(同性婚を)認めても、世界は続いていく

(秋田市内の一部の民家に配布されたビラ(画像の一部を加工しています)=性と人権ネットワークESTO提供)

 秋田で投函されたLGBT差別あおるビラ 誇張し偏見 問題の背景は?

 今年9月、秋田市内の一部の民家に「過激な『同性婚合法化』運動に気を付けよう」と書かれたビラが投函(とうかん)された。LGBTなど性的少数者への差別をあおるようなビラは、当事者の家にも投函されたといい、相談を受けた支援団体は「本人たちの幸せを侵害する権利は誰にもない。誤った情報で差別や偏見をあおるとは」と憤る。【高野裕士、小鍜冶孝志】

 性的少数者を支援する団体「性と人権ネットワークESTO」の真木柾鷹代表によると、当事者から寄せられた情報で問題のビラの存在が発覚した。ビラの投函が確認されたのは、秋田市議会でパートナーシップ制度に関する一般質問が出た直後。戸籍上は女性で男性として暮らす当事者の家にもビラが配られ、秋田地方法務局や県警、県などに相談している。/ ビラには、パートナーシップ制度や当事者の人権を否定するような記述があった。「行き過ぎた主張が無批判に認められていく危険を感じる」「子供たちにマイナスの影響はないのか」「(海外では同性婚が認められ)婚姻制度が根底から揺らいでいる」。ビラを投函された当事者本人は「個人を特定してまかれたとすれば非常に怖い。存在を否定された気がする」と不安を募らせているという。(以下略)(毎日新聞・2020年12月5日)(https://mainichi.jp/articles/20201204/k00/00m/040/176000c)

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 アジア初の同性婚 20年の道のり (更新:2020.06.26)

 2019年5月24日、台湾で同性婚が認められるようになりました。アジア初の快挙となったこのすばらしいニュースは、日本でも大きく取り上げられたので、ご存じの方も多いかもしれません。/ あれから約1年後の2020年5月23日までに、台湾で4,000組以上の同性カップルが結婚しました。台湾での同性婚の成立までの経緯、そして、アジアで初めて同性婚を実現した台湾が、結婚の平等を叶えるための次のステップについて、考えてみたいと思います。

 同性婚実現までの道のり

 アジア初の同性婚を実現した台湾ですが、もともと同性愛に寛容だったわけではありませんでした。「同性婚は、家族を破壊する」という考えをもつ人が、たくさんいたのです。台湾のLGBTIの人たち、そして活動家たちは、そのような偏見や差別と闘いながら、20年以上にもわたり、同性婚の実現を訴え続けてきまし た。特に2020年代に入ってからは、同性婚を求める声が高まっていきます。/ 同性婚を求める多くの人たちの声が届き、2017年5月、台湾の最高裁判所は、同性カップルに結婚の権利が認められないのは違憲であるとの判断を下し、2年以内の法改正を求めました。合法化への道を開く、歴史的な出来事となりました。(以下略)(https://www.amnesty.or.jp/lp/lbg/about/lgbt_newsblog_03.html)

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 三年前の十一月、ニュージーランド議会で一人の議員が演説をしました。(これについては、このブログで触れています。)(https://www.bbc.com/japanese/42177128)

「この法案でやろうとしていることは、ただ愛し合う2人に結婚という形でその愛を認めてあげることだ。それだけだ」
「今この法案に反対している人たちに約束する。明日も太陽は昇る」
「十代の娘はやはり全て分かっているかのように言い返してくる。住宅ローンは増えない」
「皮膚病や発疹にはならないし、カエルがベッドから出てくることもない。世界は続いていく。だから大げさにしないでほしい」

