいところであったそうであります。それであまった子供をこの方へ連れて来る者が多うありました。敬太郎の家もくらしがまずしうて、その母親が子をつれてやって来ましてな、方々の家へたのんであるいて、とうとう私の家へおいてかえったのであります。

 たのむといいましても、まあ、その家へいって「今夜一ばんとめて下され」とたのみます。たのめば誰もことわるものはありません。台所のいろりばたへあげて、夕食を出して、しばらく話をしていると、そのうちみなそれぞれへやへ寝にはいる。敬太郎のおふくろと敬太郎はいろりのはたにねるわけです。敬太郎のおふくろはそれがかなしうてならぬ。この子は自分がかえってしまったら、こういうように一人でここにねせられるかもわからん。そう思うと、「よろしくたのみます」ということができん。それであくる朝になると、「いろいろ、おせわになりました」といって出ていくと、とめた方も別にこだわることもなく、「あいそのないことで」といって送り出します。

 こうして家々へとまわってみて、親が気に入らねば、子供をあずけなくてもよいわけであります。敬太郎のおふくろも方々をあるいてみたが、どこの家も気に入らなかったようであります。それでわたしの家へ来た。わたしの家には、私の祖母にあたるモトというばァさんがいました。夕はんがすんでひときり話をして、みなへやへはいったが、モトばァさんが、「かわいい子じゃのう、わしが抱いてねてやろう」というと、その子がすなおに抱かれてねました。おふくろはそれを見て涙をながして喜んで、この家なら子供をおいていけると思うて「よろしくたのみます」といってかえったそうであります。

 それから敬太郎はモトばァさんに抱かれてねて大きくなりました。敬太郎は大きくなって親もとへ挨拶にかえったが、ふるさとの者にはならず、この土地のものになりました。私も敬太兄ィといってなにごとにも力を貸してもらいました。はじめはこの屋敷に家をたてて分家したのであります。そうして、わたしの家を本家にして出入りしておりました。シウさんはこの上の加藤の娘で、なかなかのしっかり者でありましたから、二人でかせいで、いまの場所へ大きい家をたてたのであります。

 この村にはもらい子が分家した者が何軒もあります。たいていは西三河の方から来たものでありました。もらい子の奉公人だからというて、むごいことをするようなことはなかったが、やしない養子には財産をあまりわけてやることはなく、跡つぎ養子には財産をゆずりました。

 わたしの家は、この村では古い家でありますが、分家も出したことがなく、たった一軒だけで何百年ほどつづきました。ところがわたしの祖父にあたる富作という人には子がなくて、上津具から国吉という子を跡つぎにもらいました。ところがこれは大して読み書きもできません。子がないのだからどうせもらうならもう一人もらおうということになって田口からもらったのが米作という人で、これがなかなかよくできた人だと富作もこの方にかかることになりましたが、これが私の父親であります。

 しかし国吉も跡つぎにもらったのですから、財産をわけんわけにはいけません。六分と四分にわけて家をたてたのが、いまの貞登さんの家で、血はつながっていないが、親の代は親類としてつきあいました。跡つぎ養子とやしない養子とはそれだけの差がありました。親類というのは祝言や葬いのときによい役がつき、また仕事の手伝いあいをします。やしない養子が分家すると、仕事の上で本家をたすけることが多くなりますが、いまわたしのうちと小笠原はそういうことはありません。祝儀・不祝儀の手伝いあいはいたします》

 家族が血縁関係によって構成されるのは基本ですが、それだけではないのも事実でした。「養子縁組」がそれにあたります。「名倉談義」に示されているのはその典型であるといっていいでしょう。その関係を持続させることで村社会を存続させてきたのでした。詳しくは延べませんが、いまでいうところの「姉妹都市」をさらに濃厚にしていけば、両者(姉妹)の間に婚姻が行われ、親類県警が生まれてくるでしょう。(なぜ「兄弟村」だの「親子町」がないのか、不思議ですね)(「親子の血縁のない者の間に、親と嫡出子の親子関係と同じ法律関係を成立させる法律行為」)(デジタル大辞泉)

