「十年一昔」かね

 この島社会にはたくさんのことわざ(諺)がありました。今はなくなったといいたいね。諺が生まれ出るような生活もなければ知恵も失われたと考えているからです。諺は生活の知恵でしたから。「十年一昔」という俚諺はどういう意味だったか。今はあまり使われなくなったのは、その諺に表現されていた「現実」や「現象」がなくなってしまったからでしょう。「世の中は移り変わりが激しく、10年もたつともう昔のこととなってしまう」(デジタル大辞泉)というらしい。また反対に「十年一日」ともいうのね。(「同じ状態がずっと続いて、進歩や発展がないさま」)(同前)

 ここに、果たして十年前はどんな「昔」であり「一日(いちじつ)」だったかを確かめるつもりで「旧聞」を出してみた。社会や人間はずいぶん変わるのか、あんまり変わらないのか。変わる部分と変わらない部分があるんだといえば、身も蓋もありませんぜ。

「ドイツには「カラスは仲間の目玉をえぐらない」ということわざがあるという。動物行動学者のローレンツはこれはことわざとしては例外的に正しいと述べる。あの鋭いくちばしで仲間の目を突いていたら、カラスはすぐに絶滅するからである▲一方、彼は小さなくちばししかもたぬキジバトとジュズカケバトを飼っていた。ある日彼が帰ると、キジバトが羽毛ばかりか皮までむしられ、倒れている。ジュズカケバトはその上からなおも相手の傷をつついていたのだ▲ローレンツによれば、強い牙やツメ、くちばしなどのある動物は同種への攻撃を抑制する本能をもつ。それに対し無力な動物は仲間への攻撃の歯止めを欠き、人間もその一つらしい。だが文明は、攻撃性の抑制がきかない人間に武器という攻撃力を与えたというのだ」(毎日新聞・10/06/23)

カラス

 コンラート・ローレンツ(1903-1987)はオーストリア生まれの動物行動学者。刷り込み理論で名高い。1973年にノーベル医学生理学賞受賞。たくさんの著書を書いています。彼の理論にはいくつかの修正も加えられてきました。(ここでは、遺憾ながら詳細は省く)

 上の記事に続いて「旧聞」です。

 「広島県内のマツダの工場で42歳の男が乗用車を暴走させて従業員を次々にはね、11人を死傷させた。男は同社の元期間工で、「マツダをクビになり、うらみがあった」「むしゃくしゃしていた。どうでもよくなった」などと自暴自棄ともいえる供述をしているという▲(中略)車であれ、刃物であれ、自分がどうなってもいいという殺意に操られればたちまち多数の人命を脅かす。攻撃を抑制する本能に代えてモラルや情理を蓄えた人間の社会だが、それをあざ笑うかのような攻撃衝動は今どうして噴き出るのか」(同上)

 次は大学の登場です。十年前の大学事情ですね。「今は昔」、それとも「今も昔も」か。

 「昨年の「大学の実力」調査で8割強もの大学が開いていた保護者会。そこには、学生を一人前の社会人に育てようと懸命な現場の姿が浮かぶ。関西の私立大が保護者との「懇談会」を始めたのは7年前。全国各地に学長ら教職員が年に数回出かけ、個人面談も行う。「学生に関する情報が欲しい」と学生部長。学生支援には親の協力が不可欠と強調する。

関西のK大学の「保護者会」風景ですって。盛況ですね。

 保護者向けの大学見学会などを行う別の私立大の教員は、「親を教育したい」と打ち明ける。学生の代わりに履修登録をする、授業中の私語を注意したことに抗議する。さらには「気に入らない就職先なら、働かなくていい。養ってあげるよ」と言う親さえいるという。「親自身が自立の妨げをしていることに気づいてほしい」と嘆く。

 ある国立大の教員は「もうリポートを書けません」と親に泣きつかれたことがあると苦笑していた。入学以来、わが子に代わって課題に取り組んできたが、専門課程で付いていけなくなったというのだ。大学が運営に腐心する保護者会の取り組みは、間違った親の出番を軌道修正する意味も持って、ますます重みを増すようだ」(松本美奈)(2010年6月24日  読売新聞)

 学校のもっている大切な機能・役割のなかでほとんど等閑に附されているのはなにか。子どもを人質(出汁・だし)にして、親を再教育することです。そんなことは考えられもしないという向きもあるが、じつはこれこそもっとも重要な学校の働きなのだとぼくはずっと考えてきた。その理由はいたって簡明です。子どもがじゅうぶんに安心して育つためには、まずもっとも長いつきあい(濃厚接触)を避けられない親の偏見や短慮、それに暴力から子どもを救う必要があるからです。

