人は未来を急ぎ過ぎる あまりに多く…

【新生】木下順二さんと「夕鶴」 出生地の東京・本郷と、10代の多感な季節を過ごした熊本が、劇作家・木下順二さんの二つの故郷だ。ことしで没後20年。きのうが忌日だった▼くまもと文学・歴史館の回顧展を訪ねた。自筆原稿や創作ノートと並び、ひときわ目を引くのが、白無垢[むく]に赤い下地を透かせた美しい舞台衣装である。戯曲『夕鶴』でヒロインのつうを演じた山本安英さんがまとった▼初演は1949年。山本さんは千回以上にわたり、つう役で舞台に立った。團伊玖磨さん作曲のオペラも知られている。昔話「鶴の恩返し」に着想を得た作品が、今も多くの人々を魅了するのはなぜだろう。一見穏やかなのに、その向こうに、人間の変わらぬ喜び、悲しみを見ているからかもしれない▼自らの身を削って織り上げる「鶴の千羽織」を求められ、つうはつぶやく。〈おかね…おかね…どうしてそんなにほしいのかしら〉。同じつぶやきが、令和の暮らしの片隅からも聞こえてくることがある▼〈分[わか]らない。あんたのいうことがなんにも分らない〉〈とうとうあんたがあの人たちの言葉を、あたしに分らない言葉を話し出した…〉。ネットの海では大量の罵声とAIの甘い声が飛び交っている。立ちすくむ現代人に、つうの叫びはどう響くだろう▼木下さんは背筋をピンと伸ばしていた。遠くを見据えるまなざしを覚えている。〈人は未来を急ぎ過ぎる あまりに多くの未清算の過去を残したまま〉。会場に自筆色紙がある。そんなに急いで日本はどこへ行くの? と胸を突かれた。(熊本日日新聞/2026/10/31) 

 これまでに何度も触れていますが、高校卒業直後にぼくは上京し、都内文京区本郷の伯父(母の兄)の家に居候した。そこから都電で大学に通い、およそ十年近くを過ごしました。1963年から72年まで。京都の田舎(嵯峨)から出てきて、右も左もわからなかった人間が、何んとか都会の雰囲気に慣れ、土地勘も少しは働くようになったのには、いくつかのきっかけがありました。その第一、です。大学入学早々にぼくは喉を悪くし、近所の耳鼻科の医者にかかりました。この医師のM氏からは多くのことを教えてもらったと思う。彼は東京生まれの東京育ち。父も耳鼻科だった。本郷菊坂入り口(左写真の坂の右側にあった)で開業されていたから、Mさんは2代目でした。ぼくより20歳年長の彼は、無類のクラッシク愛好家でした。

(写真は本郷通りの菊坂入り口で、それ見る限り、医院跡地はマンションになっていた。千葉に移住してからはほとんど疎遠になって、そのまま半世紀が過ぎた)

 ある日のことです。今でもあるかどうか、地下鉄本郷三丁目の駅前にあったレコード店で購入した2枚のレコードを脇に抱えて診察を受けに行ったところ、「それは何ですか」「バッハです」「バッハのなんですか」「オルガン曲で、演奏はシュバイツァーです」「もう一枚は?」「ベートーベンの交響曲、ベルリンフィル、フルトトベングラー指揮です」それを聞いてMさんは診察時間中だったが、急いで診察を終えて、「ちょっと来ませんか」とぼくを診察室の上の階に誘ってくれました。部屋に入ったその瞬間、音響装置と溢れるばかりのレコードの枚数に圧倒された。この後、ぼくは本郷を離れるまで、実に足しげく、M医師の自宅に通い詰めで、たくさんの音楽を聴いたばかりか、彼の身の上話や旧制高校・大学時代、その他の「時代の姿・変遷」にわたる話をたくさん聞かせてもらった。Mさんは旧制熊本高校(第五高等学校)を卒業され、九州大学医学部で医学を修められた。自宅で耳鼻科医院を開業される傍ら、お茶の水駿河台にあった「山楽病院」にも勤務されていた。…と語っていけば際限がありません。いずれM先生のことはしっかりと書いておきたいと思う。ぼくの「恩人」でもあった人ですから。

 本郷三丁目の駅前にあったレコード店には、当時は毎日のように通い、それこそレコードを漁りに漁ったし、毎月の新譜レコードが出ると、それを楽しみに通い続けました。本屋通いと同様に、本郷の十年間はレコード漁りにも狂奔してたと思う。年間で百枚以上のレコードを買っては聞くのを常としていました。やがて、ぼくは「音楽批評」をやろうかと、まじめに考えたほどにのめり込んでいました。本にも音楽にも、高校までに中途半端な教育を受けていなかったことが、ぼくの場合には大いに幸いしたといえる。

 このレコード店で、一面識もなかった木下順二さんに何度かお目にかかった。(他にも、加賀乙彦さんをはじめ、何人かの作家や学者に出会ったことがありました。レコード店主から、「先ほどの方は誰々さんでした」と教えらるのが常でした。ぼくは「著名人」と知れば、いささかしり込みする性格で、いつだって、後ろ姿を見たりすれ違いに終わるばかりで、少しも言葉を交わすという気分は持ち合わせなかった)木下さんと言葉を交わしたことはなかったが、その当時、彼は大家の風というか、いかにも紳士然としていた。劇作家、小説家、翻訳家として著名であったし、時代に投げかける作品は「問題作」ばかりだったという気がしました。もちろん「夕鶴」の作者であることは知っていたし、その後には、劇作品も何度か観劇した。そのいちいちを挙げればきりがありませんが、中でも「子午線の祀り」は何度か観に出かけたと思う。あるいは「風浪」「山脈」も観劇したものでした。

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◎ 木下順二(きのしたじゅんじ)= [生]1914.8.2. 東京,文京 [没]2006.10.30. 東京,文京 劇作家。少年時代から旧制第五高等学校卒業まで熊本で過ごし,東京帝国大学英文学科を卒業。 1941年同大学院修了。大学で中野好夫に師事,特にシェークスピアを研究した。入営を前に初の戯曲『風浪』を書き上げ,1946年民話劇『二十二夜待ち』『彦市ばなし』『鶴女房』および『風浪』 (改稿,1947) と次々と作品を発表,劇作家として認められた。歴史の弁証法とドラマの統一を追求。『赤い陣羽織』 (1947) ,1949年度毎日演劇賞に輝いた『夕鶴』などの民話劇と平行して、現代劇『山脈 (やまなみ) 』 (1949) ,『沖縄』 (1961) ,『オットーと呼ばれる日本人』 (1962) ,東京裁判 (極東国際軍事裁判) を扱った『神と人とのあいだ』 (2部,1972) など戦後を代表する戯曲を発表。また,『子午線の祀り』 (1978,読売文学賞) は『平家物語』を題材にした壮大な叙事詩劇。 1986年朝日賞受賞。国の賞や勲章は固辞した。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」)

◎ 『子午線の祀り』(しごせんのまつり)は、木下順二作の戯曲。『平家物語』を題材とする。1978年に『文藝』誌上に発表され、翌1979年に宇野重吉の総合演出で初演された。読売文学賞、朝日賞受賞作品。2017年に野村萬斎による新演出で上演され、第25回読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞した。『夕鶴』と並ぶ木下の代表作である。/独誦から俳優全員による合誦までを自在に組み合わせた「群読」という独特の朗読形式を導入した。主演した嵐圭史に『知盛逍遥』がある。/平知盛を主人公に源義経を対照させ、一ノ谷の戦いで源氏に敗れた平家が壇ノ浦の戦いで壊滅するまでの壮麗な物語である。(Wikipedia)

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 木下順二さんについて何かを書こうというのではありません。彼について知るところはほとんどありません。何年も前に公刊された「木下順二全集」(全16巻、岩波書店)を折々に愛読してきたというだけの話です。あえて言うなら、木下さんの作品には時代批評、歴史評価がきっと認められる、そんな作品を創作し続ける作家・文学者が、今日ではほとんど見られなくなったという、その実感をぼくは木下さんを通して感じてきたし、片一方では。現今の文学者にはそんな雰囲気が感じられないという、作品の薄さ・軽さに、淋しさを思うばかりです。時代と対峙する、あるいは時代に抗う、そんな「余計なことごと」を文学者はすべきではないということでしょうか。逆に言うと、時代に受け入れられる、あるいは抱きかかえられるばかりの、あまりにも評価を求めたがる姿勢が目立つとするなら、それは文学や芸術とは別個の範疇の仕事になるのではないでしょうか。

 「木下さんは背筋をピンと伸ばしていた。遠くを見据えるまなざしを覚えている。〈人は未来を急ぎ過ぎる あまりに多くの未清算の過去を残したまま〉。会場に自筆色紙がある。そんなに急いで日本はどこへ行くの? と胸を突かれた」このコラム氏の直球に、ぼくはまったく同感するばかりですね。

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The P.M. skipped the G7 meeting.

