頭はいいけど利口ではない

 頭がいいってのは、なんだよ。足したり割ったりを覚えるだけではないか。それで人生を渡っていけると思うのかよ。会社に入ったって大事なのは計算ではない。人間関係でみんな苦労するんだ。会社をクビになっても生きていけるけど、家族と心が通わない、友人もいない、そんな人生になんの意味があるんだ。足し算引き算は学校で習うけど、人との付き合い方は親から学ぶものなんだよ。

 今の大企業の経営者も、頭はいいけど利口ではないのばかりですよ。計算はうまいけど、人の気持ちが読めない。だから間違うんだ。コマセを撒かないで魚を釣ろうってやつばっかりなんだよ。意味は自分で考えてくれよな。俺は解説したくない。俺はそこまで言いたくないよ。(岡野雅行・松浦元男『技術で生きる』)

(こませ= 釣りで、撒(ま)き餌。また、それに用いる小魚など)(大辞林)

 岡野雅行さんのものです。墨田区の小さな町工場の代表社員(社長)。幼少時の遊び場は向島(墨東)だった。彼はどのようなことを言っているのか。また、学校教育をどのようなものとしてとらえているのか。

 教える、教えすぎる教師はくさるほどいる。でも、子どもにむかって真剣に質問する教師は驚くほど少ない。おおくの教師は自分では「質問している」とおもっているだけ。そのじつ、自分が作った「正解」をかくして「これはなんですか?」と聞く場合がほとんどです。答えを知っていながら(知らないふりをして)、子どもに「質問する」というのは子どもをみくびっている証拠です。そこには真剣さがみられない。

 そんなことばかり強制されると、出された問題には「正解はひとつ」で、それを「知っているのは先生だけ」だという日常生活ではありえない「神話」を子どもは信じこまされるようになる。どんな問題にも「正解はひとつ」などということはありえないのに、です。この不思議なからくりは教師の側の事情による。「正解はひとつ」ときめれば、採点はかんたんだし、それに対して文句をいう生徒がでないという安心感が生まれます。一種の権威主義から、さらにはご都合主義からの手抜きです。

「頭はいいけど利口ではない」のを作るのが学校なのでしょうか。「意味は自分で考えてくれよな。俺はそこまで言いたくないよ」

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 お化けの寅って知ってるかい

 その昔、東京は下町、墨田、足立、江東あたりの金型(かながた)が地場産業の町工場地帯では腕が勝負の職人は、安定もなければ束縛もないという勝手気ままな生業(なりわい)だったんだ。つまりあっちふらふら、こっちふらふら。往々にして極楽トンボでよかったんだよね。雨が降ったら仕事を休み、夕日を拝む前から酒を飲み赤ら顔。そのまま深酒をして翌日体調が悪けりゃまた、仕事は休み。さーて、次はいつでてくるやら…。

 こんなぐうたらはこのあたりじゃ、普通の男たちで、勝手気ままな輩(やから)のことをお化けの寅といったんだ。

 なぜ、お化けの寅かって?

 寅は一日千里を走るといわれるだろ。今度はどこに出てくるのかわからないような渡世人だから寅といわれたのさ。

 寅は不真面目のようだが、この不真面目なのが実はいいんだな。

 どうしてって、不真面目な男は真面目になれるだろ。

 だけど、真面目は不真面目にはなれないんだよね。これ性根(しょうね)の問題だから。 世間では不真面目というと聞こえは悪いが、寅は世間体など気にすることなく、自由きままに人生を愉しむ術を知っていたんだよね。

 さて、似て非なるものが不真面目と莫迦(ばか)。

 利口は莫迦になれるが莫迦は死ななきゃ直らない。

 職人ってのは腕に覚えさえあれば、自由気ままに生きることができる勝手気ままのものだったんだよね。(岡野雅行『あしたの発想学』リヨン社刊2003年)

 1933年東京墨田区に生まれる。45年に向島更生国民学校卒業後、家業の金型工場を手伝う。72年父から家業をお受け継ぎ(実際には「乗っ取り」でした、岡野工業株式会社に。携帯用の小型電池「リチウムイオン電池」、世界最細(直径60ミクロン)の「痛くない注射針」などの製作にあたる。

 岡野さんに代表される最少学歴保持者でかつ職人さんをつぶさに見てみれば、いったい学校教育は人間を賢くしているのか、あるいは弱くてどうしようもない人間を作りだしているのか、実に不思議とも奇妙とも思える感情が湧いてきます。

 「勉強は大嫌いだった。その代わり、誰よりも遊んだよ」というのは岡野さん。こんなセリフを吐きたくても吐けないように仕立てられたのはだれでしょうか。埼玉県につくられた「ものつくり大学」が物議(政治家への賄賂(贈与)事件)をかもした時期でしたか、そこに呼ばれていった岡野さんは「五年や一〇年で職人は育ちません」と言い切ったそう。彼がしょっちゅう通っているある天麩羅屋の職人は「お客の前で揚げるのに十五年以上かかるという」それ以上をめざすなら、十五年では足りない、そんな世界が存在してきたし、いまもなおあるのです。

 4年で職人をつくる大学とは、いかにも罪作りではないですか。

 学歴を積み重ねるという意味はどこにあるのでしょうか。教えられることになれてしまうと、自分の足で立って歩くことができなくなるのではないかと心底から心配になります。ぼくはこの「小卒」の大先輩に「魅せられて」歩いてきました。

