答えようのない問いが続く、それが人生かも

 【河北春秋】○か×か。可能な限り早く答え、点数を稼ぐ。面倒くさそうな「なぜ?」が浮かんだら、適当にふたをした。30~40年ほど前の記憶である▼こうした学びの対極にある「子どものための哲学」。他者の発言に耳を傾け、対話を通じて正解のない問いを深く考える。1970年代に米国の哲学者マシュー・リップマン(左写真)が始めた活動だ。テーマは例えば「なぜうそはいけないのか」「なぜ規則はあるのか」。何を話しても否定されず、無理に発言を求められることはない。安心して話ができる場を設けることが対話を成立させる大前提だ。一定の結論に導くこともしない▼日本では道徳の授業に取り入れる学校が増えてきたものの、「誠実」や「礼儀」といった美徳の教え込みに慣れ親しんだ教員には違和感があるらしい。「あるべき姿」を伝えたくなる気持ちは理解できるが、思考と対話を無効にしてしまう▼『こどものてつがく ケアと幸せのための対話』を監修した哲学者の鷲田清一さんは「哲学とは問いを見つけることである。問いを育てるものである。問いを表現するものである」と寄せている▼解決が困難な事象に直面し、たじろぎながらも発する子どもたちの問いそのものを大切にしたい。多様性を認め、尊重し合える社会にきっとなるはず。(河北新報・2022/09/08)

 かなり前にも、小学生などを前にした塩梅で、「どうして人を殺してはいけないのか?」という問いがマスコミを賑やかにしていました。立派そうな大人が「これこれ、こういう理由で人を殺すのはよくない」などと卓見を披瀝に及んだ。そのどれもが「高論卓説」だったとぼくには見えました。だが、と疑問に思ったこともまた事実でした。人を殺したら、「自分も殺されるから、…」「殺されたくないから、殺さない」などという意見(御高説)が多かったようでした。しかし、それには大きな疑いが残りました。人を殺す理由はたくさんあるのに、殺してはいけない理由が似たようなものだったからです。いわゆる「文化人」とか「知識人」と称される(自称他称)大人が、精一杯力説していたのが、ぼくには異様に思われたのです。その殆どが、「説教」「垂訓」じゃないかとも思いました。

 ここで言いたいことがそんなにあるのではありません。率直に言えば、「本当に人を殺してはいけないんですか」「どうして駄目なんですか」という、もっと根本の問題にぼくは引きつけられてきたからです。それに対して、ぼくはたった一言、「ぼくは人を殺さない」、そのように覚悟するばかりです。もちろん、これは「人を殺してはいけない」という「理由」にはなりません。でも、その「覚悟」以外に、「人殺してはいけないのは、なぜか」という問いに向き合うことは、ぼくにはできそうにない。「人殺しは悪い」と言う前に、ぼくは人を殺すことはしないと、心中密かに決めているのです。

 この社会の刑法では「人を殺してはいけない」という規定はありません。なぜでしょうか。どんなに厳格な規則や法律を作ったところで、「殺人」はなくならないという「暗黙の了解」が存在しているからでしょう。人を殺せば、「死刑または無期懲役、または…」という条文があるのは、けっして殺人の抑止力としてではない。法律は道徳ではないからです。良い比較ではなさそうですが、よく問題にされる道路交通法に「第65条 第1項 何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」とあります。刑法では、このような条文は「殺人行為」に関しては準備されていません。その理由は何か?この問題は、法律よりももっと深い問題をはらんでいるように思われます。(寝起きの脳細胞にとっては、深くて面倒な問題ですから、今は深掘りはしないでおこう)

 「人を殺してはいけない」という条文はないけれど、もし殺人事件を犯したら「死刑または…」とあるのは、法律に書くまでもなく、人を殺すのはよくないと誰もが承知しているからだともいえます。そう思いはしますが、誰もが承知しているかどうか、ぼくには疑問です。江戸時代までは「仇討ち」は存在していたし、いまだって「正当防衛」には情状酌量の余地があります。(暗黙のうちに、「殺人にいたる行為」を認めていた・いる節があります)闇雲に、殺人はいけない、悪いことだというのではなく、時には「止むぬやまれず」ということだってある。あるいは「相手を殺さなければ、自分が殺される」ということも、いつだって起こりえます。なんでも規則で禁止してしまえば、人間に求められるのは規則を守るか、破るかの選択の問題でしかないでしょう。「死刑」制度があるから、「何人も殺人はしない」ということは断じてありませんね。また「国民」に対して殺人は懲罰・懲戒の対象だと言いながら、国家はその名において「死刑という殺人」を正当化しています。これはどうでしょうか。ほとんどの人は「それは当然だ」というでしょう。しかし、その殺人事件が「冤罪」だったと明かされたなら、「国家の死刑執行(殺人行為)」はどうなるのでしょうか。どうにもならないから、次善の方法として「賠償(金で解決する手法)」制度があるのでしょう。政治や法律の問題なら、そんなに面倒ではない、そうじゃないから「答えようがない」のではないでしょうか。

 国家は「殺人を犯したもの」を死刑にすると決まっているか。それはないでしょう。日本は死刑制度を維持していますが、そうではない国はたくさんあります。あるいは一つの国においても、死刑を容認する州もあれば、廃止(禁止)している州もある。また、死刑制度を途中から廃止する国もあります。このことは何を示していますか。国家及びそれが制定する法律と言うものの「恣意性」です。同じ事件(仮定の話)が、一審で無罪、二審で有罪ということもありますす。これは何を教えているんですか。問に対して答えは一つではないということだし、何が「正解か」、簡単には決められないということでしょう。

