国が「正しさ」を強要する時代…

【産経抄】賢しらぶる「声」に惑うなかれ、高市首相は民意への答えを 何年か前、小紙ウェブサイト「産経ニュース」で音声によるインタビューの連載を担当した。▼取材相手の話を収録し、ネット上で届ける企画だった。簡単なようで、そうでもない。録(と)った音声を取材後に聞き直したところ、雑音だらけで慌てた覚えがある。周りにいる人の声から洗い場の水音まで、あらゆる物音が入っていた。音響の専門家によれば、マイクを置いた位置がよくなかったという。▼「話す人のそばに置かないと、周りの音も拾いますから。人の耳と一緒なんです」と。指摘の通りで、マイクは取材相手と当方の真ん中にあった。音の出どころが周りにいくつもあると、耳と同じくマイクも迷うものらしい。政治の中心に身を置く人も、これに似た境涯だろうか。現代は「危機の時代」といわれる。一国の指導者に迷っている時間はない。▼衆院選が終わり、空前の大勝を収めた高市早苗首相と自民党に対して百論が飛び交う。「数の力で異論を抑え込んではならぬ」との声もある。賛否を伴う政策を進めるにはしかし、議論した上で多数決で決めねばならない。それが民主主義である。圧倒的な「直近の民意」で政治的な力を得た政権が、賢(さか)しらぶる声の一々に足踏みしては選挙が意味を失う。▼「国論を二分」する政治課題を、背負って立つ資格が自分にあるか。高市首相は選挙でそう問いかけ、有権者は決めきれぬ政治との決別を選んだ。強靱(きょうじん)な安保政策を推し進め、インテリジェンス(情報収集)機能を高め、憲法改正を。なすべきことに形を与えるのが示された民意への最も誠実な答えに思える。▼一時期もてはやされた「聞く力」も、声という声をあまねく拾う耳だけでは前に進めない。高市氏の耳は、どうだろう。(産経新聞・2026/02/13)

  「現代は『危機の時代』といわれる」「圧倒的な『直近の民意』で政治的な力を得た政権が、賢(さか)しらぶる声の一々に足踏みしては選挙が意味を失う」「強靱(きょうじん)な安保政策を推し進め、インテリジェンス(情報収集)機能を高め、憲法改正を。なすべきことに形を与えるのが示された民意への最も誠実な答えに思える」(【産経抄】)ここでコラム氏がお得意の辛辣な表現を使っています。「賢(さか)しら」とは「利口そうに振る舞うこと。物知りぶること。また、そのさま。かしこだて。「—をする」「—に口を出す」(デジタル大辞泉)偉そうに批判する連中の「怒声」や「うめき声」などには一顧だにするなという応援団の力強い励ましです。しゅそゆにとっては「百人力」ですか。 

 「歴史的大勝の高市早苗首相は『国旗損壊罪』の制定を目指す▼40年ほど前、海邦国体の会場で日の丸が燃やされた時は刑法の器物損壊罪を適用した。政治への反論を表現の自由として尊重するならば、新たな法制化は必要だろうか」「国が過剰に『正しさ』を強要する時代は息苦しかろう。ここは『オールドメディア』たる新聞の踏ん張りどころ。『働いて働いて』の高市首相ではないが、沖縄戦という軸に立って書いて書いて書き続けるしかない」(【金口木舌】⇩)(左は赤瀬川源平さんの「偽札」の絵です)

 二つのコラムは、首相の「選挙に大勝」をめぐって、まるで方向(ベクトル)の違う意見を出しています。首相自身の評価をめぐって、いわば「国論は二分」されているともいえそうです。もちろん、ぼくは「沖縄派」であることを隠さない。

【金口目舌】現代美術家、照屋勇賢さんの作品「さかさまの日の丸」は、「正しいと正しくない」「常と常ならず」の感覚を静かに揺さぶる。正しさって何だっけ▼衆院選やミラノ・コルティナ冬季五輪で日の丸の旗を目にする機会が増えた。選挙戦では「正しい」という言葉も聞いた。歴史的大勝の高市早苗首相は「国旗損壊罪」の制定を目指す▼40年ほど前、海邦国体の会場で日の丸が燃やされた時は刑法の器物損壊罪を適用した。政治への反論を表現の自由として尊重するならば、新たな法制化は必要だろうか。何年も前から「保守層へのヨイショ」とも指摘される▼雪の五輪会場の日の丸を見ながら、作家の故赤瀬川原平さんなら今をどう料理するか考えた。約60年前、アートで作った「模型千円札」が罪に問われた。裁判も含め、本物と偽物の間で展開された芸術行為は「正しさ」「常識」を揺さぶり、挑発した▼国が過剰に「正しさ」を強要する時代は息苦しかろう。ここは「オールドメディア」たる新聞の踏ん張りどころ。「働いて働いて」の高市首相ではないが、沖縄戦という軸に立って書いて書いて書き続けるしかない。(琉球新報・2026/02/13)

 「国論」とはどういうものですか?「国民一般の論・意見。世論。『—を二分する』」(デジタル大辞泉)「国論が二分されている問題」にも果敢に挑戦して、前に進めると首相は「解散」の「大義」をかたっている。まるで「後出しじゃんけん」みたいなもので、これもやる、あれもやる、みんな国論が二分されているものだ、と。選挙の結果に関して、ぼくは何も言わない。それが多くの有権者の選択(判断)だったのですから、それをとやかく言うことはしません。しかし、有権者の多くの判断が「正しくない」「誤っていた」ということはいつだってありえるのだし、その圧倒的多数の判断が間違った方向に進む情勢(国情)を「ファシズム(fascism)」というのでしょう。それは否定できません。

 ただ今現在の、この国の政治的雰囲気は間違いなしに「ファシズム」であるとぼくは考えています。「極右の国家主義的、全体主義的政治形態。初めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼称であったが、広義にはドイツのナチズムやスペインその他の同様の政治運動をさす。自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする」(同前)少なくとも、この辞書に言うところの「自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする」という部分(政治的傾向)は、まさしくそうであるといえるでしょう。個々の有権者の資質や判断がどうであろうと、けいっか的に「圧倒的多数の民意」が一党に寄せられたのですから、それを「千載一遇」の好機と捉えない政治家はいないでしょう。(「ファシズム」についてものをいうとすれば、おそらくたくさんの言葉を尽くさなければ無理でしょう。しかし、ここは論文を書く場でもありませんので、辞書を引いて、役目済ましをしておきます。いずれ、否応なく、語るべき時が来るでしょうから、その時に譲ります)

