「卵かけご飯」はステータス・シンボル

 【明窓】ご飯ですよ 数年前、政府の国会答弁を揶揄(やゆ)した「ご飯論法」が話題になった。「朝ご飯を食べたか」という追及に対し「ご飯(米)は食べていない」(パンは食べたかもしれない)と回答をはぐらかす手法だ▼思わず「座布団一枚!」と言いたくなるようなネーミングだ。「ご飯」は「炊いた米」の意味と、食事全体を指す場合の両方に使われるからだ。例えば、食事の準備ができたら「ご飯ですよ」という言い方をする▼世界の食に詳しい石毛直道さん(元国立民族博物館長)によると、同じような言葉の使い方は、中国や朝鮮半島、東南アジアにも見られ、稲作民族の食事では主食である米がいかに重要であるかを物語っているのだそうだ▼また日本の食事では、同じ内容の副食物でも、酒が主役の場合は「さかな(肴)」と呼び、ご飯が主役のときは「おかず」になる。同じ米から作る日本酒と飯は、昔から互換性がある食品と思われていたらしく、今でも同時には摂取せず、ご飯の番は酒が終わってから▼ご飯は炭水化物やタンパク質、ビタミンなどを含む栄養食であることに加え、食卓の国際化も可能にしたのだという。パンのときの副食は洋風料理がほとんどなのに対し、ご飯の場合は副食が洋風、中華風など対応の幅が広いためだ。消費の減少が指摘されるご飯だが、小麦など食料品の値上げラッシュが続く今こそ、主食である意味を見直す好機でもある。(己)(山陰中央新報・2022/09/04)

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 「天高く馬肥ゆる秋」などと以前は盛んに言われました。それだけ、夏に取って代わって秋という季節が心身の健康に益しているということだったでしょう。「空は澄み渡って晴れ、馬が食欲を増し、肥えてたくましくなる秋。秋の好む時節をいう言葉」(デジタル大辞泉)杜甫も「「秋(こうしゅう)、馬は肥健(ひけん)なり」と吟じています。牛でも犬でも良さそうなものでしたが、中国では「馬」でした。こんな表現にも来歴がありますが、それは略しておきます。雲のない空がどこまでも高々としている、そんな秋の一日、馬も草を喰(は)んで、益々肥えるのである。寒馬肥ゆとも言ったそうです。この島では天が高くても低くても、人肥ゆと、いつの時代にか、「ダイエット」が大きな関心の的になった時もありました。その傾向は、今も変わらないのかもしれません。

 「ご飯論法」という命名はどこかの大学教員がやったようですが、つまらないことを言ったもの、「人はパンのみに生くるにあらず」と聖書は言いましたが、フランスの女王は「ケーキもあるでよ」といったとか。ご飯とかお米というと、この劣島の「主食」というのが常識になって久しいものですが、明治になってからでも米は「主食」とはならなかった。それだけ庶民には高嶺の花だったのです。戦後のある時期の大蔵大臣は「貧乏人は麦飯を食え」といって顰蹙(ひんしゅく)を買いました。麦が食べられるだけでも上等だった、そんな経験をぼくは幼児期にしてきました。だから、何がなくても「白いご飯」があれば文句は言うまいというふうにはなりませんでした。食べるものが荒れば「御の字」ということです。

 その米の消費量は年々減少続きです。米食文化が衰えたのではなく、米以外の食料がふんだんに口に入る時代になった、そういうことでしょう。今年の稲刈りはこの付近ではおおかた終了しています。どこかで触れましたが、いつも気になるのはこの地域の休耕田が徐々に増えていくという現実です。稲作や米の消費量の将来が心配だというのではなく、本日のコラム【明窓】の「ご飯ですよ」と、それに添えられていた写真の「卵かけご飯」に刺激されただけのことで、それについてまず駄弁(だべ)りたいのが、先年亡くなった柳家小三治さんの「雑談…卵かけご飯」について、です。

 故小三治さんは「人間国宝」でした。いつそうなったかについては、ぼくは何も知りません。落語家が「国宝」というのも、一種の洒落であって、それはそれで面白いのでしょうが、国家もつまらない、いや残酷なことをするという「バカ話」の種にはなるでしょう。ぼくの中では、もっとも若い落語家が小三治さんでした。それ以後、ぼくの記憶に残る落語家はいない。落語家ではなく「芸人」もしくは「タレント」が、たまに「落語のようなもの」を話すという程度のことだという気もします。小三治さんについても、どこかで触れています。落語ではなく、彼は「話し手」「語り手」としてもなかなかのものがありました。その大半は「雑談」でしたが、この「雑談」が曲者だと、ぼくは昔から考えて来ました。「雑」という漢字が入る物事は、重要視されないどころか、並よりも下に見られています。その「雑」は、ぼくのもっとも好みとする「概念」なんですね。小三治師匠の雑談「卵かけご飯」を聴かれると、ぼくの言いたいことがおわかりになるでしょう。じつにくだらない、あるいはつまらない話柄です。だからこそ、雑談であり、それがこの上なく「人畜無害」だから面白いんですね。