 「哲学とは問いを見つけることである。問いを育てるものである。問いを表現するものである」という鷲田さんの見解はそのとおりです。問いを見つけるとは、見過ごしがちな問題に、あるいは、誰も不思議に思わない事柄に「疑問」を持つ(発見する)ことです。「疑う」という姿勢こそが、他人に寄りかかったり、自分で考えることを放棄しないための最良の道(方法)です。「どんな問題にも、正解は一つ」という教条(ドグマ)が、人間を愚かにする最大の武器になっていると、ぼくは自らの学校教育(就学)時代、さらには教師の真似事をして身過ぎ世過ぎをして来た時代を通して肝に銘じてきたのです。「嘘をついてはいけない」と、偉そうに説教する人間が「自分は、一度も嘘をつかなかったか」と胸に手を当てれば、顔が赤くなるはずです。「交通信号は守りましょう」と教えられて、「青信号で横断した」子どもが車に轢かれることもあります。轢いた方が悪いということと、守るべきルールを守って、なおかつ「死ぬ」ということに、大きな割れ目があります。信号は無視しましょうというのではありません。青信号だから横断する、その前に「不注意な運転手」もいるから、車が来ないか確認する、むしろ、「確認」するほうが「規則」よりも根底になければ、いわゆる理不尽な事件や事故に遭遇してしまうのです。規則を守る以上に、その規則によりかからない「注意深さ」が大事なんですね。(それでも、事件や事故は起きます)

IIIIIIIIIIIIIIIIII

 8月末の新宿駅であった駅員のアナウンスが、それ以降も物議を醸していましす。「痴漢をされたくないお客様は…」と乗客にある情報を伝えたのです。埼京線は「痴漢最悪線」だと、知れ渡っています。この問題について、ぼくも実際に、いやになるような経験をしましたが、それは割愛しておきます。

 「駅係員 : 防犯カメラは多く設置しておりますが、痴漢は多くいらっしゃいます。痴漢をされたくないお客様は後ろの車両をぜひご利用ください。 帰宅ラッシュ時のJR新宿駅の埼京線のホーム。アナウンスの内容に違和感を覚え、カメラを回したという男性に話を聞くと… 撮影者: 「痴漢は多くいらっしゃいます」って、この辺の並んでいる男の中に必ずちょっとはいるよというニュアンスにも聞こえますし、私も並びづらくなりました。被害者側に「されたくなかったら移動しろ」っていうのは、女性の自己責任論にもつながりかねないと思います」FNNプライムオンライン:(https://news.yahoo.co.jp/articles/74812b4b69e4250593a77eacd38fe34ed9640430)

 痴漢行為はいろいろな条例や法律で禁止されています。でも犯行は絶えません。「なぜ痴漢はいけないのか」という問いを立てるのか、それとも、もっと別の角度から問題を掘り下げる必要があるのか。「正解のない問い」とコラム氏をはじめ多くの「識者」は言います。正解はないかもしれませんが、「ない」のは、たった一つとされる「正解」のことじゃないでしょうか。どんな事柄(問題)にも「正解一つ」はありえない。無数にあると言えば大げさですが、いくつも「答え」はある。その中から、今この状況で何が取られるべき答え(態度)か、その状況把握というか、場に即した応答、それがもっとも肝心なことではないか。その「願わしい答え」というのは、しかし、いつでも「仮の答え」「その場に合わせた答え」でしかありません。それが時間とともに修正を余儀なくされることは当たり前のこと。でなければ「唯一の正解」になってしまいますから。「正解は一つ」はドグマです。そうしないと、試験の採点が混乱するじゃん、と教師。それだけの話しです。

 問いの中にこそ、答えがあるんですね。問いと答えは「一対」ではないんです。だから、何度でも「問い直す」ことが重要になります。考える、考え抜く、考え直す、考えあぐねる、この姿勢を放棄しない限り、人は「思慮深い」「注意深い」という美点を育てられると思うのです。英語の think、あるいは thoughtful という語をぼくはとても好んで使ってきました。いろいろな解説がなされますが、その一例を以下に。

1〈人・表情・様子などが〉考え込んでいる,物思いに沈んだ,思いにふけった,思索している。2〈人・論文・講義などが〉思慮深い,用意周到な。 3〔叙述〕〈人が〉(…を)気にかける,注意する≪ofabout≫;〈人・行為などが〉(…に)思いやりのある,情け深い,親切なofaboutfor≫;〈贈り物などが〉心尽くしの」(デジタル大辞泉)

 「よく考える、考えられる」というのは、直面する問題にのみ妥当する態度ではなく、他者に対しても通じる姿勢であり能力でもある。「思いやりのある,情け深い,親切な」、それが「考える」という行為の真髄ではありませんか。優しくなりましょう、注意深い人間になりなさい、そう言われたから、たちどころに、そのようになれるものではありません。「人を殺してはいけない」といったところで、かならず過ち(間違い)は起こります。その過ちを起こさない力を付けるのはもちろんです。しかし、犯した過ちをどのように受けとめるか、過ちという経験を、その後に活かすための態度(思考)を育てるのも、「考える」という行為・態度の深浅に関わってきます。学校の教師は「よく考えてごらん」という。そう言って何を求めるのでしょうか。「考える」という行為がどういうものかがわからなければ「下手な考え、休むに似たり」です。「考える」を子ども自身が経験する、そのためには時間がかかる。時間をかけてはいられないのが「学校教育・授業」ということになっていませんか。

 「解決が困難な事象に直面し、たじろぎながらも発する子どもたちの問いそのものを大切にしたい。多様性を認め、尊重し合える社会にきっとなるはず」とコラム氏は言われます。たしかにそうですが、「子どもたちの問いを大切にする」というのはどういうことですか、ぼくはコラム氏にお尋ねしたい。「質問」ということも学校では評価され、推賞されます。「質問はありますか」「質問、ありませんか」と。「質問」というものをもっと大事にしてほしいね。質問とは、答えを見つける最良の方法なんですよ。質問する中に、答えらしいものは含まれているから。筋のいい質問は、それ自体、すでに一つの答えになっているんです。それを含めて「出された問題に、正解は一つ」という嘘とごまかしを、金輪際、止めてもらいたいですね。どう考えたって、それはありえないことですから。

