ナンセンス\(^o^)/

 「新教育運動の華やかなりし頃、私もその運動の実践的な一翼に加わっていたが、新教育学校の中でも、もっとも急進的であった「児童の村」の教育なども、田舎から出て来たばかりの私には、やはりその背地(註 土から離れるという意味)は不満であった。自由教育の学校も総じてその教育理論の華やかな割合には、内容的に、逞しい大地性がなかった。いずれにしても都市的教育理論であり、文化人の盆栽学校であり、文化住宅式の土いじり程度のものであった。時代の産物ではあるが、時代を教育するものとは思われなかった」

左は耕一郎氏、右は健二郎氏か

 「教育は時代の要求する人物を作る仕事であるとともに、時代の批評であり、修正でなければならないと考えていたのである」

 「「教育とは子供の天分を自由に伸展培養するものである」ということには、異論はないけれども実際の教育を見ると、どうも時代や児童に甘えたものが多かった」(上田庄三郎『大地に立つ教育』上田庄三郎著作集①。国土社刊。1978年)

 上田庄三郎(1894-1958)1914年高知師範学校卒。11年間地元で教員として勤務。最後は三十歳前に校長にさせられた。教委の意図は「いうことを聞かない奴を校長にし、後は退職を待つだけ」という謀略にあった。「自由教育」の急先鋒とみなされ、脱藩、もとい出離、いや出里。上京以後、劣島初の「教育評論家」として第二次世界大戦後まで活躍。

小砂丘忠義

  土佐の教育界はこの上田さんを擁するにはあまりにもふところが狭すぎました。彼の後輩の小砂丘忠義(1897-1937)にしても、いびり倒され、挙句にはじき出されるようにして郷里を後にしました。世上いわれているほどには剛毅さはなく、ゆとり(あそび)に欠けるのが土佐の教育(ボスたち)界だったといわざるを得ないでしょう。もっとも、坂本龍馬をはじめとして、離郷、出郷は後を絶たなかったのですから、むしろ、青年の側に六分の侠気と四分の熱がたぎっていたというべきか。

 上庄さんの意気に感じる箴言をひとつ。

 「資本主義的文明の奴隷として仕立てられた人間が想像するものはやっぱり資本主義的文明の繰り返しにすぎない。これではいつまでたっても人は学校へゆかない事をむしろ 得意にし、「君は学校にゆかなかったのに、そんなに莫迦なのか」という反語がいつまでも生きるであろう。(同上)」

 「都会生活十余年、時々、モガやモボから、「百姓々々」と呼びかけられながら、この詛うべき近代背土文明の地底に、ひそかにしつらえていた小さい爆破作業の一部が、書肆の援助によって、この一書となり、世に問う機機会を得たのである。教育の革新期と云われている今日、軟かき蒼白き手よりは、節くれ立ったバラガキの多くの手が、季節はずれのこの書を通して、堅く握手されることこそ、著者の熱きねがいである」(はしがき)

 このように上庄さんが書いたのは昭和十三年九月のことでした。  

 「君は学校にゆかなかったのに、そんなに莫迦(バカ)なのか」というセリフに出会ったとき、ぼくは驚愕し「狂喜乱舞」の異常な興奮をしました。こんな「ことば」は後にも先にも耳にも目にもしたことがない。彼の後輩の小砂丘忠義もまた、教委の鈍(なまく)らな、かつ陰湿な手には負えなかった。上田さん同様に、いや彼よりもっと若くに「校長」に祭り上げられ、反抗の限りを尽くしながら、やむなく出郷。上京し、いろいろな仕事をしながら、「綴り方」教育の屋台骨となり、黙々と子どもたちの作文に取り組む。最後は凄惨な死を遂げました。