【天声人語】高市首相のG7欠席 主要国首脳会議(サミット)が初めて開かれたのは、1975年の秋だ。パリ郊外のランブイエ城に、欧米各国とともに日本も肩を並べた。当時の三木武夫首相は、歴史的な機会と気負った。アジア・太平洋の一員として先進国との格差是正を働きかける、と▼その頃、世界経済は石油ショックに苦しんでいた。ベトナム戦争の敗北で米国の威信が低下する中、会議の開催を呼びかけたのはフランスだった▼約半世紀を経て、サミットはそんなに軽いものになったのか。高市早苗首相が主要7カ国(G7)のオンライン会合を欠席した。理由はいくつか述べられた。だが気になるのは、議題が「米国と欧州の問題」なので代理出席でよいと判断したということだ▼国際社会は欧米主導でルールが決められてきた。欧米の問題だから、と席を外していたら、アジアや日本は話題から消えてしまわないか。「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」を掲げるなら、なおのことだ▼ひょっとしたら、と別の考えも頭をよぎる。首相の頭の中では、もうG7は「世界の真ん中」ではないのかもしれない。確かに新興国の成長を受けてG7の存在感は低下している。米中ロはかつての帝国と同様に、世界を分割しようとしている▼私たちは、どんな世界地図を描けるのだろう。大国の縄張り争いの中、米国に追随していくのか。それともアジア・太平洋の一員として、各国と手をつないで道を開くのか。「世界の真ん中」にふさわしいのはどちらだろう。(朝日新聞・2026/10/25)

(* 今頃になって、この「問題」に、さも思い出したように触れる事情は何んですか。「首相の任にあらず」「即刻辞任」となぜ書かないか。三週間前の、「日本外交」の核心部である会議の「首相欠席」の背景を「新聞」は知っていたはず。誰を庇うんですか)

 サミット緊急会議(10月2日)を「首相が欠席(playing hooky・ずる休み)」した問題が国会で取り上げられていました。その質疑のいくつかを聴きながら、ぼくは「首相は出たくなかったが、休むわけにもいかない」と考えていた節がある。出られなければ「外務大臣の代理出席も可能」だったが、外務大臣や外務省はそうしなかった。代わりにG7担当の官僚(シェルパというらしい)を出席させた。開催日時の決定に際して(主催者側に)混乱があったというが、それは「首相欠席の理由」にならないのは当たり前。「首脳会議だから、首相出席は当たり前」で、なぜだか今回の「緊急会議」は「首相が出るほどの値打ちもない」(外務省の見解)もので、だから彼女は出なかったといわぬばかりに、欠席しない「理屈(虚偽)」を次々に探し出しては、出鱈目な「行動(ずる休み)を正当化しようと、政治家も役人も「グル」になって虚偽を重ねていた。(ヘッダー写真は「ホワイトハウス公式X」より。なぜこの写真をW.H.は「公開」したのでしょうか)

 要するに、首相は「世界の真ん中で恥をかきたくなかった」ので、本当は「出席したくなかった」し、早くから出ないことを腹の内では決めていただろう。それを見て取って(受け入れて)外務省・外務大臣が書いた「欠席する筋書き(「首相が出るほどの会議ではない」)」を首相は真に受けた。そうしておいて、夕刻からの「宴会(飲み食い)」に参加した。自民党と内閣の主要メンバーが参加していたというから、そのいい加減さに呆れます。「外相は「宴会」に参加しなかったのはなぜか。重要な会議の前の「会食(飲み食い)」は、当たり前の感覚ならありそうもないこと。「欠席(ずる休み)」が仕組まれていたとしたらどうか。まさに、誰かの「お膳立て」だったと思う。

 他国の首脳は(英首相は父の葬儀で不参加)参加した。代理出席した官僚はどうしたのか、会議における「各国首脳の(無)反応」を聞いてみたいものです。以下にいくつかの報道機関の、10月2日当日の「首相動静」を掲載しました。一覧して、官邸から「動静文書」が渡され、それを各社が手を加えないで掲載したことが歴然とします。何の疑いもなく、官邸が作成した「文書」を記事にしている。それで悪いかといわれそうですが、そこには、「首相の動静のすべて」が正直に書かれているのかどうか。言われるままの「記事」ではないでしょうか。物言わぬメディアの惨状がここににも見えると、ぼくは嘆かわしく思いました。

 さらに、この日の午後に、立て続けに「新聞・通信各社の論説委員らと懇談」「在京民放各社の解説委員らと懇談」「内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談」とあります。新聞・通信各社は「G7会議」があることを知らなかったとすれば、報道機関としては「論外の沙汰」でしょう。何日も前から、会議が開かれる、「世界のエネルギー問題」が議論になると承知していたはずです。(G7ずる休み」を報道しないのは当然で、「各社横並び」を確認して、首相に「傷がつかないように」と連判状でも書いたか。ぼくはこれを「報道機関」のなすべき仕業・仕事とは言わない。「国家損壊罪」で訴えてやりたいくらい。

 揃いも揃って「G7会議を首相は欠席」と、どこのメディアも報じないのは、その「一行」は官邸からの「台本」にはなったからです。どこかの県の「テープカット」じゃありまいし、首相が出てはじめて成り立つ「サミット」に、一言半句も触れないのは、官邸とマスコミの「固い契(A firm pledge)」だったと思うね。国民とG7首脳たちを欺く「約束」をしたということです。

 少なくとも、当日の夜9時以降に会議が開かれることが確定している段階で、首相は「麻生副総裁、鈴木幹事長ら党役員と会食。木原、尾崎、中西正副官房長官同席」とありますが、国会答弁では、会合に出席した副官房長官は「首相の私的会合」と答弁し、「(自分はお酒を)いただきました」「首相は飲酒したか」と問われて、「私は承知しておりません」と答えていました。「G7会議」が開かれることは関係者は知っていたはずですが、「知らなかった」と嘯(うそぶ)くばかりとは、あまりにも醜悪すぎますね。何を伏せて、誰を庇(かば)うのでしょうか。この「国益棄損」「国難増大」の一場劇に対して、ぼくの結論はありません。もうすでに出ているとも言えますから。

 当日の早い段階で「この日のどこかで会議が開かれる」ことを関係者は全員が承知していて、(嘘八百を並べた)そのうえでの「欠席」でした。下種の勘繰りはしない方がいいと思いますけれど、「首相は酔っていた」という話も出ている。「議題は限定的なもので、首相が直々に出る類の会議」ではないと、誰彼(外務省界隈)となく話をつけた、その上での「不参加」だったといっておきます。何よりも、彼女は「G7では威張れない」「世界の首脳に、自分は引け目を感じている」「恥をかきたくない」ということだったでしょう。緊急会議に参加した各首脳は、「日本の女性首相の不参加」をどのように受け取ったでしょうか。こんな不始末が行われて、それに対してまともに「説明もしない」首相、まともに報道しないメディアでは、国益は棄損されるどころか、国難が増すばかりです。

 今回の「首相のずる休み」にまで至った一幕は「次期総裁」をめぐる「政変(政争)」であるといったらどうでしょう。笑止千万といわれるでしょうね。誰が騙し、誰が騙されたのか。「猿芝居(monkey show)」は第2幕に入っています。(内閣記者会の新聞記者は高市官邸のの「番犬(watchdog)」でしたね、しかも、揃いも揃って「チワワ」か「スピッツ」以下の、権力の「飼い犬」だった)