 敢えて言います。「正解のない問いを深く考える」「解決が困難な事象に直面し、たじろぎながらも発する子どもたちの問いそのものを大切にしたい。多様性を認め、尊重し合える社会にきっとなるはず」と言うのは重要な指摘です。しかし、子ども時代にそのような経験を重ねなかった大人はどうなるのか、どうするのか。それが今の、この島社会の現実(リアリティ)であるということでしょう。「嘘をついてはいけない」と教えられたから、かえって「嘘つき」が増えるということだってあるんだな。

```````````````````````

 (『ちいさな哲学者たち』予告編:https://www.youtube.com/watch?v=0h2XbQVo4vA

____________________________

莫迦を治す薬はない、国葬儀?

 国葬儀を国葬に擦り替え ~ 故元総理を「国葬」で、と受け取ったのが殆ど。現総理は「国葬儀」と強ばる。銃撃直後興奮に駆られ、故人の恩義にと、咄嗟に閃いたのが「国葬」だったが、根拠法がない。躊躇の暇もなく、副総理が「理屈じゃねえ」と「国葬」をゴリ押し。重箱(内閣府設置法)を取り出し、その角を穿(ほじ)ったら「国葬儀」が出た。「国の儀式」の所掌は内閣の任だから、「国葬儀」で可だとほくそ笑んだか。悪知恵を捏造したのは官僚だ。愚民には「国葬」も「国葬儀」も無分別だからさ。喝!筋の通らぬ「屁理屈」を捏(こ)ねるのが政治かね。これぞ、国民愚弄の極み。恟懼しつつ禁じ手を出すや、「ダボ(人民)」が飛びつき「国葬反対」の大騒擾。有耶無耶のまま「国葬」へと算段する。我が思う壺と「快哉を叫んだ」ろうが、墓穴を掘っただけさ。無知無能で策略の一手のみ、そんな連中が牛耳る「国」は必要か。(「莫迦(ばか)につける薬はない」(第八回・2022/09/10)

**************

 駄文を書いている本人がどうしようもなく「情けなく」なるのですから、こんな愚劣な問題に触れるというのも、はっきり言って始末に終えません。法的根拠のない「国葬」といえば、いや内閣が所掌するのは「国の儀式」だから「国葬儀」なら、閣議決定で問題はないと言う。名のある大学出の大人が、この程度の「ごまかし」を真顔でやるところに、著しい頽廃を感じてしまう。マヤカシであり、屁理屈の捏造だと言えば、まともな感覚は呆れかえる外ないのです。「弔い」を葬式といおうか、葬儀といおうか、どう取り繕っても、することは同じだ。いくら言っても詮無いことで、でもあまりに酷(ひど)いと、駄文であれ何であれ、ぼくの言葉で書いておくことは必要だと思うから、書き留める。

 自分の利益になるなら、使えるものは何でも使う、「統一教会」でも「国葬・儀」でも。そこには「信仰心」の欠片(かけら)はもとより、故人を悼む雰囲気は皆無です。じつに酷い遺産を残されたと思うばかりです。

 この駄文は午前中に書きあげていました。アップ寸前に電話があり、久しぶりに友人が声を聞かせてくれました。(アップしたのは午後二時過ぎ)その隣には、今夏、ある大学に入学が決まっている人がおられ、久闊を叙すという塩梅で、長々と「雑談」に花を咲かせた次第です。歳を取るという実感はいろいろな場面で感じることができます。何よりも若い人の話を聞く時、それを強く感じますね。かなりの昔、ひとりの評論家が、先輩作家に抗して「歳は取りたくないものです」と書いて物議を醸したことがあります。でも、「歳」は、当人が希望してどうにかなるものではないという意味では、まったく誰にとっても条件は同じで、平等です。

 同じように、「死」もまた、誰彼の間に差はなく、まったく平等にやってくるものです。それを避けることはできない、結果においては。その「死」に対して、遺されたものがいろいろな計略を企み、死の意味を曲げてしまうのは、どうしてか。結婚式は当人の希望が実際に確認できますが、「葬式」はどうか。遺言そのままということもありましょうが、そうでない場合がほとんどです。その際、多くは世間体を憚ったり、故人なら、きっとという、勝手な判断で、いろいろな奇妙なことをしてしまいがちです。

 今回の「国葬儀」もその典型です。遺族や当の本人の意思が確認できない以上はどんなやり方だってできますよというのは、死を弄ぶことと同義ではないですか。ぼくは白洲次郎さん(左下写真)のことを思い出しています。彼は、戦後の混乱の中で復興にかかわる仕事をした人として知られています。小林秀雄さんの友人でもあった。彼は死に臨んで一通の「遺言書」を認(したた)めていました。別に白洲さんだけではなく、こんな考えを持っていた人はたくさんいました。今だっている。ぼくもそのひとり。加えて、「墓もいらぬ」とするね、ぼくは。ひとりで生まれひとりで死んでゆく、それで何の不都合もないもので、世間はそれを許さないわけがないのに、国葬だ、国民葬だとまことに喧(かまびす)しいのです。遺言があれば話は別、それがなければ(あったところで)、いろいろな「忖度」が働きます。   

 その時は、恐らく「葬式」は、一種の「演出」になるのでしょう。芝居です。脚本を書く人がたくさんいるから、今回は困っているのじゃないですか。国葬でも国葬儀でも、内容や段取りは変わらない。ただ、それを国民葬だ、合同葬だなどとしたくなかったのは、死を悼むのとは別個の信条(魂胆)がある・あったということです。これは死者が「位人身を極めた」(とみなされている)人だったからなのか。あるいはさらに別の思惑があったからなのか。ぼくにはどうでもいいことで、死を悼む気持ちは、どんなかたちでも示せますよ、ということに尽きます。

________________________

カルト集団により、足元の堤防は決壊寸前

 堤防は決壊寸前です ~ カルト集団との「議員交流調査」結果が出た。破落戸議員は約半数。(「自白」に証拠能力はない)「カルト集団と知らず」と嘯く議員が大半で、事態の切迫性に無自覚か、無知を装う。地方議員の側に深刻かつ広範に侵食している現状を、敢えて無視している。地方議会の大半に公然非公然に潜入し、議員の意識を呪縛しているかもしれぬ。選挙に勝つなら、どんな浮遊物でも掴むという議員根性が、この島社会を破滅前夜に至らしめた。足元から決壊は始まっている。無数の支流を集めて「本流」となる習いだが、支流そのものが深く汚染され、かく汚濁した流水が本流めがけて奔流して来たのが、この十年の「最長政権」期だった。「保守政党」は「過去に併合化した地」から叢生したカルト集団に人民を拉致され、金員を強奪・略取されるのを傍観・放置。この島国を隷属化してきた「集団」に身を寄せ、魂を売った議員諸公の本懐はなんだったか。(「言わねばならぬ事」第七回・2022/09/09)

