注意しなさい

《私たちは、両親や小学校の先生から「注意しなさい」(Pay Attention !)と言われて育つ。子供の頃より、この同じ言葉を強くあるいは優しく命じられながら、大人になっていく。やがては慣れて聞き流すようになるかもしれない。だが、人生においてこれは非常に大事なことである。なぜなら、注意を払うとは、心のエネルギーをどう使うかということであり、このエネルギーの使い方の如何が、自らをどのような自己へと育てるのか、どのような人間になることを学ぶのかを決めるからである》(ベラ―他著『善い社会』みすず書房、2000年刊)

 アメリカの社会学者たちが「善い社会とは」どんな社会のことだろうと、と数人がかりで著わしたのがこの書物です。ぼくは再読三読に及んだ記憶があります。もちろんことはコメ国の話ですから、この島にただちに適応できるものではないのは当然です。ぼくがなるほどと思ったのは、「引用」部分でした。「注意しなさい」(原文は Pay Attention !)ほとんどの人は「注意する」のは他の人に対してだと思っているでしょう。それでまちがいなさそうですが、ぼくはそうじゃないと考えているのです。ベラーたちも「注意しなさい」というのは親や教師からだが、この「注意する」対象は「自分にに対して」なんですよ。

 「(自分に対して)注意せよ」というわけです。親や教師が子どもや生徒に何かを言うのは「注意」ではなく「文句」だったり「命令」だったするのがほとんどじゃないです。どんなに大事なことを言われも、不注意だったらどうなりますか。結局は自分に「注意深く」ならなければ、すべてがご破算になるでしょう。「注意」に対して「不注意」でうけとめるのが大半でしょ。

 十年にはならないかもしれませんが、後輩(県の教委にいました)に頼まれて、ある高校に呼ばれたことがあります。再編(新設)された公立学校でした。教職員に何か話をせよというので、真夏の猛暑のさなか(たしかお盆の十五日だった)、三浦半島の西側にあった学校に出向いた。五十人ほどの教職員がいたと思います。校内研修の一環だというお話でしたが、ぼくに話せとは勇気があるなと思った、その後輩はその数年後に自死された。

 ぼくは例によって無駄話に終始しました。話したポイントはただ一つ、教師も生徒も「自分に注意深くなろう」でした。さらには、「注意はだれかにするものだと思われているでしょうが、それはまちがい」「自分にこそ注意しなければならない」と。制限時間が来たので急いで席を立って「呑み屋」に駆けつけようとしたら、その浅ましさを見破られたのか、終了宣言を阻止するかの如くに、一人の教員が質問されました。きっと来るだろうと予測していたし、また、そうでなければ「面白くねえ」とぼくは読んでいたから、べつに驚かなかった。「いまあなたは、注意は人にするものではないといわれたが、われわれは毎日のように生徒たちに注意している、だからあなたの話には納得がいかない」というのです。呑みたい一心で、答えは自分で考えてほしいですね。本日はこれまでと、部屋を出てしまいました。自分で考えてよ、めんどうな。

 後日談です。研修会なるものが終わって間もなしに、別の友人(県立高校の校長をされた方)から速達便が届いた。「呑み代を返せ」とでもいってきたのかと開封すると、次のような顛末が書いてありました。ぼくに質問した教員が、会を終えて帰宅するために学校から200メートルほど離れたバス停に急いだ。校門を出たところで、バスが来るのが見えた。それを逃すと待ち時間がかかる。あわてて駆けつけ飛び乗ろうとした瞬間、石につまずき転んでしまった。その拍子に口のあたりを強打(地面で)して「前歯が二本折れてしまった」。「注意は自分にするものだ」ということが痛いほどわかった、この前の人間(ぼく)によろしく伝えてくれと頼まれたそうです。

 他人にするのは「命令」「小言」「文句」などのたぐいで、けっして「注意」ではなさそうです。「気をつけて下さい」「風邪をひかないでね」「勉強しろよ」などというのは注意じゃない。忠告だったり、催促だったり、助言だったりするのです。いかに重要な話(忠告)をされても、それを受け取る側が無関心だったり無視したらどうなりますか。「自分に注意しなさい」と自分にいつでも言えることが肝心なんじゃありませんか。

 これまでの長い生活の連続でぼくが犯した失敗やまちがいのほとんどすべては「不注意」から生じたものです。階段から転び落ちるのも不注意、下手をすればいのちとりになります。不注意から不幸になる例はいくらでもある。避けられる不幸はさける、注意するというカネのかからない方法で。不幸になりたい人間はいないのだから、「注意せよ、自分」といえる態度を育てることは、あらゆる教育の根底になければならないですね。わがまま、いじわる、ねたみ、自己卑下…。すべては「注意力が足りない」状態から生まれるのです。あわててしまって 35×7=235 とまちがえるのと、信号を見落として車で誰かに怪我をさせるというまちがいは同じ根っこを持ちます。自分を制御する働きがなかったからです。あらゆる勉強も子どもの性格を鍛える(自制する力・注意力)ための手段だととらえる必要がありそうです。ぼくはこんな姿勢で子どもたちとつきあってきました。

津軽弁です

 だから、ぼくは「注意するとは自分に対する期待だ」と言いつづけてきました。こんなつまらないことに腹を立ててどうする、君はそんなところでうろうろする人じゃないよ、と自分に向かって励ませるる人になりたいと願いつづけてきました。幼児や児童ではそれは簡単じゃないと思うから、教師がそばにいるんでしょ。怒ったり、脅したりするための対象じゃないね。高まれよ、○○くんと、ひそかだけれど強い期待をもってつきあえる人が教師なんだと思うよ。点数を上げるのは教師の仕事とみなすのは下の下。子どものためなどといいながら、じつはおのれを高く評価してもらうために子どもや教育を利用するのは、下の下の下。自分にとって最良の教師は自分だろうと思う、ちがいますか。

 別にややこしい話をしているのではない。もし分かりづらいなら、ぼくの雑文のせいで、お詫びします。「もっと明確な文を書けよ、自分」かな。どこかの教師はこの事情を納得するのに転んで前歯二本折りました。痛くも高くもつきました。こんな経験が身になるんでしょうね。経験から学ぶ。「注意一秒、怪我一生」は交通事故対策だけのもではない。(泣くでねえ、泣き虫のわれ!)