 この問題について、ぼくが言うべきことは、ほとんどありません。ウィリアムソン議員の発言に全面的に賛成するばかりです。願いが叶うまでに、時間がかかるし、かけるべきであると思いますが、いずれ「少数者の権利」は認められるはずです。そのことによって、「多数者の権利」は侵害されるものではありません。人権の価値は「多数決」に馴染まないのは当たり前ですが、それが法的基盤を以て社会制度と認められるためには(多数決による)法の制定は避けることができないのです。どんな問題でも、同じ手続きが課されることになります。「法の下の平等」とは、「少数者の権利」も「多数者の権利」と同様に、社会の構成員によって認められることを意味します。

例年、十二月十日は「国際人権デー」とされています

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 国民のための政策をさらに前へ…

判決後、勝訴と書かれた旗を掲げる原告側の関係者=大阪市北区で2020年12月4日午後3時9分、大西達也撮影

 大飯原発の設置許可取り消し 住民ら原告側勝訴 大阪地裁が初判断

 福井県や近畿地方の住民ら127人が、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)について国の設置許可を取り消すよう求めた行政訴訟の判決で、大阪地裁は4日、許可を取り消した。森鍵一(もりかぎはじめ)裁判長は、原発が想定する地震の最大の揺れを示す「基準地震動」について、「原子力規制委員会の判断に看過しがたい過誤、欠落があり、設置許可は違法」と述べた。2011年の東京電力福島第1原発事故後、国の設置許可を否定する司法判断は初めて。

 国は関電などと協議し、控訴する方向で検討している。判決が確定しなければ許可取り消しの効力は発生しない。国による安全審査の妥当性が否定されたことで、他の原発にも影響を与える可能性がある。

 耐震設計の目安となる「基準地震動」の妥当性が最大の争点だった。関電は原発周辺の地層の調査や過去の地震データなどから、基準地震動を856ガル(ガルは加速度の単位)と算定。規制委は17年5月、福島事故後に厳格化された新規制基準に適合するとして、設置許可を出していた。

 判決は、関電が算定に使った計算式は過去の地震データの平均値に基づいており、実際に発生する地震は平均値からかけ離れて大きくなる可能性があったと指摘。耐震性を判断する際、想定する地震規模を上乗せして計算する必要があったのに、関電や規制委が「何ら検討しなかった」と批判。規制委の判断に「不合理な点がある」として設置許可を取り消した。(以下略)(毎日新聞・2020/12/04)

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 福島事故後、やがて十年目を迎えます。その区切りの時期の「設置許可取り消し」判決でした。この問題については、さまざまなことが指摘されてきましたが、いまだに政府官僚電力業界の原発依存体質は微塵も(表向きは)変わっていないようです。死んでも変わらないでしょう。また、規制委員会ももちろん原発推進派であることを隠していません。「推進規制委員会」と名称を変更したらいい。「反対派を規制する」委員会なんだからさ。原発を一基設置すると、どれだけの税金が制約なしに使えるのかという「旨味」に味を占めたハイエナ連中が犯してきた犯罪行為です。東電事故で、どれだけの税金が使われてきたか。呪兆円なんてものではありません。それで被災者が、すこしでも救われるならまだしもですが、現実は非道極まる「仕打ち」に徹しているかの思いがします。早く過去の「悪夢」を消したいだけの「復興」旗振りです。

 いずれ、「福島の現状」について書こうと準備しているのですが、見るも読むも聞くも、惨憺たる有様に目も耳も口も塞ぎたくなるばかりです。こんなに人民を愚弄し、足蹴にしてきた政府や官僚とはいったい何者なのか。「苛斂誅求」という古語を使いたくなります。「情け容赦もなく、税金などを取り立てること」というのです。その上に、「いのち」まで取り立てるという非道を平然と敢行しているのです。「悪逆無道」そのものです。

 世界の趨勢はとっくに「脱原発」です。にもかかわらず、この島で、原発で儲けようと姦計を弄する連中はさらに新規に設置したうえで、あろうことか原発輸出まで目論んでいました。その「死の野望」が失敗に終わったからには、何が何でも既存の原発を稼働させ続けるという「賭け」(人民は参加していない賭場があるのでしょう)に出たが、この勝負は「八百長」が通り相場です。「死の商人」だと他国からはみられているのです。