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 (2日の高市首相の動静)                                                                        ▽9時50分 公邸から官邸。                                                                ▽10時 閣議。44分 復興推進会議。                                                              ▽11時42分 カタールのムハンマド首相兼外相と会談。                                                   ▽14時11分 ビデオメッセージ収録。                                                            ▽15時30分 新聞・通信各社の論説委員らと懇談。53分 在京民放各社の解説委員らと懇談。                                     ▽16時22分 内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談。                                                     ▽17時4分 市川国家安全保障局長、原国家情報局長。22分 国家情報局長。                                                 ▽18時28分 公邸。30分 麻生副総裁、鈴木幹事長ら党役員と会食。木原、尾崎、中西正副官房長官同席。                             ▽19時54分 全員出る。(日経新聞・2026年10月3日 0:00)
 高市首相(首相動静 2日)                                                                                  午前9時49分、公邸発。同50分、官邸着。同10時から同38分まで、閣議。同44分から同54分まで、復興推進会議。同11時42分から同53分まで、カタールのムハンマド首相兼外相と会談。午後2時11分から同30分まで、ビデオメッセージ収録。同3時30分から同52分まで、新聞・通信各社の論説委員らと懇談。同3時53分から同4時15分まで、在京民放各社の解説委員らと懇談。同4時22分から同43分まで、内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談。同5時4分から同21分まで、市川恵一国家安全保障局長、原和也国家情報局長。同22分から同31分まで、原氏。同6時26分、官邸発。同28分、公邸着。同6時30分から同7時45分まで、自民党の麻生太郎副総裁、鈴木俊一幹事長ら党役員と会食。木原稔、尾崎正直、中西祐介正副官房長官同席。(朝日新聞・2026年10月3日 5時00分)
 (高市首相動静 2026年10月2日)
09:49 公邸発
09:50 官邸着
10:00 閣議(~10:38)
10:44 復興推進会議(~10:54)
11:42 カタールのムハンマド首相兼外相と会談(~11:53)
14:11 ビデオメッセージ収録(~14:30)
15:30 新聞・通信各社の論説委員らと懇談(~15:52)
15:53 在京民放各社の解説委員らと懇談(~16:15)
16:22 内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談(~16:43)
17:04 市川恵一国家安全保障局長、原和也国家情報局長と面会(~17:21)
17:22 原国家情報局長と面会(~17:31)
18:26 徒歩で官邸発
18:28 公邸着
18:30 公邸で自民党の麻生太郎副総裁、鈴木俊一幹事長ら党役員と会食。木原稔、尾崎正直、中西祐介正副官房長官同席(~19:45)
19:54 全員出る(NHK・2026年10月2日~4日:2026年10月5日 8:22)
  首相動静(10月2日)
 午前8時現在、公邸。
 同9時49分、公邸発。同50分、官邸着。
 同10時から同38分まで、閣議。同44分から同54分まで、復興推進会議。
 同11時42分から同53分まで、カタールのムハンマド首相兼外相と会談。
 午後2時11分から同30分まで、ビデオメッセージ収録。
 同3時30分から同52分まで、新聞・通信各社の論説委員らと懇談。
 同3時53分から同4時15分まで、在京民放各社の解説委員らと懇談。
 同4時22分から同43分まで、内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談。
 同5時4分から同21分まで、市川恵一国家安全保障局長、原和也国家情報局長。同22分から同31分まで、原氏。
 同6時26分、官邸発。同28分、公邸着。
 同6時30分から同7時45分まで、自民党の麻生太郎副総裁、鈴木俊一幹事長ら党役員と会食。木原稔、尾崎正直、中西祐介正副官房長官同席。
 同10時現在、公邸。(時事通信 編集局:2026年10月02日22時02分配信)

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「どこで生きるか」は誰が決めるのか

【日報抄】さながら指名手配だ。外来昆虫のクビアカツヤカミキリを見つけたら地元自治体に情報提供を、と県が呼びかけ始めた。ウメ、モモ、サクラに寄生して枯れさせるというから、春の景色を一変させかねない▼いまのところ20を超える都府県で生息が確認されている。隣県まで迫ってきた本県は気が気でない。農業被害が心配される。名前の通り光沢があって首が赤い。そして長距離移動を得意とする▼ヒッチハイカーとの異名があり、車にくっついて移動するらしい。駆除に手を焼く奈良県のサクラの名所からは「外敵がおらず繁殖力が強い」とも聞こえてくる。この体長4センチ足らずの厄介者といかに向き合うべきか▼埼玉県内では今年、1匹当たり100円で住民に駆除を促したところ、1カ月半で7万匹が持ち込まれたという。ぞっとする数だ。群馬県内では、現金でなく地域通貨を渡す自治体もある。報奨金の話題性は、危機を周知する上でも効果がありそうだ▼環境省によると、食い荒らされてしまった木は枯れていなくても、まん延阻止や倒木の未然防止のため伐採しなければならないこともあるという。虫だけでなく、夏の異常高温といい台風の頻発といい、樹木にとっては受難の時代だ▼通勤途中にあるサクラの並木は落葉の季節を迎えている。来たる春に咲き誇るためのひた向きな支度を見る思いがする。しかし、自然界の変化に戸惑っているであろう昨今を思うと、違う見方もできそうだ。落ちる葉は、涙なのかもしれない。(新潟日報・2026/10/29)

 「外敵侵入」の報道で、日本劣島(の一部)では大変な騒動になっているように思われます。まさに「臨戦態勢」が敷かれているかと思いきや、騒いでいるのはごく一部の自治体だけ、そんなちぐはぐさもぼくには感じられます。日本固有の在来種(人間)以外の「移住」」「定住」は許さないという「防衛本能」が、現下のこの国に蔓延し横溢しているようにも見えます。国防体制の強化は、現内閣の至上命題ですから、さぞかし、物々しい作戦(戦術・戦略)が立てられているのかと思うほどには、実際的に効果のある施策・対策は取られていないに等しい。あらゆることに「頭隠して尻隠さず(Hiding your head but not your tail)」という間抜けさが表れているようですね。

 (ヘッダー写真<「外来種」はなぜやって来た? 脅かされる日本の生態系」>)(https://ohtabookstand.com/2022/12/zukai-22-seibututayousei-04/)

 「見つけたらすぐ!迷わず!踏み潰して!!報告!!」と、おぞましいほどに殺気立った「呼びかけ」ではないでしょうか。すでに「外敵侵入」を許した自治体では、あの手この手の「駆除作戦」が実施されています。「懸賞金」をつけるど、まるで凶悪殺人犯の全国指名手配並み。「埼玉県内では今年、1匹当たり100円で住民に駆除を促したところ、1カ月半で7万匹が持ち込まれたという。ぞっとする数だ。群馬県内では、現金でなく地域通貨を渡す自治体もある。報奨金の話題性は、危機を周知する上でも効果がありそうだ」(「日報抄」)、とさ。

 今では「クマ出没」は通年のものになりました。すでにいくらかの自治体では本年も「緊急猟銃」なる殺戮作戦が実施され始めました。この極東の小さな島国は、野生動物や昆虫には、ある意味では天国なのかもしれません。気候は温暖、適度に雨も降る(近年はそうでもなさそうですが)。在来種植物の楽天地は、同時に海外渡来野生生物・植物にも定住しやすい環境だということでしょう。

 この「クビアカツヤカミキリ」が本土に侵入したというニュースも、あるいは千葉県に侵襲しはじめたという報道もぼくは知っていました。そのうち、拙宅方面にもやって来るに違いないと準備をしているわけでもありませんが、今のところ、かなり目立つ「クビアカ」が桜の木を食い潰しているように見えません。あるいは、ぼくが見落としているのかもしれないし、近所では、多くの方がすでに「侵襲」に苦慮しているのかもわかりません。役場に状況を確認する予定ではありますが、HPをざっとみても、それらしい広報がなされていそうにありません。

 このような「特定外来生物」に対処するための法律もあります。「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」(平成十六年制定)によると「第一条(目的)この法律は、特定外来生物の飼養、栽培、保管又は運搬(以下「飼養等」という。)、輸入その他の取扱いを規制するとともに、国等による特定外来生物の防除等の措置を講ずることにより、特定外来生物による生態系等に係る被害を防止し、もって生物の多様性の確保、人の生命及び身体の保護並びに農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、国民生活の安定向上に資することを目的とする」とあります。いささか大仰な(exaggerated)、という気がしないでもありません・

 要するに、在来種を守るための措置を講ずることが目的となっているようで、「在来種優先」主義であるといえるでしょう。しかるに、一概に「外来種」はダメと言えないのは、早い段階からこの国(土地)に自生していたもの以外は、すべて「外来種」で埋め尽くされてきた歴史があるからです。その昔は「舶来品」「唐来物」と、異国からの生き物や商品が大いに尊重されてきたこともまた事実です。今日、多くの国々で「移民政策」にかなりの制限を加えている状況が見えるのも、まるで「特定外来種」の入国(不法侵入)は禁止するといわぬばかりの時代遅れ感がするように、かかる「特定外来生物」の侵入を、無条件に防御するというのも、あるいは不可能かもしれないし、他にさらに有効な受け入れ方があるようにもぼくには思われます。

 拙宅には「アライグマ」も来ましたし、「セイタカアワダチソウ」とはただ今格闘中です。時々ネコが捕まえてくるものにも、これまでにあまり見たこともないような生き物(ウシガエル?)が混じっていそうで、それなりに注意はしているところ。どんなに「防除」「防疫」「駆除」を厳しくしても、これだけの「人・物」の内外交流が盛んな時代には、それは不可能かもしれませんし、気が付いたら、あっという間に全国に蔓延中ということにもなりかねません。

 植物にも昆虫にも、あるいは動物にも人間にも、それぞれに生きるに適した環境が必要でしょうし、その環境に馴染むように自らを変容させて、いつしか環境に適応することにもなるのです。「共生社会(symbiotic society)」とか「文化多元主義(cultural pluralism)」などと、標語としては軽々しく使われていても、その実はお寒い限りであるのも事実でしょう。「男女共同参画社会(A society with gender equali)」だと、お題目ばかりが唱えられて、実質的な「男尊女卑」の悪弊・悪習が牢固として生き残っているのがこの国の現実です。

 いかなる生き物も「日本固有(それがある・いるとして)のものに限る」という発想自体が、有無定かならぬ、あるいは絶滅危惧種でもあるだろう「日本固有(Indigenous to Japan)」そのものを殺すことになるに違いありません。

