笑いのちから

 以下はアメリカの著名な文芸評論家、ジャーナリストだった人の実体験です。

 「わたしは十年ばかり前にハンス・セリエの古典的な名著『生命のストレス』を読んだことを思い出した。セリエはその書物の中で、副腎の疲労が、欲求不満や抑えつけた怒りなどのような情緒的緊張によって起こり得るということを非常に明快に示し、不快なネガティブな情緒が人体の科学的作用にネガティブな効果をおよぼすことを詳しく説明していた」

 「それを思い出した途端に、当然の疑問がわたしの心に湧いてきた。では積極的、肯定的な情緒はどうなのだろう。もしネガティブな情緒が肉体のネガティブな化学反応を引き起こすというのならば、積極的な情緒は積極的な化学反応を引き起こさないだろうか。愛や、希望や、信仰や、笑いや、信頼や、生への意欲が治療的価値を持つこともあり得るのだろうか。化学的変化はマイナスの側にしか生じないのだろうか」

 「たしかに、積極的な情緒を引き起こすということは、水道の栓をひねってホースの水を出すように簡単にはいかない。しかし自分の情緒をある程度までコントロールできれば、それだけでも病理学的にいい効果を生ずるかも知れない。不安の念をある程度の自信感で置きかえるだけでも役に立つかも知れない」(ノーマン・カズンズ『笑いと治癒力』松田 銑訳、岩波現代文庫。2001年)

〇血沈(けっちん)=赤沈とも。赤血球沈降速度(反応)の略。血液に抗凝固剤を加えて一定の細管内に注入後,直立放置すると,血漿(けっしょう),血球の分離が起こるが,各種感染病,膠原(こうげん)病,悪性腫瘍(しゅよう),貧血等の患者ではその分離が短時間で起こる。通常はウェスターグレン法が用いられ,1時間値男子10mm 以内,女子15mm 以内を正常とする。(マイペディア)

 入院した病院では一日に四回も別々の部署によって血液標本を採るということもあった。「わたしは三日に一回しか血液は採らせない」と病室のドアに張り紙したほどだった。やがて、カズンズは病院の治療体制に対する徹底した批判を行うことになる。「そのうちに間もなくわたしは、病院は重症患者の居るべき場所ではないと確信するようになった。基本的衛生尊重の観念が呆れるほど欠如していて、ぶどう状球菌その他の病原体がまたたく間に病院中に拡がりかねない状態であるし、また何かといえばレントゲンを撮りまくり、トランキライザーの強力な鎮痛剤を無差別に乱用しているとしか思えないし、しかも時にはそれが患者の治療上の必要よりもむしろ病院の職員側の看護の都合から行われているらしかった。また病院の日課のほうが患者の休養の必要よりも優先するのがしきたりになってしまっている」

  「地獄に仏」とはよくいったものです。カズンズの主治医はヒッツィグ博士だった。彼は「患者の立場に身を置いて考えることができる人」だったから。しかも二十年来の親友だった。病状を正確に告げたし、治療法や病院の体制の欠陥を受け入れてもくれた。そこで、カズンズは「健全な情緒を追求する組織的な計画」を遂行しようと試みた。

 そのためには二つの条件(問題)をクリアしなければならなかった。

 第一は投薬法(多少でも毒性のある薬が使われているとすれば、成功は疑わしい)

 第二は病院の問題(もっと積極的な人生観を持たせてくれる場所をみつけなければ)

 その当時、彼は関節や椎骨(脊椎を構成する骨。全部で32~34あるとされる。頸椎、胸椎、腰椎など)のほとんど全部が「まるでトラックに轢かれているように痛んでいた」 危険な鎮痛剤(アスピリンなどの抗炎症剤)の投与をやめたらどうなるか。

  「わたしは痛みは心構えによることをよく知っていた。たいていの人は、どんな痛みでも痛みとなれば、あわてふためく。痛みはこわいという広告に取りまかれて、おどされつづけているから、ちょっと痛みらしいものを感じると早速にあれこれの鎮痛剤を使う」「痛みは人体の魔術だ。それは肉体が脳に向けて、何か故障があるぞと知らせる信号なのだ」

 ビタミンCが血液の酸素化を助けるという説を医学論文から見つける。膠原病患者にはビタミンCが不足しているとの報告もあった。それは膠原病による組織結合の破壊過程で大量に消費されるからであると考えられた。博士はこのようなカズンズの考察にていねいに耳を傾けた。「博士とわたしとの相互協力という考え方はまことに結構」ともいった。