 本日は、二つの新聞のコラムを引用しました。まさに「右」と「左」に分裂しているかのような印象を受けます。だから、「あなたはどちらの立場に立ちますか」と問われれば、「ぼくは【産経抄】にくみします」、「いいえ、私は金口木舌派です」と、国や権力者に対する「立場」は分かれますからあるもんだに関して両社の意見を聞けば、たぶん「文壇」されることは避けられないでしょうね。問題はその先です。みんながまとまっていれば、政治は簡単でしょうが、はっきりと意見が割れるとき、政治や政治家の出番があると思うのですが、この国も「多数決」が物事を決める手段となるのは、その通りでしょうが、問答無用で「多数決」となるなら、それこそがファシズムの特質がそこに見いだされることになるでしょう。

 ファシズムはどこからやってくるのでしょうか。あの山超えて野を超えて、いや海のかなたの異国から。そう思いたいのでしょうが、違います。「私の心の内」「あなたの胸の中」、そこからやってkるのですよ。だからよほどでない限り、ほとんどはそれと気が付かないのですね。もちろん、首相自身も。自分はファシストだとは夢にも思っていないでしょう。気が付いたら、手遅れというか、ファシズムは気分的には完成してしまっている。この国も現状はどのあたりですか。

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◎ ファシズム= 狭義にはイタリアでムッソリーニの指導下にあったファシスト党の,広義には20世紀の全体主義的・国家主義的独裁の運動理念,支配形態。イタリア語ではファシズモfascismo。語源は古代ローマの儀式用の束桿を意味するfasces,転じて〈結束〉〈団体〉の意。第1次世界大戦後の資本主義の一般的危機と,それから起きた社会的・経済的混乱や社会主義革命の危機の切迫感から,その存立基盤に不安を感じた中間層が,カリスマ的指導者に率いられて起こした大衆運動。議会政治や言論・出版・結社等の自由をすべて否定し,反革命運動を推進した。またすべての悪の根元は社会主義・共産主義・ユダヤ人等にあるとし,偏狭な民族主義や排外主義を唱え,しばしば対外侵略政策をとった。ドイツのナチズム(ナチス)や日本の天皇制ファシズムもその例である。ただし,ファシズムを最広義に,〈共同体〉(その大小,出自,体制の相違を問わない)統合の極限的な原理ないし手法と解すれば,これを歴史的事象として清算することはできず,再出現の可能性は常にあると考えなければならない。その政治的・経済的・社会的側面のみならず,思想や文化にわたる機制の解明が必要とされるゆえんである。(百科事典マイペディア)

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大衆は「洞が峠」を決め込んだのか

【新生面】時代遅れ感 小沢さんに岡田さん、枝野さんや安住さん…みんないなくなった。1990年代以降、旧民主党から立憲民主党まで屋台骨を支え、政権交代を実現し、その後も野党の顔だったのに。寂しくなるけれど、有権者の厳しい審判である▼立民と公明党が結成した中道改革連合は、衆院で公示前議席の3分の2以上を失った。突然の解散と「高市旋風」に急場しのぎの新党はなすすべなし。失礼ながら野田佳彦、斉藤鉄夫両共同代表は刷新感、期待感、躍動感いずれも乏しく映った▼辞任表明した野田氏は「何となく2人には時代遅れ感が付きまとった」と表現。さて、どこが時代遅れだったのか。選挙目当ての合流、右でも左でもない「中道」の分かりにくさ、組織票頼みの戦術-。どれも「何となく」当てはまる▼きのうの議員総会では、党の分裂を求めるような厳しい意見は出なかった。まずは一体感、連帯感を大事にするらしい。ベテランの重しが減り、新陳代謝は進むのかどうか。あす選出される新代表の手腕が問われる▼これまでの国政選挙を振り返れば、旧民主党時代から政権批判の「風」頼みだった。逆風に吹き飛ばされたのも当然ではなかったか。ただ、次の選挙までは時間がある。腰を据えて政策を練り直し、訴え続けたら党勢の回復感も出てくるだろう▼河島英五さんが歌った『時代おくれ』の一節を、中道の皆さんに聴かせたい。〈人の心を見つめつづける/時代おくれの男になりたい〉。有権者の心に響く政治の価値は時代を問わない。(熊本日日新聞・2026/02/12)

 風見鶏(weathercock・weathervane)とかポピュリズム(populism)などと称され、政治の世界ではあまり褒められもしない「風潮」「風読み」ということが言われてきました。今の時代はネット万能だから、選挙もまたSNSにたけていなければなどといい、それに反して昔風の「演説」や「握手作戦」は時代遅れなどと批判されます。確かにそういう面はありますが、だから、そんなのは「時代遅れ」と見下していいのですか、そんな疑問を(同調したくない姿勢)をぼくはいつも堅持しようとしてきたように思います。もちろん、付和雷同というか大勢順応という「圧力」にいつも抗していたかというと、どうですかね。「体制」や「大勢」に媚びを売るようなことは皆無だったといえないのは、考えてみれば当然です。 (ヘッダー写真は読売新聞・2026/02/07「衆院選の選挙戦最終日を迎え、演説会場に集まる有権者たち(7日、東京都内で)=松本拓也撮影」)

 今次の衆院選の風景を一言でいうことはやさしくはありませんが、この社会(あるいは国)全体が、あるいは「すべてが風見鶏になりたがっている」という傾向をはっきりと見せたのではないかと思う。政治家(候補者)も有権者も、ともに「風見鶏」になり、ポピュリスト(右へ倣え主義)になったということです。ポピュリズムの反対に位置するのは何でしょうか。時代の風潮や圧力に動かされない、いわば「首尾一貫性(coherence)」という姿勢だったかもしれません。俗に「今泣いたカラスがもう笑う」というように、周囲の空気に動かされやすいという特徴が、いつでも見て取れます。ということは、大勝利を得た勢力は、今度は大惨敗を喫するということを示しているでしょう。いかなる政治権力も永遠には続かなという意味です。国会議席の7割以上を一勢力が占めるというのは、よほど強烈な右旋風が吹いたという話ですが、この風のもたらす弊害は、予測はできませんが、計り知れないものがあるだろうとだけ言っておきます。

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 京都と大阪の境に八幡(やわた)という地区があり、そこに「洞が峠」が位置しています。この地名は歴史上の逸話でとても有名になりました。その主役は「筒井順慶」です。由来は下に示した「辞書」にある通りです。軽挙妄動しないで、事の次第を見極めて道(方向)を選ぶというものです。政略といえますが、今日の政治家の比ではないでしょう。右するか左するかで「全滅」の恐れが付いて回るのですから、実に深い読み(戦略)が求められます。この「洞ヶ峠」を今次の選挙に当てはめてみようと考えているのではありません。けれども、この順慶の態度をこそ政治家の名をかたるものは持つべきだという気もします。目先の利害にとらわれるのではなく、少なくとも「国民」「国家」の安寧や安全に心する政治家の務めということが言いたのですが、これは「ないものねだり」というもので、今では「言っても詮方なし」と、ぼくは疾(と)うに諦めています。