 この問題に関して、拙論・愚論はいくらでも展開できそうですが、本日はここまでにしておきます。

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(参考資料❶) ウメ守れ「クビアカ」捕殺作戦 越生町が10匹捕殺すると商品券交換 特定外来生物「クビアカツヤカミキリ」による樹木の被害拡大を受け、関東三大梅林で知られる埼玉県越生町は1日から、10匹捕殺すると500円分の商品券をもらえる制度を実施する。担当者は「町の自慢のウメが危機にひんしている。積極的な捕殺にご協力を」と呼びかけている。/クビアカツヤカミキリはウメやサクラなどバラ科を中心とした樹木に寄生し、幼虫が内部を食べて枯らしてしまう。成虫の体長は約2・5~4センチ。全体的に光沢のある黒色で、首回りが赤い。1匹のメスが300~千個の卵を産む。2018年1月に特定外来生物に指定された。町では23年6月に侵入が確認され、特産果樹のウメなどに被害が広がっているという。(↷)

 今回の制度は「クビアカ捕殺奨励制度~見つけて!教えて!おごせクビアカつかまえ隊~」。町内在住者が対象。担当者は「捕まえた成虫をその場で殺して容器に入れ、町産業観光課の窓口へ持参して」と呼びかけている。まず窓口で事前登録し、専用のスタンプカードを受け取り、スタンプ10個(10匹分)で、町内の飲食店などで使える500円分の商品券に交換する。1人最大100匹(5千円分)まで。町は本年度予算として100万円(200人分想定)を用意。なくなり次第終了という。/町は今後、町内の学校にも「夏休みに親子で参加して」と呼びかける予定。(加藤木信夫)(東京新聞・2026/05/01)(ヘッダー写真も)

◎ クビアカツヤカミキリ= サクラ、ウメなどバラ科の樹木の内部を食い荒らして枯死させるカミキリムシ科の昆虫。原産は中国や朝鮮半島など東アジアで、環境省は2018年に特定外来生物に指定した。成虫は6~8月ごろに発生し、幹に産卵する。雌1匹で300~千個の卵を産むとされ、繁殖力が高い。国内に天敵はほぼいないとみられ、被害が拡大しやすい。(更新日:2026年6月29日)(「共同通信ニュース用語解説」)

(参考資料❷) 疑問!外来種問題はどの立場から取り組むべき?「外来生物法の目的は、「特定外来生物による生態系、人の生命・身体、農林水産業への被害を防止し、生物の多様性の確保、人の生命・身体の保護、農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、国民生活の安定向上に資すること」。これもまた人間中心ではないか。/在来種の保護のための駆除には一理ありますし、必ずしも悪いことではありません。それにより農家は助かり、生計を立てることができるでしょう。しかし、今生きている生き物たちに少しでも思いを馳せたことはあるのでしょうか」(「あらたにす」(2021/07/09)(https://allatanys.jp/blogs/13700/)

国内の確認状況について
令和8年8月現在、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、福井県、山梨県、長野県、岐阜県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、岡山県、徳島県、香川県の22都府県で発生が確認されています。(農林水産省)(令和8年8月19日更新)

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こんな世の中で本当に良いのだろうか

(ひととき)顔を上げてみて 

 最近、街を歩くとすれ違う人のほとんどが「歩きスマホ」をしていて、ぶつかりそうになり怖い思いをすることが多い。
 歩きスマホによる事故が起きているというニュースも聞く。たった一つの小さな機械に気を取られたせいで、もし事故を起こして人生を台無しにしてしまったら、これほど悔しいことはない。
 先日、公園で遊んでいる小学生を見て、さらに衝撃を受けた。せっかく集まっているのに、お互いに一言も話さずに、スマホの画面をいじって時間を過ごしていたのだ。これでは何のために集まったのか分からない。こんな世の中で本当に良いのだろうか。
 私も、家での調べ学習や、家族と連絡を取るために使っていて、スマホはたしかに便利だ。
 でも今、私たちはスマホに時間を奪われすぎている。歩いている時や外にいる時は、一度小さな画面から目を離してみてはどうだろうか。
 少し周りを見渡せば、季節の移り変わりや地域の豊かな自然、温かい風景が広がっている。
 事故を防ぐだけでなく、自分の住む地域をしっかりと見つめ直す心の余裕を、私たちは忘れてはならない。
                          (千葉県船橋市 西田彩夏 中学生 14歳)(朝日新聞・2026/10/28)

 朝日新聞のコラム「ひととき」はいわゆる読者投稿欄です。詳しくはわかりませんけれど、「購読者」でなければ投稿は認められないのかもしれないと思う。ラジオの深夜放送を聴いていても、多くの人が「番組への投稿」をされています(近年は、即メールで)。ぼくにはそんな趣味がありませんから、勢い、その投稿者や投稿内容についてよからぬことを考えたりすることが多くあります。本日の「ひととき」への投稿者は中学生でした。現代の抜きがたい「病理(中毒症)」でもある「歩きスマホ」(同時に、「座りスマホ」「立ちスマホ」「ながらスマホ」)という風潮を、この中学生は実に嘆かわしいとみておられる。かかる世の風潮に、投稿者は「こんな世の中で良いのだろうか」と、しっかりと、その世情・世態を批判されている。

 「少し周りを見渡せば、季節の移り変わりや地域の豊かな自然、温かい風景が広がっている。/事故を防ぐだけでなく、自分の住む地域をしっかりと見つめ直す心の余裕を、私たちは忘れてはならない」と、もうすでに立派な『小言幸子」さんです。確かな批評眼をお持ちです。もちろん彼女の指摘はその通りで、だから新聞の投書欄に自らの主張を掲載されることを求めるご本人の、その投稿を採用する新聞社の、それぞれの意図は何でしょうかと、ぼくはよからぬことを考えてしまうのですよ。(右写真は産経新聞記事・2026/10/21)

◎ ひととき(一時)=1 しばらくの間。いっとき。「憩いの―」2 過去の、ある時。いちじ。いっとき。「―は栄華を誇った」「―はやった歌」3 昔の時間の単位。今の約2時間。いっとき。(「デジタル大辞泉」)(新聞コラムの「ひととき」欄にはどういう狙いがあるのでしょうか。ずっとぼくにはわからずじまいでした。辞書の解説からすれば、おそらく(1)なのでしょうけれど、その意図するところが理解不能です。「しばらくの間」だけでも問題(投書内容)を考えてくださいな、という程度でしょうか。「天声人語」と比べて(内容ではありません)、段違いの扱いであり、曖昧さですね)

 先日、十五年ぶりに都心(東京神田神保町)に出かけました。勤め人時代に担当していた学校の演習(ゼミ)の卒業生が、何を勘違いしたか、ぼくに声をかけてくれて「来ていただけませんか」と徘徊老人を招いたからでした。いとも単純に、その「招き」に乗った自分が迂闊だったわけですが、十五年も見ない間に都会はぼくの住むところでも働くところでもなくなっていたという発見は、この投稿者(中学生)の言われる「心の余裕」というものを、ぼくなりに、かすかながらも維持していたと思われて、「われと思わん人は都会を出よ、田舎に住もう」という、それこそキャンペーンを張りたくなったほど。

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 本年3月三重県下の高速道路でダンプ運転中の「ながらスマホ」(「ながら運転」)で、停車中の乗用車に追突、「一家5人と団体職員1人」を死に至らしめた事故の裁判があり(10月20日)、その詳細が報道されました。当該事件に関しては、ただ一言「論外」「もってのほか」というほかない「不注意」という悪質な情念によるなものでした。誰だって「不注意」で間違いを犯すことがある。それだけ、人間は万能」ではない、はっきり言うなら、「不注意というのは人間の弱さ」の発言でしょう。算数の計算で、ゆっくりやればだれもが間違えないのに、急いでいたり、良からぬことを考えていて間違ってしまう。だから、子どもにとっての勉強は「不注意」や「怒りっぽさ」、あるいは「飽き性」を、自分の力で治す一番確かな方法だと、ぼくは自ら経験してきました。

 他人から褒めてもらいたいとか、成績一番になりたいため、その手段として「勉強(成績)」をとらえると、いつの日か、どこかで「不注意」が顔を出すのです。信号無視や前方不注意で人を轢いてしまう、それをぼくは「悪質な不注意」というのです。さらに言うなら、「偏差値」「成績」「序列」を武器にするような、それこそ悪質な「学校教育」が、人間の弱さをさらに助長しているとまで言いたいくらいです。政治家や官僚、あるいは世間で評価される経済人などの目に余る「悪行」は、「成績偏重を旨としてきた学校教育の見事な敗北ではなかったでしょう。「顔を上げてみて」「上を向いて歩こう」、これは単なる忠告や兵庫ではなく、みずからが、時にはそうできることは、ぼくに言わせてもらえば「人間の教養」そのものだといいたいんですよ。「教養」とは「不注意」から自分を救ってくれる、自分の内面の良心(善意)だとさえ言いたいですよ。