 この本からぼくも大きな影響を与えられました。「握ったこぶしを開け」という哲人(アラン)の教えを再確認したからです。また、つらい病に苦しんでいた友人や知人にも一読を、と差し上げたことがありました。ある友人は「助けられた、ありがとう」とお礼を言われましたが、もちろんカズンズに対してでした。「笑い」については、多くの人が考察を重ねてきております。可能なかぎり読もうとしましたが、大半は挫折した。「笑い」をなんとも味気なく書くというのも一種の才能でしょうが、ぼくには無用なものです。「歴史」が暗記ものになり下がった学校の授業のようですね。ところがこの本はまず面白かった。カズンズの指摘する「療法」を彼の本で実践したわけでした。面白くなければ「本」じゃないといいたいですね。カズンズについては後日談があるのですが、それは次項で。入院中に「どっきりカメラ」のスタッフを病室に招き映写会もやっと言います。セリエの本はぼくも所持しています。「ストレス」なる概念を明確にした人としても高名な方でした。いまは終末医療のプログラムに「寄席通い」を導入した病院もあります。「笑う門には、福来る」笑いは百薬の長者だ。(「医療と教育」に共通な課題は)(この項、続く)

「男(女)は黙って、…」か

「多数派と多様性」について

 普通(ordinary)・みんな誰でも(everyone)・平均点主義(average)という考え方。このような観念(ものの見方)を主張することはまちがいじゃないけれど、それを強制するのは一種の全体主義(totalitarianism)だと思う。きゅうくつな感じがしますね。
 「普通」というのはどこにもないのに、一種のかたまりとして想定されています。「お前、普通じゃないよ」「わたしは普通の日本人です」とか。

 そのかたまりの一部になることが「徳」(よいこと)とみなされてきたし、また、そうするように期待されたのが学校教育の仕事だったと思う。いわば、かたまりのなかにみんなを閉じこめること。逆に言えば、「普通」という架空の土俵からはみ出ることを恐れるように訓練するっていうこと、ね。

  「みんないっしょ」とか「人はだれでも」というように、みんな(だれでも)のなかに自分を入れることに対して、わたしたちはあまり疑問をもたないんじゃないかな。むしろ反対に、自分がみんなから孤立するのを恐れる場合が多いでしょ、たぶん。どうしてでしょうか?「わたし」と「みんな」の見分けがつかなくなるのは、多数派をつくるという点ではいいことかも知れないけど、「わたし」が「わたし」である理由が消えちゃう。

 「人並み(十人並み)」ということをいいます。いいかえれば「普通」ということか。「人並みの生活」「十人並みの器量」「普通のおばさん」なんてね。でも、よく考えれば、「人並みの生活」や「普通のおばさん」はありそうでどこにもないし、いそうでどこにもいない。きっと、それぞれはどこかちがう。だけれどもそのちがい(交替不能で、かけがえのないこと)を認めることは意外にむずかしい。ちがいを突き出したいんだけど、それをかくさなければ仲間になれない。そのような二律背反を小さい段階から学ばされるのでしょうに。「ちがうけど、いっしょ」なんだというのなら大したものですが。  

 ここで、十人十色という言葉を使いたい。他国では So many men(women), so many minds. 三人三色でもかまわない。違いは違いとして残さない、つまりは自分を消さなければ、「だれでも」にならない。かなりまえにテレビを通して「日本人なら味噌汁だ」とブラジル出身のスポーツマン(蹴球派)が言っていた(言わされていた)のを思い出します。「日本人は」「男なんて」「女というものは」と何でもひとくくりにして観念でものをいう。「みなさまの×××」といわれると、ぼくはその「みなさま」に入りたくない。入れられたくない。

  「育てる」を支えにして「教える」が

 「教育」という言葉をみてください。そこには、「教える」と「育てる」という、二つのはたらきが含まれており、それぞれに異なるねらいがありますね。教と育と。「上から」と「下から」と。「多数派」をつくるのはどちらのはたらきですか。「多様性」を生みだすのは「教」ですか「育」ですか?(「教育」と「学習」とでは受ける印象がことなりますね)言葉の詮索はしばらくわきに置きます。なにごとにつけ、ぼくは詮索はあまり好みじゃないんです。

 さらに質問(自問)します。学校は「教える」ところか「育てる」ところか。

 たとえば「一致団結」とか「一糸乱れず」「全員一丸となって」などと、いかにもおそろしい掛け声がかけられたりします。また、島国の近い過去には「億兆、心を一にして」「挙国一致」などと、ありえないことを叫んでいた時代もありました。そうすることで、個人というか、「わたし」を消してしまおうとしていたのでしょう。自分のなかに世間(みんなの考えや態度)を受け入れるということです。これを徹底するのが学校教育の役割でした。今はどうなんですかね。

 集団にあっては、ただでさえ「自分」と「他人」がくっつきがちなうえに、それをさらに強めるような風潮が学校や社会(ホントは国家といいたい。「社会」と「国家」はなりたちがまったくちがいます)にあったし、今でもあるでしょう。「右へならえ」という雰囲気です。そして、たいていの場合は「右にならう」ことがいいことか、正しいことかと考える(判断する)手間がぬけているんです。「男は黙って、×××ビール!」(いかにも臭いし、なんで「男」かよ)


