
表題句は富安風生作(1885~1979)。愛知の人。逓信省(郵政省→総務省)事務次官にまで昇りつめながらの句作人生。虚子の門下に入る。この句は何歳のころの作品だったか、パソコンを打っている机のすぐそばに風声全集がありながら、当て推量で、たぶん八十を超えたころのもと記憶しています。「大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり」ある時期、ぼくは風生さんに引き寄せられるようにしてよく学んだものだと思いますが、その後、劣島各地に彼の句碑が林立している事実を知り、やや遠のいた(敬遠した)。それでも、なかなかの俳人という評価は変わっていません。この句などはどうでしょう、「痩せ我慢」というか、「強がり」というか、いずれにしても「怪我の元』というところでしょうか。(左写真は厳冬の嵐山・渡月橋と西山風景、嘗てはぼくの遊び場でした)
なぜでしょうか。「大寒(だいかん)」の季節には雅句、秀句が多いように思われます。数多(あまた)ある中から、二つばかり。「大寒や転びて諸手つく悲しさ」(西東三鬼) 「働いてゐて大寒もまたたく間」(真砂女) 三鬼さんの句は、わが身に照らしても気を付けたいですねという警告の句です。真砂女さん、暫(しば)しも休まずと、まるで「村の鍛冶屋」さんのようで、忙しさが句中に溢れているようです。それほどに、一年の中での寒さ暑さの分岐点にして、多くの人々は、気分を引き締めたり緩めたりしてきたのが「大寒」だったという思いもします。この時期、方々の海中で「寒げいこ」と称して「我慢比べ」をするのも一つの風物になっています。「大寒」を過ぎれば、一気に「春隣り」となるのでしょうか。

ぼくは寒さには、いくらかは耐性があると思っていました。能登半島や京都市内の外れに住んでいたので、厳寒の季節は、文句の言いようもないくらいに生活の一部でしたから。京都の冬は、愛宕下ろしも加わり、それは厳しい寒さで、家の中に寝ていた犬が凍死したというほど(老犬でした)。房総半島の真ん中に越してきて十数年、雪を見たのはほんの数回です、九十九里海岸からの海風が適度の湿り気と暖気をもたらしてくれるのでしょうか。もちろん夫婦ともども老齢(馬齢とも)を重ねていますから、「油断大敵」ですね、とにかく風邪をひかないように注意専心です。よく使われる表現に「年寄りの冷や水」があります。その意とするところは、どうも誤解されているようで、その昔は、生水を飲むのはよくない、少しでも沸騰させた「湯冷まし」を飲むようにしなければといったのです。江戸あたりでも生水は雨水(井戸)・川からのものだったでしょう。殺菌されていない水は年寄りには禁物ということでした。(「「冷や水」を冷たい水を浴びることと解するのは誤解です。冷たい飲用水をさし、比喩的には年寄りにふさわしくない行為を象徴しています」ことわざを知る辞典)

◎ 大寒(だいかん)= 二十四節気の一つ。陰暦12月中、太陽の黄経300度に達したときで、太陽暦の1月20日ころにあたる。北半球の温帯地域では一年中でもっとも寒い季節で、極寒に抗して身体を鍛えようとする種々の寒稽古(かんげいこ)が行われるのもこのころである。大寒が明けると立春である。(日本大百科全書ニッポニカ)
△「寒」のあれこれ [意味]①さむい。つめたい。ぞっとする。「寒色」「寒心」「寒冷」 ②さびしい。まずしい。いやしい。「寒煙」「寒酸」「寒村」 ③かん。二十四節気の一つ。立春前のほぼ三〇日間。「寒中」「寒梅」「大寒」 成り立ち 会意。宀と、人(ひと)と、茻(ぼう)(草のむしろ)と、冫(ひよう)(さむい)とから成る。家の中で人がむしろにくるまって寝ていることから、「さむい」意を表す。(漢字ペディア)
【有明抄」寒さしのぎ 歳時記をめくると、むかしの暮らしがほの見えることばに出会う。たとえば「北窓塞(ふさ)ぐ」。断熱が行き届いた近ごろの造りと違い、北風が吹き込んでくるような住まい。冬のあいだ、窓を閉じて寒さをしのいだのだろう◆きょうは二十四節気の「大寒」。1年で最も寒いころ。暦に合わせるように、今季最強の寒波がいすわる予報も出ている。「寒」という字は家の中に枯れ草やワラを積み上げ、蒲団を敷いた様子を表しているのだとか。ここにも防寒対策に頭を痛めた古人の暮らしが透ける◆暖房のきいた部屋でぬくぬくとしていられるいま、寒いのはもっぱら懐具合ということになろうか。きのう高市早苗首相が23日の衆院解散を表明した。超短期決戦の争点として、消費税減税の論議がかまびすしくなっている◆食料品の税率をなくすのは時限的か、恒久化か。「2年限り」だったはずが半世紀も続いたガソリン暫定税率の例もある。消費税を減税しても効果は限定的で、税収の損失に見合わないといわれる。社会保障の財源をどうするか、一見ぬくもりのある「寒さしのぎ」がかえって凍えてしまう不安もよぎる◆季節も寒さの底を抜ければ、少しずつあたたかい春へと近づいていく。「北窓塞ぐ」の対になる季語は「北窓開く」。そんなよろこびを実感できるような政治、政策に目をこらしたい。(桑)(佐賀新聞・2026/01/20)