 しかるに、そんな悪質な「不注意」による事故の結果6人が死亡した、その裁判が下した判決が「拘禁刑7年」というのは、誰が見ても理不尽ですが、「『反省の態度を示していることなど被告に有利な情状を十分考慮しても、法定刑の上限で臨むのが相当』」と判断した結果の禁固刑7年。裁判長は何を言おうとしているのか、現行刑法に従っただけというものでした。裁判内容に関しては別の機会に譲りますが、この「ながら運転」「ながらスマホ」が、今日、至る所でさまざまな事件や事故を起こしている、この現状に対して、一中学生の、当たり前の感覚からの「顔を上げてみて」という投稿の掲載は、時宜を得ていたかどうか、ぼくはいささか疑問を持ちました。

 (彼女の主張や指摘が誤っているというのではありません。重大な事故や殺伐とした事件の引き金になっている「スマホの悪用」に注意喚起をしているのは当然としても、新聞社は「大事と小事」を取り違えていませんかという感想をぼくは強く持ってしまいました。(「(ひととき」欄には)この程度の記事(投書)でいいよ」という、子ども扱いがありはしませんかというのです)

 元トラック運転手に拘禁刑7年 「過去の事案で最も重い部類」―新名神6人死亡事故・津地裁 
 三重県亀山市の新名神高速道路で3月、大型トラックで乗用車に追突し、子ども3人を含む6人を死亡させたとして、自動車運転処罰法違反(過失運転致死)罪に問われた元トラック運転手水谷水都代被告(55)の判決が20日、津地裁であった。出口博章裁判官は「過去の過失運転致死事案と比較しても最も重い部類」として、求刑通り拘禁刑7年を言い渡した。
 出口裁判官は、被告が高速道路を運転中にスマートフォンで見ていた動画を保存撮影するため十数秒間スマホを見ながら運転し、安全確認を怠ったと指摘。「運転者の責任や事故の危険を顧みない誠に軽率な運転だ。過失は重大で、厳しい非難に値する」と指弾した。
 その上で、「被害者には何の落ち度もなく、結果はあまりにも痛ましく重大だ。将来ある人生を理不尽に断ち切られた被害者らの苦痛、無念は察するに余りある」と述べ、「反省の態度を示していることなど被告に有利な情状を十分考慮しても、法定刑の上限で臨むのが相当」と結論付けた。
 判決によると、水谷被告は3月20日未明、亀山市内の新名神高速でスマホを見ながら制限速度を超える時速約82キロでトラックを運転。渋滞の車列に追突し、埼玉県草加市の団体職員高峰啓三さん=当時(56)=と、静岡県袋井市の会社員松本幸司さん=同(45)=一家5人の計6人を死亡させた。(時事通信・2026/10/20)

 14歳の中学生の投稿として、なかなかに立派な指摘(内容)ではないかというのでしょう。投稿掲載の可否は新聞社の判断ですから、他人が事の理非や良しあしを云々しても仕方がないのでしょう。でも、と腑に落ちない、何かが残ります。ぼくは暇人ですから、ラジオや新聞の「投書」にまで耳目を寄せています。そこから得られる愚論ですが、現実の社会には「私も一言」という姿勢を実践している人がたくさんいるという実感です。世の中を席巻しているSNSの乱暴・無礼な「短文」乱発状況を見聞きするにつけ、今日の多くの人間は「文字(言葉)で他人を撃つ」ことに快感を覚え快哉を叫びたい、愉快犯的存在なのだと、思いたくなります。他人のことを言えた義理ではなく、ぼくもまた「ブログ」なる駄文の礫(つぶて)をもって、一人で気を紛らわせているのですから、「同病、論じ難し」ということでしょうね。

 先日、まさに今浦島太郎並みに、都心の変貌に驚嘆したものでしたが、行き帰りの電車内での「ながらスマホ」の圧倒されるな風景に、ぼくは「ひょっとして、ながら族の中の、ぼくは異人趣(移民)なのか」と思ったことでした。普段は、ぼくは四六時中『長柄族」を決め込んではいますが、至るところで見られた「スマホ中毒」患者の群れに、大いに恐れをなした次第。いくつもの自治体で「ながらスマホ禁止」条例が制定されています。行政もまた、「ながら族」が危険な存在だという認識があるのでしょうか。と思いつつ、役所の人間もまた「スマホ中毒」ではないかという大きな疑問を消すことができません。時の総理大臣が連日連夜にわたって、書く必要のない、あるいは公開する意味のない「SNS」(その多くは、最高学府を出た官僚が書かされているのだと思う)にうつつを抜かしているのですから、話になりません。(「ながらスマホ」禁止条例の横並びを見て、「歩行喫煙禁止」条例制定の横並びを思い出します。法律ではないのはなぜか。(国家議員が「ながらスマホ」(国会内喫煙」を実践しているのですから、法律で禁止するわけにもいかないというのですか)

 「裏金議員」は立派な脱税者、それを大臣に任命するのですから開いた口も目も閉まらない事おびただしい。「裏金議員というな。不記載議員と言え」とは首相の言。そういえば「違法」でなくなるとでも考えているのでしょうか。一国の総理が、くだらなさすぎる「スマホ」駆使で、睡眠時間が減り、G7サミットにも不参加とは呆れる以上に腹も立つばかり。もう何十年も前に、ある住宅メーカを乗っ取ろうとした愛知県の大きな自動車会社の最高幹部に対して、「君たちは一体、何人人殺しをしたんだ」と言って、一矢を報いようとした、乗っ取られた会社の社長がいました。立派な人(M氏)だったとぼくは思っているが、ここでも「泣く子と地頭には勝てぬ」とばかりに「力任せの暴力」が幅を利かせているのです。スマホは「中毒患者を生む」、ある種の「麻薬」、「魔の器機」ですね。だからぼくは、生きている間は持たない。「この時代遅れめ」と罵られようが、「時代に乗り遅れて」大いに結構。「反時代的人間」で上等と、ぼくは一人で「切歯扼腕(せっしやくわん)」の体であります。

 「AI」は人類を滅亡させるという物騒な流言が、海の彼方から飛びこんできています。ぼくの実感では、すでに「滅亡への秒読み」は始まっているんじゃないですか。「たった一つの小さな機械に気を取られたせいで、もし事故を起こして人生を台無しにしてしまったら、これほど悔しいことはない」(「ひととき」)という正論を、ぼくはまともぬ受け止めかねている人間(大人)たちの愚かさを恐れます。人類が滅亡するとは大げさなと、多くは考えるでしょうけれど、実は、これまでだって、「人類は滅亡する」を繰り返しているのです。今から百三十年前に生まれた人は「絶滅している」でしょう。何か宇宙の衝撃で地球が破壊されるばかりが「人類の滅亡」というのではありません。

 時代とともに、歴を重ねて「人間は賢くなる」と思いたいけれど、なかなかそうはならないのは、戦争の現実を見てもわかります。人と人が力づくで戦う場面から、今では「原爆」よりもはるかに効率的にかつ安価に作られる機会で「殺戮」が繰り返されています。一機数百億円の爆撃機よりも数万、数十万円で作られるドローンが戦争の勝敗を決める時代です。「人間は賢い」か。つまりは「半導体(基盤)」やその先端にある「AI」が人類の死命を制しているという時代です。「ながらスマホ」一つ、コントロールできないほど、実は人間はすでに「AI」にやられているとぼくは考えています。

 「こんな世の中で本当に良いのだろうか」と、ぼくも深刻に思っています。

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砂に陽のしみ入る音ぞ曼珠沙華

【有明抄】読書の秋 「浪速の名物古書店主」と呼ばれた人がいる。大阪市北区で古書店「青空書房」を長く営んだ坂本健一さん(1923~2016年)である。坂本さんは終戦後、学徒動員から復員したが、父はぜんそくを患い、妹は病気。他の家族も栄養失調状態だった◆坂本さんは自分の唯一の財産だった岩波文庫100冊を持って闇市に店を開く。その後、曲折を経て大阪市北区に「青空書房」を構えた。「大阪一売れない本屋」と自称しながらも、向学の若者たちに良い本を1円でも安く提供するをモットーに頑張った。筒井康隆さんや田辺聖子さんら有名作家とも交流が深かった◆人だけでなく、本との出合いも一期一会。古書店では特に、思いがけない出合いがある。坂本さんは偶然手に取ったように思っても、本が自分を読んでほしい人を選ぶ。そんな趣旨の言葉を残す◆あすから秋の読書週間が始まる。シンボルマークはフクロウ。ギリシャ神話に登場する女神アテナの使者で、知恵の象徴として古代ギリシャ人に親しまれていたからという◆本はその人の「心の財産」。読書週間に一期一会を求めて書店に行くもよし、薦められた本を読むもよし。秋の夜長にページを開きたい。ちなみに、筆者が好きな作家は宮本輝さん。青春小説なら『青が散る』、大人の恋物語なら『錦繍(きんしゅう)』がおすすめだ。(義)(佐賀新聞・2026/10/26)