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信じる権利について

 

 私は、あなたの信じていることがまちがいだと信じる権利をもつ。あなたには私がまちがっているように思えるとしても、私はまちがう権利をもつし、その権利をゆずりわたすことはできない。(ホウレィス・カレン 1882-1974)

 カレンはドイツ生まれのユダヤ人哲学者。長くアメリカのいくつかの大学で哲学を教授した人です。彼については不勉強でほとんどぼくは知るところがありません。九十を超えて生きられたから、大変な長寿でした。上に引いた言葉は何かの折に書き留めておいたものです。ちょっと前に「まちがう権利」などということをことさらに述べる機会をもったので、「信じる権利」に関しても雑文をしたためてみようか、と気迷いをおこしたわけです。なに、いつも通りで、大したことは言えません。ユダヤ人哲学者でいうと、ブーバーを想起します。ていねいに読んだ記憶がその内容とともに蘇ってくるようです。『我と汝』などです。

 哲学や思想は、当の人間の感情の裏打ちがないと作文、理屈でしかなくなります。哲学研究をする人はたくさんいます。けれども、これぞ哲学者といえる人はまずいないとぼくは思っています。ひょっとすると、どこにでも存在している・いたにちがいないんでしょうね。ぼくの目が曇っているから見えないんだと思います。歴史の真ん中にも、また歴史の彼方にもたくさんいたのではないかという気もします。歴史を学ぶ意味はそんな人に出会う機会を求めるからじゃないかといいたいですね。営々と重ねられた経験こそが、その人の哲学や思想の錘(おもり)となるような気もします。(だからぼくなどは、とてもとても哲学なんて語る力も資格もないのです)

 信じる権利とまちがえる権利。この二つはだれにも備わっていると認めなければ、何事も始まらない性質のものです。「平等」や「自由」なども同じです。「権利」ということについてその根拠は何かといえば、それほど明確なものではないというほかありません。ここに石があるでしょう、と手でも目でも確認できますが、「権利」はそうじゃない。そんなものはないよ、といわれればそれまで。人命は地球よりも重いといくらいったところで、だれかれに「いのちを尊重する」受け皿ですか、その用意がなければ、それはつねに風前の灯火でしょう。消えかかるろうそくの炎のような、危ういいのちはいたるところに見られます。潰え去ってしまういのちも数限りなくあります。

千葉地裁法廷

 昨日でしたか、千葉地裁で自分の娘を虐待死させた父親の裁判が行われていました。事件発生以来一年二か月ほど経過しましたが、その間父親に虐待された女児が、最後の望みともとれる、通っていた学校教師に訴えた文章も公開されています。母親はすでにわが子を救うための気力も体力も夫から奪われていたとされます。法廷で当の女児の祖母や妹が、「Yちゃんを返して」と叫ぶ声が鳴り響いたと報道で出ていました。「許せ、家族に入れろ」と親に訴える声が法廷に聞こえたそうです。それをこの父親はどういう気持ちでカメラを回していたのか。「生きる権利」「教育を受ける権利」と憲法に謳われたところで、子どものその権利を保障(死守)する親や行政の保証がなければ、絵に描いた餅にもならないのは当然です。それにしても、と思う。

 虐待死、心愛さん「毎日が地獄」 千葉地裁公判で母が証言

《千葉県野田市立小4年の栗原心愛さん=当時(10)=を虐待し死なせたとして、傷害致死罪などに問われた父勇一郎被告(42)の裁判員裁判公判が26日、千葉地裁(前田巌裁判長)で開かれた。心愛さんの母(33)は、2017年7月に沖縄県から千葉県に引っ越した直後の生活について心愛さんから「『毎日が地獄だった』と言われた」と証言した。

 心愛さんと被告は先に野田市に転居し、母は同年9月ごろから同居。その間の生活について母が心愛さんに尋ねると「夜中パパに起こされたり立たされたりした。妹の世話をしろとも言われた」などと話したという。》(共同通信・2020/02/26 12:43)

 与太話です。もう何年も前に、ぼくはこの「教育を受ける権利」について意見を述べよと国会(衆議院憲法調査会)というもっとも忌み嫌う場所に出向きました。ぼくの友人の口添え(依頼)でした。(言下に)断ればよかったのですが、これも「魔が差したのか」出かけてしまいました。人がまちがえるときは、きっと「魔が差し」ますね。(行かないのが「正解」だったと、その時も今も思っています)人間は「まちがえる存在」だ。でも、このぼくのまちがいは権利ではなく、ぼくの「不注意からのまちがい」でした。後悔、後悔。「後悔を先に立たして後から見れば、杖を突いたり転んだり」というのは志ん生師匠です。案にたがわず、いやなところでしたね、ぼくには。

 いまはその話ではない。「信じる権利」です。権利が権利として価値があるのは、それを認める「義務」が履行されるからです。さきほどの「教育を受ける(子どもの)権利」もそれを保障する親や行政の「義務」が明らかに先行しなければどうにもしようがないでしょう。「信じる権利」で最初に想いだすのは「信教の自由」で、この価値は広く普及しています。だが、ここでカレン氏が言及したのはもっと別次元といっていいか、私人間的(表現は適切じゃありませんが)なものだと思われます。

 あなたが言うことは正しい、と「信じる」「信じない」自由ということでしょう。「神に誓って、自分の言うことは正しい」というあなたの言を信じないというのも、一つの権利なんだというのです。これはどうですか。ぼくはあなたの意見に賛成はしない。でもあなたに対する敬意は失わないでいる。異説には反対もあれば賛成もある、でも異説を表明する人に対する敬意はなくならない、こんな対人関係こそが求められるのではないですか。たがいを尊重するというのは、敬意をもって相対するという意味だとぼくは考えています。それがなくなれば、集団(社会)は異常な緊張をつねに持つのではないでしょうか。あるいは敵対関係が生まれるかもしれない。こんな事例は日常生活でしばしば経験するところでしょう。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ではあまりにも寂しい。 

 教育に寄せて、これを考えるとどうなりますか。行政が学校設備を整え、教師集団をそろえ、教科書等の条件を整備する「義務」をはたす。そのうえで、「保護する子女」の教育を享受する権利を実現するための親たちの「義務」が求められるのです。権利と義務の両面がそなわらなけれならないのはいうまでもないことです。「子どもの権利」は「親の義務」があってはじめて尊重されるのです。これが義務教育の根底を支えている。