 「魅せられて」(ジュディ・オング・https://judyongg.com/) ジュディの唄はすごいですよ。「女は海 好きな男の腕の中でも 違う男の夢を見る」(阿木燿子詩、やっぱり)だと。(この部分は、岡野さんとはまったく関係ありません。駄文の中身とも)

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峰火 三月に連なり

 天声人語 高千穂製作所の誕生は約90年前、大正半ばである。八百万(やおよろず)の神々が宿る高千穂の峰。海外に通じる製品を作らんと、商標は世界の高天原(たかまがはら)、ギリシャ神話の聖地から拝借した。オリンパスの名は、こうして生まれる▼高貴な社名と、先人の理想を裏切る失態である。企業買収に絡む不自然な散財。巨額を動かした目的は、バブル期から引きずる含み損の穴埋めだった。粉飾決算は上場廃止に値する不名誉だ▼真相に迫る英国人社長を切った前会長兼社長、副社長、常勤監査役らこそ、不正に手を染めた面々だとか。自浄能力のない日本の経営陣と、独り乗り込んで悪を暴く外国人。単純明快な筋立てが悲しい▼内視鏡のトップメーカーである。それが財テクの古傷を見過ごし、いや、見て見ぬふりで20年も放置し、切るに切れぬ病巣にした。手術には外国製のメスを要したが、それは一本で十分だった。この情けない展開、ことは企業統治の緩さに関わり、日本の企業や市場全体が疑われかねない▼大王製紙の前会長が子会社の金を使い込んだ件では、同族経営の甘さが言われた。オリンパスで問われるべきは、サラリーマン役員の無責任と保身だろう。不正を抱えたまま出世できる気楽な稼業である▼顕微鏡と体温計に始まる同社は、戦後間もなく世界初の胃カメラを世に出した。内視鏡の先駆として、数えきれぬ人命を救ってきた開発陣が気の毒でならない。誇り高き光学企業が、技術ではなく不正経理でつまずく不条理を何としよう。(朝日新聞・11/11/09)

 「高貴な社名」と「腐敗した幹部」というのは悪い冗談か。(あるいは「自社・あさひ」のことを指していうのか)ぼくもこれまでになんどかカメラを飲まされましたが、飲み心地はけっしてよくありませんでした。ここでも公私を弁えない「公器の私物化」がまかり通っていたのです。なぜこうなるのか。理由は単純です。仕事力ではなく、下卑た政治力を命綱に出世の階段をよじ登ることが使命(名誉・権力)だと悲しい錯覚をのさばらせた結果です。(ぼくは大枚をはたいて、「OM-1」を購った、その瞬間をよく覚えています。こんな醜態を見せつけられて、なんだかそのカメラが汚れているような、レンズにカビが生えているような、なんともいいようのない味気なさ、口惜しさを覚えました)

 社会に生きてあるというのは、わが身一個のよくするところではないという当然の摂理を忘れれば、あとは怖いモノはないというだけの話です。こんな会社は市場から退場をと行かないらしいのは、どうしてだろうか。どんなものにも、お手本があるんですね。いい見本だけではなく、悪い見本こそ、「お手本」になって、鏡の役割を果たしています。「ああすりゃ、いいんだな」原発を爆発させた会社もまだ生き延びている、でかい顔して。いや、生き延びさせる政治が存在しているだけのことです。その時、政治は「延命装置」になっており、政治自体が「生き延びる」ために「原発」を嘘でも稼働させているにすぎない。「カネヅル」は死んでも話さないぞ。

 人よりも豊かな暮らし、人よりも大きな権力、人よりも多いゼニカネをという、卑しすぎる「独尊」懇望がこの時代に蔓延しているのを悲観するのではない。悲観する必要もない。ぼくにはだれにも邪魔されたくない「私」があり、それは絶対的な「他者」なしでは成りたたないという厳粛な日常を壊されたくないだけです。唯我独尊という姿勢は「傍若無人」と紙一重でもなければ、兄弟でもない。ここにも都合のよい「はきちがえ」が横行している。

 自己本位の、勝手な振る舞いを正当化するのは、いかんともしがたい「罪咎」であるぞ。

 「この世で、自分ほど偉いものはいないとうぬぼれること。釈迦が生まれたときに七歩歩き、一方で天を指し、他方で地を指して唱えたという言葉と伝えられる」(デジタル大辞泉)このように「うぬぼれ」をもったり、「他人を貶める」のはまちいであるということです。並み居る辞書群の、なんという軽薄な「解説」「説明」か。新聞やテレビに盛る「知識人並み」だね。これで「仏教」が語れるのかな。お釈迦さんが「うぬぼれ」たっていうの。ご冗談を。

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 河北抄 詩人の故中桐雅夫さんに『会社の人事』という詩がある。<「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」/顔色をうかがいながらおべっかを使う/いわれた方は相好をくずして/「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす>▼一般企業の多くは異動の季節まで間があるが、プロ野球は来季の人事をめぐるストーブリーグの真っ最中だ。とりわけ話題をさらっているのが、巨人軍のお家騒動である。▼清武英利球団代表(61)が上司である渡辺恒雄球団会長(85)を批判。コーチ人事を一方的にひっくり返したとして「不当な鶴の一声で、巨人軍を私物化するような行為は許せない」と訴えた。▼清武さんに同情的な声が多いが、しょせんはコップの中の争い。プロ野球の印象が悪くなっただけ、と冷ややかな見方もある。▼詩の後段が悲しい。(略) (河北新報・11/11/15)