 設置三十年で廃炉という当初の方針がいたずらに延ばされて、今では「原発事故」が起こるまで動かすのだという、狂暴な方針(覚悟)に摩り替ってしまったといいたいほどに「無責任」「出鱈目」な施策をでっち上げているのです。それだけ、「原発」は金になる、金を産むのです。それに加担してきた司法や行政の反正義も強く非難されるべきです。この地裁の判決が二審ではどのように判断されるか、ぼくは期待はしませんが、関心を失わないで監視を続けていくつもりです。「こころある司法」への願いは持ちながら。

 おのれの死後にも責任をとるというのは「荒唐無稽」だし、「できない相談」であることの証明です。俯瞰的に総合的に見て、現実に責任を微塵も取ろうとしない政治屋が、未来に責任を持つふりをしている図は、得も言われぬ漫画だし、底知れぬ退廃と腐敗を感じるばかりです。(この二人の党代表は、あるいは宗派が同じかもしれないと考えます。つまり、「日蓮一派」ですね。なにでもかんでも「お題目ファースト」だから)

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富士と並んでその名も高い

「旅行けば 駿河の道に茶の香り 流れも清き大田川 若鮎おどる頃となる 松の緑の色も冴え 遠州森町よい茶の出どこ 娘やりたやお茶摘みに ここは名代の火伏の神 秋葉神社の参道に 産声上げし快男児 昭和の御代まで名を残す遠州森の石松を 不弁ながらも務めます。」

 二代目広沢虎造演じるところの「石松三十石船道中」のまくらです。ぼくは小学校低学年のころから、この浪花節をどれほど聞いたでしょうか。娯楽というものが、ラジオしかなかったような時代です。かすかな記憶では毎週何本もの「浪曲」番組がありました。素人が参加するものまね浪曲もあった。もちろん落語や漫才も。いまだにつづくぼくの演芸好きは、この頃から始まったといっても過言ではありません。毎週ラジオにかじりついて、日々を過ごしていた。虎造で聞く「清水次郎長伝」は、何にも代えがたい学習の機会でした。男心とか、義理人情という面倒な機微を学んだといえるかもしれない。いったい、次郎長とは何者か?虎造とは?

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  清水次郎長

 東名高速道清水インター脇の貯水タンクは、静岡市清水区のさまざまな名物が描かれている巨大な広告塔でもある。ウイスキーのキャラクター「アンクルトリス」で知られるイラストレーターの故柳原良平さんがデザインを手掛けた。

 30年近く前、旧清水市が塗り替えを計画した際、清水次郎長を引き続き登場させるかどうかで論争になった。一般的には切った張ったの世界に身を置いた前半生のイメージが強い。渡世人をPRに使うのは適当でないとの意見も出た。/ 最終的に、清水といえば次郎長は欠かせないという声が大勢を占めた。ただ、羽衣の松や天女、ミカン、サッカー選手などと共に新たに描かれた次郎長は、塗り替え前よりも一回り小さくなって、現在に至っている。

 今年は次郎長の生誕200年。地元の官民組織は「郷土の偉人」と明確に位置付けた。清水港の整備、富士山麓の開拓など、地域の発展に尽力した後半生の功績に光を当てる記念事業を来年度まで展開していく。/ 次郎長は英語塾を日本で初めて開いたともいわれる。清水港の整備も静岡茶の輸出が念頭にあった。江戸から明治に時代が変わったのを機に、「海道一の大親分」は国際派の事業家に転身を遂げたといえる。人生をやり直す手本として語られることもある。

 子どもたちに次郎長のことをどう教えるのかが難しいと、正直に語る地元の小学校教諭の声を聞いたことがある。善い面も悪い面もすべて伝えたという教師もいた。こうして人々を悩ますのも、他の偉人にはない次郎長の魅力かもしれない。(静岡新聞「大自在」2020/12/4 08:30)