 家族のかたちはさまざまです。法律の問題としてみれば、なにかと異論が出そうですが、寄り添って住まうという一点で考えれば、これからもいろいろな形態の「家族」がある可能性を否定する理由はなさそうだと思う。犬やねこなどの「ペット」も家族だという視点から「扶養手当」を支給する企業もあります。この先にはもっと多様な変化が「家族・家庭」に訪れるのではないでしょうか。(つづく)

平和に生きる権利があるがや

 おくにことば・土佐弁編(高知市周辺)訳した人・山猫母(F) 2007・6・12(改正)(http://plaza.rakuten.co.jp/tenamonya/)

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日本に住みゆうわたしらあは、/ わたしらあや孫子(まごこ)のために、/ こじゃんとココロに決めました。

ちゃんとした方法でわたしらあの代表を決めて、/ ほんでその代表を通じてこれからいごいていきます。

全部の国々となかようしよう、/ 自由の恵みが日本の隅々までいきわたるようにしよう、

お役人らあの勝手で二度と戦争がおこらんようにしよう。

この国で一番えらいがは、わたしらあひとりひとりながやきね / とふとい声でいうちょいて、この憲法をきめるがです。

国政いうがは、国のみんなあの信頼をいちばん大事。/ 権威はもともと国のみんなあのもんやし、/ 権限を使う人はみんなあの代表ながやき、/ みんなあがそれから得た利益を受けるがは当然ながです。

こんなことらあは人間やったら誰でもがわかっちゅう本質やき / わたしらあの憲法はこのやり方でいくがです。

わたしらあは誰がなんと言うたち、/ この考え方に合わんがやったら憲法やったち、法令やったち、/ 天皇さんの命令やったちいりませんということにします。/ そんながは、従わんでえいがです。

わたしらあは、この先ずうっと平和でおりたいいうて / こじゃんと強うに思うがです。

やき、ひと同士の間で絶対大事にせんといかん高い理想を / いっつももっちょくことにします。

わたしらあは平和を大事にしゆう世界中の人らあが、/ みんなあ正直でうそをつかんと信じます。

信じることで、わたしらあは平安に生きることに決めたがです。

わたしらあは平和を守って、/ どっかを支配しちゃりましょうとか、言うことをきかんかったら痛い目に / 合わせるとか、そんなヘゴをこの世から無くすように頑張りゆう

ほかの国々のなかで「日本はしょう頑張りゆうやんか」いうて / 尊敬されるばあの国になりたいと思うがです。

世界中どこの国の人も / 怖がったり、ひもじかったりいう難儀をせんずつ / 平和に生きる権利があるがやと思うちょります。

どこの国も、自分くだけがよかったら / ほかの国はどうでもえいわらあてことじゃのうて、/ 政治のモラルいうもんは持っちょかんといかんと思います。

自律した国として / ほかの国とつき合うときにはこの考えを / 絶対腹にすえちょかないかんと思います。

わたしらあは、日本いう国の名誉にかけて / このげにえい理想と目的をほんとにするように / 持っちゅう力を惜しまんと誓います。

■憲法前文の訳例

▽憲法前文(一部)

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 ▽土佐弁・朝倉中訳

あてらぁは、世界中のみんなあが、命がのうなることをおとろしがったり、かつえたり、ひもじかったりせんずつ、平和の中に生きていく権利を持ちゅうことを確認するがです。

 ▽関西弁・今津中(杉嶋亜紀穂さん)訳

ウチらは世界中の人らが、おんなじように恐怖と不足していることから免れて、平和の中で生きる権利があることを確認するわな。

 ▽ルー語+関西弁・同(橋本麻未さん)訳

Weはワールド中がノット恐怖、ノット貧乏のピーポーばっかりが、ピースの中で暮らしていけるっちゅうことをalways思とく。

▽青森県の30代の津軽弁

わんどだっきゃ、まるっと世の中(なが)のふとんどが、ふとづにおっかなみもけがじも無(ね)んであづますぐ生ぎでってもいんだやってわがっとぐぉん。

▽沖縄県出身の高知大生(22)と母(50代)、祖母(70代)の沖縄方言

わったーや、世界中ぬちゅが、ぬーん恐れず、飢えるくとぅなく、平和な暮らしをする権利があいんと認めやびん。(毎日新聞・10/05/01)