 今でもそうですが、「レッテル」を張った教員には徹底したいじめをするのが劣島中の教育委員会の仕事・職務。上庄も小砂丘もその洗礼を受け続けた。高知の山奥から海岸沿いの学校への移動は年中行事。辞めるまで続けたね。また小砂丘の妹も教員をしたが、憎い奴の妹だとばかりにさっそく「異動」を命じられたが、彼女は頑として言うことを聞かなかった。強情な点はハンパじゃなかった。一人じゃ何もできないが、「烏合の衆」を恃んで、ぼくらが思いつきもしないエゲツナイ仕業を仕掛けるんだね、役人は。今に変わらぬ、意地汚さ。(何年も前に、ぼくは上田さんの娘さん(校長でした)と都内北区の学校でお会いした記憶があります)

 ぼくはこの二人の「いごっそう」教師の「生活と教育」を本にまとめようとして資料を集め、現地(土佐)での取材もし、数百枚(ひょっとすると千枚近く)の原稿を書いたのですが、どうしても気が進まずに、出版を断念したことがあります。数年前のことでした。出版社も乗り気で随分と気前よく援助をしてくれたのですが、放棄してしまった。なぜだったか、今でもよくわからない。彼らの教育実践が現下の劣島にはあまりにも「まとも」すぎて、まず顧みられることがあり得ないとぼくが判断したからだったと思う。「もったいないよ、この島には」「彼らには申し訳ない、いまの状況では」というへんてこな感情がぼくにはありましたね。いま考えても。両人の「ナンセンス」度は抜群でしたから。

 あるいは狂い咲きのごとくに、駄本を書くことがあるかどうか。まずないね。

サクラチル、モットチレ

 第1回「美しい国づくり」企画会議 日時:平成19年4月3日(火)17:00~18:00                             場所:総理大臣官邸2階大ホール

○安倍内閣総理大臣

 皆さん本日はそれぞれ大変お忙しい中、この「美しい国づくり」企画会議第1回目の会合にお集まりいただき、厚く御礼を申し上げます。私は、内閣の発足以来、「美しい国」をつくるということを内閣の基本的な方針、目標として掲げてきました。ちょうど折しも今、桜の満開を迎えておりますが、このホールも桜のじゅうたんであり、やはり桜も一つの日本の美しさの象徴ではないかと思います。

官邸ホール

 本居宣長も「しき嶋のやまとごごろを人とはば朝日ににほふ山ざくら花」と詠んでいるわけですが、先般も来日されたキッシンジャー元国務長官にお目にかかったときに、彼は「日本には何回も来ているけれども、この桜の時期に来たのは初めてだ」とおっしゃいました。「ワシントンでは常に桜の花の満開を楽しみにしている」とのことで、ワシントンの桜の花はまさに日本のイメージとともに、米国人からも愛されていたということではないかと思います。この桜だけではなくて、日本中の至るところに日本の美しさは満ち溢れていると思います。

 かつて日本を訪れた多くの外国人は、日本人の礼儀正しさ、謙虚さに心を打たれています。こうしたお互いのお互いへの思いやる心(?)、あるいは謙虚な礼儀正しさ、そして共生していくことについて、日本人はその共生、協調を大変重んじており、言わば日本の美徳、美しい振る舞いといったものを我々はやはりもう一度見つめ直していく必要があるのではないかと思います。また近年それが失われてしまっているという声もあります。

 また、新たな日本の素晴らしい価値も生れており、アジアにおいてはいわゆるJ-POPS、また日本のファッションが新しい日本の美しさ、強さ、日本らしさとして受け入れられてもいます。日本人が古来持っている美しさ、またもともと存在する素晴らしさ、美しさ、そしてまた生れつつある新たな日本の素晴らしさについて、ぜひ我々ももう一度よく認識をしながら、これを内外に向けて発信していく必要もあるのではないかと思います。

 私は、就任の際の演説で、私の美しい日本の姿についてお話しましたが、わかりにくいというご指摘もいただきました。これは、まず私の考え方を述べさせていただいたものです。本来、国がそれを定義づけるのではなくて、国民の皆様方お一人お一人が、日本の美しさ、また日本人の美しさは何かということを問い直していただき、守るべきものは守っていく、継承していくものは継承していくということが大切ではないかと思います。

 こうして各界で活躍をされておられる有識者の皆様方にお集まりをいただき、皆様方のご議論をさらに国民の中に広めていくことが大切であろうと思います。そして、行動、実践していくことも重要ではないかと思いますので、国民的な運動にもつなげていければと思います。どうぞよろしくお願いします。(紋切り型・蛇足)

