現場がないと職人は育たない

 先週の土曜日(21日)に久しぶりに若い友人と会って、よもやま話に花を咲かせた気になり、その余韻で車を田舎道に走らせた。行きついたところが茂原市本納、上総二宮として知られる「橘樹神社」だった。七五三詣ででもあるまいが、ぼくは若いころから神社仏閣の見物を好んでいましたから、ここにもなかなかの見ごたえのある建物がいくつかあって、これまでにも何度か訪ねていたのでした。今回も神社の宮司夫妻(だと思う)が、境内を掃き清められていた。風の吹いた後だけに、落葉(銀杏)が降り積もっていた。来るたびに掃除をしているのに出会います。人が誰もいない境内を、ゆっくりと歩きながら、気持ちばかりのお賽銭を挙げただけで、たっぷりと見物したのでした。

「橘樹神社は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后である弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祀っている古い神社です。尊が東征中、荒れくるう海に身を投じて海神の怒りを鎮めたので、無事任務を遂行することができたといいます。社殿後方に弟橘媛の墓と伝えられる墳丘があります。そのため橘樹神社は「橘様(通称)」と呼ばれ地域の人々に親しまれています。」(茂原市公式サイト)

 この近辺にはいくつか橘樹神社があります。いずれも上記の弟橘媛を祀っています。この👸が海中(浦賀水道か)に身を沈めたのですが、幾日かして👸の着物の袖が近くの海岸に流れ着いたという。その由緒をもって「袖ヶ浦」と名付けられた。また、姫の身投げを悲しんだ尊はしばし悲しみに暮れ、「君去らず」と嘆いたので、そこを「きさらづ(木更津)」と称した。と、いくらでも歴史を捏造して、この島の由来はいろんな方向に偏っていくのです。

 今は自衛隊の空軍基地が威張っています。そして、今を時めくのかどうか知りませんが、「オスプレイの命」が鎮座しています。やがて東征にでも出かけることでしょう。この近辺には日本武尊神社もいくつかありますし、房総の対岸の三浦半島にも日本武尊ゆかりの神社があります。とにかく、神社が多い。拙宅の近くには「天照神社」がいくつもあります。今でいうコンビニ仕様ですが、大半は無人店です。

 前回来た時にはなかった「十月サクラ」が参道の中ほどに植えられており、なお小振りの花を咲かせていました。そうして倒木の始末や、境内のあちこちが何かと手入れされて、いくつかの植栽も整えられていました。昨秋の台風襲来後に、その被害を修復すると同時に、新たな橘なども植えられたのでした。

 上総一ノ宮は「玉前(たまさき)神社」で、一宮町に鎮座しています。ここにも何度か、人影のないころを見計らって出かけたりします。何かの記念に中る大修理をしているところに出会ったりしました。ここも、昨秋の暴風の被害は大きかったと見られます。とまあ、抹香臭いというか、神社信仰もない人間の寺社巡りの一くさりです。(この次には、長南町の笠森観音でも触れてみますか。ここには半世紀ほど前から通い詰めです。右写真)

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 国原譜 石造建築に比べて圧倒的に傷みやすい木造建築は、修理を重ねて現代に受け継がれてきた。その底流に技術の伝承がある。/ ユネスコの評価機関は先日、文化庁が登録申請していた「伝統建築工匠の技」を無形文化遺産に登録するよう勧告した。対象は木工や左官、瓦屋根など17分野で、12月には正式決定の見通しだ。/ 保存団体の一つ、日本伝統瓦技術保存会は生駒市に事務局を置く。瓦づくりと瓦ぶき、その両方で技術の研究と伝承に取り組んできた。/ 3代目会長を務めた山本瓦工業の故山本清一さんは生前、「海を渡って技術を伝え、それを伝承する人がいたから現在がある。原点に戻って研究しないと伝統は守れない」と話していた。/ 世界の無形遺産となる「工匠の技」は、後継者の育成が一番の課題だ。「大切なのは実践。現場がないと職人は育たない」とは山本さんの言。/ 文化財の宝庫である県内では、伝統建築の修理が計画的に進められている。棟梁(とうりょう)から弟子へ、それぞれの現場が技術を磨く修行の場となる。その蓄積が、これからも日本の文化を支えていく。(増)(奈良新聞・2020.11.20)

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● 国原=〘名〙 陸地の広く平らな所。広い国土。※万葉(8C後)一・一四「香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来(こ)し印南(いなみ)国波良(くにハラ)」(精選版 日本国語大辞典の解説)

 柄にもない神社巡りの与太話を書きだしたのは、この「瓦屋さん」の言葉に触れたかったからです。ぼくは、瓦にも大いに興味があり、いくつかの産地を訪ねたことがあります。もっとも普及しているのは三州瓦でしょうか。自分の住んでいた家にもそれを載せていたことがあります。(現住居にも)今日、この島では「瓦屋根」があまり流行らないのは、建築家の好みか、あるいは瓦の重量の関係でそんな家は建てたくない人が多くなったせいかもしれません。まあ、人それぞれですね。瓦の生み出す風情がいいと、ぼくは感じています。

