
数日前に「戦争と画家」に関して「アッツ島玉砕」(藤田嗣治)について触れました。戦時中は絶賛を博した「アッツ」製作者だったが、戦後は「戦争協力画家」との批判の対象にもなった。それに対して藤田氏は「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いたのになぜ非難されなければならないか」(「手記」)と、不本意な日本での扱い(評価)に不平を隠さなかった。(「芸術を戦争の具にする」という芸術家がいるというのも、ぼくには深く驚き、傷付きました。銃剣を画筆と引き換えにするんでしょうか)「戦意高揚」「銃後の守り」どころではない「参戦」「応戦」の姿勢は藤田氏の中に大きく育っていたのでした。父親は森鴎外の後任の軍医総監まで務めたし、親類縁者にも軍関係が多かった藤田は、ある時期には「陸軍美術協会理事長」を受け入れていたほど(右写真)。彼自身の中に「戦争」に向かう(加担する)素地があったのだという気もします。パリ在住時代にはピカソとも交流を重ねていたこともあった。
二人(PとF)の「戦争画」を比較をするつもり(意図)はありません。しかし、同じ戦争を題材にした二人でしたが、絵を描く動機や目的、あるいは心持ちは決定的に異なっていたことは忘れるべきではないでしょう。画家とは、題材は何であれ、絵を描くのが仕事といえばそれだけですが、それで終わりではないのはいうまでもありません。本日の西日本新聞のコラム「春秋」は、この「戦争」と「画家の責任」について、ピカソの語った、きわめて強烈な逸話を述べられています。「ドイツ占領下のパリでゲシュタポの将校がピカソのアトリエを訪れた。机の上にゲルニカの写真を見つけ、尋ねたという。『これはあなたの仕事?』『いや、君たちのやったことだ』また、「見るだけの画家や聴くだけの音楽家は愚かだ」とも。
ある時期、やむを得ない事情からであったとしても、戦争への積極的な姿勢を示したことを隠しも否定もしないで、堂々と「告白」した人がどれほどいたでしょうか。「戦時」が「平時」であるかのように文筆や絵筆をとり、音楽を演奏したり作曲したりした人材(芸術家)はきりがないくらいに、この国には数多くいました。その人たち自身の「戦争責任」を問わないで、その仕事や作品に向き合うことはぼくにはできない相談でした。

ここでたくさんのことを駄弁りたいのですが、ピカソの「ゲルニカ」の反戦思想の深さを感じ取るだけで十分だとも思われます。ぼくは、家にあった一冊の画集で、飽かずに「ゲルニカ」を観て育ってきたといってもいいほどに、心を打たれてきました。それはまた、この国の丸木位理・俊さんの画業に重なります。広島の「原爆の図」や「沖縄戦の図」の前に、ぼくは繰り返し立ってきました。「反戦」というにはあまりにも惨い経験を画家は描き続けてこられたのだ。「芸術家は、この世の悲劇や喜びに敏感な政治家であるべきだ。無関心は許されない」(ピカソ)それは芸術家に限ることではないでしょう。ぼくたちもまた、理不尽な暴力のもたらす悲劇や災厄に無関心であってはならないのだ。ましてや、最悪の暴力である「戦争」を意図しようとする政治家たちのも、ゆめゆめ気を許してはならないのではないでしょうか。
【春秋】1937年6月4日、「ゲルニカ」は完成した 泣き叫ぶ女、死んだ子供、いななく馬、振り向く牡牛、力尽きて倒れる兵士。それは、禍々(まがまが)しい力に満ちた、絶望の画面-。原田マハさんの小説「暗幕のゲルニカ」は20世紀を代表する反戦画をこう描写している▼ピカソの「ゲルニカ」は縦3メートル半、横8メートル近い大作だ。三十数年前、スペインの美術館で防弾ガラス越しに見た時、モノトーンの世界から悲鳴が聞こえそうな迫力に立ちすくんだ▼絵は1937年6月4日に完成したとされる。ナチス・ドイツは4月26日、スペイン北部の町ゲルニカを無差別爆撃。大勢の市民が犠牲になり、憤ったピカソは1カ月足らずで仕上げた▼ゲルニカと同じサイズの絵を子供たちが描く「キッズゲルニカ」は戦後50年の節目に日本で生まれた。取り組みは今、世界各地に広がっている。昨夏は長崎の爆心地に12枚の絵が並んだ。本家と対極をなすカラフルさに希望が託されていた▼ドイツ占領下のパリでゲシュタポの将校がピカソのアトリエを訪れた。机の上にゲルニカの写真を見つけ、尋ねたという。「これはあなたの仕事?」「いや、君たちのやったことだ」。後にピカソは語っている。「見るだけの画家や聴くだけの音楽家は愚かだ。芸術家は、この世の悲劇や喜びに敏感な政治家であるべきだ。無関心は許されない」▼ウクライナにガザに、色のない絶望の街が増えていく。いまだ世界は、ゲルニカを止められない。(西日本新聞・2026/06/04)
●作家名:パブロ・ピカソ(Pablo Picasso;1881-1973) 作品名:ゲルニカ(Guernica) 制作年:1937年 使用された素材・画材:油彩・カンヴァス サイズ:349.3cm×776.6cm 所蔵場所:ソフィア王妃芸術センター(スペイン、マドリード)(ヘッダー写真・株引用のモノも含めて:https://www.pablopicasso.org/guernica.jsp)* 題名の「Guernika」は、ナチスに爆撃されたスペインの街「ゲルニカ(Gernika)」に、「戦争(Guerra)」の意味をかけて造語された。