 「読売新聞」の記事中に、「党総裁として憲法改正を実施し、2020年の施行を目指す方針を表明した」とあります。この御仁は自分が「憲法を改正する」というんですよ。

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その他の関係へ

 《青春期のはじめ頃、わたしがいちばん印象深く感銘したのは、太宰治の「家庭の幸福は諸悪のもと」という言葉だった。時はあたかも敗戦直後の焼け跡の混乱期で、わたし自身はいわば徴用動員の工科系学生くずれといった身心のデカダンス状態にあった。(中略) わたしは太宰治の逆説的でもあり、自己劇化の優れた表現でもある「家庭の幸福は諸悪のもと」に感銘しながらも、心のどこかに若干の異和感も覚えていた。この異和感の根拠がどこからくるのか、当時はよくわからなかったが、老年期の現在ではとてもよくわかる気がする。実感だけに沿っていっておけば、「家族」のつくっている小集団である「家庭」にとって、幸福か不幸かという倫理的な課題は第一義の意味をもたないからだ。不幸はどこからでもやってくるし、幸福もまたどこからでもやってくる》(吉本隆明「家庭論の場所」『家族のゆくえ』所収。光文社、2006年)

 家族の問題。どんなひとも「家族」とは無縁で存在できないという素朴な原点を忘れないようにしたい。その家族問題について吉本さんが八十になって悟るところがあったとして、一冊の語り下ろしを公刊した。その根拠になったのが太宰治の家族を負の側面から描いた小説だった。いわれてみればたしかにそうで、太宰の家族論はおおきく偏光した風景にいろどられているようです。

 それはともかく、家族問題を考える視点として、吉本さんはふたつをあげておられます。

 そのひとつは個人に関する点です。家族を構成する個々人の相関関係(「対幻想」なることばで表現できるもの)という側面です。家族モデルということがしばしばいわれますが、モデルを示してなにをいおうとするのか。わたしにはよく理解できないところです。ひとつの家族だけでもつねに変貌しつつあるのですから、それを固定してとらえたつもりになったとして、その実態はかくされてしまうからです。形はいつでも変形し、壊されるものです。

 《…家族もまた、親和と反撥、幸と不幸にあざなわれた巨大な謎だとおもう。家族問題だけに専念できたとしたら、それだけで生涯を費やす大事業になることは疑いない。あなどってはならないとおもう。生理的・性(心理)的なことではなかろうか》

 もうひとつは、社会や国家に関する問題(「共同幻想」ということばで表される)です。

  この点にかかわって、こんにち社会的な関心をもたれているのは結婚しない人びとの増加と少子化という問題です。

《象徴的にいえば、女の人が男をバカにするようになったことだ。つまり「男女同権」 という旗を高々と掲げて―「結婚して出産するなんてわずらわしい」「結婚なんかしなくても経済的に自立できればそれでいいんだ」という考え方が蔓延してきたことである。 「出産拒否」と「晩婚化」といいかえることができる》 

 このような指摘はさらに加速度をはやめて坂道を下っているのか、上っているのか。

 家族の問題をかんがえようとするとき、どのような視点からとらえるか。多様であるようにみえても、じつはきわめて単純なことがらなのかもしれません。他人の始まりが「家族」だし、家族の始まりは「他人の関係」なんだと言ってしまえば身もふたもない話ですが、「家族の関係」に対立するような「他人の関係」、さらにはその他「ハイブリッドな関係」という視点も欠かせない問題として、ぼくは考えてみたいんですね。

 時代がどんなに変わろうと、それは人間が生活する環境にあらわれる表面上の変化であって、個々人の心理や意識の深部(内面)は変わらないというより、変えられないのだといえるかもしれない。とはいっても、見えないところでどんなことが生じているのか。

 親殺しや子殺しの原因、あるいは社会的な背景にはさまざまな要素がからんでおり、いちがいにいうことは適切ではありません。でも、すくなくとも「教育」「学校」「学歴」というものがそれぞれに対して大きな圧力となっていることは否定できないと思われます。

「学歴尊重」という社会現象(問題)がいまだに人心をつかんではなさないということになるのでしょうか。家族や家庭という「育つ―育てる」という場のあり方がそのまま教育(学校)問題に直結しているという点では共通しているのではないか。教育問題が家庭という小さな集団を直撃しているのです。