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● しみずの・じろちょう(1820~1893)本名・山本長五郎。駿河国清水町の廻船業・高木三右衛門の次男として生まれ、叔父の米穀商・山本次郎八の養子となる。呼び名の「次郎長」は「次郎八のところの長五郎」が縮まったとされる。山本家は裕福な商家だったが、養父の死後、博打をめぐる争いで傷害事件を起こして出奔し、博徒の世界に身を投じる。1859(安政6)年、尾張から三河に大きな勢力を張っていた博徒の大物・保下田久六を殺害したことで名を上げ、故郷の清水に一家を構える。大政、小政ら個性的な子分を使いこなし、幕末までに周辺の敵対勢力を圧倒し、東海道一の大親分として知られるようになる。

 明治維新直後の政情不安な中で、新政府(東征総督府)から清水港周辺の警備を命じられる。68(明治元)年、清水港内で旧幕府と新政府の軍艦が交戦し、幕府側戦死者の遺体が港内を漂流するが、新政府の威光を恐れて放置された。見かねた次郎長が遺体を手厚く葬り、それをとがめられると、「仏に朝敵も官軍もない」とたんかを切ったエピソードは広く知られる。維新後は富士山麓の開墾など正業に従事するが、84(明治17)年、賭博犯処分規則により逮捕され、服役する。釈放後、清水港で船宿を経営、93(明治26)年に病気で死去。(画像は、79(明治12)年ごろの撮影とされる写真)(国立国会図書館提供) 【時事通信社】

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 「侠客」「任侠」とくれば、ヤクザです。「任侠」は「弱い者を助け強い者をくじき、義のためならば命も惜しまないといった気性に富むこと。おとこ気。「―道」」(大辞泉)というそうです。本場は中国、近いところでは「水滸伝」がありますが、もともとは「無頼の徒」でした。細かく言えば切りがないので、今回は深入りしません。それに対して、「やくざ」というのは役に立たないもの(賭博カードで八・九・三」は、カスです)の意味を持っていたのですが、それが正業に就かず無法な生き方をする者たちを指すようにもなった。やがて、任侠や侠客と重なり合って、意味が混乱してきます。暴力団は論外として、次郎長のような「街道一の大親分」には勇み肌の子分がいます。大政、小政、石松その他、いずれも一廉の侠客でありました。戦前に大流行した歌謡曲に「旅姿三人男」があります。歌ったのはディック・ミネ。幼いぼくも、よく歌いました。「いつか、きっとりっぱな男伊達に」と念じていたのだったか。その念は通じたでしょうか。ちょっとだけ、ね。(左上写真「次郎長三国志」に出演した虎造、中は淡島千景、右は森繁久彌)

昭和13年(1938年) JASRAC No.046-0127-1
旅姿三人男 作詞:宮本旅人 作曲:鈴木哲夫
歌唱:ディック・ミネ 制作:滝野細道

(一)
清水港の 名物は
お茶の香りと 男伊達
見たか聞いたか あの啖呵
粋な小政の 粋な小政の旅姿

(二)
富士の高嶺の 白雪が
解けて流れる 真清水で
男磨いた 勇み肌
なんで大政 なんで大政国を売る

(三)
腕と度胸じゃ 負けないが
人情からめば ついほろり
見えぬ片目に 出る涙
森の石松 森の石松よい男

 「春の旅 花はたちばな駿河路行けば 富士のお山は春がすみ 風はそよ風茶の香が匂う 歌がきこえる茶摘唄 赤い襷に姐さんかぶり 娘二人のあで姿 富士と並んでその名も高い 清水次郎長街道一よ 命一つを長脇差に かけて一筋仁義に生きる 噂に残る伊達男」(「次郎長伝」の「まくら」) 