  よくわかんない。「桜・共生・協調・J-POP・ファッション」これが日本の美しさだというんですが。この企画会議の座長は日本画家の(故)平山郁夫さん。

 どうしようもないわたしが歩いてゐる(山頭火)

 山頭火と「●●ソーリ」は同郷のよしみ(山は湯田、晋は下関)ということで並べてみました。宣長さんをだしにして桜を騙るなんざあ、さすが山師。(もちろん、木っ端役人の作文)とはいえ、「美しい国」はどこに行ったのか。崩壊したのか。あるいは「美しくない国」になったのでご破算にしたとでもいうのかしら。それとも、すでに「美しい国」が作られたというのだな。

「春功労の花の縁」

 こんな「古證文」を持ちだしたのは、理由があってのことではない。雑録メモが見つかっただけ。今年の「サクラを見る会」を早々と(昨年のうちに)中止にしたとはなんという先見の明があったかと感心したんだ。たぶん「ウイルス感染」問題をとっくに知っていたからだ(超予知能力ね)。中止宣言はまだ中国で「コロナウイルス問題」が発生するよりはるか前のこと。(問題発覚は昨年五月。直後に「来年は中止」と断言。よほど「やば」かったんだ。今は「本物」の感染問題で一時逃れができているが、また再燃します)

 この会議の四か月後に突然の辞任を発表しました。サクラ散る!!!

…あと幾年の櫻花

 「わしがいろんなことに気づくようになったのは、やはり桜をやりかけてからですね。桜の生長の度合いを見ているときに、いくら人間がやいやいというてもどうにもならんとこがあるんですわ。花を咲かすには遅れていても芽さえできていれば、時期がくれば咲きますし、逆に咲くのを遅らす場合はフレームを入れるとか、日に当てないで長いこと寝さしておくとか、そういうことはできますけれど、人間の力で花の咲く芽をつくることは絶対できませんわね。

植藤造園

 人間はできたものを咲かすということはある程度できますわ。でも芽がなかったら、どうしようもないんです。そやから、「ああ、芽が出ん」というのは、もうすべてあかんということですわな」(佐野籐右衛門『桜のいのち 庭のこころ』草思社刊、1998年)

 「芽が出ない」というのは「もうあかん」ということ。そういわれれば、それまで。しかし、よほど無茶なことをしないかぎり、どんな木でも「芽を出す」ものです。

 今年咲いた桜の花芽は前年のお盆ころにでる。花を咲かせるというのはその木の一年間の仕事納めです。咲き終わると、あっという間に散る。それは、さあこれから来年に向けて精をつけるぞという合図のようなものでしょう。一年かけて花を咲かせるように時間をたどる。自然のリズムをいじることはできます。開花の時期を人工的に早めたり、遅くしたりすることはできる。でも、それがどんなに「美しい花」をつけたとしても、時間を調節する、時間をいじる、それはまちがいなく樹木の生長する時間を奪うことですが、そのことの弊害ははっきりしています。

十六代

 「このあいだも、仙台から、桜が弱ったから来てくれという手紙がきたので見にいったら、広瀬川の土手の上の官地と民地の境にずーっと桜が植わっているんですわ。問題の桜はたまたま民地のほうにあって、そこへ家を建ててから急激に弱ったという。一抱えもある桜です」

 いろいろ話を聞いていると、家を建てるときに、桜の根をあやまって切ってしまったらしい。だんだん元気を失って、すぐに葉を落としていったそうです。それで、これはいかんと勝手に思いこんで、根本に水をたっぷりやったというのです。

 「こんな木になんで水をやるんやて、わしは言ったんですわ。根腐れしているのと同じことなんです。この桜の根の先はずっと向こうにあって、そこから栄養分を吸うておるのやから、こんな幹の根本に水をやったって、かえって腐らすといったんです」

