当初ノ僚友往キテ留ル無シ

 早い段階で、このブログで触れた堀田善衛さんです。熱心な読者じゃなかったが、彼の主だったといわれるものは読んできました。とくに「定家明月記私抄」は耽読しました。それについて駄文を、少し書いて見たくなりました。「明月記」とはなにか。

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● 明月記=藤原定家(ていか)の日記で「照光記」ともいう。現存は、1180年(治承4)の18歳から1235年(嘉禎1)74歳までの56年間の日次(ひなみ)日記。途中欠脱もあるが、原本の多くが冷泉(れいぜい)家時雨(しぐれ)亭文庫に現存する。冷泉家に残る譲状(ゆずりじょう)によると、仁治(にんじ)年間(1240~43)まで記されたのであった。また、『明月記』の引用は嘉禎(かてい)4年の記事まである。時雨亭文庫現蔵は、1192年(建久3)~1233年(天福1)までの54巻(途中欠脱年あり)で、そのほか諸文庫にも伝存する。定家の生活や個性を知る最大の資料であるほか、歌壇の動きや詠歌事情、『新古今集』撰修(せんしゅう)の実状が詳細に記され、晩年に多くの古典書写をしたその実態が知られる。また、鎌倉初期の公家(くげ)の政争や生活、ときには庶民社会の記事を含んでいて注目される(ニッポニカ)

● 鎌倉時代、藤原定家の漢文体日記。治承4~嘉禎元年(1180~1235)までの公事・故事・歌道に関する見聞などを記し、史料としての価値が高い。(デジタル大辞泉)

●藤原定家=1162‐1241(応保2‐仁治2) 中世初期の歌人。〈ていか〉ともよばれる。父は俊成,母は藤原親忠の女で,初め藤原為経(寂超)の妻となり隆信を生み,のち俊成の妻となった。兄は10人以上あったが成家のほかはすべて出家,姉も10人以上あり妹が1人あった。 定家は14歳のとき赤斑瘡,16歳には痘にかかりいずれも危篤に陥り終生呼吸器性疾患,神経症的異常に悩まされた。19歳の春の夜,梅花春月のに一種狂的な興奮を覚え,独特の妖艶美を獲得した。この美に拠って86年(文治2)和歌革命を行い(《二見浦百首》),天下貴賤から〈新儀非拠達磨歌〉との誹謗(ひぼう)を受け,14年間苦境にあえいだ。(世界大百科事典)

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 来ぬ人をまつほの浦の夕凪(ゆふなぎ)に焼くや藻塩(もしほ)の身も焦がれつつ

 これが代表的なものかどうか、ぼくにはわかりませんが、こんな程度の歌詠みで、百人一首に残るとは。身が焼き焦がれるほど、想い人を俟つとは、なんともつらいね。定家の想い人は夢か現か、ぼくには定かではありませんが、これなら、今日にも当たり前に通用します。定家は、まさか「さざんかの宿」で「来ぬ人をまつ」身だったんですかね。

 中世歌人の筆頭格と謳われた歌人であり、「名門」の出とあれば、さぞかしその出処進退はいかにも、名誉の人にふさわしいものだったかと、貧しい想像力を駆り立てるほかありません。堀田さんは「戦時中」に「定家」に出会われた。生身のじゃなく、歴上の人としての定家に、です。

 「私はこれまでの生涯をかえりみてみて、いくつかの言葉が、指標のようにして立っているのを見る。/ もっとも早く来たものが、戦時中に知った、藤原定家の日記である明月記中の、

 紅旗征戎非吾事。(紅旗征戎ハ我事ニ非ズ。)

 戦争なんぞおれの知ったことか、というものであった。天皇からの召集令状なるものが、今日来るか明日来るかと、兢々としていた時に、戦争なんぞ、と言い放つことのできた定家が、心底から羨ましかったのである。この一言は、私の生涯に強い尾を引きつづけて、六十代の大半を明月記の解読に費やされる羽目になった。『定家明月記私抄』正続二冊(新潮社)がそれである。」(堀田『天上大風』ちくま学芸文庫)