 それこそ毎週のように「ナントカ週間」がある社会ですから、読書週間が始まりますといわれても、いささかも驚きません。ここまで長く生きてきて、今日から「読書2週間」だから、「さあ、本を読もう」という気になったことは一度もありません。学校の児童・生徒だった時代はいざ知らず、少なくとも「世の中の動き」に合わせて自らの生活習慣を変更するなどと言うことはぼくには考えられもしないこと。「秋の交通安全運動(本年は9月21日~9月30日)」だから、運転には十分に注意しようというのも変な話です。要するに、それが自分にとって大切なこと、重要な事柄だったら、ぼくには「毎週が読書週間」「いつだって交通安全運動(期間)」であるというようなものです。

 今から思えば、もっとも多くの本を読んだのは「学生時代」だった。高校卒業するまではほとんど本を読むという習慣はぼくにはなく、もっぱら屋外派だった。記憶に残っている限り、大学生になるまでにまともに読んだ本は漱石や志賀直哉などの数冊だったと思う。あえて言うなら、その当時、「ぼくは本嫌い」だった。その理由はいくつもあるでしょうが、何よりも学校教育を通じて「読書の効用」みたいな講釈(授業)を聞かされてうんざりするのが関の山だったし、国語の時間は、本嫌い(読書嫌い)を生産するような、生産される側には、とんでもない苦痛の時間だったと思うばかりです。

 だからその反動で、大学に入学した途端(とたん)にぼくは本の蟲になりました。ぼくの実感としては「こんなに本を読むのが好きだったのだ」という、自分を発見」「自らの性格を再発見」したとまで考えたことでした。その意味では、高校までの学校教育に大いに感謝しています。徹底して、本嫌いに仕込んでもらったのですから。「これを読め」と強いられては、素敵な読者体験もあったものではないでしょう。読書の体験は、ぼくにはたくさんの「未踏の地」を歩かせてくれたと思う。どこかで触れていますが、学生になって最初の大きな買い物をしました。大学内にあった「生活協同組合・書籍部」から、「日本古典文学大系」(岩波書店刊)(左写真)を全百冊を一度に購入した。当時、年間授業料が5万円の時代、購入代金はおそらく15万円ほどだったと記憶している。次いで、筑摩書房の「世界文学大系」(全91巻)も(右下写真)。これも「生協」からだったと思う。いずれも「月賦(今風に言うなら、ローン)」でした。月々一定額を払う仕組みでした。支払う額よりも借金する額の方が常に上回っていて、どんどんと借金の額は増えていった。今考えても、生協はよくも、そんな施し(融通)をしてくれたものと、感謝している。

 学生時代に住んだ場所が文京区本郷でしたから、毎日のように「本屋通い」をしました。本郷通りには書店だけでも(新書・古書店合わせて)三十軒はあったでしょう。毎晩の散歩がてらに、その一軒一軒を覗いているうちに、ある書店主と仲良くなって、そこでも好きな本を好きなだけ買うことができました(もちろん、借金でした)。都会のジャングルや砂漠をトレッキングするという趣味・冒険はついに持てませんでしたから、本屋通いにぼくは病みつきになった。後には、これに「レコード漁(あさ)り」も加わりました。時には歩いて神田神保町まで本屋通いを延長するようになって行きました。というわけで、ぼくには「読書2週間」の恩恵も強制も全くなく、ひたすら借金をしながら、いつだって本を買っては読んでいく・積んでいくという、そんな生活に浸りきったものでした。

 本日から「読書週間」だから、さあ、ゆっくりと「良書」を読みましょう、といって、「読書に嵌る」人はいないでしょう。ただでさえ、本や新聞などの「活字文化」が全盛期をはるかに過ぎて、あたかも「消えかかる蠟燭の炎」のように、一陣の微風で、消えてしまいかねない時代です。今でも、ぼくは「読みたいとき、読みたくなった時に読めばいいではないか」と考えている。これがぼくの本に接する姿勢(思想)です。亡くなった詩人の長田弘さんは「世間では、若い時には本を読め」などと言うが、むしろ、いい年をした人間(大人)はジョギングなどするよりも、それこそ「本を読め」と語られていたことを思い出します。

 なんでもそうですが、これは美味いから「ぜひ食べろ」とか、これはいい本だから「とにかく読んでみろ」と強いられて、食べたり読んだりすることが無意味だとは言いませんけれど、やはり「自分による発見」があればこそ、でしょうね。それと、これはぼくの全くの偏見ですが、「読書感想文」を強いるというのはどうか。感想文を書くために「本を読む」、あるいは誰にも一律に「課題本」を与えて「感想文コンクール」を開くなど、ぼくに言わせれば「愚行も愚行」、「最悪の愚の骨頂」とまで言うと言葉が過ぎます。後年、依頼されて(書評)を何度か垣田高尾tがありましたけれど、ぼくの性分には合わなかったという実感が残りました。一冊の本を読んで、いろいろなことが感想として浮かんだなら、それこそがいい本。大切なのは、素晴らしい読書経験を「コンクール」などと言う「邪念」「邪道」で汚染しないことでしょう。「本を読む」ということについて、限りなく書きたいことあありそうですが、それはぼく一人の「合点」ですから、ここには披歴するほどのものではないし、これ以上は駄弁りません。

 詩人の寺山修司さんは「書を捨て、街に出よう」とかなんとか叫ばれました。彼は青森出身だったせいもあるでしょうが、街中(大都会)のもろもろが「一冊の本」(つまりは「学校だ」)といいたかったんですね。彼はどこかで、ぼくの学校は「映画館」であり「飲み屋であり」と、反学校・非教育の思想を語って尽きない人でした。「誰か故郷を想はざる」(芳賀書店、1968年)は、ぼくが大学を卒業した年に出ました。それにしても寺山さんもまた「嘘を吐く」達人でしたから、その多くはぼくには「眉唾」だったですね。寺山さんとは、いささかの因縁があったようにも思うし、まったくなかったとも言えます。彼の芝居には何度か出かけたことがあるし、彼の友人・同級生(山田太一氏もその一人)との交友にもたくさんのことを教えられました。それもまた、ぼくには「一冊の本」だったと思います。

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◎ 読書週間 = 読書の普及を目的として,講演会,展示会,お話し会,ポスターの作成など,読書に関連する行事を集中させた期間.自治体,学校,図書館などが個別に実施するほか,全国規模のものとして,毎年秋に行われる「読書週間」がある.これは,1947(昭和22)年に開始され,1959(昭和34)年から,日本図書館協会や全国学校図書館協議会,それに出版関係団体からなる社団法人読書推進運動協議会が受け継いだものである.(「図書館情報学用語辞典 第5版」)

◎ 読書週間の歴史 = 終戦まもない1947年(昭和22)年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。/そして『読書週間』は、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。/いま、電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは、大きく変容しようとしています。しかし、その使い手が人間であるかぎり、その本体の人間性を育て、かたちづくるのに、「本」が重要な役割を果たすことはかわりありません。/暮らしのスタイルに、人生設計のなかに、新しい感覚での「本とのつきあい方」をとりいれていきませんか。/『読書週間』が始まる10月27日が、「文字・活字文化の日」に制定されました。よりいっそうの盛りあがりを、期待いたします。(公益社団法人 読書推進運動協議会)(http://www.dokusyo.or.jp/jigyo/jigyo.htm)

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 (表題句は佐藤鬼房作。「佐藤鬼房 (さとう-おにふさ)(1919-2002) = 昭和-平成時代の俳人。大正8年3月20日生まれ。「句と評論」に投句。戦後は西東(さいとう)三鬼に師事し,社会性俳句で注目される。「天狼」同人をへて,昭和60年宮城県塩竈(しおがま)市で「小熊座」を創刊,主宰。平成2年「半跏坐(はんかざ)」で詩歌文学館賞,5年「瀬頭」で蛇笏(だこつ)賞。平成14年1月19日死去。82歳。岩手県出身。本名は喜太郎」)(「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

 句風は、鬼房その人と重なるような「静かな佇(たたず)まい」ですが、巌として動じない風趣があります。他に、ぼくの好きな句は、以下に三句ばかり。

・妄想を懷いて明日も春を待つ ・切株があり愚直の斧があり ・花種子を播くは別離の近きゆゑ

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「針は小さくても呑まれぬ」と言うよ

【天声人語】デモ隊の一部が暴徒化 記者として、型にはまった表現は避けたい。一つひとつ取材の対象は異なるのに、一くくりにしてしまう。自戒を込めて言うなら、複雑な事象をつかみきれず、原稿を書きあぐねた時に陥りがちだ▼〈デモ隊の一部が暴徒化した〉。これも、そうした言い回しの一つと感じる。筆者も使ったことがあるし、最近の欧州の報道でも見聞きする。この言葉とともに、よく目にするのが黒ずくめの集団だ。「ブラックブロック」と称される▼各国で様々なデモを取材した。失政に怒ったり、戦争に反対したりする市民が路上に集い、声を上げた。「自分の意思を表す大切さを教えたい」と、子どもを連れてくる人もいた。みんな普通の人だった▼参加者と歩いていると、黒ずくめの集団が突然現れる。店を襲い、警官隊に石や火炎瓶を投げる。警官隊が制圧に動く。放水や催涙弾が飛び交い、デモの参加者は散り散りになる。はたして黒ずくめの集団は「デモ隊の一部」か▼市民の声を伝えるはずのニュースの焦点も偏る。衝突は起きたか、死傷者は出たか。燃え上がる車や、窓が割られた店先にカメラが向けられる。少数が起こす過激な暴力の場面ばかりが拡散されていく▼わかりやすい「暴徒」の映像から、「デモ=怖い」という一面的な見方が広がるのを恐れる。黒ずくめの何倍もの市民がいま欧州の路上に集う。彼らが何に苦しみ、どんな声を上げているのか。その痛みは私たちと地続きだ。そう感じることのできる想像力を持ちたい。(朝日新聞・2026/10/26)