 そして学校においても「たがいに支えあう」という根本の働き(関係)が失われてしまえば、それはひたすら「学力・成績」や教師の評価を求めるだけの闘争の場とならざるをえない。また、そのような競技場になるためにひたすら猛進してきたのも事実ではなかったか。(つづく)

寛容と不寛容について

 《06年10月2日、米ペンシルベニア州のアーミッシュの学校に、同じ地域に住む非アーミッシュの32歳の男が侵入し、銃を乱射。13歳から7歳までの5人を殺害、5人の子どもに重傷を負わせ、自殺した。事件当日の夜から何人かのアーミッシュが男の家族を訪ねて男をゆるすと伝え、男の葬儀には大勢のアーミッシュが参列した。被害者の家族の何人かは娘の葬儀に男の家族を招き、数週間後には双方の家族が一堂に会して悲しみを分かち合った》(朝日新聞・09年07月08日)

 (ヘッダー写真は<Ohio Amish children>(https://cl.pinterest.com/pin/337910778265348867/)

 (事件は以下のような経過をたどった)

 午前一〇時四四分。農家の庭先から九一一通報を受けてからわずか九分で、三人の州警察官が学校に到着した。警察官は、ドアがロックされブラインドが下ろされているのを確認した。やや遅れて、さらに七名の警察官が現場に駆けつけ、学校を素早く包囲した。交渉担当が、パトカーの拡声器を使ってロバーツに話しかけ、銃を下ろすよう繰り返し説得した。

 立てこもったロバーツは、携帯電話で妻を呼び出し、もう家には帰らない。皆に書き置きを残してある、と伝えた。神に腹を立てている、と彼は言った。それは、九年前に生まれた長女のエリーズが、生後わずか二〇分で死んでしまったためだ。妻に宛てた書き置きには、「俺は君にふさわしくない。完ぺきな妻である君にふさわしいのは、もっと・・・ 俺の心は自分への憎しみ、神への憎しみ、途方もない空しさで一杯だ。皆で楽しく過ごしていても、なぜエリーズだけがいないんだと怒りが湧いてくるんだ。

 警察が来て、少女に悪戯する計画が駄目になったと知り、ロバーツはさらに動揺した。午前一〇時五五分には、自分で九一一番に通報し、「少女一〇人を人質にとった。全員ここから出ろ・・・ 今すぐだ。さもないと、二秒で皆殺しにする。二秒だぞ。わかったか!」

 それから、少女たちに向かって言った。

 「娘の償いをさせてやる」

 教室にいた十三歳の生徒二人のうちの一人、マリアンが、ロバーツは皆を殺すつもりだと悟り、年下の子たちを何とか守ろうと思って、言った。

 「私を最初に撃って」

 そうすることで、他の子供を救い、自分が世話を焼いている小さな子たちへの義務を果たしたかったのだ。

 午前一一時五分、警察は、散弾銃の銃声三発、続いて拳銃の速射音を聞いた。玄関の窓から発射された散弾が、数人の警官をかすめた。警察隊は校舎に突進、棍棒とタテで窓を壊した。壊れた窓から突入したちょうどそのとき、殺人犯が拳銃で自分を撃ち、倒れた。床の上には、まるで処刑場のように、撃たれた少女たちが一列に横たわっていた。五人は瀕死の状態である。もう五人も重傷を負っていたが、頭を両手でかばい、転げ回ったため命が助かった。

 静かなアーミッシュの村を襲った学校乱射事件は、世界に衝撃を与えた。しかし、それと同じくらい世界を驚かせたのは、(ペンシルベニア州ランカスター郡)ニッケル・マインズのアーミッシュが、その直後に殺人犯を赦(ゆる)し、その家族に思いやりあふれた対応をとったことだった。

事件直後、同情した外部の人々がアーミッシュのコミュニティを支援していたとき、アーミッシュ自身も別の仕事にとりかかっていた。優しく、そっと、静かに、赦しという困難な課題に取り組もうとしていたのだ。

 アーミッシュが、ロバーツの未亡人と遺児たちも事件の犠牲者なのだ、と気がついたのは早かった。夫や父を失った上に、プライバシーを暴かれている。しかも、アーミッシュの犠牲者と違い、ロバーツの家族は、最愛の人が無垢(むく)な子供と家族に凶行を働いた恥を忍ばねばならない。アーミッシュのなかには、事件後わずか数時間後のうちに、早くもロバーツの家族に手を差し伸べた人たちがいた。