 こんな言葉がいまでも使われています。「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」「和をもって尊しとなす」「親方、日の丸」などなど。しかし、どこまでも「自分」と「他人」はちがうのだという自覚から、すべての物事をはじめたい、というのがぼくの生き方だし、デモクラシーの原理にかなっているのではないかと思う。100対0は救い難し。99対1の「1」はきっとぼくだ、という心持で生きてきたように思うね。(もちろん、非難 go go、いや、ごうごう だったが)これからもそうありたい。「1」がなければ、どうなるんでしょうか。「1」は全体をまちがいから救うかもしれない。「1」が「2」になり「3」になりというぐあいに…」「0」じゃ何も始まらない。

 かんたんに「多数派」に身をまかせないことが大事じゃないですか。あることがらについて、こんな見方がある、あんなとらえ方もできるという経験を重ねることによって、自分のものの見方に広がりや幅が生まれる。自分と他人はちがうのだというところから、新しい自分の成長(発見)が期待される。それが可能になるのは(自分とは異なる主体である)他人がいてこそ、です。多様性というのは、たんに「バラバラ」ということではないのですね。

 少数派の存在をを認めること。そこにデモクラシーのむずかしさがあるのかも知れませんね。今日、「多様性」という用語はあちこちで使われていますが。その傾向が強まると、きっと反動が来ますね。「男は黙って、…」と。「女なら、…」とか。ぼくが小学生のころ、教室の正面の壁面に「らしく」と墨書した額が飾られていた。男性の担任教師が書いたものでした。「日露戦争」の話ばかりしていた教師だった。卒業後、何年たっても「らしく」の意味がぼくにはわからなかった。つまり「女らしく」「男らしく」「日本人らしく」という道徳教育の狙いだったんだろうね。その内容はすっかり忘れてしまっていたが、「らしく」は覚えていました。なんだか音階みたい。(「ラシド」なら知っている派) 

すべては疑いから始まる

 <教える>と<育てる>についていろいろなことがいわれ、かつ考えられています。ぼくもあれこれと思案投げ首でした。簡単にいうと、学校というところは「教える」(生徒にとっては「教えられる」ですが)一方の場所ですね。だれが教えて、だれが教えられるかは自明、だと信じられている。その教える一方の場所(教室)において、きわめて異様な事態が生じていることに気づいているひとは大変少ないようです。教える、教えられるという関係だけ(ではないけど)でなりたつ教育という機能が一人ひとりの個人の成長の危機をもたらしているということ、そのことに気づかないことこそ、今日の「教育の危機」のポイントじゃないですか。

 上のような危機感をぼくが感じたのはすでに二十年も前のことだったと思う。だから、今時の子どもたちの大半はその「危機こそが日常だ」という状況下で学校生活を送っていることになる。「戦時」こそが日々是好日なんて狂気の沙汰です。不思議を不思議と感じない。奇妙を奇妙と自覚できないままにです。その危機がいかなる姿や形をとって顕現するかは人それぞれであり、ケース・バイ・ケースで、じつに個性的です。今では懐かしくさえある「ニート」であったり、いまなお社会の問題となり続けている「引きこもり」であったり、あるいは心身状態の不全であったり。年齢もまちまちで、早い人は10歳未満で、遅い人は30歳を越えてから。この現実に今昔の感なし。

 要するに、教えられつづける(受身)ということは、かぎりなく考えること(能動)をしなくなるという意味です。考えることができないということでもあります。人間からとても大事な機能を奪い去る愚行だとぼくは唱え続けてきました。これはホントににつらいことです。どうしていいのかわからないのですから。判断する力が育っていないからです。教えられたから「正しい」のであり、習ったから「常識」なのだという具合に、人生の大事のことごとくが学校でやり取りされる「情報」に依存してしまったのです。なぜ人のものを盗ってはいけないの(?)お母さんや先生にに教えられたから」というのは正解じゃろうか。

 学校は教えるところだと、ほとんどの人は信じて疑いません。子どもはもちろん親だって。教師でもそう信じ込んでいるんじゃないですか。実際にそのとおりで、学校は教えられるために通う、教えるために通う場所になっている。なにごとかについて自分勝手に得心したり、疑ったりすることは禁物だというわけです。教えられるのだから、その心は素直がいちばん、それがとうぜんのこととして被教育者に要求されます。教師の授けるあれこれを疑うことは断じて許されない(ホントはそうじゃないのだが)。教師が教える内容は、だれが決めたんですか。せんせいですか(?)

 でも教えられるばかりだと、いったいどんなことになってしまうか。あまり自覚しないことでしょうが、たいへんな弊害が生みだされるんですね。「教えてください先生」「これはなんというんですか(?」」こういう具合に質問されると、先生ならずとも、いい子だ、感心な子だとばかり、ていねいに教えてあげることになります。「優等生」の萌芽ですな。ぼくは学校や教師嫌いだったから、「教えてくれ」などといったことはまずない。みんな我流、自己流でした。今に至るまでそれは変わらない。その良し悪しは言いませんよ。「教えない」教師は非難されるし、山のように宿題を出す教師は(尊敬されるかどうかは疑問ですが)、親たちからは歓迎されるでしょう。まるで親たちの教師のようです。「教える」ことで、何が行われるのですか。何が行われないのかな。