 カルト集団に「国民」が蹂躙され、それを無視するどころか、その「集団」に救いを求めたのが大半の国会議員だった。目先をごまかし、批判や非難が行き過ぎるのをやり過ごすつもりでしょうが、果たして、そう行くか。事態はじつに深刻だと、ぼくは見ています。保守派を任じる面々が「反日本」を標榜する「集団」にすり寄り、挙げ句に、抜き差しならぬ事態に至ったことを、ほとんど自覚していない風がありありです。(一面では、「勝共連合」は見せかけの、日米保守派向け看板です)この「汚染議員集団」を作り上げた先達が「故総理」だったのは周知の事実。いわば腐れ縁の元締めの言動に蓋をして「死人に口なし」を決め込んで、時の過ぎゆくままにと「洞が峠(日和見)」を許すほどの時間の余裕はないと、だれも見ていない。(右図表は東京新聞(Tokyo Web・2022/09/08)

 宗教を騙り、詐欺商法で大枚を巻き上げ、高額献金強制で、家庭崩壊・一家離散を現前させた「世界平和統一家庭連合」の暴力的体質に寄りかかってきた多くの政治家諸公は、「日本国」及び「日本国民」が外から異端視され、あるいは対等に交際できる仲間とは認められないとなれば、どうするつもりだったか。ぼくには、昭和初期以来の歴史に刻まれた「悪夢」が過(よぎ)るのです。信教の自由は権利として承認されるべきであり、どんな宗教の信者となることも自由です。思想信条の自由は、基本の権利だといえます。しかし、それを偽り、社会(集団・家庭)の平和を乱し、破壊をもたらす結果になるなら、それは一定の制約を受けることにならなければおかしい。(「勝共連合」の初期会長に座ったS某は「地球は一家、人類みな兄弟」と大々的にテレビ画面に出ていた。早い段階から、「地球一家」派を任じていたのも、この「集団」との親和性を明示している)保守政権の多くの基本政策(キャッチフレーズ=題目、一例は「美しい日本」「同性婚反対」その他)は、この「集団」からの受け売り、いや販売代理店となっていたきらいがあります。「店長」は、誰だったかって?言わなくてもいいでしょ。

 「思想信条の自由」とは、それを表現する当事者の言動によってのみ明らかにされるものです。つまりは、宗教は個人的なものですよ。徒党を組むのは、宗教(信仰)以外の、別の狙いがあるからです。宗教は「阿片」(マルクス)だというのは、その効能によって「苦痛の癒やし」がもたらされる限りで、そういわれるのです。「疼痛」解消のため「鎮痛剤」でもあるモルヒネは阿片から抽出されます。そのモルヒネ(宗教)で「人生の苦悩(激痛)」から一時的にせよ治癒(解放)される限りで「服用」は容認されるもので、宗教は、個人個人にとって、そういう効能効果を持つものではあっても、世界統一国家樹立や、まして他民族支配を目論むものは、けっして宗教とはいえないでしょう。それは宗教に名を借りた「政治権力(暴力)」そのものです。

_______________________

“手品”のような配達の速さにはいつも驚く

 【水や空】ネットで買わない理由 昨日の夕方、試しに「注文」をクリックする一歩手前まで買い物を進めてみた。「お急ぎ便でのお届け予定」に示されたのは翌々日の夕方。長崎は言わずと知れた日本の西端だ。“手品”のような配達の速さにはいつも驚く▲ネット書店か、リアルの本屋さんか-は、しばしば読書好きの論争を呼ぶテーマだ。基本的には「リアル派」の筆者だが、例えば、店の棚から引っ込んでしまった雑誌のバックナンバーを手に入れたい、と考えた時には手軽なネットに軍配が上がる▲報道部の同僚G記者はもう少し筋金の入ったリアル書店派だ。できるだけ地元の店を応援したいから、という気持ちが一つ。もう一つの理由は「運ぶ人の負担をどうしても考えてしまうから」なのだという▲書籍に限らず、注文した品物がほんの数日で玄関先まで配達されるネット通販はとても便利だ。でも「自分のためだけに流通の経路を増やしてしまうことには、どうしても抵抗が」とG君▲ネット通販大手アマゾンジャパンの荷物を長崎市などで配達するドライバー15人が「労働組合」を結成した。実態に即した労働関係法令の適用や労働時間管理の適正化などを求めている▲“手品”を最終的に支えているのが、種や仕掛けの利かない配達員さんの手であるという現実を改めて考える。(智)(長崎新聞・2022/09/07)

 アマゾン配達員が労組結成 長崎で全国2例目 業務委託契約も「実態は労働者」 インターネット通販大手アマゾンジャパン(東京)の荷物を長崎市などで配達するドライバー15人が、労働組合「東京ユニオン・アマゾン配達員組合長崎支部」を結成し5日、県庁で記者会見した。アマゾンと下請けの2社に、労働関係法令の適用や適正な労働時間管理などを求めていく。結成は4日付で、6月の神奈川県横須賀市に続き2例目。/ 労組の弁護士によると、配達員はアマゾンの下請け企業と業務委託契約を結び、個人事業主として働く。しかし、アマゾンがアプリを通じて荷物の個数や配送先の指示を送り、労働時間も管理されるなど「実態としては労働基準法上の労働者」と主張している。/ 会見で組合員らは、自己負担のガソリン代が他地域より高いことや、車が入れない細い道や坂道が多いなど、本県特有の事情への配慮がない点も問題とした。/ 全国ユニオンは11日午前10時~午後8時、アマゾンなどの配達員を対象にした電話労働相談をする。配達ドライバーホットライン(電050.5808.9835)。(長崎新聞・2022/09/06)

++++++++++++++++++