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 今この瞬間に、この島でも新型ウィルスの感染問題が緊迫した状態に置かれているのが身に迫って感じられます。「国民の生命・財産」を守るべき主体がまじめさを欠いたままで、口先だけの言葉遊びで、それをごまかそうとしても、ぼくたちがさらされている危機は消えない。許せないことだらけの政府をはじめとする政治家への不信の念は頂点に達しているにちがいない。

 おのれがやっていることに対する自覚があるのかないのか。「おのれ」がしかるべき地位にある人物ならなおさらに、この権利と義務の問題を真剣に受け止めるべきだというほかない。「最要路の御仁」は「責任」ということばを盛んに口にしてきたが、一度だって「責任を果たす」ということをしたことがないようです。「責任」を唱えればそれで「責任」が成就する(果たした)と思いこんでいる。この御仁には「責任」と釣り合うものがなんであるか、おそらくまったく無知(無恥)なんだ。無知ほど厚かましいものはないし、怖いものもない。責任と釣り合うもの、それは自由です。ある人が自由に判断し、それに基づいて行動したから、その人は責任を問われるのです。犬や猫には責任を問えないと思います。なぜなら、これはぼくの認識不足かもわかりませんが、犬猫には自分で判断し行動するという「自由」が認められない(とぼくは今のところはそのように考えている)からです。なにか問題が生じたら、飼い主が責任を問われる。この島の「裸の大将」に自由はあるか。議事堂内で、ひたすらかみさんを弁護・擁護・養護するばかりの「裸の大将」は自由なんだろうか。Power の虜となって、自らの欲望に縛られていないか。そんな輩に「君は自由である」とだれが証明できるのか。

 これを書いている今、刻々とウィルス感染の実体が報道されています。ぼくが住んでいる地域でも感染者が出ていますし、そのために学校に休校措置が取られるといわれます。「責任」を口にする以上は、それを果たすということが伴わなければなんの意味もない。「放置国」「法痴国」と揶揄したくなるのはぼくの軽薄の故ですが、それ(軽薄性)を認めたうえで、このようにして「責任」をはたしたという行動がとられないなら、なんとする。集会は禁止、通勤も禁止、不要な外出も禁止。その他。はたしてそれが可能かどうか。為政者がしばしば見せたこれまでの国民軽視や無視のツケがこれ以上われわれに回ってこないことを祈るだけです。(「信じる自由」については、さらに考察します)

まちがえる権利について

 今までどれくらいぼくはまちがいを犯してきたか。大きなまちがいから些細なまちがいまで数えきれないまちがいを重ねてきた。そう考えれば、ぼくという人間は「まちがいでなりたっている」といわなければならない。反対に、ぼくからまちがいを除いたら、いったい何が後に残るのか。

 まちがいには二通りあるように思います。第一は、個人が犯すまちがい。きっとこれはだれにも避けられないものでしょう。「私はまちがわない」という人はそれでまちがいを起こしています。「おれは嘘をついたことがない」という「嘘」を重ねるのに似ています。

 脱線します。「クレタ人はみな嘘つきである」とクレタ島出身の哲学者エピメニデスは言ったとされます。これは有名な「パラドックス」です。「すべてのクレタ人が嘘つきだと、クレタの人であるエピメニデスは言った」というのですが、この「すべて」にエピメニデスも入るから、「クレタ人はみな嘘つきだ、と嘘つき島の人エピメニデスは言った」という矛盾。じっさいには「自分を除いて」クレタ人はみんな嘘つきだと彼は言ったとされます。ぼくがよく引き合いに出す「みなさまの」N H Kという、「みなさま」にぼくは断じて入りたくないし、入れられたくない。だから「みなさまの」は嘘じゃないかともいえるでしょ。なんだ、つまらない。

 「人はみなまちがいを犯す」という言いかたも同様に誤解(まちがい)であり、まちがえない人もいるかもしれない、きっといるとぼくは考えています。幼児はどうか。赤ちゃんはどうか。そりゃあたりまえだよ。幼すぎてまちがいようがないよ。さらには…。赤ちゃんも幼児も人間ですよ。ならば、「人はみなまちがう」は正しくないことになる。理屈がへんてこになりましたが、要するに「たいていの人はまちがう」といえばいいだけです。ぼくもまちがう。あなたもまちがう。彼も、彼女も。ほとんどの人はまちがえる、と。ということは、まちがいは人間である証明じゃないですか。この「まちがいを犯す人間」こそが、親鸞が指摘するところの「悪人」なんだと思う。つまりはほとんどすべての人間。それに対して「まちがわない人」はいったいどこにいるのか。これまでに生きた人間の中でどれくらい(何人)いたか。それが「善人」というのでしょう。悪人正機説です。

 第二のまちがいは、集団としてのまちがいです。自分はまちがわないと誓い、それを実行することがあり得るとして、「自分はまちがっていない」と信じていても、自分が属している集団がまちがえることもまた否定できません。表現を変えて言えば、「個人」としては立派でも、それが「集団」になると信じられないことをする場合もあるんじゃないか。「日本人」という集団を例にとれば明らかになるはずです。「一人の日本人」は正しくても、「日本人という集団」が大きなまちがいを犯す。「ぼくは戦争に反対だ」という個人を「挙国一致」で「聖戦遂行」が呑み込んでしまった。その「過ち」の延長線上にぼくたちはいる。

 個人のまちがいに比べられないほど集団のまちがいの罪は大きい。

 ここでは個人(自分)のまちがいを考えてみたい。行為なり考えが「まちがっている」という自覚が働くか否か、それが問題でしょう。まちがいだと知りながら「まちがう」ことはいくらでもある。もちろん正しい(まちがっていない)と思いながら「まちがう」方がはるかに多いのはいうまでもない。どちらも「まちがい」だから、許せない、認めないというのではない態度で、ぼくは「まちがい」に向き合いたい。「人を殺すのはよくない」とまずだれでもが思う。だが、「かっとなって殺人」を犯してしまう人は後を絶たない。「飲酒運転はだめ」と知りながら止められないで事故を起こす人もなくならない。ぼくがここで「まちがえる権利」というのはそのような「不注意なまちがい」を認めようとするからではありません。

