社会はさまざまな陰徳に包まれている

 あの日、僕がランドセルを置いた理由 「伊達直人」1号の告白 恵まれない子どものために――。「伊達直人」を名乗り、ランドセルなどを寄付する「タイガーマスク運動」。全国各地で広がるようになったのは今から10年前のことだ。そのきっかけを作った男性が、毎日新聞の取材に、当時の思い、そして、その後に素性を明かした理由などを語った。【鈴木敦子】児相所長「贈り主のセンスに驚いた」 それは2010年12月25日の土曜日の正午ごろのことだった。前橋市の群馬県中央児童相談所(中央児相)の当直職員が、玄関前に、新しいランドセル10個が置かれていることに気付いた。添えられた手紙には「子どもたちのために使ってください」と書かれていた。/児相は家庭で暮らせない子どもたちを保護したり、子育て中の親子を支援したりする機関だ。連絡を受けた所長(当時)の深代栄一さん(69)は、急いで職場に向かった。/「贈り主は?」。深代さんは到着してすぐに職員に尋ねた。「伊達直人さんです」。その報告にピンときた。

 伊達直人とは、1968~71年に少年誌で連載された梶原一騎さん原作のプロレス漫画「タイガーマスク」の主人公。素性を明かさずにファイトマネーを孤児院に寄付していたというストーリーだった。「全国の人がその名を聞けば、ストーリーを思い浮かべられる。贈り主のセンスに驚きました」/深代さんは県庁の広報部門に勤めた経験がある。これは注目を集めるだろうと思った。報道機関に発表すると、案の定、取材が殺到した。地元の新聞やテレビだけでなく、在京のワイドショーや週刊誌も大きく取り上げた。(以下略)(毎日新聞・2020/12/29)

 左上右写真も:「群馬県中央児童相談所の玄関前に置かれた10個のランドセル。その後、伊達直人を名乗って寄付する「タイガーマスク運動」が全国に広がった=2010年12月25日、群馬県提供)

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 伊達直人」が素顔公表 群馬県在住の河村正剛氏 ランドセルを児童養護施設や学校に贈る「タイガーマスク運動」の先駆けとなった「伊達直人」こと群馬県在住の河村正剛氏(43)が7日、東京・後楽園ホールで行われた初代タイガーマスク佐山聡のプロレス団体、リアルジャパンプロレスのイベント「初代タイガーマスク35周年記念大会」に登場し、リング上で素顔を公表した。/ 河村氏はタイガーマスクに促されてリングインすると「子どもたちは虐待されるために生まれてきたんじゃない。抱きしめるために生まれてきたんだ」と訴えた。/なぜ、素顔を隠してランドセルを送ってきたのかについては「世の中が、このままじゃダメだ。子どもたちは、涙を流すために生まれてきたんじゃない。笑顔になるために、周りの人を笑顔にするために生まれてきたんだ」と、切々と訴えた。/そして最後に「全ての子どもたちへ…生まれてきてくれて、ありがとう。健やかに育つことを祈ります。頑張ってね」とメッセージを送り、リングを後にした。(2016/12/07)

 (左上写真:全国各地の児童養護施設や学校に、「伊達直人」の名前でランドセルや筆記用具などのプレゼントを届ける「タイガーマスク運動」。その先駆けとして活動した男性が2016年12月7日、初めて本名と素顔を公開した。/   東京・後楽園ホール(文京区)で行われた、実在のプロレスラー「初代タイガーマスク」の35周年記念イベント。満員の会場に響いた「伊達直人!伊達直人!」という歓声とともに登場したのは、漫画『タイガーマスク』の主人公・伊達直人を名乗る寄付運動を世に広めた、河村正剛さん(43)だった。/「初代タイガーマスク」ことプロレスラーの佐山聡さん(59)とともにリングの中央に立った河村さんは、自身の行動がきっかけとなって全国に広まった「タイガーマスク運動」への思いを熱く語った。

   10年以上前から児童養護施設への支援を続けていたという河村さんは、前橋市在住の会社員。だが、施設を利用する子供たちの数が年々増えていくにつれ、「世の中がこのままじゃだめだ、世の中を何とかしたい、世の中にメッセージを送りたい」と考えるようになったという。その上で、「世間にメッセージを届けるにあたり、ある人に協力して頂こうと考えました。それは・・・、タイガーマスクの伊達直人です」

と話した。続けて、「子供たちは泣くために生まれてきたんじゃない、抱きしめられるために生まれてきたんです。こうした思いを胸に、僕はこれからも活動を続けていきたいと思います」と宣言した。(以下略)(JCASTニュース・2016/12/07)

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【有明抄】ノブレス・オブリージュ 「陰徳」という言葉がある。誰も見ていないところで行う善行のことだ。西洋には「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。「高貴な者の責務」と解釈される。貴族階級の人たちには自発的で無私の善行が求められるという意味だ◆これを実践した一人が聖ニコラウス。3~4世紀に生きた司教である。その慈善活動はサンタクロースのモデルとも伝えられる。3人の娘がいる困窮の家庭を助けようと、司教は真夜中に訪れ、家に金貨を投げ入れる。たまたま靴下の中に入ったその金貨で3姉妹は救われたというお話だ。「ノブレス・オブリージュ」の精神をたたえ、語り継がれてきた逸話と感じる◆今夜はクリスマスイブ。この時季になると思い出すのは佐賀市の児童養護施設にクリスマスプレゼントを贈ったという「月光仮面」さんの記事。金額の多寡ではない。匿名でそっと届ける善意が心にしみる。そういえば15年前、漫画「タイガーマスク」の主人公、伊達直人を名乗る匿名の寄付が児童養護施設に相次いだ◆気づきにくいだけで、社会はさまざまな陰徳に包まれている。笑顔でプレゼントを受け取った子どもたちが大きくなった時、「今度は自分が贈る番」と、匿名の寄付行為を始めたりして…◆サンタが届けたかった贈り物は案外、そんな「思いやりの循環」かもしれない。(義)(2025/12/24)
【金口木舌】ドライバーにもリスペクトを クリスマスイブ。子どもたちにとって今夜は最も心が浮き立つ夜だろう▼サンタクロースには謎が多い。真っ赤な衣装で大量のプレゼントを配っているはずなのに、誰にも見つからない。詮索せず恩恵を享受するのが賢いのだが、小学生の頃はほぼ徹夜でサンタを待った。親のあきれ顔を今も覚えている。良い子は早く寝よう▼サンタは社会より数十年早い「置き配」の先駆けと言える。受け取りのサインもハンコも求めず、子どもたちにプレゼントを残して感謝を一身に集めている▼宅配便は、EC需要の拡大や残業規制の強化などで全国的に人手不足が深刻だ。特に受取人の不在による再配達が負担となる。全国で年間約50億個の取り扱いのうち、約8・4%の4億2千万個が再配達になっている▼政府は今後、置き配を標準サービスに加える方針だ。サンタのように家の中に置き配ができない以上、盗難対策や、何より社会の感覚が変わるまでにはトラブルもあろう。でも、年に1日のサンタと違い、ドライバーは社会インフラを常に支えている存在だ。サンタと同じくらい、リスペクトを忘れないようにしたい。(琉球新報・2025/12/24)

WHEN THE SAINTS GO MARCHING IN Louis Armstrong (聖者の行進/ルイ・アームストロング)(LIVE改) 初演1938 音源1955 映像1959:https://www.youtube.com/watch?v=JlzMHaf6mJw&list=RDJlzMHaf6mJw&start_radio=1

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◎ ノーブレス‐オブリージュ(〈フランス〉noblesse oblige)《「ノブレスオブリージュ」とも》= 身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。元はフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。

◎ 高貴= こう‐き〔カウ‐〕【高貴】[名・形動]身分・家格などが高く貴いこと。また、そのさま。「高貴の出」「高貴な家柄」人柄などに、気品のあるさま。「高貴な精神の持ち主」
値段が高くて貴重なこと。また、そのさま。「高貴な薬」[名]「高貴織り」の略。(デジタル大辞泉)

