『サンチョ・パンサの帰郷』、これは私の遺骨

【斜面】時を超え響く言葉 亡くなって半世紀がたとうとする今も、読み継がれている詩人がいる。シベリア抑留の体験でも知られる石原吉郎(1915~77年)。生誕100年の翌年に復刻された第1詩集「サンチョ・パンサの帰郷」がこの10月、3刷となった◆石原が詩壇に登場したのは、8年間の抑留から生還した直後の1954年。暗喩を駆使し独特の魅力を湛(たた)えた作品を次々と生み出し、瞬く間に戦後を代表する詩人となった。60年代の末になって、寡黙に抱え込んでいた抑留体験をエッセーに書き始める◆シベリアの収容所での自分自身をひたすらに問い返し戦争と人間の本質に迫る文章は、戦争を忘却しつつある社会に波紋を呼び起こした。石原は執筆を重ねるにつれ酒量が増え、急逝した。晩年の地となった埼玉県ふじみ野市で先週、石原を巡る講演会があり筆者は講師を務めた◆18年前に石原の軌跡をたどる本紙連載をした縁で、同市在住の詩人杉本真維子さん(長野市出身)らに招かれた。会場との質疑で、石原を大切に読んできた人たちの思いに胸を打たれた。極限を経た人間が尊厳を取り戻すための言葉―と捉える人がいた◆収容所の状況と現代社会を重ね合わせる視点も出た。シベリアの死者の記憶を背に命を削ったエッセーと、生きるよすがで喜びだった詩。石原は一人一人の「人間」に向けて書いた。その言葉が時を超えて読む人の心を震わせ、新たな命が吹き込まれる。言葉の真の力を目の当たりにする。(信濃日々新聞・2025/12/01) 

 この駄文書き殴り集にも、何度か「石原吉郎」の名前が出てきました。そのたびに、短い文章でいいから、少しはまとまりのある「石原論」のようなものを書いてみたいと、頻りに思うようななった。ついにはその程度のものも果たせないままで、どうやら時間切れのようではあります。コラム「斜陽」の記者自身が講演者となられたとある。石原さんの急逝の地、埼玉県ふじみ野市とありました。ある時期、同県川越市に住まわれていたと記憶している辺見庸さんの御健勝が頻りに思われてきました。同じ詩人として、そして同時代人として辺見さんは確かな同伴者だったと言えるかどうか、ぼくにはよくわからないところがありますが。石原吉郎さんは「収容所」から「収容所」へと帰還したと「告発」される自らの「戦後日本」を、もう一度捉え直してみたいと、ぼくは痛切に思っているのです。

◎ 石原 吉郎(イシハラ ヨシロウ)= 昭和期の詩人 (生年大正4(1915)年11月11日 没年昭和52(1977)年11月13日) 出生地静岡県伊豆 学歴〔年〕東京外国語学校ドイツ語部〔昭和13年〕卒 主な受賞名〔年〕H氏賞(第14回)〔昭和39年〕「サンチョ・パンサの帰郷」,歴程賞(第11回)〔昭和48年〕「望郷と海」 経歴大阪ガスに勤めるうち昭和14年に召集となり、やがて関東軍特務機関に配属されたが、召集解除後は満州電々調査局に徴用された。このため20年12月ソ連に抑留され、4年後に重労働25年の判決。このシベリア体験がのちに終生のテーマとなる。スターリン死後の28年12月に特赦で帰国し詩作を始める。雑誌「文章クラブ」に投稿して鮎川信夫に認められ、30年に好川誠一、勝野睦人らと同人誌「ロシナンテ」を創刊。39年「サンチョ・パンサの帰郷」でH氏賞受賞。他の詩集に「礼節」「水準原点」、エッセイ集に「望郷と海」「海を流れる河」などがあるほか、「石原吉郎全集」(全3巻 花神社)がある。(20世紀日本人名事典)

