島(東京)までの道のりは長かった

ハフポスト日本版編集部(2020年08月30日 ) 今から75年前の1945年8月30日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。昭和天皇が日本の敗戦を告げた玉音放送から15日後のことだった。戦後日本に君臨し、民主化を進める諸政策を断行したマッカーサー。飛行機のタラップに現れたその姿は日本人に鮮烈な印象を与えるものだった。
当時の朝日新聞東京本社版(1945年8月31日付)によると、厚木に到着したマッカーサーはこう語ったという。
メルボルンから東京までは長い道のりだった。長い長いそして困難な道だった。しかしこれで万事終わったようだ。各地域における日本軍の降伏は予定通り進捗し、外郭地区においても戦闘はほとんど終息し、日本軍は続々降伏している。この地区(東京地区か)においては日本兵多数が武装を解かれ、それぞれ復員をみた。日本側は非常に誠意を以てことに当たっているようで、不必要な流血の惨を見ることなく無事完了するであろうことを期待する。(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f4af395c5b6cf66b2b8e99e

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

 この写真は、どんな人でもきっと見たことがあるはずです。「敗戦後七十五年」が経過した今夏、ぼくたちはまた「新しい敗戦」を迎えています。この一世紀間の「二度目の敗戦」です。いったい何に敗戦したのか。いろいろに表現できますが、ぼくには「七十五年のあいだ、アメリカによる占領」は間断なく継続していたし、だから、それは占領後七十五年であるともいえるのです。もっといえば、「デモクラシー」獲得・確立戦争における「完膚なき敗戦」がそれだけ続いたという意味です。おそらく「米国の意向」を外すことは金輪際できなくなってしまっているのです。遥かに忖度を越えた「隷従への道」が七十五年です。

 ここでは詳しくは書きませんが、戦後占領体制は米側が望んだという以上に、この島社会の権力者が懇願したものです。この島社会は米国(権力者・支配層)の「打ち出の小槌」であり「貯金箱」であり、ATMでもあり続けてきました。アメリカの核の傘に守られて、などと聞いた風なことを多くの人は言いますが、嘘です。米国はこの島を守る気づかいはない。もしそう思われるなら、それは自分の領土(島のかなりな部分はもちろん彼の国土)が侵される危険があるから守ろうとするのです。「安保法制」などとしゃれたことを言いますが、それも米国の尻馬に乗るだけの話です。アメリカは戦争好きな国で、これは性分です。この性分に島社会は罠にかかったように幻想をいだきながら、「集団自衛権」などと勝手な欲望(願望)をいだいているだけです。アメリカで「BLACK LIVES MATTER」と叫ばれ続けているのに、事態は悪化するばかりというのは、何を指しているか。白人中心主義の「人種差別者」(RACIST)だということです。そのとき、「日本人」はどう見られてきたのですか、みられているのですか。

 アメリカは島を守らない、そう選択して占領を七十五年継続してきた。「占領代」は島の財布からです。まるで「劣島のヒモ」、それが「星条旗の国」です。こんな情けない状態を望んできた国が、ここ以外にどこかにあるでしょうか。コロナウィルスのための「ワクチン」もアメリカの製薬会社から「賠償込み」で買わされています。副作用が出ても製造元は賠償しない。政府が保障・賠償するという約束で、仕入れたとされています。今日、製薬会社や農薬会社は怪物です。米国政府をも凌駕する力を維持して、この世の春を謳歌しています。(いずれこの問題にも触れなければなりません)世界中のあらゆる政府を超越した膂力を誇って、好き放題です。ここにも「占領七十五年」は続いています。(その発端はDDT)(「IR何とか」がいわれていますが、これもアメリカです。本体(サンズ)が傾いてます)

ドイツの化学大手バイエルは24日、同社の除草剤「ラウンドアップ」の影響でがんになったと訴えられた訴訟で、109億ドル(約1兆1600億円)を支払うことで和解したと発表した。グリフォセートを主成分とするラウンドアップの発がん性をめぐっては、約12万5000件の訴訟が起こされている。ニューヨークの法律事務所ワイツ・アンド・ラクセンバーグは、原告約10万人を代表して、和解に至ったとしている。バイエルは不正行為はなかったと主張しているが、「不安定な状況」を終わらせるため、支払いをするとした。(BBC・2020年6月25日) (https://www.bbc.com/japanese/53175754)(ラウンドアップはもともとはアメリカのモンサント者が製造販売していました。2018年にバイエル(ドイツ)が買収)