◎ ライオンズ・クラブ(Lions Club)= 1917年にアメリカのシカゴで発足し,現在世界157ヵ国および領域に3万6996クラブ,133万1055名の会員(1984)を擁する国際的社会奉仕団体。正式の名称は〈ライオンズ・クラブ国際協会International Association of Lions Clubs〉で,本部はアメリカのイリノイ州オークブルックにある。各ライオンズ・クラブは国際協会を構成する一単位で,クラブの存在する地域に対してさまざまな奉仕活動を行う。会員は,善良な徳性の持主で地域社会において信望のある成年男子の中から厳選され,入会は招請のみによる。日本においては1952年に初めてのクラブが東京に結成され,84年現在,アメリカに次いで世界で2番目の会員数(14万9112名),クラブ数(2704)を有する。協会の目的は,奉仕活動を通じて,世界の人々の間に相互理解の精神を培うこと,地域社会の生活,文化,福祉および公徳心の向上に積極的関心を示すことにある。モットーは〈We serve(われわれは奉仕する)〉である。(改訂新版世界大百科事典)註 liberty,intelligence,our nation’s safetyの頭文字から作られた(LIONS)

◎ 月光仮面= 川内康範原作のテレビ映画「月光仮面」の主人公。白いターバンに三日月形のマークをつけ,全身白ずくめの衣装でオートバイにのってあらわれる。正体は探偵祝(いわい)十郎。大瀬康一主演で昭和33年から放映されて子供たちの人気を得,日本のテレビが生んだ最初のヒーローとなる。桑田次郎画で漫画化もされた。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

 (⇧と⇩の2枚の写真FANNOVA・https://fannova.jp/projects/randoseru

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 世界のいたるところで、打ちひしがれている人々、否応なく恵まれない環境に置かれている子どもたち、「差別と偏見」の刃を突き付けられてもなお、生きようとしている人々。このような助けを必要としている多くの人々の数には比べるべくもないが、必ずそこには「(助けられるのだから)助けることが自分の義務である」と感じて、清らかな行為を続ける人々がおられます。

 ぼくが初めて見たテレビ連続ドラマは「月光仮面」でした。「どこの誰かは 知らないけれど 誰もがみんな 知っている」という謎かけのような唄い出しで颯爽と月光仮面は疾走していました。「正義の味方」というのはこういう存在かと、中学生にはきわめて新鮮だった。もちろん、免許も持っていないし、マスクをかぶるのは息苦しいなあと、月光仮面になるのは早い段階で諦めたけれど、「どこかで不幸に 泣く人あれば かならずともに やって来て 真心こもる 愛の歌」「誰でも好きに なれる人 夢をいだいた 月の人」、こんな存在がいるのかどうか、ぼくは年を重ねるとともに、「疾風のように現れて」というような、潔くも清らかな人間の真似をしてみたいと思うようになりました。(ぼくは宮沢賢治も大好きでした)

 近年では、最も大きな刺激を受けたのは「伊達直人」でした。本物のレスラー・タイガーマスクは知っていたけれど、リングには上がらないタイガーマスクもいるのだと、大いに元気づけられました。ぼくの知る限り、世界中に「月光仮面」や「伊達直人」は、今もなお人知れず、「正義の味方」「弱者の仲間」として活動していることをぼくは知っています。この社会にも、どれほどたくさんの「助けを求めている子どもたち」がいることか、ぼくには、まるで自分のことのように気になり続けています。本日は「クリスマスイブ」だそうです。トナカイも橇(そり)にも無縁な「和製サンタクロース」も疾風のようにやってきて、疾風のように去っていくことでしょう。その後に清々しい一陣の風を遺して。世界は「陰徳」(「人に知られないようにひそかにする善行。隠れた、よい行い」デジタル大辞泉)に溢れていると思いたいですね。

作詞:川内康範、作曲:小川寛興
1 どこの誰かは 知らないけれど
  誰もがみんな 知っている
  月光仮面の おじさんは
  正義の味方よ よい人よ
  疾風(はやて)のように 現れて
  疾風のように 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

2 どこかで不幸に 泣く人あれば
  かならずともに やって来て
  真心(まごころ)こもる 愛の歌
  しっかりしろよと なぐさめる
  誰でも好きに なれる人
  夢をいだいた 月の人
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

3 どこで生まれて 育ってきたか
  誰もが知らない なぞの人
  電光石火(でんこうせっか)の 早わざで
  今日も走らす オートバイ
  この世の悪に かんぜんと
  戦いいどんで 去ってゆく
  月光仮面は 誰でしょう
  月光仮面は 誰でしょう

昭和33年(1958)KRT(現:TBSテレビ)系列で放映されたドラマ『月光仮面』の主題歌。

マタイによる福音書 5章13節 「あなたがたは、地の塩である。だが、塩に塩けがなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられようか。もはや、塩としての力を失い、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけである。」〇マタイによる福音書 5章14節~16節「あなたがたは、世界の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、明かりをともして升の下に置いたりはしない。燭台の上に置く。そうすれば、家にいるすべての人を照らす。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためである」(新共同訳) 

【筆洗】男の子は体の弱い妹のためにケーキを用意しようと考えました。けれども粉や砂糖を買うお金がありません。そこで、村はずれに住む元魔法使いのおじいさんにお願いすることにしました。なんでも、このおじいさん、願いをかなえる魔法をあとひとつだけ使えるそうなのです▼「帰りなさい。最後の魔法は自分のために使うと決めている」。おじいさんは断りました。そこで男の子は村中を回り、お手伝いをして、お駄賃をためました▼やっと材料を集めることができました。けれども今度は作り方が分かりません。途方に暮れた男の子はまた、おじいさんの家に向かいました▼「ケーキは作れん。最後の魔法は自分のためにと決めている」。それを気の毒に思ったのは村のおかみさんたちです。みんなでケーキの作り方を男の子に一から教えました▼きれいなケーキが焼き上がり、男の子はうれしさに駆けだしました。ところが、うっかり転んでしまい、抱えていたケーキは…。男の子はおじいさんにケーキを元通りにしてと、お願いしましたが、やっぱり「最後の魔法は自分のために使うと決めている」▼それがその冬の出来事です。それから何年も後のこと。大人になった男の子はケーキ作りの腕を磨き、妹とお菓子の店を開くことができました。それは、あのおじいさんが最後の魔法でかなえたかった自分の願いだったのです。(東京新聞・2025/12/24)

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日常のずるずるに効果満点の句読点を…

【新生面】心の句読点 「気が焦って淹[い]れるお茶はからきしだめ」と平松洋子さんがエッセーで書いている。ひと仕事を片づけ、ぽかんとしたい昼下がり。または晩ごはんを終えて、おなかも時間も余裕しゃくしゃく。こんなときのお茶は「結構なお点前で」と悦に入る味わいだ、と▼お茶でも淹れましょう、と腰を上げる瞬間が好きだとも。「自分でしゃきっとひと区切り、その思い切りのよさが、日常のずるずるに効果満点の句読点を与える」。すすると香味があふれ、心が弾む。ふわあっと気が緩み、なごみの時間が始まる▼そんな句読点に日本のお茶も一役買っているのだろう。輸出量が71年ぶりに年間1万トンを超えたという。背景にあるのは世界的な抹茶ブーム。抹茶味の飲料やデザートが気軽に楽しめるようになり、原材料の碾茶[てんちゃ]は深刻な品薄だ。家庭で楽しむ煎茶やペットボトルの価格も上昇している▼名産地では抹茶製品を求める訪日客らがあふれ、価格の高騰に各地の茶道教室は悲鳴を上げている。農家の後継者不足などから国内生産量の減少傾向は続き、即効性のある対策は見通せない▼抹茶ブームがいつまで続くのか読みづらく、生産者は気をもむばかりだろう。「伝統文化を守る」という視点からも、安定的な生産量を維持できる国の支援策が求められよう▼<まつちや入りかすていら切り分けようぞ つつぷしてゐるこころを起こし>(東直子)。師走も残り2週間余。気は焦るものの、心の句読点を打つゆとりは必要だ。さて、お茶でも淹れましょう。(熊本日日新聞・2025/12/16)

 一日にどれくらいの量のお茶を飲むだろうか。たぶん、2リットルくらいか。ほぼ毎日、これくらいの量を飲んでいる。紅茶(ティパック)と日本茶が半々くら。極めてまれにはコーヒーも。朝起きたら、先ず日本茶(煎茶)を一杯。簡単な甘味(お茶うけ)を添える。今は日の出は遅いが、たいていは日の出に合わせて、お茶を淹(い)れる、これはもう何十年来の習慣である。使うのはほぼ決まって静岡掛川の茶園のもので、これも三十年ほどになるだろう。器(茶器)はなんでも構わない。その昔はそれなりに急須も湯飲みも窯元を決めては使っていたが、年と共に、何でも構わないようになった。ひたすら使い続けるだけで、ぼくには馴染んでくるのだ。しかし、昔から家には猫たちがたくさんいたから、何時だって、それらに壊されては、その都度新しいものに換えてきた。すっかり馴染んだところで割られる、そんなことの繰り返しである。