 「大切なのは実践。現場がないと職人は育たない」と匠が言われていることに思いを馳せていたのです。職人の学校は「現場」であり、そこがすべての始まりであり、終わるところでしょう。そんな「現場」にはいろいろな教師がおり、その人たち(親方や先輩)は、手取り足取りという具合に、決して教えない。これは職人の鉄則でしょう。「教えない教え」というものがあるのです。教え(インストラクトし)ないというより、技の極意は教えられないんですね。鉋のかけ方、鋸の引き方、鑿の使い方などなど、あるいは道具の研ぎ方も、これらは、すべて体にしみこむように習得・自得しなければならないものです。これを教える親方なんか、どこにもいないでしょう。技は盗む。「表現」はが悪いのですが、これ以外に「職人」の育つ道はないというのでしょう。年季という語は古いでしょうね。誰でも三年で卒業などということはまずありえない。「年季が入っている」とは、任せて安心という印です。

 建物に関する「テスト(試験)」をして、満点を取っても家は建てられない。職人(大工さん)の学校もありますが、首席で卒業したから、ぜひにと、ぼくは建築依頼はしたくない。バッハ研究に秀でていてもバッハが演奏できるとは限らないんです。建築でも何でも、コンクール(あるいはコンテスト)という競技会がありますが、それを目当てに修行するというのはどういうことか。まるで「クイズ王」みたいなもので、「現場」が泣いているんじゃないでしょうか。ぼくは、この「無形意匠」の文化遺産とか、人間国宝とか、つまりは国家が表彰するという悪習が技術を食い物にし、匠をつまらない「作家」にしたとみています。だから、その罪は万死に値するといいたいですね。落語家に「人間国宝」は似合わないし、何よりも芸に光るものがなければ、邪道であり、論外だと、ある国宝落語家を思い描きながら、この駄文を書いています。

 翻って、「教師の道」はどうですか。言わなくてもいいでしょう。教師は立派な職人です。たいていは「職員」などと言いますけど、「職人(an artisan)」です。しかし大工さんや瓦屋さんとははっきりと違う「職人」です。どこに違いがあるか。それを深く考えていくと、教職というものの核心に至るのではないでしょうか。親方と子方、そんなつながりが、果して「教職」にあるでしょうか。現場は「どこ」ですか。鉋や鋸、鑿に道具研ぎ、教職において、それらに当たるものは何ですか。

 と、ここまで書いてきて、この先はそれぞれが、自らの状況に照らして考えていくほかに手はなさそうな気がしてきました。いい職人には、きっと素晴らしい先輩(親方や兄弟子)がいるはずです。自学・自習で出来上がる(成り立つ)職業というものは、底も浅いし、広がりもなさそうです。(DIYみたいですね)その点で、教職はどうなんでしょうか。「重要無形文化財」という「国宝教師」という顕彰制度があったら、どうしましょう。えっ、すでにあるんですか?(怖いことですね)

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Democracy Dies in Darkness

【春秋】「民主主義は暗闇の中で死ぬ」。米紙ワシントン・ポストが1面題字下に掲げているスローガンだ。事実に基づいた米映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」(30日公開)を見れば、その意味がよく分かる▼ベトナム戦争のさなか、ポスト紙などが国防総省の最高機密文書を入手する。そこには、戦争に関して政府が何度も国民や議会に虚偽の報告をした事実が記されていた▼政府は「国家の安全を脅かす」として新聞記事の差し止めを求め、なりふり構わぬ圧力をかけてきた。記者たちは、勝てないと知りながら若者を戦場に送った歴代政権への怒りや、報道の自由を守る使命感から、偽りを暴く決意を固める…▼民主国家では、国民に負託された権力がいかに行使されたかは公文書に記録され、適切に開示されねばならない。権力に都合の悪いことは闇に葬られるならば、それは民主主義の死を意味する。真実を闇から白日の下に引きずり出すのが報道の責務だ▼それにしても、絶妙のタイミングでの映画公開である。米国では都合の悪い報道を「うそニュース」と呼ぶ大統領がやりたい放題。日本では国民の知る権利のよりどころである公文書を官僚が改ざん。むしろこちらの方がたちが悪いか▼言論封殺やうそには徹底的な取材で対抗するしかない。映画の中に私たちが胸に刻むべき言葉が。「報道の自由を守る方法はただ一つ、報道することだ」(2018/03/22)

 ワシントンポスト紙がこのスローガンを掲げたのは2017年2月のことでした。以来、今もなお掲示されてきています。この間の経緯にはいろんなことがあったのですが、それは省略します。経営母体は代わり、現在はアマゾンのベゾフ氏がオーナーである。もちろん、この標語はポスト紙の歴史上初めてことだったとされており、なぜそれが掲げられるようになったかについても、いろいろな観測がなされました。ポスト紙と言えば「ウォーターゲート事件」で時の大統領と対峙し、遂には辞任にまで追い込んだことがよく知られています。あるいは、今回の大統領選挙においては、現職大統領がWP紙を「フェイク新聞」と攻撃したことが特筆されました。この標語が掲げられたのは、現大統領の就任一か月後のことだった。