◎つつい‐じゅんけい【筒井順慶】= 戦国・安土桃山時代の武将。幼名藤勝。興福寺衆徒で大和国(奈良県)の筒井城主。永祿二年(一五五九)東大寺大仏殿を焼いて攻めこんだ松永久秀に筒井城を追われ、久秀の失脚後、織田信長の下で大和を管領。信長没後、山崎の戦で洞ケ峠に陣し、天下の形勢を見きわめて、豊臣秀吉の勝利直後に追従したといわれ、世に「洞ケ峠の故事」の潤色で名高い。唯識論に通じ和歌、茶道をよくした。天文一八~天正一二年(一五四九‐八四)(精選版日本国語大辞典)

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outdated=out of date; obsolete.(no longer produced or used); out of date.the disposal of old and obsolete machinery)outdated equipment
cutting-edge=① the edge of a tool's blade. tools with cutting edges should be kept sharp ② the latest or most advanced stage in the development of something.researchers at the cutting edge of molecular biology ③ at the latest or most advanced stage of development; innovative or pioneering. cutting-edge technology 
populism= a political approach that strives to appeal to ordinary people who feel that their concerns are disregarded by established elite groups.the question is whether he will tone down his fiery populism now that he has joined the political establishment(Google翻訳)

 いくつもの新聞コラムに、選挙で大惨敗を喫した「中道」なる新出来政党に対して、その戦術も戦略も「時代遅れ」だという指摘が書かれていました。この語はしばしば多用されますが、果たしていかなる意味か、ぼくは常に立ち止まって考えてしまうのです。「時代遅れ」は御用済み、過去の遺物扱いにされますが、その程度のものですかと、反問したくなる。河島英五さんに「時代おくれ」という曲があります。よく流行したものでしょう。「時代おくれ」が「時代に受け入れられた」というのも皮肉ではありますが、それだけ「時代おくれ」は多くの人に好まれているという証拠でもあります「新しがりや」に見られない、頑固さというのか骨があるというのか、筋が通っているといえるように思う。。

 コラム「新生面」の筆者は「河島英五さんが歌った『時代おくれ』の一節を、中道の皆さんに聴かせたい。〈人の心を見つめつづける/時代おくれの男になりたい〉」と。それは無理でしょうね。河島さんは早逝されましたが(1952~2001)、どうやら早熟の質でもあったようです。「酒と泪と男と女」の歌詞は高校生のころに書かれたとか言われています。それと、やはり彼には「男尊女卑」の要素が少なからずあったから、この作品は受け入れられたのだとぼくには思われます。

 「時代遅れ」とはどういうことですか。「令和」の時代に「昭和」から抜けきれない、明治の御代に刀にちょんまげということのようですが、それもぼくにはすべてを否定するような行きがかりは認められないんですな。芭蕉という俳聖は「不易と流行(constancy & trend)という心持を俳句の神髄と捉えていました。「蕉風俳諧の理念の一。新しみを求めて変化していく流行性が実は俳諧の不易の本質であり、不易と流行とは根元において結合すべきであるとするもの」(デジタル大辞泉)というのらしい。なかなかに含蓄のある表現です。単に「いつの時代にも不易(変わらない価値)」と「時代はいつだって変転極まりないという事柄(流行)」を別物としてとらえるのではなく、それを二つにして一つと捉えた点に芭蕉の真意があるのでしょう。解釈はさまざまですが、ぼくは勝手に「変わるものの中にも変わらないものがある(その反対もあり)」と受け取っています。この先の読解は、それぞれがすればいいことです。

 変わるもの(流行)と変わらないもの(不易)がそろって一つだという意味は、それぞれが別々に成り立つというのではないからです。ぼくはいつでも「病気と健康」に関して、健康の中にも病気(の部分)があり、病気の中にも健康(の部分)があるとくり返し駄弁ってきました。「戦争と平和」についても同じです。どちらか一方しか見ないのは誤りであるということを指摘したいだけです。どんな物事にも「歴史」があります。その歴史の中身には「過去」もあれば「現在」もあり、「未来」までもが共存しているのです。現在とは「過去と未来」を含めた、ただ今の瞬間です。それを「永遠」と言い換えて誤解されないでしょうか。つまるところ、「現在(永遠)」は「時の鑑(Mirror of Time)」だということです。

 上で述べた「洞ヶ峠」とは筒井順慶という、武断と知性のアマルガムがなした「深慮遠謀」の「出処進退」ということです。今日の有権者はもちろん、政治家までも、残念ながら「深慮遠謀」という「時の鏡」を持っていないのです。「深慮遠謀」の対になるのが「軽慮浅謀」でしょう。我が社会の政治家や有権者による共同作業の「政治」という営みは、悲しいかな「軽慮浅謀」でしかないのですから、いつだって「朝令暮改」の積み重ねになるのでしょうな。あるいは「賽の河原の石積み」のごとし、です。政治家は「偽謀偽計」を図り、有権者はいとも簡単に、軽々しくその「罠(わな)」にかかるんですね。(いうまでもなく、ぼくも「罠」にかかる一人です)はっきり言うなら、「思慮分別」に欠けるということです、政治家(候補者)も有権者も。困った風潮はいつまで続くか。

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過去は過去、これからの方が大事さ

【春秋】それはあんまりではないか それはあんまりではないか。急転直下の衆院選のさなか、選挙情勢を伝える記事の隣に載った小さなニュースに、目を疑った▼核なき世界を訴え続けて、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は昨年11月、衆院、参院の国会議員計713人にアンケートを送った。発効から5年を迎え、いまだ日本が署名・批准をしていない核兵器禁止条約について問う内容だった▼条約参加の是非など八つの設問は、選択肢に○を付ける形式。回答が届いたのは全体のわずか2割で、回答ゼロ人の政党もあった。参政党、日本保守党、そして自民党である▼解散も総選挙もまだ決まっていない時期に、衆参300人の自民議員は誰一人として答えなかった。5年前のアンケートには45人が回答していた。今回、党本部は「議員個人の判断」と説明している。回答不要とのお触れもなしにゼロだったならば、被爆者の切実な願いを無視するような冷淡さが際立つ▼米科学誌は先日、人類滅亡までの残り時間を示す「終末時計」の針が、過去最短の残り85秒になったと発表した。ロシア、中国、米国の権威主義的な振る舞いが核使用のリスクを高め、針は4秒進んだ▼非核三原則の見直しを否定しないこの国のリーダー。大転換を図る安全保障政策の先行きが気にかかる。唯一の戦争被爆国が、まさか針を進める勢力に加わることなど、ないと信じたいが。(西日本新聞・2026/02/11)