 教えるに対して「育てる」あるいは「育つ」というはたらき。学校という場所、あるいは教師にとって、この「育てる」「育つ」という側面はは苦手中の苦手、そもそも学校は「育てる」ために作られたのではないのですから。あまりにも時間がかかりすぎるし、個人差がありすぎるから。「誰もがわかる授業」の効率は能率の悪いこと、どなたのご存じでしょう。まるで速さを争う競技だね、教育は。早食いや大食いがどれだけ醜悪か、ぼくには見るに堪えない。教室は「早食い(早おぼえ)」競技の会場ですか。

 キュウリやトマトの苗を植え、さてその苗に対して、ああしろこうしろと「教える」ことはまったく無意味、おのずから伸びるのを邪魔しないで「育てる」ことしか、人間にはできない。だって、子どもはキュウリやトマトじゃないんですよという声が聞こえてきますが、はたしてキュウリやトマト以下なんですか、以上なんですか。いいや、キュウリ、トマトなんだよと、口には出さないがそう思っている人はたくさんいる。野菜でも果物でも、形や大きさ、重量によって選別され等級をつけられるSとMとかのレッテルを張られます。1等級だの3等級だの。変なの、それって。

 また、かなり前から促成栽培だの抑制栽培だのが行われてきました。学校も全く同じシステムを採用しているんじゃないですか。特進クラス、普通コース、あかんたれ組などというクラス分けは今も昔も変わらない。ぼくはつねに「あかんたれ組」でした。実に気楽でしたな。競争相手はいないし、宿題も出なかったように思う。もちろん、序列化もなければ、そのためのテストもなかった。だからいまなおぼくは「あかんたれ」から抜け出せていない。学校はあらゆる意味で怖い場所だ。行かなきゃよかったとつくづく思うけど、学校によってダメ人間されてたまるかという気持ちが育ったんだから、以ってよしとするのかな。

 こんな埒のない問題をあれこれ考え続けて数十年。今だに答えなんて出ない。でもそれがぼくの哲学(というほどのもんじゃないが)です。求め続ける行為・意識・過程こそが哲学なんだな。自問自答を中断しない姿勢。多くの学校の価値観とは正反対だね。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

心根が不誠実である

 ほとんどテレビを観ない。理由は明白です。ぼくは影響されやすい人間だから、画面に映し出される政治家・公務員や企業家、さらには有識者やテレビ常連の芸人さんの「不徳のいたす悪行」や「慇懃無礼な独善者の背徳」「内容空虚な言動の連鎖」にほとほと嫌気がさし、脳梗塞あるいは狭心症寸前にいたっているからです。つまるところ、「悪徳」「下品」「軽薄」に汚染されるのが嫌だからです。さらに言えば、テレビに関しては観ようという気力がない。垂れ流されるコマーシャルが品性下劣の見本(他人のことはいえないが)、制作者の意図が不快かつ不純であり、頭脳や身体に危害を及ぼすほどの醜悪なるものが大半だということ。売れればいい、収入があがればいいという極悪徳商法にうつつをぬかす当事者たちの脂下がった顔貌が見えるよう。それを操り人形師のごとく支配する広告媒介業者がまたとんでもない辣腕をふるって、マスコミ界を腑抜けにしている。番組の質に問題があるというのは論じるまでもない。今頃の若い人はテレビや新聞にアポローチするのかどうか。紳士淑女の皆さん、危うき(醜悪・背徳)に近寄らず、です。マッチ一本火事のもと、テレビ一台不義のもと。近藤マッチはドライバー。(なにこれ(?))

 若いころはテレビの前に座るときもあった。近年のぼくのテレビ嫌いはぼく自身に問題があるというよりは作る(流す)側にはっきりとした問題点があると断じたいね。公(国)営放送については話すのも無駄だが、あえて一言、組織の内部に大きな病巣があるんじゃないですか。人でも家でも企業でも国家でも長く続いたり、競争相手がいなければきっと腐る。かならず堕落・頽廃する。その中にいるものが腐敗・堕落に気づかないからだ。この腐敗や腐臭は消臭剤や防腐剤では防げない。

 テレビ界とそっくりなのが新聞界。宅配の新聞を購読しなくなって何年になりますか。いまはネットで世の中の「動静」(じゃなくて「動動」)をなぞることができるので、新聞もテレビもぼくには無用。現今の「新聞」はどこかの組織・組の「機関誌」「広告塔」のごとくです。雇用主と同様の嘘や偽りを無反省に書き写すだけ。ここで、胸糞が悪くなるような話題に触れようとしたのは、たまたま国会中継なるものを観てしまい(魔が差したんだ)、陳腐さ加減の衝撃を喰らい、まるで白昼に悪夢を見るような不快千万の気分に襲われたからです。愚かしい「大将」が嘘を吐けば、もろもろ(下々)は右にならい、上にならう。矜持というものが捨て去られてしまった無法状態。様々な場面で想像のつかない悪影響を及ぼしていると思う。愚の感染力は凄いんだ。