 もしも親たちが思慮の足りないままで「親でございます」「私がママよ」と子どもの前に立つとどうなるか。考えるまでもない。「親を教育したい」というだけではまだ不足で、親をこそ教育しなおすべきだというのです。これはけっして小中高校にかぎらない話で、大学もこの役割から自由ではないのさ。それがようやく大学人にも親たちにも気づかれだした。保護者会、おおいに結構ですな。それにしては手遅れだったね。

東京のC大学「父母連絡会」風景だそうです。「役員会」もありますよ。

 「親自身が自立の妨げをしていることに気づいてほしい」というのはいまに限らない話で、ぼくはうんと若かった二十歳頃から何人もの親から子どもの面倒をみてほしいと頼まれました。まあ、家庭教師といってかまわないが、それは子どものではなく、親の家庭教師だった。これは徹底していた。親の再教育はそんなに困難ではなかった。子どもが身の丈にあった成長をするために、親の考えや態度がどんなに大切かをひたすら納得させる性質のものでした。もしそれがうまくいけば、子どもはひとりで歩き出しますね。ようするに、「親の自立」ですよ。自立大学という学校だったね、ぼくが作ったのは。

ローレンツ父さんの後を追うアヒル

 さて、教師も親も自分は「キジバト・ジュズカケバト」か、あるいは「カラス」なのか、とくと考えてみるべきでしょう。新聞記事は「攻撃を抑制する本能」などとのんきなことをいっていますが、とんでもない、その「本能」こそが「教養」なんだ。じつに崇高な感情でもあるのですね。教養という「本能」が滅んで、ついに「攻撃性」が出番を得たんだね。「教養学部」はいつでも必要です。ブレーキとハンドルを踏み間違えないのが「教養」なんですよ。それは学歴とは全く関係ない。むしろ学歴は「まちがえなく踏む」ときの邪魔をするね。怖いですよ。

キジバト

 大学に保護者会なんて、という嘆きの声が当の大学内から起こったといいます。大学人の慨嘆はどういうことだったんですか。まさか、大学は「学問の不、いや学問の府」であり、「象牙の薹、いや塔」だから、そんなものはいらないというのだったら、顔を洗ってくださいというべきでしょうね。暢気に構えていると、キジバトが暴れだしますよ。もう暴れ放題か。いずれ企業社会にも「保護者会」「父母会」なる成人自立阻害組織ができるでしょう。いやもうとっくにできてるよ、君だけが知らないのさ。

 猫を被ったふりをしているが、「キジバト」はホントは怖いし獰猛なんです。学内にはカラスもハトも生息している。(ハトは「平和の使い」だなんて、だれがいったか)そぼ降る雨の中、家の引き込み電線に「平和の使い」がこちらを睨んででいます、ずっと。その横手にはカラスが。我が家にも保護者会を!

医者の見立てと易者の筮竹

 「医学校の同僚がある婦人のことを話してくれた。入念な検査の後、片方の腎臓がすっかり機能を失っていることを知らされた婦人は、そのショックで突然聴力を失い、何ヶ月もの間根気よく心理療法をづけて、やっと聞こえるようになったのだいう。同僚はこのような起きなくてもいい病気が起きる事例を問題視していた。診断を伝えるときのいつものやり方が、本来の病気に劣らず深刻な問題を引き起こしているのである。

 私が会って話をするように頼まれた人たちは大半ががん患者だったが、ほかにもありとあらゆる重病の患者がいた。多発性硬化症、硬皮症、糖尿病、心臓病、パーキンソン病…。こうしたケースで目立った事実は、診断が出たとたんに病気が悪化したということである」(ノーマン・カズンズ『ヘッド・ファースト ―希望の生命学』春秋社刊。1992年)

 カズンズ(1912~1990)はアメリカ屈指のジャーナリスト。加えて、多彩な平和運動を果敢につづけた人でもあった。(拙ブログでも以前に触れておきました)

 自らの重病回復体験をもとに『500分の一の奇蹟』『私は自力で心臓病を治した』等を発表。晩年の十年間はUCLA医学校のスタッフとして、精神神経免疫学という未知の領域に突きすすみ、「人間の脳には病気を克服しやすいようなからだの状態をつくり出す働きがある」ことを検証しようと、精力的に働いた。

 医者が診断を下したとたんに患者の症状がいちだんと悪化するのはなぜだろう。「もしかしたら症状にレッテルが貼られたとたんに、病気の攻撃に対抗しようとする彼らのからだの抵抗力がひどく減退してしまうのではないだろうか」 彼はそう推理した。

 こんなことを思案していたとき、「ロサンゼルス・タイムズ」に載った小さな記事を見つけます。フットボールの試合中、何人かの観客が食中毒症状を訴えた。診断の結果、全員がスタンド下の自販機でソフトドリンクを買ったことがわかった。主宰者は観客の安全に配慮し、マイクで「自販機で飲み物を買った人が食中毒になった。自販機は使わないでください」と場内に知らせた。