 現役の職業人だった頃、いつでもはっきりと言い続けていました。「ぼくの話すのは、すべて雑談です」と。雑談以外は話さなかった、いや話せなかったのだ。他の人は高邁な哲学や、高尚な学問の話をされていたのかもしれないが、ぼくは徹底して「雑談」で通してきました。教室だけではなく、「頼まれ講演」でもそうでした。雑談しか話せない人間でしたが、それがぼくにはとても楽しかった。ぼくの書く原稿は「雑文」であり、研究などとはいえた義理もない「雑学」が趣味でした。反対に、ぼくは「純粋」というのが嫌いだった。何よりも「雑種」が本来の姿、それがあらゆる生命体の自然本然だと悟れば、「純粋」というのは、単なる「観念」でしかないことに思いたるでしょう。

 思いつくままに「雑」を列記する。「雑然」「雑役」「雑音」「雑駁」「雑魚」「雑穀」「雑草」「雑多」等々。数限りなく「雑の部」は続く。それは何を示しているのか。純粋や純血、あるいは純白や純情というものが、現実にではなく「期待・希望」としてあってほしいということでしょう。なんといっても「雑」が本筋というか、もののあり方の基本型を明示しているということではないですか。ぼくが大学の教師のようなことをして身過ぎ世過ぎに明け暮れていた間、「雑魚の魚(とと)混じり」だという自覚が揺るがなかった。その雑魚(ぼく)に言わせれば、「網にかかるは雑魚ばかり」という精一杯の皮肉も忘れたことはなかった。ある友人(同僚)から「君がここ(この大学)にいるって、奇蹟だよ」と言われたが、彼はぼくをよく知っていたのです。その彼(高名な宗教学者)は「雑魚」か「魚(トト)」だったか、そんなことはどうでもいいことですね。

 で、小三治さんの「雑談」です。定型的な「古典落語」は大好きだし、この「雑談」も大好きでした。二つは比較衡量してはいけないんですね。まったく別種・別事で、それぞれに楽しめばいいのでしょう。小三治さんは「枕の名人」と称された。話の入り(まくら)がやたらに面白かったというのです。あるいはやたらに長かった。この「まくら」が、ぼくに言わせれば「雑談」そのものでした。その心は、「融通無碍」「雑然紛然」の面白さではなかったか。反対に「純一無雑」ではない、雑然とした中に筋らしいものが見える、そのおかしさでしたね。これが「話芸」であるのでしょうね。ぼくは落語をたくさん聞きましたが、煎じ詰めれば「話芸」の面白さを求めていたということに尽きるでしょう。

 柳家小三治「卵かけご飯」(https://www.youtube.com/watch?v=ULzB0mdZZaE

●やなぎや‐こさんじ〔‐こサンヂ〕【柳家小三治】[1939~2021]落語家。10世。東京の生まれ。本名、郡山剛蔵。5世柳家小さんに入門。真打ちに昇進すると、正統派古典落語の担い手として活躍。巧みなまくらも人気となり、「まくらの小三治」と称された。人間国宝。(デジタル大辞泉)

 小三治さんは何歳ぐらいまで「卵かけご飯」を好んで召し上がっていたのか。どこかで聞いたようにも思いますが、記憶にありません。なぜんそんなことをいうかというと、ぼくも高校生くらいまでは「卵かけご飯」が大好きだった。ところが、どういう理由からか、それ以降はまったく食べることができなくなったからです。二十歳すぎても「卵かけ…」が好きな人間がいるのかどうか。今でも卵はよく食べるが、それをご飯にかける気がしなくなった。卵の生産方法をよく知るようになったからだろうか。だったら、肉類だって同じようなもの。卵とご飯は相性もいいのに(例えば、オムライスやチャーハンなど)、生卵は駄目だという理由が、ぼくにはよくわかりません。今では、それ(卵かけご飯)を想像するだけでも気分がおかしくなるのですから、奇妙なことですね。

 小三治氏は(「雑談」の中でも)「卵かけご飯は、ぼくのステータス・シンボルだった」と語られていました。それだけ貧困時代の子どもだったということでもありますね、誰彼なくそうでした。彼は、ぼくより五歳ばかり年上でした。晩年は「病気の問屋」のように、痛々しく見えましたが、壮年の頃は、颯爽と「ナナハン」にまたがっていたのでした。その彼に、かみさんはあるとき、都内目白近くのガソリンスタンドで出会い、「見たよ、いい男だった」と、なんどもぼくにいうのでした。