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「徒然に日乗り」(920~933 )

〇2025/11/30(日)ほぼ前日と同じ気分。いやな微熱や、それがもたらす疲労感が消えただけでも気分は良好である。(933)

〇2025/11/29(土)爽やかな一日だった。恐らく外気温も20℃を越えていたろう。やや体調も回復模様か。(932)

〇2025/11/28(金)気力を起こして、茂原市緑ヶ丘まで。帰路薬局により、思い切って薬を変えてみることにした。これまあでは「葛根湯」と言う常備薬だったが、服用時期を外したために、ほとんど効き目がなく、ひたすら体中の痛みと熱(微熱であって、37度の半ばは越えない)に、この半月ひどい目に遭った。車の運転も控えるべきだったが、どうしてもとハンドルを握るが、これまで経験したことのない危険に遭遇している。店で買い物を済ませて、車にたどりつくのだが、そこから、即発車とはいかず、呼吸を整えてからでなければ、なかなかにしんどいのだ。帰宅後に(久しぶりに)軽く昼食を取り、その後に新しい風邪薬を服用。一時間も経たないうちに、それまでも悪寒や節節の痛みなどが、まるで種類が違っていたかと思われた。つまりはつねにまとわりついていた「痛み」の種類が替わって来たかと感じられる。あるいは、「病気」の内容ははっきりと異なってきたのかもしれない。少しは安心しながら、ベッドに入る。(931)

〇2025/11/27(木)前日に同じ。(930)

〇2025/11/26(水)前日に同じ。(929)

〇2025/11/25(火)前日に同じ。(928)

〇2025/11/24(月)駄文を書く気力すら湧かない。(927)

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〇2025/11/23(日)ほとんど前日と同じ状況で、ほぼ終日、自宅で横になっていた。熱は微熱だが下がらない。身体の節々の苦痛はやわらいで来たが、まだすっきりはしない。少し先が見えてきたようにも感じるが、十分に注意したい。(926)

〇2025/11/22(土)風邪の症状は少しも変わらないまま。微熱は続き、体の節々の痛みが取れないようだ。4~5日前の体が音を上げているような、肩や背中や後頭部の痛みは、おそらく風邪の引き始めだったかも知れない。引き始めのタイミングを逃したために、服用している風邪薬の効果がないのだろう。明日、新たな薬を試してみる。ほとんど、終日ベッドに伏せるありさま。T君から電話あり。御機嫌伺だった。お昼前に、少々きつかったが、猫缶を購入するために土気まで出かけた。(925)

〇2025/11/21(金)二、三日前から身体の節々が痛く、後頭部も疼痛がしている。たぶん風邪だろうとは思っているが、念のために体温計を当ててみると37.5度ほどある。早速に葛根湯を服用し、急いて横になった。この何年も風邪などはお呼びではなかったが、ここへきて、遂に身体が音を上げたのかもしれない。ここはしっかりと睡眠と休養を取って、すっかり完治させたい。(924)

〇2025/11/20(木)大分県の佐賀関というところで大変な火災が発生した(初期発生は18日夕刻五時ころと言う)。折からの強風と極めて乾燥した状態の中で、大火災になった。報道によると、出火元とみられる一軒に死者が出たようだ。報道によると170件以上の民家が焼けたという。▶首相の「存立危機事態」発言が思わない方向に拡散され、両国関係に実害が出てきそうである。「(中国は)台湾を支配する」ようなときに「米国」は戦線に入ってくるだろう、そして「戦艦」を使うなどして台湾進攻を敢行するなら、それは間違いなく「存立危機事態」と言えるだろう。中国を名指しし、「台湾有事」を起こし、米国がそれに参加するようなことになれば、「日本有事」となるのは不可避だとも。きわめてでたらめな発言。お粗末の限りだ。(923)