  新聞の現在、それは太平洋を隔てた両国において、似ている部分もあるし、異なるところもあるのは当然ですが、概して新聞が相対的な力を失っているのは否定できそうにありません。しかし「権力」にニジリ寄るという退廃はどちらにもあるのでしょうが、ぼくは、この島社会の新聞の罪はとてつもなく深いと感じています。誤報ではなく、虚報を堂々と掲載する新聞が大きな顔をしていられるのはどうしてでしょうか。新聞の再生は民主主義の再生と軌を一にしています。ということは「民主主義の死」は「新聞の死」と同義であるということですし、どちらかの甦りは一方だけでなし得ないのは言うまでもありません。

 新聞のない政府と政府のない新聞、どちらを選ぶかという選択をこの社会は迫られてこなかった。さらに言えば、そもそも政府も新聞も存在したことはなかったのではないか、そんな恐ろしいことまでぼくは考えてしまうのです。批判の許されない「政治」は、やがて自壊する運命にあるのですが、政治そのものに、その運命を自覚する(認識する)感覚はない。敵を警戒するにも、その「敵」が存在しないのですから、それほど面倒な事態はないことになるのです。ぼくたちの社会はその道を歩んでいるのでしょうか。視界が開けないままで、この島はきっと絶壁を「進一歩」、その瀬戸際にいるようにぼくは見ているのです。

 「民主主義は暗闇で死ぬ」という以上に、この島では白昼堂々と、陽光の下で死んでいく(いる)のでしょうか。かくして、新聞はやせ細り、部数は急減し、すっかり荒野のか弱い雑草に成り下がっているのです。報道ではだめだけれど、不動産さんや株で儲けているから「大丈夫」という呟きが、ぼくの耳にまで聞こえてきます。報道を旨としない報道機関は潰す・潰れるべきではないですか。

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是小判たつた一晩居てくれろ

 昨日の昼過ぎに(拙宅は固定)電話で呼ばれて、久しぶりに年下の女人とお会いしました。「年下の男の子」は「キャンディーズ」でしたが、ぼくにもたくさんの「年下の女の子」の友人はいます。(下は三歳くらいから、数知れず)年齢にこだわらず、ぼくは暇があれば誰彼となくつきあってきました。後期高齢者になった今も、声がかかれば、家に来てもらったり、近くの駅まで会いに行くことにしています。昨日会ったのは、何年も前に四、五年付き合っていた方でした。数年ぶりの邂逅でしたが、なんといまは都の公立学校の教師をされていました。時節柄、なにかと大変な仕事ですが、ぼくは、学校の教師、と聞いただけで偉いなあと感心することにしています。その「感心」にはいろいろな意味が込められています。ちょっとばかり羨ましいという気持ちと、ぼくにはとてもなれない仕事だという尊敬の念(それは「いまどき、その職に携わるとは、勇気があるなあ」というものでもあります)と、それが入り混じって少しばかり複雑な気持ちになるのです。

 彼女は就職二年目だということでしたが、若しこれからしばらくこの仕事をつづけられるなら、初めの五年くらいがとても大事な時期だと思う。いくつかの理由がありますが、ここでは詳細は省きます。どういうわけだか、ぼくはに学校教師の友だちが多かったし、いまでもたくさんの人と交際(?)しています。この島の学校教育の歴史や教職の現実を、それなりに知っているつもりでいますから、教職が楽しい仕事、やりがいのある職業だと信じていながら、いざやってみると、どうしようもない垢や埃にまみれた職業のように思えても来ます。若い人にはなってほしくない職業でもあるといいたい時もあるのです。(要するに、教師は「公務員」であることは確かですが、それになりきってはダメだといいたいね。まず、真っ先に「人」であることですよ) 

 数年ぶりで逢ったので、積もる話があるみたいに、ぼくはつまらないことを駄弁りました。若いころ、学校を卒業して、ふるさとの山の学校の教師にでもなろうと考えていたのでしたが、紅灯の巷のような、これに近い岡場所で難破して、だらだらと都会の一隅で逼塞する羽目になったのでした。だから、彼女が中学校の教師になっていると聞くだけで、ぼくの見果てぬ夢を、白昼に見る如く、まるで自分の事のように身を乗り出してしまうのです。(これはたくさんあるぼくの悪癖の一つです)

 学校教育の歴史の中で見るべきものはほとんどなく、「権力による暴力的支配」の惨憺たる腐敗史でしかない中で、何人も何十人もの尊敬おく能わざる教師たちの仕事ぶりに、ぼくは前を見て、しっかりと自分の脚で歩くことの大切さを教えられてきました。先達(せんだつ)は、文字通り、導きの糸のように、迷える羊を何とか歩かせてくれたという感謝の気持ちを失わないで生きてきたと、今でも断言できそうです。

 友人として、彼女に何か気の利いたことを伝えられないのはぼくの無能のゆえであることは、その通りです。今も昔も、教師の置かれた状況はよくはないし、むしろ年々悪化しているのは素人目にもわかる。ぼくは自分にも言い聞かせてきたことがあります。ほかでもない「現場主義」です。大工さんにみられるように、どんな職人にも自らの本領を発揮すべきは「現場」であり、職業の成功も失敗もそこ以外にない、そんな「現場(教室)」を教師もまた、心行くまで大事にしてほしい、たったそれだけの事を言いたくなったのでした。雑用も多いし、教委や管理職のお節介も煩わしい、加えて、モンスターだか怪獣だかに等しい、一部の親たちの「イチャモン」もくそ五月蠅い。そんなものに、いちいち応接していては「現場(教室)」がおろそかになるだけだし、それをいいことに「現場」で手を抜くことにしかならない。