  源平の合戦が終わったのは、定家二十過ぎの千百八十五年(これを「治承・寿永の乱」という)だった。「朝廷(紅旗)に纏わらない(抵抗する)蛮族である戎を征伐する」、そんなことは「俺は知らぬ存ぜぬ」と定家は言うのです。今からは想像もできない「戦乱」に明け暮れていた御代、歌人の行く末には暗雲が立ち込めていたといっていいでしょう。ここに定家論をさらすのではありません。「堀田さんの顰」というものを思い描き、何かそこから学べるかと愚考したまでです。あるいは堀田さんの定家解読をなぞりながら、過ぎてしまった「定家の時代」を「俯瞰」しようという生意気な、でもいつの時代にも通う「はかなさ」というものを垣間見たいと、目を覚ましていながら寝言を言うような仕儀をしでかそうというわけです。ひょっとして鴨長明に再会できるかもしれない。(この項、断続しながら綴ります)

 良夜清光ノ晴未ダ忘レズ 当初ノ僚友往キテ留ル無シ(定家)

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こがらし こがらし さむいみち

「たきび」(巽聖歌作詞・渡辺茂作曲)

かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている

さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい

こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
そうだん しながら あるいてく

「今も人々に愛唱されている「たきび」のうた。この童謡の作詩者巽聖歌(たつみせいか:本名:野村七蔵1905~1973)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した詩人で、多くの優れた児童詩を残しました。/ 聖歌は、この詩が作られびた昭和5、6年頃から約13年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでいました。/ 朝な夕なにこのあたりを散歩しながら、「たきび」のうたの詩情をわかせたといわれています。/ 歳月が流れ、武蔵野の景観が次第に消えていくなかで、けやきの大木がそびえ垣根の続くこの一角は、今もほのかに当時の面影をしのぶことができる場所といえましょう。」昭和58年3月 中野区教育委員会(https://www.ai-road.com

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 何年も前でした、身過ぎのための浮き草稼業で、致し方なく都内へわが身が運ばれていたころ、ふと思い立って中野区に赴きました。この看板がかかっている場所でした。当時は背丈の二倍はあろうかというほどの「山茶花」が垣根(に相応しくないいで立ちで)仕立てで茂っていました。以来、幾星霜というほどの時もたっていませんが、あたりの風景は一変してしまったようです。まだ昭和といった頃でした。

 巽聖歌と渡辺茂のお二人とは、語るほどではありませんが、ちょっとした因縁がありました。懐かしい人になりました。今はあまり語りたくもありませんので、省略。「たきび」は昭和十六年の初出でした。「国民学校」時代の始まりに当たっていました。

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 「JASRACには『たき火』として登録され、作曲渡辺茂(2002年没)・作詞巽聖歌(1973年没)とも没後50年を経過していないので、著作権は有効である。

 当時、巽は東京都中野区上高田に在住していたが、自宅の近辺には樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家があった。その家にはケヤキの他にもカシムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていた。「ケヤキ屋敷」の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。」(中略)

「12月9日と10日の「幼児の時間」で楽曲が流された。当初は12月9日から3日間の放送で流すことを予定していたが、12月8日に太平洋戦争が勃発したために、初日に放送されると軍当局から「焚き火は敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」とNHKに批判があり、11日の放送は戦時番組に切り替えられた。」(wikipedia)

 この唱歌を聴くと、まず巽さんを思い出し、次いで無著成恭さんが連想される。さらに無著さんから平野婦美子さんへ、あるいは「山びこ学校」の山元中学校、あるいは都内吉祥寺の明星学園へ、さらにはそこに集ったたくさんの教師たち、さらにさらに…。かくして、ぼくの夢の中の連想の糸、あるいは人々の連鎖は、夢幻の境を行き来しています。

 それ以上に、この唄からぼくが受ける汚れ切った印象は、「焚き火は敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」という「戦時の愚劣」の加減です。泣きたくなるほどの愚劣です。この権力に連なる末端の「愚劣」は権力そのものの「愚劣」にほかなりません。軍の広報機関だった「N#K」も含めて、今日と少しも変わらないというのではなく、今日もまた「総力戦」時代であり、「戦時下」にあるということになるでしょう。いったい誰と誰が闘っているのでしようか。この国家にこびりついた「愚劣」の連鎖も万世一系です。巽さんも浮かばれないと想えば、無性に悲しくなります。彼も鎖にとらわれていた人でした。ぼくの貧相な書架には巽さんの著書が何冊か、しばらく読まないままで埃をかぶっています。