 「震災」発生の年に露出・顕現した、この島社会の、もっとちいさな島(コップ)に生じた「内輪もめ」と「我が物顔」事件、いや事件ですらない。日常一般の「平凡な」一齣だ。(情けないこと、この上ない)書類を書いたり電話を掛ける、あるいはメールのやり取り、昼飯を食う、それと少しもかわらない「日常茶飯事」です。それを、これ(このざま)を見よと、鼻先に突きつけられるのはたまらない。今も進行している劣島「政治劣化過程」も、まるで毎日の「歯磨き」習慣や「通勤」風景と同日の談で、そんな劣化政治に「一喜一憂」じゃない、「喜怒哀楽」でもない、そう「あるがまま」と受け流し、「バカにつける薬はない」と留飲を下げるのでもない。ぼくは自分の足で歩く、多くの人に助けられながら。ぼくも君も「唯我」であると認め合う、そんな世(天上天下)に生きたいですね。

 中桐雅夫さん(1913~1983)の詩を。ある時期までサラリーマン(新聞社)でした。これは没落した「寸志」か「小志」の挽歌ですね。

「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」/ 顔色をうかがいながらおべっかを使う、

いわれた方は相好をくずして、/ 「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。

「あの課長、人の使い方を知らんな」/「部長昇進はむりだという話だよ」

日本中、会社ばかりだから、/ 飲み屋の話も人事のことばかり。

やがて別れてみんなひとりになる、/ 早春の夜風がみんなの頬をなでていく、

酔いがさめてきて寂しくなる、/ 煙草の空箱や小石をけとばしてみる。

子供のころには見る夢があったのに/ 会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。

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 ぼくも会社勤めのころには、似たような「日常」「茶飯事」をくりかえしていました。「支店次長」や「部長」になろうと思ったことは一度もないし(プライバシーが奪われたくなかった)、「不正を抱えたまま出世できる気楽な稼業である」と感じたこともありませんでした。ぼくには飯のタネでしたが、それはなかなかしんどいことでした。「君は部長になりたくないのか」と何度か(部長に)言われたことがありましたが、「ぼくはそんなにバカに見えますか」というのが常でした。(部長どもには悪いことを言ったと思う)ぼくのモットー(そんな大層なものではないのですが)は単純でした、「そこにいて、そこにいない」「一員でありながら、一員であることを拒否」するような見過ぎ世過ぎであり、明け暮れでした。まあ、クロコ(黒子・黒衣)(ホクロでもワニでも、なくはないか)みたいな存在にあこがれていましたね。「私的」「私物」「私事」「私権」を大切にしたいだけでした。

 「クニ」を私物化し、「含み損の穴埋め」「粉飾決算」のやりたい放題、島のあちこちに横並び、なんとも末期(末法)症状であり、「薬石効なし」の島のただ今です。「君はソーリになりたくないのか」「ぼくはそんにバカに見えますか」という問答が、どこかでやられているのでしょうか。「クニ」なんかいらないね、「郷里」があれば。(おい、そんなこと言っていいのか)まずは、町内会からですよ。

 「あさひ」もしずみましたな。のぼるのだろうか。「まいにち」のまいにちはどうなっているか。「まいにち」が「あさひ」とは、厚かましいものだ。

 「国破れて 山河あり」もまた、一抹の寂しさと、ここからだよ、という風情もありますね。「草木深し」がことのほかいいね。このささやかな島波の「安禄山」では、これからも無益な戦いは続くのでしょうね。ぼくは傍観じゃなく、懐手でもなく、自分の足で歩く。衆生は「トホ」に限るねえ。

 五月五日だ。「柱のキズだ」「鯉のぼりだ」ぞ。「粽(ちまき)」を食べな。そして聞いてくれ。「子どもたちよ、学校に頼るな」「教師を当てにしてはだめですよ」「教師を友とせよ」いいですか。どこまでも「トホ」に限りますよ。「徒歩」であり、「杜甫」でもあります。(でも、これを読む「子ども」は一人もいない。なに構うものか。要は「こころざし」ですよ、「意気」」なんだ)

「憲法について」、今昔物語

 憲法制定当時の、官僚の狼狽ぶりは、いま思い出しても、コッケイ極まるものでありました。新憲法はたしかに、占領軍から押しつけられたものであります。そのことは、ゲインの暴露を待つまでもなく、制定当時から、だいたい想像がついていたことでした。これは問題になることでありますが、同時に、他の一面、それが官僚の独善的憲法の作製を破砕すべきものとして現れた、ということも忘れてはならない点だと思います。さればこそ官僚は、必死の妨害工作が失敗したと見るや、俄然、手のひらをかえして、そして、あたかも新憲法が自分のイニシャティブで発案されたかのような粉飾を見せたではありませんか。そして、それによって新憲法が人民の手に渡るのを防いだのであるが、もともと不本意に呑み込んだものだから、実行する気など、はじめから毛頭なかった。表面を取りつくろって、時をかせげばよかった。そして今日、時至れりとばかり、公然、憲法無視の態度を露骨に示し出したと見るべきでありましょう。

 今日の権力者の憲法無視は、ほとんど議論の余地のない、明々白々の事実であります。再軍備は申すまでもなく、国民の基本的人権をジュウリンし、学問の自由を奪い、集会、結社、言論、出版の自由を侵し、国権の最高機関である国会の機能を不具ならしめ、一方において社会保障の増進に努めず、象徴である天皇を神格に復せしめようとしております。まことに、至らざるなき有様です。しかも、みずからこれを認めようとせず、たまたま尻尾をつかまれれば「失言」と称して逃れ、あるいは居直って国民を威喝し、その傍若無人ぶりは、手のつけようがありません。民主主義とは、かくも藤原朝に似た寡頭専政を作り出すものでしょうか。(竹内好「憲法と道徳」一九五二年五月号『世界』初出)