 その知らせが響きわたったとたん、スタジアムは吐き気をもよおす人や失神する人で 大混乱になった。(中略)五つの病院から救急車が出て、…入院が必要になった人も一〇〇人以上にのぼった。ところが、自販機はシロだった。それが判明したとたん、「病気は、不思議にも、はじまったときとまったく同じように突然消えてしまった」

 患者たちは病院のベッドから下りて、家に帰っていった。カズンズはいう。

 「決定的な働きをしたものは、病気が起きたときも、おさまったときも、『言葉』だった。言葉が心の力によって病気を助長する、あるいは回復を助長する方向に処理されたのである」だれかに対して、どんな言葉をつかうのか。医者でも教師でも、あるいは親でも、きっと忘れてはならない事柄ではないでしょうか。コミュニケーションというものが、どれほど安易に語られているか、現実のありさまは驚くべき事態にあるのではないか。

 「君は末期のがんである、余命は三ヶ月だ」と「宣告」する権限を医者はどこから手に入れたか。

どうするんですか?オークションに?

 この島社会の医療問題にもたくさんの課題が指摘されています。現下の「新型肺炎」にしても失わなくてもよかったいのちが粗末に扱われている。症状を訴えて病院に行くと、医者は診察しようともしない。医者もそうだが、官僚や政治屋が医者以上に権威や権限を振るっている現状をなんと形容したらいいのか。病人を診察するのも重要ですが、余計な口や手を出しすぎる政治屋や官僚たちをまず、診察台にのせるべきじゃありませんか。マスクを半端じゃない高値でオークションに出品していた県議がいた、静岡だったか。もう病院じゃあつかえないね。県議に嫌疑だもの。

古い映画(1957年松竹・原作は井伏鱒二・渋谷實監督)

 「生兵法は大怪我の基」だとはっきりと宣告すべし。ひょっとしてたいていの医者は「つける薬がない」「これ以上、手の尽くしようがありません」というかもしれない。やっぱりな。さて、どうするかだ?(いつも書きながら情けなくなるのはどうしたことだろう。医者に行かなきゃ。おっと、本日は休診日か。行かなくてよかった。月曜でも行かなかったろうね)

 医者の見立てと易者の筮竹(ぜいちく)、どちらも陽気の「気(卦)い」次第(拙作)。つまりは、当たるも八卦、当たらぬも…。お医者の頭に雀が留まる 留まるはずだよ藪だもの(ドドイツ)

いまを生きるために

網野 おじいさんおばあさん、父親・母親が生きてきた世界を、自分たちは何も知らないんだということをいまの若い人に知っておいてもらう必要があると思うんです。だから夏休みのレポートは、前期に宮本常一の『忘れられた日本人』を読んでもらい、おじいさん、おばあさん、父親・母親たちから、自分たちが実際に経験してきた生活の話を聞いて、宮本常一さんみたいなレポートを書いてこい、と言うんです。いままでそんな話をしたことがなかったが、初めて母親と生活に即した話ができてとてもよかった、という感想を持った学生が何人かいましたよ。しかしわざわざ鹿児島まで、おばあさんの話を聞きにいったけれども、まったく言葉がわからなくて、なにも書けなかったという学生もいました。これほど違ってきているのですね。

 ともかく「いい」「悪い」の問題じゃなくて、知らないことを知らないまま、みんな知ってるつもりになられるのがいちばんこわいですね。

鶴見 高度成長の中で育った人たちは、映画を見たりCDを聴いたりすることがふつうになっているから、アメリカ、ヨーロッパと自然に連帯した気分があると思うんですが、アメリカは大変不景気になっているし、日本の外に出て行くと、いまの日本の暮らしはできない。いま日本の大学生は、アメリカに留学してもついていけないですよ。落第でしょう。入るのは簡単だけど、一年上がることは大変ですからね。

 つまり、気分だけは世界大だけれども、実は封鎖されてるんです。戦前、戦中になかった特別の鎖国状態にある。今の日本が未来に向かって開かれているかどうか、これも疑わしいです。日本の経済力が強くなって、しかも封鎖によって日本の文化がカプセルに入っている状態になっていますから、今の日本文化がインターナショナルになっているとは言いがたいと思いますね。そのことの自覚がないです。世界中の大学生がいまの日本の大学生と同じように勉強しないと思っている。それは幻想ですよ。

網野善彦

 幻想であることに気がついていないですよ。高度経済成長以後というのは、新しい特有の仕方での鎖国です。そのことの自覚がないのはこわいです。

網野 つい五十年前までの日本社会は現代からみるとすでに異文化であり、現にいまでも方言といわれる地方の言葉でしゃべったら日本人の間でも言葉が通じないんですからね。そういう認識を相互に持つような状態をつくれば、いまおっしゃったような、「鎖国」はうち破れるはずで、その認識を持ってもらわないと具合悪いと思いますね。(「歴史を読みなおす」網野善彦・鶴見俊輔『歴史の話』所収・朝日新聞社刊。)