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「鰯の頭も信心から」なら、カルトも宗教か

 【滴一滴】1987年以降、「青春を返せ裁判」と呼ばれた訴訟が全国各地で起きた。宗教団体と知らないまま洗脳され、入会させられて精神的苦痛を受けた―。元信者が訴えた相手は統一教会、現在の世界平和統一家庭連合である▼初めて元信者側の勝訴判決が出たのが岡山だ。2000年、広島高裁岡山支部は勧誘、教化などの教団による宗教活動そのものを違法と判断した▼翌年の札幌地裁判決は信仰の自由を侵害する恐れがあるとも踏み込んだ。正体を隠した勧誘は自由な意思決定を妨げるからだ。いずれも最高裁で確定したが、このところの教団を巡る報道では言及されることが少ないようだ▼30年以上も教団を相手に裁判で争ってきた郷路征記弁護士(札幌弁護士会)のオンライン講演を先月聴いた。街頭などで声を掛け、財産のある人、素直で信心深い人に狙いを定める。教団の手口は本質的には近年も変わっていないという▼不幸の原因は家系にあると不安をあおり、正常な判断力を奪っていく方法を教団は熟知していると郷路さんは指摘する。最初から統一教会と分かれば入信しない。宗教団体の正体を隠した布教活動を禁じるべきだ、と訴える▼宗教団体の規制には信教の自由を理由に慎重論もある。しかし、大事なのは個人が主体的に信仰を選べることだろう。必要な法整備を進めたい。(山陽新聞・2022/09/04)

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 “洗脳”手法を徹底研究、旧統一教会「伝道の違法性」を追及した第一人者の終わらない闘い 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る議論や指摘で抜け落ちている点がある。それは、旧統一教会の伝道・教化活動そのものが、国民の思想信条の自由を侵害する違法行為であるとする判決が確定していること、すなわち憲法違反という認識だ。/ その判決を1987(昭和62)年から14年間かけて勝ち取り、以降も違法伝道を白日の下に晒してきた第一人者が札幌にいる。/ 現在も3件の訴訟を闘い続ける旧統一教会の不俱戴天の敵ともいうべき郷路征記弁護士(全国霊感商法対策弁護士連絡会代表世話人)に聞く。(以下略)(「弁護士ドットコムニュース」・2022年08月20日:ジャーナリスト・本田信一郎)(https://www.bengo4.com/c_8/n_14875/

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 数日前、友人が電話をかけてきました。「よく雨が降る」とか、「歳を取ると毎日が辛い」などという埓(らち)もない話をした上で、「心の問題」として「旧統一教会信者」の問題をどう考えるかということを訊いてきました。ぼくは、あれは「(統一教会に限らないが)信者とか信仰とか」いいますが、それは宗教の問題では断じてないと答え、敢えて言えば「洗脳」という「暴力」だといった。「洗脳」は「信仰」と同じではなく、敢えて言えば、それは、明らかな暴力、もっというと「拷問」ですらあると考えているとも話した。多くの「宗教教団」と称されるものが存在し、国家によって「宗教法人」の認証を受けているが、果たしてそれは「宗教」や「信仰」に値する事実・内容を有しているか、ぼくには大いに疑問とするところ。例えば、ある反社会的集団(暴力団)が正体を隠して、「教団」だと見せかけ、国家の認証を受け、信者獲得にあの手この手を使う、当人が気づいたら、時すでに「洗脳は完成・完了」しており、世の中がまったく異なって見えだしている、そんな、奇怪なことがまかり通ることもある。目隠しや耳隠しをされて、思考の自由を完璧に奪われて、「お経」を唱えたところで、それを宗教や信仰といいたいかもしれぬが、それはまったく言えない道理であり、そんな道理がどうしてわからんのか、そんな思いが募るばかりでした。

 上に紹介しようとしている郷路征記(ごうろまさき)弁護士は、「旧統一教会問題に関して、十四年かけて「信教の自由」違反容疑で裁判を起こし、全面的に勝訴判決を受けた人です。(詳細は上の記事を参照のこと)下記の引用部分は、「郷路征記が1987(昭和62)年3月に提訴した『青春を返せ訴訟』(郷路本人が命名)で、2001(平成13)年6月に言い渡された札幌地裁判決の一部である。2003(平成15)年に被告である旧統一教会の控訴は棄却、上告も棄却されて確定した」(同記事)

――(旧統一教会の伝道・教化活動は)社会的にみて相当性が認められる範囲を逸脱した方法及び手段を駆使した、原告らの信仰の自由や財産権等を侵害するおそれのある行為であって、違法性があると判断すべきものである――。

 ある人の「自由を拘束」した状態で「洗脳」する、その後で「宗教行為(霊感商法など)」に移るというが、はたしてそれは正しい宗教行為だと言えるか。どうして、多くの人や機関は、正面から「洗脳」は暴力だと断じないのでしょうか。不自由な状況下で、強制的に入信させられたのだから、(当人が入信したと言うけれど、考える自由を奪われた結果であるので)「信教の自由」を犯したものと見なければならないというのは、じつにまっとうな把握の仕方ではないか。他の裁判でも「信教の自由」を問題(争点)にした例がないのはどうしたことか。

 「信仰の自由が侵害されているという裁判をやっている弁護士は僕ひとりですから」というのは、郷路さんです。

 「現在、2世信者、宗教2世の苦悩がクローズアップされていますが、たとえば、その子どもたちが旧統一教会に損害賠償を求めることを考えた場合には、親自身が違法な伝道・教化によって信仰を持たされたというところを出発点にしないと責任の追及はできないんです。/ そこを問題にしないと苦しみの根源を問うことはできずに、単なる毒親問題になってしまう。それでは旧統一教会は痛くも痒くもないし、問題の本質に迫ることはできません」(同記事)