 そんな雑音には「耳栓(ミュートボタン)」をしっかりと抑えることです。どんな職業でも、要領(コツ)を得るには時間がかかる、いや時間をかけなければ「習熟」も「成熟」もない。長い長い修練の果てに、少しでも「成果」が得られれば、望外の喜びだとぼくは考えてきました。教職のもっともいいところは、自分自身が子どもにそそのかされて成長できるという事実です。それがなければ、ただただ、しんどいばかりの仕事だというほかありません。「もの言えぬ公務員」にはなりたくありませんね。自分をさ立てる人は、よく他人をも育てられるのです。

 だらだら喋っているうちに時間ばかりが過ぎていました。駅まで送るつもりで車を走らせたのですが、「時代遅れ」のぼくとしては、まず経験できないような「スマホ」での「電話面接」を彼女は設定してくれたのでした。画面には、昔別れて、それ以来逢っていなかった二人の女性が映りだしました。懐かしいというより、元気で立派にお母さんをしていたり、OLさんだったりしているという、今の姿を見せていただいたことに、感謝したくなりました。こちらはひたすら馬齢を重ねて、もう先がありません。いろいろと書きたいことがあるのですが、ここまでに。(その前に、ラインの場に行く前に、ぼくはFさんと「橘神社」(茂原市)に出かけたのですが、そのことも後日に)

 最初に駅前でお会いした人にちなんで、ぼくはある新聞の「コラム」の記事を書こうとしていたのですが、つい横道に入り込んで抜けられなくなった。一人のときは無口ですが、誰かが相手だと、無口が有口になり、自分でも驚嘆するほどです。このメカニズムはどうなっているんですか。

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【越山若水】「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」は江戸時代の川柳集で、庶民の暮らしや人間模様が生き生きと詠まれている。250年の歳月を経ても物の見方や感じ方は変わらず、面白さがじんわりとこみ上げる▼「江戸者の生(うま)れそこなひ金をため」。江戸っ子は宵越しの金は持たない―とばかり、小金に執着する田舎者を軽蔑した。さらにこんな鼻持ちならない句も。「むく鳥も毎年来ると江戸雀(すずめ)」。地方出身者が年を重ねるごとに江戸の世情に詳しくなる様子をからかった

▼この「むく鳥」こそ、農閑期に信濃(長野県)や越後(新潟県)などからやって来る出稼ぎ労働者の総称。寒くなると群れをなして人里に現れ、やかましく鳴くムクドリになぞらえた。本来は里山の広葉樹や竹藪(やぶ)に生息し、植物の種子や虫の幼虫などを餌にしている▼しかし近ごろは都市に適応し、街路樹やビルをねぐらに集団で生活。大量の糞(ふん)と甲高い鳴き声が汚染・騒音の二重被害となり住民は閉口している。ちなみに大群で群れるのは餌を効率的に手に入れ、地上のキツネや上空のタカなどの捕食者から身を守る戦略だという▼町に進出し幅を利かせるあまり、今やすっかり嫌われ者。「椋鳥(むくどり)と人に呼ばるる寒さかな」。小林一茶が信濃から江戸に向かう道中に詠んだ一句。ムクドリも同じ心境だと思うが、できれば山のねぐらにお引き取り願いたい。それで全て丸く収まる。(福井新聞・202011/21)

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 「誹風柳多留」は、ぼくの「枕」のようなものです。長い間、なにかと愛読してきました。江戸の先達は「粋」だったんですね。「肩で風切る」「五月の鯉の吹き流し」などどいいましたが、嫌味が残らない、さっそうとした誹風が気に入ってしまったのです。人口に膾炙したものがたくさんあります。その内のいくつかを。(平凡なものばかりですが)

 子を持ってやうやう親のばかが知れ  孝行のしたい時分に親はなし  

 孝行のしたい時分は我も耄(ぼ)け  役人の子はにぎにぎをよく覚え

 寝て居ても団扇のうごく親心  泣き泣きもよい方をとるかたみわけ

 子が出来て川の字形(なり)に寝る夫婦   是(これ)小判たつた一晩居てくれろ

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 江戸街中に移住(タイムスリップ)したいというのではありません。そこもまた「世間」であり、息苦しさもあったはずです。でもそれを笑いのめしたり、茶化したり、あるいは虚仮にして生きるだけのしぶとさもあったのではないですか。ぼくたちの時代に欠けているのは「笑い」であり、「風流」であり、「洒落」であると、ぼくは痛感しています。何事も「真面目」にすぎます。これは学校教育の弊害ですね。教師は自分に似た「真面目っ子」を贔屓にします。でも「真面目」というのは、よく考えると怖いんですぜ。まじめに他人を貶める、辱める。挙句には、まじめに人を殺めたりする。「真面目」には遊びも余裕も入り込む余地がないからです。