(網野さんは歴史学者。04年2月27日に亡くなられました。76歳でした)

 宮本常一さんの『忘れられた日本人』(岩波文庫版)を読まれたことがありますか。そこに描かれているのはたしかに「日本人」だといえますが、けっして観念のなかでしか考えられない「日本人」ではありません。一人の男であり女、それも時代や社会に規定され、流され抵抗し、そして従容として生きて死んだ一人ひとりの男であり女です。無名で生まれ無名で歴史の中に埋もれるという「生き方」のすがすがしさがそこには満たされていると、ぼくには思われました。

 なんのために歴史を学ぶのか?

 《人間の不幸の大部分が天災地変でなく、あるいは何人かの悪い考え、また誤った考えから出ていることは、宗教家でなくてもこれを認めることができる。しかもその誤れる考えはもちろんのこと、いわゆる悪い考えというものでも、さらに今一つ根本に遡(さかのぼ)って見ると、あるいは境遇でありまた行き掛りであった。つまりこれを免れる方法が発見せられぬ間の考えなし、智慧なしまたは物知らずの結果であったことが、しずかに外に立って観察する者には、そう大した骨折りなしに、推論することができるのである。この原因の発見と理解から、ついで起るところの感情は、憎悪ではなくしておそらくは人を憐れむ心、世を憂える心であろうと思う。

 自分らは多くの日本の青年が、この大切なる中学教育の期間に、一度でもこのような寛大なる、利己的でない尊い感情を練習するの機会を得ずして学校を終え、突然として実施の職業生活に出立し、茫々たる浮き世の荒波に揉まれてしまう傾きあることを惜しむ者である。大は国全体のためまた世界のために、小は家庭郷党のために、これはまったく淋しいことであると思う》(柳田国男(「無学と社会悪」)

 この文章は1924年6月、栃木中学校での講演「歴史は何の為に学ぶ」をもとに編まれた「旅行と歴史」という一文にまとめられ、28年44に『青年と学問』(この本については拙ブログのどこかで触れています)という書名で出版されたものです。(現在は岩波文庫で読めます)

 ここで柳田さんは二十歳前の青年たちを前にして「歴史は何の為に学ぶ」とつよく問うているのです。多くの人(教師も生徒も)には「たんに治乱興亡の迹(あと)を知って、のちの誡(いましめ)とするという風に教えられた」あるいは上級学校の受験科目だから、ひたすら年代や事項を暗記することが「歴史を学ぶ」理由となっていたのではないか。歴史はたんなる教訓なんかじゃありませんね。どんなものにも意味があり、それをさかのぼって学ぼうとする姿勢こそが歴史を知る方法なんです。

 過去に学ぼうとしない世の風潮にたいして柳田さんは歴史を学ぶ理由をはっきりと示します。

 《それを自分はこう考えておればよいかと思う。我々がどうしても知らなければならぬ人間の生活、それを本当に理解して行く手段として、人が通ってきた途(みち)を元へ元へと辿(たど)って尋ねるために、この学問は我々に入用なのである。苦いにせよ甘いにせよ、こんな生活になってきたわけが何かあるはずだ。それを知る手段は歴史よりほかにない。つまり現在の日本の社会が、すべて歴史の産物であるゆえに、歴史は我々にとって学ばねばならぬ学科である》(同上)

 すべて「学問は歴史にきわまり候」といったのは荻生徂徠(おぎゅう・そらい)(1666-1728)でした。その意味するところは深くて広いですね。ある人を知るとは、その人がどのように生きてきたか(どんな考えで、どんなことをしてきたか)を知ることです。これは人でも集団(家、村、町、社会、国)でも同じことです。

 そして、歴史の学び方は多様です。いろいろな学び方をとおして自分流に歴史を知る、それが「かしこくなる」ということだと、わたしは経験してきました。ぼくたちは否応なしに歴史の中で生きています。あらたまって過去を学ぶというのではなく、日々の生活を誤りなく(あるいは大過なく)過ごすために「人間の生活」を自らのものにしてゆく手段・方法が歴史なのだとぼくは考えています。(人とはだれでも忘れられる存在だ)

学びなおす(unlearn)

 たいていの人は「教師が教え、生徒は学ぶ」というふうに考えているようです。でも、厳密にいえばそれはまちがいで、正確にいえば、「教師が話し、生徒は聞く」というのが実情に近いんじゃないですか。例えば、「(先生が)英語を教える」というのと、「英語を話す」というのでは、あきらかにちがいますね。黙って話を聞け、というのがじつは「教える」のことで、実際は「話す・喋る」の謂。「話す」ことばは、教師にも生徒にも先刻承知済みです。生徒がわからなければ、教師はそれを「教える」ことをしなければならない。教えると話すは根がちがう。