◎ ゲルニカ(絵画)げるにか(Guernica)= スペインの画家ピカソの大作(349.3センチメートル×776.6センチメートル)。スペイン内戦中の1937年4月26日、フランコ側を支援するナチス・ドイツの空軍が、バスク地方の自治と統一を象徴する町ゲルニカを爆撃した。同年夏のパリ万国博スペイン館の壁画を共和政府から依頼されていたピカソは、この事件に強烈に反応し、5月1日に構想を練り始め6月4日に完成した。しかしピカソは、ゲルニカには直接言及せず、この、愛する祖国の惨禍を、スペイン人の深層心理に根ざした闘牛の象徴性に託し、キュビスムが可能とした破壊的なフォルムと、黒、白、灰色という悲劇的な色調で描き、『ゲルニカ』に時空を超えたヒューマニスティックなメッセージを与えた。闘牛の象徴性に関しては、牡牛(おうし)をファシズム、馬を抑圧される人民とするアングロサクソン系の解釈と、前者を人民戦線、後者をフランコ主義ととるスペイン系の解釈がある。この作品はその後ニューヨーク近代美術館に展示されていたが、81年、63点のデッサンや関連作とともに初めてスペインに帰り、ピカソの遺言に従って、マドリードのプラド美術館付属の19世紀館に展示されたが、92年ソフィア王妃芸術センターに移った。(日本大百科全書ニッポニカ)
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⁑ゲルニカに描かれているもの 普遍的なメッセージ 《ゲルニカ》は、ゲルニカが負った悲劇を直接的に写しとったものではありません。背景や図像が単純化され、シンボルとして描かれたこの作品は、現実に起こった爆撃の告発というよりも、「戦争」や「暴力」などの本質的で普遍的な問題を訴えるものといえます。/パリ万博での公開時は、作品の評価は芳しくありませんでしたが、それゆえに、多くの批評家や知識人たちの間で論争が繰り広げられました。特に牡牛と馬の象徴性については、国際的な議論へと発展しています。ピカソ本人は、描かれた動物たちにについて、象徴的な意味があるとだけ述べ、具体的なことは明言しないままこの世を去りました。主題や図像の象徴性について議論が深まるなかで、《ゲルニカ》は反戦と平和のシンボルとしての名声をいっそう高めていきます。

シンボルが示すもの 《ゲルニカ》に描かれた象徴的なモティーフのなかで、「牡牛」と「馬」は45枚におよぶ習作のほとんどに描かれています。特に牡牛は、もっとも多様な解釈がなされてきました。野蛮な力で自由を阻むものの象徴であると論じられる一方で、災厄を見届け、そこから身を遠ざけようとするピカソ自身であるとの見方もあります。また馬は、犠牲者である人民や、共和制のスペインの象徴であるとする一方で、フランコ政権の崩壊であるとの考えもあります。/また画面には、灯火を捧げる、死児を抱く、建物から落ちていくなど、さまざまな女性が描かれています。さらには死んだ兵士、太陽、鳥、といったモティーフがあり、それらすべてをながめてみても、画面には攻撃する側が描かれていません。被害者側の絶望や苦しみを描くことで、戦争の愚かさが普遍的に表現されています。/《ゲルニカ》に描かれたモティーフは、ピカソの個人的なイメージに基づくものですが、ヨーロッパ美術史において長い歴史をもつものでもありました。このことから、研究者の間では《ゲルニカ》を古典古代の正統な絵画として位置づけようとする試みもなされています。

ゲルニカが白黒で描かれた理由 《ゲルニカ》がピカソ作品のなかで異彩を放っている理由のひとつに、白黒で描かれていることがあげられます。厳密には、白と黒のほかに、紫や青みがかった灰色など、さまざまな色調が使われています。色彩心理学の観点からも、黒は死や悪、恐怖をイメージさせる色であり、本作を白黒で描いたことは、作品の表現効果をより高めることにつながりました。/ピカソがなぜ白と黒を選択したのか、ということについては、ゲルニカの爆撃を視覚情報として伝える媒体が、唯一新聞だけであったからという説があります。また、写真家であり愛人でもあったドラ・マールの「ピカソは写真スタジオや暗室の白と黒の世界に影響されていた」という証言も残されています。/ピカソは制作の過程を詳細に記録しました。習作にはナンバーと日付を記し、カンヴァスの制作段階では、完成時を含めてその過程を8枚の写真に収めました。この記録によると、ピカソは途中、色彩のある生地でコラージュを試みましたが、多くの習作と検討を重ね、白と黒、そして灰色による《ゲルニカ》の誕生に至りました。(以下略)(Artelier:ttps://media.artelier.co.jp/column/161/)
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