___________________________________________

モンサント社(昨年(註 2018年)ドイツのバイエル社が買収)はアメリカのミズーリ州に本社を構える多国籍バイオ化学メーカー。除草剤ラウンドアップが主力商品で、遺伝子組み換え種子の世界シェアは90%であり、世界の食料市場をほぼ独占している巨大なグローバル企業だ。同社は、人間の健康および環境の両方に脅威を与えているという理由から健康情報サイトでは2011年の世界最悪の企業にも選ばれている。ラウンドアップが世界中で禁止され閉め出されるなかで、唯一日本政府がモンサントの救世主となって一手に引き受ける段取りをとり、日本市場になだれをうって持ち込まれている。国民の健康や生命を危険にさらし、子子孫孫の繁栄にもかかわる国益をモンサントという一私企業に売り飛ばしていることを暴露している。(https://www.chosyu-journal.jp/shakai/11791)(長周新聞・2019年5月23日)(この記事は以前にも紹介しました)

自分なりの学び方を考えてみる

子供には子供なりの矜持とルールがあるのだ
『手をつなぐ子ら』
[1964年/35mm/モノクロ/100分]
監督・潤色:羽仁進
脚本:伊丹万作/潤色:内藤保彦/撮影:長野重一
出演:佐藤英夫、森原幸雄、植田元求

 私は、幼い子どもの頃から、あまり「教育」には期待していませんでした。私の子ども時代は、軍国主義が教育を支配していました。私は、学校とは別に自分なりに、「学習」しつづけて今日にいたっていると、思っています。

 戦後の日本で、もっと望みのある教育を受けた方の中には、もう一度、教育に理想を取り戻そうと努力しておられる方も少なくありません。

 それとは別に、「自分で学習していく」道を、自分なりに作っていくことも、もう少し真剣に考えられてよいのではないでしょうか。

 逆にいえば、ひとりひとりの人間が、それぞれに自分なりの学び方を考えて見る、そのような努力をつみ重ねていくうちに、見失われていた教育の可能性が見えてくるのかもしれません。(羽仁 進「自分なりに学ぶ方法を考えて見る」)

——————–

 羽仁さんは1928年生まれの映画監督です。教育、それも学校教育に対してどのような姿勢をとるか、それは人それぞれであるのだと思います。学校を受けいれる人もいれば、羽仁さんのように拒否する(実際に、娘の未央さんはこの島の「義務教育」を経験されておられません)人もいます。学校教育に依存すればするほど、「自分なりの学び方を」を育てることができないようです。逆にいえば、「自分なりの学び方」を見つけないように学校教育を受けさせてきたともいえるわけです。だからこそ、学校にあまり自分を預けないことが肝心なんですね。

 テレビの草創期、羽仁さんはよく出演されていて、独自の思想やモノの見方を展開されていました。どこからこんな奇抜な発想が出てくるのかと、ぼくは大いに興味を唆されました。父君の羽仁五郎さんの書いたものをいくつか読んでいたこともあって、この独特の思考法は「親譲りなのだ」と思ったりしました。まだ、状況が呑み込めていなかったんですね。たしかに、ぼくは大いに刺激されたことでした。九十歳を超えてさらに、「現役」であり続けておられます。

(羽仁さんの監督作品などは、「シネマヴェーラ渋谷」などを参照。http://www.cinemavera.com/preview.php?no=191)最近ではNHKの「ETV特集」の「「映画監督 羽仁進の世界 〜すべては“教室の子供たち”からはじまった〜」がありました。(https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/LXV7QMLQ17/