 (さらにもう一つ、ぼくの下品な性分のしからしむるところ、連鎖は「不倫地獄」の修羅場に落ちていきます。「さざんかの宿」です。「くもりガラスをふいて 明日が見えますか」というのか。「愛しても愛しても 他人(ひと)の妻」「燃えたって 燃えたって 他人の妻」と知って、それをいうのか。こんな不倫に「春はいつ来る」などと、何を考えているかと、ぼくは吉川治さんに直言したいですね。「さざんか」を先入観なくしては、見られなくなったじゃありませんか、と。裏庭には五、六本の山茶花が今を盛りに花をつけています。「燃えたって 燃えたって」と唄う「他人の妻」は、幸いにか?ぼくには いませんなあ。

 ぼくは今頃は、ほぼ毎日のように「焚火」をします。いや、それは「野焼き」だと言われるほど、たくさんの焼却物を始末しているのですが、この時間ばかりは「無心」になれるのですから、これだけでも田舎暮らしの値打ちがあるというものでしょう。「野焼きだ 野焼きだ あたろうよ」だね。この地に来て間もないころ、拙宅前の畑の刈り取った「雑草」に火をつけたところ、瞬く間に燃え広がり、直ちに消防車が直行、草刈りをしていた人にもたんまりと「冷や水」がかけられたし、こっぴどく叱られていました。気を付けたいね、いかにも怒られ方がすごかった。家の中まで、叱声が聞こえてきたのですから。

 「北風」は今も変わらず吹きすさびぶ。「しもやけ」は撲滅されたのでしょうか。あるいは痛いしかゆいと、顔をしかめて泣いている人がいるのでしょうか。「そうだんしながら」あるいているお子たちは、今はどこに消えたのか。すっかり姿を隠してしまいました。この島にも「ハーメルンの笛吹き」が現れたのかもしれません。いつでも、どこでも「あたろうか あたろうよ」と、声をかけ仲間に入れてくれる「焚火のような人情」をこそ、ぼくたちは恋しく思い、消したくないと願っているのです。

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看護師たちは真っ昼間から泣いている

高齢コロナ患者を抱きしめる医師が話題に、連続勤務252日目

2020年12月1日 11:20 発信地:ワシントンD.C./米国 [ 米国 北米 ]

【12月1日 AFP】米テキサス州の病院の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)専門の集中治療室(ICU)で、取り乱した高齢の患者を抱きしめて慰める医師の写真が世界中に拡散し、話題となっている。撮影時、この医師は連続勤務252日目だったという。

 写っているのは、テキサス州ヒューストン(Houston)にあるユナイテッド・メモリアル医療センター(United Memorial Medical Center)の医局長、ジョセフ・バロン(Joseph Varon)医師。感謝祭の日に白髪の男性患者を抱きしめる姿を、写真販売代理店ゲッティイメージズ(Getty Images)のフォトグラファーが撮影した。

 バロン医師は11月30日、米CNNに対し、新型コロナ専門ICUに入っていくと、高齢の男性患者が「ベッドから下りて、治療室から出ていこうとしていた」と語った。「彼は泣いていた」

 バロン医師は患者に近づき泣いている理由を尋ねた。「彼は『妻と一緒にいたい』と言った。私はただ彼をつかみ、抱きしめた」と述べ、「本当に切なかった。彼と同じように、私もとても悲しかった」と続けた。「やがて彼は落ち着き、泣くのをやめた」

 CNNの取材に応じた日、連続勤務256日目だと述べたバロン医師は「どうして自分が倒れていないのか分からない」と語った。「看護師たちは真っ昼間から泣いている」(中略)

 バロン医師はまた新型コロナのパンデミック(世界的な大流行)を警戒しない人々にもメッセージを送り、「バーやレストラン、ショッピングモールに多くの人が出掛けている」と述べた。「クレージーだ。忠告を聞き入れなかった人々が、私のICUに来ることになる」

 続けて「みんなを抱きしめなければいけない状態など求めていない。それを知ってほしい」と述べた。「みんなが基本的な予防措置を取る必要がある──対人距離を確保する、マスクを着ける、手を洗う、人がたくさんいる場所に行かないといったことだ」

「みんながそうしたことを守ってくれて、私たち医療従事者が休めるといいのだが」 (c)AFP

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 現段階では特効薬などはないし、もちろんワクチンも、最終段階とはいえ、まだ開発中です。迎えくる季節は、ウィルスには最良かもしれませんが、感染する側には最悪です。光明のないトンネルに入ったままです。感染を防ぐには何が必要か。何ができるのか。「クレージーだ。忠告を聞き入れなかった人々が、私のICUに来ることになる」と件の医師は言います。さらに「みんなを抱きしめなければいけない状態など求めていない。それを知ってほしい」と述べた。「みんなが基本的な予防措置を取る必要がある──対人距離を確保する、マスクを着ける、手を洗う、人がたくさんいる場所に行かないといったことだ」と。それ以外に何があるか。ぼくたちの島でも事態は予断を許さないままで厳寒一直線と突き進んでいます。