 下に、何枚かの写真を出しておいたが、その何れの急須も、右利き用になっている。その昔、たった一度だけ、「左利き用」の急須を見たことがあるが、何でもかんでも、道具は「右利き」オンリーという社会で、誰も不思議に思わないのだ。右は「正義」とか「正しい」という意味の英語から来ている。右は正しい、つまりは「左は正しくない」というのである。「人権」は「ヒューマンライト(human right)」だが、もともとは「人間の右」で、この人間の原義は「男」だったから、「人権」とは「男の右(腕)」という意味を持っていた。加えて、ヒューマンの中には女は入っていなかった。manは人間であり、男ということになっていた。「右は優位」の社会こそが、「男性中心社会」のことだった。だから、その後に「女」に該当する言葉が作られて、それがwomanになった。どうでもいいことを駄弁っているが、道具一つ見ても「男社会」が歴然とするということだろう。

 <right>とは「(名詞として)右側、右方向 右回り、右旋回 〔道徳的な〕正しさ、道理 正確さ、真実性 〔法律・伝統・自然に基づく〕権利」等々。(英辞郎)<left handed>には「〔人が〕左利きの 《スポーツ》左打ちの、左投げの 左手で作った[行った] 〔道具などのが〕左利き用の 左巻きの、反時計回りの 不器用な、ぎこちない、へたくそな 不誠実な、偽りの、本心を隠した」(同上)面倒だから省くが、この「右・左の世界観」は地球上の至る所で、長い歴史と慣習によって維持され続けてきた。今もなお、続いているのは承知の通りであろう。あまり駄弁り続けると「お茶が不味くなる」わけでもないけれど、少なくとも冷めてしまうので、ここで止めておく。

 もう何十年も昔、静岡県のお茶屋さんを訪ねたことがある。掛川近辺だったと思う。茶畑にも入った。それ以来、お茶はもっぱら静岡産のものを使っている。ところが御多分に漏れず、この煎茶をはじめとした「茶葉」の値上がりが甚だしいのである。毎日数回は入れ替えつつ飲むものだから、茶葉はかなり早くなくなる。細かい話は省略するが、ぼくの飲んでいるのはごく普通のもので、使い始めの頃は300gで500円程度のもの。これが、今では2倍3倍に高騰しているのだ。だから、毎日飲む茶はとても苦い、とは言うまい。いろいろな理由で生産コストや何やかやが値上げなのだから、致し方ないのかもしれぬが、このままだと、飲んでいる茶が手に入らないことになるかもしれないと懼(おそ)れている。

 十年少し前、当地に移住してきた際、庭の一角にお茶を植えようとしたことがあった。だが、近所で知り合いになった方から、それはよした方がいいと諭されて、植えるのを止めた。(植えない方がよろしいという理由はっきりとは言われなかったが、ご自身も何度か挑戦してはうまく行かなかったからだと思っている)馴染みの茶葉が手に入る間はぼくは生きているだろうか。駄目なら駄目で、それも致し方ない。コラム「新生面」で書かれているような「お茶の効用」、あるいは「お茶は心の句読点」などという大それた効果はぼくにはないかもしれないが、それでも毎朝、年中ぼくは「お茶」に惹かれるし、お湯を急須に注いで、暫しお茶の蒸れ具合を待つ間の瞬時(数分間)が愛おしいという気にはなる。すべては我流で、飲みたいときに、飲みたいようにお茶を淹れる。誰に邪魔されることもなく、一服の煎茶(ティータイム)がぼくにもたらす「幸い」は、本人が気づいていないだけで、なかなかのものがあるのかもしれない。ある時期までは飲み物なら、何でも(紅茶でもコーヒーでも)一端は急須に入れてから、茶碗やコップに注いでいた。つまり「万事、急須」という仕掛けだったんだ。「不愉快なこと」「不都合な出来事」ばかりの日常に、打ちようのない句読点ではなく、胃袋に染入るような煎茶の甘みと渋みが、それこそ、老いぼれの胃の神経を刺激し、その指令(神経伝達)が全身にいきわたるような心地がするのだから、やはり、朝一番の「煎茶」はぼくには欠かせない。「早寝早起き 煎茶がうまい!」

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◎ にほんちゃ【日本茶】《栄養と働き》お茶はアジアの亜熱帯地域を原産とするツバキ科の植物です。お茶を飲む習慣は4000~5000年前に中国ではじまったとされ、日本には聖徳太子の時代に、仏教とともに伝来したと考えられています。/ 当初、もっぱら薬として利用されていたお茶が一般に広まるのは、鎌倉時代の僧・栄西(えいさい)が抹茶(まっちゃ)を日本に伝えてから。その後、千利休(せんのりきゅう)によって茶道の体系が完成し、さらに江戸時代に入ると、現在と同様に煎茶(せんちゃ)として飲む習慣が一般的となります。/このように、もとをたどると中国伝来の文化であるお茶ですが、日本に伝わってからは独自の発達を遂げました。/そんな日本茶が中国茶と大きく異なるのが、茶葉の発酵法です。/お茶の葉は摘み取った直後から、自身のもつ酸化酵素の働きで発酵をはじめます。この発酵のさせ方に多彩な種類のある中国茶や紅茶に対し、日本茶は発酵をさせない緑茶のみ。また、発酵を止める加熱法も、中国の緑茶が釜煎(い)りでの加熱なのに対し、日本のお茶は大半が蒸気で蒸(む)しています。/そのため、日本茶はお茶独特のうまみや渋み、青っぽい香りが、より鮮明に味わえるのが持ち味です。

 以下に、おもな日本茶の製法とその特徴を挙げておきます。
煎茶/もっとも一般的な日本茶。日光をあてて育てた茶葉を蒸して揉(も)み、乾燥したもの。甘み、渋み、香りのバランスのよさが持ち味。
玉露/畑におおいをかけ、日光をさえぎって育てた茶葉でつくられる高級茶。うまみ、甘みが強く、香り高い。これをひいたものが抹茶。
番茶/伸びすぎてかたくなった茶葉や、茶畑の刈り込みでとれた茶葉でつくられるお茶。渋みが強めで、すっきりした味わいが持ち味。・ほうじ茶/番茶を焙烙(ほうろく)で煎ったお茶で、特有の香ばしさが特徴。カフェインやタンニンが少なく、刺激が弱いので子どもやお年寄りにも好適。・玄米茶/番茶や煎茶に、煎った玄米を混ぜたお茶。ほうじ茶とは異なった香ばしさがあり、日常用のお茶として人気が高い。・粉茶/製造途中でできる、茶葉の粉だけを集めたお茶。煎茶のものと玉露のものがある。味が濃く、寿司屋のお茶としておなじみ。(中略)

〈栄養成分をまるごととれる抹茶に注目〉
 ところで、日本茶の飲み方として、煎茶以上に注目したいのが抹茶(まっちゃ)です。茶葉に含まれている成分は、煎茶のようにお湯に抽出した場合、含有量全体の3分の1程度しか溶けださず、とくに脂溶性ビタミンのカロテン、D、Eなどは大半が茶殻(ちゃがら)のほうに残ってしまいます。/しかし、抹茶は茶葉そのものを粉にして飲むわけですから、これらのお湯に溶けださない成分も、残らず摂取することができるです。とくに、二日酔いには1杯の抹茶がたいへん効果的。茶道の先生に長寿で健康な人が多いのは、抹茶のおかげとよくいわれますが、それもこうした話と無関係ではありません。/また、同様の観点から、煎茶を飲んだ場合も、残った茶殻を捨ててしまうのは、たいへんもったいない話です。茶殻は野菜として食べられるので、料理に使って、残っている栄養素をしっかり利用しましょう。(以下略)(食の医学館)