 佐野さんの弁はさらにつづきます。

 なんでも人為的に、つまりは人間の都合のいいように判断する。「自分の見たところで木までそうやと思っている。人間の生活と同じリズム、状態のことを相手にさせようとする。日本のあちこちの桜を見に行くと、ぜんぶそれですわ。それが日本の桜をだめにしているんです」

 人間の勝手が、どんなに自然を壊しているか、その自然から人間もはずれることはできないのに、です。自然を壊す、それを教育やなんやと、アホなこというてますな。

 根本に水をやりつづけるとどういうことになるか。

 その木は根を伸ばそうとはしなくなります。なぜなら、自分で根を伸ばさなくても栄養分がよそからやってくる(与えられる)からです。根を伸ばす、根を張るというのは栄養分を吸収するための活動であり、大きく根を張ることで木の成長を支えるわけです。根を張ることで、大地にしっかりと立つ、つまり木がじょうぶになる。根を伸ばさないで栄養分がとれるから、どんどん木は高くなる。つまり、頭でっかちになる。そして、ちょっと風が吹いたり、地震が来ると見事に倒れるんです。年中、そんな光景をみるでしょう。

  この先はいわなくてもいい話ですが、せっかくだから…。

 「日本人の子供の教育のしかたと一緒でっしゃろ。こんなですから、ちょっと大きな風が吹いたら、ゴローンとひっくり返る。これは根張りがないからです。伸ばす必要がないのやから。伸ばさなくても餌をもらえるんやから。人間はいらんことばっかりしてるんですわ。そやから、わしは相手のこと、植物のことを考えて人間がやれていうんですわ」

植藤造園

 植物に対しても動物に対しても人間は自分の好き放題をして、相手の気持ちを忖度(そんたく)しない。得手勝手というのはまさに人間のことをいうのでしょう。勝手にいじり回して、その挙げ句に放り出す。放り出された方は、独り立ちして生きていけなくされてしまっているのだから、始末に悪い。人にも動物にも植物にも、まったくおなじことを人間はしているのです。飽きたら捨てる、いらなくなったら捨てる。かまいすぎて、いじりすぎて、この先は自分でやれといわれても、どうしようもないのです。

 転ばぬ先の杖、これが余計なことなのですが、親切と勘違いしている人間が多すぎます。自分の都合で杖を与えるのですが、与えられた方は杖なしでは生きていけなくなる。

 小さな木は小さいなりに、大きな木は大きいなりに根を張る、そしてその根でしっかりと土をつかみ、その根の先からから栄養を吸収する。そのように人間も育ちたいのですよ。

 「根を張る」は「根張る」です、つまりは「ねばる」なんだね。

 (ぼくは小学生のころ、京都の山越(やまごえ)にあった佐野さんの苗床によく行きました。いまでは見上げるような立派な枝垂れになった桜も、まだまだ小さな苗だったころの話です。現在京都の円山公園の枝垂れ桜も佐野さんの手になるものです、植えたのは先代でしたが。佐野さんが生まれた記念に植樹したそうです。)

仁和寺

 佐野さんは代々の植木屋さんで「植藤(うえとう)」という屋号を名のった仁和寺のお抱え植木職人でした。ぼくは自分でも「サクラ人間」というほどにサクラ好きです。(学生時代には新宿御苑にしばしば通いましたが、いま騒がれているのはおそらく別の「御苑」でしょう。あんなところで選挙運動するバカはいなかった時代でした)引用した著者の佐野さんはたぶん十六代目で、ぼくはその前の十五代の佐野藤右衛門さんからいろいろと「サクラ」にまつわるお話を聞きました。その影響で「サクラ人間」になったというわけ。ぼくはまだ小学生でしたよ。桜の話はつきないが…。間もなく花見時ですね。いつも、「惜しみつつあと幾年の桜花」(拙句)というのが口癖になりました。

教育の効果というものに…

 「私は教育という言葉をきくたびに、あまりたのしい気持ちにならない。教育といわれているものと、発見や独創とは正反対なものだからである◆本質的にいって人を教育するということが、果たして可能なのだろうかと私は疑っている。教育の効果というものに、私は失望することばかりである」