 「国民のいのちを護る、これがわたしの政権の最優先課題」というのは島の村長さんです。ホントかね。その椅子に座る人間の言葉ほど信用ならないものはないことを、庶民は知っています。自らのいのちは、自らで守る。ひたすら「専守防衛」に尽きると、ぼくは考えています。「先制攻撃」もダメだし、「敵を迎撃する」手段ももっていない。眼にも見えず、鼻にも臭わず、正体不明ながら、四方八方に潜んでいる、もちろん我が体内にも深く静かに潜航しているかもしれない。決して侮るなかれ。睡眠をよくとる。疲労を重ねない。そして「頭寒足熱」となれば、またいい知恵も浮かんでくるでしょう。(この島の政府や「対策チーム」、さらには連日テレビなどに専門家面して「忠告・指図」をしている一団は、この春先から同じことの繰り返し。事態はいっこう改善されないのは、当然なのかも。まるで再放送の再現画面をのべつ見せられているようです)

 バロン医師のような人がいるからこそ、ぼくたちはなんとか「生きていこう」という意欲も出てくるのです。さらに看護師をはじめとする医療従事者にも深甚の感謝をささげたい。この春以来、片目でコロナ禍の行方を見つめながら、もう一眼で、かみさんの入院手術などの経験を通して、医学や医療者の仕事というものをつぶさにとらえようとしてきました。いまだ、病院からは解放されませんが、だからこそ、このような職業者に対して、ぼくたちは衷心からの敬意を表したいのです。

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 追加 

【12月1日 AFP】ベトナム最大の都市ホーチミン(Ho Chi Minh)で11月30日、同国で約3か月ぶりとなる新型コロナウイルスの市中感染が確認された。当局者らは感染拡大を食い止めるのに必死だ。
 厳しい移動制限、広範な隔離措置、そして感染経路の追跡を徹底的に行ったとして、ベトナムの新型コロナウイルス対策は称賛されていた。/ しかし、ベトナム保健省は先月30日、ホーチミンで32歳の男性の感染が確認されたと発表した。男性は、先週末に陽性と判定されたベトナム航空(Vietnam Airlines)の客室乗務員の親族。/ 保健省は「感染者が訪れていた(ホーチミン市内の)場所を一時的に封鎖する措置」を取り、数十人の濃厚接触者を隔離していると発表した。/ 人口約9600万人のベトナムだが感染者は1347人、死者は35人に抑えられている。(c)AFP

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何に此師走の市にゆくからす(芭蕉)

(東京新聞朝刊・2020/11/19)
(東京新聞・2020/8/14)
(毎日新聞・2020/5/2)

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 本日から師走です。新型コロナというストーカー・ウィルスに迫られ、追い回されて、ほぼ一年が過ぎようとしています。今年はグローバルな意味では、人類史初の「マスク人出現」の曙光でした。世界の感染者数は六千三百万人、死者は百五十万人。いまだに、災禍からの回復の目途が立っていません。最古の細菌、或いはウィルスが猛威を振るう傍で、宇宙ロケットの打ち上げが相次ぎ、宇宙船に何か月も滞在する時代でもあります。人類の進歩というのは、あるいは夢幻物語で、片一方に数億年前からの超細菌が存在し、もう一方では人類史で初めての「地球外生存」への第一歩という偉業を誇っているのです。

 それもこれも含めて、地球の歴史であり、現在でもある。宇宙をの謎を解明せんとし、細胞の成り立ちから生命の「謎」をほぼ解明しようかという時代、もう一方の足は地球の歴史の始まりにつながれていたということになります。風邪なんかと言いますが、罹患のメカニズムは未解明です。天才であると同時に、驚くべき鈍才でもあるという人間群、それが力を合わせて人類史の壁を越えようという考え自体が、実はお門違いであったというのかもしれません。人類は「ヤヌス(Janus)」のひそみに倣っているのでしょうが、展望は開けていません。誕生前も死滅後もまったくの闇で、ひたすら「今を生きる」ことばかりに人類は釘付けされているのです。