 大小を問わず、権力は傲岸であり不遜です。引用した文章は吉田茂総理の時期のものですが、権力を握っている連中の行動パターンが時と所を変えて、しばしばくりかえされるのはなぜか。時の為政者はいつでも憲法を守るフリをしてきたが、それはフリであって、真のすがたではない。守ろうという魂胆は少しも持たないのが権力者の資格でさえあると言った方が当たっているのではないか。(もちろんわずかな例外はありました)憲法を変えて、国民をそれによって縛ろうというのだから、無知は悪(暴力)であるというほかなさそうです。まるで、憲法につばをする不逞な行為であります。権力の無法・不法な振る舞いをこそ縛るのが憲法の大義です。以下の樋口氏の述べるところを、とくと吟味したいですね。

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 「民主主義という制度は、選挙という民主的な手続きによって、独裁者を生んでしまうおそれがあります。民主的に生まれた権力であっても、国民が作る憲法によって制限する。それが憲法の役割です。政治家の側が、選挙で多数を得たのだから白紙委任で勝手なことをしていい、などということにはなりません。

 近代国家における憲法とは、国民が権力の側を縛るものです。権力の側が国民に行動や価値観を指示するものではありません。数年前に与野党の政治家たちが盛んに言っていた、憲法で国民に生き方を教えるとか、憲法にもっと国民の義務を書き込むべきだ、などというのはお門違いです。

 今から120年も前、大日本帝国憲法の制定にかかわる政府の会議で、伊藤博文がこう語っています。/「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」/ 憲法をつくるとはこういうことです。伊藤は、いわば模範解答を残した。憲法によって国家権力を縛るという「立憲主義」の考え方を理解していたことがわかります。

 明治から昭和のはじめにかけて、立憲改進党とか立憲政友会のように「立憲」の名を冠した政党がいくつもありました。それほどなじみのある言葉だったのです。では、現代の政治家たちはどうでしょうか」(「いま、憲法を考える」朝日新聞・12/05/02)

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 首相「憲法改正、必ずや成し遂げていく」 緊急事態条項創設訴え

 安倍晋三首相(自民党総裁)は3日、ジャーナリストの櫻井よしこ氏らが主催する憲法フォーラムに寄せたビデオメッセージで、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、憲法を改正して「緊急事態条項」を創設する必要性を訴えた。憲法フォーラムは、新型コロナの影響で集会の形を取らず、動画投稿サイト「ユーチューブ」で中継した。

 「今回のような未曽有の危機を経験した今、緊急事態において、国民の命や 安全を何としても守るため、国家や国民がどのような役割を果たし、国難を乗り越えていくべきか。そして、そのことを憲法にどのように位置付けるかについては、極めて重く、大切な課題であると、私自身、改めて認識した次第です。自民党がたたき台として既にお示ししている改憲4項目の中にも『緊急事態対応』は含まれておりますが、まずは、国会の憲法審査会の場で、じっくりと議論を進めていくべきであると考えます」

 「そして、憲法第9条です。今回の新型コロナウイルスへの対応では、延べ1万7千人を超える自衛隊員が対応に当たり、この瞬間も、各地の自衛隊病院などで、感染症患者の救護に当たるとともに、空港での検疫、自治体職員などへの感染予防のための教育支援を行っています。そして、一連の対応を通じて、従事した隊員からは、これまで1人の陽性者も出していません。事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努める。私は自衛隊の最高指揮官として、彼らのプロフェッショナリズムに常に胸を打たれています」

 「3年前のこの『憲法フォーラム』でのビデオメッセージにおいて、私は、『2020年を新しい憲法が施行される年にしたい』と申し上げましたが、残念ながら、いまだその実現にはいたっておりません。他方、この間、先の参議院選挙において、われわれ自民党は、国民の皆さまから『憲法改正の議論を前に進めよ』との力強い支持をいただき、また、各種の世論調査においても、『議論を行うべき』という回答が多数を占めてきております。憲法改正への挑戦は決してたやすい道ではありませんが、必ずや皆さんとともになし遂げていく。その決意に揺らぎは全くありません」

 「憲法改正の主役は、国民の皆さまです。どの項目をどのように改正するの か、あるいはしないのか。国民投票によって国民の皆さまが決めます。ですから、多くの国民の皆さまが憲法改正について、自らの問題として大いに議論をし、理解を深めていただきたい。本日のフォーラムが、その大きな役割を果たすことを期待しています。憲法改正に向けて、引き続き頑張ってまいりましょう」(産経新聞・20.05.03)

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 論評はしません。ぼくはいつでも、この「ソーリ」はおそらく憲法を丁寧に読んだことが一度もないと、確信に近い印象を感じてきました。「少しも尊重していないな」と。「印象」などと、いい加減なことを言うなと非難されそうですが、多分まちがっていないという「印象」をいだいています。日頃の「会議」の「首相発言」も自分では問題の所在をつかまないままに、喋らされていると思われます。つまりほとんどのことに彼は関心も責任感も有していない、おのれの「占める地位・座る椅子」だけが気がかりなんだと断言、これはできます。「真情」があるのか?不実の上にも不実だ。