 場面を転回させます。学校という場所は「正しい答え」を詰めこむ「トランク」製造工場みたいですね。生徒は「トランク」(ではないといったのは、ホワイトヘッド)という芸名をつけられ、市場に売りにだされる。正解を知っているのは教師、それを受け入れるのが生徒の仕事。ある問題に「正解」は一つだけで、それを決めるのは教師です。〇か×か(正か誤か)。ニ択ですね。そこでは「まちがえる」ことはダメ、いけないこととされます。ぼくはまちがい人間でしたから、学校ではいけないこと、ダメなことばかりしていたことになります。ぼくにはまちがえる権利はみじんも認められていなかった。でも、それはぼくだけではなかったように思う。「勇気をもってまちがえ給え」という教師は皆無だった。

 反対に「正解」を受け入れるのは義務でした。いったいだれが「正解」を「正解」として決定するのか。ぼくには疑問だらけだったし、そこから学校や教師に対して不信の念が生まれた。年とともに不信感は育っていった。高校・大学と進むにつれて、一人でやんなくちゃという姿勢・態度が身につくようになりました。よくわからない大学への入学と同時に不信感は絶頂に達したと思う。どんな問題にも「正解」があるというのは「まちがい」だ。「これしか」正しくない、「これだけ」が正しいというのはどこかに不正があるように思われてきます。いくらだって、他の道(やり方)があるじゃないか、とは考えない。なぜか。いくつも正解があったら、「試験(テスト)」がなりたたないから。ということは、「試験およびその結果である成績・点数のため」に「正解」は一つという欺瞞がまかりとおっていることになる。恐ろしいことですよ。人間社会で「答えは一つだけ」などまずないでしょう。いくつあるかもわからない。「正解」とされたものが「不正解」になることだってあるでしょ。ここで「センス」の鵺(ぬえ)のような正体が見えてきます。「鬼畜米英」は「最良の友好国」になるみたいに。豹変するのは君子ばかりではなさそうです。

 「まちがえる」のは大切な「権利」だととらえたい。(「まちがい」そのものは権利じゃない)「まちがえるというプロセス」は思考の時間ですから、それを奪うとどうなるか。「まちがい」から探求が生まれる。まちがいは探求(学ぶこと)の母だか、父だか。要するに「親」だ。まちがいという「親」から「自立」(自信)という子が生まれる。まちがいのない人生があるとすれば、どんなものだろう。他人が用意した「正解」を受け入れるだけの生き方はつまらないと感じるし、だからぼくは拒否したい。まちがえることを恐れない。機械はまちがえるか。人間の操作の過ちや部品の故障はありますが、自分で判断して右を左ととりちがえないでしょう。言われたままに動くか動かないかだけです。まちがいを犯すのは人間だけだといいたい気がする。まちがいをするのは人間の証明じゃないかと、ぼくは経験してきた。「車は急に止まれない」というのも、車が止まるのではなく(人間が)車を止めるのでしょ。(もっとも、今では自動ブレーキなるものを装備した車が出現してきましたが)

 人と同じ道を歩くなら、ぼくはできるだけ遠回りする。「歩く」は「考える」なのだという幸田文さんのひそみにならうのですが、バイパスをさがすよりも、脇道を見つけて回り道をする。それがぼくの歩き方でした。いまも変わらない。漱石さんじゃないけれど、ぼくは道草派です。寄り道大好き人間です。勤め人時代は連日連夜の寄り道・道草三昧境でした。とにかく帰宅に時間がかかりました。ほとんどが終電(午前零時)でしたから。以来、「午前さま」との名乗りをあげた。

 だらだら話してますが、いいたいのは「学校を相対化する」必要性なんです。高校時代にぼくはよく早引きをしていました。教師から「今日もソータイカ」と皮肉られたのを思い出しました。「相対化」(相対= 他との関係の上に存在あるいは成立していること)(大辞泉)相対死ってのも。表と裏ではないが、二つがあってはじめて成り立つものがいくらもあります。教師だけでも生徒だけでも学校は成立しない。生徒がいるから教師の仕事が生まれると教師はあまり考えないんじゃないですか。

「絶対」ではないということです。唯我独尊とは無縁なんです、衆生の世界は。

 ぼくがいるから学校があるという関係です。相対(そうたい。または、あいたい)は対等・平等という意味ですね。ぼくにとって学校は、ぼくの上でもなければ下でもない。ぼくと相対。ボチボチまたは、、チョボチョボですね。学校が個人を圧倒して呑み込む、強制して個人に命令する、独断的に個人を抹消する(個人の言い分・存在を無視するという意)などというのは、いうまでもなく「権利の侵害」です。面倒なところに来てしまいましたが、学校は個人に対して「絶対的存在」じゃないという咄です。

 たしかに学校はあるが、おれ・わたしに命令する権限などあるものか、という姿勢。すこしヤンキー臭いけど、そういう態度は大事ですよ。自分を壊されてまで、学校に密着する・近づく必要なんかあるものですか。学校や教師と距離をとる。間合いですね、大事なのは。こういう学校観もまたぼくの「まちがえる権利」の行使から生まれました。ぼくの姿勢は多分まちがいだと取られるでしょう。それはわかるんです。この点において、だからぼくがは正しいというつもりもないんですね。正しい、まちがい、それもまた相対的なんですよ。学校とぼくとは五分五分なんだ。

 子どもの「まちがえる権利」を認めなければ、子どもはまず考えたり判断したりする点でじゅうぶんに育ち切らないということだけがぼくの言い分なんです。利口な子は要領がいい、要領の良さはどこから生まれるか。遠回りをしない(考えたり迷ったり悩んだりしない)からです。二点間の最短距離を見つける能力(「学力」→「偏差値」)にたけているんですよ。でも「正解」のない世界(場面)で生きるとなると辛いでしょうね。  「まちがえる」のは「正解」を鵜呑みにするよりはるかに貴重な人間(子ども)の成長の機会なんだ。それはだれによっても奪われてはならない。「悪くない、まちがっていない(変な表現ですが)まちがい」というのがありますね。まちがいから真が飛び出すような、ね。「まちがいのおかげ」とか。「瓢箪から駒」なんていうものの比じゃありません。

 「役に立つまちがい」とでも言いますか。「まちがってよかったというまちがい」です。この駄文が、そういうまちがいだといいな。(権利もいろいろね)