 無数の写真を眺めていて、ぼくは「マスク人」の登場を、深く実感しています。科学の貢献は人類に著しい幸運をもたらしたといえますが、片方では素朴かつ単純な「予防法」が欠かせないのも事実でしょう。「B29に竹槍」「原爆投下にバケツリレー」は笑いのめされ、揶揄されましたが、今だって、その域を一歩も出ていないのです。「やっつける」という敢闘精神が安心感、いや焦燥感を和らげてくれるのかもしれません。しないよりはした方がいいかも、ね。

 たかが「マスク」と言いますが、それをすれば、コロナウィルスが防げるかどうかという以上に、「口を塞いでいるから」という、単細胞的な安心感が生まれて、免疫力の低下を防ぐ、いや免疫値を高めてくれるかもしれぬという無根拠の感覚が、もっとも「対コロナウィルス」に効果があるというのでしょう。イソジンも同じ発想だったが、ちょっとまずかったのは、何かが足りなかったからですね。「鰯の頭も信心から」「痛いの痛いの 飛んでけー」という呪いの精神ですよ。「非化学」だなどと、バカにしてはいけません。

「ご来光」を求めて山に登り、渚に出かけ、やおら手を合わせているではありませんか。

 まだまだ、マスク時代は続き、「マスク生活」は終わりそうにありません。(いろいろなマスクが登場してきましたが、ABENOマスクばかりは、ウィルス以上に汚染されていそうで、二度と御免ですね)

月白き師走は子路が寝覚かな 芭蕉「泊船集」
旅寝よし宿は師走の夕月夜 芭蕉「熱田三歌仙」
雪と雪今宵師走の名月か 芭蕉「笈日記」

空を歩む朗々と月ひとり (放哉)

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12月1日のこよみ。
旧暦の10月17日に当たります。つちのえ とら 一白 友引。
日の出は6時52分、日の入りは16時58分。
月の出は17時37分、月の入りは7時21分、月齢は15.9です。
潮は大潮で、干潮は高知港標準で0時08分、潮位6センチと、12時20分、潮位80センチです。/ 満潮は6時47分、潮位173センチと、17時56分、潮位174センチです。(高知新聞・2020/11/30)

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明快な演奏、堂々とした振舞い、巨匠というべきか

 アメリカ、ヴァージニア州レキシントンで生まれたヒラリー・ハーンは、1983年ボルティモアに移り、そこで初めて地元の子ども音楽教室でヴァイオリン・レッスンを受ける。1985年からボルティモアにて、クララ・ベルコヴィチ女史の元で5年間レッスンを受ける。オデッサ(ウクライナ)出身のクララ・ベルコヴィチ女史は、ボルティモアに移住する前、25年間にわたりレニングラード英才音楽学校で音楽に優れた生徒に教えていた。1990年、ボルティモアのLeakinHallで、彼女は初めてのリサイタルを行う。弱冠10才フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学、83歳のヤッシャ・ブロツキー氏に師事する。ブロツキー氏はウジェーヌ・イザイの生存する最後の生徒であった。同年、彼女は初めてラジオ出演も果たす。(以下略)(https://www.universal-music.co.jp/hilary-hahn/biography/)

 3度にわたるグラミー賞受賞ヴァイオリニストであるヒラリー・ハーンは、明快で華麗な演奏、非常に幅広いレパートリーに対する自然体の解釈、そして、ファンとの一体感ある結び付きにより、名声を博している。ハーンは、創造性に富む音楽作りへのアプローチと、世界中の人々と音楽的体験をシェアするための熱心な取り組みにより、多くのファンに愛されている。最近では、「100日間の練習(100 Days of Practice)」というインスタグラム・プロジェクトを立ち上げ、自身が練習している様子を撮影した動画を100日間連続で投稿した。このように舞台裏での練習をファンに公開することは、これまで彼女とファンとの間にあった、音楽の創作過程における垣根を取り払うことを目的としている。(以下略)(https://www.japanarts.co.jp/artist/hilaryhahn/)

(芸のないことおびただしい、単なる貼り付けになりますが、ぼくの笑うべき文章を出す勇気がありませんので、これでお茶を濁すことにします。彼女の演奏を堪能されますように)