昨夕は、ちょうど夕ご飯時だったので、仕方なしに「首相会見」のテレビを見るともなく見ていました。これが「記者会見」ですか、と慣れっこになってしまったが、だれも奇怪に思わない風景に政治の「堕落」を痛感しただけ。そんな「茶番劇」でした。「 底の見えすいた、下手な芝居。馬鹿げた振る舞い」(デジタル大辞泉)会見とは<press conference>、つまりは「an interview given to journalists by a prominent person in order to make an announcement or answer questions.」記者会見と称して、官邸で演じられていたのは「茶番劇(farce)」でした。「a comic dramatic work using buffoonery and horseplay and typically including crude characterization and ludicrously improbable situations.」見るに堪えない、聞くに堪えない「記者会見(ファルス)」だったとぼくは思う。あらかじめ質問する内容を文章で首相側に渡し、首相はそれを横において、官僚に作文させる。まさしく「カンニング」が歴然と国民大衆の面前で行われていました。「出される問題がわかっている(記者はそれを読んでいる)(首相もその質問を読んでいた)」「その問題に対する答案(回答)を首相は読んでいるだけ」、これが会見だとする実態です。つまりは「儀式」でしたね、見え透いた。底抜けの堕落でした。

問う側(記者)と問われる側(首相)双方の不謹慎で、不真面目な姿勢に、ぼくはこれまでにも何度も反吐を吐きました。実に我慢ならないのです。総理大臣として国民をなめているし、記者諸君も共犯・同罪であると指弾しておきたい。腐っていますね。口から出まかせの「大義」では「大義」が泣くでしょう。取ってつけた理由は、正しい理由にはならない。ここに彼女の真骨頂がある。「嘘で塗り固める」宣伝に、いとも軽々とざまされ、まいってしまう選挙民。なれ合いの関係ですな。やりたいことは「憲法改正」「核保有」「軍事大国化」「治安維持法制定」等々、自分の政治に反するものは弾圧すると、はっきりと宣言すればいいのに、トランプみたいに、さ。
【春秋】大寒に吹く解散風 冷たい風に触れるとヒュルルルルルルンと口ずさみたくなる。1970年代の歌「北風小僧の寒太郎」。1月上旬の小寒を寒太郎と呼ぶ地域があり、当時はやっていた時代劇ドラマ「木枯し紋次郎」にも着想を得て曲ができたそうだ▼きょうは大寒。一年で寒さが最も厳しい頃とされる。先週末の陽気から一転し、今週はグッと冷え込むとか。寒太郎も三度がさを目深にかぶって「寒うござんす」と空を飛び回るかもしれない▼ここへきて、この季節には珍しい突風が吹き荒れた。永田町の解散風。前回の衆院選から1年3カ月しかたっていないのに、高市早苗首相は衆院を解散して総選挙を行うという。きのうの記者会見で表明した▼米国では政権発足後の100日をハネムーン期間と呼ぶ。国民やメディアの評価が甘くなりがちで、高支持率を維持しやすい。高市政権は発足して100日足らず。蜜月期間をどう見るのか、有権者はクールな判断が迫られる▼この期間、さまざまな首相の姿があった。見過ごせないのは「そんなことより」と追いやられた政治とカネの問題。揚げ足取りとの批判もあるが、真意は選挙公約や候補者の顔触れでおのずと明らかになるだろう▼物価高で国民の懐は寒い。各党は競うように消費税の減税案を掲げる。期待がよぎる一方、将来の日本は大丈夫なのか、冷たい雪のように不安が積もる。お寒い政治とならなければよいが。(西日本新聞・2026/01/20)

「米国では政権発足後の100日をハネムーン期間と呼ぶ。国民やメディアの評価が甘くなりがちで、高支持率を維持しやすい。高市政権は発足して100日足らず。蜜月期間をどう見るのか、有権者はクールな判断が迫られる」(コラム「春秋」)「女性だから支持する」という多くの似非(えせ)フェミニストに支えられて、異様に高い支持率を誇示していたのに、「私が首相でいいかどうか、判断を仰ぎたい」と寝言を言う。理由になっていないのですよ。 「この期間、さまざまな首相の姿があった。見過ごせないのは『そんなことより』と追いやられた政治とカネの問題。揚げ足取りとの批判もあるが、真意は選挙公約や候補者の顔触れでおのずと明らかになるだろう」(同上)政治と金、統一教会、習近平等々、突きつけられている喫緊の課題に関しては「一言半句」も触れようとはしないのは、そこを突かれるのは致命傷になることを知っていたからでしょう。

「台湾有事発言」に発する、自らの放言・妄言で失った「国富・国益」はどれくらいになるか。計算してごらん。国債の長期金利はどれほど上がったか。円安昂進はどこまで行くのか。特例国債の増発による放漫予算を組むことで、株は爆上がりです。株高・円安・金利高という「経済を委縮・停滞させる三要素(アベノミクスの二番煎じ)」を放置したままで、「信を問う」などと洒落たことを言うものではないですよ。「物価高で国民の懐は寒い。各党は競うように消費税の減税案を掲げる。期待がよぎる一方、将来の日本は大丈夫なのか、冷たい雪のように不安が積もる。お寒い政治とならなければよいが」(同上)と、コラム氏は来るべき災難に事寄せて、「どうか杞憂であってほしい」と書かれています。果たしてどうか。「杞憂」とは「《中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から》心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。杞人の憂え」(デジタル大辞泉)「心配いらないことを心配する」のが「杞憂」、でもこれは確実にやってくる自然災害のように、確実に襲うであろう「人災」に他ならないから、心穏やかではないのです。
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