右はなぜ正しいのか?

 《われわれの両手ほどよく似ているものがあるだろうか。しかし、両者の間にはなんという驚くべき不平等が存在していることだろう。右手には名誉と、嬉しがらせるような名称と、特権が与えられている。右手が行為し、命じ、「取る」のに対して、左手は、侮辱され、賤しい補助的役目を与えられている。左手は単独では何もできず、ただ、援助し、支え、「持つ」だけである》(R・エルツ『右手の優越―宗教的両極性の研究』ちくま学芸文庫版、2001年)

(*エルツ,ロベー=1882年生まれ。1904年、エコール・ノルマル卒業。1915年、第一次世界大戦の東部戦線マルシェヴィルで33歳の若さで戦死。フランスの社会学者、社会人類学者。デュルケム門下。1915年の悲劇がなかったら、師と肩を並べる研究者になったであろうと言われている)

 「右手はあらゆる貴族性の象徴でありモデルであるのに対して、左手はあらゆる庶民性の象徴でありモデルである。/ いったい右手の優越性の由緒はどこにあるのだろうか。また左手の隷従は何に由来するのだろうか」(同上)

〈人権〉の根拠はどこに?

[Ⅰ]右(right)と左(left)(PDICによる)
right:【形-1】正しい、正当な、ちょうど良い、適した、適切な、適当な、妥当な、適合した、ぴったりの、手頃な、ふさわしい、好都合の、合致した

右手用です

【形-5】右手の、右の、右側の、右方の◆【語源】人間は心臓の反対側にある手をよく使うところから、その手を使うことが正しいとされた。

【名-1】正しさ、正当性、正義、正しい行い、正しい考え方、道理、道理に合ったこと、善、公正さ、真相、正確さ、的確さ

Left:(各自で引いてみてください)

《ヤコブス博士は、オランダ領東インド諸島において医学的な診断の旅行を行った時、しばしば住民の子どもたちの左手が完全に縛ってあるのを目撃したと述べている。これは、子どもたちに左手を使わないように教えるためであったという》(エルツ・同上)

右利き用

 右手の優越はなにか強制されたものであり、それは一定の社会制度を反映したものだと考えられます。宗教観や宇宙観がその根拠になっているとも思われます。

 多くの地域で神聖な建物は東向きに建てられています。そこに入るには右足から。われわれの住む家もそれに習うかのようでした。東が固定されれば、南(明るい太陽の側)は右で、北(影の部分が広がる部分)は左になります。
manという単語を辞書で引いてみられたでしょうか。そこにはどんな意味が出ていましたか?聖書によると、男(アダム)(人間)の左の肋骨から女(イブ)が創られたことになっています。

右利き用(万事急須)

 Human right はこの島では「人権」「人としての権利」と理解されていますが、原義は「人間の右」であり、この「人間」はもともとは「男 Man」を意味していました。その証になるかどうか、「女」には Woman という別の表現が与えられていたのでした。(語源や語義の詮索になりそうなので深入りはしませんが)西欧語では「男と女」は当たり前に「人間」として並べられてきた(平等に)のではなかった。また、右と左という語も、多くの西欧語では(善と悪)正反対の語義を持たされてきました。摩訶不思議でしょう。

 「右は正しい」なら「左はまちがい」となるのが道理。この島社会にかぎらず、「左利き(left hand)」は好まれなかったどころか、忌み嫌われたこともあったほどです。ちなみに left handed を英和辞典で引いてみると「左ききの、左手用の、左回りの、左手の、左巻きの、左撚(よ)りの、不器用な、下手な、疑わしい、あいまいな」などとけしからん「説明・解説」がつけられています。エルツの前掲書のタイトルは「右手の優越」=La preeminence de la main droite であります。(プレエミナンスのeeにはアクサンがつきます」

 何十年も前に、麻丘めぐみさんは「わたしの彼は左利き」と歌いました。(つづく)(2020/04/11)