 驚くべき、稀に見る「厚顔かつ醜悪さ」(impudence、shamelessness)で、ますますその度合いに拍車がかかってきたと思われます。いささかの「名分」(死ぬ理由)もなく、「いぬ‐じに【犬死に】[名](スル)何の役にも立たない死に方をすること。徒死。むだじに」(デジタル大辞泉)をせざるを得なかった(政治の不作為により、させられた)、数多の人々に一片の惻隠の情すら見せない(持てない)人間がいるという、底なしの恐怖です。生活の糧さえ失った無量の人民の困苦に意識が及ばないという非人情。人民の「徒死」や「塗炭の苦悩」に責任の一端(どころではない)があるとは考えられないという鉄面皮です。(左上の方もなかなかの曲者、紛い物。都の自己宣伝相なんだ。薄情そのものだね。Cairo大卒とか)

 憲法は「なんとかマスク」ではありません。汚しても、汚されてもならない。(ぼくは現行憲法の改正については、それは「不磨の大典(「大日本帝国憲法」の「美称」)」とは少しも考えていません。どこを変えるべきかを考えます)

忘れえぬ教師

 《小学校で、私は二人の教師を記憶している。一人は、四年生の担任の野田先生、もう一人は、三年と五、六年の担任の元木先生である。私は東京都千代田区(当時は麹町区)の富士見小学校を大正十二年に卒業した。(中略)

 たぶん野田先生は、そのころ赴任したてではなかったかと思う。四年生ともなれば、教師の動静にかなり敏感である。その生徒の目から見て野田先生は、異色があった。まだ若い、学校を出て間もないらしい、フチなし眼鏡をかけた野田先生が担任になったことを、ひそかに誇る気分がクラス全体にあった。どういう異色かというと、一言にいってハイカラという印象である。今にしておもうと、野田先生は自由主義教育の雰囲気を身につけていたらしい。そしてそれを与えられた制限のなかで生かした。学校は案外おもしろいところだという気がして、積極的な勉学の意欲がかき立てられたのは、野田先生の授業からだった。  

 沈んだ記憶をよびさまそうとして筆をおいているうちに、ふと思い出した一つの小さなことがある。それは野田先生が、授業時間中の見回りのとき、私のシモヤケの手をなでてくれたことである。私は子どものころ、毎年冬になるとシモヤケをひどく患った。いまでも右手にその傷跡の一つが大きく残っている。赤くふくれて、傷からウミがホータイにしみ出ている私の手を、両手にかかえるようにしてのぞきこんでいる野田先生のフチなし眼鏡をかけた小柄の顔が目にうかぶ。それがどんなに当時の私にうれしかったか、どんなに精神の飢えを満たしてくれたか、今わかるような気がする。

 野田先生は、私の文才をはじめて認めてくれた人としても、私の記憶から消えることはない。私は作文がおもしろくてたまらなかった。課題作文のほかに自由作文を書かせることも、野田先生からはじまった。私は次第に長い文を書くようになり、しまいには原稿用紙で十枚くらいのフィクションを綴ったと記憶している。野田先生はそれに添削して、長い批評をつけて返してくれた。私が自分からすすんで添削を乞うたのは、前にも後にも野田先生きりである。その年のおわりに、作文集を手製の合本にして、表紙をつけて、先生に題字の揮毫を願った。先生は「思出の種」という、当時の私から見ていかにも気のきいた、しゃれた題をつけてくれた。その字を父が見て、うまいとほめた》(竹内好「忘れえぬ教師」)(上の写真、富士見小学校は明治十年創立です。西南戦争の年でした。)

 竹内好(よしみ)さんは文学者。とくに中国文学(魯迅研究等)において大きな足跡を残された。1910~77。右の文章の初出は57年です。

 「この文集に和歌数首が掲載されていたが、すべてを忘れてしまった。(文集は中学四年のときに、井の頭公園で焼却したという)たまたまうる覚えの一首、「ケキョケキョと藪鶯のなく声を(以下四字忘れた)にきく初春の野辺」があった」

 「これは課題作文で…この歌がいいとは思えない。子どもらしいひらめきが少しもない、いやにひねこびた歌である。私の中にある俗物根性、優等生根性の面がそっくり出ていて、自己嫌悪を感ずる。しかし、こう言うと弁解じみるが、当時の私もこれは快心の作と思っていたわけではない。いわゆるうまい歌に反逆したくて、何首かは型やぶりをやったが、それだけでは先生に悪い気がして、先生の気に入りそうな歌を添えた中の一首がこれなのである。そして、これが最高点で入選した。私の経験から帰納した定理の一つは、学生はつねに教師に迎合する、というのである」と教師経験者でもあった竹内さんは語っています。(「元木先生」についてはいずれ機会を見つけて)

 「ともかく私は野田先生がすきだった」

 だれもがおなじように長い学校生活を経験します。その間、いったいどれほどの教師たちと交錯(交差)してきたことでしょうか。かぎりないほどの出会いをくりかえしながら、その実、ほんの数人が記憶に残れば勿怪のさいわいというほかありません。もちろん、記憶に残るといっても、早く忘れたくなるような教師との出会いもありますから、竹内さんのような僥倖は宝くじにあたるような、希有のことだったと思われます。

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 朝日新聞社編『ほんとうの教育者はと問われて』(朝日選書36)

*こんな質問に対してあなたはどのように答えますか。答えられますか。「ほんとうの」という尋ね方はどうですか。「ほんとうの」って。それに応える人も人ですが。

 いまは亡き哲学者の田中美知太郎さん(1902-1985)は、以下のように述べておられます。先生はこの島社会における「ギリシア哲学、とりわけプラトンやソクラテス思想」の道を切り開いた人として、ぼくも親しく学んだ記憶がある方でした。どこかで駄文を書いてみたいと思っているほどです。