+++++++++++++++++

〇羽仁進=映画監督。東京生れ。父は歴史家の羽仁五郎。1949年自由学園卒業後,共同通信社をへて岩波映画製作所の設立発起人の一人となる。厚生省をスポンサーにしたPR映画《生活と水》(1952年)で監督デビュー。小学校2年生の授業風景を撮った記録映画《教室の子供たち》(1955年),ドキュメンタリー・タッチの劇映画《不良少年》(1961年)で注目される。以降,劇作家清水邦夫と組んだ《彼女と彼》(1964年)を発表するほか,《ブワナ・トシの歌》(1965年,渥美清主演)と《アンデスの花嫁》(1966年)ではオール海外ロケを行った。〈シネマ・ベリテ〉の手法を取り入れた《初恋・地獄篇》(1968年),ミュージカル《恋の大冒険》(1970年)などの作品もある。ドキュメンタリーの視点から対象を掘り下げて観察する作風が特徴。(百科事典マイペディアの解説)(上の写真は「教室の子供たち」)

_____________________________

民主主義とは、異を唱えること

 丸岡秀子『ひとすじの道を生きる』(メス出版)。彼女の名前はもう知らない人がほとんどであるかもしれませんが、この島の女性(母親)たちにとっても大切な仕事を生涯かけて貫いた人でした。(1903-1990)この「写真集」はぼくの友人が編集したものです。丸岡さんは信州出身。洋風建築で名を知られた中込小学校卒です。

 信州・中込小学校(明治四年設立)(村民の身をしぼる、貴重な寄附で作られました)

 卒業して、別れ別れになる二人の少女に「みせておきたいものがある」と、担任の関先生は「太鼓楼」にあがった。そこには世界地図があり、信州の中込が真中にあった。

 「強い人間になるためにも、やさしい人間になるためにも、ひとりは大切ぞ。」

 「それぞれが、じぶんの運命に負けない力をつけておいたと、先生は思うぞ。」

 このことばを胸に刻んで秀子は生涯を貫いた。

「わたし自身は男女を問わず、一人の人間として働くことの大切さを自分に課し、それを援助する社会的施設を、どのように自分たちが創造して、次ぎの世代に手渡すかを一貫して考え通している」(『声は無けれど』)

 「自分たちが言うべきことを言って 書くべきことを書いていくこと そういう仲間を作っていかなければ 本当の力にならない」

 「民主主義とは、異を唱えることである。だからこそ少数意見が大切にされるという原理を明らかにした人がいた。近代を切り開いた先駆者の思想は、こういうところに立っていたのだと思う」

〇丸岡秀子=昭和期の評論家 出生地長野県南佐久郡臼田町 本名石井 ひで 旧姓井手 学歴〔年〕奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)文科〔大正12年〕卒 主な受賞名〔年〕サンケイ児童文化賞〔昭和46年〕「ひとすじの道」,毎日出版文化賞(特別賞 第35回)〔昭和56年〕「日本婦人問題資料集成」 経歴 教壇に立ったあと産業組合中央会調査部に入り、夫の遺志を継いで農村の生活調査に当たる。昭和12年「日本農村婦人問題」を刊行。戦時下、再婚した夫の赴任で北京で過ごし、21年帰国。戦後は日教組教研集会講師、日本農村婦人協会理事長、東京都社会教育委員、全国農協婦人部協議会顧問など歴任。母親大会開催など女性の地位向上に尽力した。他の著書に「ある戦後精神」「婦人思想形成史ノート」や自伝的作品「ひとすじの道」(全3巻)、「田村俊子とわたし」、「日本婦人問題資料集成」(全10巻・編)、「丸岡秀子評論集」(全4巻)、「丸岡秀子著作集」(全9巻)などがある。(20世紀日本人名事典の解説)

****************************************

 小学校教師の関先生、「それぞれが、じぶんの運命に負けない力をつけておいたと、先生は思うぞ」という「餞のことば」(思いっきりすごい言葉を言ったものです)に、数十年も前に、ぼくは胸をうたれたのを今でもよく覚えています。丸岡さんもまた、忘れられた人になっていくのですが、ぼくのように、その痕跡のような記憶を頼りに生きてきた人間がいるのもまた事実です。丸岡さんはほんの短期間でしたが教師をされています。その間のエピソードなどについても機会を改めて話したいですね。女性が解放されなければ、男も解放されない、と今は亡い岡部伊都子さんはことあるごとに言っておられました。その先鞭をつけたのが丸岡さんでした。(お断り この内容とほぼ変わらないものが、すでにある箇所で記載済みです)