 ここでは清水次郎長(本名山本長五郎)と、その次郎長を主題にした「浪曲師・広沢虎造」の二人をテーマにして、なにがしかを騙ろうとしているのですが、時間切れと息切れが同時に来ました。「山口組」にまでたどれると面白くなるのですが。それは、島社会のもう一つの「歴史」でもあるからです。「任侠に生きる人」がときどき表社会に顔を出しましたし、裏社会につながる政治家なども、今でもいるようですから。 

 そして、堅気もヤクザも区別がなくなって、ヤクザ顔負けの堅気が出てくる時代になってしまいました。あらゆる職業の選択は自由であるとはいえ、法を守るという素振りも見せずに、違法・脱法行為を平然とする輩が「正業」に就く、それを不思議とも理不尽とも思わなければならないでしょう。正邪・善悪のあからさまな区別が成り立って、初めて社会(世間)というものにおいて、人が集まって住みあう場となるというものですが、いまは清濁併せのみ、ヤクザか堅気かが判然としないような人物に政治も企業も牛耳られてしまっている、そんなどうしようもない時代に、ぼくたちは生きているのです。 「ちょうど時間となりました、おそまつながら。また口演」(どこかに、たぶん続くはず)

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あたたかく草の枯れてゐるなり

 おとといの朝、テレビをつけたら、奈良の最低気温は4度台だった。かなりの冷え込みの中、12月がスタートした。/ 駅頭では「歳末たすけあい運動」への協力を呼び掛ける人々の姿が見られた。コロナ禍で誰もが苦しめられた1年。何とか皆が前向きな気持ちで新年を迎えられるようにと、祈らずにはいられなかった。

 12月3日は、山口県出身で自由律俳句の代表的俳人の一人、種田山頭火の誕生日。「うしろすがたのしぐれてゆくか」など、生涯に8万余句ともいわれる句を詠んだ。/ 漂泊の俳人として有名だが、奈良にも来ている。昭和11(1936)年2月、7カ月に及ぶ長旅の途中、奈良市内に下宿していた俳友の元を訪ね、1泊したという(地域雑誌「ぶらり奈良町」2001年春号)。

 奈良女子大近くのその家は、今では築100年近い古民家となり現存。古書喫茶「ちちろ」として、女性観光客らの隠れスポットとして静かな人気がある。/ 山頭火のように、自由に旅ができるのは、一体いつごろになるのだろうか。そんなことを思いながら、やり残した仕事を確認している。(恵)(奈良新聞「国原譜」2020.12.03)

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  昭和十年十二月六日、庵中独坐に堪へかねて旅立つ
  水に雲かげもおちつかせないものがある
  生野島無坪居
  あたたかく草の枯れてゐるなり
  旅は笹山の笹のそよぐのも
  門司埠頭
  春潮のテープちぎれてなほも手をふり
  ばいかる丸にて
  ふるさとはあの山なみの雪のかがやく
  宝塚へ
  春の雪ふる女はまことうつくしい
  あてもない旅の袂草こんなにたまり
  たたずめば風わたる空のとほくとほく
  宇治平等院 三句
  雲のゆききも栄華のあとの水ひかる
  春風の扉ひらけば南無阿弥陀仏
うららかな鐘を撞かうよ
伊勢神宮
  たふとさはましろなる鶏
  魚眠洞君と共に
  けふはここに来て枯葦いちめん 
麦の穂のおもひでがないでもない (「草木塔」)

 歩きに歩く山頭火です。それを「旅」と言っていいか。「山頭火のように、自由に旅ができるのは、一体いつごろになるのだろうか。そんなことを思いながら、やり残した仕事を確認している。」と余裕のコラム氏の「恵」さん。この時期、山頭火は五十四、五でした。「漂泊」というのは、どうですか。島のあちこちに友人というスポンサーがいました。もちろん、時には野宿もありましたし、食うものもなく銭もないという「ホームレス」状態にあったのも事実ですが、いざという時には、友人に無心することを彼はいとわなかったし、奇特なファンもいたのです。ぼくは山頭火好きですので、彼をあしざまに言うつもりはありません。でも、まるで「go to」気分で「自由に旅」、しかも政府の支援(税金)で、というのでなかったことは確かです。山頭火の「旅」は物見遊山でもなく、グルメ巡りでもなかった。あるいは「道行」に準えてもいいだろうか。