映画「こんばんは」(夜間中学)(右が教師)

 だから「話すー聞く」の関係は、そこ(両者の間)に暗黙の了解が成り立っているのです。ぼくの相手が日本語のわからない外国人の場合を想定してみるとよい。日本語がそもそも理解できなければ、日本語をわかるように伝え(教え)なければなりません。でも、「日本語」が話されているというのがわかるならば、内容(を理解するかどうか)は問わないというのが、多くの教室の状況じゃないですか。日本語がわかるということと日本語の内容がわかるというのは同じである場合もあれば、そうでないこともあるのです。おなじでないなら、教師はどうするのがいいのでしょうか。ここから教育(授業)は始まる。

戦前の高等女学校(授業風景)

 ここには面倒な問題がありますが、本当に〈教える―学ぶ〉関係というのはどういう関係なのか、それをていねいに考えることが肝要だと、ぼくはいいたいのです。
 〈考える〉、これを英語では〈think〉といいますね。この単語から派生したとみられる言葉に〈thoughtful〉があります。
 thoughtful:
 1 思想の豊かな; 思慮深い; 思いやりのある, 情け深い, 親切な.
  He was very ~ of my safety.
 2 考えにふけっている, 考え込んだ.

 さらには、〈rethink、unthink〉という語、〈relearn,unlearn〉という語もあります。
 一度「考えた」ところを、もう一度「考えなおす」ということです。だれかから、なにかから学んだことをさらに「学びなおす」という意味で使います。先に考えたり学んだと思われる事柄をご破算にするんですかね。はじめからやりなおす。自分流に、です。

 〈think〉なり〈learn〉は、ひょっとしたら「考える」も「学ぶ」もしていないのではないか。あるいはそれは受身の状態で外から与えられたままなのかも知れないのです。だから、それをもういちど、自分で、自分の力で「考える」「学ぶ」をしなければ、自分の経験にならないのです。自分の経験というところが、大切じゃないでしょうか。

ぼくの出身中学校。在校生は二千名を超えていました(京都市内)

 他人から教えられたままを「飲み下す」「鵜呑みにする」とはいかにも無理・無体です。わけもわからないで、口にいれるのですから、栄養にもならない。あるいは消化不良を起こすのが関の山です。うまくいって、経験が伴わない、頭でっかちになるくらいがオチですよ。本を読んで水泳を学ぶみたいなもんですね。これを「陸沈」といったそうな。(他人が書いた作文をいつでも読まされている「●●ソーリ」をみると、ぼくはこのことをも思ってしまいます。自己経験なしの、口先だけの騙りです。だれにもなんにも届かない。だから取り巻きがが苦労するのでしょうか。嬉々としているんでしょうか) 

 おなじことですが、〈I think.〉ということが成り立つためには、その前提として、〈We think.〉がなければならないんじゃないか。「ぼくが考える」ためにこそ、「ぼくたちは考える」をていねいに経験しておく必要があるのだと、ぼくは思うのです。

 もとをただせば、「知識」はだれかから与えられるものじゃなく、みずからがつくる(生みだす)ものであり、そのためには〈対話〉が欠かせないということを考えてみたい。その時、「黙れ」とばかり沈黙を強いられるとはどのようなことなのか、このことも合わせて考えてみることが必要じゃないでしょうか。「教えるー学ぶ」と「話すー聞く」は元からちがうんですね。

映画「こんばんは」(2003年、森康行監督)


【ここで一服したいね】

 「ほっとしたよ」と外科医が食堂の同僚たちのところにやってきて、溜息をついた。

 「ちょうどいいときに手術をした!もう一時間おそかったら、患者は手術しなくても助かるところだった!?」

(どういうこと? なにを言おうとするんですか?多くの教師は、この外科医と同類じゃないかな。恐いねえ)(これはぼくが言ったことではありません。どなたかの文章をメモっておいたのですが、いま出所不明です。探しておきますが、まず何が言われているのかだけを…)

半信半疑?

 この日の午前中、わたしは、マハトマ・ガンジーが生活したこの小屋のなかにずっと座っていました。この小屋に息づいている精神を吸い込んで、それが伝えるメッセージがわたしのなかに浸透するにまかせたいと思ったのです。この小屋では二つのことがたいへんわたしの心を動かしました。一つはこの小屋の精神的な側面で、もう一つはその居心地のよさです。この小屋を作るときのガンジーの視点を、わたしは理解しようとしました。また、この小屋の単純さ、美しさ、きちんとした様子がとてもわたしの気に入りました。この小屋は、すべての人びとへの愛と、すべての人びととの平等の原則を表わしています。メキシコでわたしに提供されている家も多くの点でこの小屋に似ているので、わたしはこの小屋の精神を理解することができるのです。