United by Emotion

 またぞろあちこちでOne Teamっていってるでしょ。United by Emotion ともいったようです。これを耳にしてたまげました。どういう意味なんだか。言いたいことはわからない。分かりそうで分からない。懲りない面々だなと思う。「コリル」というのがどんなことかわからないんだね。「懲りる」の万世一系はないものか。ぼくは万世一系の「ワンチーム」は忌み嫌うね。暴力の万世一系ってのもある、いまもつづいてるでしょう。ぼくはそのチームの一員なのか。「お前なんか、入れないよ」といわれるだろう。それにかかわりなく「金輪際、おれはつるまないんだ」除け者になるのがいつでも夢だったから。「おい、仲間になれよ」といわれると、ぼくは逃げ出していたね。

 日本人ならだれでも「オリンピック」大歓迎だと勝手に思いこむやつがいるから世話はないね。日本人なら、旗を振るのは当たり前だ、とくる。それは誤解ですね。日本人といっても五万といますから、五輪が好きもいれば嫌いもいる。「何、嫌いだと。そんなの日本人じゃねえよ」と思い込んだら命懸けだけど、思いが醒めるのも早いんですね。ぼくは嫌いだからといって、妨害はしない。

大会後、ここでぼくらは体育祭に参加させられた(1964/10)

 ぼくの好きな都々逸にこんなのがあります。ちと、直截(direct)すぎますけれど。島国に生まれたから、こうなるのは当然と勘違い・勘繰りをしないでほしい、というだけです。

 裸で寝たとて惚れたじゃないよ お前のしらみがうつるから

 United by Emotion を google 翻訳に訊ねると「感情によって結合」とあった。別に google 翻訳でなくてもそんなところ。これが五輪のスローガン(モットー)だというのです。ご臨終だね。やがて、この旗が列島狭しとはためかされるそうです。「感情によって結合」だからこそ、御免こうむりたいのだ。歌え踊れと旗を振るのは一向にかまわないんですけれど、どこかでやってほしいという「感情」をぼくはいだいている。「みんな結合」「みんな一つに」「一致団結」「一糸乱れず」とかならず吠えたくなるのもどうかと思います。「乱れる」やつは許さない、血祭りにあげてやれと迫りくる。明治以降の戦争ではさまざまな悍(おぞ)ましくも勇ましい標語(旗)が現れました。

 挙国一致、尽忠報国、堅忍不抜、八紘一宇、一億抜刀、一億玉砕、鬼畜米英、神州不滅(ぼくはこれが好きとは言いませんが、「神州」という命名に思い当たります)たしか吉川英治氏の小説のタイトルは『神州天馬侠』だったと記憶しています。内容はすっかり忘却の彼方へ。「信州」でも「真宗」でもなく、神の州(クニ)とは。(今どきの交通標語はこれら(戦時標語)とそっくりですね。「交通戦争」だからですか。例を挙げたいのですが、やめておきます。「注意一秒、怪我一生」)(???)

 あげれば際限がないほど無数にあるといえます。ここでは恥ずかしくて掲げられないのもあります。文部省を通じて児童生徒から募集したのも。「ほしがりません勝つまでは」はたしか小学生の女児の作で当選したが、後で親が応募したことが判明、何というのもありました。言葉が旗になるのではなく、とにかく旗にする一大勢力が働いたんですね。これは「ハタメイワク」だ。

 「日本人なら、ぜいたくは出来ない筈だ!」という標語(?)ですか。「「生めよ殖やせよ國のため」(「赤子」という語も使われました)というのも。「ただいま、戦争中ですよ」と言い返したいね。戦力・戦士になるにはまだ二十年先ということは、それくらい戦争を続けるってことですか、本気かいな。「少国民」というのがもてはやされました。「常在戦場」と選挙を控えた議員さんや候補者たちはいつもいいます。「戦い」好みなんですね。抗戦、もとい好戦派かな。

 「頑張れ!敵も必死だ」と。たしかに勝負だからそういいたいが、すでにアメリカは島国と戦争する前(あるいは直後)に「占領政策(計画)」を立てていました。勝ち負け以前の話でした。その一環で『菊と刀』(R.Benedict)は書かれた(発刊は1946年)。「恥の文化」という日本及び日本人理解。いわばアメリカ版「日本人論」です。一読を薦めますね。

 勇ましすぎて、空回りしてるのがいっぱいあります。「撃つんだ 勝つんだ 貯めるんだ」「勝つまで要るだけ 貯めるぞ貯蓄」これはどこの銀行の標語(?)、あっ日本(帝国)銀行だったか。「貯蓄は 兵器だ 弾丸だ」といって、カネがタマだった。そういっておいて、カネを巻き上げる算段でした。敗戦時は紙くずになっていました。

 意味不明なのが「「世界の敵だ 白旗たてても 許すな米英を」です。(戦時)国際法を無視していますね。この旗の下、「捕虜になっても、敵を憎め」ということでしょうか(怨念の勧め)。きりがないので最後にします。「屠(ほうむ)れ!米英我等の敵だ」と。そういった相手にしがみついてきた戦後75年。「戦後レジーム」を総決算するためと出てきたのが「現大将」じゃなかったんですか。それは「占領体制」の払しょく、新たな「被占領体制」の構築だったようです。まことに信用できないというのです。

 まるで「五輪」は戦争なんでしょうか。ある人たちにとっては、そうなんでしょう。腹の中では、ここに掲げた数多の「スローガン」が響き渡っているにちがいない。「鬼畜米英」とかね。(日本人なら、そうするんだ)ちょっとぼくはしばしでもずっとでも「日本人」をパスしたいですね。 「感情で団結・結合」だというのです。頭を冷やせ、寝言は寝てからといいたいですね。(「頭寒足熱」も標語です。医者か薬屋か作成者は)運動というか、スポーツは好きだし、自分でもいくつかの球技を楽しみました。だから、五輪は止してくださいというのではありません。どうぞおやりください。でもだれかれかまわずに旗振りに集え応援しろというのは御免こうむります。 

 現下のウィルス問題にかかわらせて、あるいは五輪開催はどうなんだという声が内外に生じてきました。要路の人たちには「口が裂けても言えない」ことがあるのでしょう。「集会禁止」は五輪中止を連想させますからね。ぼくは静かに猫と遊ぶか。桜開花も間もなくです。昔なじみの新宿御苑にはいかない。近間の人の来ないところで。世間ではほとんど知らない・知られていない「枝垂れ」(樹齢350年)が早くこいこいと、手招きをしているみたいです。ぼくは「サクラ」で「税金」は使わない。

コシヒカリは美味しいけれど

 いかにも唐突な話ですが、稲の品種(銘柄)の例を提示してある問題について考えてみたい。コメ問題はこの島の食糧事情の中核ですが、それはまた、わたしたちの生活範囲に生じる大きな問題の暗示ともなっています。「早寝、早起き、朝ご飯」(文科省推奨の標語だった)ラジオ体操は朝飯前、それとも後ですか(?)