 「世の教育ママが満足している子どもたちは、全く面白くないのが多いし、教育ママの処方通りに、一流校を経て一流会社のエリート社員になったり、出世街道の役人になったりして、エスカレーターからすべり落ちないような人たちの中に、存外欠陥人間が多いことも、カラメ手からしばしばきかされることである◆教育者は人の師表になるべきだといわれたり、頭が下がる立派な人であるべきだともいわれたりする」

(ぼくはこれに乗らなかった)

 「そんなことは、おそらく退屈な、魅力のない、くだらぬ人間でなければ、そうあり得ないにちがいない。こんな魅力のない、先生にならう子どもが、勉強が面白いはずがないではないか。実際、学校の先生には、私が接した限り、魅力ある人があまり多くないように見うける」

 「師表であるためには公序良俗の型にはまらねばならないし、文部省が型にはまった教育をおしつけるので先生方は独創的な工夫をこらすわけにはいかなくなるし、その気力もなくなるのだ」(武谷三男「ほんとうの教育者はと問われて」朝日新聞・1969-10-28)

 武谷さん(1911-2000)は物理学者であり、哲学者でもあった人です。湯川秀樹氏などと活動をともにした。専門の物理学における業績は言うまでもないことで、加えて、現代における科学技術の問題に関しても積極的に発言し、行動した人でありました。長く在野(無所属)の人として活動された。第二次大戦中、理科学研究所のメンバーとして秘密裏に日本の原子爆弾の開発に従事。その当時特高に逮捕されたが、「俺を捕まえていると原爆の研究が遅れるぞよ」といって釈放されたという経験もされました。戦後は「原子力」の科学的限界や危険性についてつねに指摘され続けた。「原発はトイレのないマンション」とその欠陥性を指摘したことでも知られます。ぼくは必死で彼の著書を読んだことが懐かしい、新鮮な驚きをもって読んだから。

 何十年も前の文章を出した理由は特にありません。いつの時代でも学校とか教育、あるいは教師というものの評判がよろしくないという風潮を確認するためだけだったかもしれない。  

 武谷さんも使っておられる「一流校」「一流会社」というのはどんな学校であり、どんな企業なのか。その基準があるのかどうか。ある時代に一流であったものが、時代が変われば三流であったり、消えてなくなったりすることもあるでしょうし、一つの基準から観れば一流でも、別の基準に従えば四流であったり。漠然としているにもかかわらず、あれはホントに「一流」なのかなあ? おしなべて、「一流」は権力に近い、近づきたい人や集団につけられる符丁じゃないですか。さらにいえば、かんたんに「転ぶ」(変身・変わり身が速そう)性質をもっているように、「四流(支流)」のぼくには思われますな。

 つまり、世に言われるもろもろの話題には大した根拠がないに等しいということです。

 発見や独創を生かしたり伸ばしたりすることは、制度としての学校教育ではまるであり得ない話です。凸凹をそろえることがなによりも大事な仕事なのですから、そんな余技に関わることは金輪際なさそうだという意味でしょう。にもかかわらず、武谷さんも言われるとおり、無い物ねだりをして、学校や教師を非難するのが世の常です。

 学校教育は子どもの独創性を尊重しないといって批判しても仕方がないのであって、各自のもっているであろう独創性を全体の均質性に合致すべく変換することが学校教育の役割であり、機能だからです。まともな仕事をして非難されるんだから、学校も教師も同情に値するね、とはいわねえ。

 「生きる力を養う」という、どこかで耳にしたお題目あるいははやりの言葉が学校教育の実情を明かしているようです。「生きる力」の創生論議(いまは廃れたと思いますが)に熱心になればなるほど、不登校者や退学者が続出するというのは悪い冗談どころではなさそうで、そんなことは土台無理難題なのだということです。とすれば、優等生や高い偏差値の児童・生徒の中身はどのようなことになっているのか、まことに不気味な感じがしませんか。  真面目は不真面目(アソビあり)になれない、というのはホントですね。昔、やまのかみにバカにされたことがあります。(しょっちゅうでした)「お前には浮気はできない、すれば本気(マジ)になるからさ」だって。どういうこと?