 彼が書き残したものを見れば(読めば)、それがどんなに風狂染みていたかが分かろうというものです。「正気」を失わないで「風狂」に遊ぶといった風情だった。「風狂」というのは「気がくるうこと。狂気。 風雅に徹し他を顧みないこと。また、その人。」(デジタル大辞泉)というようですが、その奇人たちにも流派はあったろうし、先達がいたのです。なによりも芭蕉が第一の祖だったといってもいいでしょう。遥かの昔、西行という野人もいましたし、さらには長明さんも仲間だったかもしれない。だが、彼らは世間とは切れなかった、世間が放さなかったのかもしれぬ。山頭火はどうでしょうか。世間が認知しなかったし、山頭火も世を拗ねていた。妻との間に子をなしながらの「家出」だったとぼくは見ています。

 (安藤次男さんに「風狂始末」と題された芭蕉俳句評論があります。今は文庫本で読むことができます)

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 青葉わけゆく良寛さまも行かしたろ(国上山と題して)

 奈良は文人(にかぎらず)には特別の地だったかもしれません。奈良の都と言えば、会津八一です。「青丹よし奈良の都」にかぎりない旅情を感じた人は多かったし、そこに棲みつくことを願った客人もすくなくなかった。会津八一さんもまた、特別の感情を奈良に寄せた歌人でもあったのです。明治十四年八月一日生まれ、だから八一とはいかにも端的。新潟の人で、良寛に親炙する(八一さんは親戚ではなかったが、そのように言いたいほどの親しみを持っていた)。後年上京、子規に会う。二十七歳で初の奈良行き。

●[1881~1956] 歌人,書家,美術史家。新潟の人。秋艸(しゅうそう)道人,渾斎と号す。早大英文科卒。奈良の古美術などを主題にした,総ひらがなの万葉調和歌や,独特の書で有名。早大で英文学と東洋美術の講座を担当。《法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究》,歌集《南京(なんきょう)新唱》《鹿鳴集》等多くの著作がある。(マイペディア)

 直接の邂逅はありませんでしたが、若いころからぼくは八一さんの書や歌には親しむ機会に恵まれていました。その良さがじゅうぶんにわかったとは言えませんが。八一を読み、次いで山頭火に及べば、山頭火の心境がさらに分かろうという気になったことがしばしばありました。これはまだ調べきっていないのですが、八一と山頭火は青春の一時期、どこかで(新宿辺で)出会っていたかもしれないという予感を持っているのです。一所不住の人だったがゆえに、すれ違いにすらならなかったこともあり得ますが。

みほとけのあごとひじとにあまでらの
あさのひかりのともしきろかも
  (弥勒菩薩を詠んだもの)

観音のしろきひたひにやうらくの
かげうごかしてかぜわたるみゆ
  (法輪寺十一面観音をよんだもの)

 親類でもないのに、好きな人の誕生日だからと、芸のない無駄話をしてしまいました。山頭火も、ぼくにとっては「導きの糸」であり、気が優しすぎた年上の友人という気がずっとしていて、いつも呼びかけたくなるのです。彼が自ら願ったのではない、漂泊を強いられた彼の人生に、ぼくは哀惜の情措く能わざるがままに、ここまで生きて来てしまいました。

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「民主主義の道」は「地平線への歩み」

(11月、香港の裁判所敷地内で記者会見する民主派の(左から)周庭氏、林朗彦氏、黄之鋒氏=共同)

 【上海=白山泉】香港の裁判所は2日、昨年6月の反政府デモを巡り、いずれも民主活動家の周庭しゅうてい氏(23)に禁錮10月、黄之鋒こうしほう氏(24)に禁錮13月半、林朗彦氏(26)に禁錮7月の実刑判決をそれぞれ言い渡した。昨年6月21日の反政府デモの際、警察本部を包囲する無許可集会に参加した罪や参加を扇動した罪とされる。(東京新聞・2020/12/02)