 年齢のせいもありますが、あまりご飯を食べない。身近には一回でコメ三合だの五合を平らげる猛者がいます。驚きですね。ぼくは若い時からそれほど大食ではなかった。(大食い番組を見たことがありますが、反吐が出ました)その反対に、相当に長い間、飲酒(日本酒・原料はコメだ)量は少なくなかったと自分でも認める。(大呑み番組は見たことないが、たぶん反吐ははかない)学生時代から晩酌の悪習慣がありました。勤めだしてからは、必ずといっていいくらいに呑み屋詣で、一晩に五合多い時は一升程度を数十年続けていました。素面(しらふ)じゃ帰れなかったんじゃないですか。なんでやねん。すっかり忘れました。(?)

 なぜ飲酒癖に淫したのか、理由はいくつかあります。もっともおおきな誘因は「ストレス」解消だったと今では思います。気が弱い・恥ずかしがり、加えて小心者でしたから、人中では息がつまりそうになりました。(ぼくは今はまったく呑まない。やまのかみの言では「浴びるほど呑んでた」のに、数年前にピタットハウスじゃない、ピタッとやめました。タバコもそれ以前には一日に20本くらいの喫煙を(15くらいから(?)、曖昧ですが)数十年続けていましたが、酒を止めるより前にプッツンじゃなく、プッツリ止めました。原因とか理由がありそうですが、思い当たらない。しいて言えば、呑みたくない、吸いたくないという気分が作用したんだと考えています。無関心になったわけです。こだわらなくなったと言うこと。病気があったわけではない、いやわからない)

 コメの話です。毎日、夕食用にご飯を炊きますけど、なんと一回一合です。これで二食分。やまのかみと二人。(同じ釜の飯仲間だね)5キロのコメがどれくらいもちますか。いずれにしても小食なんです。なんでコメの話か。今では輸入米が相当入っているでしょう。これからもどんどん入る予定。いいことかどうか。(FTA発効の行方次第)例によってこの島の政府・官僚は隠蔽体質が半端じゃないので、正確にはわからない。ずいぶん昔から、官庁のデータを使ってはいましたが、けっして信用していなかった。それは今も同じです。例えば「不登校・登校拒否」に関しても、問題がいくつも含まれていました。定義、調査方法、発表時期や方法、その他さまざまな疑念があったので、ぼくはあくまでも参考例として使ってきました。ある時期に数値がガラッと変わるなんというのはしょっちゅうでした。今日はどうですか。

 官庁や政府が公文書やデータをやりたい放題に改竄、削除、隠蔽、偽作等々の不正を白昼堂々と長年にわたってやっていた、それが白日の下に明らかにされました。表面化しなかっただけで、かかる犯罪行為は持続されてきた。いまのゴミ内閣だけの犯罪ではなく、おそらくこの島に政府や官庁が作られてこの方(奈良時代以来)、一度だって行われなかったことはなさそうだと断言します。

 この島国が石油の輸入を一方的に依存していた米国と戦端を開き、あまたの犠牲を払った挙句、あえなく惨敗します。直後に霞が関官庁街では昼間から黒い煙がもうもうと立ったといわれました。当時の写真もあります。公文書(?)を一斉に償却したのです。戦争責任逃れのために証拠隠滅を図ったわけ。この体質はまず変わらない。文書は作れと法律に書かれるから作るが、都合が悪くなれば、やりたい放題。(放置国・法痴国と「変換」してぼくは泣いてるよ)今行われているのは、官僚・政治家の遺伝体質のしからしむるところです。これを断ち切るのは至難です。当人たちの遺伝子組み換えかなんぞを実行するほかないくらいに、あたりまえの手法では手に負えないとぼくは考えている。

(「大将」の体質は組み換え不能ですね。話すことが嘘であると衆人には明白なのに、当人は真実だと信じている風がある。ウソはホントと思いこむ人間がいるんだ、というウソのようなホントの騙り。ウソが固まって作られた存在。これに提灯を持つ輩ばかり、右から左から。こんな「大将」に虚仮にされてたまるかと、嘘八百を真顔で言い募る手下連中。(後ろを向いて舌を出しているね)それでたいまいの給料を稼ぐ。「小石が浮かんで木の葉が沈む」事態が現在 ing です。「わが身可愛や」はどこまで蔓延(はびこ)るのか。犠牲になるのは「正直者」だけ。ウィルス感染防御は個人的自衛権の行使のみです。

 話題を変えます。本題に戻ります。(ホントかよ)

 この国では明治のなかごろまでにおよそ4000を数える稲の品種が栽培されていたといわれます。それがここにきて、日本中が「コシヒカリ」とその一族に席巻されてしまった。(ヒカリご一統様の占領時代です)農水省の統計では2009年に日本全体の生産米のうちでコシヒカリはおよそ37%強を占めています(右表を参照)。名称が異なりますから、いかにも多品種のようにみえるのですが、じつはコシヒカリの同族種(ひとめぼれ・ヒノヒカリ・あきたこまち(の祖先は農林二二号)だけで栽培面積は全体の七割をこえているのです。同じ遺伝形質だけになると、そこから新しい品種は生みだせなくなる。いわゆる品種の退化はさけられないことはよく知られています。同族・同種だけという純粋集団はかならず滅びるのです。以下の引用を見ればこの傾向は続いていることが判明します。(人間動物も例外ではない)(二世や三世議員の跋扈は「政治劣化・道義腐敗」の象徴だよ)