立ち位置と一回かぎりの言葉

 また一人、幼い心に火をともした教師がいたと、万感の思いを持って語っている作家(詩人)がいます。どなたの中にも熾火を起こした教師というものが存在しているのでしょうか。ある講演からの引用です。(ここでも、辺見庸さんです)

《少し脱線します。私は、これまでにたくさんの先生、それから人生の師のような人たちにいろいろなことを学び、教わってきましたが、そのなかの一人に、中学時代の恩師であり、陸上競技の顧問でもあったT先生という人がいます。五十八才にもなって中学時代の恩師の思い出話をするのもなんだか変なんですが、じつは、この先生は、私に決定的な影響をあたえた人だといまでも思っています。同時に、非常に感謝もしているわけです。

 T先生は非常に長身で、持って生まれた存在感というか、およそ教師らしからぬ、まどかならぬとでもいいましょうか、つよい眼光を放ち、全身にオーラといいますか、そういうものを漂わせている人でした。「立ち位置」が独特というか、朝礼のときなんかに、その先生が同僚の先生たちと群れて、戯れている姿はおよそ見たことがなかったですね。いつも同僚の教員たちから少し離れたところに、ぽつんと立っておられた。凜としているといいますか、背筋に一本筋金が入った感がありました。多弁な方ではないし、静かなのだけれども、どこか荒々しく恐い感じもしました。声が大きいわけですね。いつも堂々としている。ときにはやや寂しげでもありました。そのころは、その姿をうまくいい当てる言葉を知らなかったわけですけれども、いまにして思うと、あれが「孤高」というのでしょうか。ある種の孤立感、孤絶感というものを肩のあたりに漂わせていました。子どもというのは面白くて、いろいろな理屈をもっているわけではないのですが、なにかそういう姿を人のありようとして真似ようとしたりもする。私はそういう先生の日々のたたずまいやビヘービアというものを、子ども心に「善きもの」と感じていました。自分というもののない、いつも集団とともに群れているような大人よりも、T先生のような、はぐれた感じの人間存在を好むようにもなっていました。結局、先生のようには立派になれなかったのですが、少なくともはぐれた態度が自分のなかにも染みついたような気がします》(辺見庸『抵抗論―国家からの自由へ』毎日新聞社。2004年)

 講演で語られた辺見さんの一種の教師論、人間論だと聴きました。「孤高」の人とはどのような存在をさすのでしょうか。群れない、戯れないという姿は、たしかに子ども心にも「格好いい」というか、凛々しい風情として憧憬の念を抱いたであろうとぼくもおもいます。不幸なことに、そんな大人(うし)に遭遇したことはなかったし、それが今のぼくに小さくない欠陥をもたらしているのかもしれない。協調性に著しく欠けているのは確かですが、群れから外れるばかりですから。

 さらに引用を続けます。

《いまでも、何十年経っても、忘れられないことは、そのT先生がクラス討論だったかクラス会だったかで発した一言なんですね。先生の一言に躰が貫かれたわけです。ぼくの母校は東北の石巻の片田舎の学校でしたし、そのころ積極的に手を挙げて話すなんてことはとくに奨励されている時代でもなかったので、生徒たちはなにも発言せず、もう半分寝たような状態で、口を半開きにしてボーっとしていると、T先生が突然絶叫するわけです。

 どう叫んだかというと、ガラス窓も割れるような声量で「おもえーっ!」「思え!」というのですね。その叫び声のすごさにもう腰を抜かした生徒もいたのではないかと思います。「おもえーっ!」と、たったこれだけの言葉でした。後にも先にも、「思う」ということを命令形で怒鳴られたのは、これっきりなわけですが、しっかり躰の底に染みついたのです。この「おもえーっ!」の一言で、それがもう骨の髄まで染みこんで、なにかにつけ、自分が無思慮であったりあるいは無意識であったり、無感覚であったり、判断停止状態のときに、なにか内側から湧く声として、このT先生にいわれた「思え!」というのが聞こえてくるんです。なんだか説教っぽい雑誌の企画によくある〝忘れられぬ一言〟みたいですが、私は人生論が大嫌いです。人生論としてではなく、私だけの記憶として「思え!」を大事にしているのです。私は長じて、この「思え!」を「思惟せよ!」という言葉に置きかえてみたりして、心の底に着床した叫びの意味を自分なりに噛みしめたりもしました。私たちはあまり多くのことを思わないほうがいいとされるような時代に生きています。テレビや新聞は日々われわれに「思うな!」「考えるな!」といいきかせているようでもあります。あまり深く、多く思うと、生きること自体辛い時代です。むしろ、だからこそ「思え!」は大事ではないでしょうか》(辺見庸・同上)