__________________________________


無用の混乱を招かぬよう賢慮を

 1960年代から18年間もソ連の指導者だったブレジネフは勲章を胸に並べるのが好きだった。その手術の時に「また心臓か?」「いえ、もう一つ勲章をつけられるよう胸を広げるのです」という笑話もある▲この話は、ブレジネフが脳梗塞(のうこうそく)や心臓発作を何度も繰り返し、手当てを受けてきたことをも示している。「晩年のブレジネフは自分が何をしているのか、ほとんど分かっていなかった」とは後のロシア大統領エリツィンの回想である▲その病状で長期政権を保てたのは、何もしないのが一党支配下の既得権者の利害に合ったからだ。病身のトップはソ連体制の行き詰まりの表れだった。指導者の病気といえば、すわ権力闘争と思うが、歴史にはこんなパターンもある▲こちらは日本の憲政での長期政権の記録を次々に塗りかえた安倍晋三首相の健康不安である。きょうの記者会見で健康問題も説明するとのことだが、その発言内容次第で今後の政治日程もがらりと変わるから政界も息をのんで見守る▲13年前には腸の難病で第1次政権を投げ出した首相である。最近「疲れ」がささやかれる中、2度の通院検査が臆測(おくそく)を呼んだのも仕方ない。しかも今はコロナ有事、政府トップの知力や決断に国民の生命や暮らしがかかっている時だ▲プライバシーの極致である健康も、政治的論議のまな板にのせられるトップ政治家の宿命である。首相一身の健勝は祈りたいが、その健康状態がコロナ禍下の政治に無用の混乱を招かぬよう賢慮を求めたい。(毎日新聞「余録」2020/08/28)

???????????????????????????????????????????????

 「何もしないのが一党支配下の既得権者の利害に合ったからだ」という余録氏の指摘は、あるいはこの島社会の政情にも妥当するのではないか。ぼくのあやふやな見立ては、そうでした。大変な力量があったから「最長不倒」を記録したのではない、その反対だと思う。何もできないし、しようという意志もなかったから、周りがお膳立てをし、お膳(御輿)の上に載せていただけではなかったのか。官僚は千載一遇の好機と我を張りとおした。内閣府・官房が異様な力を持ち、あらゆる人事権を含めた権限を集中させた結果、PM自身も身動きできないほどにシステムは強化されていた。操られた時間は長かった。

 さて、何をした政権だったか。大方は不評だが、ぼくは違う意見を持っている。官僚が好き放題をし、嘘も方便を実行した。不倫や汚職もやりたい放題。公文書の改ざんや記録の破棄や改竄もお咎めなし。果ては検察支配にも及んだというのは、まれにみる政治的成果(人民にとっては、縊り殺したいほどの悪政だった)を誇っていいと思う。辞めるのを決めたのは24日とも。最長不倒記録達成が生きがいでした。こんな逸材は再び出ないことは間違いなし。祈る。

 後は野となれ山となれ。反対に、鷺は立ちての跡を濁さず、というのもあります。敗戦後七十五年。いろんな政治家や政治屋が出が、今回も「後は野となれ山となれ派」でしたな。よくやりましたよ。時宜を得るというのは、確かにあるんですね。いい・悪いの両面に。社会奉仕か社会貢献か知らないが、健康を理由にお辞めになったのは結構でした。

_____________________

 ジェンダー新論の所在を探るために 

米ニューヨークで行われた「ロバート・F・ケネディ・ヒューマン・ライツ」のイベントで受賞スピーチを行う英作家のJ・K・ローリングさん(2019年12月12日撮影)。(c)Bennett Raglin/Getty Images for for Robert F. Kennedy Human Rights/AFP
【8月29日 AFP】ファンタジー小説「ハリー・ポッター(Harry Potter)」シリーズを手掛けた英作家J・K・ローリング(J.K. Rowling)さんは28日、米ケネディ家が運営する人権団体の代表が自身のトランスジェンダーに関する見解を批判したことを受け、同団体から授与された賞を返還すると表明した。/ 米人権団体ロバート・F・ケネディ・ヒューマン・ライツ(Robert F. Kennedy Human Rights)は昨年、ローリングさんに「希望のさざ波(Ripple of Hope)」賞を授与した。/ だが同団体のケリー・ケネディ(Kerry Kennedy)代表は今月出した声明で、ローリングさんのジェンダーについての主張がトランスジェンダーの人々の「アイデンティティーをおとしめた」と表明した。
 