気分は悲観主義から

 「働くとはどういうことだろう」

 簡単なようで、ぼくにはとてもむずかしい。働く、仕事をする、職業に従事する、労働する、生活の糧を得る、活計(たつき・たずき)を立てる。いろいろな表現ができそうですが、根幹部分では同じようなことをいうのでしょう。暮らしをいとなむということです。なにも(労働を)しないで生活できる人もいます。羨ましいとはおもわない。でも、大半の人は生活の糧(資)を得るために働きます。働かなければ生きていけないからです。人生は労働からなる、そういいたいね。

観覧車が好き

 「働く」という言葉からどんなことを想像しますか。会社勤め、いろいろな分野の職人さん。あるいは音楽や美術、文学などの創造的活動(芸術などという)。いずれにしても、ほとんどはみずからの人生をより幸せにし、豊かにする。ひいては他人のために役に立ちたいと願いながら、来る日も来る日も仕事についていこう、と。ぼくはそのようにかんがえてきました。人の役に立てるから幸せなのだ。「働く」を通して人の役に立てる、そんな時代なんだろうか。労働が苦役になっていないかどうか。

 ぼくはときどき若い人たちに「いい人とは」と尋ねることがありました。たいていの人は簡単には答えられなかったみたい。時間をかけて答えを出すような質問でもないとおもっていたから、ぼくは少し驚きました。「いい人」って「人の役に立つことをする人」「困っている人に手を差し伸べる人」じゃないですか、とぼくはいつもおもっているんですが。

 《幾何学の冷たい顔の前で尻込みしたその当人が、自分で選び従事してきた職業についていて、二十年後に私が彼にめぐり会い、実地にやってきたことにおいて彼は十分に聡明であるのに気づく》(アラン)

上り下りが激しいのは苦手

 子どもにとって「勉強(=仕事)」は山登りのようなものだとぼくは経験から学んできた。一歩ずつ歩けば、きっと頂上に近づく。急いで登れば失敗する。遭難することさえあります。無事に頂上にたどりついたところでだれも褒めてくれない。なぜなら、それが目的で登ったのだから。「山があるから登ったんだ」というのかな。自分の意欲を発揮する、まあ、自主トレですよ。はたして山登りの効用はなにか。第一歩をしるし「尻込みをしないなら」、富士山にもアルプスにも自分の足(ちから)で登れる。自分が高まるというか、成長するというか。

 算数の学習も山登りの苦しさも、かかった通行料も困難さもだれにも同じ。「根気のない者には打ちかちがたいが、しんぼうづよくて一時に一つの困難のことしか考えない者にとってはなんでもないことだ」とアランはいう。

 重要なのは困難の度合いを少しずつ強めることです。小さい子に、いきなり跳び箱五段を飛べというのは無茶だ。どんな仕事(職業)においても、それなりに習熟・熟達するには時間がかかる。「自分で選び、従事してきた」というところが大切ですね。強制され、命令されたものは、たとえそれが当人の幸せになるとしても許してはならない。「頭の良し悪し(偏差値)」をいうのは論外で、アラン流にいうなら、「額(ひたい)ではなく、顎(あご)で」人間を判断する必要がある。足したり引いたりする部分ではなく、納得するまでは動かないという(意欲の)部分を評価するのです。額(ひたい)は計算(知識)の領域、顎は意志の領域だといいたい。

注意しないと危険。

 学歴や学力などよりも、社会的な名声や地位などよりも、人間の精神(前頭葉の機能でもあると今日では言われます)のあらわれである「意欲する」「注意深くなる」ことにおいて人間を認めたい。尊重するという意味です。そんなの、当たり前なんだよね。「誠実」っていうのは、自分が「選んだ」ことを都合よく忘れないことですね。人でも物でも、自分が選んだというところが肝だ。強いられるというのとは反対です。意欲し、注意して(人でも物でも)選ぶ。失敗はあるよ。それが糧になるね。どこかの大学の教員が別居中の妻を殺害したという報道がありました。「情念」が暴れたんだ。これが不幸を生むんですね。防げたかもしれないのに、意欲しなかったから「あやまち」を犯したのでしょう。