 近くの教区の牧師エイモスは、我々にこんなふうに説明した。

 「ええ。私たち三人は、(事件が起こった)月曜日の夜は消防署近くにいたんですが、そのとき、ロバーツの未亡人エイミーに言葉をかけにいこう、ということになりました。まず自宅へ行ってみると、誰もいない。彼女のお爺さんの家も尋ねてみましたが、そこにも誰もいない。それで、お父さんの家へ歩いて行ってみると、エイミーと子供たち、彼女のご両親がいました。私たちは一〇分ほどお邪魔してお悔(く)やみを言い、あなたたちには何も悪い感情をもっていませんから、とお伝えしてきました。

 同じ晩、数マイル離れたところでは、別のアーミッシュの男性が殺人犯の父親を訪ねていた。父親は元警察官で、地元のアーミッシュのため運転手をしていた。ロバーツ家の代理人ドワイト・レフィーバーは、後にマスコミ取材に対し、アーミッシュの隣人が一人、家族を慰めに来たことを話している。

「その人は一時間そこに立っていました。それから彼(ロバーツの父親)を抱擁し、『私たちはあなたを赦しますよ』といいました」

 その翌日から、ロバーツの両親のもとをつぎつぎとアーミッシュが訪れては赦しの言葉を伝え、彼らを優しくきづかった。

 (母親の腕の中でその死が見届けられたその翌日、二人の姉妹の祖父はいきなりマスコミの取材を受けた)

「犯人の家族に怒りの気持ちはありますか?」と女性レポーターが聞いた。

「いいえ」

「もう許している?」

「ええ、心のなかでは」

「どうしたら赦せるんですか?」

「神のお導きです」

 同じ日の午前中、ジョージタウンに住むアーミッシュの女性が、CBS(テレビ局)の「アーリーショウ」にシルエットで出演し、殺人者を赦すことについて語っている。「赦さなければいけません。神に赦していただくには、彼を赦さなければいけないんです」

 マスコミを通じ全国に報じられたもう一つのエピソードは、先ほどの姉妹とは別の犠牲者の祖父の話だ。自宅に安置された棺に横たわる孫娘の無残な姿を見て、まわりにいる幼い子供たちに「こんなことをした人でも、悪く言ったりしてはいけないよ」と言ったというのだ。(文中の引用はクレイビル、ノルト、ウィーバーザーカー共著『アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか』亜紀書房刊、08年からです。少し変えたところがあります)

 テロには報復を、というのがアメリカ社会の風潮だった当時、アーミッシュの行為をブッシュ(前)大統領の野蛮な選択に重ねることがあったという。悪(テロ)には報復がふさわしい、報復しかないという大きな声に対してこのアーミッシュの「赦し」はどのような意味をもっているのか。たくさんのこと、それを深く考えなければならないとぼくたちにせまっていないかどうか。

 「許す」か「許さない」か、その間にもう一つの選択肢(「赦し」)がないのかどうか、アーミッシュの人々の態度や行動はそのことをつよく教えていないでしょうか。彼らや彼女らの生き方は信仰に基づけられた特殊なものだといっただけではすまないものが、そこにはあるにちがいありません。信仰の有無にかかわらず、ぼくたちははげしく問われているようです。

 寛容(赦し)とはどのようなことだろう、と。

 事件の詳細を知るにつれ、ぼくはこの時代に存在する「アーミッシュ」という生活団におおきな衝撃を受けました。かなりな資料などを渉猟し、それなりに考えようとしたのですが、いまなおぼくにはわからないことばかりです。「許し・赦し」とは? 寛容であるのは大事な姿勢でありますけれど、誰に対して寛容であり得るのか。あるいは寛容であるかないか、それは場合によるとすれば、寛容には二面性があることになります。不寛容が存在して初めて寛容が問われるのだ、と。

 いまではこの共同体は相当程度に変質し変形しているともいわれます。時代の波が押し寄せるということですが、中からもまた、うねりになっているかどうかわかりませんが、アーミッシュ社会に向けるうちからの意識の変化が相当に大きくなってきているのは否定できそうにありません。これを機会に、あらためてアーミッシュをとおして「許し・赦し」「寛容」の問題を考察し続けたいと思うのです。