ガンジーの小屋

 この小屋には七つの場所があります。まず入ったところに、靴を脱いで、小屋に入るためにからだと心の準備を整える場所があります。それから、中央の部屋があって、この部屋は、大家族でもゆうに泊まれるほど大きい部屋です。今朝も四時に、わたしがその部屋で座って祈ろうとしていると、わたしの横には一つ壁に背をもたれて四人の人間が座っていました。向い側にも、くっついて座れば同じくらいの人数が入れる空間がありました。この部屋は、だれもがやって来て他人と一緒にいることができる部屋です。三つ目の空間は、ガンジー自身が座って仕事をする部屋です。さらにあと二つの部屋があり、一つは来客用、もう一つは病人用です。それから、外につながるベランダと広い浴室があります。これらの場所は、それぞれに非常に有機的につながっています。

 金持ち連中がこの小屋にやって来たら、きっとこの小屋を鼻で笑うかもしれません。でも普通のインド人の目から見れば、どうしてこれ以上大きな家が必要なのかわたしにはわかりません。この家は木と泥から出来ています。これが作られたとき働いていたのは、機械ではなく人間の手です。わたしはこれを小屋と呼びましたが、本当は「ホウム[うち]」と言わなくてはいけません。家[ハウス]とホウムとは違います。荷物や家具を納めておくのが家です。家と言うとき、われわれは、人間自身より、家具の安全や便宜を考えています。デリーでわたしにあてがわれた宿は、多くの便宜を備えた家でした。そうした便宜の観点から建物が構築されていました。それはセメントと煉瓦で出来ていて、まるで、家具と他の便宜品をうまく納めることができる箱みたいでした。われわれが理解しなければならないことは、われわれが一生のあいだに集めつづけるすべての家具や品物が、けっして内なる力をわれわれに与えないということです。それらの品じなは、足の不自由な人が持っているいくつもの杖です。こうした便宜を持てば持つほど、それに頼ろうとするわれわれの依存心は大きくなり、われわれの生活力はますます制限されていきます。

 それに対し、ガンジーの小屋でわたしが見た家具の類は、違う種類のものです。というのも、それらの家具にわれわれが依存しなければならない理由は少しもないからです。あらゆる種類の便宜に合わせて作られた家は、われわれが弱いものになったことを示しています。われわれは、生活する力を失えば失うほど、手に入れた品ものにますます依存するようになります。ちょうど、われわれが、人びとの健康のために病院に依存し、子どもたちの教育のために学校に依存するようになったように。病院も学校も、残念ながら、一国民の健康や知性の指標ではありません。病院の多さは、現実には、人びとの不健康を示し、学校の多さは、人びとの無知を示しているのです。同様に、生活を便利にする多様な品じなは、人間の生活のなかで、創造性が発揮される場所を最後の最後まできりつめてしまうのです。(イバン・イリイチ『生きる思想』桜井直文訳、藤原書店刊・1999)

 このような経験をイヴァン・イリイチ(Ivan Illich 1926-2002)がしたのは半世紀ほども前のことだったか。「あらゆる種類の便宜に合わせて作られた家は、われわれが弱いものになったことを示しています。われわれは、生活する力を失えば失うほど、手に入れた品ものにますます依存するようになります」という指摘は物質・便宜至上主義の時代病を言い当てている。ぼくたちの生きている時代ははてしなく「弱いもの」になっていくぼくたちに欠かせないと「信じ込ませる」品々でいっぱいになっています。もうそれなしでは生きていけなくなっているのです。ものを「多く」持っている人ほど「弱い」というわけです。コンビニエンスストアは、ぼくたちの弱さに付けこんで繁茂した蔓草のようです。コンビニの多さを誇る時代や島国はどんなところなんですかね。

 病院がたくさんあるのはそれだけ社会に(病人というよりは)「患者」が大量生産されているという意味であり、その社会の不健康度を示しているという。本来は自分の足で立ち、自分の足で歩くのが自然なのに、とイリイチはいいたいのでしょう。「病人(患者)」は「病院」が作る。いまでも問題視されるのですが、「無医村」や「無医地域」とはどんなところだったか。そこに、病院が作られた途端に、この地域に「病人(患者)」がこれほどいたとは、とは驚くのです。病院が必要であるのをぼくは否定しないが、それがいかなる種類の「治療」をほどこす病院であるのかがまず問われるべきでしょう。「患者」を自立した人間として尊重するような姿勢があるかどうか。

 「学校の多さは、人びとの無知を示しているのです」といわれて、「もうたくさんだ」と言下に拒否する(学校信者や学歴信仰者のような)姿勢を自分がとらないことを祈るばかりです。ものを学ぶのにどうして誰かに依存しなければならないのか、それも何年も何十年も、というのです。学校こそが「無知な人間」を作る。三十や四十になっても、七十や八十になってもだれかに頼るというのは、文字通り、学校社会であり、学校信仰社会であります。同じ答えでも、自分で考えついたのはよくなくて、教師から教えられるのが本当に価値があるとでも思っているのでしょうか。