 《本当に学ぶ者の立場からすれば、先生というものは、あらたまって何かを教えてくれなくても、いっしょに勉強してくれるだけで、あるいは自分が学問していてくれるだけで、わたしたちの師として十分なのかも知れない。何も教えないと言ったソクラテスが、最も偉大な教師であったということである》とされています。万感の思いをこめて、ぼくもそのようにいいたいほどです。

 なんとも悲しいことですが、ぼくには学校時代に「恩師」とか「忘れえぬ教師」というような人に出会ったことはただの一人(一回)もなかった。なぜだったか。その理由はわかるような気もしますが、まるで謎でもあるといいたい気もします。もっとも大きな理由はぼく自身が「人に頼る」「人に頭を下げる」ことが死ぬほど嫌だったからです。「どんなことでも、自分でやってみる。そうでないと気が済まない」と、ほとんどすべてを「我流」で通したと言って、自慢するのではありません。ある意味では不幸なことだったと、正直に思います。悪い意味での天邪鬼。三つ子の魂百まで。

 どんなことでも自分流で通そうとしたから、人の何倍も失敗し、苦労したと思います。挫折したことはなかった。挫折するほど、物事に真剣に取り組まなかったという、最悪の姿勢が身についてしまっていたからです。今だから言うのですが、失敗や苦労こそが「ぼくの教師」だった。「経験から学ぶ」というのがわが学習法でした。躓いたり転んだり、「起き上がりこぼし(小法師)」みたいなもので、とにかく揺れに揺れた人生でした。ブレないというのではない生き方、それがぼくの流儀に、いつしかなっていました。

 竹内さんはよく読み、全集も横に置いていた時代もありました。「一人の英傑」であると考えちがいをしていた期間が長かった。読書していてわかったんですが、「60年安保」の一場面で、異常に興奮した彼を知って、「なんと軽薄な」と興ざめをしたのでした。「人民政府」ができるとでも思っておられたのでしょうか。ぼくのアナーキー(anarchy)の芽生えだったかもしれない。それは別の話で、好さんの「魯迅」に関する翻訳も文章もいまだに溺愛しています。

 「竹内好の文章の魅力は,自分を消して状況を見るという見方をとらず,自分のいる状況から離れずに文章を書いたことにある.自分をその外に置かない視野の形成.「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」,講座『現代芸術』第二巻,所収).天皇制に捉えられた状況の中にいて天皇制にあらがう,そこに竹内好の文章の力がある.それは失敗の中から力を汲み取る方法を示し,自分の,そして日本国民の,さらには人類の生き続ける道を指さす」(鶴見俊輔『竹内好 ある方法の伝記』岩波現代文庫、2010)

教育は「商品名」だということ

 《…教育はほんの最近になって今日の意義を獲得したのだということを、私たちは忘れがちだ。子豚やあひるや人間に必要なはじめのしつけという部分を別にすれば、教育は宗教改革以前には知られていなかった。それは若者に必要な訓練や、あるものが生涯でその後たずさわり、そのために教師が必要とされるような学問とははっきり区別されていた。ヴォルテールさえまだ、それを見栄っ張りな教師たちだけが使うあつかましい新造語と呼んでいる。

 すべての人々に啓発の継起的な段階を通過させようとする営みは、中世末期の「偉大なる技芸」であった錬金術に深い源をもっている。十七世紀のモラヴィア派の僧正で、自称百科全書的博識家であり教育学者であったヨハン・アモス・コメニウスは、正当に現代の学校の創始者の一人と見なされている。彼は七ないし十二学年の義務的学習を提案した最初の一人であった。『大教授学』のなかで、彼は学校を「あらゆる人にあらゆることを教える」仕組みとして記述し、知識の流れ作業的生産のための青写真の大要を示した。彼の方法によれば、知識の流れ作業的生産は教育をより安価ですぐれたものにし、すべての人にとって可能な十全な人間性へと成長させるはずであった》(イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』)

(*コメニウス(1592‐1670)チェコスロバキアの教育思想家。チェコ名はコメンスキー。フス派の社会改革思想を継承するボヘミア兄弟団の牧師。三十年戦争の渦中に国外へ追放され,生涯亡命生活を送り,祖国解放を念願とした。人類愛的平和主義の立場から学校教育の改革をめざし,すべての国の男女が,同一の言語によって,階級差別のない単線型の学校体系において,普遍的知識の体系を学ぶ必要を説き,その教授方法を提唱した。近代教育学とくに教授学の祖といわれる。主著《大教授学》《世界図絵》。後者は近代的教科書の先駆とされる。)(マイペディア)

 イリイチは「教育の大量生産装置」(学校)の理論家としてコメニウスをあげ、「すべての人にすべてのことを」教授できるとしたという点で、近代学校教育の創始者の一人に数えました。くわえて、コメニウスの「学校教育」論を支えた理論こそが「錬金術」だったというのです。どのような意味で、そういわれるのでしょうか。

(*錬金術(れんきんじゅつ)卑金属を貴金属(特に黄金)に変成させる技術,また不老長寿の薬や万能薬を製造する技術の称。英語 alchemy などはアラビア語起源。古代エジプトの冶金術や染色術を背景に,ヘレニズム期にギリシアの思弁が付加されて成立したと想定され,伝説上の始祖はヘルメス・トリスメギストス。イスラム世界で高度な発展をみたほか,ヨーロッパでもニュートン,ゲーテに至るまでの長い伝統がある。〔以下略〕)(マイペディア)