 「洗脳」とは何か。しばしば「思想改造」ともいうが、それは暴力を伴う強制的圧力のなせる事柄です。強制的転向であり、思想信条の自由を完璧に抑圧した上で、強制的に、頭脳に特定の教条を叩き込む。ある時期の学校でも、こんな恐ろしいことが「教育の名において」行われていたのです。思想教育、洗脳教育は、人間の自由を剥奪することから発生する。

● 洗脳(せんのう)=共産主義社会における思想改造をいう。中華人民共和国成立後、数年間にわたって旧体制の知識人などを共産主義体制に適合的な人間に改造する作業が繰り広げられたが、こうした作業を中国外の反対者は、非難の意味を込めて洗brain washingとよんだ。その後、このことばは、共産主義社会における強制的な政治的社会化を意味する用語として西側諸国に定着した。第二次世界大戦後、ソ連の捕虜収容所に抑留されていた日本軍兵士の洗脳が話題となったこともある。(ニッポニカ)

 今だって、いたるところで「洗脳」(時には「脅迫」「拷問」もある)は行われている。具体例は挙げないが、枚挙に暇(遑)なしです。「ウクライナ侵攻」(「信仰」ではない)でも盛んに「洗脳」による「ロシア化」が行われているではないか。これは間違いなく「暴力」=「強制」です。だから宗教であるなどと言うべきではなく、「(下劣な)政治の一種」だと言うほかにありません。信仰とか宗教ということに関しては、ぼくはまったく異なる視点から受け止めています。宗教や信仰は、ある人に取っては「生きる支え」ですが、それは「魂(たましい)の善用」(「魂の救済」)があって初めて言えること、カルトを宗教だと誤解する・したがる向きが多すぎるのは、じつに困った状況にあります。これも一種の「(ものを考えられなくなる)暴力下」に置かれたからともいえます。「強制」を伴うものは、宗教ではなく悪徳政治、それに尽きます。どんな政治にも(いろいろな意味で)「暴力」が伴う。政治を遂行する側からすれば、「暴力」は不可欠です。

 「洗脳」は一面では思想改造ですが、それは自らの意思で行われることがあるのは言うまでもありません。しかし大半は「外部からの(有形無形の)暴力」によるものです。これを「勧誘」とも「折伏)とも言ってきました。かかる問題に関して、この劣島には「禍々しい伝統」「消せない前歴」があるのではないですか。いわゆる「転向」問題です。詳細は省きますが、右から左、左から右、つまりは「右顧左眄」であり、右折・左折の花盛りでもありました。自らの信じる「絶対」を、他の「絶対」に変更すること、変更させられること、共産主義から国家主義へ、その反対もありえます。ラーメン等からソバ派に「転向」というのとはわけが違う。

● 転向【てんこう】=一般に〈権力の強制によって起こる思想の変化〉(思想の科学研究会編《転向》)。狭義かつ典型的には1930年代以降の日本のマルクス主義者による共産主義思想の放棄をいう。広義には反体制的・進歩的思想から体制的・保守的思想への転換を指して用いられるが,総じて否定的評価が込められるのが特徴。外来思想の受容,知識人のあり方,思想弾圧の実態等々,さまざまな側面から日本の思想的風土を検証するための鍵概念と考えられている。(マイペデイア)

 「信教の自由」を否定しません。しかし、何でもかんでも「信仰の自由」だと、一人芝居ならいざしらず、多くを巻き添えにしての「乱痴気騒ぎ」であれば、不問に付すことはできません。まして「カルト的振る舞い」「反社会行為」に泥(なず)んだ集団が、そのように「信教の自由」を言い募るのなら、なおさらです。ここで簡単に述べられない問題ではありますが、少なくとも、「旧統一教会」は「信教の自由」を犯して「信者」を獲得した団体であるという判決が、早くから確定しているのに、なぜそれが広く理解されてこなかったのか。そこが問題でもあると、ぼくは考えている。

「青春を返せ訴訟」と「信仰の自由侵害回復訴訟」の両確定判決で明確になったのは、『旧統一教会の伝道・教化活動は、対象者の思想信条の自由を侵害する違法行為である。伝道・布教や物品販売を行っているのは信徒会などの任意、協力団体等ではなく、旧統一教会そのものである。献金や物品購入だけでなく、献身(隷属)させられて旧統一教会の事業に専従したことは損害であり、慰謝料の加算事由である』であった。(同上記事)

 「不幸の原因は家系にあると不安をあおり、正常な判断力を奪っていく方法を教団は熟知していると郷路さんは指摘する。最初から統一教会と分かれば入信しない。宗教団体の正体を隠した布教活動を禁じるべきだ、と訴える」というコラム氏の指摘は、そのとおりで、そのような反社会的、非宗教的なカルト集団から、さまざまな支援・援助を受けている政治や政治家とは何であり何者なのでしょうか。

 「鰯の頭も信心から」といいました。信心があれば「鰯の頭」のようなどうしようもないものにも「ありがたみ」を感じてしまうのでしょう。何を拝むか、人それぞれ。けったいな「信仰」で満ち溢れているのが浮世でもあります。それに縋(すが)るもの、それで一儲けしようとするもの。まるで正体を隠した「狐と狸」の化かしあいであり、化かされあいですね。(実害が及ばないなら、それもよし)それをも信仰と言うなら、「狂信」「洗脳」「暴力」もまた、「信仰」の名に恥じないものになるのですか。