 《そのことから私は、生徒の勉強は性格のための試練であって、知性(ものを知る部分)のためのものではないという結論に達する。それが綴字法(つづり方)であろうと、訳読あるいは計算であろうと、重要なのは気分に打ちかつことであり、意欲することを学ぶことである》(アラン)          

 子どもが学習(勉強)する、それはまちがいなく一つの「仕事」です。残念ながらといえばいいのか、給料はもらえないけれども、たしかに働くことです。「宿題やったら、お小遣いあげる」という親がいます。「しなかったら、あげない」のか。気分に打ち勝つ(克つ)、自主トレーニング。でもそのほとんどが「強いられる」のはどうしたことか。勉強のなかに遊びがあり、遊びのなかに勉強があるにもかかわらず、です。多くの場合、遊びも勉強(学習)も軽くみられすぎている。多くの場合、両方を貶めているのですね。ぼくはいつでも遊び過剰人間でした、今でも。

いい空気を脳内に。

 それはともかく、勉強(学習)を通して「(意欲する)ちから」をつけ、みずからを鍛えて、いつかは「人の役に立つ」、そのための訓練の場が学校じゃないですか。だから、学校というところは、一人ひとりが「幸福になる」ためにみずからを訓練(練習)する場所である必要があります。今の学校はどうなっていますか。ぼくがここでいおうとするような、訓練の場となっていますか。気分屋を作っているのでは?「百点取れたら、お金をあげる」というのは馬に人参。猫に小判、豚に真珠などといって猫や豚を小ばかにしていますが、彼や彼女はそんなものを歯牙にもかけないという意味では、「金物」好きの人間を越えていますね。

 成功したから満足なのか、満足していたから成功したのか。

 「失敗は、なるたけしない方がよいに決まっている。けれども、真にこわいのは失敗することではなく、いい加減にやって成功することだ」「やってできないこと、やろうとしないからできないこと、この二つをいつでもはっきり区別することだ」(むのたけじ)

 勉強(学習)でも仕事(職業)でも事情は同じですね。「気分は悲観主義で、意志(意欲)は楽観主義から」ですね。気分を野放しにしておくと、殺人にまで至ります。戦争はそれの最たるもの。(2020/03/18)

人生に何を求めますか

 前回、ソローをもちだしました。彼について触れるのはぼくのこの上ない喜びですね。彼は大学を卒業してからいくつかの職業(教師、測量技師等)につき、最後は鉛筆(白墨づくり?)の制作に従事しました。それがもとで胸を病み、1862(文久2)年、45歳という若さで亡くなったのでした。明治維新の5年前です。漱石や子規などが生まれるほんの数年前のことです。ぼくは彼らも好きでしたが、それ以上に異国のソローに魅せられたのは、彼の「自由さ」という、考え方や生き方に見られる柔軟な視点・視野によるものでした。ソローは意志(will)の人でありましたけれども、けっして我を張る(頑張る)ような、意固地な人ではなかったとぼくには思われたのでした。

 一つのことにとらわれない、ある方向に一方的に偏向しない、しなやかであり強靭な意志の力を彼の生活から感じ取れたと思ったからです。若い時に読んだ印象は、さわやかな、すがすがしいというものでした。漱石や子規とはまったく異なった詩情というか、こだわりのない印象が強烈でした。その経験は、それ以降においてもじつに貴重なものになりましたね。ぼくの「方位磁石」ともいえる人です。自動車の方向指示器は右か左だけ、それで不足はないのでしょうが。実人生の場合はとっさの判断やいずれにも決めがたい選択に迫られることはしばしばです。自分の判断を他人に頼るのではなく、迷いながらさしあたりは、こっちにしようという判断や決断にゆとりを持たせる生き方に魅せられたといえるかもしれません。

 以下の文章は彼の著書からの抜き書きです。ソローという人がいかなる方向に向かって生きようとしていたか、それがよくわかると考えたからです。彼は決まりきった思想(教条)や主義主張で生きた人ではなさそうです。「これしかない」「これが正義だ」という硬直した棒のような生き方を徹底して排したのです。自分を支えるのは「自分がしている生き方」という毎日の生活態度でしかないということをぼくたちに示してくれました。(いかにも芸のない話ですが、お読みください)