(*アーミッシュ【Amish】キリスト教プロテスタントのメノー派の一派。また、その信徒。スイスのアマン(J..Amman  1644頃~1730頃)の創始。迫害を避け、アメリカのペンシルヴァニア州に移住、地域社会集団を形成。電気・自動車などを用いず、質素な生活様式を保つ)(広辞苑 第五版)

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遊びに主意を立てて

 どこかの駄文で幸田文さんを紹介しました。その父親が幸田露伴(1867-1947)です。さまざまな分野の小説を書き、漢詩・漢学をよくし、徘徊にも親しんだ。少年文学といわれる分野を開拓した人でもありました。生まれは江戸は下谷の三枚橋横町。落語でなじみの町です。父は幕臣だった。有職故実というよりは、礼儀を大事にするか風だったのかもしれない。それは次女の文さんの書かれたものを読めばよく分かります。以下はその一つである『休暇伝』(1897年)から。威儀を正した教師の姿が(露伴に重なって)彷彿としてきます。

 それは、教師と子どもの、どこにでも見られるとはかぎらない、「友愛」に満ちた結びつきを核とした作品です。 山深い村の小さな、しかし高等科もある小学校。明日から夏休みに入る。先生は子どもたちに話しかけ、問いかける。明治中頃の島のある学校に展開される出来事の一場面です。ぼくは露伴好きですが、なにかにつけての詮索は好みませんので、この小説の背景に関しても知るところはありません。露伴という小説家が描いた「教師」像を、懐かしさを込めて愛読するばかりです。この「休暇伝」の一読を勧めますね。

 《時間も済みましたなればすぐとみなさんお帰りになっても宜しゅうござります。暑さのはなはだしいため今日かぎり休暇になりますが、これは学校でみなさんに授業をいたさぬというばかりで、学校へ出ませんでも、私は生きておりますから、私は私だけに必ず何事かいたして働きます。みなさんも生きていらっしゃるうえはかならず何事かしてお働きになるが宜しい。天を見ても地を見ても生命あるものの働いておらぬはござりませぬ。

 かよう申しますればとて、毎日毎日複読したり算術をしたりいたしておらるるが宜しいというのではござりませぬ。遊びということはけっして無益なるものではござりませぬ、大切な働きの一つでござります。暑中のことですから学事ばかりに身心をつかって健康を損ずるようなことをなさるのは私の望むところでではござりませぬ。むしろ愉快に活溌に高尚に、精悍しく美しく遊んでいただきたいのです。

 ただ大切なのは、かねてよく考えておいてじぶんのおもしろいと思う遊び方をさだめることです。そしてじぶんの遊びの結果を見るのです。みなさんめいめいに、じぶんの遊び方を考えて、何によらず結果のある遊びをなさい。宜しゅうございますか。みなさん、何をなさってもかまいませぬから、遊びに主意というものを立てて、そして能く遊んで、遊び終わったときにわが遊びから生じたることを観るというようになさい。

 どうです。みなさん。何をして遊ぼうかとわが遊びの主意を考えさだめるのもおもしろいことではございませぬか。そしてわが遊びをして遊びつづけるのも愉快ではござりませぬか。それからまたわが遊びの結果を観たときに、その結果が好かったら実に楽しいことではござりますまいか》(「露伴全集」全44巻・岩波書店刊から)

 「遊びの主意」という語にぼくは惹かれました。「遊び」と「勉強」はちがう、二つははっきりと分けなきゃ、などと親も教師も子どもにやかましく言う。そのくせに、自分たちは遊びに主意を立てているのか。「子どもに注意する」などと生意気なことを言う大人がたくさんいるけれど、それは文句か小言がほとんど。露伴が描く「教師」の紳士としての振る舞いは、子どを一人ひとりの人間(紳士・淑女)として敬う、そんな姿勢が横溢しているようです。ぼくは、この一編の作品で露伴がどんなことを願っていたか、手に取るようにわかる気がします。

 百数十年前の一人の「教師の面影」がぼくに語りかけます。(「遊びつづけるのは愉快」)