 ぼくが驚いたのは、とっくに「代替わり」しているにちがいないと早とちりした「某君」が同じ顔をし、同じ口から自己保身だけの御託を並べ立てていたことでした。恥も外聞もないとはこのざまを言う。いまから七年前でしたか、ぼくは頼まれて小さな雑文をどこかに書いた記憶があります。前回は不本意な「疾病」のために辞めたけど、今度は満を持し、あるいは捲土重来を期しての登壇だから侮れない、と。相当に作戦を練ってきたはずだから、「おのおの方十分に気をつけよ」という意味のことを書いた。もちろん、ご本人は小心で無能、だからか、自己肥大の宣伝ばかりにはたけている。その上「不誠実」のレヴェルは抜群だとぼくは感じていました。実がないというか、心がこもらないことおびただしいという謂です。これに有象無象が取り憑いたというのがこの劣等の政治状況でした。時を得たな。

 虚言癖(すでに性情ですな)がいまなお継続していたのを目の当たりにして驚愕した。嘘八百の言辞を並べるその神経たるや勲章(大勲位か)ものです。ぼくはうかつにも「そっくりさん」かと錯覚したほどです。この島でこんなことが延々とつづいていたというだけで、ぼくはすっかり悄気た。たまにはテレビの電源をいれるものだとも思った。こんな手合いが年間100兆からの予算を勝手放題にドブに捨てるようにして無駄遣いしていたのか(彼は傀儡だが)と考えると、悄気てもいられず、テレビを消しても存在は消えないという理不尽さに途方にくれかかっていた。糠に釘、暖簾に手押しというが、「そんなことは無駄だからよしな」という戒めではない、無駄かもしれないが、釘は打ち続け、手押しは続けなければならないといいたいのです。眉間に五寸釘ではありません。糠です、糠に釘。まるで糠じゃありませんか。「糠喜び」とはなんだか。この劣等の「大将」は糠であり、「暖簾」なんだというだけでは足りない。即刻お払い箱に、暖簾を下ろす時期が来た、今こそです。それを念じてやまない。

 この駄文の主題は「不誠実」とは、です。以下の引用には解説も解釈も不要でしょう。

 「…はっきりした言葉の敵は不誠実である。人が不誠実であって、自分の実際の目標を隠そうとする時、その人は本能的に長い言葉や決まり文句を次から次へと繰り出すのだ。普通の人間が自分たちの使っている普通の言葉ではっきりものをいう習慣を保とうと努力する時、その社会の政治の水準は、ある程度に保たれる。ここには、だれでもできる重大な政治的行動があり、…」(鶴見俊輔「オーウェルの政治思想」)

Billy Mayhew 詞・曲 1936年ーPatti Page,Billy holiday, Tony Bennetなどの歌声が今も耳に聞こえてきます。「嘘は罪」

 「バカも休み休み言え」と諫言する同士や手下がいないのはわかります。それは「天に唾」の所業だからです。俗耳にもよく入ってきた「嘘も方便」とは「嘘は罪悪ではあるが、よい結果を得る手段として時には必要であるということ」(デジタル大辞泉)とありますが、おのれだけにとって「よい結果」を得るためのウソであり、民衆には最悪の愚行でしかない。「不誠実」を感受(自覚)できないのが「小山の大将」です。自分を大きく、でっかく見せようとする算段が講じるとこういうバカみたいなおっさん(俗物)になるという見本・手本です。「一蓮托生」とはもと仏説の言。「よい行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮の花の上に身を託し生まれ変わること。転じて、事の善悪にかかわらず仲間として行動や運命をともにすること。▽もと仏教語」(デジタル大辞泉)この国の「中央議会」の先生たちはまさしく「一蓮托生」の愚連隊か、「与」も「野」も同じ空気をつねに吸っているのだから、仲間互助の意識が生まれないはずがない。そうでないなら、この「嘘」に凝り固まった御仁(痴れ者)がここまでナントカの椅子にしがみ続けるわけにはいかなかったから。おそらくは美しい「惻隠の情」がはたらいたにちがいない。アナ恐ロシア。

 「私は、このようにおもう。たとえまちがったことをしても、私には彼ら国家指導者ほどの悪をなしえない、ということです。繰り返しますが、どんなに私が悪いことをしても、かれらほど悪いことはなしえない。それを私は自信をもって言いきることができる。ここに、私と国家指導者との重大は違いがひそんでいるようにおもう。(略)」(以下の引用はいずれも鶴見俊輔「国家と私」より) 

 おそらく鶴見さんは「戦争」を起こし、戦時を指導した軍人・政治家を第一義(念頭)にこの文章を書かれたにちがいない。「戦時」であれ、「平時」であれ、国家指導者はぼくらとはけた違いの「悪」をはたらくとぼくはいいたい。同じ犯罪であっても、彼らははるかに罪が重いのは当然じゃないですか。刑法では量刑は同等でも、やはり罪の軽重は疑えないとぼくには思われるのです。その理由は(?)鼻たれ小僧(今は絶滅種か)が嘘をつくのと「大将が」嘘を吐くのは同罪ですか。嘘に変わりはないけれど、ね。