 「お金が手に入る道は、人を堕落させます。例外はないと言ってよいでしょう。みなさんがお金を稼ぐためだけに何かをしたというのであれば、それはむなしいことです。いや、もっと悪いでしょう。もし、働く者が雇い主の払う日当の他に何も手にするものがないとしたら、彼はだまされているのです。そして自分で自分をだましているのです。作家か講演者としてお金を得ようと思ったら、人気者にならねばなりません。それはもうただ堕ちていくことです」

 「何のために働くのですか。生計を立てるためですか。「よい仕事」を見つけるためですか。ちがいます。ある仕事を心から満足のいく形で仕上げるためです。働く人に十分な支払いをするとしても、単に生活のためというような、低い目的のためではなく、働く者が知識にふれ合う、あるいは道徳的な目的のために働いていると感じられるとしたら、そのほうがお金を支払う町にとっても結局は有益でしょう。町の皆さんは、仕事をお金のためにする人間でなく、その仕事を愛している人を雇うべきです」

 「自分の気に入った仕事に心ゆくまで専念している人が非常に少ないのに、ほんの少しのお金や名声に目がくらんで今している仕事を捨ててしまう人が多いのには、驚きます」

 「人々が人生に求めるものは何ですか。ふたりの人がいるように思います。一人はあたりはずれのない成功に満足します。つまり銃を水平に構えて標的を狙うので、みな命中します。もう一人のほうは、生活は貧しく、出世街道から離れていますが、地平線よりわずかでも高いところに、絶えず自分の目標を上げていきます。私は後者のようになりたいのです。東洋人がいうように「いつも下ばかり見ている人は、すぐれたものに出会うことはなく、上ばかり見ている人はみな貧乏になっていく」ことは確かでしょうが」

 「『賢い』という言葉はかなりの場合、誤って用いられています。他の人々より生き方に深く通じているわけでないのなら、つまり、他の人より狡猾で頭が切れるというだけなら、どうしてその人が賢い人といえるでしょうか。知恵の女神は囚人が踏み車を踏むような単調な仕事をするでしょうか。あるいは彼女をまねすることで成功の秘訣を教えてくれるでしょうか。そもそも人生に適用されない知恵というようなものがあるのでしょうか。知恵の女神は、論理を石臼で碾(ひ)いて精緻なものにする粉屋にすぎないのでしょうか」 

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政府の権威について

 【一】

 白昼に夢を見るような気分でぼくはこの駄文を書いています。民主主義をどう捉えるか、その根本の姿勢をぼくはアメリカという国家が作られた直後に誕生したソローという人から学びました。(もちろん彼からだけではありませんが)民主主義(democracy)はいまだにどこにも実現されていない。だが一面では、どこにでも見て取れるということもできるのです。彼にならって言えば、民主主義は第一義的には暴力に対する抵抗(不服従・disobedience)です。(ヘッダー写真は知市立自由民権記念館)

《私はいかなる人とも国家とも争いたいとは思っていません。些細なことにこだわったり、つまらない差別をしたり、隣人たちよりも上位に自分を置きたいとは思っていません。むしろ私は国の法に従う口実を探してさえいると言っていいでしょう。もういつでもそれに従う用意はできているのです。ところが実際はこういう自分に疑問をいだいてしまうのです。(中略)

  しかし、私にとって政府はそれほど重要でもありませんし、政府について将来考えることもほとんどないでしょう。この世界に暮らしていても、私は政府のもとで生きている瞬間はそれほど多くありません。実際、人は思想、幻想、想像の虜にならないかぎり、すなわち存在しないものを長期にわたって存在していると思わないかぎり、愚かな支配者や改革者によって致命的なかたちで干渉されることはありません。(中略)

  私のような者が進んで従うつもりの政府の権威―というのも自分より知識と実行力がある人に、また多くの点でそれほど知識や実行力のない人にも、私は喜んで従うつもりなのです―そういう権威であっても、やはりまだまだ未熟なものです。政府の権威が厳密に正当であるためには治められる者の承認と同意が必要です。