 「後にも先にも、『思う』ということを命令形で怒鳴られたのは、これっきりなわけですが」と辺見さんは述べられていますが、その驚きは想像を絶するというほかありません。いったい、それはどんな波紋を描き続けて辺見さんの脳裏(記憶)に残ったのか。これもまた、「一回かぎりの言葉」であったことだけはたしかでしょう。余計なことを考えるなといわぬばかりに、沈黙を強いる時代にあって、さて、わたしたちはなにを「思いなそう」としているのでしょうか。

 学校にあまりにも期待しすぎてもよくない。往々にして、それは裏切られるから。反対に少しも期待しないというのも考えものです。ひょっとして、かけがえのない友人や教師に出会えるかも知れないからです。その意味では、学校(教育)は人によっては諸刃の剣なんでしょうね。(「思え!」と叫んだ教師)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 

とかく上に立つ人は

 以下はある大きな面積をもつ国の、数代前の指導者だった人の「語録」です。指導者であることは「普通」「並み」じゃできないんですね。それにふさわしい「才能」が求められるようですよ。なんなら読み飛ばしてください。

 この人は、どの国の、なんという指導者でしたかな。こんな手合いがごろごろといる時代ですから、なかなかズバリと当てるのはむずかしいかも。ぼくたちが居住しているこの島の指導者でないことは請け合います。彼(トランペットなどと評価されています、正当に)はこれ以下だから。でも、指導者によって人民が塗炭の苦しみを舐めさせられるなら、わきで暢気なことを言ってる場合じゃありません。

 ところで、松本ヒロという芸人をご存じでしょうか。「権力(を持っていると疑われている者)」を笑わ(え)ない笑いなんて…と。いま巷であふれているかに思われる「お笑い」はお里(魂胆)が見え透いている、質のよくない砂糖菓子みたいな。マジ、笑えないね。

 指導者とは、人民から笑い飛ばされる存在なんですね。それ以上でも以下でもない。それは権力者の「特権」かもしれない。その「特権」を欲しがるんですね、ある種の人たちは。不思議千万だ。

「ブラジルにも黒人はいるのか」

「米国と日本は150年もの間、素晴らしい同盟関係を結んでいます」

「アフリカは深刻な病に苦しめられている国家だ」

「人間と魚は平和的に共存できる」(I know the human being and fish can coexist peacefully.)

「質問者に質問しなくてはならない。質問者が僕に質問してきていることについて質問者に質問する機会がいままでなかったんだ」(I would have to ask the questioner. I haven’t had a chance to ask the questioners the question they’ve been questioning.)

「サダム・フセインが武装解除しないのであれば、アメリカが武装解除するまでだ!」(You disarm, or we will.)

「我々は成果をあげている。本当に成果をあげているのかを確認するのは大変だけど、成果をあげている」(And we’re making progress. It’s hard to tell whether we’re making progress or not, but we are.)

「大統領の責任として、今、我々アメリカが直面している現実を国民に伝えなくてはならないと思っています。その現実とは、『テロリストたちが隠れているのは洞窟だ』ということです」(And part of my responsibilities as your President is to remind people about the realities that we face in America. One of the realities is, is that these people hide in caves. )

 これは「きわめつけ」の一言。こんなことは誰も言えない。

「私のことを大統領として知能が足りないといっている人達は、その事実をまだまだ甘く見ている」(I think anybody who doesn’t think I’m smart enough to handle the job is underestimating.)

 『●●大統領 妄語録』(ペンギン書房刊』2003年)