 「回答不要とのお触れもなしにゼロだったならば、被爆者の切実な願いを無視するような冷淡さが際立つ」と、【春秋】氏は怒りを表します。まさしくその通りだと、小生も同感するものです。しかし、です。今どきの政治家(だけではありません)は「まだそんなことにこだわっているのか」「未来を見なければ」と、一丁前の口を開きます。右に出してある「折々のことば」、詩人の金時鐘(キムシジョン)さんの言。彼は「在日問題」をまさに体現するかのように、戦後日本社会で生きてこられた。ぼくは多くを彼から学ぶことに必死でした。「どうか関わることなく変わってしまう日本の国になりませんように」という「在日」の根底からの希望というか切願を述べておられます。「戦争、もう済んだことじゃないか」と、一言のもとに歴史を踏みにじることがまるで時代の要請(流行)であるかのように、捨てられもしないのに、いとも簡単に過去をかなぐり捨てたつもりになる。過去を無視することは「自分の半身」を殺すことになるのに、それにさえも気が付かないのです。犬猫の類だって、過去の「失敗」「恐怖」は忘れはしないのに、です。

◎金時鐘【きんじしょう(キム・シジョン)】(1929 ~ )=在日朝鮮人の詩人。元山生れ。師範学校卒業。1948年の済州島四・三蜂起に関わった。1949年渡日,在日朝鮮人の政治・文化活動に参加した。兵庫県立湊川高校教員となり,日本の公立学校で初めて正規科目として朝鮮語を教え,大阪文学学校理事長なども務めた。主著に詩集《地平線》(1955年),《日本風土記》(1957年),《新潟》(1970年),《猪飼野詩集》(1978年),《光州詩片》(1983年),《原野の詩》(1991年),《化石の夏》(1998年),エッセー《さらされるものとさらすものと》(1975年),《クレメンタインの歌》(1980年),《〈在日〉のはざまで》(1986年。毎日出版文化賞受賞),《草むらの時》(1997年),《わが生と詩》(2004年),金石範との共著《なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか》(2001年)などがある。(百科事典マイペディア)

 過去は過去と、いいことも悪いこともすべて忘却の淵に叩き込んで、「善隣友好」ということがあり得ますか。知らなければならない、自分の半身の痛み(記憶)を、惨めな思いになるからと、あえて削除しているのが、今風の「国民性」でしょうか。曰く「自虐史観」という。嫌韓とか媚中などという怪しげな単語を生み出しては「自分は歴史に興味がない」「歴史に無知」ということを強調しているに過ぎないと思う。ぼくは在職中「在日韓国・朝鮮人(在日コリアン)」問題に関して集中的に若い人と、およそ二十年近く学んできました。たくさんの在日コリアンの友人もいました。もちろん、この近くて遠い両国の歴をを学ぼうとする在日日本人の学生もたくさんいましたよ。その当時から、「韓国」「朝鮮」「中国」にことさらの嫌悪感を抱く若者も少なからずいた事実は、ぼくの意識を強く刺激した。「自分は歴史に対して無知です」という、自己評価をなぜしないのかとよく考えたものです。結論は出ていませんが、要するに「朝鮮半島」「中国大陸」に対して、あるいはDNAの中に刻まれている「贖罪」の染色体が、直感的に(逆噴射というべきか)彼や彼女をしてそうさせているのではないかと考えるようになりました。

 「朝鮮半島を植民地化」し、「中国大陸を侵略」したという歴史事実は消せません。消せないから、忘却するのです。忘れようとしても忘れられない、だから忘却した「ふり」をする、自らの無知をいいことに開き直る、これがこの国のとってきた「近隣外交」の一貫した姿勢だったと思われます。なぜそうなのか、それは対米従属を選択した際の、避けられない運命でもあったでしょう。つまりはアメリカのアジア政治の連鎖(反共)にこの島国が繰り込まれ、いたずらに仲良くするのではないぞという、それは、ある種の「日米安保」主従体制の核心でもあったでしょう。でもその「前提」は今や破綻しているのです。対中国敵視観に染められた、国の選択に唯々諾々と従うことを「国民の大多数」は選択した、選択させられた。それが今次の衆議院選挙の結果に表れています。叫ばれている「強い国」という幻想ですな。つまるところ、「新たなファシズム」の第一歩を記したということ。左に「折々のことば」として、ある僧侶の発言を引用しました。

 曰く「人生は、手遅れのくり返しです」と。上に引用した詩人の発言に重なるようにぼくには思われた。「あのときはわからなかったけど今だったらわかるということ」、そんなことは人生にはしばしばだと気がつくのは、若い時ではないというところに、ある意味では人生の残酷さがあります。「みんながそうだと思っている」から、自分もそれに従ったまで(付和雷同・過同調)というのは、何に対しても責任を引き受けないという覚悟のような言葉であり姿勢です。これは誰にだってあることでしょう。あってはいけない人にもある。たとえば政治家、教師などなど。しかし、「手遅れは取り返しがつかない」と、ぼくは思いません。「気がつく」ということが、取り返しがつく端緒となるからです。

 それにしても残酷な仕打ちをするもんですね、政治家たちは。「非核三原則の見直しを否定しないこの国のリーダー。大転換を図る安全保障政策の先行きが気にかかる。唯一の戦争被爆国が、まさか(終末時計の)針を進める勢力に加わることなど、ないと信じたいが」とコラム氏は疑念を隠しません。今回の選挙報道を見ていて、ぼくが痛感したのは、選挙の結果が確定するまでの間こそ、メディアは大騒ぎをするが、その後はいつも通りに「すべて(歴史)を忘れたふり」をするのでしょう。核保有発言も統一教会とのかかわりも、政治と金の汚れた政治姿勢も、一切合切問われないまま、そして、何よりも衆議院解散は憲法違反の疑いありなのにもかかわらず、誰も何も異議を唱えないまま「解散権は私的乱用」された、この政治信義に悖る政治偽装をいささかも問わないままに、問われないままに、この国では、静かに深くファシズムは潜行していきます。

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子曰、三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也、

 今ではほとんど目にすることがなくなりましたが、「匹夫」、あるいは「匹婦」、いずれも「ひっぷ」と読み、身分の卑しい男、あるいは女のことを言う。「身分」が卑しいとされるのであって、その「心持(人間性)」が卑しいのではないことを銘記すべき。どんな人間でも「匹夫下郎」「匹夫匹婦」として生まれることはない。集団(社会)のなかでの「制約」(「身分制」などの仕組み)によって、その「尊卑」「聖賤」が生じる(作られる)のだ。「春秋沙伝」に、次も言がある。 「匹夫罪なし璧(たま)を懐(いだ)いて罪あり」も、ほぼ同じことを言おうとしているでしょう。(《「春秋左伝」桓公一〇年から》「凡人は、本来のままならば、罪を犯すことはないのに、身分不相応な財宝を手にしたために罪悪を犯し、災いを招くようになる」)人は動物として生まれるし、凡人として生まれる。そこにはいささかのさいはない。しかし、何者として生まれ、どこで生まれるかのよって、生来の「属性」が決められるのが人間社会の仕来りなんですね。