 政府の権威は、私の身体と財産に対して、私が認めたもの以外は、なんら理論的な権利をもつことはできません。専制君主制から立憲君主制へ、立憲君主制から民主制への進展は、ほんとうに個人を尊重する過程です。私たちが現在知っているような民主制が、政府において可能な最後の到達点なのでしょうか。人間のさまざまな権利を認め、それを有機的につなげるさらなる前進は可能ではないのでしょうか》(ソロー『一市民の反抗』山口晃訳、文遊社刊。2005年)

 【二】

 ソロー(Henry David Thoreau)(1817~1862)、アメリカの詩人、思想家、ナチュラリスト。マサチューセッツ州コンコルドに生まれる。終生、自分の足で歩き通した人でした。どんな肩書きにもおさまらない存在だった。没年は「文久二年」。代表作には『森の生活』がある。純正の民主主義者だといえるでしょう。アメリカがメキシコの領土の半分を奪った戦争(*)に対して、彼は反対し、人頭税を支払わないという態度を取ったので、監獄に収容されたこともありました。(だれかが税金を彼に代わって支払ったのでやむなく出獄した。ソローの意に反して、税金を払ったのは彼の先輩であり師でもあったエマーソン(*)だったとされています。かれはアメリカが誇りうる至高の思想家、宗教家でした。二人の間にいくつか逸話が残されています。そのうちの一つ)

(*)1846~48年のアメリカとメキシコ間の戦争。テキサス州がメキシコから脱してアメリカに合併したことに端を発した。アメリカはニュー‐メキシコ・カリフォルニアの広大な地方を獲得。メキシコ戦争。米墨戦争。(広辞苑・第五版)

(*)Ralph Waldo Emerson(1803-1882) 多方面で大きな仕事をした人。彼についてもいずれはていねいに駄文を綴りたいものです。ここでは省略せざるを得ません。

 ソローが収監されていた刑務所に赴いたエマーソンは「こんなところに入っていて、君は恥ずかしくないのか」と詰問したのです。そのエマーソンに対してソローは応えた。

 「あなたこそ、そちら側(刑務所の外)にいて、恥ずかしくないんですか」  

 ソローはどのような民主主義(国家)を願ったか。「政府というものは、できるだけ国民に干渉しないほうがいい」し、「まったく干渉しない政府が最もいい」と彼は言う。また、「国民一人ひとりにそうした心構えができれば、私たちの政府はそうしたもの(まったく干渉しない)になるでしょう」とも。

【三】

《国家が個人を国家よりも高い自律した力として認め、国家自体の力と権威はその個人の力から生まれると考え、そして個人をそれにふさわしいかたちで扱うようになるまでは、ほんとうに自由で開かれた国家は決して実現しないでしょう。すべての人にとって公正であり、個人を隣人として尊重して扱う、そうした余裕をもった国家が最後にはできることを、私はひとり想像しています。

ウオールデン湖-『森の生活』に描かれている

 そのような国家は、もしも国家から離れて暮らし、国家に口をはさまず、国家によって取り囲まれず、それでいて隣人、同胞としての義務はすべて果たす少数の人たちがいても、その安寧が乱されるとは考えないでしょう。国家がそのような果実を結び、熟して自然と落下するような経過をたどれば、さらに完全で栄光ある国家への道が開かれるであろうとまた想像することもありますが、そのような国家はまだどこにもありません》(同上)

 ソローの考える民主主義に根差した「小さな国家群」観をみれば、ぼくたちはいま、いったいどのレヴェルにいるのかが判然とするでしょう。気が遠くなるという方もいるでしょうし、夢のまた夢だからこそ、目を覚ます理由もあるというもの、だからと遠くを見据える人もいるでしょう。たしかにこの島の政治や政治家の質を想えば、卒倒するばかりです。以前(半世紀ほど前)は政治家が無能でも、官僚が優れて国家運営をするでしょうよ、とまあ任せられるように考えたりしたこともあった。