●平成30年産うるち米(醸造用米、もち米を除く)において、全国で最も作付が多かった品種は「コシヒカリ」(作付割合35.0%)でした。2位は「ひとめぼれ」(同9.2%)、3位「ヒノヒカリ」(同8.6%)、4位「あきたこまち」(同6.8%)、5位「ななつぼし」(同3.4%)となり、上位5品種の順位の変動はありませんでした。(中略)
● 主食用米の作付割合上位10品種が全体に占める割合は73.1%(前年74.8
%)、上位20品種では82.6%(前年84.1%)でした。(平成31年4月11日 公益社団法人 米穀安定供給確保支援機構)

 社会生物学者のエドワード・0・ウィルソンは同じ問題を、他国の例をもとにして指摘しています。彼からは「アリの習性」をぼくは学びました。大胆な仮説を提示し、なにかと物議をかもしたこともあるようです。この分野においても、進化論、劣性遺伝、優生学などなど、いまなおダーウィンの傘の外に出るのはむずかしそうです。一方で遺伝子解読、ゲノム解析などの驚異的な「前進」により未知の問題から困難な挑戦を受けています。そのとき、われわれは何を根底(核心部)にすえて課題をとらえるべきなのか。答えは明らか。「経済(金)だよ」と大きな声が内外から聞こえる。それでいいのか、とかぼそい嘆きが遠くから響いているようです。ゲノム戦争は人間存在そのものにも及んでいます。

「…インドではもと三万種にものぼろうという変種のイネが農民によって栽培されていた。ところがその多様性はどんどん狭められ、西暦二〇〇五年にはイネの作付け面積の四分の三は一〇足らずの変種になってしまうかもしれないありさまである」

   「自然選択で作られた世界では、均一であることはすなわち脆弱であることを意味する。系統の純粋さは病気に対する抵抗力を弱め、一方広大な地域に単一種を隣接して栽培するのは、そうやって強力になった敵をわざわざ招いているようなものだ。年間通じた連続作付によってますます脆弱化したアジアの集合水田は、病気の急激な蔓延に対して無防備になっており、その結果、何百万という人々の生命の糧が脅かされることになる」(『生命の多様性』上下。大貫昌子・牧野俊一訳、岩波現代文庫。2004年)

 ウィルソン(同書)によれば、実際に、70年代にインドからインドネシアにかけて、矮化病ウィルスによって稲作農業は壊滅的な被害を被ったのです。そのとき国際イネ研究所が6273種からウィルスに抵抗力のある変種をたった一種だけみつけ、雑種を作ることに成功して危機を脱することができたそうです。

 人間の集団は自然選択で作られた世界ではないから、この「コメ」の話は妥当しないといわれるかもしれません。しかし、自然選択を人為選択に変えたから危機が発生したということを考えれば、けっしてそれはイネや動物世界だけのエピソードではないといえるでしょう。現今様々な悪影響が地球上にもたらされているとされる「地球温暖化」もまったく無関係の話題ではないと思う。「多様性(variety)」が声高に叫ばれるのは、逆に「同一性(conformity」が強烈であり、そのゆえに圧殺される人や圧殺されかかっている人が多いということです。地球上のいたるところで生み出されている「難民」の大量発生はぼくたちの日常生活とは無縁でないどころか、われわれの生活から派生しているのかもしれない。「大将」は「世界のリーダー」として「金」をグローバルにバラまいている。(あるFake大統領は「彼は打ち出の小槌」といった)その昔、フランスを訪問した「総理大臣」に向かって「トランジスタのセールスマン」と揶揄した当地のマスコミがありました。今はなんと罵られているのか。Faker or Fake Star(?)「美しい日本へ」どうする(?)(中途半端。また続けます)

笑いのちから(承前)

 おなじカズンズの文章の紹介。前回にあつかった病が癒え、無事に退院した後のエピソードです。そこに書かれていることはいまでも、わたしたちにとってきわめて示唆に富むものだと思われます。

 「私は自宅に医学生たちのグループを呼んで話をする夕べの会をもつことにした。(中略)」

 「この夕べの会で意見を交わした医学生のなかには、病気が起きるときにも、あるいは治療戦略が成功するときにも、心理学的因子がなんらかの役割を果たしているという考えについて懐疑的な態度を示す者もいた。彼らは、たとえば精密検査である細菌が発見されたとすると、対処方法は簡単明瞭、しかるべき抗生物質をしかるべく処方すればいい、と信じきっているような傾向にあったのだ。彼らはきっかりと正しい答が与えられるように仕組まれた、テクノロジーという新世界の住人だった。テクノロジーは互いにぴったりかみ合うような精密な数字をどっさりと吐き出してくる。解剖学や生理学や生化学はすみずみまでいき届いたきちょうめんな解説を提供し、あらゆるものが名前をもち、あらゆるものに順序がある」(N・カズンズ『ヘッドファースト 希望の生命学』春秋社刊、1992年)  

 彼自身が罹患した重篤な病気とその回復体験にもとづき、医療や医学の領域に多大な関心をもつようになります。晩年のおよそ十年はカリフォルニア州立大学ロサンジェルス校の医学校から求められて、そのスタッフ(教授陣)の一員に加わり貴重な貢献を果たしました。ここに引用するその著書は、医療や医学に深く関わる、彼の実際経験に裏打ちされた報告書でもあります。

「いくらかの学生は、患者と医師との協力関係や医師のコミュニケーション技術にかんする議論、あるいは医学にまつわる倫理や哲学、あるいは医学史といった項目を「ソフト」とみなし、医学教育の基本をなすものとは考えていなかった。それにたいして物理学、生化学、薬理学、解剖学などの科目には、より好意的な形容詞である「ハード」を与えていた」

 「そう呼びわける理由はわからないでもない。「ソフト」の科目には正しい答というものがないのである。成績を気にする学生にとっては、答案用紙に書いた自分の解答が先生のおめがねにかなうかどうかに確信がもてない科目なのだ。しかし「ハード」な科目なら、正しい数字や事実が必ず予想どおりの成績をもたらしてくれる。その結果、学生たちの間には、「ソフト」から遠ざかり「ハード」にかたよるという風潮が生まれていたのである」(同書)