 (ヘッダー写真は高知新聞・2026/02/08)(https://www.kochinews.co.jp/article/detail/959396

 「匹(疋)(ひき)」は、生き物を数える単位として使われます。男一匹、一匹狼などというように。あるいは「匹敵」「匹儔(ちゅう)」などというように。もともとは生き物を数える単位だったのが、やがて人間もその仲間に入れられ、しかも身分の卑しいものをさして用いられだした。「匹夫」「匹婦」はその典型でしょう。この表現を知ったのはいつ頃だったか。「論語」の中に出てきた「匹夫不可奪志也」(匹夫もその志を奪うべからず)が言葉遣いの最初だったと記憶している。「どんなに身分の卑しいものでも、その志は奪えない」のだと読んでいた。後に、この「匹夫」は一人の男という意味に理解されていたことを知ります。「論語」では「子罕第九」にでる、その前には「子曰、三軍可奪帥也」という言葉がある。「先生が言われた。三軍(という大軍)の総帥(大将)を奪い取ることはできても、たった一人の男の志を奪うことはできない」、と。もちろん、この言葉がどんな場面で出てきたかはよくわかりませんが、戦いの中での話として語られたでしょう。

 国家間に戦争が生じ、多くの軍隊が投入される。やがて軍が滅ぼされることはあっても、その軍隊の一人一人(兵士)の「志」を奪うことはできないのだ、奪ってはいけないのだと孔子は言ったはずです。捕虜には何をしてもかまわないということはない、いまでいうなら「人権」を剝奪・蹂躙することは許されないということであるかもしれません。「匹夫不可奪志也」は、いわば政治の要諦であるといいたいのです。民衆の一人に対して施してやるとかやらないとか、民衆の一人として「恵んでください」と卑屈になる必要は毛頭ないのであって、それこそ「一寸の虫にも五分の魂」です。しばしば、政治家は「だれ一人取り残しません」と叫びます。選挙に勝つための方便、それが本当のところでしょうが、よく考えるまでもなく「だれからも、その志を奪うことはしません」ということではないでしょうか。(憲法にあるから)「人権を大事に」、あるいは「平和を希求する」のではなく、当たり前の「匹夫(一人の人間)」として、相見互いではないかという姿勢や態度をこそ、無理を承知で、ぼくは政治家に求め続けてきました。

 それにしても「須(すべか)らく、政治家は性根が汚いものになっている」と、ぼくは考えてきました。もちろん、何よりも観念的にそう考えるのですが、数少ない政治家との付き合いに照らしてもそう考え根拠はあると思っています。まず、平気で嘘をつく。前言を簡単に翻す。どうあっても政治家を信用できないのは、その多くはここから来る。「そんなことは言っていません」「それは誤解です」などと、自らの発言を翻したり、ごまかしたりするのは巧みだけれど、決して潔く「謝罪する」ことができない、それが政治家の資格だと錯覚しているのではないですかね。「嘘」が政治の手法となるというのはどういうことですか。まさしく「詐欺師」ではないでしょうか。

【卓上四季】勝ったばくち 予想をはるかに超える自民党の勝ちぶりだった。衆院選で得た議席は単独でも3分の2を上回る。地滑り的な勝利、歴史的な大勝といった表現がぴったりなのだろう▼高市早苗首相が放ったイチかバチかの一手は恐ろしいほどに大当たりした。<まつりごと迷路の前で打つばくち>。本紙「どうしん川柳」欄には解散からこのかた、ピリリと辛い五七五が載り続けた▼人気が旋風を巻き起こした。ご本人は最高の気分かもしれない。けれど賭けに付き合わされた側、しかも北国の住人としては後味の悪さが拭えない。<厳冬期庶民の痛み知らぬ人>。雪や氷に阻まれて、投票を諦めた方がいたかもしれない▼<値上がりで納豆もやし並ぶ膳><物価高存立危機のわが財布>。悲鳴にも似た庶民の切実な思いである。大胆、決断、挑戦。高市氏はきのうの会見で歯切れの良いフレーズを繰り返した。でも苦しさを増す家計への目配りは十分だったか▼「国論を二分する政策」の中身も気がかりでならない。<嵐呼ぶ女が鳴らす陣太鼓>。強さを前面に出すタカ派の姿勢はどんな未来をもたらすのか。対立をあおることなく、対話を重んじる姿勢こそが必要だ。それは内政、外交を問わない▼民意は「白紙委任」したわけではない。どんな課題であっても、数の力を頼みに突き進むのは遠慮願いたい。(北海道新聞・2026/02/10)

 なぜ今解散なんですかと、ぼくには理解できないような、「変な選挙」は終わりました。結果は見ての通り。さっそく勝者からは「勝てば官軍、負ければ賊軍」といわんばかりの姿勢が芬々(ふんぷん)としてくる。「どうだ、みたか」とね。匹夫下郎の一人として、「不可奪志」という気分はぼくの中に彷彿しています。一人一人の人間が消えて、国だの国家だのがあまりにも目立ちすぎますよ。一人の人間を踏み潰しておいて、国を守るとはどういうことか。「勝てば官軍、負ければ賊軍」とは「力は正義なり」(「Might is right.」ととらえられる。実際にそういう事例は歴史の中に腐るほど見出されます。「勝たねばならぬ、何事も」ということでしょうか。選挙に勝つというのは、勝手放題にふるまう権利を得たと錯覚するものがほとんどでしょうが、勘違いもはなはだしい。いう必要もないことが、最も粗末にされてきました。

 ここで、もう一度「三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也」を出しておきます。仮に選挙戦を制したものを「三軍の帥(すい)」になぞらえるなら、そんなものはいつだって取り換えることはできます。しかし、その権力者だって「一寸の虫」を踏み潰して「五分の魂」を葬ることはできるでしょうが、してはいけないということです。たったそれだけが「政治哲学の核心」だと、ぼくは言いたいのです。政治道義の本質というべきものを失ったままで、どれだけ権勢をふるおうが、それは「邪悪」「邪道」であり「人倫に悖(もと)る(contrary to human morality)」ということ。今回の無意味かつ不要不急な選挙は「大掛かりな芝居」のようでもありました。ネット時代にふさわしい鳴り物入りで、作・演出は「D通」だったか。主演は「奈良の女」こと「S.T.」、助演は「中道」その他。もちろん、有権者も重要な役割を演じさせられました。「枯れ木も山の賑わい」とは言わないし、言えませんが。もちろん、ぼくも、ほんの一瞬でしたが、端役の端役で舞台の袖(そで)を通りました。「戦い済んで、日は暮れず」、むしろ、これからが本番ではないでしょうか。その時、やはりぼくは「善政」の夢物語(神話)である「鼓腹撃壌」の一老百姓であることを自覚・自認しているのです。これはまた「デモクラシー」でしょうね。見果てぬ夢、という意味では。