 現状はどうです。どっちもどっち、政官の堕落競争です。税金の分捕り合戦の様相を見せてもいる。この醜悪な争いには限界がなさそうです。さて、どうします。ぼくにはもう一度、ソローたちに学び、ゴミの山のような政治家連中には指一本触れさせないような生活状況を作るほかないでしょう。個人の成長と同時に国家もまた成長しなければ、「国民」の不幸は止むときがありません。私生活に土足で踏み込まない、それだけの政治をしてくれ。(この項、さらにつづけます)(2020/02/29)(右は:ウオールデン湖畔ソローの自作の家」

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子どもの脳を壊さないで

 「きっと学校は「子どものために」と考えて山のような宿題を出したり、休みまで決まりでがんじがらめにしようとするのだろうが、どうも現在の日本の公教育は、子どものためではなく、国のため、あるいはその体制を維持するためにのみ作られているような気がしてならない。

 要するに、言われたことを鵜呑みにせずに、自らのきちんとした考えや信念に基づいて物事を広く深く問う人間よりも、素直に与えられた餌を食い、おとなしく淡々と働いてくれる人間の方が、国家を維持する上で都合が良いのだ。日本の公教育が生産し続けて来たのはまさに後者のタイプで、戦後の日本の発展ぶりから考えると、その教育システムは偉大な成績を残したと言わざるを得ない。

 しかし、ある意味で「完成」され、その結果あらゆる面で行き詰まり、さ迷い始めた国家にとって、必要なのはもはやおとなしい働き蜂ではないはずだ。

 学歴を問わず、むしろ、「良い子」に拒絶反応を示す企業も増え続けているのだ。今こそ教育を根本から考え直す時期だと思う。(略)

 素人の僕に言わせれば、学校は先生から子どもへの一方的な知識伝達の場ではなく、先生が橋渡し役として、子どもたちが自らあれこれを企画したり調べたり、創作したり討論したりして、その全体を通して物事を考える「コツ」を身に付ける場であるべきだ。

 学問は面白いし、子どもは色々と学びたがる生き物だ。子どもを主人公に考えさえすれば、彼らが行きたくて仕様がない学校を作れないはずがない。

 そんな学校ができないなら、せめて休みをうんと長くし、休み中の宿題などをやめて、我が子の脳細胞を少しでも多く残してほしいものである」(Jeremy Angel「とにかく変わらなきゃ」)

 いかがですか、エンジェルさんの学校に関する意見は。Jeremy Angelさんは1951年にイギリスで生まれ、カナダ国籍の在日者です。76年来日、ただちに北海道のムツゴロウ王国(現在は滅亡)に入国。動物学者でもあります。現在は八ヶ岳山麓の富士見町に暮らす。著書や写真集多数。「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」のプロデューサーでもありました。(https://www.oraho-fujimi.jp/people/angel.html

 列島(ぼくは意図的に「劣等」という語を使います。変換ミスではなく、この島の頽廃した現状を一語で言い当てていると愚かにも考えるからです。それにしても、なんともダサいね。「インバウンド」なみだよ)の歴史が始まってからつねに外からこの島国に来る人はたくさんいました。(発端はすべて外来ですね)いまでは「インバウンド」などという耳なれない、怪しげな単語がだれかれなしに多用され、「外国人観光客」などという使い方をされます。ホントにそんな意味なんですかね。「インバウンドツーリズム」の省略ですか。そのインバウンドもまったく鳴りを潜めざるを得ないような事態に襲われています。(「オリンピック」の開催が怪しいと。もともと開催すること自体が怪しいんだね。今からでも遅くない…。外国の新聞にはイギリスが代わりにやろうかと出ていた。あの島国にいわれるようじゃ。)

 ジェルミさんは定住者。外から来て、ある時間をこの島で過ごすと、いろいろ不都合なところが見えてくるんです。観光なら嫌なところも、観たくないところもスルーできます。定住・永住となれば事情は変わる。まして、就学期の子どもがあれば、なおさら学校ってなんという奇天烈な場所だろうと驚嘆するのでしょう。ジェルミさんと同じよな疑問や批判を持つ外国籍の定住者はたくさんおられます。(そのなかには在日コリアンもおられます)