〇2025/11/19(水)夕方6時前だったか、長野から電話があった。久しぶりの電話だと思ったが、当人の言うところではほぼ一年ぶりらしい。O君は、その後も何とか施設に居ながら、日常的な作業をこなしているという話だった。聞くところによれば、「不惑」になったという。無理をしないで、ゆっくりとやれる範囲で過ごせばいいと言っておいた。春にでも体調と相談しながら、機会を設けて房総(当地)に来てみないかと伝えておいた。▶T首相の発言問題が尾を引いて、なかなか終息の機運が見えてこない。一層悪化しているのかもしれない。日中関係のいくつかの方面で悪影響が出てきているが、政府は何をするつもりだろうか。言わずもがなの「妄言」だったというべきで、そん発言を何度聞いても、やはり「撤回」するほかないと思うばかり。新たに「日本産水産物の輸入停止」の措置が発表された。▶肩こりの性なのか、後頭部の右下部分にやや痛みがある。少し様子を見て見なければと考えている。やはり睡眠時間が足りないのも一因かもしれない。(922)

〇2025/11/18(火)ただ今午後9時15分。室温21.2℃、湿度49%。午前中は晴天で、気温もそれなりに高かったが、夕方以降はかなり冷え込んで、八時ころからは雨が降り出してきた。明日はかなり寒くなるという予報。▶株安、円安、金利安と「トリプル安」が発生している。物価対策など無に等しいのだから、こうなるのも当然という気もする。ということは政権発足一カ月を経て、現政権はほとんど政治らしい政治を何一つしていないということだ。加えて、中国の対日対策にはさらに厳しさを増していると感じる。日本政府は、何とか「誤った首相発言」を有耶無耶にするのかもしれないが、決定的に間違いを犯したのだから、この際、我が首相の為すべきは「発言撤回」有るのみだと思う。結果的には「辞任・辞職」に至るだろうが、致し方ない。元から首相の任にはふさわしくなかったのだから。できる限り早期の「発言撤回」「首相辞任」辞任を望む。「【北京共同】中国外務省の毛寧報道局長は18日の記者会見で、日中関係の悪化について「根本的な責任は高市早苗首相にある」と名指しで強く非難した」(共同通信・2025/11/18)(921)

〇2025/11/17(月)ただ今午後10時過ぎ。空気が乾燥して、清々しい一日だった。気温も20℃を超えていた。しかし明日からは「冷え込み」が厳しくなると予報。かみさんはいつもの集会に出かける。面倒なことは言わないが、年をとっても仲間と集まって話せる環境があることは好いことだと思う。ぼく自身は、いまさら、誰かと会って話がしたいという気もないのであって、しかし、その気になれば、何時だって誰彼なしに話ができると思えば、それで十分という気もする。▶終日自宅内で、ネット番組を見たりジャズを聴いたり。「AI」の技術が想像(想定)を絶して進んできた結果、先ず何よりも社会(世界)に「ファイク(虚偽)」が蔓延しだしている。これまでは「話(文章)」が主だったが、今はさらに「映像」制作技術が驚くほど進んで、「真偽」定かならぬ「情報」があらゆる場面に溢れているのだ。テレビ然り、SNSなどの画像然り、真偽を区別することは、不可能になりつつあるのではないかと、心底懼れている。▶日本の首相の浅慮極まりない発言(「存立危機事態」云々)から生じた、中国の想像を超えた「態度硬化」に遭遇し、政府はなす術を持たないように見える。外務省の一局長を急派したけれど、さて、何かしらいい結果が生まれるのかどうか。最終的には「発言撤回」に見合う姿勢を見せなければ、事態は沈静化しないだろう。(920)