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「そういう国なのか」と問われよう

【春秋】国の形 政治の潮目を語るとき、思い出す言葉がある。19世紀ドイツの評論家ベルネの「政府は帆であり、国民は風、国家は船、時代は海である」▼第2次大戦後のドイツは、ナチスを生んだ過去への反省を大きく書いた帆を揚げ、国民が風を送って荒海を航海した。80年後、愛国的歴史観を叫ぶ極右政党が下院第2党に躍進し針路が揺らぐ▼同じ敗戦国の日本はどうか。新調した帆に平和国家建設や核廃絶の願いを大書し、国民が風を送って、国際社会の視線に堪える航海を可能にした、が…▼帆の書き換えが始まったのか。官邸幹部が記者団に「核を持つべきだ」と私見を漏らした。水面下で非核三原則の一部見直しが検討され始めた中でのこと。核なき世界を訴え続けてノーベル平和賞を得た被団協を持つ国の政府なのに▼戦争で原子爆弾を投下された唯一の国が、核兵器との間合いを縮める図は、「第2の敗戦」ともいわれた福島原子力発電所事故を経験した国が、一時掲げた脱・原発依存の旗をあっさり降ろし原発回帰に一直線、の現況と重なる。そういう国なのかと世界から思われかねない▼国の形を考えたくなる。時代の海は今は安全保障面での構えを政権に促し、特定の風が構えの強度を求める。この種の風は吹きがいのある帆を次々に催促する。ナショナリズムをあおる風に国の形を合わせていたら、21世紀が日本に求める国家像に堪える航海は難しい。(西日本新聞・2025/12/22)

 「時代の海は今は安全保障面での構えを政権に促し、特定の風が構えの強度を求める。この種の風は吹きがいのある帆を次々に催促する。ナショナリズムをあおる風に国の形を合わせていたら、21世紀が日本に求める国家像に堪える航海は難しい」(上記「春秋」)この時期に、かかる政治批判をしなければならなくなった理由は単純かつ明白です。「人間は忘れる動物である」ということであり、社会の現状は「戦争を知らない人間たち」が否応なしに要路・要職を占める時代に遭遇しているのですから、「金輪際、戦争は御免蒙る」と考えない圧倒的多数の人々が、どこから見ても「思想」「哲学」などともいえない一種の「流行り」「ファッション」下にあるように、とっかえひっかえしてきて、今に至ったということでしょう。「弱い者いじめをする」「差別、上等じゃないか」という程度の「浮かれ主義(frivolity)」「移り気(caprice)」に身を任せるというのでしょう。これもまた一種の「風」ですね。

 ニーチェという狂気の哲学者は「人間は約束する動物である」と、確か「道徳の系譜学」に書いていたと記憶します。「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませんから」と、世界に向かってこの国(国民)は約束したことになっているにもかかわらず、「自分が生まれていなかった時の戦争の責任なんかあるはずもない」と言い切って恬として恥じない人間が一国の総理大臣になれる(押し上げられる)時代に、目下ぼくたちは生きています。幼稚な物言いを笑うなかれ、「自分の生まれていない時代の責任など、取れるものか」と言えば言うほど、「その通り」と拍手喝采が生じる現下、戦後八十年の怪異現象です。この「奈良の女」はいったい「誰」と「何」を約束するのでしょうか。昭和百年とされる本年、つまりは歴史の百年とは、嫌なことは忘れるには十分に長い時間であるということであろうし、新たな約束をするには格好の地盤が出来上がっているということでもあるでしょう。「やられたら、やり返せ」という報復主義は、無謀かつ無意味ですが、それを思慮する脳味噌が欠けているのですから、事態は極めて深刻です。

 世界を席捲し、傍若無人に振る舞っている一頭の怪物、それは「排外主義」「人種差別」「自民族中心」などという看板を掲げて、向かうところ敵なしの勢いで暴力を振りかざしている「自虐主義者(masochism)」のようにも思われます。「極右(extreme right)」でなければ「まとも(正統・orthodox)」ではないという風潮があるのでしょうか。「異民族排撃」をしないのは愛国者(patriot)ではないとでもいうのでしょうか。この国の現状を嘆く前に、欧州の政治状況、アメリカの政治風潮を見れば、「人間は一人でも十分愚かになりうる」が、「多数になればどうしようもなく愚かな上に、暴力的になる」という、情けない人間の在りようを示して余すところがありません。そこには「歴史意識(記憶)」が介在する余地がないようにも見えます。

 ぼくに奇異な感じが消えないのは、この国の「右派」は親米反共が「信条(相場)」であるとされることです。一国の独立を放棄してまで親米に傾く理由は何処にあるのでしょうか。アメリカは対中友好親善を更に進めようという方向を求めているとき、親米一辺倒であるこの国の「右派」はどうするつもりでしょうか。アメリカと踵を接して「対中親善」を選ぶとはとても思えない雰囲気にあると思われます。とするなら、はたして「親米反中」という「行動選択」が取れるのかどうか。内弁慶も甚だしい現下の政治状況にあって、世界に向けて何事を発信するというのでしょうか。「大いにお笑いください 過去を 取り戻したいのです」と宣言でもしているつもりなのでしょうか。

 恐らく、どこよりも早く百年前の圧制の時代「治安維持法下の体制」にひたすら戻ることを、愚かにも考えているのではないでしょうか。為政者たちは。過去の「遺光」によって現在を照らすというのは「イデオロギー」の真骨頂です。国の求める価値観は「過去」こそあるのだというのでしょう。これが「イデオローグ」の生命線です。その昔、カール・マンハイムという人の「イデオロギーとユートピア」を必死で読んでいた時期を思い起こしています。未来から現在を照らすことにこそ、ぼくは「人間の約束する動物」の所以があると思えばこそ、現下の「先祖返り」の政治的雰囲気には反吐を吐き続けている。

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◎ ベルネ(べるね)(Ludwig Börne)(1786―1837)= ドイツのジャーナリスト。フランクフルトのユダヤ人ゲットーに生まれる。1818年、文芸雑誌『ワーゲ』を創刊して文筆生活に入る。パリ移住後のベルネの政治評論を代表する『パリ便り』(1832~1834)は、機知に富む鋭利な文体を駆使して、ドイツの時代錯誤の現状を容赦なく暴き出した。ハイネと並ぶ「青年ドイツ派」のリーダー格とみなされたが、「政治革命か社会革命か?」をめぐって両者は鋭く対立し、ついには誹謗(ひぼう)と私怨(しえん)の大激突のうちに決別する。ベルネのわずか50年の生涯は、自己の共和主義的信念をかたくなに守り通した清楚(せいそ)な革命家の一生であった。ドイツ・ジャコバン派の政治的ジャーナリズムは、彼によって引き継がれたといっても過言ではない。(日本大百科全書ニッポニカ)

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「徒然に日乗」(948~954)

◎2025/12/21(日)終日雨が降り続く。気温は低くはなった。▶自宅に籠りきり。▶何かとパソコンをいじりながら、この社会の政治・経済・防衛などについて思いを巡らした。いくつかの新聞論評を見ると、この国の経済はKO寸前だという見方が外国では主流。「日本売り」が始まっていると思う。日銀が政策金利を苦労して0.25%挙げた途端に、円安は158円直前まで進むし、国債の長期金利(10年債)は2%を超えた。株価も5万円を割り込む。物価高騰は留まる気配がない。という状況で、この国は亡国の道をまっしぐらと負う気分だし、あらゆる指標はそのことを示している。笑うべきは内閣支持率の高止まり傾向だろうか。「毎日新聞は20、21の両日、全国世論調査を実施した。高市早苗内閣の支持率は67%で、前回調査(11月22、23日)の65%からほぼ横ばいだった。不支持率も22%(前回23%)で大きく変動しなかった。内閣が発足した10月以降3カ月連続で支持率が65%以上となり、67%はその中で最も高い。所得税がかかり始める『年収の壁』の引き上げなどの経済対策が評価されている」(毎日新聞・2025/12/21)この「年収の壁」引き上げで必要となる財源は6500億円を超える。そのための増税が待ったなしだという状況を有権者はまったく見ようとはしていないのだ。「年収の壁」で失われる所得税の穴は防衛増税という名目で穴埋めされるということを忘れないでくれ。お年玉に100円貰い、その穴埋めのために、その後の食餌を減らされるようなもの。もう少し有権者は賢くなっても罰は当たらないのだが。(支持率に関して、あるいは「大掛かりな操作」が仕組まれているのではないかという疑念が拭えないな。ほとんどが内閣や首相個人を支持するような誘導尋問で、問いかけがはなはだ作為的。いずれ化けの皮は剥がれる)(954) 