 《この錬金術師は、十二の連続的啓蒙の段階を通じてその精神を濃縮する(graduate)ことによって、劣位の要素(base elements)(子ども)を精錬しようとしたのである。その目的は劣位要素自身と全世界の利益のために、劣位要素が金に変わることであった。もちろん錬金術師たちは、何度試みようとも失敗した。しかし彼らの失敗の理由を案出するたびに、彼らはふたたび試みたのである》(同上)

 この国では「中学卒」を「金の卵」と言い表してきました。彼・彼女らが「劣位要素」であり、それが現実の会社や工場において「金」に変換させられたのかどうか。学校も工場(企業)も錬金術師の働き場だということをイリイチはいっているのです。さすれば、高校や大学も一面では「錬金術」工場といえるでしょう。「金の卵」を使いものにならない劣位要素(メッキの未熟卵)へと変えてしまうから、といえば非難されるでしょうか。

 《産業主義的生産様式は〝教育〟と呼ばれる目に見えない新商品を製造することによって、はじめて十分に合理的根拠を与えられた。教育学は〝偉大な技芸〟(アルス・マグナ)の歴史で新しい一章を開いた。教育は、科学という魔術によってつくりだされた環境に適応する新しいタイプの人間を生みだす錬金術的過程の探求となった。しかし、各世代がどんなに多くの金額を学校に費やそうとも、大多数の人々はより高い段階の啓発にはふむきだと認定され、人工的環境で恵まれた生活をすごす準備ができていないものとして見捨てられねばならないことが、つねに明らかになった》(同上)とえげつないことを言っています。

 「ものを学ぶ(学習する)」とは「学校に行く」ことと同義となれば、学校に行かないものはどんなに能力があろうとも、無教育で無教養であるとされるのは避けられない。その反対もしかり。無能でも、学校に行けば教養があるといわれる?いわれはしないけれど、行ったことは評価されるのです。ありゃあ、大学出だぞって。だから、目的なしに行きたがるのです。これこそが学歴売買市場(ミル)の深層(真相)ですね。

 教育とは、スマホやテレビというのと同じように、あるものを示す「商品」名であり、学校はその商品を生産する制度(工場)です。この両者は自らが存在するためには互いに依存しあっているのです。工場(factory)とは「画一的なもの[人]を生み出す所(◇学校など)」(プログレッシブ英和中辞典 第5版)とあります。画一商品なら、「汚れマスク」より「汚れないマスク」のほうが値打ちがあります。「マスク」を配布するなんざ、なかなか常人には出来かねます。仕掛け人は「金の卵」になったのか「メッキの卵」に格落ちしたのだったか。(しかし、こんな破廉恥きわまる不始末をしておいて、しかも数百億円の税金をぶち込んで、「恬(てん)として恥じない」という不埒をどうします。このバカは本物に過ぎます。「空恐ろしい、背筋が寒くなる」といまになってしみじみ感じいるのだから、ぼくは、目出たいくらいにお粗末です。やっぱり、その張本人もまた、大学出だそうな。

 工場と商品、いかにも今風の資本主義経済社会の主要な部分を言い当てています。「商品の質」こそが、市場で取引されるのです。アメリカではdiploma millという商売が成り立っています。日本も、その一歩手前まで来ています。いや通り越したか。学校名がブランドになるのかどうか、ぼくにはわからないが、小さな経験からみて、同級生たちが「社会」に出て「会社」に入る(ややこしい)のを見てきたものとして、はたして、大学出に取り立てて値打ちがあるのかと疑問をいだくのです。そもそも「大学」の実態たるや、おどろくほど停滞というより、退廃、堕落、際限のない惨状でしたね。昭和初期には、あまりにも不景気で「大学は出たけれど」と、映画の主題にまでなるような事態にいたりました。大学を出れば何とかなるという期待ではなく、それは空想でしたね、さて、今日は…「令和恐慌」という。

●はたらく(働く)1 仕事をする。労働する。特に、職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く。「朝から晩までよく―・く」「工場で―・く」「―・きながら資格を取る」2 機能する。また、作用して結果が現れる。「薬が―・いて熱が下がる」「引力が―・く」「機械がうまく―・かない」3 精神などが活動する。「知恵が―・く」「勘が―・く」4 悪事をする。「盗みを―・く」「不正を―・く」5 文法で、用言や助動詞の語尾が変化する。活用する。「五段に―・く動詞」6 動く。体を動かす。「死にて六日といふ日の未(ひつじ)の時ばかりに、にはかにこの棺―・く」〈宇治拾遺・三〉7 出撃して戦う。「オノレワ戦場ニ出テ楯矛(たてほこ)ヲ取ッテワ―・カネドモ」〈天草本伊曽保・陣頭の貝吹き〉(デジタル大辞泉の解説)

●ディプロマ‐ミル【diploma mill】 の解説《卒業証書製造工場の意》大学などの教育機関を自称し、学位や称号を売る団体。このような行為を学位商法という。ディグリーミル。(goo辞書)

そして誰もいなくなった?