【天風録】圧勝がもたらすもの 選挙報道では大げさな表現を慎む。本紙もこの半世紀、衆院選で「歴史的な圧勝」としたのは小泉政権の2005年郵政選挙とその4年後。当時の民主党が308議席で政権も奪った選挙である▲政権交代の後、川柳が本紙に載る。〈圧勝が自民の二の舞いつい想(おも)う〉。熱狂的な小泉旋風が吹いたのに利益誘導の政治から自民党は脱せず、再び野党に転落する。数は、権力もおごりも生む。句の直感通り、政権に就いた民主も転げ落ちていった▲さて今回、どんな句が詠まれるのだろう。高市早苗首相の巻き起こした旋風で、自民が戦後最多の316議席を得た。ただ、「歴史的」の評価は急ぐまい。「国論を二分する政策」とやらも、選挙戦では具体像が判然としなかった▲口幅ったいようだが、野党第1党の中道改革連合にぴったりかもしれない。公示前の議席の3割以下にとどまる「歴史的な惨敗」だろう。政界の勢力図は思いも寄らぬ姿に塗り変わった▲「高市丸」は順風満帆で再び動き出す。よもや非核三原則の見直しなど、右に進む「面舵(おもかじ)、いっぱい」の号令をかけるつもりだろうか。熟議なくして応諾の「ようそろ」もなし。そろりそろりが、よろしかろう。(中國新聞・2026.02/10)

◎ 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)= 堯の御世も数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに、天下が本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているか、かえって不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子供たちが、堯を賛美する歌を歌っていた。これを聴いた堯は、子供たちは大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふと傍らに目をやると、老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らしながら(鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。 原文書き下し文現代語訳日出而作日入而息鑿井而飲耕田而食帝力何有於我哉 日出でて作(な)し、日入りて息(いこ)ふ。井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。帝力何ぞ我に有らんや。 日の出と共に働きに出て、日の入と共に休みに帰る。水を飲みたければ井戸を掘って飲み、飯を食いたければ田畑を耕して食う。帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。 この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる(『十八史略』)。(Wikipedia)

◎ 堯(ぎょう)= 古代中国の伝説上の聖王。五帝の一。暦を作り、無為の治をなした。後を継いだ舜(しゅん)とともに後世理想の天子とされ、その政治は「尭舜の治」と称される。陶唐氏。(同前)

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「はっきり話して、何も言うな」

【小社会】チャーチルの名言 皮肉屋だった英国の宰相チャーチルによく知られる名言がある。「民主主義は最悪の政治形態と言っていい」。もちろん、これには続きがある。「ただし、これまで歴史上、試されてきたそれ以外のあらゆる政治形態を除けば」 民主主義は面倒で時間がかかっても、最もましだという意味だろう。少数意見も聞いて議論を尽くし、多数決で結論を出す。確かに面倒で効率は悪い。だが、為政者が楽をしようと手続きを省略すれば独裁政治になる。面倒な手続きにこそ価値がある、と。 雪の中で衆院選が終わった。「国論を二分する政策転換」の審判を仰ぐとした高市自民党が圧勝。首相が国民の信任を得たことになる一方で、奇妙な選挙だった印象も拭えない。 首相は全国の遊説で「国論を二分する」テーマはほとんど語らなかったという。安全保障関連3文書の前倒し改定では、防衛力強化の詳細や防衛費の規模感、財源の説明はせず。非核三原則の見直しも聞こえてこなかった。 2年に限るという飲食料品の消費税ゼロも、選挙中は触れていない。首相は期間中、唯一のテレビの討論番組もけがの治療を理由に欠席した。やはり英国の有力紙は皮肉を込め、日本で「選挙に勝つ方法」をこう論評したと伝わる。「はっきり話して、何も言うな」 今後の国会で首相が面倒な手続きをいとわないことを願う。民が権力を監視する民主主義もまたスタートラインに立つ。(高知新聞・2026/02/09)

 何年ぶりだろうか。10㌢も降れば「大雪」になるような地域で、たぶんそれ以上は積もった。当地に越してきて以来、二度目の大雪だったが、今回のほうがよく降った。この近辺は坂道が多くて、一両日は車に乗れないだろう、そんな道路事情もあり、まるで閉じ込められたような状態(感覚)である。

 昨日の選挙結果は見ての通り(ぼくは午前4時に起きて、初めて結果を知った)、まるで「天変地異(catastrophe)」のごとくであり、起こるべくして起こった「当然の結果」とも見える。それに関しては何かを言うことはしない。本日付の高知新聞【小社会】の記述に委ねることにする。小生の感想は、「一歩前進、二歩後退」、交代しながら「登り坂を手押し車で登り続ける」、そんなバトンタッチのようにも思われる、それが民主主義。だから、交代のさなかで、バトンがうまく渡されないと、車が坂道を転がり落ちることもあるだろう。ここが頂上だと気を緩めた瞬間に、押手もろとも、反転するようなこともある。

 選挙の結果は結果として認めつつ、この国・社会の前途にはいくつものバリアーが厳然と控えている現実に身が凍る。この国だけが世界に存在するのではなく、他国とつながりながらの「共存」であるから、独善的な選択も行動もできないのは道理だが、今日、あらゆる地域で、当たり前の「道義(moral)」が失われて政治(家)が暴走している事例に事欠かない。この国も例外ではないどころか、その先頭に立つ恐れもある。コラム氏の言うとおりに「民が権力を監視する民主主義もまたスタートラインに立つ」のは国民の義務としても当然の事実だが、はたしてそれは可能なのだろうか。そんな面倒で時間のかかる政治はもう結構、有権者も権力者も、とにかく、強い国家にするために「果断な政治力」を望んだのだ。なにはともあれ即断即決で「この国を強くする」というアッピールが全面的に支持されたとみるのは明白だからだ。「はっきり話して、何も言うな」とは「由らしむべし知らしむべからず」という意味だ。

 「由らしむべし、知らしむべからず(Let them do it, but don’t let them know)」の真意は「《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」(デジタル大辞泉)と受け取るのが「(今回の)解散の動機」に符合するだろう。この国及び社会は、否応なく、新しい段階(「New Fascism」「Neonazismus」)に入ったのである。「(為政者たるもの)はっきり話して,何も言うな」という新しい政治の始まりだ。「自由からの闘争」は今を盛りに繰り広げられた。

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「徒然に日乗」(997~1003)

◎2026/02/08(日)昨夜来の降雪はさらに降り続き、昼頃の段階ではおよそ15㌢ほどは積もっただろうか。各地も大変な降雪で、予想通りに衆議院選挙の有権者の出足は低調。引き換えて「期日前投票」は相当に効率を示している。この時期にすべきではなった「解散」、首相の決断は大きく非難されるべきだろう。▶降雪のために、普通タイヤをつけているので、拙宅の2台の車は、明日も動かせないかもしれない。記憶では、当地に越してきた直後以来だから、十数年ぶりの大雪だ。(1003)