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子どもの声に聞く

 小さい者がいろいろの大きな問題を提出いたします。夕方などにわずかの広場に集まって「かーごめかごめ籠の中の鳥は」と同音に唱えているのを聞きますと、腹の底から国文の先生たちを侮る心が起こります。こんな目の前の、これほど万人に共通なる文芸が、いまなおそのよって来たる所を語ることあたわず、かろうじていわけない者の力によって、忘却の厄からまぬかれているのです。何かというと、「児戯に類す」などと、自分の知らぬ物からは回避したがる大人物が、かえってさまざまの根無し草の種を蒔くのに反し、いまだ耕されざる自然の野には、人に由緒のない何物も成長せぬという道理を、かつて立ちどまって考えてみた者がありましたろうか。(柳田国男『小さき者の声』)

 かーごめ かごめ かーごのなかのとーりは… 

 今はもうどこにも見られなくなったかと思われますが、「かごめ、かごめ」という子どもの遊びがありました。みなさんもやられましたか。見たことも聞いたこともありませんか。

 「一人のこどもに目を閉じさせて、丸い輪の真中にしゃがませます。手をつないだ大ぜいが、その周囲をきりきりと回って、はやしことばの終わるとともに不意に静止して、『うしろの正面だーれ』と問うのです。その答の的中したときは、名ざされた子が次の鬼となり、同じ動作をくり返すことになっていますが、もとはこの輪を作っているこどもの中の年かさの者が、他にもいろいろの問答をしたのではないかと思います」(同上) 

 この「かごめかごめ」という児童の遊戯をみて、なにを感じるか。あるいは、そこでどのようなことを考えることができるか。柳田さんはそこから、はるかな昔のまじめな大人たちの神事(信心)を聞き取ったのでした。それは「遊戯の意味(歴史)」を尋ねることであると同時に、「子どもとはなにものか?」という疑問に直面することでもあるはずです。子どもとは、単に幼い、半人前の存在ではない。大人になるための準備段階に生きているものではないというとらえ方は、この島では当たり前に見られました。いかにも不可思議な存在、それが、子どもに対する社会(大人)の視線であったといってもかまわないと思います。「七つ前は神のうち」「七つまでは神のうち」などといいました。

 そのことを、柳田国男という人は「かごめかごめ」という遊戯をとおして考えようとしたんですね。

 「若い男女の多く雇われた大農の家の台所で、冬の夜長の慰みに、あるいはまたなにか寄合いの余興などに、仲間の中でいちばん朴直なる一人を選定して真中にすわらせ、これを取り囲んで他の一同が唱え言をする。多くは神仏の名をくり返し、また簡単な文言もあります。こんな手軽な方法でも、その真中の一人の若者には刺激でありまして、二、三十分間も単調な詞(ことば)をくり返すうちに、いわゆる催眠状態にはいってしまうのです。そうすると最初のうちは、『うん』とか『いや』とか一言で答えられることばかりを尋ねますが、後にはいちだんと変になっていろいろのことをしゃべるそうです。後しばらく寝かせておくと、いつの間にかもとのとおりに復すると申します」(同上)

 こんな報告もあります。山形県の三面(みおもて)という村で行われていた神事です。

 そこでは村のために必要な場合には「神降ろし」をするそうで、その様式は「かごめかごめ」とまったく同じであったというのです。「神おろし」とは「神の託宣を聞くために、巫女 (みこ) がわが身に神霊を乗り移らせること」(デジタル大辞泉)です。そして、いろいろなこと(稲の豊作・不作や吉凶など)を占ったというのです。いまではすっかり「子どもの声」は聞こえなくなりました。小さな人たちは、どこでどうしているんでしょうね。

〇かごめ‐かごめ【籠目籠目】児童の遊戯の一。しゃがんで目をふさいだ一人を籠の中の鳥に擬し、周囲を他の数人が手をつないで歌いながらまわり、歌の終ったとき、中の者に背後の人の名をあてさせ、あてられた者が代って中にうずくまる。細取(コマドリ)。(広辞苑)

〇こ‐とり【子捕り・子取り】①子供の遊戯の一。一人は鬼、一人は親、他はすべて子となって順々に親の後ろにつかまり、鬼が最尾の子を捕えれば、代って鬼となる。子をとろ子とろ。(広辞苑)

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