 ローリングさんは自身のウェブサイト上で、ケネディ氏の声明は「私がトランスジェンダーを嫌悪し、トランスジェンダーの人々に対する害について責任を負うという誤った見方を示唆する」ものだとし、「私はこの批判に断固として反論する」と表明。/「私に連絡してきたけれど自らの声を届けることができずにいる人々との連帯を示すため、そして私自身とロバート・F・ケネディ・ヒューマン・ライツとの間には深刻な見解の相違があることから、希望のさざ波賞を返還せざるを得ない」と説明した。/ ローリングさんは今年6月のツイッター(Twitter)投稿で、「女性」の代わりに「月経がある人」という表現を使用することについて、「以前はこの人たちのことを指す言葉があったはず。誰か手を貸して。ウンベン? ウィンパンド? ウーマッド?」と、女性を意味する「ウィメン」を思わせる言葉を並べてコメント。/ この投稿には批判が殺到し、映画「ハリー・ポッター」シリーズで主演を務めた英俳優ダニエル・ラドクリフ(Daniel Radcliffe)さんら出演者も非難の声を上げていた。(c)AFP (右写真の中央がケリー・ケネディ代表)

***************************

  どんなに言葉を取り繕っても、その言葉を使っている当人の中に「差別感情」や「蔑視観」があるなら、それは問題になるのは当たり前です。今回のローリングさんの問題も、どちらが正しいとか間違っているという以上に、コトバに対する感受性が欠けているという思いが付きまといます。「自分はトランスジェンダーを嫌悪していない」という一方で、「そういう言葉がトランスジェンダーのアイデンティティを貶めた」という。交わる地点がどこかにあるのかないのか。

 言葉狩りと言葉の誤用、そんな問題でもありそうに、ぼくは考えています。

 今少し資料などを調べたうえで、さらに問題の所在を探求したいと思っています。(さらに別の稿で)

___________________________________________________

この世で自分は一人ではない

 さらに長田さんの文章を紹介しながら、教育というものの現実性について考えを進めていきます。

《 言葉は、ふつう表現と考えられています。しかし、本当はそうではなく、言葉はむしろどうしても表現できないものを伝える、そのようなコミュニケーションの働きこそをもっているのではないかということを考えるのです。

 言葉というのはその言葉で伝えたいことを伝えるのではない。むしろ、その言葉によって、その言葉によっては伝えられなかったものがある、言い表せなかったものがある、どうしてものこってしまったものがある、そういうものを同時にその言葉によって伝えようとするのです。

 おなじ一つの言葉でも、その言葉でおたがいがもっているのは、おなじ一つの意味ではありません。

 たとえば、「社会」という言葉。その「社会」という言葉は、車のように、車を指して「これは車です」とか、松の木を見て、「これは松の木です」というふうに、そこにあると指して言うことができません。

 「これは社会です」と何かを指して言うことのできない、そういう言葉があります。そのような言葉で言い表されるものというのは、その言葉によってそれぞれ自分の心のなかに思いえがくもののことです。

 ですから、それは、それぞれに違います。そうであって、それは、おなじ一つの言葉です。その言葉によって自分の心に思いえがいたものを伝え、そして同時に、その言葉によって言い表すことのむずかしかったもの、むずかしいものを伝える、そういったコミュニケーションのありかたを大事にできなければ、なにか大事なものが気づかぬままに人と人のあいだから脱落していってしまいます 》(長田弘「読書する生き物」『読書からはじまる』所収。NHK出版刊)