 医学教育・医療現場における「ソフト」の重要性をカズンズが強調したのは七〇年代末から八〇年代初頭にかけてでした。その後、アメリカの多くの大学における医学教育では、その影響もあって「教養」課程が重要視されていきました。当時、医学教育・医療現場で生じていたのは、明確な解答が見つからない、あやしい問題(ソフト)は避けられ、だれにも明らかな解答が用意されている事柄(ハード)だけに多大な関心が払われるという傾向でした。それは科学や技術に無条件に重い価値をおく、二〇世紀という時代や社会の多方面に見いだされる風潮でもあったといえるでしょう。

 医学教育の面でも遅れていると思われる島国の状況はどうなっているでしょうか。この数年、医大の入試にまつわるいくつもの問題点が指摘されていますが、いっかな改善される気配がなさそうです。入試判定における女性差別はとくにひどい。あからさまな不公正を文科省は看過している。文科省の幹部が息子の入試で不正を働いたかという疑惑も消えてしまったようです。すこし医療教育の現場に関りを持ったような経験もありますから、ぼくには内情が分かるように思われますが、放置はよろしくありませんね。

 「私はそうした医学生たちの傾向を困ったものだと思った。なぜなら医学校を出た彼らが働くのは、不運にも、不確かで変わりやすいあいまいな答があらゆる曲がり角で待ち伏せしている世界であり、ほとんどの方程式が独特の変数をもっている世界だからである。いかにも病気は分類できる。しかし、ほとんどの場合、その病気をかかえる患者のほうは分類することができない。その上、外の世界では、医学にかんする基礎的事実の驚くほど多くの部分が、新しい発見や新しい説におびやかされているのである。それにたいして、どんなときでも変わらないのが患者を励まし、元気づけることのできる医師の必要性である。つまり医学校を卒業したとたん、「ハード」とみなされていたものが 脆弱で不完全なものになってしまい。それまで「ソフト」の地位に甘んじてきたものが永続性のある本質的なものに変わるのである」(同書)

 彼が指摘する問題はただ一点、医師と患者はたがいに適切な協力関係を結ばなければ、治療行為は成功しないというのです。さらにいえば、患者の話(訴え)をてっていしてきけるだけの姿勢をもつことができるかどうか、個々の医師はいつでも試されているということです。患者との間に良好な関係を成り立たせるためには、医師に何が求められるか。カズンズは、もっとも極端だと思われる事例をいくつも掲げるのですが、それはけっして例外というわけにはいかないものだ、ともいうのです。その二、三を紹介します。

 事例① ある婦人が一連の診断用の検査を受けた。医師は、まだ検査の結果を見ていないのだがといいながら、「まず、がんにまちがいありませんよ」といった。婦人は、そのような破滅的な診断を自分の勝手な思いこみで口にするなど非科学的もはなはだしいし、医者のすることとは思えないと憤慨している(検査結果からは悲観的な事実はまったく発見されなかった)。

  事例② 自己免疫疾患が進行した五歳の女児の両親が、診断した医師から、「早いとこ、お棺に敷く繻子(しゅす=サテン)、絹の色でも選んでおいたほうがいいんじゃないの」といわれた。父親は、そのいい方のあまりの無神経さにショックを受け、医師の態度と自分たちが黒人であることとの間に、なにか関係があるのではないかと感じている。

 事例③ ある婦人が乳がんのバイオプシー(生検)の結果を聞くために待合室で二時間も待たされ、やっと診察室にとおされると、医師から悪い結果が出たと知らされた。ところが帰りがけに看護婦から呼び止められ、記録にまちがいがあって彼女のバイオプシーは結局シロだったと告げられた。彼女は医師と話をさせてほしいと頼んだが、医師の予定がたてこんでいるから会うわけにはいかないという返事だった。

 これは医療や医師の問題なのではなく、人間の、人間に対する姿勢や態度(これをぼくは思想・哲学だと考えている)そのものの問題だというほかないでしょう。この医師たちには何が欠けているのか。眼前にいるのが同じ人間であるという、あたりまえの感覚が欠けているのはまちがいありません。致命的です。医療の場にあって、生きた人間がいないという驚愕すべき錯覚が蔓延しているのでしょうか。

 この一か月、劣島では新型肺炎をめぐるさまざまな問題が噴出しています。報道内容や方法に問題があるのを差し引いても、人命尊重第一をとなえる政治家や官僚のそれとは相反する姿勢(口先だけ、大将が典型)には腰をぬかすばかり、というより、もうやつらに任せる(依存する)のは止そうという気分に襲われるほかありません。不誠実であり、「人命を尊重」の姿勢をなめ切っているのです。クズ。

 「医師を教師」に、「医学教育を教師教育に」置き換えたら、どうなるか。基本問題は両者に共通して克服される必要があるとぼくは考えています。患者や生徒は病院や学校が生み出す属性(呼称)であり、それは一人ひとりの人間であるという受け止め方を強度に困難なものにしているのではないでしょうか。患者は病院で作られ、劣等者は学校で生み出されるというのは嘘かしら。個人ではなく、「病人」であり、「生徒」であるとされる、その内部には一人の人間が厳然として存在しているという事実に敬意を示すことができないとは。

 「わたしはもう一つのことをも学んだ。それは、たとえ、前途がまったく絶望的と思われる時でも、人間の身心の再生能力を決して過小評価してはならぬということだった。生命力というものは地球上でもっとも理解されていない力かも知れない。ウィリアム・ジェームズは、人類はともすれば、自分で設けた枠の中に閉じこもって生き過ぎるといった。人間の精神と肉体の双方に、生まれながらに完全性と再生を求めてつき進む力が備わっている。われわれがその自然の力にもっと十分の敬意を払うようになったら、その枠がうんと拡がっていく可能性がある。この自然の力を大切に守り育てることこそ、人間の自由をもっともみごとに発揮する道かも知れない」(カズンズ)

 カズンズからはかりしれないほど大切な事柄を学びました。彼の人間としての高潔さややさしさはもちろんですが、生きることの危うさを根底で支える思想というか哲学をです。彼が亡くなって、すでに三十年が経過しました。文学は医学に通じ、医学は哲学に支えられているということを身をもって教えてもらいました。彼を利用するというのはまずい表現ですが、いろいろな扱われかたをこの三十年してきました。まずは、彼の著書を一冊、精読か通読でもしてみるのがいいですね。(広島の平和公園にカズンズの記念碑があります)(「医は仁術」とはいつの時代の話か)