* 台風30号が温帯低気圧に変わっても、その余波というか、大量の雨を各地にもたらしています。風も強く吹いている。当地でも4日連続の雨続きです。酷暑の後の秋の長雨。「風雨・水害」に大きな犠牲を強いられた人々に、さらなる不意打ちが襲い掛かっています。何よりも安全で過ごされ得ますように。

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 どんな新聞にも「コラム」はつきもの。でも、コラムが設けられていない地方紙もあります。なぜだか、ぼくはその理由を新聞社に訊いてみないのでわからないが、気の抜けたビール、間の抜けた話のような気がします。それもこれも、「新聞にはコラムが」、それが合言葉というか、常識になったからではなかったか。中には、この常識を大宣伝して「〇年連続大学入試出題率一位」を宣伝に利用している新聞コラムがありました。それはコラムの質の高さを誇っているのですかね。(今でも「出題率競争」などはあるのかどうか)

 コラム(column)というのは「柱頭」を指し、「古代ギリシャ・ローマの建築物に見られる石の円柱」を意味していた。それがこの国では、いつの時代からか、「新聞・雑誌で、短い評論などを掲載する欄。また、囲み記事」(「デジタル大辞泉」)を言うようになりました。詳細はともかく、縦書き横書き、いずれにしても囲み記事のことです。これもまた、立派な一つの「商売道具(売り物)」ですから、ほとんどの新聞社も大事にしてきたという歴史があります。「どこの何が」とは言いませんが、それを目当てにぼくは新聞購読を続けていたものでした。

 ところが、この何年か、あるいは何十年か、各紙「コラム」がとんと面白く(詰まら)なくなったという感想をぼくは持ちます。言うならば、その昔は長嶋や野村、張本クラスの卓越選手が活躍した時代、それを見て育った時代の選手、その「伝説の選手」を見聞きして育った選手たちを見て育った選手たちの時代、つまり、時代ととも選手たちが小粒になるのが不可避、道理のさま、新聞社の「(かつての)名物コラム」も、それによく似ているという気がするのです。「昔はよかった」というのではなく、時代とともにすべてが「平均化」されてくるという典型例で、破天荒でも猛者でも、型破りでもオレ流でも傑物でもなくなるのは、時代や社会が挙(こぞ)ってすべてを平均化、右へ倣え式に揃えてしまおうとするからなのでしょう、平均値の過剰な尊重、「みんないっしょ」の建前の重視が、結果的には、そういう「画一化」「小粒揃い」を、大なり小なりではあっても、もたらしてきたと言えませんでしょうか。

 これはこの国の「学校教育」の、あからさまな成果であり、無視できない弊害でもあるでしょう。「建前の平等尊重」と、結果の「父母湯土」に、どなたも文句を言わないのはどうしてでしょうか。「教育の機会の平等」は「教育の結果の不平等」の入り口でしたね。どんなものにも、いい面と悪い面が背中合わせだという意味です。

 さて、そのコラムです。元来が建物の上部の重量を支える縦式柱頭のことでした。それが新聞などの縦型記事欄に取り入れられた次第でした。「コラム」とは、新聞社の「名刺」というか「顔」というか。あえて言うならスーパーや薬局などの店頭に配置されている「店頭商品」「販促商品」のようだと、ぼくは考えていました。いうならば「ノベルティ」です。もちろん、無料ではありませんが、客引きにはもってこいの、目立つ存在(目玉記事)だったと思う。それがコラムの面目だった、一番大きな理由は短文で的を射た表現で、数多の問題の核心を読ませる・考えさせる、一種の時代相や世相解明への導きの糸・あるいは時には「導火線」でもあったと考えていたものでした。

 ところが、この「販促品」「客引き商品」の魅力が頓(とみ)に薄れているのです。どうしたことか。まったく読む魅力がない記事(コラム)がほとんどだといいたい気もします。他人さまのことをあれこれ言えた義理ではありませんが、質が落ちた、内容が浅薄になった。もちろん、これはぼくの「独断」と「偏見」ですが、その理由のおおよその見当はついています。簡単に言えば、「(ものの見方・考え方・捉え方などの)修行」が足りないという話です。精進・恪勤の大いなる不足、あるいは欠如といっていいでしょう。どの新聞も大同小異、つまらないの一言で片づけたくなります。何年も毎日のように「コラム」を何種類も読み続けている人間からすれば、この記者(コラムニスト)の書くものはいいなあと、読むたびに感心させられるのは、今ではせいぜいが一つか二つ、あるかなきか。残念ではありますけれど、コラムという絶滅危惧種はまさに「風前の灯火」でしょうね。「いいなあ」の一つ、具体名を挙げてもいいのですが、「有明抄」などは秀逸だと思います。時には「水や空」も。(動画なら、「いいねボタン」を押すところか)

 試みに、本日の「天声人語」を読んでみてほしい。「天声人語」と銘打っているから、「これがそうか」と思うばかりで、コラム名を伏せれば、販促品にならないどころか、街頭で配られる「ポケットティッシュ」にすら及ばない、誰も手を出さない代物、そういえば叱られそうですが。ぼくには「紛れもない事実」だから、そういうばかりです。「人声人語」とでもいうべきか。たった一編のコラムを読むために、ぼくは新聞購読を続けていた経験がありました。だから、つまらないコラム記事に出会うと、記者(筆者)に文句の電話を掛けたものです。もちろん「一読者、誰それ」と名乗って、です。ところが、時とともに、新聞社員そのものが「横柄」になってきたのを実感するようになった。「◎✖新聞」と名乗れば、泣く子も黙るとでも考え違いをしたのでしょうか。そんな記者が多くなった、と同時に、各記事に鮮度も確信もなくなっていくようで、新聞の行く末を案じたものでした。今から三十年も前のこと。ありていに言うなら、ぼくが日常的に接していた「学生」が、くだんの新聞社の記者になっていたのですから、その程度は推して知るべし、だった。

 本日の「天声人語」を一読再読。ぼくには、その記事の内容がよくわからない(ぼくの読解力欠如)うえに、何を勘違いしているのかという批判が先に出てきました。現下フランスをはじめ、欧州各国では政治の無策、国民生活の困窮を要因として、多くの地域で市民の「抗議デモ」が広がっています。 その状況に対してコラム氏は〘記者として、型にはまった表現は避けたい。一つひとつ取材の対象は異なるのに、一くくりにしてしまう。自戒を込めて言うなら、複雑な事象をつかみきれず、原稿を書きあぐねた時に陥りがちだ〙〘わかりやすい「暴徒」の映像から、「デモ=怖い」という一面的な見方が広がるのを恐れる。黒ずくめの何倍もの市民がいま欧州の路上に集う。彼らが何に苦しみ、どんな声を上げているのか。その痛みは私たちと地続きだ。そう感じることのできる想像力を持ちたい〙とコラムを結ばれている。

 ぼくが指摘したいのは、事態の解説や注釈ではなく、「抗議しているものの痛み」が自分と地続きなら、その地続き具合を書いて記事にする必要がありませんか、そういいたいのです(ぼくは、この新聞のコラム購読料を払っている)。ありていに言うなら、記事の「終わったところから」、コラムは書き出すべきではないかったでしょうか。ことはコラムだけではありません。この国に限るなら、事件や事態の解説や注釈ではなく、何が問題なのかを単刀直入に、あるいは、誰(読者)にもわかりやすく、この国の政治状況、ことに T 総理大臣の目に余る「振る舞い」や、生活苦のよって来るべき原因・背景など、それをこそ書く必要・必然性があるでしょうが、多くのメディアは、時の政権の遂行している経済・財政政策には物申さないで、だんまりを決め込んでいるのです。