 (福島原発事故の一年後の)五月五日(子どもの日)の深夜、列島でたった一基だけ稼働していた北電泊原発三号機が止まりました。五日の東京新聞(朝刊)に、佐藤正明さんのマンガ(「そして誰もいなくなった」)が一面に出ていた。この佐藤さんのマンガを読むためだけにボクは東京新聞を購読しているといってもいいほどに、いつも抜群に面白いというか、秀逸です。風刺なんて野暮なものじゃない、確かな批判精神が横溢していると思われます。GNPは「ゲンパツ」、そのGNP54の最後のメンバーは泊原子(とまりはらこ)さん。寺山修司は「身捨つるほどの祖国はありや」と問いましたが、いまなお、爆発事故の被害に身も心もすり切らせて、数知れない無辜の民が苦悩している。再稼働云々というのは寝言であり戯言であるとボクはいいたい。泊原子さん、これまでの活動、まことにお疲れ様でした。そして、ただ今休業中、あるいは引退されたGNP54のメンバーの方々、(まだ残務処理は残されていますが)どうか、ゆっくりと休養(引退)してください。「また表舞台に出よう」「スポットライトを浴びたいな」などという悪い冗談は金輪際いわないことです。活動歴が四十年を超えた方(心身をすり減らしたはず)もいれば、泊さんはまだ三年そこそこ。これまで(事務所が)投資した資金を回収できないのは残念で気の毒ですが(それも税金なんだよね)、なにも核分裂(臨界)だけが人生ではないと気づいたなら、きっと新しい光が指すと思います。「皆様のご理解をいただきながら、泊発電所の1日も早い発電再開を目指してまいります」と北電事務所は脳天気な期待や魂胆を語(騙)っていますが、その手に乗ってはいけない、騙されてはダメと、多くのファンは見守っています。GNP54時代は終わったんだ。(この駄文は「原発事故」の一年後に書いた)

 人民の人民による人民のための政治と、誰かがいいましたが、それがいかに困難な課題であるか。現下の(というより、この何十年もの)わが劣島の政治の為体(ていたらく)をみせつけられるにつけ、つくづく思い知らされています。規則をつくる、規則を破る、これを同じ人間どもがするのだから、なにをか言わんや。記録を残す、記録を改竄する。贅言を垂れ流す、それを平気で糊塗する。もう、破棄レベルだね、この島の永田町議員は。

 手に負えない代物を作り、その破天荒な暴走に戦きながら異様な経験をした(させられた)にもかかわらず、いままた、あえてその代物に手を掛けるというのだから、もはや手に負えない暴力だというばかりです。無辜の民がどれだけ犠牲になろうと、金儲けのためには委細かまわずに突っ走ろうというのです。この恐怖のシナリオを書いているのはだれか。盗電派か、それとも「美しい国を」派を自認にする悪輩か。「火事場泥棒」が「緊急事態」下に大量に発生しています。度し難い盗人たちだ。事故後十年を前にして、泊さんたちは「堂々と復活」したのか。こそこそと「舞い戻った」のか。それとも、「引退」していなかったのか。「GNP」メンバーは空恐ろしい鉄面皮であり、鉄仮面だ。

 「そして誰もいなくなった」」と引退を惜しんで(喜んで)いたら、知らぬ間に「メンバー復活」という悪夢が現実になっていた。「稼働自粛」を求め、「稼働停止要請」を促す。なんで「自粛」なんだ、補償・保証・保障しろと、散々ごねて、しこたま懐に入れたじゃないですか。「関西電力」はどうです。立地派の「偉いさん」から賄賂を懐に。ぼくは元関電派(京都)でしたから、情けないことかぎりなし。「感電」しそうになっています。

 半世紀以上も前に「核の平和利用」という悪魔のささやきが吐かれたときから、原子炉の技術はまったく進歩していない。「出口がない」建物しか作れないのだから。「トイレのないマンション」といったのは武谷三男さんだった。それ以上に人智の頽廃は著しい。無知蒙昧と国民を侮り、理屈をひねり出して、莫大な税を投入し、気の遠くなるようなカネをばらまき、立地地域をそれなしでは立ちいかなくしてしまった。福島「東電」の事故以来、電力会社、国家政府、官僚たちの振る舞いをつぶさに見ていて、この連中はおのれのことしか眼中にないし、みずからの利害のためには白昼堂々と嘘八百を言い募るという、空恐ろしい悪行を見てきました。(この島の官邸を牛耳るのは「原発第一」派なんですな。野郎どもは「原発」の輸出を目論んでいました)

 まだまだ、この愚連隊の悪戯・悪態は序の口なのかも知れない。大儀もなく、勝算もない無謀な戦争を仕掛けたのはだれであったか。そして国家を破滅に導いたのはだれであったか。その後裔たちが同じ轍を踏んでいる。それをぼくたちは指をくわえてみているだけか。現下の「コロナ禍」でも同じことで、「不義と不正」を、白昼堂々と侵している、厚顔を臆面もなく晒しながら。ある「痴方官僚」たちは、まるで災厄に遭遇したのに「嬉々としている」と思われるようなはしゃぎかただ。その尻馬に乗りたがる下々の輩も輩出(排出したいね)しています。「同調過剰」に「自粛強制」に「自粛警察」??

 政治・行政の「私物化」が横行しています。政治も行政も「公物」だということを知らないんだ。「公物」とは人民(住人)のものであるという意味です。したがって、政治や行政に携わる人間は「全体への奉仕者(servant)」なんです。こんなことをいっても盗人に追い銭ですなあ。マジで言いますが、これは「国家・国民(正確には「人民」)」が拉致されているのだ、と。これこそが「緊急で異常な事態」そのものです。

 「瓢箪から駒っていうのは、どういう駒か。嘘から出たまこととは、どんなまことか」