 「きっと学校は『子どものために』と考えて山のような宿題を出したり、休みまで決まりでがんじがらめにしようとするのだろうが」といわれていますが、実際は、子どものためではなく、教師たちの職場なんですね。仕事場。ものを生産する工場です、といえば怒られますが、システムは似たようなものです。学校は刑務所とそっくりだと断定したのはフーコーという思想家でした。詳しくは延べないが、規則づくめ、処罰の山、時間で動く、クラス分け、分業制、徹底した監視付き…という具合に内部も外観もウリ二つでした。いまは斬新な外観をもつ刑務所もあり、学校もあります。してみると子どもたちは「囚人」(衆人ではない)か。右向け、立て、坐れ、休め、直れ…。なんとたくさんの号令があることか。号令は教師がかける。だから教師は看視。ぼくが在学した中学校は生徒数2000人超というマンモスでした。一学年10数クラス。学校といえば、京都の街中(郊外といわれそう)にあった、規模の大きさと暴力的な教師たちで混とんとしていたガッコウを思い描きます。教師の質に比例して生徒もなかなかの猛者でした。真昼の果し合いじゃない、教師へのお礼暴力も頻繁にありました。学校(社会)では「目立つな、罠にかかるぞ」というのが信条でした。

 「素直に与えられた餌を食い、おとなしく淡々と働いてくれる人間の方が、国家を維持する上で都合が良いのだ」という。彼が長野県の富士見町に定住するようになったのは今から三十年ほど前でしたから、学校の様子は随分と変わりました、よくなりましたよ、といえないのが残念ですね。手を変え品を変えて、「都合の良い人間」づくりにまい進してきたのが学校だった。だから、それに自分を合わせるのを拒否する子どもや親たちが後を絶たないのです。不登校などという現象や数字をあげつらうが、ぼくなどは学校には行きはしたが、授業なんかくそ喰らえ(下品ですみません)という態度を一貫していました。登校者の中には、こんな不埒な「非登校」(非校少年)は五万といたし今もいるでしょう。学校や教師には不信感だけをもっていました。(「かわいそうな××」とやまのかみがほざく)

 学校を変えることができないなら、休みを多くしてこどもの「脳細胞」の破壊をすこしでも阻止したいという彼の願望あるいは決意がトンデルじゃん。余計なことをしてくださるなというわけ。生きていくのに必要なものは必ず自得するものだという基本の哲学(態度)が子ども(親・教師)にあれば、学校はすこしは〇くなる、角が取れるんじゃないですか。週休五日制、登校日は午前中だけで下校。宿題はなし。教科書などは学校に常置。手ぶらで登校、手ぶらで下校。私服制服いずれも可、くわえて授業料は無償・霧消。こんなことを認める気遣いなど当事者にはないから、無茶苦茶なことを「咄して」いると思われそうですが、そうでもないですよ。よほどの変わりものでなければ、もう一度刑務所にはいりたいとは考えない。学校が変われない・変わらないのは「子どものための制度」じゃないからですね。

 子どもたちが教科書をつくる、成績表(通信簿)はいらない。(ぼくの愚弟は改ざんした「成績表」を親に見せていました。ぼくは悪い影響を受けなかった)通知表のない学校、そんな学校がありました。公立でしたよ。たしかジェルミさんがお住いの近くでした。でも目障りだったから、いろいろと干渉され、いつの間にか元の木阿弥。学校は変わらないし変えられないし変えない、とジシンをもって宣うのはだれだ。学校制度は、たかだか百五十歳。これからですよ。あってもいい、なくてもいいとさえ、ぼくは考えてきました。いじめをなくするには、学校をなくす、といって笑われたことがります。

 蛇足 ぼくの友人(すでに亡くなりました)が富士見町にログハウスを購入したので、誘われて出かけたことがあります。二十年以上も前。たしか一泊した記憶あり。なかなか素晴らしい環境でした。ジェルミさんはいまではすっかり土地の人。たくさんの猫と共棲中でしょうか。彼が書いた猫本も何冊かを読みました。妙高だか黒姫だったかにもう一人の定住外国人がおられます、たぶんいまでも。ニコリじゃなかった、(^▽^)/るさん。(インバウンドは使用禁止にしたいね)追記 C.W.ニコルさん(左上)は本年4月3日に亡くなられました。合掌。(2020/2/21)