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子曰、人而無信、不知其可也。

【斜面】揺らぐ国是 昭和から平成に移った1989年夏の参院選で自民党は大敗し、結党以来初めて参院で過半数を割る。その8日後、超党派の国会議員や学者が都内で開いたシンポジウムは熱気に包まれた。掲げたテーマは「非核三原則の立法化を」だ◆当時、米ソが核軍縮の対話を進めていた。一方で、20年以上前に沖縄近海で米空母の水爆搭載機が水没したことが判明する。国是としてきた核を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の三原則を法律にし、政治への信頼を高めようとの狙いがあった◆立法化の提言は、その年の長崎市長による平和宣言や非核都市宣言自治体の全国大会決議に盛り込まれた。本紙も社説で大きく取り上げ、「(日本が)積極的に取り組むべき課題」と主張している。以降、立法化を求める声は再三上がるが、政府は三原則の堅持にとどまってきた◆今年夏の参院選で大敗した自民は、日本維新の会と組んだ政権で、国是を堅持するどころか勝手に変えようとしている。高市早苗首相が見直しを検討しているという。「持ち込ませず」が、米の核抑止力の実効性を低下させかねないと考えているようだ◆核の持ち込みは日米間の「密約」で黙認されてきた。三原則は守られていないと考える国民も多い。けれど日本が平和国家として信頼されるために守ってきた理念だ。見直しは間違いなく、核兵器を肯定するメッセージになってしまう。そこに「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」はない。(信濃毎日新聞・2025/11/18)

◎ 週の初めに愚考する(九拾七)~ 「民信無くば立たず」(たみしんなくばたたず)。十五歳を過ぎてから、たくさんの政治家や政治思想家・政治学者から、この言葉をいやになるほど聴かされきました。「この政治家が、それを言うか」と張り倒したいほどに、語るに落ちた「政治状況」が続いています。すっかり「民」は舐められ切っているというほかない。「非核三原則」を党是にした、時の総理大臣が、そもそも、この「三原則」を踏みにじっていたのですから、民衆の怒りもバツが悪そうに、言うべき言葉を濁してしましました。「核を『持たず』『つくらず』『持ち込ませず』」は、なにかにつけて「唯一の被爆国」を内外に喧伝、これ勤めた国として、いかなる「原則」がもっともふさわしいのか。そもそも「持ち込ませず」ということ自体、あり得ないことで、よくもぬけぬけと「持ち込ませず」と言えた義理か。

 コラム「斜面」氏は「揺らぐ国是」と、いかにもそうなのだと思わせる書き方をされておられますが、一度だって「揺らぐことはなかった」のではありませんか。はじめから「騙しの三原則」だったから。米国はがどんなに「核の持ち込み」を主張しても、それは認めないということがあったのか。そもそも、「核の持ち込み」は不問事項であって、今回は「持ち込んでいない」が、次回には「持ち込み予定」だとでもいうのかしら。このような「茶番」、赤子でさえも見抜けるような「偽りの国是」を、真面目そうに言い触らす、その「主張」に、ぼくは反吐が出てきます。

 許しがたいのは「首相」の「厚顔無恥(shameless)」丸出しの、「盗っ人に三分の理」紛いの屁理屈です。これぞ、「虎の威を借る狐」の正体でしょう。 

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◎ 非核三原則【ひかくさんげんそく】1968年の佐藤栄作首相の発言,〈核兵器はつくらず,持たず,持ちこまず〉から,従来歴代内閣によって堅持されてきたとされる核兵器に対する日本の基本政策で,国是ともいわれた。しかし,日本に寄港する米国艦隊には核巡航ミサイルトマホークが配備されているため,この原則は守られていたとは言えないうえ,2009年政権交代して発足した鳩山由紀夫内閣の指示による,外務省の調査は,日米密約の存在を認め,〈持ち込まず〉の原則が虚偽であったことが判明した。(百科事典マイペディア)

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*民信無くば立たず《「論語」顔淵から》政治は民衆の信頼なくして成り立つものではない。孔子が、政治をおこなう上で大切なものとして軍備・食糧・民衆の信頼の三つを挙げ、中でも重要なのが信頼であると説いたことから。民信無くんば立たず。(デジタル大辞泉)