 「私たちは国家指導者ほどの悪をなしえないということの故に、私たちのほうが倫理的に優位に立っている。そのことによって私たちは、自由に国家指導者を批判できる立場にいる。ところが、やはり心の底のほうにあるわだかまりによるものか、その信念があとで簡単にひっくり返ってしまうことがある。結局、国家指導者の方が偉いのではないかといった漠然たるものが私のこころのそこにあると、危ない。」(同上)

 鶴見さんの文章がいつ書かれたか。時代の状況や背景は今日とはことなるのは言うまでもないが、人情は「紙風船」であることに変わりがないようにも思われます。損得が判断の基準になって何が悪いという、その心根が救い難いんだ。「義理が廃れば、この世は病み(闇)だ」(「人生劇場」令和版)

 「私は国家指導者ほどの悪をなしえない。したがって、その点において私のほうが国家の指導者よりも優位にあるという自信ーそれを忘れないでいたいと、私は考えます。」(同上)

 目が覚めたら、「大将」が変わっていたという発見(正夢)を夢想する。このままでは百害あって一利なしです。かような事態が永続するのは、愚弄しながらでも「大将」を弄ぶほうが、おのれの身になるとほくそ笑む輩(一連)(取り巻き)(サクラ・サクラ)が五万といるからだ。後は誰でもいいとはいわないし、いくらなんでも現「大将」よりはマシだろうという甘い考えは止した方がいい。「同じ穴の狢」ばかりだから。(むじなさんごめんなさい。「わたしは人間ほど質は悪くない」といわれるのはごもっとも)現状は「政治不信」などと洒落たことをぬかす水準に達していないのだから、「有象無象」に身を任せるな、自分の足で立て、ふりかかる火の粉はたたき潰せというだけです。この方面のウイルスの方が質が悪い、悪すぎるし、感染力もやわじゃなさそうです。ワクチンはない。歴史に学ぶだけです。その上で、「個人的自衛権」の着実な行使を心掛けるべし。「帝力何有於我哉」(なにが政治家だよ、服は着てから歩け、寝言は寝てから言え)

 言葉を弄するものは、おのれをも弄するにちがいない。(ぼくは厳に戒めている。たとえ雑文・駄文といえども言葉だから)嘘は嘘でしか向き合えない。嘘で塗り固める防御癖化した「御大将」。ここまで来てしまって、少しは困っているのだろうか。ナントカの面にナントカ、かもしれません。「嘘つきは泥棒の始まり」ならば、島国では「泥棒が大将」なんだね。世界に冠たる虚言王かな。こんな言葉が出てきました。「冠履倒易」その意味はいかが(?)上下が逆、ということか。一日も早く辞めてくれといいたい。それこそがなしうる最大の「社会貢献」ですから。(いっても詮ない千鳥かあ)(雑文にもならぬ)もうこんな手合いに関する駄文は書きたくないね。(「春よ来い来い。ウグイスよ啼け、啼いてくれ」)

「勇気あることば」

 念仏して、地獄におちたりとも、

 さらに後悔すべからずさふらふ 

            ―親鸞 

 親鸞晩年、京にいるころ、かつて教化した関東の門人たちが念仏してはたして往生できるかと、根本義に疑念を感じてはるばるたずねてきた。その様子が〝歎異抄〟冒頭のうしおの鳴りうねるような名文のなかに出ている。

「おのおの、十余カ国の境をこゑて、身命をかへりみずして、訪ね来たらしめ給ふ御こころざし、ひとへに、往生極楽のみちを、問ひ聞かんがためなり」

 と親鸞は、まずその労をねぎらい、しかしながら、という。おそらく念仏の奥義秘伝などを親鸞は知っていると期待されてのことであろう。それならば大いにまちがいである。親鸞はなにも知らぬ。ただ一つのことを知っている。

 親鸞はいう。親鸞においてはただ念仏して弥陀にたすけられ参らすべし、という一事をよきひと(崇敬する師匠・法然)のおことばどおりに信じているだけである。そのほか、なんのしさいも別儀もない。  

 さらにいう。念仏すれば本当に浄土にうまれるのか、それとも逆に地獄におちてしまうのか、総じて親鸞は存ぜぬ。しかしながらたとえ先師法然上人にすかされ(だまされ)、そのため「念仏して、地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」。

 考えてもみよ、と親鸞はいう。弥陀の本願が真理であれば釈尊のご教説はうそではないであろう。釈尊のご教説がまことならば善導(中国における浄土教の祖)の御解釈は虚言ではあるまい。善導が虚言でなければ法然のおおせ、そらごとではあるまい。法然のおおせまことならば、親鸞が申すことまた空しかるべからず。

 宗教は理解ではない。信ずるという手きびしい傾斜からはじまらねばならない。その信ずるという人間の作用についてこれほど剛胆な態度と明解なことばを吐いた人間は、類がないであろう。