 だからこそ、政治も教育も「洒落」や「軽妙洒脱」な生き方の流儀を貫けば、今少し笑いや喜びも増そうというものです。「笑う」というのは、余裕の証であり、ゆとりのなせる業です。ゆとりを失うと、深刻(真面目というより、生真面目になる)な面持ちになり、それがだんだんとひきつって、遊び心を失って自暴自棄に走り出すのでしょう。(昔、お付き合いしていただいた「年下の女性」たちの幸運を祈るや切です。どなたも新型コロナやインフルエンザに罹患しないこと、それこそは今の世の幸運(good luck)なんですね)

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この条約は、2021年1月22日に発効します

 気さくな人柄で人気があるが、主義主張をあまり語らない。長崎市長だった故伊藤一長さんは在職のころ、時にこう評された。ご自身が発案者であるその集会でも先頭には立たず、市民の結束の場をつくる“裏方”に徹した▲海外からも非政府組織(NGO)が集う「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」は20年前のちょうど今ごろ、長崎市で初めて開かれた。4日間で延べ5千人以上が参加し、被爆地が熱気に包まれたのを思い出す▲その前、伊藤さんはオランダであった1万人規模の平和NGO集会に参加し、「長崎でもできないか」と考えたらしい。相談を受けた元長崎大学長の故土山秀夫さんが実行委員長を務め、長崎集会が実現した▲最終日の11月20日に「長崎アピール」を出した。第一に、核兵器禁止条約の実現に向けた行動を市民に呼び掛けている▲条約は3年前に成立し、50の国・地域の同意を得て、近く発効する。被爆者の訴えと、市民の結束と、支える力あっての前進に違いない▲核保有国も日本政府も条約に背を向け、道のりはなおも遠いが、光明もある。米大統領選で勝利宣言したバイデン前副大統領は、かつてオバマ前大統領が目標にした「核なき世界」を再び掲げるという。道しるべが遠くに見え、被爆地の行動が重みを増す。歩みを止めるまい。(徹)(長崎新聞・2020/11/20)

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 伊藤一長・前長崎市長銃撃事件(朝日新聞・2017年04月18日 朝刊)

 長崎市長の伊藤一長(いっちょう)氏(当時61)が2007年4月17日夜、4選を目指した市長選の選挙運動中に選挙事務所前で銃撃され、翌日に死亡した。遊説先から事務所に戻る途中だった。銃撃犯の当時暴力団幹部だった城尾哲弥受刑者(69)は殺人や公職選挙法違反(選挙の自由妨害)などの罪に問われ、08年に一審・長崎地裁は死刑を宣告したが、09年の二審・福岡高裁は無期懲役を言い渡し、12年に最高裁で、二審の無期懲役の判決が確定した。一審判決は動機について「当選を阻止することで前市長や長崎市への恨みを晴らそうと考えた」と認定し、「民主主義を根幹から揺るがす犯行」としたが、二審の福岡高裁は「政治的な信条に基づいたものではなく、理不尽な怨恨(えんこん)で、選挙妨害そのものを目的としたものではない」と認定した。

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 「核兵器禁止条約の批准を」長崎、広島市長が政府に要望書

 長崎市の田上富久市長と広島市の松井一実市長は20日、外務省を訪れ、来年1月に発効する核兵器禁止条約を批准するよう政府に求める要望書を鷲尾英一郎副大臣に提出した。/ 要望書は、被爆者の強い思いが源流となって条約が採択された経緯を強調し、政府がまずオブザーバーとして締約国会議に参加してリーダーシップを発揮するよう求めている。両市長は、被爆地の広島、長崎での締約国会議の開催も併せて要請した。/ 政府はこれまで、条約批准を否定し、オブザーバー参加は慎重に検討するとの見解を示している。これに対し、田上市長は報道陣に「締約国会議は、日本政府が核保有国と非核保有国の橋渡し役を果たす絶好のチャンスだ」と訴えた。米大統領選で勝利を確実にしたバイデン前副大統領の被爆地訪問実現も政府に呼び掛けたという。両市長は、自民、公明両党の幹部とも面会して要望した。(森井徹)(西日本新聞 ・2020/11/21)

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 2017年7月7日、国連加盟国の3分の2を超える122か国の賛成で採択され、同年9月20日に調印(署名)・批准・参加の受付が始まった核兵器禁止条約。

 2020年10月24日、新たにホンジュラスが批准書を国連事務総長に寄託して50か国となりました(ガイアナ、タイ、バチカン、メキシコ、キューバ、パレスチナ、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、※クック諸島、ガンビア、サモア、サンマリノ、ヴァヌアツ、セントルシア、エルサルバドル、南アフリカ、パナマ、セントビンセント及びグレナディーン諸島、ボリビア、カザフスタン、エクアドル、バングラデシュ、キリバス、ラオス、モルディブ、トリニダード・トバゴ、ドミニカ、アンティグア・バーブーダ、パラグアイ、ナミビア、ベリーズ、レソト、フィジー、ボツワナ、アイルランド、ナイジェリア、ニウエ、セントクリストファー・ネイビス、マルタ、マレーシア、ツバル、ジャマイカ、ナウル、ホンジュラス)。※クック諸島、ニウエは、同条約に調印せずに加入書を国連に寄託しました。加入は批准と同じ法的効力を持ちます。