➊子貢問政。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。民無信不立。(「論語 顔淵」)

➋子曰、人而無信、不知其可也。大車無輗、小車無軏、其何以行之哉。(「論語 為政」)

➌子夏曰、君子信而後勞其民。未信、則以爲厲己也。信而後諫。未信、則以爲謗己也。(「論語 子張」)

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人間性を壊すものは誰(何)か

【春秋】おまわりさん 憧れをを裏切らないで 警察官が警察官を厳しく職務質問し、警察署内の廊下や部屋では監視カメラが署員の一挙手一投足を見張る-。そんなねじれた日が、いつか来ないとも限らない。警察不祥事で埋まったきのうの朝刊を読みながら、ふと思った▼幹部級の懲戒処分が続く福岡県警で、機動隊の若手15人が処分された。ここに書くのをためらうようなひどい行為ばかりだ。裸踊りを強要し、冬のプールに入らせ、顔に…。水難事故の救助に当たる隊員たちが繰り返したのは、悪ふざけではない。人の尊厳を奪う陰湿な犯罪行為だ。幹部は「厳しい指導の伝統」があるというが、こんな環境でまともな警察官が育つだろうか▼7年以上にわたるDNA型鑑定不正が発覚した佐賀県警。内部調査と、警察庁特別監察の中間報告の数字に食い違いがあった。県弁護士会は「あまりにずさん。何を信じていいか分からない」と憤る▼昨年から不祥事が続き、もみ消し疑惑もあった鹿児島県警では、再発防止策を掲げた後も懲戒処分が相次ぐ▼発覚のたび、謝罪会見で繰り返される「再発防止」「信頼回復」。言葉が空々しく響く。もはや監視カメラは、旧態依然な警察組織に向けた方がいいのかもしれない▼言うまでもなく、警察官はまちの治安を守る大切な存在だ。交番で姿を見れば安心する。子どもが憧れる職業ランキングでは毎年、男女とも上位の常連。その憧れを裏切らないでほしい。(西日本新聞・2025/11/29)

 意識朦朧状態で、このコラム「春秋」を読むと、壊れかけている頭はいっそうくらくらするのです。くらくらの原因はお巡りさんの不祥事(暴力事案などなど)にかぎられないからです。消防士さん、学校の先生、介護職員、自衛官などなど、多くは外部の目が届かないような仕組みが巧妙に作られていて、組織内部の不祥事は、管内一部にみの秘匿され、ほとんどは見逃されてきたのです。その事件(不祥事)のキーワードは「人権蹂躙」(「人権侵害」)ですから、なおさらに由々しい事態だと思われる。これらの組織に共通して認められる、事件発生の機序は何でしょうか。残念ながら、ここでそれを書くには、それなりの「気力」が欠けすぎています。これまであまり自覚はしてこなったのかと、自らの「表現力」の存亡にさえ、過大なエネルギーが必要とされているのでしょう。「そんなことをしてはダメだろう」と、誰に指摘されなくともわかるはずという、人間の愚かさへの痛覚のなさに思いを寄せている。

 「大人として恥ずかしい」と言う「良識」に関する意味のない「信頼」「受け入れ」を、ぼくたちは知らず知らずに持ってしまいました「自分を知れ」という格言は、古今東西を通じて掲げられ続けてきました。この「旗だけはぼくは下ろさない」という、当然に過ぎる「覚悟というものが、まるで古びた表札や看板のように「掲げるだけのもの」になってしまい、その「看板」や「旗」は紙切れか布切れになっていることに、ぼくたちきっと気づいているのですが、その「ことばに対応する」抽象概念を必要に探し求めることを止めてしまった結果の「惨状」でしょう。何が問題か。「流行語大賞」のバカ騒ぎも、この惨憺たる組織人間たちの人間性破綻の一因を生み出している。(ぼくたちには想像すらできないような、反社会的人間(非集団的個人)が、大挙して多くの社会集団や組織内に侵入しているのではないでしょうか。ある時期までの我が陸軍兵士の思考と行動がそこにおいてみられるのではないか、そんなことまで愚考している)