 この「病院」と「学校」の存在理由をイリイチが述べたくだりは、今以上に周囲がよく見えなかった愚か者だった時代に、じつに大きな衝撃をぼくに与えたのでした。「脱学校」「脱病院」という彼の姿勢・思想は、以来ぼくの深部に巣くったままです。長く病院にいるとはどういうことか。学校歴が長いのは自慢することなのか。病院も学校も一人の人間の成長や自立にどんなことをしているのか。「医原病」はイリイチが作った言葉のようです。医療によって生み出される病気。「校原病」は?それはどんな症状をみせるのか。故岡部伊都子さんと話していた時、彼女はいいました。「私は学歴はあらへんけど、病歴だけはだれにも負けへんえ」。いかにも楽しそうに言われた。あるいは自慢気ですらありました。

 《物を疑うことの価値にめざめるとき、はじめて人間は進歩するのに、そういう起点は「忠誠」の二字におしつぶされていた。善意の教師、まじめな学徒はその害毒に深くむしばまれた。おしきせの優等生意識にはまりこんでいたぼくも例外ではなかった。だから日本人でない教師に出会ったとき、痛棒をくらうのは当然だった。

 東京外国語学校にはいってやがて作文を書いたとき、ぼくは「半信半疑」という日本語を横文字に直訳してもちいた。それを見たスペイン人ホセ・ムニョス先生は、ぼくをゆびさして言った。

「半信半疑?おかしいではないか。信ずるってことは疑わないことだよ。たとい二分の一だろうと三分の一だろうと疑う気持ちがあったら、それは相手を信じていないことではないか。どうして日本人はそんないい加減な言葉づかいをするのか」

 ムニョス先生は、驚きと忠告の思いを全身で表現しながら語った。ぼくは顔をまっかにした。はずかしさの裏に、しかし快感があった。英語のエデュケーションも、スペイン語のエドゥカシオン(教育)も、ラテン語のエドゥカティオ(ひきだす)という動詞からうまれたが、そのときのぼくは自分の内側から大切なものをひきだされていると自覚した。そういう快感だった。また、人間の言葉は全身で発音できることも、そのときに知った》

朝日記者時代のむのさん

《人間の可能性を信じて、それをひきだそうとささえ合う者はみな教育者である。その努力を怠る者は非教育者である。ひきだそうとしないで、逆に人間をなにかにおしこめようとする者は、職称が教育学者であれ教育大臣であれ、実体は反教育者である》(話し手・むのたけじ/聞き手北条常久『むのたけじ 現代を斬る』イズミヤ出版2003年)

 むのたけじさん(武野武治・1915-2016)は百歳を超えて仕事をされていた。「ぼくの人生には老後も余生もない」という生き方をぼくはむのさんから教えられた。「物を疑うことの価値にめざめるとき、はじめて人間は進歩する」というのはどんな教科書よりも教師よりもぼくの足元を照らす一条の灯りでありました。

 まったく異なった生き方をしたイリイチとむのたけじ。この二人が出会う交差点(crossing)にぼくは長い間立ち続けていました。今は脚力が衰えたために、安全を期して歩道に上がりましたが、それでもなお交差点を見つづけています。

 洋の東西、古往今来、「同じ方向・地点」を凝視していた先人がいた。ぼくにもめざす方向をさし示している無数ともいえる先人・先輩たちがいました。これまでの人生ではなにほどのこともできなかったけれど、いまなおその方向に向かってもたもたしながら歩き続けているのです。

俗物め、何を言うか

 なるほどわが邦目前の社会相は、かならずしも美しくまた晴れやかではない。人はみなたがいに争っている。欺(あざむ)きうべくんば欺かんとしてさえいる。この形勢をもって押進むならば末は谷底であることは疑いの余地がない。しかももはや打棄てては置けぬということと、在来の治療法では不十分であったこととを、よほど多数の者が認めるようになったのである。このうえは新らしい方法の発見、その次にはかならず救おうという決心とを必要とするのみである。この二つのものについては、人びとはまだ絶望はしておらぬ。ただ待遠しさの煩悶を見るばかりである。ゆえに自分は救われるであろうと信ずる。(『青年と学問』)


 これは1925年5月に信州東筑郡教育会における講演記録です。今日ただ今の講演ではありませんこと、念のためにお断りしておきます。状況はそっくりだという意味は、時代はいつも同じ状況下にうごめいているということでしょう。いい人もいれば悪い人もいる。政治家の風上に置けない輩もいれば、もって鏡とすべきという政治家さんもいる。詐欺もいれば強盗もいる、それが世の中。いずれ人間のすることですから、チョボチョボですが、時代に生きている人間にはしなければならない稼業・家業・課業というものがあるんじゃないですか。持ち場で、現場で汗をかきましょうかというのが柳田さん。