核兵器禁止条約は、90日後の2021年1月22日に発効します。(https://www.antiatom.org/Gpress/?p=15223)

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 この問題について、多言は無用です。この島社会は米国の呼吸を確認してからでないと何事も判断できないという、屑のような政治家によって蹂躙されてきました。言いなり、追従、おべっか、ご機嫌取り…、あらゆる言葉を費やしても足りないくらいに、卑屈そのものの姿勢でアメリカの顔色を窺い、○をもらうために狂奔してきたのです。いったいどこを向いて生きているのか。ことあるごとに、「唯一の被爆国」と自らの権力維持のために便宜的に使いまわしているだけで、本当にその自覚があるのかどうか、ぼくは大いに疑っているのです。この問題は時の政府や権力者だけで決められるものではなく、島の住民が挙って判断すべき事柄です。わけのわからない屁理屈や「宗主国」へのご追従を金輪際やめて(少なくとも、この核禁止条約締結に関しては)、はっきりと自分の脚で立って、明確に決断しなければいけないと思うばかりです。(多分、歴代の権力亡者たちは米国を「宗主国」、我が国は「属国」と認めているにちがいない。でなければ、ここまで卑屈で偏頗な付き合い、というより、言いなり放題の「貢ぎ外交」はしないものだからです)

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生命尊重の証として、東京五輪は中止です

(NHK・2020年11月17日 18時28分)
バッハ会長は「日本らしいデザインで色合いも落ち着きがあり、すばらしい」と感想を述べたうえで、来年の大会で国立競技場が満員になることを望むかという記者団の質問に対しては「満員を望むが、妥当な人数に落ち着くと思う。それがどれくらいの人数かは今はわからない」と述べました。

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  東京五輪が無事に開催されるなどと、IOCは考えてなんかいないのは周知のことです。欧米をはじめとする各地におけるコロナ禍が一向に衰える気配を見せないどころか、さらに悪化の一途をたどっている状況にあります。ワクチン開発に「成功か」のニュースに世界の株価が狂喜乱舞し、未曽有の急騰を示したという事実は、それだけ神頼みに近いものをワクチンに求めなければならない事情を示しているでしょう。「ワクチン頼み」のほかに手はないという意味です。もちろん、それは経済界ばかりではなく、いのちを護るために、誰彼にも待望久しいのです。

 いったい、かかるパンデミックに襲われたままで五輪を開催するなどというのは「狂気の沙汰」ですが、JOCをはじめとする組織委員会は「断固やる」と強弁しています。(皆さんだけでおやりくださいな)なんのための強弁なんですかね。「国民投票(アンケート)」実施はどうですか。「百人に訊きました」と。いったいどれほどの税金を投入したのか、これからさらに追加がどれだけ必要となるのか。聞くところによれば、「いっちょう、にちょう、さんちょう」と、まるで豆腐を数える気安さで、なけなしの巨額が消えていくのです。

 繰り返すのも嫌ですが、「福島復興」というでっち上げ開催理由はどうなったか。いまなお、放射能は威力を失っていないままで汚染がつづいています。あるいは「人類がコロナに克ったあかし」の開催という、これまたでっち上げた理由はどうか。どこのだれが「コロナに克った」んですか。いや、来年の七月には克つというのか。コロナの急襲に「手をこまねいている」ばかりの無責任丸出しの、口先三寸が通用するはずもありません。

 五輪などは「即刻中止」というべきです。組織委員会のために五輪をするのではないし、アスリートのために開催するわけでもないでしょう。「十億の税金を使っている」から、学術会議などつぶしてしまえという狂暴な振る舞いをしている政府や政治家です。こんな呆れるばかりの、天文学的巨額の無駄や浪費を放置しておいて、何かをほざくとは「開いた口」がふさがらないさ。世界(外国)の「物笑い」になるのは馴れている島社会ですが、この問題は「戦争」と同様、人命がかかっている。今からでも遅くないから、断固中止と世界に向けて発信するべきです。それで「笑いもの」になるなら、「結構毛だらけ猫灰だらけ」というものです。(八十四年前の五輪です、右写真は)

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文化(culture)は自然から生じます

「君、花はなぜ美しいか」。建築家の中田準一さんは師である前川国男に問われて、答えに窮したと著書に書いている。しばらくたってから「それは、自らの責任でそこにあるからだよ」と教えてくれたという▼建築物は特定の敷地を前提に設計される。そこで建築家は、整合性ある全体のバランスを一番に考える。花は全てがバランスよく自らの責任で存在しているが故に美しい…。やや分かりにくいが、そんなふうに中田さんは解釈した▼前川が手掛けた建築物の多くは、木々の間に見え隠れし、周辺のたたずまいに同化している。周囲の情景を取り込む設計に意を用いているからだ。歳月を重ねるほど環境に一体化していくのが前川建築の最大の特色だという▼晩年の前川が設計した宮城県美術館も同じだろう。緑豊かな自然の中にある伸びやかな建物は、来館者にとって安らぎのある空間だ。これまで通り、美術館として存続することが決まって胸をなで下ろしている人は多いに違いない▼美術館に行くのは展示物を見るだけではない。建築そのものも鑑賞の対象となる芸術作品。設計者が意図したもの、現代建築における意義、他の作品や略歴-。鑑賞のガイドとなるせめてパンフレットでもあれば、この美術館に対する理解はもっと深まる。(河北新聞・2020/11/18) 