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死は、前よりしも来たらず、予て後ろに迫れり

 これまでに経験したことのない「日常」(正確に言うなら「非日常」)をおそらく半月ほど過ごしています。希望的観測を述べるなら、「すでに峠は越えた」と言いたいところですけれど、先がまったく見通せないのですから、とても「峠は越えた」などという状態ではありえません。それでも、確かに昨日までとは変わってきたかもしれないと思うのは、立って歩くことも困難な「微熱状態」や、身体各部の筋肉痛が消えたということです。もっと正確を期するなら、歩くことすら辛い「痛さ」が消えたことでした。面倒なことは書きたくありませんが、実は、本日、午前十時過ぎに必要があって「薬の〇〇」に出かけました。たぶん、今月に開店したばかりのスーパー(自宅から3.5㌔)で、各種薬品はもちろん日用品までそれなりに品揃えが付き届いている。「風邪薬」も買って、その店を出るまでは「生きた心地」がしなかったんですよ。その足でようやく猫のドライフードを買って帰宅しました。

 帰宅後に、軽く朝食(久しぶり)。食後に風邪薬を服用し、急いで布団に潜り込みました。正味で「睡眠」は何時間だったか。微熱はあるようだったが、体の発する「痛み」が消えたか、あってもその内容(種類)が様変わりしていたのに驚いたのでした。間断なく、痛みがわが感覚に残り続けるのと、一端は痛覚が消えるという、まったく異なる経験をしたということです。逆に言うなら、この半月間の「風邪状の病態」こそが、今までに経験したことにないものだったことになります。

 今の段階では、詳細は書けません。ゆっくりと振り返る日がくれば、この間に、我が身に起った「怖い話」も書いてみたいと思っている。ぼくも81歳を越えました。元気回復がかなうならば、しばしば分かった風に書き殴っている兼好さんの「生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、猶、定まれる序(つい)であり。死期は、序(ついで)を待たず。/死は、前よりしも来たらず、予(かね)て、後ろに迫れり。人皆、死有ることを知りて、待つ事、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟、遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」(「徒然草(第155段)」

 布団に入りながら、「自分の今の体調」をあれこれ妄想しているうちに、あっと驚いたことがあります。「死期はついでを待たず」、一瞬、ぼくは「これで終わりになるのかなあ」と思ったのでした。もちろん苦しみのさなかにあったから、いくらかは「気の迷い」があったとも考えられようが、「これで…」と、あたかも冷や汗をかきながら、ほんの一瞬だったが「覚悟」という語が過(よぎ)ったことでした。

 (つい先ほど、薬を飲んだばかり、普段以上にキーボードが正しく反応してくれません。ここで区切りを点けて、機会があればまた明日に(ダカーポ)でも)(ヘッダー写真は「ふなきちのフィールドノート」:https://funakichi.blog.jp/archives/1083638572.html

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〈上手ほど名も優美なり角力取〉其角

【有明抄】おかげさまの国 日本語には不思議なもの言いがある。「お元気ですか?」「おかげさまで」。「お忙しそうですね?」「おかげさまで」。まるで自分の力ではなく誰かに支えられて、と遠慮がちに受け答えをする◆もともと「おかげ」は神仏の助けという意味だが、もっとゆるやかに世間や家族など、さまざまな「誰か」を含んでいる。ただ日ごろ型通りのあいさつに都合よく使って、言葉に込められた感謝の気持ちをつい忘れてしまう◆大相撲九州場所で初優勝したウクライナ出身の安青錦関は、育ててくれた両親に「おかげさまで、と伝えたい」と語った。戦火を逃れ、徴兵対象となる18歳を目前に、国際大会で知り合った学生相撲の日本人を頼ってひとり来日。わずか3年半での大関昇進は、本人の精進はもちろん、多くの「おかげ」でもあるだろう◆世渡りは誰かに支えられる「おかげさま」であり、誰かに迷惑をかける「おたがいさま」でもある。そんな言葉でいたわりあう世界なら争いもないだろうが、現実はほど遠い。汚職で内政が混乱するさなか、ロシア寄りの和平案を突きつけられた祖国は大国の思惑にほんろうされている◆苦難の国旗の色をしこ名に刻んだ新大関は「さらに上をめざす」と力強い。その名の通り、安らかさを取り戻した故郷に錦を飾る日が待ち遠しい。〈上手ほど名も優美なり角力取(すもうとり)〉其角。(桑)(佐賀新聞/2025/11/27)