 ずいぶん長い講演で、多分一時間や二時間ではなかったように思われます。もっとも明治や大正の時代にはそれは当たり前で、ボクの記憶では柳田さんは八時間をこえる講演をしています。話す方も聞く方もたいへんな忍耐力だったし、それ以上に互いに学び合う姿勢がちがっていたんでしょうね。職場に行って、ご飯を食べて、夕方帰宅する時間になるまで「講演」するというのですから、半端じゃありませんでした。

 「青年と学問」をふくむ柳田さんの作品が一本にまとめられて、現在『青年と学問』として岩波文庫に数えられています。ぜひとも読んでほしい一冊ですね。やがて時代は軍国主義に席巻されかかる前夜(まるで戦前)でした。柳田さんのような考え方は楽観主義ともいわれましたし、また戦時中には体制派に取りこまれたともいわれました。他人はなんとでも言うのです。それはともかく、声を大にして「公民教育」の重要性を訴えんとしている柳田国男さんは異常なほどの情熱を傾けていたと思われます。それはなぜだったか。


 ここでいわれている「学問」とは、ひろくは「教育」という意味です。いったいなんのための教育・学問ですか?と問われて、

 「学問なんか何のためにするかという質問は、じつはもと我々には不愉快なる軽蔑の言葉に聴(きこ)えた。俗物め、何を言うか、およそ人間の努力、人間の携わり得るほどの事業のなかで、これが最も高い種類のものなのだ。実利世用の有無などは問うところでないのだと、独りごとには言い切っておりながらも、実際は内心窃(ひそ)かに煩悶した人が多かったのである」

 もちろん、柳田さんにとってみずからが生みの親たる「民俗学」(社会史)(文化史)を念頭においての啖呵であったことはまちがいないのですが、趣味に流れたり浮き世の憂さはらしがもっぱら教育や学問の意味だとされがちな時代にあって、彼はもっと現実的な視点でものごとをみていたということができます。

 「今が今までぜんぜん政治生活の圏外に立って、祈祷祈願に由るのほか、よりよき支配を求めるの途を知らなかった人たちを、いよいよ選挙場へとことごとく連れ出して、自由な投票をさせようという時代にはいると、はじめて国民の盲動ということが非常に怖ろしいものになってくる。公民教育という語が今頃ようやく唱えられるのもおかしいが、説かなければわからぬ人だけに対しては、一日も早くこの邦この時代、この生活の現在と近い未来とを学び知らしめる必要がある。ここにおいてか諸君等の新らしい学問は、活きておおいに働かねばならぬのである」

 信州の若い教師たちを前に、普通選挙法成立直後の「公民教育」の意義をおおいに説こうとしたのです。学問は世のため人のため、つまりは「経世済民」(けいせいさいみん=世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。経国済民。)(広辞苑)のためなのだというのです。国家のためといって、結局は一握りの国家本位主義者の餌食になるようなことがあってはならぬ。おかしいことはおかしいと、自分の考えをはっきりと表現する(言い切る)力をつけることこそ教育の大事だといったのです。

 この1925年には「治安維持法」も制定された。いわば人民に「アメとムチ」を与えたことになる。ぼくたちが経験している劣悪なる政情もまさに同日の談ではないですか。片手で握手を求めて、別の手で殴り倒すという乱暴極まりない政治がいよいよ末期の症状を呈しているのです。「碩学」が根を限りに青年たちに「選挙」の重要性を訴えたのは、どんなにいい制度が法律になっても、それを行使する権利や義務を放棄するようでは、権力の思うがままになるという経験からのやみがたい真情であったとぼくには思われます。いまどき「青年と学問」かよと笑われそうですが、笑わば笑え、マスクを買い占め、バカ高値で転売するこの島の現実をどう見る。付和雷同の行列列島は沈没するよ。いやもうしている。「妄動する国民」を載せて漂流する「日本劣島春景色」かよ。

 「上が上なら下も下」といっていいるだけでいいのか。「俺が法律だ」とぬかす政治屋がこのクニを破壊に導きつつある状況を座視していていいのかと、ぼく如きがほざいてもわめいても致し方ないのは当然です。だから拱手傍観を決めるに越したことはないとばかりに安穏をむさぼろうじゃないかというのでもない。「説かなければわからぬ人だけに対しては、一日も早くこの邦この時代、この生活の現在と近い未来とを学び知らしめる必要がある」と柳田さんにならうほかなさそうです。五十を超えた柳田壮年の意気をこそぼくのものに、だ。(「青年も老年も学問」を)

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\