 「宗教」「信仰」のもとで、人を恨み、罵り、悪態をつく。挙げ句には暴力を振るい、自由を拘束する。更にそれが昂じれば、「神」「仏」「絶対者」の名において人を殺め、殺し合う「戦争」まで始めてしまう。そんな宗教は「(宗教という名の)暴力政治」だというほかない。信仰というのは、ぼくの勝手な見解ですが、どこまで行っても「個人」の問題です。ある何かを信じるのに、どうして「徒党」を組むのか、組む必要があるのか。そこからすでに間違っているんじゃないですか。(「集団」を作るのは、ある種の政治(権)力を発揮・行使するための方法であり、それが剥き出しになったのが「政党」ですね)

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 「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち、電信柱に花が咲く」旧帝国陸軍盛んな頃、こんな戯れ歌が歌われていたそうだ。「輜重」とは「軍隊の糧食・被服・武器・弾薬など、輸送すべき軍需品の総称」(デジタル大辞泉)で、その輸送を担当したのが「輜重輸卒(しちょうゆそつ)」でした。戦後になって、ある作家が、自分の軍人時代の軍務がそれであって、盛んにそのことを嘆いて、この戯れ歌を嫌な思い出として記していました。彼は馬の輸送係だったそうです。「あんなのが兵隊なら、蝶々もトンボも鳥になるし、あろうことか、電信柱に花だって咲くぜ」というものだ、と。「あれが宗教なら、カルトも詐欺集団も宗教になる」ということでしょうか。「鳥なき里の蝙蝠」ともいいます。この劣島(だけではない)に、宗教にふさわしい(名に値する)ものがないから、蝙蝠(コウモリ)は、「自分は鳥」だと言った如く、白昼堂々と「宗教だ」と、あの手この手の集団が自己宣伝するのです。被害の大きさは計り知れないものがあります。それを認証する(した)立場の者の責任が問われなければならないでしょう。

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秋草の名残の匂い身にしみて(無骨) 

 九月三日、「誕生日の花」は蔓穂(つるぼ)で、「花言葉」は「誰よりも強い味方、流星のような、不変、志操堅固、我慢強い、風情ある、寂しさ、悲しみ」などなど、なんでもありのよう。(早朝、ラジオからの「花だより」から)ものは見ようで、いろいろな見方ができますから、それを言葉で表せば、これまた「なんとでも言える」というもの。草花は大好きですが、「花言葉」などにはまったく興味はありません。それはまるで、自然に咲いている、あるいはそこに植わっている草花に、好き勝手に「洋服を着せる」ようなもので、言ってみれば「悪趣味」だという気がします。あくまでもぼく個人の感想です。その様子は犬や猫にシャツやパンツを着せたり履かせたりして、もてあそびものにする飼い主のような、ある種の「玩弄物」化の気配さえ感じてしまうのです。困るのは、そのことに「自覚」がないということ、犬や猫が望んだのでもないのに。花よりも花言葉が、表に出る(目立つ)とろくなことはありません。名よりも実、ということでしょう。これは「人間」についても同じことではないですか。

 それはともかく、田舎に住んでいると、街中の生活では得られなかった好運や不運が、応接の遑(いとま)もなく舞い込んできます。運不運の割合は半々などではなく、圧倒的に「運」の方が多いのは言うまでもありません。「果報は寝て待て」というようですが、ぼくはそんな悠長な「果報」には恵まれなかった。いつだって、歩く、歩き回ることから得られるものばかりでした。犬も歩けば棒に当たる、そういうことだったでしょうか。その第一は「景観」というか、「風景」というもの。なんでもない、「平凡」そのものが目に入ると、ぼくはすっかり嬉しくなるのです。野山には、いのちがあふれていると言いたいですね。この「蔓穂(つるぼ)」も付近でよく見られます。つい最近までは、猛暑のために外歩きはしませんでしたが、いい時候になってきましたので、歩き回る(徘徊する)のが楽しみで、農道や畦道(あぜみち)、あるいは獣道(けものみち)(と言うのは大げさですが)にも入り込みます。いたるところに、「いのち」が横溢しているのです。

● ツルボ(つるぼ / 蔓穂)[学] Barnardia japonica (Thunb.) Schult. & Schult.f. Scilla scilloides (Lindl.) Druce=ユリ科(APG分類:キジカクシ科)の多年草。染色体はA、Bと異なるゲノムの組合せからなる同質および異質倍数体からなる複合種で、外部形態もきわめて変異に富む。鱗茎(りんけい)は卵球形または楕円(だえん)状球形で黒褐色の外皮に包まれる。葉は春先と開花期の7月以後、二度地上に展開するが、倒披針(とうひしん)状線形、上面はへこみ、軟質で厚い。花期には葉を伴わないこともある。花茎は直立し、高さ30~50センチメートル、総状花序に淡紫色花を上向きに多数つける。北海道南西部、本州から沖縄の日当りのよい原野や道端に生育し、朝鮮半島から中国に分布する。(ニッポニカ)