◎2026/02/07(土)午前中から雪が舞いだした。午後も降り続き、かなりの降雪量になった。一旦は止んだが、夕方からは本格的に降り続いた。明日の昼頃まで降るそうだ。(1002)


◎2026/02/06(金)午前中に元同僚のWさん(政治学者)に電話。退職以来、十数年ぶりの声を聴く。この間、大きな病気をして長期入院までしたという。幸いに快癒して、自宅に帰還したが、体力の衰え、特に筋肉が衰えて、自分の足で歩行することが困難だといわれていた。何十年もの間、随分と付き合っていただき、多く学ぶことができたことを感謝すると伝えた。数日前には柏市在住の I さん(経済学者)から電話があった、その流れでWさんに連絡した次第。▶アメリカ発。「トランプ米大統領は5日のソーシャルメディアへの投稿で、8日に投開票される日本の衆院選について、高市早苗首相と、自民党、日本維新の会の連立政権を『完全かつ全面的に支持する』と表明した。3月19日にホワイトハウスで高市氏と日米首脳会談を実施する意向も明らかにした。/日本の国政選挙を巡り、他国の首脳が特定の候補者や政党への支持を表明するのは極めて異例だ」(毎日新聞・2026/02/06)これはまぎれもなく「内政干渉」、なぜ新聞はそれを指摘しないのか。邪推だけれど、「日本側が支援を申し入れた」に違いないと、言っておく。「佐藤啓官房副長官は、トランプ氏の投稿に関し『政府としてコメントすることは差し控える』と述べるにとどめた」(同上)邪推は外れていないと確信している。▶その稀有の選挙戦も最終版。ネット選挙そのものが公職選挙法の法理を嘲笑(あざわら)うような実態が、圧倒的な選挙結果を予想している。そのアシストをしているのがメディアだというべきだろう。あらゆる場面で「フェイクファシズム」が勃興、ある経済学者の言によると「新しいナチズム」が今この劣島を席巻しつつあるのだ。ネット世界の走行は自由自在、いささかの規制もないままで無法地帯となっている。無能で自我意識だけの存在が、あらゆる障壁を取り外して圧倒的有権者の危険な支持を得ているのである。(1001)


◎2026/02/05(木)午前9時に「給湯器」取り換え工事の業者が来る。正月の半ば以降、お湯のない生活を続けてきたが、本日で終わり。工事時間は2時間弱だった。とにかく無事に終了し、お湯も出るように、以前の快適(?)生活に戻ることができた。▶衆議院選挙の獲得議席予測に、わけのわからないマジック(人為的加工)が加えられているとしか思われない。SNSを中心に異常なネット広告が出回っている。おそらく政権党はネット広告を全面的に買収したのではないとさえ疑われる。自民単独で300議席超過、という予測が出揃うとはどういうことだろうか。それにしても、メディアの政権に対するよいしょは想像を絶する醜悪さだ。政権与党に「bribery」されたのだろうか。(1000)


◎2026/02/04(水)本日は「立春」。快適な陽気だった。久しぶりだったが、数日後あたりからまた、「大荒れ」「寒波」の再来だそう。衆議院選挙だが、はたして無事に投票できるのだろうか。▶SNS時代の選挙だが、たぶん、これまでには見られなかった歴史的改変が選挙運動を含めて、行われているのだ。現行法律ではけっしてカヴァーできない「選挙運動」が行われているのだと思う。(999)

◎2026/02/03(火)猫の缶詰を求めて隣町の市原にまで出かけた。これまで購入していた商品はもう数年続いている。このところ猫たちは飽きてきていたので、別の品物を探す必要があったのだ。まだ、これがいいというものは見つけられないが、少しずつ変えていこうと考えている。▶帰宅後、ネット番組を見ていたら、各紙の選挙結果の予想が、轡(くつわ)を揃えて「自民、圧倒的に勝利」というような予測を流しだしているのは、なぜだろうか。きわめて「意図的な配慮」ではないだろうか。驚くべき「退廃」が進んでいるに違いな。気になるのは「旧統一教会」が極めて深いところまで自民党に食い込んでいるということだ。旧統一教会の「教条」が反共保守であるのだから、そこに並んでいるスローガンが自民党の綱領と重なっているからだ。▶選挙の結果は、ぼくの想定とは異なる事態を引き起こすだろうと確信している。(998)


◎2025/02/02(月)例年、年始に戴いた「年賀状」に対する返信を「立春」に合わせて出すことにしている。本年は2月4日が「立春」だから、その準備をしているところ。枚数は徐々に少なくなり、多かった時の7分の1ほどで、約70枚程度。その宛て名書きをしようと、使っている机の上を整理し「キーボード」を移動したら、その瞬間、「アッ」と思った。紛失したと思っていた自動車免許証がそこにあったのだ。なんということか。方々に迷惑をかけて探してもらったのに、自宅のパソコンのそばにあった。やれやれ。夕方4時直前に警察に出向くつもりでいたが、野暮用がなくなってほっとした。十分に気をつけなければと、改めて自らに言い聞かせた。▶夕方のネット番組を見ていたら、「消費税増税で12%に」説が政権内で進んでいるという。なんという「破廉恥」なことか。それが事実なら、即刻首相は止めるべきだろう。消費税はゼロを二年間の時限で断行すると、ましてそれは「私の悲願である」とまで宣告していたのに。このところ「ゼロ%、2年間」を封印したかのように思われていたが、その裏では、とんでもない悪事を企んでいたのだろうか。加えて、どうやら「核保有」も目論んでいるらしい。防衛予算のGDP比5%もどうやら、アメリカと約束したか、しそうな雲行き。要するに「亡国の徒」であり「売国奴」であるということだ。(997)

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Talk in your sleep after fallen asleep

⁂「週のはじめに愚考する」(壱百 伍)~ 昨日(7日)の昼前から、当地で降り出した雪は、間断なく続き、8日の朝を迎えた。午前3時に起床したが、家の前庭は真っ白で、周囲の木々が綿帽子をかぶっているような景色が一面に広がっています。県道からは少し離れていますが、普段は走行車の音が聞こえますが、本朝は全く聞こえてこない。当地ではおそらく十年ぶりくらいの降雪ではなかったか。この分ではしばらく(2~3日)車を動かすことができないようです。標高百メートルほどの高台に拙宅はあるため、四囲すべてが緩やかな坂道です。これまでの経験からして、おそらく車を動かすのは無理。