◎2025/12/20(土)午前中から雨が降る。その後は降ったり止んだりだったが、気温は上がらず、寒さを感じる一日だった。▶お昼過ぎに茂原まで買い物。いつもながらの高い買い物になった。▶日銀の政策金利上げ(0.75%)に反応して直ちに対ドル為替が2円以上も円安に振れ、157円後半まで下げる。「【NQNニューヨーク=戸部実華】19日のニューヨーク外国為替市場で円相場は大幅に反落し、前日比2円20銭円安・ドル高の1ドル=157円70〜80銭で取引を終えた。一時は157円78銭と約1カ月ぶりの円安・ドル高水準を付けた。日銀が利上げペースについて慎重な姿勢を示したと受け止められ、円売り・ドル買いが勢いづいた」「円は対ユーロでも大幅に反落し、前日比2円30銭の円安・ユーロ高の1ユーロ=184円65〜75銭で取引を終えた。円は対ユーロでも売りが勢いづき、一時は184円72銭と1999年の単一通貨ユーロ導入以降の最安値を付けた」(日経新聞・2025.12.20)それにしても、日経新聞は現内閣の経済・財政政策運営にほとんどフリーパスを与えているのはどうしてだろうか。裏があるのかもしれないと勘繰ってしまう。▶(953)

◎2025/12/19(金)陽射しのない、かなり寒い一日だった。夕方、少し買い物が必要になったので。近所の薬屋まで。▶日銀が政策金利を0.75に挙げた。30年ぶりの水準だと大きく報じられる。バブル崩壊時の水準。まさに「失われた30年」が実感される。「日銀は19日、金融政策決定会合を開き、政策金利である短期金利の誘導目標を現行の0.5%程度から0.75%程度に引き上げることを決めた。植田和男総裁は会合後の記者会見で、利上げ後も『(物価変動の影響を除いた)実質金利は極めて低い』と述べ、今後も政策金利を引き上げ、金融正常化を続ける考えを表明。利上げペースについては『経済、金融環境、物価の反応をよく見て判断したい』と説明した。利上げは今年1月以来7会合ぶりで、政策金利は1995年9月以来約30年ぶりの水準となる。植田氏は、今回の利上げ後も緩和的な金融環境が続くとして、「経済をしっかりサポートしていく」と語った」(時事通信・2025/12/19)その影響で株価が高騰し、為替相場では2円の対ドル円安が発生。高物価はこの後も続くだろうと予想されるので、生活実感は苦しいまま。(952)

◎2025/12/18(木)
午前中に買い物で茂原まで。その途中のGSに立ち寄って灯油を購入(18㍑×3)、洗車機に車を入れる。いくつかの猫たちが、時には車の屋根に乗るのだ。天候に関係なしだから、雨天などの時には猫の足跡が半端ではなく、洗車した途端に即座に汚すのだから、溜まらない。拙宅の前の「会社」の車(複数台)にも、以前は頻繁に飛び乗っていた。今では従前ほどではなくなったようだが、やはり足跡を点けている。折を見て、それなりに。お詫びの印に「洗車券」を渡しているが、それだけで済まないだろう。いつも通りに食材を買って、帰宅。▶午後はしばらくパソコンいじり。もう十年近くも使っているからパソコンの容量(ストレージ)に余裕がまったくなくなっている。あるアプリをインストールして、不要なものは削除する作業を毎日数回は続けている。それにしても「更新プログラム」と称して、どれだけのものがインストールされていることか。おおよその見当をつけて、さしあたりぼくには不要だと思われるアプリはどんどん捨てているのだが、時には大いなるミスが生じて、毎日使っている「ワード文書」(office)を削除してしまっていることに気が付いた。再度使おうとしたら、無料版もあるけれども有料版の押し売りのような状態になっている。何十年もワード文書を使ってきたから慣れてもいるが、今回は試しに「note」なるアプリを使ってみている。これも慣れるまでは面倒なことだが、仕方がない。(951)

◎2025/12/17(水)月に一度の「ペットボトル・缶」回収日なので、回収場所に持参する。昨日の裡に準備しておいたので、用意されている回収袋に入れるだけ。早朝、それなりに寒いがサボるわけにもいかない。前々月だったか、日にちを間違えて、回収日に出せなかったので、先月は缶を2回分まとめて出したら、何時もの回収袋一つでは足りず、もう一つの袋まで使った。平均して猫缶の個数は大きく変動していないようだ。数えるの癪だから、いったいどれくらいあるのかわからないが、少なくとも250缶ほどはあるだろうか。▶本日で臨時国会が閉幕。新首相の登場だったが、いったい、何をどうしたというのだろうか。ひたすら「右旋回」を続けるばかりで、この先の展望が果たして開けてくるのだろうか。それにしても、経済運営、外交交渉、加えて、人心掌握と、どれをとってもどうしようもないほどの「無知・無能」だが、これを持ち上げるメディアは焼きが回っているだろう。(950)

◎2025/12/16(火)お昼過ぎに買い物に茂原まで。混乱は前回ほどではなかったが、それでも店内のイベント広場では催事が行われるようで、たくさんの観客が開始を待っていた。当方は必要なものだけを買って、早々に引き上げた。たいして買わなかったが、会計は8千円弱だった。怖くなるほどの物価高騰状態の持続だ。インフレを放置したままで、GDBは膨らむし、国の借金は相対的に目減りする。しかし国債の高金利と円安基調の局面はまったく変わらないまま。ますますインフレが拡大し、いずれハイパーインフレとなるのだろうか。何人も有効な物価対策を打てない現実の政治だ。「ハイパー=インフレーション(hyper-inflation)= 超インフレーション。ギャロッピング・インフレーション galloping inflationともいう。物価が非常な速度で騰貴し,貨幣価値が急激に下落する急激なインフレーション。多くの場合は戦争あるいは政治的内乱時における不換紙幣の乱発,赤字公債による巨額な財政赤字などが原因である」(ブリタニカ国際だ百科事典)(949)

◎2025/12/15(月)終日自宅に。当節らしい寒い日だった。▶このところ、すっかり体力に自信がなくなっている。もともと、頑健な体質であるはずもなかったが、それなりに外作業をして、体力を落とさないように努めていたこともあり、極端に体調不良に襲われることはなかったが、今回ばかりは、自分でもやや心細くなったほど。これぞ「老齢」ということなのかもしれないと思った。▶やはり、今夏の暑さの異常さが次第に体力を奪っていたことも災いしたということもあろう。それは毎年のように定番になっている庭仕事や植木の伐採が思うに任せなかったのだから、自分なりに「体力」の衰えを感じ取ってはいた。このうえは一層健康に注意深くなければなるまい。▶何日目になるか。二歳を過ぎた♂の猫がまだ家を出たきり帰ってこない。もう一週間近くになるだろうか。寒さも加わり、どうしているのか心配ばかりしている。拙宅の周りを探すにも、余りにも広大で茫漠としていて、探す手がかりがないのだから、運を天に任せるより仕方がないのだろうか。(948)

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満を持して起用した「補佐官」が

⁂「週のはじめに愚考する」(九拾九)~ 今の内閣の中では、常日頃からある人々にはこの(核保有)問題はよく知られた、あるいはよく議論されていた問題(テーマ)ではなかったでしょうか。「官邸筋」というぼかし方は、多分オフレコ談話の公開に関しての約束があっての判断だったということでしょう。ぼくの勝手な想像(類推)でいうなら、、この「官邸筋」は、現首相補佐官のO 氏であろうと愚考します。「核(保有)問題」「台湾(有事)問題」を語って人後に落ちないと目されるのは、五人の補佐官の中ではこの人を措いて他にはいないし、さらに範囲を広げてみても、他に妥当・該当する人物はいそうにない。しかもこの O さんは奈良県出身で、以前から首相とも昵懇とくれば、やはりというか、さすがと言うべきか。つまり「よくぞ言ってくれた」という声が上がることを期しての発言だったと思わざるを得ないのです。さらに妄想を逞(たくま)しくすれば(よくないことですけれど)、「はっきりとではなくとも、核保有について一言」してほしいと首相は依頼(許可)していたかもしれません。あるいはO 氏の忖度(そんたく)だったかもしれません。空想の域を出ないと思いつつ、この首相なら「核保有」を言い出し(言い出させ)かねなかったとも思うからです。