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 もうすぐ見られるのが、「吾亦紅(吾木香)」、ワレモコウです。これが誕生花となるのは「8月25日、10月28日、11月19」)とされています。年に数度も。花時でもあるのでしょうが、それ以上に「花屋の作戦」かもしれないと、品のない想像をしたりします。この花の、花言葉は「変化」「移ろい」「もの思い」などが代表ですが、これも各種あって、各人の好みに合わせられるような塩梅です。ぼくには「誕生花」も「花言葉」も不要で、視界に入れば、もうそれだけで至福です。ぼくの「徘徊の理由」のすべては(健康のためではなく)、花々・木々との邂逅(逢着)です。いつもの歩き慣れた道なら、この先になにが、右に曲がれば、あれがあると、ほぼわかります。しかし、歩くコースを変えれば「未知との遭遇」があり、楽しみも、さらに湧こうというものです。「物思いに耽る花」って、どんな花ですか。

・吾亦紅さし出て花のつもり哉(一茶)

 (この句には、「五木香(ごもくこう)」という語が使われているものがあります。それが「吾木香」かどうか、不明)

(*「五木香 (ゴモクコウ)植物。キク科の多年草,薬用植物。モッコウの別称:動植物名読み方辞典)(*もっこう【木香】=漢方薬に用いる生薬(しょうやく)の一つ。キク科モッコウのを乾燥したもの。健胃鎮痛利尿抗菌などの作用がある。高血圧、動脈硬化肩こりに効く九味檳榔湯(くみびんろうとう)、更年期障害月経不順に効く女神散(にょしんさん)などに含まれる。:漢方薬・生薬・栄養成分がわかる辞典)

● ワレモコウ(吾木香) ワレモコウ Sanguisorba officinalis; burnet=吾亦紅とも書く。バラ科の多年草。高さ約 1.5mになり,茎は直立して上部はまばらに分枝し,長楕円形で,円頭,粗鋸歯の小葉から成る奇数羽状の複葉をつける。晩夏,穂状の花序を茎頂につけるが,花序は短球形で暗紅色,マツの球果 (松かさ) 状で,この形からボンボコの地方名がある。花序は黒紅色のと黒い葯 (やく) を有する小花の集りで,花弁はない。塊状の根には一種のサポニンを含み,吐血の止血薬として用いられる。漢方ではこの根を地楡 (ちゆ) という。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 面倒なことは言いません。ぼくが野山に咲く草花などに大いに惹かれるのは、幼児からのことであり、その多くは田舎住まい(現、石川県七尾市)のおかげでもあります。おふくろの影響が大きかったといえますが、この野山の草花の殆どが「生薬」として、実際に利用されていたからでした。ゲンノショウコやドクダミなどは代表例ですが、多くは煎じ薬として常用されていました。ぼくも服用した経験がある。いまでは、まったく薬用という意識はないものの、どこかしらでその香りや味覚が、ぼくの感覚に訴えてくるのかもしれません。そういえば、ぼくは独り歩きができるようになって以来、いつだって野山を歩き回っていた。兎や狐や狸などは友だちだったとは言いませんが、親しい生き物でした。数多くの昆虫も鳥も知り合いでありました。七十年以上も昔の経験と記憶が、あるいは「人間の感覚の源になる」といっても間違いはなさそうに思う。

 (これらの山野草は、一体どれほどの時間を生きているのか、ぼくには見当も付きません。その大半が「生薬」「漢方薬」として重宝されてきたことは「医心方」に詳しい。「医心方」については、どこかで述べておきました。翻訳された槙佐知子さんについて触れたときに)

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● 医心方(いしんほう)=現存する日本最古医書。平安中期の医家丹波康頼(たんばのやすより)が984年(永観2)に円融(えんゆう)天皇に奉進した。全30巻。内容は医学全般を包括して養生、房中に及ぶ。すべて中国の六朝(りくちょう)・隋(ずい)・および朝鮮の医薬関係書からの引用で構成され、多くは隋の『諸病源候論』によって項目を分けている。引用書は100余種に及ぶが、そのなかの多くが亡失して伝わらないため、中国医学史研究上、きわめて貴重な文献となっている。また古態(こたい)を残していることから現伝の古医書を考訂するうえでも重要な資料となっている。(⤵)

 秘蔵されたため幕末まで人目に触れることがなかった。伝本に主として半井(なからい)本系と仁和寺(にんなじ)本系の2系統がある。半井本は、正親町(おおぎまち)天皇が典薬頭(てんやくのかみ)の半井瑞策(ずいさく)に賜ったもので、同家は代々これを秘蔵したが、安政(あんせい)年間(1854~60)幕命によって供出させられ、江戸医学館で校刻された(安政版)。原本は半井家に返却され今日まで伝わり、1982年文化庁の所轄となり、84年国宝に指定された。ただし巻22は早くに流出してお茶の水図書館にあり、これも国の重要文化財。仁和寺本は、幕末まで全30巻中20巻が残存していたが、今日、仁和寺には5巻分しか現存しない(国宝)。しかし流出部の内容は国立公文書館所蔵ほかの幕末の模写本によってうかがうことができる。半井本系と仁和寺本系では記載にしばしば異同がある。(ニッポニカ)