 本日は2点について述べてみたい。1点は「有明抄」です。以前からそうだったっか、ぼくの記憶は曖昧になっていますが、少なくとも「桑」氏の転移なるものの大半は秀逸と言っていいでしょう。どんな主題にも縦横に接しられる姿勢はなかなかみごというほかありません。2点目は「大相撲」、このところほとんど場所中継を見てこなかった。とりわけ大図も怒賀好きだということでもなかったのに、気がついて見れば、 「安青錦」と言う力士の相撲後者ぶりに見せられていました。その昔、「潜航艇岩風」と言う相撲取りがいました。生が低く、先ず腰をあげないで攻め続ける。この先、どこまで、この相撲を続けられるかはわからないが、おおいにたのしみ。怪我には気を付けて。何でもでしょうか、地位に上がるまでは精進・努力するが、上がったと途端に安心してしまうのか、その地位を守ろうと汲々とする。

 少なくとも「桑原コラム」が読めることに、おおきに刺激を受けています。もう一人、同じ九州地方紙の記者のコラムを、読める喜びを感じていますね。感謝するのみ。(まだまだ完治とはいきませんが、何とか、息は付けそうではあります。ほぼ十日目になります)

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「国のために死ぬ」ということ?

【夕歩道】子どもにも、その日、ただならぬことが起きたと分かった。周囲の大人たちがぞっとしていた。1970年11月25日昼ごろ、作家三島由紀夫氏が都内の自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。45歳。
 憂国の情の発露とされる。前年のドナルド・キーン氏宛て書簡で「一九七〇年にかけては、ひよつとすると、僕も、ペンを捨てて武士の道に帰らなければならないかもしれません」と伝えていた。
 70年は大阪万博やよど号ハイジャック事件も-。自殺4カ月前、産経新聞に「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない」などの文を載せた三島氏。今のこの国はどう映るだろう。(中日新聞・2025/11/25)

 75年前、事件の一報を聞いて、「狂乱」と言う語が脳内に居座っママでしたね。ぼくの友人には三島さんに近い人や「盾の会」に入っていたものもいた。11月25日という日付は、吉田松陰の獄死した日に因むともいう。一作家のアジ演説に先導される自衛官は、今日でもいないでしょう。「そんなはずではない」という微かな手外れが、徐々に大きくなり、事前に整えられていた「段取り」に及んだのではなかったかと思う。三島氏の「介錯」をしたのは、森田正勝。大学の一年後輩。「盾の会」で何かを企てていることはそれなりに気が付いていた。それほどの「狂気」に奔る永久思いもよらなかった。歴史的に見ても、何らかの覚悟を成就しようとすると、時には、驚くほどの滑稽、喜劇に打つのは、事の性格が尋常ではないからでしょう。「三島事件」から何かを学ぶことはあるでしょうが、ぼくには無理ですね。

 (この駄文を書いているのが午前8時過ぎ。朝方は比較的体調も問題がなさそうですが、そのあとから、叙情に「微熱」がぶり返し、体の節々が痛くなる。なななかすっきりとはしないのだ。本日も、このままベッドに戻り横になります)

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