 宮城県美術館、移転せず現施設改修方針 県民向け説明会28日県庁で開催

 県美術館(仙台市青葉区)を仙台医療センター跡地(宮城野区)に移転新築する構想を断念し、現施設を改修する方針に転換した県は28日、県民向けの説明会を県庁講堂で開く。/ 県が検討した(1)県民会館、みやぎNPOプラザとの移転集約(2)現地での増築(3)現施設の改修のみ-のリニューアル3案を巡り、担当者が利点や課題を示し、現施設の改修案に決めた経緯を説明する。質疑応答も行う。/ 説明会は午後1時半から、1時間半程度の予定。先着200人。16日に募集を始め、県震災復興政策課のホームページにある電子申請システムで申し込む。/ 連絡先は県震災復興政策課022(211)2478。(同上2020年11月17日)

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 美術館は1981年に開館された。設計は前川国男。1990年には佐藤忠良記念館も増設された。ぼくはまだ館内に入ったことはありません。外観は前川さんのものとしてよく知っていましたし、佐藤さんもとても好きな彫刻家でしたから、いつかは行く、行きたい、そんな期待をいだきながら、これまでは訪問できないままで、この年まできてしまいました。残されるということなので、自分の脚で歩ける間に入館したいものです。

 開館して、四十年です。地域の様々な事情があるので、軽々に判断できないし、ぼくごときが何かを言うのは適当ではないという思いがします。しかし、既存施設の移転や新築などなど、この島のさまざまなところで同様の問題が生じているのです。有名建築家の設計だから残すべきだという考えはぼくにはないし、むしろその反対に、いくら高名な建築家のものであってもダメはダメ、という意見です。その好例は、この数年間東京五輪に向けて、国立競技場の取り壊しと新築問題がありました。ぼくはまず、都内のど真ん中にこんなどでかいものをつくる事には賛成しないという意見です。醜悪そのものです。個人の考えだから、なんとでもいえますが、税金だからいくらでも投入できるし、好きなだけ贅沢なものを作ろうと思えば可能でしょうが、いかんせん、国立競技場は「無用の長物」の代表格です。新築なった競技場の年間維持費が約20億円超だとか。そこでAKBだか、嵐だかのコンサートでもしますか。 

 競輪場や競馬場、あるいは野球場や賭博場などを都心に作るなどというのは「バカの骨頂」ですが、そんな無恥・無知な奴が勢いを得ているのがこの島社会です。東京都庁に何度か呼び出されて出かけた経験があります。なんというお粗末な建物かと驚嘆したことがあります。それでも外観はいいんですかね、何かあれば、都庁舎が映し出されるのです。みかけだけで、まさに「コケオドシ」だった、というのがぼくの本音です。設計は丹下健三。さもありなん。建てたいものを建てるのが設計屋だという根本精神が、ぼくには気に入らなかった。ともかく竣工直後から「雨漏り」が激しい、と聞いた。余計なことは言わないが、いったん造れば、というより、立てる前に用途や強度、耐用年数などを考慮するのは素人でもわかりますが、専門家はそうは考えないらしい。宮城美術館は築四十年でした。ぼくが住んでいた小さな木造住宅は築三十五年、まだどなたかが住んでいます。

 建物にかぎらず、モノを大事にしないというか、粗末にしすぎる風潮は、いったいどこまで行くのでしょうか。こんなに粗大ごみを出す社会は、どこかが激しく病んでいるに違いないと、ぼくは以前からみなしていました。粗大ごみを平気でに野原や林、あるいは山道にまで捨てる。無機物を粗末に扱う趨勢は、必ず「有機物」にまで及ぶのです。住める、使える建物は大事に残す、使える道具。機械類は寿命が来るまで愛用するという姿勢や態度は、人間社会を潤す潤滑油の働きを為しているともいえるのです。(詳細は後日)

 法隆寺を持ち出しては白けますが、コンクリート建築が四十年五十年で壊される運命にあるというのはどういうことか。政治や行政の都合上、こんなところに「鎮座」していては邪魔だということでしょう。これは建物ばかりではない。地名などもびっくりを通り越したお手軽さで、イロハか、東西南北だとか、あるいは甲乙丙丁(拙宅の隣町に存在します)という地名地番をふりたがる。その感覚のなさに、住んでみる気もしないのです。それと同様に、建物の由来とか歴史というものを一切無視すれば、いつでもどこでもお手軽で取り壊しも簡単な建物が作られるばかりです。仮設住宅(コンビニ店舗に代表される)は、じつは永住住宅だったということになりそうです。雨露をしのげれば、それで十分という、急場しのぎがあるのは承知していますが、美術館や図書館もまた、それと同じだという発想は情けない限りです。

 地域の実情にふさわしい建物(もちろん内容を踏まえた上での話)、これを作るのも維持するのも、そんなに簡単ではなさそうです。飽きたから壊す、金があるから新築する、邪魔だから移転させる、いろいろな理由で物を大事にしない風潮が「文化」の領域にも入り込んできています。ダラダラ書いていても仕方がありませんので、結論にならないが、手短に言っておきます。