 ぼくはネット通販の利用者だ。中でもアマゾンでの購入がもっとも多い。週に数回は、狭い山道を配達車がやってきます。こんな辺鄙なところにまでと、気の毒で、申し訳ないという思いと、「いつもありがとう」と感謝しつつ、利用せざるをえない環境にあることを認めながら、でも、コラム氏の同僚のような「思いやり」は持たない。いろいろと理屈はありますが、通販のありがたさを痛感しているからです。配達に際して、ぼくがもっとも心がけているのは、「再配達」は可能な限りで避けるという点です。この山間地に来て十年近く、頻繁にネット通販を利用していますが、再配達はまずありません、一度だって。もちろん、配達時間帯に用事で出かけることもありますから、予め、事前に連絡して配達される人の都合のいい日時や時間帯を確認するのです。二度手間が配達員の負担だけにしかならないことを、経験上から知っているのです。もちろん、「自分のためだけに流通の経路を増やしてしまうことには、どうしても抵抗が」ということは否定できない。しかし、それ以上に生活の必要上、この機能・仕組み(通販)を使うのです。配達員の労働条件がかなり厳しいものだということは知っています。だから、「頼まない」となると、それは本末転倒というか、「むしろ、たくさん頼む」方向にぼくは傾くのです。配達システムの問題や労働条件は「企業・経営の問題」であって、利用者にその解決策を求めるたぐいのものではないでしょう。

 今はそれほどでもありませんが、以前(街中に住んでいた頃)も、相当に書籍は通販で購入していました。ぼくが読む(求める)ものは、まず街の書店では扱っていない。それはほとんどが古書に属するものであったり、輸入書である場合がほとんどでしたから、必然的に「ネット通販」を使うということでした。今日は郵便局でも書籍を扱いやすくなりました。古書店ごとの判断で、いろいろな配送媒体が使われていると思われます。「自分のためだけに郵便配達員の労力を増やす」という思考は、ぼくにはありません。「配達していただき、ありがとう」という感謝の念は、口に出して言うことにしていますし(配達時に出逢えば)、配達することが局員の仕事、要は「労働条件」その他の問題の解決は、利用者側に求められるものではないと言えませんか。「便利」だから、「廉価」だから、と新たな「商法」「商品」に飛びつく人間ではないと考えています。必要に迫られて、それが現実です。店も何もない山間の住人には、都会地の人には考えられない「障害」「障壁」が、日常の明け暮れにはありますし、それを承知でそこに住んでいる。敢えて言えば、不便です。不便は、ある意味では、自分でしおおせる部分が多くなるということです。ネット通販は、そんな僻地の住民にとって「生活上の血液」に相当します。 

 労働者の待遇については、経営側の「阿漕(あこぎ)」な儲け主義が一番のネックになっているでしょう。この三十年、会社員の給料は、ほとんど上がらず、逆に企業側は「内部留保」という財産(タンス預金)をためこんでいます。労働の対価に投資するのではなく、ひたすら「溜め込む」という脳のない儲け主義は、「労働」というものを尊重しない態度ばかりを増長させてきたのです。何に投資をしていいか判断できない企業経営者は無能としか言えません。働く人の給料をあげないような「リアル書店派」を持ち上げるような姿勢は、さらにこの島社会の「貧しさ」を確実に進めていくことになります「資本主義」経済の問題は、語りだせば問題だらけ、この狭い場所で扱うのは適当ではありませんので、ここまでにします。

 国内に限定されない経済社会の進展が、旧来の問題を置き去りに、新たな課題を生み出しているということでしょう。非正規労働者の雇用を守る、あるいは労働環境改善や賃金問題をいい方向に変えてゆくにはいくつものバリアーがあります。それを一つずつ克服していくことが、労働というものの価値を、人間にふさわしいものにする道でもあると思う。ネットで注文すると配達員に負担がかかる、だから、それに代わって、リアル商店でものを購入する、それも一つの消費の方法です。ネットで物を買うのも、時には好みの問題でもありますし、選択の余地のない、購入方法だとみる消費者も大勢いる(ぼくもそのひとり)。現実の「配達企業群」はこの先後退するとは思われません。先の展望を、いかにして「ネット通販」においても開くことができるか、それが喫緊の課題だと思いませんか。

 今後は、一層ネット環境が賑やかになるし、ネット通販が消費媒体の不可欠な方法になりつつあります。労働条件を改善するための組合結成、それは当然の権利であり、現実的な問題克服の方法でもあります。組合の結成と、それ以降の活躍の内容をていねいに見ていくつもりです。(ぼくは、その昔、全国の私立大学教員組合の代表をしたことがあり、その関係で、手に負えない大学経営者と「渡り合う」ということを何度もしてきました。いきなり「解雇」を言い渡され、その不当な労働行為に真正面から立ち向かい、地位回復を遂げたことが何例もありました。自慢話ではなく、働く人の権利を守るためには、同じ労働に従事する人間は、なおさらそのために時間と労力を割く必要があると言いたいのです)

 ネット通販(に限りません)には落とし穴がいくつもあります。「本物(本体)」を名乗って、詐欺を働くなど、じつに多様かつ巧妙な「犯罪行為」が蔓延しています。ぼくのところにも、怪しいのが時々来ます。その多くはメールを通してですが、ぼくは、ほとんどは「無視」します。何度も来ますけれども、「無視」で一貫。詐欺や窃盗まがいの商売がクマなく網の目を貼るのも「ネット時代」、この先にどんな状況が来るのかわかりません。しかし、生活をより良くするための環境だと考えれば、道路が舗装されたり、飲料水が井戸から水道に変わるのと同じような、いろいろな観点から「生活改善」に資するための手段であり、方法だという、その視点(観点)をなくしたくないものです。労働や労働者が「軽視」されたり、「無視」される事態には断固として抗議し、その利益を守るための支援は惜しまない覚悟はいつでも持っている。

 (「ネット通販大手アマゾンジャパンの荷物を長崎市などで配達するドライバー15人が「労働組合」を結成した」という報道ですから、注文した個人宅への配達員とは異なる事例(職種)であるのは承知しています。しかし、宅配便の配達員の劣悪かつ過酷な労働条件に関しても、同じような問題(課題)があると思われたので、敢えて区別しないで、駄文を書きました)