 しかも親鸞はいう。この上はおのおのの、念仏を信じようとも捨てようとも、おのおのの一存にされよー信とはそういうものであろう。             

さらに親鸞はいう。

「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」

 信仰はおのれ一念の問題であり、弟子など持てようはずがない。教団も興さず、寺ももたぬ。なぜならば弥陀の本願にすがり奉って念仏申すこと、ひとえに親鸞ひとりが救われたいがためである。

 右のようなことばの根源である親鸞の勇気は、かれがかれ自身を「しょせんは地獄必定の極悪人」と見、自分を否定し、否定に否定をかさねてついに否定の底にへたりこんだ不動心のなかから噴き出てきたものであろう。(昭和42年5月)『司馬遼太郎が考えたこと 3」、新潮文庫。2005年)

「散る桜 残る桜も散る桜」(良寛)

 いきなり結論が出てしまったような成り行きです。ぼくは若いころから司馬さん(1923-1996)を読み続けてきました。とにかく面白いからです。ぼくのいう「雑談(ぞうだん)」そのものが活字になっているという驚きと感心の両方がぼくの中に生まれていました。それと彼が関西(兵庫)出身だったことが、彼の文学や随筆にも、ぼくの司馬好みにもおおきな役割を果たしたと思う。

 たった一度だけ、司馬さんに会った、というより、一瞬のうちにすれちがったことがありました。たぶんぼくの25歳前後の頃でした。用事があって西武線の大泉学園に行った際、訪問先に着く直前に、狭い道路で司馬さん一行(おそらく編集関係者が2、3人いたと思う)と鉢合わせしたのです。まさにencounterです。どちらかが譲らなければ先に進めないような状況でした。すぐに司馬さんだとぼくはわかりました。(白毛でしたから)ここで声をかけるわけにもいかず、数秒間顔を見合わせて、やおら行き過ぎたのでした。たったそれだけ。後から思い合せて、司馬さんは当時大泉に住んでおられた五味康祐氏(1921-1980)のところに行かれた帰りだったのか、と気づきました。五味さんは『柳生武芸帳』で知られた剣豪小説の大家。私生活の部分でも世間を賑わせた方でした。また異常なほどの音響機器マニアで、大きなスピーカーの前にバスタオルをつるし、レコードの低音部を最大にしては「どうだ、震えただろ」などというバカげた逸話が残されています。小説よりもこの方面の五味さんに興味を持ったことがありました。音楽ではなく音響(機械)に、です。

 後年になりますか、この近所に藤澤周平氏((1927-1997)も居住され、数えきれないほどの作品を残されました。彼をもまたぼくは最後まで追っかけた作家で、全集はいうまでもなく、ほとんどすべての単行本や文庫本を今でも所持しているほどです。(バカみたい)藤澤さんは山形師範学校を出て、小学校の教師をされますが、胸(肺結核)を病み、療養のために上京。清瀬の結核療養所に長期だったか入院されました。この間の、言いようのない苦悩や葛藤が後の藤澤文学の骨格になったのではなかったか。教師時代の彼にぼくは興味を持ち、少しばかり調べたことがありました。今は遠い昔の物語となりましたが。『やまびこ学校』の無著成恭さんと同窓(数年先輩格)だったと思います。

 親鸞に戻ります。

「煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おはせさふらひき」

「教行信証」のi一部分

 いわゆる「悪人正機」説とされる、もっとも多くの人士の関心を引いた箇所であり、同時につまずきの石になったところであります。「善人だって極楽に行けるのだから、悪人が往生極楽するのは当たり前ではないか」と親鸞はいうのです。その悪人こそ、だれあろうこの親鸞であって、ひたすら念仏を唱えるのも、わが身が救われたいがためだとにべ(鰾膠)もないことをいうのです。誰かのためになる、誰かを救うためなどという嘘偽りを彼は断じて否定したのです。自分を棚に上げて、悪人諸君、民衆よなどと人民を睥睨する(見下す)俗にまみれて俗を軽侮したつもりでいる悪人坊主(「悪人」という自覚はまったくなかったでしょう)の臭気は親鸞にはみじんもなかったとぼくには思われます。宗教宗派の破壊者・親鸞の真骨頂だったとぼくは一人でうなずくのだ。

 明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは(宗教破壊者の「宗教」?)