 「非核三原則」の「持ち込ませず」は、アメリカの核の抑止力効果を失わせるので、はっきりと見直しをすると公言してはばからない首相です。他国に依存しては自らを守り切れないし、それなら、いっそのこと「核を持つ」「核を作る」と断言したも同然の、首相の「非核三原則」見直し論ではなかったでしょうか。ことここに及んでなお、「木原稔官房長官は19日の記者会見で、安全保障政策を担当する官邸筋の核兵器保有発言を巡り『政府としては、政策上の方針として非核三原則を堅持している』と述べた。発言者の進退を問われ『個別の報道の逐一についてコメントすることは差し控える』と回答を避けた。一方、中谷元・前防衛相は国会内で記者団に、交代させる必要性に言及した。木原氏は、日本の核政策に関し『唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けて核拡散防止条約(NPT)体制を維持、強化するための現実的かつ実践的な取り組みを進める』と強調。『戦後、わが国は一貫して国際社会の平和と繁栄に貢献してきた。この立場に変わりはない』と説明し、沈静化を図った。 /中谷氏は『お友達内閣と言われないよう、しっかりした方を人選すべきだ』と指摘し、後任を選ぶよう政権に求めた。 /公明党の斉藤鉄夫代表は記者団に『許せない思いでいっぱいだ。罷免に値する重大な発言で、適格性を欠いている』と批判。共産党の小池晃書記局長も『政府は撤回させた上で罷免すべきだ』と訴えた」(共同通信・2025/12/19)

 いずれ「事実」は明らかになるでしょうが、この最重要な課題に関して官房長官は「二枚舌(ダブルスタンダード)」を使っている気がします。総理には「非核三原則は邪魔や」という、明白な心づもりがあり、時にはそれがはしなくも表に出る始末。側近の補佐官が「(報じられることを承知で)核保有はすべき」と言う。どうしてこれ(「やらせ」オフレコ)を見過ごすことができるのかと、一庶民として腸(はらわた)が煮えくり返ります。

 昨日今日のいくつかの新聞コラムも、この「オフレコ公開」問題を扱っていました。以下には広島と長崎の2新聞の「コラム」を引用しておきます。

【天風録)被爆国のリーダーの足元 米国の原爆投下で壊滅した繁華街の痕跡が石畳の下から姿を見せた。建物の基礎や軒を寄せ合った屋敷境の小路。熱線に焼かれた瓦や変形したガラス瓶も出てきた▲広島市が平和記念公園内の原爆の子の像そばで発掘調査を進めている。きのうの現地説明会をのぞいた。80年前の夏、一瞬にして断ち切られた市井の暮らし。爆心地に近い公園に立つわが足元に、今も眠ると感じつつ▲高市早苗政権で安全保障政策を担う「官邸筋」なる人物が、日本は核兵器を保有すべきだと述べた。非核三原則の見直しに懸念が広がる中での発言だ。非公式取材の場だったとしても口が滑ったとは断じて思えぬ。核の恐ろしさを理解しておらず、絶対に許せない▲「狂気の兵器」を持とうと本気で考える人物を政権中枢に抱えていては平和国家としての国際社会の信頼が揺らぐ。登用した首相の責任も当然問われよう▲「核兵器を保有し、また保有しようとすることは、恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となることだ」。被爆者で元長崎大学長の土山秀夫さんが、核に頼る国々の為政者に突きつけた言葉である。被爆国の首相の足元はどこにあるべきか、分かってないとすれば空恐ろしい。(中國新聞・2025/12/21)
【水や空】「核を持つべき」発言 古歌にある。〈言はざると見ざると聞かざる世にはあり 思はざるをばいまだ見ぬかな〉。確かに、言わない、見ない、聞かない-はできても「思わない」のは難しい▲「思わない」だけでなく「言わない」のも我慢ならなかったらしい。高市政権で安全保障の政策を担当する官邸筋が「核を持つべき」と記者団に述べた。オフレコの発言という▲これに政府からは直接のコメントはなかった。やり過ごすつもりらしいが「官邸筋」なる人物の交代論は、被爆地から、野党から、さらに自民党の内部からも噴き出している▲唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現に取り組む。その“本気度”はひとまずおくとしても、これが政府の立場であって、「核保有」発言と逆であるのは誰にでも分かる▲「核のない世界」なんて絵空事さ。私はそんな信条を封印して仕事をしているんだ…と、ひそひそ語ったに等しい。「思わない」のは難しい。意に反する安全保障政策を背に負うくらいなら、引き受けなければよかったろう。役職に目がくらんだか▲その人も「核の悲惨」に触れたことは皆無ではあるまい。核を持つ、核で脅す、その先に核を使うことがあり得ることも。「忘」という字は心が亡(ほろ)びると書く。悲惨を忘れてしまうと、心を亡ぼすことがある。(徹)(長崎新聞・2025/12/20)

 頼もしかるべき「連立相手の」党首の助け舟。残念だけど、この船の底には大きな穴が開いている。どんどん海水が入ってきています。この半グレ政党の党首の「援護射撃」のつもりだったか、果たして的を射ているんですか。「政府高官の個人的見解」だってさ。「藪蛇」という言葉が妥当しますな。まずは足元をよく見なはれ。それにしても「お粗末コンビ」が日本丸を操縦しているかと思うと、笑いたくもなるし、それ以上に「少しでも早く、下船してしまいたい」という思いでいっぱいですよ。 

 「維新代表、核保有発言を擁護 政府高官の「個人的見解」 日本維新の会の吉村洋文代表(大阪府知事)は20日、政府高官が核兵器を保有すべきだと発言したことを擁護した。木原実官房長官が非核三原則の堅持を表明している点に触れて『正式な場で言ったら駄目だ』としつつ、『オフレコの個人的な見解だ』と指摘した。大阪市内の党本部で記者団の取材に答えた。/吉村氏は発言の文脈が不明確なことなどを挙げ、『(高官を)罷免すべきだというのは違うのではないか』として更迭は不要との考えを示した。『(発言を)切り取って(ニュースに)出すことが国民の知る権利にとっていいことなのか』とも語った」(時事通信・2025/12/20)

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 「安保担当補佐官に元自衛官 国会議員以外から異例起用 高市早苗首相は21日、国家安全保障と核軍縮・不拡散問題担当の首相補佐官に、航空自衛隊出身の元自衛官、尾上定正氏を起用した。通常は与党の国会議員が就くポストで、異例の人事となった。 /尾上氏は1982年に空自に入隊。北部航空方面隊司令官、空自補給本部長などを歴任し、2017年8月に退官した。首相と同じ奈良県出身で、木原稔官房長官が防衛相を務めていた23年12月に、防衛相政策参与に任命されていた。 /首相は24年8月、交流サイト(SNS)で、自身の勉強会での講義をまとめた書籍を説明した際、尾上氏を「防衛力」の講師として紹介していた」(共同通信・2025/10/21)

 「台湾海峡の平和と安定-内閣総理大臣補佐官 尾上定正先生 講義レポート 令和政経義塾第2期6回目の講義は、API(アジア太平洋イニシアティブ)のシニアフェローで先日、内閣総理大臣補佐官に就任した尾上定正先生をお迎えし、「台湾海峡の平和と安定」を主題に議論が交わされました。なお、本講義での発言内容は所属組織としての見解ではなく、尾上先生個人の見解に基づくものです。/尾上先生は、台湾有事を未然に防ぐことが最優先であると述べると同時に、万一事態が発生した。場合に備え、複数のシナリオを平時から想定し、迅速な意思決定を可能にするためのシミュレーションをしておく重要性を語りました。/今回の講義の2日前に尾上先生は内閣総理大臣補佐官に就任しました。そんな尾上先生から今の日本の安全保障について生の声を聞くことができる貴重な会になりました」(NXJI・令和義塾)(https://note.com/nxji/n/n30ad5d274cff)(右上の写真も)