 いったん建てたら、手を尽くして維持管理に心がける。時間の経過とともに、建物でさえいのちを持ち、呼吸するのです。まして建てるのと同じくらい壊すための経費がかかるような愚策愚政は、金輪際やめるべきだ。美術館や博物館、あるいは演奏用ホールなども、身の丈にふさわしく、じゅうぶんに用途にみあった建物が欲しい。全国いたるところにある「文化会館(ホール)」はまるで新幹線や飛行場と同じで、どこも規格はいっしょというのは戴けないね。「文化」というものはコンビニの商品じゃないからね。

 だから、自己意識の強すぎる建築家には設計を依頼しないこと。音楽でも映画でも美術でも彫刻でも、それぞれが、居心地がいいという建物や場所があります。それを抜きにして建てられてはかなわない。それから、費用との兼ね合いですが、なんでもかんでも混用(多目的)するのも、ぼくはいやだな。そんなところには音楽を聴きにはいかないさ。というわけで、語るに堕ちた話になりましたが、「文化」は「個性」なんだ。

 子どもに大人用の服が合わないように、地域地域の実情(事情)を考慮しない、どんな政治や行政も住民のためにならないと肝に銘じてほしいね。ぼくが住んでいる町の役場(右上写真)は立派な建物ですし、議場は日当たりもいい。でも行政の質は、はたして及第と言えるのだろうか。政治にこそ「文化」という視点は欠かせないね。文化というものは「自然(環境)」を足場にして初めて成り立つものです。

 再言します、コンビニ(の建物や商品)は「文化」じゃありません。(十一月十九日・午前七時半過ぎ)

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 さて、前川さんの問い「君、花はなぜ美しいか」についてです。早朝に猫に食事を与え、それからブログで駄文を綴り、というルーティンワークを朝飯前にこなして後、ようやくかみさんが起床してきて一緒に食事。「おいしいね」とは言わない。どんなものでも美味しくいただくから。まずいものは口にしない。

 それから、猫の住まいの修理です。住まいは「文化」の代表格ですから、あだやおろそかには作れない。今春以来、栄枯盛衰、生者必滅、増減多端で、ただ今七人と数えます。一人のみが人間と同居(ひどい風邪を引いたのが、さらに悪化したので)、他は別居です。すべては「野良(のら)」というのでしょうか、飼い主がいたのですが、面倒をまったく見ない(らしい)ので、ぼくんちへ来たというわけ。猫たちとのお付き合いもなかなか大変です。数日前には生後一か月少しの子が亡くなりました。合掌!

 というわけで、いろいろと猫にも環境の変化(気分転換)が必要と彼や彼女らが想ったか、それを受け止めて(ぼくが勘違いして)新しいのを作ろうとしていたのです。すべて段ボール製の手作りです。今ほぼ完成させて、布団を日に当てて、取り込む前の時間を利用して、前川さんの問いの前で「静座」したつもりで考えています。(下手な考え、休むに似たり)(ニトリは島忠をTOBです)

 「君、花はなぜ美しいか」とは「それが美しいと感じるこころが、観る側にあるからです」とぼくは答える。それでじゅうぶんだ。それから「そこにある花、それは自然環境に合致しているから、自らの個性を、誰にも遠慮しないで伸ばせるのであり、それがまた美しさのもとになっている」とぼくは答えます。「それは、自らの責任でそこにあるからだよ」と前川さんは言われたが、それは少し強引で、「花の責任」というのが腑に落ちない。あえて、「そこに、じっと動かないで」という状態を、前川流に言ったのだと受け取ります。鉢に入れたり、盆栽にしたり、切り花にすると、途端に花の美しさは消えてしまうという意味でしょう。(余計なことながら、一言。「花の美しさ」というものは存在しない。「美しい花」があるだけじゃないでしょうか。あるい、ある花を美しいと感受する感覚があるということです)

(高嶺の花だ)

 ここまで来て、ようやく「建築物(建物)の美」に近づきました。美しい建物とは、「それは、自らの責任でそこにあるからだよ」というのは、つまり人間の都合で処理したり処分してしまえば、「建物は美しくなくなる」ということでしょう。壊したり、建て替えたり、移築させるのは怪しからんと言っているのではないのです。「建物の責任でそこにある」という意味は、建てられてしまえば、建物から動き出すことはできないというだけのこと。そこに、じっとして時間の経過を俟つうちに、「いよいよ建物は美しくなる」という前川美学ではなかったか。宮城県当局に、そんな美学があったかなかったか、どうですか。(鴨長明の「方丈庵」は、持ち運び可能な「プレハブ」でした。リヤカーに載せて、手軽に引っ越しできたんですね。

 「文化遺産」「文化財」などと言いますが、いつかきっと、それは自然に朽ちていくものです。朽ちるに任せるのも、朽ちる前に壊すのも人間の都合です。それは花の運命と同じですね。ぼくはやたらに化粧を施してまで(修理に修理を重ね、リフォームを凝らして再生を図る)、長持ちさせるのはどうかと考えています。「美容整形」とは名ばかりという実態があるんじゃないですか。「壊れる家は、自分の悲しさを知らない」と、パスカルという人が言いました。(同十時二十分)

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