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原

 萩(はぎ)の季節になりました。好きな草花は数知れずあります。その中でもとりわけ好きなものの一つが「萩」です。どこがいいと言って、出しゃばらないというか、「名もあり 清く 美しく」という萩流(はぎりゅう)がいいですね。牡丹などが横にいると、萩は恥ずかしそうに、消え入らぬばかり隠れてしまいそう。そんな幹や枝葉、更には小粒の花が、なんとも言えずに、ぼくには好もしいのです。今風に言うと、まず「センター」を取ろうという邪念がないのがはっきりしている、いつでも背景に控える、その姿にぼくには惹かれる。それと直接結びつくものではないのは当たり前ですが、焼き物好きのぼくには「萩焼」の清楚な形(雰囲気)に通い合うものがあって、なおさらに好みが増すのです。

・雨の萩風の真秋とゆふべ哉 
・痩萩や松の陰から咲そむる 
・咲日から足にからまる萩の花  
・せい出して散とも見へず萩の花 
・のら猫も宿と定る萩の花 
・山里や昔かたぎの猫と萩 
・露の世を押合へし合萩の花 
・秋萩やきのふこぼれた程は咲 (一茶の句から)

 「痩萩(やせはぎ)」と詠み、「足にからまる萩の花」と詠む。「せい出して散る」とは思えない、その遠慮がちな佇まいに、一茶(ばかりではない)は親しみを持ったのでしょうか。萩を好むのは人間ばかりではありません。一茶の句には「猫と萩」がしきりに出てきます。「のら猫の宿」となり、「山里」には猫と萩が似合うとも言う。ぼくの好まない「花言葉」ではありますけれど、萩は「思案」と「柔軟な精神」だという。細い枝に葉をたくさんつけ、いかにも垂れ下がりながらも、地を這いつつ、ゆっくりと花をつけるのです。

 いきなり芭蕉です。「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」「しほらしき名や小松吹萩すすき」「しら露もこぼさぬ萩のうねり哉」いずれも「奥の細道」のもの。石川県や福井県や近江あたりを歩いた際の作です。解説は無用で、萩の風姿を詠んだ、芭蕉の心持ちを想像してみるばかりです。連れは曽良でした。

OOOOOO

 「ハギ(萩)は秋の七草の一つとして古くから日本で親しまれてきた落葉低木です。万葉集でも多く詠まれて来ました。秋の花のイメージが強いですが、夏の盛りから咲き始めて秋の初めには満開になります。日本では山野に自生していたり、庭木としても使われています。ハギ(萩)はマメ科の植物なので根に根粒菌を持ち、土壌を肥沃にする特性があります。/ ハギ(萩)は枝垂れるように枝を伸ばして直径1~1.5㎝くらいの赤紫色の花をたくさん咲かせます。生育旺盛で刈り込んでもすぐに大きく枝を伸ばします。暑さ寒さに強く丈夫な性質で、病害虫の発生もほとんどありません。冬は葉を落としますが、春に再び芽吹きます。ハギ(萩)は株分けで増やすことができます。/ ハギ(萩)という名の由来は諸説ありますが、古い株の根元から新芽が良く芽吹くことから「生え木(はえき)」→「はぎ」に変化したと言われています。/ ハギ(萩)の「思案」「柔軟な精神」という花言葉は、ハギ(萩)の控え目な美しさや少し寂しげな風情に由来すると言われています。(LOVEGREEN)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

● はぎ【萩】〘名〙 マメ科ハギ属の落葉低木または多年草の総称。特にヤマハギをさすことが多い。秋の七草の一つ。茎の下部は木質化している。葉は三小葉からなり互生する。夏から秋にかけ、葉腋に総状花序を出し、紅紫色ないし白色の蝶形花をつける。豆果は扁平で小さい。ヤマハギ・マルバハギ・ミヤギノハギなど。はぎくさ。《季・秋》※播磨風土記(715頃)揖保「一夜の間に、萩一根生ひき」※俳諧・奥の細道(1693‐94頃)市振「一家に遊女もねたり萩と月〈芭蕉〉」(中略)(⤵)

[語誌]「秋はぎ」とも呼ばれるように秋を代表する植物で、「万葉集」では秋の七草の筆頭に挙げられ、植物を詠んだ中で最も歌数が多い。もと「芽」「芽子」と表記され。/ (2)平安時代以降、鹿、露、、雨、風などと組み合わせて、花だけでなく下葉や枝も作詠の対象となり、歌合の題としても用いられた。特に鹿や露との組み合わせは多く、「鹿の妻」「鹿鳴草」などの異名も生まれた。一方、露は、萩の枝をしなわせるありさまや、露による花や葉の変化などが歌われ、また、「涙」の比喩ともされ、「萩の下露」は、「荻の上風」と対として秋の寂寥感を表現するなどさまざまな相をもって詠まれた。/ (3)「古今‐恋四」の「宮木野のもとあらのこはぎつゆをおもみ風をまつごと君をこそまて〈よみ人しらず〉」などから、陸奥の歌枕の宮城野との結びつきが強い。(以下略)(精選版日本国語大辞典)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 萩は野生の草花で、あえて庭に植えるということをするようになったのは、きわめて新しい。それだけこの島の山野が荒れてしまったという証拠でもありましょう。これは萩に限ったことではなく、ほとんどのものは自生であり野生でありました。ぼくは桜が好きですが、だれもが行かない山の中に、時期になって咲き出そうとしているものを何度も訪ねてきました。誰かに見られるため、見せるために咲くのではなく、じつに淡々と、植物の本能の表出として咲き、散る。偶然のように、そんな桜花に出会うということは、じつに気分のいいものでした。「桜花爛漫」と言った風な見世物として、ぼくたちはそればかりを目当てに自然を評価しがちですが、人間の手の入らないところで、人間とは無関係に「植物」はそのものの生命力を保持してきたのでしょう。

 都会に住むということは、自然と切れるという意味であり、それは「不自然」であるということになるでしょう。人間は「自然の存在」だった。しかし、もはや自然と縁が切れてからは、向かう方向が皆目わからない難破船のように、右往左往というのが現実です。それがいけないとか、なんとかしろというのではない。どこかで精神の均衡を保たなければ、ついには精神の疲労(ストレス)が人間の生命力を削(そ)いでしまうのではないかと、ただひとり訝るばかりです。現役のサラリーマンをしてた時代、ぼくは「職住離間」、奇妙な言い方ですが、職場と住まいはできる限り離れていたほうがいいと考えていました。通勤時間は二時間弱。大きな川(隅田川・荒川・中川・江戸川など)を二つも三つも越えて通勤していたものでした。