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「自分ファースト」と「瀕死の一生」

【春秋】自分ファーストという貧しさ <青い星自国ファースト蔓延(まんえん)し>。本紙川柳欄に届いた句はこの一年の世界を映している。国内でも内向きな声が日増しに強まった。自己中心的な考えがはびこる世を憂えながら、まずは自分の心持ちを整えたい。そのヒントは、街角の小さな言葉にある▼寺の門前に掲げた言葉のありがたさやユニークさをたたえる「輝け!お寺の掲示板大賞」が今年も発表された。釈迦(しゃか)の教えや説法、人生訓。主催する仏教伝道協会に全国から3400作が寄せられた▼大賞は鹿児島県南さつま市、顕證(けんしょう)寺の「自分ファーストという貧しさ」。人々が他者への思いやりを持ち、寛容な社会であってほしいと願う言葉だ▼書いたのは寺の坊守(ぼうもり)で僧侶の藤かおりさん(50)。「自分の幸せだけを求めるのは仏教でいう煩悩です。それだけを突き詰めれば世は地獄、貧しい社会が待っています」と話す▼毎月、普段の生活で感じたことを筆書きで掲げる。どんなに尊い言葉でも難しくて伝わらなければ意味がない。門前の交差点で、信号待ちの間に見ても分かりやすいフレーズを心がけている▼藤さんの言葉は今年、もう一つ入賞した。「瀕死(ひんし)の一生」。どきっとする言葉をあえて使った。何が起きるか分からない世の中で、明日をも知れぬ命。一日一日を大切に歩もうとの思いだ。○○ファーストが大きな声で響く時代。他者を思いながら、自らを律する小さな言葉を大切にしたい。(西日本新聞・2025/12/19)

 「お寺の掲示板」も、今どきは一種の「交通標語」みたいなもので、「注意一秒、怪我一生」のような「警句」や「寸鉄」「寸言」「エピグラム(epigram)」があちこちで、来る人拒(こば)まずの姿勢で、衆生の「煩悩」に働きかけてくる。「煩悩(ぼんのう)」とは、「(梵)kleśaの訳。苦悩・心痛の意》仏語。身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用。貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)は根源的な煩悩として三毒という。染。結。垢(く)」(デジタル大辞泉)ぼくなどは、それこそ、「全身心、これ煩悩の塊り」みたいなものですから、いかなる「掲示板の言葉」にも足を止め、息を止め(はしないけれど)、息をのむ思いで、しばしば「復唱」するのです。

 (ヘッダー写真「町内の梵鐘や半鐘供出の合同供養式に参列した当時の住職ら=1942年」、岐阜県北方町、町文化財保護協会提供)(https://www.asahi.com/articles/photo/AS20211205001682.html?iref=sp_photo_gallery_5

 昔から、教会やお寺の掲示板には興味がありました。「この道は行ってはならぬ」とか、「すべては因果応報」などと、およそお寺らしくない物言いが気になっていて、誰が書いているのかという「怖いもの見たさ」も手伝って、よく立ち止まっては読んだものでした。毎年の「受賞作」にも、それなりに目を通してきました。ぼくにとって好ましいのは、「あなた、<社会の窓>があいてますよ、気が付いてましたか」と、何気なく自分の短慮や欠点、間違いを指摘するような、しないような、そんな「文言」が好みで、なんともよかった。抹香臭いのは苦手です。お寺さんがお寺さんらしく、上から目線で、「衆生よ、何時になったら悟るのか」「お布施が足りない」などとというような俗な姿勢にはうんざりします。少しばかり、ぼくには坊さんや尼さん、それに牧師さんという「職種」の人たちを知っていたせいもあり、「偉そうに言いなさんな、あなたの振る舞い、ぼく知っているよ」、と言いたくなるような方々が多かったからです。そこにもまた、「一人の弱い人間」がいるという感じでしたね。

 「自分ファースト という 貧しさ」に出会ったとき、いったいどなたが書かれたか、大いに気になりました。知ってみれば「坊守(ぼうもり)」さんだたという。「 寺院の番人。 小寺の身分の低い僧。浄土真宗の僧の妻。近年の制度では、女性住職の夫や、配偶者でない親族が務めることもある」(デジタル大辞泉)。顯證寺は浄土真宗本願寺派とありますから、「3」に当たるのかもしれません。それはどうでもいいことで、この「自分ファースト という 貧しさ」が世の中を席捲・闊歩している現実に、苦々しい思いをしている者として「それは貧しい(心の)人間」のことと、まるで図星を指されるが如くに、この言葉が刺さった人は(ぼくを含めて)多かったでしょう。もちろん、「それがどうした」という、手に負えない衆生(厚顔無恥の徒)も少なくないことは、言わずもがなのことではあります。この時代・社会が「生き馬の目を抜く」というような凄まじいことになっていることを知るにつけ、「利己主義」「自分中心」「他者蔑視」というエゴイズムが人間の心持をどれほど侵害・汚濁しているかに思いが及びます。

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 「『輝け!お寺の掲示板大賞2025』の受賞作が発表され、顯證(けんしょう)寺=鹿児島県南さつま市加世田唐仁原=が最高賞の仏教伝道協会大賞に選ばれた。鹿児島県内の寺院では初の大賞。同寺は彼岸寺賞も受賞した。/主催した仏教伝道協会(東京)によると、コンテストは8回目。全国から3408点の応募があり、受賞作16点が決まった。/大賞を受賞したのは6月に寺に掲示した『自分ファーストという貧しさ』。思いやりのある社会を願う気持ちを鋭く表現したと評価された。彼岸寺賞は7月に張り出した『瀕死(ひんし)の一生』だった。/法語は住職を補佐する坊守(ぼうもり)の藤かおりさん(50)が手がけ、1カ月ごとに取り換える。大賞作品は『○○ファースト』を多用する社会への不安から考案。仏の教えである慈悲の精神を基に「他者を尊ばず自分の幸せを追求するあまり、煩悩と分断が連鎖した貧しい社会にならないか」という思いを表した。/『瀕死の一生』は『医療が発達し暮らしが豊かになっても、明日生きられるとは限らない。一日一日、感謝し大事に生きることを忘れないで』の気持ちを込めたという。/藤さんは初めて応募した2022年と24年に入賞。今回はダブル受賞となり、同協会の江田智昭さん(49)は『今の言葉で仏の教えを伝えることは難しい。短い言葉でズバリと伝える藤さんの法語は、読む人の心に強く刻まれる』とたたえた」(南日本新聞・2025/12/15)

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 掲示板に「警句」を出された藤さん曰く、「仏の教えである慈悲の精神を基に『他者を尊ばず自分の幸せを追求するあまり、煩悩と分断が連鎖した貧しい社会にならないか」という思いを表した」と。折しも、宗教団体を名乗る、「カルト集団」の一挙手一投足が耳目を集める日々、その金権亡者ぶりにぼくたちは度肝を抜かれ続けた、この数年でもありました。いつだって、奇怪な想いを抱くのは、既成宗教であれ、新出来宗教であれ、どうしてあれほど金集めに奔走し、寺院建立に莫大な「寄付」を募るのか、まるで「地獄の沙汰も金次第」を地で行っているようで、ぼくには、そこに宗教的誠意や慈しみがいささかも考えられないのです。「守銭奴(L’Avare)」と言うのでしょうか。若い頃に、西洋の哲学・思想を齧ったことがありましたが、その際、否応なく「キリスト教」に遭遇しました。ぼくがもっとも不信の念を持ったのは「教会の外に救いなし(Extra Ecclesiam nulla salus)」というテーゼでしたね。なんといういやったらしい「宗教教団」かと、驚くばかりに落胆したものでした。

 洋の東西を問わず、宗教教派と雖も正義の名において戦争をし、宗教的真理に基づいて、無謀無残な殺戮を繰り返す側に立ってきたのは事実です。今日においても、その事情はいささかも変わっていません。過去の第二次戦時中に、日本の仏教界、否、宗教界は挙(こぞ)って、「聖戦」に眦(まなじり)を決して参加しました。「仏」を好き放題に利用してきた報いを、ぼくたち衆生もまた享けているというほかありません。「輝け!お寺の掲示板大賞」が、ただそれだけの単なるイベント行事で終わってしまうのか。もっともっと、「自分が、自分が」の虜になっている人々に語りかける機縁を持つことがあるなら、それはそれで意味のあることでしょうし、さらに、この「道義頽廃」「人倫頽落」の極致に向かっているかのような趨勢に「掉さす」働きが仏教やキリスト教のなかにないのかどうか。それも含めて、この先にいっても、この出来事(催事)が宗教的意味合いを日常的に語りかけ、感じさせてくれる契機となることを切望しているのです。