 車は車であり、松は松。だれがなんと言おうとまちえようがない。ならば、教育は教育であり、人権は人権であると自明のこととしてつかって、まちがえようがないか。「おなじ一つの言葉でも、その言葉でおたがいがもっているのは、おなじ一つの意味ではありません」というところに、言葉がもっている困難な部分があります。それはまるで「松の木」だといったのに、はじつは「杉だった」ということになれば、まことに面倒な、いやそもそも会話がなりたたなくなってしまいます。

 《 自分が生まれる前からずっとあって、言葉は、わたしたち自身より古くて長い時間をもっています。ですから、わたしたちは言葉のなかに生まれてくる。そして、自分たちがそのなかに生まれてきたもっとも古い言葉を覚える。成長するとは、言葉を覚えるということです。つくるものではなく、あつらえるものでもない。覚えるものが言葉です。

 毎日の経験を通して、人は言葉を覚えます。覚えるのは、目の前にある言葉です。自分の毎日をつつんでいる言葉です。自分がそのなかに生まれてきた言葉というものを、あるいは言葉の体系というものを、自分から覚えることによって、人は大人になってゆく。あるいは、人間になってゆく。そういうものが、言葉です。

 にもかかわらず、覚えて終わりでなく、覚えた言葉を自分のものにしてゆくということができないと、自分の言葉にならない本質を、言葉はそなえています。

 言葉を覚えるというのは、この世で自分は一人ではないと知るということです。言葉というのはつながりだからです。

 言葉をつかうというのは、他者とのつながりをみずからすすんで認めるということであり、言葉を自分のものにしてゆくというのは、言葉のつくりだす他者とのつながりのなかに、自分の位置を確かめてゆくということです。

 人は何でできているか。人は言葉でできている、そういう存在なのだと思うのです。言葉は、人の道具ではなく、人の素材なのだということです》(同上)

 よく「ことばは道具(ツール)である」などという。それはことばのどこ・なにをさしていうのでしょうか。鋸(のこぎり)や鉋(かんな)はたしかに道具です。材木を切ったり削ったりするには役に立つし、それ以外の用途はあまり考えられそうもないからです。鋸は鋸、鉋は鉋、それ以上でも以下でもありません。しかしそのような意味で、「言葉は道具である」か。

 どんな物事もことばで表現できるというのはうそです。言葉はたんなる道具ではないからです。たとえば「歴史」。これが歴史だと指でさすことも手で触れることもできない。「車」なら、言葉はいらない。現物があるからです。目に見えないけれど、たしかにある、しかもだれにも共通する言葉では言い表せない、それを表現するのが言葉です。「人権」という言葉は読み書きできる、でもそれが何であるかは語りがたい。それを表すのが自分の経験です。経験を言葉にする、言葉を経験する。それが欠如しているのが「情報化」といわれる時代です。知って(暗記して)いるだけの言葉が多くなると、自分を確かめる言葉はたえず失われてしまい、それに気づかないからです。

 豊かで貧しい国(社会)といわれます。それは「豊かだとおもいこんでいるが、じつは貧しい」であり、「物は豊かだが、こころは貧しい」であり、「豊かである、そのことが貧しい」ということでもあるでしょう。そして、言葉に対する学校教育の状況は、まさしく「豊かで貧しい」ではないでしょうか。言葉は育てなければ豊かにならない。育てるのは自分です。自分で言葉の種を播いて、自分でそれを育てる。ある一つの言葉に自分流の実や花をつける。それはけっしてデジタルなものではなさそうです。「教育」というのはそのような感受性の問題でもあるのです。

 子どもにとって教師はことばの種を播くひとであり、播かれた種を自分で育てるのは生徒(自分)です。教師もまた、自分のことばの種を育てるひとであるのは当然です。

 「人は何でできているか。人は言葉でできている、そういう存在なのだと思うのです」

 人を育てるというのは、だから言葉の力をつけることでもあるのだ。テレビを使った授業、テレエデュケーションがさかんに勧められている今、はたして「ことばの種をまく」「ことばの種を育てる」ことは可能か、と聞くまでもないでしょう。コミュニケーションというのは交わりであり交渉であり交通であり交換でもあります。面と向かって、というのは教育(授業)のいのちだと、ぼくはつたない経験から学んできました。(あるいは、さらにつづくかも)

______________________________