 蔡総統、周庭氏ら禁錮刑に「遺憾」 香港民主化弾圧を批判台湾の蔡英文総統は2日夜、香港で無許可集会扇動罪などに問われた民主活動家の周庭、黄之鋒の両氏ら民主活動家3人に禁錮刑が言い渡されたことに対し、フェイスブックで「深い遺憾」を表明し、香港人による民主化の要求を弾圧するものだと判決を批判した。/ 蔡氏は、台湾が独裁体制から民主主義に移行する過程で奮闘したことに触れて「香港人も心に秘めた理想を忘れてはいけない。まだ絶望する時ではない」と呼び掛け、台湾は民主化を目指す香港人を支援するとエールを送った。(共同)(産經新聞・2020.12.3 08:3)

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 民主化要求のための「雨傘運動」デモが香港で起ったのは2014年です。以来、六年が経過しました。燃え上がったかに思われた香港人民の熱気は中国の「圧政」「暴力」「弾圧」で一気に消滅したのでしょうか。決してそうではないでしょう。百万からの民衆の心の中に灯された民主化への「希求」は絶えることはないし、いまもなお熱く燃えていると、ぼくは思う。闘争とか運動は「表現」を求めるのですが、それ以上に、暴力や弾圧に向かう「抵抗」する志は派手なものでもなく、華やかなものでもない。ぼくが、ささやかとはいえ、幾多の歴史の学習を通して得た確信のようなものは、いったん前に向かうベクトルが現れたら、再び逆流も反転もしないということです。一歩進んで二歩下がるという、まるで牛歩以下の緩やかな歩みに見えても、着実に前進しているはずです。今回の暴力的な「有罪」宣告は、かえって「中国権力中枢」側の焦りや手詰まりを示しているだけであるとも、ぼくは見ています。「青二才たちに勝手なこと」をさせてしまった、「蟻の一穴天下の破れ」ということになりかねない、一連の強権政治には、いかにも習体制の恐怖心が明らかに見て取れます。

 例えば、周さんや黄さん、林さんたちが三十歳になる頃にはどうでしょう。中国も香港も、さらには台湾もきっと「民主主義」の価値をもっと認めることになっているかもしれません。ぼくは予言も予断もできないし、だからそれはしませんが、自由や平等という生きる支えになる(目に見えない空気のような)価値の尊重には大きな期待を持っているのです。人権を尊重する、その程度のやさしさや気高さがあっても損はしないという「別種の政治」に深い値打ちを認めるものです。

 「民衆が民衆である限りにおいて、民主主義は、その言葉の全的な意味では、つねに理念以外の何物でもない。良かれ悪しかれ、人は地平線に近づいて行くのと同じで、決して全的にその理念に到達することはありえない」と、アメリア議会で述べたのは劇作家でもあった、チェコ大統領のハ―ヴェル(Vaclav Havel)さんでした。1990年2月のことでした。(彼については別の機会に)ソ連の圧政に踏みにじられ、ハ―ヴェル自身も数か月前に逮捕され「私はこの度は二日ですむのか、それとも二年もかかるのか、全然見当がつかなかった」それから一か月半後に、彼は大統領に選ばれた。香港の若い活動家の中に「ハ―ヴェル」がいないとは誰にも言えない。

 人は、果てしない地平線へ向かうが、そこに到達することはありません。でも、そこに向かって「歩いた」という歴史(経験)は、自分にも他人にも、さらには国家にさえ、たくさんの事実を生みだしてくれるのです。

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震源地探しは必要、感染予防はもっと必要

 U.S. Covid Cases Found as Early as December 2019, Says Study Bloomberg News(2020年12月1日 17:36 JST Updated on 2020年12月1日 17:44 JST)

Testing has found Covid-19 infections in the U.S. in December 2019, according to a study, providing further evidence indicating the coronavirus was spreading globally weeks before the first cases were reported in China.