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背広・ネクタイ・パンツ姿。

 咄嗟の発言…いきなり質問され、どう答えるか。応答次第で、その人となりはわかるというもの。この政治家・泉某には、前にも触れた。閣議決定直後は、「国葬」には静かに参加したい旨を表明。世間の雲行きが険しくなると、時をおかず軌道修正を重ねて、最近では「国葬反対」と断言、かと思いきや「(参加の)可能性はあると思う」だって。何、この言い方?小なりと雖も「政党代表」たる御仁。こんなに「右顧左眄」すると、きっと「顧小失大」を招くね。「自分の意見」がないのは、見識(主体性)に欠けている証拠。政治家には似合わない。第一、支持する国民(がいるとして)が迷惑をする。その昔「なんでも反対、社会党」と揶揄された勢力があった。その「なんでも反対党」は深部で政権党を支えたね。今に言う「補完勢力」だった。「国葬に反対」、しかし「参列」というのでは、背広にネクタイ、下はパンツだけという醜悪な姿そのもの。鏡に写してご覧よ。見事に、一貫性がないね。どこを見ているの?早々に所属を変えたらどうか。(「嫌なことも言わねばならぬ」第七回・2022/09/02)

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 国葬出席の可能性「あると思う」 泉立民代表 立憲民主党の泉健太代表は1日のBSフジ番組で、故安倍晋三元首相の国葬に出席する可能性について「あると思う」と述べた。「国会論戦を行う中で最終的に判断していきたい」とも語った。立民は法的根拠が乏しいなどとして、国葬に反対の立場を示している。(時事通信・2022/09/01)

 この政治家に「含む」ところはまったくありません。面識もない。ただ、選挙区が京都だという、つながりとも言えないつながりだけ。国政政党の代表だと名乗る以上は、いろいろな意味で「肝・胆(きも)」が座っていなければ、そういうささやかな願い(ないものねだりかもしれないが)を申し述べただけです、悪しからず。

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 朝五時前のラジオで、今日の「誕生日の花」と「花言葉」が流れてきました。茗荷(ミョウガ)だそうです。我が荒れ庭にも、あちこちに生育しています。まったく手を掛ける必要がない植物で、しかも薬味としても大変に重宝で、ぼくもいつでも戴いています。ミョウガを食べ過ぎると「物忘れ」がひどいと言う。食べなくても物忘れ人間ですから、いつも口にしているので、健忘症は激しく進行中です。その「花言葉」は「忍耐」だと。とても日陰が好きなんだな。

 「国葬出席の可能性『あると思う』」と二股膏薬を貼ってる、両睨み政治家さん、どうぞ、たんと「ミョウガ(茗荷)」を召し上がれ。「命冥加(いのちみょうが)」などという好運に恵まれないとも限らない。「忍耐」も、ね。

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「想像を膨らませる必要がある」と仰るが

 【小社会】核への想像力 「記者失格」とお叱りを受けるかもしれないが、取材現場で目にしたものを文章や言葉で語り尽くすのは正直難しい。多くの人にとって、未知の出来事であればあるほど。▼例えば東日本大震災。記者自身が被災地で痛感した。目の当たりにした光景が過去の報道や記録から思い描いた被害より、はるかに悲惨であると。もちろん報道には力を注いできたが、どれだけ伝えることができたのか…。▼戦争もある。筆舌に尽くし難いのは報道だけではない。評論家の故加藤周一さんがかつて高知市の夏季大学で語っていた。「戦争体験者が話したがらないのは、話しても伝わらないと思うからです」▼医師でもあった加藤さんは終戦から約2カ月後、原爆の影響の日米調査団に加わり、広島に入った。だが壮絶な被爆体験をした住民は口をつぐんだという。▼「当人さえもそれを言葉であらわすことができなかったとすれば、どうして私にそれを理解することができたろうか」(回想録「続羊の歌」)。語り継がれてきた体験談も多いが、それとて惨劇を表し尽くせてはいまい。私たちはもっと想像を膨らませる必要がある。▼被爆国日本でさえそうだから、外国はさらに思いを巡らせてほしい。核拡散防止条約(NPT)再検討会議がまたも決裂した。ウクライナでは原発への攻撃が続く。想像力が恐ろしく欠如している。鎮魂の8月の最終日、改めて考えたい。核と平和の行方を。(高知新聞・2022/08/31)

 「百聞は一見に如かず」と言われます。「百聞」は、たくさん聞くこと。一見は「自分で見る」です。どんなにたくさんのことを(他人から)聞くよりも、自分の目で、一度でも見るほうが確かだ、と言うそうです。ある辞書にいう、「一〇〇回聞くより一回見るほうがよくわかる。何度繰り返し聞いても、一度実際に見ることに及ばない。※新聞雑誌‐一三号・明治四年(1871)九月「右は所謂百聞不一見の理にして」 〔漢書‐趙充国伝〕(精選版日本国語大辞典)。なにかと見聞を広めるのもいいけれど、実際に自分の目で確かめるほうがよく分かるというのでしょう。類語に「見ると聞くでは大違い」があります。人から聞くだけでは駄目で、自分で、直接に見なければわからないこともある。確かにそうもいえますが、しかし、そうとばかりは言えないのではないか、それがぼくの言いたいことです。それはぼくの小さな経験からでも言えることです。(ヘッダー写真は「アサヒグラフに見る昭和前史1(大正12年)」より。右奥は丸の内方面)