「優劣なし」を腹の中に

 先年亡くなられた鶴見俊輔(1922-2015)さんに、ぼくはとても教えられました。何から何までというのはまちがいでありますが、大切なことを大小となく、くりかえし彼から学んできたと思っています。教えられるというよりは学ぶというのか、もっぱら学ぶ側の受け取り方が「学ぶ」の内容になりますね。お会いしたのはほんの数回だけでしたが、彼から教えられた(我流で学んだ)ことを自分の中にたしかなものとして、これからも育てていきたいといまなお願っているほどです。いずれは鶴見さんについて自己流の解析というか総合というか、偏頗になること請け合いの「鶴見論」「俊輔流」なるものを書いてみたいと無謀な計画を持っている。彼はどんな場合にも「日常性」を手放さなかった(たぶん)、プラグマティズムの哲学を一貫して実践された(きっと)人として、ぼくは記憶に刻みつづけています。ここでは、「優劣なし」という哲学・思想にかかわって鶴見さんの文章を少しばかり引用してみたくなりました。(この芦田さんも面白い方でしたね)

 「私は芦田恵之助という人をとても好きなんですけども、芦田恵之助は、最終的に自分の教育の哲学はね、優劣なしってことだった。子どもに対するときに。それはすごいと思うんですよ。つまり、子どものね、一点から五点への評価でね、ことは終わったっていうことはもう、断じてあり得ないんです。子どものどれだけをわれわれは知っているのか。子どもに優劣あるはずはないってことを一方で、根本的な信条として持って対応しているでしょ。しかしある意味で評価はするのでしょ。しかしそんなことは仮の評価でしかありえない、常にその評価を自ら信頼しないっていうとこがね、芦田恵之助の活力であった気がする。その後の生活綴方ってのは芦田をはるかに越えたと思うんですけれども、それにこれはマルクス主義としての基準から優劣を決めるわけで、私はその底には芦田恵之助の哲学、優劣なしのナンセンス教育哲学は、全体としては克服されないと思います。そこのナンセンス性ってのはね、芦田にとっては教育の哲学のもうアルファであったらしい。児童文学というものとしてもアルファであり得るんじゃないですか。」 

 「それでね、点をつけないってことは、とてもいいことだと思うんだけど、しかし、つけてもですね。優劣なしっていうようなものを腹の中に持って対している教師とそうでない教師と違いますよ。だけどやっぱりナンセンスの底にあるものは優劣なしで、それはやっぱり無の活力なんじゃないかな。そういう思想がね。(略)」(「センスとナンセンス」1972。『鶴見俊輔集』10に所収。筑摩書房刊、1992年)

 ここに述べられている芦田恵之助氏(1873-1951)は日本の教師。号は恵雨。兵庫県出身。後年東京高等師範学校付属小学校の訓導。鶴見さんは同校出身でした。芦田さんは晩年、授業行脚と称して各地に授業や講演活動を展開されました。彼が大きな役割を果たした「生活綴方」教育運動について、ぼくは深い関心をもってきました。いまでも何人もの「生活綴方」教師たちの仕事に深い敬意を抱いています。芦田さんは変わったというか破天荒な教師だったと思います。その一面に鶴見さんは触れておられました。まあ、一種のカリスマというか「教祖」的な人でした。いわば芦田教の信者の結社といいたいような「信仰団体」が各地に生まれていましたし、私淑の域をはるかに越えた心酔ぶりをみせる「教徒」「門徒」もおられました。いかにも彼は日本的な教育者だったとも言えますが、「優劣なし」という一点をもって、ぼくは芦田さんの教育論を受け入れました。そのあたりの機微をも含めて、芦田式授業論を祖述する機会を見出したいと願ってもいますが、さて、持ち時間が足りますかどうですか。(つづく)(2020/2/15)

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