 そして、本日は「衆議院議員選挙」の投開票日です。だんだんと選挙(投票)が意味を失っていくような事態になっています。理由はいくつかあります。まず第一に、普段は書くべきことを書かない、伝えるべきニュースを伝えないことに一貫した姿勢を見せる新聞(テレビも)は、なぜだか「選挙中に狂う」のです。だれも頼みもしないのに(だろうと思う)、「獲得議席」予測を繰り返し報道する。競馬の予想を「レース」一か月前からしているようなもので、どこにその意味があるのか、教えてほしい。今回も、著しい「予想合戦」で、やがては、示し合わせたように、ほぼ同じ予想に落ちつくのです。何のための事前予測なのか、ぼくはいまだにその意味が理解できない。要するに「有権者が投票する参考」というかもしれませんが、それ以上に「誘導尋問」になっていると思う。書くべきこと、報じなければいけないニュースを断念してまで、「大々的予想」に狂奔するメディアの「選挙つぶし」、「お祭り騒ぎ」、つまりは、粗朶り切っていないこの社会の「民主主義つぶし」に怒りを覚えます。

 報じなければいけないニュースのいくつかの典型は現総理の「軽率発言」「偽情報の垂れ流し」でした。余りにもありすぎて、すべてに触れられない。たった一つだけを出すなら「(外為特会の)円安ホクホク」でしたろう。放言や湿原をして「弁解する」のが常のことですが、その弁解がなっていない。間違った発言であれば取り消して謝罪すべきだけれど、「(発言内容に)一部報道機関で誤解があるようです」と実にいやな弁解をしています。そもそも「誤解を許す発言」はあってはならないし、まして、「誤解があるようです」と、受け取る側の問題であってと、のうのうと二枚舌を使う醜態は止めてもらいたい。ぼくは早い段階から、この首相は、経済も外交も含めて、基礎知識は皆無であり、そもそも根本の「政治思想」がないことを口を極めて指摘してきました。そこ(首相、いや国会議員)にいてはいけない人、とまで書きました。

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「夕歩道」週末の夕方の話題としてはやや硬いと思うが、どうかお許しを。みずほ銀行のエコノミストが今月2日発表したリポートが、大きな話題になっている。高市早苗首相を「公開説教」した、として。
 リポートは「高市演説を受けて~危うい現状認識~」と題して、首相が選挙の応援で行った演説を分析。円安で「ホクホク状態」と述べた首相の発想を「前時代的」などと厳しく指摘する内容だ。
 メガバンクの肩書を背負う人が衆院選の最中にそんな意見を表明したのは、よほど問題だと感じたためか。その賛否はさておいて、権力者にもはっきりと直言できるこの国の自由、末永く守ろう。(中日新聞・2026/02/07)
(Talk in your sleep after fallen asleep.by Satosi)

 ところが、です。昨日付の中日新聞のコラム「夕歩道」では、新聞コラムとしては最低レベル、といいたい「駄文」を書いています。みずほ銀行のレポートは、新聞が書くべきことを書かないから、首相箕限り宣言文を発表したまでで、新聞がそれについ、何か抗弁の揶揄もする場面ではないはずです。にもかかわらず、コラム氏は「(「公開説教」の)その賛否はさておいて、権力者にもはっきりと直言できるこの国の自由、末永く守ろう」と、いう必要のない「御託」を添えているのです。「《「御託宣」の略》自分勝手なことを、もったいぶってくどくど言うこと。偉そうに言いたてること。また、その言葉」(デジタル大辞泉)新聞自身が首相発言の「虚偽」であることを指摘しないで、他人の言葉に身を隠して「いうべきことが言える自由」を評価している。どうして新聞は書かないのか。書けないのか。首相発言の「ふざけすぎ」を受け取れないばかりか、それを出しに「コラム」でごまかす、その根性は曲がっていますな。

 次いで、ぼくはこの何十年も見ていませんが、「開票特番」とかいうテレビ番組。これも狂っているとしか言いようがない(と思う。何十年も前の記憶で言うのですから、現在はなくなっている風景かもしれない。そうであるなら以下の駄文は取り消し)。開票が始まった直後に、各地で「当確」が出る(打たれる)。ということはかなり早い段階から「当落判明」をつかんでいるのでしょうから、それを報じればいいではないですか。公示後三日目にして「全議席の当落判明」という号外でも、さ。あるいは有権者全員に参加を求めるのではなく、有権者の抽出で、投票をすればいいのではありませんか。この方法は新聞テレビはお得意でしょ。選挙を食い物にし、笑いものにし、揚げ句には「民主主義」を踏みつけているという自覚も反省もないのが大半のメディアです。

 きりがないので、ここらで終わり。その前にコラム「海潮音」を引用しておきます。元伊藤忠の社長・会長だった丹羽宇一郎さん(1939~2025)。つまらぬ解説は無用でしょう。ある国と「戦火を交えたい」という首相が画策する国の、今の状況です。奈良の女を支持するのもいいけれど、核保有や徴兵制を、この女宰相は目論んでいるのだと、多くの支持者はなぜ考えないんですか。「自分だけは戦場に行かない」「今は兵隊が戦争する時代ではない」と、まるで虚しい希望的感想を勝手に抱いている。再び、「日米戦争」が起こるだろうと邪推している。今でも「植民地化」にされ、今も「被占領国」扱いをされている、そんな国情・国勢にいささかも変更を加えないで「(鬼畜と嫌っていた)米」に甘んじておれるんですか、右側の面々は。(元大統領夫妻を「サル」に見立てて喜んでいる現米国大統領。それが批判・避難されると「職員が誤って投稿した」弁解する。やることなすこと、「そっくりさん(clone)」ばかりです。フェイクが世界を滅ぼすでしょう。他者を尊敬できない人間に擦り寄って頭をなでてもらいたいらしい。「ジャップ(Jap)」という囁きが聞こえないのかしら

【海潮音】昨年12月に死去した元中国大使の丹羽宇一郎氏は近著『Z世代は戦後初めて銃をとる世代になるかもしれない』で次のように書いた。〈平和とはバラ色の世界ではなく、緊張と忍耐、妥協と譲歩、望まぬ話し合いの連続を強いられる、そういううんざりする不愉快な努力を休まず続けていく世界です〉◆世界を見渡すと、戦火の種火はそこら中にくすぶる。米軍によるベネズエラ大統領拘束に見るように、国際協調よりも自国最優先が是とされる風潮が幅を利かせる◆日本の防衛費は年々増え続けている。日本被団協のノーベル平和賞受賞で日本が果たすべき役割を改めて自覚し、戦後80年に当たって不戦の誓いを新たにしたというのに◆かつて故田中角栄元首相が憂慮した「戦争を知らない世代が政治の中心」の時代。強気な外交発言がもてはやされるのも「日本が戦争に巻き込まれるわけがない」という楽観が根底にあるように思う◆「平和ぼけ」批判も結構だが、戦争が起きないよう立ち回る“不愉快な努力”をやめてはならない。丹羽氏は〈未来の日本を導く人の精神の強さとは、夜郎自大でもない、自己欺瞞(ぎまん)に満ちた精神力でもない、平和な未来を築くための忍耐力〉とも説いた。具眼の士の遺言であろう。選択の日の朝が来た。(井)(日本海新聞・2026/02/08)

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