The study published Monday identified 106 infections from 7,389 blood samples collected from donors in nine U.S. states between Dec. 13 and Jan. 17. The samples, collected by the American Red Cross, were sent to the U.S. Centers for Disease Control and Prevention for testing to detect if there were antibodies against the virus.

“The findings of this report suggest that SARS-CoV-2 infections may have been present in the U.S. in December 2019, earlier than previously recognized,” the paper said.(Omitted below)(https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-12-01/covid-infections-found-in-u-s-in-2019-weeks-before-china-cases)

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 フランスにおいても昨年末に「インフルエンザに似た症状」で入院した患者が、死後にコロナウィルスに感染していたことが判明したと、上記記事には書かれています。その他、いくつもの報告がなされており、「武漢発」が証明されていないことを裏付けるような状況にあります。この島でも、国会審議で「武漢ウイルス」を連呼した議員が一人や二人ではありませんでした。中国発、武漢発生源説に驚喜したのか乱舞したのか、いかにもありそうな「単細胞」輩です。それが「武漢発」であったとしたら、どうだというのですかね。賠償や保証を取れという「強盗まがい」も出る始末です。

 いったい、発生源がどこであったか、はっきりとした断定ができるのかどうか、ぼくにはわかりませんまだ」、まだまだ未知の世界は広いのであり、新型ウィルスに関しても暗中模索の状態にあるのが医学界ではないですか。一年を経過し杳として正体を捕まえられないこと自体、ぼくたちはいかにも手探りで暗闇を歩いているというのが現実です。どんなところにも政治が入り込みますし、それは避けられないのですが、「余談」「偏見」がいかにも「正論の衣」を被り「正論風」を吹かせて闊歩するのは世間では日常の、ありふれた景色なんですかね。

 「仮想敵国化」「敵国氏視」すると、評判が上がり、人気はうなぎのぼり、こんな場面をぼくたちはいたるところで見せられています。でも、とぼくは立ち止まる。かかる状況にあって「絶叫している当人」は、きっと隠れたところで、さまざまな悪事を働いているに違いないと、確信をもってとはいいませんが、そういってもそんなに外れないのではないですか。これは別に政治家や人気者だけにかぎりません。(左は厚労省作のポスター)

 「巧言令色仁に鮮なし」、あるいは「巧言令色鮮し仁」(《「論語」学而から》巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、の心が欠けている。)(デジタル大辞泉)

  これは、「論語読みの論語知らず」であっても、ぼくはとてもすきな箴言です。多弁で流ちょうな、立て板に水のような「お喋り」には気をつけなさいね、真心なんかないのだから、というのでしょうね。その正反対になるような、「剛毅木訥仁に近し」(子路)というのがあります。読んで字の通りです。「剛毅は意志堅固」「朴訥は虚飾がなく、寡黙なこと」、こんな人はほんとに少ない。ひょっとしたら、絶滅種だったかもしれませんね。いたら、格好いいとファンになりそう。

 「巧言令色」「讒諂面諛」「阿諛追従」「奸佞邪智」「面従後言」「甘言蜜語」…、もうどうにも止まらないような、同類後の連鎖です。その多くは中国の古典中に見られたものです。その意味は、「今も昔も変わらぬものは、馬顔の長さと人の性」(無骨)でしょう。こういう「性(さが)に生きている輩がやたらに「政治家」に多いのは、たしかな理由があるんでしょうね。

 「論語(季氏)」はいってます、こんなのがありますよって。「損者三友」「益者三友」と。おおよその雰囲気は分かりますね。中味は言いません。兼好さんにも、にたような人物評がありました。

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「地の塩・世の光」は何の隠喩か

 俗(ことわざ)に「笛吹けど踊らず」といいます。これは由緒正しい来歴を持っている「ことわざ」だそうですね。「誘…