 子どもたちが職場のすぐ近くに住んでいた時期がありました。しかし、ぼくは、そこには一度泊まったかどうか、どんなに遅くなっても帰宅しました(毎日が午前様だった)。かみさんが腹立ち紛れに鍵をかけて寝てしまっていたので、屋根に登り二階からようやく侵入した。時計は三時か四時。寝る間もなく職場に出かけたことも。それほどに「自宅」がいいというのではなく、帰宅する間に「ストレス解消」を求めていたからだし、猫の額にもならぬ箱庭にはすこしばかりの地面があり、そこに 申し訳程度に緑がありました。それを小一時間眺めているだけで、胃の痛いのが治ったものです。慢性の胃潰瘍が持病のようになっていましたが、それも胃薬や手術ではなく、植物の緑が治してくれた(今のところ)ようです。

 自然から離れれば、それだけ人間は足元がふらつくのでしょう。若い頃に、ルッソオという思想家をよく読んだ。彼は怪しい生い立ちと青年時代を送りながら、「社会契約論」「エミイル」「告白」などを書き、都市文明を呪い、自然を渇望した人間だった。歴史的には「フランス革命」を思想的に準備した思想家と評されたほどの人。その彼はまた、植物分類にも興味を持ち、リンネなどをとても評価していたほどでした。その彼から、ぼくは少なからず影響を受け、植物好きになったのです。もちろん、幼児からのおふくろの「感化」という土台もあったから、なおさら、植物が大好きになったといえます。

 秋の萩、そのこじんまりとした、柳のようなしなやかな、垂れ姿を見ているだけで、気分が落ち着いてきます。そのか細い枝にたくさんの葉をつけ、その葉に挟まれて、これまた小さな花が顔を出す。まるでその小さな花弁から、萩の香りが匂い立つような心持ちに誘われることがしばしばです。

行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原(曽良)

 芭蕉と連れだって歩いていた曽良は、加賀あたりで体調を崩し、師匠とは別れざるを得なかった。元禄二年八月のこと。曽良は伊勢だったかに縁者がいるといっていた。芭蕉は曽良を置いて、先を急いだ。その際に、曽良が詠んだのが、この句です。まるで辞世の句です。救急車を呼ぶこともできず、医者にも出会えず、とにかく行けるところまで行って、命が尽きて倒れても、そこが「萩の原」であるなら、私は本望だと、そんな心境が透けて見えます。萩は人を引き付ける植物でもあるんですね。ときに、曽良は四十歳。芭蕉は五歳年上でした。(ちなみに、曽良は信州は諏訪出身でした)

+++++++++++++++++++++++

● 曽良(そら)(1649―1710)=江戸中期の俳人、神道家。信濃(しなの)国上諏訪(かみすわ)(長野県諏訪市)の人。高野家に生まれて岩波家を嗣(つ)ぎ、岩波庄右衛門正字(しょうえもんまさたか)と名のる。曽良は俳号。若いころ伊勢(いせ)長島藩に仕官、1683年(天和3)ごろまでに致仕(ちし)して江戸に下り、幕府の神道方吉川惟足(よしかわこれたり)について神道(しんとう)、和歌などを学び、やがて芭蕉(ばしょう)に入門。このころ河合惣五郎(かわいそうごろう)を通称としたか。1687年(貞享4)秋、芭蕉の『鹿島詣(かしまもうで)』の旅に宗波(そうは)(生没年不詳)とともに従い、1689年(元禄2)の『おくのほそ道』行脚(あんぎゃ)にも随行。その間に書き留めた『曽良旅日記』は奥羽北陸旅行の実態を綿密に記録したもので、『おくのほそ道』研究上の貴重な資料である。神道家としての活動は分明を欠くが、芭蕉死没当時にはなんらかの公務に従事していたらしい。1710年(宝永7)3月、幕府の巡国使の随員として九州方面に赴いたが、5月22日壱岐(いき)国勝本で病没した。彼は隠逸閑雅を好む、温厚篤実な人物であったらしく、その俳風は温雅である。(ニッポニカ)(左の画は「師弟二人」)

___________________________

カテゴリー名称変更、さらに…

 「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」(かでんにくつをいれず、りかにかんむりをたださず)。「瓜(うり)畑に入ると、瓜泥棒にまちがえられるので、足を踏み入れるな。人に疑われるような行動をとるなというたとえ」「すももの木の下で冠を直すような、他人から疑われかねない行動は慎まなくてはならない」いずれも、「悪いことをしているのではないか、と疑いを招くような言動は、しない方がよい、という戒めのことば」(ことわざを知る辞典)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ほんの数日前に「新たなカテゴリー」として「瓜田(かでん)と李下(りか)」を設けましたが、そんなことでは間に合わず、一層のこともっと、深く人間の思考や行為の元を正すような「指摘」や「視点」(枠組み)の必要性を感じた次第です。題して「巧偽拙誠(こうぎせっせい)」という。いかに巧妙に他人を騙し仰せても(それで利益を得たとしても)、いかにも拙(つたな)いながらも「誠意」を持った姿勢や態度(そのような人間)には及びもしないということ。「名もなく貧しく美しく」、そんな生き方ができれば本望だと、ぼくは長い間、そのような生き方をしようと願ってきました。「誠実」とか「誠意」という言葉をよく用います。誠実さが足りない、あるいは欠けているという「大方の世人」にやりきれない思いを抱いているからです。ぼく自身も「不誠実」であることを免れないが、それを自覚している、自覚しようとしているという、そこに偽りはないと言い切りたい。他人がどう見ているか、それは、ぼくの手の届かない範囲にありますから、批判や非難をとやかくいうのではありません。我が身を鏡に写して、恥じるところがないかどうか、その思いを失いたくないということです。