 過日のG7(先進国首脳会議)の「緊急会議」に首相はずる休みをした。数日前の参議院予算委員会における、首相の「ずる休み(欠席)」の醜悪極まる弁解(いいわけ)」を聞かされ、ぼくは涙が出るほど情けなく思ったものでした。初めから、出たくないから、出ないことを決めておいて、「公邸で宴会」だったという。(一説によると、彼女は酒飲みだというから、酒・煙草に大いに造詣が深いのでしょう)「大事な会議なら出たはず」と首相は、言うに事欠いてほざきました「首脳会議」に首相が出ない理由を論(あげつら)ってどうするのでしょう。出たくなかった理由はたった一つ。世界の首脳の誰もが自分を相手にしてくれないから。その反動で「国会でイキル」ばかり。せいぜいがそんなところ。首脳会議に「首脳」が出ないで代理を出し、それを攻められて、「どこが悪い」と開き直る、こんな性悪な人間が首相であること自体が、なによりの「国難(national crisis)」ですね。

 語学ができないから、会議は休むというのは「不登校」の理由にもならない。できないなら、学べばいいし、通訳をつければいいだけのこと。つまりは、なってはいけない人物が頂点に立ち、してはならない人間を首相にしたがために、あらゆる弊害がここに噴出しています。新聞はなぜ、それを書かないか。G7会議当日、首相は会議開催数時間前にはマスコミ各社の関係者と、重ねて懇談しています。マスコミもまた「政治空白」「政治無作為」の共同正犯だというほかありません。いずれにしても論外というべきです。

 政治に素人のぼくの直感では、ただいま永田町では次期総裁(総理)の座をめぐる「(セコイ、いやダサい)権力争い」が発生している。緊急会議をさぼった理由もそれに無関係ではないと読んでいます。各社の新聞(政治部)記者はその一部であっても、様子は知っていると、ぼくは思うし、そのためにたくさんの記者を抱えているのではないかといいたくもある。書くべきことを書かないで、ほとんどが「提灯記事」ばかりでは、「コラム」にまでその余波(書くべきことを書かない)が及んでしまいませんか。提灯が入用だということは、さしずめ、ただいまは「闇夜」だということになりそうです。「堕ちろ、堕ちよ」「堕ちろ、生きよ」

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◎ ノベルティ(novelty)= 進物広告または景品広告ともいう。実際に役に立つ品物に,社名や商品名などを記入して顧客に配布する広告方法のこと。カレンダー,手帳,名刺入れ,置時計,ライター,マッチ,タオルなど,価格,種類の点でも,さまざまなものが利用されている。不特定多数の消費者を対象とするマスコミ広告とは違って,常連ともいうべき得意客が対象となるだけに,贈答的色彩の強いものもある。進物広告の効果は,もっぱら進物品の企画のよしあしにかかっており,長期間にわたって相手に愛用されるものでなければならない。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」)

◎ ノベルティ【novelty】= 特殊広告の一種で、社名、商品名を入れて無料で進呈する贈りものの総称。かつては景品広告、実用品広告と呼ばれたこともあり、またスペシャリティ広告と呼ばれることもある(ライター、ボールペンなどに社名などを入れたもの)。これは企業や商品の知名度やイメージを高め、維持するうえで役立つことはもちろんであるが、集客という面で大きな効果がある。こうした効果が発揮されるためには、顧客にとって魅力のあるものをノベルティとして選定することが必要である。(流通用語辞典)

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「徒然に日乗」(1256~1262)

◎2026/10/25(日)終日雨天および曇天。庭作業は本日も中断。台風30号はやや勢力を落としながら、劣島に接近。各地に大雨をもたらしている。さらに、台風31号が発生したと報じられる。十月末になっての台風発生。この状況は来年も続くのだろうか(1262)


◎2026/10/24(土)ほぼ終日、雨天。午前中市原のHCまで猫の食料の買い出し。同じ敷地内にあるSCも大変に混雑していた。土曜日でもあり、特売日でもあったのだろうか。このところ、猫の食料品の値上げが続いている。ペット商品というので、少々高くしても大丈夫だと、足元を見ている感がする。相対的に、今日の物価高騰のかなりな部分は「便乗値上げ」のようにも思われる。(1261)


◎2026/10/23(金)本日も外作業を継続。桑の木の伐採とその根の処理。すべてではなったが、少しばかりはできた。また、執拗な竹の伸長の処理の基本は伐採で、今日はどれくらい切れたか、5~6本程度か。この地の竹のほとんどが孟宗竹なので、太くて重い。▼予報では、明日は雨が降るという。外作業の中断を余儀なくされ、加えて、処理した草木類の償却ができないのが気にかかる。久しぶりに土気に買い物(あすみが丘)に。先月の台風25号の影響で店内のエレベーターが停止状態のまま。客商売として、どういうことだろうか。かさばる買い物を抱えて階段を上り下りする身になってほしい。顧客のことが考慮されていないことに憤りのようなものが沸いてくる。(1260)


◎2026/10/22(木)10月下旬に入りながら、まだ台風被害に生活を奪われる人がたくさんいることに同情を禁じ得ない。目下、台風30号が沖縄方面を襲っているが、まだ油断はできないようだ。海水温の高さが維持されているので、この後も台風発生の恐れは十分に残っている。▼日本だけではないのだろうが、物価高騰に驚くばかり。政府(首相)は「物価高対策を懸命にやってきた」というが、どこにその気配がみられるのか。ガソリンや電気料金などの補助を挙げるのだろうが、そのような「補助」をせざるを得ない原因はどこにあり、そこに手を付けないで、どうするのだろうか。▼「日経平均62,907.84 -1713.40 NYダウ52,856.09 +360.21 ドル円157.22-23 -0.90円高 NY原油99.37 +2.22 長期金利2.870 -0.020」(日経新聞・2026/10/22)▼ネット社会の「危険性」「脆弱性」「ネット社会の全体的危うさ」が日増しに増大している。「米マイクロソフトは米国時間21日、中国政府に関係するハッカー集団が中国系の人工知能(AI)ツール「ARTEX(アルテックス)」を使ってサイバー攻撃を仕掛けていたと発表した。日本企業を標的とした攻撃に関与したかは明らかになっていない。/マイクロソフトが自社のクラウドサービスの記録などを調べた」(同上)この指摘は以前にもなされていたが、はたしてどうなのか。日本が、特に標的になっているのかどうか。同じような被蓋が各国各機関ににおいても生じているとも報じられているが。(1259)


◎2026/10/21(水)本日も外作業を継続。第5日目。しのぎやすい日が続いているので、何んとか作業を続行できている。これまでに竹を何本伐採しただろうか。相当量に達した、除草した雑草や木・竹類の焼却も予定している。わずか一年間だけ整理作業を中断しただけなのに、たいへんな分量の作業が求められる。降雨と日照りが交互にやってくると、どれほどに木・竹・雑草類の成長が旺盛であるかがわかる。▼「日経平均64,621.24 +545.82 NYダウ52,495.88 +529.85 ドル円157.95-96 -0.12円高 NY原油99.24 +1.42 長期金利2.880 -0.015」(日経新聞・2026/10/21)▼現首相が在任期間が丸一年だという。当人は「相当に任務を遂行したと」自画自賛している。驚くべき自惚れの強い、まともに自己評価ができないきない人間だと思う。それはまた、自己反省のない人間だともいえるだろう。政治不信がとみに強まっている。(1258)


◎2026/10/20(火)本日も除草作業を継続。ほぼ半分ほどが終了したが、この後には大きな作業(竹の伐採や植木の枝落としなど)が控えている。体力的にはかなりきついが、余力を残しながら進めていきたい。▼ほぼ毎日買い物に出るが、本日は中止。行くたびに諸物価高騰の波という実感があるが、この先どうなるのだろうか。「円安」「物価高」を抑えるための施作が全くうたれていいない理由はどこにあるのか。「インフレ増税」の無策状況を放置したまま、それが現内閣の経済政策だというのだろうか。この首相もマラ、俗物そのもので、「一日でも長く」自らの地位を守ることに死に物狂いになっている「権力亡者」というのがぼくの実感だ。(1257)

◎2026/10/19(月)午前中茂原に買い物。まだ豪雨の影響が残り、近辺の道路上の崖(土砂)崩れの修復に時間がかかっている。復旧工事の手が入らないところもあるようだ。▼「天高く物の値騰がる候」だ。猫の食餌も軒並み、べら棒に高くかくなっている。この物価高の大波は衰える気配が見えない。多くは、いかにも「便乗値上げ」の臭いがしないでもない。▼敷地の周囲の外作業を、ほんの少しだけ続けた。自宅前の空き地の整理。おおよそ半分近くが終わったという感じ。もう半分が残っている。無理はしない。▼「日経平均64,916.70 -407.59 NYダウ52,002.41 -175.28 ドル円158.21-23 +0.21円安 NY原油101.02 -0.39 長期金利2.905 -0.025」(日経新聞・22026/10/19)フランスでは教育環境の不整備や物価高騰に起因する「暴動」が発生。ここにも世界同時不況の雰囲気が見える。加えて、最近のAI投資に弾んだ経済も「AIバブル」の様相を見せている。対イラン戦争を終わらせることができない米国に不況の大浪が襲いかけている。▼気のせいだろうか、不審なメールや電話がたえ間なしである。いろいろな面で、酷い世の中になったと思う。(1256)

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