善人なをもて往生をとぐ

 ぼくは真宗派はではない。わが家にも宗派はなさそうです。だがお墓だけは京都にあります。菩提寺というのか、菩提所というものがあるんですね。嵯峨は広沢の池そばのH寺(真言宗・空海さん一統)で、これは親父が亡くなったときにおふくろが案配して墓所を購入したからで、この寺の門徒(?)ではありません。「会員」かな。今は亡き両親が仏としておさまっています。この寺は古くて、十世紀末の創建とされる。この寺よりも少し東南方面の御室にある仁和寺派の一員です。仁和寺は吉田兼好さんにも親しいお寺でした。ぼくの通った学校の区域内にあったのでよく境内や裏山に遊んだものです。ぼくは学校よりもよほど野外好きで、暇に任せて近隣の山川を逍遥(だって)したのをいまにして想いだしています。

広沢の池。少年の頃、ここで泳いだものです。背後の山が寺の所領でした。

 ぼくは数年に一度墓参りに訪れる以外は寺に足を運びません。先代の住職はぼくたちの中学校の国語教師でした。二人の姉の担任でもありました。現住職はぼくの弟と同期らしく、麻雀の卓を囲んだそうです。何かあるとスーパーカブにヘルメットといういでたちでお経をあげに来られます。ぼくは「信心」というものをお寺さんにほとんど感じたことがないですね。住職のせいではない。

 ぼくはどういう背景があるのか、親鸞さんにはわりと早くから親しむというか、耳慣れていました。親戚の多くが門徒で、お葬式にはかならず親鸞さんの「遺言」(御文章)を聞かされたりしたからです。でも坊さんが語る親鸞の「お経」(仏説阿弥陀経)や「ことば」をありがたいと聞いたことも感じたこともない。分かって唱えてるんだろうか、といつも不信の念に満たされていました。

 第一、ぼくは寺が嫌いだ。島国に存在するほとんどの寺が「葬式」だけを生業にしているからです。その俗業(葬式仏教と呼ばれる)を離れて、ひたすら回向や礼拝に勤しんでいる坊さんたちもいるのでしょうが、なかなか出会うのはむずかしいようです。ちなみにおふくろの実家は能登にあり、一向宗派でしたが、日蓮さんの一派も元気でした。だから、これも「習わぬ経」を読むではありませんけれど、日蓮には親しんでいました。生意気に『立正安国論』なども読んでいましたよ。信者の集まりはいかにも騒々しいですね。何派にせよ、ぼくは「いかれる」のはいやでした。

 ここにだれでもが手にする『歎異抄』をだしたのはなにか深いわけがあってのことではありません。暇にまかせて「読み書きした」ときの親鸞に関するメモが出てきたので、少しはほこりを払って手を合わせようじゃないかという程度の「仏心」(邪心)を起こしたまでです。面倒なのでぼくはほとんど読んではいませんが、『歎異抄』の解説・読解の類は無数といっていいほど存在し、その気にさえなれば今でも読むことができそうです。明治以降だけでもちょっとした図書館ができるのじゃないかと思うほどに多くの人が書き、それを上回る人によって読み継がれてきました。その理由はなにか、ぼくには答えられませんが、まあこの列島の親鸞好きたちはまるで親鸞の弟子であるかのごとくに、唯円坊に自分を重ねて親鸞の祖述を自己流に実践してみようと(読み書き)したのかもしれません。

 現にぼくの手元にも十冊ばかり「歎異抄」の解釈本があります。探せばもっとありそうです。今はその中の数冊をいじりながら、「悪人」「善人」「往生」「阿弥陀」などなどのカギになるようなことばを手がかりにして親鸞入門のとば口に立とうという心算なんです。「悪人」とはだれか。「(決まってるじゃん)それはお前だ」という声がしきりにします。「悪人である自分」が「往生とぐ」というのですから、はて、いかにしてと、と問わざるを得ないわけです。親鸞いうところの「悪人」は半端じゃないようですね。生きている人間(衆生)はことごとく「悪人」だというのですから。

 「善人なをもて往生とぐ、いはんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。」 

 良寛さんの次は親鸞さんです。いくら「自撮り」「地堀」とはいえ、無謀も無謀、まるで犯罪に等しいぞ。親鸞というお方は「上人」ではなく「聖人」でした。(いずれも「しょうにん」と読みます)彼の師にあたる法然は「上人」と称されているのに、親鸞に対しては「聖」なる人とされたのはどうしてか。彼は自らをして「愚禿親鸞」とまで称していました。それは謙遜などではなく、心底からおのれは「愚」であるという確信をいだいていたにちがいない。先に触れた良寛さんの号は「大愚」でした。気取りや酔狂ではなく、真実、おのれは大バカ者であるという自信があってのことだったと思います。賢と愚、どっちを取る。若い時は「賢」さ。でも今じゃ「愚」っとくるね。ぼくは偏愚だと自認しています。

 つまらない理屈はともかく、ぼくはまるで気力も体力もなく、もっとも肝心の「知力」「地力」もなくて、南北両アルプスに聳え立つもろもろの高峰を普段着で登攀しようなどという無謀を犯そうとしている、浅はかな所業を仕出かそうとしている、その自覚ははっきりとあります。きっと登り切れない、かならず途中で遭難する、あるいは、悪くすれば下山さえおぼつかないという悲惨な結果を予感しないわけではないんです。「しかれども、自力のこころひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」という、この聖人の言葉(人を誑かすんだね)にすがりながら、煽てられながらの暗中模索であり、嚢中無銭の奇行をはたそうと、狂気の沙汰に及ぼうとしているのです。止めるのはいつだ、今でしょ。(「煩悩具足」のわれ)