 李下に冠を正さず、というのは、紛らわしいことはするなという警告であり、忠言でもあるでしょうし、同じように、瓜田に履(くつ)を入れては駄目だ、瓜泥棒と間違われてしまうじゃないかと、なんとも優しい親切心からの忠告です。ところが今日(いつの時代でも、ですが)、瓜泥棒をするため瓜田に入る輩が、李(すもも)を盗もうとして、今日なら、大きな帽子のなかに李を盗んで入れる、そんな泥棒をするのを目的に生きている、許しがたい輩が後を絶たない。スイカやメロン、あるいはブドウやなしの本場では、例年のごとくに、収穫間近の「貴重品」をごっそり盗むという事件が多発しています。イノシシやシカならいざしらず、防御柵(策)をかいくぐる「人間獣」だというから、なんとも情けないと言うばかりです。苦労して育てるのは他人で、見事な果物をいただくのは「俺様」という、許すまじき輩が、百鬼夜行している。「俺のものは俺のもの、他人(ひと)のものも俺のもの」という、とんと卑しく成り下がった悪人横行の風潮には目も当てられないほどです。こんな風紀の頽落を招いたのは、何だったか。

*****  

 しばしば「他人(ひと)のふり見て我がふり直せ」といいます。あの人があんなことをしている、ぼくはしないでおこうということでしょう。しかし問題は「わが内なる他人」をいかにして見失わないかということです。自覚とか意識という意味で言うのです。今自分がしようとしていること、言っていることにいささかでも誠意が欠けていたり、虚偽が混じっているなら、それを咎める「自分(意識)(良心)」というものが、ただちに規制したり禁止したりするはずです。ある言動を取ろうとしている自分と、それを見つめている自分。いわば「分裂」「葛藤」というものが起こってくるに違いない。それを「道徳意識」、あるいは「道徳性」と、ぼくは言いたいのだ。「葛藤」しているという自覚、それがあるのは、人として生きている証拠です。葛藤を、いかにして克服するか、そこに「道徳」の存在が問われるのです。自己規制、あるいは自制心はどうして育つか。育てられるか。育ちそこねると、それは手に負えない暴力に走り、乱暴狼藉をものともしなくなるのです。

 道徳性、政治道義、あるいは誠意や誠実などというと、あたかもそれを「嘲笑う」かのように、これみよがしに「瓜田に履を入れる」「李下に冠を正す」、そんなふてぶてしい人間が政治を独占し、集団・徒党を組んで、天下国家を睥睨しているというのでは、開いた口も塞がらず、握った拳もおろせず、なんとも腹立たしさを通り越した心地がします。まるで「川の流れに木の葉が沈み、石が浮く」という破天荒な(ありそうもない)時代に、ぼくたちは右往左往しているのではないでしょうか。「政治は虚偽が基本である」という日常を、「嘘を吐(つ)くのが商売」の政治家盗人が実践しているのです。「政治家は嘘吐き」、これは古今東西の「真理」です。「国葬」問題に揺れる、その原因となった元総理は「私は嘘は吐いたことはない」という、見事な「虚言」を国会で吐(つ)きました。彼は「売国の徒」だとかなり以前から言ってきました。「君、国を売り給うことなかれ」と何度繰り返したことか。その「虚飾に満ちた」「売国の徒」の「悪業績」に報いるために「国葬」を持って顕彰するという、この劣島は底なしの無道義の国になったのです。その無道義の国土に生きている、不幸にして、ぼくもその影響を免れません。無道義に染まったひとりであることは否定できそうもないのです。 

 凶弾に倒れ、救急搬送された病院を、前総理 S 某が急遽訪問した。「前総理と同じ空気を吸いたかった」と騙ったと報道されていました。なるほどというか、さすがというか、「嘘吐(つ)きの空気・呼吸」を受け継ぐということだったか。今もなお大きな問題となり続けている「カルト集団」との闇の交際を拡大強化したのが「元総理」でした。その人物の「なし得た悪業績」の悉(ことごと)くを不問に付して、盛大に「国葬」の式典を世界に示すというのです。笑わせないでくれよ、と言いたいね。「国葬」とは「国を葬(ほうむ)る」という意味であり、その後にこそ、再生や新生が始まるのだという、ささやかな願いは、ぼくの気持ちの中では強いが、今の状況では、何一つ変わらないし、変わる気遣いがないのです。かくして、この劣島社会は「無限地獄」へまっしぐらです。(左上は「朝日川柳」:朝日新聞・2022/07/16)

 「虎は死して、皮を残す」というが、元総理は死して「虚飾の風袋」を残したのです。死者に深く哀悼の誠を捧げると、多くの政治家は口先では言うが、彼の死後に、多くの連中が装ったのは「元総理」とは関係なかったという、じつに嘆かわしい、見え透いた「嬌態」「媚態」でした。元総理が強く望んだ「統一教会」の支援・支持を(世間に対しては)否定し、あろうことか蔑(ないがし)ろにするのに躍起になっているのです。それが「嘘偽り」であることは、本人は知っているし、世間だって先刻承知だという意識がある。それこそが「国民を愚弄」しているというのです。愚弄されている当の「国民」の多くはそれを咎めないという理不尽。「それが政治というものだからさ」、という耐えられない弛緩ぶりではないでしょうか。

 元総理が遺した「レガシー(「悪徳の栄え」)を引き継ぐという「好漢」、いや「悪漢」はどこにもいないのは、故人の「不徳」というべきか。すべては「国家の形がいびつになり、破壊寸前であるが、それは彼一人の仕業でした。なんとも立派でした」、だから「国葬」なのだと、後年の歴史教科書には書かれるんでしょうかね。「死んで花実が咲くものか」「命あっての物種」というのは、この際、どういうことになるのか。 

 ともかくも「巧偽拙誠」という生き方の流儀は、流行りもしないが、死滅もしない。歴史は、そんな人々によって継(つなが)れてれていると、ぼくは信じているんです。これを「ウサギとカメ」になぞらえてもいいかもしれません。自分の歩幅で、歩くんだと。人に褒められ、認められるために生きるのはしんどいことじゃないですか。自分に正直に、自分を偽らないで生きるというのは、それなりに面倒でしょうが、ともかく「自分がある」「自分を失わない」というのは、生きている甲斐(生き甲斐)というものです。

__________________________