 言わなくてもおわかりのように、ぼくは「寡聞少見(かぶんしょうけん)」の人間です。見聞も経験も極めて少ない・拙(つたな)いという点では人後に落ちないでしょう。そのような人間だからこそ、「百聞は一見に如かず」には批判的になるのです。ある事柄(地震の被害状況や、原爆被災者の苦悩など)について、実見に及ぶという貴重な機会を持ったとしても、それを支える背景(受け止める手段・感性も知性も動員して)がなければ、どうしようもないのではないですか。「百聞」というものを広く「学習」と理解するとどうでしょう。ある事柄について、多くのことを聞く、それによって「知るもの・知識」が自分の中に蓄積される。そんな「百聞」があって初めて、実地に目にする機会を得ると、眼前の事柄がより深くわかろうというものです。一切の見聞なしでも、一見のほうが確かだというのなら、犬や猫が、人間と同じ場面を見るのと、どこが違うのか。網膜に映るものは同じ景色(対象)であっても、それを読み取り、その意味を知るための手がかりはどこにあるというのか。「一見」が意味を持つのは、「百聞」があってのことなのだ、そうではないでしょうか。「百聞」とは「学習」そのものです。それを経ない人間の「一見」に、どのような価値があるというのか、ぼくには疑問です。

 「戦争体験者が話したがらないのは、話しても伝わらないと思うからです」「当人さえもそれを言葉であらわすことができなかったとすれば、どうして私にそれを理解することができたろうか」という加藤周一さんの言葉は、いろいろな事柄を考えさせてくれます。「原爆の被害者」は数え切れないいほどおられました。その「被爆」によって亡くなった方々は数万人。あるいは関東大震災では死者は十万人を超えると言われています。東日本大震災も同様に、数多くの被害者がありました。それぞれの「被災」や「被害」の状況は同じようであって、それを経験した人それぞれに、受け止め方(被災体験)は異なるでしょう。見える部分の被災・被害状況は同じであっても、それを実際に身に受けた人によって経験された内容は異なるし、それを言語によって表現する(語る・書く)とさらに個人差がきっと生まれます。その結果、悲惨極まりない原爆投下や大震災の「被害」「被災」を風化させないために「語り継ごう」ということになるのですが、「見ると聞くでは大違い」が、いたるところで生じているのです。そのさまざまな「違い」を、真相・真実に即して受け止めるためには、どうしても「百聞」は欠かせない学習なのではないか、ぼくはそのように考えています。言い過ぎのようですが、「百聞は一見に伍する」ものだとも、ぼくは言いたい気がします。

 「語り継がれてきた体験談も多いが、それとて惨劇を表し尽くせてはいまい」というコラム氏の指摘は「的を射た」ものです。仮に経験したものが「100」あったとして、語り表せるのは、その何分の一でしかないかもしれないのです。語りきれなかった、残りの部分どうすればいいのでしょうか。その事自体は被災者自身において起こっているのですから、それを後から「また聞き」で学ぶ者には、もっと大事な部分が伝えきれない(受け止められない)ままで消えてしまうでしょう。その欠損を補うためにも「私たちはもっと想像を膨らませる必要がある」といわれるのには、大いに同感します。しかし、「想像力」を膨らませるにはどうするか、想像力は勝手には膨らんではくれないのです。その際の「元手(ふくらし粉)」になるのは、自分流の「百聞」でしかないのだと、ぼくは言いたいのです。知りたい事柄について、必要なものは書物から、映像から、伝言から、そして体験談から、さまざまな手段を尽くして「未経験」「未体験」の事柄を知ろうとする作業は不可欠となります。その「百聞」があってこその「一見」なのだ、このことを肝に銘じておきたいですね。「見ると聞くでは大違い」です。しかし「大違いの中味」はなんですか。それをこそ、ぼくたちは知ろうとしなければならないのではないか。

 「歴史を学ぶ」というのは「過去との対話」「現代と過去との対話」だと高名な歴史家が言いました。別の表現をすると、今を生きている自分が行う「現在と過去の対話(出会い)」だと言えるでしょう。よりよく過去と対話をしうる(歴史を学ぶ)人が、よりよく未来にも遭遇するのかもしれません。(未来は過去にあり、過去は未来にあるですから)「過去との対話」に努めるということは、再び「過ちを侵さない・犯さない」ための最良の生き方(学習)ではないでしょうか。(過去とは「過ぎ去った(人間の)あやまちのこと」ですよ)(本日は「防災の日」だという。九十九年前の、大正十二年九月朔日、東京・神奈川を中心に「関東大震災」が発生。多くの被害が出た。折しも、沖縄地方に「最大級の台風が襲来」しています。とんでもない「被害」が出ないように、祈るのみです)

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