 「瀕死の一生」ということばが坊守さんの「肺腑の言」であったかどうか。「瀕死」とは、文字通りに「死にかかっている」「死にそうである」と言うことです。「生」「のなかに「死」はそなえられているということを、ぼくたちはどれだけ知ろうとしているのでしょうか。

(ギリシアの哲学者・プラトンは「哲学(するというの)は死の練習である」という意味のことを言いました。その内容は多義でもあり深淵でもありそうなので、ここで語るには面倒に過ぎます。いずれ別の機会に)

(【輝け!お寺の掲示板大賞2025】「お寺はいのちのパビリオン」胸に沁みる標語がずらり 大賞発表|TBS NEWS DIG:https://www.youtube.com/watch?v=yOiLn9lGx7c

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「自分は強い」というのは虚勢の表れ

【斜面】強さと強引の履き違え 経済や政治に提言を続けた松下幸之助は「軍事大国でも経済大国でもない」日本の在り方を模索している。たどり着いたのは「海外や人類に力強く奉仕、貢献できる国家」。著作「遺論(ゆいろん)・繁栄の哲学」で「精神大国」との言葉で示した◆幸之助設立の松下政経塾を20代に卒塾した高市早苗さんが、首相として初めて臨んだ臨時国会が閉幕した。掲げたのは「強い経済、強い外交・安全保障」。閉幕後の記者会見でも「強い」という言葉を9回使っている。高市さんの言う「強さ」とは何か◆対中強硬派で知られる高市さんは、衆院予算委員会で台湾有事を巡って従来の政府見解を踏み越える答弁をして、中国側が反発。日本維新の会との連立協議では、維新側が求めた衆院議員の定数削減を、党内の議論がないまま合意書に盛り込んで「乱暴すぎる」との声がやまない◆「政治とカネ」問題は「そんなことより定数削減」と追いやる。防衛費は増やし、武器輸出のルールは緩和方針。非核三原則見直しもにらむ。政治姿勢は「強さ」より「強引」か。気になるのは安倍晋三首相時と同様の「忖度(そんたく)」が生まれつつあることだ◆政府の男女共同参画会議で、高市さんが選択的夫婦別姓議論で掲げる「通称使用法制化」を、議論を全くしていないのに事務局が答申案に盛り込み、出席者が反発する事態に。氷海を突き進む砕氷船のごとく船出した「高市丸」はどこへ? 幸之助が夢見た「世界に範を示す国家」は遠い。(信濃毎日新聞・2025/12/19)

 誰に限ることではありません。「自分は強いのだ」と言いたがる人間は、押しなべて「隠しようのない弱さ」を示しています。人間(に限らない)の「弱さ」「強さ」はいろいろにとらえられましょう。他人に対してこれ見よがしに「俺は強いのだ」「強い私よ」と言いふらすものに、本当の「強さ」を示す何物も持たないものがほとんど。「強い」という表現を使いたがること自体、強さの実態を持たない空虚(虚勢)な言葉を操って、「自分は強い」と思い込みたがる、自己に暗示をかけているに過ぎすぎないでしょう。コラム「斜面」に「対中強硬派で知られる高市さん」とあります。そうでしょうか。「中国何するものぞ」と、内向きに言うだけなら、歴史認識を著しく欠いた「愚見」「極論」にすぎないし、「こう言うと、相手はどう思うだろう」という配慮がないのに、強がりを言って自己満足をしたり、取り巻きの機嫌を伺ったり、そんな人間が「強い」はずもないです。

 「強い経済、強い外交・安全保障」と勇ましいことを語るが、その実態は何か。ぼくに言わせると「騙るに落ちた」話でしかないというものでしょう。あなた好みの「首相」になりたいとばかりに、アメリカのご機嫌を伺うことが首相の役目だと只管(ひたすら)思い込むという近視眼の人間。ぼくは「現首相」の悪口をひたすら喋っているように思われるでしょうが、案に相違して、嫌いなのは「嘘つき」「自己自慢」「他者への無配慮」に長(た)けている人間であって、それが「今の首相」にぴたりと重なるというだけのことです。なってはいけない人が「首相」になると、迷惑を被(こうむ)るのは自国民であり、他国の人々でしょう。この人は相当の「嘘つき」です。大体が「政治家は虚言」で生きているところがありますから、恐らく、彼女は政治家に向いていたのでしょう。だから総理大臣になっていい、とはぼくには思えない。もっと言うなら、一日も早く辞めてほしいと願うばかり。

 「高い支持率」が言われますが、その支持者の群れを見ていると、空恐ろしくなります。支持の第一の理由に「女性だから」と言うのが上げられていました。恐ろしいですね。中身(人品)は問わない、女だから、これが支持の理由になるなら、政治的センスも何もあったものではない。しかし、支持率が高いのは事実ですから、その事実をこそ、ぼくたちはよく考えなければならないと思います。たまたま、今回は「女性だから」であって、「ほかに(信頼できる)人がいないから」という理由だって「高い支持率」の根拠にもなります。でも、ぼくたちは、よほどでない限り、「この政治家「あの政治家」がどういう人か、ほとんど知るところがない。政治信条も政治活動(履歴)も含めて、何も知らないのに、見た目の印象で「支持する」となるのですから、考えるまでもなく、実に空恐ろしい。(ありていに言う、首相への忖度の度合いを測るなら、すでに「大政翼賛」体制は出来上がっています)

 自分が総理大臣(首相)になるためなら「悪魔と手を結ぶ」と言うほどに、まともな人間集団とは思えない「維新」という「半グレ政党」(評論家の佐高信氏の表現)と盟約を結ぶ。誰でもよかった証拠に、いま拘置所に入っているN国党党首の率いる党とも手を結んだ。いずれ、そのためには参政党とも国民民主党とも連合(野合と言うべきか)するに違いありません。政治信条や政治姿勢に賛同するからではなく、首相の地位を守るためだけに徒党を組むという無節操。一体、この風潮・風儀をどうしますか。「政治姿勢は『強さ』より『強引』か。気になるのは安倍晋三首相時と同様の『忖度(そんたく)』が生まれつつあることだ◆政府の男女共同参画会議で、高市さんが選択的夫婦別姓議論で掲げる『通称使用法制化』を、議論を全くしていないのに事務局が答申案に盛り込み、出席者が反発する事態に」(コラム「斜面」)という具合で、ぼくは泣きたくなるほどの、そこの浅い「空虚な政治(ごっこ)」だと言いたい。「裸の女王様」に取り入るうちに、すべてが、自分を失うんですね。

 余計な一言です。もともと「松下政経塾」を出たということ自体、ぼくには信用ならないという気分がある。何人かの政経塾出身政治家を知っていますが、信を置く気にはなれなかったですね。(もちろん、これはぼくの「偏見」です)いつも言うことですけれど、「惻隠の情」を失している政治家がそもそも存在し得るということ自体、矛盾しているでしょうね。ぼくには「だれ一人取り残さない」という政治家の甘言(「人の気に入るような口先だけのうまい言葉。甘辞」・デジタル大辞泉)は、現実においては「例外なく、すべての人を取り残す」となって表れるのがオチです。孟子の言う「惻隠之心」とは、そもそもが「仁の端なり」と言われたもので、「仁(rén)」という、他者への愛情(思いやり)を持たないで政治にかかわること自体、実に不遜千万だというべきでしょう。「惻(そく)」も「隠(いん)」も、「他者を労(いた)わる」「心配する」という意味合いを持った言葉です。

(余話です 新たなカテゴリとして「浅瀬(あさせ)に徒波(あだなみ)」などという無粋な「面目(めんもく・めんぼく・めいもく・めいぼく)」を加えました。まったく新味はありません。それでも、筆者としては、この隠れ里(hiddenn village)を開いて「一種の精神の体操(A kind of mental training)」に精進したいとの浅慮からのもの。「思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。『徒波』は『仇波』とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から」ことわざ辞典ONLINE)「浅瀬あさせ仇波あだなみ《古今集・恋四の「底ひなき淵やは騒ぐ山川の浅き瀬にこそあだ波は立て」から》思慮の浅い者ほど大騒ぎをすることのたとえ」デジタル大辞泉)誰彼のことを非難がましく言い募るのではなく、もっぱら筆者自身への「あてつけ」「自戒の念」としたい、そんな願いを込めたつもりです)

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