 ハーン氏の演奏はアラベラを聴くよりも、ずっと前によく聴いていました。女性特有の、という言い方がほとんど意味をなさない、じつに音楽的に明確なメッセージを持った演奏であると大変に感心し、感動したことを昨日のことのように記憶しています。アラベラさんと双璧をなす、今日のヴァイオリニストだと、ぼくは勝手にいっているのですが、この二人はヴァイオリンでなせる、それぞれの極致を画しているといえば言葉が過ぎるということになるか。二人の演奏で、同じ作曲家の同じ曲をよく聴きますが、これが「個性」というものなのだということを如実に示してくれます。個性の違いなどと簡単に言いがちですが、そんなものじゃないと思います。その人自身の新たな境地を開く力(音楽の深まり)こそが「個性」であるといいたいのです。

 彼女も、しばしば来日していますが、ぼくは一度も演奏会に出かけていない。大した理由もないのですが、なんといっても youtube で鑑賞するだけで十分であるという、物ぐさらしい理屈の一点につきます。モニターを少し大きく、スピーカーもそれなりの音質がクリアできるものを備えて、ぼくはつねに満足して聴いているのです。実に堂々とした演奏、音楽を楽しむという一貫した姿勢、ぼくはあまり好まないのですが、「巨匠(maestro)」と呼びたいような気にもなるのです。

 さて、何を聴きますか。手始めに、Mozartはどうですか。(録音データに欠けた部分があります。いずれ補充する予定です)

●Hilary Hahn, violin Sir Andrew Davis, conductor BBC Symphony Orchestra ●https://www.youtube.com/watch?v=txDq6Zf7tNw

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“brilliant playing”, “extraordinary sound” …

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Biography

Celebrated worldwide as one of today’s leading violinists, Arabella Steinbacher has been praised for her “brilliant playing”, “extraordinary sound” and “softly blossoming tone”.(omitted.)

Born into a family of musicians, Steinbacher has played the violin since the age of three and studied with Ana Chumachenco at the Munich Academy of Music since the age of nine. A source of musical inspiration and guidance of hers is Israeli violinist Ivry Gitlis.(⇒)

Steinbacher currently plays the 1716 “Booth” Stradivari, generously loaned by the Nippon Music Foundation.(http://www.pentatonemusic.com/artists/arabella-steinbacher-soloist)

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 この十年ほど、ぼくは彼女の演奏に惹き付けられています。理由は簡単です。ぼくの聴いた演奏はどれも、おそらく他の人にはまねのできないような独自の音調というか、やさしさや力強さが曲目にマッチして(そんなことは当たり前だと思われていますが)、けっして肩がこらないし、途中で耳をふさぎたくなるようなことがない。これはぼくには稀有な経験です。細かく言えば切りがありませんが、奏でられる音、それは彼女の分身のように、美しくもあり気高くもある、そんな響きをぼくは安心して受け入れているのです。

 若い時は本当に、我ながら音楽に夢中でした。なけなしの金をはたいて、どれほど聴いたか。おそらくどんな遊びよりも集中して、耳を傾けていたと思う。演奏家の名前も顔も、さらには演奏スタイルも、その内容もほとんど記憶に留めているといっても誇張ではないつもりです。バカな話ですが、一時はLPが二千枚ほどになっていました。だんだんとだらけた態度が我慢できなくて、持っているすべてのレコードを売り払ったことがあります。それから、また聞き出して、今も痕跡として三百枚ほど残っており、他にCDが千枚を越えています。ほとんどがクラシックですが、中にはジャズの古いところもかなり保存しています。

 与太話はともかく、アラベラさんの演奏を一つ聞かれるといいですね。どれでもいいといえますが、以下のものはどうでしょうか。何かの用事で、ぼくは出かけられませんでしたが、マリナーについても、確かな記憶(想い出)がありますが、余談になりますから、略します。この録画でじゅうぶんに、ぼくは堪能しています。(近年はほとんど間をおかずに来日しておられるようです)(この時期にほぼ時を同じくして来日していたのがヒラリー・ハーンさん(右写真)。アラベラさんと双璧だと、ぼくはとらえています。聴かれるといいですね。ぼくの印象にすぎませんが、近年は器楽曲は、特に女性の時代ではないですか。男性の演奏に倦んでいたぼくの耳には、どなたのものも新鮮かつ柔らかに届いてきます。コンクールで覇を競うのは音楽じゃないですね。百メートル競走のような「けたたましい演奏」の時代はとっくに過ぎたようです。何によらず、順位争いは「時代遅れ」ですよ)

 Ludwig van Beethoven – Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 61 Arabella Steinbacher, Violine Neville Marriner, Dirigent 24.10.2007, Tokio (Suntory Hall)

https://www.youtube.com/watch?v=zB1FOv8DzIw

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